1887年 流通から製造へ、石鹸から洗剤への二度の転換
- 1887年長瀬富郎商店を創業
- 1890年花王石鹸を発売
- 1922年吾嬬町工場を新設
- 1925年花王石鹸株式会社を設立
- 1940年日本有機を設立
- 1951年合成洗剤を発売
- 1957年合成洗剤工場に投資
花王の業績推移:単体
出所:有価証券報告書・会社四季報等
小売から製造へ転じた創業者の判断
1887年6月、長瀬富郎は東京日本橋馬喰町に長瀬富郎商店を開いた。岐阜県中津川の酒造家の出身で、創業時の事業は石鹸と輸入文具を扱う日用雑貨の小売だった。製造ではなく流通の側から市場に入った点に特徴があり、仕入れと販売のやりとりを通じて需要構造と品質評価を把握する道を選んだ。当時の国内石鹸市場では舶来品の高級品と粗製の国産品が二極化し、価格と品質のあいだに広い空白が残っていた。小売で得た手応えを足場に1890年には桐箱入りの「花王石鹸」を自社で製造し、その空白の領域に商品を置いて流通事業者から製造業者へと転じた。発売と同時に大阪へ代理店を置き、東京の業者が東日本を大阪の業者が西日本を商圏とした当時にあって、新聞広告も用いて最初から全国を商圏に据えた。需要を先に読んでから製造に踏み込むという順序は、以降の設備投資や事業転換の場面でも繰り返し現れる花王の行動様式となった。 [1][2][3]
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
- [1]1890年に「花王石鹸」を自社で製造した
- [2]1887年(明治20年)に初代長瀬富郎が長瀬商店を創業した
- [3]花王石鹸は発売と同時に大阪へ代理店を置き新聞広告を用いて当初から全国を商圏に据えた
1922年には東京吾嬬町に量産工場を新設し、水運と鉄道の双方に対応する立地で物流効率を一体に設計した。1925年には花王石鹸株式会社を設立して個人商店から法人経営へ移り、株式会社化により資金調達と人材採用の幅を広げた。1940年には日本有機を設立して原材料段階の化学領域にまで事業を広げ、油脂と界面活性剤の製造を社内で完結させる体制を組んだ。戦時下の軍需対応のなかで蓄積された高級アルコールと油脂化学の技術は、後の合成洗剤開発で原料側の直接の足場となった。石鹸の一品種の製造会社から、化学技術と量産設備と流通網を併せ持つ消費財メーカーへ体制を整えたのがこの期間で、戦後の事業拡大と多角化の素地もここで同時にそろった。原料・量産・流通の三層を社内に抱える構えは、競合他社との差として以後の半世紀にわたって働いた。
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
- [1]1890年に「花王石鹸」を自社で製造した
- [2]1887年(明治20年)に初代長瀬富郎が長瀬商店を創業した
- [3]花王石鹸は発売と同時に大阪へ代理店を置き新聞広告を用いて当初から全国を商圏に据えた
和歌山工場専用ラインが固めた洗剤メーカーへの転換
1951年に粉末型合成洗剤「ワンダフル」を発売し、洗剤分野への参入を果たした。電気洗濯機の普及という需要構造の変化に対し、日本有機で長く蓄積した界面活性剤の技術をそのまま転用した判断だった。家庭の洗濯が手洗いから機械化へ移れば、固形石鹸では泡立ちと溶解の点で対応しきれず、粉末洗剤への置き換えは時間の問題と読んだ。1957年には和歌山工場の敷地内に合成洗剤専用の工場を新設し、約7.5億円を投じて量産体制を築いた。既存の石鹸ではなく新領域の洗剤へ資源を振り向ける選択で、製品開発・原料技術・量産設備の三つが同時にそろったため、洗剤事業は試作段階から主力事業へ短い期間のうちに育ち、製品構成の中心を洗剤が占めた。原料を内製しているために価格を相手の動きに合わせて柔軟に動かせる強みも、表に出てきた。 [4][5]
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
- [4]1951年発売の粉末型合成洗剤の名称は「ワンダフル」である
- 日経ビジネス 1979年8月13日号
- [5]合成洗剤専用工場の投資額は約7.5億円だった
石鹸設備との混在生産をやめて専用ラインを導入した投資判断は、事業転換を設備の面で不可逆に固定する選択だった。専用ライン化に踏み切れば石鹸時代の製造ノウハウは数年のうちに古びていくが、洗剤に資源を集めなければ量産規模で他社に追い抜かれるという見立てがあった。競合他社がなお石鹸設備を中心に据えるなかで、合成洗剤に特化した設備投資を先行させたため、コスト構造と量産能力の両面で先行優位を得た。量産と品質のどちらでも先んじる構えにより、石鹸メーカーから洗剤メーカーへの転換が製品と設備の両面で固まった。市場の主役が石鹸から洗剤へ移り変わる前に設備を組み替え終えた点が、以後の主力事業の土台と業界内の競争順位の輪郭を定めた。1960年代に洗剤需要が一段と伸びるとき、この設備が量産能力の上限を引き上げる役を果たした。
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
- [4]1951年発売の粉末型合成洗剤の名称は「ワンダフル」である
- 日経ビジネス 1979年8月13日号
- [5]合成洗剤専用工場の投資額は約7.5億円だった