富士フイルム の歴史

更新:

創業

1934年

創業者

※大日本セルロイド

創業地

神奈川県足柄上郡

直近売上高(2026/3)

33,570億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1934年に富士写真フイルムは輸入依存を断って国産化に賭けたのか
A 1934年1月、写真フィルムを米コダックや独アグファからの輸入に頼り国防上の弱みとされたため、国産化を国策として担う形で大日本セルロイドから富士写真フイルムが分離設立された。輸入停止の国策と資本金の4割に及ぶ助成金が需要と資金を保証したが、銀塩フィルムは乳剤の化学制御と精密塗布を要し、1936年には量産に失敗して累積36万円の赤字を出した。それでも国内市場に守られる間に、乳剤の化学と精密製造という他社が短期では習得できない技術を自前で築いた。これが後年の事業転換を支える資産となった。
Q なぜ古森重隆社長は1997年以降のデジタル化を第二の創業として異業種へ転用したのか
A 1985年に国内シェア70%超・単体で経常利益1,000億円超を生んだ写真フィルムは、1997年以降のデジタル化でその利益源そのものが消えると見えたため、古森重隆社長はこれを第二の創業と定め、銀塩で磨いた化学合成と精密製造を別市場へ転用することに賭けた。2008年3月に富山化学を買収して医薬へ、2011年にMerck系の製造受託事業体を取得してバイオCDMOへ進み、自社で新薬を開発せず受託に徹して製薬企業と競合しない構造を組み込んだ。フィルムの技術資産がヘルスケアと半導体材料へ流れ込んだ。
Q なぜ2021年に古森氏は後藤禎一社長へCEOを譲り、写真フィルムも米ゼロックスとの縁も外したのか
A 2021年、写真フィルムを脱した複合企業の形を後継へ手渡すため、20年以上経営を率いた古森重隆氏はCEOを後藤禎一社長へ譲り最高顧問へ退いた。古森氏は富山化学・Merck事業・日立製作所の画像診断事業を連続買収し、医薬・CDMO・医療機器を一社にそろえた。後藤社長は就任と同じ2021年4月、富士ゼロックスを富士フイルムビジネスイノベーションへ改称し、技術ライセンス契約満了を機に米ゼロックスと60年近く続いた複写機の提携を解いた。祖業も創業以来の縁も外した会社を後藤社長が率いている。

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1934年〜 写真フィルム国産化の使命と、専業メーカーとしての確立

富士フイルムの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1934年 富士フイルム創業——大日本セルロイドが分社した写真フィルム専業会社と国策助成金 米コダック・独アグファ依存からの脱却を国策に、大日本セルロイドが写真フィルム部門を分社した富士写真フイルムは、量産失敗による累積赤字をどう立て直して写真専業メーカーへ育ったか
  2. 1934年 足柄工場を建設
  3. 1936年 量産化に失敗し累積36万円の赤字を計上
  4. 1936年 医療用X線フィルムを国産化
  5. 1938年 小田原工場を建設
  6. 1939年 写真感光材料製造事業法により国家管理品目に指定
  7. 1951年 国産初の長編劇映画用カラーフイルムを完成

資本金の40%の助成金と、累積36万円の赤字が残した誓い

1934年1月、大日本セルロイドが写真フィルム部の事業一切を分離継承させ[1]、資本金300万円・従業員340名[2]で富士写真フイルムを創業した。大正13年に旭写真工業の国産フイルムが、昭和4年に六桜社のフイルムが発売されていたが、いずれもフィルムベースは輸入品に頼っていた[3]。その国産化に乗り出した大日本セルロイドは約15年の準備期間を経て昭和8年から神奈川県足柄上郡足柄町に写真フィルム製造工場の建設を進め、昭和9年1月に完成[4]させている。新会社はこの足柄工場を丸ごと引き継ぎ、フィルムベースから製品までの一貫生産体制がわが国で初めて実現[5]した。用地には富士山と丹沢を水源とする酒匂川の軟水と、低湿度の気候を備えた足柄上郡[6]が選ばれた。

  • 富士フイルムホールディングス 有価証券報告書 第125期(2021年3月期)【沿革】
    • [1]1934年1月 大日本セルロイドの写真フィルム部の事業一切を分離継承して富士写真フイルムを設立
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [2]資本金300万円・従業員340名で発足
    • [3]大正13年 旭写真工業の国産フイルム、昭和4年 六桜社のフイルム。いずれもフィルムベースは輸入依存
    • [4]約15年の準備期間を経て昭和8年から足柄町に写真フィルム製造工場を建設し昭和9年1月に完成
    • [5]フィルムベースから製品までの一貫生産体制がわが国で初めて実現
  • 富士写真フイルム50年のあゆみ(1984)
    • [6]酒匂川の軟水と低湿度の気候を備えた足柄上郡を用地に選定

創業直後の1936年に量産化でつまずき、累積36万円の赤字を計上して事業の継続が危ぶまれた[7]。乳剤の性能が外国品に追いつかず、現像所の評価で国産は絶望視される水準[8]にあった。のちに4代目社長となる小林節太郎氏は社内に去就を問い、「資本金の40%におよぶ巨額の助成金交付を得てフィルム国産に踏み切った。外国品を駆逐するのが使命と思い、経営してきたが、累積36万円の赤字を出し、会社は憂慮すべき状態になった。やめたいものは遠慮せずに去ってほしい」(私の履歴書 1977)と述べて、再建に協力する者と運命を共にする方針を示した。1938年6月には小田原工場を建設し[10]、硝酸銀・色素などの高度化成品部門と、光学硝子・写真機などの精密光学機器部門を拡充して量産専用のラインを分離した。 [9]

  • 私の履歴書 小林節太郎(日本経済新聞社, 1977)
    • [7]1936年 量産化に失敗し累積36万円の赤字を計上、事業継続が危ぶまれた
    • [9]小林節太郎氏が社内に去就を問い、再建に協力する者と運命を共にする方針を提示
  • 読売新聞(1938年7月24日)
    • [8]乳剤の性能が外国品に追いつかず現像所の評価で国産は絶望視される水準
  • 富士フイルムホールディングス 有価証券報告書 第125期(2021年3月期)【沿革】
    • [10]1938年6月 小田原工場建設(高度化成品部門・精密光学機器部門の拡充)

1939年の写真感光材料製造事業法の施行により、写真フィルムは陸海軍向けの国家管理品目[11]となった。1944年3月には榎本光学精機製作所を買収[12]し、終戦時には従業員約8000名の規模[13]へ達している。戦後は1946年4月に天然色写真を設立[14]し、4大特約店による販売網と現像網を東西日本に敷いた。1949年5月には東京・大阪の証券取引所へ上場[15]し、写真専業の公開メーカーとして再出発した。

  • 富士写真フイルム50年のあゆみ(1984)
    • [11]1939年 写真感光材料製造事業法の施行で写真フィルムが陸海軍向けの国家管理品目に
    • [13]終戦時の従業員 約8000名
    • [15]1949年5月 東京・大阪証券取引所へ上場
  • 富士フイルムホールディングス 有価証券報告書 第125期(2021年3月期)【沿革】
    • [12]1944年3月 榎本光学精機製作所を買収
    • [14]1946年4月 天然色写真を設立
  • 富士フイルムホールディングス 有価証券報告書 第125期(2021年3月期)【沿革】
    • [1]1934年1月 大日本セルロイドの写真フィルム部の事業一切を分離継承して富士写真フイルムを設立
    • [10]1938年6月 小田原工場建設(高度化成品部門・精密光学機器部門の拡充)
    • [12]1944年3月 榎本光学精機製作所を買収
    • [14]1946年4月 天然色写真を設立
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [2]資本金300万円・従業員340名で発足
    • [3]大正13年 旭写真工業の国産フイルム、昭和4年 六桜社のフイルム。いずれもフィルムベースは輸入依存
    • [4]約15年の準備期間を経て昭和8年から足柄町に写真フィルム製造工場を建設し昭和9年1月に完成
    • [5]フィルムベースから製品までの一貫生産体制がわが国で初めて実現
  • 富士写真フイルム50年のあゆみ(1984)
    • [6]酒匂川の軟水と低湿度の気候を備えた足柄上郡を用地に選定
    • [11]1939年 写真感光材料製造事業法の施行で写真フィルムが陸海軍向けの国家管理品目に
    • [13]終戦時の従業員 約8000名
    • [15]1949年5月 東京・大阪証券取引所へ上場
  • 私の履歴書 小林節太郎(日本経済新聞社, 1977)
    • [7]1936年 量産化に失敗し累積36万円の赤字を計上、事業継続が危ぶまれた
    • [9]小林節太郎氏が社内に去就を問い、再建に協力する者と運命を共にする方針を提示
  • 読売新聞(1938年7月24日)
    • [8]乳剤の性能が外国品に追いつかず現像所の評価で国産は絶望視される水準

舶来品に見劣りした国産フィルムと、迫る輸入自由化

1951年に国産初の長編劇映画用カラーフイルムを完成させ、翌1952年にはロールフイルム「ネオパンSS」[16]を売り出した。1954年にはオートメーション方式による新フイルム工場を完成させ、1953年から進めてきたフィルムベースの不燃化を同年末に終えている[17]。1956年には品質管理の優秀性を評価されてデミング賞を受けた[18]。国産化の使命を掲げて出発した専業メーカーは、この20年で製品系列と品質管理の体系を自前で組み上げた[19]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [16]1951年 国産初の長編劇映画用カラーフイルムを完成、1952年 ロールフイルム「ネオパンSS」を販売
    • [17]1954年 オートメーションシステムによる新フイルム工場を完成、1953年から進めたフィルムベースの不燃化を1954年末に完了
    • [18]1956年 品質管理の優秀性を認められデミング賞を受賞
    • [19]製品系列と品質管理の体系を自前で構築(1951年カラー映画用フイルム〜1956年デミング賞)

