コマツの歴史

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沿革

1921年に竹内鉱業から分離独立し石川県小松町に設立された小松製作所が起源。

1947年完成のD50から国産ブルドーザーを育て、1998年に稼働管理システムKomtraxを開発した。建設機械・車両の日本以外の売上高比率が91%に達する、世界の鉱山と工事現場を相手にする建機大手である。

1921年/1922年1934年1952年1988年2006年2017年2026年小松製作所1921年設立小松電気製鋼所1922年竹内鉱業より譲受株式上場1934年上場池貝自動車製造1952年吸収合併・川崎中越電化工業1952年吸収合併・氷見ドレッサー1988年合弁設立コマツ電子金属2006年SUMCOへ譲渡ジョイグローバル2017年買収決断
コマツ
歴代社長と長期業績(敬称略)
2026年3月期
連結
売上高
41,328億円
売上高純利益率
9.1%
出所:有価証券報告書
中村河合良成河合良一能川田中片田安崎坂根野路大橋小川今吉
売上高0億円売上高0億円売上高1億円売上高81億円売上高793億円売上高3,154億円売上高6,050億円売上高9,993億円売上高17,020億円売上高18,550億円売上高41,328億円純利益率5.6%純利益率19%純利益率1.9%純利益率6.7%純利益率4.7%純利益率5.8%純利益率2.2%純利益率1.4%純利益率6.7%純利益率7.4%純利益率9.1%1921/31926/31931/31936/31941/31946/31951/31956/31961/31966/31971/31976/31981/31986/31991/31996/32001/32006/32011/32016/32021/32026/3
  1. 小松製作所を設立[2]
  2. 竹内鉱業より小松電気製鋼所を譲受[2]
  3. 市販プレス第1号の450t成形プレスを製作[3]
  4. 農耕用トラクターの国産第1号が完成[3]
  5. 専務取締役として経営を率いてきた中村税氏が社長に就任[1]
  6. 東京株式取引所に上場[3]
  7. 高級鋳物・特殊鋼材の研究と製造を開始[3]
  8. 粟津工場を新設。トラクターを量産[2]
  9. 大型油圧成形プレスの生産を開始[3]
  10. 国産ブルドーザーを試作[3]
  11. 河合良成氏が社長就任
  12. 占領軍のガソリン供給停止命令を受け、農林省がトラクター発注を白紙撤回。経営危機へ[1]
  13. 「D50ブルドーザー」1号機が完成[3]
  14. ディーゼルエンジンの生産を開始[3]
売上高
  • 売上高
コマツ売上高—
就任年社長氏名役職名
1934年中村税取締役社長→取締役会長
歴史詳細を読む竹内鉱業からの独立とトラクター国産化による「第二の敗戦」

筆者所見

創業から敗戦後までの小松製作所は、官の発注に事業の命運を委ねた会社だった。農林省の要請で始めたトラクターは、1947年の発注の白紙撤回によって、総生産額の6割以上を一度に失う「第二の敗戦」に転じた[1]。単一の発注者に依存する収益構造の脆さが、ここで露呈したと言える。陸軍の命令で試作したブルドーザーの設計が手元に残り、民需の建設機械へ軸足を移す出発点になった。

  1. [1]小松製作所五十年の歩み : 略史(社史)
  1. 東京、大阪の両証券取引所に株式を上場[2]
  2. 米軍向け軍需砲弾の生産を強化
  3. 本社を小松から東京・丸の内へ移転[3]
  4. 大阪工場を新設[2]
  5. 池貝自動車製造を吸収合併し川崎工場に 中越電化工業を吸収合併し氷見工場に[2]
  6. フォークリフトの生産を開始[3]
  7. ダンプトラック・特殊車両の生産を開始[3]
  8. アルゼンチン向けモーターグレーダーの輸出契約を締結[3]
  9. ブルドーザーへ転換
  10. 中国向け第一次建設機械輸出契約を締結[3]
  11. インド国防省とトラクター国産化の技術援助契約を締結[3]
  12. マルA対策で品質集中[3]
  13. 米カミンズ社とディーゼルエンジンの技術提携契約を締結[3]
  14. 小山工場を新設[2]
  15. 米ビサイラス・エリー社と油圧ショベルの技術提携契約を締結[3]
  16. インドに初の海外駐在員事務所を設立[3]
  17. 河合良一氏が社長に就任[4]
  18. デミング賞実施賞を受賞[3]
  19. 米インターナショナルハーベスター社と合弁事業契約を締結[3]
  20. 本社新社屋(小松ビル)が竣工[3]
  21. 小松ヨーロッパを設立[3]
売上高当期純利益率
  • 売上高
  • 当期純利益率
コマツ1967年12月期売上高1,063億円売上高当期純利益率4.8%
歴史詳細を読む砲弾特需によるブルドーザー量産とマルA対策

