2002年〜 二社統合のもと中国特需で最高益に駆け上がった発足期
JFEホールディングスの業績推移:連結
- 2002年 川崎製鉄とNKK(日本鋼管)の経営統合とJFEホールディングス発足(2002年成立) 新日鉄に対抗する「2位連合」はなぜ生まれ、鉄鋼業界の2極化を起こしたのか?
- 2003年 両社の会社分割契約書締結を承認
- 2003年 事業会社をJFEスチール・JFEエンジニアリング・JFE都市開発・JFE技研に再編
- 2003年 無名の広州鋼鉄と組み中国で自動車用鋼板の現地生産に踏み出す垂直分業 中国最大手と組む新日鉄をよそに、なぜJFEは実績ゼロの地方メーカーを選んだのか——名より実の海外戦略
- 2005年 數土文夫が代表取締役社長に就任
- 2008年 日立造船とJFEエンジの保有株式取得によりユニバーサル造船を子会社化
共同株式移転による発足と、協調体制からの決別
JFEホールディングスは2002年9月、川崎製鉄と日本鋼管(NKK)の共同株式移転[1]により両社の完全親会社として発足し、東京・大阪・名古屋の各証券取引所第一部に上場[2]した。旧両社の普通株式は同時に上場廃止[3]となり、国内の高炉メーカーは新日鉄・JFE・神戸製鋼の三極へ集約[4]された。両社を合わせた粗鋼生産量は年約2,500万トンで、新日本製鐵に匹敵[5]する規模となった。新会社が引き受けたのは、1990年代を通じて両社が抱え込んだ設備過剰[6]である。発足に先立つ2002年5月、川鉄の千葉第5高炉と水島第1高炉を廃棄する方針[7]を発表し、銑鉄生産能力の約1割にあたる350万トン[8]を削る計画を示した。あわせて圧延35ラインのうち6〜7ラインを休止[9]し、180万〜230万トンの製品出荷能力[10]を落とすとした。
- JFEホールディングス 有価証券報告書 第23期(2025年3月期)【沿革】
- [1]2002年9月 川崎製鉄と日本鋼管の共同株式移転によりJFEホールディングス設立
- [2]東京・大阪・名古屋の各証券取引所第一部へ上場
- [3]旧両社の普通株式は上場廃止
- 週刊東洋経済 2002年11月2日号
- [4]統合後の国内高炉メーカーは新日鉄・JFE・神戸製鋼の三極体制
- [5]統合後の粗鋼生産量 年約2,500万トン(新日本製鐵に匹敵)
- 週刊東洋経済 2002年5月25日号
- [6]統合が引き受けた課題は1990年代に両社が抱えた設備過剰
- [7]2002年5月 千葉第5高炉・水島第1高炉の廃棄方針を発表
- [8]銑鉄生産能力の削減幅 約1割・350万トン
- [9]圧延35ラインのうち6〜7ラインを休止
- [10]製品出荷能力の削減幅 180万〜230万トン
能力を消す狙いは価格の主導権にあり、「顧客に対しても量の拡大を前提とした値引きに物理的に応じられなくなる[11]」(數土文夫氏・川崎製鉄社長、週刊東洋経済 2002年5月25日号)と説明された。設備を抱え続けた背景には業界の横並びがあり、江本寛治氏は「各社がシェアを変えないように調整し合う協調体制が出来上がっていた[12]」「90年代に鉄鋼業界を悪くした原因は何か、と問われれば、それは協調体制だと答えるしかない[13]」(日経ビジネス 2004年1月5日号)と振り返っている。江本氏は1995年の川鉄社長就任会見で「もう横並びはやらん」と宣言[14]し、変わるべき時期は石油危機直後の1970年代後半[15]だったとも述べた。
- 週刊東洋経済 2002年5月25日号
- [11]數土文夫氏 設備削減の狙いは量の拡大を前提とした値引きへの物理的な不能化
- 日経ビジネス 2004年1月5日号
- [12]江本寛治氏 各社がシェアを変えないよう調整し合う協調体制の存在を指摘
- [13]江本寛治氏 1990年代に鉄鋼業界を悪くした原因は協調体制と評価
- [14]江本寛治氏 1995年の川崎製鉄社長就任会見で横並びの否定を宣言
