| 期 | 区分 | 売上高 | 利益※ | 利益率 |
|---|---|---|---|---|
| 1959/7 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 26億円 | 6億円 | 23.0% |
| 1960/7 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 28億円 | 5億円 | 20.9% |
| 1961/7 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 32億円 | 6億円 | 21.3% |
| 1962/7 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 36億円 | 8億円 | 22.9% |
| 1963/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | - | - | - |
| 1964/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 42億円 | 7億円 | 18.9% |
| 1965/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 45億円 | 6億円 | 14.0% |
| 1966/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 44億円 | 6億円 | 14.2% |
| 1967/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 40億円 | 5億円 | 12.3% |
| 1968/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 45億円 | 6億円 | 13.6% |
| 1969/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 52億円 | 8億円 | 16.5% |
| 1970/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 59億円 | 10億円 | 17.2% |
| 1971/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 62億円 | 10億円 | 17.5% |
| 1972/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 65億円 | 11億円 | 17.0% |
| 1973/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 63億円 | 10億円 | 16.5% |
| 1974/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 73億円 | 10億円 | 14.3% |
| 1975/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 76億円 | 11億円 | 14.9% |
| 1976/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 84億円 | 10億円 | 12.5% |
| 1977/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 92億円 | 10億円 | 11.5% |
| 1978/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 94億円 | 9億円 | 10.3% |
| 1979/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 109億円 | 11億円 | 10.4% |
| 1980/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 132億円 | 15億円 | 11.5% |
| 1981/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 152億円 | 16億円 | 10.8% |
| 1982/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 157億円 | 15億円 | 9.5% |
| 1983/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 150億円 | 12億円 | 8.4% |
| 1984/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 157億円 | 12億円 | 8.1% |
| 1985/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 167億円 | 15億円 | 9.4% |
