日本精工 の歴史

更新:

1916年、山口武彦氏が東京で創業し日本初の軸受量産を開始。英UPI社の買収による欧州展開、ステアリング事業の分社と買い戻し、NTNとの経営統合までの沿革と経緯を執筆。

創業

1916年

創業者

山口武彦

創業地

東京都品川区

直近売上高(2026/3)

9,116億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1916年に、軸受を輸入に頼っていた日本で軸受の専業メーカーが必要とされたのか
A 軸受は鉄道・工作機械・自動車といった動力を伝える機械が回るかぎり必ず要る部品でありながら、当時の日本には量産技術が根付いておらず、ほぼすべてを欧州からの輸入に頼っていた。輸入が途絶えれば機械産業全体が止まる弱みを、第一次大戦による欧州からの供給細りが突きつけた。国産化できれば機械産業の精度と信頼性を自前で支えられるため、山口武彦は1916年11月、資本金35万円で東京都品川区に日本精工を設立し、国内で初めて軸受の工業生産を始めた専業メーカーとして出発した
Q なぜ戦後のNSKは、軸受専業から自動車部品まで広げて世界3位を取りに行ったのか
A 軸受は設備投資の回収に地理的な分散と規模の両方を要する装置産業であり、自動車産業の世界的な拡大に歩調を合わせれば、大口の受注と量産規模を同時に得られた。そこでNSKは1962年の米州拠点、1963年の欧州拠点を皮切りに販売から現地生産へ段階を踏み、1964年に米ボルグワーナー社と合弁でNSKワーナーを設けて自動車部品へ食い込む。1990年3月には英国最大の軸受メーカーUPI社の株式を100%取得し、欧州勢の牙城に欧州資産そのもので切り込んで、スウェーデンのSKF、ドイツのシェフラーに次ぐ世界3位の地歩を固めた
Q なぜ2023年にステアリング事業をJISへ預けたNSKが、2025年にそれを買い戻したのか
A JISへ預けたのは、自動車部品の採算悪化を切り離してまず収益体質を立て直すためだった。市井明俊社長はティッセンクルップとの合弁交渉が破談した後、2023年8月に投資ファンドJISが議決権の50.1%、NSKが49.9%を持つ体制でステアリング事業を持分法適用会社へ移し、約2年でこの事業を黒字へ反転させた。体質が整うと、自動車部品業界の環境変化に機動的に対応するにはグループ内に戻すほうが有利と判断し、2025年9月にJIS保有株を取得して連結子会社へ戻した。スタンドアローン体制とストラテジック・パートナー探索の方針は子会社化後も維持している

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1916年〜 国産ベアリングの原点と製造拠点の広がり

日本精工の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1916年 日本精工を設立、日本初の軸受量産を開始
  2. 1937年 藤沢工場を設立
  3. 1953年 大津工場を設立
  4. 1959年 石部工場を設立
  5. 1960年 北日本精工を設立
  6. 1962年 NSKコーポレーション社を設立、米州販売網を開始
  7. 1974年 販売会社から現地生産への移行と、豪州・英国・米国への工場設置 輸出で押し続けるか、相手国の内側で作るか——高関税と現地の労使に向き合った10年

日本で初めて軸受を量産した会社として始まった

1916年11月、資本金35万円で東京都品川区に日本精工が設立された。前身の日本精工合資会社を株式会社へ改組する形で1916年11月8日に発足し、初代社長には山口武彦が就いた。国内で初めて軸受の工業生産を開始した会社であり、鉄道・工作機械・自動車といった動力を伝える機械が動くかぎり必要とされる部品を、輸入に頼らず国産化するために生まれた専業メーカーとして出発した。当時の日本では軸受はほぼすべて欧州からの輸入品であり、国内にはまだ量産技術が根付いていなかった。創業者の山口武彦は、軸受という小さな部品が機械産業全体の精度と信頼性を支える構造を見抜いていた。NSK(Nihon Seiko Kaisha)の呼称も創業期から用いられ、日本の機械産業の精度を底から支える立場を、創業時点で自ら引き受けた会社だった。 [1][2][3][4][5]

