住友重機械工業

の歴史

創業

1888年

創業者

※住友別子鉱業所

創業地

愛媛県新居浜

直近売上高(2025/12)

10,668億円

住友重機械工業の長期業績と経営の転換点売上高と利益率の長期推移
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1888年に別子銅山で生まれた機械部門は、戦後の競争市場で経営危機に陥ったのか
A 外に売る発想が育たなかったためである。1888年に別子銅山で発足した住友別子鉱業所工作方は、鉱山経営に必要な機械を内製で賄うための部門で、グループの注文を請ければよく、製品を絞らず何でも作るゼネラリスト体質を抱えたまま戦後を迎えた。終戦と財閥解体でグループ発注の理由が消えると、外販競争に晒された機械部門は1955年3月期に最終赤字6.9億円を計上し、当時の資本金2.7億円を上回る破綻寸前まで追い込まれた
Q なぜ1969年に造船の浦賀重工業と合併し、重工業メーカーへ転じたのか
A 互いの不足を補う取引だったためである。1955年の経営危機を専門工場の分散と製品の絞り込みで切り抜けた住友機械工業は、造船進出で売上規模を一段広げたかった。一方の浦賀重工業は累積赤字約30億円を抱え、30万トン級タンカー時代に対応する新ドックの建設資金を住友グループの金融力に求めていた。1969年6月の合併で従業員約1万名の住友重機械工業が発足し、鉱山内製工場が造船という異質な領域を抱える重工業メーカーへ脱皮した
Q なぜ2024年に55年続けた新造船事業から撤退し、半導体・メカトロニクスへ絞り込んだのか
A 造船が稼げない事業に変わり、循環依存を断つ必要があったためである。1985年のプラザ合意後の円高で造船は採算が振れ、近年は船価低迷で受注隻数を絞った結果、修理船収益でもカバーしきれない実質赤字に陥っていた。住友重機械工業は2024年2月、中期経営計画26と同時に1969年合併以来55年続けた新造船からの撤退を決め、空いた横須賀のドックを建設機械の生産へ転用した。2026年1月にCFOから昇格した渡部敏朗社長も撤退方針を引き継ぎ、半導体イオン注入装置などへ経営資源を集中させている

1888年〜 別子銅山発の産業機械メーカーとしての歩み

  1. 1888年住友別子鉱業所工作方を設立
  2. 1934年住友機械製作所株式会社を設立
  3. 1935年独サイクロ社と提携
  4. 1949年東京証券取引所に株式上場
  5. 1954年経営危機と鮫島社長引責辞任
  6. 1961年名古屋製造所を新設
  7. 1966年射出成形機に参入

住友重機械工業の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

別子銅山が生んだ機械工場と戦前の歩み

住友重機械の原点は、1888年に愛媛県新居浜の別子銅山で発足した住友別子鉱業所工作方にある。鉱山経営に必要な機械設備を内製化するために設置された工作部門で、三菱が長崎造船所を起点に造船・重機の外販へ振り向けたのに対し、住友財閥は鉱山経営が中核で機械部門は鉱山向けの内製工場だった。1968年刊の社史『企業の歴史 明治百年』によれば、別子鉱業所の機械課に発したこの工場は1928年に住友別子鉱山株式会社新居浜製作所へ改称され、1934年11月に資本金500万円の住友機械製作所株式会社として独立、1940年には1拠点体制のまま現在の前身となる住友機械工業へ改称した。社名と資本金を重ねつつも、住友グループ向けの産業機械を請け負う色彩が強く、グループ外への積極的な営業展開は行われなかった。出自が鉱山内製工場であるという事情は、戦後の競争市場に晒された際の営業力不足として、長く同社の経営課題に残った。 [1][2][3][4][5]

  • 住友重機械工業 有価証券報告書 第130期(2025年12月期)【沿革】
    • [1]1888年に別子銅山で住友別子鉱業所工作方が発足(住友重機械の原点)
    • [2]1928年に住友別子鉱山株式会社新居浜製作所へ改称
    • [3]1934年11月に資本金500万円で独立(社名は有報【沿革】では「住友機械製作株式会社」)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [4]別子鉱業所の機械課に発し1928年改称・1934年資本金500万円で独立した経緯を明治百年が記述
    • [5]1940年に1拠点体制のまま住友機械工業へ改称(現社名の前身)

