花王 の歴史

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沿革

1887〜2025年 1887年に長瀬富郎氏が東京日本橋で創業した洋小間物商の長瀬商店が起源。1890年発売の国産高級石鹸「花王石鹸」で舶来品との空白を埋め、1983年発売の紙おむつ「メリーズ」で家庭の衛生用品を拡充した。洗剤・衛生用品を主力とする日用品の大手である。

沿革

1887年に長瀬富郎氏が東京日本橋で創業した洋小間物商の長瀬商店が起源。

1890年発売の国産高級石鹸「花王石鹸」で舶来品との空白を埋め、1983年発売の紙おむつ「メリーズ」で家庭の衛生用品を拡充した。洗剤・衛生用品を主力とする日用品の大手である。

1887年〜創業期日本橋の小売商から国産化粧石鹸の製造元へ

  1. 長瀬富郎商店を創業
  2. 花王石鹸を発売
  3. 吾嬬町工場を新設
  4. 花王石鹸を設立
花王売上高

1926年〜急成長期二代目長瀬富郎の合理化と合成洗剤の発売

  1. 日本有機を設立
  2. 東京証券取引所に株式上場
  3. 合成洗剤を発売
  4. 花王石鹸が花王油脂を吸収合併
  5. 合成洗剤工場に投資
  6. 川崎工場を新設
花王売上高1963年3月期211億円

1964年〜安定成長期再販契約による販社網の構築とメリーズ・化粧品への参入

  1. 小売店と再販契約を締結
  2. 設備投資を積極化
  3. 化粧品事業に参入
  4. 紙おむつ「メリーズ」を発売
花王売上高1984年3月期3,306億円

1985年〜花王への改称とフロッピーディスク事業の参入から撤退まで

  1. 情報媒体FDに参入
  2. 商号を花王に変更
  3. トータルコストリダクションを推進
  4. 子会社を設立
  5. 情報事業(フロッピーディスク)から撤退
花王売上高1998年3月期9,072億円

1999年〜成熟期EVA経営の導入とカネボウ化粧品の買収

  1. 花王販売を設立
  2. 経営指標にEVAを採用
  3. 取締役会の改革
  4. John Frieda社を買収
  5. カネボウ化粧品を買収
  6. オムツの生産開始
  7. Oribe Hair Careを買収
  8. Washing Systemsを買収
  9. 早期退職者への支払金増額
  10. Bondi Sands Australiaを買収
  11. オアシスからの株主提案を否認
花王売上高2025年12月期16,886億円

系譜

前身は1887年創業の長瀬富郎商店。1954年に花王油脂を吸収合併し、1985年に花王へ商号を変更した。2006年にカネボウ化粧品、2018年にOribe Hair Careを買収。M&Aで化粧品とヘアケアへ事業ポートフォリオを広げた。

系譜

前身は1887年創業の長瀬富郎商店。

1954年に花王油脂を吸収合併し、1985年に花王へ商号を変更した。2006年にカネボウ化粧品、2018年にOribe Hair Careを買収。M&Aで化粧品とヘアケアへ事業ポートフォリオを広げた。

1887年 1925年 1954年 1985年 2002年2006年 2018年2023年 2026年 長瀬富郎商店 1887年創業 花王石鹸 1925年株式会社を設立 花王油脂 1954年 花王 1985年商号変更 John Frieda 2002年買収・ヘアケア カネボウ化粧品 2006年買収・化粧品 Oribe Hair Care 2018年買収 Bondi Sands 2023年買収
長期業績の推移 1949〜2025年

業績

花王:歴代社長と長期業績の推移売上高(億円)純利益率(%)
1970年3月期〜2025年12月期

第1章 1887年〜 日本橋の小売商から国産化粧石鹸の製造元へ

筆者考察y.sugiura, author

石鹸を作る技術が国内に育っていない時代に、作る側から市場に参入するのは難しい。長瀬富郎氏が選んだのは仕入れの側だった。舶来の化粧石鹸を扱う小売として、どの品がいくらで売れるかを先に確かめ、そのうえで1890年に自社製品を出す。値は一個一二銭で、国産の並品が三、四銭の市場に外国品と同じ値札を自分で付けたことになる。当時の石鹸は原価四、五銭の中身に包紙と箱の意匠で値が付く商品であり、買い手が払っていたのは外装への対価だった。桐箱と定価は、その慣行を裏返して中身の保証に使う道具だった。

値づけを守る仕事が、そのまま製造業への道になった。商標条例の統制力が弱く模造が横行する市場では、名前のある石鹸を名前のまま売り続けること自体が難しい。長瀬商店は1902年の蒸気鹼化から1924年の搾油・硬化まで、品質を左右する工程を一つずつ内へ取り込んだ。天日乾燥と直火の平釜に委ねていた均一性を、設備で担保する作業である。1911年の初代の死と合資会社への改組、1922年の量産工場、1925年の株式会社化は、その投資を個人の裁量から会社の決定へ移すための手続きだった。

1887年〜仕入れの側から国産化粧石鹸の値づけを決めた創業

当時の日本では石鹸製造の技術が未熟で、品質も劣り、上質の化粧石鹸は残らず輸入品に依存していた。市場は舶来の高級品と国内中小業者の粗製品とに分かれ、価格と品質の間には大きな空白が残っていた。1887年6月、長瀬富郎氏が24歳で東京日本橋区馬喰町に洋小間物商の長瀬商店を創業した。同氏は岐阜県中津川の酒造家の出で、開業資金を用意できる立場にあった。洋紙と輸入石鹸を扱う小売の中で、同氏はこの空白を仕入れと販売の両面から捉えた。製造ではなく流通の側から市場に参入し、需要と品質評価を先に確かめてから製造へ進む順序をとった。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [1]良質の化粧石鹸は外国品に頼る段階で長瀬富郎氏はこれを残念に思い製造へ踏み込んだ
  • 花王 社史
    • [2]創業当時の国内石鹸市場は舶来の高級品と国内中小業者の粗製品に二極化し価格と品質に空白
    • [4]長瀬富郎氏は美濃国中津川の酒造家の出身
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [3]1887年6月 長瀬富郎氏が東京日本橋馬喰町で長瀬商店を開業
    • [5]創業時の取扱いは洋小間物・洋紙・輸入石鹸

1890年10月、長瀬富郎氏は桐箱入りの国産高級石鹸"花王石鹸"を自社で製造して発売した。商標は外国の鉛筆に付けられた月星の意匠から着想し、月を美と清浄の象徴に重ねている。価格は一個一二銭で、当時の一般的な国産石鹸が三、四銭だったのに対し外国品なみの値づけだった。発売と同時に大阪へ代理店を置いて関西市場を開拓し、新聞広告も用いて最初から全国を商圏に据えた。東京の製造業者が東日本を、大阪の製造業者が西日本をそれぞれ市場としていた時代にあって、この販売方法は例をみないものだった。需要を先に読んでから製造へ参入する順序で、無名の小売商が石鹸の製造元へ変わった。

  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1890年10月 桐箱入りの国産高級石鹸「花王石鹸」を発売
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [7]花王石鹸の商標は外国の鉛筆の月星の意匠から着想し月を美と清浄の象徴とした
    • [8]花王石鹸は一個一二銭 当時の一般国産石鹸は三、四銭
    • [9]発売と同時に大阪に代理店を置き新聞広告を用いて最初から全国を商圏に据えた
    • [10]東京のメーカーは東日本 大阪のメーカーは西日本を市場としていた時代の販売政策
  • 花王 社史
    • [11]流通業者から製造業者へ事業を広げた

一二銭という値が通ったのは、当時の石鹸市場が原価と店頭価格の隔たりで動いていたからである。1898年の記録では、国内の石鹸需要は製造家の原価で約100万円、東京の製造工場は大小60から70とされた。どれほど上等な品でも原価は4、5銭に過ぎず、それが7、8銭から1円以上で売れるのは石鹸そのものの値ではなく、包紙や箱の意匠によるものだと指摘されている『花客は、即ち其の花に價を擲つものなり』。買い手が払っていたのは中身ではなく外装への対価だった。長瀬商店の桐箱と定価は、この構造を逆から使ったものだった。外装で高く見せるのではなく、外国品に並ぶ中身を外装と値段で証明し、名前のある石鹸として無銘の粗製品から切り離した。

  • 花王石鹸五十年史(花王石鹸五十年史編纂委員会, 1940)
    • [12]1898年の石鹸需要額は製造家原価で約100万円 東京の製造工場は大小60〜70
    • [13]上等な石鹸でも原価は4、5銭で7、8銭から1円以上の価格は包紙・箱の意匠による
参考文献[1]-[13]
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [1]良質の化粧石鹸は外国品に頼る段階で長瀬富郎氏はこれを残念に思い製造へ踏み込んだ
    • [7]花王石鹸の商標は外国の鉛筆の月星の意匠から着想し月を美と清浄の象徴とした
    • [8]花王石鹸は一個一二銭 当時の一般国産石鹸は三、四銭
    • [9]発売と同時に大阪に代理店を置き新聞広告を用いて最初から全国を商圏に据えた
    • [10]東京のメーカーは東日本 大阪のメーカーは西日本を市場としていた時代の販売政策
  • 花王 社史
    • [2]創業当時の国内石鹸市場は舶来の高級品と国内中小業者の粗製品に二極化し価格と品質に空白
    • [4]長瀬富郎氏は美濃国中津川の酒造家の出身
    • [11]流通業者から製造業者へ事業を広げた
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [3]1887年6月 長瀬富郎氏が東京日本橋馬喰町で長瀬商店を開業
    • [5]創業時の取扱いは洋小間物・洋紙・輸入石鹸
    • [6]1890年10月 桐箱入りの国産高級石鹸「花王石鹸」を発売
  • 花王石鹸五十年史(花王石鹸五十年史編纂委員会, 1940)
    • [12]1898年の石鹸需要額は製造家原価で約100万円 東京の製造工場は大小60〜70
    • [13]上等な石鹸でも原価は4、5銭で7、8銭から1円以上の価格は包紙・箱の意匠による

1899年〜粗製濫造と模造のなかで銘柄を守った明治後期

名前のある石鹸を売る商いは、その名前を守る仕組みを業界に要求した。1884年に商標条例が公布され1888年に改正されていたものの、その統制力は弱く、明治30年代の初めには意匠や打型の模造、他家の職工の引き抜きが相次いだ。東京石鹸製造同業組合は1899年、浅草東洋館で製品展覧会を開催して組合員の製品とレッテルを出品させ、その総数は2,600余点に及んだ。18名の審査員が出品を甲乙丙の3等に区別し、類似のない甲種は専有、3名以上の類似品がある乙種は共有として3年間組合事務所が保護した。法が追いつかない領域を、同業者どうしの登録と査定が補っていた。

  • 花王石鹸五十年史(花王石鹸五十年史編纂委員会, 1940)
    • [14]商標条例は1884年公布・1888年改正だが統制力は微弱で明治30年代初頭に意匠・打型の模造や職工引き抜きが多発
    • [15]1899年 東京石鹸製造同業組合が浅草東洋館で製品展覧会を開催し出品総数2,600余点
    • [16]18名の審査員が出品を甲乙丙に区別し甲種は専有 乙種は共有として3年間組合事務所が保護

銘柄を守るもう一方の道が、製造工程を自分の手に置くことだった。長瀬商店は1902年に蒸気鹼化方式を採り入れ、1911年には石鹸の廃液からグリセリンを回収する工程を加えた。1897年以前の国内で大釜を持つ工場は横浜と神戸の2か所だけで、他は直径四尺二寸以下の平釜を直火で焚いており、乾燥は天日に依存し、雨が降れば作業が止まった。蒸気による鹼化は、この天候と職人の勘に委ねられた工程を設備に置き換える転換だった。品質の均一が値段の正当性を支える商いでは、工程の内製は原価の問題であると同時に、銘柄を保つ条件でもあった。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [17]明治35年 蒸気鹼化方式の採用
    • [18]明治44年 石鹸廃液からのグリセリン回収
  • 花王石鹸五十年史(花王石鹸五十年史編纂委員会, 1940)
    • [19]明治30年以前に大釜を持つ工場は横浜と神戸の2か所のみで他は直径4尺2寸以下の平釜を直火で使用し乾燥は天日

1911年10月7日、長瀬商店は合資会社へ組織を変更した。出資は合計25万円で、代表社員の長瀬富郎氏が9万円の無限責任社員となり、残りを親族が引き受けた。縁故以外からただ一人社員に列したのは村田亀太郎氏で、創業当時の功労に対して1万円を贈与したうえでの参加だった。改組の直後に初代富郎氏は病が重篤となり、同月10日に次弟の祐三郎氏が代表社員に加えられ、26日に逝去した。法定相続人の富雄氏は11月7日に長瀬富郎を襲名して父の出資9万円を譲り受け、合資会社長瀬商会は祐三郎氏の統率のもとで動き出した。創業者の個人商店は、創業から24年で相続と組織の問題に直面していた。

  • 花王石鹸五十年史(花王石鹸五十年史編纂委員会, 1940)
    • [20]1911年10月7日 長瀬商店は合資会社へ組織変更
    • [21]合資会社の出資総額は25万円 代表社員の長瀬富郎氏は9万円の無限責任社員
    • [22]縁故外の社員は村田亀太郎氏一人で創業当時の功労に対し1万円を贈与して社員に列した
    • [23]1911年10月10日 長瀬祐三郎氏が代表社員に就任し同月26日に初代富郎氏が逝去
    • [24]1911年11月7日 長瀬富雄氏が長瀬富郎を襲名し亡父の出資額9万円を譲り受けた
参考文献[14]-[24]
  • 花王石鹸五十年史(花王石鹸五十年史編纂委員会, 1940)
    • [14]商標条例は1884年公布・1888年改正だが統制力は微弱で明治30年代初頭に意匠・打型の模造や職工引き抜きが多発
    • [15]1899年 東京石鹸製造同業組合が浅草東洋館で製品展覧会を開催し出品総数2,600余点
    • [16]18名の審査員が出品を甲乙丙に区別し甲種は専有 乙種は共有として3年間組合事務所が保護
    • [19]明治30年以前に大釜を持つ工場は横浜と神戸の2か所のみで他は直径4尺2寸以下の平釜を直火で使用し乾燥は天日
    • [20]1911年10月7日 長瀬商店は合資会社へ組織変更
    • [21]合資会社の出資総額は25万円 代表社員の長瀬富郎氏は9万円の無限責任社員
    • [22]縁故外の社員は村田亀太郎氏一人で創業当時の功労に対し1万円を贈与して社員に列した
    • [23]1911年10月10日 長瀬祐三郎氏が代表社員に就任し同月26日に初代富郎氏が逝去
    • [24]1911年11月7日 長瀬富雄氏が長瀬富郎を襲名し亡父の出資額9万円を譲り受けた
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [17]明治35年 蒸気鹼化方式の採用
    • [18]明治44年 石鹸廃液からのグリセリン回収

1913年〜石鹸へ集中し、量産設備と法人格をそろえた大正期

1913年、長瀬商会は営業方針を大きく転換した。石鹸以外の化粧品類の生産を注文生産だけに限り、石鹸類だけを市場生産で製出する体制へ改めた。方向自体は明治末年から採られていたが、この年に明確な方針として据えられている。洋小間物商として始まった以上、品目を広く持つことは仕入れの延長として自然だったが、市場へ向けて見込みで作る商品を石鹸に一本化すれば、設備投資と在庫の判断もそこへ集約できた。同じ年の12月には、鉄道や旅館で用いられる特許容器を添えた水石鹸を発売し、家庭以外の需要にも品目を伸ばした。大阪の代理店だった大崎組もこの年に合資会社へ改組しており、売る側も法人の形を取り始めていた。

  • 花王石鹸五十年史(花王石鹸五十年史編纂委員会, 1940)
    • [25]1913年 長瀬商会は石鹸以外の化粧品類の生産を注文生産のみに限定し石鹸類だけを市場生産とした
    • [26]化粧品を注文生産に限る方向は明治末年以来採られ1913年に明確に方向づけられた
    • [27]1913年12月 鉄道・旅館で用いられる特許容器とともに水石鹸を発売
    • [28]1913年 長瀬商会の大阪代理店 大崎組が合資会社へ改組

1914年の欧州大戦は、原料の6割から7割を輸入に依存する長瀬商会を直撃した。輸入の杜絶で原料相場は高騰し品は払底したが、開戦の時点で三、四か月分の使用額は手当てが済んでいた。工場支配人の長瀬常一氏が原料手当てにあたり、営業部は業界で最初に手形制度を採用して仕入れを繋いだ。それでも価格の高騰は吸収しきれず、花王石鹸の建値は一ダース85銭から同年8月下旬に90銭、9月初旬に95銭へ引き上げられ、1916年2月にはさらに7銭を足して1円2銭となった。定価で売る商品を持つ会社にとって、原料相場は値づけの信用を直接揺らす制約だった。

  • 花王石鹸五十年史(花王石鹸五十年史編纂委員会, 1940)
    • [29]長瀬商会の原料の6〜7分は輸入品で欧州大戦による輸入杜絶で相場高騰と品不足に直面
    • [30]代表社員 長瀬祐三郎氏は1914年8月11日付書翰で3〜4か月分の原料は手当て済みと報じた
    • [31]工場支配人 長瀬常一氏が原料手当てにあたり営業部は業界最初の手形制度を採用
    • [32]花王石鹸の建値は一ダース85銭から1914年8月に90銭 9月に95銭 1916年2月に1円2銭へ

大戦後の長瀬商会は、設備と原料の両方を自前で抱える方向へ進んだ。1920年には自動型打のベルトシステムを導入して量産の速度を上げ、1922年11月には隅田川沿いの吾嬬町に石鹸の量産専用工場を新設して、のちの東京工場とした。1924年には搾油と硬化の設備を備えて原料の自給に手をつけている。そして1925年5月、花王石鹸株式会社長瀬商会を設立し、個人商店から株式会社の組織へ移った。設立時の重役陣は代表取締役に長瀬祐三郎氏、専務取締役に長瀬常一氏、常務取締役に秋元直氏が就任し、二代富郎氏は取締役として並んだ。創業から38年を経て、原料工程と量産工場と法人格がそろい、以後の設備投資を会社として決められる立場に立った。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [33]大正9年 自動型打ベルトシステムの採用
    • [35]大正13年 搾油・硬化など原料自給体制の整備
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [34]1922年11月 吾嬬町工場(現東京工場)完成
    • [36]1925年5月 花王石鹸株式会社長瀬商会設立
    • [38]1922年の量産工場と1925年の法人化で原料・量産・法人格がそろった
  • 花王石鹸五十年史(花王石鹸五十年史編纂委員会, 1940)
    • [37]花王石鹸株式会社長瀬商会の創立時の重役は代表取締役 長瀬祐三郎 専務取締役 長瀬常一 常務取締役 秋元直 取締役 長瀬富郎・長瀬篤郎
参考文献[25]-[38]
  • 花王石鹸五十年史(花王石鹸五十年史編纂委員会, 1940)
    • [25]1913年 長瀬商会は石鹸以外の化粧品類の生産を注文生産のみに限定し石鹸類だけを市場生産とした
    • [26]化粧品を注文生産に限る方向は明治末年以来採られ1913年に明確に方向づけられた
    • [27]1913年12月 鉄道・旅館で用いられる特許容器とともに水石鹸を発売
    • [28]1913年 長瀬商会の大阪代理店 大崎組が合資会社へ改組
    • [29]長瀬商会の原料の6〜7分は輸入品で欧州大戦による輸入杜絶で相場高騰と品不足に直面
    • [30]代表社員 長瀬祐三郎氏は1914年8月11日付書翰で3〜4か月分の原料は手当て済みと報じた
    • [31]工場支配人 長瀬常一氏が原料手当てにあたり営業部は業界最初の手形制度を採用
    • [32]花王石鹸の建値は一ダース85銭から1914年8月に90銭 9月に95銭 1916年2月に1円2銭へ
    • [37]花王石鹸株式会社長瀬商会の創立時の重役は代表取締役 長瀬祐三郎 専務取締役 長瀬常一 常務取締役 秋元直 取締役 長瀬富郎・長瀬篤郎
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [33]大正9年 自動型打ベルトシステムの採用
    • [35]大正13年 搾油・硬化など原料自給体制の整備
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [34]1922年11月 吾嬬町工場(現東京工場)完成
    • [36]1925年5月 花王石鹸株式会社長瀬商会設立
    • [38]1922年の量産工場と1925年の法人化で原料・量産・法人格がそろった

