ソフトバンクの創業者である孫正義氏は、米国の展示会運営会社「Ziff Davis」の買収を通じて、シリコンバレーのベンチャー企業に関する情報を収集。その過程で、スタンフォード大の学生が起業したYahooの存在を知り、創業者のジェリー・ヤン氏にアプローチした。ソフトバンクは米Yahooに出資するとともに、ヤフー日本展開を「ソフトバンクと米Yahooの合弁会社」を通じて行うことで合意を得た。
1996年1月にヤフー株式会社を日本国内で設立した。会社設立時の出資比率は、ソフトバンク60%、米Yahoo40%に設定された。設立時の資本金は2.0億円であり、会社設立時の評価額は2億円と推定される。
このため、ヤフー株式会社は「米Yahooの日本法人」という位置づけとともに、ソフトバンクの子会社としてインターネット事業を展開するグループの1社という立ち位置となった。特に、資本政策の観点でソフトバンクがヤフー株式会社の議決権60%を握ることで意思決定権を確保し、米Yahooよりもソフトバンクの意向が通る形をとった。
ヤフー株式会社の本社は「東京都中央区日本橋浜町3丁目42番3号」に設置され、ソフトバンクの本社が入居するビルでサービス提供の準備を開始した。
| 大株主 | 出資比率 | 出資額(推定) |
| ソフトバンク | 60% | 1.2億円 |
| 米Yahoo | 40% | 0.8億円 |
ヤフーの代表取締役にはソフトバンク出身の井上雅博氏が就任した。井上氏は、2012年に社長を退任するまで、ヤフーを経営した(2017年に交通事故により逝去)。ただし、ヤフーの大株主はソフトバンクであり、孫正義氏が最終的なヤフーの意思決定権(社長の指名権)を実質的に握る資本構造であり、実態としてはソフトバンクグループの1社としてヤフーが経営された。
井上雅博氏がヤフーの社長に抜擢された理由は、孫正義氏が井上氏の能力を買ったためであったという。ただし、1996年当時のヤフーはソフトバンクが設立したグループ会社の1社に過ぎず、当初、井上氏はヤフーに対して強い思い入れはなかったらしい。
| 日付 | 経歴 | 備考 |
| 1957/2 | 生まれ | |
| 1979 | ソード電算機システム | 入社 |
| 1987/11 | ソフトバンク総合研究所 | 入社 |
| 1996/1 | ヤフー株式会社 | 取締役 |
| 1996/7 | ヤフー株式会社 | 代表取締役社長 |
| 2012/3 | ヤフー株式会社 | 社長退任 |
| 2017/4 | 逝去 | カリフォルニア州で交通事故 |
米Yahooで開発されたディレクトリ型の検索システムを日本でも展開するために、ヤフーは米Yahooとの間にライセンス契約を締結。日本市場におけるYahooの商標を利用できる権利を確保した。対価として、ヤフーは米Yahooに対して、売上総利益(販売手数料控除後)の3%を四半期ごとに支払う契約を締結した。
注目すべき点は、この契約が「検索サービス」ではなく、ヤフー株式会社全体の売り上げに対するロイヤルティである点であった。すなわち、ヤフー株式会社が独自サービスを展開した場合も売上総利益の3%が支払われる仕組みであり、ヤフー株式会社としては「Yahoo」のブランドの使用対価という側面もあった。
この契約は、2021年9月に「ブランドのライセンス契約の終了に合意する最終契約」(出所:2021/9/7ケータイWatch)を締結するまで続いた。消滅の理由は、米国法人のYahoo(現OathとOath Holdings)の経営不振であり、日本のヤフー株式会社の好調(EC事業への多角化に成功)と、米国のYahooの消滅(検索事業への依存で失敗)という対照的な結果に起因する。
検索サービスのYahoo!の展開にあたって問題になったのが日本語化であった。ディレクトリ検索のため、日本でのリリース前までに「膨大な日本語のウェブサイトを手動登録」する必要があった。
そこでヤフーは、孫正義氏(ソフトバンク創業者)の弟であった孫泰蔵氏(東京大学に当時在学中)が起業したばかりのインディゴ社に作業を発注した。インディゴ社は東京大学の学生などを中心に100名をアルバイトとして雇用し、ソフトバンクの本社オフィスで日本語サイトを登録する作業に従事。リリース予定日の前日に登録作業を完了し、1996年4月にヤフーは日本語による検索サービス「Yahoo! Japan」のサービス提供を開始した。
なお、1997年11月時点で、ディレクトリ検索のためのwebページ登録はアルバイトなどによる「サーファー」が人力作業で実施していた。1日あたりの依頼件数は約500件であり、ヤフーのスタッフがページにアクセスして登録可否を判定する運用を行なっていた。申し込みのリードタイムは、約2週間であったという※出所:戦略経営者 13(3)(137)。
Yahoo! JAPANのサービスがスタートしたのが'96年4月。そのスタートに間に合わせるため100人ほどのバイトを雇い、24時間体制でずーっとウェブばかり見ていました。インディゴとしての初めての仕事が、このYahoo! JAPANの仕事だったのです。そしてYahoo! JAPANの仕事をしながら、『こういうもの(ウェブ)が当たり前になったら世の中はどうなるのか』、『Yahoo!の仕事が終わったらいったいどうするのか』ということを考えていました
ただし、ソフトバンクから資金面での援助などを受けたことは決してありません。兄(孫正義氏)はそういうのが嫌いなので。だからソフトバンクは、ほかの普通の会社と同じようにウチと取り引きしていたはずです
1996年7月にはヤフー、ロイター通信、ウェザーニューズの3社が提携して「Yahoo!天気情報」「Yahoo!ニュース」のサービス提供を開始し、検索だけではなく毎日閲覧するコンテンツを拡充した。
ヤフーの収益源は広告収入であり、広告枠を販売することがビジネスの成否を握った。ヤフーは検索サービスや、天気・ニュースといった情報を無料でユーザーに提供する一方で、広告枠をページに設けて顧客に販売した。広告主に対しては、1997年時点で表示回数をコントロールするサービスを提供し、インターネット広告に特有な手法として注目を集めた。
