1936年設立。碍子の技術を基盤にスパークプラグ国内シェア首位を確立し、半導体パッケージ用基板にも展開。自動車用点火プラグの世界的メーカーとして、エンジン技術の進化とともに成長を続ける。
1936
決断
日本特殊陶業株式会社を設立
碍子由来のセラミック焼成技術と輸入途絶が生んだ国産独占の原型
1945
終戦により2000名を解雇
1945終戦により2000名を解雇
1949
東京証券取引所に株式上場
1949東京証券取引所に株式上場
1956
スパークプラグの生産改善
1956スパークプラグの生産改善
1959
ブラジルで点火プラグの現地生産を開始
1959ブラジルで点火プラグの現地生産を開始
1962
小牧工場を新設・プラグ増産体制へ
1962小牧工場を新設・プラグ増産体制へ
1966
点火プラグで国内シェア70%を確保・補修用で高収益
1966点火プラグで国内シェア70%を確保・補修用で高収益
1966
米国に現地法人を設立
1966米国に現地法人を設立
1967
セラミックICパッケージの製造販売を開始
1967セラミックICパッケージの製造販売を開始
1972
スーパープラグの値上げ実施
1972スーパープラグの値上げ実施
1973
東南アジアでの現地生産を本格化
1973東南アジアでの現地生産を本格化
1975
欧・米・豪で販売拠点を拡充
1975欧・米・豪で販売拠点を拡充
1982
自動車向け酸素センターに参入
1982自動車向け酸素センターに参入
1990
先進国での現地生産を本格化
1990先進国での現地生産を本格化
1998
インテル向けの樹脂PKGの量産を本格化
1998インテル向けの樹脂PKGの量産を本格化
2003
アジアでの生産増強
2003アジアでの生産増強
2007
半導体向けパッケージの増産・小牧工場で増産計画
2007半導体向けパッケージの増産・小牧工場で増産計画
2009
決断
最終赤字に転落・セラミックICパッケージの再編
素材転換を10年放置した末にリーマンが引いた撤退の引き金
2013
決断
スパークプラグ10億本生産計画を公表
半導体で衰退し点火プラグで障壁たり得たセラミック技術の非対称
2023
英文商号をNittera Co., Ltd.に変更
2023英文商号をNittera Co., Ltd.に変更
2024
過去最高益を達成
2024過去最高益を達成
業績を見る
売上日本特殊陶業:売上高
単体 | 連結(単位:億円)
6,144億円
売上収益:2024/3
利益日本特殊陶業:売上高_当期純利益率
単体 | 連結(単位:%)
13.4%
利益率:2024/3
業績を見る
区分売上高利益利益率
1950/3単体 売上高 / 当期純利益---
1951/3単体 売上高 / 当期純利益---
1952/3単体 売上高 / 当期純利益3億円--
1953/3単体 売上高 / 当期純利益4億円--
1954/3単体 売上高 / 当期純利益8億円--
1955/3単体 売上高 / 当期純利益7億円--
1956/3単体 売上高 / 当期純利益8億円--
1957/3単体 売上高 / 当期純利益11億円1億円14.6%
1958/3単体 売上高 / 当期純利益10億円1億円12.4%
1959/3単体 売上高 / 当期純利益9億円1億円10.5%
1960/3単体 売上高 / 当期純利益14億円1億円10.5%
1961/3単体 売上高 / 当期純利益20億円2億円10.9%
1962/3単体 売上高 / 当期純利益23億円3億円12.6%
1963/3単体 売上高 / 当期純利益26億円3億円11.5%
1964/3単体 売上高 / 当期純利益33億円3億円9.8%
1965/3単体 売上高 / 当期純利益35億円3億円9.2%
1966/3単体 売上高 / 当期純利益38億円3億円9.2%
1967/3単体 売上高 / 当期純利益---
1968/3単体 売上高 / 当期純利益---
1969/3単体 売上高 / 当期純利益---
1970/3単体 売上高 / 当期純利益104億円--
1971/3単体 売上高 / 当期純利益130億円--
1972/3単体 売上高 / 当期純利益135億円--
1973/3単体 売上高 / 当期純利益151億円--
