道修町の薬種商21名が1897年に立ち上げた小さな製薬所は、108年後に住友グループの製薬部門と合併し、北米で26億ドルを投じてラツーダの国を作り上げた。だがその拡大の速度は、特許切れの崖を渡りきる足場を築く前に、自らの足元を崩した。
2024年3月期に計上した3,150億円の純損失は、2005年合併以降に積み上げた北米M&Aののれんを一気に焼き払う規模だった。1年後の2025年3月期、同社は236億円の黒字に戻り、アジア事業を720億円で売却して米日2拠点へ縮約した。拡大と清算が、ほぼ同じ20年間に同居している。
歴史概略
第1期: 道修町から大日本製薬へ(1897〜2004年)
21人の薬種商が始めた共同事業
1897年5月、大阪市道修町の有力薬業家21名が大阪製薬を設立した。江戸期から薬種問屋が集積していた道修町は、明治の輸入薬流通と国産化の最前線で、同業者が単独では引き受けきれない規模の製造投資を共同で担う必要があった。翌1898年9月に大阪工場を稼働させ、11月には大日本製薬合資会社を買収して大日本製薬株式会社へ改称する。
社名と事業基盤を固めた直後の1908年に大阪薬品試験を吸収合併し、1949年に大阪・東京両証券取引所に上場、1961年には市場第一部に指定された。1968年の鈴鹿工場、1971年の総合研究所と生産・研究の二本柱を整え、合成医薬中心の中堅メーカーとして戦後復興期から高度成長期までを生き抜いた。21人の共同出資という出自は、規模で大手に劣る代わりに身軽な合従連衡を可能にする土壌として、その後の合併判断の素地でもあった。
北米進出の小さな足がかり
1993年1月、米国にDainippon Pharmaceutical U.S.A.を設立した。当時の海外売上比率は一桁で、本社の主戦場は依然として国内向けの合成医薬と診断薬だったが、米国市場での製品ライセンスや臨床開発の窓口を持つこと自体が、後の本格進出に向けた助走になった。同じ時期、国内では研究開発費の負担が中堅各社に重くのしかかり、武田・第一三共・アステラスといった上位グループと中堅の開発体力格差が広がっていた。
2003年4月、創業地の大阪工場を閉鎖し鈴鹿工場へ生産を統合した。製造拠点の集約は中堅メーカーの定石的な合理化だったが、大阪製薬として始まった106年の生産拠点が消えたことは、独立中堅としての大日本製薬という形がそのままでは続けられないことを内外に示す出来事でもあった。2004年期の連結売上高は1,708億円、経常利益101億円。この規模では新薬パイプラインを単独で持続するのが難しいという結論が、合併交渉の前提になった。
第2期: 合併と北米M&A拡大(2005〜2021年)
大日本製薬と住友製薬を1社にする選択
2005年10月、大日本製薬は住友化学グループの住友製薬と合併し、大日本住友製薬として発足した。承継したのは茨木・愛媛・大分の各工場と大阪研究所、それに住友制葯(蘇州)である。初代社長には宮武健次郎が就き、2008年に多田正世へ交代した。合併の眼目は、合成医薬中心だった大日本製薬と、中枢神経・循環器領域で開発品を持つ住友製薬の補完性、そして住友化学グループの財務的後ろ盾を背景にした北米進出の加速にあった。
合併翌年度のFY05連結売上高は2,458億円、営業利益289億円。FY07には売上2,640億円、営業利益398億円まで拡大し、住友化学の医薬中核という位置付けが数字でも形になった。同時期、住友製薬由来の非定型抗精神病薬ルラシドン(後のラツーダ)が米国第3相試験で有望な結果を出しており、この1品をどう育てるかが合併会社の中期戦略の中心命題となった。
26億ドルでラツーダの国を買う
2009年10月、米国Sepracor Inc.を約26億ドルで買収した。サノビオン製薬として再編されたこの買収は、ルラシドンの米国販売網を一気に手に入れる決断であり、2010年にラツーダが米国で承認・発売されると、サノビオンの営業組織はそのまま新薬の上市装置として機能した。FY10の連結売上高は3,795億円と、合併直後の1.5倍に膨らんだ。米国精神科領域での独自販路は、当時の日本の中堅メーカーとしては異例の規模だった。
2012年にBoston Biomedical(がん)、2017年にTolero Pharmaceuticals(オンコロジー)、2016年にカナダSynapsus(パーキンソン病レスキュー薬キンモビ)と、北米M&Aは継続的に積み上がった。FY17の営業利益は881億円と過去最高水準に達し、ラツーダ単剤の成功が他の北米買収を正当化する循環ができていた。2019年12月にはRoivant Sciences傘下のSumitovant Biopharma子会社化に約30億ドルを投じ、オルゴビクス・マイフェンブリー・ジェムテサの3製品をラツーダ後継として獲得する。FY21売上高は5,600億円に達したが、ラツーダ米国独占販売の終了(LOE)が翌年度に迫っていた。
第3期: ラツーダ崖と3,150億円の清算(2022〜2024年)
商号変更の半年後に始まった減損