第2章 1926年〜 二代目長瀬富郎の合理化と合成洗剤の発売

筆者考察y.sugiura, author

1931年の新装花王石鹸は、品質を純粋度九九・4%へ上げ、目方を増やし、そのうえで値段を下げた。三つを同時に出せた石鹸業者は当時ほかにない。理由は販売ではなく工場にあった。七日から10日かかっていた冷却が二時間に、20日かかっていた乾燥が一昼夜になっている。二代長瀬富郎氏が欧米視察から戻って最初に置いたのが広告部と調査部、次に置いたのが販売方法研究委員会だったことを思えば、この値下げは売り方の工夫ではなく、工程で短縮した時間の配分だったと考えるのが近い。

原料の調達でも同じ選択が繰り返された。硬化油を握る業者が石鹸の死命を制する構造ができると、長瀬商会は自給へ回り、1932年には全国石鹸製造業聯合会の会長職を降りて中小の単業者と立場を分ける。1935年の大日本油脂、1936年の高圧化学工業と特許洗剤、1940年の日本有機は、いずれも石鹸の外側にある化学へ足場を移すための会社だった。戦後に三つの法人が一社へ統合され、1963年3月期に売上高211億円へ達したとき、主力は創業以来の化粧石鹸ではなく合成洗剤に替わっていた。

売上高の推移 1954年3月期〜1963年3月期(億円)

22.5 1954 28.6 1955 39.2 1956 53.8 1957 64.2 1958 86.4 1959 119 1960 148 1961 192 1962 211 1963
  • 各年3月期の単体売上高。1954年7月の花王油脂合併をはさむ。
  • 出所は会社年鑑。

1927年〜二代目富郎の革新計画と、値下げを支えた吾嬬町の工程

1927年12月、二代長瀬富郎氏が花王石鹸株式会社長瀬商会の社長に就任した。同年に従弟の長瀬六郎氏を伴って南洋とオーストラリアを視察した直後の就任で、当時23歳だった。就任の辞は事の始めに大切なことを二つ挙げ、第一に目的の確立を、第二に方針の決定を置いた『失敗がないならば、成功もない、失敗は成功の母である』。翌1928年6月には工場技師の川上八十太氏を伴って欧米視察に出て、1929年2月に帰朝した。帰国後は新職制を定め、同年11月に広告部と企画部を、1930年5月に調査部を新設した。石鹸の作り手ではなく、市場を調べて売り方を決める部門が会社の中に置かれた。

  • 花王石鹸五十年史(花王石鹸五十年史編纂委員会, 1940)
    • [39]1927年12月 二代長瀬富郎氏が花王石鹸株式会社長瀬商会社長に就任
    • [40]1927年 二代富郎氏は従弟の長瀬六郎氏を伴い南洋・オーストラリアを視察 就任時23歳
    • [41]就任の辞で二代富郎氏は目的の確立と方針の決定を第一・第二に挙げた
    • [42]1928年6月 二代富郎氏が工場技師 川上八十太氏を伴い欧米視察へ出発し1929年2月帰朝
    • [43]新職制の制定と1929年11月の広告部・企画部新設 1930年5月の調査部設置

1930年、長瀬商会は販売方法研究委員会を設け、六月に革新販売方針を決定した。同年8月には花王石鹸革新計画を社内に発表し、翌1931年3月1日、新装花王石鹸を発売した。新装花王石鹸は伝統の枠練製法を維持したまま品質を純粋度九九・4%へ引き上げ、一個あたり二匁を増量し、そのうえで正価を一個一〇銭へ引き下げたものだった。当時の業界では大胆な革新で、1890年の発売時に一二銭を付けた商品が、40年を経て増量と値下げを同時に実現している。形状も包装も香りも近代化された一方で、石棣流の字体と花王のマークは元のまま残された。値段は変えても、買い手が銘柄を見分ける印は変えなかった。

  • 花王石鹸五十年史(花王石鹸五十年史編纂委員会, 1940)
    • [44]1930年 販売方法研究委員会を設置し6月に革新販売方針を決定
    • [45]1930年8月 花王石鹸革新計画を社内発表 1931年3月1日 新装花王石鹸を発売
    • [46]新装花王石鹸は枠練製法を維持しつつ純粋度99.4%へ向上 一個当り二匁増量 正価を一個10銭へ低下
    • [47]新装花王石鹸の増量と値下げは当時の業界で大胆な革新とされた
    • [48]新装花王石鹸は形状・包装・香気を近代化しつつ石棣流字体と花王マークを維持

増量と値下げを同時に成り立たせたのは、吾嬬町工場の工程改造だった。1930年には新装花王石鹸の発売を見据えて冷圧装置とトンネル乾燥機を、翌1931年には自動型打機と大圧出機に加えて自動包装機を据えた。クーリング・プレスの採用で従来七日から10日を要した作業が二時間で済むようになり、トンネル式乾燥装置は約20日かかっていた乾燥を一昼夜へ縮めた。コンベアによる連続作業で作業能率も上がった。この設備をもって石鹸工業の近代化は完成し、欧米先進諸国と比肩する水準に達した。値下げは販売政策の決断である前に、工程の時間を短縮した結果として生まれた数字だった。

  • 花王石鹸五十年史(花王石鹸五十年史編纂委員会, 1940)
    • [49]1930年に冷圧装置とトンネル乾燥機 1931年に自動型打機・大圧出機・自動包装機を吾嬬町新工場に設備
    • [50]クーリング・プレスの採用で従来7〜10日の作業が2時間に トンネル式乾燥装置で約20日の乾燥が一昼夜に短縮
    • [51]コンベア・システムによる流線連続作業で作業能率が向上
    • [52]吾嬬町新工場の設備により石鹸工業の近代化が完成し欧米先進諸国と比肩する水準に達した
参考文献[39]-[52]
  • 花王石鹸五十年史(花王石鹸五十年史編纂委員会, 1940)
    • [39]1927年12月 二代長瀬富郎氏が花王石鹸株式会社長瀬商会社長に就任
    • [40]1927年 二代富郎氏は従弟の長瀬六郎氏を伴い南洋・オーストラリアを視察 就任時23歳
    • [41]就任の辞で二代富郎氏は目的の確立と方針の決定を第一・第二に挙げた
    • [42]1928年6月 二代富郎氏が工場技師 川上八十太氏を伴い欧米視察へ出発し1929年2月帰朝
    • [43]新職制の制定と1929年11月の広告部・企画部新設 1930年5月の調査部設置
    • [44]1930年 販売方法研究委員会を設置し6月に革新販売方針を決定
    • [45]1930年8月 花王石鹸革新計画を社内発表 1931年3月1日 新装花王石鹸を発売
    • [46]新装花王石鹸は枠練製法を維持しつつ純粋度99.4%へ向上 一個当り二匁増量 正価を一個10銭へ低下
    • [47]新装花王石鹸の増量と値下げは当時の業界で大胆な革新とされた
    • [48]新装花王石鹸は形状・包装・香気を近代化しつつ石棣流字体と花王マークを維持
    • [49]1930年に冷圧装置とトンネル乾燥機 1931年に自動型打機・大圧出機・自動包装機を吾嬬町新工場に設備
    • [50]クーリング・プレスの採用で従来7〜10日の作業が2時間に トンネル式乾燥装置で約20日の乾燥が一昼夜に短縮
    • [51]コンベア・システムによる流線連続作業で作業能率が向上
    • [52]吾嬬町新工場の設備により石鹸工業の近代化が完成し欧米先進諸国と比肩する水準に達した

1934年〜原料の硬化油を自給し、合成洗剤へ出た三年

昭和に入ると、石鹸業界の主導権は原料を供給する業者へ移っていた。欧州大戦以降に発達した硬化油工業の製品が石鹸原料として重用され、硬化油の製造業者が石鹸工業の死命を制する地位を得た。彼らが自製の硬化油で石鹸そのものを作り始めると、洗濯石鹸の市場は昭和初年に混乱した。長瀬商会など大手は1931年から1932年にかけて原料硬化油の自給を企画し、1934年11月に吾嬬町で硬化油工場の操業を開始した。翌1935年には研究部長の川上八十太氏が全合成硬化油による花王石鹸の製出に成功し、牛脂に代わる原料で主力商品を作れることを示した。原料を他社に左右される立場から、自ら掌握する立場へ転じる作業だった。

  • 花王石鹸五十年史(花王石鹸五十年史編纂委員会, 1940)
    • [53]欧州大戦以降に硬化油工業が発達し硬化油製造業者が石鹸工業の死命を制する地位を得た
    • [54]硬化油製造業者が自製硬化油で石鹸製造を始め昭和初年に洗濯石鹸市場が混乱
    • [55]1931〜1932年以降 長瀬商会等の大企業者が原料硬化油の自給を企画し1934年11月に硬化油工場が操業
    • [56]1935年 研究部長 川上八十太氏が全合成硬化油による花王石鹸の製出に成功

硬化油の自給は、長瀬商会を業界のどちら側に置くかという問題でもあった。1932年に同社が硬化油自給の企画へ着手したとき、取締役の長瀬常一氏は全国石鹸製造業聯合会の会長職を辞している。原料を自給する大手と、それを買わねばならない中小の石鹸単業者とでは、もはや利害が同じではなかった。実際、中小業者は硬化油の入手難から硬化油業者や大石鹸業者への従属へ追い込まれ、下請工場や留型工場として命脈を保つ状態に置かれた。1935年には製造部門が長瀬商会の分身として独立し、資本金600万円の大日本油脂株式会社となった。原料と製造を別会社に立て、商標と販売を長瀬商会に残す体制がここで整った。

  • 花王石鹸五十年史(花王石鹸五十年史編纂委員会, 1940)
    • [57]1932年 花王石鹸株式会社長瀬商会の硬化油自給企画着手とともに取締役 長瀬常一氏が全国石鹸製造業聯合会会長を辞任
    • [58]中小石鹸単業者は硬化油の入手難で硬化油業者・大石鹸業者への従属を強いられ下請工場・留型工場となった
    • [59]1935年 長瀬商会の分身として大日本油脂株式会社(資本金600万円)が独立

同じ時期、長瀬商会は石鹸とは別の洗浄剤にも手を伸ばした。吾嬬町の新工場は合成新洗剤の研究に早くから着手し、1935年には半工業的装置を完成していたが、製出にあたってドイツのベーメ会社の特許権に抵触する懸念があった。そこで1936年、合同油脂・大阪酸水素・第一工業を誘ってこの特許権を買収し、資本金75万円の高圧化学工業株式会社を設立、さらに資生堂とミヨシ石鹸も加えて資本金50万円の特許洗剤株式会社を設立した。製品は高級アルコール硫酸化物で、長瀬商会はこれにエキセリンの商品名を付けて売り出した。木綿からステープル・ファイバーへ繊維業界が変わるなかで、エキセリンは繊維助剤として多量の需要を見つけた。

  • 花王石鹸五十年史(花王石鹸五十年史編纂委員会, 1940)
    • [60]吾嬬町新工場は合成新洗剤の研究に着手し1935年に半工業的装置を完成 製出はドイツ・ベーメ会社の特許権に抵触する問題があった
    • [61]1936年 合同油脂・大阪酸水素・第一工業と特許権を買収し高圧化学工業(資本金75万円)を創立 資生堂・ミヨシ石鹸も参加し特許洗剤(資本金50万円)を創立
    • [62]長瀬商会は高級アルコール硫酸化物の合成新洗剤にエキセリンの商品名を付けて発売
    • [63]木綿からステープル・ファイバーへの繊維界の変革によりエキセリンは繊維助剤として多量の需要を得た
参考文献[53]-[63]
  • 花王石鹸五十年史(花王石鹸五十年史編纂委員会, 1940)
    • [53]欧州大戦以降に硬化油工業が発達し硬化油製造業者が石鹸工業の死命を制する地位を得た
    • [54]硬化油製造業者が自製硬化油で石鹸製造を始め昭和初年に洗濯石鹸市場が混乱
    • [55]1931〜1932年以降 長瀬商会等の大企業者が原料硬化油の自給を企画し1934年11月に硬化油工場が操業
    • [56]1935年 研究部長 川上八十太氏が全合成硬化油による花王石鹸の製出に成功
    • [57]1932年 花王石鹸株式会社長瀬商会の硬化油自給企画着手とともに取締役 長瀬常一氏が全国石鹸製造業聯合会会長を辞任
    • [58]中小石鹸単業者は硬化油の入手難で硬化油業者・大石鹸業者への従属を強いられ下請工場・留型工場となった
    • [59]1935年 長瀬商会の分身として大日本油脂株式会社(資本金600万円)が独立
    • [60]吾嬬町新工場は合成新洗剤の研究に着手し1935年に半工業的装置を完成 製出はドイツ・ベーメ会社の特許権に抵触する問題があった
    • [61]1936年 合同油脂・大阪酸水素・第一工業と特許権を買収し高圧化学工業(資本金75万円)を創立 資生堂・ミヨシ石鹸も参加し特許洗剤(資本金50万円)を創立
    • [62]長瀬商会は高級アルコール硫酸化物の合成新洗剤にエキセリンの商品名を付けて発売
    • [63]木綿からステープル・ファイバーへの繊維界の変革によりエキセリンは繊維助剤として多量の需要を得た

1940年〜統制下の分社から、戦後の合併・上場・合成洗剤へ

1937年7月の日支事変以降、石鹸は特需と大陸市場で需要が激増した一方、生産設備の拡張は阻止され、原料需給は窮屈になり、燃料と電力は制限され、製品価格は物価統制で一定の水準に釘付けにされた。従来の全国石鹸製造業聯合会では統制の役に立たず、1939年5月の東京石鹸工業組合を皮切りに各地で工業組合が設立され、1940年1月には全国石鹸工業組合聯合会が結成された。その主要事業は原材料の配給だった。同じ1940年5月、長瀬商会は有機合成事業法に準拠し、鉄興社との共同出資で資本金250万円の日本有機株式会社を設立した。石鹸から有機合成化学全般へ広げる方針が、統制経済の枠組みのなかで具体化した。

  • 花王石鹸五十年史(花王石鹸五十年史編纂委員会, 1940)
    • [64]日支事変下で石鹸は需要激増の一方 生産設備拡張の阻止・原料需給の窮屈化・燃料電力の制限・物価統制による価格釘付けに置かれた
    • [65]1939年5月 東京石鹸工業組合の設立を皮切りに1940年1月 全国石鹸工業組合聯合会が結成
    • [66]石鹸工業組合聯合会の主要事業は原材料の配給で生産検査・製品規格検査も実施
  • 株式会社年鑑 1950年版・1955年版・1960年版「花王石鹸」
    • [67]1940年5月21日 有機合成事業法に準拠し花王石鹸株式会社長瀬商会と鉄興社の共同出資で日本有機株式会社(資本金250万円)を設立

1942年、国は動植物油脂から航空潤滑油をつくる技術を事業化するよう求め、それに応えて和歌山工場が建った。工場の持ち主は日本有機で、担ったのは石鹸ではなかった。三つの法人の整理に手がついたのは戦後である。先に動いたのは長瀬商会で、1946年5月に株式会社花王へ名を改めた。日本有機は1949年5月に商号を花王石鹸株式会社とした。同じ月の16日には東京証券取引所に株式を上場している。同年12月には大日本油脂と株式会社花王が合併して花王油脂となり、1954年7月、花王石鹸が花王油脂を合併して資本金1億9,400万円の一社に戻った。原料・製造・販売を分けて持っていた戦前の体制は、上場会社のもとで一本に統合された。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [68]和歌山工場は1942年 動植物油脂から航空潤滑油を合成する発明の工業化のため国の要請で建設
    • [69]昭和21年 長瀬商会は株式会社花王と改称
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「花王石鹸」
    • [70]昭和24年5月 日本有機が花王石鹸株式会社と改称 上場開始は24年5月16日 東京
    • [71]昭和24年12月 大日本油脂は長瀬商会と合併して花王油脂株式会社と改称
  • 株式会社年鑑 1950年版・1955年版・1960年版「花王石鹸」
    • [72]昭和29年7月 花王石鹸が花王油脂を合併し資本金1億9,400万円となった

合併と同じ1954年、二代目長瀬富郎氏に代わって経団連出身の福島正雄氏が社長に就任した。同じころ会社は戦後いち早く合成洗剤ワンダフルを発売しており、1954年下期には花王石鹸の生産実績一五五八屯に対しワンダフルが一〇六三屯と、主力の座を争う規模まで来ていた。売上高は1954年3月期の二二・5億円から1960年3月期に119億円、1963年3月期には211億円へ伸びた。1964年の時点で家庭用洗剤は国内生産の50%を占めて生産規模は業界第一位となり、製品は1,360店の代理店を通じて20万軒の小売店に配られていた。創業以来の化粧石鹸は、合成洗剤という別の化学製品に主役を譲っていた。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [73]昭和29年 二代目長瀬富郎氏を経て経団連出身の福島正雄氏が社長に就任
    • [74]戦後いち早く合成洗剤ワンダフルを発売
  • 株式会社年鑑 1950年版・1955年版・1960年版「花王石鹸」
    • [75]1954年4月〜9月の生産実績は花王石鹸1,558屯 ワンダフル1,063屯
    • [76]売上高は1954年3月期22.5億円 1960年3月期119億円 1963年3月期211億円
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「花王石鹸」
    • [77]1964年時点で家庭用洗剤は国内生産の50%を占め生産規模は業界第1位 1,360店の代理店を通じ20万軒の小売店で販売
参考文献[64]-[77]
  • 花王石鹸五十年史(花王石鹸五十年史編纂委員会, 1940)
    • [64]日支事変下で石鹸は需要激増の一方 生産設備拡張の阻止・原料需給の窮屈化・燃料電力の制限・物価統制による価格釘付けに置かれた
    • [65]1939年5月 東京石鹸工業組合の設立を皮切りに1940年1月 全国石鹸工業組合聯合会が結成
    • [66]石鹸工業組合聯合会の主要事業は原材料の配給で生産検査・製品規格検査も実施
  • 株式会社年鑑 1950年版・1955年版・1960年版「花王石鹸」
    • [67]1940年5月21日 有機合成事業法に準拠し花王石鹸株式会社長瀬商会と鉄興社の共同出資で日本有機株式会社(資本金250万円)を設立
    • [72]昭和29年7月 花王石鹸が花王油脂を合併し資本金1億9,400万円となった
    • [75]1954年4月〜9月の生産実績は花王石鹸1,558屯 ワンダフル1,063屯
    • [76]売上高は1954年3月期22.5億円 1960年3月期119億円 1963年3月期211億円
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [68]和歌山工場は1942年 動植物油脂から航空潤滑油を合成する発明の工業化のため国の要請で建設
    • [69]昭和21年 長瀬商会は株式会社花王と改称
    • [73]昭和29年 二代目長瀬富郎氏を経て経団連出身の福島正雄氏が社長に就任
    • [74]戦後いち早く合成洗剤ワンダフルを発売
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「花王石鹸」
    • [70]昭和24年5月 日本有機が花王石鹸株式会社と改称 上場開始は24年5月16日 東京
    • [71]昭和24年12月 大日本油脂は長瀬商会と合併して花王油脂株式会社と改称
    • [77]1964年時点で家庭用洗剤は国内生産の50%を占め生産規模は業界第1位 1,360店の代理店を通じ20万軒の小売店で販売

第3章 1964年〜 再販契約による販社網の構築とメリーズ・化粧品への参入

1964年〜代理店1,360店を組み替えた小売店との再販契約と、地域ごとに立てた花王販社

1964年の花王石鹸は、家庭用洗剤を代理店1,360店から小売店20万軒へ流していた。代理店経由の経路では、問屋どうしが値引きと割戻しで売り先を奪い合った。福島正雄社長は1966年、値引割戻による販売促進は双方の倒産まで止まらないと論じ、流通機構の整備を説いた。スーパーは洗剤を客寄せの安売り品に使い、問屋のマージンはほぼ消えていた。洗剤の需要が年率5割で伸びても、問屋の収益と資本の蓄積は伸びなかった。複雑な流通経路が、スーパーの安売りの材料になっていたためだった。花王石鹸は石鹸と洗剤を再販売価格維持の指定品目に入れさせ、1965年から値引きした小売店への出荷を止められる立場を得た。