1974/3単体 売上高 / 当期純利益199億円--
1975/3単体 売上高 / 当期純利益219億円--
1976/3単体 売上高 / 当期純利益227億円10億円4.4%
1977/3単体 売上高 / 当期純利益282億円17億円6.0%
1978/3単体 売上高 / 当期純利益321億円21億円6.5%
1979/3単体 売上高 / 当期純利益355億円20億円5.6%
1980/3単体 売上高 / 当期純利益435億円22億円5.0%
1981/3単体 売上高 / 当期純利益498億円21億円4.2%
1982/3単体 売上高 / 当期純利益548億円23億円4.1%
1983/3単体 売上高 / 当期純利益590億円24億円4.0%
1984/3単体 売上高 / 当期純利益660億円25億円3.7%
1985/3単体 売上高 / 当期純利益810億円45億円5.5%
1986/3単体 売上高 / 当期純利益---
1987/3単体 売上高 / 当期純利益---
1988/3単体 売上高 / 当期純利益864億円39億円4.5%
1989/3単体 売上高 / 当期純利益930億円46億円4.9%
1990/3単体 売上高 / 当期純利益1,059億円53億円5.0%
1991/3単体 売上高 / 当期純利益1,073億円48億円4.4%
1992/3単体 売上高 / 当期純利益1,105億円38億円3.4%
1993/3単体 売上高 / 当期純利益---
1994/3単体 売上高 / 当期純利益---
1995/3単体 売上高 / 当期純利益---
1996/3単体 売上高 / 当期純利益1,578億円50億円3.1%
1997/3単体 売上高 / 当期純利益1,797億円86億円4.7%
1998/3単体 売上高 / 当期純利益1,715億円76億円4.4%
1999/3単体 売上高 / 当期純利益1,887億円54億円2.8%
2000/3連結 売上高 / 当期純利益1,955億円65億円3.3%
2001/3連結 売上高 / 当期純利益2,242億円130億円5.7%
2002/3連結 売上高 / 当期純利益2,214億円48億円2.1%
2003/3連結 売上高 / 当期純利益2,289億円73億円3.1%
2004/3連結 売上高 / 当期純利益2,287億円111億円4.8%
2005/3連結 売上高 / 当期純利益2,411億円171億円7.0%
2006/3連結 売上高 / 当期純利益2,848億円251億円8.8%
2007/3連結 売上高 / 当期純利益3,448億円340億円9.8%
2008/3連結 売上高 / 当期純利益3,455億円221億円6.3%
2009/3連結 売上高 / 当期純利益2,921億円-716億円-24.6%
2010/3連結 売上高 / 当期純利益2,439億円135億円5.5%
2011/3連結 売上高 / 当期純利益2,692億円236億円8.7%
2012/3連結 売上高 / 当期純利益2,847億円255億円8.9%
2013/3連結 売上高 / 当期純利益3,027億円209億円6.9%
2014/3連結 売上高 / 当期純利益3,297億円327億円9.9%
2015/3連結 売上高 / 当期純利益3,476億円367億円10.5%
2016/3連結 売上高 / 当期純利益3,832億円308億円8.0%
2017/3連結 売上高 / 当期純利益3,729億円256億円6.8%
2018/3連結 売上高 / 当期純利益4,099億円443億円10.8%
2019/3連結 売上高 / 当期純利益4,250億円428億円10.0%
2020/3連結 売上収益 / 当期利益4,260億円336億円7.8%
2021/3連結 売上収益 / 当期利益4,275億円383億円8.9%
2022/3連結 売上収益 / 当期利益4,917億円602億円12.2%
2023/3連結 売上収益 / 当期利益5,625億円662億円11.7%
2024/3連結 売上収益 / 当期利益6,144億円826億円13.4%
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1936
10月

