住友重機械工業 の歴史

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創業 1888年
母体 住友別子鉱業所
創業地 愛媛県新居浜
創業 1888年、住友は愛媛県新居浜の別子鉱業所に工作方を置いた。輸入した鉱山機械を山
1888年、住友は愛媛県新居浜の別子鉱業所に工作方を置いた。輸入した鉱山機械を山中で止めずに使うための修理職場で、1928年に新居浜製作所となり、1934年11月には資本金500万円の住友機械製作株式会社として独立した。1938年5月には独サイクロ社と減速機の技術提携を結び、1940年9月に住友機械工業へ改称した。ただし発足当初は別子鉱山へ設備を納める工場の色合いが濃かった。財閥解体で住友との資本関係が切れると外販の基盤は育たず、1954年9月期と1955年3月期の2期で、資本金2億7,000万円を大きく上回る約7億円の赤字を計上した。
決断 規模が要る局面では設備ごと他社を取り込み、採算が崩れれば設備も人員も手放してきた
規模が要る局面では設備ごと他社を取り込み、採算が崩れれば設備も人員も手放してきた。減速機を主力とする住友機械工業は、1969年6月に造船大手の浦賀重工業を吸収合併し、造船を抱える住友重機械工業となった。しかしプラザ合意後の円高で造船と製鉄機械の採算は崩れ、1986年12月からの3カ月で1,700人を減らす人員削減に踏み切った。2008年からは欧州の機械メーカー5社を相次いで取得し、射出成形機やギヤボックスの規模を海外で広げた。そして2024年2月、合併から55年続けた新造船について、一般商船の新規受注を2024年度から停止すると決めた。取り込んだ造船を手放し、事業は減速機や射出成形機などの量産機械へ絞り込まれた。
現況 売上で最大の事業と、利益で最大の事業が一致しない事業構造である。2025年12月
売上で最大の事業と、利益で最大の事業が一致しない事業構造である。2025年12月期の売上高1兆668億円のうち、最大は油圧ショベルを含むロジスティックス アンド コンストラクションの3,889億円だった。ところがセグメント利益では、同セグメントの140億円を、減速機や極低温冷凍機を含むメカトロニクスの190億円が上回る。インダストリアル マシナリーは2,226億円を売り上げ、利益は42億円にとどまった。2026年1月に就任した渡部敏朗社長は、翌2月に500名規模の希望退職を見込み、成長を担う事業を3つ程度の「骨太事業」へ絞るとした。油圧ショベルは、規模を追わずに利益の出る体質へ改める対象となった。
競合 競争の相手は、総合重機として規模を比べる相手と、機種ごとに比べる相手の二つに分か
競争の相手は、総合重機として規模を比べる相手と、機種ごとに比べる相手の二つに分かれる。1960年代半ばには三菱系3社の合併で三菱重工業が発足し、川崎重工業なども合併で規模を広げた。住友機械工業は品目を一通り揃えながら、三菱重工業や石川島播磨重工業には規模で及ばなかった。浦賀重工業を取り込んで差を詰めたものの、新造船は船価低迷で赤字が続き、撤退に至った。一方で減速機は、1969年の時点で減変速機の国内シェア30%を握る首位だった。2015年には三菱重工マシナリーテクノロジーから産業用クレーン事業を譲り受けている。住友重機械工業は規模の競争から退き、減速機のように機種を絞った競争へ経営資源を集中させている。
長期業績の推移 1949〜2025年
住友重機械工業:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円)純利益率(%)
1996年3月期〜2025年12月期

第1章 1888年〜 住友別子鉱業所工作方の設立と鉱山向け機械の修理製作

1888年〜別子銅山の工作方と、ペテルゼン式硫酸製造設備の技術提携

住友重機械工業は、住友が1888年に別子鉱業所の中へ置いた工作方を自らの起点としている。相談役を務めた西村恒三郎氏も1988年の回想で、発足を明治21年の工作方と数えている。一方で『企業の歴史』は、1889年に機械課として始まったと年を1年遅く記す。『会社銀行八十年史』はさらに古く、1882年9月に新居浜製錬所の建設に合わせて開かれた鍛冶場を源に挙げる。このころ別子では広瀬宰平氏ら経営陣が西洋技術を採り、鑿岩機や鉱山鉄道、索道を次々に据えていた。山奥の銅山で輸入機械を止めずに使うには、手元で直せる職場を抱えるほかなかったとみられる。

  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [1]1888年 住友別子鉱業所工作方として発足
  • 私の住友昭和史(1988年)10章「企業再建と二つの合併」住友重機械相談役 西村恒三郎談
    • [2]当社は明治21年に別子鉱業所の工作方として発足(西村恒三郎の回想)
  • 企業の歴史 : 明治百年(1968年)「住友機械工業」
    • [3]明治22年に住友別子鉱業所の機械課として発足
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「住友機械工業」
    • [4]淵源は明治15年9月、新居浜製錬所建設のため道具類の製作修理を行う鍛冶場の設立
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「住友金属鉱山」
    • [5]広瀬宰平以下の経営首脳が西洋技術を採用し、火薬・鑿岩機・鉱山専用鉄道・架空索道などを導入

鍛冶場は1896年11月に住友別子鉱業所の機械課となり、鉱山開発で要る機械の製作と修理を受け持った。1921年以降は住友の銅山や工場へ納めるだけでなく、外部からの注文にも手を広げた。住友の側でも同じ1921年に事業が住友合資会社へ移り、1927年6月には資本金1,500万円の住友別子鉱山が設立された。機械課は1928年、この鉱山会社の新居浜製作所へと名を改めた。改称と同時に、製作所は独立した会計で損益を締める仕組みに移っている。鉱山の一課だった修理場が、損益を別に問われる工場へ格上げされたことになる。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「住友機械工業」
    • [6]明治29年11月に住友別子鉱業所機械課となり、鉱山開発に伴う機械の製作・修理を担当
    • [7]大正10年以降、住友の銅山・工場への設備供給から外部へ進出
    • [10]昭和3年7月、機械課から住友別子鉱山新居浜製作所となり独立会計制度を採用
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「住友金属鉱山」
    • [8]大正10年に住友合資の経営へ移り、昭和2年6月に資本金1,500万円の住友別子鉱山が独立の鉱山会社として設立
  • 企業の歴史 : 明治百年(1968年)「住友機械工業」
    • [9]昭和3年に住友別子鉱山新居浜製作所と改称

新居浜製作所となる前年の1927年1月、住友はドイツのペテルゼン氏と硫酸製造設備の技術提携を結んだ。別子の製錬は亜硫酸ガスによる煙害を抱え、製錬所を四阪島へ移しても片付かなかった。中和工場が完成して煙害に決着がついたのは、ずっと後の1939年である。1955年時点の住友金属鉱山は、製錬から出る副産品として硫酸を産出していた。ペテルゼン式の契約は戦後の1951年7月、西ドイツのゲルト・ペテルゼン社との間で更新されている。煙の硫黄分を硫酸に変える設備を自作できれば、煙害対策と副産物の販売を同時に進められると見たのだろう。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「住友機械工業」
    • [11]昭和2年1月、ペテルゼン(ドイツ)と硫酸製造設備に関し技術提携
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「住友金属鉱山」
    • [12]別子の最大の困難は煙害問題で、製錬所の四阪島移転でも解決しなかった
    • [13]煙害の抜本的解決は中和工場が完成した昭和14年
    • [14]製錬の過程から副産品として硫酸・硫安などを産出
  • 株式会社年鑑 1955年版「住友機械工業」
    • [15]昭和26年7月、西独ゲルト・ペテルゼン社とペテルゼン式硫酸製造設備の契約を更新
参考文献[1]-[15]
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [1]1888年 住友別子鉱業所工作方として発足
  • 私の住友昭和史(1988年)10章「企業再建と二つの合併」住友重機械相談役 西村恒三郎談
    • [2]当社は明治21年に別子鉱業所の工作方として発足(西村恒三郎の回想)
  • 企業の歴史 : 明治百年(1968年)「住友機械工業」
    • [3]明治22年に住友別子鉱業所の機械課として発足
    • [9]昭和3年に住友別子鉱山新居浜製作所と改称
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「住友機械工業」
    • [4]淵源は明治15年9月、新居浜製錬所建設のため道具類の製作修理を行う鍛冶場の設立
    • [6]明治29年11月に住友別子鉱業所機械課となり、鉱山開発に伴う機械の製作・修理を担当
    • [7]大正10年以降、住友の銅山・工場への設備供給から外部へ進出
    • [10]昭和3年7月、機械課から住友別子鉱山新居浜製作所となり独立会計制度を採用
    • [11]昭和2年1月、ペテルゼン(ドイツ)と硫酸製造設備に関し技術提携
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「住友金属鉱山」
    • [5]広瀬宰平以下の経営首脳が西洋技術を採用し、火薬・鑿岩機・鉱山専用鉄道・架空索道などを導入
    • [8]大正10年に住友合資の経営へ移り、昭和2年6月に資本金1,500万円の住友別子鉱山が独立の鉱山会社として設立
    • [12]別子の最大の困難は煙害問題で、製錬所の四阪島移転でも解決しなかった
    • [13]煙害の抜本的解決は中和工場が完成した昭和14年
    • [14]製錬の過程から副産品として硫酸・硫安などを産出
  • 株式会社年鑑 1955年版「住友機械工業」
    • [15]昭和26年7月、西独ゲルト・ペテルゼン社とペテルゼン式硫酸製造設備の契約を更新

第2章 1928年〜 住友機械製作所の設立とサイクロ社との提携、戦後の上場と経営危機

1928年〜新居浜製作所のデマグ社提携と、資本金500万円で独立した住友機械製作

新居浜製作所は1929年から1930年にかけ、欧米の企業や技術者と3件の技術提携を結んだ。1929年4月にスイスのブラウンボベリー社と電気炉、1930年1月には米国のグリナワルト氏と焼結設備で契約した。同じ1930年の6月には、ドイツのデマグ社から水平引込起重機の技術を得ている。いずれも1928年に機械課が製作所へ名を改めた直後の動きだった。西村恒三郎氏は、この会社がやがて鉱山機械に加えてクレーンの有力な作り手になったと振り返る。電気炉や起重機は製鉄所や港でも使う機械で、銅山の外の買い手を見据えた選び方だったと推察される。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「住友機械工業」
    • [16]昭和4年4月〜5年6月にブラウンボベリー・グリナワルト・デマグと相次いで技術提携
    • [17]昭和4年4月ブラウンボベリー社(スイス)と電気炉、5年1月グリナワルト氏(米)と焼結設備で提携
    • [18]昭和5年6月デマグ社(ドイツ)と水平引込起重機に関し提携
  • 企業の歴史 : 明治百年(1968年)「住友機械工業」
    • [19]昭和3年に住友別子鉱山新居浜製作所と改称
  • 私の住友昭和史(1988年)10章「企業再建と二つの合併」住友重機械相談役 西村恒三郎談
    • [20]別子鉱山の設備納入工場から、鉱山機械のほかクレーンの有力メーカーとなった

1934年11月、新居浜製作所は住友別子鉱山から切り離され、資本金500万円の住友機械製作株式会社となった。住友財閥の直系会社としての発足で、新会社は製作所の事業をそのまま引き継いだ。『会社銀行八十年史』は、相次ぐ技術導入で産業機械の作り手として立つ足場ができたことを独立の背景に置く。もっとも西村恒三郎氏は、発足当初は別子鉱山へ設備を納める工場の色合いが濃かったとみている。独立するとすぐに新工場の建設に取りかかり、1937年に仕上・製缶・電機・大型鋳造の各工場を完成させた。鉱山会社の一部門のままでは、社外向けの設備投資を自らの判断で進めにくかったのだろう。

  • 企業の歴史 : 明治百年(1968年)「住友機械工業」
    • [21]昭和9年11月、資本金500万円の住友機械製作㈱として独立
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「住友機械工業」
    • [22]昭和9年11月、住友別子鉱山新居浜製作所を継承し住友財閥の直系会社として創立
    • [23]外国技術の導入で産業機械メーカーとしての事業の基礎ができ、昭和9年に独立
    • [25]独立後ただちに新工場建設に着手し、昭和12年に仕上・製缶・電機・大型鋳造工場を完成
  • 私の住友昭和史(1988年)10章「企業再建と二つの合併」住友重機械相談役 西村恒三郎談
    • [24]当初は別子鉱山の機械設備納入工場としての色彩が強かった

住友機械製作は1938年5月、ドイツのサイクロ社と減速機の技術提携を結んだ。その半年前の1937年11月には、カナダのノース・アメリカン・サイアナミッド社と浮選機でも提携していた。このころの新製品として、製鋼用の起重機やサイクロ減速機、鍛圧機械が挙がる。製品の売り先は国内にとどまらず、朝鮮や満州、台湾、中国まで届いた。戦後の1952年2月には、西ドイツのサイクロ社とあらためて技術契約を結んだ。サイクロ減速機は1953年版の年鑑でも、耐酸ポンプと並んで主要品目に載っている。一件ずつ受注する大型機械とは別に、同じ型を繰り返し作れる製品を初めて手にしたことになる。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「住友機械工業」
    • [26]昭和13年5月、サイクロ社(ドイツ)と減速機に関し提携
    • [27]昭和12年11月、ノース・アメリカン・サイアナミッド社(カナダ)とフェジャグレン浮選機に関し提携
    • [28]当時の新製品は製鋼用起重機・サイクロ減速機・鍛圧機械等
    • [29]製品の販路は朝鮮・満州・台湾・中国等に及んだ
  • 株式会社年鑑 1953年版「住友機械工業」
    • [30]昭和27年2月、西独サイクロ社と技術契約を締結(沿革)
    • [31]主なる事業内容に耐酸ポンプ・サイクロ減速機を掲げる
参考文献[16]-[31]
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「住友機械工業」
    • [16]昭和4年4月〜5年6月にブラウンボベリー・グリナワルト・デマグと相次いで技術提携
    • [17]昭和4年4月ブラウンボベリー社(スイス)と電気炉、5年1月グリナワルト氏(米)と焼結設備で提携
    • [18]昭和5年6月デマグ社(ドイツ)と水平引込起重機に関し提携
    • [22]昭和9年11月、住友別子鉱山新居浜製作所を継承し住友財閥の直系会社として創立
    • [23]外国技術の導入で産業機械メーカーとしての事業の基礎ができ、昭和9年に独立
    • [25]独立後ただちに新工場建設に着手し、昭和12年に仕上・製缶・電機・大型鋳造工場を完成
    • [26]昭和13年5月、サイクロ社(ドイツ)と減速機に関し提携
    • [27]昭和12年11月、ノース・アメリカン・サイアナミッド社(カナダ)とフェジャグレン浮選機に関し提携
    • [28]当時の新製品は製鋼用起重機・サイクロ減速機・鍛圧機械等
    • [29]製品の販路は朝鮮・満州・台湾・中国等に及んだ
  • 企業の歴史 : 明治百年(1968年)「住友機械工業」
    • [19]昭和3年に住友別子鉱山新居浜製作所と改称
    • [21]昭和9年11月、資本金500万円の住友機械製作㈱として独立
  • 私の住友昭和史(1988年)10章「企業再建と二つの合併」住友重機械相談役 西村恒三郎談
    • [20]別子鉱山の設備納入工場から、鉱山機械のほかクレーンの有力メーカーとなった
    • [24]当初は別子鉱山の機械設備納入工場としての色彩が強かった
  • 株式会社年鑑 1953年版「住友機械工業」
    • [30]昭和27年2月、西独サイクロ社と技術契約を締結(沿革)
    • [31]主なる事業内容に耐酸ポンプ・サイクロ減速機を掲げる