なお、2000年前後のヤフーの広告単価は1PVあたり0.7円と言われており、競合で国内2位のバリュークリック(代理店)である広告単価0.3円/PVを大きく上回る水準だった(※出所:2000/10/23Finance Watch)。この点は、Yahoo!という自社サービスで集客できる点が、インターネット広告業界においてヤフーが価格決定権を持って優位に立つことにつながった。
1998年からは新しい広告商品「メガヤフー」の提供を開始した。この商品は、バナー広告の表示回数500万回以上で契約した顧客に対して、表示回数の増加とともに表示1回あたりの広告単価を下げる料金を採用。2ヶ月以上の長期掲載顧客には、広告価格を最大15%割引する商品であり、ヤフーの主力サービスとなった。※出所:日経ビジネス(2000/10/16)
ヤフーの井上社長は一貫して、Yahoo! Japanへのアクセス数(PV)を重視する方針を打ち出し、ユーザー獲得に注力した。
日本のユーザーは2~3年で3000万人に増える。とすれば、これから増える人のほうが多数派。この新しい2000万人にもヤフーを選んでもらい視聴率トップを維持、広告で収益を上げていくことが僕らの目標
アライアンスを駆使することで「ニュース・天気」という毎日閲覧するコンテンツとその信頼性を確保。信頼性のある第三者との提携により、Yahoo! Japanを「毎日閲覧する検索サービス」へ進化させる布石となった。
インターネット黎明期においてホームページを収集できたのは、Yahooのほかに、gooなど一部のサービスであり、ヤフーは市場の寡占に成功。2001年3月には1日あたり1.5億PVを確保して、日本を代表するwebページに育て上げた。
集客力を武器に、ヤフーは広告収入を確保。2002年3月期の広告事業の売上高122億円に対して、営業利益93.4億円という脅威的な利益を達成した。
| 日付 | PV | 備考 |
| 1997年7月 | 500万PV/日 | サービス開始2年目 |
| 1998年6月 | 1000万PV/日 | |
| 1999年1月 | 2000万PV/日 | |
| 2000年1月 | 5000万PV/日 | サービス開始5年目 |
| 2000年7月 | 1.0億PV/日 | |
| 2001年3月 | 1.5億PV/日 |
ネットバブルの前夜となる1997年11月に、ヤフー株式会社は株式の店頭公開を実施した。主幹事証券は大和証券が担当。公開価格7万円に対して、初値20万円(時価総額135億円)を記録し、インターネットベンチャーとして注目を集めた。※出所:証券業報 (11)(560)
大株主としてソフトバンクと米Yahooが大量保有しており、株式の流動性が低い問題から、バブルピーク時の1999年には時価総額約8000億円(PSR4000倍)という高水準を記録した。
1999年ごろに日本国内ではインターネット・サービスとして「eコマース(電子商取引)」への注目が高まっていた。1997年5月に楽天が「楽天市場」のサービスを開始するなど、世の中に「ネットショップ」が受け入れられつつあった。
ヤフーはEC事業への参入を決定し、1999年9月に「Yahoo! ショッピング」のサービス提供を開始した。競合の楽天は1997年2月にサービスを開始しており、ヤフーは2年遅れの後発参入となった。このため、ヤフーの社内には「打倒楽天」の垂れ幕が掲げられ、ライバル企業の背中を負うところからのスタートを切った。※出所:日経ビジネス(2000/10/16)
サービス開始の9月8日時点における出店企業は「アスクル」「石橋楽器」など大手小売を中心に17店舗であり、当初は「ブランド力のある店舗」を誘致する方針を掲げた。商品総数は1.5万点であった。ジャンルは幅広く「食品、衣類、時計、健康器具、家電、楽器、各種雑貨」(1999/9/9 ヤフープレス)におよび、総合的なショッピングサービスの展開を目論んだ。
ネットをうまく活用して売り上げに つなげる企業にも見捨てられないため の対策──それが、今ヤフーが最も力 を入れる「ショッピング」事業だ。
この分野では、大小4000店以上の店舗を集める楽天が、日本最大の売り上げを誇っている。だが、ヤフーにとっては、現在のサイト閲覧回数の伸びを維持するために、ショッピングサイトの集客力も「絶対日本一でなければならない」(ヤフーの井上雅博社長)。同社のショッピングプロジェクトのオフィスの壁には「打倒楽天」の垂れ幕が掲げられ、社員の1割強に当たる30人の社員が、100社の出店企業と日々密接に連絡を取り合っている
ヤフーは、インターネットオークションの事業に参入するため、1999年に「Yahoo! オークション」のサービス提供を開始した。競合企業は国内にほぼ存在せず、実質的にヤフーが最先発となった。
ヤフオクのサービス展開にあたって、ヤフーは米国のPayPalの日本進出を警戒。米国ではオークション市場をPayPalが掌握しており、日本上陸に備えてヤフーは顧客獲得のために、リリース当初から「手数料無料」の方針を打ち出した。この一環として2001年3月までは「手数料無料」のサービスとして展開し、出品者と購入者の確保を急いだ。
なお、ヤフーオークションのリリース後に、DeNAの「ビッターズ」、楽天の「楽天フリーマーケットオークション」といった競合企業が出現したが、いずれも落札価格の5%程度を手数料として徴収するモデルであり、価格競争の面でヤフーに劣った※出所:日経ビジネス(2000/12/18&25)。このため、オークション事業では、一時的に「無料」を打ち出したヤフーオークションがユーザー獲得の面で優位に立った。
Yahoo! ショッピングは、サービス開始当初から「ヤフオク」と比べて低収益な状況が続き、苦戦した。
苦戦した第1の理由は、サービス開始当初に掲げた「ブランド力のある店舗」を優先する方針であった。出店企業という面では品質が担保されたものの、楽天やAmazonなどの競合に比べて商品数が少なく、結果としてユーザーにとって「買いたい商品が見つからない」ことにつながった。この結果、ショッピング領域では楽天・アマゾンが優位となり、ヤフーの劣勢が顕在化した。
苦戦した第2の理由として、アマゾンと楽天の2社が独自の投資方針で成長したことにある。
アマゾンは物流拠点に積極投資することによって、在庫コントロールを自社で実施することで、ECにおける顧客体験を向上させた。楽天は、自前の営業部隊によって加盟店舗を開拓し、出店後もコンサルティングなどによりショップの粘着性を高める方向に投資を進めていた。これに対してヤフーの武器は「1日1億を超える集客力」であったが、アマゾンや楽天のような専業会社の台頭に対して、劣勢を挽回するほどの武器にはならなかった。
