花王 の歴史

創業

1887年

創業者

長瀬富郎

創業地

東京都中央区日本橋

直近売上高(2025/12)

16,886億円

長期業績と転換点(1996/3〜2025/12)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1890年に小売商の長瀬富郎商店が自社で「花王石鹸」を作ったのか
A 製造より先に流通に立ったことで、舶来の高級品と粗製の国産品に二極化した石鹸市場の空白を、需要側から正確に読めたからである。岐阜中津川の酒造家出身の長瀬富郎氏は、1887年に東京日本橋馬喰町で洋紙と輸入石鹸を扱う小売を開き、仕入れと販売のやりとりから価格と品質評価を先に掴んだ。そのうえで1890年、価格と品質の中間にあたる桐箱入りの「花王石鹸」を自社で製造し、空白の領域へ商品を置いた。需要を読んでから製造へ進む順序を最初の一品で組み立て、流通業者から製造業者へ転じた。
Q なぜ1964年に問屋を外して全国約27万件と直接契約したのか
A 問屋を介す流通では店頭価格と在庫の動きが社内へ届くのに時間がかかり、需要の変化に手当てが追いつかなかったからである。原料を内製して価格を自社で動かせる量産力を背に、副社長の丸田芳郎氏が主導し、1964年に一次問屋との取引を止めて全国約27万件の小売と再販契約を結んだ。東京で200の問屋が「販社粉砕協議会」を結成するほどの反発を受け、1971年には洗剤シェアの首位をライオン油脂に明け渡した。その代償と引き換えに店頭の日次データを開発と価格管理へ直結させ、原料から価格までを社内で握る垂直統合を築いた
Q なぜ2024年にK27へ刷新し指標をEVAからROICへ替えたのか
A 1999年導入のEVAが短期の成果に寄りやすく、海外展開や研究開発など回収まで時間のかかる長期投資の評価に合わなくなったからである。2021年に社長へ就いた長谷部佳宏氏は、2024年に中期経営計画をK25からK27へ刷新し、グローバル・シャープトップ戦略のもとで一時費用547億円を投じる構造改革を断行した。トイレ事業に続いてペットケアと飲料事業を譲渡し、資本効率の低い事業を手放した。判断の指標をEVAからROICへ替え、2024年12月期に9.2%まで戻した数値を、2027年に11%以上へ引き上げる目標を掲げる

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1887年〜 日本橋の小売商から国産化粧石鹸の製造元へ

仕入れの側から国産化粧石鹸の値づけを決めた創業

1887年6月、24歳の長瀬富郎氏が東京日本橋区馬喰町に洋小間物商の長瀬商店を開業[1]した。岐阜県中津川の酒造家の出身[2]で、開業の資金を用意できる立場にあった。当時の日本では石鹸の製造技術がまだ幼く品質も悪く、良質の化粧石鹸はすべて外国品に頼っていた[3]。舶来の高級品と国内の中小業者がつくる粗製品に市場は二分され、価格と品質のあいだに広い空白が残っていた[4]。長瀬富郎氏は洋紙と輸入石鹸を扱う小売のなかで、その空白を仕入れと販売の両側から掴んだ。製造ではなく流通の側から市場に入り、需要と品質評価を先に確かめてから製造へ進む順序をとった。 [5]

  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1887年6月 長瀬富郎氏が東京日本橋馬喰町で長瀬商店を開業
    • [5]創業時の取扱いは洋小間物・洋紙・輸入石鹸
  • 花王 社史
    • [2]長瀬富郎氏は美濃国中津川の酒造家の出身
    • [4]創業当時の国内石鹸市場は舶来の高級品と国内中小業者の粗製品に二極化し価格と品質に空白
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [3]良質の化粧石鹸は外国品に頼る段階で長瀬富郎氏はこれを残念に思い製造へ踏み込んだ

1890年10月、長瀬富郎氏は桐箱入りの国産高級石鹸「花王石鹸」を自社で製造して発売[6]した。商標は外国の鉛筆に付けられた月星の意匠から着想し、月を美と清浄の象徴に重ねている[7]。価格は一個一二銭で、当時の一般的な国産石鹸が三、四銭だった[8]のに対し外国品なみの値づけだった。発売と同時に大阪へ代理店を置いて関西市場を開き、新聞広告も用いて最初から全国を商圏に据えた[9]。東京の製造業者が東日本を、大阪の製造業者が西日本をそれぞれ市場としていた時代[10]にあって、この販売方法は例をみないものだった。需要を先に読んでから製造へ踏み込む順序で、無名の小売商が石鹸の製造元へ変わった[11]

  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1890年10月 桐箱入りの国産高級石鹸「花王石鹸」を発売
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [7]花王石鹸の商標は外国の鉛筆の月星の意匠から着想し月を美と清浄の象徴とした
    • [8]花王石鹸は一個一二銭 当時の一般国産石鹸は三、四銭
    • [9]発売と同時に大阪に代理店を置き新聞広告を用いて最初から全国を商圏に据えた
    • [10]東京のメーカーは東日本 大阪のメーカーは西日本を市場としていた時代の販売政策
  • 花王 社史
    • [11]流通業者から製造業者へ事業を広げた
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1887年6月 長瀬富郎氏が東京日本橋馬喰町で長瀬商店を開業
    • [5]創業時の取扱いは洋小間物・洋紙・輸入石鹸
    • [6]1890年10月 桐箱入りの国産高級石鹸「花王石鹸」を発売
  • 花王 社史
    • [2]長瀬富郎氏は美濃国中津川の酒造家の出身
    • [4]創業当時の国内石鹸市場は舶来の高級品と国内中小業者の粗製品に二極化し価格と品質に空白
    • [11]流通業者から製造業者へ事業を広げた
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [3]良質の化粧石鹸は外国品に頼る段階で長瀬富郎氏はこれを残念に思い製造へ踏み込んだ
    • [7]花王石鹸の商標は外国の鉛筆の月星の意匠から着想し月を美と清浄の象徴とした
    • [8]花王石鹸は一個一二銭 当時の一般国産石鹸は三、四銭
    • [9]発売と同時に大阪に代理店を置き新聞広告を用いて最初から全国を商圏に据えた
    • [10]東京のメーカーは東日本 大阪のメーカーは西日本を市場としていた時代の販売政策