  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「花王」
    • [78]1964年版時点で家庭用洗剤は国内生産の50%・業界1位、製品は1,360店を通じ20万軒の小売店で販売
  • 新日本経済 30(1) 1966年
    • [79]福島正雄社長が1966年、値引・割戻制による販売促進は双方の倒産を招く双刃の剣で、流通機構の整備で販路を拡大すべきと論じた
    • [80]福島正雄社長が1966年、値引・割戻制による販売促進は双方の倒産を招く双刃の剣で、流通機構の整備で販路を拡大すべきと論じた
  • 日経ビジネス 1978年7月3日号
    • [81]1966年当時スーパーの値下げ競争で問屋マージンがほぼゼロとなり、洗剤・石鹸を再販指定品目にさせた。1965〜1973年は再販製品で値引き店への出荷停止ができた
    • [84]1966年当時スーパーの値下げ競争で問屋マージンがほぼゼロとなり、洗剤・石鹸を再販指定品目にさせた。1965〜1973年は再販製品で値引き店への出荷停止ができた
  • 日経ビジネス 1974年9月16日号
    • [82]販社構想時、洗剤需要は年率5割で伸びたが問屋の収益は伸び悩み資本蓄積が進まず、複雑な流通経路がスーパーの目玉商品のタネになっていた(丸田芳郎氏の説明)
    • [83]販社構想時、洗剤需要は年率5割で伸びたが問屋の収益は伸び悩み資本蓄積が進まず、複雑な流通経路がスーパーの目玉商品のタネになっていた(丸田芳郎氏の説明)

再販の値を店頭で守らせる担い手として、花王石鹸は1966年ごろから花王製品だけを扱う販売会社(販社)を地区ごとに設けた。販社は従来の取扱問屋が地区別に運転資金を持ち寄って設立し、花王石鹸はほとんど出資しなかった。1968年6月以降に発売した新製品は販社だけに流し、販社に出資しない卸には扱わせなかった。取引条件の差を不当とする卸は、1968年11月に公正取引委員会へ申告書を出した。東京都内では200の問屋が販社粉砕協議会を結成した。切り替えで出荷が滞り、洗剤シェアは1969年から1971年まで首位をライオン油脂に譲った。販社は1969年に全国で100社を超え、合併による大型化へ進んだ。洗剤シェアは1972年から1973年に首位へ回復した。

  • 日経ビジネス 1974年9月16日号
    • [85]花王販社は取扱問屋が地区別に共同出資した花王製品専売の卸機構で、1966年に着手し1974年時点で99社。都内200問屋が販社粉砕協議会を結成。1972〜73年に洗剤首位を奪還
    • [89]花王販社は取扱問屋が地区別に共同出資した花王製品専売の卸機構で、1966年に着手し1974年時点で99社。都内200問屋が販社粉砕協議会を結成。1972〜73年に洗剤首位を奪還
    • [92]花王販社は取扱問屋が地区別に共同出資した花王製品専売の卸機構で、1966年に着手し1974年時点で99社。都内200問屋が販社粉砕協議会を結成。1972〜73年に洗剤首位を奪還
  • 日経ビジネス 1979年8月13日号
    • [86]販社は問屋が運転資金を持ち寄り花王はほとんど出資せず。1969〜1971年の3年間は洗剤シェア首位を譲った(丸田芳郎社長の説明)
    • [90]販社は問屋が運転資金を持ち寄り花王はほとんど出資せず。1969〜1971年の3年間は洗剤シェア首位を譲った(丸田芳郎社長の説明)
  • 公正取引情報 282 1969年10月29日「流通経路合理化による系列化の波紋=花王販社の場合=」
    • [87]販社づくりは昭和41年頃から始まり1969年に全国百余店、合同販社で大型化へ。販社は花王石鹸と資本関係なし。1968年6月以降発売のシリーズ製品は販社経由に限り、販社に資本参加しない卸は扱えない。1968年11月に一卸店が公取委へ申告書を提出
    • [88]販社づくりは昭和41年頃から始まり1969年に全国百余店、合同販社で大型化へ。販社は花王石鹸と資本関係なし。1968年6月以降発売のシリーズ製品は販社経由に限り、販社に資本参加しない卸は扱えない。1968年11月に一卸店が公取委へ申告書を提出
    • [91]販社づくりは昭和41年頃から始まり1969年に全国百余店、合同販社で大型化へ。販社は花王石鹸と資本関係なし。1968年6月以降発売のシリーズ製品は販社経由に限り、販社に資本参加しない卸は扱えない。1968年11月に一卸店が公取委へ申告書を提出

1971年10月、伊藤英三社長の病死を受けて丸田芳郎副社長が社長に就任した。丸田芳郎氏は桐生高等工業学校で応用化学を修め、航空潤滑油の合成で京都大学から工学博士号を得た技術者だった。販社づくりを自ら指揮したのも丸田芳郎氏で、狙いは流通経路の確保と値崩れの防止にあった。丸田芳郎氏は導入の動機を、流通を近代化しなければP&Gをはじめとする巨大外資に対抗できないためと説明した。丸田芳郎氏によれば、花王石鹸は1968年ごろに年15〜20%の成長を前提とする考えを改め、省力化と公害防止・安全に取り組んだ。販社による価格の安定と工程の省力化を、次の投資の元手に充てる考えだったと思われる。

  • 日経ビジネス 1984年10月15日号
    • [93]丸田芳郎氏は桐生高工応用化学科卒、1948年京大で工学博士、1971年10月に病死した伊藤英三前社長の後を継ぎ社長就任
    • [94]丸田芳郎氏は桐生高工応用化学科卒、1948年京大で工学博士、1971年10月に病死した伊藤英三前社長の後を継ぎ社長就任
  • 日経ビジネス 1978年7月3日号
    • [95]販社体制の生みの親は丸田芳郎社長で、狙いは流通ルートの確保と値崩れ防止
  • 日経ビジネス 1974年9月16日号
    • [96]販社づくりを自ら指揮した丸田芳郎社長が、流通近代化で値崩れを防がなければP&Gなど巨大外資に対抗できないと動機を説明
  • 日経ビジネス 1977年2月28日号
    • [97]1968年ごろまでの年15〜20%成長の考え方を改め、省力化・公害防止・安全に取り組んだ(丸田芳郎社長)
参考文献[78]-[97]
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「花王」
    • [78]1964年版時点で家庭用洗剤は国内生産の50%・業界1位、製品は1,360店を通じ20万軒の小売店で販売
  • 新日本経済 30(1) 1966年
    • [79]福島正雄社長が1966年、値引・割戻制による販売促進は双方の倒産を招く双刃の剣で、流通機構の整備で販路を拡大すべきと論じた
    • [80]福島正雄社長が1966年、値引・割戻制による販売促進は双方の倒産を招く双刃の剣で、流通機構の整備で販路を拡大すべきと論じた
  • 日経ビジネス 1978年7月3日号
    • [81]1966年当時スーパーの値下げ競争で問屋マージンがほぼゼロとなり、洗剤・石鹸を再販指定品目にさせた。1965〜1973年は再販製品で値引き店への出荷停止ができた
    • [84]1966年当時スーパーの値下げ競争で問屋マージンがほぼゼロとなり、洗剤・石鹸を再販指定品目にさせた。1965〜1973年は再販製品で値引き店への出荷停止ができた
    • [95]販社体制の生みの親は丸田芳郎社長で、狙いは流通ルートの確保と値崩れ防止
  • 日経ビジネス 1974年9月16日号
    • [82]販社構想時、洗剤需要は年率5割で伸びたが問屋の収益は伸び悩み資本蓄積が進まず、複雑な流通経路がスーパーの目玉商品のタネになっていた(丸田芳郎氏の説明)
    • [83]販社構想時、洗剤需要は年率5割で伸びたが問屋の収益は伸び悩み資本蓄積が進まず、複雑な流通経路がスーパーの目玉商品のタネになっていた(丸田芳郎氏の説明)
    • [85]花王販社は取扱問屋が地区別に共同出資した花王製品専売の卸機構で、1966年に着手し1974年時点で99社。都内200問屋が販社粉砕協議会を結成。1972〜73年に洗剤首位を奪還
    • [89]花王販社は取扱問屋が地区別に共同出資した花王製品専売の卸機構で、1966年に着手し1974年時点で99社。都内200問屋が販社粉砕協議会を結成。1972〜73年に洗剤首位を奪還
    • [92]花王販社は取扱問屋が地区別に共同出資した花王製品専売の卸機構で、1966年に着手し1974年時点で99社。都内200問屋が販社粉砕協議会を結成。1972〜73年に洗剤首位を奪還
    • [96]販社づくりを自ら指揮した丸田芳郎社長が、流通近代化で値崩れを防がなければP&Gなど巨大外資に対抗できないと動機を説明
  • 日経ビジネス 1979年8月13日号
    • [86]販社は問屋が運転資金を持ち寄り花王はほとんど出資せず。1969〜1971年の3年間は洗剤シェア首位を譲った(丸田芳郎社長の説明)
    • [90]販社は問屋が運転資金を持ち寄り花王はほとんど出資せず。1969〜1971年の3年間は洗剤シェア首位を譲った(丸田芳郎社長の説明)
  • 公正取引情報 282 1969年10月29日「流通経路合理化による系列化の波紋=花王販社の場合=」
    • [87]販社づくりは昭和41年頃から始まり1969年に全国百余店、合同販社で大型化へ。販社は花王石鹸と資本関係なし。1968年6月以降発売のシリーズ製品は販社経由に限り、販社に資本参加しない卸は扱えない。1968年11月に一卸店が公取委へ申告書を提出
    • [88]販社づくりは昭和41年頃から始まり1969年に全国百余店、合同販社で大型化へ。販社は花王石鹸と資本関係なし。1968年6月以降発売のシリーズ製品は販社経由に限り、販社に資本参加しない卸は扱えない。1968年11月に一卸店が公取委へ申告書を提出
    • [91]販社づくりは昭和41年頃から始まり1969年に全国百余店、合同販社で大型化へ。販社は花王石鹸と資本関係なし。1968年6月以降発売のシリーズ製品は販社経由に限り、販社に資本参加しない卸は扱えない。1968年11月に一卸店が公取委へ申告書を提出
  • 日経ビジネス 1984年10月15日号
    • [93]丸田芳郎氏は桐生高工応用化学科卒、1948年京大で工学博士、1971年10月に病死した伊藤英三前社長の後を継ぎ社長就任
    • [94]丸田芳郎氏は桐生高工応用化学科卒、1948年京大で工学博士、1971年10月に病死した伊藤英三前社長の後を継ぎ社長就任
  • 日経ビジネス 1977年2月28日号
    • [97]1968年ごろまでの年15〜20%成長の考え方を改め、省力化・公害防止・安全に取り組んだ(丸田芳郎社長)

1972年〜洗剤パニックで浴びた値上げ批判と、販社と工場を結ぶオンライン物流

1973年10月末に大阪・千里で始まった洗剤の買いだめ騒ぎは全国に広がり、メーカーの売り惜しみが原因と批判された。花王石鹸は同年11月7日に一部の大手問屋へ値上げを予告し、12月5日に台所用洗剤マイペットを200円から250円に改めた。主力のザブとニュービーズは、1974年1月1日に2.65kg入りを500円から600円へ引き上げた。丸田芳郎社長は、16年間据え置いた洗剤の原材料が平均65%上がったことを理由に挙げた。同年2月22日の衆議院予算委員会では、花王石鹸の販売レポートが品不足の一因として示された。花王石鹸は7,000世帯の購買調査で買い急ぎが主因と反論し、5月16日には東京都知事を提訴した。1974年9月1日、自ら返上した洗剤と石鹸の再販指定が外れた。

  • 日経ビジネス 1974年9月16日号
    • [98]1973年10月末の洗剤不足騒動で売り惜しみを批判され、7,000世帯調査を公表・配布、1974年3月に丸田芳郎社長が国会で反論、5月16日に都知事を提訴。再販指定を自発返上し9月1日に指定外。1974年3月期の売上高利益率1.6%(従来2.6〜2.7%)
    • [103]1973年10月末の洗剤不足騒動で売り惜しみを批判され、7,000世帯調査を公表・配布、1974年3月に丸田芳郎社長が国会で反論、5月16日に都知事を提訴。再販指定を自発返上し9月1日に指定外。1974年3月期の売上高利益率1.6%(従来2.6〜2.7%)
    • [104]1973年10月末の洗剤不足騒動で売り惜しみを批判され、7,000世帯調査を公表・配布、1974年3月に丸田芳郎社長が国会で反論、5月16日に都知事を提訴。再販指定を自発返上し9月1日に指定外。1974年3月期の売上高利益率1.6%(従来2.6〜2.7%)
  • 新評 21(4) 1974年4月「企業インサイド・レポート 洗剤パニックの元凶 花王石鹸値上げの舞台裏」 / 勝田健
    • [99]花王は1973年11月7日に一部大手問屋へ値上げ予告文書。台所用洗剤マイペット200→250円・ファミリー100→120円を1973年12月5日、ザブ・ニュービーズ2.65kg 500→600円を1974年1月1日に値上げ。丸田芳郎社長は洗剤は16年間値上げせず原材料が平均65%上昇と説明。1974年2月22日衆院予算委で松浦利尚議員が花王の「販売レポート」を示し追及
    • [100]花王は1973年11月7日に一部大手問屋へ値上げ予告文書。台所用洗剤マイペット200→250円・ファミリー100→120円を1973年12月5日、ザブ・ニュービーズ2.65kg 500→600円を1974年1月1日に値上げ。丸田芳郎社長は洗剤は16年間値上げせず原材料が平均65%上昇と説明。1974年2月22日衆院予算委で松浦利尚議員が花王の「販売レポート」を示し追及
    • [101]花王は1973年11月7日に一部大手問屋へ値上げ予告文書。台所用洗剤マイペット200→250円・ファミリー100→120円を1973年12月5日、ザブ・ニュービーズ2.65kg 500→600円を1974年1月1日に値上げ。丸田芳郎社長は洗剤は16年間値上げせず原材料が平均65%上昇と説明。1974年2月22日衆院予算委で松浦利尚議員が花王の「販売レポート」を示し追及
    • [102]花王は1973年11月7日に一部大手問屋へ値上げ予告文書。台所用洗剤マイペット200→250円・ファミリー100→120円を1973年12月5日、ザブ・ニュービーズ2.65kg 500→600円を1974年1月1日に値上げ。丸田芳郎社長は洗剤は16年間値上げせず原材料が平均65%上昇と説明。1974年2月22日衆院予算委で松浦利尚議員が花王の「販売レポート」を示し追及

再販の拘束が外れた後、花王石鹸は販社と工場の間の在庫と配送を詰めて価格を保った。花王石鹸は1968年に業界で初めて受注・出荷・在庫をオンラインで処理し、1971年末から販社へ小型計算機を入れた。1974年5月には都内4販社で、注文ではなく販社の売上報告を基に本社が補充量を決める方式を始めた。販社の在庫は花王石鹸の在庫とみなし、販社が小売へ売った日に本社の売上を立てた。同じ年の5〜6月には、川崎・和歌山両工場の自動倉庫が完成した。1977年度からの本格稼働で、花王と販社の合計在庫は1.4カ月分から0.9カ月分に減った。1979年度の物流コストは推定で売上高の8.2%と、ライオンの12%を下回った。

  • 日経ビジネス 1978年7月3日号
    • [105]1977年度から本社・工場・販社を本格オンライン化し合計在庫1.4→0.9カ月。再販外れ後は販社社員が小売店を週1回〜10日に1回訪問し値崩れ防止を依頼
    • [110]1977年度から本社・工場・販社を本格オンライン化し合計在庫1.4→0.9カ月。再販外れ後は販社社員が小売店を週1回〜10日に1回訪問し値崩れ防止を依頼
  • 日化協月報 27(12) 1974年12月「花王石鹼の総合オンライン物流システムについて」 / 宮坂忠文
    • [106]1968年にUNIVAC-418で業界初のオンライン・リアルタイム受注・出荷・在庫管理。1971年末から販社にミニコン導入(1974年時点約35社)。1974年5月から都内4販社で、注文でなく販社の売上報告で積送するOSシステムを開始。販社在庫を本社在庫とし販社の売上を本社の売上として計上
    • [107]1968年にUNIVAC-418で業界初のオンライン・リアルタイム受注・出荷・在庫管理。1971年末から販社にミニコン導入(1974年時点約35社)。1974年5月から都内4販社で、注文でなく販社の売上報告で積送するOSシステムを開始。販社在庫を本社在庫とし販社の売上を本社の売上として計上
    • [108]1968年にUNIVAC-418で業界初のオンライン・リアルタイム受注・出荷・在庫管理。1971年末から販社にミニコン導入(1974年時点約35社)。1974年5月から都内4販社で、注文でなく販社の売上報告で積送するOSシステムを開始。販社在庫を本社在庫とし販社の売上を本社の売上として計上
  • 日経ビジネス 1974年9月16日号
    • [109]1974年5〜6月に川崎・和歌山工場の自動倉庫完成、東京・大阪地区で本社・工場・販社のオンライン化試験開始、総投資200億円計画
  • 日経ビジネス 1980年6月30日号
    • [111]1979年度物流コスト売上比8.2%(推定、ライオン12%)

価格維持で利益が安定した花王石鹸は、1977年に設備投資を減価償却の範囲に抑える方針を改めた。1960年代まで借入金を持たずに収益の範囲で投資してきたが、研究開発の強化に要る投資は外部資金でも賄う方針に転じた。4年間で600億円を投じる計画を掲げ、1976年には丸田芳郎社長を本部長とする研究開発本部を発足させた。1978年から1980年の3年間に1,200億円を投じ、鹿島工場の新設と和歌山工場の増強で中間原料の能力を高めた。脂肪酸の年産能力は5万トンから12万トンに増えた。1979年8月、丸田芳郎社長は九州工場を翌年中にほぼ無人化し、24時間365日の自動運転に移すと明らかにした。償却を終えた後に欧米市場へ進む順序も示した。合理化で余る500〜600人は研究所へ配置換えする方針だった。

