ユニオン化学研究所を設立
デンタルバーの国産化
海軍の元技師であった片山一郎氏は、知人から米国で普及していたデンタルバー(歯の治療に使用するドリル)の開発を依頼された。精密機器であったため、米国からの輸入品が主流でありコストが高かったことから、国産化のために技術力を持つ片山一郎氏に声がかかった。
片山一郎氏は海軍時代に大砲の設計に従事した経験があった。デンタルバーでも大砲と同様に「精密・硬度」が要求されたことから、大砲設計のノウハウを転用することで、デンタルバーの開発に従事。この結果、デンタルバーの国産化に成功。1960年12月14日「にユニオン化学研究所」を設立して、株式会社として本格的な会社経営をスタートした。ユニオン化学研究所の創業地は東京都大田区中央2-23-1であり、1970年代に拠点を新潟県長岡市内に移転するまでは都内で事業活動に従事した。
技術開発型の企業を志向
このためユニオンツールは技術開発型の企業として発展。創業者の片山一郎氏は、休日や深夜でも自身でドリルの図面をひくなど、製品開発に没頭したという。
もともと当社は、歯科材料の分野から出発したのですが、歯科用タングステン・カーバイト・バー、いわゆる歯科医の使うデンタル・バーですね。このドリルの生産を主な仕事にしていました。デンタルバーの生産では、国内のトップメーカーでした。といっても、元来需要の多いものではなくて、作っていたのがうちぐらいだったという方が正しいんですね。
デンタル・バーのアメリカでの需要は月100万本、これに対して日本のそれはたった3万本。アメリカでは1人の患者に1本使って捨てるところを、日本では1本を1〜2ヶ月使うのです。それで需要が少ない。
PCBドリルに本格参入
IBMからプリント配線板向けドリルの試作依頼
1970年頃に米IBMはプリント配線板(PCB:Printed Circuit Board)における「導通穴」の形成に必要なドリル「PCBドリルを生産可能な企業を探していた。プリント配線板は半導体関連の部品であり、実装密度を高めるために導通穴を極限まで小さくする必要があった。このため、従来の一般的な精密ドリル以上の精密さ(直径0.1mm以下)を要求され、当時、実現可能な企業は存在しなかった。
IBMは三菱金属にPCBドリルの試作を相談し、ユニオンツールは三菱金属を介して、IBMからの試作の相談を受諾した。ユニオンツールはデンタルバーの国産化で精密ドリルの技術を蓄積しており、プリント配線板向けのPCBドリルの試作を開始した。
コスト削減で競合優位(設備内製化・結合技術による原価低減)
ユニオンツールはPCBドリルへの本格参入を決定し、1971年には商号を「ユニオン化学研究所」から「ユニオンツール」に変更した。
PCBドリルの市場には、三菱金属、住友電工や東芝ダンガロイといった大企業が参入したため、ユニオンツールは徹底したコストダウンにより対抗する道を選択した。
設備面では、工具の生産に必要な製造装置を内製化することで生産のリードタイムを短縮化を志向した。ドリルの製造における各フロー(ドリルの溝彫り→削り屑の除去→刃先の研磨→検査)においてユニオンツールが独自に開発した製造装置を活用。これにより、設備投資額を抑制するとともに、ドリルの品種に合わせた生産設備の柔軟な付け替えが可能となり、新製品が必要になった際の生産開始までのリードタイムを短縮した。
製品であるドリル刃については「刃先だけを超合金として、シャフト部分をステンレス」に結合する技術を開発。結合には「瞬間冷却・加熱」といった高度な技術を開発して対応した。このため、競合他社がドリルのすべてを高価な超硬合金で製造する中で、ユニオンツールは原価低減を実現した。
この結果、生産設備と原価の両面において、ユニオンツールは競合比較でコスト優位性を構築した。
国内シェア1位を確保
1980年代を通じてユニオンツールはPCBドリルにおいてシェアを拡大。この時期には半導体の需要が増大したことで、プリント配線板の市場も拡大したことで、結果としてPCBドリルの市場規模も拡大した。この結果、1990年前後にユニオンツールはPCBドリルにおいて、国内シェア40%(1位)を確保し、大手の競合メーカーを抑えた。
