住友財閥は愛媛県の別子銅山で産出する銅について、1897年から金属加工するために住友伸銅所を設置。当初は船舶用の銅板、建築用の銅棒などの生産に従事。1900年には通信省向けに銅線の納入に成功し、1906年からは外国人技師を迎えて電線の本格生産に着手した。
1911年には電線製造を本格化するために、住友伸銅所から電線事業を分離して住友電線製造所を発足し、1920年には株式会社住友電線製造所(現・住友電工)を設立した。
終戦直後の1949年に進駐軍(GHQ)からジープ補修用のハーネスを受注したことを受けて、自動車用ワイヤーハーネスに参入。ただし、この時点では事業の本格展開には至らなかった。
1957年に川崎重工から受注した自動車用(バス用)ワイヤーハーネスについて、住友電装に製造委託を実施。これにより、住友電工におけるワイヤーハーネス事業は、子会社の住友電装を通じて製造する体制をとった。1959年には二輪車向けのワイヤーハーネスとしてスズキおよびホンダからの受注に成功。1966年にはトヨタからトラック向けのハーネスの受注に成功した。
ただし、大衆乗用車向けのワイヤーハーネスの受注には苦戦し、矢崎総業などの先発メーカーの牙城を崩しきれなかった。それでも、1968年に住友電工(住友電装)はトヨタ・パブリカ向け、ホンダ・N360向けにワイヤーハーネスの供給を開始し、大衆乗用車向けのワイヤーハーネスに本格参入した。
2007年に住友電工が住友電装を完全子会社化するまでは、住友電工が「ワイヤーハーネスを完成車メーカーから受注」し、住友電装が「住友電工に対してハーネス製品を納入」する方式をとっていた。
したがって、住友電工としては、自動車向けのワイヤーハーネスは注力事業ではなく、2003年にワイヤーハーネスに注力する経営方針を策定するまでは、あくまで住友電装が担う事業という位置付けであった。
1980年代から自動車における電子制御が徐々に普及し、自動車部品としてのワイヤーハーネスの重要性(付加価値)が高まったことを受けて、住友電工もワイヤーハーネスへの関与を徐々に拡大。1990年代には住友電装と共同で開発拠点を拡充し、住友電工が「事業企画・販売」を行い、住友電装が「設計・製造」を担当する体制をとった。
当社では1950年代から、ワイヤーハーネス、ディスクブレーキなどの自動車事業を展開し、日本の自動車産業とともに発展してきた。1970年代のオイルショック後、低燃費・低価格の日本社は世界市場でシェアを高め、1980年代には米国との経済摩擦から、日本メーカーは海外生産を進めた。この間、排ガス規制対応や、安全性・快適性・燃費の向上などに向け、自動車の電子制御部分が増加し、ワイヤーハーネスは自動車部品としての重要性が高まっていった。
こうした流れの中で、当社と住友電装は1990年代、米州・欧州・アジアでの拠点開設、ハーネス総合研究所設立(略)など、世界市場のカバーと技術開発重視で事業を拡大していた。当社が事業企画と営業、住友電装が設計と製造、ハーネス総合研究所が研究開発を担当し、三位一体でハーネス事業を拡大したのである。
自動車用ブレーキ事業の縮小を決定。1999年7月に三重住友電工に事業を移管。2001年7月には4社のブレーキ事業(三重住友電工・アイシン精機・デンソー・トヨタ自動車)を統合して「株式会社アドヴィックス」へと集約された。
2003年度から住友電工(松本正義・社長)は5ヵ年の中期経営計画「07VISION」を策定した。不採算事業の整理の一方で、注力事業に対するグローバリ展開の方針を明確にした。数値目標としては、2008年3月期末時点で連結売上高2兆円・営業利益1200億円・ROA8%を設定した。
注力事業としては、特に自動車用のワイヤーハーネスのグローバル展開に注力。2003年度末の住友電工の世界シェア15%に対し、2007年度末時点で世界シェア20%を目標に設定した。
ワイヤーハーネスのシェア拡大の鍵を握ったのが、海外の完成車メーカーに対する販売強化であった。従来の住友電工の販売先は90%が国内の完成車メーカーが中心であり、世界シェア拡大のためには海外現地の完成車メーカーへの納入が拡大するかが要点となった。
住友電工では海外完成車メーカーとの取引拡大のために、すでに現地メーカーと取引のある部品メーカーを買収する道を選択した。
2004年11月に韓国のワイヤーハーネスメーカー「京信工業社」の株式50%を主等し、現地メーカーである現代・起亜自動車への販路を確保。2006年3月にはドイツのVW Bordnetze社を約150億円で買収し、VW向けの販路を確保した。
2007年3月期に住友電工は売上高2.3兆円・営業利益1287億円を達成し「07VISION」の目標を1年前田おいで達成した。ただし、2009年3月期はリーマンショックの影響を受けて業績が後退した為、結果として中計を前倒しで達成したものの、リーマンショックによって翻弄される形となった。
2007年8月に住友電工は、子会社である住友電装(出資比率53.9%・名古屋証券取引所第2部に上場)について株式交換を通じて完全子会社化した。
住友電工の狙いは「コア事業」として位置付けた自動車用ワイヤーハーネスについて、住友電装との事業重複を解消する点にあった。
買収直前の2007年3月期において、住友電装の業績は「売上高5119億円・経常利益181億円・当期純利益110億円」であり、従業員数5.3万名の企業であった。従業員数500名以上の主力生産拠点は「本社(四日市製作所)」および「鈴鹿製作所」であり三重県に偏在。販売先は売上高の52%を住友電工に依存しており、自動車メーカーへの直接納入の割合は低かったと推定される。
この経緯から住友電装としては、住友電工は大株主(親会社)であり、かつ大口取引先でもあることから、完全子会社化を拒否する選択肢は持ちえず、買収される道を容認したと推定される。なお、買収に当たっては、住友電装からの「反発」も存在したという。
住友電装は上場を廃止して子会社化し、一体化を強めました。社内でも「行き過ぎでは」という声はありましたし、電装側の反発も当然ありました。そうした厳しいせめぎ合いの中で成長してきたのです。自動車分野は、技術と営業が力を合わせ、M&Aなどで戦略的にシェアを高めて成功した一つのモデルケースといえます。自動車分野のようなビジネスが拡大し、こうしたビジネスを理解できる人間が増えたことも、当社のカルチャーを変えることにつながったと思います。