1935年には独サイクロ社と提携し、歯車を使わずに減速を実現するサイクロ減速機に参入した。これが戦前唯一の先発参入事業となり、戦後の主力製品として長く同社を支え続ける柱となる。ただしこれ以外では、プレス機・輸送機械・電線機械・化学機械・鉱山機械・精錬機械まで何でも作るゼネラリスト路線で、グループ外への外販に弱い体質を抱えたまま戦後を迎えた。住友グループ以外への販売力不足は、戦後の財閥解体で経営課題として噴き出した。製品ラインナップを絞り込まず、あらゆる機械領域に少しずつ手を出す戦前の経営スタイルは、規模を確保する代わりに個別事業の競争力を育てにくい構造だったと言える。戦前財閥系企業に共通する特徴で、戦後市場では弱点となった。 [6]

  • 住友重機械50年史
    • [6]1935年に独サイクロ社と提携しサイクロ減速機へ参入
  • 住友重機械工業 有価証券報告書 第130期(2025年12月期)【沿革】
    • [1]1888年に別子銅山で住友別子鉱業所工作方が発足(住友重機械の原点)
    • [2]1928年に住友別子鉱山株式会社新居浜製作所へ改称
    • [3]1934年11月に資本金500万円で独立(社名は有報【沿革】では「住友機械製作株式会社」)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [4]別子鉱業所の機械課に発し1928年改称・1934年資本金500万円で独立した経緯を明治百年が記述
    • [5]1940年に1拠点体制のまま住友機械工業へ改称(現社名の前身)
  • 住友重機械50年史
    • [6]1935年に独サイクロ社と提携しサイクロ減速機へ参入

財閥解体後の最初の経営危機と拠点分散化

終戦と財閥解体は住友機械の営業基盤を崩した。財閥色を避けるため1945年12月にいったん四国機械工業へ改称し、講和後の1952年5月に旧社名の住友機械工業へ復した経緯もこの時期にあたる。住友グループからの発注理由が消え、市場競争に晒される一方、新居浜1拠点・総合化志向のコスト構造は改善されず、1954年3月期と1955年3月期に2期連続で赤字に転落した。1955年3月期の最終赤字は6.9億円に達し、当時の資本金2.7億円を上回る水準となった。1954年9月末の自己資本比率は4%まで低下し、大手財閥企業の債務超過危機として注目を浴びた。戦後間もない時期の財閥系企業の経営危機としては深刻な水準であり、グループ金融機関からの支援を前提としなければ債務超過を回避できない局面に陥った。戦前のゼネラリスト体質が、戦後の競争市場では致命的な弱点として噴き出しており、住友機械にとっての再出発点となった。 [7][8][9]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [7]1945年12月に四国機械工業へ改称
    • [8]1952年5月に旧社名の住友機械工業へ復元
  • 経済時代 28(3)(1963年)
    • [9]1955年3月期の最終赤字は6.9億円(資本金2.7億円を上回る)

緊急対応として資産再評価積立金を取り崩して欠損を補填し、債務超過を辛うじて回避した。鮫島竜雄社長は引責辞任した。この危機を経て1961年には名古屋製造所、1965年には千葉製造所と専門工場を次々に新設し、新居浜1拠点体制からの脱却が始まる。1966年にはスイスのネスタール社と提携して射出成形機に参入し、後のプラスチック機械事業の原点となった。住友機械が産業機械のゼネラリストから、個別分野で合理化された工場を持つメーカーへと形を変え始めた時期である。専門工場ごとに製品を割り当て、新居浜の総合工場では吸収できない効率化を実現しようとする動きが、危機対応の延長として進められていった時期にあたる。戦後の経営危機を土台に、同社は少しずつ専門化と拠点分散を進めていくこととなる。 [10][11][12][13]

  • 住友重機械50年史
    • [10]経営危機を受けて鮫島竜雄社長が引責辞任
    • [13]1966年にスイスのネスタール社と提携し射出成形機へ参入
  • 住友重機械工業 有価証券報告書 第130期(2025年12月期)【沿革】
    • [11]1961年に名古屋製造所を新設
    • [12]1965年に千葉製造所を新設
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [7]1945年12月に四国機械工業へ改称
    • [8]1952年5月に旧社名の住友機械工業へ復元
  • 経済時代 28(3)(1963年)
    • [9]1955年3月期の最終赤字は6.9億円(資本金2.7億円を上回る)
  • 住友重機械50年史
    • [10]経営危機を受けて鮫島竜雄社長が引責辞任
    • [13]1966年にスイスのネスタール社と提携し射出成形機へ参入
  • 住友重機械工業 有価証券報告書 第130期(2025年12月期)【沿革】
    • [11]1961年に名古屋製造所を新設
    • [12]1965年に千葉製造所を新設