1961年10月の時点で、カメラは国産品が普及した一方、需要が急にふえたカラーフィルムでは国産品と舶来品の品質格差が残った[20]。安い国産フィルムは色で見劣りし、高い舶来品には値打ちがあるという評価が定着しており、富士写真フイルムと小西六写真工業は翌年に迫った輸入自由化に戦々恐々としていた[21]。自由化されればアグファもコダックもともに値を下げ、国内に現像設備を広げて大攻勢に転じる[22]と見られていた。国産フィルムが実力を試されるのは[23]、その自由化のときからだった。

  • 読売新聞(1961年10月13日)
    • [20]1961年10月 カメラは国産品が普及、需要が増えたカラーフィルムで国産品と舶来品の品質格差が残存
    • [21]安い国産フィルムは色で見劣りし高い舶来品に値打ちがあるとの評価。富士写真・小西六は翌秋の自由化を前に戦々恐々
    • [22]自由化後にアグファ・コダックが値下げし国内に現像設備を広げて大攻勢へ転じるとの見通し
    • [23]国産フィルムの真価が問われるのは自由化のとき
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [16]1951年 国産初の長編劇映画用カラーフイルムを完成、1952年 ロールフイルム「ネオパンSS」を販売
    • [17]1954年 オートメーションシステムによる新フイルム工場を完成、1953年から進めたフィルムベースの不燃化を1954年末に完了
    • [18]1956年 品質管理の優秀性を認められデミング賞を受賞
    • [19]製品系列と品質管理の体系を自前で構築(1951年カラー映画用フイルム〜1956年デミング賞)
  • 読売新聞(1961年10月13日)
    • [20]1961年10月 カメラは国産品が普及、需要が増えたカラーフィルムで国産品と舶来品の品質格差が残存
    • [21]安い国産フィルムは色で見劣りし高い舶来品に値打ちがあるとの評価。富士写真・小西六は翌秋の自由化を前に戦々恐々
    • [22]自由化後にアグファ・コダックが値下げし国内に現像設備を広げて大攻勢へ転じるとの見通し
    • [23]国産フィルムの真価が問われるのは自由化のとき

1962年〜 輸入自由化とコダック迎撃、非写真事業の助走

富士フイルムの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1962年 ランクゼロックスとの合弁で富士ゼロックスを設立
  2. 1963年 富士宮工場を建設
  3. 1968年 通商産業省がカラーフィルムの輸入自由化の方針を決定
  4. 1977年 「フジカラF-II 400」を発売
  5. 1980年 大西實氏が社長に就任
  6. 1983年 X線画像診断システム「FCR」を発売
  7. 1985年 写真フィルムの国内シェアが70%強

複写機合弁と、交渉材料にされたカラーフィルム

1962年2月、英国ランクゼロックス社との合弁により富士ゼロックスを設立[24]し、ゼログラフィー方式の複写機という写真感光材料以外の収益源を得た。複写機は一度納入すれば以後のコピー利用量に応じて安定して収益が入り、1970年代に特許が切れるまで市場を独占[25]して高収益を上げた。1963年10月には富士宮工場を建設して印画紙用バライタとバライタ原紙の内製[26]に踏み込み、1965年12月に米国ニューヨーク州へFuji Photo Film U.S.A.を、1966年6月にドイツへFuji Photo Film (Europe) GmbHを設立[27]した。1972年12月には吉田南工場を建設し、オフセット印刷用材料であるPS版の製造[28]を始めた。

  • 富士フイルムホールディングス 有価証券報告書 第125期(2021年3月期)【沿革】
    • [24]1962年2月 英国ランクゼロックス社との合弁により富士ゼロックスを設立
    • [26]1963年10月 富士宮工場建設(印画紙用バライタ及びバライタ原紙製造)
    • [27]1965年12月 Fuji Photo Film U.S.A.を米国ニューヨーク州に設立、1966年6月 Fuji Photo Film (Europe) GmbHをドイツに設立
    • [28]1972年12月 吉田南工場建設(オフセット印刷用材料PS版製造)
  • 週刊東洋経済 2017年12月23日号「【第2特集 富士フイルム 不正会計を機に大手術】本気になった富士フイルム 不正会計を機に大手術」
    • [25]複写機は納入後のコピー利用量に応じて安定収益。1970年代の特許切れまで市場を独占し高収益

1968年12月、通産省はカラーフィルムの輸入を全面的に自由化する意向を固め、映画用を年内に、8mm・16mm・一般カメラ用を翌年度から1年ないし1年半のうちに段階的に自由化する方針[29]を打ち出した。その背景には、電子製品など将来の戦略産業の自由化を先送りするため、カラーフィルムを差し出して交渉の材料に使う[30]という通産省の計算があった。翌1969年10月にはコダックが値下げするといううわさが流れ、「コダックが本気で日本市場を攻撃してくれば、コカコーラやネスカフェのようにひとたまりもない[31]」(読売新聞 1969/10/14)と国内メーカーは弱気だった。

  • 読売新聞(1968年12月4日)
    • [29]1968年12月 通産省がカラーフィルムの輸入を全面自由化する意向を決定。映画用を年内、8mm・16mm・一般カメラ用を翌年度から1年〜1年半で段階的に
    • [30]電子製品など将来の戦略産業の自由化を先送りするためカラーフィルムを交渉材料に使う通産省の方針
  • 読売新聞(1969年10月14日)
    • [31]1969年10月 コダック値下げのうわさに国内メーカーが弱気(コカコーラやネスカフェのようにひとたまりもない)

1973年の時点で、店頭価格は国産が500円、海外製が1200円と開いていた[32]。1977年2月4日、富士写真フイルムはISO400の超高感度35ミリカラーネガフイルム「フジカラF-II 400」の36枚撮りを標準小売価格950円で発売[33]し、価格の優位を保ったまま感度で舶来品に並んだ。開発にあたって常務会は「満場一致で、この新製品を総力を結集して開発しよう[34]」「予算は使いたいだけ使ってもいいし、人間も集められる範囲でどんどん投入していい」(プレジデント 1977/12)という異例の承認を出した。

  • 日経ビジネス 1973年4月2日号「コダック撃退できるか温室育ち」
    • [32]1973年 国産500円・海外製1200円の価格差
  • 日経産業新聞(1977年2月1日)「富士写、超高感度カラーフイルム36枚撮りを4日発売」
    • [33]1977年2月4日 ISO400の超高感度35ミリカラーネガフイルム「フジカラF-II 400」36枚撮りを標準小売価格950円で発売
    • [34]常務会が満場一致で開発を承認し予算・人員の投入に制限を設けなかった
  • 富士フイルムホールディングス 有価証券報告書 第125期(2021年3月期)【沿革】
    • [24]1962年2月 英国ランクゼロックス社との合弁により富士ゼロックスを設立
    • [26]1963年10月 富士宮工場建設(印画紙用バライタ及びバライタ原紙製造)
    • [27]1965年12月 Fuji Photo Film U.S.A.を米国ニューヨーク州に設立、1966年6月 Fuji Photo Film (Europe) GmbHをドイツに設立
    • [28]1972年12月 吉田南工場建設(オフセット印刷用材料PS版製造)
  • 週刊東洋経済 2017年12月23日号「【第2特集 富士フイルム 不正会計を機に大手術】本気になった富士フイルム 不正会計を機に大手術」
    • [25]複写機は納入後のコピー利用量に応じて安定収益。1970年代の特許切れまで市場を独占し高収益
  • 読売新聞(1968年12月4日)
    • [29]1968年12月 通産省がカラーフィルムの輸入を全面自由化する意向を決定。映画用を年内、8mm・16mm・一般カメラ用を翌年度から1年〜1年半で段階的に
    • [30]電子製品など将来の戦略産業の自由化を先送りするためカラーフィルムを交渉材料に使う通産省の方針
  • 読売新聞(1969年10月14日)
    • [31]1969年10月 コダック値下げのうわさに国内メーカーが弱気(コカコーラやネスカフェのようにひとたまりもない)
  • 日経ビジネス 1973年4月2日号「コダック撃退できるか温室育ち」
    • [32]1973年 国産500円・海外製1200円の価格差
  • 日経産業新聞(1977年2月1日)「富士写、超高感度カラーフイルム36枚撮りを4日発売」
    • [33]1977年2月4日 ISO400の超高感度35ミリカラーネガフイルム「フジカラF-II 400」36枚撮りを標準小売価格950円で発売
    • [34]常務会が満場一致で開発を承認し予算・人員の投入に制限を設けなかった

EKに追いつき追い越すが積み上げた営業利益1500億円

1980年5月、大西實氏が社長に就いた[35]。緑のフジカラーののぼりを背負って外回りをし、抜群の営業成績を残した[36]営業畑の出身である。大西氏は「EK(イーストマン・コダック)に追いつき、追い越す」という単純明快なスローガンで社内を糾合し、1987年ごろには営業利益1500億円を安定して稼ぐ体質へ[37]富士写真フイルムを変えた。倹約を重ねて資金力を蓄え、そのカネで製品開発・工場建設・販売網整備を地道に進める経営[38]であり、内部情報はいっさい外へ出さなかった。

