ロート製薬 の歴史

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創業 1899年
創業者 山田安民
創業地 大阪府大阪市
創業・決断・現況・競合について
創業
1899年2月、山田安民氏が大阪で信天堂山田安民薬房を創業し、胃腸薬"胃活"を売り出した。次いで目薬を出し、以後は胃腸薬と目薬の二品へ品目を絞る。二代目の山田輝郎氏は、良い製品を安く大衆に届けるため少品種多量生産を社内へ徹底した。外部資本を入れず山田家が大株主を占めたことが、銘柄を増やさず広告を限られた品目へ集める判断を許している。胃腸薬と目薬でそれぞれ国内シェア40%を得て、大衆薬メーカーの地位を確立した。1975年8月には倒産した近江兄弟社に代わってメンソレータムの商標使用権を取得し、軟膏という三つ目の品目を加えている。
決断
借りていたブランドを、源流ごと所有する形へ切り替えた。商標使用権のままでは契約改定や条件の見直しで打てる手が縛られるため、1988年7月に米メンソレータム社を買収し、商標と製造販売の権利を一体で握った。この主権はアジア各国で合弁を作るときの交渉材料になり、1991年の中国、1996年のインドネシア、1997年のベトナムと拠点が続く。国内では2001年にスキンケアへ本格投資して"肌ラボ"を出し、皮膚科学の知見をヒアルロン酸配合の化粧水へ移した。製薬会社が化粧品で当てた例は乏しく、胃腸薬・目薬・軟膏に続く四つ目の収益源をゼロから立ち上げている。
現況
売上の半分は日本の外で立っている。2026年3月期の売上高3,437億円のうち日本は1,693億円で、アジアが1,253億円、ヨーロッパ239億円、アメリカ216億円と続く。営業利益411億円の内訳でも、日本221億円に対しアジアが150億円を占める。1988年に握った商標主権が、40年近くを経てアジアの現地法人網として収益になった。2024年4月には三井物産と共同でシンガポールの漢方薬企業ユーヤンサンを取得し、スキンケアに偏った品目へ内服と食品を補っている。2013年からは大衆薬と化粧品で稼いだ資金を再生医療へ向け、他家脂肪由来幹細胞製剤ADR-001の開発が続く。
競合
同族で大衆薬を売る同業のなかで、ロート製薬だけが上場と外部の社長を選んだ。大正製薬ホールディングスは2023年に創業家によるMBOで上場を廃止し、創業家が市場から降りた。小林製薬は2024年の紅麹問題のあと、2026年に物言う株主の要求を受けて監査等委員会設置会社へ移った。ロート製薬は山田家が大株主に残ったまま上場を続け、2018年の吉野俊昭社長の急逝を受けて武田薬品出身の杉本雅史を初の社外出身社長に迎えた。所有と執行を分ける形へ移っている。国内の大衆薬市場は成熟しており、競争の焦点は薬効の差ではなく、稼いだ資金を漢方や再生医療のどこへ移すかにある。
長期業績の推移 1959〜2026年
ロート製薬:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

第1章 1899-1983 大衆薬メーカーの確立と事業ポートフォリオ再編

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第2章 1984-1998 メンソレータム社の買収とインドネシア・ベトナム・米国への展開

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第3章 1999-2012 山田邦雄社長の下でのスキンケアへの本格投資と森下仁丹との提携

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第4章 2013-2026 再生医療への参入と社員の副業容認、杉本雅史社長とユーヤンサン買収

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歴史年表 1899〜2024年

ロート製薬の沿革1899〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1899〜1983年大衆薬メーカーの確立と事業ポートフォリオ再編信天堂山田安民薬房を創業。胃腸薬「胃活」を発売
点眼薬「ロート目薬」を発売★★
山田輝郎ロート製薬を設立
山田輝郎胃腸薬「シロン」を発売
山田輝郎本社工場を新設
山田輝郎大阪証券取引所第2部に上場
山田輝郎東京証券取引所・大阪証券取引所の第1部に指定
山田輝郎日本ジョセフィンなど3社を買収
山田輝郎化粧品事業に参入★★
山田輝郎倒産した近江兄弟社から看板ブランドを引き受けるという判断

1975年、経営破綻した近江兄弟社が手放したメンソレータムの商標について、ロート製薬が会社の救済ではなく米メンソレータム社からの商標使用権取得という形で軟膏市場へ参入した経営判断。負債20億円と従業員約260名を引き継がず、ブランド資産だけを切り出した。