1969年〜 浦賀重工業との合併と重工業メーカーへの転換

  1. 1969年住友機械工業と浦賀重工業が合併
  2. 1972年追浜造船所(現横須賀製造所)開設
  3. 1983年米Eaton社と合弁で住友イートンノバを設立
  4. 1987年造船部門中心に1,000名希望退職
  5. 2001年大規模な赤字
  6. 2002年1,000名削減・年収15%カットを実施
  7. 2003年新日本造機を完全子会社化

住友重機械工業の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

浦賀重工業との合併で重工業メーカーへ

1969年6月、住友機械工業は大手造船メーカーの浦賀重工業と合併し、住友重機械工業が発足した。合併後の従業員数は約1万名で、規模において大手機械メーカーの一角を占めた。住友機械側の狙いは造船進出による売上規模の拡大にあり、浦賀側の狙いは新ドック建設資金の確保だった。浦賀重工業は合併時点で累積赤字約30億円を抱え、30万トン級タンカー時代に対応する投資余力を失っていたため、住友グループの金融力を求めて合併に踏み切った構図である。互いの不足を補う形の合併だったが、住友機械が造船事業を取り込んで重工業メーカーへ脱皮する決定的な一歩になった。鉱山内製工場として出発した会社が、造船という全く異なる重工業領域を抱え込む大転換で、以後の半世紀の経営課題の多くはこの合併にさかのぼる構図を持つ。 [14][15][16]

  • 住友重機械工業 有価証券報告書 第130期(2025年12月期)【沿革】
    • [14]1969年6月に住友機械工業と浦賀重工業が合併し住友重機械工業が発足
  • 住友重機械工業 有価証券報告書【沿革】
    • [15]合併後の従業員数は約1万名
    • [16]浦賀重工業は合併時点で累積赤字約30億円を抱えていた

1972年、住友重機械は追浜造船所(現横須賀製造所)を新設し、50万トンドックを備えた。50万トン級タンカーの受注に対応するための戦略投資であり、1973年には愛媛製造所西条工場も新設された。1983年には米Eaton Corporationと合弁で住友イートンノバ(SEN)を設立し、高電流イオン注入装置NV-10の生産を開始する。祖業の産業機械・新事業の造船・新規参入の半導体装置という3本立てが揃ったが、このとき半導体装置はあくまで傍流に位置付けられており、当時の主力はあくまで造船と建機であった。3本立ての事業構成が、数十年後にどの事業が生き残り、どの事業が主役になるかを巡る長いポートフォリオ改革の出発点となった構図である。当時の経営判断は必ずしも戦略的に一貫していたわけではなく、結果的に半導体装置が残るという偶然に近い側面もあった。 [17][18][19]

  • 住友重機械工業 有価証券報告書 第130期(2025年12月期)【沿革】
    • [17]1972年に追浜造船所(現横須賀製造所)を新設し50万トンドックを備えた
    • [18]1973年に愛媛製造所西条工場を新設
    • [19]1983年に米Eaton Corporationと合弁で住友イートンノバ(SEN)を設立しNV-10を生産開始
  • 住友重機械工業 有価証券報告書 第130期(2025年12月期)【沿革】
    • [14]1969年6月に住友機械工業と浦賀重工業が合併し住友重機械工業が発足
    • [17]1972年に追浜造船所(現横須賀製造所)を新設し50万トンドックを備えた
    • [18]1973年に愛媛製造所西条工場を新設
    • [19]1983年に米Eaton Corporationと合弁で住友イートンノバ(SEN)を設立しNV-10を生産開始
  • 住友重機械工業 有価証券報告書【沿革】
    • [15]合併後の従業員数は約1万名
    • [16]浦賀重工業は合併時点で累積赤字約30億円を抱えていた