  • 日経ビジネス 1977年2月28日号
    • [112]オイルショック以来償却内に抑えた設備投資を4年600億円に増額、1976年に丸田芳郎社長を本部長とする研究開発本部発足
    • [114]オイルショック以来償却内に抑えた設備投資を4年600億円に増額、1976年に丸田芳郎社長を本部長とする研究開発本部発足
  • 証券アナリストジャーナル 22(9) 1984年 渡邊正太郎(花王石鹸専務取締役)
    • [113]昭和40年代まで借入金皆無で設備投資を収益内で実施、石油ショック後の50年代に外部資金調達による積極投資へ転換
  • 日経ビジネス 1982年3月8日号
    • [115]1978〜80年に総額1,200億円を投資し鹿島工場新設・和歌山増強、脂肪酸年産5万→12万トン
    • [116]1978〜80年に総額1,200億円を投資し鹿島工場新設・和歌山増強、脂肪酸年産5万→12万トン
  • 日経ビジネス 1979年8月13日号
    • [117]1979年度500億円・3年で1,200〜1,300億円の投融資、九州工場を翌年中にほぼ無人化し24時間365日運転、償却後に欧米市場へ(丸田芳郎社長)
    • [118]1979年度500億円・3年で1,200〜1,300億円の投融資、九州工場を翌年中にほぼ無人化し24時間365日運転、償却後に欧米市場へ(丸田芳郎社長)
  • 日経ビジネス 1978年7月3日号
    • [119]合理化で3年間に500〜600人が余り研究所へ回す(丸田芳郎社長)
参考文献[98]-[119]
  • 日経ビジネス 1974年9月16日号
    • [98]1973年10月末の洗剤不足騒動で売り惜しみを批判され、7,000世帯調査を公表・配布、1974年3月に丸田芳郎社長が国会で反論、5月16日に都知事を提訴。再販指定を自発返上し9月1日に指定外。1974年3月期の売上高利益率1.6%(従来2.6〜2.7%)
    • [103]1973年10月末の洗剤不足騒動で売り惜しみを批判され、7,000世帯調査を公表・配布、1974年3月に丸田芳郎社長が国会で反論、5月16日に都知事を提訴。再販指定を自発返上し9月1日に指定外。1974年3月期の売上高利益率1.6%(従来2.6〜2.7%)
    • [104]1973年10月末の洗剤不足騒動で売り惜しみを批判され、7,000世帯調査を公表・配布、1974年3月に丸田芳郎社長が国会で反論、5月16日に都知事を提訴。再販指定を自発返上し9月1日に指定外。1974年3月期の売上高利益率1.6%(従来2.6〜2.7%)
    • [109]1974年5〜6月に川崎・和歌山工場の自動倉庫完成、東京・大阪地区で本社・工場・販社のオンライン化試験開始、総投資200億円計画
  • 新評 21(4) 1974年4月「企業インサイド・レポート 洗剤パニックの元凶 花王石鹸値上げの舞台裏」 / 勝田健
    • [99]花王は1973年11月7日に一部大手問屋へ値上げ予告文書。台所用洗剤マイペット200→250円・ファミリー100→120円を1973年12月5日、ザブ・ニュービーズ2.65kg 500→600円を1974年1月1日に値上げ。丸田芳郎社長は洗剤は16年間値上げせず原材料が平均65%上昇と説明。1974年2月22日衆院予算委で松浦利尚議員が花王の「販売レポート」を示し追及
    • [100]花王は1973年11月7日に一部大手問屋へ値上げ予告文書。台所用洗剤マイペット200→250円・ファミリー100→120円を1973年12月5日、ザブ・ニュービーズ2.65kg 500→600円を1974年1月1日に値上げ。丸田芳郎社長は洗剤は16年間値上げせず原材料が平均65%上昇と説明。1974年2月22日衆院予算委で松浦利尚議員が花王の「販売レポート」を示し追及
    • [101]花王は1973年11月7日に一部大手問屋へ値上げ予告文書。台所用洗剤マイペット200→250円・ファミリー100→120円を1973年12月5日、ザブ・ニュービーズ2.65kg 500→600円を1974年1月1日に値上げ。丸田芳郎社長は洗剤は16年間値上げせず原材料が平均65%上昇と説明。1974年2月22日衆院予算委で松浦利尚議員が花王の「販売レポート」を示し追及
    • [102]花王は1973年11月7日に一部大手問屋へ値上げ予告文書。台所用洗剤マイペット200→250円・ファミリー100→120円を1973年12月5日、ザブ・ニュービーズ2.65kg 500→600円を1974年1月1日に値上げ。丸田芳郎社長は洗剤は16年間値上げせず原材料が平均65%上昇と説明。1974年2月22日衆院予算委で松浦利尚議員が花王の「販売レポート」を示し追及
  • 日経ビジネス 1978年7月3日号
    • [105]1977年度から本社・工場・販社を本格オンライン化し合計在庫1.4→0.9カ月。再販外れ後は販社社員が小売店を週1回〜10日に1回訪問し値崩れ防止を依頼
    • [110]1977年度から本社・工場・販社を本格オンライン化し合計在庫1.4→0.9カ月。再販外れ後は販社社員が小売店を週1回〜10日に1回訪問し値崩れ防止を依頼
    • [119]合理化で3年間に500〜600人が余り研究所へ回す(丸田芳郎社長)
  • 日化協月報 27(12) 1974年12月「花王石鹼の総合オンライン物流システムについて」 / 宮坂忠文
    • [106]1968年にUNIVAC-418で業界初のオンライン・リアルタイム受注・出荷・在庫管理。1971年末から販社にミニコン導入(1974年時点約35社)。1974年5月から都内4販社で、注文でなく販社の売上報告で積送するOSシステムを開始。販社在庫を本社在庫とし販社の売上を本社の売上として計上
    • [107]1968年にUNIVAC-418で業界初のオンライン・リアルタイム受注・出荷・在庫管理。1971年末から販社にミニコン導入(1974年時点約35社)。1974年5月から都内4販社で、注文でなく販社の売上報告で積送するOSシステムを開始。販社在庫を本社在庫とし販社の売上を本社の売上として計上
    • [108]1968年にUNIVAC-418で業界初のオンライン・リアルタイム受注・出荷・在庫管理。1971年末から販社にミニコン導入(1974年時点約35社)。1974年5月から都内4販社で、注文でなく販社の売上報告で積送するOSシステムを開始。販社在庫を本社在庫とし販社の売上を本社の売上として計上
  • 日経ビジネス 1980年6月30日号
    • [111]1979年度物流コスト売上比8.2%(推定、ライオン12%)
  • 日経ビジネス 1977年2月28日号
    • [112]オイルショック以来償却内に抑えた設備投資を4年600億円に増額、1976年に丸田芳郎社長を本部長とする研究開発本部発足
    • [114]オイルショック以来償却内に抑えた設備投資を4年600億円に増額、1976年に丸田芳郎社長を本部長とする研究開発本部発足
  • 証券アナリストジャーナル 22(9) 1984年 渡邊正太郎(花王石鹸専務取締役)
    • [113]昭和40年代まで借入金皆無で設備投資を収益内で実施、石油ショック後の50年代に外部資金調達による積極投資へ転換
  • 日経ビジネス 1982年3月8日号
    • [115]1978〜80年に総額1,200億円を投資し鹿島工場新設・和歌山増強、脂肪酸年産5万→12万トン
    • [116]1978〜80年に総額1,200億円を投資し鹿島工場新設・和歌山増強、脂肪酸年産5万→12万トン
  • 日経ビジネス 1979年8月13日号
    • [117]1979年度500億円・3年で1,200〜1,300億円の投融資、九州工場を翌年中にほぼ無人化し24時間365日運転、償却後に欧米市場へ(丸田芳郎社長)
    • [118]1979年度500億円・3年で1,200〜1,300億円の投融資、九州工場を翌年中にほぼ無人化し24時間365日運転、償却後に欧米市場へ(丸田芳郎社長)

1980年〜ソフィーナで入った化粧品と、メリーズで挑んだ紙おむつ・世界市場

1982年、花王石鹸は高級化粧品ソフィーナを全国で発売し、1本2,000〜3,000円の価格帯に参入した。合弁のニベア花王でスキンクリームは扱っていたが、高価格の化粧品に参入するのは初めてだった。ソフィーナは1980年10月から静岡県でテスト販売し、界面活性剤による乳化の技術から派生させた製品だった。多角化を急いだ背景には、主力の石鹸・洗剤の需要が数量で伸び悩んでいたことがあった。皮膚の天然保湿成分に近い物質を合成し、ソフィーナの特長の一つとした。丸田芳郎社長は気分ではなく皮膚医学上の効用を訴求する方針をとり、発売当初は派手な宣伝を控えた。1984年時点で化粧品部門は年20〜30億円の赤字とされ、丸田芳郎社長は採算を確保するまで5〜6年を見込んだ。

  • 日経ビジネス 1982年3月8日号
    • [120]高級化粧品(1本2,000〜3,000円)を1980年10月から静岡でテスト販売し1982年秋に全国発売、乳化技術から派生。多角化の理由は石鹸・洗剤需要の数量伸び悩み。既に合弁ニベア花王でスキンクリームに進出済みで高級化粧品は初
    • [121]高級化粧品(1本2,000〜3,000円)を1980年10月から静岡でテスト販売し1982年秋に全国発売、乳化技術から派生。多角化の理由は石鹸・洗剤需要の数量伸び悩み。既に合弁ニベア花王でスキンクリームに進出済みで高級化粧品は初
    • [122]高級化粧品(1本2,000〜3,000円)を1980年10月から静岡でテスト販売し1982年秋に全国発売、乳化技術から派生。多角化の理由は石鹸・洗剤需要の数量伸び悩み。既に合弁ニベア花王でスキンクリームに進出済みで高級化粧品は初
    • [123]高級化粧品(1本2,000〜3,000円)を1980年10月から静岡でテスト販売し1982年秋に全国発売、乳化技術から派生。多角化の理由は石鹸・洗剤需要の数量伸び悩み。既に合弁ニベア花王でスキンクリームに進出済みで高級化粧品は初
  • 証券アナリストジャーナル 22(9) 1984年 渡邊正太郎(花王石鹸専務取締役)
    • [124]皮膚の天然保湿成分に近い成分の合成に成功し、化粧品ソフィーナの特長の一つとした
  • 日経ビジネス 1984年10月15日号
    • [125]丸田芳郎社長は化粧品を機能で売る方針で発売当初派手な宣伝をせず、1984年時点で化粧品部門は年20〜30億円の赤字、軌道まで5〜6年を覚悟
    • [126]丸田芳郎社長は化粧品を機能で売る方針で発売当初派手な宣伝をせず、1984年時点で化粧品部門は年20〜30億円の赤字、軌道まで5〜6年を覚悟

化粧品に続き、花王石鹸は生理用品で得た吸水の技術を紙おむつに持ち込み、メリーズを発売した。起点は和歌山の研究所が開発した高分子吸収体で、1980年5月に生理用品ロリエとして全国発売した。ロリエは2年間で24〜25%のシェアを得て、ユニ・チャームに次ぐ業界2位となった。高分子吸収体は1gで400gの水を吸い、メリーズは3回分の尿を吸収する設計とした。丸田芳郎社長は1980年ごろ紙おむつを3年後に製品化すると明言し、経理・資材・設備の部門が開発を後押しした。1984年の日本の紙おむつ普及率は10%と米国の80%を下回り、国内市場は350億円程度だった。花王石鹸は普及が進めば2,000億円の市場になると見込んだ。

  • 証券アナリストジャーナル 22(9) 1984年 渡邊正太郎(花王石鹸専務取締役)
    • [127]新発売の紙おむつメリーズはロリエの高分子吸収体(1gで400gの水を吸収)を使い3回分の尿を吸収。1984年の日本の普及率10%(米国80%超)、市場350億円程度、普及すれば2,000億円
    • [130]新発売の紙おむつメリーズはロリエの高分子吸収体(1gで400gの水を吸収)を使い3回分の尿を吸収。1984年の日本の普及率10%(米国80%超)、市場350億円程度、普及すれば2,000億円
    • [132]新発売の紙おむつメリーズはロリエの高分子吸収体(1gで400gの水を吸収)を使い3回分の尿を吸収。1984年の日本の普及率10%(米国80%超)、市場350億円程度、普及すれば2,000億円
    • [133]新発売の紙おむつメリーズはロリエの高分子吸収体(1gで400gの水を吸収)を使い3回分の尿を吸収。1984年の日本の普及率10%(米国80%超)、市場350億円程度、普及すれば2,000億円
  • 日経ビジネス 1982年3月8日号
    • [128]和歌山の研究所で高分子吸収体を開発し1980年5月に生理用品ロリエを全国発売、2年でシェア24〜25%・業界2位
    • [129]和歌山の研究所で高分子吸収体を開発し1980年5月に生理用品ロリエを全国発売、2年でシェア24〜25%・業界2位
  • 日経ビジネス 1984年10月15日号
    • [131]丸田芳郎社長が約4年前に紙おむつを3年後に製品化すると公言し、経理・資材・設備部門が協力

花王石鹸は1964年のタイ進出を皮切りに、台湾・シンガポール・マレーシアで石鹸・洗剤・シャンプーの合弁生産を広げた。スペインとメキシコでは中間原料の脂肪族アミンを生産し、1982年時点でいずれも黒字だった。1977年1月に米コルゲート・パルモリーブと歯磨きの合弁を設け、1980年から同社の販路で米国の一部にヘアケア製品を試験販売した。一方、1984年3月期の売上高3,300億円のうち石鹸は120億円程度で、構成比は3〜4%にとどまった。渡邊正太郎専務は1984年6月、社名が事業の実態を表さなくなったとして社名変更の検討を明らかにした。同じ講演で、各家庭とオンラインで結ぶ双方向の通信販売に備える考えも示した。石鹸の会社でなくなった自覚が、1985年の社名変更と情報事業への参入の前提になったとみられる。

  • 日経ビジネス 1982年3月8日号
    • [134]1964年のタイを皮切りに台湾・シンガポール・マレーシア等で合弁、スペイン・メキシコで脂肪族アミン生産しいずれも黒字。1977年1月コルゲートと合弁、1980年から米国でヘアケア試験販売
    • [135]1964年のタイを皮切りに台湾・シンガポール・マレーシア等で合弁、スペイン・メキシコで脂肪族アミン生産しいずれも黒字。1977年1月コルゲートと合弁、1980年から米国でヘアケア試験販売
    • [136]1964年のタイを皮切りに台湾・シンガポール・マレーシア等で合弁、スペイン・メキシコで脂肪族アミン生産しいずれも黒字。1977年1月コルゲートと合弁、1980年から米国でヘアケア試験販売
  • 証券アナリストジャーナル 22(9) 1984年 渡邊正太郎(花王石鹸専務取締役)
    • [137]1984年3月期売上高3,300億円超のうち石鹸は120億円程度で3〜4%、社名変更を検討中。家庭とオンライン直結の双方向通信販売に備える(1984年6月22日講演)
    • [138]1984年3月期売上高3,300億円超のうち石鹸は120億円程度で3〜4%、社名変更を検討中。家庭とオンライン直結の双方向通信販売に備える(1984年6月22日講演)
    • [139]1984年3月期売上高3,300億円超のうち石鹸は120億円程度で3〜4%、社名変更を検討中。家庭とオンライン直結の双方向通信販売に備える(1984年6月22日講演)
参考文献[120]-[139]
  • 日経ビジネス 1982年3月8日号
    • [120]高級化粧品(1本2,000〜3,000円)を1980年10月から静岡でテスト販売し1982年秋に全国発売、乳化技術から派生。多角化の理由は石鹸・洗剤需要の数量伸び悩み。既に合弁ニベア花王でスキンクリームに進出済みで高級化粧品は初
    • [121]高級化粧品(1本2,000〜3,000円)を1980年10月から静岡でテスト販売し1982年秋に全国発売、乳化技術から派生。多角化の理由は石鹸・洗剤需要の数量伸び悩み。既に合弁ニベア花王でスキンクリームに進出済みで高級化粧品は初
    • [122]高級化粧品(1本2,000〜3,000円)を1980年10月から静岡でテスト販売し1982年秋に全国発売、乳化技術から派生。多角化の理由は石鹸・洗剤需要の数量伸び悩み。既に合弁ニベア花王でスキンクリームに進出済みで高級化粧品は初
    • [123]高級化粧品(1本2,000〜3,000円)を1980年10月から静岡でテスト販売し1982年秋に全国発売、乳化技術から派生。多角化の理由は石鹸・洗剤需要の数量伸び悩み。既に合弁ニベア花王でスキンクリームに進出済みで高級化粧品は初
    • [128]和歌山の研究所で高分子吸収体を開発し1980年5月に生理用品ロリエを全国発売、2年でシェア24〜25%・業界2位
    • [129]和歌山の研究所で高分子吸収体を開発し1980年5月に生理用品ロリエを全国発売、2年でシェア24〜25%・業界2位
    • [134]1964年のタイを皮切りに台湾・シンガポール・マレーシア等で合弁、スペイン・メキシコで脂肪族アミン生産しいずれも黒字。1977年1月コルゲートと合弁、1980年から米国でヘアケア試験販売
    • [135]1964年のタイを皮切りに台湾・シンガポール・マレーシア等で合弁、スペイン・メキシコで脂肪族アミン生産しいずれも黒字。1977年1月コルゲートと合弁、1980年から米国でヘアケア試験販売
    • [136]1964年のタイを皮切りに台湾・シンガポール・マレーシア等で合弁、スペイン・メキシコで脂肪族アミン生産しいずれも黒字。1977年1月コルゲートと合弁、1980年から米国でヘアケア試験販売
  • 証券アナリストジャーナル 22(9) 1984年 渡邊正太郎(花王石鹸専務取締役)
    • [124]皮膚の天然保湿成分に近い成分の合成に成功し、化粧品ソフィーナの特長の一つとした
    • [127]新発売の紙おむつメリーズはロリエの高分子吸収体(1gで400gの水を吸収)を使い3回分の尿を吸収。1984年の日本の普及率10%(米国80%超)、市場350億円程度、普及すれば2,000億円
    • [130]新発売の紙おむつメリーズはロリエの高分子吸収体(1gで400gの水を吸収)を使い3回分の尿を吸収。1984年の日本の普及率10%(米国80%超)、市場350億円程度、普及すれば2,000億円
    • [132]新発売の紙おむつメリーズはロリエの高分子吸収体(1gで400gの水を吸収)を使い3回分の尿を吸収。1984年の日本の普及率10%(米国80%超)、市場350億円程度、普及すれば2,000億円
    • [133]新発売の紙おむつメリーズはロリエの高分子吸収体(1gで400gの水を吸収)を使い3回分の尿を吸収。1984年の日本の普及率10%(米国80%超)、市場350億円程度、普及すれば2,000億円
    • [137]1984年3月期売上高3,300億円超のうち石鹸は120億円程度で3〜4%、社名変更を検討中。家庭とオンライン直結の双方向通信販売に備える(1984年6月22日講演)
    • [138]1984年3月期売上高3,300億円超のうち石鹸は120億円程度で3〜4%、社名変更を検討中。家庭とオンライン直結の双方向通信販売に備える(1984年6月22日講演)
    • [139]1984年3月期売上高3,300億円超のうち石鹸は120億円程度で3〜4%、社名変更を検討中。家庭とオンライン直結の双方向通信販売に備える(1984年6月22日講演)
  • 日経ビジネス 1984年10月15日号
    • [125]丸田芳郎社長は化粧品を機能で売る方針で発売当初派手な宣伝をせず、1984年時点で化粧品部門は年20〜30億円の赤字、軌道まで5〜6年を覚悟
    • [126]丸田芳郎社長は化粧品を機能で売る方針で発売当初派手な宣伝をせず、1984年時点で化粧品部門は年20〜30億円の赤字、軌道まで5〜6年を覚悟
    • [131]丸田芳郎社長が約4年前に紙おむつを3年後に製品化すると公言し、経理・資材・設備部門が協力

第4章 1985年〜 花王への改称とフロッピーディスク事業の参入から撤退まで

1985年〜花王石鹸から外した「石鹸」の二字と、フロッピーディスクへの参入

1985年10月、花王石鹸は商号を「花王株式会社」に改めた。10年ほど前には石鹸と洗剤で売上高の5割を占めたが、1985年3月期には両者を合わせても3分の1にとどまった。1984年6月の講演で渡邊正太郎専務は、社名が事業の実態を表さなくなったとして変更の検討を明かした。売上を押し上げたのは入浴剤・紙おむつ・ボディシャンプーなどの新製品で、売上増加分の7割以上を占めた。その広告で、1984年度の広告宣伝費は前年首位のトヨタ自動車を2億円上回った。競合のライオンは、売上高の6割強を洗剤と歯磨きに依存したままだった。新日本証券は改称を、石鹸離れをさらに進める意欲の表れと評した。

  • 花王 有価証券報告書(2025年12月期)「沿革」
    • [140]1985年10月に「花王石鹸株式会社」から「花王株式会社」へ商号変更
  • 証券調査 178 1985年7月「花王石鹼(60年10月「花王」に社名変更)」 / 新日本証券
    • [141]10年ほど前は石鹸・洗剤が売上の5割、1985年3月期は洗剤に石鹸を加えても3分の1。ライオンは売上の6割強が洗剤と歯磨・歯刷子。社名変更は脱石鹸をさらに進める意欲の表れ(新日本証券の評)
    • [145]10年ほど前は石鹸・洗剤が売上の5割、1985年3月期は洗剤に石鹸を加えても3分の1。ライオンは売上の6割強が洗剤と歯磨・歯刷子。社名変更は脱石鹸をさらに進める意欲の表れ(新日本証券の評)
    • [146]10年ほど前は石鹸・洗剤が売上の5割、1985年3月期は洗剤に石鹸を加えても3分の1。ライオンは売上の6割強が洗剤と歯磨・歯刷子。社名変更は脱石鹸をさらに進める意欲の表れ(新日本証券の評)
  • 証券アナリストジャーナル 22(9) 1984年(渡邊正太郎専務 講演要旨)
    • [142]1984年3月期の売上高3,300億円超のうち石鹸は約120億円(構成比3〜4%)で、社名が体を表さなくなり社名変更を検討中(1984年6月22日講演)
  • 日経ビジネス 1985年11月18日号
    • [143]1984年度の広告宣伝費で花王が前年首位のトヨタ自動車を2億円上回り首位。入浴剤(1983年10月)・紙おむつ(同11月)・ボディシャンプー(1984年9月)を投入し、売上増加分の7割以上が新製品
    • [144]1984年度の広告宣伝費で花王が前年首位のトヨタ自動車を2億円上回り首位。入浴剤(1983年10月)・紙おむつ(同11月)・ボディシャンプー(1984年9月)を投入し、売上増加分の7割以上が新製品

