CF

キャッシュフローの長期推移

連結優先
営業CF
単位:億円
投資CF
単位:億円
財務CF
単位:億円
PL

売上高の長期推移

売上高・売上収益ベース(連結優先)| 単位:億円
セグメント売上高
2024/3 | 連結
産業機械事業 > 軸受
海外販売が低迷
2965億円
産業機械事業 > 精機
工作機・半導体製造装置など
483億円
自動車事業 > ハブユニット軸受
-
1226億円
自動車事業 > ニードルベアリング
-
694億円
自動車事業 > AT関連製品
ステアリング(非継続事業)
858億円
自動車事業 > 軸受その他
-
1308億円
PL

税引後利益の長期推移

税引後利益・当期純利益・当期利益ベース(連結優先)| 単位:億円
セグメント利益
2024/3 | 連結
産業機械事業 > 合計
-
80億円
自動車事業 > 合計
償却負担重く低収益
23億円
1914
2月

日本精工合資会社を設立

ベアリング国産化のため、日本精工を設立

輸入品に依存していたベアリングを内製化するために、1914年2月20日に日本精工合資会社を設立。初代社長には山口武彦氏が就任し、東京大崎(山手線大崎駅前)に工場を設置した。創業時点で本社は東京京橋に設置されたが、1917年に大崎に本社移転を実施しているため、日本精工の実質的な創業地は大崎に相当する。

創業者は山口武彦氏であり、機械輸入の商売に従事しつつ、さまざまな製造メーカー(後の山武ハネウェル・日本酸素など)を立ち上げた連続起業家でもあった。このため、日本精工の設立も数あるうちの1社であった。

ベアリング国産化にあたって、米ナショナルアクメ社から4軸自動旋盤など10台の工作機械を輸入。海軍出身者によって技術陣が構成され、1916年にベアリングの国産化に成功した。ベアリングの量産に目処がたったことで、1916年に株式会社に組織変更(日本精工株式会社を設立)した。

海軍からベアリングを継続受注

日本精工は国内におけるベアリングの先発メーカーとなり、ベアリング国産1号を「横須賀海軍工廠」に納入した。1917年には航空機向けベアリングを開発するなど、軍需部品としてのベアリングの開発を強化。1919年には海軍がNSKベアリングを「海軍購買名簿」に登録し、取引関係が強化された。

このため、戦前を通じて日本精工は主に海軍向けにベアリングを納入し、軍需企業として業容を拡大した。

1914年
2月
日本精工合資会社を設立
1916年
軸受の国産化に成功・NSKのマークを考案
1916年
11月
日本精工株式会社を設立(株式会社化)
1917年
大崎本社工場を拡張
1926年
軸受用鋼球の国産化
証言
NSK50年の歩み

ベアリング生産計画は海軍の全面的な支援の下に始められ、当社の技術首脳陣は海軍出身者によって占められ、優秀な熟練工はほとんど海軍工廠から採用された。このように、海軍の強力な背景を下に、わが国ベアリング工業が誕生したことは、その後の当社の発展に大きな意義をもたらした。

わが国の機械工業は、第一次世界大戦の影響により、ようやく興隆のきざしを見せはじめた。しかし、当時はベアリングが機械工業にいかなる役割を持つものであるかを知る人はほとんどいなかった。従って、ボールベアリングという名前すら知らない人が多かった。そのようなときに、当社がいち早くベアリング工業の将来性を洞察し、制作を開始したことは、創立者をはじめ、多くの優れた先人の決断によるもので、当社の伝統となったフロンティアスピリットの発露でもあった。

わが国ベアリング第1号は幾多の試作後、同年(注:1916年)8月に完成し、横須賀海軍工廠に納入され、斯界の注目を浴びた。

出所
参考文献
東邦経済 12(8), 1951/8
NSK50年の歩み, 1966年
1935
6月

多摩川工場を新設・鋼球を国産化

鋼球の納入依存

日本精工はベアリングの国産化は達成したものの、鋼球の内製化に苦戦。精度の高い工作機械が必要なため、鋼球を自給することができず、1935年までは海外からの輸入品に頼っていた。鋼球の仕入れ先は、CIC(ドイツ)、SKF(スウェーデン)、ホフマン(イギリス)などであったが、仕入れコストが高止まりする要因となっていた。

