クボタの歴史
1890年〜久保田権四郎氏の創業と水道用鋳鉄管・発動機の製造
- 久保田鉄工所を創業[4]
- 水道用鋳鉄管の製造を開始[4]
- 久保田鉄工所に商号変更[5]
- 工作機械に参入・鋳鉄管生産を尼崎と恩加島に移管
- 実用自動車製造を設立・自動車に参入
- 発動機(農工用小型エンジン)の製造を開始[4]
- 隅田川精鉄所を買収[4]
- 売上高
筆者所見
久保田権四郎氏の40年は、製品より製法を資産とすることで、後発の国産業者が鋳鉄管の量産を担うに至る過程だった。1900年に丸吹堅込法を発明し、1908年に廻転式鋳造法、1923年と1924年に自動製芯機と自動成型機の特許を得た[1][2]。製法を特許で押さえたことで、品質は職人の腕から工程の仕組みへ移った。1922年には農工用発動機の製造を始め、1927年に隅田川精鉄所を買収した[3]。鋳物で蓄えた製法の知見が、のちの機械事業の素地になった。
- [1]『久保田鉄工八十年の歩み』(久保田鉄工, 1970年)
- [2]経済春秋社『企業の歴史:明治百年』「クボタ」(経済春秋社, 1968年)
- [3]クボタ 有価証券報告書【沿革】
1930年〜久保田鉄工所の設立と耕うん機による農機参入
- 商工省がクボタ石油発動機を優良国産品に選定[5]
- 久保田鉄工所を設立[4]
- 久保田鉄工所機械部を合併[4]
- 農工用発動機の大量生産を開始[4]
- 株式を公開[5]
- 武庫川工場を新設して産業機械事業を拡張[4]
- 耕うん機の製造開始・農機に参入[6]
- 東京証券取引所に株式上場[4]
- 小田原大造氏が社長就任
- 製品別事業部制を採用[4]
- 武庫川機械工場でポンプの製造を開始[4]
- 久保田建機の設立で建設機械業界に参入[5]
- 社名を久保田鉄工に変更[4]
- 合成樹脂管の製造を開始[4]
- 企業スローガン「国つくりから米つくりまで」を制定[5]
- 住宅建材事業に参入[4]
- 創業者・久保田権四郎氏が逝去
筆者所見
戦後の久保田鉄工は、鋳鉄管という素材にとどまらず、管という用途を軸に素材を広げて公共需要を囲い込んだ。1950年に製品別事業部制を採用し、1954年には合成樹脂管の本格製造に着手した[3]。水道の需要が鋳鉄から樹脂へ移っても顧客を失わない体制ができた。農機の年間出荷高は1955年当時40億円に満たず、1959年度に初めて100億円を超えた[1]。管の多角化で得た公共需要が、農機が育つまでの収益を支えた。
- [3]クボタ 有価証券報告書【沿革】
- [1]『久保田鉄工八十年の歩み』(久保田鉄工, 1970年)
1960年〜中型トラクターの発売と環境・住宅建材への多角化
- わが国初の海外水道工事(プノンペン市)を受注[5]
- 純国産トラクタT15形の発売[6]
- 船橋工場を新設して鋳鉄管の量産体制を確立[4]
- 環境事業に参入[4]
- 水道研究所を新設[7]
- 水処理事業部を新設[5]
- 産業機械・鋳鋼製品の量産体制を確立[4]
- 自動販売機の製造を開始[5]
- 都市ゴミ焼却プラントの製作を開始[5]
- 住宅建材事業に本格参入[4]
- 小田原工場を新設[7]
- コンバインの製造を開始[5]
- 田植機・バインダーの量産体制を確立[4]
- 環境装置事業部を新設[5]
筆者所見
1960年代の久保田鉄工は、耕うん機の延長ではなく、稲作の作業を一貫して機械化する品揃えへ転じた。1960年3月の中型トラクターの発売を起点に、1969年にはコンバインの製造と田植機・バインダーの量産体制を整えた[6][5][4]。耕起から収穫までを自社製品で揃え、農機事業は単品の販売から作業体系の提案へ性格を変えた。1961年に環境事業、1967年に住宅建材へ本格参入した[4]。農機と公共向け事業の並行が、業績を農村の景気だけに委ねない構造をつくった。
- [6]久保田鉄工八十年の歩み(久保田鉄工株式会社編)(1970年)
- [5]クボタ 公式サイト「沿革」(2026年10月)
- [4]有価証券報告書(2026年3月16日)
1972年〜クボタトラクター設立による米国進出とニューヨーク証券取引所上場
- 欧米向けトラクタの量産を開始
- 関東大径鋼管を吸収合併して市川工場に[4]