1936年〜戦時増資の住友機械工業と、四国機械工業への改称

軍備拡張で産業機械の注文が膨らむなか、住友機械製作は1939年から1944年にかけて工場を相次いで増やした。資本金は1938年2月に1,000万円、1940年10月に2,000万円となり、1944年9月には4,000万円に達した。この間の1940年9月に、社名を住友機械工業へ改めている。1944年に軍需会社の指定が進むと、住友機械工業を含む住友の生産会社はそろって指定を受けた。ただし戦中の主力は鉱工業や輸送の設備で、兵器部品の製造はごく一部だったという。西村恒三郎氏は、戦時は作れば売れる状態で高い収益を上げ、工場も戦災を免れたと回想する。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「住友機械工業」
    • [32]軍拡時代で需要旺盛、昭和14年新精機工場・17年新機械工場・19年鍛造工場と新鋳造工場を建設
    • [36]太平洋戦争中は鉱工業設備・輸送関係設備の生産が主力で、兵器部品はごく一部
  • 企業の歴史 : 明治百年(1968年)「住友機械工業」
    • [33]昭和13年2月資本金1,000万円、15年10月2,000万円、19年9月4,000万円
    • [34]昭和15年9月、社名を住友機械工業に改称
  • 私の住友昭和史(1988年)3章「本社の改組と戦時体制」
    • [35]軍需会社法による指定で、住友の生産会社9社(住友機械工業を含む)の全部が指定を受けた
  • 私の住友昭和史(1988年)10章「企業再建と二つの合併」住友重機械相談役 西村恒三郎談
    • [37]戦時中は軍需で急拡大し高収益、戦災にも遭わなかった

敗戦の年の1945年12月、住友機械工業は社名を四国機械工業に改めた。財閥解体によって、住友本社や旧子会社との資本その他の関係はすべて切れた。資金の手当てがつかず、特殊な大型鋳物をつくる工場はしばらく閉めざるを得なかった。1947年には石炭の増産のため鉱山機械の工場が商工省の指定を受け、資金と資材で優先された。当時の炭鉱用機械の生産では、日立製作所などと並んで住友機械工業も兼業の大手に数えられる。戦後は品目を増やす方針を掲げ、戦前に結んでいた海外との技術提携も復活させた。社名から「住友」を外したのは、財閥の名を掲げ続けにくい情勢を映したものとみられる。

  • 企業の歴史 : 明治百年(1968年)「住友機械工業」
    • [38]昭和20年12月、四国機械工業と改称
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「住友機械工業」
    • [39]財閥解体により住友本社並びに子会社との資本的その他一切の関係を断たれた
    • [40]運営難のため特殊大型鋳物工場を一時閉鎖
    • [43]終戦後は製品の多角化を図り、戦前の技術提携を復活
  • 日本産業史 第2巻 機械・輸送機(日本経済新聞社、1994年)「産業機械-『傾斜生産』で再起」
    • [41]昭和22年、石炭の緊急増産のため鉱山機械工場が商工省の指定工場となり、資金・資材で優先的に扱われた
    • [42]昭和22年当時の炭鉱用機械の兼業大企業として日立製作所・住友機械工業などが挙がる

1949年、四国機械工業は資本金を減らしてから大きく積み増す手順を短期間で踏んだ。1月にいったん3,500万円へ減資したうえで、同じ月に1億500万円へ増資した。同年5月には東京と大阪の証券取引所に株式を上場している。7月には資本金を2億7,000万円とし、上場した年のうちに半年前の約2.6倍へ広げた。1953年版の年鑑では、上場先が東京・大阪・京都・広島の4市場に広がっている。1954年9月末の大株主には、住友海上火災・住友生命・住友金属工業・住友商事など旧住友系の企業が並ぶ。解体で切れた資本のつながりを、上場株の持ち合いによって住友系各社と結び直したといえる。

  • 株式会社年鑑 1955年版「住友機械工業」
    • [44]昭和23年12月整備計画認可、24年1月減資・増資、24年に資本金2億7千万円への増資
    • [45]昭和24年1月資本金3,500万円に減資、同月1億500万円に増資
    • [49]昭和29年9月30日現在の大株主に住友海上火災・住友生命・住友金属工業・住友商事・住友電工など
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [46]1949年5月 東京及び大阪の両証券取引所へ株式上場
  • 企業の歴史 : 明治百年(1968年)「住友機械工業」
    • [47]昭和24年1月1億500万円、同年7月2億7,000万円に資本金を増加
  • 株式会社年鑑 1953年版「住友機械工業」
    • [48]上場市場は東京・大阪・京都・広島
参考文献[32]-[49]
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「住友機械工業」
    • [32]軍拡時代で需要旺盛、昭和14年新精機工場・17年新機械工場・19年鍛造工場と新鋳造工場を建設
    • [36]太平洋戦争中は鉱工業設備・輸送関係設備の生産が主力で、兵器部品はごく一部
    • [39]財閥解体により住友本社並びに子会社との資本的その他一切の関係を断たれた
    • [40]運営難のため特殊大型鋳物工場を一時閉鎖
    • [43]終戦後は製品の多角化を図り、戦前の技術提携を復活
  • 企業の歴史 : 明治百年(1968年)「住友機械工業」
    • [33]昭和13年2月資本金1,000万円、15年10月2,000万円、19年9月4,000万円
    • [34]昭和15年9月、社名を住友機械工業に改称
    • [38]昭和20年12月、四国機械工業と改称
    • [47]昭和24年1月1億500万円、同年7月2億7,000万円に資本金を増加
  • 私の住友昭和史(1988年)3章「本社の改組と戦時体制」
    • [35]軍需会社法による指定で、住友の生産会社9社(住友機械工業を含む)の全部が指定を受けた
  • 私の住友昭和史(1988年)10章「企業再建と二つの合併」住友重機械相談役 西村恒三郎談
    • [37]戦時中は軍需で急拡大し高収益、戦災にも遭わなかった
  • 日本産業史 第2巻 機械・輸送機(日本経済新聞社、1994年)「産業機械-『傾斜生産』で再起」
    • [41]昭和22年、石炭の緊急増産のため鉱山機械工場が商工省の指定工場となり、資金・資材で優先的に扱われた
    • [42]昭和22年当時の炭鉱用機械の兼業大企業として日立製作所・住友機械工業などが挙がる
  • 株式会社年鑑 1955年版「住友機械工業」
    • [44]昭和23年12月整備計画認可、24年1月減資・増資、24年に資本金2億7千万円への増資
    • [45]昭和24年1月資本金3,500万円に減資、同月1億500万円に増資
    • [49]昭和29年9月30日現在の大株主に住友海上火災・住友生命・住友金属工業・住友商事・住友電工など
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [46]1949年5月 東京及び大阪の両証券取引所へ株式上場
  • 株式会社年鑑 1953年版「住友機械工業」
    • [48]上場市場は東京・大阪・京都・広島

1952年〜バイエル変速機の技術導入と、鮫島龍雄氏の引責で始まった木村音吉氏の再建

1952年5月、四国機械工業は社名を住友機械工業に戻した。同じ年の9月には、本社事務所を大阪市へ移している。社名を戻す前月の1952年4月、リヒテンシュタインのヒバーグ社と固定式バイエル無段変速機の提携を結んだ。1953年5月には、バイエル変速機を生産するため富田機械製作所と手を組んだ。1954年10月には、自動車用のバイエル無段変速機でもヒバーグ社と提携を広げた。1955年版の年鑑は、主要製品にサイクロ減速機と並べてバイエル変速機を載せている。回転を落とす減速機に速度を変える変速機が加わり、量産品の収益源が2つになった。

  • 企業の歴史 : 明治百年(1968年)「住友機械工業」
    • [50]昭和27年5月、住友機械工業と旧社名に復元
    • [53]昭和28年5月、バイエル変速機生産のため富田機械製作所と提携
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「住友機械工業」
    • [51]昭和27年9月、本社事務所を大阪市に移転
    • [52]昭和27年4月、ヒバーグ社(リヒテンシュタイン)と固定式バイエル無段変速機に関し提携
    • [54]昭和29年10月、ヒバーグ社と自動車用バイエル無段変速機に関し提携
  • 株式会社年鑑 1955年版「住友機械工業」
    • [55]主なる事業内容にサイクロ減速機・バイエル変速機を掲げる

住友機械工業は1954年度、年間で約7億円の赤字を出した。1954年9月期の純損失は131,376千円だった。続く1955年3月期には、566,512千円の純損失を計上している。西村恒三郎氏は、当時の売上高を26億円、資本金を2億7,000万円と挙げてこの赤字の重さを示している。西村恒三郎氏は原因として、戦後の需要の変化にインフレとドッジ・ラインのデフレが重なり、朝鮮戦争の特需にも乗り切れなかった点を挙げる。1954年3月には人員整理の方針が組合との協議前に新聞で報じられ、希望退職の募集にとどまった。社長の鮫島龍雄氏は退き、技術系の1人を除いて役員が総入れ替えとなった。

  • 私の住友昭和史(1988年)10章「企業再建と二つの合併」住友重機械相談役 西村恒三郎談
    • [56]昭和29年度全体で7億円の赤字
    • [59]売上高26億円・資本金2億7,000万円の規模に対する赤字
    • [60]需要構造の変化、インフレのコスト上昇、ドッジのデフレで仕事量が激減し、朝鮮戦争の特需にも十分乗れなかった
    • [61]昭和29年3月、人員整理の方針が新聞にスクープされ、希望退職の募集にとどまった
    • [62]鮫島龍雄社長は勇退し、技術系1人を除き全役員が更迭された
  • 株式会社年鑑 1955年版「住友機械工業」
    • [57]昭和29年9月期の当期純利益△131,376千円
  • 株式会社年鑑 1956年版「住友機械工業」
    • [58]昭和30年3月期の当期純利益△566,512千円

住友系の社長会である白水会は再建小委員会を設け、住友金属工業専務の木村音吉氏を委員長に据えた。再建案は一部工場の閉鎖と部門ごとの定員の絞り込みを骨組みとし、1955年3月に定員1,617名の体制ができた。新しい経営陣は木村音吉氏を首班に、銀行から市川恒雄氏、化学から川島清嗣氏を迎えた。1957年2月時点の年鑑では、木村音吉氏が社長、川島清嗣氏が副社長、市川恒雄氏が専務に就任している。1955年3月には、サイクロ減速機やバイエル変速機など量産品の販売を担う範多商事を設けた。1956年9月期に年1割で復配し、1960年版の年鑑では配当が年15%まで上がった。資本金は1956年12月に5億4,000万円、1960年9月には20億円へ増え、次の設備拡張の元手が整った。

  • 私の住友昭和史(1988年)10章「企業再建と二つの合併」住友重機械相談役 西村恒三郎談
    • [63]白水会の下に住友機械再建小委員会を設け、住友金属工業の木村音吉専務が委員長
    • [64]再建策は一部工場閉鎖と部門別の定員策定が骨子で、昭和30年3月に定員1,617名を実現
    • [65]木村氏をトップとする新経営陣に、銀行から市川恒雄氏、化学から川島清嗣氏等が入った
  • 株式会社年鑑 1957年版「住友機械工業」
    • [66]昭和32年2月1日現在の役員は社長木村音吉・副社長川島清嗣・専務市川恒雄
    • [68]昭和31年9月期の配当金13,500千円、年率10%
  • 企業の歴史 : 明治百年(1968年)「住友機械工業」
    • [67]昭和30年3月、サイクロ減速機・バイエル変速機等の量産品の販売促進のため範多商事を設立
    • [70]昭和31年12月資本金5億4,000万円、35年9月資本金20億円
  • 株式会社年鑑 1960年版「住友機械工業」
    • [69]配当の年率15.0%
参考文献[50]-[70]
  • 企業の歴史 : 明治百年(1968年)「住友機械工業」
    • [50]昭和27年5月、住友機械工業と旧社名に復元
    • [53]昭和28年5月、バイエル変速機生産のため富田機械製作所と提携
    • [67]昭和30年3月、サイクロ減速機・バイエル変速機等の量産品の販売促進のため範多商事を設立
    • [70]昭和31年12月資本金5億4,000万円、35年9月資本金20億円
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「住友機械工業」
    • [51]昭和27年9月、本社事務所を大阪市に移転
    • [52]昭和27年4月、ヒバーグ社(リヒテンシュタイン)と固定式バイエル無段変速機に関し提携
    • [54]昭和29年10月、ヒバーグ社と自動車用バイエル無段変速機に関し提携
  • 株式会社年鑑 1955年版「住友機械工業」
    • [55]主なる事業内容にサイクロ減速機・バイエル変速機を掲げる
    • [57]昭和29年9月期の当期純利益△131,376千円
  • 私の住友昭和史(1988年)10章「企業再建と二つの合併」住友重機械相談役 西村恒三郎談
    • [56]昭和29年度全体で7億円の赤字
    • [59]売上高26億円・資本金2億7,000万円の規模に対する赤字
    • [60]需要構造の変化、インフレのコスト上昇、ドッジのデフレで仕事量が激減し、朝鮮戦争の特需にも十分乗れなかった
    • [61]昭和29年3月、人員整理の方針が新聞にスクープされ、希望退職の募集にとどまった
    • [62]鮫島龍雄社長は勇退し、技術系1人を除き全役員が更迭された
    • [63]白水会の下に住友機械再建小委員会を設け、住友金属工業の木村音吉専務が委員長
    • [64]再建策は一部工場閉鎖と部門別の定員策定が骨子で、昭和30年3月に定員1,617名を実現
    • [65]木村氏をトップとする新経営陣に、銀行から市川恒雄氏、化学から川島清嗣氏等が入った
  • 株式会社年鑑 1956年版「住友機械工業」
    • [58]昭和30年3月期の当期純利益△566,512千円
  • 株式会社年鑑 1957年版「住友機械工業」
    • [66]昭和32年2月1日現在の役員は社長木村音吉・副社長川島清嗣・専務市川恒雄
    • [68]昭和31年9月期の配当金13,500千円、年率10%
  • 株式会社年鑑 1960年版「住友機械工業」
    • [69]配当の年率15.0%

第3章 1961年〜 浦賀重工業との合併による造船・産業機械の総合化

1961年〜名古屋製造所の減速機量産と、射出成形機への参入

住友機械工業は1961年、愛知県の大府に製造所を開設し、現在の名古屋製造所の起点とした。新居浜製造所で製鉄プラントや運搬機械の増産を進める間に、減速機の量産は大府へ任せ、第2期の増設にも入っていた。1962年版の企業要覧は、この2年間で売上高が2.1倍、利益が実質2.7倍になったと記している。1965年に退いた社長の木村音吉氏は、名古屋工場の完成を在任中に整えた設備の一つに挙げた。社長の市川恒雄氏の1969年の説明では、減速機の月産は1955年頃の200数十台から7,000〜8,000台まで増えた。変速機と合わせた国内シェアは30%に達し、首位にあった。受注ごとに仕様が変わる大型機械から、同じ型を繰り返す減速機を別の工場に分けたことが、量産の効率を上げたと推察される。