筆者所見

小松製作所を建設機械の専業へ押し上げた契機は、キャタピラーの日本上陸という外圧だった。1962年に同社が新三菱重工業との合弁を発表したとき、自社のブルドーザーはオーバーホールまで3000時間が限度で、相手の5000時間に及ばなかった[1]。マルA対策は、合弁の認可が遅れた1年を品質の改善に充て、弱点を全社の最優先課題とした判断である。砲弾特需の縮小を見越したブルドーザーへの転換が量産の基盤を整え、そこに輸出に耐える品質が加わった。

  1. [1]小松製作所五十年の歩み : 略史(社史)
安定成長期

1968年〜油圧ショベルへの参入と小松アメリカの設立

  1. 油圧ショベルに参入[3]
  2. 小山工場にエンジン総合工場が完成[3]
  3. 小松アメリカを設立。海外輸出に注力
  4. 小松シンガポールを設立[3]
  5. 小型プレス分野に参入[3]
  6. 氷見鋳鋼工場が竣工[3]
  7. ディナ小松を設立[3]
  8. コマツブラジルで初の海外現地生産機「D50A」が完成[3]
  9. 小松オーストラリアを設立[3]
  10. 日本品質管理賞を受賞[3]
  11. 能川昭二氏が社長に就任[4]
  12. 小松インドネシアを設立[3]
  13. レーザー加工機を発売[3]
  14. 小松アメリカマニュファクチャリングを設立[3]
  15. メカトロニクス、新素材開発等の先端的高度技術研究のための研究所を新設[2]
  16. 英国小松を設立[3]
  17. 小松インダストリーズヨーロッパを設立[3]
売上高当期純利益率
  • 売上高
  • 当期純利益率
コマツ1986年12月期売上高6,050億円売上高当期純利益率2.2%

筆者所見

油圧ショベルと海外生産の20年で小松製作所が遂げたのは、ブルドーザー単品の会社から総合建機メーカーへの移行だった。1968年に油圧ショベルの製造へ参入し、1975年にはコマツブラジルで初の海外現地生産機を完成させた[3]。油圧ショベルへの参入は自主開発の遅れを提携で補い、ブルドーザーで築いた直販網を差別化要因とした後発参入である。建設機械の需要が国ごとの公共投資に左右される以上、生産地の分散は品目の拡充と同じ重みを持つ投資だった。

  1. [3]コマツ 公式サイト「沿革」(2026年10月)
低迷期

1987年〜河合良一会長の社長解任と脱建機路線での不採算事業撤退

  1. 河合会長が能川社長を解任。経営が混乱へ
  2. 田中正雄氏が社長に就任[4]
  3. ドレッサーと合弁設立[2]
  4. 片田哲也氏が社長に就任[5]
  5. ハノマーグ社に資本参加[3]
  6. 欧州事業を統括する欧州小松を設立[3]
  7. エヌエスコマツを設立[3]
  8. ファイ社に資本参加[3]
  9. コマツ電子金属へ巨額投資[5]
  10. 日米にカミンズ社とのエンジン合弁会社2社を設立[3]
  11. 不採算事業から撤退
  12. 産業機械に関する営業の一部を譲渡[2]
  13. 次世代ステッパー光源「エキシマレーザ」の事業化を開始[3]
  14. 小松常林建機公司を設立[3]
  15. 安崎暁氏が社長に就任[6]
  16. 小松山推建機公司を設立[3]
  17. バンコックコマツを設立[3]
  18. デマーグコマツを設立[3]
  19. モジュラーマイニングシステムズ社に資本参加[3]
  20. コマツ南部アフリカを設立[3]
  21. 同年10月に鋳造事業の営業を譲渡[2]
  22. Komtrax(機械稼働管理システム)を開発[3]
  23. エルアンドティーコマツを設立[3]
  24. ヘンズレー・インダストリーズ社を買収[3]
売上高当期純利益率
  • 売上高
  • 当期純利益率
コマツ2000年3月期売上高10,556億円売上高当期純利益率1.3%

筆者所見

1990年代のコマツは、建設機械の景気変動への対策を本業の外に求め、その代償を次の経営陣が払うことになった。1993年には脱建機を掲げ、シリコンウエハーへの積極投資を決めた[5]。非建機分野への多角化は、専業メーカーが先行する市場への後発参入であり、半導体の市況変動という別の景気循環を新たに負う選択でもあった。1998年に開発したKomtraxが後に本業の競争力へ転じたことを考えれば、成長の種はむしろ建設機械の内側にあった。