  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1916年11月、資本金350千円(=35万円)で日本精工株式会社を設立。日本で初めて軸受の生産を開始
    • [4]国内で初めて軸受の工業生産を開始した専業メーカーとして出発
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [2]創立は大正5年(1916年)11月8日。前身の日本精工合資会社を株式会社に改組して発足
    • [3]初代社長は山口武彦。資本金35万円、本社工場は品川区大崎一丁目(当時は東京府下荏原郡大崎町字居木橋410)
    • [5]創業者は山口武彦(初代社長)。1914年日本精工合資会社→1916年日本精工株式会社設立

創業から戦後復興期にかけては国内生産拠点の積み上げが中心だった。1937年に藤沢工場、1953年に大津工場、1959年に石部工場を相次いで立ち上げ、1960年には群馬県前橋市に北日本精工を設立する。この北日本精工は後年NSKステアリングシステムズへと再編され、半世紀後に事業切り出しの主役となるステアリング事業の源流にあたる。創業期に植えた種が、21世紀の経営判断の舞台を用意していた格好である。戦後の自動車・電機・工作機械産業の拡大に歩調を合わせ、NSKは国内生産能力を積み増した。標準品と特殊品を併せ持つ軸受メーカーとしての体制を固めたと言える。 [6][7]

  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [6]1937年11月 藤沢工場、1953年11月 大津工場、1959年11月 石部工場を設立
    • [7]1960年6月 群馬県前橋市に北日本精工(現NSKステアリングシステムズ)を設立。ステアリング事業の源流

創業期のNSKは海軍との結びつきのもとで軸受の国産化を進めた。技術の中心には海軍出身者が並び、生産計画は海軍の支援の下で始まった。試作を重ねた国産ベアリングの第一号は横須賀海軍工廠に納入され、国産航空機用ベアリングとしてもわが国最初のものがNSK玉軸受として使われた。民間でも自動車の先駆者快進社のダット号に円すいコロ軸受が採用され、海軍と一般工業の両面に営業基盤が広がった。1920年の大阪を皮切りに名古屋・小倉・札幌へ営業所を置いて販路を伸ばし、1932年には国鉄の新製ガソリン動車の車軸にNSKの円すいコロ軸受が採られた。これはわが国最初の鉄道車両用軸受にあたる。1935年開設の多摩川工場では欧米から輸入した自動機でマスプロ化に踏み切り、戦時には軍の要請で戦車用・航空機用ベアリングを量産した。終戦で大半の工場が賠償指定を受けたが、多摩川・藤沢の二工場が除外され戦後再建の足場として残った。 [8][9][10][11][12][13][14][15]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [8]技術首脳陣は海軍出身者で占められ、ベアリングの生産計画は海軍の全面的な支援の下で始められた。わが国ベアリング工業のパイオニア
    • [9]わが国ベアリングの第一号は試作後に横須賀海軍工廠に納入。国産航空機用ベアリングはNSK玉軸受がわが国最初
    • [10]自動車の先駆者快進社のダット号に円すいコロ軸受が使用された
    • [11]大正9年(1920年)大阪、12年名古屋、14年小倉、昭和3年札幌に営業所を設置
    • [12]昭和7年(1932年)国鉄の新製ガソリン動車の車軸に同社の円すいコロ軸受が採用。わが国最初の鉄道車両用軸受
    • [13]昭和10年(1935年)多摩川工場を開設。欧米から輸入した斬新な機械と自動機でマスプロ化へ転換
    • [14]日華事変・大東亜戦時代に軍の要請で戦車用ベアリング・航空機用ベアリングを生産
    • [15]終戦でほとんどの工場が賠償指定を受けたが、多摩川・藤沢の二工場が賠償から除外された
  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1916年11月、資本金350千円(=35万円)で日本精工株式会社を設立。日本で初めて軸受の生産を開始
    • [4]国内で初めて軸受の工業生産を開始した専業メーカーとして出発
    • [6]1937年11月 藤沢工場、1953年11月 大津工場、1959年11月 石部工場を設立
    • [7]1960年6月 群馬県前橋市に北日本精工(現NSKステアリングシステムズ)を設立。ステアリング事業の源流
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [2]創立は大正5年(1916年)11月8日。前身の日本精工合資会社を株式会社に改組して発足
    • [3]初代社長は山口武彦。資本金35万円、本社工場は品川区大崎一丁目(当時は東京府下荏原郡大崎町字居木橋410)
    • [5]創業者は山口武彦(初代社長)。1914年日本精工合資会社→1916年日本精工株式会社設立
    • [8]技術首脳陣は海軍出身者で占められ、ベアリングの生産計画は海軍の全面的な支援の下で始められた。わが国ベアリング工業のパイオニア
    • [9]わが国ベアリングの第一号は試作後に横須賀海軍工廠に納入。国産航空機用ベアリングはNSK玉軸受がわが国最初
    • [10]自動車の先駆者快進社のダット号に円すいコロ軸受が使用された
    • [11]大正9年(1920年)大阪、12年名古屋、14年小倉、昭和3年札幌に営業所を設置
    • [12]昭和7年(1932年)国鉄の新製ガソリン動車の車軸に同社の円すいコロ軸受が採用。わが国最初の鉄道車両用軸受
    • [13]昭和10年(1935年)多摩川工場を開設。欧米から輸入した斬新な機械と自動機でマスプロ化へ転換
    • [14]日華事変・大東亜戦時代に軍の要請で戦車用ベアリング・航空機用ベアリングを生産
    • [15]終戦でほとんどの工場が賠償指定を受けたが、多摩川・藤沢の二工場が賠償から除外された

