創業者の坂本薫俊は、米国の工作機械メーカーの視察を通じて、自動販売機という存在を知った。
そこで、当時、まだ国内では珍しかったジュースの自動販売機を開発し、ヒット商品となった。
当初は物珍しさで売れていた自動販売機であったが、製造メーカーの競争激化により、自動販売の売上が不振となった。
このため、中小企業だったホシザキの業績は低迷して、倒産の危機を迎えた。
創業者の息子であった坂本精志は、父から自動販売機の次の柱となる事業を探すことを依頼され、渡米して商売の種を探した。この過程で、現地の展示会で知り合った米国人から「将来は製氷機が有望」とうアドバイスを受けて、製氷機の製造を決めた。
しかし、当時の日本において製氷機のユーザーである飲食業は、産業として認知されておらず、製氷機への設備投資の余力がなく、氷は「氷店」から購入するのが当たり前であった。このため、市場も顕在化していなかったことから、創業者は製氷機への参入を反対した。
それでも、坂本精志は、自動販売機が不振である現状において打開策は「製氷機しかない」と考えて、製氷機の開発を継続した。このため、創業家における父と子の関係が悪化する一つの要因となった。
なお、製氷機の参入は、競争の激しい自動販売機に依存していたホシザキにとって、次のビジネスの柱となり、今日に至るまで収益源となった。その意味で、坂本精志が、創業者の父の反対意見を押し切って製氷機に参入したことが、現在のホシザキの礎を築いたと言える。
製氷機を開発したものの、飲食店向けの販売に苦戦しており、代理店の反応も芳しくなかった。
そこで、ホシザキは代理店ではなく、国内の各地に販売会社を設立し、自社の直接販売によって飲食店を攻略する方針を決めた。1966年の東京における販売会社の設立を皮切りに、ホシザキは全国に販社を設立した。
飲食店にとっては、冷蔵庫の故障は業務に大きな影響となるため、ホシザキのような厨房メーカーには「壊れた際にすぐに直しに来てくれる」というサービスを望んでおり、この市場においては、営業・サービスの充実が鍵を握っていた。
結果として、ホシザキはきめ細かい営業網を作り上げることで、迅速なサービス提供が可能となり、業務用冷蔵庫のトップ企業として成長するきっかけとなった。加えて、1970年代からは、外食産業が次々とチェーン展開を始めたことを受けて、市場そのものも拡大し、ホシザキは順調に売り上げを拡大した。
一方で、販社に経営を任せた弊害としては、本社からのコントロールが効きにくい構造が長年続き、2018年に発覚した不正取引の温床になった面もある。
飲食店向けの機器の2つ目の柱として、従来の製氷機に加えて、業務用冷蔵庫の販売を開始した。
おりしも、日本では外食が産業として勃興しつつあり、冷蔵庫の需要が急増するという追い風が吹いていた。
なお、素早く事業を立ち上げるために、当初は業務用冷蔵庫の先発メーカー「福島工業」からのOEM調達によって、冷蔵庫を確保した。
製氷機ビジネスを確立した坂本精志は、50歳になったらホシザキの社長となって会社を継ぐ考えがあった。
ところが、かねてより創業者である父との関係は悪化しており、父は坂本精志による「50歳になったら社長になりたい」という希望を聞かずに、そのまま社長として続投した。
これを受けて、坂本精志はホシザキとの決別を決意し、別のビジネスでの独立を心に決めた。ホシザキの子会社であった「ネクター」を、ホシザキの持ち株比率を14%に下げることによって親子関係を解消した上で、2000年代までネクター社の経営者として事業に携わった。
この間、ホシザキは創業者の坂本薫俊によって経営されたが、1990年代を通じて日本の外食産業の成長がストップすると、ホシザキの売上成長と収益性も、外食産業とともに低迷した。
2002年に創業者・坂本薫俊が93歳での逝去を受けて、製氷機ビジネスを確立した坂本精志がホシザキに出戻りし、2005年に社長として就任した。以後、現在に至るまで坂本精志がホシザキの経営を舵取りしている。
なお、社長就任にあたっては、海外のグローバル展開を重視し、海外展開を進める上で株式上場が欠かせないと判断し、上場準備に入った。
欧州の海外展開を進めるため買収を中心に据えた。2006年以降、ホシザキは、米州・欧州・アジア(インド)の各地域で、現地のメーカーを買収することにより、海外展開を加速させた。
ホシザキは営業を全国各地の販社に任せきっていたため、ノルマを達成するための値引きが横行していた(のちに販社における不正取引も発覚)。このため、ホシザキの利益率が低迷する一つの要因になっていた。
そこで、2010年代を通じてホシザキは、国内において営業・サービスの改革を実施。取引先の飲食店に対しては「値引きをせずに価格を見積もり提示する」ことを徹底することによって、収益性の改善を試みた。
この時、大半の顧客の飲食店は、ホシザキのサービスが充実していたことを評価して値上げを許容し、ホシザキの収益性が改善したと推察される。