| 1986/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 160億円 | 11億円 | 7.1% |
| 1987/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 165億円 | 11億円 | 7.0% |
| 1988/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 175億円 | 12億円 | 7.4% |
| 1989/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 179億円 | 16億円 | 9.3% |
| 1990/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 192億円 | 18億円 | 9.5% |
| 1991/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 203億円 | 16億円 | 7.9% |
| 1992/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 209億円 | 11億円 | 5.3% |
| 1993/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 196億円 | 6億円 | 3.1% |
| 1994/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 210億円 | 8億円 | 4.2% |
| 1995/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 241億円 | 12億円 | 5.0% |
| 1996/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 283億円 | 18億円 | 6.5% |
| 1997/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 352億円 | 18億円 | 5.2% |
| 1998/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 399億円 | 21億円 | 5.4% |
| 1999/3 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 416億円 | 20億円 | 4.8% |
| 2000/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 557億円 | 28億円 | 5.1% |
| 2001/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 595億円 | 33億円 | 5.5% |
| 2002/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 629億円 | 22億円 | 3.6% |
| 2003/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 659億円 | -13億円 | -2.0% |
| 2004/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 673億円 | 37億円 | 5.5% |
| 2005/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 733億円 | 54億円 | 7.4% |
| 2006/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 858億円 | 65億円 | 7.5% |
| 2007/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 956億円 | 66億円 | 6.9% |
| 2008/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,081億円 | 75億円 | 6.9% |
| 2009/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,106億円 | 61億円 | 5.5% |
| 2010/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,134億円 | 77億円 | 6.8% |
| 2011/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,154億円 | 79億円 | 6.8% |
| 2012/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,202億円 | 81億円 | 6.8% |