工程を一つずつ自社へ取り込んだ三十余年

花王石鹸の発売後、長瀬商店は製造の工程を一つずつ社内へ取り込んだ。1902年には蒸気鹼化方式を採り入れ、1911年には石鹸の廃液からグリセリンを回収する工程を加えた[13]。1920年には自動型打ちのベルトシステムを導入して量産の速度を上げ[14]、1924年には搾油と硬化の設備を備えて原料の自給に手をつけた[15]。1928年には魚油と硬化油から純良な石鹸をつくり、ヤシ油から製菓原料の食用油脂も製造した[16]。これらは油脂石鹸史の上で先達にあたる工程で、長瀬商店は石鹸の製造元にとどまらず日本の油脂工業を先導する立場[17]に移った。 [12]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [12]明治35年 蒸気鹼化方式の採用
    • [13]明治44年 石鹸廃液からのグリセリン回収
    • [14]大正9年 自動型打ベルトシステムの採用
    • [15]大正13年 搾油・硬化など原料自給体制の整備
    • [16]昭和3年 魚油・硬化油からの純良石鹸製造とヤシ油からの製菓原料用食用油脂製造
    • [17]油脂石鹸史上の先達をつとめ日本油脂工業のパイオニアとして貢献

1911年、長瀬富郎氏が病没し、創業から24年で長瀬商店は創業者を失った[18]。同じ年に長瀬商店は合資会社へ改組し[19]、個人の商いを組織の事業へ移した。1922年11月には隅田川沿いの吾嬬町に石鹸の量産専用工場を新設し、のちの東京工場とした。手作業に近い作業場での生産から、量産設備を備えた工場での生産へ製造の形が変わった。1925年5月には花王石鹸株式会社長瀬商会を設立し、個人商店から株式会社の組織へ移した[21]。創業から38年を経て、原料工程と量産工場と法人格をそろえ[22]、以後の設備投資を会社として決められる立場に立った。 [20]

  • 花王 社史
    • [18]長瀬富郎氏は1911年に病没し創業から24年で創業者を失った
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「花王石鹼」の項
    • [19]明治44年 長瀬商店は合資会社へ改組
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1922年11月 吾嬬町工場(現東京工場)完成
    • [21]1925年5月 花王石鹸株式会社長瀬商会設立
    • [22]1922年の量産工場と1925年の法人化で原料・量産・法人格がそろった
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [12]明治35年 蒸気鹼化方式の採用
    • [13]明治44年 石鹸廃液からのグリセリン回収
    • [14]大正9年 自動型打ベルトシステムの採用
    • [15]大正13年 搾油・硬化など原料自給体制の整備
    • [16]昭和3年 魚油・硬化油からの純良石鹸製造とヤシ油からの製菓原料用食用油脂製造
    • [17]油脂石鹸史上の先達をつとめ日本油脂工業のパイオニアとして貢献
  • 花王 社史
    • [18]長瀬富郎氏は1911年に病没し創業から24年で創業者を失った
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「花王石鹼」の項
    • [19]明治44年 長瀬商店は合資会社へ改組
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1922年11月 吾嬬町工場(現東京工場)完成
    • [21]1925年5月 花王石鹸株式会社長瀬商会設立
    • [22]1922年の量産工場と1925年の法人化で原料・量産・法人格がそろった

1926年〜 原料部門の分離と三社合併、そして合成洗剤への転換

花王の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1940年 日本有機を設立
  2. 1949年 東京証券取引所に株式上場
  3. 1951年 合成洗剤を発売
  4. 1954年 花王石鹸が花王油脂を吸収合併
  5. 1957年 合成洗剤工場に投資
  6. 1963年 川崎工場を新設

原料部門を別会社へ切り出して固めた油脂化学の自給

1935年3月、花王石鹸株式会社長瀬商会は製造部門の吾嬬工場を分離し、大日本油脂を創立した[23]。石鹸の販売と製造を別法人に分け[24]、原料と生産の側を独立した会社として動かす形をとった。1940年5月には日本橋馬喰町で[25]資本金250万円の日本有機を設立し[26]、同年9月に酒田工場を完成させた[27]。日本有機は油脂を加工して活性剤や工業用薬剤をつくる原料側の会社[28]で、石鹸の川上にあたる工程を新会社に集めた。1944年12月には大日本油脂の和歌山工場が完成し[29]、動植物油脂から航空潤滑油を合成する技術の工業化を国の要請で担った[30]

  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [23]1935年3月 大日本油脂株式会社を分離独立
    • [25]1940年5月 日本有機株式会社を日本橋馬喰町で設立
    • [27]1940年9月 日本有機株式会社酒田工場完成
    • [29]1944年12月 大日本油脂株式会社和歌山工場完成
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「花王石鹼」の項
    • [24]昭和10年3月に製造部門の吾嬬工場を分離して大日本油脂を創立
    • [26]日本有機は昭和15年5月に資本金250万円で設立
    • [28]日本有機の事業は石鹸・洗剤・その他油脂加工品・繊維工業用薬剤・活性剤・可塑剤
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [30]和歌山工場は動植物油脂から航空潤滑油を合成する発明の工業化のため国の要請で建設

戦時下の和歌山工場で積み上がった高級アルコールと油脂化学の技術[31]は、戦後の合成洗剤で原料側の足場になった。同工場はその後も数次にわたって増設され、1968年時点で高級アルコールの生産量では世界四大工場の一つに数えられた[32]。石鹸の販売会社、製造会社、原料会社という三つの法人に分かれた体制[33]は、戦時の統制と資材の割当のもとで生産を続けるための構えでもあった。ただし三社が別々に資本と工場を抱える形は[34]、戦後の復興期に事業の一元化という課題を残した。原料から製品までを一つの会社に通す作業が、1946年から1954年までの合併の連なり[35]になった。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [31]和歌山工場は高級アルコール生産の拠点
    • [32]和歌山工場は数次の増設で完全オートメーション化され高級アルコール生産で世界四大工場の一つ
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「花王石鹼」の項
    • [33]長瀬商会・大日本油脂・日本有機の三社が並立
    • [34]昭和29年8月の合併で三工場を有する花王事業一元化態勢が確立
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [35]1946年10月 花王石鹸株式会社長瀬商会を株式会社花王と改称
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [23]1935年3月 大日本油脂株式会社を分離独立
    • [25]1940年5月 日本有機株式会社を日本橋馬喰町で設立
    • [27]1940年9月 日本有機株式会社酒田工場完成
    • [29]1944年12月 大日本油脂株式会社和歌山工場完成
    • [35]1946年10月 花王石鹸株式会社長瀬商会を株式会社花王と改称
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「花王石鹼」の項
    • [24]昭和10年3月に製造部門の吾嬬工場を分離して大日本油脂を創立
    • [26]日本有機は昭和15年5月に資本金250万円で設立
    • [28]日本有機の事業は石鹸・洗剤・その他油脂加工品・繊維工業用薬剤・活性剤・可塑剤
    • [33]長瀬商会・大日本油脂・日本有機の三社が並立
    • [34]昭和29年8月の合併で三工場を有する花王事業一元化態勢が確立
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [30]和歌山工場は動植物油脂から航空潤滑油を合成する発明の工業化のため国の要請で建設
    • [31]和歌山工場は高級アルコール生産の拠点
    • [32]和歌山工場は数次の増設で完全オートメーション化され高級アルコール生産で世界四大工場の一つ

