大阪で薬屋が集積する道修町において、有力な薬業家21名が出資することで「大阪製薬株式会社」を発足。欧米からの輸入される医薬品の国産化のために会社を設立した。
発起人の中には、武田長兵衛氏(武田薬品・創業家)、田辺五兵衛氏(田辺薬品・創業家)、塩野義三郎氏(塩野義・創業家)などが含まれており、現在の有力製薬メーカーの創業家も協力した。
大阪制約では会社設立と同時に、大阪・海老江にて製薬工場を新設した。
大阪製薬は経営難に陥っていた「大日本製薬」の買収を決定。旧大日本製薬も医薬品の国産化のために、東京都大阪の薬業家による共同出資設立された会社であったが、経営が行き詰まった。そこで、大阪製薬は旧大日本製薬の医薬品工場と商標権を獲得し、大阪製薬の商号を「大日本製薬」に変更した。以後、2005年に住友製薬と合併するまで、大日本製薬の商号を使用した。
戦前を通じて大日本製薬では「アルカロイド製剤」「5倍子製剤」などを製造。これらの製品は「マルP印」の商標で展開された。
戦前に麻黄の研究に従事した経緯から、戦時中に中枢神経興奮剤として「ヒロポン」を発売。軍において夜間戦闘時を中心に採用された。ところが過剰摂取により中毒症状をもたらし、犯罪が横行したことから問題視されるようになった。
戦後、1950年には販売にあたって医師の処方が必須化された。日本政府としては、1951年に覚醒剤取締法を制定して、乱用者の抑制に対応した。
当時は中枢神経興奮剤として珍重された。ところが戦時中、軍部が夜間戦斗従事者にこれを用いたことにより、悪習を戦後に残すことになった。無資格者の連用は、中毒症状を招来し、やがて社会悪の根源をなすに至って、世上で重大視されるに至った。本剤の原名はメチルプロパミんと言い、ヒロポンとは当社の商標であるが、今ではヒロポンという名が覚醒剤の総称のようになっているのは、当社としては甚だ迷惑なことである。戦後、多くのメーカーから大量に算出された不純な合成品が、続々と市販され、一層問題が大きくなったようである。
1974年に原告団と和解が成立。1976年5月期にサリドマイド関連で17億円の特別損失を計上。累計56億円の損失を計上し、補償処理を完了した。これら巨額損失によって、新薬の開発が遅れた。
2004年11月に大日本製薬と住友製薬(大株主は住本化学)が合併を決断して基本合意書を締結。2005年10月1日に合併を実施して新会社「大日本住友製薬」を発足(存続会社は大日本製薬)した。
合併における株式価値のベースでの比率は、大日本:住友=41.5%:58.5%であり、住友製薬に有利な時価算定となった。これは売上面では大日本製薬が1708億円(FY2003)に対して、住友製薬が1369億円(FY2003)であったのに対し、営業利益の面では大日本製薬93億円に対して住友製薬212億円であり、住友製薬が高収益であったことに由来する。
このため、実質的に優位な立場にあった住友製薬は大日本製薬に配慮し、商号における「大日本」を先に付与することや、大日本製薬を「存続会社」にするなど、種々の配慮を実施した。
また、組織面における配慮として、合併は対等合併の形をとった。合併後は住友製薬の岡本康男社長が新会社の会長、大日本製薬の宮本健次郎社長が新会社の社長に就任し、取締役総数10名のうち5名ずつ住友製薬と大日本製薬の出身者により構成された。
合併の狙いは、国内における医薬品業界の再編に対応するためであった。2005年には第一三共(第一製薬と三共製薬)、アステラス製薬(藤沢薬品と山之内製薬)がそれぞれ発足しており、医療用医薬品における開発体制を充実させるための再編が進行した。そこで、大日本製薬も規模拡大による開発体制の拡充のため、住友製薬との合併を決定した。
中計の策定にあたって、国内中心の事業展開から、リスクをとって世界最大の医薬品市場である「米国」を軸とした事業展開を志向する事を決定。
ルラシドン塩酸塩(製品名「ラツーダ」)における開発の進展を受けて、大日本住友製薬では米国における直接販売を拡充するため、2009年にSepracore社を買収。同社は医療用医薬品メーカーであり、1200名のMRを擁する企業であった。よって、ラツーダが承認された場合に、迅速に米国で販売体制を立ち上げることを意図した買収であった。
同社の買収額は26億ドルであり、大日本住友製薬としては大規模な買収となった。買収資金約2600億円のうち、2000億円を借入によって確保した。
2011年に大日本住友製薬は米国FDAからルラシドン塩酸塩の医薬品について、統合失調症に対する効能で承認を受け、製品名「ラツーダ」として北米における販売を開始した。2013年には「双極I型障害うつ」に対する効能が追加承認された。
大日本住友製薬ではラツーダの米国展開において、売上高10億ドルを目指し、販売面では米国における営業体制の構築に投資を実施。経営資源を北米に集中させた。
この結果、2016年にはラツーダにおいて売上収益10億ドルを突破。2010年代を通じて大日本住友製薬北米事業において売上収益を拡大し、この大半が「ラツーダ」が占めた。
2023年2月に「ラツーダ」の北米における特許が期限により失効。後発薬の対等により、ラツーダの売上収益約2000億円を失う形となった。
住友ファーマでは北米におけるラツーダの特許切れに備えたものの、後発薬の投入に苦戦。北米事業における「ラツーダ」以外の医薬品の開発販売に苦戦し、2023年度に北米事業は大幅な減収に至った。
がん領域に参入
ラツーダの特許失効に備えて次の大型新薬を開発するため、創薬ベンチャー企業「Roivant社」との提携を決定。同社の子会社(5社)および、医療データ活用のための「医療関連プラットフォーム」を取得することで、ラツーダの特許失効後の米国展開に備えた。
株式取得およびプラットフォーム取得の対価は約3200億円であり、大日本住友製薬としては過去最大規模の買収となった。