2022年4月、東証市場区分見直しに合わせて商号を住友ファーマに変更し、プライム市場へ移行した。野村博社長は日経新聞に「創薬という本業を核に、ロボットや再生医療など新領域への展開を加速し、新しい住友ファーマの姿を作る」と語り、新生住友ファーマの方向性を打ち出した。だが商号変更からわずか半年後のFY22-2Q決算で、2016年買収のキンモビについて544億円の減損を計上し、四半期営業損失289億円に沈んだ。
野村社長は決算説明会で「弊社としてはピークで5億ドルレベルの売上を目指していたわけですが、残念ながらそこから遥かに低いレベルになっていた」(決算説明会 FY22-2Q)と買収判断の誤りを率直に認めた。レスキュー剤としてのパーキンソン病患者数の過大評価と、舌下フィルムの口腔安全性問題が敗因として総括された。この一発の減損は単独事象ではなく、合併以降に積み上げた北米M&A全体の事業計画に対する市場の信認を揺るがす起点となった。
3,150億円の純損失と社長交代
FY23通期、住友ファーマは売上収益3,146億円、純損失約3,150億円を計上した。基幹3製品(オルゴビクス・マイフェンブリー・ジェムテサ)の事業計画が崩れ、Sumitovant関連ののれん・無形資産がほぼ一括で減損に振り替わった。決算発表と同日、野村博社長の退任と木村徹副社長の昇格が発表された。住友化学からのガバナンス強化を背景にした、文字通り異例の同日会見だった。
構造改革は金額でも人数でも過去最大規模となった。北米人員を2,200人から1,200人へ約1,000人削減し、ドルベース販管費を5億ドル圧縮、研究開発はulotaront(精神神経)を大塚製薬に委ね自社開発を縮小した。パイプラインは22品目から17品目に絞られ、米国グループ7法人はSumitomo Pharma Americaへ統合された。2023年5月の中期経営計画2027は、合併以来18年かけて広げた北米事業の物理的・組織的な圧縮を、1年で実行する内容だった。
V字回復と米日集中への転換
FY24通期は売上収益3,988億円、コア営業利益432億円、当期利益236億円。前年から3,386億円改善するV字回復となった。オルゴビクスは円ベース1,479億円・ドルベース10億ドル到達が視野に入り、ファイザーとの共販を解消したマイフェンブリーは2025年第1四半期に製品損益で黒字化した。1年前に「こんな計画どおりにいくのか」と懐疑的だった市場は、再建ストーリーの実現性を急速に織り込み直した。
2025年5月、新中期経営計画「Reboot 2027」を発表した。アジア事業を丸紅グローバルファーマへ2段階で合弁譲渡(25年度60%・28年度40%、対価計720億円)、フロンティア事業をサワイグループHDに譲渡し、米国・日本に経営資源を集中する。木村社長は「新薬の中心市場であるアメリカと日本に集中しよう」(決算説明会 FY24)と説明した。1993年に1法人で始めた北米進出は本社の中核へと昇格し、その代償として大日本製薬時代から続いた中国・アジア・国内多角事業群の連結離脱が同時に進んだ。
直近の動向と展望
過去最高水準への上方修正
FY25-2Q時点で売上収益2,271億円、コア営業利益961億円(中国・アジア事業合弁化譲渡益490億円を含む)、中間純利益989億円となった。会社は通期予想をコア営業利益970億円、当期利益920億円に上方修正し、過去最高水準とした。オルゴビクス691億円(前年比+95%)、ジェムテサ434億円(+72%)と基幹2製品が牽引し、オルゴビクス500Mドル達成マイルストンとして100Mドル(149億円)を計上した。
FY25-3Qにはコア営業利益1,094億円、四半期純利益1,077億円とさらに過達となり、12月にはオルゴビクスの新規患者数・数量とも過去最高を記録した。IRA薬価上限引き下げ後もペイヤーミックスが想定より良好に推移し、住友化学からの支援を含めたリファイナンス協議も進捗した。FY23の3,150億円赤字からわずか2年で過去最高益圏に戻った速度は、日本の製薬業界では類例が少ない。
Reboot 2027が描く米日2拠点モデル
Reboot 2027は「グローバル・スペシャライズド・プレーヤー」を10年戦略に掲げ、米国・日本の2拠点に経営資源を集約する内容となっている。2025年8月から中国・アジア事業は丸紅グローバルファーマとの合弁に移管され、譲渡益490億円が計上された。再生・細胞医薬事業はRACTHERAとして会社分割し、株式の66.6%を住友化学に譲渡して一体運営に移された。住友グループ全体での役割分担を前提とした事業ポートフォリオの再設計が進んでいる。
国内では2024年12月から2,000名体制を目指す早期退職を実施し、北米だけでなく国内でも初の大規模リストラを敢行した。2025年6月には監査等委員会設置会社へ移行し、米国子会社SMPA・スイス子会社SMPSを直接子会社化する資本再編で、米国事業の収益に本社が直接コミットする形を整えた。次世代収益基盤としては他家iPS細胞由来ドパミン神経前駆細胞のパーキンソン病製品を2024年度中の承認・上市目標とし、ブロックバスター候補として位置付けている。