対策として、2003年7月ヤフーは「商品数の充実」の方針に転換し、一般ストアの募集を開始することで加盟店の裾野を広げる方向にシフトした。だが、競合の楽天が「強力な営業部隊」によって出店企業を確保したことに対して、ヤフーの劣勢は変わらず苦戦が続いた。
これらの経緯から、2010年代以降のヤフーのショッピング事業は、自前で育てるのではなく、出資・買収・提携によって「強いサービスを取り揃える方向」にシフトした。予約サイトの「一休」、日用品の「アスクル」、飲食デリバリーの「出前館」などは、ヤフーのショッピング事業の劣勢を挽回するために出資ないし取得した企業群であり、裏を返せば自社サービスの展開に苦戦した事を意味する。
| FY | 売上高(a) | 営業利益(b) | 利益率(b)/(a) |
| FY2002 | 50.3億円 | 6.4億円 | 12.8% |
| FY2003 | 65.8億円 | 8.7億円 | 13.2% |
| FY2004 | 105.8億円 | 38.6億円 | 3.7% |
| FY2005 | 159.0億円 | 17.4億円 | 10.9% |
Yahoo!オークションは、2000年代を通じて「高成長・高収益」を兼ね備える事業として、広告(リスティング)事業と並び、ヤフーの業績を牽引する主力事業に育った。
ヤフーがオークション事業を掌握できた理由が、PayPalへの対抗策としていち早く「出品手数料無料」を打ち出すことで、出品者と購入者というCtoCのボリュームを確保したことにある。出品数と購入数が多いことは利用者にとってメリットがあり、この結果、国内でオークションサービスはヤフーの寡占が形成された。
その上で、2001年4月からヤフオクは「定額料金を支払う本人確認システム」の導入を決定し、1IDごとに「月額280円」を徴収するビジネスモデルに転換。この過程で利用者からの批判を浴びつつも、不正出品などを抑制しつつ、手数料収入を確保。ヤフオクは高収益のビジネスとして収益フェーズに入った。
ヤフーのオークション事業が好調な裏では、DeNAやミクシィがオークション事業からの撤退を決めるなど、勝者総取りの構図が決まった。
| FY | 売上高(a) | 営業利益(b) | 利益率(b)/(a) |
| FY2001 | 24.1億円 | 23.2億円 | 96.0% |
| FY2002 | 110.8億円 | 83.5億円 | 75.3% |
| FY2003 | 208.2億円 | 154.8億円 | 74.3% |
| FY2004 | 273.0億円 | 177.9億円 | 65.1% |
| FY2005 | 359.3億円 | 214.6億円 | 59.7% |
最大手のヤフーのオークションサービスでは、今年12月11日時点での出品数が200万点を超えた。1年前のおよそ20倍の規模にまで膨れ上がっている。活況を呈するインターネットオークションでは、ヤフーが利用者数、落札金額でライバルを大きく引き離している。2番手グループでは、楽天の「フリーマーケットオークション」の出品数が約7万点、ディー・エヌ・エー(DeNA)の「ビッダーズ」の出品数は約3万点だ。ヤフーの出品数は競合相手の30~70倍に達している。
1999年2月にNTTドコモはiモードのサービス展開を開始し、2000年3月末までに560万台の携帯電話でiモード契約を達成。iモードは携帯電話でインターネットを閲覧できる画期的なサービスであり「モバイルインターネット」として注目を集めた。
インターネットに接続できる携帯電話の利用者が急増している。後押ししたのは日本の若者文化と、メーカーの優れた製造技術だ。21世紀は携帯端末からの利用が世界中に広がるかもしれない。(略)
急速に普及しつつあるこの携帯電話を、インターネットへの“窓口”に使うという動きに火を付けたのが、今年2月から始まったNTT移動通信網(ドコモ)の「iモード」サービスである。iモードサービスとは、新たに開発したiモード対応の携帯電話からインターネットに接続できるようにしたサービス。電子メールの利用はもちろん、銀行への振り込み・振り替えができるモバイルバンキング、ニュースや株価情報の閲覧、占いやチケット予約といった情報サービスを受けられる。2月22日にサービスを始めて以降、iモードの加入契約件数はうなぎ登り。
2000年にヤフーは、ピー・アイ・エム株式会社の合併を決定。合併比率は「ヤフー:PIM=1.00:0.056」であり、PIMの株式評価額は約50億円。当時としては大型買収として注目を浴びた。
PIMはモバイルインターネットに着目した学生ベンチャー企業であり、モバイルにコンテンツを提供するDosule!(2ヶ月で3万ユーザーを確保)のサービスを展開。PIMの将来性に着目したヤフーの佐藤完氏が買収を決定した。PIMには、川邊健太郎氏(のちのヤフーCEO)や、村上臣氏(のちのヤフーCMO)などが在籍しており、ヤフーに籍を移した。
Yahoo! JAPANはピー・アイ・エムとの合併により、近日中にサービス開始を予定している「Yahoo!モバイル」のサービス拡充が早期に行われるものと確信しています。ピー・アイ・エムで現在提供しているDosule!およびそのASP(Application Service Provider)サービスは、合併後も継続していきます。またピー・アイ・エムは、Yahoo! JAPANという日本最大のアクセスを誇るサイトとの結合により、コンテンツの充実、サービスの拡大が期待されるものと考えています。
Yahoo! JAPANとピー・アイ・エムの合併は、急速に普及していくモバイルインターネットに新たなるサービスドメインとビジネスモデルを構築し、携帯端末先進国として、全世界22国と地域のYahoo!サービスに対してもノウハウを提供していくことができると確信しています。
ヤフーはPIMを合併したものの、モバイルインターネットではNTTドコモとKDDIなどの携帯キャリアが市場を席巻。PMIはモバイルインターネットのサービス機軸を打ち出せず、Dosule!のサービス終了を決定した。