  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [71]1961年に大府製造所(現名古屋製造所)を開設
  • 日本企業要覧 1962年版「住友機械工業」
    • [72]新居浜製造所を増設して製鉄プラント・運搬機械の増産体制を整え、減速機量産の大府工場を建設し第2期増設を進めていた
    • [73]積極経営に転じた2年間で売上高2.1倍、利益は実質2.7倍
  • 私の住友昭和史(1988年)「企業再建と二つの合併」西村恒三郎談
    • [74]1965年2月に辞任した木村音吉社長は挨拶で、新居浜の本工場に加え名古屋工場ができたことを挙げた
  • 証券アナリストジャーナル 1969年7巻10号
    • [75]減速機の月産は1955年頃の200数十台から7,000〜8,000台へ増えた
    • [76]減変速機を合わせた国内シェアは30%でトップメーカー

住友機械工業は1967年3月期、景気回復で受注が増えたものの、外注に依存した分の原価がかさみ、営業利益が約2億円減った。これを受けて、原価を下げやすい精密機械や建設機械など量産機種の売上を拡大する方針を打ち出した。1966年6月には減速機の米国現地法人を設け、組立工場を本格生産に入れた。建設機械ではパワーショベルとトラッククレーンの機種を揃えるため、米国リンクベルト社と追加の契約を結んだ。スイスのネスタール社との技術提携で、プラスチック機械の部門も拡充した。1965年2月に社長となった市川恒雄氏は、人件費の上昇を理由に、受注生産品より繰返生産品へ重心を移すと説明した。その目標は両者の比率を50対50にすることだった。

  • 日本企業要覧 1967年版「住友機械工業」
    • [77]前3月期は増収だったが、外注依存による原価高で営業利益が約2億円減の実質減益
    • [78]コストを下げやすい精密機械・建設機械など量産機種の売上を伸ばし原価率を80%以下へ下げる見込み
  • 週刊日本経済 1967年3月23日号
    • [79]サイクロ減速機の海外進出の足掛かりとして1966年6月に米国現地法人を設立し、組立工場が本格生産に入った
    • [80]建設機械のパワーショベル・トラッククレーン機種のシリーズ化を図り、米国リンクベルト社と追加契約を結んだ
    • [81]スイスのネスタール社との技術提携によるプラスチック機械部門の充実を進めていた
  • 証券アナリストジャーナル 1969年7巻10号
    • [82]ここ2〜3年の人件費上昇を踏まえ、受注生産品より人件費吸収力の大きい繰返生産品に主力を置き換える方針
    • [83]2〜3年前に受注生産品と繰返生産品の比率を少なくとも50対50にする目標を立てた

市川恒雄氏が社長に就任した頃、三菱系3社の合併で三菱重工業が生まれ、石川島播磨重工業や川崎重工業も合併で規模を広げていた。のちに社長となる西村恒三郎氏は1974年、合併前の自社を『いわば田舎のデパートのようなものだった』とたとえた。機械の品目は一通り揃えていたが、三菱重工業や石川島播磨重工業には規模で及ばなかったという。住友機械工業は1965年早々、親会社の破綻で連鎖倒産が懸念された日特金属工業に出資し、株式の32.6%を持った。同じ年の2月には専務の大塚振武氏らを浦賀重工業へ送り、経営の実態をつかみにかかった。1968年版の企業要覧は、日特金属工業の系列化と浦賀重工業の合併予定を並べて記している。

  • 私の住友昭和史(1988年)「企業再建と二つの合併」西村恒三郎談
    • [84]市川社長時代を迎えた頃、三菱三重工の合併で三菱重工業が発足し、石川島播磨・川崎重工業も合併で大きくなっていた
    • [87]親会社日本特殊鋼の会社更生法申請を受け、1965年早々に日特金属工業へ資本参加(32.6%)
    • [88]1965年2月、大塚振武専務を副社長、長井隆三氏を社長室長として浦賀重工業へ派遣し実態把握にあたった
  • 日経ビジネス 1974年5月13日号
    • [85]西村恒三郎社長は合併前の自社を田舎のデパートにたとえた
    • [86]どんな機械でもそろえていたが、三菱重工や石播に比べ規模が小さかった(西村恒三郎社長談)
  • 日本企業要覧 1968年版「住友機械工業」
    • [89]関係企業の育成として日特金属工業を系列化し、浦賀重工業を合併する予定
参考文献[71]-[89]
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [71]1961年に大府製造所(現名古屋製造所)を開設
  • 日本企業要覧 1962年版「住友機械工業」
    • [72]新居浜製造所を増設して製鉄プラント・運搬機械の増産体制を整え、減速機量産の大府工場を建設し第2期増設を進めていた
    • [73]積極経営に転じた2年間で売上高2.1倍、利益は実質2.7倍
  • 私の住友昭和史(1988年)「企業再建と二つの合併」西村恒三郎談
    • [74]1965年2月に辞任した木村音吉社長は挨拶で、新居浜の本工場に加え名古屋工場ができたことを挙げた
    • [84]市川社長時代を迎えた頃、三菱三重工の合併で三菱重工業が発足し、石川島播磨・川崎重工業も合併で大きくなっていた
    • [87]親会社日本特殊鋼の会社更生法申請を受け、1965年早々に日特金属工業へ資本参加(32.6%)
    • [88]1965年2月、大塚振武専務を副社長、長井隆三氏を社長室長として浦賀重工業へ派遣し実態把握にあたった
  • 証券アナリストジャーナル 1969年7巻10号
    • [75]減速機の月産は1955年頃の200数十台から7,000〜8,000台へ増えた
    • [76]減変速機を合わせた国内シェアは30%でトップメーカー
    • [82]ここ2〜3年の人件費上昇を踏まえ、受注生産品より人件費吸収力の大きい繰返生産品に主力を置き換える方針
    • [83]2〜3年前に受注生産品と繰返生産品の比率を少なくとも50対50にする目標を立てた
  • 日本企業要覧 1967年版「住友機械工業」
    • [77]前3月期は増収だったが、外注依存による原価高で営業利益が約2億円減の実質減益
    • [78]コストを下げやすい精密機械・建設機械など量産機種の売上を伸ばし原価率を80%以下へ下げる見込み
  • 週刊日本経済 1967年3月23日号
    • [79]サイクロ減速機の海外進出の足掛かりとして1966年6月に米国現地法人を設立し、組立工場が本格生産に入った
    • [80]建設機械のパワーショベル・トラッククレーン機種のシリーズ化を図り、米国リンクベルト社と追加契約を結んだ
    • [81]スイスのネスタール社との技術提携によるプラスチック機械部門の充実を進めていた
  • 日経ビジネス 1974年5月13日号
    • [85]西村恒三郎社長は合併前の自社を田舎のデパートにたとえた
    • [86]どんな機械でもそろえていたが、三菱重工や石播に比べ規模が小さかった(西村恒三郎社長談)
  • 日本企業要覧 1968年版「住友機械工業」
    • [89]関係企業の育成として日特金属工業を系列化し、浦賀重工業を合併する予定

1969年〜浦賀重工業との合併と、追浜造船所・西条工場の新設

1969年6月30日、住友機械工業は浦賀重工業を10対5.5の比率で吸収合併し、住友重機械工業が発足した。合併後の資本金は71億6,000万円で、従業員は両社を合わせて1万人を少し上回った。市川恒雄社長は、1968年2月の半額減資で浦賀の累積損失が消えていたため、17億6,000万円の資本負担で造船設備を得られた点を利点に挙げた。人手の集めにくい時代には浦賀の6,000人も生産性を上げる元手になり、造船の鋼材需要が製鉄機械の受注に効くとも説明した。浦賀の側でも、運輸省が大型ドックを認める条件に中核企業並みの規模を求め、単独では満たせなかった。浦賀の収益性は住友機械を下回っていたが、市川恒雄社長は『後に減配を余儀なくされる合併はしない』として配当の維持に自信を示した。

  • 証券アナリストジャーナル 1969年7巻10号
    • [90]1969年6月30日、資本金54億円の住友機械工業が浦賀重工業を10対5.5で吸収合併し住友重機械工業が発足
    • [91]合併後の資本金71億6,000万円。従業員は住友機械4,000人・浦賀6,000人で1万人をわずかに超える
    • [92]浦賀は昨年2月の半額減資で過去の損失を処理しており、17億6,000万円の資本負担で設備を得られる点に合併のメリットを見た(質疑応答)
    • [93]労働力確保が難しい時代に浦賀の従業員6,000人を生かせば生産性を上げられ、造船は鋼材使用量が多く製鉄関係機械の受注で有利になる
    • [95]合併時点で浦賀の生産性・収益性は住友機械に劣っていたが、1割2分配当の維持に強い自信を示した
  • 私の住友昭和史(1988年)「企業再建と二つの合併」西村恒三郎談
    • [94]運輸省は大型造船所の認可条件として中核企業にふさわしい規模を求め、浦賀単独では満たせず住友機械との合併が必要となった

合併時点で浦賀と横須賀の造船所は、どちらも10万トン級までの船しか造れなかった。市川恒雄社長は追浜に13万坪を埋め立て、30万トンの新造船ドックを1971年末までに築く計画を示した。建設資金には160億〜170億円を見込んでいた。両社は1968年5月の合併覚書を添えて同年11月に建設を申請したが、運輸省の正式認可は1969年11月にずれ込んだ。受注活動がその分遅れた結果、1970年からの輸出船ブームで追浜向けの船はすべて円建てで契約できた。現在の横須賀製造所にあたる追浜造船所は、1972年5月に開設された。1974年3月期には年6隻の建造体制に乗り、27万重量トン型タンカー3隻を引き渡した。

  • 証券アナリストジャーナル 1969年7巻10号
    • [96]造船所は浦賀と横須賀にあるが、いずれも10万トンクラスまでしか建造できない
    • [97]追浜に13万坪の埋立地を造成し30万トンの新造船ドックを建設、1971年末完成を目指す
    • [98]新造船所の建設資金として160〜170億円を予定
  • 日経ビジネス 1974年5月13日号
    • [99]両社は1968年5月に合併覚書に調印し、同年11月に追浜造船所の建設申請を出したが、正式認可は1969年11月
    • [100]1970年初頭からの受注活動が輸出船ブームに当たり、追浜向け受注船はすべて円建て契約でドル建てはなかった
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [101]1972年5月に追浜造船所(現横須賀製造所)を開設
  • 日本企業要覧 1974年版「住友重機械工業」
    • [102]1974年3月期、追浜造船所の年間6隻建造体制が軌道に乗り、27万重量トン型タンカー3隻を引き渡した

住友重機械工業は1973年2月、愛媛県に東予工場を開設した。のちの愛媛製造所西条工場にあたり、長大な橋梁と鉄構を専ら造る工場として建設に着手していた。本州と四国を結ぶ橋の工事が先送りになると、東予工場は第2期・第3期の工事を見送った。1976年の講演で専務の浅田厚氏は、機械本部の中に東予事業部を置き、塔・槽・熱交換器を輸出していると説明した。同じ工場では、海洋向けの石油掘削装置の製作も請け負っていた。当時の機械本部には、橋梁鉄構と海洋の事業部も並んでいた。架橋の需要を当て込んだ設備を、化学機器や海洋構造物に振り向けて稼働を埋めたと考えられる。

  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [103]1973年2月に東予工場(現愛媛製造所西条工場)を開設
  • 日経ビジネス 1974年5月13日号
    • [104]東予工場は大型橋梁・鉄構専用工場として建設に着手された
    • [105]本四架橋の延期を受け、東予工場は2期・3期工事を見合わせた
  • 証券アナリストジャーナル 1976年14巻10号
    • [106]機械本部に東予事業部があり、塔・槽・熱交換器が輸出の伸びる機種に挙がる
    • [107]東予工場で石油掘削装置を製作中
    • [108]機械本部は産業機械・運搬機械・エンジニアリング・玉島機械・鋳鍛・橋梁鉄構・海洋・東予・プラスチック機械の事業部制
参考文献[90]-[108]
  • 証券アナリストジャーナル 1969年7巻10号
    • [90]1969年6月30日、資本金54億円の住友機械工業が浦賀重工業を10対5.5で吸収合併し住友重機械工業が発足
    • [91]合併後の資本金71億6,000万円。従業員は住友機械4,000人・浦賀6,000人で1万人をわずかに超える
    • [92]浦賀は昨年2月の半額減資で過去の損失を処理しており、17億6,000万円の資本負担で設備を得られる点に合併のメリットを見た(質疑応答)
    • [93]労働力確保が難しい時代に浦賀の従業員6,000人を生かせば生産性を上げられ、造船は鋼材使用量が多く製鉄関係機械の受注で有利になる
    • [95]合併時点で浦賀の生産性・収益性は住友機械に劣っていたが、1割2分配当の維持に強い自信を示した
    • [96]造船所は浦賀と横須賀にあるが、いずれも10万トンクラスまでしか建造できない
    • [97]追浜に13万坪の埋立地を造成し30万トンの新造船ドックを建設、1971年末完成を目指す
    • [98]新造船所の建設資金として160〜170億円を予定
  • 私の住友昭和史(1988年)「企業再建と二つの合併」西村恒三郎談
    • [94]運輸省は大型造船所の認可条件として中核企業にふさわしい規模を求め、浦賀単独では満たせず住友機械との合併が必要となった
  • 日経ビジネス 1974年5月13日号
    • [99]両社は1968年5月に合併覚書に調印し、同年11月に追浜造船所の建設申請を出したが、正式認可は1969年11月
    • [100]1970年初頭からの受注活動が輸出船ブームに当たり、追浜向け受注船はすべて円建て契約でドル建てはなかった
    • [104]東予工場は大型橋梁・鉄構専用工場として建設に着手された
    • [105]本四架橋の延期を受け、東予工場は2期・3期工事を見合わせた
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [101]1972年5月に追浜造船所(現横須賀製造所)を開設
    • [103]1973年2月に東予工場(現愛媛製造所西条工場)を開設
  • 日本企業要覧 1974年版「住友重機械工業」
    • [102]1974年3月期、追浜造船所の年間6隻建造体制が軌道に乗り、27万重量トン型タンカー3隻を引き渡した
  • 証券アナリストジャーナル 1976年14巻10号
    • [106]機械本部に東予事業部があり、塔・槽・熱交換器が輸出の伸びる機種に挙がる
    • [107]東予工場で石油掘削装置を製作中
    • [108]機械本部は産業機械・運搬機械・エンジニアリング・玉島機械・鋳鍛・橋梁鉄構・海洋・東予・プラスチック機械の事業部制

1973年〜石油危機後の造船不況と、イートン合弁・住友建機の設立

石油危機の直前、住友重機械工業は徳島県の橘湾に100万トン級のタンカーを続けて造る造船所の計画を県に示していた。社長の西村恒三郎氏は、中小の造船所も大型化する中で、浦賀造船所の置き換えが要ると理由を説明した。当初700億円と見込んだ建設費は、石油危機前後の物価上昇で5割増えていた。売上に占める船舶本部の比率は、1974年の45.7%から1975年には35.8%へ下がった。機械の受注に占める輸出は同じ間に15%から28%へ上がり、低迷した内需を補った。1978年版の企業要覧で在籍人員は12,182人だった。1979年3月期には特別退職金を払い、翌年版の在籍人員は8,637人まで減った。