1985年6月、花王はフロッピーディスク(FD)を発売し、日立マクセルや富士写真フイルムなど10数社が先行する市場へ最後発で参入した。起点は1980年に丸田芳郎社長が打ち出した基礎研究の拡大策で、新設の応用物理研究室が事業化のテーマにFDを選んだ。花王は界面活性技術で磁性粉の表面を処理し、製品劣化の原因だった分散剤を使わずに塗布する方法を考案した。原材料を内製できる化学メーカーであることも、後発でもコストで対抗できる根拠とされた。事業化を担った今村哲也氏は、自社技術の応用で先発に追随できると判断したと振り返った『この分野の技術ならば、後発でも他社に十分追随できると判断した』。1986年5月にはカナダのDidak Manufacturing Limitedを買収し、情報関連事業に本格参入した。

  • 日経ビジネス 1988年2月15日号
    • [147]1985年6月にFDを発売し、日立マクセル・富士写真フイルム・ソニーなど10数社の市場へ最後発で参入。原材料をすべて内製でき、コスト面で有利と判断
    • [150]1985年6月にFDを発売し、日立マクセル・富士写真フイルム・ソニーなど10数社の市場へ最後発で参入。原材料をすべて内製でき、コスト面で有利と判断
  • 日経ビジネス 1992年5月18日号
    • [148]1980年の丸田芳郎社長の基礎研究拡大策で応用物理研究室を開設しFDが生まれた。界面活性技術で磁性粉を処理し分散剤なしで塗布(今村哲也・研究開発部門統括の証言)
    • [149]1980年の丸田芳郎社長の基礎研究拡大策で応用物理研究室を開設しFDが生まれた。界面活性技術で磁性粉を処理し分散剤なしで塗布(今村哲也・研究開発部門統括の証言)
    • [151]1980年の丸田芳郎社長の基礎研究拡大策で応用物理研究室を開設しFDが生まれた。界面活性技術で磁性粉を処理し分散剤なしで塗布(今村哲也・研究開発部門統括の証言)
  • 花王 有価証券報告書(2025年12月期)「沿革」
    • [152]1986年5月にカナダのDidak Manufacturing Limitedを買収し、情報関連事業に本格的に進出

花王は1986年7月、工場のラインを合理化するTCR(トータル・コスト・リダクション)運動を始めた。1989年5月の時点で、4,500人いた工場の従業員のうち1,400人がこの運動で減っていた。同年9月までに、さらに1,000人を減らす計画だった。浮いた人員は、フロッピーディスクや化粧品などの新事業、システム開発、販社へ配置換えされた。同じ1989年の日経ビジネスは、TCRを「トータル・クリエイティブ・レボリューション」の名で事務改善運動として伝えた。そこでは部課長クラスが改善案を出し、すぐ実行に移していた。丸田芳郎社長は、売上高やシェアの目標は押し込み販売を招くとして、長期計画に数字を掲げなかった。原価の削減で浮かせた人員を新事業へ移す運営が、FDへ資源を割く余力を支えたと推察される。

  • RIRI流通産業 21(5) 1989年5月「製造から販売まで一貫して把握した統合へ――花王の流通政策強化の狙い」 / 野間潔
    • [153]TCR(トータル・コスト・リダクション)運動は1986年7月以降に始めた工場ライン等の合理化運動。工場従業員4,500人のうち1,400人を削減済み、1989年9月までにさらに1,000人削減の計画。生み出した人員はFD・化粧品など新事業、システム開発、販社・RJSへ異動
    • [154]TCR(トータル・コスト・リダクション)運動は1986年7月以降に始めた工場ライン等の合理化運動。工場従業員4,500人のうち1,400人を削減済み、1989年9月までにさらに1,000人削減の計画。生み出した人員はFD・化粧品など新事業、システム開発、販社・RJSへ異動
    • [155]TCR(トータル・コスト・リダクション)運動は1986年7月以降に始めた工場ライン等の合理化運動。工場従業員4,500人のうち1,400人を削減済み、1989年9月までにさらに1,000人削減の計画。生み出した人員はFD・化粧品など新事業、システム開発、販社・RJSへ異動
    • [156]TCR(トータル・コスト・リダクション)運動は1986年7月以降に始めた工場ライン等の合理化運動。工場従業員4,500人のうち1,400人を削減済み、1989年9月までにさらに1,000人削減の計画。生み出した人員はFD・化粧品など新事業、システム開発、販社・RJSへ異動
  • 日経ビジネス 1989年8月14日号
    • [157]事務改善運動TCR(トータル・クリエイティブ・レボリューション)をトップが年中推進し部課長にアイデアを出させ実行。陳列提案システム「スキマティック」はミドル以下の発案
    • [158]事務改善運動TCR(トータル・クリエイティブ・レボリューション)をトップが年中推進し部課長にアイデアを出させ実行。陳列提案システム「スキマティック」はミドル以下の発案
  • 日経ビジネス 1988年1月4日号
    • [159]丸田芳郎社長は売上・シェアの数値目標は押し込み販売を招くとして掲げず、交際費・研究費に予算枠を設けず研究員に装置購入の権限を与えた
参考文献[140]-[159]
  • 花王 有価証券報告書(2025年12月期)「沿革」
    • [140]1985年10月に「花王石鹸株式会社」から「花王株式会社」へ商号変更
    • [152]1986年5月にカナダのDidak Manufacturing Limitedを買収し、情報関連事業に本格的に進出
  • 証券調査 178 1985年7月「花王石鹼(60年10月「花王」に社名変更)」 / 新日本証券
    • [141]10年ほど前は石鹸・洗剤が売上の5割、1985年3月期は洗剤に石鹸を加えても3分の1。ライオンは売上の6割強が洗剤と歯磨・歯刷子。社名変更は脱石鹸をさらに進める意欲の表れ(新日本証券の評)
    • [145]10年ほど前は石鹸・洗剤が売上の5割、1985年3月期は洗剤に石鹸を加えても3分の1。ライオンは売上の6割強が洗剤と歯磨・歯刷子。社名変更は脱石鹸をさらに進める意欲の表れ(新日本証券の評)
    • [146]10年ほど前は石鹸・洗剤が売上の5割、1985年3月期は洗剤に石鹸を加えても3分の1。ライオンは売上の6割強が洗剤と歯磨・歯刷子。社名変更は脱石鹸をさらに進める意欲の表れ(新日本証券の評)
  • 証券アナリストジャーナル 22(9) 1984年(渡邊正太郎専務 講演要旨)
    • [142]1984年3月期の売上高3,300億円超のうち石鹸は約120億円(構成比3〜4%)で、社名が体を表さなくなり社名変更を検討中(1984年6月22日講演)
  • 日経ビジネス 1985年11月18日号
    • [143]1984年度の広告宣伝費で花王が前年首位のトヨタ自動車を2億円上回り首位。入浴剤(1983年10月)・紙おむつ(同11月)・ボディシャンプー(1984年9月)を投入し、売上増加分の7割以上が新製品
    • [144]1984年度の広告宣伝費で花王が前年首位のトヨタ自動車を2億円上回り首位。入浴剤(1983年10月)・紙おむつ(同11月)・ボディシャンプー(1984年9月)を投入し、売上増加分の7割以上が新製品
  • 日経ビジネス 1988年2月15日号
    • [147]1985年6月にFDを発売し、日立マクセル・富士写真フイルム・ソニーなど10数社の市場へ最後発で参入。原材料をすべて内製でき、コスト面で有利と判断
    • [150]1985年6月にFDを発売し、日立マクセル・富士写真フイルム・ソニーなど10数社の市場へ最後発で参入。原材料をすべて内製でき、コスト面で有利と判断
  • 日経ビジネス 1992年5月18日号
    • [148]1980年の丸田芳郎社長の基礎研究拡大策で応用物理研究室を開設しFDが生まれた。界面活性技術で磁性粉を処理し分散剤なしで塗布(今村哲也・研究開発部門統括の証言)
    • [149]1980年の丸田芳郎社長の基礎研究拡大策で応用物理研究室を開設しFDが生まれた。界面活性技術で磁性粉を処理し分散剤なしで塗布(今村哲也・研究開発部門統括の証言)
    • [151]1980年の丸田芳郎社長の基礎研究拡大策で応用物理研究室を開設しFDが生まれた。界面活性技術で磁性粉を処理し分散剤なしで塗布(今村哲也・研究開発部門統括の証言)
  • RIRI流通産業 21(5) 1989年5月「製造から販売まで一貫して把握した統合へ――花王の流通政策強化の狙い」 / 野間潔
    • [153]TCR(トータル・コスト・リダクション)運動は1986年7月以降に始めた工場ライン等の合理化運動。工場従業員4,500人のうち1,400人を削減済み、1989年9月までにさらに1,000人削減の計画。生み出した人員はFD・化粧品など新事業、システム開発、販社・RJSへ異動
    • [154]TCR(トータル・コスト・リダクション)運動は1986年7月以降に始めた工場ライン等の合理化運動。工場従業員4,500人のうち1,400人を削減済み、1989年9月までにさらに1,000人削減の計画。生み出した人員はFD・化粧品など新事業、システム開発、販社・RJSへ異動
    • [155]TCR(トータル・コスト・リダクション)運動は1986年7月以降に始めた工場ライン等の合理化運動。工場従業員4,500人のうち1,400人を削減済み、1989年9月までにさらに1,000人削減の計画。生み出した人員はFD・化粧品など新事業、システム開発、販社・RJSへ異動
    • [156]TCR(トータル・コスト・リダクション)運動は1986年7月以降に始めた工場ライン等の合理化運動。工場従業員4,500人のうち1,400人を削減済み、1989年9月までにさらに1,000人削減の計画。生み出した人員はFD・化粧品など新事業、システム開発、販社・RJSへ異動
  • 日経ビジネス 1989年8月14日号
    • [157]事務改善運動TCR(トータル・クリエイティブ・レボリューション)をトップが年中推進し部課長にアイデアを出させ実行。陳列提案システム「スキマティック」はミドル以下の発案
    • [158]事務改善運動TCR(トータル・クリエイティブ・レボリューション)をトップが年中推進し部課長にアイデアを出させ実行。陳列提案システム「スキマティック」はミドル以下の発案
  • 日経ビジネス 1988年1月4日号
    • [159]丸田芳郎社長は売上・シェアの数値目標は押し込み販売を招くとして掲げず、交際費・研究費に予算枠を設けず研究員に装置購入の権限を与えた

1990年〜常盤文克社長が転じた卸の育成と、海外OEMに頼ったフロッピーディスク

1990年6月、副社長の常盤文克氏が下馬評を覆して社長に就任し、丸田芳郎氏は会長となった。常盤文克氏は1957年に入社した研究畑の出身で、1971年に37歳で200人の家庭品研究所を任された。常盤文克社長は就任時、エクセレントではなくエキサイティングな会社を目指せと社員に求めた。売上高や利益は目的ではなく、よい製品を届けることが仕事だと説いた。1992年の不況は、伸びることだけを考えてきた経営を見直す機会と位置づけた。部門の壁を防ぐため、人事や経理から「部」の枠を外してグループと呼んだ。常盤文克社長は、環境に合わせて組織を変え続けることを経営の大原則に置いた『組織も企業も常に変わっていかねばならないというのが大原則だと思います。』。

  • 日経ビジネス 1990年8月27日号
    • [160]1990年6月に常盤文克氏が社長就任、丸田芳郎氏は会長。下馬評を覆す人事
  • 日化協月報 46(1) 1993年1月「クローズアップ 社長インタビュー 常盤文克(花王㈱社長)」 / 山内喜美子
    • [161]1957年入社、1971年に37歳で約200人の家庭品研究所長。就任時にエクセレントでなくエキサイティング・カンパニーになれと檄。売上・利益は目的でなく良い製品の提供が仕事。1992年のバブル崩壊を、伸びることだけ考えてきた原点を見直すきっかけと評価
    • [162]1957年入社、1971年に37歳で約200人の家庭品研究所長。就任時にエクセレントでなくエキサイティング・カンパニーになれと檄。売上・利益は目的でなく良い製品の提供が仕事。1992年のバブル崩壊を、伸びることだけ考えてきた原点を見直すきっかけと評価
    • [163]1957年入社、1971年に37歳で約200人の家庭品研究所長。就任時にエクセレントでなくエキサイティング・カンパニーになれと檄。売上・利益は目的でなく良い製品の提供が仕事。1992年のバブル崩壊を、伸びることだけ考えてきた原点を見直すきっかけと評価
    • [164]1957年入社、1971年に37歳で約200人の家庭品研究所長。就任時にエクセレントでなくエキサイティング・カンパニーになれと檄。売上・利益は目的でなく良い製品の提供が仕事。1992年のバブル崩壊を、伸びることだけ考えてきた原点を見直すきっかけと評価
  • 日経ビジネス 1992年12月7日号 編集長インタビュー 常盤文克
    • [165]人事・経理は「部」でなくグループと呼びセクショナリズムを避ける。組織は常に変えていくのが大原則
    • [166]人事・経理は「部」でなくグループと呼びセクショナリズムを避ける。組織は常に変えていくのが大原則

1993年、花王は販社網だけで小売へ届ける方針を改め、卸売業者の育成に転じた。1989年時点で、花王製品を扱う約28万店のうち販社が直接届けるのは11万店で、売上高の7割を占めた。残る17万店の中小小売店には、販社から2次問屋を経て製品が届いた。1993年も家庭用品の約25%は、「代行店」と呼ぶ卸が中小小売店へ配送していた。花王は2年前から代行店と商品の絞り込みや倉庫の配置を研究し、手引きにまとめて支援に使うとした。代行店が衰えれば花王が直送網を広げる必要があり、効率の面で難しかった。競合が共同配送で1日1回納品すれば、週2〜3回配送の自社網ではコストが合わなかった。販社自体は大手チェーンの出店域に合わせて合併を重ね、1997年には8エリアの広域販社となった。

  • 日経ビジネス 1993年6月7日号
    • [167]家庭用品の約75%を販社ルート、25%を代行店(卸)経由。2年前から代行店と商品絞り込み・倉庫レイアウトを研究しマニュアル化。小売の共同配送センター利用へ転じた。競合が1日1回配送なら週2〜3回の自社網は追随せざるを得ずコストが合わない。代行店が衰退すれば花王自ら直送網をかける必要があるが効率上難しい
    • [170]家庭用品の約75%を販社ルート、25%を代行店(卸)経由。2年前から代行店と商品絞り込み・倉庫レイアウトを研究しマニュアル化。小売の共同配送センター利用へ転じた。競合が1日1回配送なら週2〜3回の自社網は追随せざるを得ずコストが合わない。代行店が衰退すれば花王自ら直送網をかける必要があるが効率上難しい
    • [171]家庭用品の約75%を販社ルート、25%を代行店(卸)経由。2年前から代行店と商品絞り込み・倉庫レイアウトを研究しマニュアル化。小売の共同配送センター利用へ転じた。競合が1日1回配送なら週2〜3回の自社網は追随せざるを得ずコストが合わない。代行店が衰退すれば花王自ら直送網をかける必要があるが効率上難しい
    • [172]家庭用品の約75%を販社ルート、25%を代行店(卸)経由。2年前から代行店と商品絞り込み・倉庫レイアウトを研究しマニュアル化。小売の共同配送センター利用へ転じた。競合が1日1回配送なら週2〜3回の自社網は追随せざるを得ずコストが合わない。代行店が衰退すれば花王自ら直送網をかける必要があるが効率上難しい
    • [173]家庭用品の約75%を販社ルート、25%を代行店(卸)経由。2年前から代行店と商品絞り込み・倉庫レイアウトを研究しマニュアル化。小売の共同配送センター利用へ転じた。競合が1日1回配送なら週2〜3回の自社網は追随せざるを得ずコストが合わない。代行店が衰退すれば花王自ら直送網をかける必要があるが効率上難しい
  • RIRI流通産業 21(5) 1989年5月「製造から販売まで一貫して把握した統合へ――花王の流通政策強化の狙い」 / 野間潔
    • [168]1989年時点で花王は約28万店に供給し、11万店を販社経由(売上の7割)、残り17万店は販社から2次問屋経由
    • [169]1989年時点で花王は約28万店に供給し、11万店を販社経由(売上の7割)、残り17万店は販社から2次問屋経由
  • Best partner 9(8) 1997年8月「【戦略の研究】決断(5)花王 17期連続増収増益を支えた「販社制度」」 / 山田泰造
    • [174]販社は大手スーパーの出店エリア広域化などを背景に合併・統合を重ね、1997年時点で北海道〜九州の8エリアの広域販社体制

1991年、花王のFD売上高は全世界で約250億円に達し、国内最大手の日立マクセルの約350億円に迫った。伸ばしたのは海外へのOEM供給で、1988年7月に米国の中堅メーカーを買収し、1990年3月にはスペイン工場を稼働させた。ところが米国市場は1991年の約12億枚から1桁成長へ鈍り、日本では2DDの価格が5年で1枚300円から130円台へ下がった。佐々木住明副社長は第1段階が終わったとして、KAOブランドをスーパーやコンビニへ広げる方針を示した。渡邉正太郎副社長は1994年、FDはエレクトロニクスの分野に足場を得るための事業で、収益を得るのはマルチメディアが普及した後と説明した。媒体だけを手がける事業は、この時点で価格の競争に劣位に置かれ始めていたと思われる。