  • 週刊東洋経済 1997年3月29日号「企業 富士写真フイルム 超リストラ人事制度の波紋 問われる大西長期政権の功罪」
    • [35]大西實氏の社長在任は1980年5月から1996年6月までの16年間
  • 週刊東洋経済 2006年9月2日号「不毛の10年を終えV字回復へ さらば!大西天皇の呪縛 富士フイルム変える古森改革」
    • [36]大西實氏は緑のフジカラーののぼりを担いで外回りをし抜群の営業成績を残した
    • [37]EKに追いつき追い越すのスローガンで社内を糾合し1987年ごろに営業利益1500億円を安定して稼ぐ体質へ
    • [38]倹約で資金力を蓄え製品開発・工場建設・販売網整備に充て内部情報は外に出さない経営

1983年には、レントゲン写真をデジタル保存する世界初のX線画像診断システムFCRを売り出した[39]。医療用X線フィルムの国産化は創業2年後の1936年にさかのぼり[40]、写真感光材料と並ぶ事業の系譜がここから伸びる。1985年には写真フィルムの国内シェアで富士写が70%強で独走し、小西六写真工業が20%弱、コダックが10%強で第3位[41]という勢力図になった。1982年8月にはオランダへFuji Photo Film B.V.を、1988年7月には米国サウスカロライナ州へFuji Photo Film, Inc.を設立[42]し、フィルムと印画紙の一貫生産を海外へ移した。

  • 発明協会「戦後日本のイノベーション100選」X線フィルムのデジタル化
    • [39]1983年 レントゲン画像をデジタル保存するX線画像診断システムFCRを事業化
  • 週刊東洋経済 2025年9月6日号「【第2特集 日の丸医療機器の正念場】進撃の富士フイルム メディカル1兆円への野望」
    • [40]医療機器事業は創業2年後の1936年の医療用X線フィルム国産化に由来
  • 日経ビジネス 1985年11月25日号「光る世界戦略、コダックを射程」
    • [41]1985年 写真フィルム国内シェアは富士写70%強・小西六20%弱・コダック10%強で第3位
  • 富士フイルムホールディングス 有価証券報告書 第125期(2021年3月期)【沿革】
    • [42]1982年8月 Fuji Photo Film B.V.をオランダに設立、1988年7月 Fuji Photo Film, Inc.を米国サウスカロライナ州に設立

稼いだ利益は株主に配らず社内へ積み上げ、1990年代後半まで配当性向は10%未満の低水準が常態化[43]した。連結ベースの利益剰余金は1996年3月期末で1兆1425億円に達し、金利が1%上がれば年間利息が約30億円ふえる[44]規模だった。ところが経営効率は反対の方向へ動いており、株主資本利益率は1981年の19.1%をピークに年々下がって1996年3月期には5.8%まで縮み、蓄えた利益を効率的に再投資できていなかった[45]

  • 週刊東洋経済 2006年9月2日号「不毛の10年を終えV字回復へ さらば!大西天皇の呪縛 富士フイルム変える古森改革」
    • [43]1990年代後半まで配当性向10%未満が常態化
  • 週刊東洋経済 1997年3月29日号「企業 富士写真フイルム 超リストラ人事制度の波紋 問われる大西長期政権の功罪」
    • [44]1996年3月期末の連結内部留保 1兆1425億円。金利1%上昇で年間利息が約30億円増
    • [45]株主資本利益率は1981年19.1%をピークに低下し1996年3月期5.8%。利益を効率的に再投資できていなかった
  • 週刊東洋経済 1997年3月29日号「企業 富士写真フイルム 超リストラ人事制度の波紋 問われる大西長期政権の功罪」
    • [35]大西實氏の社長在任は1980年5月から1996年6月までの16年間
    • [44]1996年3月期末の連結内部留保 1兆1425億円。金利1%上昇で年間利息が約30億円増
    • [45]株主資本利益率は1981年19.1%をピークに低下し1996年3月期5.8%。利益を効率的に再投資できていなかった
  • 週刊東洋経済 2006年9月2日号「不毛の10年を終えV字回復へ さらば!大西天皇の呪縛 富士フイルム変える古森改革」
    • [36]大西實氏は緑のフジカラーののぼりを担いで外回りをし抜群の営業成績を残した
    • [37]EKに追いつき追い越すのスローガンで社内を糾合し1987年ごろに営業利益1500億円を安定して稼ぐ体質へ
    • [38]倹約で資金力を蓄え製品開発・工場建設・販売網整備に充て内部情報は外に出さない経営
    • [43]1990年代後半まで配当性向10%未満が常態化
  • 発明協会「戦後日本のイノベーション100選」X線フィルムのデジタル化
    • [39]1983年 レントゲン画像をデジタル保存するX線画像診断システムFCRを事業化
  • 週刊東洋経済 2025年9月6日号「【第2特集 日の丸医療機器の正念場】進撃の富士フイルム メディカル1兆円への野望」
    • [40]医療機器事業は創業2年後の1936年の医療用X線フィルム国産化に由来
  • 日経ビジネス 1985年11月25日号「光る世界戦略、コダックを射程」
    • [41]1985年 写真フィルム国内シェアは富士写70%強・小西六20%弱・コダック10%強で第3位
  • 富士フイルムホールディングス 有価証券報告書 第125期(2021年3月期)【沿革】
    • [42]1982年8月 Fuji Photo Film B.V.をオランダに設立、1988年7月 Fuji Photo Film, Inc.を米国サウスカロライナ州に設立

1990年〜 高収益の終わりと、路線が動かなかった十数年

富士フイルムの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1995年 コダックが米通商法301条に基づき通商代表部へ提訴
  2. 1996年 次世代フィルム規格APSを業界共同で開発
  3. 1996年 米通商代表部が日本を世界貿易機関へ提訴
  4. 1997年 カラーフィルムの国内出荷がピーク
  5. 1997年 日米フィルム紛争が勝訴で決着
  6. 2000年 写真フィルムの世界需要がピーク
  7. 2000年 古森重隆氏が社長に就任

日米フィルム紛争の全面勝訴が残した成功体験

日本の写真関連製品の市場規模は1980年の7307億円から1992年の1兆1521億円まで年々拡大したのち[46]、成熟による数量の伸び悩みと、円高による海外製フィルム・印画紙の流入でマイナスに転じ、1995年には1兆0647億円まで縮んだ[47]。1995年5月、米国で70%のシェアを持つイーストマン・コダックは、日本で70%のシェアを持つ富士写真フイルムが高いリベートなどで排他的な商慣行を行っているとして、米通商法301条に基づき米通商代表部へ提訴した[48]。1996年6月、通商代表部は日本政府の行為は不当だとする301条調査結果を発表すると同時に、日本を世界貿易機関へ提訴した[49]

  • 週刊東洋経済 1997年3月29日号「企業 富士写真フイルム 超リストラ人事制度の波紋 問われる大西長期政権の功罪」
    • [46]日本の写真関連製品市場は1980年7307億円→1992年1兆1521億円→1995年1兆0647億円
    • [47]1995年に市場規模は1兆0647億円まで縮小
  • 週刊東洋経済 1998年5月23日号「通商摩擦 日米フィルム紛争 コダックに写る異質な日本」
    • [48]1995年5月 コダックが米通商法301条に基づき富士写真フイルムの排他的商慣行を米通商代表部へ提訴
    • [49]1996年6月 通商代表部が301条調査結果を発表し日本をWTOへ提訴

1997年12月、世界貿易機関の紛争処理小委員会は日本市場に参入妨害の事実はないとする中間報告をまとめ、日米フィルム紛争は富士フイルムの勝訴で決着[50]した。1998年1月には米国の主張をほぼ全面的に退けた最終報告が日米両政府へ伝えられ、本文476ページに及ぶ報告は非違反申し立てについての判断にその大半を当てていた[51]。この間コダックは主力のフイルム・印画紙がドル高で輸出採算を悪化させ、全世界で1万人の人員削減と2年間で10億ドルのコスト削減を発表[52]しており、日本での全面勝訴は富士写真フイルムの社内に「得がたい成功体験[53]」を残した。

  • 週刊東洋経済 1997年12月20日号「[フラッシュ]日米フイルム紛争 富士フイルム勝訴で決着」
    • [50]1997年12月 WTO中間報告が日本市場に参入妨害の事実なしと裁定し富士フイルムの勝訴で決着
    • [52]コダックはドル高で輸出採算が悪化し全世界1万人の人員削減と2年で10億ドルのコスト削減を発表
  • 週刊東洋経済 1998年5月23日号「通商摩擦 日米フィルム紛争 コダックに写る異質な日本」
    • [51]1998年1月 パネル最終報告は米国の主張をほぼ全面的に退け、本文476ページの大半を非違反申し立ての判断に充当
  • 週刊東洋経済 2006年9月2日号「不毛の10年を終えV字回復へ さらば!大西天皇の呪縛 富士フイルム変える古森改革」
    • [53]退任した役員が日米フィルム紛争の勝訴を「得がたい成功体験」と記した

