会計機械を取り扱う東京オフィスマシンに勤務していた野田順弘氏が、独立して「大阪ビジネス」を設立。中古の会計機を関西の中小企業に販売する営業ビジネスを開始した
中小企業の経営合理化、事務合理化のお役に立ちたいというのを、当社の設立当時からの氏名としてやってきました。というのは中小企業の場合は大企業と違って、コンピュータを使っていく上で、プログラマーとかシステムエンジニアの専門スタッフを持ち合わせていませんから、そういうものを総合的に当社が企業化していくということです。小型コンピュータ(現在ではオフィスコンピュータと呼んでいる)の一切、つまりソフトからハード、そしてシステム、保守サービス、ファシリティマネジメント、またサプライ関係など、あらゆるものを総合的に供給できる総合商社でありたいという目的で会社を設立しております。
中小企業にとってコンピュータやシステムの導入負担が大きいことから、オービックはリース方式による販売を重視。リース販売を実現するために、オリックスと提携した。
この結果、1979年の時点で販売額のうち90%がリース方式となり、中小企業にとっては初期投資の負担を分散しつつ、経営合理化のためのコンピュータの導入が可能となった。
リースが圧倒的に多いですね。コンピューターは技術革新が日進月歩、激しく進歩しますから、それを買い取って資産に計上しますと、価値そのものがダウンしていくということになります。それからユーザーにとっては月々の使用料金に対する利用技術のメリットを測定できるということがあります。そういった理由から、リースの利用が非常に高く、約90%までがリース利用になっています。
1973年にオービックは同業他社から20名の中途社員(営業部隊)を採用。ところが、すぐに20名が独立してオービックの競合会社を立ち上げたため、野田順弘氏は大きな衝撃を受けるとともに、中途採用に対する不信感を抱いた。
中途採用者の独立騒動をきっかけに、オービックは新卒採用に特化する方針を決定。創業者である野田氏が自ら面接をして選考し、入社後は時間をかけて新卒採用者を育成する人事政策を遂行した。1979年時点では、主に専門学校(技術系)から採用を実施しており、応募数200名に対して採用数20名の水準であった。このため、新卒採用を重視したものの、100名規模の大量採用ではなく、10〜20名の範囲で地道に育成する方針を取ったと推定。
よく考えてみると、その20人の移籍組は自分が汗水流して探し出し、自らの思いを伝え、苦労して育て上げた人たちではありません。結局、必要な人材は多少時間がかかっても自分で育てるしかない。苦い経験をきっかけにそう確信した私は以降、直接面接して先行した新卒社員だけをゼロから育て上げる育成手法をとることに決めました。
1979年時点でオービックは非上場企業ながらも、売上高60億円・従業員数310名の成長企業として注目を浴びた。
人員配置は「営業・システム・技術」に分かれており、このうち営業は50名に限られており、技術およびシステムに携わる社員が多い構成をとった。オービックとしてはハードウェアではなく、利用価値を提供するソフトウェアに注力する方針を掲げたことが理由であった。
当社はメーカー志向というよりも、ユーザーのニーズ志向を徹底するというものの考え方で来ています。ハードウェアは普通の耐久消費財と違って、利用の価値がお客さんによって個々に違います。ですから、お客さんの事務の量や、お客さんが求める質、また企業によって異なる管理対象や、管理ファクターに対してどういうサイクルで管理したら良いか、またどういう管理手法があるかなどをコンサルティングしながら、ハードウェアをいかに使いことなしていくかを、こちらで開発していく必要があるわけです。そこで、当社はハードの有効活用ということで、ソフトウェアに重点を置いた形態で企業を経営しているのです。当社はこれまでも積極的にユーザーのソフトを開発してきているわけです。
オービックはシステム開発を効率化するために、特定業界に特化したシステム開発を志向し、品質維持のために子会社を通じた内製化にこだわった。
