2000年4月に日本鋼管と川崎製鉄は、鉄鋼における協業に合意。高炉メーカーによる協業であり、経営統合に向けた布石として注目を浴びた。なお、2002年には競合である「新日本製鐵・住友金属工業・神戸製鋼」の3社によるアライアンスが締結されており、日本鋼管と川崎製鉄の協業は鉄鋼業界における再編のトリガーとなった。
協業が進んだ翌2001年4月に、日本鋼管と川崎製鉄は経営統合で合意した。すでに1990年代を通じて鉄鋼の需要が低迷しており、川崎製鉄および日本鋼管は設備過剰の問題に直面したことから、経営統合による業務効率化を図ることを目論んだ。
2002年に川崎製鉄と日本鋼管が経営統合を実施し、JFEホールディングスを発足した。統合比率は、日本鋼管0.75に対して川崎製鉄1.00と決定され、川崎製鉄にとって有利な統合となった。JFEの由来は「Japan・F(鉄の元素記号Fe)・Engineering」としつつ、日本を代表する未来志向の企業グループを意味する「Japan Future Enterprise」の意味を含ませた。
JFEの発足による統合効果としては関節部門における経費節減や調達コストの軽減によって、2005年度までに800億円の削減を目標に設定した。
JFEの発足にあたって、高炉を稼働する主要製鉄所を4箇所保有する形となった。旧日本鋼管では、扇島(川崎)および福山(広島)、旧川崎製鉄では、千葉および水島(岡山)の拠点を継承し、関東の拠点を東日本製鉄所(扇島・千葉)とし、西日本の拠点を西日本製鉄所(福山・水島)として運営する形をとった。
鉄鋼業界は数年前、地獄の淵まで見たわけです。JFEにしても、統合時には「収益第一」という経営方針しか出せなかったし、それ以外のことを考える余裕は全くなかった。企業の存立のためだけに、経営トップから全従業員まで一体となってやってきました。なんで統合がうまく行ったかといえば、それがいちばんの理由でしょう。経営に雑念を持ったらダメです。
JFEホールディングは中国における自動車用鋼板の現地生産を決定。広東省の現地メーカーと合弁会社を設立し、JFEホールディングスが51%を出資した。
中国もいずれ、市場が飽和するのは間違いないし、政治が不安定化すれば経済も影響を受けるでしょう。しかし、大きな懸念を抱くには至らない。中国での現地生産も始める。広州鉄鋼企業集団(広東省)と合弁で2006年から自動車用鋼板を作る。ただ、原板は日本から輸出する。鉄鋼生産の上工程に当たる製鉄・製鋼工程は技術の固まりだから、絶対に日本が守らなければならない。合弁会社にJEFが51%を出資して、主導権を取る体制にしたのも、技術流出を防ぐ目的がある。
2000年代前半を通じて中国の経済発展により、鉄鋼価格が上昇。JFEホールディングスの受注も好調に推移し、2006年3月期に過去最高益となる3259億円の当期純利益を計上した。
1999年まで約20年間、世界の鉄鋼生産量はずっと7億トン台で推移していました。それが2000年に8億トンを超え、今年は10億5000万トンになると言われています。中国の成長などで、2億5000万トンの新しい鉄鋼マーケットがバーンと出てきたわけです。僕はここまで伸びるとは思わなかったですけど、予感はしていました。