ディスコ の歴史

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創業 1937年
創業者 関家三男
創業地 広島県呉市
創業 1937年5月、関家三男氏が広島県呉市で工業用砥石を作る第一製砥所を個人営業とし
1937年5月、関家三男氏が広島県呉市で工業用砥石を作る第一製砥所を個人営業として興した。海軍工廠の街で砲弾の研磨に使う砥石を納め、1940年3月に有限会社、1958年11月に株式会社へ改組している。戦後は万年筆のペン先を切る極薄の砥石と、半導体ウエハーを切る砥石という二つの注文が転機になった。1969年12月に米国へ販売拠点を開設し、1970年9月に精密切断装置、1975年2月に半導体用ダイシングソーを自社開発する。1977年4月に株式会社ディスコへ商号を変更し、1989年10月に店頭公開、1999年12月に東京証券取引所第一部へ上場した。
決断 事業の範囲を三つの加工に限り、その外へ出た一度で50億円を失った。1969年に米
事業の範囲を三つの加工に限り、その外へ出た一度で50億円を失った。1969年に米国で切断砥石だけを売ろうとしたが、それを使いこなす装置が現地に無く撤退した。この経験から1975年2月に半導体用ダイシングソーを自社開発し、砥石・装置・使い方を一社で抱える体制へ移している。ところが基軸の切断から外れた半導体拡散炉は量産に達しないまま、1992年3月に十年分の開発費約50億円を損失として確定させ撤退した。1997年のDisco Valuesで投資対象を切断・研削・研磨の3領域に限り、2007年には経費を営業利益率に連動させる経費管理レベルを入れ、市況の谷でも黒字を保つ構造へ作り替えた。範囲を狭めた規律が、四年周期で振れる半導体市況から利益を守った。
現況 売上高営業利益率42%は、同じ装置を作る同業のおよそ2倍にあたる。2026年3月
売上高営業利益率42%は、同じ装置を作る同業のおよそ2倍にあたる。2026年3月期の売上高は4,369億円、営業利益1,850億円、純利益1,355億円といずれも過去最高となった。地域別では中国1,350億円・台湾1,174億円で半分を超え、日本は456億円の1割にとどまる。生成AI向けの後工程で薄化と切断の需要が増えるなか、関家一馬社長は生産を海外へ分散させず、大田・広島・長野の3拠点に集めたまま2025年3月期に約500億円の研究開発用不動産を購入した。2011年に社内通貨Willによる管理会計を個人単位まで分解し、装置一台ごとの原価を社員個人の判断へ落としたことが、この利益率を支えている。
競合 正面の同業は国内の一社だけで、あとは別方式の加工が相手になる。ダイシングソーとグ
正面の同業は国内の一社だけで、あとは別方式の加工が相手になる。ダイシングソーとグラインダで世界の7割を占めるディスコに対し、同じ装置を作る切削工具から精密測定機器へ主力を移した東京精密の2026年3月期の売上高は1,668億円とディスコの4割に満たず、営業利益率も20.2%にとどまる。海外に本格的な同業はなく、代替になるのはレーザやプラズマといった別方式の加工である。砥石から装置、使い方までを一社で抱えた1975年の選択が、装置だけを売る相手には積めない加工条件の蓄積を残した。
長期業績の推移 1966〜2026年
ディスコ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

第1章 1937-1979 (気が向いたら執筆します!) 砲弾研磨から万年筆・ウエハー切断への転換

第2章 1980-1991 (気が向いたら執筆します!) ダイシングソー世界シェア6割と関家憲一の社長就任、店頭公開

第3章 1992-2000 (気が向いたら執筆します!) 半導体拡散炉からの撤退と賃金カット、Disco Valuesの制定と東証一部上場

第4章 2001-2010 (気が向いたら執筆します!) 非同族の溝呂木社長とレーザソー、シリコンサイクルの谷でも黒字を掲げた体質改善

第5章 2011-2026 (気が向いたら執筆します!) 個人Will会計と社内オークション制度、長野事業所と羽田R&Dセンター

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歴史年表 1937〜2025年

ディスコの沿革1937〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1937〜1979年砲弾研磨から万年筆・ウエハー切断への転換関家三男が広島県呉で第一製砥所を個人創業
第一製砥所に組織変更
積算電力計磁石向け切断砥石を開発
万年筆ペン先向け0.14mmレジノイド砥石を独自開発
有限会社第一製砥所を株式会社に改組
注射針と万年筆で稼ぐ砥石屋が、まだ市場のない半導体用の薄さへ開発を向けた選択