三社合併による事業の一元化と1949年の株式上場

1946年10月、花王石鹸株式会社長瀬商会は株式会社花王へ商号を改めた[36]。1949年5月には日本有機が花王石鹸株式会社へ改称し、同時に東京証券取引所の市場第一部へ株式を上場[37]した。花王石鹸の名はこのとき原料会社であった日本有機に移り[38]、石鹸の販売を担う会社は株式会社花王を名乗った。同じ1949年の12月には大日本油脂と株式会社花王が合併して花王油脂となり[39]、製造と販売が一つの法人にまとまった。残る一段は原料会社との統合で、1954年8月に花王石鹸株式会社が花王油脂株式会社を吸収合併した[40]

  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [36]1946年10月 花王石鹸株式会社長瀬商会を株式会社花王と改称
    • [37]1949年5月 日本有機株式会社を花王石鹸株式会社と改称し東京証券取引所市場第一部に上場
    • [40]1954年8月 花王石鹸株式会社が花王油脂株式会社を吸収合併
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「花王石鹼」の項
    • [38]昭和24年5月に日本有機が花王石鹸へ改称し長瀬商会は昭和21年10月に株式会社花王へ改称
    • [39]昭和24年12月 大日本油脂が株式会社花王を合併して花王油脂となった

三社合併の完了で、花王石鹸は資本金1億9400万円と三つの工場を持つ一元化された会社になった[41]。社長には経団連出身の福島正雄氏が就き、1968年5月まで14年にわたって経営を率いた[42]。1955年時点の化粧石鹸の生産量は業界第二位[43]で、石鹸のほか洗剤、油脂加工品、繊維工業用薬剤、活性剤、可塑剤まで製品は多岐にわたった[44]。利益を社内に積んで投資へ回す方針をとり、外部借入金なしで数年間に50億円を超える設備投資を続けた[45]。原料から製品までを一つの会社に収めた体制[46]が、このあとの合成洗剤への転換を設備の面から支えた。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「花王石鹼」の項
    • [41]昭和29年の合併で三工場・資本金1億9400万円の花王事業一元化態勢が確立
    • [43]1955年時点で化粧石鹸の生産量は業界第二位
    • [44]事業は石鹸・洗剤・その他油脂加工品・繊維工業用薬剤・活性剤・可塑剤
    • [46]昭和29年8月の合併で三工場を持つ花王事業一元化態勢が確立
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [42]福島正雄氏が社長を務め昭和43年5月30日に会長へ、副社長の伊藤英三氏が社長へ昇格
    • [45]外部借入金なしで数年間に50億円を越す設備投資を続けた
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [36]1946年10月 花王石鹸株式会社長瀬商会を株式会社花王と改称
    • [37]1949年5月 日本有機株式会社を花王石鹸株式会社と改称し東京証券取引所市場第一部に上場
    • [40]1954年8月 花王石鹸株式会社が花王油脂株式会社を吸収合併
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「花王石鹼」の項
    • [38]昭和24年5月に日本有機が花王石鹸へ改称し長瀬商会は昭和21年10月に株式会社花王へ改称
    • [39]昭和24年12月 大日本油脂が株式会社花王を合併して花王油脂となった
    • [41]昭和29年の合併で三工場・資本金1億9400万円の花王事業一元化態勢が確立
    • [43]1955年時点で化粧石鹸の生産量は業界第二位
    • [44]事業は石鹸・洗剤・その他油脂加工品・繊維工業用薬剤・活性剤・可塑剤
    • [46]昭和29年8月の合併で三工場を持つ花王事業一元化態勢が確立
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [42]福島正雄氏が社長を務め昭和43年5月30日に会長へ、副社長の伊藤英三氏が社長へ昇格
    • [45]外部借入金なしで数年間に50億円を越す設備投資を続けた

合成洗剤ワンダフルと和歌山の専用工場が決めた主力

1951年、花王石鹸は粉末型の合成洗剤「ワンダフル」を発売した。戦後の日本で合成洗剤をいち早く世に出した一社で、家庭の洗濯が手洗いから機械へ移る時期に合わせた製品だった。合成洗剤の需要はその後年率5割の勢いで伸び[48]、石鹸に代わる家庭用洗浄剤の主流になった。日本有機以来積み上げた界面活性剤の技術をそのまま転用でき[49]、製品の開発と原料の調達が社内で完結した。原料・製造・販売を一つの会社に収めた直後だった[50]ため、洗剤は試作の段階から数年のうちに主力の一角へ育った。原料を内製している分だけ、価格を競合の動きに合わせて動かす余地[51]も大きかった。 [47]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [47]1951年 合成洗剤「ワンダフル」を発売
  • 日経ビジネス 1974年9月16日号「花王石鹸。『販社』確立して洗剤首位の座固める」(日経マグロウヒル社)
    • [48]洗剤需要が年率5割で伸びた
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「花王石鹼」の項
    • [49]日本有機は油脂から活性剤をつくる原料会社
    • [50]昭和29年の合併で三工場を有する花王事業一元化態勢が確立
  • 日経ビジネス 1982年3月8日号「一貫生産、技術開発力で世界市場へ 化粧品など多角化も急ピッチ」(日経マグロウヒル社)
    • [51]脂肪酸・アミン・界面活性剤といった原料の段階から自社生産

1957年12月、和歌山工場の敷地内に合成洗剤の専用工場が完成した[52]。専用工場への投資額はおよそ7.5億円[53]で、石鹸の設備と混ぜて洗剤をつくる作り方をやめ、洗剤だけを流す量産ラインを新たに引いた[54]。和歌山工場は動植物油脂から高級アルコールを合成する設備を備え[55]、洗剤の原料と製品を同じ敷地で通せた。1960年3月には大阪証券取引所の市場第一部にも株式を上場し[56]、設備投資の資金を調達する窓口を広げた。1963年3月には川崎工場が完成し[57]、東京・酒田・和歌山・川崎の四工場で洗剤と油脂化学品をつくる体制[58]になった。石鹸の製造元から洗剤の製造元へ、製品と設備の両面で主力が入れ替わった[59]