- [15]江本寛治氏 変革の適期は石油危機直後の1970年代後半だったと回顧
2003年1月に両社の会社分割契約書締結を承認[16]し、同年4月、両社の事業を会社分割によりJFEスチール・JFEエンジニアリング・JFE都市開発・JFE技研の4社へ再編[17]した。同時に川崎マイクロエレクトロニクスを完全子会社とする会社分割[18]も実施している。鉄鋼事業では旧NKKの京浜・福山と旧川崎製鉄の千葉・水島の4製鉄所を東西2製鉄所へくくり直し[19]、それぞれを1人の製鉄所長の下に置いた。福山と水島を束ねた西日本製鉄所は年産1,800万トン規模[20]である。一体運営は「絶対に譲れない条件だ」[21](江本寛治氏・川崎製鉄前会長、週刊東洋経済 2002年11月2日号)と統合交渉で繰り返された構想で、発足時には東西の幹部の3分の1を相互に入れ替え[22]、八幡・富士の合併から30年を経てなお利害対立が残った新日鉄の前例を避けた[23]。統合効果は2002年度に200億円[24]、2005年度までに合計800億円[25]を目標に掲げた。
- JFEホールディングス 有価証券報告書 第23期(2025年3月期)【沿革】
- [16]2003年1月 両社の会社分割契約書締結を承認
- [17]2003年4月 JFEスチール・JFEエンジニアリング・JFE都市開発・JFE技研の4社へ再編
- [18]2003年4月 川崎マイクロエレクトロニクスを完全子会社とする会社分割を実施
- 週刊東洋経済 2002年11月2日号
- [19]4製鉄所を東西2製鉄所へ再編しそれぞれ1人の製鉄所長の下に置く
- [20]西日本製鉄所の規模 年産1,800万トン
- [21]江本寛治氏 製鉄所の一体運営を統合の譲れない条件と位置づけ
- [22]発足時に東西の幹部の3分の1を相互に入れ替え
- [23]八幡・富士の合併後も利害対立が残った新日鉄の前例を避ける判断
- [24]2002年度のコスト削減見通し 200億円
- 日経ビジネス 2004年12月13日号
- [25]2005年度までの統合効果目標 合計800億円
- JFEホールディングス 有価証券報告書 第23期(2025年3月期)【沿革】
- [1]2002年9月 川崎製鉄と日本鋼管の共同株式移転によりJFEホールディングス設立
- [2]東京・大阪・名古屋の各証券取引所第一部へ上場
- [3]旧両社の普通株式は上場廃止
- [16]2003年1月 両社の会社分割契約書締結を承認
- [17]2003年4月 JFEスチール・JFEエンジニアリング・JFE都市開発・JFE技研の4社へ再編
- [18]2003年4月 川崎マイクロエレクトロニクスを完全子会社とする会社分割を実施
- 週刊東洋経済 2002年11月2日号
- [4]統合後の国内高炉メーカーは新日鉄・JFE・神戸製鋼の三極体制
- [5]統合後の粗鋼生産量 年約2,500万トン(新日本製鐵に匹敵)
- [19]4製鉄所を東西2製鉄所へ再編しそれぞれ1人の製鉄所長の下に置く
- [20]西日本製鉄所の規模 年産1,800万トン
- [21]江本寛治氏 製鉄所の一体運営を統合の譲れない条件と位置づけ
- [22]発足時に東西の幹部の3分の1を相互に入れ替え
- [23]八幡・富士の合併後も利害対立が残った新日鉄の前例を避ける判断
- [24]2002年度のコスト削減見通し 200億円
- 週刊東洋経済 2002年5月25日号
- [6]統合が引き受けた課題は1990年代に両社が抱えた設備過剰
- [7]2002年5月 千葉第5高炉・水島第1高炉の廃棄方針を発表
- [8]銑鉄生産能力の削減幅 約1割・350万トン
- [9]圧延35ラインのうち6〜7ラインを休止
- [10]製品出荷能力の削減幅 180万〜230万トン