| 2013/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,291億円 | 80億円 | 6.2% |
| 2014/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,438億円 | 89億円 | 6.2% |
| 2015/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,517億円 | 86億円 | 5.6% |
| 2016/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,670億円 | 90億円 | 5.4% |
| 2017/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,545億円 | 100億円 | 6.4% |
| 2018/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,717億円 | 92億円 | 5.4% |
| 2019/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,835億円 | 97億円 | 5.3% |
| 2020/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,883億円 | 154億円 | 8.1% |
| 2021/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,812億円 | 167億円 | 9.2% |
| 2022/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,996億円 | 210億円 | 10.5% |
| 2023/3 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 2,386億円 | 263億円 | 11.0% |
明治23年に胃腸薬「胃活」の製造販売を開始すると共に、信天堂山田安民薬房を創業した。以後、現在に至るまでロート製薬は山田家による同族会社として経営されている。戦前は国内に加えて、上海などの中国大陸にも工場を建設するなど、手広く商売を手掛けた。
当時、日本眼科学会で主導的な存在であった井上博士が目薬を開発し、ロート製薬が商品化した。ロートの名称は、当時、世界的な眼科医として知られていたドイツ人の「ロート・ムンド博士」に由来する
ロート製薬の株式会社化は、経営権の分散ではなく、成長資金と信用力を得るための制度的選択であった。上場後も同族支配を維持した点に、拡大と統制を両立させる戦後日本型企業の特徴が明確に表れている。
1899年に信天堂山田安民薬房として創業したロート製薬は、長らく山田家による個人事業として運営されてきた。戦前には国内のみならず中国大陸にも工場を展開し、家庭薬を中心に事業規模を拡大していたが、戦争による混乱と統制経済の影響を強く受けることになった。
終戦後、日本経済は復興局面に入り、医薬品需要も急速に回復した。一方で、設備投資や原材料調達、販路拡張には、従来以上に資金力と信用力が求められるようになり、個人事業の枠組みでは事業拡大に対応しきれない状況が顕在化していた。
こうした環境変化を受けて、1949年9月、ロート製薬は個人事業から株式会社へと組織変更し、資本金1,000万円でロート製薬株式会社を設立した。社長には創業家の山田輝郎氏が就任し、経営権は引き続き山田家が掌握する体制を採用した。
株式会社化後も増資は主として創業家を中心に実施され、外部資本の受け入れによる経営権の希薄化は意図的に回避された。法人化は経営主体の転換ではなく、成長のための制度的な器を整える判断であった。
株式会社化によって、ロート製薬は資本調達と設備投資を本格化させ、1950年代を通じて生産体制と販路を拡張した。法人格を持つことで金融機関や取引先との関係も安定し、事業運営の自由度は大きく高まった。
その延長線上で1961年に大阪証券取引所第2部へ上場し、社会的信用力を獲得した。上場後も大株主の多くは山田家が占め、同族経営を維持したまま成長するロート製薬の経営スタイルが、この時点で制度的に確立された。
| 株主名称 | 続柄 | 保有比率 |
| 山田安邦 | 輝郎氏の長男 | 19.01% |
| 山田安信 | 輝郎氏の次男 | 6.89% |
| 山田安定 | 輝郎氏の三男(学者) | 6.57% |
| 山田安正 | 輝郎氏の四男(学者) | 6.25% |
| 山田安広 | 輝郎氏の五男 | 5.91% |
| 山田輝郎 | - | 5.70% |
| 三菱銀行 | - | 3.76% |
| 住友銀行 | - | 2.51% |
| 大和銀行 | - | 2.51% |
| 三和銀行 | - | 2.19% |
シロンは単なる主力製品ではなく、ロート製薬の経営モデルそのものを形作った存在である。少品種に経営資源を集中させる判断は、高収益構造を生み出し、その後のブランド戦略や販促投資の基準点となった。