プラザ合意後の造船不況と繰り返されるリストラ

1985年のプラザ合意による円高ドル安進行は造船業界を直撃した。国内造船の採算が一層悪化し、1987年に住友重機械は造船部門を中心に1,000名規模の希望退職を募集した。合田茂会長は後年「あんな経験は2度としたくない」(日経ビジネス 1993/2/15)と回想しており、会社にとって忘れがたい転換点になった局面である。以後、住友重機械は建設機械・射出成形機・ギヤモータ・半導体装置という非造船分野への比重を高めた。1969年の合併で取り込んだ造船事業が、わずか18年で採算上の負担に転じたという展開は、重工業の景気循環の厳しさを象徴する出来事でもあり、この時期の経営判断が、後の事業ポートフォリオ改革を長期的に方向づけていく結果となった。非造船分野への比重のシフトは以後約40年続く取り組みとなる。 [20][21][22]

  • 住友重機械工業 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1985年のプラザ合意による円高ドル安が造船業界を直撃
  • 日経ビジネス(1993年2月15日)
    • [21]1987年に造船部門中心に約1,000名規模の希望退職を募集
    • [22]合田茂会長が「あんな経験は2度としたくない」と回想

しかし危機は繰り返された。2001年にも造船・建機不振が重なって赤字を計上し、2002年には1,000名削減と年収15%カットに踏み切る。当時若手だった下村真司(のち2019年に社長就任)は後年、最も業績が厳しかった2001年ごろの大赤字を強く記憶に刻んでいると振り返っている。1987年と2002年の2度の大リストラが、経営陣の世代を越えて引き継がれる原体験となった構図である。2度目の希望退職は年収カットも伴っており、当時の若手社員が体感した経営の厳しさは、その世代が以後の事業再構築を主導する立場に繋がっていく点でもあった。2度の経営危機を経験した世代の言動が、会社全体の行動様式を方向づけていくこととなる。 [23][24][25]

  • 住友重機械工業 有価証券報告書【沿革】
    • [23]2001年に造船・建機不振で赤字を計上
    • [24]2002年に1,000名削減と年収15%カットを実施
    • [25]下村真司は2019年に社長就任し、2001年ごろの大赤字を強く記憶していると回想
  • 住友重機械工業 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1985年のプラザ合意による円高ドル安が造船業界を直撃
    • [23]2001年に造船・建機不振で赤字を計上
    • [24]2002年に1,000名削減と年収15%カットを実施
  • 日経ビジネス(1993年2月15日)
    • [21]1987年に造船部門中心に約1,000名規模の希望退職を募集
    • [22]合田茂会長が「あんな経験は2度としたくない」と回想
    • [25]下村真司は2019年に社長就任し、2001年ごろの大赤字を強く記憶していると回想

海外M&Aの積み増しと半導体装置の独立

2000年代後半以降、住友重機械は海外M&Aによる事業拡張へ方針を変えた。2008年3月の独Demag Ergotech(現SHI Demag)買収でプラスチック射出成形機の欧州拠点を確保し、2011年3月のベルギーHansen Industrial Transmissions(産業用ギヤボックス)、2017年6月のオランダFW Energie(循環流動層ボイラ、現SHI FW)、2018年6月のイタリアLafert(産業用モータ)、2019年11月の英国Invertek Drives(インバータ)と立て続けに買収を実行した。ギヤ・プラスチック機械・エネルギー・電機駆動のそれぞれで欧州拠点を揃える体制を組み上げ、国内造船・建機への依存を下げる方向に動いた形である。造船に依存しない体質への転換という経営方針が、M&Aで具体的に進んだ時期でもあり、欧州勢を取り込むことでブランドと顧客基盤を拡張する狙いだった。買収後のPMIの負荷を考慮しても、造船偏重からの脱却が優先されたという経営判断が見える構図である。 [26][27][28][29][30]

  • 住友重機械工業 有価証券報告書 第130期(2025年12月期)【沿革】
    • [26]2008年3月に独Demag Ergotech(現SHI Demag)を買収しプラスチック射出成形機の欧州拠点を確保
    • [27]2011年3月にベルギーHansen Industrial Transmissionsを買収
    • [28]2017年6月にオランダFW Energie(循環流動層ボイラ、現SHI FW)を買収
    • [29]2018年6月にイタリアLafert(産業用モータ)を買収
    • [30]2019年11月に英国Invertek Drives(インバータ)を買収