その勝訴と前後して、1997年にカラーフィルムの国内出荷はピークを迎え、富士写真フイルムの営業利益率も同時に頭を打った[54]。それでも大西体制は写真フィルムを中心とする戦略を変えず、向かった先は社内の引き締め[55]だった。1996年4月に約10年ぶりで管理職の役職制度を改定し、役職定年年齢の引き下げと一律の減俸措置を入れたが、減俸による人件費の減少は年間数億円にとどまり[56]、社員のモチベーション低下を招いた[57]

  • 週刊東洋経済 2006年9月2日号「不毛の10年を終えV字回復へ さらば!大西天皇の呪縛 富士フイルム変える古森改革」
    • [54]1997年 カラーフィルムの国内出荷がピーク。同時に営業利益率もピークを打った
    • [55]大西体制は写真フィルム中心の戦略を転換せず社内の引き締めを図った
    • [57]新役職制度は社員のモチベーション低下を招いたと関係者が指摘
  • 週刊東洋経済 1997年3月29日号「企業 富士写真フイルム 超リストラ人事制度の波紋 問われる大西長期政権の功罪」
    • [56]1996年4月 約10年ぶりの新役職制度(管理職の定年年齢引き下げと一律減俸)。減俸による人件費減は年間数億円
  • 週刊東洋経済 1997年3月29日号「企業 富士写真フイルム 超リストラ人事制度の波紋 問われる大西長期政権の功罪」
    • [46]日本の写真関連製品市場は1980年7307億円→1992年1兆1521億円→1995年1兆0647億円
    • [47]1995年に市場規模は1兆0647億円まで縮小
    • [56]1996年4月 約10年ぶりの新役職制度(管理職の定年年齢引き下げと一律減俸)。減俸による人件費減は年間数億円
  • 週刊東洋経済 1998年5月23日号「通商摩擦 日米フィルム紛争 コダックに写る異質な日本」
    • [48]1995年5月 コダックが米通商法301条に基づき富士写真フイルムの排他的商慣行を米通商代表部へ提訴
    • [49]1996年6月 通商代表部が301条調査結果を発表し日本をWTOへ提訴
    • [51]1998年1月 パネル最終報告は米国の主張をほぼ全面的に退け、本文476ページの大半を非違反申し立ての判断に充当
  • 週刊東洋経済 1997年12月20日号「[フラッシュ]日米フイルム紛争 富士フイルム勝訴で決着」
    • [50]1997年12月 WTO中間報告が日本市場に参入妨害の事実なしと裁定し富士フイルムの勝訴で決着
    • [52]コダックはドル高で輸出採算が悪化し全世界1万人の人員削減と2年で10億ドルのコスト削減を発表
  • 週刊東洋経済 2006年9月2日号「不毛の10年を終えV字回復へ さらば!大西天皇の呪縛 富士フイルム変える古森改革」
    • [53]退任した役員が日米フィルム紛争の勝訴を「得がたい成功体験」と記した
    • [54]1997年 カラーフィルムの国内出荷がピーク。同時に営業利益率もピークを打った
    • [55]大西体制は写真フィルム中心の戦略を転換せず社内の引き締めを図った
    • [57]新役職制度は社員のモチベーション低下を招いたと関係者が指摘

APSの敗北と、路線が動かなかった社長交代

1995年、カシオ計算機が普及型デジタルカメラ「QV-10」を発売[58]した。翌1996年に富士写真フイルムは既存フィルムより装填が簡便な次世代フィルムとしてAPSを業界共同で開発したが、多くの消費者はAPSに目もくれずデジタルカメラへ流れた[59]。APSカメラ最大手だったキヤノンがデジタルカメラへの本格移行を決めた2000年を境に、フィルム市場は年率3割の高いペースで激減[60]し始める。既存フィルムの延命でしかないAPSに軸を預けた[61]ことが、その後のデジタルカメラでの苦戦につながった。

  • 週刊東洋経済 2006年9月2日号「不毛の10年を終えV字回復へ さらば!大西天皇の呪縛 富士フイルム変える古森改革」
    • [58]1995年 カシオ計算機が普及型デジタルカメラ「QV-10」を発売
    • [59]1996年 富士写真フイルムが先頭となり次世代フィルム規格APSを業界で共同開発。消費者はデジタルカメラへ流れた
    • [60]APSカメラ最大手のキヤノンがデジタルカメラへ本格移行した2000年を境にフィルム市場は年率3割で激減
    • [61]既存フィルムの延命にすぎないAPSへ軸足を預けた結果デジタルカメラで苦戦

富士写真フイルムはCCDなど撮像半導体に画像を記録するデジタルカメラを世界で初めて製品化したメーカーであり、1990年代後半には世界シェアの1、2位を争っていた[62]。しかし驚異的に儲かるフィルムを前にデジタルカメラは不採算事業と見下され、シェアはみるみる低下する[63]。印画紙も写真印刷を売りにする家庭用インクジェットプリンタに侵食され、店頭プリント用のミニラボは1000万円超と高額で購入できる写真店が少なく、その間にセイコーエプソンとキヤノンの先行を許した[64]。1997年11月の時点で、単体で1000億円以上の経常利益を上げ続ける超高収益企業は、すでに転換点に立っていた[65]

  • 週刊東洋経済 2006年9月2日号「不毛の10年を終えV字回復へ さらば!大西天皇の呪縛 富士フイルム変える古森改革」
    • [62]富士写真フイルムはCCD等の撮像半導体に画像を記録するデジタルカメラを世界で初めて製品化。1990年代後半は世界シェア1、2位
    • [63]高収益のフィルムを前にデジタルカメラを不採算事業と見下しシェアが低下
    • [64]印画紙は家庭用インクジェットプリンタに侵食。1000万円超のミニラボを買える写真店は少なくエプソン・キヤノンの先行を許した
  • 日経ビジネス 1997年11月17日号「富士写真フイルム・巨人を悩ますデジタル包囲網」
    • [65]1997年11月 単体で1000億円以上の経常利益を上げ続ける超高収益企業が転換点に立った

1996年6月、宗雪雅幸氏が社長に就任し、大西實氏は会長へ退いた[66]。2000年6月には古森重隆氏が社長に就いた[67]。人材豊作の年と呼ばれた1963年入社組から苛烈な出世競争を勝ち抜いた、印刷と記録メディアの営業畑[68]を歩んだ非主流の人である。ただし大西氏は代表権を持つ会長として残り、古森氏が2003年にCEOへ就くまで[69]写真フィルム中心の路線は動かなかった。写真フィルムが売上高に占める比率は、かつての4割近くから2003年度には7.9%まで下落している[70]

  • 週刊東洋経済 1997年3月29日号「企業 富士写真フイルム 超リストラ人事制度の波紋 問われる大西長期政権の功罪」
    • [66]1996年6月 宗雪雅幸氏が社長に就任(当時62歳)、大西實氏は会長へ
  • 週刊東洋経済 2006年9月2日号「不毛の10年を終えV字回復へ さらば!大西天皇の呪縛 富士フイルム変える古森改革」
    • [67]2000年6月 古森重隆氏が社長に就任
    • [68]古森重隆氏は1963年入社組から出世競争を勝ち抜いた印刷・記録メディアの営業畑
  • 週刊東洋経済 2014年4月19日号「【特集 本業消失】Part1 本業「消失」から「創出」へ 富士フイルム苦闘の記録」
    • [69]古森重隆氏の2003年CEO就任まで大西實氏が代表権を保持
  • 週刊東洋経済 2004年11月13日号「ビジネスリポート 退路を断った巨人たち 富士写真フイルム 国内流通 大手術」
    • [70]写真フィルムの売上高構成比は4割近くから2003年度に7.9%へ低下
  • 週刊東洋経済 2006年9月2日号「不毛の10年を終えV字回復へ さらば!大西天皇の呪縛 富士フイルム変える古森改革」
    • [58]1995年 カシオ計算機が普及型デジタルカメラ「QV-10」を発売
    • [59]1996年 富士写真フイルムが先頭となり次世代フィルム規格APSを業界で共同開発。消費者はデジタルカメラへ流れた
    • [60]APSカメラ最大手のキヤノンがデジタルカメラへ本格移行した2000年を境にフィルム市場は年率3割で激減
    • [61]既存フィルムの延命にすぎないAPSへ軸足を預けた結果デジタルカメラで苦戦
    • [62]富士写真フイルムはCCD等の撮像半導体に画像を記録するデジタルカメラを世界で初めて製品化。1990年代後半は世界シェア1、2位
    • [63]高収益のフィルムを前にデジタルカメラを不採算事業と見下しシェアが低下
    • [64]印画紙は家庭用インクジェットプリンタに侵食。1000万円超のミニラボを買える写真店は少なくエプソン・キヤノンの先行を許した
    • [67]2000年6月 古森重隆氏が社長に就任
    • [68]古森重隆氏は1963年入社組から出世競争を勝ち抜いた印刷・記録メディアの営業畑
  • 日経ビジネス 1997年11月17日号「富士写真フイルム・巨人を悩ますデジタル包囲網」
    • [65]1997年11月 単体で1000億円以上の経常利益を上げ続ける超高収益企業が転換点に立った
  • 週刊東洋経済 1997年3月29日号「企業 富士写真フイルム 超リストラ人事制度の波紋 問われる大西長期政権の功罪」
    • [66]1996年6月 宗雪雅幸氏が社長に就任(当時62歳)、大西實氏は会長へ
  • 週刊東洋経済 2014年4月19日号「【特集 本業消失】Part1 本業「消失」から「創出」へ 富士フイルム苦闘の記録」
    • [69]古森重隆氏の2003年CEO就任まで大西實氏が代表権を保持
  • 週刊東洋経済 2004年11月13日号「ビジネスリポート 退路を断った巨人たち 富士写真フイルム 国内流通 大手術」
    • [70]写真フィルムの売上高構成比は4割近くから2003年度に7.9%へ低下