  • 日経ビジネス 1974年5月13日号
    • [109]石油危機の直前、徳島県に長さ1,200〜1,400メートルのドックで100万トンクラスのタンカーを連続建造する橘湾造船所計画を説明
    • [110]西村恒三郎社長は、中小造船も大型化しており浦賀造船所の競争力はなくなるので、橘湾計画はその置き換えだと述べた
    • [111]橘湾の予想建設費700億円が、石油危機前後の物価上昇で当初予定の50%増えた(土井正三副社長)
  • 証券アナリストジャーナル 1976年14巻10号
    • [112]船舶本部の売上比率は1974年45.7%、1975年35.8%
    • [113]機械の受注に占める輸出比率は1974年15%、1975年28%で、内需の不振を輸出で補った
  • 日本企業要覧 1978年版「住友重機械工業」
    • [114]在籍人員12,182名
  • 日本企業要覧 1979年版「住友重機械工業」
    • [115]1979年3月期は特別退職金の支出があり、在籍人員8,637名

1983年4月、住友重機械工業は米国のイートン社と合弁で住友イートンノバを設立した。この会社は、半導体の製造工程で使うイオン注入装置を造って売った。1998年のアニュアルレポートによれば、住友イートンノバの資本金は16億円だった。住友重機械工業は1969年の時点で、機種を増やす手段が海外からの技術導入に偏ってきたと認めていた。1976年には専務の浅田厚氏が、提携先の販売地域の縛りで中近東の商談が進まない例を挙げ、自己開発へ移る必要を説いた。それでも造船の外に育てる新分野では、合弁で提携先の技術を取り込んだとみられる。

  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [116]1983年4月、米国のEaton Corporation(現Axcelis Technologies)との合弁で住友イートンノバを設立
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート1998
    • [117]Sumitomo Eaton Nova Corporation はイオン注入装置を製造・販売する
    • [118]Sumitomo Eaton Nova Corporation の資本金は16億円(¥1,600 million)
  • 証券アナリストジャーナル 1969年7巻10号
    • [119]従来は自己開発による機種拡大が少なく、技術提携による新機種の導入が主だった
  • 証券アナリストジャーナル 1976年14巻10号
    • [120]技術提携ではテリトリーの制限で中近東の商談が進まないことが多く、自己開発への脱皮が大切だと浅田厚専務が述べた

建設機械は、1963年6月に米国のリンクベルトスピーダー社とパワークレーンとパワーショベルの技術提携を結んで広げた分野だった。1970年代初め、系列の日特金属工業は赤字の元だったブルドーザーから段階的に撤退した。その販売店には、住友側が売り出していた油圧ショベルを扱わせて空白を埋めた。1981年版の企業要覧は、製鉄機械・港湾荷役・変減速機に続く収益源として建設機械とプラスチック機械を挙げている。住友重機械工業は1986年6月に住友建機を設立し、建設機械の事業を譲渡した。1998年時点で住友建機の資本金は40億円だった。受注生産の大型機械と別の会社に分け、量産品として機動的に動かす狙いがあったのだろう。

  • 日本企業要覧 1967年版「住友機械工業」
    • [121]1963年6月、米国リンクベルトスピーダーコーポレーションとパワークレーン・パワーショベルの技術提携
  • 私の住友昭和史(1988年)「企業再建と二つの合併」西村恒三郎談
    • [122]1970年に日特金属工業へ派遣された西村恒三郎氏のもとで、赤字の主因だったブルドーザーから採算の悪い機種順に撤退した
    • [123]日特金属工業の代理店に、住機で販売を始めた油圧ショベルの取り扱いを勧めた
  • 日本企業要覧 1981年版「住友重機械工業」
    • [124]製鉄・港湾荷役・変減速機ではトップメーカーで、最近は建機・プラスチック機械でも地歩を固めている
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [125]1986年6月に住友建機株式会社を設立し、建設機械事業を譲渡
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート1998
    • [126]Sumitomo (S.H.I.) Construction Machinery Co., Ltd. の資本金は40億円(¥4,000 million)
参考文献[109]-[126]
  • 日経ビジネス 1974年5月13日号
    • [109]石油危機の直前、徳島県に長さ1,200〜1,400メートルのドックで100万トンクラスのタンカーを連続建造する橘湾造船所計画を説明
    • [110]西村恒三郎社長は、中小造船も大型化しており浦賀造船所の競争力はなくなるので、橘湾計画はその置き換えだと述べた
    • [111]橘湾の予想建設費700億円が、石油危機前後の物価上昇で当初予定の50%増えた(土井正三副社長)
  • 証券アナリストジャーナル 1976年14巻10号
    • [112]船舶本部の売上比率は1974年45.7%、1975年35.8%
    • [113]機械の受注に占める輸出比率は1974年15%、1975年28%で、内需の不振を輸出で補った
    • [120]技術提携ではテリトリーの制限で中近東の商談が進まないことが多く、自己開発への脱皮が大切だと浅田厚専務が述べた
  • 日本企業要覧 1978年版「住友重機械工業」
    • [114]在籍人員12,182名
  • 日本企業要覧 1979年版「住友重機械工業」
    • [115]1979年3月期は特別退職金の支出があり、在籍人員8,637名
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [116]1983年4月、米国のEaton Corporation(現Axcelis Technologies)との合弁で住友イートンノバを設立
    • [125]1986年6月に住友建機株式会社を設立し、建設機械事業を譲渡
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート1998
    • [117]Sumitomo Eaton Nova Corporation はイオン注入装置を製造・販売する
    • [118]Sumitomo Eaton Nova Corporation の資本金は16億円(¥1,600 million)
    • [126]Sumitomo (S.H.I.) Construction Machinery Co., Ltd. の資本金は40億円(¥4,000 million)
  • 証券アナリストジャーナル 1969年7巻10号
    • [119]従来は自己開発による機種拡大が少なく、技術提携による新機種の導入が主だった
  • 日本企業要覧 1967年版「住友機械工業」
    • [121]1963年6月、米国リンクベルトスピーダーコーポレーションとパワークレーン・パワーショベルの技術提携
  • 私の住友昭和史(1988年)「企業再建と二つの合併」西村恒三郎談
    • [122]1970年に日特金属工業へ派遣された西村恒三郎氏のもとで、赤字の主因だったブルドーザーから採算の悪い機種順に撤退した
    • [123]日特金属工業の代理店に、住機で販売を始めた油圧ショベルの取り扱いを勧めた
  • 日本企業要覧 1981年版「住友重機械工業」
    • [124]製鉄・港湾荷役・変減速機ではトップメーカーで、最近は建機・プラスチック機械でも地歩を固めている

第4章 1987年〜 造船・製鉄機械での人員削減と射出成形機・半導体装置への軸足移動

1987年〜造船・製鉄機械部門の1,700人削減と、知名度を上げるイメージ広告

住友重機械工業は1986年12月からの3カ月で、社員を1,700人減らした。このうち1,300人が希望退職で、残りは出向などによる人数だった。1987年2月の募集は、造船や製鉄機械など縮小中の部門にいる35歳以上の1,600人を対象とした。副社長の兵頭博氏は、円高に備えた中期経営計画から4〜5年先の組織像を描き、それに照らして『残ってもらう人と、やめてもらいたい人のリストを作った』と明かした。1984年に立てた10年計画「SHI93」は、1993年に単独売上高5,000億円を掲げていたが、プラザ合意後の円高で前提を失った。当時の社長の合田茂氏は会長に就任した後も、この人員整理を二度と経験したくないと振り返っている。

  • 日経ビジネス 1987年3月30日号
    • [127]1986年12月から3カ月で希望退職1,300人・出向等をあわせ1,700人を削減。1987年2月に造船・製鉄機械など不況部門の35歳以上1,600人を対象に希望退職を募集。兵頭副社長は円高対応の中期計画から4〜5年先の組織と人材像を描き、残す人・辞めてもらう人の名簿を作ったと証言
    • [128]1986年12月から3カ月で希望退職1,300人・出向等をあわせ1,700人を削減。1987年2月に造船・製鉄機械など不況部門の35歳以上1,600人を対象に希望退職を募集。兵頭副社長は円高対応の中期計画から4〜5年先の組織と人材像を描き、残す人・辞めてもらう人の名簿を作ったと証言
    • [129]1986年12月から3カ月で希望退職1,300人・出向等をあわせ1,700人を削減。1987年2月に造船・製鉄機械など不況部門の35歳以上1,600人を対象に希望退職を募集。兵頭副社長は円高対応の中期計画から4〜5年先の組織と人材像を描き、残す人・辞めてもらう人の名簿を作ったと証言
    • [130]1986年12月から3カ月で希望退職1,300人・出向等をあわせ1,700人を削減。1987年2月に造船・製鉄機械など不況部門の35歳以上1,600人を対象に希望退職を募集。兵頭副社長は円高対応の中期計画から4〜5年先の組織と人材像を描き、残す人・辞めてもらう人の名簿を作ったと証言
  • 日経ビジネス 1993年2月15日号
    • [131]1984年策定の10年計画「SHI93」(1993年に単独売上高5,000億円)が円高不況で意義を失い、当時社長の合田茂会長は大幅な人員整理を「二度としたくない」と回顧
    • [132]1984年策定の10年計画「SHI93」(1993年に単独売上高5,000億円)が円高不況で意義を失い、当時社長の合田茂会長は大幅な人員整理を「二度としたくない」と回顧

1989年6月に社長に就任した久保正大氏は、約8カ月をかけて全国8カ所の事業所を回った。1991年1月には女優の有森也実氏を起用し、テレビと新聞で企業広告を流し始めている。1992年3月期の単独売上高は2,873億円で、NKKを除く造船重機大手6社の中で最も小さかった。専務の宮崎文雄氏は、『短期的な収益はともかく、知名度を上げ、少しでも優秀な人材を採用することが、中長期的には企業の行方を左右する』と広告の狙いを語った。理系学生の人気企業順位は、89年度就職組の181位から93年度就職組の120位へ上がった。会長の合田茂氏は1992年、石油危機後に広げた新規事業の中に伸び悩むものが出てきたと認めていた。

  • 日経ビジネス 1993年2月15日号
    • [133]久保社長は1989年6月の就任後約8カ月で全国8事業所を回る。1991年1月から有森也実を起用した企業広告。1992年3月期売上高2,873億円はNKKを除く大手6社で最下位。1992年12月に中止を仮決定後、継続へ。理系人気順位は181位→120位。宮崎専務は知名度向上と人材採用を広告の理由に挙げる
    • [134]久保社長は1989年6月の就任後約8カ月で全国8事業所を回る。1991年1月から有森也実を起用した企業広告。1992年3月期売上高2,873億円はNKKを除く大手6社で最下位。1992年12月に中止を仮決定後、継続へ。理系人気順位は181位→120位。宮崎専務は知名度向上と人材採用を広告の理由に挙げる
    • [135]久保社長は1989年6月の就任後約8カ月で全国8事業所を回る。1991年1月から有森也実を起用した企業広告。1992年3月期売上高2,873億円はNKKを除く大手6社で最下位。1992年12月に中止を仮決定後、継続へ。理系人気順位は181位→120位。宮崎専務は知名度向上と人材採用を広告の理由に挙げる
    • [136]久保社長は1989年6月の就任後約8カ月で全国8事業所を回る。1991年1月から有森也実を起用した企業広告。1992年3月期売上高2,873億円はNKKを除く大手6社で最下位。1992年12月に中止を仮決定後、継続へ。理系人気順位は181位→120位。宮崎専務は知名度向上と人材採用を広告の理由に挙げる
    • [137]久保社長は1989年6月の就任後約8カ月で全国8事業所を回る。1991年1月から有森也実を起用した企業広告。1992年3月期売上高2,873億円はNKKを除く大手6社で最下位。1992年12月に中止を仮決定後、継続へ。理系人気順位は181位→120位。宮崎専務は知名度向上と人材採用を広告の理由に挙げる
  • 日経ビジネス 1992年10月19日号
    • [138]合田茂会長は、石油危機以来の多角化で自らが旗を振った新規事業の中に踊り場に差し掛かったものがあり、見直しが必要な時期に来ていると語る
参考文献[127]-[138]
  • 日経ビジネス 1987年3月30日号
    • [127]1986年12月から3カ月で希望退職1,300人・出向等をあわせ1,700人を削減。1987年2月に造船・製鉄機械など不況部門の35歳以上1,600人を対象に希望退職を募集。兵頭副社長は円高対応の中期計画から4〜5年先の組織と人材像を描き、残す人・辞めてもらう人の名簿を作ったと証言
    • [128]1986年12月から3カ月で希望退職1,300人・出向等をあわせ1,700人を削減。1987年2月に造船・製鉄機械など不況部門の35歳以上1,600人を対象に希望退職を募集。兵頭副社長は円高対応の中期計画から4〜5年先の組織と人材像を描き、残す人・辞めてもらう人の名簿を作ったと証言
    • [129]1986年12月から3カ月で希望退職1,300人・出向等をあわせ1,700人を削減。1987年2月に造船・製鉄機械など不況部門の35歳以上1,600人を対象に希望退職を募集。兵頭副社長は円高対応の中期計画から4〜5年先の組織と人材像を描き、残す人・辞めてもらう人の名簿を作ったと証言
    • [130]1986年12月から3カ月で希望退職1,300人・出向等をあわせ1,700人を削減。1987年2月に造船・製鉄機械など不況部門の35歳以上1,600人を対象に希望退職を募集。兵頭副社長は円高対応の中期計画から4〜5年先の組織と人材像を描き、残す人・辞めてもらう人の名簿を作ったと証言
  • 日経ビジネス 1993年2月15日号
    • [131]1984年策定の10年計画「SHI93」(1993年に単独売上高5,000億円)が円高不況で意義を失い、当時社長の合田茂会長は大幅な人員整理を「二度としたくない」と回顧
    • [132]1984年策定の10年計画「SHI93」(1993年に単独売上高5,000億円)が円高不況で意義を失い、当時社長の合田茂会長は大幅な人員整理を「二度としたくない」と回顧
    • [133]久保社長は1989年6月の就任後約8カ月で全国8事業所を回る。1991年1月から有森也実を起用した企業広告。1992年3月期売上高2,873億円はNKKを除く大手6社で最下位。1992年12月に中止を仮決定後、継続へ。理系人気順位は181位→120位。宮崎専務は知名度向上と人材採用を広告の理由に挙げる
    • [134]久保社長は1989年6月の就任後約8カ月で全国8事業所を回る。1991年1月から有森也実を起用した企業広告。1992年3月期売上高2,873億円はNKKを除く大手6社で最下位。1992年12月に中止を仮決定後、継続へ。理系人気順位は181位→120位。宮崎専務は知名度向上と人材採用を広告の理由に挙げる
    • [135]久保社長は1989年6月の就任後約8カ月で全国8事業所を回る。1991年1月から有森也実を起用した企業広告。1992年3月期売上高2,873億円はNKKを除く大手6社で最下位。1992年12月に中止を仮決定後、継続へ。理系人気順位は181位→120位。宮崎専務は知名度向上と人材採用を広告の理由に挙げる
    • [136]久保社長は1989年6月の就任後約8カ月で全国8事業所を回る。1991年1月から有森也実を起用した企業広告。1992年3月期売上高2,873億円はNKKを除く大手6社で最下位。1992年12月に中止を仮決定後、継続へ。理系人気順位は181位→120位。宮崎専務は知名度向上と人材採用を広告の理由に挙げる
    • [137]久保社長は1989年6月の就任後約8カ月で全国8事業所を回る。1991年1月から有森也実を起用した企業広告。1992年3月期売上高2,873億円はNKKを除く大手6社で最下位。1992年12月に中止を仮決定後、継続へ。理系人気順位は181位→120位。宮崎専務は知名度向上と人材採用を広告の理由に挙げる
  • 日経ビジネス 1992年10月19日号
    • [138]合田茂会長は、石油危機以来の多角化で自らが旗を振った新規事業の中に踊り場に差し掛かったものがあり、見直しが必要な時期に来ていると語る

