2002年 二社統合のもと中国特需で最高益に駆け上がった発足期
- 2002年川崎製鉄とNKKが統合しJFEホールディングスを設立
- 2003年事業会社をJFEスチール・JFEエンジニアリング・JFE都市開発・JFE技研に再編
- 2003年両社の会社分割契約書締結を承認
- 2005年數土文夫が代表取締役社長に就任
- 2008年日立造船とJFEエンジの保有株式取得によりユニバーサル造船を子会社化
JFEホールディングスの業績推移:単体
出所:有価証券報告書・会社四季報等
設備過剰の川鉄とNKKが選んだ共同株式移転という延命策
1990年代を通じて国内鉄鋼需要は低迷し、高炉メーカーはどこも設備過剰を抱えていた。川崎製鉄と日本鋼管は2000年4月に鉄鋼事業の協業で合意し、2001年4月に経営統合を決断する。競合である新日本製鐵・住友金属工業・神戸製鋼が並行して3社アライアンスを締結し、日本の高炉業界は再編期に入った。2002年9月、両社は共同して株式移転により完全親会社としてJFEホールディングスを設立し、東京・大阪・名古屋の各証券取引所第一部に上場する。旧両社の普通株式は同時に上場廃止となり、国内の高炉メーカーは新日鉄・JFE・神戸製鋼による三極体制へと集約された。統合は競合の合従連衡に追随する受け身の性格を持ち、業界全体での延命策という色合いが色濃かった。 [1][2]
- JFEホールディングス 有価証券報告書 第23期(2025年3月期)【沿革】
- [1]2002年9月、川崎製鉄と日本鋼管が共同の株式移転により完全親会社JFEホールディングスを設立し東京・大阪・名古屋の各証券取引所第一部に上場(旧両社普通株式は上場廃止)
- [2]統合後、国内高炉メーカーは新日鉄・JFE・神戸製鋼の三極体制へ集約された
統合比率は日本鋼管0.75対川崎製鉄1.00で、財務体質が相対的に良好だった川鉄に有利な条件となった。2003年1月に両社の会社分割契約書締結を承認し、同年4月、JFEは両社を会社分割により事業会社をJFEスチール・JFEエンジニアリング・JFE都市開発・JFE技研の4社に再編する。同時に川崎マイクロエレクトロニクスを完全子会社とする会社分割も実施した。旧日本鋼管の扇島・福山、旧川崎製鉄の千葉・水島という4製鉄所を東日本(扇島・千葉)と西日本(福山・水島)の2拠点にまとめ直し、2005年度までに間接部門の経費節減と調達コスト軽減で合計800億円の統合効果を出すという目標を掲げて運営を始めた。新体制は統合効果の早期刈り取りを最優先に据え、川鉄主導で経営の実権を握る構図となった。 [3][4][5][6]
- 日経ビジネス(2004年12月13日)
- [3]統合比率は日本鋼管0.75対川崎製鉄1.00
- [6]2005年度までに間接部門の経費節減と調達コスト軽減で合計800億円の統合効果を出す目標を掲げた
- JFEホールディングス 有価証券報告書 第23期(2025年3月期)【沿革】
- [4]2003年1月に両社の会社分割契約書締結を承認した
- [5]2003年4月、両社を会社分割によりJFEスチール・JFEエンジニアリング・JFE都市開発・JFE技研の4社に再編し、川崎マイクロエレクトロニクスを完全子会社とする会社分割も実施した
- JFEホールディングス 有価証券報告書 第23期(2025年3月期)【沿革】
- [1]2002年9月、川崎製鉄と日本鋼管が共同の株式移転により完全親会社JFEホールディングスを設立し東京・大阪・名古屋の各証券取引所第一部に上場(旧両社普通株式は上場廃止)
- [2]統合後、国内高炉メーカーは新日鉄・JFE・神戸製鋼の三極体制へ集約された
- [4]2003年1月に両社の会社分割契約書締結を承認した
- [5]2003年4月、両社を会社分割によりJFEスチール・JFEエンジニアリング・JFE都市開発・JFE技研の4社に再編し、川崎マイクロエレクトロニクスを完全子会社とする会社分割も実施した
- 日経ビジネス(2004年12月13日)
- [3]統合比率は日本鋼管0.75対川崎製鉄1.00
- [6]2005年度までに間接部門の経費節減と調達コスト軽減で合計800億円の統合効果を出す目標を掲げた
追い込まれた経営陣が中国特需という外部追い風で過去最高益へ到達
統合直後の経営陣は余裕を失っていた。「鉄鋼業界は数年前、地獄の淵まで見たわけです。JFEにしても、統合時には『収益第一』という経営方針しか出せなかったし、それ以外のことを考える余裕は全くなかった」(數土文夫・JFEスチール社長、日経ビジネス 2004/12/13)と語るほどの緊張感で運営を始めた。ところがその直後、1999年まで20年間7億トン台で推移していた世界粗鋼生産は、中国の爆発的な需要拡大で2004年に10億5000万トン台まで膨らんだ。鉄鉱石・原料炭の国際市況も一変し、価格と数量の両方が持ち上がった。統合前に想定していた国内縮小前提の経営環境は、わずか1〜2年で外部からひっくり返され、延命策として始まった統合は一転して成長期への入り口となった。
JFEは2003年に広東省広州鉄鋼企業集団と合弁会社を設立し、51%を出資して自動車用鋼板の現地生産に踏み切る一方、上工程は日本国内に残した。「鉄鋼生産の上工程に当たる製鉄・製鋼工程は技術の固まりだから、絶対に日本が守らなければならない」(江本寛治・JFEホールディングス会長、日経ビジネス 2004/1/15)という考え方である。2005年6月にはNKK出身の數土文夫が代表取締役社長に就任し、川鉄出身の前任から引き継ぐ形で、川鉄出身・NKK出身が交互に経営トップを務める人事バランスの第一歩となった。2006年3月期の連結売上高は3兆984億円、当期純利益は過去最高の3,259億円に達し、同年11月には1,200億円規模の自己株式取得も発表され、中国特需の追い風は最大限に受け止められる形で決算に現れた。 [7]
- JFEホールディングス 有価証券報告書 第23期(2025年3月期)【役員の状況】
- [7]2005年6月にNKK出身の數土文夫が代表取締役社長に就任した(下垣内洋一=川鉄出身の前任から交代)
- JFEホールディングス 有価証券報告書 第23期(2025年3月期)【役員の状況】
- [7]2005年6月にNKK出身の數土文夫が代表取締役社長に就任した(下垣内洋一=川鉄出身の前任から交代)