日本特殊陶業株式会社を設立

碍子由来のセラミック焼成技術と輸入途絶が生んだ国産独占の原型

点火プラグの技術基盤は碍子メーカーの焼成技術にあり、江副は研究着手から実用化まで9年、会社設立まで15年を要した。このように参入障壁が高いセラミック焼成の領域で技術を確立した時期が、戦時中の輸入途絶と重なったことで、日本特殊陶業は国内唯一の専業メーカーとして市場を独占する構図が成立した。技術の深さと外部環境の偶然が重なり、後発メーカーの参入を構造的に困難にした原点がここにある。

背景碍子メーカーの技師が見出した点火プラグという未開市場

日本碍子で絶縁部品を手がけていた技術者・江副孫右衛門は、1921年に海外で普及しつつあった自動車用点火プラグに着眼し、社内で研究開発に着手した。しかし、点火プラグの絶縁体には通常の陶器とは異なる電気絶縁性能・機械強度・急熱急冷耐性が求められ、原材料の選定から焼成技術の確立まで長期の開発期間を要した。1926年に試作品1000個を生産したものの不良品が発見され、品質管理の徹底を理由に販売計画を一度中止する判断を下している。

その後も歩留まり改良を続け、1930年にようやく自動車向け点火プラグの製造販売を開始した。研究着手から実用化まで約9年を費やした形であり、碍子由来のセラミック焼成技術を転用するという着想が正しかったとしても、製品として成立させるまでの技術的ハードルは高かった。1930年代を通じてトヨタ自動車をはじめとする国産メーカーが成長し、点火プラグの内需が拡大する局面で、江副の9年間の技術蓄積が事業基盤として機能し始めた。

決断点火プラグ事業の分離独立と日本特殊陶業の設立

自動車の国産化に伴う需要増大に対応するため、日本碍子は点火プラグ事業の分離を決定し、1936年に資本金100万円で日本特殊陶業を設立した。本社工場は日本碍子の隣接地に竣工し、従業員数259名の規模で操業を開始した。初代社長には9年間にわたり開発の最前線に立ち続けた江副孫右衛門が就任し、研究者がそのまま経営トップを務める体制となった。

日本特殊陶業の設立時期は、結果的に追い風となった。戦時体制のもとで独ボッシュや米AC社からの輸入が途絶し、国産自動車メーカーは国内調達に切り替えざるを得なかった。日本特殊陶業は国産唯一の専業メーカーとして注文を集め、戦時需要を取り込む形で業容を拡大した。輸入途絶という外部環境の変化が、設立間もない企業に市場独占の機会を与えた構図であった。

結果輸入途絶が生んだ国産独占体制と戦後への技術蓄積

戦時中は航空機向け点火プラグの製造にも対応し、1945年3月時点で従業員数は2887名にまで膨張した。しかし終戦とともに軍需が消失し、約2600名の人員を解雇して従業員数約200名の規模に縮小するという急激な調整を経験している。戦時の急拡大と終戦後の急縮小は、需要構造が軍需に偏っていたことの帰結であった。

ただし、戦時中に蓄積された大量生産の技術と設備運用の経験は、戦後の自動車産業の復興とともに再び活用されることとなった。碍子メーカーの一部門から始まった点火プラグ事業は、分離独立と輸入途絶を経て国内市場の支配的地位を獲得し、以後の日本特殊陶業の事業基盤を形成した。江副が1921年に始めた研究は、15年以上の歳月を経て一企業の設立に結実した格好であった。

碍子由来のセラミック焼成技術と輸入途絶が生んだ国産独占の原型

点火プラグの技術基盤は碍子メーカーの焼成技術にあり、江副は研究着手から実用化まで9年、会社設立まで15年を要した。このように参入障壁が高いセラミック焼成の領域で技術を確立した時期が、戦時中の輸入途絶と重なったことで、日本特殊陶業は国内唯一の専業メーカーとして市場を独占する構図が成立した。技術の深さと外部環境の偶然が重なり、後発メーカーの参入を構造的に困難にした原点がここにある。

年表日本特殊陶業株式会社を設立に関する出来事
19214月日本ガイシ:点火プラグの研究開始
19268月日本ガイシ:点火プラグの不良発見により販売中止
19309月日本ガイシ:自動車向け点火プラグの販売
19374月日本特殊陶業株式会社を設立(日本ガイシから分離)
資本金100万円
19374月NGKスパークプラグの製造を開始
1945
終戦により2000名を解雇
1949
東京証券取引所に株式上場
1956
スパークプラグの生産改善
1959
ブラジルで点火プラグの現地生産を開始
1962
小牧工場を新設・プラグ増産体制へ
1966
点火プラグで国内シェア70%を確保・補修用で高収益
1966
米国に現地法人を設立
1967
セラミックICパッケージの製造販売を開始
1972
スーパープラグの値上げ実施
1973
東南アジアでの現地生産を本格化
1975
欧・米・豪で販売拠点を拡充
1982
自動車向け酸素センターに参入
1990
先進国での現地生産を本格化
1998
インテル向けの樹脂PKGの量産を本格化
2003
アジアでの生産増強
2007
半導体向けパッケージの増産・小牧工場で増産計画
2009
3月