ロート製薬の祖業である胃腸薬は、戦後の食糧事情改善とともに需要が回復していたが、主力製品「胃活」は発売から長期間が経過し、商品力の陳腐化が進んでいた。戦後復興が進むにつれて日本人の食生活は量的にも質的にも変化し、胃腸薬に求められる役割も変わり始めていた。
1950年代に入ると、食べ過ぎや外食機会の増加による消化不良など、日常生活に密着した症状への対応が重視されるようになり、従来型の胃薬では十分に対応できなくなっていた。大衆薬市場では、症状の幅広さと使いやすさを兼ね備えた新製品の投入が、成長の前提条件となりつつあった。
こうした市場環境の変化を受けて、1954年、ロート製薬は新たな胃腸薬「シロン」を発売した。制酸剤に重炭酸ナトリウムを採用し、特定の症状に限定せず、食べ過ぎや胃もたれなど幅広い消化不良に対応する総合胃腸薬として位置付けた。
同社は複数の新製品を同時に展開するのではなく、「シロン」一品に経営資源を集中させる方針を採用した。生産面では少品種大量生産による原価低減を図り、販売面では広告宣伝費を一点集中させることで、認知拡大と市場浸透を同時に実現しようとした。この判断は、多品種展開が一般的であった当時の大衆薬業界では異例であった。
シロンは発売後急速に販売を拡大し、1950年代後半にはロート製薬の主力商品へと成長した。1960年代初頭には、同社売上の大半を占める規模に達し、広告宣伝費を積極的に投下しながらも高い利益率を維持することに成功した。
この結果、ロート製薬は少品種集中・大量販売による高回転型の収益モデルを確立した。シロンの成功によって、胃腸薬と目薬を中核とする事業構造が完成し、この経営モデルは以後のブランド戦略や販促投資の基本思想として、同社の意思決定に強く影響を与えることになった。
| 年度 | 売上高 | 広告宣伝費 | 営業利益 | 売上高_広告宣伝費率 |
| FY1960 | 28.0億円 | 7.6億円 | 5.5億円 | 27.1% |
| FY1961 | 32.2億円 | 9.2億円 | 6.6億円 | 28.5% |
| FY1962 | 36.0億円 | 10.5億円 | 7.8億円 | 29.1% |
私のところは、昔から大衆向きに育ってきた会社です。家庭薬に興味が薄い新薬メーカーのやらないこの薬に、徹底的に取り組む気でした
まず、商品の種類が少ないから、こういう合理化もできます。この少品種の超量産でコストも安い。安いために普及率も高い。
私は薬はよくきいて、安ければ良いという主義です。例えば医薬メーカーでは糖衣錠とか、カプセルなどで体裁を作るけれども、うちのシロンは包に入った粉末です。こういう点、今の世代にマッチしないかというと決してそうではありません。1日に三百何十万包という量が飲まれている薬は他にはないはずです。これは積んでみると富士山の二倍半という高さです。
ですから私は大衆薬、家庭薬というものの使命は、こうした安くて効くという要求に応えることが第一だと思っています。
「ロート」といえば、すぐに「シロン」が頭に浮かび、「目薬」が、ぴーんと浮かんでくる。業界の激しい競争の中で、シロン、目薬ともにそれぞれ市場占有率40%と業界のトップ街道を走り続けている実力は、確かに見上げたものである。製品がもともと一般大衆に直接、結びついたものではあるとはいえ、よくもまあ、これだけ一般大衆に食い込んだものと、いまさらのように驚き入る。
日本ジョセフィン、関西有機化学。モナ化粧品の3社を買収。3社の合計で化粧品の年間売上高は32億円
メンソレータムの商標取得は、ロート製薬が自社開発に固執せず、既存ブランドを活用して事業領域を拡張した判断であった。競争は避けられなかったが、事業ポートフォリオの分散という点では明確な意味を持つ一手だった。
1970年代前半の日本では、生活水準の向上とともに家庭常備薬の需要が拡大し、軟膏薬市場も成長局面にあった。この分野では、大塚製薬のオロナインが広告投下と流通網の拡張によって高い認知度を確立し、市場を事実上リードしていた。
一方、長年にわたりメンソレータムを製造・販売してきた近江兄弟社は、経営悪化によって倒産に至り、国内市場から姿を消した。これにより、長い歴史を持つメンソレータムブランドは宙に浮いた状態となり、その帰属と将来展開を巡って不確実性が生じていた。
ロート製薬は、胃腸薬と目薬に依存した事業構造からの脱却を課題として認識しており、第三の収益源となる事業の育成を模索していた。1975年8月、同社は米メンソレータム社から国内における商標使用権を取得し、軟膏市場への本格参入を決断した。
契約期間は10年、ロイヤリティは売上高の7.5%とされ、自社開発による新規参入ではなく、既に認知されたブランドを活用することで、時間と投資リスクを抑える設計が取られた。これは、確立済み市場への現実的な参入手段として選択された判断であった。
メンソレータムは発売後、ロート製薬の主要ブランドとして定着し、1980年代にかけて外皮用薬および医薬部外品分野の売上拡大に貢献した。これにより、同社の事業構造は内服薬と点眼薬への依存度を相対的に低下させ、収益源の分散が進んだ。
