1899年に山田安民氏が大阪で創業し、胃腸薬「胃活」を売り出した信天堂山田安民薬房が起源。
1909年発売のロート目薬で大衆薬の地位を築き、1988年には米メンソレータム社を買収してその商標をアジアへ展開した。目薬・胃腸薬・スキンケアを主力とする大衆薬メーカーで、売上の約半分を海外が占める。
山田安民氏は1899年2月、大阪市南区清水町に信天堂山田安民薬房を構えた。薬房が最初に世に出した製品は目薬ではなく、胃腸薬の「胃活」。薬房は製造と販売を自ら手がけ、1949年9月に株式会社へ改組するまで個人経営を続けた。1968年の時点でもロート製薬は、少ない品目に力を集めて大量に生産し販売する方針を創業以来のものとして掲げていた。1962年7月期の販売実績では「ロート胃腸薬シロン」が売上高の74.5%を占め、胃腸薬は創業から60年余りを経ても事業の中心にあった。日々の不調に常用される胃腸薬を1品目に絞って始めたことが、品目を絞って量を売る後年の経営方針の原点になったとみられる。
薬房は胃活の発売から10年後の1909年に「ロート目薬」を発売した。処方はドイツのミュンヘン大学教授ロートムンド博士によるものとされた。これで薬房は胃腸薬と目薬の2品目を持ち、この2本は半世紀後も主力事業であり続けた。1961年の眼科用剤の全国生産高31.2億円のうち、ロート製薬は11.45億円、36.7%を占める業界首位。1949年に個人経営を改組して設けた株式会社も、商号にロートの名を冠した。胃の薬と目の薬はどちらも家庭に常備される大衆薬であり、山田安民氏は少ない品目で広い需要をとらえる組み合わせとして目薬を選んだのだろう。
薬房は1931年、ロート式の点眼容器を考案した。容器の改良を境に、目薬の需要は大きく増加。点眼容器の考案から9年後の1940年には山形県新庄市に製瓶工場を開設し、目薬の瓶を仕入れに依存せず自社で生産する体制に改めた。1962年の時点でロート製薬は販売する商品のすべてを自社で製造し、資材の規格化と製造工程の機械化によって製品原価を同業他社より低く抑えていた。薬効では差をつけにくい大衆向けの目薬に、容器は差しやすさという別の差別化要因を与えたと思われる。
薬房は1938年、上海に子会社として山田製薬株式会社を設立した。上海の子会社は、国外の市場を開発する取り組みの最初の拠点にあたる。薬房本体は株式会社に改めず、山田安民氏の個人経営のまま海外に製造子会社を持った。1941年には奉天に満洲山田製薬株式会社を設け、売り先を中国から満洲へも延ばした。上海の設立から3年のうちに、薬房は中国と満洲の2か所に、創業者の姓を冠した製造子会社を構えた。日中戦争の下で大陸の需要に応えるには、日本から出荷するよりも現地で製造する拠点が要ると山田安民氏は判断したと推察される。
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事実根拠:出所(ロート製薬)