1960年代の海外進出と自動車部品への軸足

戦後の高度成長期に入ると、日本精工は海外に軸足を伸ばし始める。1962年12月に米国ニュージャージー州でNSKコーポレーション社を、1963年10月にはドイツデュッセルドルフでNSKドイツ社を設立し、米州・欧州の販売網を同時に築きにかかった。ドイツは軸受大手シェフラーの本拠地であり、現地拠点を置いたこと自体が挑戦だった。欧米の既存メーカーが築いた流通網に割って入ることは容易ではなかったが、NSKは自動車メーカーのグローバル展開に歩調を合わせて販売体制を整えた。日本の軸受メーカーが海外で本格的な営業網を持った最初期の事例でもあり、1960年代の海外拠点の配置が後のグローバル3位のポジションを支える土台になった。 [16][17]

  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [16]1962年12月 米国ニュージャージー州にNSKコーポレーション社を設立
    • [17]1963年10月 ドイツデュッセルドルフ市にNSKドイツ社を設立

1964年には米ボルグワーナー社と合弁でNSKワーナーを立ち上げ、自動車用トランスミッション部品への関与を深める。1974年に英国ピータリー工場、1975年に米国クラリンダ工場と、販売から現地生産へと段階を踏んだ。1975年に埼玉工場、1984年に福島工場を稼働させ、国内外で生産能力を積み増した。自動車産業の成長に歩調を合わせるかたちで、会社は純粋な軸受メーカーから自動車部品も手がける軸受メーカーへ比重を移した。この事業構造の変化は以後半世紀にわたってNSKの経営の基軸となり、自動車依存という特徴と弱みの両方を同時に抱え込む原点にもなった。 [18][19][20][21]

  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [18]1964年8月 米ボルグワーナー社と合弁でNSKワーナー社を設立
    • [19]1974年4月 英国ダーラム州にピータリー工場、1975年11月 米アイオワ州クラリンダ工場を設立
    • [20]1975年6月 埼玉県羽生市に埼玉工場を設立
    • [21]1984年8月 福島県東白川郡に福島工場を設立
  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [16]1962年12月 米国ニュージャージー州にNSKコーポレーション社を設立
    • [17]1963年10月 ドイツデュッセルドルフ市にNSKドイツ社を設立
    • [18]1964年8月 米ボルグワーナー社と合弁でNSKワーナー社を設立
    • [19]1974年4月 英国ダーラム州にピータリー工場、1975年11月 米アイオワ州クラリンダ工場を設立
    • [20]1975年6月 埼玉県羽生市に埼玉工場を設立
    • [21]1984年8月 福島県東白川郡に福島工場を設立

東西冷戦下の韓国・中国進出の地ならし

1987年9月、韓国昌原市にNSK韓国社を設立する。韓国の自動車産業が輸出を伸ばし始めた時期と重なり、日本の部品メーカーとして現地製造拠点を持った。1980年代末までにNSKは米州・欧州・アジアの主要地域に拠点を敷き、売上規模を拡大させた。国内では1984年に福島工場を設立し、海外は東欧や中国を除くほぼ主要地域を網羅する体制を整えた。1970年代末の韓国経済開発計画以降の工業化の波に乗る形で、NSKはアジア市場での存在感を引き上げ、日本の軸受メーカーとしての国際的地位を固めた。アジア各国の自動車生産が立ち上がる直前に現地拠点を置いた読みは、1990年代の業績拡大に直結した。 [22][23]