- クボタトラクターCorp.設立[4]
- 久宝寺工場を新設して電装機器製造工場に[4]
- ヨーロッパクボタトラクタ販売を設立[4]
- 下水事業部が発足[5]
- 農業用トラクタの専門量産工場として筑波工場を新設[4]
- ニューヨーク証券取引所に上場。(2013年7月に同取引所上場廃止。)[4]
- エジプト・シェルケア州から灌漑システムを受注[5]
- 外壁材専門工場として鹿島工場を新設[4]
- 技術テーマ「Hu-Tech」を制定[5]
- エンジン専門工場として堺製造所に堺臨海工場を新設[4]
- 電子基盤・ハードディスク・ラジコン芝刈機の製造を開始[5]
- サヘル・グリーン・ベルト計画とグリーンアース計画に参画[5]
- 自動販売機の専門量産工場として竜ヶ崎工場を新設[7]
筆者所見
国内農機の伸び悩みに、久保田鉄工は事業を増やさず、小型トラクタの販路を欧米へ広げた。1972年9月にクボタトラクター Corp.を設立し、1974年に欧州の販売会社、1975年に筑波のトラクタ専門工場を設けた[4]。販売と量産の拠点を同時に設けたのは、輸出を恒常の需要と見込んだからである。1976年のニューヨーク証券取引所上場は、米国の販売網への信用の裏付けになった[4]。水田向けの小型機を欧米へ向けた判断が、のちの海外農機の拡大を準備した。
- [4]有価証券報告書(2026年3月16日)
1990年〜水道管カルテルの発覚と希望退職者の募集
- 落下傘型の多角化[4]
- スローガン「美しい日本をつくろう。」を制定[5]
- 経営指針「創業2世紀ビジョン」を発表[5]
- 子会社を解散
- 環境監査制度を開始[5]
- 約30年来の水道管カルテルが発覚
- 希望退職者を募集
- 国内全事業でISO14001認証を取得[5]
- 産業用エンジンの累計生産台数が2000万台に到達[5]
- 環境エンジニアリング事業の拠点として阪神事務所を新設[4]
- 非注力事業を分離縮小
- 住宅建材事業をクボタ松下電工外装(現 ケイミュー)に承継[4]
- サイアムクボタインダストリーを子会社化[4]
筆者所見
1990年からの15年間、クボタは祖業の外に収益源を求めた多角化から、本業の海外展開へ投資を移した。落下傘型の多角化は、農機と鋳鉄管の成熟を受けて大きな未経験市場へ資金を投じたが、既存事業との接点を欠いていた。2003年12月に住宅建材事業をクボタ松下電工外装へ承継し、2004年8月にサイアムクボタインダストリーを子会社化した[4]。非中核事業を切り離し、東南アジアの農機へ資源を振り向けた転換が、2005年以降の海外買収の足場になった。
- [4]有価証券報告書(2026年3月16日)
2005年〜アスベスト問題とKverneland・Escorts買収による海外農機の拡大
- シーアイ化成との合成樹脂管事業統合によりクボタシーアイを設立[4]
- 旧神崎工場の石綿公表
- 立ち入り調査が相次ぐ
- サイアムクボタトラクター Co.,Ltd.を設立[4]
- 鋳鋼事業の拠点としてクボタサウジアラビアを設立[7]
- ノルウェーKverneland ASAを買収[4]
- クボタファームマシナリーヨーロッパ S.A.S.を設立[4]
- 東京本社を移転[8]
- クボタカナダを完全子会社化[9]
- クボタ(U.K.)を完全子会社化[10]
- クボタケミックスを完全子会社化[10]
- GPを買収[4]
- クボタ(ドイツランド)を完全子会社化[10]
- 基幹システムの刷新開始
- エスコーツの子会社化[4]
- グローバル技術研究所を新設[4]
- 退職給付信託の解約を決定[11]
筆者所見
2005年以降のクボタは、国内で負の遺産を先に処理し、海外では製品と販売網を買収で獲得する経営へ移った。旧神崎工場の石綿公表は、法的責任も因果関係も定まらないうちに情報公開と支払いを先行させた。2012年3月にノルウェーのKverneland ASAを買収し、2022年4月にはエスコーツの子会社化でインドの販売網と生産拠点を得た[4]。畑作の作業機と新興国向けの普及機を外部に求めた。自前の開発と輸出に依拠した1970年代からの転換と言える。
- [4]有価証券報告書(2026年3月16日)