2004年〜 VISION75と第二の創業——ヘルスケアへの再配置

富士フイルムの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2004年 本業の消失に備えた構造改革「VISION75」と第二の創業 利益の源泉であった写真フィルムが消えるとき、富士写真フイルムは何を捨て、どこへ資源を移したか
  2. 2004年 4大特約店の制度を廃止
  3. 2006年 化粧品市場に参入
  4. 2007年 写真技術の化粧品転用とスキンケアブランド「アスタリフト」の創設 消えゆく写真技術を、なぜ肌の手入れに使えたか——本業消失下の技術転用による多角化
  5. 2008年 富山化学工業の買収と医薬事業への参入 画像診断の会社が、なぜ製薬会社を買ったのか——診断から治療へ、医療の裾野をどこまで広げるか
  6. 2011年 バイオ医薬品CDMOへの集中投資と1兆円構想 創薬か、製造受託か——写真事業消失後のヘルスケア軸を、富士フイルムはなぜ「黒子」に賭けたか
  7. 2019年 米ゼロックス買収構想の破談と富士ゼロックスの完全子会社化 史上最大級の統合構想はなぜ破談し、富士フイルムは合弁の清算で何を得たか

VISION75と創業以来初の5000人削減

2004年1月20日、会社創立70周年のこの日に、古森重隆CEOは中期経営計画「VISION75」を発表した[71]。写真フィルムに替わる新事業を育成し、多様な事業に対応できるよう連結経営を強化し、写真フィルム関連の構造改革を断行する[72]、という三つを柱に据えた計画である。国内販売体制の再構築や生産体制の再編などで3年後に約650億円のコストダウンを掲げ[73]、強さの源泉だった流通構造に大ナタを振るうと宣言した。写真フィルムは全社の利益の3分の2を稼いでいたが、その世界需要は古森CEOが社長に就任した2000年にピークをつけ[74]、2006年に半減、2010年には10分の1以下へ落ち込んだ[75]

  • 週刊東洋経済 2014年4月19日号「【特集 本業消失】Part1 本業「消失」から「創出」へ 富士フイルム苦闘の記録」
    • [71]2004年1月20日 創立70周年に中期経営計画VISION75を発表
    • [72]古森CEOと高橋俊雄取締役が定めた三つの柱(写真フィルムに替わる新事業の育成・連結経営の強化・写真フィルム関連の構造改革)
    • [73]国内販売体制の再構築や生産体制の再編などで3年後に約650億円のコストダウンを掲げた
    • [74]写真フィルムは全社利益の3分の2を稼ぎ、世界需要は古森氏が社長に就任した2000年にピーク
  • 日経クロストレンド(2020年10月22日)「フィルム市場喪失をDXで乗り越え成長した富士フイルム」
    • [75]写真フィルムの世界需要は2000年をピークに2006年に半減、2010年に10分の1以下へ

2004年10月、富士写真フイルムは約70年にわたり運命共同体として歩んだ4大特約店の制度を廃止し、販売子会社の富士フイルムイメージングを設立して営業権を譲り受けた[76]。1871年創業の浅沼商会を筆頭に老舗が揃った4社のうち、83年の歴史を持つ近江屋写真用品と美スズ産業は会社清算[77]に追い込まれた。4特の経常利益率は1%を割り込んでおり、4社で約115億円あった差入保証金の返還を考慮しても、富士写の負担は200億〜300億円[78]と見られた。コニカが1997年に特約店制度を廃止していたのに対し、富士写は成功体験の大きさと業界への配慮から積年の課題[79]に手をつけられずにいた。

  • 週刊東洋経済 2004年11月13日号「ビジネスリポート 退路を断った巨人たち 富士写真フイルム 国内流通 大手術」
    • [76]2004年10月 約70年続いた4大特約店制度を廃止し富士フイルムイメージングへ営業権を譲渡
    • [77]4特は1871年創業の浅沼商会ほか老舗。83年の歴史を持つ近江屋写真用品と美スズ産業は会社清算へ
    • [78]4特の経常利益率は1%割れ。差入保証金は4社で約115億円、富士写の負担は200億〜300億円との見立て
    • [79]コニカは1997年に特約店制度を廃止。富士写は成功体験と業界への配慮から積年の課題に着手できずにいた

2006年1月31日、富士写真フイルムはイメージング事業で約5000人の人員削減を発表した[80]。国内外の写真関連部署で働く約1万5000人のうち3分の1にあたり、創業以来初のリストラ[81]である。生産・販売体制の縮小に伴う一時費用は総額約1650億円を当年度と翌年度に集中計上[82]し、例年1500億円前後だった営業利益は半減した[83]。同年10月には全ての営業を富士フイルムへ承継する新設分割を行って持株会社の富士フイルムホールディングスへ移行[84]し、社名から「写真」の2文字が消えた[85]。富士ゼロックスは2001年3月に発行済株式総数の25%を追加取得して連結子会社[86]としていたが、連結売上高の4割を占めながら距離が残っており、持株会社への移行で両社は急接近した[87]

  • ビジネス+IT(2006年1月31日)「富士写真フイルム、約5000人の人員削減などイメージング事業の構造改革概要を発表」
    • [80]2006年1月31日 イメージング事業で約5000人の人員削減を発表
    • [82]生産・販売体制の縮小に伴う一時費用 総額約1650億円を当年度・翌年度に集中計上
  • 週刊東洋経済 2014年4月19日号「【特集 本業消失】Part1 本業「消失」から「創出」へ 富士フイルム苦闘の記録」
    • [81]削減対象は国内外の写真関連部署の約1万5000人のうち約5000人。創業以来初のリストラ
  • 週刊東洋経済 2006年9月2日号「不毛の10年を終えV字回復へ さらば!大西天皇の呪縛 富士フイルム変える古森改革」
    • [83]2005・2006年度のリストラ費用計上で例年1500億円前後の営業利益が半減
    • [85]2006年10月の商号変更で社名から「写真」が外れた
    • [87]富士ゼロックスは連結売上高の4割を占めたが距離が残り、2006年10月の持株会社移行で両社が急接近
  • 富士フイルムホールディングス 有価証券報告書 第125期(2021年3月期)【沿革】
    • [84]2006年10月 新設分割により持株会社の富士フイルムホールディングスへ移行
    • [86]2001年3月 富士ゼロックスの発行済株式総数の25%を追加取得し連結子会社化
  • 週刊東洋経済 2014年4月19日号「【特集 本業消失】Part1 本業「消失」から「創出」へ 富士フイルム苦闘の記録」
    • [71]2004年1月20日 創立70周年に中期経営計画VISION75を発表
    • [72]古森CEOと高橋俊雄取締役が定めた三つの柱(写真フィルムに替わる新事業の育成・連結経営の強化・写真フィルム関連の構造改革)
    • [73]国内販売体制の再構築や生産体制の再編などで3年後に約650億円のコストダウンを掲げた
    • [74]写真フィルムは全社利益の3分の2を稼ぎ、世界需要は古森氏が社長に就任した2000年にピーク
    • [81]削減対象は国内外の写真関連部署の約1万5000人のうち約5000人。創業以来初のリストラ
  • 日経クロストレンド(2020年10月22日)「フィルム市場喪失をDXで乗り越え成長した富士フイルム」
    • [75]写真フィルムの世界需要は2000年をピークに2006年に半減、2010年に10分の1以下へ
  • 週刊東洋経済 2004年11月13日号「ビジネスリポート 退路を断った巨人たち 富士写真フイルム 国内流通 大手術」
    • [76]2004年10月 約70年続いた4大特約店制度を廃止し富士フイルムイメージングへ営業権を譲渡
    • [77]4特は1871年創業の浅沼商会ほか老舗。83年の歴史を持つ近江屋写真用品と美スズ産業は会社清算へ
    • [78]4特の経常利益率は1%割れ。差入保証金は4社で約115億円、富士写の負担は200億〜300億円との見立て
    • [79]コニカは1997年に特約店制度を廃止。富士写は成功体験と業界への配慮から積年の課題に着手できずにいた
  • ビジネス+IT(2006年1月31日)「富士写真フイルム、約5000人の人員削減などイメージング事業の構造改革概要を発表」
    • [80]2006年1月31日 イメージング事業で約5000人の人員削減を発表
    • [82]生産・販売体制の縮小に伴う一時費用 総額約1650億円を当年度・翌年度に集中計上
  • 週刊東洋経済 2006年9月2日号「不毛の10年を終えV字回復へ さらば!大西天皇の呪縛 富士フイルム変える古森改革」
    • [83]2005・2006年度のリストラ費用計上で例年1500億円前後の営業利益が半減
    • [85]2006年10月の商号変更で社名から「写真」が外れた
    • [87]富士ゼロックスは連結売上高の4割を占めたが距離が残り、2006年10月の持株会社移行で両社が急接近
  • 富士フイルムホールディングス 有価証券報告書 第125期(2021年3月期)【沿革】
    • [84]2006年10月 新設分割により持株会社の富士フイルムホールディングスへ移行
    • [86]2001年3月 富士ゼロックスの発行済株式総数の25%を追加取得し連結子会社化