  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [22]1987年9月 韓国昌原市にNSK韓国社を設立
    • [23]1984年8月 福島県東白川郡に福島工場を設立

1980年代のNSKは、日本のベアリング市場で首位級の地位を固める一方、海外売上比率の引き上げを急いでいた。軸受は標準品と特殊品が混在する装置産業であり、設備投資を回収するには地理的な分散と規模の両方が要る。この時期の拠点設置ラッシュは、のちのグローバル展開を支える物理的な基盤を作り、1990年代の英国UPI買収・中国進出・ポーランド参入への助走路となった。自動車向けの大口受注を取りに行くための土台固めの10年であり、SKF・シェフラーという欧州の先行2社に追いつくための基盤整備を行った時期にあたる。欧州勢との競合は国内市場では有利でも、海外では現地化の速度差が勝敗を分ける世界で、NSKは1990年代の買収に賭ける地ならしを進めていた。 [24][25]

  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [24]1990年代の英国UPI買収・中国進出・ポーランド参入は実在(後続段落・沿革で確認)
    • [25]欧州先行2社はSKF(スウェーデン)・シェフラー(ドイツ)。NSKは業界3位
  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [22]1987年9月 韓国昌原市にNSK韓国社を設立
    • [23]1984年8月 福島県東白川郡に福島工場を設立
    • [24]1990年代の英国UPI買収・中国進出・ポーランド参入は実在(後続段落・沿革で確認)
    • [25]欧州先行2社はSKF(スウェーデン)・シェフラー(ドイツ)。NSKは業界3位

1990年〜 世界三強の一角への上昇とIT不況・リーマン期の谷

日本精工の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1990年 英国最大の軸受メーカーUPIの全株式取得と、中国・ポーランドへの生産拠点の設置 自前の工場を増やすか、現地最大手を丸ごと買うか——欧州で3%だったシェアの埋め方
  2. 1994年 NSKベアリング・インドネシア社を設立
  3. 1995年 NSK昆山社を設立
  4. 1997年 ラネーNSKステアリングシステムズ社をRane社と合弁で設立
  5. 2002年 ITバブル崩壊で純損失▲176億円に転落
  6. 2003年 純損失▲26億円、2期連続の最終赤字
  7. 2004年 2期連続の最終赤字を経ての委員会等設置会社への移行 社内の合議に委ねるか、社外へ渡すか——赤字の後で選んだ機関設計

英国UPI買収と中国・ポーランド進出で世界3位に入る

1990年3月、日本精工は英国最大の軸受メーカーであるUPI社の株式を100%取得した。ノッティンガム州を本拠とする老舗メーカーを丸ごと取り込むことで、NSKは欧州の製造・販売網を拡張し、スウェーデンのSKF、ドイツのシェフラーに次ぐ世界3位メーカーという地歩をした。日本の軸受メーカーによる欧州現地大手の買収として、業界内で先行する動きだった。UPI買収は単なる販売拠点獲得ではなく、欧州の自動車・産業機械向け軸受の製造能力を一括取得する戦略的M&Aであり、以後のNSKの国際事業のエンジンとして長く稼働した。欧州勢の牙城に欧州資産そのもので切り込む発想で、1980年代の拠点整備の集大成にあたる買収となった。 [26][27][28]

  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [26]1990年3月 英国ノッティンガム州の英国最大の軸受メーカーUPI社の100%株式を取得
    • [27]UPI社の本拠はノッティンガム州
    • [28]SKFはスウェーデン、シェフラーはドイツ。NSKは業界3位

1995年7月には中国江蘇省昆山市にNSK昆山社を設立し、中国での現地生産を始める。1997年6月にインドでRane Holdingsと合弁のラネーNSKステアリングシステムズ社を、1998年1月にはポーランドの国有企業FLTイスクラ社の株式70%を取得して子会社化した。ポーランド拠点は後にE&E事業の欧州中核工場となり、2023年以降の欧州構造改革の主戦場にもなる。1990年代のNSKは、欧州・中国・東欧・インドと、軸受需要が伸びるフロンティアに次々と現地法人を置き、グローバル3位の名に実を伴わせていった時期であり、国際事業比率の引き上げを急いだ10年間だった。取得時の地理的配置が四半世紀後に経営判断の対象として跳ね返る構図は、すでに仕込まれていた。 [29][30][31]