一方で、近江兄弟社が「メンターム」ブランドで市場に復帰したことにより競争は激化し、オロナインを含む三社競合の構図が定着した。独占的地位の確立には至らなかったものの、メンソレータム事業はロート製薬にとって安定的な収益基盤の一角を占め、以後の多角化戦略を進めるための現実的な足場となった。
メンソレータム軟膏、ホワイト、ラブ、シェービングクリームの4品目の製造販売と、くちびるの荒止め、リップスティックの輸入販売権。期間は10年だ。
そしてロイヤリティーは近江が実質的に米国メ社に払っていた5%よりやや高い7.5%前後となったが、広告などは一切ロート側に任せられた。逆に言えば近江が売上の20%を持っていかれていた費用が、中間を省いたため、ロートは半分以下で済み、米メ社もやや収入がアップしたのだ。
「本社工場に自動化機械を入れれば、近江(注:倒産時の従業員数約260名)さんが売っていた分は30人の人手でやってみせます」とロート製薬の山田副社長(注:山田安邦氏)は強気。そして「米国メ社の事前OKを取れば、色や感じの違うメンソレータムだって発売できます。」とハイド社長の意を呈してか、早くもオロナインを向こうに回した感じの発言も続々と飛び出した。
ロートでは数年のうちに目薬、胃腸薬に次ぐ3本柱に育てる構えだが、もし、近江再建に乗り出していたら、負債20億円と従業員が全員付いて回っていただけに、結局、安い買い物をしたわけだ。
(注:近江兄弟社は)いかに「メンターム」を売るのか。ここで考えついたのが、従業員全員で小売店を回ることである。(略)
直接訪問することによって小売店の心証を良くすれば、多少、メンソレ(注:ロート製薬のメンソレータム)に食い込めるかもしれない、と考えた苦肉の策だったのだ。「ロートさんに対する競争心があってこそ、それが可能になった」と岩原社長は言う。もちろん、この競争に負ければ職を失うわけだから必死だった。(略)
こうした作戦が功奏し、今では「ロート製薬のメンソレータムの3分の1程度の売り上げまで追いつけた」と言う。さらに、倒産後、新製品として出したリップスティック型に関しては「五分五分に張り合っている」ほどだ。もっとも、売れるのは感動的な理由ばかりではない。メンソレに比べ、小売店のマージンを2割ほど高くしてあると言う現実的な要因もあるのだ。
1983年の首位陥落は、胃腸薬市場が成熟期に入り、競争軸が構造的に変化したことを示している。ロート製薬は首位維持よりも事業全体の安定を優先し、この判断が後の多角化と収益分散につながっていった。
1970年代後半に入ると、日本の胃腸薬市場は量的拡大の段階を終え、成熟期に移行していた。家庭常備薬としての普及は一巡し、新規需要の伸びは限定的となる一方で、各社は既存需要の奪い合いに直面していた。
この局面では、製品効能そのものよりも、広告宣伝の訴求力やブランド想起、流通網の強さが競争力を左右する要因となっていた。大衆薬市場ではテレビCM投下量の増大や販促手法の高度化が進み、資本力とマーケティング力の差がシェアに直結する環境が形成されていた。
ロート製薬は、胃腸薬を引き続き中核事業の一つと位置付け、パンシロンを中心とする既存ブランドの維持・強化を基本方針とした。製品自体の大幅な刷新や価格戦略の転換ではなく、従来の処方とブランド資産を活用しながら市場対応を続ける判断を取った。
一方で、同社は経営資源の配分において、目薬や外皮用薬といった他カテゴリーへの投資も並行して進めていた。胃腸薬一分野への過度な集中を避け、事業ポートフォリオ全体の安定性を重視する意思決定が、この時期の経営判断を特徴付けていた。
1983年、ロート製薬は胃腸薬分野において国内シェア首位の座を競合に譲ることとなった。市場成熟下での競争激化により、広告投下量や販促力で優位に立つ企業がシェアを伸ばし、従来の主力ブランドは相対的な存在感を低下させた。
この首位陥落は単年度の現象にとどまらず、その後の市場構造を固定化する転機となった。一方で、ロート製薬は胃腸薬への過度な依存を回避していたため、業績全体への影響は限定的であった。結果として、胃腸薬は主力事業の一角ではあり続けたものの、同社の成長を牽引する絶対的中核の位置付けからは後退することになった。
パンシロンの敗因はすべての症状に効くという総合胃腸薬にしがみつき過ぎたこと。ターゲットを絞った競合薬にシェアをどんどん食われた。かつての胃腸薬の主流は胃の痛み、食べ過ぎ・飲み過ぎ、胃酸過多などあらゆる症状に効能があるという「総合薬」だった。その代表がパンシロンだった。
しかし、時代の変化とともに現代人のライフスタイルも変わり、精神的ストレスからくる胃痛などが多くなってきた。そうしたニーズをくみ取って登場したのが、1978年発売の大正漢方胃腸薬だった。発売6年目の1983年にはパンシロンに代わってトップに立った。
米メンソレータム社の買収は、ロート製薬がライセンス依存から脱却し、ブランド主権を自社に取り込んだ転換点である。短期的合理性よりも長期的な事業裁量を優先した判断は、その後のグローバル展開の前提条件となった。
1970年代半ばに商標使用権を取得して以降、メンソレータムはロート製薬にとって外皮用薬分野の中核ブランドとして定着していた。一方で、その事業基盤は米国メンソレータム社とのライセンス契約に依存しており、契約更新や条件変更の影響を受けやすい構造を抱えていた。