最終赤字に転落・セラミックICパッケージの再編

2009/3期(連結)売上高 2,921億円当期純利益 -716億円
素材転換を10年放置した末にリーマンが引いた撤退の引き金

セラミックからプラスチックへの素材転換は1996年のインテルの決定で方向性が定まっていたが、日本特殊陶業がセラミック製造設備を本格的に縮小するまでに10年以上を要した。その間に蓄積された過剰設備が、リーマンショックによる需要急減で一括して損失処理される結果となった。担当副社長の退任という人事を伴う事業再編は、構造的な問題の解決が外的ショックなしには実行されにくいという組織的慣性を示唆している。

背景リーマンショックが露呈させた半導体パッケージ事業の過剰設備

2008年のリーマンショックにより半導体需要が急減し、ICパッケージの受注が大幅に縮小した。日本特殊陶業はセラミックICパッケージの製造設備について、国内5工場で減損損失として合計266億円を計上した。一部の製造拠点は工場稼働の目処が立たず、資産価値を大幅に切り下げる判断となった。素材転換によるセラミック需要の構造的な縮小に加え、景気後退による需要急減が重なり、設備の過剰感が一気に顕在化した。

この結果、FY2008に日本特殊陶業は716億円の最終赤字に転落した。1990年代後半からプラスチックへの素材転換が進行する中で維持してきたセラミック製造設備が、リーマンショックを契機に一括で損失処理される形となった。セラミック需要の縮小は構造的な変化であり、景気循環の問題ではなかったが、巨額の減損処理という形で一度に顕在化したのはリーマンショックという外的ショックの結果であった。

決断情報通信事業の担当副社長を退任させ自動車事業に回帰

2009年5月に日本特殊陶業は代表取締役の人事異動を発表した。情報通信事業(セラミックICパッケージ)を担当してきた加藤副社長が顧問に退き、代わって自動車事業出身の川原・川下両氏が代表取締役副社長に就任した。情報通信事業の責任者が経営中枢から退くことで、日本特殊陶業は自動車関連事業に注力する経営体制へと転換した。

同時に、セラミックICパッケージの事業再編にも着手した。財務体質が悪化した製造子会社を1社に集約するとともに、セラミックICパッケージの製造を段階的に縮小する方針を打ち出した。1967年に開始し約40年にわたって展開してきた半導体向けパッケージ事業は、素材転換とリーマンショックの二重の打撃を受けて縮小に向かうこととなった。

結果自動車関連事業への選択と集中による経営方針の明確化

担当役員の交代と事業再編は、日本特殊陶業の事業ポートフォリオにおける優先順位を明確にした。自動車向け点火プラグと半導体向けパッケージの二本柱で成長してきた構造から、自動車関連事業に資源を集中する方針へと転換した。以後の設備投資は自動車関連に傾斜配分されることとなり、2013年の第6次中期経営計画における自動車事業への集中投資へとつながっていった。

716億円の最終赤字と266億円の減損処理は、セラミックICパッケージの設備を維持し続けたことの代償であった。1996年のインテルによる素材転換の時点でセラミック需要の構造的縮小は見えていたが、既存設備の処理と事業縮小の判断には10年以上を要した。結果として、外的ショックが事業撤退の引き金を引く形となった。

2009/3期(連結)売上高 2,921億円当期純利益 -716億円
素材転換を10年放置した末にリーマンが引いた撤退の引き金

セラミックからプラスチックへの素材転換は1996年のインテルの決定で方向性が定まっていたが、日本特殊陶業がセラミック製造設備を本格的に縮小するまでに10年以上を要した。その間に蓄積された過剰設備が、リーマンショックによる需要急減で一括して損失処理される結果となった。担当副社長の退任という人事を伴う事業再編は、構造的な問題の解決が外的ショックなしには実行されにくいという組織的慣性を示唆している。

年表最終赤字に転落・セラミックICパッケージの再編に関する出来事
20093月最終赤字に転落
20095月加藤氏が代表取締役副社長を退任
20095月セラミックICパッケージの事業再編を開始
2013
5月

