歴史的背景
武田薬品工業は1990年代まで、医療用医薬品を中核としつつも、一般用医薬品や周辺事業を含む総合医薬品メーカーとして成長してきた。しかし医薬品開発の大型化と研究開発費の高騰が進む中で、事業の分散は競争力低下につながるとの認識が強まり、2000年代に入ると選択と集中を進め、創薬を軸とする医薬品専業企業への転換を明確にした。この戦略の下で、消化器・中枢神経系などにおける大型新薬が相次いで市場投入され、2000年代の業績を牽引する成長局面を形成した。
一方で、こうした大型新薬への依存は、特許切れに伴う将来の収益減少リスクを内包しており、内製創薬のみで安定的にパイプラインを維持することの難しさが顕在化した。これに対応するため、武田薬品はグローバル化とパイプライン拡充を目的とした企業買収を活用し、2011年のナイコメッド買収、2010年代後半のShire買収を通じて事業構造を転換した。これらの買収は成長領域の拡大に寄与する一方、企業規模の急拡大と財務負担の増大をもたらし、巨大企業として収益性と資本効率をいかに両立させるかという現在の経営課題を形成するに至っている。
経営指針
武田薬品工業は、2019年のシャイアーの買収を通じて事業領域と地理的展開を大きく拡張し、日本発祥の企業としては例外的な規模を持つグローバル製薬企業としての体裁を整えた。希少疾患領域を中心とした事業ポートフォリオの構築により、研究開発、販売、製造における国際的なプレゼンスは大きく向上し、単独で世界市場に向き合うための基盤を獲得した。一方で、約6兆円規模に及ぶ買収は、有利子負債の大幅な増加を招き、同社の財務構造に大きな変化をもたらした。
買収後の武田薬品は、財務基盤の回復を最優先課題と位置づけ、非中核事業の売却やキャッシュフローの創出を通じた負債圧縮に数年の時間を要してきた。この過程では、研究開発投資や新薬創出に向けた経営資源の配分が制約される局面も生じ、巨大企業としての規模と創薬力をいかに両立させるかが経営上の主要な論点となった。こうした経験を踏まえ、同社は成長投資と財務規律を同時に成立させる経営を指向し、収益性を基準とした事業運営を通じて、グローバル企業として持続的に価値を創出することを経営指針としている。
Author's Questions
なぜ武田は、6兆円規模のShire買収を「唯一の現実解」と判断したのか
2010年代後半、武田薬品工業には内製創薬の強化、段階的な提携や小規模買収、地域特化型の成長など複数の選択肢が存在していたはずである。その中で、なぜ同社は財務リスクを大きく伴う6兆円規模の買収を選び、他の成長シナリオを事実上放棄する判断に至ったのか。競争環境、時間軸、パイプラインの質と量をどのように評価していたのか?
なぜ武田は、2000年代の大型新薬の成功体験を再現できなかったのか
2000年代の武田薬品工業は、内製創薬による大型新薬の連続投入によって高収益体質を築いた。しかし、その後も同様のモデルを前提とした場合、なぜ同じ成果を再現することができなかったのか。研究開発環境や競争条件の変化に対し、当時の成功体験はどのように意思決定へ影響を与え、特に抗体医薬や希少疾患への注力という選択肢はなぜ採用されなかったのか?
なぜウェバーCEOは企業価値が低迷する中で解任されなかったのか
シャイアー買収後、武田薬品の株価や資本効率は長期にわたり低迷したが、クリストフ・ウェバーCEOは在任を続けた。この事実は、業績評価の軸が株主リターンにどの程度置かれていたのか、また取締役会がCEOの経営判断をどのように検証していたのかについて、不明な点が多い。巨額買収という不可逆な意思決定の後、経営の継続性が優先された可能性もあるが、結果として取締役会が経営責任をどこまで問う構造であったのかは、外部からは必ずしも明確ではない。