荏原製作所の歴史

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1912
11月

ゐのくち式機械事務所を創業

渦巻ポンプ理論の実用化

明治38年に井口在屋氏(東京帝国大学・教授)は、世界初となる「渦巻きポンプ」の理論を発表。この研究を実用化するために、国友鉄工所が創立されたが、経営状態が悪化し、渦巻ポンプの事業化に失敗した。この時、国友鉄工所に勤務し、東京大学で井口氏から学んだ弟子にあたる畠山一清氏は、渦巻ポンプの将来性を信じて、起業を決意したという。

1912年(大正元年)に「ゐのくち式機械事務所」を創業して、日暮里に設置した拠点で渦巻ポンプの「設計・製造・販売」に従事した。このため、荏原製作所の創業は「ゐのくち式機械事務所」が発足した1912年とされる。

東京市などから受注

渦巻ポンプの販売先は、主に東京市などの公共向けが中心であった。当時のポンプは輸入品が中心で、これに加えて国産品としては三菱重工および日立製作所と競合した。

そこで、畠山一清氏は東京市におけるポンプの性能試験(入札)に参加。ポンプの設計・開発・製造を一貫して行なっていたこともあり品質がよく、結果として荏原の渦巻ポンプの優秀さが認められた。以降、荏原を含めた国産品が輸入品を駆逐し、荏原は国内の大メーカー(日立・三菱)に並ぶポンプメーカーとして販売を拡大した。

荏原製作所の設立

ポンプ製造の拡大のため、1920年には本社工場を東京都西品川(大崎駅付近)に移転するとともに、株式会社として荏原製作所を設立した。「荏原」の由来は、本社の移転先の住所が「荏原郡」であったことに由来する。

昭和初期の戦前において、荏原製作所は国内におけるポンプ生産量において、シェア60%を確保し、国内ポンプにおけるトップメーカーとして認知された。

1912年
11月
ゐのくち式機械事務所を創業
1920年
5月
荏原製作所を設立(本社を西品川に移転)
会社銀行八十年史, 1955年
1938
4月

羽田工場を新設・本社移転

1941
12月

川崎工場を新設

1956
1月

子会社として荏原インフィルコを設立

1965
5月

藤沢工場を施設(標準ポンプ量産)

1975
1月

袖ヶ浦工場を新設

コンプレッサおよびタービンの生産を既存工場から移管

1986

藤村宏幸氏が社長就任

1987
7月

半導体製造装置向け真空機器の生産

1994
10月

荏原インフィルコを吸収合併

2000
4月

米Elliott社を買収

2000年
4月
コンプレッサ・タービン事業を分社化・荏原エリオットを設立
2001
6月

熊本でCMP装置の生産開始

2003
2月

ゴミ処理プラントで工期遅延

2002年にダイオキシンの排出規制が強化されたことで、荏原製作所は新型のガス化溶融炉によるゴミ処理プラントを受注。だが、追加工事の発生により後期が遅延し、ゴミ処理プランとを主力とするエンジニアリング事業の採算が悪化した。

この結果、2003年3月期に荏原製作所は最終赤字285億円に転落した。

日経ビジネス, 2003/2/17
2005
4月

カンパニー制を導入

2000年
4月
汎用風水力機械の営業部門を分離・荏原テクノサーブを発足
2002年
9月
冷熱機械事業を分離・荏原冷熱システムを発足
2005年
4月
カンパニー制を導入(風水力機械・環境・精密電子の3事業体制)
2009年
4月
水処理事業を荏原エンジニアリングサービスに統合
2009年
4月
廃棄物処理事業を荏原環境プラントに統合
2005
5月

中国でポンプの現地生産を本格化

2003年
5月
嘉利特荏原ポンプ業有限公司を設立(APIポンプの生産販売)
2005年
5月
荏原機械■博有限公司を設立(大型・高圧ポンプの製造販売)
2006年
5月
荏原機械(中国)有限公司を設立(サービス拠点)
2007
4月

副社長による横領が発覚

2007

不祥事により社長交代・矢後夏之助氏が社長就任

2007
12月

旧本社羽田工場を閉鎖・跡地売却

旧本社・羽田工場の閉鎖

2007年9月に荏原製作所は旧本社工場である「羽田工場」の閉鎖を決定。製造品目である風水力機械を袖ヶ浦工場などに移管し、収益の改善を意図した。羽田工場の設立は1938年と古く、長らく荏原の本社工場として大型ポンプやプラント機器の製造に従事してきたが、老朽化が進行していた。

工場跡地をヤマト運輸に売却

閉鎖後の羽田工場については、土地を含めて売却を決定。物流センターの建設を計画していたヤマト運輸に対し、約845億円で売却した。なお、荏原製作所は羽田工場の敷地を戦前に取得しており、時価(売却)が簿価を大きく上回り、2008年3月期に固定資産売却益としてとして724億円を特別利益として計上した。

アスベストによる土壌汚染をめぐりヤマトが提訴・荏原の敗訴へ

ところが、2011年1月にアスベストによる土壌汚染が発覚。全量撤去などによりヤマトが計画していた物流センターの新設計画が遅れたため、荏原はヤマト運輸から提訴された。ヤマトによる訴額は85億円であった。

裁判は最高裁までもつれ込み長期化した。判決については、2014年の東京地裁、2018年6月の東京高裁、2019年1月の最高裁において、いずれも荏原製作所が敗訴した。

この結果、荏原製作所が59億円に遅延損害金を加算した賠償金をヤマト運輸に支払う判決が確定した。このため、荏原製作所は2016年3月期に「訴訟損失引当金繰入額」を64億円を特別損失として計上した。

2007年
9月
羽田工場の閉鎖決定
2007年
12月
羽田工場跡地をヤマト運輸に売却
固定資産売却益 724 億円
2011年
1月
羽田工場跡地の土壌汚染が発覚(アスベスト含有)
2012年
3月
ヤマト運輸が荏原を東京地裁に提訴
2016年
3月
訴訟損失引当金繰入額を損失計上
訴訟損失引当金繰入額 64 億円
2016年
4月
東京地裁が判決・荏原の敗訴
2018年
6月
東京高裁が判決・荏原の敗訴
2019年
12月
最高裁が判決・荏原の敗訴
賠償額 59 億円
2014
3月

メンテナンスの海外展開を本格化

2014年
3月
中東にポンプの販売サービス会社を設立
2015年
8月
Turbindo社を買収(インドネシア・回転機械のメンテナンス)
2020年
5月
メキシコにポンプの販売サービス会社を設立
2021年
4月
Vansan社を買収(トルコ・ポンプメーカー)
2016
11月

熊本事業所の増設・半導体製造装置の増産

2022
9月

北米Hayward Gordon社を買収

2022年9月30日にカナダおよび米国に拠点を置くHayward Gordon社(ポンプ・ミキサーメーカー)を約149億円で買収。公共向けの標準ポンプ(公共下水など)について、北米で販売拡大することを意図した。

2023
1月

5カンパニー制に移行

2025 (c) Yutaka Sugiura, Author
売上
荏原製作所:売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
7,593億円
売上収益:2023/12
利益
荏原製作所:売上高_当期純利益率
○単体 | ○連結 (単位:%)
7.9%
利益率:2023/12
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