  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [29]1995年7月 中国江蘇省昆山市にNSK昆山社を設立
    • [30]1997年6月 インドにラネーNSKステアリングシステムズ社をRane社と合弁で設立
    • [31]1998年1月 ポーランド国有企業FLTイスクラ社の70%株式を取得し子会社化
  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [26]1990年3月 英国ノッティンガム州の英国最大の軸受メーカーUPI社の100%株式を取得
    • [27]UPI社の本拠はノッティンガム州
    • [29]1995年7月 中国江蘇省昆山市にNSK昆山社を設立
    • [30]1997年6月 インドにラネーNSKステアリングシステムズ社をRane社と合弁で設立
    • [31]1998年1月 ポーランド国有企業FLTイスクラ社の70%株式を取得し子会社化
    • [28]SKFはスウェーデン、シェフラーはドイツ。NSKは業界3位

IT不況下の純損失176億円と指名委員会等設置会社への移行

2002年3月期、日本精工はIT不況の直撃を受けて親会社株主に帰属する当期純利益を▲176億円の赤字に落とした。翌2003年3月期も▲26億円と2期連続の最終赤字に沈み、連結売上も4,800億円台に落ち込む。軸受業界全体が設備投資の冷え込みにさらされ、NSKにとっては創業以来の生産能力積み上げがコストとして逆流した時期だった。グローバル展開の基盤投資が済んだ直後のショックであり、固定費負担の重さが収益を押し下げ、事業構造の見直しが急務となった年でもある。拠点拡大の果実が届く前に需要側の前提が崩れ、NSKは固定費対応の選択を迫られる立場に立った。海外展開の規模がなるほど、景気後退の痛みも規模に比例して重くなる構造が表面化した。 [32][33][34]

  • 日本精工 有価証券報告書 第145期(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [32]親会社株主に帰属する当期純損失▲176億円(△17,696百万円)は2002年3月期(第141期)
    • [33]純損失▲26億円(△2,670百万円)は2003年3月期(第142期)
    • [34]連結売上4,809億円(480,902百万円)は2002年3月期(第141期)。赤字▲176億円と同じ期

赤字からの脱却期に、2004年4月、日本精工は委員会等設置会社(現・指名委員会等設置会社)に移行する。当時の日本の製造業としては早い段階のガバナンス改革であり、執行と監督を分離して意思決定のスピードと透明性を高める狙いだった。2005年3月期には経常利益331億円、純利益223億円を回復し、2008年3月期には連結売上7,720億円、営業利益693億円とピークを迎える。ガバナンス改革と業績回復が並行して進み、日本精工は国際的な軸受メーカーとしての体裁を整え、IT不況からの回復を象徴する企業としても注目された。ただし自動車依存の構造自体は手付かずで、次の景気後退の受け皿は用意されていなかった。 [35]

  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [35]2004年4月 委員会等設置会社(現指名委員会等設置会社)へ移行
  • 日本精工 有価証券報告書 第145期(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [32]親会社株主に帰属する当期純損失▲176億円(△17,696百万円)は2002年3月期(第141期)
    • [33]純損失▲26億円(△2,670百万円)は2003年3月期(第142期)
    • [34]連結売上4,809億円(480,902百万円)は2002年3月期(第141期)。赤字▲176億円と同じ期
  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [35]2004年4月 委員会等設置会社(現指名委員会等設置会社)へ移行

リーマン危機を耐え、中国と自動車電動化へ方針を変える

2009年6月、朝香聖一から大塚紀男への社長交代が行われ、リーマン・ショックと向き合う体制に切り替わった。2009年3月期の連結売上は6,475億円と前年から約1,200億円落ち込み、営業利益は221億円まで縮小するが、赤字転落は辛うじて避けた。2010年9月に東京都品川区でADTechを設立、2011年7月にはシステム製品事業部を分社してNSKテクノロジー社を立ち上げるなど、事業分割と選択と集中の布石を打ち続けた。ピーク業績からの急落を受け、固定費削減と選択と集中を同時に進める舵取りが求められた時期だった。後にステアリング事業の受け皿となるADTechの設立も、事業再編の延長線上にある。 [36][37]