1993年〜小澤三敏社長の固定費削減と、2001年の大赤字に至った日納義郎社長の再構築

1993年4月、住友機械工業の出身で設計畑を歩んだ小澤三敏氏が社長に就任した。直前の3月には、射出成形機や変減速機が不況の影響を強く受け、業績見通しを引き下げていた。小澤三敏社長は1996年度からの中期経営計画「CHALLENGE 98」で、利益率の高い事業への資源の集中とコスト競争力の強化を重点に掲げた。ところがアジアの経済危機が国内の不況を長引かせ、1999年3月期は123億円の損失となった。年報は建設機械の不振を主な理由に挙げ、人件費を含む固定費の削減と販売店の統廃合を打ち出した。同じ年報は、CHALLENGE 98の施策を続けたものの、厳しい環境のもとで収益力の改善は進まなかったと総括している。

  • 日経ビジネス 1993年5月3日号
    • [139]1993年4月に小澤三敏が社長就任。住友機械工業出身で入社後約20年設計畑。射出成型機・変減速機など機械分野が不況の影響を受け、3月に今期見通しを下方修正
    • [140]1993年4月に小澤三敏が社長就任。住友機械工業出身で入社後約20年設計畑。射出成型機・変減速機など機械分野が不況の影響を受け、3月に今期見通しを下方修正
  • 住友重機械工業 Annual Report 1998「To Our Shareholders」
    • [141]1996〜1998年の中期経営計画「CHALLENGE 98」は再構築・コスト競争力の強化・高収益分野の重視・経営資源の集中を掲げる。アジア経済危機が国内不況を長引かせた
  • 住友重機械工業 Annual Report 1999「To Our Shareholders」
    • [142]1999年3月期の損失は123億円(12.3 billion)。市況の崩れと建設機械事業の不振が主因。人件費など固定費の削減と販売店の再編・統合・廃止で対処。CHALLENGE 98は成果を上げたが厳しい環境で収益力の改善は進まず
    • [143]1999年3月期の損失は123億円(12.3 billion)。市況の崩れと建設機械事業の不振が主因。人件費など固定費の削減と販売店の再編・統合・廃止で対処。CHALLENGE 98は成果を上げたが厳しい環境で収益力の改善は進まず
    • [144]1999年3月期の損失は123億円(12.3 billion)。市況の崩れと建設機械事業の不振が主因。人件費など固定費の削減と販売店の再編・統合・廃止で対処。CHALLENGE 98は成果を上げたが厳しい環境で収益力の改善は進まず

1999年4月、プラスチック機械事業部長として市場シェアを4〜5%押し上げた日納義郎氏が社長に就任した。会長に回った小澤三敏氏は、事業を38に分けて収益性で選び直す方針を示していた。日納義郎社長は事業の見極めについて、『時期が来れば、撤退すべきものは躊躇せず決断する』と言い切った。同じ年に始まった3カ年計画「C21」は、投下資本利益率(ROIC)を全社の経営指標に据え、執行役員制も取り入れた。2000年時点では減速機・プラスチック加工機械・レーザ加工機・極低温冷凍機を重点事業とし、半導体と液晶を次の分野に置いた。射出成形機を育てた人を社長に選んだことは、量産機械を軸にする意思の表れとみられる。

  • 日経ビジネス 1999年5月31日号
    • [145]1999年4月に日納義郎が社長就任。プラスチック機械事業部長時代に市場シェアを4〜5%押し上げた。小澤会長は事業を38に分け収益性で「選択と集中」を進める方針。日納社長は撤退すべき事業は躊躇せず決断すると述べる
    • [146]1999年4月に日納義郎が社長就任。プラスチック機械事業部長時代に市場シェアを4〜5%押し上げた。小澤会長は事業を38に分け収益性で「選択と集中」を進める方針。日納社長は撤退すべき事業は躊躇せず決断すると述べる
    • [147]1999年4月に日納義郎が社長就任。プラスチック機械事業部長時代に市場シェアを4〜5%押し上げた。小澤会長は事業を38に分け収益性で「選択と集中」を進める方針。日納社長は撤退すべき事業は躊躇せず決断すると述べる
  • 住友重機械工業 Annual Report 2000「To Our Shareholders」
    • [148]1999年開始の3カ年計画「C21」でROICを経営指標に導入し執行役員制を採用。減速機・プラスチック加工機械・レーザ加工システム・極低温冷凍機を世界級の事業として強化し、半導体・液晶・情報通信を今後の対象とする
    • [149]1999年開始の3カ年計画「C21」でROICを経営指標に導入し執行役員制を採用。減速機・プラスチック加工機械・レーザ加工システム・極低温冷凍機を世界級の事業として強化し、半導体・液晶・情報通信を今後の対象とする

C21の3年間に、住友重機械工業は減速機、射出成形機、精密制御機器の3つを伸ばす事業に定めた。1999年5月には、のちに住友重機械ギヤボックスとなる大阪製鎖造機を買収した。射出成形機では電動式の品ぞろえを厚くし、ガラスを成形する機種も市場に出した。第3の柱とした精密制御機器では、極低温冷凍機や超精密の位置決め装置、イオン加速器でシェアを広げた。半導体の封止装置の事業はNECと芝浦メカトロニクスから譲り受け、米国の極低温機器会社IGC-APD Cryogenicsも買い取った。2000年度の前半には、IT・半導体向けの射出成形機とレーザ装置の受注が設備投資の追い風を受けた。ところが後半は景気の減速で投資が急に冷え込み、年間の受注は小幅に減った。

  • 住友重機械工業 Annual Report 2002「To Our Shareholders」
    • [150]C21(1999年4月〜2002年3月)でPTC(減速機)・プラスチック機械・精密制御機器を戦略事業に定める。電動式の品ぞろえ強化とガラス射出成形機の投入。極低温・超精密位置決め装置・イオン加速器でシェア拡大。NECと芝浦メカトロニクスから半導体封止装置事業、米IGC-APD Cryogenicsを取得
    • [152]C21(1999年4月〜2002年3月)でPTC(減速機)・プラスチック機械・精密制御機器を戦略事業に定める。電動式の品ぞろえ強化とガラス射出成形機の投入。極低温・超精密位置決め装置・イオン加速器でシェア拡大。NECと芝浦メカトロニクスから半導体封止装置事業、米IGC-APD Cryogenicsを取得
    • [153]C21(1999年4月〜2002年3月)でPTC(減速機)・プラスチック機械・精密制御機器を戦略事業に定める。電動式の品ぞろえ強化とガラス射出成形機の投入。極低温・超精密位置決め装置・イオン加速器でシェア拡大。NECと芝浦メカトロニクスから半導体封止装置事業、米IGC-APD Cryogenicsを取得
    • [154]C21(1999年4月〜2002年3月)でPTC(減速機)・プラスチック機械・精密制御機器を戦略事業に定める。電動式の品ぞろえ強化とガラス射出成形機の投入。極低温・超精密位置決め装置・イオン加速器でシェア拡大。NECと芝浦メカトロニクスから半導体封止装置事業、米IGC-APD Cryogenicsを取得
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [151]1999年5月、大阪製鎖造機(現住友重機械ギヤボックス)を買収
  • 住友重機械工業 Annual Report 2001「Message」
    • [155]2000年度上期はIT・半導体向けの射出成形機とレーザ装置の受注が旺盛な投資で伸びたが、下期は景気減速で投資が急減し年間受注は小幅減
    • [156]2000年度上期はIT・半導体向けの射出成形機とレーザ装置の受注が旺盛な投資で伸びたが、下期は景気減速で投資が急減し年間受注は小幅減

2001年3月期の連結決算は286億円の当期損失となり、配当を見送った。建設機械の再編に伴う損失338億円と、退職給付の移行差額274億円の償却が重なった。会社は2000年9月に「事業再構築計画」を定め、C21の目標であるROIC5%を追っていた。2001年4月には住友建機を、ショベル・道路機械の会社とクレーンの会社に分けた。産業機械についてトップメッセージは、『we will be moving away from traditional heavy industries such as steel mills and power plants towards semiconductor- and LCD-related manufacturing facilities.』(訳:製鉄所や発電所のような旧来の重工業から離れ、半導体・液晶関連の製造設備へ向かう)と記した。造船は技術の高い船に絞り、外注を使って費用を下げる方針とした。

  • 住友重機械工業 Annual Report 2001「Message」
    • [157]2001年3月期は建設機械グループ再編の損失338億円と退職給付の移行差額274億円の償却で連結当期損失286億円、無配。2000年9月策定の「事業再構築計画」を加速しC21のROIC5%を目指す。産業機械は製鉄・発電から半導体・液晶の製造設備へ、造船は高技術船に特化し外注で費用を下げる
    • [158]2001年3月期は建設機械グループ再編の損失338億円と退職給付の移行差額274億円の償却で連結当期損失286億円、無配。2000年9月策定の「事業再構築計画」を加速しC21のROIC5%を目指す。産業機械は製鉄・発電から半導体・液晶の製造設備へ、造船は高技術船に特化し外注で費用を下げる
    • [159]2001年3月期は建設機械グループ再編の損失338億円と退職給付の移行差額274億円の償却で連結当期損失286億円、無配。2000年9月策定の「事業再構築計画」を加速しC21のROIC5%を目指す。産業機械は製鉄・発電から半導体・液晶の製造設備へ、造船は高技術船に特化し外注で費用を下げる
    • [161]2001年3月期は建設機械グループ再編の損失338億円と退職給付の移行差額274億円の償却で連結当期損失286億円、無配。2000年9月策定の「事業再構築計画」を加速しC21のROIC5%を目指す。産業機械は製鉄・発電から半導体・液晶の製造設備へ、造船は高技術船に特化し外注で費用を下げる
    • [162]2001年3月期は建設機械グループ再編の損失338億円と退職給付の移行差額274億円の償却で連結当期損失286億円、無配。2000年9月策定の「事業再構築計画」を加速しC21のROIC5%を目指す。産業機械は製鉄・発電から半導体・液晶の製造設備へ、造船は高技術船に特化し外注で費用を下げる
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [160]2001年4月、住友建機を道路機械・ショベル事業の住友建機とクレーン事業の住友重機械建機クレーンに分割
参考文献[139]-[162]
  • 日経ビジネス 1993年5月3日号
    • [139]1993年4月に小澤三敏が社長就任。住友機械工業出身で入社後約20年設計畑。射出成型機・変減速機など機械分野が不況の影響を受け、3月に今期見通しを下方修正
    • [140]1993年4月に小澤三敏が社長就任。住友機械工業出身で入社後約20年設計畑。射出成型機・変減速機など機械分野が不況の影響を受け、3月に今期見通しを下方修正
  • 住友重機械工業 Annual Report 1998「To Our Shareholders」
    • [141]1996〜1998年の中期経営計画「CHALLENGE 98」は再構築・コスト競争力の強化・高収益分野の重視・経営資源の集中を掲げる。アジア経済危機が国内不況を長引かせた
  • 住友重機械工業 Annual Report 1999「To Our Shareholders」
    • [142]1999年3月期の損失は123億円(12.3 billion)。市況の崩れと建設機械事業の不振が主因。人件費など固定費の削減と販売店の再編・統合・廃止で対処。CHALLENGE 98は成果を上げたが厳しい環境で収益力の改善は進まず
    • [143]1999年3月期の損失は123億円(12.3 billion)。市況の崩れと建設機械事業の不振が主因。人件費など固定費の削減と販売店の再編・統合・廃止で対処。CHALLENGE 98は成果を上げたが厳しい環境で収益力の改善は進まず
    • [144]1999年3月期の損失は123億円(12.3 billion)。市況の崩れと建設機械事業の不振が主因。人件費など固定費の削減と販売店の再編・統合・廃止で対処。CHALLENGE 98は成果を上げたが厳しい環境で収益力の改善は進まず
  • 日経ビジネス 1999年5月31日号
    • [145]1999年4月に日納義郎が社長就任。プラスチック機械事業部長時代に市場シェアを4〜5%押し上げた。小澤会長は事業を38に分け収益性で「選択と集中」を進める方針。日納社長は撤退すべき事業は躊躇せず決断すると述べる
    • [146]1999年4月に日納義郎が社長就任。プラスチック機械事業部長時代に市場シェアを4〜5%押し上げた。小澤会長は事業を38に分け収益性で「選択と集中」を進める方針。日納社長は撤退すべき事業は躊躇せず決断すると述べる
    • [147]1999年4月に日納義郎が社長就任。プラスチック機械事業部長時代に市場シェアを4〜5%押し上げた。小澤会長は事業を38に分け収益性で「選択と集中」を進める方針。日納社長は撤退すべき事業は躊躇せず決断すると述べる
  • 住友重機械工業 Annual Report 2000「To Our Shareholders」
    • [148]1999年開始の3カ年計画「C21」でROICを経営指標に導入し執行役員制を採用。減速機・プラスチック加工機械・レーザ加工システム・極低温冷凍機を世界級の事業として強化し、半導体・液晶・情報通信を今後の対象とする
    • [149]1999年開始の3カ年計画「C21」でROICを経営指標に導入し執行役員制を採用。減速機・プラスチック加工機械・レーザ加工システム・極低温冷凍機を世界級の事業として強化し、半導体・液晶・情報通信を今後の対象とする
  • 住友重機械工業 Annual Report 2002「To Our Shareholders」
    • [150]C21(1999年4月〜2002年3月)でPTC(減速機)・プラスチック機械・精密制御機器を戦略事業に定める。電動式の品ぞろえ強化とガラス射出成形機の投入。極低温・超精密位置決め装置・イオン加速器でシェア拡大。NECと芝浦メカトロニクスから半導体封止装置事業、米IGC-APD Cryogenicsを取得
    • [152]C21(1999年4月〜2002年3月)でPTC(減速機)・プラスチック機械・精密制御機器を戦略事業に定める。電動式の品ぞろえ強化とガラス射出成形機の投入。極低温・超精密位置決め装置・イオン加速器でシェア拡大。NECと芝浦メカトロニクスから半導体封止装置事業、米IGC-APD Cryogenicsを取得
    • [153]C21(1999年4月〜2002年3月)でPTC(減速機)・プラスチック機械・精密制御機器を戦略事業に定める。電動式の品ぞろえ強化とガラス射出成形機の投入。極低温・超精密位置決め装置・イオン加速器でシェア拡大。NECと芝浦メカトロニクスから半導体封止装置事業、米IGC-APD Cryogenicsを取得
    • [154]C21(1999年4月〜2002年3月)でPTC(減速機)・プラスチック機械・精密制御機器を戦略事業に定める。電動式の品ぞろえ強化とガラス射出成形機の投入。極低温・超精密位置決め装置・イオン加速器でシェア拡大。NECと芝浦メカトロニクスから半導体封止装置事業、米IGC-APD Cryogenicsを取得
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [151]1999年5月、大阪製鎖造機(現住友重機械ギヤボックス)を買収
    • [160]2001年4月、住友建機を道路機械・ショベル事業の住友建機とクレーン事業の住友重機械建機クレーンに分割
  • 住友重機械工業 Annual Report 2001「Message」
    • [155]2000年度上期はIT・半導体向けの射出成形機とレーザ装置の受注が旺盛な投資で伸びたが、下期は景気減速で投資が急減し年間受注は小幅減
    • [156]2000年度上期はIT・半導体向けの射出成形機とレーザ装置の受注が旺盛な投資で伸びたが、下期は景気減速で投資が急減し年間受注は小幅減
    • [157]2001年3月期は建設機械グループ再編の損失338億円と退職給付の移行差額274億円の償却で連結当期損失286億円、無配。2000年9月策定の「事業再構築計画」を加速しC21のROIC5%を目指す。産業機械は製鉄・発電から半導体・液晶の製造設備へ、造船は高技術船に特化し外注で費用を下げる
    • [158]2001年3月期は建設機械グループ再編の損失338億円と退職給付の移行差額274億円の償却で連結当期損失286億円、無配。2000年9月策定の「事業再構築計画」を加速しC21のROIC5%を目指す。産業機械は製鉄・発電から半導体・液晶の製造設備へ、造船は高技術船に特化し外注で費用を下げる
    • [159]2001年3月期は建設機械グループ再編の損失338億円と退職給付の移行差額274億円の償却で連結当期損失286億円、無配。2000年9月策定の「事業再構築計画」を加速しC21のROIC5%を目指す。産業機械は製鉄・発電から半導体・液晶の製造設備へ、造船は高技術船に特化し外注で費用を下げる
    • [161]2001年3月期は建設機械グループ再編の損失338億円と退職給付の移行差額274億円の償却で連結当期損失286億円、無配。2000年9月策定の「事業再構築計画」を加速しC21のROIC5%を目指す。産業機械は製鉄・発電から半導体・液晶の製造設備へ、造船は高技術船に特化し外注で費用を下げる
    • [162]2001年3月期は建設機械グループ再編の損失338億円と退職給付の移行差額274億円の償却で連結当期損失286億円、無配。2000年9月策定の「事業再構築計画」を加速しC21のROIC5%を目指す。産業機械は製鉄・発電から半導体・液晶の製造設備へ、造船は高技術船に特化し外注で費用を下げる