1980年代には消費者金融業界向けのシステム開発に重点を置く。以後、自動車教習所向け講習予約システム・銀行向け不動産担保評価システムなど、特定業界向けのシステムを横展開することでシェアを確保する。
ソフトウェアの質が個人によって違う、あるいは生産性が大きく異なるというのは、確かですね。しかし、担当する人間によってその違いがそのままユーザーに出るということは、ないようにしていきます。ソフトの質の低下は、もはや致命傷になります。ドキュメントとして蓄積するなど、ソフトの生産性・品質に対しては、できるかぎりの手を打ってきていますから、質的なバラつきが懸念される外注は、まずほとんどやっていません。設計・管理・指導など、われわれが一件一件やっていきます。付加価値の高いソフトを作り、質的にレベルアップすることは、ユーザーの信頼に繋がる最大のポイントですからね。
1980年代を通じてオービックは急成長していた消費者金融業界(サラ金)向けのソフトウェアの販売で台頭したが、貸金業法の制定によって顧客である多くのサラ金業者が経営難に陥った。このため、オービックの業績が低迷したため、消費者金融業界に代わる業界の開拓に注力
オービックは、こうした自社の力を分散させないために、ユーザーとして消費者金融業界に重点をおいたのだが、これが裏目に出た。パソコン、オプコンの市場そのものが鈍化したところに、消費者金融各社が極度の経営難に襲われ、拡大路線から縮小均衡へと急激な転換を図ったことがモロに響いた。
営業体制を充実させるため、地方都市に営業所・支店を相次いで新設。この頃には自前のシステム開発体制を構築し、営業会社から「営業とシステム開発の会社」へと発展
中堅企業向けのERPとしてOBIC7のサービス提供を開始。CD-R形式により、生産・販売・会計・人事・給与など、業務別にソフトウェアをパッケージとして構築した。
業界を問わず、あらゆる汎用的な業務をパッケージ化することによって、販売の拡大を志向。ニッチな業界向けのシステム構築から、中堅企業にとって欠かせない汎用的なITシステムの構築に事業を転換した。
相浦明氏は1974年に同志社大学・文学部を卒業し、オービックに入社した生え抜き社員
相浦明社長は競合の「ワークスアプリケーションズ」を意識し、年商1000億円前後の大企業向けのERPの開発・販売を決定。同時に、成果主義による評価制度を導入した。従来の中小企業向けに加え、大企業向けのシステム開発に参入しつつ、社風の一新を試みた。
ワークスの03年6月期決算は大変好調だと聞いています(連結売上高が56億円、経常利益が16億7800万円だった)。ここ2〜3年、ぶつかるケースが増えてきました。正直、ワークスに対しては甘く見ていたところがあります。ワークスの場合はカスタマイズを一切行わず、顧客の要望はバージョンアップ時に取り込むという考え方ですが、当社はカスタマイズで対応します。顧客数が増えたときに、ワークスのやり方でうまくいくのかは疑問です。ワークスに限らず世の中の人事・給与ソフトで一番いいものを追い越すためのプロジェクトを5月に発足させました。開発部門だけでなく、SE、営業、マーケティング推進の人を一緒にしてチームを作りました。
大企業向けのシステム開発の頓挫により、相浦明氏が社長退任。創業者の野田順弘氏が社長に復帰
大企業向けERPの参入によってオービック社内では業務量が増大し、新卒採用だけに限る同社は中途採用による人材補填ができず、残業などが増大。この結果、納期の遅延が多発するなど、問題が生じた。そこで、オービックは大企業向けのシステム開発からの実質的な撤退を決めた。
リーマンショックによるIT投資の冷え込みと、ERPの需要一巡により、中堅企業向けのシステム構築の需要が減少。OBIC7に依存するオービックも影響を受け、FY2009に減収決算となった。
マイクロソフトのAzureを活用して、オービッククラウドの提供を開始
企業におけるITの推進およびクラウド化のニーズを捉えて成長。システムの新規構築(=SI事業)ではなく、SS事業(システム・サポート)による運用保守が成長を牽引
潤沢なキャッシュを運用に回すため、FY2021に国内上場企業の株式を中心に投資有価証券321億円を取得