サービス終了後もPIMのメンバー(川邊氏や村上氏)はヤフーに残るものの、実質的な社内失業という形となった。一説には、ヤフーの当時社長であった井上氏は、PIMのメンバーによる「謀反(独立)」を恐れ、社内での再結集を許さなかったという背景もある。
しかし、失敗に思われたピー・アイ・エム株式会社の合併は、人材という面ではヤフーにとってプラスに働いた。2012年に宮坂学がヤフーの社長に就任し、執行役員COOに川邊氏、同CMOに村上氏が抜擢され、2010年代を通じたヤフーは「PIM出身者」によって執行する体制となった。
すなわち、電脳隊のメンバーが目指していた「モバイルインターネット」という方向性は正しく、奇しくも買収から10年以上が経過した「2012年」に、スマートフォンの台頭によって、その役割が急務となった。ただし、2012年の時点でヤフーはモバイルインターネット(スマホシフト)の潮流に乗り遅れており、メルカリ(ヤフオクの競合)などの台頭を許してしまう。
リーマンショックにより広告市場が悪化したことや、PCやモバイルの需要が一巡したことでヤフーの売上成長が低迷。スマートフォンの普及に対しても動きが鈍く、2012年に経営体制を刷新するまでは経営の迷走が続いた。
ロボット型検索においてGoogleの優勢が確定したことを受けて、「検索エンジン」と「検索連動型広告配信システム」においてYahoo! JAPANは自社システムを停止。競合のGoogleの検索システムを採用した
1996年にヤフーの社長に就任した井上氏は、PC時代においてヤフーを国内トップ企業へと押し上げたものの、2009年以降の売上成長の打開に難渋した。特に、井上社長(当時53歳)は携帯電話の事情に疎く、モバイルにおける事業展開の面で課題が残った。
この結果、2008年から2011年度にかけてヤフーは、3期連続で売上成長が低迷。ヤフーの大株主であるソフトバンクの創業者・孫正義氏は、井上社長による経営体制(執行役員を含む)を見限る形で、社長交代と執行役員の刷新を決定した。
いまYahoo! JAPANにあるものは、16~17年かけて自分たちで作り上げてきた。次のステップに行くには、そのうちのいくつかは破壊しながら進んでいく必要があるが、僕だと少し愛情がありすぎて、もう少し冷静な人でなければ駄目なのではないかと思うところがあった。経営には守りと攻めのバランスがあると思うが、僕がこのままやっていくと守りの方がやや重めになっていくなと。ただ、守るものは守りつつも、もう少し攻めに重きをおかないと、競争に勝ちながら大きな成長はしていけないのかなと思う。そのために若い世代にバトンタッチするのがいいのではないかと思った。(略)
最近思うのは携帯電話を携帯しないのは自分だけだなと。鞄の中に入れっぱなしで発信専用電話になっているところとか、ソーシャルサービスもどうも苦手で使い切れないところがある。
大株主のソフトバンクは、業績が低迷していたヤフーの経営陣の刷新を決定。孫正義氏の指名により、2012年4月に宮坂学氏(当時44歳)がCEOに就任した。
同時に、1996年からヤフー株式会社の社長を歴任した井上氏は完全退任が決定し、2012年6月の株主総会の決議を経て代表取締役社長の座を宮坂氏に譲った。なお、井上前社長は宮坂CEOへの引き継ぎに際しては「やる以上は思い切ってやれ」(※出所:2012/07/24東洋経済Online)と言っただけであったという。すなわち、実質的に井上社長の更迭人事でもあり、複雑な心境があったと推察される。
宮坂学氏が社長に抜擢された理由は、ヤフー株式会社の設立翌年の1997年という早い段階で入社しており、「Yahoo!オークション」や「YAhoo!ニュース」といった収益を生み出すサービスに長年に従事しており、これらの実績が抜擢要因であったと推察される。
| 日付 | 役職 | 区分 |
| 1967/11 | - | 生まれ |
| 1992/4 | 株式会社ユー・ピー・ユー | 入社 |
| 1997/6 | ヤフー株式会社 | 入社 |
| 2002/1 | ヤフー株式会社 | メディア事業部長 |
| 2009/4 | ヤフー株式会社 | 執行役員 |
| 2012/4 | ヤフー株式会社 | CEO執行役員 |
| 2012/6 | ヤフー株式会社 | 代表取締役社長 |
| 2018/6 | ヤフー株式会社 | 取締役会長 |
| 2019/6 | ヤフー株式会社 | 退職 |
| 2019/9 | 東京都 | 副知事 |
いまの経営陣の平均年齢は53歳だが、今度の執行部は宮坂さんが44歳で平均年齢は41歳。平均年齢そのものが若返る。年を取っても精神的に若い人はたくさんいるが、そうは言いいつつも、ネット業界では競合の若い人たちが常に新技を繰り出している。またそれらのサービスのユーザーは年齢層も若い。そういうこともあり、ある程度の若さは保つべきだと前々から井上社長と話していた。若い執行部にバトンを渡すのは不安な面もあるが、彼らに賭けてみようというのが今の心境。
宮坂氏は社長就任と同時に、執行役員の刷新を実施した。孫正義氏からの条件で、若い人を中心に構成した。
そして、役員登用の基準は「スマホが好きな人」であり、結果としてモバイル事業に精通していた川邊氏・村上氏などのPMIを中心とした執行体制を作り上げた。宮坂氏を含めた全8名の執行役員のうち、再任は1名のみ(昇格の除く)であり、総入れ替えを伴う人事となった。
| 氏名 | 執行役員 | 管轄部門 | 区分 |
| 宮坂学 | CEO | 代表取締役社長 | 新任 |
| 川邊健太郎 | COO | メディア事業統括本部長 | 新任 |
| 大矢俊樹 | CFO | - | 新任 |
| 志立正嗣 | 執行役員 | BS事業統括本部長 | 新任 |
| 坂本孝治 | 執行役員 | コンシューマ事業統括本部長 | 新任 |
| 安宅和人 | 執行役員 | 事業戦略統括本部長 | 新任 |
| 西牧哲也 | 執行役員 | オペレーション統括本部長 | 再任 |
| 谷田智昭 | 執行役員 | R&D統括本部長 | 新任 |
| 村上臣 | 執行役員 | チーフモバイルオフィサー | 新任 |
役員の選定に当たっては、スマホが好きな人であるということが前提条件。あとは、変化を求めることが比較的好きというか、そういうタイプを意識して選びました。役職については、配役だと言っています。役職というと、固定化しやすい。映画でもタイトルが変われば、出演する俳優の役が変わるじゃないですか。今はスマホという新しい映画を撮らないといけないので、それに見合った配役にしました。