軍需工業奨励金により鋼球内製化

日本政府(商工省)は国内の機械工業の発展を目的とし、日本精工に対して軸受用鋼球の国産化の資金として「軍需工業奨励金」を交付。1925年および1933年の合計2回にわたり補助金を日本精工に交付した。

鋼球の国産化には、精度の高い工作機械が必要であり難航したものの、2回目の補助金交付により新鋭機械をスウェーデンなどの欧米から輸入し、鋼球生産の国産化に目処を立てた。

多摩川工場を新設・新鋭機械で合理化

1935年に日本精工は多摩川工場(東京都大田区下丸子2-12-8)を新設し、鋼球の生産を開始。ベアリングにおいて鋼球まで内製化することで、一貫生産体制を確立した。

工場にはSFKの工場を参考にして、欧米から輸入した工作機械を大量に導入。人員面では、熟練工ではなく女性工員を登用した。これは、精度の高い工作機械によって誰でも品質の高い鋼球生産が可能となったためであった。

多摩川工場においては、寺沢仲之助(工作課主任)が中心となって、合理化された工場の自動化および熟練工の依存脱却を図った。この結果、多摩川工場においては、熟練工は淘汰され、自動化が進んだ工場として注目された。

生産された鋼球は、航空機の向けのベアリングに活用され、軍需拡大の要請に応えた。

1925年
商工省から助成金を受領(1回目)・鋼球の国産化研究を開始
1933年
商工省から助成金を受領(2回目)・鋼球の国産化研究を継続
4ヵ年の補助金合計 22 万円
1934年
多摩川工場を新設
証言
寺沢仲之助(日本精工・工作課主任)

従来の熟練工は新しい機械になじまず、自己の腕にものを言わせて作業を行う習慣から脱しきれなかった。たとえば新しい機械の自動装置を外してしまうような極端な者もおり、自動装置を使わせるのに非常な苦労をした者である。私は新工場(注:多摩川工場)の運営にあたって、受由来の当社の弊風に染まっていない人々集結し、徹底的な教育訓練の下にスタートすべきであると固く信じたのである

出所
参考文献
東邦経済 12(8), 1951/8
NSK50年の歩み, 1966年
日本精工五十年史 : ベアリング その発達と技術, 1967年
1937年11月
藤沢工場を新設

軍需拡大によって航空機およの戦車向けのベアリング需要が増加。日本精工の受注は好調に推移したが、大崎工場(本社)と多摩川工場の2拠点の拡張余地はなく、増産には新工場の建設が必要であった。そこで、さらなるベアリング増産に対応するため、藤沢工場(神奈川県藤沢市)を新設。戦時中を通じて工場を徐々に拡張して、敷地面積20万m2の大規模工場となった。工場拡張を通じて、藤沢工場は日本精工における最大の生産拠点となった。

当初は鋼球専門工場として発足したが、軍からの要請を受けて、戦車向けベアリングおよび航空機向けベアリングの生産を開始。鋼球からベアリングまで一貫生産を実現し、日本精工における主力工場となった。

1942年
玉川鐵工所を買収・工作機械に参入

工作機械を内製化するために、玉川鐵工所を買収。

1948年
今里広記氏が社長就任

今里広記(いまざと・ひろき)氏が、日本精工の社長に就任。終戦後の混乱により重役が総入れ替えとなり、当時38歳であった今里氏が社長に抜擢された。

1951
8月

ベアリング国内シェア1位

終戦による工場閉鎖・戦後の賠償指定解除で復帰

1945年8月の終戦を機に日本精工は全ての工場を閉鎖。1945年11月に多摩川工場・藤沢工場の2工場で生産を再開したものの、GHQにより「大崎工場・愛知工場・福井工場・山梨工場」は賠償指定されて、使用できない状態であった。

