2022/3 売上高28,023億円
2022/3 営業利益2,249億円
2022/3 従業員-
創業1921年
創業地石川県小松市
創業者-

コマツは1921年に竹内鉱業の機械部門が独立して設立された。戦後の混乱期を経て米軍向け砲弾で経営を安定させたが、売上高の72%を砲弾に依存する危うい構造であった。1956年に大阪工場の生産をブルドーザーに転換して建機メーカーへ業態転換し、キャタピラー社の日本進出に対しては品質改善に一点集中する防衛戦略で国内シェア60%超を維持した。油圧ショベルへの後発参入も既存の直販網を活用して8年で首位を獲得し、世界第2位の建設機械メーカーの地位を固めた。

歴史概略

第1期: 鉱山機械から建機メーカーへの転換(1921〜1960)

創業と戦後の経営危機

1921年に竹内鉱業の機械部門が独立する形で小松製作所が設立された。石川県小松に本拠を構え、鉱山機械・採掘機械のほか電気鋳鋼にも従事した。1931年に農林省の要請でトラクター製造を開始し、1938年に粟津工場を新設して満州向けに本格販売した。戦時中の1943年には国産ブルドーザーの試作に取り組んだが量産には至らなかった。

終戦後は農林省のトラクター発注が白紙撤回され経営危機に陥った。工場の100日ストライキを経て、元官僚の河合良成が社長に就任して労働問題の解決に奔走した。1949年から米軍向け砲弾の生産で経営を安定させたが、売上高の72%を砲弾に依存する構造は「米軍次第で浮き沈みする危険な事業」と証券アナリストから指摘された。

実業の世界 1955/7

ブルドーザーへの業態転換

1947年にD50ブルドーザーを完成させて以降、毎年のように新型機種を投入し、1954年には生産累計1000台を突破していた。朝鮮戦争終結で砲弾需要の縮小が確定的になると、1956年に大阪工場の生産をブルドーザーに全面転換する方針を決定した。日本政府の道路整備5カ年計画の実施やダム建設需要に支えられ、1959年12月期に売上高92億円・利益7億円強の過去最高を記録した。

建設機械が総生産高の約70%を占めるまでに事業構成が変化し、わずか3年で砲弾依存から建機メーカーへの転換が完了した。転換決定の10年前から蓄積されたブルドーザーの開発実績が、即座に量産体制へ移行できる基盤となった。

証券時報 1960/2

第2期: キャタピラー対抗と総合建機化(1961〜1995)

マルA対策とキャタピラーへの品質防衛

1960年に日本政府が資本自由化大綱を公表すると、世界最大手のキャタピラー社が新三菱重工と合弁でキャタピラー三菱を設立した。河合良成社長は通産省に抗議したが阻止は困難と判断し、対抗策を品質改善に一点集中させた。全社的品質管理を導入し、部品4000点のうち3200点に課題を発見する網羅的な調査を実施した。1961年には社内の反対を押し切って米カミンズ社のエンジン搭載にも踏み切った。

1963年に品質改善を反映したD50Aを発売し、クレーム発生数は従来の5分の1に減少した。並行して1960年から1964年に120億円、1969年から1970年に500億円の設備投資を実施した。コマツはブルドーザーの国内シェア60〜65%を維持し、キャタピラー三菱との2社寡占構造が形成された。

「歴史をつくる人々 第4」ダイヤモンド社 1964

油圧ショベルへの後発参入と首位獲得

建機市場の主力がブルドーザーから油圧ショベルへ移行する中、コマツは約10年遅れで1968年に参入した。米ビサイラス・エリー社との技術提携を基盤に油圧ショベル「15-H」の生産を開始したが、参入初年度の国内シェアは14%にとどまった。転機は1972年に投入した改良型「15HT-2」で、耐久性の向上が建設現場からの引き合いを増やした。

コマツの販売拠点数は国内650カ所に達し、キャタピラー三菱の200カ所、日立建機の350カ所を大きく上回っていた。ブルドーザーの顧客層と重複する油圧ショベルの拡販に既存の直販網が有効に機能し、1976年に国内シェア首位を獲得した。1987年にはシェア32%に到達し、ブルドーザーと油圧ショベルの双方で首位を持つ唯一の建機メーカーとなった。

週刊日本経済 1969/2

第3期: グローバル建機メーカーとしての成長(1993〜現在)

Komtraxとデジタル化の先駆

1970年代以降、コマツは海外輸出に注力し、小松アメリカの設立を起点にグローバル展開を加速させた。しかし1987年には河合会長が能川社長を解任する経営混乱も経験した。1993年には脱建機を掲げてシリコンウエハー(コマツ電子)に積極投資したが、信越化学に追随できず撤退に至っている。

1998年に機械稼働管理システムKomtraxを開発し、建機の稼働状況をリモートで監視する仕組みを実現した。IoTの概念が普及する以前に機械のデジタル化を実用化した先駆的な取り組みであり、顧客に対する付加価値の提供と建機市況の予測に活用された。Komtraxの稼働データは景気動向の先行指標としても注目されるようになった。

有価証券報告書 沿革

ジョイグローバル買収と直近の業績

2017年4月に米国の鉱山掘削機械メーカーであるジョイグローバル社(従業員数13400名)を買収した。石炭の露天掘りの鉱山機械に強みを持つ同社の取得により、コマツはマイニング事業のフルラインナップ化を実現した。建設機械に加えて鉱山機械の製品群を揃えることで、キャタピラー社に対抗する総合建機・鉱山機械メーカーとしての体制を整えた。

2022年3月期の連結売上高は2兆8023億円・当期純利益2249億円であった。1921年に石川県の片田舎で鉱山機械メーカーとして出発し、砲弾依存からの業態転換、キャタピラーとの品質競争、油圧ショベルの後発逆転、Komtraxによるデジタル化の先駆、そしてマイニング事業の強化という段階を経て、世界第2位の建設機械メーカーの地位を固めている。

有価証券報告書 沿革

重要な意思決定

19565
ブルドーザーの量産投資に注力

売上高の72%を砲弾に依存していた小松製作所が3年間で建設機械中心の収益構造へ転換できた背景には、転換決定の10年前から蓄積されたブルドーザーの開発実績がある。1947年以降に複数機種の設計・製造を継続していたことで、砲弾需要の縮小が確定した段階で即座に量産体制へ移行できる技術的基盤が整っていた。需要消失後に新事業を模索するのではなく、事前の技術蓄積が業態転換の速度と確度を規定した構造である。

19619
全社的品質管理を推進

キャタピラー三菱の設立に際し河合良成社長は通産省への政治的阻止を断念し、対抗策を品質改善に一点集中させた。販売網と生産体制では劣位になく、唯一の弱点であった品質に経営資源を集中する判断であった。部品4000点のうち3200点に課題を発見する網羅的な品質調査と、社内の抵抗を押し切ったカミンズ製エンジンの導入により、クレーム発生数を5分の1に削減。限られた資本で巨大企業に対抗する際に、勝負の論点を絞り込む戦略設計の事例である。

19685
油圧ショベルの製造に参入

コマツが油圧ショベルに約10年遅れで参入しながら8年で国内首位を獲得できた要因は、技術力よりも販売網の構造的優位にある。国内650カ所の直販拠点はキャタピラー三菱の200カ所、日立建機の350カ所を大きく上回り、ブルドーザーと油圧ショベルの顧客層が重複していたことで既存網がそのまま拡販に機能した。後発企業が先発を逆転する構造として、製品そのものではなく販売チャネルの規模が競争優位を決定した事例である。

出所