スパークプラグ10億本生産計画を公表

2013/3期(連結)売上高 3,027億円当期純利益 209億円
半導体で衰退し点火プラグで障壁たり得たセラミック技術の非対称

日本特殊陶業のセラミック焼成技術は、半導体パッケージではプラスチックへの素材転換により市場価値を失ったが、点火プラグにおいては依然として高い参入障壁として機能し続けた。同一の技術基盤が市場によって正反対の評価を受けるという非対称構造の中で、有効な市場に資源を集中するという判断が第6次中期経営計画の本質であった。国内に280億円を投じて二野工場を新設したのは、技術の集積度を維持する選択でもあった。

背景半導体パッケージからの撤退を受けた自動車事業への集中投資

2009年のセラミックICパッケージの事業再編により、日本特殊陶業は自動車関連事業に経営資源を集中する方針を明確にしていた。かつての二本柱のうち半導体向けパッケージが縮小に向かう中で、残された自動車向け点火プラグを成長ドライバーとして位置づける必要があった。2013年に公表された第6次中期経営計画は、この方針を具体的な数値目標と設備投資計画に落とし込んだものであった。

計画の柱は、2020年度末までにスパークプラグの生産量を「10億本」に引き上げるという目標であった。FY2013の設備投資計画では約460億円を自動車関連事業に投じる方針を打ち出し、部品ごとに生産工場を1箇所に集約する効率化を推進した。従来は異なる工場で同一の部品を製造していたが、主要部品(絶縁体・主体金具・端子部品など)をそれぞれ1箇所の工場で集中生産する体制への移行を目指した。

決断国内に二野工場を新設しセラミック焼成の技術集積を維持

増産計画の中核となったのが、絶縁体の生産拠点として新設された二野工場(岐阜県可児市)であった。第1期の投資額は280億円に及び、日本特殊陶業としては大規模な単体投資であった。主力の小牧工場が老朽化しつつある中で、二野工場は小牧工場のリプレイスという側面も持っていた。

海外ではなく国内に工場を新設した理由は、セラミック加工における生産技術の難易度の高さにあった。点火プラグの絶縁体はアルミナの焼成技術を基盤としており、国内に蓄積された技術と人材を活用するためには、生産拠点を国内に維持する合理性があった。人件費の安い新興国ではなく、技術の集積度を優先して国内投資を選択した判断であった。

結果自動車専業への回帰と「選択と集中」の具体化

第6次中期経営計画と二野工場の新設は、日本特殊陶業の事業構造を自動車関連に一本化する転換点となった。1967年以来約45年にわたって維持してきた「自動車+半導体」の二本柱から、自動車事業への選択と集中を設備投資の形で具現化した。半導体パッケージへの投資を縮小し、その分を自動車関連に振り向けるという資源配分の転換であった。

二野工場に280億円、その他の拠点にも計画的な投資を積み上げることで、点火プラグの世界的な供給体制の強化を図った。セラミック焼成という技術基盤は、半導体パッケージでは市場そのものが縮小したが、点火プラグにおいては依然として参入障壁の源泉であり続けた。同じ技術が異なる市場で異なる運命をたどるという構造の中で、日本特殊陶業は技術が有効な市場に集中する選択を行った。

2013/3期(連結)売上高 3,027億円当期純利益 209億円
半導体で衰退し点火プラグで障壁たり得たセラミック技術の非対称

日本特殊陶業のセラミック焼成技術は、半導体パッケージではプラスチックへの素材転換により市場価値を失ったが、点火プラグにおいては依然として高い参入障壁として機能し続けた。同一の技術基盤が市場によって正反対の評価を受けるという非対称構造の中で、有効な市場に資源を集中するという判断が第6次中期経営計画の本質であった。国内に280億円を投じて二野工場を新設したのは、技術の集積度を維持する選択でもあった。

年表スパークプラグ10億本生産計画を公表に関する出来事
20135月第6次中期経営計画を公表
20144月二野工場を新設(絶縁体)
投資予定額280億円
20154月タイに新工場を新設(主体金具)
投資予定額30億円
20162月小牧市に工場を新設(電極・端子部品)
投資予定額70億円
2023
英文商号をNittera Co., Ltd.に変更
2024
過去最高益を達成