2024/9 売上高8,029億円
2024/9 営業利益162億円
2024/9 従業員7,850人
創業1998年
創業地東京都港区
創業者藤田晋

1998年、24歳の藤田晋がインターネット広告の営業代行で創業し、クリック保証型広告「サイバークリック」で広告会社への転換を果たした。2000年に東証マザーズに上場して207億円を調達したが、ITバブル崩壊後は赤字が続き、村上ファンドの株主提案や終身雇用宣言など独自の経営判断で局面を打開した。2011年のスマホシフト宣言でモバイル対応を断行し、ゲーム事業を急拡大。2015年にはAbemaTVを設立してインターネットテレビに巨額投資を継続し、広告・ゲーム・メディアの三本柱で事業を構成している。

歴史概略

第1期: 創業とネット広告の確立(1998〜2004)

営業代行から広告会社への転換

1998年3月、藤田晋は人材会社インテリジェンスを退職し、東京都港区にサイバーエージェントを設立した。新卒時代のネット媒体営業の経験を武器に、まずはWebMoneyの営業代行契約を締結して自社プロダクトを持たない販売特化型で事業を開始した。同年7月にはクリック保証型広告「サイバークリック」の販売を開始し、営業代行企業からインターネット広告会社への転換を果たした。藤田は「実際にバナーやテキストがクリックされた回数で課金する」と説明し、2000回保証で14〜18万円という価格設定で中小企業を中心に顧客を獲得した。

システム開発はオン・ザ・エッヂ(のちのライブドア)に全面委託し、売上高の10%をロイヤリティとして支払う5年間の独占契約を締結した。自社での内製化に失敗した結果として外部委託を選択した経緯があったが、この契約により競合への技術流出を防ぎつつ広告媒体を急速に拡大した。2000年1月までに4728媒体を確保し、ネット広告市場の拡大期に乗じて事業規模を拡大した。

藤田晋インタビュー有価証券報告書

ITバブルの調達と崩壊後の試練

2000年3月、サイバーエージェントは東証マザーズに上場した。上場直前の評価額は1.5億円程度であったが、初値は公開価格の約14倍をつけ、時価総額は一時3900億円に達した。上場で調達した207億円の使途として投資育成事業を選択し、ネット関連ベンチャーへの投資を拡大したが、ITバブル崩壊により投資先の企業価値は急落した。

赤字が続くなか、2001年には村上ファンドが株主提案を行い、藤田の経営に対する外部からの圧力が強まった。2003年には「終身雇用宣言」を発表し、人材の定着と組織の安定を図る判断を下した。2004年9月に保有する投資有価証券の売却を通じて黒字転換を達成し、投資育成事業を正式に開始した。上場からの4年間は、バブル期の資金調達と崩壊後の事業整理が同時に進行した時期であった。

有価証券報告書

第2期: メディア・ゲームへの事業拡張(2005〜2014)

アメーバ事業の立ち上げとスマホシフト

2005年7月にアメーバ事業本部を新設し、ブログサービスを中心とするメディア事業に参入した。2006年にエンジニア採用を開始して技術組織の構築に着手し、2009年にはアメーバピグの提供を開始した。広告代理事業で培った収益基盤のもとでメディアの赤字を許容する運営が続いたが、2010年6月にAmeba事業が黒字転換を達成し、広告に依存しない収益源の構築に一定の成果を示した。

2011年5月、藤田はスマホシフトを宣言し、PC向けサービスの開発リソースをスマートフォン向けに集中的に再配分する決断を下した。業界に先駆けたモバイル対応の断行であり、2013年にはスマホ向け大規模プロモーションを実施して利用者の移行を加速させた。同年にはサイバーエージェントFXの株式を売却し、非中核事業の整理を通じて経営資源の集中を進めた。

有価証券報告書

Ameba事業の構造改革とゲーム事業の台頭

2014年9月、Ameba事業の構造改革が実施された。収益性の低いサービスを中止し、担当従業員数を1600名から800名へ半減させた。PC時代に構築されたサービス群をスマホ時代の事業構造に適合させるための選択と集中であった。この判断はスマホシフト宣言の帰結として位置づけられる。

スマホシフトに伴いゲーム事業が急速に拡大した。スマートフォン向けゲームの開発・運営が新たな収益源として台頭し、広告事業に次ぐ規模の事業セグメントに成長した。2004年に開始した投資育成事業も、スマホ関連ベンチャーへの投資を通じて事業シナジーを生み出すようになった。広告一本足から広告・ゲーム・メディアの三本柱への事業構造の転換が、この時期に形作られた。

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第3期: AbemaTV投資とポートフォリオ経営(2015〜現在)

AbemaTVへの巨額投資と事業ポートフォリオの均衡

2015年4月、テレビ朝日との合弁でAbemaTVを設立し、インターネットテレビへの参入を果たした。累計投資額は1000億円を超え、AbemaTVの債務超過は1111億円に達したが、広告事業とゲーム事業の収益でメディア事業の赤字を吸収する事業ポートフォリオが維持された。2019年12月の株主総会では藤田社長の選任賛成比率が57.56%に低下し、機関投資家からAbemaTV投資に対する懸念が示された。

2021年9月期には連結売上高6664億円・営業利益1043億円の最高益を達成した。ゲーム事業「ウマ娘」のヒットによる大幅増益であったが、単体決算ではAbemaTVへの投資負担が継続していた。2022年にはウマ娘のヒットを背景にFIFAワールドカップの国内放映権を取得し、AbemaTVの認知拡大を図った。

有価証券報告書

成長鈍化とサクセッションの課題

2023年7月にFY2023の業績予想を下方修正し、ウマ娘のヒットの反動により経常利益の75%減益を見込んだ。ゲーム事業の変動性が事業ポートフォリオ全体の業績を左右する構造が顕在化した。同時期にはM&Aを積極化し、既存事業の成長鈍化を補う外部成長の取り込みを進めた。

