1934年9月
富士写真フイルム株式会社を設立

写真フィルムの国産化

大日本セルロイドから分離設立

フィルム量産工場を新設

1934年
1月
富士写真フイルムを会社設立
1934年
2月
足柄工場を新設(神奈川県)
1936年
1月
量産に苦戦して経営不振へ
1938年
2月
小田原工場を新設(神奈川県)
証言
春木栄(取締役社長)

今から20数年前まではフィルムはほとんど海外からの輸入品でありまして、莫大な外貨が使われていたわけであります。これでは、日本の経済政策の上からいって甚だ不都合なことでありまして、これが国産化を図るために富士フィルムは生まれたわけであります。皆様のご支援の賜で、当初相当の困難をなめましたが、順調に発展致し、品質価格とも幸にご好評を得まして、現在東洋一の写真材料メーカーとなることができました。

1946年4月
フジカラーサービスを設立

販売網に投資。4大特約店体制へ

1946年
4月
天然色写真株式会社を設立
1965年
4月
フジカラー販売株式会社を設立
1962年10月
ゼロックス社と富士ゼロックスを合弁設立
1963年
カラーフイルム「N64」を発売
1965年12月
北米に現地法人を設立

欧米を中心に海外展開を本格化。カラー写真フィルムを輸出へ

1965年
12月
ニューヨーク州に現地法人を設立
1966年
6月
ドイツに現地法人を設立
1972年
8月
オランダに現地法人を設立
決算
富士フイルムの業績
1966年10月期(単体)
売上高
419
億円
当期純利益
18
億円
1976年9月
フジカラーF-II 400を発表

ISO感度400のカラーネガフィルムを世界で初めて開発。コダック打倒の切り札に

1971年
1月
カラーフィルムの輸入自由化
1974年
11月
フジカラーF-IIを開発(ISO100)
1976年
9月
フジカラーF-II400をドイツ見本市に出店
1976年
10月
フジカラーF-II400を日本国内で発売
1976年
12月
フジカラーF-II400の輸出を開始
1977年
10月
過去最高益を達成
証言
上田博造(取締役)

ボクは開発チームの責任者でしたけど、実際の仕事は若い人がしてくれたんです。ただ、仕事をしやすいように(開発の方向を)間違えないようにしていただけですよ

1980/12/15 日経ビジネス
決算
富士フイルムの業績
1976年10月期(単体)
売上高
2267
億円
当期純利益
100
億円
1981年4月
X線画像診断システムFCRを発表

デジタル画像によるX線診断システムを開発。医療向けに参入しつつデジタル画像の技術を蓄積へ

1975年
8月
CTに関する研究開発を開始
1981年
4月
X線画像診断システムFCRを発表
1982年
10月
子会社の商号を富士メディカルシステムに変更
1983年
7月
FCRの国内販売を開始。鹿児島大学医学附属病院に納入
決算
富士フイルムの業績
1981年10月期(単体)
売上高
4468
億円
当期純利益
361
億円
1985年3月
業績好調。写真フィルムの国内シェア70%
1997年11月
宗雪社長が「従来型の写真の未来には、何も悲観するものはありません」と発言

経営陣はデジタル技術を過小評価。社長はフィルムの将来性を自信満々に語るが、この姿勢が富士フィルムの経営が迷走する要因に

証言
宗雪雅幸氏(富士写真フイルム・社長)

デジタルカメラの普及などで、写真市場がひっくり返るかのような議論が出ていますが、なぜそういう話になるのか全くわかりませんね。(略)

確かに、従来のフィルムで撮っていた画像をデジタルカメラで撮る需要は広がってきました。コピー感覚でちょこちょこっと記録を撮ったり、画像情報をファイルで保存したり、伝送するには便利ですから。それが写真市場にどう影響するかといえば、新しい領域を切り開くものだと思います。

プリントに残す場合、デジタルは従来の写真には到底叶わないでしょう。写真の価値は機能とコストで決まります。例えばレンズ付きカメラの「写ルンです」なら、世界中どこでも1000円前後の値段で買える。それをパチパチッと撮って、写真店にポイと出したら、勝手に現像してくれるわけでしょう。デジタルカメラがいかに簡単と言っても、こうは行きません。