- [11]數土文夫氏 設備削減の狙いは量の拡大を前提とした値引きへの物理的な不能化
- 日経ビジネス 2004年1月5日号
- [12]江本寛治氏 各社がシェアを変えないよう調整し合う協調体制の存在を指摘
- [13]江本寛治氏 1990年代に鉄鋼業界を悪くした原因は協調体制と評価
- [14]江本寛治氏 1995年の川崎製鉄社長就任会見で横並びの否定を宣言
- [15]江本寛治氏 変革の適期は石油危機直後の1970年代後半だったと回顧
- 日経ビジネス 2004年12月13日号
- [25]2005年度までの統合効果目標 合計800億円
中国特需への反転と、広州での垂直分業
統合直後の経営陣に余裕はなく、「鉄鋼業界は数年前、地獄の淵まで見たわけです。JFEにしても、統合時には『収益第一』という経営方針しか出せなかったし、それ以外のことを考える余裕は全くなかった」(數土文夫氏・JFEスチール社長、日経ビジネス 2004年12月13日号)と振り返る状態から出発した。ところが世界の鉄鋼生産量は1999年まで約20年間7億トン台で推移[27]した後、2000年に8億トンを超え、2004年には10億5,000万トンに達する[28]とされた。中国の成長を軸に2億5,000万トンの新しい市場が現れた[29]計算になる。発足の直前にも數土氏は「01年に初めて8億トン台に乗せた世界の粗鋼生産量は遠からず九億に達するでしょう。それだけの需要があるんですから、何も安売りする必要はない」(週刊東洋経済 2002年9月21日号)と述べていた。 [26][30]
- 日経ビジネス 2004年12月13日号
- [26]數土文夫氏 統合時の経営方針は「収益第一」以外を考える余裕がなかったと回顧
- [27]世界の鉄鋼生産量 1999年まで約20年間7億トン台
- [28]世界の鉄鋼生産量 2000年に8億トン超・2004年に10億5,000万トン
- [29]中国の成長を軸に2億5,000万トンの新市場が出現
- 週刊東洋経済 2002年9月21日号
- [30]數土文夫氏 2002年時点で世界粗鋼生産の9億トン到達と安売り不要を予測
數土氏は川崎製鉄社長への就任にあたり「ROSをミニマム10%にする[31]」との目標を掲げていた。戦後の日本の鉄鋼業の売上高経常利益率は平均2.5%程度[32]にとどまっており、守れない公約だと忠告する声もあったが、2004年度は15%台の見通し[33]となった。それでも數土氏は台湾の中国鋼鉄が35〜40%、韓国のポスコが25%程度[34]である点を挙げて「全然ダメ」と評している。掲げたのはJFEスチールにしか作れない「オンリーワン」と、品質・量・コストで圧倒的に優位に立つ「ナンバーワン」の商品[35]を増やす方針で、統合時に売上高の6〜7%しかなかった比率は2004年度上期に15%へ達した[36]。普段は75%程度の稼働率にすぎない設備を好況に備えて温存する「上方弾力性」の発想[37]も、このとき退けられた。
- 日経ビジネス 2004年12月13日号
- [31]數土文夫氏 川崎製鉄社長就任時にROS10%を目標に設定
- [32]戦後の日本の鉄鋼業の売上高経常利益率 平均2.5%程度
- [33]2004年度の売上高経常利益率見通し 15%台
- [34]數土文夫氏 台湾中国鋼鉄35〜40%・韓国ポスコ25%程度と比べ自社水準を不十分と評価
- [35]オンリーワン・ナンバーワン商品を増やす方針
- [36]オンリーワン・ナンバーワン比率 統合時の売上高6〜7%から2004年度上期15%へ
- [37]好況に備え低稼働率の設備を温存する「上方弾力性」の発想を否定