当社は長年にわたり、30%近くもの非常に高い売上高経常利益率を保ってきたが、その理由の一つは、製品の加工に、全て自社開発の専用加工機械を使っていることだ。これらの加工機械は、その製品を作るのに最適の機構で、最高の品質の製品を、最高の効率でという思想のもとに設計されている。また、これらの当社独自の技術は製品の品質にも大きく反映させ、例えば、PCBドリルのフルート(溝切り研磨盤)は業界他メーカーに先駆けること10年も前に全自動化され、その安定した品質は全世界で評価が高い。
こうして一生懸命やってきた結果、当社の製品は国内市場で40数%、全世界市場で25%のシェアを占めるに至っている。しかし、当社は他社のシェアを食っていこうという姿勢を一切とっていない。
商号をユニオンツールに変更
ローラーガイドの生産開始
直線運動軸受「ローラーガイド」の生産を開始
長岡工場を新設
片山一郎氏は、知人から経営難に直面した工場を取得。新潟県長岡市内にてユニオンツールの長岡工場を新設した。以後、ユニオンツールは長岡市内において生産拠点を集中配置する。
父の友人が新潟県にいまして、長岡市の隣の小千谷市で船の舵などを製造する造船関係の会社の社長をしていました。転機になったのは、その会社の経営が悪化し、父が引き取ったことです。そんな縁もあって小千谷市に近い長岡市妙見町に工場をつくり、その後、現在の場所(長岡市南陽)に移りました。(略)
ユニオンツールがここまで飛躍的に大きく育ったのは長岡のおかげです。雪国の感性なのか、長岡工場に勤務する人たちは忍耐強く真面目に仕事をしてくれますし、ロボットを導入するなどといった新しいアイデアも積極的に出してくれます。会社の生産体制を支えてくれている人たちを大切にしたいですし、地域の方々にも工場を作った当初から大変お世話になっているので、何か恩返しをしたいといつも思っていました
米国に現地生産法人を新設
トルーガイドの生産開始
直線運動軸受「トルーガイド」の生産を開始
台湾に現地生産法人を新設
長岡第2工場を新設
スイスに現地法人を新設
超硬エンドミル「ユニマックスシリーズ」の販売開始
株式を店頭公開
1989年6月にユニオンツールは株式の店頭公開を実施。株式の増資により28.5億円を調達し、設備投資(長岡第3工場の新設・研究開発投資)に充当する方針を打ち出した。
今後はこうした資金を設備投資と研究開発投資に充ていく考えであり、当面、長岡に総額13億円を投じて第3工場(床面積8,000m2)を建設する。雪解けを待って着工し、年末に完成の予定で、これによりPCBドリルの生産能力を20%アップする計画だ。株式公開による利点は、このように良質の資金を得られるようになったのと、社会的信用が高まったことで、非常にありがたく思っている。
PCBドリルでシェア確保
ユニオンツールは生産設備を内製化することで、家電メーカーなどの顧客に対する納入スピードを向上。競合が1年かかるところを、ユニオンツールは3ヶ月で増産可能な体制を構築し、顧客から支持された。
この結果、1992年時点でユニオンツールはPCBドリルの世界シェア25%(国内シェア40%)を確保。国内の競合は、住友電工、東芝タンガロイ、三菱マテリアルなどの大手起業であったが、ユニオンツールがトップシェアを確保した。
長岡第3工場を新設
中国(上海)に現地生産法人を設立
東京証券取引所第2部に株式上場
名称 | 保有比率 | 備考 |
片山貴雄 | 28.9% | 創業家 |
株式会社晃永 | 23.% | 片山家の資産管理会社と推定 |
東京都民銀行 | 3.1% | 取引先銀行 |
三菱銀行 | 3.0% | 取引先銀行 |
片山一郎 | 3.0% | ユニオンツール創業者 |
片山八重子 | 2.5% | 創業家 |
ユニオンツール社員持株会 | 2.2% | - |
長岡第4工場を新設
東京証券取引所第1部に株式上場
長岡第5工場を新設
中国(東莞)に現地生産法人を新設
米国におけるPCBドリルの生産を中止
見附工場を新設
ULFコートドリル・新接合ドリルを生産開始
創業者の片山一郎氏が逝去
ユニオンツールの創業者である片山一郎氏が91歳にて逝去