1980年代に入ると、国内市場は成熟局面に入り、成長余地は海外市場に求められるようになった。しかし、ブランドの権利関係が分断された状態では、製品展開や海外展開の自由度に制約があり、長期的な成長戦略を描きにくいという課題が顕在化していた。
こうした構造的制約を解消するため、ロート製薬は1988年7月、米国のメンソレータム社を買収し、完全子会社化する決断を下した。これにより、同社はメンソレータムブランドに関する製造・販売・商標の権利を一体的に掌握することとなった。
単なるライセンス延長ではなく、源流企業そのものを取得する判断は、短期的なコスト増を伴う一方で、将来の事業自由度と戦略的裁量を確保することを目的としていた。ブランドを自社資産として内部化する明確な意思決定であった。
買収によって、ロート製薬はメンソレータムブランドを軸としたグローバル展開を本格化させる体制を整えた。国内外での製品開発や販促戦略を一元的に設計できるようになり、外皮用薬事業は同社の成長分野として位置付けが明確になった。
この買収は、ロート製薬にとって初期の本格的な海外企業買収であり、以後の海外展開やM&A戦略の起点となった。結果として、メンソレータムは国内ブランドにとどまらず、同社の国際事業を支える中核資産へと転換していった。
軟膏薬メーカーの米メンソレータムを買収しました。88年のことです。先方の経営者から会社を売りたいという話があったからです。
当時のロート製薬は知名度はあったけれど、こぢんまりとした会社でした。社員は500人程度。工場や物流、開発部門を除くと、大阪市生野区の本社で働く社員は100人ほどでした。
そんな企業が突然、海外の企業を経営することになり、社内カルチャーショックが起きた。メンソレータムは世界各国で販売していたが、経営内容が思っていたほどよくなく、これは大変やということで、父も突然、英語の勉強を始めたりしましたね。また、メンソレータムのスキンケア商品のラインアップを増やす過程で、いろいろな経歴、経験を持った人を採用し、それで社内が再び活性化したんです。
1991年の中国合弁設立は、ロート製薬が国内成熟を前提に成長軸を海外へ移した象徴的な判断である。合弁という形態を選んだことは、市場定着を優先する慎重かつ現実的なアプローチであり、その後の中国事業拡大の基盤となった。
1980年代後半に入ると、日本国内の大衆薬市場は成熟が進み、人口増加や需要拡大による成長は見込みにくい状況となっていた。一方で、ロート製薬は1988年に米国メンソレータム社を買収し、ブランド主権と事業裁量を自社に取り込んだことで、海外展開を本格的に検討できる体制を整えていた。
同時期、中国では改革開放政策の進展により、外資企業の参入余地が徐々に広がっていた。都市部を中心に生活水準が向上し、医薬品や衛生関連製品への需要が顕在化しつつあったが、外資単独での進出には制度面・商習慣面での制約が多く、現地企業との協業が現実的な選択肢とされていた。
こうした環境を踏まえ、ロート製薬は1991年、米国メンソレータム社とともに中国において合弁会社を設立する決断を下した。ブランド力を持つメンソレータムと、現地パートナーの販売網・制度対応力を組み合わせることで、市場参入の障壁を低減する狙いがあった。
自社単独進出ではなく合弁という形態を選択したのは、規制環境への適応と事業立ち上げの確実性を優先したためである。短期的な収益最大化よりも、長期的な市場定着を重視した判断であり、中国を将来の成長拠点として位置付ける明確な意思表示でもあった。
合弁会社設立により、ロート製薬は中国市場における事業基盤を構築し、メンソレータムブランドの現地展開を段階的に進めることが可能となった。都市部を中心に外皮用薬や衛生関連製品の認知が広がり、同社は中国市場における存在感を徐々に高めていった。
この合弁設立は、ロート製薬にとって中国事業の出発点となり、以後の投資拡大や事業多角化につながる重要な布石となった。結果として、中国は同社にとって日本・米国に次ぐ長期成長市場として位置付けられることになった。
| 年度 | 売上高 | 経常利益 | 純資産 | 総資産 |
| FY2011 | 124億円 | 14億円 | 76億円 | 155億円 |
| FY2012 | 148億円 | 17億円 | 103億円 | 208億円 |
| FY2013 | 210億円 | 28億円 | 122億円 | 252億円 |
| FY2014 | 254億円 | 32億円 | 165億円 | 320億円 |
| FY2015 | 329億円 | 31億円 | 159億円 | 331億円 |
1996年のアトランタオリンピックでは、中国飛び込みチームの公式スポンサーになり、そのチームが金メダル6個を獲得したことにより、当社の製品イメージも大きくアップし、売上が大きく伸長しました。現在、当社製品は中国国内ブランドに比べると高額なこともあり、良質で信頼性が高いというイメージを築いています。(略)
日本で販売されている商品の約10倍の価格でありながら「メンソレータム薬用リップクリーム」は市場で90%(2007年ユーロモニター調査)と高いシェアを獲得しています。