  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [36]2009年6月 大塚紀男が9代社長に就任(朝香聖一からの交代)
    • [37]2010年9月 東京都品川区にADTechを設立、2011年7月 NSKテクノロジー社を設立

2013年4月にはメキシコのシラオ市でNSKベアリング・マニュファクチュアリング・メキシコ社を設立し、北米自動車市場向けの現地供給体制を整えた。リーマン後の回復局面でNSKが取った判断は、既存の軸受生産能力を守りつつ、自動車電動化に合わせて商品構成を組み替えることだった。eAxle向けの軸受、電動ブレーキ用ボールねじといった新しい製品群は、この時期に種がまかれた。自動車電動化への布石としての技術開発は、10年後の中期経営計画2026で稼ぎ頭となる商品群を準備する作業にあたる。既存事業の縮小ではなく新領域の立ち上げで利益率を取り戻す路線の出発点が、敷かれた。 [38]

  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [38]2013年4月 メキシコシラオ市にNSKベアリング・マニュファクチュアリング・メキシコ社を設立
  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [36]2009年6月 大塚紀男が9代社長に就任(朝香聖一からの交代)
    • [37]2010年9月 東京都品川区にADTechを設立、2011年7月 NSKテクノロジー社を設立
    • [38]2013年4月 メキシコシラオ市にNSKベアリング・マニュファクチュアリング・メキシコ社を設立

2014年〜 自動車依存脱却と事業切り出しへの助走期間

日本精工の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2015年 内山俊弘が10代社長に就任
  2. 2015年 NSKテクノロジー社の株式をブイ・テクノロジーに譲渡
  3. 2021年 市井明俊が11代社長に就任

「ベアリングにこだわらない」体制への切り替え

2015年6月、内山俊弘が10代社長に就任した。内山は2016年の東洋経済オンライン取材で、ベアリングにこだわらず新製品・新事業へ挑戦する方針を示し、軸受専業という定義から事業領域を押し広げる姿勢を示した経営者だった。2015年3月期には連結売上9,748億円、営業利益973億円(営業利益率10.0%)を記録し、NSKの利益率はこの年の水準がひとつの基準になる。以後の中期経営計画での目標営業利益率8-10%という数字は、この2015年3月期をベンチマークとして置き続けた。ただし領域を広げた結果として自動車依存の比重はむしろ高まり、後年の収益悪化の要因を同時に抱え込む格好になった。 [39][40]

  • 日本精工 有価証券報告書 第154期(2015年3月期)【役員の状況】
    • [39]2015年6月 内山俊弘が10代社長に就任
    • [40]内山は2016年の東洋経済オンライン取材で『ベアリングにこだわらず新製品・新事業へ挑戦』と表明

会計基準は内山の就任前、2011年3月期にJGAAPからIFRSへ切り替わっている。2016年7月には1963年設立のエヌエスケー・トリントン社(NSKニードルベアリング)を吸収合併して国内製造体制を整理する。内山在任中の前半は10%前後の営業利益率を保っていたが、FY18(2019年3月期)以降は米中摩擦と世界的な自動車生産の落ち込みで収益が急減した。2020年3月期の営業利益は236億円(営業利益率2.8%)にまで沈み、会社が自動車市場のボラティリティに揺さぶられる構造が露わになった。自動車依存の事業構造が利益率を押し下げる弱点として強まり、軸受専業への回帰という次の10年の論点が、浮かび上がった。 [41]

  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [41]2016年7月 NSKニードルベアリング社(1963年設立のエヌエスケー・トリントン社系)を吸収合併
  • 日本精工 有価証券報告書 第154期(2015年3月期)【役員の状況】
    • [39]2015年6月 内山俊弘が10代社長に就任
    • [40]内山は2016年の東洋経済オンライン取材で『ベアリングにこだわらず新製品・新事業へ挑戦』と表明
  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [41]2016年7月 NSKニードルベアリング社(1963年設立のエヌエスケー・トリントン社系)を吸収合併

