戦時中の1944年に井上浅次氏(大和工業創業者)は、川西航空機向けの協力工場として「大和工業株式会社」を兵庫県姫路にて設立した。川西航空機は関西に拠点を置いて軍用機を製造していたため、大和工業も姫路に工場を構えた。
現在に至るまで、大和工業は兵庫県姫路市に本社を構えている。
1945年に終戦を迎えると川西航空機向けの仕事が無くなったため、鉄道用ポイント(分岐器)の製造及び修理に従事した。2022年の現在に至るまで鉄道用分岐器を事業として継続しており、この事業が大和工業の実質的な祖業といえる。
1978年に東京製鉄は高炉メーカーを牽制するために、岡山工場において140t電炉を2つ稼働して西日本に注力した。これに対して、大和工業は1973年に50tの電路を新設していたが、規模感で東京製鉄に劣った。
このため、大和工業と東京製鉄は、電炉分野として本格的に競合するようになってしまう。そこで、大和工業は、競争が激化した国内市場ではなく、海外に向けてH鋼を輸出することで、グローバル化に活路を見出した。
1981年12月に創業家出身の井上浩行氏(当時36歳)が、若くして大和工業の代表取締役社長に就任。2018年に代表取締役社長を退任して、同会長に就任するまで大和工業の社長を歴任した。
このため、井上浩行氏が大和工業のグローバル展開の立役者と推察される。
1987年に大和工業は海外における現地生産を開始するために、米国進出を決定した。単独進出ではなく、米国の鉄鋼メーカーNucor社との合弁会社を現地に設立することで、関連会社としてアメリカへの電路進出を果たす。
2022年現在において、米国関連会社に対する大和工業の出資比率は49%であり、売上高は連結計上されずに持分法投資利益(営業外収益)が計上されるため、米国事業の売上規模は不明である。ただし、持分法投資利益の大半がアメリカの関連会社からの利益と推察されるため、大和工業の収益を支える地域と推察される。
1993年に大和工業は、東南アジアにおける現地生産を開始するために、タイ進出を決定した。アメリカ進出と同様に、現地企業との合弁によって進出した。進出当時の出資比率は不明だが、2022年時点の現地法人に対する大和工業の出資比率は64.18%であり、大和工業の子会社として運営されている。
1990年代を通じてタイは経済発展していない地域であったが、結果として大和工業がタイにおける電路で先発参入を果たすことができた。また、大和工業は「電炉に関する技術」を提供するという役割に徹し、現地メーカーは「経営ノウハウ」にする業務に特化することで、現地メーカーや現地政府から子会社の合弁解消を求められることなく、現在に至るまで経営を持続している。
タイ事業は2022年に至るまで子会社として高収益を確保しており、大和工業の売上高と利益を支える重要拠点となっている。
2010年代を通じて大和工業は、利益の大半を海外事業で稼ぐ収益構造となった。子会社を通じたタイ事業、関連会社を通じた米国事業がともに好調で、国内の経常利益を大幅に上回る収益源に育った。利益のボラティリティーは鉄鋼市況に左右されることによる宿命だが、不況期でも黒字を確保している。
ただし、2002年に買収した韓国事業だけは経営不振が続いており、FY2012にセグメント損失を計上するなど、事業運営に課題が残った。このため、グローバル展開のうち、うまくいった地域と、うまくいかない地域で、優勝劣敗が鮮明となる。
2020年9月に大和工業は、競争が激化した韓国市場からの縮小を決定した。2010年代を通じて韓国事業は何度か赤字に転落していた。FY2020における業績は、売上高338億円・営業利益25億円であり、かろうじて黒字をキープしていたが、韓国公正取引委員会からの違反金40億円の含み損を抱える状態であった。
韓国子会社について、新設分割によって設立した新会社YHSに棒鋼事業を継承し、YHSに対して大和工業と大韓製鋼社が出資する形となった。大韓製鋼社はYHSの株式51%を保有する形とし、大和工業は関連会社として韓国事業を運営した。当初は大和工業は韓国法人に対して49%出資していたが、2022年時点で出資比率は25%まで低下しており、段階的な撤退を継続中と推察される。
このため、大和工業の連結売上高から韓国事業が控除され、持分法利益を計上する形となり、大和工業の売上高利益率が向上する要因となった。
韓国企業への株式譲渡額は17億円であり、大和工業は株式評価損94億円を計上した。なお、評価損の中には、韓国公正取引員会から公正取引法に違反したとして429億ウォン(約40億円)の負担が含まれた。
なお、大和工業は韓国撤退と同時にベトナムへの本格進出を決定し、経営資源の集中も意図した。