  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [52]1957年12月 和歌山工場に合成洗剤工場完成
    • [54]和歌山工場に合成洗剤工場を新設
    • [56]1960年3月 大阪証券取引所の市場第一部に上場
    • [57]1963年3月 川崎工場完成
  • 日経ビジネス 1979年8月13日号「編集長インタビュー 合弁成功の鍵は相互理解と研究の主導権——丸田芳郎氏(花王石鹸社長)」(日経マグロウヒル社)
    • [53]和歌山工場の合成洗剤専用工場の投資額は約7.5億円
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [55]和歌山工場は動植物油脂から航空潤滑油を合成する発明の工業化のため建設され高級アルコール生産の拠点になった
    • [58]東京・酒田・和歌山・川崎の四工場を擁した
    • [59]戦後いち早く合成洗剤ワンダフルを発売し石鹸から洗剤へ主力が移った
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [47]1951年 合成洗剤「ワンダフル」を発売
    • [55]和歌山工場は動植物油脂から航空潤滑油を合成する発明の工業化のため建設され高級アルコール生産の拠点になった
    • [58]東京・酒田・和歌山・川崎の四工場を擁した
    • [59]戦後いち早く合成洗剤ワンダフルを発売し石鹸から洗剤へ主力が移った
  • 日経ビジネス 1974年9月16日号「花王石鹸。『販社』確立して洗剤首位の座固める」(日経マグロウヒル社)
    • [48]洗剤需要が年率5割で伸びた
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「花王石鹼」の項
    • [49]日本有機は油脂から活性剤をつくる原料会社
    • [50]昭和29年の合併で三工場を有する花王事業一元化態勢が確立
  • 日経ビジネス 1982年3月8日号「一貫生産、技術開発力で世界市場へ 化粧品など多角化も急ピッチ」(日経マグロウヒル社)
    • [51]脂肪酸・アミン・界面活性剤といった原料の段階から自社生産
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [52]1957年12月 和歌山工場に合成洗剤工場完成
    • [54]和歌山工場に合成洗剤工場を新設
    • [56]1960年3月 大阪証券取引所の市場第一部に上場
    • [57]1963年3月 川崎工場完成
  • 日経ビジネス 1979年8月13日号「編集長インタビュー 合弁成功の鍵は相互理解と研究の主導権——丸田芳郎氏(花王石鹸社長)」(日経マグロウヒル社)
    • [53]和歌山工場の合成洗剤専用工場の投資額は約7.5億円

1964年〜 販社と一貫生産で築いた優位、そして情報事業からの撤退

花王の業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1964年 販社制度の構築——問屋を外し、全国約27万件の小売と直接結ぶ流通改革 数年のシェア首位喪失を代償に、副社長・丸田芳郎氏はなぜ問屋を介さない自前の流通網を選んだのか
  2. 1978年 設備投資と工場自動化の積極化——欧米市場をにらんだ攻めの投資 国内で稼いだ余力を、なぜ花王石鹸・丸田芳郎社長は3年で1200億円超の投融資へ振り向けたのか
  3. 1982年 化粧品事業に参入
  4. 1983年 紙おむつ「メリーズ」を発売
  5. 1985年 フロッピーディスク事業からの全面撤退——「本業回帰」の宣言 売上約800億円に育った情報事業を、なぜ後藤卓也社長は一度の決算で畳み、退路を人事で断ったのか
  6. 1985年 商号を花王に変更
  7. 1998年 フロッピーディスク事業からの全面撤退——「本業回帰」の宣言 売上約800億円に育った情報事業を、なぜ後藤卓也社長は一度の決算で畳み、退路を人事で断ったのか

問屋を外して小売と直接結んだ十年越しの流通改革

1964年、花王石鹸は全国およそ27万件の小売店と再販契約を結び[60]、問屋を介さない流通へ切り替える改革に着手した。副社長の丸田芳郎氏が陣頭に立ち[61]、店頭までの経路を自社の側から握る体制をつくった。問屋を通す流通では店頭の価格と在庫の動きが社内へ届くまでに時間がかかり、洗剤がスーパーの目玉商品にされても手当てが間に合わなかった[62]。洗剤の需要が年率5割で伸びるなかでも問屋の資本蓄積は進まず、迫る外資の参入に備えて流通網を近代化する必要がある[63]と丸田芳郎氏はみていた。600店あった大小の問屋を整理統合し、150の花王製品専門販売会社に組み替える計画[64]を立てた。

  • 日経ビジネス 1979年8月13日号「編集長インタビュー 合弁成功の鍵は相互理解と研究の主導権——丸田芳郎氏(花王石鹸社長)」(日経マグロウヒル社)
    • [60]花王は全国約27万件の小売店と再販契約を結んだ
  • 日経ビジネス 1974年9月16日号「花王石鹸。『販社』確立して洗剤首位の座固める」(日経マグロウヒル社)
    • [61]丸田芳郎氏が販社づくりを主導
    • [62]流通経路が複雑で洗剤がスーパーの目玉商品にされた
    • [63]洗剤需要が年率5割で伸びるなかでも問屋の資本蓄積は進まず外資の進出に備えた販社づくりが急務
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [64]600店あった大小の問屋を整理統合し150の花王製品専門販売会社にする計画

販社は花王製品だけを扱う卸で、地区ごとに問屋が共同出資して設立し、1966年に着手して1974年には全国99社を数えた[65]。出資しなければ花王製品を扱えず、参加すれば花王製品しか売れない仕組みで、問屋の側に残る自主性[66]はほとんどなかった。構想を打ち出したとき、東京都内の200の問屋が「販社粉砕協議会」を結成して卸売業界から猛反発を受けた[67]。切り替えの混乱は業績にも及び、1971年には洗剤シェアの首位をライオン油脂に明け渡した[68]。それでも花王石鹸は経路の組み替えを止めず、1972年から1973年にかけて洗剤市場の首位を奪い返した[69]

  • 日経ビジネス 1974年9月16日号「花王石鹸。『販社』確立して洗剤首位の座固める」(日経マグロウヒル社)
    • [65]花王販社は花王製品だけを扱う卸機構で問屋が地区別に共同出資し1966年に着手して1974年時点で全国99社
    • [66]出資しなければ花王製品を扱えず参加すれば花王製品しか売れないため問屋の自主性は失われた
    • [67]東京都内の200の問屋が「販社粉砕協議会」を結成し卸売業界から猛反発
    • [68]1971年 花王はライオン油脂に洗剤シェア首位を奪われた
    • [69]1972〜73年に再び洗剤市場の首位を奪いライオンに差をつけた