自動車事業の赤字と産業機械事業への軸足移動

2021年3月期、日本精工は自動車関連事業で▲40億円のセグメント損失を計上する。連結営業利益は63億円(営業利益率0.9%)、当期利益はわずか3.5億円と、創業以来の最終赤字寸前まで押し込まれた。主力だったはずの自動車事業が赤字センターに転じた年であり、ステアリング・ハーネス関連製品を含む自動車部品事業の採算悪化は、電動化対応投資の回収が追いつかない構造問題として経営の中心課題に浮上した。軸受専業という創業時の姿から長年離れてきたNSKにとって、自動車依存からの脱却が避けられない課題になった。40年積み上げた自動車部品の売上構成を組み替える判断が、ここから始まった。 [42]

  • 日本精工 有価証券報告書 第161期(2021年3月期)【セグメント情報】
    • [42]2021年3月期 自動車関連事業のセグメント損失▲40億円

同じ2021年3月、NSKは英スペクトリス社から状態監視システム事業であるブリュエル・ケアー・バイブロ(BKV)を取得した。BKVは回転機械の振動解析を軸にしたCMS(コンディション・モニタリング・システム)の事業体で、軸受という「売り切り型」の部品を、状態監視・予知保全まで含めた継続収益型のサービスへ組み替えるための技術基盤だった。2021年4月には市井明俊が11代社長に就任し、体制交代と戦略転換が同時に動いた。自動車依存から産業機械・CMSへ主力を移す方向は、この時点で表に出ていた。軸受専業への回帰と新規収益モデルの立ち上げが、同時並行で進められる方針となった局面である。 [43][44]

  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [43]2021年3月 英スペクトリス社から状態監視システム事業(ブリュエル・ケアー・バイブロ/BKV)を取得
  • 日本精工 有価証券報告書 第161期(2021年3月期)【役員の状況】
    • [44]2021年4月 市井明俊が11代社長に就任
  • 日本精工 有価証券報告書 第161期(2021年3月期)【セグメント情報】
    • [42]2021年3月期 自動車関連事業のセグメント損失▲40億円
  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [43]2021年3月 英スペクトリス社から状態監視システム事業(ブリュエル・ケアー・バイブロ/BKV)を取得
  • 日本精工 有価証券報告書 第161期(2021年3月期)【役員の状況】
    • [44]2021年4月 市井明俊が11代社長に就任

ティッセンクルップとの破談とステアリング事業の切り出し

市井体制が向き合った最大の課題は、欧州の電動パワーステアリング事業の採算改善だった。日本精工はドイツのティッセンクルップ社とステアリング事業のジョイントベンチャー設立で交渉を進めていたが、2023年3月期までに破談し、国内の投資ファンドであるジャパン・インダストリアル・ソリューションズ第参号投資事業有限責任組合(JIS)と新たに契約を結び直す。欧州メーカーとの合弁による採算改善という選択肢が崩れたことで、国内ファンド主導の構造改革という次善策を選ぶしかなくなった局面だった。ステアリング事業の独立運営が現実の選択肢に上がった。 [45]

  • 日本精工 有価証券報告書 第163期(2023年3月期)【沿革】
    • [45]ドイツのティッセンクルップ社とのステアリング事業JV交渉は破談し、国内ファンドJIS(ジャパン・インダストリアル・ソリューションズ第参号)と契約を結び直した

2023年4月、ステアリング事業をADTechに吸収分割してNSKステアリング&コントロール社に社名変更し、同年8月にはJIS主導のJV化を完了して持分法適用会社へ移行した(決算説明会 FY22)。自動車事業セグメントは2022年3月期の▲138億円、2023年3月期の63億円と赤字と低採算を行き来しており、ステアリング事業の切り出しは「ベアリング専業への回帰」と「自動車依存からの脱却」を同時に進める一手だった。約半世紀前の1960年に北日本精工として生まれた事業を、NSKは60年越しにグループ外へ預けた。創業期に植えた種を自らの手で外へ出す判断が、自動車依存からの脱却を具体化し、軸受専業の骨格をもう一度立て直す作業の入り口になった。 [46][47][48]