  • 日経ビジネス 1992年5月18日号
    • [175]1991年のFD全世界売上約250億円(日立マクセル約350億円)。海外OEM中心で1988年7月米国メーカー買収・1990年3月スペイン工場稼働。シェアはカナダ約30%・米国約20%・日本8%。米国市場約12億枚(1991年)は1桁成長へ、国内2DDは1枚300円から130円台へ。佐々木住明副社長が第1フェーズ終了としKAOブランドの国内浸透へ
    • [176]1991年のFD全世界売上約250億円(日立マクセル約350億円)。海外OEM中心で1988年7月米国メーカー買収・1990年3月スペイン工場稼働。シェアはカナダ約30%・米国約20%・日本8%。米国市場約12億枚(1991年)は1桁成長へ、国内2DDは1枚300円から130円台へ。佐々木住明副社長が第1フェーズ終了としKAOブランドの国内浸透へ
    • [177]1991年のFD全世界売上約250億円(日立マクセル約350億円)。海外OEM中心で1988年7月米国メーカー買収・1990年3月スペイン工場稼働。シェアはカナダ約30%・米国約20%・日本8%。米国市場約12億枚(1991年)は1桁成長へ、国内2DDは1枚300円から130円台へ。佐々木住明副社長が第1フェーズ終了としKAOブランドの国内浸透へ
    • [178]1991年のFD全世界売上約250億円(日立マクセル約350億円)。海外OEM中心で1988年7月米国メーカー買収・1990年3月スペイン工場稼働。シェアはカナダ約30%・米国約20%・日本8%。米国市場約12億枚(1991年)は1桁成長へ、国内2DDは1枚300円から130円台へ。佐々木住明副社長が第1フェーズ終了としKAOブランドの国内浸透へ
  • 証券アナリストジャーナル 別冊32(11) 1994年11月 / 渡邉正太郎
    • [179]FD参入はエレクトロニクスの世界を手がけるためで、粉体処理・界面化学の技術が生きる。FDで食べられるのはマルチメディアの花が咲くもっと先(渡邉正太郎副社長)
参考文献[160]-[179]
  • 日経ビジネス 1990年8月27日号
    • [160]1990年6月に常盤文克氏が社長就任、丸田芳郎氏は会長。下馬評を覆す人事
  • 日化協月報 46(1) 1993年1月「クローズアップ 社長インタビュー 常盤文克(花王㈱社長)」 / 山内喜美子
    • [161]1957年入社、1971年に37歳で約200人の家庭品研究所長。就任時にエクセレントでなくエキサイティング・カンパニーになれと檄。売上・利益は目的でなく良い製品の提供が仕事。1992年のバブル崩壊を、伸びることだけ考えてきた原点を見直すきっかけと評価
    • [162]1957年入社、1971年に37歳で約200人の家庭品研究所長。就任時にエクセレントでなくエキサイティング・カンパニーになれと檄。売上・利益は目的でなく良い製品の提供が仕事。1992年のバブル崩壊を、伸びることだけ考えてきた原点を見直すきっかけと評価
    • [163]1957年入社、1971年に37歳で約200人の家庭品研究所長。就任時にエクセレントでなくエキサイティング・カンパニーになれと檄。売上・利益は目的でなく良い製品の提供が仕事。1992年のバブル崩壊を、伸びることだけ考えてきた原点を見直すきっかけと評価
    • [164]1957年入社、1971年に37歳で約200人の家庭品研究所長。就任時にエクセレントでなくエキサイティング・カンパニーになれと檄。売上・利益は目的でなく良い製品の提供が仕事。1992年のバブル崩壊を、伸びることだけ考えてきた原点を見直すきっかけと評価
  • 日経ビジネス 1992年12月7日号 編集長インタビュー 常盤文克
    • [165]人事・経理は「部」でなくグループと呼びセクショナリズムを避ける。組織は常に変えていくのが大原則
    • [166]人事・経理は「部」でなくグループと呼びセクショナリズムを避ける。組織は常に変えていくのが大原則
  • 日経ビジネス 1993年6月7日号
    • [167]家庭用品の約75%を販社ルート、25%を代行店(卸)経由。2年前から代行店と商品絞り込み・倉庫レイアウトを研究しマニュアル化。小売の共同配送センター利用へ転じた。競合が1日1回配送なら週2〜3回の自社網は追随せざるを得ずコストが合わない。代行店が衰退すれば花王自ら直送網をかける必要があるが効率上難しい
    • [170]家庭用品の約75%を販社ルート、25%を代行店(卸)経由。2年前から代行店と商品絞り込み・倉庫レイアウトを研究しマニュアル化。小売の共同配送センター利用へ転じた。競合が1日1回配送なら週2〜3回の自社網は追随せざるを得ずコストが合わない。代行店が衰退すれば花王自ら直送網をかける必要があるが効率上難しい
    • [171]家庭用品の約75%を販社ルート、25%を代行店(卸)経由。2年前から代行店と商品絞り込み・倉庫レイアウトを研究しマニュアル化。小売の共同配送センター利用へ転じた。競合が1日1回配送なら週2〜3回の自社網は追随せざるを得ずコストが合わない。代行店が衰退すれば花王自ら直送網をかける必要があるが効率上難しい
    • [172]家庭用品の約75%を販社ルート、25%を代行店(卸)経由。2年前から代行店と商品絞り込み・倉庫レイアウトを研究しマニュアル化。小売の共同配送センター利用へ転じた。競合が1日1回配送なら週2〜3回の自社網は追随せざるを得ずコストが合わない。代行店が衰退すれば花王自ら直送網をかける必要があるが効率上難しい
    • [173]家庭用品の約75%を販社ルート、25%を代行店(卸)経由。2年前から代行店と商品絞り込み・倉庫レイアウトを研究しマニュアル化。小売の共同配送センター利用へ転じた。競合が1日1回配送なら週2〜3回の自社網は追随せざるを得ずコストが合わない。代行店が衰退すれば花王自ら直送網をかける必要があるが効率上難しい
  • RIRI流通産業 21(5) 1989年5月「製造から販売まで一貫して把握した統合へ――花王の流通政策強化の狙い」 / 野間潔
    • [168]1989年時点で花王は約28万店に供給し、11万店を販社経由(売上の7割)、残り17万店は販社から2次問屋経由
    • [169]1989年時点で花王は約28万店に供給し、11万店を販社経由(売上の7割)、残り17万店は販社から2次問屋経由
  • Best partner 9(8) 1997年8月「【戦略の研究】決断(5)花王 17期連続増収増益を支えた「販社制度」」 / 山田泰造
    • [174]販社は大手スーパーの出店エリア広域化などを背景に合併・統合を重ね、1997年時点で北海道〜九州の8エリアの広域販社体制
  • 日経ビジネス 1992年5月18日号
    • [175]1991年のFD全世界売上約250億円(日立マクセル約350億円)。海外OEM中心で1988年7月米国メーカー買収・1990年3月スペイン工場稼働。シェアはカナダ約30%・米国約20%・日本8%。米国市場約12億枚(1991年)は1桁成長へ、国内2DDは1枚300円から130円台へ。佐々木住明副社長が第1フェーズ終了としKAOブランドの国内浸透へ
    • [176]1991年のFD全世界売上約250億円(日立マクセル約350億円)。海外OEM中心で1988年7月米国メーカー買収・1990年3月スペイン工場稼働。シェアはカナダ約30%・米国約20%・日本8%。米国市場約12億枚(1991年)は1桁成長へ、国内2DDは1枚300円から130円台へ。佐々木住明副社長が第1フェーズ終了としKAOブランドの国内浸透へ
    • [177]1991年のFD全世界売上約250億円(日立マクセル約350億円)。海外OEM中心で1988年7月米国メーカー買収・1990年3月スペイン工場稼働。シェアはカナダ約30%・米国約20%・日本8%。米国市場約12億枚(1991年)は1桁成長へ、国内2DDは1枚300円から130円台へ。佐々木住明副社長が第1フェーズ終了としKAOブランドの国内浸透へ
    • [178]1991年のFD全世界売上約250億円(日立マクセル約350億円)。海外OEM中心で1988年7月米国メーカー買収・1990年3月スペイン工場稼働。シェアはカナダ約30%・米国約20%・日本8%。米国市場約12億枚(1991年)は1桁成長へ、国内2DDは1枚300円から130円台へ。佐々木住明副社長が第1フェーズ終了としKAOブランドの国内浸透へ
  • 証券アナリストジャーナル 別冊32(11) 1994年11月 / 渡邉正太郎
    • [179]FD参入はエレクトロニクスの世界を手がけるためで、粉体処理・界面化学の技術が生きる。FDで食べられるのはマルチメディアの花が咲くもっと先(渡邉正太郎副社長)

1994年〜PB洗剤とP&Gに挟まれた国内と、800億円の情報事業からの撤退

1993年9月にダイエーがPB洗剤「ホワイト」を発売し、1994年4月にはイトーヨーカ堂も続いた。1.5kg入りで348円と、希望小売価格870円の「アタック」の半値以下だった。花王は1994年、アタックを1.6kgへ増量し、価格を据え置いて東北で試験販売した。渡邉正太郎副社長は1994年、PBが有利になるのは原材料が値下がりする局面だと分析した。研究開発と大型設備を持たないPBは紙おむつのような製品に追随できないとして、技術開発と合理化で応じるとした。アタックの店頭の平均売価は、1995年2月に437円と1年で66円下がった。花王は1995年1月、洗剤製法の特許を根拠に、小売業や製造業者20社弱へ侵害の恐れを問う質問状を送った。

  • 日経ビジネス 1994年6月20日号
    • [180]1993年9月ダイエー、1994年4月イトーヨーカ堂がPB洗剤(1.5kg 348円、アタック870円の半値以下)を発売。花王はアタックを1.6kgに増量し価格据え置きで東北で試験販売
    • [181]1993年9月ダイエー、1994年4月イトーヨーカ堂がPB洗剤(1.5kg 348円、アタック870円の半値以下)を発売。花王はアタックを1.6kgに増量し価格据え置きで東北で試験販売
    • [182]1993年9月ダイエー、1994年4月イトーヨーカ堂がPB洗剤(1.5kg 348円、アタック870円の半値以下)を発売。花王はアタックを1.6kgに増量し価格据え置きで東北で試験販売
  • 証券アナリストジャーナル 別冊32(11) 1994年11月 / 渡邉正太郎
    • [183]PBが有利なのは原材料が下がるとき。研究開発を持たず大型設備投資もできないPBは紙おむつのような技術革新の多い分野に追随できない。技術開発と合理化努力で対応するのが基本姿勢(渡邉正太郎副社長、1994年)
    • [184]PBが有利なのは原材料が下がるとき。研究開発を持たず大型設備投資もできないPBは紙おむつのような技術革新の多い分野に追随できない。技術開発と合理化努力で対応するのが基本姿勢(渡邉正太郎副社長、1994年)
  • 日経ビジネス 1995年3月27日号
    • [185]1995年1月、洗剤の製法特許を侵害する可能性があるとして小売業・製造業者20社弱に質問状。アタックの1995年2月の平均売価437円(前年比66円低下)
    • [186]1995年1月、洗剤の製法特許を侵害する可能性があるとして小売業・製造業者20社弱に質問状。アタックの1995年2月の平均売価437円(前年比66円低下)

1964年に初の海外現地法人を置いたタイで、花王のシャンプーのシェアは1990年代に3%台まで下がっていた。花王は1990年暮れに研究所長を送り込み、冷水で洗うタイの生活に合わせた新「フェザー」を1993年秋に発売した。価格は10バーツに据え置いたまま、容量を50ccから100ccへ倍にした。月販は100万本から300万本へ増え、自社物流と18の営業所も整えて、トイレタリーのシェアは15%に上がった。それでも首位のユニリーバは30%のシェアを占めていた。1993年8月には上海花王を設立し、中国へ進出した。中国ではP&Gが1994年10月時点で約2億ドルの事業を持ち、忌部和也副社長はアジアへの資源投入を急ぐとした。

  • 日経ビジネス 1995年1月2日号
    • [187]1964年タイ営業子会社が初の海外現地法人。シャンプーシェアは90年代に3%台、1993年秋の新フェザーは10バーツ据え置きで50ccから100ccへ倍増し、月100万本から300万本。1991年末から自社物流・営業所18か所、トイレタリーシェア10%未満から15%(ユニリーバ30%)
    • [188]1964年タイ営業子会社が初の海外現地法人。シャンプーシェアは90年代に3%台、1993年秋の新フェザーは10バーツ据え置きで50ccから100ccへ倍増し、月100万本から300万本。1991年末から自社物流・営業所18か所、トイレタリーシェア10%未満から15%(ユニリーバ30%)
    • [189]1964年タイ営業子会社が初の海外現地法人。シャンプーシェアは90年代に3%台、1993年秋の新フェザーは10バーツ据え置きで50ccから100ccへ倍増し、月100万本から300万本。1991年末から自社物流・営業所18か所、トイレタリーシェア10%未満から15%(ユニリーバ30%)
    • [190]1964年タイ営業子会社が初の海外現地法人。シャンプーシェアは90年代に3%台、1993年秋の新フェザーは10バーツ据え置きで50ccから100ccへ倍増し、月100万本から300万本。1991年末から自社物流・営業所18か所、トイレタリーシェア10%未満から15%(ユニリーバ30%)
    • [191]1964年タイ営業子会社が初の海外現地法人。シャンプーシェアは90年代に3%台、1993年秋の新フェザーは10バーツ据え置きで50ccから100ccへ倍増し、月100万本から300万本。1991年末から自社物流・営業所18か所、トイレタリーシェア10%未満から15%(ユニリーバ30%)
  • 花王 有価証券報告書(2025年12月期)「沿革」
    • [192]1993年8月に上海花王有限公司を設立
  • 日経ビジネス 1995年7月31日号
    • [193]P&Gの中国事業は1994年10月時点で約2億ドル。忌部和也副社長はアジアにヒト・モノ・カネを急いで投入し、海外売上比率を4分の1弱から2分の1へ高めたい考え

1997年6月、化学品事業本部長を務めた専務の後藤卓也氏が、副社長3人と筆頭専務を飛び越して社長に就任した。1998年3月期に17期続いた増収増益が途切れ、後藤卓也社長は流通の競争による値下がりと情報事業の整理を理由に挙げた。後藤卓也社長は、4本目の収益源と位置づけた情報事業を外し、トイレタリー・化粧品・化学品に力を入れるとした。情報関連事業は1998年度に売上高が277億円減って484億円となり、期末までに全事業を終えた。撤退の特別損失238億円を家庭用製品の増益で吸収し、1999年3月期の当期純利益は347億円と41.7%増えた。後藤卓也社長は後に、メディアしか持たない事業は市場の変化に振り回されたと振り返った『花王の情報事業はフロッピーディスクなどのメディアだけで、ハードもソフトも持っていないわけです。』。本業に資源を集めてP&Gとユニリーバの欧米2強に対抗する前提が、ここで整ったのだろう。

  • 日経ビジネス 1997年9月8日号
    • [194]1997年6月、化学品事業本部長を経た専務の後藤卓也氏が副社長3人と筆頭専務を飛び越して社長就任。主力の家庭用品の経験はない
  • 日化協月報 51(8) 1998年8月「クローズアップ 社長インタビュー 後藤卓也(花王(株)社長)」 / 粂美奈子
    • [195]17期連続増収増益が1998年3月期で途切れた。理由は消費需要の不振、流通競争激化による価格下落、情報事業の整理。4本目の柱と考えた情報事業を再編成し、トイレタリー・化粧品・化学品に注力(後藤卓也社長)
    • [196]17期連続増収増益が1998年3月期で途切れた。理由は消費需要の不振、流通競争激化による価格下落、情報事業の整理。4本目の柱と考えた情報事業を再編成し、トイレタリー・化粧品・化学品に注力(後藤卓也社長)
  • 花王 平成11年3月期 連結決算短信(1999年4月22日)
    • [197]情報関連事業の全事業を終結、売上高は277億円減の484億円。特別損失238億円を計上し、当期純利益は41.7%増の347億円
    • [198]情報関連事業の全事業を終結、売上高は277億円減の484億円。特別損失238億円を計上し、当期純利益は41.7%増の347億円
  • 日経ビジネス 1999年6月14日号 編集長インタビュー 後藤卓也
    • [199]売上高800億円の情報事業から撤退。メディアだけでハードもソフトも持たず変化に振り回された
参考文献[180]-[199]
  • 日経ビジネス 1994年6月20日号
    • [180]1993年9月ダイエー、1994年4月イトーヨーカ堂がPB洗剤(1.5kg 348円、アタック870円の半値以下)を発売。花王はアタックを1.6kgに増量し価格据え置きで東北で試験販売
    • [181]1993年9月ダイエー、1994年4月イトーヨーカ堂がPB洗剤(1.5kg 348円、アタック870円の半値以下)を発売。花王はアタックを1.6kgに増量し価格据え置きで東北で試験販売
    • [182]1993年9月ダイエー、1994年4月イトーヨーカ堂がPB洗剤(1.5kg 348円、アタック870円の半値以下)を発売。花王はアタックを1.6kgに増量し価格据え置きで東北で試験販売
  • 証券アナリストジャーナル 別冊32(11) 1994年11月 / 渡邉正太郎
    • [183]PBが有利なのは原材料が下がるとき。研究開発を持たず大型設備投資もできないPBは紙おむつのような技術革新の多い分野に追随できない。技術開発と合理化努力で対応するのが基本姿勢(渡邉正太郎副社長、1994年)
    • [184]PBが有利なのは原材料が下がるとき。研究開発を持たず大型設備投資もできないPBは紙おむつのような技術革新の多い分野に追随できない。技術開発と合理化努力で対応するのが基本姿勢(渡邉正太郎副社長、1994年)
  • 日経ビジネス 1995年3月27日号
    • [185]1995年1月、洗剤の製法特許を侵害する可能性があるとして小売業・製造業者20社弱に質問状。アタックの1995年2月の平均売価437円(前年比66円低下)
    • [186]1995年1月、洗剤の製法特許を侵害する可能性があるとして小売業・製造業者20社弱に質問状。アタックの1995年2月の平均売価437円(前年比66円低下)
  • 日経ビジネス 1995年1月2日号
    • [187]1964年タイ営業子会社が初の海外現地法人。シャンプーシェアは90年代に3%台、1993年秋の新フェザーは10バーツ据え置きで50ccから100ccへ倍増し、月100万本から300万本。1991年末から自社物流・営業所18か所、トイレタリーシェア10%未満から15%(ユニリーバ30%)
    • [188]1964年タイ営業子会社が初の海外現地法人。シャンプーシェアは90年代に3%台、1993年秋の新フェザーは10バーツ据え置きで50ccから100ccへ倍増し、月100万本から300万本。1991年末から自社物流・営業所18か所、トイレタリーシェア10%未満から15%(ユニリーバ30%)
    • [189]1964年タイ営業子会社が初の海外現地法人。シャンプーシェアは90年代に3%台、1993年秋の新フェザーは10バーツ据え置きで50ccから100ccへ倍増し、月100万本から300万本。1991年末から自社物流・営業所18か所、トイレタリーシェア10%未満から15%(ユニリーバ30%)
    • [190]1964年タイ営業子会社が初の海外現地法人。シャンプーシェアは90年代に3%台、1993年秋の新フェザーは10バーツ据え置きで50ccから100ccへ倍増し、月100万本から300万本。1991年末から自社物流・営業所18か所、トイレタリーシェア10%未満から15%(ユニリーバ30%)
    • [191]1964年タイ営業子会社が初の海外現地法人。シャンプーシェアは90年代に3%台、1993年秋の新フェザーは10バーツ据え置きで50ccから100ccへ倍増し、月100万本から300万本。1991年末から自社物流・営業所18か所、トイレタリーシェア10%未満から15%(ユニリーバ30%)
  • 花王 有価証券報告書(2025年12月期)「沿革」
    • [192]1993年8月に上海花王有限公司を設立
  • 日経ビジネス 1995年7月31日号
    • [193]P&Gの中国事業は1994年10月時点で約2億ドル。忌部和也副社長はアジアにヒト・モノ・カネを急いで投入し、海外売上比率を4分の1弱から2分の1へ高めたい考え
  • 日経ビジネス 1997年9月8日号
    • [194]1997年6月、化学品事業本部長を経た専務の後藤卓也氏が副社長3人と筆頭専務を飛び越して社長就任。主力の家庭用品の経験はない
  • 日化協月報 51(8) 1998年8月「クローズアップ 社長インタビュー 後藤卓也(花王(株)社長)」 / 粂美奈子
    • [195]17期連続増収増益が1998年3月期で途切れた。理由は消費需要の不振、流通競争激化による価格下落、情報事業の整理。4本目の柱と考えた情報事業を再編成し、トイレタリー・化粧品・化学品に注力(後藤卓也社長)
    • [196]17期連続増収増益が1998年3月期で途切れた。理由は消費需要の不振、流通競争激化による価格下落、情報事業の整理。4本目の柱と考えた情報事業を再編成し、トイレタリー・化粧品・化学品に注力(後藤卓也社長)
  • 花王 平成11年3月期 連結決算短信(1999年4月22日)
    • [197]情報関連事業の全事業を終結、売上高は277億円減の484億円。特別損失238億円を計上し、当期純利益は41.7%増の347億円
    • [198]情報関連事業の全事業を終結、売上高は277億円減の484億円。特別損失238億円を計上し、当期純利益は41.7%増の347億円
  • 日経ビジネス 1999年6月14日号 編集長インタビュー 後藤卓也
    • [199]売上高800億円の情報事業から撤退。メディアだけでハードもソフトも持たず変化に振り回された

第5章 1999年〜 EVA経営の導入とカネボウ化粧品の買収

1999年〜地域販社を一本にした花王販売と、資本コストで事業を測るEVA

情報関連事業を終えた花王は、全国8社に分かれていた販売会社を1999年4月に合併し、1社にする方針を定めた。大手小売は全国チェーン化で情報収集力を強め、花王の企画・提案力は相対的に低下していた。セブン-イレブン・ジャパンなどには、販社の物流センターを通さず先方の拠点へ納める例も増えていた。統合で管理部門を集約し、生じた余剰人員は小売への提案を担う営業の前線に再配置する狙いだった。後藤卓也社長は、イトーヨーカ堂との共同配送など、物流の形を取引先ごとに使い分けるとした。統合後の花王販売は花王製品だけを小売に卸す会社となり、2000年度に花王の連結子会社に加わった。