  1. [5]日経ビジネス「コマツ。非建機拡大へ脱モーレツ 休暇充実や“直訴”制度化」(1993年11月22日)
転換期

2001年〜坂根正弘のダントツ経営と電子金属・農機事業の譲渡

  1. 建設機械の地域統括会社「小松(中国)投資公司」を設立[3]
  2. 第一次経営構造改革とダントツ商品[7]
  3. ダントツ経営で構造改革に着手[7]
  4. Komtraxの標準搭載を開始[3]
  5. パルテック・フォレスト社を買収し林業機械に参入[3]
  6. コマツウェイを制定[3]
  7. コマツ電子金属の株式の過半をSUMCOに譲渡[2]
  8. 茨城工場・金沢工場を新設[2]
  9. 農林機器事業をハスクバーナ・ジャパンに譲渡[2]
  10. 無人ダンプトラック運行システム(AHS)を世界で初めて市場導入[3]
  11. 日平トヤマの株式の過半を取得[2]
  12. ハイブリッド油圧ショベルを世界で初めて市場導入[3]
  13. 日平トヤマを株式交換により完全子会社化[2]
  14. 国内の建設機械販売・サービス事業をコマツ建機販売に再編[2]
  15. 大型プレス機械の製品開発、販売・サービス事業を吸収分割によりコマツ産機に承継[2]
  16. コマツユーティリティを吸収合併[2]
  17. ギガフォトンを完全子会社化[3]
  18. 発祥の地の石川県小松市に「こまつの杜」が開設[3]
  19. コマツディーゼルを吸収合併[2]
売上高当期純利益率
  • 売上高
  • 売上原価
  • 販管費
  • その他費用
  • 営業利益
  • 当期純利益率
コマツ2016年3月期売上高18,550億円売上高当期純利益率7.4%

筆者所見

坂根正弘氏の改革の要諦は、何を伸ばすかより先に、何をやめるかを決めた順序にある。コマツ電子金属の株式の過半を2006年にSUMCOへ、農林機器事業を2007年にハスクバーナ・ジャパンへ譲渡した[2]。第一次経営構造改革は、1990年代の多角化を清算し、経営資源を建設機械の差別化へ集め直す作業だった。2008年に世界で初めて市場導入した無人ダンプトラック運行システムは、この集中が鉱山機械という次の成長領域へ通じたことを示す。

  1. [2]有価証券報告書(2025年6月16日)
安定成長期

2017年〜ジョイグローバル買収による鉱山機械の拡大

  1. 米ジョイ・グローバル買収[2]
  2. コマツ特機を吸収合併[2]
  3. コマツキャステックスを吸収合併[2]
  4. バッテリー駆動式ミニショベルを市場導入[3]
  5. 創立100周年[3]
  6. スマートコンストラクション事業の一部をランドログ(現EARTHBRAIN)に承継[2]
  7. コマツキャブテックを吸収合併[2]
  8. UMW Komatsu Heavy Equipmentを完全子会社化[8]
  9. 今吉琢也氏が社長に就任[8]
売上高営業利益率
  • 売上高
  • 売上原価
  • 販管費
  • その他費用
  • 営業利益
  • 営業利益率
コマツ2026年3月期売上高41,328億円売上高営業利益率13.7%

筆者所見

直近の10年でコマツは、建設機械に加えて、鉱山の採掘工程を広く担う機械を主力に据えた。2017年4月にジョイグローバルを買収し、超大型の露天掘り向けと坑内掘り向けの鉱山機械を品揃えに加えた[2]。ジョイ・グローバルの買収は、公共投資に左右される建設需要の波に対し、資源開発という別の需要の源泉を厚くする選択だった。鋳鋼から建設機械へと用途を移してきた同社にとって、鉱山機械の拡大は手元の技術を隣接する需要へ広げる手法の延長線上にある。

  1. [2]有価証券報告書(2025年6月16日)
出典・参考8件
出典・参考
  • [1]小松製作所五十年の歩み : 略史(社史)
  • [2]有価証券報告書(2025年6月16日)
  • [3]コマツ 公式サイト「沿革」(2026年10月)
  • [4]日経ビジネス 1988年11月7日号「『ソフトな粘り強さ』河合良一・小松製作所会長」
  • [5]日経ビジネス「コマツ。非建機拡大へ脱モーレツ 休暇充実や“直訴”制度化」(1993年11月22日)
  • [6]日経ビジネス 1995年9月11日号「新社長登場 安崎暁氏[コマツ]」
  • [7]金融庁FRTC「『ダントツ経営』〜代を重ねるごとに強くなる会社〜」(坂根正弘・)(2012年3月19日)
  • [8]臨時報告書

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