この間、2009年3月には1983年以来の米Eatonとのイオン注入装置合弁を解消し、SEN-SHI・アクセリスカンパニーを取得額114億円で完全子会社化した。26年越しで半導体装置事業が住友単独の戦略事業になった瞬間であり、後のパワー半導体向け装置需要拡大を取り込む基盤が整った局面である。造船合併以来の重工業ポートフォリオに、半導体装置という別の顔が加わったが、当時はまだ「プラスアルファの事業」という位置付けで、主役になるのは2020年代に持ち越された。後の渡部体制で骨太事業の筆頭に据え直される道筋は、この完全子会社化によって初めて開かれていた。Eaton時代の合弁運営では実現しにくかった一気通貫ソリューションへの取り組みが、単独運営をきっかけに本格化する余地が生まれた。 [31][32]

  • 住友重機械工業 有価証券報告書 第130期(2025年12月期)【沿革】
    • [31]2009年3月に1983年以来の米Eatonとのイオン注入装置合弁を解消
  • 住友重機械工業 有価証券報告書【沿革】
    • [32]SEN-SHI・アクセリスカンパニーを取得額114億円で完全子会社化
  • 住友重機械工業 有価証券報告書 第130期(2025年12月期)【沿革】
    • [26]2008年3月に独Demag Ergotech(現SHI Demag)を買収しプラスチック射出成形機の欧州拠点を確保
    • [27]2011年3月にベルギーHansen Industrial Transmissionsを買収
    • [28]2017年6月にオランダFW Energie(循環流動層ボイラ、現SHI FW)を買収
    • [29]2018年6月にイタリアLafert(産業用モータ)を買収
    • [30]2019年11月に英国Invertek Drives(インバータ)を買収
    • [31]2009年3月に1983年以来の米Eatonとのイオン注入装置合弁を解消
  • 住友重機械工業 有価証券報告書【沿革】
    • [32]SEN-SHI・アクセリスカンパニーを取得額114億円で完全子会社化

2019年〜 新造船撤退と半導体装置を軸にした事業再構築

  1. 2019年下村真司が社長就任
  2. 2019年英国Invertek Drivesを買収
  3. 2022年特別損失約263億円
  4. 2024年新造船事業からの撤退を発表
  5. 2024年中期経営計画26を発表
  6. 2024年欧州子会社構造改革を本格化
  7. 2025年株主還元を800億円から700億円に下方修正

住友重機械工業の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

下村真司体制の始動と法令順守最優先の経営

2019年4月、下村真司が社長に就任した。2001年の大赤字を経験した世代が社長に就いたことで、事業ポートフォリオ見直しが本格化する局面に入った。就任時は下村の前に別川俊介が2012年から6年間社長を務めており、ほぼ6〜7年サイクルで社長が交代する住友重機械の安定した人事の延長線上での就任だった。就任直後のインタビューで下村は法令順守最優先の企業体質構築を急ぐと発言しており、過去の不祥事や品質問題への対応を経営の軸に据えた。経営危機の記憶と品質ガバナンスの強化という2つの軸が、下村体制の基本姿勢として打ち出された。過去の不祥事や品質問題が経営課題として繰り返し登場した同社の歴史を踏まえた発言でもあった。 [33][34][35]

  • 住友重機械工業 有価証券報告書 第130期(2025年12月期)【沿革】
    • [33]2019年4月に下村真司が社長就任
  • 住友重機械工業 有価証券報告書【役員の状況】
    • [34]下村の前任は別川俊介で2012年から社長を務めた
    • [35]就任直後のインタビューで下村は法令順守最優先の企業体質構築を急ぐと発言

2022年12月期には特別損失約263億円を計上した。造船・建機関連の減損処理を含む損失で、翌年の新造船撤退決定の布石になった動きである。あわせて住友重機械建機クレーンを完全子会社化し、グループ内の建機事業を再整理している。中計23期間中に事業ポートフォリオ再編を一通り終え、次の中計26で重点投資領域への積み上げフェーズに入る構想が固まった。しかしコロナ禍からの回復過程での中計23はポートフォリオ変革の土台作りに留まり、本格的な事業選別は中計26に持ち越された。減損処理を先行させて事業譲渡・撤退を実行しやすい環境を整える、段階を踏んだ改革アプローチが取られた構図である。過去2度の経営危機を教訓にした慎重な手順として受け止められている。 [36]