2002年〜1,000人削減と年収15%カットと、住友重機械マリンエンジニアリングへの造船分社

2002年初め、住友重機械工業は一般社員の年収を4月から2年間、一律15%削減する策を発表した。管理職の賃金はすでに同年1月から15%下げていた。早期退職などでグループ約1万人の1割にあたる約1,000人を減らし、2002年度に約80億円の人件費を浮かせる計画だった。財務経理本部長の木下幸雄常務執行役員は、『これまでは余剰人員を成長部門へと異動させることで雇用の維持を図ってきたが、そんな対応はもはや限界にきている』と語った。2002年3月期のROICは2.3%にとどまり、C21が掲げた5%を下回った。成果に応じて報いる人事・賃金制度への組み替えも、次の課題に据えた。翌期は労務費を含む固定費の削減が効き、営業利益が前期比21%増の172億円となった。

  • 日経ビジネス 2002年2月11日号
    • [163]2002年4月から2年間、一般社員の賃金を年収ベースで一律15%削減するリストラ策を発表。管理職は1月から15%削減。早期退職などでグループ約1万人の1割約1,000人を削減し、2002年度に人件費約80億円の削減を狙う。有利子負債比率は大手6社で最も高い
    • [164]2002年4月から2年間、一般社員の賃金を年収ベースで一律15%削減するリストラ策を発表。管理職は1月から15%削減。早期退職などでグループ約1万人の1割約1,000人を削減し、2002年度に人件費約80億円の削減を狙う。有利子負債比率は大手6社で最も高い
    • [165]2002年4月から2年間、一般社員の賃金を年収ベースで一律15%削減するリストラ策を発表。管理職は1月から15%削減。早期退職などでグループ約1万人の1割約1,000人を削減し、2002年度に人件費約80億円の削減を狙う。有利子負債比率は大手6社で最も高い
    • [166]2002年4月から2年間、一般社員の賃金を年収ベースで一律15%削減するリストラ策を発表。管理職は1月から15%削減。早期退職などでグループ約1万人の1割約1,000人を削減し、2002年度に人件費約80億円の削減を狙う。有利子負債比率は大手6社で最も高い
  • 住友重機械工業 Annual Report 2002「To Our Shareholders」
    • [167]C21(1999年4月〜2002年3月)の総括でROICは1.6%から2.3%に改善したが目標5%には届かず。成果を重視して報いる人事制度への改編を掲げる
    • [168]C21(1999年4月〜2002年3月)の総括でROICは1.6%から2.3%に改善したが目標5%には届かず。成果を重視して報いる人事制度への改編を掲げる
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート2003「株主、顧客、従業員の皆様へ」
    • [169]2002年度は労務費を含めた固定費の削減で営業利益が前期比21%増の172億円

2003年4月、住友重機械工業は販売部門を除く造船事業を、新設の住友重機械マリンエンジニアリングへ譲渡した。直接の契機は、氷海向けのアフラマックスタンカーが大きな赤字工事となったことだった。分社にあたって事業の規模を縮め、受注の時点で採算を確かめる仕組みを組み込んだ。会社はこれらの手当てにより、造船部門が2003年度に黒字化すると見込んだ。これに先立ち艦艇の事業を、石川島播磨重工業との合弁会社マリンユナイテッドへ移していた。その後、建造する船種は中型タンカーに集中させた。造船の損益を本体から離し、量産機械の稼ぎを守る狙いがあったと推察される。

  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [170]2003年4月、住友重機械マリンエンジニアリングを設立し、造船事業(販売部門を除く)を譲渡
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート2003「株主、顧客、従業員の皆様へ」
    • [171]氷海アフラマックスタンカーが大型赤字工事となった造船部門を、2003年4月1日に住友重機械マリンエンジニアリングとして分社化。専業として利益を確保できるよう事業規模を縮小し、受注時採算管理を強化。造船部門は2003年度に黒字化の見込み
    • [172]氷海アフラマックスタンカーが大型赤字工事となった造船部門を、2003年4月1日に住友重機械マリンエンジニアリングとして分社化。専業として利益を確保できるよう事業規模を縮小し、受注時採算管理を強化。造船部門は2003年度に黒字化の見込み
    • [173]氷海アフラマックスタンカーが大型赤字工事となった造船部門を、2003年4月1日に住友重機械マリンエンジニアリングとして分社化。専業として利益を確保できるよう事業規模を縮小し、受注時採算管理を強化。造船部門は2003年度に黒字化の見込み
  • 住友重機械工業 Annual Report 2002「To Our Shareholders」
    • [174]艦艇事業を石川島播磨重工業との合弁会社マリンユナイテッドへ移管。商船は分社でスリムな組織にしつつエンジニアリングを強化
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート2008「前中期経営計画『躍進07』について」
    • [175]造船は建造船種を中型タンカーに集中特化

2005年度からの中期経営計画「躍進07」は、2007年度末に営業利益600億円以上、ROIC10%以上を目標とした。2006年度に営業利益642億円、ROIC12.2%を上げ、目標を1年前倒しで満たした。2007年11月30日、社長の中村吉伸氏は2008年度からの3カ年計画「グローバル21」を示した。2010年度に売上高8,500億円、営業利益1,000億円を掲げ、国内の会社から世界の会社への脱皮を標語にうたった。投資は3年間で約1,500億円とし、海外拠点の展開と「一流商品」づくりに充てるとした。背景には、国内市場が成熟する一方で中国など新興国の商機が広がっていた事情がある。

  • 住友重機械工業 次期中期経営計画説明会資料「グローバル21」(2007年11月30日)
    • [176]「躍進07」(2005〜2007年度)の目標は営業利益600億円以上・ROIC10%以上・有利子負債1,500億円以下。2006年度に営業利益642億円・ROIC12.2%で1年前倒し達成。次期中計「グローバル21」は2010年度に売上高8,500億円・営業利益1,000億円・ROIC10%以上、3年間で約1,500億円を海外拠点展開と「一流商品」創りに投資、標語「日本の住友重機械から世界の住友重機械へ」
    • [177]「躍進07」(2005〜2007年度)の目標は営業利益600億円以上・ROIC10%以上・有利子負債1,500億円以下。2006年度に営業利益642億円・ROIC12.2%で1年前倒し達成。次期中計「グローバル21」は2010年度に売上高8,500億円・営業利益1,000億円・ROIC10%以上、3年間で約1,500億円を海外拠点展開と「一流商品」創りに投資、標語「日本の住友重機械から世界の住友重機械へ」
    • [178]「躍進07」(2005〜2007年度)の目標は営業利益600億円以上・ROIC10%以上・有利子負債1,500億円以下。2006年度に営業利益642億円・ROIC12.2%で1年前倒し達成。次期中計「グローバル21」は2010年度に売上高8,500億円・営業利益1,000億円・ROIC10%以上、3年間で約1,500億円を海外拠点展開と「一流商品」創りに投資、標語「日本の住友重機械から世界の住友重機械へ」
    • [179]「躍進07」(2005〜2007年度)の目標は営業利益600億円以上・ROIC10%以上・有利子負債1,500億円以下。2006年度に営業利益642億円・ROIC12.2%で1年前倒し達成。次期中計「グローバル21」は2010年度に売上高8,500億円・営業利益1,000億円・ROIC10%以上、3年間で約1,500億円を海外拠点展開と「一流商品」創りに投資、標語「日本の住友重機械から世界の住友重機械へ」
    • [180]「躍進07」(2005〜2007年度)の目標は営業利益600億円以上・ROIC10%以上・有利子負債1,500億円以下。2006年度に営業利益642億円・ROIC12.2%で1年前倒し達成。次期中計「グローバル21」は2010年度に売上高8,500億円・営業利益1,000億円・ROIC10%以上、3年間で約1,500億円を海外拠点展開と「一流商品」創りに投資、標語「日本の住友重機械から世界の住友重機械へ」
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート2011「前中期経営計画『グローバル21』の総括」
    • [181]「グローバル21」(2008年4月〜2011年3月)は国内市場の成熟と中国をはじめ新興国での商機拡大を受け、グローバル市場での競争優位の確立を課題とした
参考文献[163]-[181]
  • 日経ビジネス 2002年2月11日号
    • [163]2002年4月から2年間、一般社員の賃金を年収ベースで一律15%削減するリストラ策を発表。管理職は1月から15%削減。早期退職などでグループ約1万人の1割約1,000人を削減し、2002年度に人件費約80億円の削減を狙う。有利子負債比率は大手6社で最も高い
    • [164]2002年4月から2年間、一般社員の賃金を年収ベースで一律15%削減するリストラ策を発表。管理職は1月から15%削減。早期退職などでグループ約1万人の1割約1,000人を削減し、2002年度に人件費約80億円の削減を狙う。有利子負債比率は大手6社で最も高い
    • [165]2002年4月から2年間、一般社員の賃金を年収ベースで一律15%削減するリストラ策を発表。管理職は1月から15%削減。早期退職などでグループ約1万人の1割約1,000人を削減し、2002年度に人件費約80億円の削減を狙う。有利子負債比率は大手6社で最も高い
    • [166]2002年4月から2年間、一般社員の賃金を年収ベースで一律15%削減するリストラ策を発表。管理職は1月から15%削減。早期退職などでグループ約1万人の1割約1,000人を削減し、2002年度に人件費約80億円の削減を狙う。有利子負債比率は大手6社で最も高い
  • 住友重機械工業 Annual Report 2002「To Our Shareholders」
    • [167]C21(1999年4月〜2002年3月)の総括でROICは1.6%から2.3%に改善したが目標5%には届かず。成果を重視して報いる人事制度への改編を掲げる
    • [168]C21(1999年4月〜2002年3月)の総括でROICは1.6%から2.3%に改善したが目標5%には届かず。成果を重視して報いる人事制度への改編を掲げる
    • [174]艦艇事業を石川島播磨重工業との合弁会社マリンユナイテッドへ移管。商船は分社でスリムな組織にしつつエンジニアリングを強化
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート2003「株主、顧客、従業員の皆様へ」
    • [169]2002年度は労務費を含めた固定費の削減で営業利益が前期比21%増の172億円
    • [171]氷海アフラマックスタンカーが大型赤字工事となった造船部門を、2003年4月1日に住友重機械マリンエンジニアリングとして分社化。専業として利益を確保できるよう事業規模を縮小し、受注時採算管理を強化。造船部門は2003年度に黒字化の見込み
    • [172]氷海アフラマックスタンカーが大型赤字工事となった造船部門を、2003年4月1日に住友重機械マリンエンジニアリングとして分社化。専業として利益を確保できるよう事業規模を縮小し、受注時採算管理を強化。造船部門は2003年度に黒字化の見込み
    • [173]氷海アフラマックスタンカーが大型赤字工事となった造船部門を、2003年4月1日に住友重機械マリンエンジニアリングとして分社化。専業として利益を確保できるよう事業規模を縮小し、受注時採算管理を強化。造船部門は2003年度に黒字化の見込み
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [170]2003年4月、住友重機械マリンエンジニアリングを設立し、造船事業(販売部門を除く)を譲渡
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート2008「前中期経営計画『躍進07』について」
    • [175]造船は建造船種を中型タンカーに集中特化
  • 住友重機械工業 次期中期経営計画説明会資料「グローバル21」(2007年11月30日)
    • [176]「躍進07」(2005〜2007年度)の目標は営業利益600億円以上・ROIC10%以上・有利子負債1,500億円以下。2006年度に営業利益642億円・ROIC12.2%で1年前倒し達成。次期中計「グローバル21」は2010年度に売上高8,500億円・営業利益1,000億円・ROIC10%以上、3年間で約1,500億円を海外拠点展開と「一流商品」創りに投資、標語「日本の住友重機械から世界の住友重機械へ」
    • [177]「躍進07」(2005〜2007年度)の目標は営業利益600億円以上・ROIC10%以上・有利子負債1,500億円以下。2006年度に営業利益642億円・ROIC12.2%で1年前倒し達成。次期中計「グローバル21」は2010年度に売上高8,500億円・営業利益1,000億円・ROIC10%以上、3年間で約1,500億円を海外拠点展開と「一流商品」創りに投資、標語「日本の住友重機械から世界の住友重機械へ」
    • [178]「躍進07」(2005〜2007年度)の目標は営業利益600億円以上・ROIC10%以上・有利子負債1,500億円以下。2006年度に営業利益642億円・ROIC12.2%で1年前倒し達成。次期中計「グローバル21」は2010年度に売上高8,500億円・営業利益1,000億円・ROIC10%以上、3年間で約1,500億円を海外拠点展開と「一流商品」創りに投資、標語「日本の住友重機械から世界の住友重機械へ」
    • [179]「躍進07」(2005〜2007年度)の目標は営業利益600億円以上・ROIC10%以上・有利子負債1,500億円以下。2006年度に営業利益642億円・ROIC12.2%で1年前倒し達成。次期中計「グローバル21」は2010年度に売上高8,500億円・営業利益1,000億円・ROIC10%以上、3年間で約1,500億円を海外拠点展開と「一流商品」創りに投資、標語「日本の住友重機械から世界の住友重機械へ」
    • [180]「躍進07」(2005〜2007年度)の目標は営業利益600億円以上・ROIC10%以上・有利子負債1,500億円以下。2006年度に営業利益642億円・ROIC12.2%で1年前倒し達成。次期中計「グローバル21」は2010年度に売上高8,500億円・営業利益1,000億円・ROIC10%以上、3年間で約1,500億円を海外拠点展開と「一流商品」創りに投資、標語「日本の住友重機械から世界の住友重機械へ」
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート2011「前中期経営計画『グローバル21』の総括」
    • [181]「グローバル21」(2008年4月〜2011年3月)は国内市場の成熟と中国をはじめ新興国での商機拡大を受け、グローバル市場での競争優位の確立を課題とした