現在のように国内市場が厳しい状況下で当社が成長していくためには、グローバル展開が欠かせません。(略)その中でも注力すべきなのはアジア、特に中国市場への急拡大です。当社は中国がまだ世界の工場として成長していた頃から、消費市場としての中国に着目し、リップクリームや目薬などで市場開拓を行ってまいりました。おかげさまで、目薬やリップクリームなどのメンソレータムブランドのスキンケア製品は、現地のトップブランドとなり、収益性も日本を上回るほどの子会社に成長しています。
メンソレータム社の本社及び工場として活用
2001年のスキンケア本格投資は、ロート製薬が成熟した大衆医薬品市場から一歩踏み出し、皮膚科学を軸に成長領域を再定義した判断である。短期収益よりも将来の事業幅を優先した点に、この時期の戦略的転換の本質がある。
1990年代後半に入ると、ロート製薬の主力事業であった胃腸薬や目薬、外皮用薬といった大衆医薬品分野は、国内市場の成熟により成長余地が限定的になっていた。価格競争や販促競争が激化する中で、数量拡大による成長モデルは機能しにくくなっていた。
一方、生活者の健康志向や美容意識の高まりを背景に、スキンケアを中心とする化粧品市場は拡大傾向にあった。医薬品と親和性の高い皮膚科学領域において、研究開発力や品質管理力を活かせる余地があり、事業ポートフォリオの再構築が経営課題として浮上していた。
こうした環境認識のもと、ロート製薬は2001年からスキンケア分野への本格的な投資を開始した。研究開発体制を強化し、医薬品開発で培った皮膚科学の知見を応用することで、機能性を重視した製品開発を進める方針を明確にした。
同時に、化粧品事業を補完的な位置付けではなく、将来の成長を担う戦略事業として位置付け、開発・生産・販促への資源配分を段階的に拡大した。短期的な収益貢献よりも、中長期的な事業基盤構築を優先する判断であった。
スキンケアへの本格投資により、ロート製薬は医薬品に依存した事業構造からの転換を進めることになった。機能性化粧品や皮膚関連製品が徐々に事業ポートフォリオに組み込まれ、新たな収益源として育成が始まった。
この時期の投資は即時的な成果をもたらしたわけではないが、後年のスキンケアブランド展開やグローバル事業拡大の基盤となった。結果として、ロート製薬は医薬品と化粧品を両輪とする事業構造へと進化するための重要な転換点を迎えることになった。
普通だと「それは無理なんじゃない」と言われるようなことでも、成功できないわけでもないだろうという「何くそ精神」でトライしてきた。従来製薬会社がやって成功したことのなかった、化粧品への参入もそう。海外への挑戦も、規模が10倍以上違う欧米企業を相手に、身の丈を越えてやっている面もある。普通に考えたら勝てるわけがないが、現実はそうでもない。かじりついてやっていたら、何となく結果がついてきた。
当社の成長の原動力となっておりますのが、「肌研(ハダラボ)」「オバジ」などのビューティー関連品で、当期売上高213億円と連結売り上げの約2割を占める成長の牽引役となっています。化粧品市場は、消費者の価格と費用対効果を重視した購買行動の変化により大きく変化しております。
当社の「肌研」などはこの変化に上手くマッチし、機能性とコストパフォーマンスの高さsが支持され、国内売上高100億円を達成し、セルフ化粧品市場で最も売れている化粧水ブランドとなりました。
2000年代初頭、ロート製薬はスキンケア分野への本格投資を進める一方で、医薬品・機能性製品における差別化の源泉をどこに求めるかという課題に直面していた。大衆医薬品市場は成熟が進み、既存製品の改良や販促強化だけでは持続的な成長を描きにくい状況にあった。
一方、健康志向の高まりを背景に、機能性素材や製剤技術への関心が高まり、製品価値を「成分」「技術」で訴求する動きが強まっていた。こうした環境下で、ロート製薬は自社単独で研究領域を拡張するのではなく、外部の技術や知見を取り込む形で競争力を高める必要性を認識していた。
この課題認識のもと、ロート製薬は2003年9月、独自の製剤技術を有する森下仁丹と戦略的業務提携を締結した。森下仁丹が長年培ってきたカプセル化技術や成分安定化技術を活用し、医薬品や健康関連製品の開発力を高める狙いがあった。
単なる製品供給契約ではなく、研究開発段階からの協業を前提とした提携であり、双方の強みを持ち寄ることで、新たな付加価値を生み出すことが意図されていた。ロート製薬にとっては、外部技術を戦略的に取り込む姿勢を明確にした判断であった。
この提携により、ロート製薬は自社技術だけでは対応が難しかった製剤設計や成分活用の幅を広げることが可能となった。研究開発における選択肢が増え、機能性を重視した製品企画を進めるための基盤が整えられた。
短期的に大きな売上を生む提携ではなかったものの、技術提携を通じて外部資源を柔軟に活用する経験は、その後の事業展開や提携戦略に影響を与えた。結果として、この業務提携はロート製薬の研究開発体制を補強し、将来の成長領域を広げるための重要な布石となった。
| FY | 売上高 | 営業利益 | 資産 | 従業員数 |
| 2001/3 | 92億円 | ▲2.6億円 | 83億円 | 213名 |
| FY | 売上高 | 営業利益 | 資産 | 従業員数 |
| 2005/3 | 86億円 | ▲2.6億円 | 71億円 | - |
