計画策定の背景
富士フイルムは写真フィルム事業を祖業として成長してきたが、1990年代後半からデジタル化の進展によりフィルム需要が急速に縮小し、2000年3月期には減収決算に直面した。この局面で同社は、写真フィルムに固執するのではなく、富士ゼロックスの連結化による時間確保、液晶ディスプレイ向け部材への集中投資、医療・医薬分野への参入などを通じて、投下資本の向きを段階的に組み替えてきた。結果として、同社は将来を正確に予測した企業ではなく、需要減少が顕在化した時点で資本配分を修正し続けた企業として事業転換を進めてきた。
一方で、FPD部材事業の成熟やドキュメント事業の収益性低下など、既存事業の成長余地には限界も見え始めていた。2010年代後半には、バイオ医薬品CDMOへの大型投資や医療機器事業の買収を進め、ヘルスケアを新たな中核事業として位置づけたが、事業ポートフォリオ全体としては依然として多様であった。こうした状況を踏まえ、富士フイルムは2030年を見据え、成長分野を明確化しつつ、投下資本の回収と再投資の規律を強めるためにVISION2030を策定した。
経営の基本方針
VISION2030では、ヘルスケア、エレクトロニクス、ビジネスイノベーション、イメージングの各領域において、事業ごとの役割を明確化し、成長投資と構造改革を並行して進める方針を掲げている。特にヘルスケア分野では、医療機器、医薬品、バイオCDMOを一体で展開し、診断から製造までをカバーする事業基盤の構築を通じて、長期的な成長ドライバーとして位置づけている。
同時に、成熟事業については規模拡大を前提とせず、ROICを基準とした資本配分を徹底することで、収益性とキャッシュフロー創出力を重視した運営へ転換する。全社としては、投下資本効率を意識した事業運営を通じて、成長分野への再投資と株主還元を両立させ、持続的に企業価値を高める経営を志向する。VISION2030は、多角化そのものを目的とするのではなく、ROICを軸に事業ポートフォリオを磨き続けるための長期指針として位置づけられている。
Author’s Questions
なぜ、写真フィルム事業の構造的縮小を早期に不可逆な前提として受け入れられたのか
富士フイルムは1990年代後半からデジタル化の進展によって写真フィルム市場が不可逆的に縮小することを認識し、既存事業の延命や市場回復を前提とせず、構造転換を前提とした経営判断を進めてきた。同様の環境変化に直面していた企業が多く存在した中で、なぜ同社は技術優位や一時的な収益回復への期待ではなく、事業の前提条件そのものを切り替える判断に至ったのか
ゼロックス事業は、富士フイルムにとってどのような存在だったのか
富士フイルムにとって、富士ゼロックス(現・FUJIFILM Business Innovation)は長年にわたり安定したキャッシュ創出力を持つ事業であり、写真フィルム事業の縮小局面においても全社の財務を下支えする役割を果たしてきた。一方で、この事業は経営資源の配分や意思決定の重心を既存事業側に引き寄せる作用も持っていたと考えられる。ゼロックス事業は、同社にとって変革を可能にする「支え」であったのか、それとも判断の速度や方向性に影響を与える「制約」でもあったのか
写真フィルムから転換した結果として、逆に多角化の程度が高まりすぎてはいないか
VISION2030ではヘルスケア、エレクトロニクス、ビジネスイノベーション、イメージングといった複数事業のポートフォリオが明示されているが、各事業間の技術的・事業的な関連性は必ずしも高いとは言い切れない。高収益事業によって多角化を支える構造は、安定性を高める一方で、資本配分や経営管理の複雑化を招く可能性も内包している。現在のポートフォリオは、事業の集合体としてではなく、経営効率や資本効率の観点からも一体として機能する設計になっているのか
富士フイルムにおいて、祖業である写真フィルムからの事業転換は、しばしば先見的な経営判断の成功例として語られるが、これは後付けの解釈である。しかし、個々の意思決定を時系列で確認すると、必ずしも将来変化を先取りした転換であったとは整理しにくい。1997年時点でも、デジタルカメラは画質や運用面で制約が大きく、当時のM社長は写真フィルムがデジタルに対して優位であるという認識を公言していた。実際には、写真フィルム需要の減速は想定より早く進み、2000年3月期には減収決算に至った。ただし、当時のデジタルの技術水準を踏まえれば、1997年時点の判断を直ちに非合理と断定することはできない。
転換を可能にした要因は、将来予測の精度ではなく、減収に至った時点で資本配分をスピーディーに修正した経営転換にあった。特に、2001年の富士ゼロックス連結子会社化は、事業統合による競争優位の獲得というより、売上構成を組み替えることで時間を確保する対応だった。複写機事業の売上を連結に取り込むことで、写真フィルム需要減少による売上成長の鈍化を相殺し、急激な事業撤退を回避した。この猶予期間の中で、同社は写真フィルムと技術的連続性を持つ分野へ投下資本を移していく。液晶ディスプレイ向け部材への集中投資、さらに医薬品分野へのM&Aはいずれも、既存技術の用途再編を通じた事業ポートフォリオの再設計だった。
また、キャッシュフローを潤沢に生み出す富士ゼロックスの連結化も、この転換を下支えした。長年にわたる合弁関係は、写真フィルム事業への依存を緩和する収益装置として機能していた。一方で、複写機市場が成熟すると、この関係性は意思決定や事業再編の速度を制約する要因へと転じた。最終的に完全子会社化へ至った過程は、成長投資というより、事業ポートフォリオを整理し、キャッシュフローが安定していた富士ゼロックスを収益の支えとして位置付けることで、フィルム縮小と新領域への投資を両立させた。
結果として富士フイルムは、「正しく予測した企業」ではなく、「誤算を修正し続けた企業」と位置付けられる。写真フィルムへの過信は存在したが、それを長期に固定化せず、富士ゼロックスの連結化とM&Aを通じて投下資本の向きを段階的に変えていった点が帰結を分けた。市場の未来予測ではなく、写真フィルムの退潮が決定的となった時点で、資本配分をスピーディーに是正したことが、フィルムからの業態転換を成し遂げた決定要因であった。