第5章 2008年〜 Demag Ergotech・Hansenなどの買収による機械事業の拡大と新造船からの撤退

2008年〜Demag Ergotechの買収と、SENの完全子会社化・Hansenの買収

住友重機械工業は2008年3月、ドイツの射出成形機メーカーDemag Ergotechなど3社を、取得原価127億79百万円で買った。同年5月の決算説明会資料は買収の根拠として、世界市場でのブランドと販売力の強化、欧州とBRICsでの拡販、事業規模での首位を並べた。住友重機械の成形機は電動式の精密・高速成形を得意としたが、2008年度見込みの売上は9割近くを日本とアジアで占めていた。デマーグの側は欧州と北米でブランドを持ち、ロシアの販路と、自動車部品や包装容器の顧客を抱えていた。同年のアニュアルレポートも、国内シェア首位の成形機に、ドイツの老舗の販売力を加える買収と位置づけた。

  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2008年3月期)【企業結合等関係】
    • [182]2008年3月3日にDEMAG ERGOTECH・VAN DORN DEMAG・MARMOR 220の3社を取得、取得原価12,779百万円
  • 住友重機械工業 決算説明会資料「FY2007 Financial Summary」(2008年5月14日)
    • [183]Demag買収の根拠=世界市場でのブランド力・販売力の強化、欧州・BRICsでの拡販、事業規模で世界首位
    • [184]住友重機械の強み=アジアの販売力と電動機・精密高速成形技術、2008年度の成形機売上は日本43%・アジア45%
    • [185]Demagの強み=欧州・北米でのブランド力、ロシアの既存販路、自動車・包装市場での存在感
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート2008
    • [186]2008年3月にドイツの老舗メーカー、デマーグ・プラスチックス・グループを買収し、世界市場でのブランド力と販売力を強化。成形機は国内メーカーのシェアトップ

イオン注入装置を担うSENは1983年4月の設立で、2008年の時点では米Axcelis Technologiesとの合弁会社だった。住友重機械工業は2008年2月、合弁相手のAxcelisそのものに買収を持ちかけ、1株5.20ドル、総額5億4,400万ドルを示した。半導体メーカーの大型化で設備投資の額が膨らみ、開発の速さも求められるなか、両社の顧客と技術を一体にする狙いだった。Axcelisは2月25日に拒否を公表し、住友重機械は3月10日に提示を1株6.00ドルへ引き上げた。最終的には2009年3月に株式を取得してSENを完全子会社とし、合弁の形を解いた。米国の会社ごと取り込む案が実らず、手の届く合弁の持分へ的を絞り直したと推察される。

  • 住友重機械工業 決算説明会資料「FY2007 Financial Summary」(2008年5月14日)
    • [187]SEN Corporation, an SHI and Axcelis Company、設立1983年4月
    • [188]2008年2月4日、Axcelis Technologiesへ買収を提案(1株5.20ドル、総額5億4,400万ドル)
    • [189]買収の根拠=半導体メーカーの大型化と設備投資額の増大、開発の速さへの対応のため、AxcelisとSENの顧客基盤・技術・製品開発力を統合
    • [190]2月25日にAxcelisが提案拒否を公表、3月10日に提示額を1株6.00ドル(総額6億3,000万ドル)へ引き上げ
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [191]2009年3月、株式取得により株式会社SEN-SHI・アクセリスカンパニーを完全子会社化

2011年3月、住友重機械工業はベルギーのギヤボックスメーカーHansen Industrial Transmissionsを買収した。その前年のアニュアルレポートでは、「グローバル21」最終年度の売上高8,500億円・営業利益1,000億円を実現困難と認めていた。それでも経営陣は、『この不況を次の成長へのチャンスと受け止め、提供する製品およびサービスの変革と、市場の拡大を進めていかなければなりません。』と記した。買収額は約100億円で、資源国の設備投資で伸びるギヤボックス需要を、南アフリカや豪州に強いHansenの販路で取る狙いだった。1973年から約20年、旧親会社から技術供与を受けた縁があり、製品面の相乗効果も早く出せると見込んだ。

  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [192]2011年3月、ベルギーの産業用ギヤボックスメーカーHansen Industrial Transmissions NVを買収
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート2010
    • [193]「グローバル21」の2010年度目標 売上高8,500億円・営業利益1,000億円は実現困難
    • [194]不況を次の成長の機会と受け止め、製品・サービスの変革と市場拡大を進める(新興国へ積極投資)
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート2011
    • [195]2011年3月にHIT社を子会社化、買収額約100億円。資源国の設備投資でギヤボックス市場が伸びる見込み、HIT社は南アフリカ・豪州に強い販売チャネル、世界6カ国に組立工場
    • [196]1973年から約20年間、HIT社の旧親会社から技術供与を受けており、製品面で早期のシナジーを期待
参考文献[182]-[196]
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2008年3月期)【企業結合等関係】
    • [182]2008年3月3日にDEMAG ERGOTECH・VAN DORN DEMAG・MARMOR 220の3社を取得、取得原価12,779百万円
  • 住友重機械工業 決算説明会資料「FY2007 Financial Summary」(2008年5月14日)
    • [183]Demag買収の根拠=世界市場でのブランド力・販売力の強化、欧州・BRICsでの拡販、事業規模で世界首位
    • [184]住友重機械の強み=アジアの販売力と電動機・精密高速成形技術、2008年度の成形機売上は日本43%・アジア45%
    • [185]Demagの強み=欧州・北米でのブランド力、ロシアの既存販路、自動車・包装市場での存在感
    • [187]SEN Corporation, an SHI and Axcelis Company、設立1983年4月
    • [188]2008年2月4日、Axcelis Technologiesへ買収を提案(1株5.20ドル、総額5億4,400万ドル)
    • [189]買収の根拠=半導体メーカーの大型化と設備投資額の増大、開発の速さへの対応のため、AxcelisとSENの顧客基盤・技術・製品開発力を統合
    • [190]2月25日にAxcelisが提案拒否を公表、3月10日に提示額を1株6.00ドル(総額6億3,000万ドル)へ引き上げ
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート2008
    • [186]2008年3月にドイツの老舗メーカー、デマーグ・プラスチックス・グループを買収し、世界市場でのブランド力と販売力を強化。成形機は国内メーカーのシェアトップ
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [191]2009年3月、株式取得により株式会社SEN-SHI・アクセリスカンパニーを完全子会社化
    • [192]2011年3月、ベルギーの産業用ギヤボックスメーカーHansen Industrial Transmissions NVを買収
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート2010
    • [193]「グローバル21」の2010年度目標 売上高8,500億円・営業利益1,000億円は実現困難
    • [194]不況を次の成長の機会と受け止め、製品・サービスの変革と市場拡大を進める(新興国へ積極投資)
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート2011
    • [195]2011年3月にHIT社を子会社化、買収額約100億円。資源国の設備投資でギヤボックス市場が伸びる見込み、HIT社は南アフリカ・豪州に強い販売チャネル、世界6カ国に組立工場
    • [196]1973年から約20年間、HIT社の旧親会社から技術供与を受けており、製品面で早期のシナジーを期待

2013年〜別川俊介社長の中期経営計画2016と、三菱重工のクレーン事業譲受

2013年4月、副社長兼CFOだった別川俊介氏が社長兼CEOに就任した。翌年5月に別川俊介社長が示した「中期経営計画2016」は、前計画「イノベーション21」の目標と実績を並べるところから始まった。2013年度の売上高は目標7,300億円に対し6,153億円、営業利益は730億円に対し343億円にとどまった。地域別の分析では『海外への積極的な投資が成長に結びついていない。』と総括し、欧州は投資の規模に売上が見合っていないとした。残る課題には、減速機と射出成形機で買った子会社との統合と、相乗効果の実現を挙げた。新計画は2016年度の売上高を7,000億円と前計画より低く置き、営業利益率7.5%とROIC7%以上を目標の軸にした。営業利益率は2015・2016年度とも7.2%となり、目標の水準にほぼ到達した。

  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2019年3月期)【役員の状況】
    • [197]別川俊介 2012年4月 代表取締役兼執行役員副社長・CFO、2013年4月 代表取締役社長兼CEO
  • 住友重機械工業 決算説明会資料「中期経営計画2016」(2014年5月9日)
    • [198]社長 別川俊介、2014年5月9日。冒頭に前中計「イノベーション21」の総括
    • [199]2013年度 計画→実績 売上高7,300億円→6,153億円、営業利益730億円→343億円、ROIC10%以上→4.8%
    • [200]エリア別:海外への積極的な投資が成長に結びついていない、欧州は投資に対して伸び悩み
    • [201]残された課題=買収子会社との統合・シナジーの実現(PTC、プラスチック機械)、PTC・プラスチック機械・建設機械の収益性向上
    • [202]2016年度財務目標 売上高7,000億円、営業利益率7.5%、ROIC7%以上、配当性向30%
  • 住友重機械工業 Integrated Report 2017
    • [203]営業利益率は2015・2016年度とも7.2%で中計16の目標水準にほぼ到達、売上高は1年前倒しで目標達成

2015年10月、子会社の住友重機械搬送システムが、三菱重工マシナリーテクノロジーから産業用クレーン事業を譲り受けた。受け皿の住友重機械搬送システムには、2013年4月に本体の物流システムと機械式駐車場の事業を移していた。この譲受は運搬機械の事業基盤を強化し、「高収益への反転」を図る施策だった。中計16の設備投資は3年500億円から700億円へ積み増され、産業用クレーンは国内設備を更新する側に入った。海外に振り向けてきた投資の一部を、老朽化の進んだ国内工場へ戻す判断だった。2017年3月には建設用クレーンの日立住友重機械建機クレーンも子会社とし、クローラクレーンまで品揃えを広げた。

  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [204]2015年10月、吸収分割により住友重機械搬送システムが三菱重工マシナリーテクノロジーの産業用クレーン事業を譲受
    • [205]2013年4月、吸収分割により物流システム事業・機械式駐車場事業を住友重機械搬送システムへ移管
    • [209]2017年3月、株式取得により日立住友重機械建機クレーンを子会社化(クローラクレーン等の建設機械)
  • 住友重機械工業 Integrated Report 2017
    • [206]Return to Higher Levels of Profitabilityの施策として三菱重工マシナリーテクノロジーの産業用クレーン事業を引き取り、運搬機械の事業基盤を強化
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート2016
    • [207]中計16の設備投資計画を3年500億円から700億円へ増額。主要設備投資に産業用クレーン等の国内生産設備増強・更新(成長&高収益)
    • [208]海外中心に投資してきたが、海外市場の先行き不透明感が増す一方、業績堅調な国内工場で老朽化が進んでいた

2017年6月、住友重機械工業は英Amec Foster Wheelerから、循環流動層ボイラの事業会社FW Energieを買い取った。3月の説明資料は取得の目的に、エネルギー分野の成長と海外展開に加え、2021年12月以降に切れる技術ライセンスの確保を挙げた。競合に先に買われるのを防ぐことも、目的の一つに数えていた。納入実績は住友重機械が日本とアジアの小型缶、相手方が世界の中・大型缶で、地域と容量を互いに補えると説明した。取得原価は228億38百万円で、のれん126億45百万円の償却期間は20年とした。提携先の技術に依存したまま契約が切れれば、ボイラの事業そのものを続けられなくなるおそれがあったのだろう。

  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [210]2017年6月、オランダの循環流動層ボイラメーカーFW Energie B.V.を買収
  • 住友重機械工業 決算説明会資料「循環流動層ボイラ事業取得について」(2017年3月2日)
    • [211]買収の目的=エネルギー分野での成長戦略、CFBボイラ事業の海外展開拡充、現行技術ライセンス契約失効後(2021年12月以降)の技術・ブランド確保
    • [212]買収の目的の4番目=競合による買収阻止
    • [213]住友重機械は日本・アジア(中印除く)と小規模容量、AFWは全世界と中〜大規模容量で互いに補完
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2018年3月期)【企業結合等関係】
    • [214]FW Energieの取得原価22,838百万円、のれん12,645百万円を20年で均等償却
参考文献[197]-[214]
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2019年3月期)【役員の状況】
    • [197]別川俊介 2012年4月 代表取締役兼執行役員副社長・CFO、2013年4月 代表取締役社長兼CEO
  • 住友重機械工業 決算説明会資料「中期経営計画2016」(2014年5月9日)
    • [198]社長 別川俊介、2014年5月9日。冒頭に前中計「イノベーション21」の総括
    • [199]2013年度 計画→実績 売上高7,300億円→6,153億円、営業利益730億円→343億円、ROIC10%以上→4.8%
    • [200]エリア別:海外への積極的な投資が成長に結びついていない、欧州は投資に対して伸び悩み
    • [201]残された課題=買収子会社との統合・シナジーの実現(PTC、プラスチック機械)、PTC・プラスチック機械・建設機械の収益性向上
    • [202]2016年度財務目標 売上高7,000億円、営業利益率7.5%、ROIC7%以上、配当性向30%
  • 住友重機械工業 Integrated Report 2017
    • [203]営業利益率は2015・2016年度とも7.2%で中計16の目標水準にほぼ到達、売上高は1年前倒しで目標達成
    • [206]Return to Higher Levels of Profitabilityの施策として三菱重工マシナリーテクノロジーの産業用クレーン事業を引き取り、運搬機械の事業基盤を強化
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [204]2015年10月、吸収分割により住友重機械搬送システムが三菱重工マシナリーテクノロジーの産業用クレーン事業を譲受
    • [205]2013年4月、吸収分割により物流システム事業・機械式駐車場事業を住友重機械搬送システムへ移管
    • [209]2017年3月、株式取得により日立住友重機械建機クレーンを子会社化(クローラクレーン等の建設機械)
    • [210]2017年6月、オランダの循環流動層ボイラメーカーFW Energie B.V.を買収
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート2016
    • [207]中計16の設備投資計画を3年500億円から700億円へ増額。主要設備投資に産業用クレーン等の国内生産設備増強・更新(成長&高収益)
    • [208]海外中心に投資してきたが、海外市場の先行き不透明感が増す一方、業績堅調な国内工場で老朽化が進んでいた
  • 住友重機械工業 決算説明会資料「循環流動層ボイラ事業取得について」(2017年3月2日)
    • [211]買収の目的=エネルギー分野での成長戦略、CFBボイラ事業の海外展開拡充、現行技術ライセンス契約失効後(2021年12月以降)の技術・ブランド確保
    • [212]買収の目的の4番目=競合による買収阻止
    • [213]住友重機械は日本・アジア(中印除く)と小規模容量、AFWは全世界と中〜大規模容量で互いに補完
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2018年3月期)【企業結合等関係】
    • [214]FW Energieの取得原価22,838百万円、のれん12,645百万円を20年で均等償却

