1934年、写真フィルムの国産化を目指して富士写真フイルムとして設立された。戦前の量産失敗を乗り越え、フジカラーで国内フィルムシェア70%を獲得したが、2000年代のデジタル化で写真フィルム市場が消失した。富山化学買収で医薬に参入し、バイオ医薬品製造受託やSonoSite買収でヘルスケアを強化。富士ゼロックスの完全子会社化でドキュメント事業も統合し、写真フィルムメーカーから複合型テクノロジー企業への転換を果たした。
歴史概略
写真フィルムの国産化と市場制覇
創業と量産技術の確立
1934年9月、写真フィルムの国産化を掲げて富士写真フイルム株式会社が設立された。しかし創業直後の1936年には量産に失敗して経営危機に陥り、事業継続そのものが危ぶまれた。1938年に小田原工場を新設して生産体制を再構築し、品質の安定化を段階的に達成した。戦後の1946年にはフジカラーサービスを設立して販売網の整備に着手し、4大特約店体制を構築した。
1962年には米ゼロックスとの合弁で富士ゼロックスを設立し、複写機事業に参入した。1965年にカラーフイルム「N100」を発売し、同年にはフジカラー販売株式会社の設立と北米への現地法人設立で海外展開を本格化させた。1976年にフジカラーF-II 400を発表して高感度フィルムで技術的優位を確立し、1985年には写真フィルムの国内シェア70%に達した。1981年にはX線画像診断システムFCRを発表し、医療向けデジタル画像技術の蓄積を開始した。
カラーフイルムの頂点とデジタル化の兆候
1976年のF-II 400発表以降、富士フイルムはカラーフイルム市場で圧倒的な地位を築いた。コダックとの国際競争を展開しながらも国内シェア70%を維持し、フイルム事業は安定した高収益を生み出した。しかし1997年、デジタルカメラの画素数が向上し始めた時期に、経営陣はフィルムの将来性を楽観視する姿勢を示していた。
2000年3月期に減収決算となり、写真市場の変調が数字に現れ始めた。1997年から2000年にかけてデジタルカメラの需要が拡大し、写真フィルムの出荷量は減少に転じた。フイルム事業で蓄積された化学合成・精密製造・品質管理の技術は、後の事業転換における資産となったが、この時点では写真フィルム市場の構造的縮小に対する組織的な対応は始まっていなかった。写真フィルムからの事業転換は、2000年代に入ってから本格化することになる。
デジタル化への対応と事業転換
富士ゼロックスの連結化と持株会社体制への移行
2001年3月、富士ゼロックスを連結子会社化し、ドキュメント事業を経営基盤に取り込んだ。2005年には富士フイルム九州株式会社を設立して高機能材料の生産拠点を整備し、2006年10月に富士フイルムホールディングスに商号変更して持株会社体制に移行した。写真フィルム事業の構造的縮小が進行するなか、事業ポートフォリオの再設計が経営の最重要課題となった。
2008年2月には富山化学を買収し、医薬品事業への参入を果たした。写真フィルムメーカーによる製薬企業の買収は異業種参入として注目を集めた。富山化学が保有する抗ウイルス薬T-705は、2014年に条件付きで承認を取得し(商品名アビガン)、新型インフルエンザ対策の備蓄薬として政府に採用された。診断中心だった医療事業を治療領域へ拡張する方針が、この買収を通じて明確になった。
バイオCDMO事業の構築
2011年、富士フイルムはMerck社からバイオ医薬品の製造受託事業体を約400億円で取得し、CDMO事業に参入した。自社で製造設備を一から立ち上げるのではなく、GMP認証と商業生産実績を持つ既存の事業体を取得することで立ち上がり期間とリスクを抑制した。製薬企業との競争を回避し、受託という立場に徹することで顧客との利害対立を排除する設計であった。
2012年には米国の超音波診断装置メーカーSonoSiteを買収し、医療機器事業の拡充を進めた。一方で2016年には東芝メディカルの買収に失敗し、大型医療機器分野での事業拡大は計画通りには進まなかった。写真フィルムで培った化学合成・精密製造の技術をバイオ医薬品の培養・精製工程に転用するという戦略は、CDMO事業の設備拡張として段階的に実行されていった。
ヘルスケアとドキュメントの統合(2018〜現在)
富士ゼロックスの完全子会社化と米ゼロックス買収の頓挫
2018年3月、富士フイルムホールディングスは米ゼロックスの買収を公表した。約6700億円で株式の50.1%を取得し、日米の複合機事業を統合する構想であった。しかし米ゼロックスの大株主カール・アイカーンらが取引条件に反発し、2018年5月にゼロックス側が買収合意の解消を一方的に発表して構想は頓挫した。
買収破談を受けて方針を転換し、2019年3月に米ゼロックスとの合弁契約を解消する形で富士ゼロックスの完全子会社化を実現した。米ゼロックス買収という攻めの選択肢が閉ざされた結果として、既存の合弁関係を清算するという防衛的な判断が取られた。ドキュメント事業は富士フイルムの完全な管理下に置かれ、グループ内での経営資源の再配分が可能となった。
ヘルスケア投資の加速と複合型企業への進化
2019年にバイオジェンのデンマーク製造子会社を約890百万ドルで買収し、CDMO事業の培養能力は約15万リットルに拡大した。大型商業生産案件への対応が可能となり、臨床段階中心の受託から本格的な製造受託企業への転換が進んだ。同年12月には日立製作所の画像診断機器事業を約1790億円で買収し、MRI・CT・超音波診断装置の製品ラインアップを獲得した。
富山化学買収による医薬参入、CDMO事業の構築、SonoSite買収、日立画像診断事業の取得という一連の投資を通じて、予防・診断・治療の各領域にわたるヘルスケア事業基盤が整備された。写真フィルム市場の消失という危機を起点に、化学・精密製造の技術資産をヘルスケアと高機能材料に転用し、ドキュメント事業を統合した複合型テクノロジー企業への構造転換が進行している。
富士写真フイルムの設立は、大日本セルロイドがセルロイド市場の成熟に直面するなかで選択した高リスク分野への分社投資であった。写真フィルムは研究開発比率が高く投資回収に長期を要する事業であったが、分社化によって親会社の損益構造から切り離し、独立した意思決定と資本投下を可能にした。商工省の国産化奨励策が投資リスクを一定程度緩和する環境のなかで、法人の独立性と政策支援の併存が事業化の枠組みを成立させた構造に特徴がある。