2023年3月には藤田がサクセッションプランを公表し、社内から後継者を抜擢する方針を表明した。取締役会を中心にサクセッションプランが始動し、創業者の経営を次世代に引き継ぐための体制整備が進められている。創業から25年を経て、藤田のカリスマ的意思決定に依存してきた経営構造から、組織的な経営体制への移行が課題として浮上している。広告・ゲーム・メディアの三事業における収益バランスとAbemaTVの収益化が、今後の事業価値を左右する。

有価証券報告書サクセッションプラン公表

重要な意思決定

19983
サイバーエージェントを設立

技術者ゼロ、自社商品ゼロ。藤田晋が選んだのはWebMoneyの営業代行という、いわば他人の商材を売る商売だった。しかしこの選択は、初期投資を極限まで抑えながら顧客接点と市場情報を同時に獲得する合理的な設計でもあった。営業現場で掴んだ『広告主は効果測定を求めている』という感触が、わずか4ヶ月後のサイバークリック参入に直結する。プロダクトを持たない創業が、逆に市場観察の自由度を高めた。

19987
サイバークリックの販売開始

広告配信システムの自社開発に失敗し、オン・ザ・エッヂに全面委託。売上高の10%をロイヤリティとして支払う代わりに5年間の独占契約を勝ち取った。この契約設計が巧みだった。競合に同じ技術が流れることを防ぎつつ、2000回保証14〜18万円という明快な価格で中小企業を開拓し、2000年1月までに4728媒体を確保。技術を持たない会社が『仕組みの独占』で市場を押さえた事例として示唆的だ。

20003
東証マザーズに株式上場

赤字企業が評価額624億円で207億円を調達し、半年後に時価総額100億円まで暴落する。保有現金が企業価値を上回るという異常事態は村上ファンドの介入を招いた。しかし皮肉にも、バブル期に調達した200億円超のキャッシュがその後のアメーバやAbemaへの長期投資を可能にした。バブルの頂点で調達した資金が、10年以上にわたる赤字事業への投資余力となった構造は興味深い。

2001
村上ファンドが株主提案

時価総額100億円に対し現金200億円超。村上ファンドはこの歪みを突いて約9億円で9%超を取得した。さらに危険だったのは、村上がGMOに株を売れば30%超の拒否権ブロックが成立する可能性があった点だ。藤田の持株34%では単独支配できない。この窮地を救ったのが楽天・三木谷で、8.6%を取得し実質的な買収防衛となった。バブルで調達した資金が、逆に企業の生存を脅かすという皮肉な展開だった。

2003
終身雇用宣言

離職率30%、年200名採用しても100名が辞める。この消耗戦を終わらせるために藤田社長が選んだのは、ベンチャーらしからぬ『終身雇用宣言』だった。2駅ルールや休んでファイブといった福利厚生は採用コストとの比較で合理的と判断された。当時若手の曽山哲人氏を人事本部長に据え、制度と文化の両面を再設計した結果、離職率は15%まで半減。組織の安定が広告営業の拡大を支え、従業員1000名超の体制を実現した。

20057
アメーバ事業本部を新設

事業責任者の前任を異動させ、藤田社長が自ら直轄、2009年までの黒字化を掲げ未達なら退任すると宣言。約60億円の先行投資は上場時の調達資金が原資だ。月間PVをKPIに据えたのは、広告在庫=PVという明快な収益構造を見据えた判断だった。営業人員数に比例する広告代理モデルから、レバレッジの効くメディア保有モデルへの転換。この構造転換がなければ、後のAbemaへの大型投資も発想できなかっただろう。

20065
エンジニア採用を開始

1日1500万PV、ピーク時毎秒6000クエリ。この負荷に外注体制は耐えられず夜間のサーバーダウンが常態化していた。藤田は自らのブログで『6月末までに20名採用』と宣言。入社した佐藤真人が3年かけてOracleからMySQLへの移行と負荷分散アーキテクチャを再構築し、2010年9月期に黒字化を達成した。営業会社が技術企業へ変貌する転換点であり、この経験がなければ後のゲーム・アドテク事業も成立しなかった。

20115
スマホシフトを宣言

スマホシフト宣言と同時にCygamesを設立し、『神撃のバハムート』が国内外でヒット。広告側ではAMoAdからアドテク本部新設へと内製投資を加速した。PC依存の広告代理モデルから、ゲーム×アドテクという二本柱への転換は2015年度に純利益147億円という過去最高益で結実する。後にCygames株式の一部売却で60.6億円を計上するなど、子会社育成が資本政策にも寄与した点は見逃せない。

20131
サイバーエージェントFXの株式売却

外為どっとコムのOEMで自社開発せずに参入し、売上高80億円・営業利益32億円まで育てたFX事業をヤフーに210億円で売却。売却益103億円。高収益事業を手放すのは一見非合理だが、スマホシフトとのシナジーが薄い事業に経営資源を割く余裕はなかった。この資金はゲームとアドテクへの投資原資となり、事業を率いた西條晋一は退任後にベンチャー投資へ転身した。事業と人材が同時に巣立った象徴的な売却だった。

20154
AbemaTVを設立

テレビ朝日と60:40で合弁設立し、18チャンネル・無料常時放送という既存動画サービスと異なる設計で参入。年間数百億円の赤字を前提に『10年間投資を継続する』と藤田は明言した。2022年時点で債務超過は1111億円に達したが、ゲーム事業の高収益が投資を支え続けた。アメーバで60億円、AbemaTVで桁違いの赤字を許容する姿勢は、2000年の上場で得た資金余力が生んだ経営スタイルの延長線上にある。

出所