2019年〜下村真司社長の造船撤退と、渡部敏朗社長の希望退職を含む構造改革

2019年4月、建設機械子会社の社長を務めた下村真司氏が、住友重機械工業の社長兼CEOに就任した。同年11月には英国のインバータメーカーInvertek Drivesを買収し、前年6月に取ったイタリアのモータメーカーLafertに続けた。Invertekの取得原価は126億31百万円で、取得の理由にはLafertのモータ技術と組み合わせることが挙げられた。これで減速機にモータとインバータが加わり、駆動装置を欧州の拠点から一式で販売する体制が整った。ただ2019年度に終えた前計画の利益目標は、欧州経済の停滞や米中の貿易摩擦で未達に終わった。FW Energie、Lafert、Invertekの3件の買収は、事業拡大の施策に位置づけられていた。

  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【役員の状況】
    • [215]下村真司 2016年4月 住友建機代表取締役社長、2019年4月 住友重機械工業代表取締役社長兼CEO
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [216]2018年6月イタリアの産業用モータメーカーLafert S.p.A.を買収、2019年11月英国のインバータメーカーInvertek Drives Ltd.を買収
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2020年3月期)【企業結合等関係】
    • [217]Invertek Drivesの取得原価12,631百万円、Lafertのモータ技術との融合を取得理由に挙げる
    • [218]ギヤ・モータ・制御製品を欧州の拠点から一体で提供する体制づくりが、FW Energie以降の取得に共通する理由
  • 住友重機械工業 Integrated Report 2020
    • [219]中計2019の最終年度に利益目標を達成できず、要因は欧州経済の停滞・米中貿易摩擦・台風被害
    • [220]成長のためのM&Aとして2017年Sumitomo SHI FW Energie、2018年Lafert、2019年Invertek Drivesを連結

決算期を12月へ移した2022年12月期の9カ月決算で、住友重機械工業は263億54百万円の特別損失を計上した。中心はSHI FWの減損で、固体燃料ボイラの市場縮小を理由に、のれん102億3百万円と無形資産75億41百万円を落とした。当時CFOだった渡部敏朗氏は、2026年の統合報告書で、過去の投資を洗い直した末の減損だったと振り返った。その上で『we should have recognized it earlier』(訳:もっと早く認識すべきだった)と書いている。造船では、下村真司社長が2024年2月に示した「中期経営計画2026」で、一般商船の新規受注を2024年度から止めると決めた。同月の説明会で渡部敏朗氏は、2012年ごろからの船価低迷で建造隻数を絞り、新造船は実質赤字で修理船の利益でも補えなくなったと答えた。

  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2022年12月期)【連結損益計算書関係】
    • [221]2022年12月期(決算期変更による9か月決算)の特別損失26,354百万円、うち減損損失21,182百万円
    • [222]Sumitomo SHI FW Energieののれん10,203百万円・無形固定資産7,541百万円を減損、固体燃料焚ボイラ市場が大幅に縮小
  • 住友重機械工業 Integrated Report 2026
    • [223]CFO就任後、過去の投資を率直かつ厳格に見直した結果として大きな減損を計上した
    • [224]振り返れば、もっと早く認識し、ROEの改善に早く取り組むべきだった
  • 住友重機械工業 決算説明会資料「中期経営計画2026」(2024年2月14日)
    • [225]新造船事業からの撤退:一般商船建造は2024年度以降の新規受注を停止し、受注残の引き渡しをもって終了(社長 下村真司、2024年2月14日)
  • 住友重機械工業 決算説明会 質疑応答(2024年2月14日)
    • [226]渡部CFO:2012〜2013年以降の船価低迷で受注・建造隻数を絞り、新造船は実質赤字。修理船の収益でもカバーしきれず赤字が続いた。中計策定のポートフォリオ見直しで決断

2026年1月、CFOの渡部敏朗氏が社長兼CEOに就任し、下村真司氏は会長となった。欧州の買収事業では、2025年2月の説明会でLafertとDEMAGの2024年度の大幅な赤字を認め、人員と生産能力の削減を示していた。社長として臨んだ2026年2月の説明会では500名規模の希望退職が話題となり、加算金など25億〜30億円を特別損失に見込むと答えた。改革の中心は油圧ショベルで、渡部敏朗社長は『油圧ショベルは、まずは規模を追わなくても利益が出る体質に変えるということを、考えていきます。』と語った。成長事業は次の中計で3つ程度の「骨太事業」に絞るとし、半導体関連をその1つに加えるかは今後決めるとした。減損の計上が遅れた反省から、先に不採算事業の整理を終え、そのあとで成長の筋書きを示す順番を選んだとみられる。

  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【役員の状況】
    • [227]渡部敏朗 2026年1月 代表取締役社長兼CEO、下村真司 2026年1月 代表取締役会長
  • 住友重機械工業 決算説明会 質疑応答(2025年2月14日)
    • [228]欧州事業の構造改革ロードマップ(Lafert・DEMAG・SHI FW)。LafertとDEMAGは2024年度に大きな赤字、人員削減と生産能力の圧縮でコスト削減
  • 住友重機械工業 決算説明会 質疑応答(2026年2月10日)
    • [229]500名規模の希望退職。一時費用(加算金)25〜30億円を特別損失として2026年度予想に織り込み
    • [230]渡部社長:油圧ショベルは売上が落ちると利益が上がらない体質で、まず規模を追わなくても利益が出る体質に変える
    • [231]次期中計で骨太事業を3つプラスアルファで明確にする。メカトロニクスは一つ、半導体関連を打ち出すかは中計策定の中で決める
参考文献[215]-[231]
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【役員の状況】
    • [215]下村真司 2016年4月 住友建機代表取締役社長、2019年4月 住友重機械工業代表取締役社長兼CEO
    • [227]渡部敏朗 2026年1月 代表取締役社長兼CEO、下村真司 2026年1月 代表取締役会長
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
    • [216]2018年6月イタリアの産業用モータメーカーLafert S.p.A.を買収、2019年11月英国のインバータメーカーInvertek Drives Ltd.を買収
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2020年3月期)【企業結合等関係】
    • [217]Invertek Drivesの取得原価12,631百万円、Lafertのモータ技術との融合を取得理由に挙げる
    • [218]ギヤ・モータ・制御製品を欧州の拠点から一体で提供する体制づくりが、FW Energie以降の取得に共通する理由
  • 住友重機械工業 Integrated Report 2020
    • [219]中計2019の最終年度に利益目標を達成できず、要因は欧州経済の停滞・米中貿易摩擦・台風被害
    • [220]成長のためのM&Aとして2017年Sumitomo SHI FW Energie、2018年Lafert、2019年Invertek Drivesを連結
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2022年12月期)【連結損益計算書関係】
    • [221]2022年12月期(決算期変更による9か月決算)の特別損失26,354百万円、うち減損損失21,182百万円
    • [222]Sumitomo SHI FW Energieののれん10,203百万円・無形固定資産7,541百万円を減損、固体燃料焚ボイラ市場が大幅に縮小
  • 住友重機械工業 Integrated Report 2026
    • [223]CFO就任後、過去の投資を率直かつ厳格に見直した結果として大きな減損を計上した
    • [224]振り返れば、もっと早く認識し、ROEの改善に早く取り組むべきだった
  • 住友重機械工業 決算説明会資料「中期経営計画2026」(2024年2月14日)
    • [225]新造船事業からの撤退:一般商船建造は2024年度以降の新規受注を停止し、受注残の引き渡しをもって終了(社長 下村真司、2024年2月14日)
  • 住友重機械工業 決算説明会 質疑応答(2024年2月14日)
    • [226]渡部CFO:2012〜2013年以降の船価低迷で受注・建造隻数を絞り、新造船は実質赤字。修理船の収益でもカバーしきれず赤字が続いた。中計策定のポートフォリオ見直しで決断
  • 住友重機械工業 決算説明会 質疑応答(2025年2月14日)
    • [228]欧州事業の構造改革ロードマップ(Lafert・DEMAG・SHI FW)。LafertとDEMAGは2024年度に大きな赤字、人員削減と生産能力の圧縮でコスト削減
  • 住友重機械工業 決算説明会 質疑応答(2026年2月10日)
    • [229]500名規模の希望退職。一時費用(加算金)25〜30億円を特別損失として2026年度予想に織り込み
    • [230]渡部社長:油圧ショベルは売上が落ちると利益が上がらない体質で、まず規模を追わなくても利益が出る体質に変える
    • [231]次期中計で骨太事業を3つプラスアルファで明確にする。メカトロニクスは一つ、半導体関連を打ち出すかは中計策定の中で決める

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歴史年表 1888〜2026年

住友重機械工業の沿革1888〜2026年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1888〜1927年住友別子鉱業所工作方の設立と鉱山向け機械の修理製作住友別子鉱業所工作方を設立★
1928〜1960年住友機械製作所の設立とサイクロ社との提携、戦後の上場と経営危機住友機械製作所を設立★
サイクロ社と提携★★
東京証券取引所に株式上場★
経営危機と鮫島龍雄社長引責辞任★★
1961〜1986年浦賀重工業との合併による造船・産業機械の総合化木村音吉名古屋製造所を新設★
市川恒雄射出成形機に参入★★
市川恒雄造船大手の取り込みによる重工業メーカーへの転換

1969年6月30日、機械専業だった住友機械工業が造船大手の浦賀重工業を10対5.5の比率で吸収合併し、住友重機械工業が発足した。合併後の資本金は71億6,000万円、従業員は1万人をわずかに超える規模となった。別子銅山の内製工場を出自とする会社が、造船部門を抱える重工業メーカーへ移った合併である。

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★★★
岩崎信彦追浜造船所開設★
岩崎信彦愛媛製造所西条工場を新設★
西村恒三郎Eaton社と合弁で住友イートンノバを設立★★
合田茂住友建機を設立★
1987〜2007年造船・製鉄機械での人員削減と射出成形機・半導体装置への軸足移動合田茂主力2部門を対象とした1,700人の人員削減と事業規模の縮小

1987年2月、住友重機械工業は造船・製鉄機械など不況部門の35歳以上の社員1,600人を対象に希望退職の募集に踏み切った。1986年12月からの3カ月で、希望退職1,300人、出向などとあわせて1,700人を削減している。中期経営計画から必要な人材を選り分ける基準を作り、対象者一人ひとりに直接その意向を伝えるやり方をとった。

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★★★
日納義郎大規模な赤字★
日納義郎1,000名削減・年収15%カットを実施★★
日納義郎造船事業を住友重機械マリンエンジニアリングへ分社★
2008〜2026年Demag Ergotech・Hansenなどの買収による機械事業の拡大と新造船からの撤退中村吉伸欧州機械メーカーを続けて取り込む5社連続取得

住友重機械工業は2008年3月3日のドイツ・デマーグ3社の取得を皮切りに、2011年3月ベルギーのHansen Industrial Transmissions、2017年6月オランダのFW Energie、2018年6月イタリアのLafert、2019年11月英国のInvertek Drivesと、欧州の機械メーカー5社を相次いで取得した。造船・建設機械への依存を下げ、ギヤ・プラスチック機械・エネルギー・電機駆動の各分野で欧州拠点を揃える事業拡張であった。

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★★★
中村吉伸SEN-SHI・アクセリスを完全子会社化★
中村吉伸ベルギーHansen Industrial Transmissionsを買収★
別川俊介別川俊介氏が社長に就任★
別川俊介三菱重工の産業用クレーン事業を譲受★
下村真司下村真司氏が社長に就任★
下村真司Invertek Drivesを買収★
下村真司特別損失約263億円★
下村真司新造船事業からの撤退を発表★★
渡部敏朗渡部敏朗氏が社長に就任★
渡部敏朗500名規模の希望退職を実施方針★★
出典・参考 60件
出典・参考
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート1998
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート2003「株主、顧客、従業員の皆様へ」
  • 住友重機械工業 決算説明会資料「FY2007 Financial Summary」(2008年5月14日)
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート2008「前中期経営計画『躍進07』について」
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2008年3月期)【企業結合等関係】
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート2008
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート2010
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート2011「前中期経営計画『グローバル21』の総括」
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート2011
  • 住友重機械工業 決算説明会資料「中期経営計画2016」(2014年5月9日)
  • 住友重機械工業 アニュアルレポート2016
  • 住友重機械工業 決算説明会資料「循環流動層ボイラ事業取得について」(2017年3月2日)
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2018年3月期)【企業結合等関係】
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2019年3月期)【役員の状況】
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2020年3月期)【企業結合等関係】
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2022年12月期)【連結損益計算書関係】
  • 住友重機械工業 決算説明会 質疑応答(2024年2月14日)
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
  • 住友重機械工業 有価証券報告書(2025年12月期)【役員の状況】
  • 住友重機械工業 決算説明会 質疑応答(2025年2月14日)
  • 住友重機械工業 決算説明会資料「中期経営計画2026」(2024年2月14日)
  • 住友重機械工業 決算説明会 質疑応答(2026年2月10日)
  • 株式会社年鑑 1953年版「住友機械工業」
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「住友機械工業」
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「住友金属鉱山」
  • 株式会社年鑑 1955年版「住友機械工業」
  • 株式会社年鑑 1956年版「住友機械工業」
  • 株式会社年鑑 1957年版「住友機械工業」
  • 株式会社年鑑 1960年版「住友機械工業」
  • 企業の歴史 : 明治百年(1968年)「住友機械工業」
  • 日本産業史 第2巻 機械・輸送機(日本経済新聞社、1994年)「産業機械-『傾斜生産』で再起」
  • 週刊日本経済 1967年3月23日号
  • 証券アナリストジャーナル 1969年7巻10号
  • 日経ビジネス 1974年5月13日号
  • 証券アナリストジャーナル 1976年14巻10号
  • 日経ビジネス 1987年3月30日号
  • 日経ビジネス 1992年10月19日号
  • 日経ビジネス 1993年2月15日号
  • 日経ビジネス 1993年5月3日号
  • 日経ビジネス 1999年5月31日号
  • 日経ビジネス 2002年2月11日号
  • 日本企業要覧 1962年版「住友機械工業」
  • 日本企業要覧 1967年版「住友機械工業」
  • 日本企業要覧 1968年版「住友機械工業」
  • 日本企業要覧 1974年版「住友重機械工業」
  • 日本企業要覧 1978年版「住友重機械工業」
  • 日本企業要覧 1979年版「住友重機械工業」
  • 日本企業要覧 1981年版「住友重機械工業」
  • 私の住友昭和史(1988年)10章「企業再建と二つの合併」住友重機械相談役 西村恒三郎談
  • 私の住友昭和史(1988年)3章「本社の改組と戦時体制」
  • 私の住友昭和史(1988年)「企業再建と二つの合併」西村恒三郎談
  • 住友重機械工業 Annual Report 1998「To Our Shareholders」
  • 住友重機械工業 Annual Report 1999「To Our Shareholders」
  • 住友重機械工業 Annual Report 2000「To Our Shareholders」
  • 住友重機械工業 Annual Report 2001「Message」
  • 住友重機械工業 Annual Report 2002「To Our Shareholders」
  • 住友重機械工業 次期中期経営計画説明会資料「グローバル21」(2007年11月30日)
  • 住友重機械工業 Integrated Report 2017
  • 住友重機械工業 Integrated Report 2020
  • 住友重機械工業 Integrated Report 2026

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