国内の洗剤シェアは1973年3月期の40.1%から1975年3月期に37.4%へ沈み、1978年3月期には42.4%まで戻した[70]。同じ期間にP&G(日本)が1.9%から11.6%へ伸びるなかでも、花王石鹸は首位を保った[71]。第1次オイルショック以降にライオンがP&Gの安値攻勢で値崩れを起こしたのに対し、花王製品だけを扱う販社のおかげで花王の値崩れは小さかった[72]。1974年に洗剤と石鹸が再販指定から外れても、販社ルートで在庫を管理していた花王製品は値崩れを起こさなかった[73]。1978年には全国84カ所の販社を経て全製品のおよそ6割が直接小売店へ並び[74]、問屋を挟む他社より太くて短い経路を持った。物流費の比率は花王7.84%に対しライオン11.61%[75]で、1977年からの本社・工場・販社のオンライン化により在庫は1.4カ月から0.9カ月へ縮み、およそ60億円分の金利が浮いた[76]

  • 經濟論叢 第157巻4号
    • [70]国内洗剤シェアは1973年3月期40.1%・1975年3月期37.4%・1978年3月期42.4%
    • [71]同時期にP&G(日本)のシェアは1.9%から11.6%へ伸びた
  • 日経ビジネス 1982年3月8日号「一貫生産、技術開発力で世界市場へ 化粧品など多角化も急ピッチ」(日経マグロウヒル社)
    • [72]第1次オイルショック以降に花王とライオンの差が開いた最大の理由は価格維持力の違いで、ライオンはP&G・Sの安値攻勢に引きづられて値崩れを起こしたのに対し花王は販社制度のおかげで値崩れが小さかった
  • 日経ビジネス 1974年9月16日号「花王石鹸。『販社』確立して洗剤首位の座固める」(日経マグロウヒル社)
    • [73]1974年に洗剤・石鹸が再販指定から外れても販社ルートの在庫管理で値崩れしなかった
  • 日経ビジネス 1978年7月3日号「花王石鹸。販社の徹底利用で強い価格維持力」(日経マグロウヒル社)
    • [74]1978年 全国84カ所の販社を経て全製品の約6割が直接小売店に並び太くて短い流通ルートを持った
    • [75]物流費比率は花王7.84%・ライオン11.61%
    • [76]1977年からの本社・工場・販社オンライン化で合計在庫を1.4カ月から0.9カ月へ圧縮し約60億円分の金利が浮いた
  • 日経ビジネス 1979年8月13日号「編集長インタビュー 合弁成功の鍵は相互理解と研究の主導権——丸田芳郎氏(花王石鹸社長)」(日経マグロウヒル社)
    • [60]花王は全国約27万件の小売店と再販契約を結んだ
  • 日経ビジネス 1974年9月16日号「花王石鹸。『販社』確立して洗剤首位の座固める」(日経マグロウヒル社)
    • [61]丸田芳郎氏が販社づくりを主導
    • [62]流通経路が複雑で洗剤がスーパーの目玉商品にされた
    • [63]洗剤需要が年率5割で伸びるなかでも問屋の資本蓄積は進まず外資の進出に備えた販社づくりが急務
    • [65]花王販社は花王製品だけを扱う卸機構で問屋が地区別に共同出資し1966年に着手して1974年時点で全国99社
    • [66]出資しなければ花王製品を扱えず参加すれば花王製品しか売れないため問屋の自主性は失われた
    • [67]東京都内の200の問屋が「販社粉砕協議会」を結成し卸売業界から猛反発
    • [68]1971年 花王はライオン油脂に洗剤シェア首位を奪われた
    • [69]1972〜73年に再び洗剤市場の首位を奪いライオンに差をつけた
    • [73]1974年に洗剤・石鹸が再販指定から外れても販社ルートの在庫管理で値崩れしなかった
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [64]600店あった大小の問屋を整理統合し150の花王製品専門販売会社にする計画
  • 經濟論叢 第157巻4号
    • [70]国内洗剤シェアは1973年3月期40.1%・1975年3月期37.4%・1978年3月期42.4%
    • [71]同時期にP&G(日本)のシェアは1.9%から11.6%へ伸びた
  • 日経ビジネス 1982年3月8日号「一貫生産、技術開発力で世界市場へ 化粧品など多角化も急ピッチ」(日経マグロウヒル社)
    • [72]第1次オイルショック以降に花王とライオンの差が開いた最大の理由は価格維持力の違いで、ライオンはP&G・Sの安値攻勢に引きづられて値崩れを起こしたのに対し花王は販社制度のおかげで値崩れが小さかった
  • 日経ビジネス 1978年7月3日号「花王石鹸。販社の徹底利用で強い価格維持力」(日経マグロウヒル社)
    • [74]1978年 全国84カ所の販社を経て全製品の約6割が直接小売店に並び太くて短い流通ルートを持った
    • [75]物流費比率は花王7.84%・ライオン11.61%
    • [76]1977年からの本社・工場・販社オンライン化で合計在庫を1.4カ月から0.9カ月へ圧縮し約60億円分の金利が浮いた

1200億円を原料から製品までの一貫生産へ振り向けた投資

1978年3月期からの3年間、花王石鹸は総額1200億円にのぼる設備投資を実行した[77]。丸田芳郎社長は1979年8月の時点で今年度500億円、3年間で1200億円から1300億円の投融資を明言し、償却は3年で600億円に達する見込み[78]だと述べた。償却を終えたあとに強い体質を得て欧米市場へ出るという順序[79]で、国内で稼いだ利益を守りに回さず設備と研究へ振り向けた。1978年3月期の売上は1868億円、経常利益は74億円で3期連続の増収増益にあり、経常利益はライオン油脂のおよそ7倍あった[80]。投資の目玉は茨城県の鹿島工場の新設と、和歌山工場の脂肪酸・高級アルコール設備の増強、そしてフィリピンでのヤシ油事業[81]であった。

  • 日経ビジネス 1982年3月8日号「一貫生産、技術開発力で世界市場へ 化粧品など多角化も急ピッチ」(日経マグロウヒル社)
    • [77]昭和53年から55年にかけて総額1200億円の大規模設備投資
    • [81]大型投資の目玉は鹿島工場(茨城県)の新設・和歌山工場の脂肪酸と高級アルコール設備の増強・フィリピンでのヤシ油事業
  • 日経ビジネス 1979年8月13日号「編集長インタビュー 合弁成功の鍵は相互理解と研究の主導権——丸田芳郎氏(花王石鹸社長)」(日経マグロウヒル社)
    • [78]今年度500億円・3年で1200〜1300億円の投融資・償却は3年で600億円
    • [79]償却後は強い体質を得て欧米市場進出へ
  • 日経ビジネス 1978年7月3日号「花王石鹸。販社の徹底利用で強い価格維持力」(日経マグロウヒル社)
    • [80]1978年3月期は売上1868億円・経常74億円で3期連続増収増益、経常はライオン油脂の約7倍