1968年、工業用砥石の第一製砥所は、家電メーカーから持ち込まれた企画に応じて半導体用の極薄切断砥石の開発に着手した。注射針の加工と万年筆のペン先割りで用途の七割を占めていた時期であり、シリコンウエハーを切る砥石に国内の市場はまだ無い。関家三男社長が手を向けたのは、目の前の受注ではなく数年先に立ち上がる用途であった。翌1969年にはダイヤモンドを素材にした"ミクロンカット"を厚さ0.05ミリで完成させ、日刊工業新聞社の十大新製品賞を受けている。

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半導体製造向け切断砥石の開発を開始★★
DISCO ABRASIVE SYSTEMSを設立
精密切断装置を開発・販売開始★★
切断装置の自社開発と、砥石・装置・使い方を一社で担う体制への転換

砥石メーカーであった第一製砥所は、自社の極薄切断砥石を使いこなす装置を自ら設計し、1975年2月に半導体用ダイシングソーの販売を開始した。砥石・装置・使い方の三つを一社で担う体制へ移り、1977年4月には商号をディスコへ改めている。

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★★★
商号をディスコに変更
シンガポール駐在員事務所を開設
スイスにDISCO SEIER AGを共同出資で設立
1980〜1991年ダイシングソー世界シェア6割と関家憲一の社長就任、店頭公開ダイシングソー世界シェア約60%を確立
独にDISCO DEUTSCHLAND GmbHを設立
関家憲一氏が第2代社長に就任
産業用ダイヤモンド工具事業に参入★★
日本証券業協会の店頭売買銘柄として株式公開
DISCO HI-TEC EUROPE GmbHを100%子会社化、欧州本社をスイスから独に移転
1992〜2000年半導体拡散炉からの撤退と賃金カット、Disco Valuesの制定と東証一部上場半導体拡散炉事業からの撤退と開発費約50億円の損失計上

ディスコは1990年代の初めに、半導体製造の前工程で使う拡散炉(熱処理炉)の事業から撤退し、十年で投じた約50億円の開発費を損失として確定させた。ダイシングソーで後工程の寡占を築いた同社が、前工程へ広げた唯一の飛び地を畳んだ判断で、決めたのは創業者の跡を継いだ関家憲一社長であった。

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★★★
賃金カット・残業規制・早期退職制度を導入★★
「Disco Values」を制定
東京証券取引所市場第一部に上場
2001〜2010年非同族の溝呂木社長とレーザソー、シリコンサイクルの谷でも黒字を掲げた体質改善溝呂木斉非同族の溝呂木斉氏が社長に就任★★
溝呂木斉精密切断装置としてレーザソーを開発・販売★★
溝呂木斉全自動グラインダ/ポリッシャ装置を開発・販売
溝呂木斉市況の谷でも利益を確保する収益構造への作り替えと、経費支出の段階管理の導入

ディスコは2007年6月、2010年までに4年累計で20%以上の売上高経常利益率を維持できる態勢を作り上げることを経営上の中期目標に掲げた。累計の単位に置いた4年は、シリコンサイクルの一つの目処である。 同時に配当政策をこの目標と連動させ、連結で4年累計20%以上を達成した場合には通常20%の配当性向を24%とすることを決めた。物差しは社内の管理にとどまらず、株主への還元の条件になった。

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★★★
溝呂木斉販売拠点としてDISCO HI-TEC TAIWANを設立
関家一馬関家一馬氏(同族としては第3代)が社長に就任
関家一馬ダイシングソー世界シェア約70%まで拡大
2011〜2026年個人Will会計と社内オークション制度、長野事業所と羽田R&Dセンター関家一馬会計単位の部門から個々の構成員への分解と、指示・命令によらない仕事の配分

ディスコは2011年、独自の管理会計であるWill会計の単位を、部門から従業員一人一人まで下ろした。2003年に始めた部門Will会計に続く段階で、名称は個人Will会計という。 会社が書き替えたのは内部統制システムの基本方針である。会計情報を捉える単位は「活動組織単位」から「活動組織単位と、さらに個々の構成員単位」へ改められ、自律的に最良な機能を果たす主体にも「各構成員」が加えられた。

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★★★
関家一馬社内の仕事をオークション形式で落札する制度を開始★★
関家一馬DISCO HI-TEC Singapore One-Stop Solution Centerを建設
関家一馬長野事業所を開設
関家一馬羽田R&Dセンターを開設
関家一馬羽田R&Dセンター新棟の建替を決定
関家一馬研究開発用不動産を約500億円で取得
関家一馬広島事業所に新工場の建築を決定
出典・参考

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