画質の面で、従来の写真の奥深さはデジタルがかなうものではありません。デジタル技術が進んだとしても、その時には、従来の写真は感度が良くなったり、粒子が細かくなったりで、さらに先へ行っているはずです。(略)

従来型の写真の未来には、何も悲観するものはありません。

1997/11/17 日経ビジネス
決算
富士フイルムの業績
1998年3月期(連結)
売上高
13316
億円
当期純利益
912
億円
2000年3月
減収決算。写真市場が変調へ

1997年から2000年にかけて、デジタルカメラの画像数が増加。一眼レフでもデジタルカメラの需要が徐々に増大し始め、富士フイルム経営陣の目論見は外れた。この結果、2000年3月期に富士写真フイルムは減収決算となった。また、同年に宗幸社長が退任し、古森氏が新社長に就任して経営陣は世代交代。社員1万名におよぶ大規模なリストラを敢行した。

2000年
3月
写真フィルムの不振により減収決算
2000年
6月
古森重隆氏が社長就任
2006年
3月
約5000名の人員削減(構造改革)
2010年
3月
最終赤字に転落
2011年
3月
約5000名の人員削減(構造改革)
決算
富士フイルムの業績
2000年3月期(連結)
売上高
13488
億円
当期純利益
848
億円
2005
4月

富士フイルム九州株式会社を設立

背景
写真フィルムの需要低迷。液晶需要の増加
本業であった写真フィルムの業績低迷を受けて、富士ゼロックスの連結化によって売上高は確保したものの、オーガニックな売上成長という観点では課...
投資
液晶パネル向け偏光板保護フィルムの量産。累計3000億円を投資
2005年に富士フイルムは「富士フイルム九州」を完全子会社として設立し、偏光板保護フィルムの量産拠点として活用する方針を打ち出し、熊本県...
結果
液晶需要の拡大で売上拡大
2006年10月の第1ラインの稼働を契機に、富士フイルムはFDP部材の売上高を拡大。液晶需要の拡大に合わせて第7ラインまで増強することで...
結果
液晶需要の一巡で売上低迷
FY2011以降の変更版の需要は、液晶ディスプレイの需要低迷とともに減少に転じた。ブラウン管テレビから液晶テレビへの移行が進んだことや、...
考察
ROIはプラスと推定
FPD事業の利益額は非開示であるため、偏光板保護フィルムの量産投資に対するROIの正確な把握は難しい。ただし、富士フイルムは偏光板保護フ...
詳細をよむ
2004年
11月
熊本県菊陽町にて土地取得
2005年
4月
富士フイルム九州株式会社を設立(完全子会社)
2006年
3月
中期経営計画Vision75策定
2006年
10月
第1ラインの稼働
2007年
4月
第2ラインの稼働
2007年
8月
第3ラインの稼働
2008年
1月
第4ラインの稼働
2008年
10月
第5ラインの稼働
2009年
12月
第6ラインの稼働
2013年
1月
第8ラインの稼働
2013年
3月
第7ラインの稼働
2017年3月
富士ゼロックスの構造改革を開始

複写機の収益性の悪化

10000名の削減を決定。720億円の構造改革費用

利益率をキープしつつ減収へ

2017年
3月
富士ゼロックスの構造改革を発表
2017年
6月
富士ゼロックスで不正会計が発覚
2018年
3月
ゼロックスの買収を公表
2019年
3月
ゼロックスの買収を白紙撤回
2019年
3月
富士ゼロックスの株式を完全取得(2500億円)
2021年
3月
ゼロックスとの事務機販売契約を終了
2021年
3月
富士ゼロックスの商号を富士ビジネスイノベーションに変更
決算
富士フイルムの業績
2017年3月期(連結)
売上高
23221
億円
当期純利益
1315
億円
2019年12月
医療分野を強化。日立の画像診断事業を買収

複写機の収益性の悪化

医療領域に注力。大型買収を画策

2008年
2月
富山化学を買収(300億円)
2012年
3月
米SonoSiteを買収(815億円)
2012年
3月
CellularDynamicsを買収(380億円)
2016年
7月
東芝メディカルの買収失敗
2019年
12月
日立製作所の画像診断部門の買収発表
2021年
3月
日立製作所の画像診断部門の買収完了
決算
富士フイルムの業績
2020年3月期(連結)
売上高
23151
億円
当期純利益
1249
億円
転載禁止・スクリーンショット不可