この投資でヤシ油の精製から最終製品までの一貫生産体制が固まった[82]。脂肪酸の生産能力は年5万トンから12万トンへ、高級アルコールは年2万トンから4万トンへ増え[83]、脂肪族アミンや界面活性剤の能力も上がった。鹿島工場は1980年4月に完成し[84]、フィリピンでは1977年1月にピリピナス花王を設立してヤシ油を原料とする化学品を手がけた[85]。伊東克郎副社長はこの投資を、21世紀に世界のトイレタリー会社として生き残るための命運をかけた設備投資[86]だと述べた。九州工場は1980年中に包装から装置ラインまでほぼ無人化して24時間365日の自動運転とし、合理化で浮いた500人から600人を研究所へ回した[87]

  • 日経ビジネス 1982年3月8日号「一貫生産、技術開発力で世界市場へ 化粧品など多角化も急ピッチ」(日経マグロウヒル社)
    • [82]ヤシ油の精製から最終製品までの一貫生産体制を確立
    • [83]脂肪酸は年産5万トンから12万トンへ、高級アルコールは年産2万トンから4万トンへ増強
    • [86]伊東克郎副社長は21世紀に世界のトイレタリー会社として生き残るための命運をかけた設備投資と述べた
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [84]1980年4月 鹿島工場完成
    • [85]1977年1月 フィリピンにPilipinas Kao,Inc.を設立
  • 日経ビジネス 1979年8月13日号「編集長インタビュー 合弁成功の鍵は相互理解と研究の主導権——丸田芳郎氏(花王石鹸社長)」(日経マグロウヒル社)
    • [87]九州工場を1980年中に包装から装置ラインまでほぼ無人化し24時間365日自動運転、合理化で浮いた500〜600人を研究所へ

原料から一貫してつくる体制は、石鹸と洗剤の外にも製品を生んだ[88]。和歌山の研究所で高分子吸収体「ワンダー・ジェール」を開発し、これを使った生理用品「ロリエ」を1980年5月から全国で販売[89]した。ロリエは2年で24%から25%のシェアを取り、ユニ・チャームに次ぐ業界2位に就いた[90]。界面活性剤による乳化技術から生まれた高級化粧品「ソフィーナ」[91]は、1980年10月からの静岡県でのテスト販売を経て1982年の秋に全国で売り出した[92]。1983年には同じ吸収体の技術で紙おむつ「メリーズ」を、1987年にはコンパクト型の衣料用洗剤「アタック」を発売した[93]。1985年には化粧品の販売会社を全国9カ所に設けて化粧品を全国で売り[94]、同じ年に商号を花王石鹸株式会社から花王株式会社へ改めた[95]

  • 日経ビジネス 1982年3月8日号「一貫生産、技術開発力で世界市場へ 化粧品など多角化も急ピッチ」(日経マグロウヒル社)
    • [88]原料段階から自社生産し油脂化学の基礎技術を応用して石けん・洗剤以外の新製品を開発
    • [89]和歌山の研究所で高分子吸収体「ワンダー・ジェール」を開発し生理用品として製品化
    • [90]ロリエは2年間で24〜25%のシェアを確保しユニ・チャームに次ぐ業界2位
    • [91]高級化粧品ソフィーナは界面活性剤による乳化技術から派生
    • [92]ソフィーナは昭和55年10月からの静岡県でのテスト販売を経て1982年秋に全国販売
  • 週刊東洋経済 2002年10月19日号「デフレに負けない最強経営 花王の極意」
    • [93]1987年に販売開始した衣料用洗剤「アタック」
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [94]1985年 花王化粧品販売会社を全国9ヶ所に設立し化粧品(ソフィーナ)事業を日本全国に展開
    • [95]1985年 「花王石鹸株式会社」から「花王株式会社」へ商号変更
  • 日経ビジネス 1982年3月8日号「一貫生産、技術開発力で世界市場へ 化粧品など多角化も急ピッチ」(日経マグロウヒル社)
    • [77]昭和53年から55年にかけて総額1200億円の大規模設備投資
    • [81]大型投資の目玉は鹿島工場(茨城県)の新設・和歌山工場の脂肪酸と高級アルコール設備の増強・フィリピンでのヤシ油事業
    • [82]ヤシ油の精製から最終製品までの一貫生産体制を確立
    • [83]脂肪酸は年産5万トンから12万トンへ、高級アルコールは年産2万トンから4万トンへ増強
    • [86]伊東克郎副社長は21世紀に世界のトイレタリー会社として生き残るための命運をかけた設備投資と述べた
    • [88]原料段階から自社生産し油脂化学の基礎技術を応用して石けん・洗剤以外の新製品を開発
    • [89]和歌山の研究所で高分子吸収体「ワンダー・ジェール」を開発し生理用品として製品化
    • [90]ロリエは2年間で24〜25%のシェアを確保しユニ・チャームに次ぐ業界2位
    • [91]高級化粧品ソフィーナは界面活性剤による乳化技術から派生
    • [92]ソフィーナは昭和55年10月からの静岡県でのテスト販売を経て1982年秋に全国販売
  • 日経ビジネス 1979年8月13日号「編集長インタビュー 合弁成功の鍵は相互理解と研究の主導権——丸田芳郎氏(花王石鹸社長)」(日経マグロウヒル社)
    • [78]今年度500億円・3年で1200〜1300億円の投融資・償却は3年で600億円
    • [79]償却後は強い体質を得て欧米市場進出へ
    • [87]九州工場を1980年中に包装から装置ラインまでほぼ無人化し24時間365日自動運転、合理化で浮いた500〜600人を研究所へ
  • 日経ビジネス 1978年7月3日号「花王石鹸。販社の徹底利用で強い価格維持力」(日経マグロウヒル社)
    • [80]1978年3月期は売上1868億円・経常74億円で3期連続増収増益、経常はライオン油脂の約7倍
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [84]1980年4月 鹿島工場完成
    • [85]1977年1月 フィリピンにPilipinas Kao,Inc.を設立
    • [94]1985年 花王化粧品販売会社を全国9ヶ所に設立し化粧品(ソフィーナ)事業を日本全国に展開
    • [95]1985年 「花王石鹸株式会社」から「花王株式会社」へ商号変更
  • 週刊東洋経済 2002年10月19日号「デフレに負けない最強経営 花王の極意」
    • [93]1987年に販売開始した衣料用洗剤「アタック」