宮坂社長は、全社を挙げて遅れていたスマホシフトを最重要課題に据え、組織面ではスピーディーに対応する「爆速経営」を掲げた。この理由は、ヤフーは5000名近くの社員を抱える大企業となっており、決定事項に対する稟議承認のフローが煩雑化していたため、宮坂社長は承認プロセスの簡素化などの改革を実施した。
なお、爆速経営という標語は、ヤフーの社内では当初あまり使われていなかったが、メディアで「爆速経営」が取り上げられるにつれて、徐々に浸透していったという。(※出所:同志社大学>Doshisha-ism)
この結果、2012年以降、宮坂社長によるヤフーの改革は「爆速経営」としてメディアの注目を集めるようになった。
昨今、ヤフーは昔のワイルドさやスピード感が若干落ちている、大企業化しているのではないかという声も聞いたりしていた。もしそれが本当なら改めないといけない。特にスマートフォンインターネット大陸へ出て行く上では、できるだけ早く会社の外側で何が起きているかを誰よりも早く把握して、それを誰よりも早く意志決定して実行する。このサイクルのスピードをもっと上げなければいけない
宮坂社長は、爆速経営を実現するうえで、第一に「強いサービスに重点投資」する方針を掲げた。その上で、強いサービスをスマートフォン経由で提供する事で、ヤフーにおけるスマホシフトの実現を目論んだ。なお、2012年時点でヤフーは自社で150のサービスを展開していたが、競争力のあるアプリケーションは20サービスに限られていたという。
このため、2012年以降のヤフーは「弱いサービス」については、競合企業とのアライアンスを締結することによって、実質的に自社サービスの縮小を志向。さらに、ヤフー社内における「強いサービス」の責任者に強力な人事権を付与して、他のサービスからの人員を社内移動させる権限を付与した。この結果、ヤフーは「強いサービス」に人員を集中する体制をとり、スマホシフトのための経営資源を特定サービスに重点投入した。
このうち、焦点となったのが、競争力のない「ショッピング」と、それに付随する「ポイント」の処遇であった。
ヤフーはポイントサービスについて、2012年6月にCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)との資本・業務提携を決定。ヤフーが提供する「Yahoo!ポイント」と、CCCが展開するTポイントとのIDの共通化を進める方針を発表した。合弁会社に対するヤフーの出資比率は15%であり、ヤフーにとっては実質的にポイント事業の縮小を意味した。
また、ショッピングに関しては、2012年にアスクルとの業務資本提携を締結した。ヤフーとしては物流拠点を持っていない弱みがあり、アスクルとの提携でハードウェアへを武器にした事業展開を志向した。このアライアンスは、実質的に「Yahoo!ショッピング」の縮小を示唆した。
| 日付 | サービス名 | 区分 |
| 2012/6 | Yahoo!レシピ | サービス終了を発表 |
| 2012/6 | Yahoo!くくる(キュレーション) | サービス終了を発表 |
| 2012/10 | Yahoo!アバター | サービス終了 |
| 2013/12 | Yahoo!百科事典 | サービス終了 |
現在全部で150のサービスがありますが、本当にお客さんに支持されているものは20くらい。ここをピカピカにしようと注力しています。そこのサービスマネージャーは、社内から人を引き抜き放題、好きに取っていいようにしました。
それ以外のサービスはどうするか。すでに「Yahoo!レシピ」を年内にクローズし、クックパッドと業務提携すると発表しました。カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)とのポイント完全統合も進めます。要するに、今までヤフーはナンバー2、ナンバー3を認めていましたが、これからは認めない。ナンバー1でなければ、やめるか、ナンバー1と組むか。そういう厳しさを持って臨みます。
2013年7月に小澤隆生氏が「執行役員ショッピングカンパニー長」に就任し、懸案だったYahoo!ショッピングの再建をスタートさせた。楽天とアマゾンに対して劣勢であっため、改革が急務であり、ECに知見がある小澤氏が抜擢される形となった。
小澤隆生氏の経歴は特殊である。1995年に大学卒業後、ネットバブルの前夜にあたる1999年に中古品売買サービス「Easy Seek」のサービスを立ち上げた。2001年時点で登録者23万人のサービスに成長(※出所:INTERNET WATCH 2001/8/30)。2001年8月に楽天に対して評価額20億円で事業売却を決定した(※出所:NewsPicks:ヤフー小澤隆生氏 2015/8/22)。
これを受けて創業者の小澤氏も楽天に入社し、2003年に小澤氏は楽天の執行役員に抜擢された。その後、楽天では球団事業などに従事したうえで2006年に退職する。
その後は、ベンチャー投資やコンサルティングの業務を個人運営するなど、Easy Seekの売却で得たキャッシュを元手に事業を展開。2011年には株式会社クロコス(Facebookを活用したマーケティング支援事業を展開・代表者:岡元淳氏)の執行役員に就任。同社が2012年にヤフー株式会社に売却されたことを受けて、小澤氏はヤフーに入社した。
小澤氏にとって重大な問題になったのが、ヤフー株式会社における「ショッピングカンパニー長」の就任であった。小澤氏は楽天のEC事業に従事していた経歴から、ヤフー参画時にEC事業への従事を断る約束をしていた。
しかし、ヤフーの宮坂学社長は小澤氏を抜擢することを決定した。したがって、小澤氏がヤフーの事業責任者に就任することは、一般論として楽天に対する「競業避止」にあたる可能性もある。ただし、小澤氏が楽天の執行役員を退任したのは2006年であり、すでに5年以上が経過していたことから、契約上の問題はクリアしており、実質的には信義の問題であったと推察される。
| 日付 | 所属 | 役職 |
| 1972/2 | - | 生まれ |
| 1995 | 早稲田大学法学部 | 卒業 |
