二代長瀬富郎氏の改革は、販売の刷新に見えて、工場で浮かせた時間を値下げに回す設計だった。冷圧装置とトンネル乾燥機により、7〜10日の作業が2時間に、約20日の乾燥が一昼夜に縮んだ[1]。1931年の新装花王石鹸は純粋度を99.4%へ上げ、一個を二匁増やし、正価を10銭に下げた[1]。品質・目方・値段を同時に動かせた石鹸業者は他になく、差の源泉は売り場ではなく製造原価にあった。工程を握る発想が、硬化油の自給と合成洗剤への転進を支える土台になった。
販社網の価値は、値崩れの防止以上に、物の流れを本社が一本で管理できる構造にあった。丸田芳郎社長は、流通を近代化して値崩れを防がなければP&Gなど巨大外資に対抗できないとして販社づくりを自ら指揮した[7]。1979年度の物流コストは売上比8.2%と推定され、ライオンの12%を下回った[8]。ライオンとの差は営業の巧拙ではなく、問屋を外した流通の設計から生じた。浮いた費用と在庫の圧縮が、工場の無人化投資の原資を生んだ。
花王の情報事業は本業からの逸脱ではなく、界面化学の技術がどこまで通用するかを試す場だった。界面活性技術で磁性粉を処理し分散剤なしで塗布する製法を差別化要因に、1985年に最後発で参入した[11][12]。内製の強みは原価の競争に効いても、規格と単価を決める側には届かない。メディアだけを持ちハードもソフトも持たない売上高800億円の事業は、変化に振り回された[13]。情報事業からの撤退は、技術の転用先に価格を決める立場の有無を問う基準を残した。
資本コストの物差しを日本で最も早く持ち込んだ会社が、四半世紀後に同じ物差しで株主から測り返された。1999年4月に導入したEVA経営は、事業評価と投資判断に加え、役員・社員の賞与の一部にも連動した[19][20]。物差しを早く持つほど、届かない数字も外から見えやすくなる。2024年にはオアシスが5.23%を保有し、社外取締役5名の選任などを提案した[21][22]。ROICを全事業へ広げる構造改革と株主提案への対応は、経営が説明責任を引き受け直す作業になった。
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