  • 日経ビジネス 1999年1月11日号
    • [200]1999年4月に全国8社の販売会社を合併で1社にし、管理部門を集約。大手小売の全国チェーン化で花王の企画・提案力が相対的に低下、セブン-イレブン等は先方物流センターへ納入。余剰人員は営業前線へ
    • [201]1999年4月に全国8社の販売会社を合併で1社にし、管理部門を集約。大手小売の全国チェーン化で花王の企画・提案力が相対的に低下、セブン-イレブン等は先方物流センターへ納入。余剰人員は営業前線へ
    • [202]1999年4月に全国8社の販売会社を合併で1社にし、管理部門を集約。大手小売の全国チェーン化で花王の企画・提案力が相対的に低下、セブン-イレブン等は先方物流センターへ納入。余剰人員は営業前線へ
    • [203]1999年4月に全国8社の販売会社を合併で1社にし、管理部門を集約。大手小売の全国チェーン化で花王の企画・提案力が相対的に低下、セブン-イレブン等は先方物流センターへ納入。余剰人員は営業前線へ
    • [204]1999年4月に全国8社の販売会社を合併で1社にし、管理部門を集約。大手小売の全国チェーン化で花王の企画・提案力が相対的に低下、セブン-イレブン等は先方物流センターへ納入。余剰人員は営業前線へ
  • 花王 決算説明資料「販売会社連結による連結売上高への影響について」(2000年11月8日)
    • [205]花王販売は全国のスーパー・ドラッグストアに花王製品のみを卸す会社。株式の引き取りで花王の持分が40%を超え、2000年度中間期からフル連結

1999年4月、花王は税引後営業利益から資本コストを差し引くEVAを、日本企業で初めて経営指標に採った。導入の前年に撤退を決めた情報関連事業は、売上高約800億円ながら累積の損失が500億円弱に達していた。決算上は黒字でも、EVAが負の状態が続く事業は撤退の対象になるという考え方だった。2002年時点でEVAは事業評価、設備投資やM&Aの審査、年度の業績管理に使われた。役員と社員の賞与の一部も、EVAの前年比改善目標の達成度に連動させた。後藤卓也社長は取締役にストックオプションを導入し、2001年6月で役員退職慰労金の積み立ても止めた。

  • 日経ビジネス 1999年1月11日号
    • [206]1999年4月からEVAを導入。EVAは税引後営業利益から投資家の期待収益と支払金利を差し引いた額。情報関連事業(売上約800億円)の撤退損と累積赤字は500億円弱
    • [208]1999年4月からEVAを導入。EVAは税引後営業利益から投資家の期待収益と支払金利を差し引いた額。情報関連事業(売上約800億円)の撤退損と累積赤字は500億円弱
    • [209]1999年4月からEVAを導入。EVAは税引後営業利益から投資家の期待収益と支払金利を差し引いた額。情報関連事業(売上約800億円)の撤退損と累積赤字は500億円弱
  • 日経ビジネス 2003年7月21日号
    • [207]1999年に日本で初めてEVAを導入、2番手はソニー。1981年度以来22期連続の連結経常増益
  • 花王 決算短信 経営方針「主な経営指標として「EVA」を活用しています」(2002年)
    • [210]EVAを事業評価・設備投資やM&Aの評価・年度業績管理に使い、役員・社員の賞与の一部をEVA対前年改善目標の達成度に連動。前年度に取締役へストックオプションを導入
    • [211]EVAを事業評価・設備投資やM&Aの評価・年度業績管理に使い、役員・社員の賞与の一部をEVA対前年改善目標の達成度に連動。前年度に取締役へストックオプションを導入
    • [212]EVAを事業評価・設備投資やM&Aの評価・年度業績管理に使い、役員・社員の賞与の一部をEVA対前年改善目標の達成度に連動。前年度に取締役へストックオプションを導入
  • 日経ビジネス 2001年5月28日号 編集長インタビュー 後藤卓也
    • [213]EVA導入時に賞与の一部をEVAに連動。役員退職慰労金は2001年6月を最後に引当を停止し、任期中の業績連動へ

2001年、後藤卓也社長は国内で大型投資に値する商品開発はほぼ出尽くしたとし、海外ではM&Aに軸足を置くとした。当時の花王は売上高の78%を日本に依存し、海外は売上高の22%に対し利益の12%にとどまった。2000年に売上高約80億円の制汗剤banを米チャッテムから取得し、北米での足場とした。後藤卓也社長は、花王の技術や商品開発を加えられる見通しのない買収はしないとした。2002年には北米のサロン向けヘアケアのKMSリサーチと、ヘアケアブランドのジョン・フリーダを買収した。2004年、欧米のプレミアムビューティケアは花王の成長ドライバーの一つに位置づけられた。

  • 日経ビジネス 2001年5月28日号 編集長インタビュー 後藤卓也
    • [214]国内で大型投資に値する商品開発は出尽くした。海外はM&Aに軸足、機会がなければ自社株償却。売上の78%が日本、海外は売上22%・利益12%。2000年に米チャッテムからban(売上約80億円)を取得し北米の足場に
    • [215]国内で大型投資に値する商品開発は出尽くした。海外はM&Aに軸足、機会がなければ自社株償却。売上の78%が日本、海外は売上22%・利益12%。2000年に米チャッテムからban(売上約80億円)を取得し北米の足場に
    • [216]国内で大型投資に値する商品開発は出尽くした。海外はM&Aに軸足、機会がなければ自社株償却。売上の78%が日本、海外は売上22%・利益12%。2000年に米チャッテムからban(売上約80億円)を取得し北米の足場に
    • [217]国内で大型投資に値する商品開発は出尽くした。海外はM&Aに軸足、機会がなければ自社株償却。売上の78%が日本、海外は売上22%・利益12%。2000年に米チャッテムからban(売上約80億円)を取得し北米の足場に
  • 花王 2002年度のハイライト 説明会資料 社長 後藤卓也(2003年4月22日)
    • [218]M&A・提携の年表で2002年にKMSリサーチとジョン・フリーダを取得。欧米のヘアケアにJohn Friedaを配置
  • 花王 2004年度上半期のハイライト 社長執行役員 尾﨑元規(2004年10月21日)
    • [219]成長ドライバーにヘルスケア・欧米プレミアムビューティケア・アジア家庭用製品。ジョン・フリーダを欧米で強化
参考文献[200]-[219]
  • 日経ビジネス 1999年1月11日号
    • [200]1999年4月に全国8社の販売会社を合併で1社にし、管理部門を集約。大手小売の全国チェーン化で花王の企画・提案力が相対的に低下、セブン-イレブン等は先方物流センターへ納入。余剰人員は営業前線へ
    • [201]1999年4月に全国8社の販売会社を合併で1社にし、管理部門を集約。大手小売の全国チェーン化で花王の企画・提案力が相対的に低下、セブン-イレブン等は先方物流センターへ納入。余剰人員は営業前線へ
    • [202]1999年4月に全国8社の販売会社を合併で1社にし、管理部門を集約。大手小売の全国チェーン化で花王の企画・提案力が相対的に低下、セブン-イレブン等は先方物流センターへ納入。余剰人員は営業前線へ
    • [203]1999年4月に全国8社の販売会社を合併で1社にし、管理部門を集約。大手小売の全国チェーン化で花王の企画・提案力が相対的に低下、セブン-イレブン等は先方物流センターへ納入。余剰人員は営業前線へ
    • [204]1999年4月に全国8社の販売会社を合併で1社にし、管理部門を集約。大手小売の全国チェーン化で花王の企画・提案力が相対的に低下、セブン-イレブン等は先方物流センターへ納入。余剰人員は営業前線へ
    • [206]1999年4月からEVAを導入。EVAは税引後営業利益から投資家の期待収益と支払金利を差し引いた額。情報関連事業(売上約800億円)の撤退損と累積赤字は500億円弱
    • [208]1999年4月からEVAを導入。EVAは税引後営業利益から投資家の期待収益と支払金利を差し引いた額。情報関連事業(売上約800億円)の撤退損と累積赤字は500億円弱
    • [209]1999年4月からEVAを導入。EVAは税引後営業利益から投資家の期待収益と支払金利を差し引いた額。情報関連事業(売上約800億円)の撤退損と累積赤字は500億円弱
  • 花王 決算説明資料「販売会社連結による連結売上高への影響について」(2000年11月8日)
    • [205]花王販売は全国のスーパー・ドラッグストアに花王製品のみを卸す会社。株式の引き取りで花王の持分が40%を超え、2000年度中間期からフル連結
  • 日経ビジネス 2003年7月21日号
    • [207]1999年に日本で初めてEVAを導入、2番手はソニー。1981年度以来22期連続の連結経常増益
  • 花王 決算短信 経営方針「主な経営指標として「EVA」を活用しています」(2002年)
    • [210]EVAを事業評価・設備投資やM&Aの評価・年度業績管理に使い、役員・社員の賞与の一部をEVA対前年改善目標の達成度に連動。前年度に取締役へストックオプションを導入
    • [211]EVAを事業評価・設備投資やM&Aの評価・年度業績管理に使い、役員・社員の賞与の一部をEVA対前年改善目標の達成度に連動。前年度に取締役へストックオプションを導入
    • [212]EVAを事業評価・設備投資やM&Aの評価・年度業績管理に使い、役員・社員の賞与の一部をEVA対前年改善目標の達成度に連動。前年度に取締役へストックオプションを導入
  • 日経ビジネス 2001年5月28日号 編集長インタビュー 後藤卓也
    • [213]EVA導入時に賞与の一部をEVAに連動。役員退職慰労金は2001年6月を最後に引当を停止し、任期中の業績連動へ
    • [214]国内で大型投資に値する商品開発は出尽くした。海外はM&Aに軸足、機会がなければ自社株償却。売上の78%が日本、海外は売上22%・利益12%。2000年に米チャッテムからban(売上約80億円)を取得し北米の足場に
    • [215]国内で大型投資に値する商品開発は出尽くした。海外はM&Aに軸足、機会がなければ自社株償却。売上の78%が日本、海外は売上22%・利益12%。2000年に米チャッテムからban(売上約80億円)を取得し北米の足場に
    • [216]国内で大型投資に値する商品開発は出尽くした。海外はM&Aに軸足、機会がなければ自社株償却。売上の78%が日本、海外は売上22%・利益12%。2000年に米チャッテムからban(売上約80億円)を取得し北米の足場に
    • [217]国内で大型投資に値する商品開発は出尽くした。海外はM&Aに軸足、機会がなければ自社株償却。売上の78%が日本、海外は売上22%・利益12%。2000年に米チャッテムからban(売上約80億円)を取得し北米の足場に
  • 花王 2002年度のハイライト 説明会資料 社長 後藤卓也(2003年4月22日)
    • [218]M&A・提携の年表で2002年にKMSリサーチとジョン・フリーダを取得。欧米のヘアケアにJohn Friedaを配置
  • 花王 2004年度上半期のハイライト 社長執行役員 尾﨑元規(2004年10月21日)
    • [219]成長ドライバーにヘルスケア・欧米プレミアムビューティケア・アジア家庭用製品。ジョン・フリーダを欧米で強化

2004年〜8人抜きで社長に就任した尾﨑元規氏と、売上高2,900億円のカネボウ化粧品の取得

2004年4月、後藤卓也社長は在任7年での退任を表明し、8人を飛び越えて54歳の尾﨑元規取締役を後任に据えた。尾﨑元規氏は家庭用品の担当が長く、社内でマーケティングに通じた人物として知られた。同年2月には、カネボウとの化粧品事業の統合がカネボウの産業再生機構入りで破談となっていた。売上高の約75%を占める家庭用品市場は、先行きに大きな伸びを見込めなかった。尾﨑元規氏は化粧品事業本部長を2年務め、増益の更新より5年先の成長を重んじると語った。同年10月、尾﨑元規社長はヘルスケアと欧米・アジアの事業を成長ドライバーに掲げ、M&Aにも資金を充当する方針を示した。

  • 日経ビジネス 2004年4月19日号
    • [220]2004年4月12日、後藤卓也社長(63)が退任し尾崎元規取締役(54)が8人抜きで社長に(6月29日就任予定)。カネボウとの化粧品統合は2月に再生機構入りで破談。家庭用品が売上の約75%。尾崎氏は2000年4月から2年化粧品事業本部長。増益更新より5年先の成長
    • [221]2004年4月12日、後藤卓也社長(63)が退任し尾崎元規取締役(54)が8人抜きで社長に(6月29日就任予定)。カネボウとの化粧品統合は2月に再生機構入りで破談。家庭用品が売上の約75%。尾崎氏は2000年4月から2年化粧品事業本部長。増益更新より5年先の成長
    • [222]2004年4月12日、後藤卓也社長(63)が退任し尾崎元規取締役(54)が8人抜きで社長に(6月29日就任予定)。カネボウとの化粧品統合は2月に再生機構入りで破談。家庭用品が売上の約75%。尾崎氏は2000年4月から2年化粧品事業本部長。増益更新より5年先の成長
    • [223]2004年4月12日、後藤卓也社長(63)が退任し尾崎元規取締役(54)が8人抜きで社長に(6月29日就任予定)。カネボウとの化粧品統合は2月に再生機構入りで破談。家庭用品が売上の約75%。尾崎氏は2000年4月から2年化粧品事業本部長。増益更新より5年先の成長
    • [224]2004年4月12日、後藤卓也社長(63)が退任し尾崎元規取締役(54)が8人抜きで社長に(6月29日就任予定)。カネボウとの化粧品統合は2月に再生機構入りで破談。家庭用品が売上の約75%。尾崎氏は2000年4月から2年化粧品事業本部長。増益更新より5年先の成長
  • 花王 2004年度上半期のハイライト 社長執行役員 尾﨑元規(2004年10月21日)
    • [225]成長ドライバーはヘルスケア(機能食品)・欧米プレミアムビューティケア・アジア家庭用製品。フリーキャッシュフローの使途に設備投資・M&A・自己株式取得

2004年の破談時点で、カネボウの化粧品事業を継ぐ新会社の株式は3年後に再生機構が売却する見通しだった。尾﨑元規氏はこの事業を、花王の開発力を高級化粧品に生かす選択肢の一つと位置づけていた。花王は2006年2月中旬までに、カネボウ化粧品の株式と同社の商標権などの知的財産権を取得した。取得資金をブリッジローンで調達したため、2005年6月の総会で承認した上限500億円の自己株式取得は見送った。2006年4月時点で、同年度のカネボウ化粧品の売上高は2,900億円、連結売上高の約25%と見込まれた。花王は研究開発や営業など9つのシナジー委員会分科会を設け、統合効果を探った。

  • 日経ビジネス 2004年4月19日号
    • [226]カネボウの化粧品事業を引き継ぐ新会社の株式を再生機構が売却する3年後をにらむ。尾崎氏は花王の開発力を高級化粧品で生かす選択肢の1つと明言
    • [227]カネボウの化粧品事業を引き継ぐ新会社の株式を再生機構が売却する3年後をにらむ。尾崎氏は花王の開発力を高級化粧品で生かす選択肢の1つと明言
  • 花王 平成18年3月期 決算短信(連結)(2006年4月24日)
    • [228]2006年2月中旬までにカネボウ化粧品の株式と同社保有の商標権等知的財産権を取得。資金需要のため自己株式取得(上限500億円)は実施しないと2006年1月23日に決議
    • [229]2006年2月中旬までにカネボウ化粧品の株式と同社保有の商標権等知的財産権を取得。資金需要のため自己株式取得(上限500億円)は実施しないと2006年1月23日に決議
  • 花王 決算説明会資料「2005年度のハイライト」社長執行役員 尾﨑元規(2006年4月24日)
    • [230]カネボウ化粧品株式等取得資金は当初ブリッジローンで調達し、シンジケートローン・生保ローン等で借換え。2006年度売上予想2,900億円・連結売上の約25%。9つのシナジー委員会分科会
    • [231]カネボウ化粧品株式等取得資金は当初ブリッジローンで調達し、シンジケートローン・生保ローン等で借換え。2006年度売上予想2,900億円・連結売上の約25%。9つのシナジー委員会分科会
    • [232]カネボウ化粧品株式等取得資金は当初ブリッジローンで調達し、シンジケートローン・生保ローン等で借換え。2006年度売上予想2,900億円・連結売上の約25%。9つのシナジー委員会分科会

カネボウ化粧品の2007年度の売上高は2,200億円強で、ロイヤリティ控除前の営業利益率は前年度の約11%から8%強に低下した。同年度のコストシナジーは、メディア購買や生産・調達を中心に10億円強だった。2009年1月、会社側は利益率の高いプレステージ化粧品の不振を営業利益予想の減額要因の一つに挙げた。2012年4月、花王は尾﨑元規社長が会長に就任し、澤田道隆取締役が社長に就任する人事を内定した。澤田道隆氏は研究開発部門副統括とヒューマンヘルスケア研究センター長を務めていた。研究出身の社長の起用には、商品開発から化粧品と日用品を立て直す意図があったとみられる。

  • 花王 決算説明会資料「2007年度のハイライト」社長執行役員 尾﨑元規(2008年4月23日)
    • [233]カネボウ化粧品の2007年度売上高2,200億円強(+4.5%)、ロイヤリティ控除前営業利益率8%強(前年度約11%)。コストシナジーはメディアバイイング・生産・調達で10億円強
    • [234]カネボウ化粧品の2007年度売上高2,200億円強(+4.5%)、ロイヤリティ控除前営業利益率8%強(前年度約11%)。コストシナジーはメディアバイイング・生産・調達で10億円強
  • 花王 平成21年3月期第3四半期決算発表 質疑応答(2009年1月29日)
    • [235]通期営業利益予想を140億円減額。構成差の大きな要因は利益率の高いプレステージ化粧品の売上が厳しかったこと
  • 花王 お知らせ「会長・社長人事、代表取締役の異動及び役員人事に関するお知らせ」(2012年4月9日)
    • [236]尾崎元規社長が取締役会長に、澤田道隆取締役執行役員(研究開発部門副統括、ヒューマンヘルスケア研究センター長)が社長に内定。会長・社長選任審査委員会の審査を経て決議。取締役は15名から10名へ
    • [237]尾崎元規社長が取締役会長に、澤田道隆取締役執行役員(研究開発部門副統括、ヒューマンヘルスケア研究センター長)が社長に内定。会長・社長選任審査委員会の審査を経て決議。取締役は15名から10名へ
参考文献[220]-[237]
  • 日経ビジネス 2004年4月19日号
    • [220]2004年4月12日、後藤卓也社長(63)が退任し尾崎元規取締役(54)が8人抜きで社長に(6月29日就任予定)。カネボウとの化粧品統合は2月に再生機構入りで破談。家庭用品が売上の約75%。尾崎氏は2000年4月から2年化粧品事業本部長。増益更新より5年先の成長
    • [221]2004年4月12日、後藤卓也社長(63)が退任し尾崎元規取締役(54)が8人抜きで社長に(6月29日就任予定)。カネボウとの化粧品統合は2月に再生機構入りで破談。家庭用品が売上の約75%。尾崎氏は2000年4月から2年化粧品事業本部長。増益更新より5年先の成長
    • [222]2004年4月12日、後藤卓也社長(63)が退任し尾崎元規取締役(54)が8人抜きで社長に(6月29日就任予定)。カネボウとの化粧品統合は2月に再生機構入りで破談。家庭用品が売上の約75%。尾崎氏は2000年4月から2年化粧品事業本部長。増益更新より5年先の成長
    • [223]2004年4月12日、後藤卓也社長(63)が退任し尾崎元規取締役(54)が8人抜きで社長に(6月29日就任予定)。カネボウとの化粧品統合は2月に再生機構入りで破談。家庭用品が売上の約75%。尾崎氏は2000年4月から2年化粧品事業本部長。増益更新より5年先の成長
    • [224]2004年4月12日、後藤卓也社長(63)が退任し尾崎元規取締役(54)が8人抜きで社長に(6月29日就任予定)。カネボウとの化粧品統合は2月に再生機構入りで破談。家庭用品が売上の約75%。尾崎氏は2000年4月から2年化粧品事業本部長。増益更新より5年先の成長
    • [226]カネボウの化粧品事業を引き継ぐ新会社の株式を再生機構が売却する3年後をにらむ。尾崎氏は花王の開発力を高級化粧品で生かす選択肢の1つと明言
    • [227]カネボウの化粧品事業を引き継ぐ新会社の株式を再生機構が売却する3年後をにらむ。尾崎氏は花王の開発力を高級化粧品で生かす選択肢の1つと明言
  • 花王 2004年度上半期のハイライト 社長執行役員 尾﨑元規(2004年10月21日)
    • [225]成長ドライバーはヘルスケア(機能食品)・欧米プレミアムビューティケア・アジア家庭用製品。フリーキャッシュフローの使途に設備投資・M&A・自己株式取得
  • 花王 平成18年3月期 決算短信(連結)(2006年4月24日)
    • [228]2006年2月中旬までにカネボウ化粧品の株式と同社保有の商標権等知的財産権を取得。資金需要のため自己株式取得(上限500億円)は実施しないと2006年1月23日に決議
    • [229]2006年2月中旬までにカネボウ化粧品の株式と同社保有の商標権等知的財産権を取得。資金需要のため自己株式取得(上限500億円)は実施しないと2006年1月23日に決議
  • 花王 決算説明会資料「2005年度のハイライト」社長執行役員 尾﨑元規(2006年4月24日)
    • [230]カネボウ化粧品株式等取得資金は当初ブリッジローンで調達し、シンジケートローン・生保ローン等で借換え。2006年度売上予想2,900億円・連結売上の約25%。9つのシナジー委員会分科会
    • [231]カネボウ化粧品株式等取得資金は当初ブリッジローンで調達し、シンジケートローン・生保ローン等で借換え。2006年度売上予想2,900億円・連結売上の約25%。9つのシナジー委員会分科会
    • [232]カネボウ化粧品株式等取得資金は当初ブリッジローンで調達し、シンジケートローン・生保ローン等で借換え。2006年度売上予想2,900億円・連結売上の約25%。9つのシナジー委員会分科会
  • 花王 決算説明会資料「2007年度のハイライト」社長執行役員 尾﨑元規(2008年4月23日)
    • [233]カネボウ化粧品の2007年度売上高2,200億円強(+4.5%)、ロイヤリティ控除前営業利益率8%強(前年度約11%)。コストシナジーはメディアバイイング・生産・調達で10億円強
    • [234]カネボウ化粧品の2007年度売上高2,200億円強(+4.5%)、ロイヤリティ控除前営業利益率8%強(前年度約11%)。コストシナジーはメディアバイイング・生産・調達で10億円強
  • 花王 平成21年3月期第3四半期決算発表 質疑応答(2009年1月29日)
    • [235]通期営業利益予想を140億円減額。構成差の大きな要因は利益率の高いプレステージ化粧品の売上が厳しかったこと
  • 花王 お知らせ「会長・社長人事、代表取締役の異動及び役員人事に関するお知らせ」(2012年4月9日)
    • [236]尾崎元規社長が取締役会長に、澤田道隆取締役執行役員(研究開発部門副統括、ヒューマンヘルスケア研究センター長)が社長に内定。会長・社長選任審査委員会の審査を経て決議。取締役は15名から10名へ
    • [237]尾崎元規社長が取締役会長に、澤田道隆取締役執行役員(研究開発部門副統括、ヒューマンヘルスケア研究センター長)が社長に内定。会長・社長選任審査委員会の審査を経て決議。取締役は15名から10名へ