東西冷戦による占領政策の転換により、賠償指定の解除が進行。1950年に日本精工の大崎工場で賠償指定が解除され、ベアリングの本格生産を再開した。1951年時点で「多摩川工場・藤沢工場・大崎工場」を中心に増産投資を実施した。

国内シェア40%を確保

1951年の時点で日本精工はベアリングの国内生産高シェアで40%(1位)を確保。日本精工と東洋ベアリングの2社が国内ベアリング製造の主要メーカーとして認知された。

出所
参考文献
東邦経済 12(8), 1951/8
1953年
国内生産拠点を拡大
1953年
11月
大津工場を新設
1959年
11月
石部工場を新設
1960年
6月
北日本精工を設立(前橋市)
1975年
6月
埼玉工場を新設
1958年
フーバー社と輸出契約を締結
1959年
自動車向けステアリングの生産開始

海外で発明されたボールスクリュー式のステアリングについて、特許権が切れたことを受けて、1959年から日本精工が生産を開始。従来のステアリングに比べて軽量小型化を実現したことから、自動車の完成車メーカーに相次いで採用されるに至った。

1959年にいすゞ自動車へ納入したのを皮切りに、1960年にはトヨタの輸出用クラウン、1966年には日産の乗用車「サニー」に採用され、新事業として拡大した。

1959年
自動車向けステアリングの生産開始
1960年
4月
北日本精工を設立(前橋市本社・ステアリング生産)
1960年1月
欧米における販売強化
1962年
12月
米国にNSK Corporationを設立(販売拠点)
1963年
10月
ドイツにNSKドイツを設立(販売拠点)
1963年
NSKトリトンを設立(榛名工場を新設)
1964年8月
米ボルグワーナー社と合弁・NSKワーナーを設立
1974年4月
欧米での現地生産を本格化
1970年
12月
ブラジルにスザノ工場を新設
1974年
4月
英国にピータリー工場を新設
1975年
11月
米国にクリランダ工場を新設(フーバーと共同)
1975年11月
シンガポールに現地法人を新設
1975年
11月
シンガポールに現地法人を新設
1987年
9月
韓国に現地法人を新設
1978年
自動車向けHUBユニット軸受を開発
1984年8月
福島工場を新設
1990年3月
英UPI社を買収
1994年4月
アジアへの生産移管を本格化
1994年
4月
インドネシアに現地法人を設立
1995年
7月
中国に現地法人を設立
1997年
6月
インドに現地法人を設立
1998年1月
ポーランドFLTイスクラ社を買収
2006年3月
天辻鋼球を買収
2008年2月
藤沢工場桐原棟を竣工
2015年6月
システム製品事業から撤退
2011年
7月
NSKテクノロジーを設立(システム製品事業部を分社化)
2015年
6月
NSKテクノロジーを譲渡
2018年12月
榛名工場3号棟を竣工
2021年3月
英スペクトリス社から監視システム事業を買収
2023年4月
ステアリング事業を分割(非継続事業)

低収益の自動車部品「ステアリング」の事業縮小を決定。ステアリング事業を「NSKステアリング」として会社分割し、協業先の選定を開始。2022年5月にドイツの自動車部品メーカー(thyssenkrupp)との合弁会社の設立で合意したものの、2023年5月に合弁中止を発表して暗礁に乗り上げた。

このため、2023年5月にNSKステアリングは第三者割当増資を実施し、投資ファンドのJISが株式50.1%を保有。日本精工はNSKステアリングの株式49%を保有し、関係会社として運営(持分法利益の計上)する道を選択した。

2022年
5月
独thyssenkruppとの合弁会社設立で合意
2023年
5月
独thyssenkruppとの合弁会社設立を中止
2023年
5月
JISと契約を締結・NSKステアリングの株式保有を希薄化
NSKステアリングへの出資比率 49.9 %
2023年
6月
VW向けEPSの量産開始
証言

決算
日本精工の業績
2024年3月期(連結)
売上高
7888
億円
当期利益
85
億円
従業員数
25632
営業CF
998
億円
投資CF
-908
億円
財務CF
-247
億円
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