情報事業を800億円へ育てて退いた1998年の判断

花王が情報記録媒体へ入ったきっかけは、1980年に丸田芳郎社長が打ち出した基礎研究の拡大策[96]にあった。応用物理の研究室からフロッピーディスクが生まれ、1985年の国内発売時には洗剤メーカーの参入を訝る声[97]もあった。磁性粉をむらなく分散させる課題を界面活性の技術で解き、海外の相手先ブランド生産を軸に[98]事業を伸ばした。1986年5月にはカナダのDidak Manufacturingを買収して情報関連事業へ本格的に入り[99]、1991年の全世界売上高はおよそ250億円の規模に達した。カナダで首位、米国で上位を狙う勢いにあり、洗剤で培った技術の異業種への転用としては成果が出ていた[101][100]

  • 日経ビジネス 1992年5月18日号「花王 海外OEM戦略に転機 価格下げFD国内認知へ」(日経BP)
    • [96]フロッピーディスク参入のきっかけは1980年に丸田芳郎社長が打ち出した基礎研究の拡大策
    • [97]応用物理の研究室から生まれ1985年の国内発売時には洗剤メーカーの参入を訝る声があった
    • [98]界面活性技術で磁性粉の分散剤問題を解決し海外OEMで事業を拡大
    • [100]1991年の全世界売上高は約250億円規模でカナダ首位・米国上位を狙う勢いだった
    • [101]洗剤で培った界面活性技術の異業種応用として事業を拡大
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [99]1986年5月 カナダのDidak Manufacturing Limitedを買収し情報関連事業に本格的に進出

主力の欧米市場は頭打ちになり、国内市場へ販売を移さざるをえなく[102]なった。だが国内は単価の下落が激しく、5年前に1枚300円だったものが130円台まで落ち、およそ15社がひしめいた[103]。情報事業はメディアだけを手がけ、ハードもソフトも持たないため市場の変化に振り回[104]された。約10年の拡大でピーク時の売上高はおよそ800億円に達したが、総合情報産業への道[105]はなかった。1998年、後藤卓也社長は情報事業からの全面撤退を決め、パーソナルケアとハウスホールドを花王のコア事業と定めて[106]資源を集めた。1999年3月に情報関連事業から退き[107]、撤退後も花王は増益を続けて連結経常利益は過去最高を記録した[108]

  • 日経ビジネス 1992年5月18日号「花王 海外OEM戦略に転機 価格下げFD国内認知へ」(日経BP)
    • [102]欧米市場の成長に陰りが差し国内へシフトせざるを得なくなった
    • [103]国内は単価下落が激しく5年前1枚300円が130円台となり約15社がひしめいた
  • 日経ビジネス 1999年6月14日号「編集長インタビュー 後藤卓也氏[花王社長] 800億円の情報事業捨て本業回帰 新製品開発しトップを走り続ける」(日経BP)
    • [104]情報事業はメディアのみでハード・ソフトを持たず市場変化に振り回された
    • [105]約10年拡大に注力し売上はピーク約800億円に達したが総合情報産業への道はなかった
    • [106]後藤卓也社長は情報事業から撤退しパーソナルケアとハウスホールドをコア事業と定めた
    • [108]撤退後も花王は増益を続け連結経常利益は過去最高を記録した
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [107]1999年3月 情報関連事業から撤退

後藤卓也社長は撤退をトップ経営層の責任と捉え、けじめとして一部の役員を降格させ賞与をカットした[109]。賞与の削減は横並びではなく差をつけ、大幅に削られた役員もゼロに近い役員もいて、対象は代表取締役の全員と情報事業を担当した取締役[110]であった。撤退と同じ時期、花王は欧米に生産と販売の基盤を買い足していた。1988年に米国のアンドリュー・ジャーゲンズを、1989年5月に西独のゴールドウェルを買収し、ヘアケアとスキンケアの拠点を得た[112]。国内では1993年に流通の方針を改め、家庭用品のおよそ75%を販社ルートに乗せる一方、共同配送センターの利用と、代行店と名づけた卸売業者による中小小売店への配送を併せて使った[113]。1998年には台所用洗剤で「スポンジの除菌ができる」と掲げたP&Gの「ジョイ」にシェアを大きく奪われ[114]、寡占していた市場を崩された。 [111]

  • 日経ビジネス 1999年6月14日号「編集長インタビュー 後藤卓也氏[花王社長] 800億円の情報事業捨て本業回帰 新製品開発しトップを走り続ける」(日経BP)
    • [109]後藤卓也社長は撤退をトップ経営層の責任と捉え一部の役員を降格させ賞与をカットした
    • [110]賞与カットは横並びではなく差をつけ対象は代表取締役全員と情報事業担当取締役
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [111]1988年に米アンドリュー・ジャーゲンズ社を買収し欧米基盤を取得
    • [112]1989年5月 Goldwell AG(現Kao Germany GmbH)を買収
  • 日経ビジネス 1993年6月7日号「メーカー支配に限界 花王が卸育成へ転換」(日経BP)
    • [113]花王は家庭用品の約75%を販社ルートに乗せ共同配送センターの利用と代行店による中小小売店への配送へ方針を変えた
  • 週刊東洋経済 2002年10月19日号「デフレに負けない最強経営 花王の極意」
    • [114]1998年 台所用洗剤でP&Gの「ジョイ」にシェアを奪われた
  • 日経ビジネス 1992年5月18日号「花王 海外OEM戦略に転機 価格下げFD国内認知へ」(日経BP)
    • [96]フロッピーディスク参入のきっかけは1980年に丸田芳郎社長が打ち出した基礎研究の拡大策
    • [97]応用物理の研究室から生まれ1985年の国内発売時には洗剤メーカーの参入を訝る声があった
    • [98]界面活性技術で磁性粉の分散剤問題を解決し海外OEMで事業を拡大
    • [100]1991年の全世界売上高は約250億円規模でカナダ首位・米国上位を狙う勢いだった
    • [101]洗剤で培った界面活性技術の異業種応用として事業を拡大
    • [102]欧米市場の成長に陰りが差し国内へシフトせざるを得なくなった
    • [103]国内は単価下落が激しく5年前1枚300円が130円台となり約15社がひしめいた
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [99]1986年5月 カナダのDidak Manufacturing Limitedを買収し情報関連事業に本格的に進出
    • [107]1999年3月 情報関連事業から撤退
    • [111]1988年に米アンドリュー・ジャーゲンズ社を買収し欧米基盤を取得
    • [112]1989年5月 Goldwell AG(現Kao Germany GmbH)を買収
  • 日経ビジネス 1999年6月14日号「編集長インタビュー 後藤卓也氏[花王社長] 800億円の情報事業捨て本業回帰 新製品開発しトップを走り続ける」(日経BP)
    • [104]情報事業はメディアのみでハード・ソフトを持たず市場変化に振り回された
    • [105]約10年拡大に注力し売上はピーク約800億円に達したが総合情報産業への道はなかった
    • [106]後藤卓也社長は情報事業から撤退しパーソナルケアとハウスホールドをコア事業と定めた
    • [108]撤退後も花王は増益を続け連結経常利益は過去最高を記録した
    • [109]後藤卓也社長は撤退をトップ経営層の責任と捉え一部の役員を降格させ賞与をカットした
    • [110]賞与カットは横並びではなく差をつけ対象は代表取締役全員と情報事業担当取締役
  • 日経ビジネス 1993年6月7日号「メーカー支配に限界 花王が卸育成へ転換」(日経BP)
    • [113]花王は家庭用品の約75%を販社ルートに乗せ共同配送センターの利用と代行店による中小小売店への配送へ方針を変えた
  • 週刊東洋経済 2002年10月19日号「デフレに負けない最強経営 花王の極意」
    • [114]1998年 台所用洗剤でP&Gの「ジョイ」にシェアを奪われた

