1937
5月

第一製砥所を創業

ディスコ創業者・関家三男氏について

ディスコ(創業時の商号は第一製砥所)の創業者は、関家三男氏である。関家三男氏の息子たちもディスコの経営に従事し、2023年の現在に至るまで関家一族による同族経営を持続している。

第一製砥所を創業

広島県呉の海軍工廠に勤務していた関家三男氏が自営業を始めた。技術者ではなかったため、職人を採用し、工業用砥石のビジネスを開始した。広島県には呉を中心に軍需工場が集積していたため、主に海軍向けに砲弾を磨くための「工業砥石」の生産に従事した。ただし、後発参入だったため受注に苦戦したという。

中小企業として運営

1958年までのディスコは「有限会社」であり、中小企業だったと推察される。

1937年
5月
第一製砥所を創業
1940年
3月
有限会社第一製砥所を設立
1958年
11月
株式会社第一製砥所を設立
1953年
本社を東京都港区芝に移転

終戦後に第一製砥所は、積算電力計の内部に使用する磁石の「切断砥石」の生産を開始。1.2mmの間隔で磁石を切断する技術を生み出し、従来の「磨く」から「切断する」へと領域を拡大。切断砥石でシェア100%を確保した。

1956年
万年筆向けレジノイド砥石を開発

大手万年筆メーカーだった「パイロット社」の依頼を受けて、0.14mm(140ミクロン)のレジノイド砥石を開発。万年筆向けの砥石で国内市場を独占し、ボールペンが普及するまではディスコの業績を支えた。

証言
関家憲一氏(ディスコ・創業家)

1965年になって、ある万年筆メーカーさんからの依頼で、ペン先の溝を切る砥石を開発しました。当時、共同開発とか開発費援助のお話も、いろいろなメーカーからあったらしいのですが、それはお断りしいて、当社独自で開発しました。それで、万年筆の筆ペン先を一手に切るようになったのです。

1977年
商号を「株式会社ディスコ」に変更
1980年
ダイシングソー世界シェア60%

1970年代を通じてIC(集積回路)が普及し、シリコンウエハーを切断する「半導体切断機」の需要が増加。ディスコはダイシングソーを、TI(テキサスインスツルメンツ)、モトローラ、フェアチャイルドなどの世界的な半導体メーカーへの納入に成功する。

決算
ディスコの業績
1981年1月期(単体)
売上高
68
億円
1983年
本社を東京都大田区に移転
1984年
創業者・関家三男が社長退任

ディスコの創業者である関家三男が社長を退任。後任に関家憲一が代表取締役社長、関家臣二が代表取締役副社長に就任し、同族経営を継続した。

1989年
株式を店頭公開
1992年
赤字転落により賃金カットの実施

新規事業として推し進めていた「半導体拡散炉」から撤退し、50億円の損失を確定。加えて、半導体向けの需要が低迷したことから、ディスコは最終赤字に転落した。この結果、賃金カット、残業規制、早期退職制度の導入など、経費節減の施策を打ち出すなど苦しい状況に置かれた。

1997年
Disco Valuesの制定

ディスコは社内における意思統一と、事業への投資領域を明確化するために「ディスコバリューズ」を制定。事業領域を「切る・削る・磨く」という分野に絞ることを決め、それ以外の新規事業への投資をストップした。加えて、経常利益に応じて社員が使える経費をコントロールする制度を導入し、ディスコの社員一人一人が利益を意識する仕組みづくりに邁進する。

決算
ディスコの業績
1998年3月期(単体)
売上高
406
億円
当期純利益
38
億円
1999年
東京証券取引所第1部に株式上場
2010年
ダイシングソー世界シェア70%

1980年代から一貫してダイシングソーで高シェアを確保。売り上げの主力は、台湾・韓国・中国などのアジア地区であり、半導体産業の生産遷移の対応にも成功した

決算
ディスコの業績
2011年3月期(連結)
売上高
997
億円
当期純利益
109
億円
2018年
過去最高益を達成

半導体の需要増加により、2018年3月期に売上高1673億円、純利益371億円を計上。過去最高益を更新した

決算
ディスコの業績
2019年3月期(連結)
売上高
1475
億円
当期純利益
288
億円
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