  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [46]2023年4月 ステアリング事業をADTechに吸収分割しNSKステアリング&コントロール社に社名変更、同年8月 持分法適用会社へ移行
    • [48]北日本精工は1960年(6月)に設立(ステアリング事業の源流)
  • 日本精工 有価証券報告書 第163期(2023年3月期)【セグメント情報】
    • [47]自動車事業セグメント損益は2022年3月期▲138億円、2023年3月期63億円
  • 日本精工 有価証券報告書 第163期(2023年3月期)【沿革】
    • [45]ドイツのティッセンクルップ社とのステアリング事業JV交渉は破談し、国内ファンドJIS(ジャパン・インダストリアル・ソリューションズ第参号)と契約を結び直した
  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
    • [46]2023年4月 ステアリング事業をADTechに吸収分割しNSKステアリング&コントロール社に社名変更、同年8月 持分法適用会社へ移行
    • [48]北日本精工は1960年(6月)に設立(ステアリング事業の源流)
  • 日本精工 有価証券報告書 第163期(2023年3月期)【セグメント情報】
    • [47]自動車事業セグメント損益は2022年3月期▲138億円、2023年3月期63億円

日本精工の沿革1916〜2026年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
日本精工を設立、日本初の軸受量産を開始
藤沢工場を設立
大津工場を設立
石部工場を設立
北日本精工を設立
NSKコーポレーション社を設立、米州販売網を開始
エヌエスケー・トリントン社を設立
NSKドイツ社を設立、欧州販売網を開始
ボルグワーナー社と合弁でNSKワーナー社を設立
NSKブラジル社スザノ工場を設立
販売会社から現地生産への移行と、豪州・英国・米国への工場設置輸出で押し続けるか、相手国の内側で作るか——高関税と現地の労使に向き合った10年 詳細を読む★★★
埼玉工場を設立
アイオワ州クラリンダ市にNSKコーポレーション社クラリンダ工場を設立
NSKシンガポール社を設立
福島工場を設立
NSK韓国社を設立
英国最大の軸受メーカーUPIの全株式取得と、中国・ポーランドへの生産拠点の設置自前の工場を増やすか、現地最大手を丸ごと買うか——欧州で3%だったシェアの埋め方 詳細を読む★★★
NSKベアリング・インドネシア社を設立
NSK昆山社を設立
ラネーNSKステアリングシステムズ社をRane社と合弁で設立
ポーランド国有企業FLTイスクラ社の70%を子会社化
朝香聖一ITバブル崩壊で純損失▲176億円に転落★★
朝香聖一純損失▲26億円、2期連続の最終赤字★★
朝香聖一2期連続の最終赤字を経ての委員会等設置会社への移行社内の合議に委ねるか、社外へ渡すか——赤字の後で選んだ機関設計 詳細を読む★★★
朝香聖一天辻鋼球製作所を子会社化
大塚紀男大塚紀男が9代社長に就任
大塚紀男ADTechを設立
大塚紀男システム製品事業部を分社しNSKテクノロジー社を設立
大塚紀男NSKベアリング・マニュファクチュアリング・メキシコ社を設立
内山俊弘内山俊弘が10代社長に就任
内山俊弘NSKテクノロジー社の株式をブイ・テクノロジーに譲渡
市井明俊市井明俊が11代社長に就任
市井明俊ステアリング事業をADTechに吸収分割、NSKステアリング&コントロール社に商号変更★★
市井明俊ステアリング事業の分社と過半株式の投資ファンドへの譲渡、2年後の全株買い戻し手放して身軽になるか、鍛え直して取り戻すか——赤字事業の切り出しをめぐる2年の往復 詳細を読む★★★
市井明俊NTNとの共同持株会社設立による経営統合単独での生き残りか、100年ライバルとの統合か——成熟する軸受市場で「日の丸ベアリング」を束ねる選択 詳細を読む★★★
出典・参考
  • 日本精工 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • 日経ビジネス(2024年8月26日)
  • 日本精工 有価証券報告書 第145期(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
  • 日本精工 有価証券報告書 第154期(2015年3月期)【役員の状況】
  • 東洋経済オンライン(2016年6月11日)
  • 日本精工 有価証券報告書 第161期(2021年3月期)【セグメント情報】
  • 日本精工 有価証券報告書 第161期(2021年3月期)【役員の状況】
  • 日本精工 有価証券報告書 第163期(2023年3月期)【沿革】
  • 日本精工 有価証券報告書 第163期(2023年3月期)【セグメント情報】

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