| 1999 | ビズシーク | 会社設立 |
| 2001 | 楽天 | 入社(企業売却に伴う参画) |
| 2003 | 楽天 | 執行役員 |
| 2006 | 楽天 | 退職 |
| 2011 | 株式会社クロコス | 執行役員? |
| 2012/9 | ヤフー株式会社 | 入社(企業売却に伴う参画) |
| 2013/7 | ヤフー株式会社 | 執行役員(ショッピングカンパニー長) |
| 2018/4 | ヤフー株式会社 | 常務執行役員 |
| 2019/6 | Zホールディングス | 取締役専務執行役員 |
| 2019/6 | ヤフー株式会社(ZHD子会社) | 取締役専務執行役員COO |
| 2022/4 | ヤフー株式会社(ZHD子会社) | 代表取締役社長 |
| 2023/9 | ヤフー株式会社(ZHD子会社) | 社長退任 |
ある日、社長の宮坂学さんに呼ばれます。
「ECをやってほしい」
「約束が違います」
「約束が違うのはわかっている。そのうえでのお願いだ」──。
ヤフーの執行役員からECの責任者になり、孫正義さんから呼び出されました。
「ヤフーのEコマースはこのままではダメだ」
2013年にヤフーは「ストアカンファレンス2013」を開催し、この中で「EC領域における新戦略(eコマース革命)」を発した。発表会にはソフトバンクの創業者である孫正義氏が登壇するなど、ヤフー株式会社としても気合が入った神田レンスとなった。
EC新戦略では「Yahoo!ショッピング」における各種手数料の無料化を公表。月額固定費(出店料/毎月)と売上に応じた変動費(売上ロイヤルティ=システム使用料)を、ともに無料化することを決定した。このプライシングは、EC事業者にとって、Yahoo!ショッピングでリスクを背負うことなく出店できることを意味し、出店者数の増加=商品数の増加を目論んだ打ち手であった。ただし、決済手数料は従来の3.60%から3.24%への値下げであり、完全無料化は見送っている。
また、Yahoo!オークションについても「毎月出店料」「出品時手数料」「入札手数料」の3つに関して無料化を決定。ヤフオクは高収益をキープしていたが、競合のメルカリが台頭したことを受けて、対抗策としての無料化を実施したと思われる。
これらの改革を実行することで、ヤフーは目標値として「201X年度までに商品数No.1、国内EC流通総額No.1」を掲げた。これは、競合する楽天とアマゾン(アマゾンJP)を凌駕することをゴールに据えたことを意味する。
なお、無料化による減収影響について、ヤフーの宮坂社長は「四半期で2桁億くらい」(※出所:CNET Japan, 2013/10/7)と判断しており、実質的に数十億円を投じた施策となった。
| 内容 | 改定前 | 改定後 |
| 出店料>初期費用 | 21,000円 | 0円 |
| 出店料>月額費用 | 25,000円 | 0円 |
| 売上ロイヤルティ | 1.7%〜6.0% | 0% |
EC新戦略の展開によって、Yahoo!ショッピングはマネタイズを「月額利用料を徴収するSaaS」から「広告収入(ショッピング広告)」にシフトさせた。Yahoo!ショッピングはモール型のECサイトであり、モールに広告枠を設置することで広告販売を行った。すなわち、出店数が多くなり、モールへの集客力(PV)が上昇すればするほど、広告の収入が増えるモデルであった。
Yahoo!ショッピングへの出店数については、無料化の発表により「約2万店」から「約8万店」へと増加(+約6万店)し、無料化による取り込みに成功。この結果、Yahoo!ショッピングのモールへの集客力が向上し、広告収入の増加に寄与したものと推察される。
なお、広告枠の買い手は、Yahoo!ショッピングに出店するショップであった。ただし、広告費用を捻出できるショップは限られており、ヤフーとしても信頼できるショップに対してのみ広告の利用を承認する仕組みであった。この結果、2017年時点で、広告枠を購入するショップは、Yahoo!ショッピングに出店するショップのうち10%程度であったという(※出所:2017/8/2東洋経済Online)。
| FY | 取扱高 | 広告売上高 | 商品数 |
| FY2013 | 2509億円 | 9億円 | 0.9億商品 |
| FY2014 | 2663億円 | 11億円 | 1.6億商品 |
| FY2015 | 3786億円 | 26億円 | 2.0億商品 |
| FY2016 | n/a | 54億円 | 2.7億商品 |
2000年代を通じてヤフーのEC事業は「ヤフーオークション」によるCtoCに注力してきたが、リアルな物販ではアマゾンと楽天が台頭。国内に大型の物流拠点を構えるAmazonや、物流への投資を鮮明に打ち出した楽天に対して、ヤフーは物流への投資を行っていなかった。
そこで、ヤフーは宮坂社長の就任(2012年)とともに、EC事業を強化する方針を打ち出す。その一環として、物流を内製化するのではなく、すでに物流の設備を抱えている通販会社との業務提携を模索した。
2012年4月にヤフージャパンは、アスクル株式会社への出資(議決権ベース42%)を決定するとともに、業務資本提携を締結した。第三者割当増資による出資で、総額329億円に及んだ。アスクルは物流網(2012年時点で全国6拠点)に特色がある通販会社であり、ヤフーのEC事業との相乗効果を目論んだ。
具体的には、アスクルが展開するLOHACO事業の強化で協力することで一致。日用品におけるEC事業を強化することで、売上の拡大を目指した。
2015年6月にヤフージャパンは、アスクル株式会社の追加出資を決定し、連結子会社化する方針を発表した。
なお、アスクルは上場企業であったが上場を持続する形となった。この問題は「親子上場」を許す形となり、少数株主の利益逸失の問題を抱える布石となった。
2010年代を通じて、ヤフーとアスクルはLOHACO事業に注力して日用品におけるEC事業の強化を目論んだが、競合のAmazonなども物流投資を行い日用品の領域を強化するなど競争が激化した。また、2017年にアスクルの物流拠点で火災が発生して、巨額な損失を被る形となった。