2016年〜澤田道隆社長のK20と、長谷部佳宏社長の構造改革・オアシスの株主提案

2016年12月、澤田道隆社長は実質売上高の年平均5%成長と営業利益率15%を掲げる中期経営計画「K20」を発表した。澤田道隆社長は、化粧品と欧米・アジアの消費財事業の利益率を10%以上に引き上げ、2030年に全社で17%を目指すと説いた。澤田道隆社長は、安定した収益基盤を保ったまま従来の殻を破る必要があると述べた。2020年2月、会社側はM&Aを増収のためでなく、ESGの視点で医療や衛生へ事業領域を広げる手段とした。同年6月、澤田道隆社長はEVAだけで測れば10年先を見たESG投資はできないと株主に説明した『ESG はコストではなく投資。』。売上高1,000億円のブランドを、メリーズ、アタック、ビオレの3つで育てる目標も置いた。

  • 花王 中期経営計画「K20」(2016年12月12日)
    • [238]K20(2017-2020):実質売上高CAGR+5%・営業利益率15%・1,000億円ブランド3つ。2030年に売上高2.5兆円・営業利益率17%超・ROE20%。ESGの取り組みを企業価値向上策に
    • [243]K20(2017-2020):実質売上高CAGR+5%・営業利益率15%・1,000億円ブランド3つ。2030年に売上高2.5兆円・営業利益率17%超・ROE20%。ESGの取り組みを企業価値向上策に
  • 花王 中期経営計画「K20」説明会 質疑応答要旨(2016年12月14日)
    • [239]利益率10%未満の化粧品・アジアCP・欧米CPを10%以上へ。2020年15%から2030年17%へ。殻を破る必要
    • [240]利益率10%未満の化粧品・アジアCP・欧米CPを10%以上へ。2020年15%から2030年17%へ。殻を破る必要
  • 花王 2019年12月期決算説明会 質疑応答要旨(2020年2月4日)
    • [241]増収のためのM&Aは考えず、ESGの視点で治療・医療や衛生分野へ事業領域を広げるための連携・M&Aを考える
  • 花王 株主様向け会社説明会 開催概要(2020年6月27日)
    • [242]澤田社長:ESGはコストではなく投資。EVAにこだわりすぎるとESG投資はできず、10年先を見て取り組む場合がある

2020年12月、翌月に社長に就任する長谷部佳宏専務は、中期経営計画「K25」を発表した。2025年に売上高1兆8,000億円と営業利益2,500億円を掲げ、約5,000億円の投資を計画した。会社側はK20の成長率と利益率の未達について、化粧品のデジタル化と海外強化の遅れを要因に挙げた。2019年に15%を超えたROICは、コロナ禍と原材料高を経て低下していた。2023年、花王は構造改革費用600億円を見込み、中国のベビー用紙おむつの現地生産終了など非効率事業の見直しに着手した。同年の中期経営計画「K27」はROICを全社に導入し、売上高1兆8,000億円を目標から外した『売上高を指標にすると規模を追うための活動になってしまうため、売上高1.8兆円は目標から除外した。』。

  • 花王 中期経営計画「K25」説明会 質疑応答要旨(2020年12月9日)
    • [244]回答者は2021年1月1日社長就任予定の長谷部佳宏専務ら。2025年売上高1兆8,000億円・営業利益2,500億円、投資約5,000億円。K20のCAGR+5%・営業利益率15%未達は化粧品のデジタル化と海外強化の遅れ
    • [245]回答者は2021年1月1日社長就任予定の長谷部佳宏専務ら。2025年売上高1兆8,000億円・営業利益2,500億円、投資約5,000億円。K20のCAGR+5%・営業利益率15%未達は化粧品のデジタル化と海外強化の遅れ
    • [246]回答者は2021年1月1日社長就任予定の長谷部佳宏専務ら。2025年売上高1兆8,000億円・営業利益2,500億円、投資約5,000億円。K20のCAGR+5%・営業利益率15%未達は化粧品のデジタル化と海外強化の遅れ
  • 花王 IR スモールミーティング 質疑応答「June 2025 Small Meeting with CEO」(2025年6月3日)
    • [247]Hasebe CEO: ROICは2019年に15%超、COVID-19・原材料高・ALPS処理水で低下。構造改革とROICの全事業導入で改善。株価は2019年の高値を下回る
  • 花王 2023年12月期第2四半期決算説明会 質疑応答要旨(2023年8月3日)
    • [248]構造改革費用600億円(非効率事業の見直し・商品統廃合・人財組織の生産性向上)。中国紙おむつはROICの観点で現地生産終了。売上高1.8兆円は目標から除外しROICと海外売上高を指標に
    • [250]構造改革費用600億円(非効率事業の見直し・商品統廃合・人財組織の生産性向上)。中国紙おむつはROICの観点で現地生産終了。売上高1.8兆円は目標から除外しROICと海外売上高を指標に
  • 花王「Global Sharp Top Strategy」説明会資料(2023年)
    • [249]K27:ROICを全社に導入し構造改革を断行、グローバル・シャープトップ事業を持続する会社へ。STEP1は非効率事業の見直し・人的資本改革・稼ぐ力の改革

オアシス・マネジメントは2024年12月時点で花王株の5.23%を保有していた。2025年3月の定時総会に向け、オアシスは社外取締役5名の選任と役員報酬の改定を提案した。取締役会はK27でROICが2023年度の4.1%から2024年度に9.2%へ改善したことを挙げ、全議案に反対した。株主提案の4議案は賛成11.25〜29.19%で否決され、長谷部佳宏社長の選任は賛成89.70%で可決された。2026年4月の臨時総会でも、オアシスが求めた供給網の調査者の選任は賛成30.30%で否決された。同年5月、会社側は土地売却益を除いても通期営業利益1,820億円の達成を目指すとした『土地売却は、ロジスティクス最適化を通じた資本効率改善の一環であり、構造改革費用などの吸収を目的としたものではない。』。

  • 花王 コーポレート・ガバナンス報告書(2025年3月)
    • [251]2024年12月10日付の大量保有報告書で、オアシス マネジメント カンパニーが2024年12月5日現在5.23%(24,347千株)を保有
  • 花王 お知らせ「株主提案に対する当社取締役会意見に関するお知らせ」(2025年2月14日)
    • [252]Oasis Japan Strategic Fundが社外取締役5名選任・報酬改訂など4議案を提案、取締役会は全議案に反対。K27(2023年8月発表)で2027年度ROIC11%以上・EVA700億円以上。ROICは2023年度4.1%から2024年度9.2%
    • [253]Oasis Japan Strategic Fundが社外取締役5名選任・報酬改訂など4議案を提案、取締役会は全議案に反対。K27(2023年8月発表)で2027年度ROIC11%以上・EVA700億円以上。ROICは2023年度4.1%から2024年度9.2%
  • 花王 臨時報告書(第119期定時株主総会の議決結果、2025年3月24日提出)
    • [254]2025年3月21日の総会で株主提案の第4〜7号議案は賛成11.25〜29.19%で否決。長谷部佳宏の選任は89.70%で可決
  • 花王 臨時報告書(臨時株主総会の議決結果、2026年5月1日提出)
    • [255]2026年4月30日の臨時総会で、パーム油・紙パルプのサプライチェーンリスクに関する調査者選任の株主提案は賛成30.30%で否決
  • 花王 2026年12月期第1四半期決算説明会 質疑応答要旨(2026年5月12日)
    • [256]土地売却益115億円は資本効率改善の一環で構造改革費用の吸収目的ではない。通期営業利益計画1,820億円は売却益を除くベースで達成を目指す
参考文献[238]-[256]
  • 花王 中期経営計画「K20」(2016年12月12日)
    • [238]K20(2017-2020):実質売上高CAGR+5%・営業利益率15%・1,000億円ブランド3つ。2030年に売上高2.5兆円・営業利益率17%超・ROE20%。ESGの取り組みを企業価値向上策に
    • [243]K20(2017-2020):実質売上高CAGR+5%・営業利益率15%・1,000億円ブランド3つ。2030年に売上高2.5兆円・営業利益率17%超・ROE20%。ESGの取り組みを企業価値向上策に
  • 花王 中期経営計画「K20」説明会 質疑応答要旨(2016年12月14日)
    • [239]利益率10%未満の化粧品・アジアCP・欧米CPを10%以上へ。2020年15%から2030年17%へ。殻を破る必要
    • [240]利益率10%未満の化粧品・アジアCP・欧米CPを10%以上へ。2020年15%から2030年17%へ。殻を破る必要
  • 花王 2019年12月期決算説明会 質疑応答要旨(2020年2月4日)
    • [241]増収のためのM&Aは考えず、ESGの視点で治療・医療や衛生分野へ事業領域を広げるための連携・M&Aを考える
  • 花王 株主様向け会社説明会 開催概要(2020年6月27日)
    • [242]澤田社長:ESGはコストではなく投資。EVAにこだわりすぎるとESG投資はできず、10年先を見て取り組む場合がある
  • 花王 中期経営計画「K25」説明会 質疑応答要旨(2020年12月9日)
    • [244]回答者は2021年1月1日社長就任予定の長谷部佳宏専務ら。2025年売上高1兆8,000億円・営業利益2,500億円、投資約5,000億円。K20のCAGR+5%・営業利益率15%未達は化粧品のデジタル化と海外強化の遅れ
    • [245]回答者は2021年1月1日社長就任予定の長谷部佳宏専務ら。2025年売上高1兆8,000億円・営業利益2,500億円、投資約5,000億円。K20のCAGR+5%・営業利益率15%未達は化粧品のデジタル化と海外強化の遅れ
    • [246]回答者は2021年1月1日社長就任予定の長谷部佳宏専務ら。2025年売上高1兆8,000億円・営業利益2,500億円、投資約5,000億円。K20のCAGR+5%・営業利益率15%未達は化粧品のデジタル化と海外強化の遅れ
  • 花王 IR スモールミーティング 質疑応答「June 2025 Small Meeting with CEO」(2025年6月3日)
    • [247]Hasebe CEO: ROICは2019年に15%超、COVID-19・原材料高・ALPS処理水で低下。構造改革とROICの全事業導入で改善。株価は2019年の高値を下回る
  • 花王 2023年12月期第2四半期決算説明会 質疑応答要旨(2023年8月3日)
    • [248]構造改革費用600億円(非効率事業の見直し・商品統廃合・人財組織の生産性向上)。中国紙おむつはROICの観点で現地生産終了。売上高1.8兆円は目標から除外しROICと海外売上高を指標に
    • [250]構造改革費用600億円(非効率事業の見直し・商品統廃合・人財組織の生産性向上)。中国紙おむつはROICの観点で現地生産終了。売上高1.8兆円は目標から除外しROICと海外売上高を指標に
  • 花王「Global Sharp Top Strategy」説明会資料(2023年)
    • [249]K27:ROICを全社に導入し構造改革を断行、グローバル・シャープトップ事業を持続する会社へ。STEP1は非効率事業の見直し・人的資本改革・稼ぐ力の改革
  • 花王 コーポレート・ガバナンス報告書(2025年3月)
    • [251]2024年12月10日付の大量保有報告書で、オアシス マネジメント カンパニーが2024年12月5日現在5.23%(24,347千株)を保有
  • 花王 お知らせ「株主提案に対する当社取締役会意見に関するお知らせ」(2025年2月14日)
    • [252]Oasis Japan Strategic Fundが社外取締役5名選任・報酬改訂など4議案を提案、取締役会は全議案に反対。K27(2023年8月発表)で2027年度ROIC11%以上・EVA700億円以上。ROICは2023年度4.1%から2024年度9.2%
    • [253]Oasis Japan Strategic Fundが社外取締役5名選任・報酬改訂など4議案を提案、取締役会は全議案に反対。K27(2023年8月発表)で2027年度ROIC11%以上・EVA700億円以上。ROICは2023年度4.1%から2024年度9.2%
  • 花王 臨時報告書(第119期定時株主総会の議決結果、2025年3月24日提出)
    • [254]2025年3月21日の総会で株主提案の第4〜7号議案は賛成11.25〜29.19%で否決。長谷部佳宏の選任は89.70%で可決
  • 花王 臨時報告書(臨時株主総会の議決結果、2026年5月1日提出)
    • [255]2026年4月30日の臨時総会で、パーム油・紙パルプのサプライチェーンリスクに関する調査者選任の株主提案は賛成30.30%で否決
  • 花王 2026年12月期第1四半期決算説明会 質疑応答要旨(2026年5月12日)
    • [256]土地売却益115億円は資本効率改善の一環で構造改革費用の吸収目的ではない。通期営業利益計画1,820億円は売却益を除くベースで達成を目指す

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出典・参考 68件
出典・参考
  • 花王 平成11年3月期 連結決算短信(1999年4月22日)
  • 花王 決算説明資料「販売会社連結による連結売上高への影響について」(2000年11月8日)
  • 花王 決算短信 経営方針「主な経営指標として「EVA」を活用しています」(2002年)
  • 花王 決算説明会資料「2005年度のハイライト」社長執行役員 尾﨑元規(2006年4月24日)
  • 花王 平成18年3月期 決算短信(連結)(2006年4月24日)
  • 花王 決算説明会資料「2007年度のハイライト」社長執行役員 尾﨑元規(2008年4月23日)
  • 花王 2019年12月期決算説明会 質疑応答要旨(2020年2月4日)
  • 花王 2023年12月期第2四半期決算説明会 質疑応答要旨(2023年8月3日)
  • 花王 有価証券報告書(2025年12月期)「沿革」
  • 花王 2026年12月期第1四半期決算説明会 質疑応答要旨(2026年5月12日)
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
  • 花王石鹸五十年史(花王石鹸五十年史編纂委員会, 1940)
  • 花王 社史
  • 株式会社年鑑 1950年版・1955年版・1960年版「花王石鹸」
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「花王石鹸」
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「花王」
  • 日経ビジネス 1974年9月16日号
  • 日経ビジネス 1977年2月28日号
  • 日経ビジネス 1978年7月3日号
  • 日経ビジネス 1979年8月13日号
  • 日経ビジネス 1980年6月30日号
  • 日経ビジネス 1982年3月8日号
  • 日経ビジネス 1984年10月15日号
  • 証券アナリストジャーナル 22(9) 1984年 渡邊正太郎(花王石鹸専務取締役)
  • 証券アナリストジャーナル 22(9) 1984年(渡邊正太郎専務 講演要旨)
  • 日経ビジネス 1985年11月18日号
  • 日経ビジネス 1988年2月15日号
  • 日経ビジネス 1988年1月4日号
  • 日経ビジネス 1989年8月14日号
  • 日経ビジネス 1990年8月27日号
  • 日経ビジネス 1992年5月18日号
  • 日経ビジネス 1992年12月7日号 編集長インタビュー 常盤文克
  • 日経ビジネス 1993年6月7日号
  • 証券アナリストジャーナル 別冊32(11) 1994年11月 / 渡邉正太郎
  • 日経ビジネス 1994年6月20日号
  • 日経ビジネス 1995年3月27日号
  • 日経ビジネス 1995年1月2日号
  • 日経ビジネス 1995年7月31日号
  • 日経ビジネス 1997年9月8日号
  • 日経ビジネス 1999年6月14日号 編集長インタビュー 後藤卓也
  • 日経ビジネス 1999年1月11日号
  • 日経ビジネス 2001年5月28日号 編集長インタビュー 後藤卓也
  • 日経ビジネス 2003年7月21日号
  • 日経ビジネス 2004年4月19日号
  • 新日本経済 30(1) 1966年
  • 公正取引情報 282 1969年10月29日「流通経路合理化による系列化の波紋=花王販社の場合=」
  • 新評 21(4) 1974年4月「企業インサイド・レポート 洗剤パニックの元凶 花王石鹸値上げの舞台裏」 / 勝田健
  • 日化協月報 27(12) 1974年12月「花王石鹼の総合オンライン物流システムについて」 / 宮坂忠文
  • 証券調査 178 1985年7月「花王石鹼(60年10月「花王」に社名変更)」 / 新日本証券
  • RIRI流通産業 21(5) 1989年5月「製造から販売まで一貫して把握した統合へ――花王の流通政策強化の狙い」 / 野間潔
  • 日化協月報 46(1) 1993年1月「クローズアップ 社長インタビュー 常盤文克(花王㈱社長)」 / 山内喜美子
  • Best partner 9(8) 1997年8月「【戦略の研究】決断(5)花王 17期連続増収増益を支えた「販社制度」」 / 山田泰造
  • 日化協月報 51(8) 1998年8月「クローズアップ 社長インタビュー 後藤卓也(花王(株)社長)」 / 粂美奈子
  • 花王 2002年度のハイライト 説明会資料 社長 後藤卓也(2003年4月22日)
  • 花王 2004年度上半期のハイライト 社長執行役員 尾﨑元規(2004年10月21日)
  • 花王 平成21年3月期第3四半期決算発表 質疑応答(2009年1月29日)
  • 花王 お知らせ「会長・社長人事、代表取締役の異動及び役員人事に関するお知らせ」(2012年4月9日)
  • 花王 中期経営計画「K20」(2016年12月12日)
  • 花王 中期経営計画「K20」説明会 質疑応答要旨(2016年12月14日)
  • 花王 株主様向け会社説明会 開催概要(2020年6月27日)
  • 花王 中期経営計画「K25」説明会 質疑応答要旨(2020年12月9日)
  • 花王「Global Sharp Top Strategy」説明会資料(2023年)
  • 花王 IR スモールミーティング 質疑応答「June 2025 Small Meeting with CEO」(2025年6月3日)
  • 花王 コーポレート・ガバナンス報告書(2025年3月)
  • 花王 お知らせ「株主提案に対する当社取締役会意見に関するお知らせ」(2025年2月14日)
  • 花王 臨時報告書(第119期定時株主総会の議決結果、2025年3月24日提出)
  • 花王 臨時報告書(臨時株主総会の議決結果、2026年5月1日提出)

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