明治20年(1887年)に長瀬富郎氏が「長瀬富郎商店」を東京日本橋の馬喰町にて創業したことが、花王の創業である。祖業は日用雑貨を扱う小売店であり「石けん・輸入文具」を主に販売していた。当時の石鹸は西洋からの輸入品であり、創業時の花王はメーカーではなく流通業であった。
長瀬富郎氏の実家は、岐阜県中津川で酒蔵を営んでおり、開業資金に恵まれていたと推察される。
電気洗濯機の普及に合わせて合成洗剤「花王ワンダフル」の量産投資。設備面で競合の石鹸メーカーを圧倒
品質向上と研究開発力の向上を目論み原料の垂直統合に巨額投資。P&Gと対抗するための設備を拡充
技術は一朝一夕にはなりませんからね。しかも、今後はいぜnより大きな成果が期待できます。今年度500億円の投資を決めたのも、他社のマネできない'シーズ'(種)が出始めているからです。特に今年度から3年間が大変な時期で、この間、1200億円から1300億円の投融資を計画しています。その償却は特別償却、有税償却含めて3年間で600億円に達します。しかし、その償却が済めば、キャッシュフローからいって、非常に強い体質ができる。そこで、いよいよ欧米市場での計画実行に乗り出す。順序としては、このように考えているわけです。
紙おむつに後発参入。P&Gおよびユニチャームとの熾烈な競争を展開
界面活性技術と応用してフロッピーディスク(FD)に参入。合理化で余剰になった社員の雇用維持の狙いもあり。一時は急成長するが、競争激化により巨額損失を出した末に撤退へ
確かに売上高で800億円にも達する事業をいきなりやめていいのかという見方はあるでしょう。10年近く全社をあげてと言っていいぐらい力を入れてきたわけですから。しかし現実の市場は非常に変化が早かった。花王の情報事業はフロッピーディスクなどのメディアだけで、ハードもソフトもおっていないわけです。とにかく変化に振り回されるだけで終わってしまった。(略)
これだけ大きな仕事をしたうえでの撤退は、見通しが甘かったトップ経営層の責任です。社員の中には情報事業にかけてきた人もいるわけです。あるいは、「花王は情報事業をやっているから」と入社してきた社員に対しても迷惑をかけました。幸いなことに赤字決算にはならなかったので、株主への配当と言った面での迷惑はかけていません。しかし、やはりけじめはつけるべきじゃないかということで、一部の役員を降格させ、賞与をカットしました。