この結果、LOHACO事業の業績が悪化。ヤフーはアスクルを連結子会社化していたことで、連結業績面で損失影響を被ったため、子会社アスクルの業績悪化を看過できなくなった。特に、ヤフーでは2018年に宮坂社長(アスクルとの提携を決定した人物)が退任し、川邊社長が就任したことも、これまでの関係性がリセットされる要因になったと思われる。
2018年11月からヤフーは取締役を通じてアスクルに接触し、LOHACO事業の譲渡を要請。2019年1月にはヤフーの代表取締役(川邊氏)がアスクル社を訪問して譲渡検討を依頼した。だが、アスクルの経営陣は譲渡の拒否を決定し、書面にて事業譲渡の拒絶をヤフー側に通達した。この時点で両者の関係性は冷え切っており、ヤフーはアスクル経営陣に退任を要求することを決定。定時株主総会でアスクルの岩田社長の再任を拒否することを決めた。
アスクルはヤフーの申し出を不服とし、ヤフーと締結した「業務資本提携の解消」を要求するなど、対立が鮮明化した。
これに対して、アスクルの経営陣は、ヤフーの退陣要求に対して、少数株主の利益を優先する姿勢にガバナンスにおける問題がある指摘。同時に「ヤフー株式会社からの社長退陣要求に関する当社意見と提携解消協議申入れのお知らせ」(2019/7/17)としてプレスリリースを公表するなど、対立は泥沼の様相を呈した。
なお、ガバナンス上の問題に対して、ヤフー側(小澤取締役)は「議決権の行使自体は正当な行為でコーポレートガバナンスの議論とはまったく切り離されたもの。一方で私どもが今回、議決権を行使することによってコーポレートガバナンスがおかしくなってしまうのではないかという疑念を持たれるのはもっともだ。我々も苦渋の選択で、こういった非常時を一刻も早く正しい形に回復させなればならない。アスクルの企業価値の最大化のために今はやむにやまれずやっている」(2019/8/21通販新聞)とコメントし、物議を醸した。
これらの対立は平行線となり、結論は株主総会に持ち越された。
2019年8月にアスクルは株主総会を開催し、アスクルの社長であった岩田氏(代表取締役社長)など4名の取締役の解任が決定。親会社であるヤフーによる経営陣の退陣要求が承認される形となった。
株式市場に対する印象において、ヤフーは信頼を喪失するという結末に終わっている。親子上場というガバナンス上の欠陥を残した資本政策を行っていたことや、株主総会における社長解任という強硬策に出たことによって、「ガバナンスを軽視する上場企業」という印象付ける形となった。
一連の騒動において、2019年に日本取締役協会(会長・宮内義彦)は意見書を公表し、ヤフーのようなやり口を許さないよう、金融庁・法務省に対して提言している。
アスクルの新社長に吉岡氏が就任。当初、吉田社長はヤフーへの協力姿勢を見せなかったが、ヤフー経営陣(川邊氏・小澤氏)との面会を重ね、2019年12月までに「ヤフーとの協業による経営再建」の方針を打ち出した(ヤフーとアスクルの間で、PayPayモールから送客を強化する提案もあり、アスクルはヤフーとの協力を決めたと推察される)。
この直後に、2020年3月ごろから新型コロナの流行に伴って、ECにおける需要が増加。アスクルのLOHACO事業は売上高を拡大したが、営業赤字も継続した。
業績面においては、アスクルのlohaco事業において、2013年5月期から2022年5月期までの10年連続で営業赤字を計上。アスクルはBtoB事業を含めた全社業績として黒字を確保しているが、2012年のヤフーとの提携当初の意図であった「LOHACO事業を育てる」という目論見は外れた。
宿泊サイト(EC)に注力。2017年から「一休」と「Yahoo!トラベル」のバックエンドのシステム統合を開始。2021年からフロントエンドを含めたシステムの全面統合を開始
ヤフー(日本法人)の株式約35%を保有していたヤフーの米国法人は、日本法人の全株式の売却を決定した。このうち約11%はソフトバンク(取得額2210億円)、約24%はゴールドマンサックスなどに売却され、10%以上保有するヤフーの大株主はソフトバンクとなった。売却後のソフトバンクの保有株式は48.2%に及んだ。
なお、大株主のソフトバンクにとっては、ヤフーの株主が整理できたことが、2019年10月のZホールディングス発足の布石となっている。
2018年7月に、ソフトバンクとヤフーが共同で、PayPayを設立して決済事業に本格参入。ソフトバンクが得意とするリアルの加盟店獲得営業を急速に進め、スマホ決済として認知度を高めた。2018年12月には「100億円あげちゃうキャンペーン」を大々的に展開することで、流通総額を飛躍的に増大させた。一方、LINEも同時期に決済事業を展開しており、PayPayに対抗するために巨額の販促費用を投下して対抗するなど、QRコード決済(スマホ決済)をめぐる競争が激化した。
この結果、PayPayとLINEの2大勢力がスマホ決済で競合することとなり、2019年ごろにはPayPayとLINEの両社が、ともに100億円規模の巨額赤字を計上するなど「消耗戦」の様相を呈していた。
このうち、LINEが展開する「LINEペイ」は、2014年からサービスを開始しており、PayPayよりも先発していたが、リアル店舗の加盟店開拓の面でPayPayが急速に追い上げたため、LINEペイは徐々に劣勢となった。PayPayは家電量販店(顧客による利用額が高い)などのリアル店舗を加盟店として確保し、大規模な還元キャンペーンでユーザーを確保できたが、LINEペイは静観するしかなった。
この結果、2020年3月期にLINE株式会社は売上収益2274億円に対して、当期純損失▲514億円を計上した。
2016年以降のヤフー株式会社は、連結決算においては「アスクルの連結化」「一休の連結化」など、企業買収を通じた売上増加が、全社の連結業績の売上成長の要因となった。このため、ヤフー株式会社の単体決算では、2016年度〜2018年度にかけて、売上成長が伸び悩んだ。
2013年にヤフー株式会社が「EC新戦略」で掲げていた「ECで国内No.1企業」という目標は、企業買収によって志向する形となり、既存サービスのオーガニックな成長による実現は難しい現実が浮き彫りとなる。
このため、2018年以降のヤフー株式会社は、「既存サービスによる成長」ではなく、より一層「企業買収・提携・経営統合によりEC取扱高を増大させる」という路線を、鮮明化した。