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★★★
山田安邦胃腸薬で国内シェア首位陥落★★
1984〜1998年メンソレータム社の買収とインドネシア・ベトナム・米国への展開山田安邦長年借りていたブランドを源流ごと自らのものにする選択

1988年7月、ロート製薬が米メンソレータム社を買収して完全子会社化した経営判断。1975年に取得した商標の使用権に依存する構造から、源流企業そのものを所有する構造へ切り替え、製造・販売・商標の権利を一体として掌握した。同社にとって初の本格的な海外企業買収である。

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★★★
山田安邦子会社を新設
山田安邦ロート・インドネシアを設立
山田安邦ロート・メンソレータム・ベトナムを設立
山田安邦ロートUSAを設立
山田安邦オーチャードパーク市に工場を新設
1999〜2012年山田邦雄社長の下でのスキンケアへの本格投資と森下仁丹との提携山田邦雄山田安邦氏が会長、山田邦雄氏が社長に就任
山田邦雄医薬品の発想の化粧品への持ち込みと、大衆薬への依存からの脱却

2001年、1999年に社長へ就任した山田邦雄氏のもとで、ロート製薬が機能性化粧品への参入を本格化させた。同年にビタミンCにこだわった「オバジ」を発売し、2004年にはヒアルロン酸に徹底的にこだわった「肌研(ハダラボ)」を投入する。 掲げたのは、有効成分を患部に届けるという医薬品の発想をスキンケアで実現することだった。大衆薬に偏っていた収益構造は化粧品との両輪へ移り、スキンケア関連の販売高は2006年3月期に44,391百万円と、全社85,854百万円の52%を占めるまでになった。

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★★★
山田邦雄森下仁丹と戦略的業務提携を締結
吉野俊昭吉野俊昭氏が社長に就任★★
2013〜2026年再生医療への参入と社員の副業容認、杉本雅史社長とユーヤンサン買収吉野俊昭他家脂肪由来の幹細胞製剤を手がける再生医療への参入

2013年、ロート製薬が再生医療研究企画部を新設し、ヒト脂肪由来幹細胞を用いる再生医療へ参入した経営判断。目薬やスキンケアを主力としてきた大衆薬メーカーが、創業家の山田邦雄氏のもとで、薬でなく細胞を治療に用いる先端医療へ研究資源を投じた。 参入した2013年3月期の研究開発費は4,062百万円。5期後の2018年3月期には6,578百万円へと6割増え、設備投資額を上回る水準になった。

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★★★
吉野俊昭他家脂肪由来間葉系幹細胞を用いる再生医療に参入★★
吉野俊昭やえやまファームの株式を取得
吉野俊昭複業を届出制で認めることによる、会社に閉じない自律的な人材への転換

2016年2月、ロート製薬は新しい企業理念"NEVER SAY NEVER"を掲げると同時に、社外チャレンジワーク(複業)と社内ダブルジョブ(兼務)の二つを開始した。社外チャレンジワークは社会人3年目以上の社員を対象に、土日祝・終業後の範囲で会社の枠を超えて働くことを認める制度で、手挙げ制を基本とし、許可制ではなく届出制とした。上場企業で複業の容認がまだ稀だった時期に、雇用慣行の枠を広げた経営判断である。

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★★★
吉野俊昭創業家が会長として代表権を残し、執行を武田出身の社外人材へ委ねた交代

2018年8月に山田邦雄氏が取締役会長兼社長に就任して社長を兼ね、その空白を埋める形で2019年6月、武田薬品出身の杉本雅史氏が代表取締役社長に就任した。同社初の社外出身社長にあたる。 山田邦雄氏は代表取締役会長として代表権を残し、代表取締役は会長と社長の2名となった。就任時の杉本雅史氏の所有株式数は「―」で、1,972千株を持つ会長との差は明白である。所有と象徴を創業家が担い、執行を外部の経営者へ委ねる体制へ移した判断だった。

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★★
杉本雅史日本点眼薬研究所を子会社化★★
杉本雅史天藤製薬を子会社化★★
杉本雅史販売促進費を抑制。3期連続で利益率を改善
杉本雅史三井物産と組んでのシンガポール漢方薬企業の取り込み

2024年6月3日、ロート製薬が三井物産と共同で、シンガポールの漢方薬製造販売企業ユーヤンサン・インターナショナル社の議決権85.91%を取得し、連結子会社とした経営判断。取得原価は694.5百万シンガポールドル、円貨で808億4千万円。取得関連費用は2億9百万円で、企業結合日に受け入れた資産は329億7千5百万円、負債は164億9千万円であった。

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★★★
出典・参考

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