  • 住友重機械工業 有価証券報告書 第130期(2025年12月期)【沿革】
    • [36]住友重機械建機クレーンを完全子会社化
  • 住友重機械工業 有価証券報告書 第130期(2025年12月期)【沿革】
    • [33]2019年4月に下村真司が社長就任
    • [36]住友重機械建機クレーンを完全子会社化
  • 住友重機械工業 有価証券報告書【役員の状況】
    • [34]下村の前任は別川俊介で2012年から社長を務めた
    • [35]就任直後のインタビューで下村は法令順守最優先の企業体質構築を急ぐと発言

55年続けた新造船事業からの撤退

2024年2月、住友重機械は中期経営計画26と同時に新造船事業からの撤退を発表した。1969年の浦賀重工業合併から55年続けた事業の終了であり、1972年に建設した追浜の50万トンドックを手放すことも意味した。撤退理由として渡部敏朗CFO(当時)は「2012〜2013年以降は船価低迷で受注も苦しい状況下で、受注する隻数、建造隻数も絞り込んできたことで、実質赤字で来ている」(決算説明会資料)と明言し、住友重機械マリンエンジニアリングが修理船収益でも赤字をカバーしきれなくなった状況を認めた。祖業の一つである造船からの撤退は、同社の事業ポートフォリオを決定的に組み替える動きであり、重工業メーカーとしての自己定義そのものを見直すきっかけとなった。合併当時に得た50万トンドックが、55年を経て次の主力事業の生産拠点として転用される展開も、同社史の節目である。 [37][38][39]

  • 住友重機械工業 中期経営計画26(2024年2月発表)
    • [37]2024年2月に中期経営計画26と同時に新造船事業からの撤退を発表
  • 住友重機械工業 有価証券報告書【沿革】
    • [38]1969年の浦賀重工業合併から55年続けた新造船事業の終了
  • 住友重機械工業 2023年12月期決算説明会 質疑応答(2024年2月14日)
    • [39]渡部敏朗CFO(当時)が造船は2012〜2013年以降実質赤字と説明

受注残7隻は2026年1月ごろまでに順次引き渡す計画とされ、固定資産は既に減損処理済みだったため追加の貸借対照表インパクトは限定的だった。空いた横須賀のドック・建屋は住友建機の35トン以上の油圧ショベルおよび解体機の生産拠点に転用され、千葉工場は中小型量産機に特化する体制になった。造船から建機・半導体への物理的な生産リソース移転が始まった場面である。50万トン級ドックのような特殊用途資産を他事業の拠点として再利用するという判断は、撤退と再編を一体のものとして設計する住友重機械の経営方針を象徴している。単に撤退するだけではなく、資産を次の主軸事業に振り向ける発想が、下村体制の実務的な強みとなった。 [40][41]

  • 住友重機械工業 2023年12月期決算説明会 質疑応答(2024年2月14日)
    • [40]受注残7隻は2026年1月ごろまでに順次引き渡す計画
    • [41]横須賀ドックは35トン以上の油圧ショベル・解体機の生産拠点に、千葉は中小型量産機に特化
  • 住友重機械工業 中期経営計画26(2024年2月発表)
    • [37]2024年2月に中期経営計画26と同時に新造船事業からの撤退を発表
  • 住友重機械工業 有価証券報告書【沿革】
    • [38]1969年の浦賀重工業合併から55年続けた新造船事業の終了
  • 住友重機械工業 2023年12月期決算説明会 質疑応答(2024年2月14日)
    • [39]渡部敏朗CFO(当時)が造船は2012〜2013年以降実質赤字と説明
    • [40]受注残7隻は2026年1月ごろまでに順次引き渡す計画
    • [41]横須賀ドックは35トン以上の油圧ショベル・解体機の生産拠点に、千葉は中小型量産機に特化

欧州M&A群の構造改革と株主還元の下方修正

中計26のスタートと同時に、2008年以降に積み上げた欧州M&A事業群の構造改革も本格化した。Lafert(産業用モータ)、DEMAG(プラスチック機械)、SHI FW(CFBボイラ)の3社は2024年12月期に赤字に陥っており、2025年2月の決算説明会では人員削減・生産能力圧縮を含む構造改革ロードマップが提示された。買収から5〜16年経ってまとめて構造改革が必要になった構図で、欧州の需要急減とコスト構造の硬直性、そしてポスト・コロナのエネルギーコスト上昇が重なった結果である。買収直後のPMIでは見えなかった構造的な問題が、長期経営の過程で積み上がった。Lafert・DEMAGの改革効果は2025年度予想に数十億円単位で織り込まれたが、それだけでは抜本的な黒字化には届かず、欧州事業の建て直しは中計26期間を通じた経営課題として残る局面となった。 [42]