| 2006/3 | 92億円 | ▲3.2億円 | 89億円 | 176名 |
| 2007/3 | 99億円 | ▲0.7億円 | 142億円 | 294名 |
| FY | 保有株数 | 貸借対照表計上額 | 1株あたり単価 |
| 2006/3 | 4,025,000株 | 17.30億円 | 429円/株 |
| 2007/3 | 4,025,000株 | 15.62億円 | 388円/株 |
| 2008/3 | 4,025,000株 | 11.43億円 | 283円/株 |
| 2009/3 | 4,025,000株 | 9.17億円 | 227円/株 |
| 2010/3 | 4,025,000株 | 10.82億円 | 268円/株 |
| 2011/3 | 4,025,000株 | 13.04億円 | 323円/株 |
| 2012/3 | 1,759,309株 | 6.63億円 | 376円/株 |
| 2013/3 | 1,759,309株 | 7.21億円 | 409円/株 |
2010年以降の東南アジア生産投資は、ロート製薬が国内中心の供給体制から脱却し、需要地に根差した事業モデルへ移行した転換点である。販売拡大だけでなく、持続的成長を見据えた構造的な意思決定であった。
2000年代後半に入ると、日本国内の医薬品・スキンケア市場は成熟が進み、人口構造の変化も相まって数量成長による拡大は見込みにくくなっていた。ロート製薬はスキンケア分野への投資や海外展開を進めていたものの、国内生産を前提とした事業構造では、コスト面・供給面の制約が徐々に顕在化していた。
一方、東南アジア諸国では経済成長と中間所得層の拡大により、医薬品やスキンケア製品への需要が急速に拡大していた。気候条件や生活環境の違いから、目薬や外皮用薬、スキンケア製品に対するニーズも高く、同地域はロート製薬にとって有望な成長市場として認識されていた。
こうした環境認識を踏まえ、ロート製薬は2010年前後から東南アジアへの生産投資を積極化させた。単なる販売拠点の拡張ではなく、現地に製造拠点を設けることで、需要地に近い場所で供給する体制を構築する方針を明確にした。
現地生産に踏み切った背景には、輸送コストや為替変動リスクの低減に加え、各国の規制や嗜好に即した製品開発を迅速に行う狙いがあった。国内生産に依存しない体制を整えることで、海外事業を量的拡大から持続的成長へと転換させる意思決定であった。
東南アジアでの生産投資により、ロート製薬は現地市場への供給能力を高め、販売拡大に対応できる体制を整えた。現地生産はコスト競争力の向上だけでなく、製品投入までのリードタイム短縮にも寄与し、競争環境への対応力を高める効果をもたらした。
この取り組みを通じて、ロート製薬は東南アジアを単なる輸出先ではなく、事業基盤の一部として位置付けるようになった。結果として、同地域は同社の海外成長を支える重要な拠点となり、以後のグローバル展開を進める上での中核地域へと発展していった。
ただこの1〜2年、今後伸びるか、しぼむかの大きな分かれ道だという思いを持っている。これまでは、いろんな意味で追い風が吹いていた。中国もベトナムもどんどん発展してきて、競争相手も少ない中、大きく事業を伸ばせた。しかしここに来てアジアの成長が一段落し、今後はパイの奪い合いになる。国内はドラッグストアの出店ラッシュという時代の波に乗ってうまくやってきたが、ドラッグストアも飽和したといわれている。うちの成功を見て、他社も似た商品を出し、店頭に行くと見分けがつかないような競合商品が増えた。今までよかったところが、これから課題になってくる。うかうかしていられない。
ロート製薬が10%出資していた「やえやまファーム(農業生産法人・沖縄県)」が債務超過に陥ったことを受けて、ロートが救済的買収を決定。株式取得比率を10%から49.9%へ高める形で追加取得を実施。取得原価14億円。買収によってロートは「のれん16億円」を計上するとともに、減損損失を計上した
FY2004〜FY2011にかけて「肌ラボ」の販売額は順調に拡大したが、FY2012に販売額の伸びがストップ。以降、肌ラボの年間販売額は100〜120億円前後で推移するようになり、国内需要が一巡へ
2016年当時、日本の上場企業で副業を容認する企業は稀有だったが、ロート製薬は社員からの発案をベースに副業の容認を決定。入社3年目以降の社員について、業務時間外の副業を容認する「社外チャレンジワーク制度」を導入。2016年3月時点の応募者は60名
吉野社長が心筋梗塞により67歳で逝去。山田邦雄氏が会長兼社長に就任
国内とアジアにおける販売促進費の抑制により全社の営業利益を改善
| FY | 売上高(a) | 広告宣伝費・販売促進費(b) | (b)/(a) |
| FY2017 | 1,717億円 | 448億円 | 26.0% |
| FY2018 | 1,835億円 | 474億円 | 25.8% |
| FY2019 | 1,883億円 | 478億円 | 25.3% |
| FY2020 | 1,812億円 | 404億円 | 22.2% |
| FY2021 | 1,996億円 | 380億円 | 19.0% |
| FY2022 | 2,386億円 | 464億円 | 19.4% |