技術の棚卸しが生んだTACフィルムとアスタリフト

古森CEOは2003年以降、30人のTACフィルム専門チームを事業部へ格上げしたのを皮切りに、ライフサイエンス事業部・化学薬品事業部・光学デバイス事業部・内視鏡システム部など六つの新しい事業部を立ち上げた[88]。いずれも成長分野でありながら、写真フィルムの時代には「非主流」の烙印を押されてきた領域[89]である。2004年の経営会議でTACフィルムの1ライン増設を提案した担当者に対し、古森CEOは「2ラインじゃなくていいのか」と逆提案し、1ライン百数十億円の設備を一度に二つ作らせた[90]。液晶方式とプラズマ方式の勝敗が決していない段階での増産投資であり、フラットパネルディスプレー材料事業の売上高は2003年度の760億円から2010年度の2185億円へ伸びた[91]

  • 週刊東洋経済 2006年9月2日号「不毛の10年を終えV字回復へ さらば!大西天皇の呪縛 富士フイルム変える古森改革」
    • [88]2003年以降、TACフィルムの30人チームの事業部格上げを皮切りに六つの新事業部を設立
    • [89]新事業部の対象はいずれも成長分野でありながら社内で非主流とされてきた領域
  • 週刊東洋経済 2014年4月19日号「【特集 本業消失】Part1 本業「消失」から「創出」へ 富士フイルム苦闘の記録」
    • [90]2004年の経営会議で古森CEOが1ライン増設提案に対し2ライン同時建設を逆提案。1ラインは百数十億円
    • [91]フラットパネルディスプレー材料事業の売上高は2003年度760億円から2010年度2185億円へ

フィルムに代わる成長分野を探すため、富士フイルムは自社が保有する技術の棚卸しに取りかかった[92]。写真フィルムの材料の半分は肌の主成分と同じコラーゲンであり、フィルムづくりで培ったコラーゲン研究・光解析コントロール・抗酸化・独自のナノテクノロジーの四つが化粧品に生かせる[93]と見極めた。2006年に化粧品市場へ参入し、翌2007年には抗酸化物質アスタキサンチンをナノレベルの乳化・分散技術で微細化して主成分に据えたスキンケアブランド「アスタリフト」[94]を売り出した。VISION75の発表から3年を経た2007年度の売上高は2兆8468億円、営業利益は2073億円[95]で、いずれも当時の過去最高だった。

  • 日経クロストレンド(2020年10月22日)「フィルム市場喪失をDXで乗り越え成長した富士フイルム」
    • [92]フィルムに代わる成長戦略を描くため自社保有技術の棚卸しに着手
  • nippon.com(2013年2月5日)「【富士フイルム】写真技術で女性の肌を美しく」
    • [93]写真フィルムの材料の半分は肌の主成分と同じコラーゲン。コラーゲン研究・光解析コントロール・抗酸化・ナノテクノロジーの4基盤技術
    • [94]2006年に化粧品事業へ参入、2007年からスキンケアシリーズ「アスタリフト」を発売。抗酸化物質アスタキサンチンをナノ乳化・分散技術で微細安定化
  • 週刊東洋経済 2014年4月19日号「【特集 本業消失】Part1 本業「消失」から「創出」へ 富士フイルム苦闘の記録」
    • [95]2007年度の売上高2兆8468億円・営業利益2073億円はいずれも当時の過去最高
  • 週刊東洋経済 2006年9月2日号「不毛の10年を終えV字回復へ さらば!大西天皇の呪縛 富士フイルム変える古森改革」
    • [88]2003年以降、TACフィルムの30人チームの事業部格上げを皮切りに六つの新事業部を設立
    • [89]新事業部の対象はいずれも成長分野でありながら社内で非主流とされてきた領域
  • 週刊東洋経済 2014年4月19日号「【特集 本業消失】Part1 本業「消失」から「創出」へ 富士フイルム苦闘の記録」
    • [90]2004年の経営会議で古森CEOが1ライン増設提案に対し2ライン同時建設を逆提案。1ラインは百数十億円
    • [91]フラットパネルディスプレー材料事業の売上高は2003年度760億円から2010年度2185億円へ
    • [95]2007年度の売上高2兆8468億円・営業利益2073億円はいずれも当時の過去最高
  • 日経クロストレンド(2020年10月22日)「フィルム市場喪失をDXで乗り越え成長した富士フイルム」
    • [92]フィルムに代わる成長戦略を描くため自社保有技術の棚卸しに着手
  • nippon.com(2013年2月5日)「【富士フイルム】写真技術で女性の肌を美しく」
    • [93]写真フィルムの材料の半分は肌の主成分と同じコラーゲン。コラーゲン研究・光解析コントロール・抗酸化・ナノテクノロジーの4基盤技術
    • [94]2006年に化粧品事業へ参入、2007年からスキンケアシリーズ「アスタリフト」を発売。抗酸化物質アスタキサンチンをナノ乳化・分散技術で微細安定化

ヘルスケアへの再配置と、米ゼロックス買収の決着

2008年3月、富士フイルムは富山化学工業の株式を公開買付けにより取得して連結子会社とした[96]。TOB価格は1株880円で、公表前営業日の終値631円に39.4%のプレミアム[97]を乗せている。大正製薬との共同買収により最終的に富士フイルムが66%、大正製薬が34%を保有[98]し、買収の総額は約1300億円に達した[99]。取り込んだパイプラインの抗ウイルス薬T-705は、2014年3月に「アビガン」の名で世界に先駆けて国内の製造販売承認を取得[100]した。2011年3月には米メルクの受託製造子会社MSDバイオロジクスとダイオシンスを買収してバイオ医薬品の製造受託へ参入し、2012年3月には携帯型超音波診断装置に強みを持つ米SonoSiteを買収[101]した。

  • 富士フイルムホールディングス 有価証券報告書 第125期(2021年3月期)【沿革】
    • [96]2008年3月 富山化学工業の株式を公開買付けにより取得し連結子会社化
    • [101]2011年3月 MSD Biologics(UK)及びDiosynth RTPを買収、2012年3月 SonoSiteを買収
  • M&A Online(2008年2月13日)「富士フイルムHD、富山化学工業をTOBで子会社化へ」
    • [97]TOB価格1株880円。公表前営業日終値631円に39.4%のプレミアム
  • ビジネス+IT(2008年2月13日)「富士フイルム・大正製薬・富山化学の3社、資本・業務提携へ」
    • [98]資本業務提携により富士フイルム66%・大正製薬34%の保有比率
  • nippon.com(2014年12月15日)「エボラ治療薬への期待—富山化学が開発のアビガン錠」
    • [99]富山化学の買収総額 約1300億円
    • [100]抗ウイルス薬T-705は2014年3月に「アビガン」として国内の製造販売承認を取得

2016年3月期の連結売上高2兆4916億円のうち47%を占めるドキュメント事業がオフィスの印刷需要の低迷で伸び悩む[102]なか、富士フイルムは東芝メディカルシステムズの買収に名乗りを上げたが、接戦の末にキヤノンへ競り負けた[103]。2017年4月には富士ゼロックスのニュージーランド・オーストラリア子会社で利益の過大計上が発覚し、富士フイルムHDの2010〜15年度の純利益は累計281億円が過大に計上[104]されていた。2018年1月31日、富士フイルムHDは米ゼロックス株の50.1%を取得し、傘下の富士ゼロックスと経営統合する構想を公表した[105]。富士ゼロックスが金融機関から約6700億円を借り入れて富士フイルムHDの保有する75%の自社株を取得し、その資金を米ゼロックスの第三者割当増資引き受けへ充てるため、グループから現金は流出しない[106]仕組みだった。だが筆頭株主のカール・アイカーン氏と第3位株主のダーウィン・ディーソン氏が評価は低すぎるとして反対し、2018年4月27日にニューヨーク州の裁判所が統合の差し止めを命じ、米ゼロックスは同年5月13日に統合契約を破棄した[107]

  • 日経新聞(2016年12月16日)「富士フイルム、再生医療、収益化へ着々」
    • [102]2016年3月期の連結売上高2兆4916億円、47%を占めるドキュメント事業はオフィスの印刷需要低迷で伸び悩み
  • 週刊東洋経済 2025年9月6日号「【第2特集 日の丸医療機器の正念場】進撃の富士フイルム メディカル1兆円への野望」
    • [103]2016年 東芝メディカルシステムズの買収でキヤノンに競り負けた
  • 週刊東洋経済 2017年12月23日号「【第2特集 富士フイルム 不正会計を機に大手術】本気になった富士フイルム 不正会計を機に大手術」
    • [104]2017年4月 富士ゼロックスのNZ・豪子会社で不正会計が発覚。2010〜15年度の富士フイルムHD純利益は累計281億円過大計上
  • 日本経済新聞(2018年1月31日)「富士フイルム 米ゼロックスを買収 子会社と統合 事務機世界最大手に」
    • [105]2018年1月31日 富士フイルムHDが米ゼロックス株の50.1%を取得し富士ゼロックスと経営統合する構想を公表
  • 週刊東洋経済 2018年2月10日号「ニュース深掘り 富士フイルムの大勝負 物言う株主が動かした名門ゼロックス買収劇」
    • [106]買収スキームは富士ゼロックスが約6700億円を借り入れ富士フイルムHD保有の75%自社株を取得、資金を米ゼロックスの第三者割当増資に充当。グループから現金流出はない
  • Harvard Law School Forum on Corporate Governance(2018年5月29日)「The Xerox Takeover Saga」
    • [107]アイカーン氏とディーソン氏が過小評価として反対。2018年4月27日にニューヨーク州最高裁が統合を差し止め、5月13日に米ゼロックスが契約を破棄