  • 住友重機械工業 2024年12月期決算説明会(2025年2月)
    • [42]Lafert・DEMAG・SHI FWの3社は2024年12月期に赤字で、2025年2月に構造改革ロードマップを提示

同時に、中計26で掲げた株主還元計画800億円は700億円に下方修正された。営業キャッシュフローの目減りを受けて自社株買いを機動的判断に切り替える対応であり、PBR1倍割れ解消を狙った資本政策そのものが早くも計画未達の兆候を見せ始めた。2024年12月期の親会社株主純利益は77億円と前年の327億円から落ち込み、中計26の前提が崩れた局面である。下村体制での構造改革は道半ばで次のバトンを渡すことになり、就任以来実施したポートフォリオ改革の成果を数字で示す前に交代となった。新造船撤退という大仕事は下村体制で決着したが、欧州M&A群の黒字化や半導体装置の本格成長という新しい課題は渡部体制に託された。 [43]

  • 住友重機械工業 2024年12月期決算説明会(2025年2月)
    • [43]中計26の株主還元計画800億円を700億円へ下方修正
  • 住友重機械工業 2024年12月期決算説明会(2025年2月)
    • [42]Lafert・DEMAG・SHI FWの3社は2024年12月期に赤字で、2025年2月に構造改革ロードマップを提示
    • [43]中計26の株主還元計画800億円を700億円へ下方修正

住友重機械工業の沿革1888〜2026年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
住友別子鉱業所工作方を設立★★★
住友機械製作所株式会社を設立★★
独サイクロ社と提携★★
東京証券取引所に株式上場★★★
経営危機と鮫島社長引責辞任★★★
名古屋製造所を新設★★
射出成形機に参入★★
住友機械工業と浦賀重工業が合併★★★
追浜造船所(現横須賀製造所)開設★★
愛媛製造所西条工場を新設
米Eaton社と合弁で住友イートンノバを設立★★
住友建機株式会社を設立
造船部門中心に1,000名希望退職★★
日納義郎大規模な赤字★★
日納義郎1,000名削減・年収15%カットを実施★★
日納義郎新日本造機を完全子会社化★★
日納義郎造船事業を住友重機械マリンエンジニアリングへ分社★★
中村吉伸独Demag Ergotechを買収★★
中村吉伸SEN-SHI・アクセリスを完全子会社化★★
中村吉伸ベルギーHansen Industrial Transmissionsを買収★★
別川俊介別川俊介が社長就任★★
別川俊介三菱重工の産業用クレーン事業を譲受
別川俊介オランダFW Energie(CFBボイラ)を買収★★
下村真司イタリアLafertを買収★★
下村真司下村真司が社長就任★★★
下村真司英国Invertek Drivesを買収★★
下村真司特別損失約263億円★★
下村真司新造船事業からの撤退を発表★★
下村真司中期経営計画26を発表★★
下村真司欧州子会社構造改革を本格化★★
渡部敏朗株主還元を800億円から700億円に下方修正★★
渡部敏朗が社長就任★★
新日本造機を酉島製作所へ事業譲渡★★
500名規模の希望退職を実施方針★★
2027年度営業利益700億円以上・ROE6%以上を目標★★
出典・参考
  • 住友重機械工業 有価証券報告書 第130期(2025年12月期)【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • 住友重機械50年史
  • 経済時代 28(3)(1963年)
  • 住友重機械工業 有価証券報告書【沿革】
  • 日経ビジネス(1993年2月15日)
  • 日本経済新聞(2024年5月7日)
  • 住友重機械工業 有価証券報告書【役員の状況】
  • 東洋経済オンライン(2022年7月15日)
  • 住友重機械工業 中期経営計画26(2024年2月発表)
  • 住友重機械工業 2023年12月期決算説明会 質疑応答(2024年2月14日)
  • 住友重機械工業 2024年12月期決算説明会(2025年2月)

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