海外では2003年9月、JFEスチールが中国の広州鋼鉄企業集団との合弁会社設立を発表[38]し、約50億円を出資して出資比率51%[39]で経営の主導権を握った。相手は粗鋼生産201万トン・自動車用鋼板の実績を持たない企業[40]だったが、ホンダ・日産・トヨタが集まる広州の立地[41]を重視した選択である。母材は日本から供給し現地は冷延・表面処理の下工程に絞る垂直分業[42]で、「鉄鋼生産の上工程に当たる製鉄・製鋼工程は技術の固まりだから、絶対に日本が守らなければならない[43]」(江本寛治氏・JFEホールディングス会長、日経ビジネス 2004年1月5日号)という考え方に沿っていた。2005年4月には川崎製鉄出身の數土文夫氏が代表取締役社長に就任[44]し、NKK出身の下垣内洋一氏から引き継いだ。2006年3月期の連結売上高は3兆984億円[45]、当期純利益は3,259億円と、当時として過去最高[46]を記録した。
- 週刊東洋経済 2003年10月11日号
- [38]2003年9月 広州鋼鉄企業集団との合弁会社設立を発表
- [39]広州合弁への出資 約50億円・出資比率51%
- [40]合弁相手の粗鋼生産201万トン・自動車用鋼板の実績なし
- [41]ホンダ・日産・トヨタが集まる広州の立地を重視
- 日経ビジネス 2004年1月5日号
- [42]母材は日本から供給し現地は下工程に絞る垂直分業
- [43]江本寛治氏 製鉄・製鋼の上工程は国内に残すべきとの方針
- 週刊東洋経済 2002年9月21日号
- [44]2005年4月 川崎製鉄出身の數土文夫氏が代表取締役社長に就任(下垣内洋一氏から交代)
- JFEホールディングス 有価証券報告書 第4期(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
- [45]2006年3月期 連結売上高3兆984億円
- [46]2006年3月期 当期純利益3,260億円(当時として過去最高)
- 日経ビジネス 2004年12月13日号
- [26]數土文夫氏 統合時の経営方針は「収益第一」以外を考える余裕がなかったと回顧
- [27]世界の鉄鋼生産量 1999年まで約20年間7億トン台
- [28]世界の鉄鋼生産量 2000年に8億トン超・2004年に10億5,000万トン
- [29]中国の成長を軸に2億5,000万トンの新市場が出現
- [31]數土文夫氏 川崎製鉄社長就任時にROS10%を目標に設定
- [32]戦後の日本の鉄鋼業の売上高経常利益率 平均2.5%程度
- [33]2004年度の売上高経常利益率見通し 15%台
- [34]數土文夫氏 台湾中国鋼鉄35〜40%・韓国ポスコ25%程度と比べ自社水準を不十分と評価
- [35]オンリーワン・ナンバーワン商品を増やす方針
- [36]オンリーワン・ナンバーワン比率 統合時の売上高6〜7%から2004年度上期15%へ
- [37]好況に備え低稼働率の設備を温存する「上方弾力性」の発想を否定
- 週刊東洋経済 2002年9月21日号
- [30]數土文夫氏 2002年時点で世界粗鋼生産の9億トン到達と安売り不要を予測
- [44]2005年4月 川崎製鉄出身の數土文夫氏が代表取締役社長に就任(下垣内洋一氏から交代)
- 週刊東洋経済 2003年10月11日号
- [38]2003年9月 広州鋼鉄企業集団との合弁会社設立を発表
- [39]広州合弁への出資 約50億円・出資比率51%
- [40]合弁相手の粗鋼生産201万トン・自動車用鋼板の実績なし
- [41]ホンダ・日産・トヨタが集まる広州の立地を重視
- 日経ビジネス 2004年1月5日号
- [42]母材は日本から供給し現地は下工程に絞る垂直分業
- [43]江本寛治氏 製鉄・製鋼の上工程は国内に残すべきとの方針
- JFEホールディングス 有価証券報告書 第4期(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
- [45]2006年3月期 連結売上高3兆984億円
- [46]2006年3月期 当期純利益3,260億円(当時として過去最高)