富士フイルムHDは契約違反として10億ドル超の損害賠償を求めて提訴[108]したうえで、2019年11月に23億ドルで富士ゼロックス株25%などを買い取り、完全子会社とした[109]。ゼロックスの販売地域の縛りが外れ、欧米も含めて自由に製品を供給できる立場[110]を得ている。ヘルスケアの側では2019年8月に米バイオジェンのデンマーク製造子会社を約8億9000万ドルで取得し、バイオ医薬品の受託生産能力を4工場合計15万リットルへ約3倍に引き上げた[111]。2019年12月に約1790億円で買収すると発表した日立製作所の画像診断関連事業[112]は2021年3月に連結子会社となり[113]、CTとMRIという大型の診断機器が製品群に加わった。2021年6月に古森重隆氏が退任し、同月に社長兼CEOへ就いた後藤禎一[114]が掲げた2027年3月期のヘルスケア売上高1兆円は2年前倒しで達成され、2024年度のメディカルシステム事業は売上高6932億円、全社売上高は3兆1958億円となった[115]。バイオ医薬品CDMOでは細胞培養槽を2030年度に約5倍の75万リットル強へ広げ[116]、売上高を2023年度の2034億円から7000億円へ伸ばす計画[117]を掲げている。

  • 日本経済新聞(2018年6月19日)「富士フイルム、ゼロックスを提訴 損害賠償10億ドル超」
    • [108]2018年6月 富士フイルムHDが契約違反として10億ドル超の損害賠償を求めゼロックスを提訴
  • 日本経済新聞(2019年11月5日)「富士フイルム、ゼロックスと合弁解消 富士ゼロ全株取得」
    • [109]2019年11月 23億ドル(約2500億円)で富士ゼロックス株25%などを取得し完全子会社化
  • 日本経済新聞(2019年11月5日)「富士フイルム、米ゼロックスと合弁解消 提携は維持」
    • [110]合弁解消により米ゼロックス以外へも自由に製品を供給できる立場を確保
  • 薬事日報(2019年3月19日)「【富士フイルム】バイオジェン子会社を買収‐約991億円でバイオCDMO強化」
    • [111]2019年 米バイオジェンのデンマーク製造子会社を約8億9000万ドル(約991億円)で買収し4工場合計15万リットル(約3倍)へ
  • 週刊BCN+(2019年12月20日)「富士フイルム、日立製作所の「画像診断関連事業」を1790億円で買収、医療分野を拡充」
    • [112]2019年12月 日立製作所の画像診断関連事業を約1790億円で買収すると発表
  • 富士フイルムホールディングス 有価証券報告書 第125期(2021年3月期)【沿革】
    • [113]2021年3月 日立製作所の画像診断関連事業を買収し連結子会社化
  • 週刊東洋経済 2021年10月23日号「トップに直撃 富士フイルムホールディングス 社長兼CEO 後藤禎一」
    • [114]2021年6月に古森重隆氏が退任、同月に後藤禎一氏が社長兼CEOへ就任し2027年3月期のヘルスケア売上高1兆円を目標に掲げた
  • 週刊東洋経済 2025年9月6日号「【第2特集 日の丸医療機器の正念場】進撃の富士フイルム メディカル1兆円への野望」
    • [115]ヘルスケア売上高1兆円目標を2年前倒しで達成。2024年度のメディカルシステム事業は売上高6932億円、全社売上高3兆1958億円
  • 薬事日報(2024年7月22日)「【富士フイルムHD】バイオCDMO事業に投資‐細胞培養槽を約5倍に」
    • [116]バイオCDMOの細胞培養槽を2030年度に約5倍の75万リットル強へ整備する計画
  • 週刊東洋経済 2024年10月5日号「【特集 製薬サバイバル】Part3 バイオ医薬品の製造受託が伸び盛り 富士フイルムが大型投資」
    • [117]バイオCDMOの売上高を2023年度2034億円から2030年度に7000億円へ伸ばす計画
  • 富士フイルムホールディングス 有価証券報告書 第125期(2021年3月期)【沿革】
    • [96]2008年3月 富山化学工業の株式を公開買付けにより取得し連結子会社化
    • [101]2011年3月 MSD Biologics(UK)及びDiosynth RTPを買収、2012年3月 SonoSiteを買収
    • [113]2021年3月 日立製作所の画像診断関連事業を買収し連結子会社化
  • M&A Online(2008年2月13日)「富士フイルムHD、富山化学工業をTOBで子会社化へ」
    • [97]TOB価格1株880円。公表前営業日終値631円に39.4%のプレミアム
  • ビジネス+IT(2008年2月13日)「富士フイルム・大正製薬・富山化学の3社、資本・業務提携へ」
    • [98]資本業務提携により富士フイルム66%・大正製薬34%の保有比率
  • nippon.com(2014年12月15日)「エボラ治療薬への期待—富山化学が開発のアビガン錠」
    • [99]富山化学の買収総額 約1300億円
    • [100]抗ウイルス薬T-705は2014年3月に「アビガン」として国内の製造販売承認を取得
  • 日経新聞(2016年12月16日)「富士フイルム、再生医療、収益化へ着々」
    • [102]2016年3月期の連結売上高2兆4916億円、47%を占めるドキュメント事業はオフィスの印刷需要低迷で伸び悩み
  • 週刊東洋経済 2025年9月6日号「【第2特集 日の丸医療機器の正念場】進撃の富士フイルム メディカル1兆円への野望」
    • [103]2016年 東芝メディカルシステムズの買収でキヤノンに競り負けた
    • [115]ヘルスケア売上高1兆円目標を2年前倒しで達成。2024年度のメディカルシステム事業は売上高6932億円、全社売上高3兆1958億円
  • 週刊東洋経済 2017年12月23日号「【第2特集 富士フイルム 不正会計を機に大手術】本気になった富士フイルム 不正会計を機に大手術」
    • [104]2017年4月 富士ゼロックスのNZ・豪子会社で不正会計が発覚。2010〜15年度の富士フイルムHD純利益は累計281億円過大計上
  • 日本経済新聞(2018年1月31日)「富士フイルム 米ゼロックスを買収 子会社と統合 事務機世界最大手に」
    • [105]2018年1月31日 富士フイルムHDが米ゼロックス株の50.1%を取得し富士ゼロックスと経営統合する構想を公表
  • 週刊東洋経済 2018年2月10日号「ニュース深掘り 富士フイルムの大勝負 物言う株主が動かした名門ゼロックス買収劇」
    • [106]買収スキームは富士ゼロックスが約6700億円を借り入れ富士フイルムHD保有の75%自社株を取得、資金を米ゼロックスの第三者割当増資に充当。グループから現金流出はない
  • Harvard Law School Forum on Corporate Governance(2018年5月29日)「The Xerox Takeover Saga」
    • [107]アイカーン氏とディーソン氏が過小評価として反対。2018年4月27日にニューヨーク州最高裁が統合を差し止め、5月13日に米ゼロックスが契約を破棄
  • 日本経済新聞(2018年6月19日)「富士フイルム、ゼロックスを提訴 損害賠償10億ドル超」
    • [108]2018年6月 富士フイルムHDが契約違反として10億ドル超の損害賠償を求めゼロックスを提訴
  • 日本経済新聞(2019年11月5日)「富士フイルム、ゼロックスと合弁解消 富士ゼロ全株取得」
    • [109]2019年11月 23億ドル(約2500億円)で富士ゼロックス株25%などを取得し完全子会社化
  • 日本経済新聞(2019年11月5日)「富士フイルム、米ゼロックスと合弁解消 提携は維持」
    • [110]合弁解消により米ゼロックス以外へも自由に製品を供給できる立場を確保
  • 薬事日報(2019年3月19日)「【富士フイルム】バイオジェン子会社を買収‐約991億円でバイオCDMO強化」
    • [111]2019年 米バイオジェンのデンマーク製造子会社を約8億9000万ドル(約991億円)で買収し4工場合計15万リットル(約3倍)へ
  • 週刊BCN+(2019年12月20日)「富士フイルム、日立製作所の「画像診断関連事業」を1790億円で買収、医療分野を拡充」
    • [112]2019年12月 日立製作所の画像診断関連事業を約1790億円で買収すると発表
  • 週刊東洋経済 2021年10月23日号「トップに直撃 富士フイルムホールディングス 社長兼CEO 後藤禎一」
    • [114]2021年6月に古森重隆氏が退任、同月に後藤禎一氏が社長兼CEOへ就任し2027年3月期のヘルスケア売上高1兆円を目標に掲げた
  • 薬事日報(2024年7月22日)「【富士フイルムHD】バイオCDMO事業に投資‐細胞培養槽を約5倍に」
    • [116]バイオCDMOの細胞培養槽を2030年度に約5倍の75万リットル強へ整備する計画
  • 週刊東洋経済 2024年10月5日号「【特集 製薬サバイバル】Part3 バイオ医薬品の製造受託が伸び盛り 富士フイルムが大型投資」
    • [117]バイオCDMOの売上高を2023年度2034億円から2030年度に7000億円へ伸ばす計画