スマホ決済における競争に終止符を打つ形で、2019年にヤフー株式会社とLINEは経営統合を発表。持株会社としてZホールディングス(ヤフーから商号変更)を設立し、その傘下に「ヤフー株式会社(ZHD子会社)」と「LINE株式会社」の2つを保有する資本形態に移行した。
実質的な経営統合の比率は、ヤフー株式会社:LINE株式会社=50:50であり、対等な経営統合を志向。統合後のZホールディングスにおける株式構成は、一般株主35%に対して共同出資会社65%の比率であり、株式の流動性は犠牲となった。
合併ではなく「経営統合」を選択した理由は、ヤフー株式会社のグローバルでのライセンス(商標など)の問題に起因する。
ヤフー株式会社は旧米Yahoo社との間でライセンス契約を会社設立時の1996年に締結したが、日本国内のみでヤフーのブランドを使用できる契約であった。つまり、ヤフーはライセンス契約の問題からグローバル展開を行うのが困難であり、経営統合によって「ヤフーは国内事業」「LINEでグローバル事業」を展開することで、この問題を解決しようとした。
経営統合の結果は、Zホールディングスの実質的な大株主であるソフトバンクを満足させるものではなかった。経営統合によって「ヤフー」「LINE」というブランドが残り、本社は別々のままで管理費の圧縮は限定的で、重複サービスの統廃合もなかなか進まなかった。
加えて、旧米Yahoo社からライセンスを買い取ったことで「ヤフー」ブランドによる海外展開も可能となり、結果として経営統合を選択した理由も薄れた。
この結果、経営統合の結果は大株主を満足させることができず、不調に終わる。2023年4月にZホールディングスは傘下の「ヤフー株式会社」と「LINE株式会社」の合併を決定し、LINEヤフーに商号を変更することを決定した。同時に、ヤフーの経営陣からLINEの経営陣に「LINEヤフー」を任せる人事を遂行し、ヤフー株式会社色が薄くなることとなった。
株式会社ZOZOは、1998年に前澤氏によって設立された会社であり、2000年代以降はアパレルのEC「ZOZOTOWN」によって業容を拡大した。2007年12月に東証マザーズに株式を上場し、注目を集めたベンチャー企業であった。
ところが、2019年ごろにZOZOの売上成長が鈍化。プライベート活動(絵画購入や宇宙渡航)を優先するために、創業者の前澤社長は「人生の再スタート」を理由に退任を決意した。
なお、2019年8月の時点で前澤氏は、金融機関(野村信託銀行・UBS・みずほ銀行など)に対して保有株式の46.6%担保提供しており、頻繁に変更報告書を提出している。すなわち、前澤氏個人におけるキャッシュフローが何らかの理由(絵画購入などと推定)で悪化した可能性がある。ただし、前澤氏自身は、宇宙渡航と絵画は資産にあたるとして、自身の借金(約600億円)と、ヤフーとの提携の関係性はないと否定している。
前澤氏によるZOZOの株式売却にあたって、問題になったのがZOZOの資本政策であった。上場後も前澤氏が株式を大量保有しており、2018年3月末時点で37.94%を保有する大株主であった。すなわち、前澤氏の社長退任にあたって株式をどう処分(時価総額・数千億円に相当)するかが論点となった。
数千億円を捻出できる企業は限られており、前澤氏はソフトバンク創業者の孫正義氏に相談。このルートを経て、ヤフー株式会社の川邊社長と前澤氏の面会が実現。この結果、ヤフーが株式の取得者として名乗りをあげることに至った。
| 差入先 | 担保差入株数 | 全保有株式に対する比率 |
| 野村信託銀行 | 7,600千株 | 5.4% |
| UBS銀行東京支店 | 38,664千株 | 27.7% |
| みずほ銀行 | 18,886千株 | 13.5% |
2019年11月にヤフー(Zホールディングス)は、株式会社ZOZOに対する公開買い付けの実施を表明した。ヤフーの社長ではなく、ソフトバンク(=Zホールデイングスの筆頭株主)の孫正義氏と、ZOZOの創業者の前澤氏の両者によって意思決定され、実質的に「ソフトバンクグループ」の投資戦略の一環としての買収でもあった。
ヤフーがZOZOの買収に名乗りを上げた背景には、歴史的に自社のEC事業(ショッピング領域)が弱く、強いEC事業を求めていたことが挙げられる。また、ZOZOの時価総額が高騰しており、数千億円の買収費用を捻出できる会社が限られていたことで、ZOZO買収にあたってヤフー以外に有力な対抗企業が出現しない構造が、買収価格を適正範囲内で収める目論見ができ、買い付けに踏み切った最後の動機であったと推察される。
ZOZOの株式取得にあたっては「前澤社長の退任」「50.1%の株式取得」「ZOZOの上場維持」の3つが重要な論点となった。
第一に、公開買い付けの開始とともに、前澤社長は退任を表明。ZOZO出身者で取締役だった澤田氏がZOZOの社長に就任し、ヤフーによるPMIの体制を構築した。この時、ヤフーとしてはアスクルのPMIの失敗を教訓とし、ZOZOの内部出身者に経営を任せる事を決めたと思われる。
第二に、50.1%の株式取得によって、ヤフー(Zホールディングス)の連結子会社としてZOZOを位置付けた。関連会社ではなく連結子会社化した理由は、ZOZOによる売上高の貢献額をZホールディングスに取り込み、売上成長のドライバーとして位置付ける目的があったと推察される。
第三に、ZOZOの上場維持を決定した事で、Zホールディングスは「親子上場」を許容する道を選択した。ソフトバンク→ヤフー(Zホールディングス)→ZOZOという複雑な支配関係を許容し、グループ全体がコングロマリット化する事を志向している。
これらの論点をクリアし、2019年9月からヤフーはZOZOの株式50.1%の取得を開始。取得の公正価値(買収価格)は4007億円に及び、買収費用を捻出するためにヤフーは金融機関5行(みずほ銀行など)から4000億円の短期借入を実施した。これにより、現金の問題をクリアし、2019年11月にZOZOの買収を完了した。
2019年9月に澤田宏太郎氏がZOZOの社長に就任し、Zホールディングス傘下でのZOZOの経営の舵取りを開始した。
澤田氏は「モア・ファッション」と「ファッションテック」を会社経営の方針に据え、ファッション領域に特化しつつ、技術に積極投資する方針を打ち出した。その上で、前澤社長時代に遂行していた「プライベートブランド」の事業展開を中止し、離反していたブランドを取り戻すべく出店誘致を開始した。