富士フイルムの沿革1934〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
富士フイルム創業——大日本セルロイドが分社した写真フィルム専業会社と国策助成金米コダック・独アグファ依存からの脱却を国策に、大日本セルロイドが写真フィルム部門を分社した富士写真フイルムは、量産失敗による累積赤字をどう立て直して写真専業メーカーへ育ったか 詳細を読む★★★
足柄工場を建設
量産化に失敗し累積36万円の赤字を計上★★
医療用X線フィルムを国産化★★
小田原工場を建設
写真感光材料製造事業法により国家管理品目に指定★★
春木栄榎本光学精機製作所を買収
春木栄終戦時の従業員が約8000名に到達
春木栄天然色写真を設立
春木栄東京・大阪の各証券取引所に上場
春木栄国産初の長編劇映画用カラーフイルムを完成★★
小林節太郎ランクゼロックスとの合弁で富士ゼロックスを設立★★
小林節太郎富士宮工場を建設
小林節太郎Fuji Photo Film U.S.A.を設立
小林節太郎通商産業省がカラーフィルムの輸入自由化の方針を決定★★
平田九州男吉田南工場を建設
平田九州男「フジカラF-II 400」を発売★★
大西實大西實氏が社長に就任★★
大西實X線画像診断システム「FCR」を発売★★
大西實写真フィルムの国内シェアが70%強★★
大西實Fuji Photo Film, Inc.を設立
大西實国内の写真関連製品市場が1兆1521億円でピーク
大西實コダックが米通商法301条に基づき通商代表部へ提訴★★
宗雪雅幸次世代フィルム規格APSを業界共同で開発★★
宗雪雅幸株主資本利益率が5.8%に低下
宗雪雅幸宗雪雅幸氏が社長に就任
宗雪雅幸米通商代表部が日本を世界貿易機関へ提訴★★
宗雪雅幸カラーフィルムの国内出荷がピーク★★
宗雪雅幸日米フィルム紛争が勝訴で決着★★
古森重隆写真フィルムの世界需要がピーク★★
古森重隆古森重隆氏が社長に就任★★
古森重隆富士ゼロックスを子会社化★★
古森重隆古森重隆氏がCEOに就任★★
古森重隆本業の消失に備えた構造改革「VISION75」と第二の創業利益の源泉であった写真フィルムが消えるとき、富士写真フイルムは何を捨て、どこへ資源を移したか 詳細を読む★★★
古森重隆写真フィルムの売上高比率が7.9%に低下
古森重隆4大特約店の制度を廃止★★
古森重隆Arch Chemicals の Microelectronic Materials 部門を買収
古森重隆化粧品市場に参入★★
古森重隆イメージング事業で約5000人の人員削減を発表★★
古森重隆持株会社の富士フイルムHDに移行★★
古森重隆写真技術の化粧品転用とスキンケアブランド「アスタリフト」の創設消えゆく写真技術を、なぜ肌の手入れに使えたか——本業消失下の技術転用による多角化 詳細を読む★★★
古森重隆富山化学工業の買収と医薬事業への参入画像診断の会社が、なぜ製薬会社を買ったのか——診断から治療へ、医療の裾野をどこまで広げるか 詳細を読む★★★
古森重隆バイオ医薬品CDMOへの集中投資と1兆円構想創薬か、製造受託か——写真事業消失後のヘルスケア軸を、富士フイルムはなぜ「黒子」に賭けたか 詳細を読む★★★
中嶋成博SonoSite Inc.を買収
中嶋成博抗ウイルス薬「アビガン」の製造販売承認を取得★★
中嶋成博Cellular Dynamics International Inc.を買収
助野健児東芝メディカルシステムズの買収に応札
助野健児富士ゼロックスの海外子会社で利益の過大計上が発覚★★
助野健児和光純薬工業を子会社化
助野健児ゼロックス株の50.1%取得と経営統合を公表★★
助野健児ニューヨーク州の裁判所が統合の差し止めを命令★★
助野健児ゼロックスが統合契約を破棄★★
助野健児ゼロックスに損害賠償を求めて提訴
助野健児Biogen (Denmark) Manufacturing ApSを買収★★
助野健児米ゼロックス買収構想の破談と富士ゼロックスの完全子会社化史上最大級の統合構想はなぜ破談し、富士フイルムは合弁の清算で何を得たか 詳細を読む★★★
助野健児日立製作所の画像診断関連事業の買収を発表★★
後藤禎一日立製作所の画像診断関連事業を子会社化★★
後藤禎一後藤禎一氏が社長兼CEOに就任★★
後藤禎一CMC Materials KMG Corporationを買収
後藤禎一バイオCDMOで細胞培養槽を約5倍に拡張する計画を公表★★
後藤禎一ヘルスケアの売上高1兆円を2年前倒しで達成★★
出典・参考
  • 富士フイルムホールディングス 有価証券報告書 第125期(2021年3月期)【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • 富士写真フイルム50年のあゆみ(1984)
  • 私の履歴書 小林節太郎(日本経済新聞社, 1977)
  • 読売新聞(1938年7月24日)
  • 読売新聞(1961年10月13日)
  • 週刊東洋経済 2017年12月23日号「【第2特集 富士フイルム 不正会計を機に大手術】本気になった富士フイルム 不正会計を機に大手術」
  • 読売新聞(1968年12月4日)
  • 読売新聞(1969年10月14日)
  • 日経ビジネス 1973年4月2日号「コダック撃退できるか温室育ち」
  • 日経産業新聞(1977年2月1日)「富士写、超高感度カラーフイルム36枚撮りを4日発売」
  • プレジデント(1977年12月)「打倒コダックへのR&D」
  • 週刊東洋経済 1997年3月29日号「企業 富士写真フイルム 超リストラ人事制度の波紋 問われる大西長期政権の功罪」
  • 週刊東洋経済 2006年9月2日号「不毛の10年を終えV字回復へ さらば!大西天皇の呪縛 富士フイルム変える古森改革」
  • 発明協会「戦後日本のイノベーション100選」X線フィルムのデジタル化
  • 週刊東洋経済 2025年9月6日号「【第2特集 日の丸医療機器の正念場】進撃の富士フイルム メディカル1兆円への野望」
  • 日経ビジネス 1985年11月25日号「光る世界戦略、コダックを射程」
  • 週刊東洋経済 1998年5月23日号「通商摩擦 日米フィルム紛争 コダックに写る異質な日本」
  • 週刊東洋経済 1997年12月20日号「[フラッシュ]日米フイルム紛争 富士フイルム勝訴で決着」
  • 日経ビジネス 1997年11月17日号「富士写真フイルム・巨人を悩ますデジタル包囲網」
  • 週刊東洋経済 2014年4月19日号「【特集 本業消失】Part1 本業「消失」から「創出」へ 富士フイルム苦闘の記録」
  • 週刊東洋経済 2004年11月13日号「ビジネスリポート 退路を断った巨人たち 富士写真フイルム 国内流通 大手術」
  • 日経クロストレンド(2020年10月22日)「フィルム市場喪失をDXで乗り越え成長した富士フイルム」
  • ビジネス+IT(2006年1月31日)「富士写真フイルム、約5000人の人員削減などイメージング事業の構造改革概要を発表」
  • nippon.com(2013年2月5日)「【富士フイルム】写真技術で女性の肌を美しく」
  • M&A Online(2008年2月13日)「富士フイルムHD、富山化学工業をTOBで子会社化へ」
  • ビジネス+IT(2008年2月13日)「富士フイルム・大正製薬・富山化学の3社、資本・業務提携へ」
  • nippon.com(2014年12月15日)「エボラ治療薬への期待—富山化学が開発のアビガン錠」
  • 日経新聞(2016年12月16日)「富士フイルム、再生医療、収益化へ着々」
  • 日本経済新聞(2018年1月31日)「富士フイルム 米ゼロックスを買収 子会社と統合 事務機世界最大手に」
  • 週刊東洋経済 2018年2月10日号「ニュース深掘り 富士フイルムの大勝負 物言う株主が動かした名門ゼロックス買収劇」
  • Harvard Law School Forum on Corporate Governance(2018年5月29日)「The Xerox Takeover Saga」
  • 日本経済新聞(2018年6月19日)「富士フイルム、ゼロックスを提訴 損害賠償10億ドル超」
  • 日本経済新聞(2019年11月5日)「富士フイルム、ゼロックスと合弁解消 富士ゼロ全株取得」
  • 日本経済新聞(2019年11月5日)「富士フイルム、米ゼロックスと合弁解消 提携は維持」
  • 薬事日報(2019年3月19日)「【富士フイルム】バイオジェン子会社を買収‐約991億円でバイオCDMO強化」
  • 週刊BCN+(2019年12月20日)「富士フイルム、日立製作所の「画像診断関連事業」を1790億円で買収、医療分野を拡充」
  • 週刊東洋経済 2021年10月23日号「トップに直撃 富士フイルムホールディングス 社長兼CEO 後藤禎一」
  • 薬事日報(2024年7月22日)「【富士フイルムHD】バイオCDMO事業に投資‐細胞培養槽を約5倍に」
  • 週刊東洋経済 2024年10月5日号「【特集 製薬サバイバル】Part3 バイオ医薬品の製造受託が伸び盛り 富士フイルムが大型投資」

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