1999年〜 EVAの物差しとカネボウ買収、そして株主提案

製販一体の完成と資本コストで事業を測る物差し

1999年、全国各地区で家庭用製品を扱っていた販売会社8社が合併し、花王販売株式会社が発足した[115]。1964年の再販契約に始まる流通改革は、ここで製販一体の体制として一応の完成[116]をみた。2004年7月には株式交換で花王販売を完全子会社化し[117]、2007年4月には花王化粧品販売と合併させて花王カスタマーマーケティングとした[118]。需要を握る流通の基盤の上に、次は何にどれだけ資本を振り向けるかを測る仕組みが要った。花王は1960年代半ばから製品別の利益管理を敷き、1986年からは原価低減を全社で追うトータル・コスト・リダクション活動を続けていた。 [119]

  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [115]1999年 全国各地区の家庭用製品の販売会社8社が合併し花王販売株式会社が発足
    • [116]1999年の花王販売設立で1964年の再販契約に始まる流通改革を製販一体の体制として完成させた
    • [117]2004年7月 株式交換により花王販売を完全子会社化
    • [118]2007年4月 花王販売と花王化粧品販売が合併し花王カスタマーマーケティングへ商号変更
  • 日経ビジネス 2003年7月21日号「強さの研究 花王22期連続増益の舞台裏」(日経BP)
    • [119]花王は1960年代半ばに製品別の利益管理を導入し1986年からトータル・コスト・リダクション活動を続けた

1999年4月、後藤卓也社長のもとで花王は日本の事業会社として初めてEVAを経営指標に採り入れた[120]。資本コストを差し引いた利益で事業を測る尺度で、これに続く二番手はソニー[121]であった。投資の判断はEVAの変動で見る運用に切り替わり[122]、事業ごとの資本効率を同じ尺度で突き合わせて議論できた。この物差しのもとで花王は1981年度以来22期連続の連結増益と12期連続の増配を記録した[123]。トータル・コスト・リダクション活動は毎年100億円前後の原価低減を生み、営業利益率はおよそ13%から14%を保った[124]。後藤卓也社長はEVAの導入で経営の緊張を高め、健全なる危機意識と現状不満足の精神を成長の原動力に挙げた[125]

  • 日経ビジネス 2003年7月21日号「強さの研究 花王22期連続増益の舞台裏」(日経BP)
    • [120]1999年4月に花王は日本で初めてEVA(経済付加価値)を経営指標に導入した
    • [121]EVAは資本コストを賄えているかで事業を評価する尺度で二番手はソニーだった
    • [123]EVA下で1981年度以来22期連続の連結増益と12期連続の増配を記録
    • [125]後藤卓也社長はEVA導入で経営の緊張感を高め「健全なる危機意識と現状不満足の精神」を成長の原動力と語った
  • 日経ビジネス 1999年6月14日号「編集長インタビュー 後藤卓也氏[花王社長] 800億円の情報事業捨て本業回帰 新製品開発しトップを走り続ける」(日経BP)
    • [122]1999年4月にEVAを全面導入し投資判断をEVAの変動で見る運用へ切り替えた
  • 週刊東洋経済 2002年10月19日号「デフレに負けない最強経営 花王の極意」
    • [124]TCRで毎年100億円前後のコスト削減を実現し営業利益率はほぼ13〜14%を維持

2002年、花王は買収を相次いで決めた。3月にドイツ子会社のゴールドウェルを通じて米国のヘアサロン向けメーカーであるKMSリサーチを取得し、9月には米国の高級ヘアケアメーカーのジョン・フリーダをおよそ190億円で買収した[127]。ジョン・フリーダの年商はおよそ200億円、KMSリサーチは50億円強[128]であった。6月には中国の子会社を束ねる持株会社として花王(中国)投資有限公司を設立[129]した。前年の2001年には米ヘアケア大手クレイロールの買収を争い、花王の5500億円に対しP&Gが6100億円を提示[130]して競り負けている。2005年7月には英国のモルトン・ブラウンを340億円で買収し[131]、欧米の販路を小口の買収で積み上げた。 [126]

  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [126]2002年3月 Goldwell GmbHを通じてKMSリサーチ社を買収
    • [129]2002年 事業の持株会社として花王(中国)投資有限公司を設立
  • 週刊東洋経済 2002年10月19日号「デフレに負けない最強経営 花王の極意」
    • [127]ジョン・フリーダ社の買収額は約190億円
    • [128]ジョン・フリーダ社の年間売上は約200億円、KMSリサーチ社は約50億円強
  • 週刊東洋経済 2006年4月8日号「カネボウ化粧品買収のソロバン勘定 “合理主義”花王の非合理な選択」
    • [130]2001年の米クレイロール買収合戦で花王は5500億円を提示しP&Gの6100億円に敗れた
    • [131]2005年に英モルトンブラウンを340億円で買収
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [115]1999年 全国各地区の家庭用製品の販売会社8社が合併し花王販売株式会社が発足
    • [116]1999年の花王販売設立で1964年の再販契約に始まる流通改革を製販一体の体制として完成させた
    • [117]2004年7月 株式交換により花王販売を完全子会社化
    • [118]2007年4月 花王販売と花王化粧品販売が合併し花王カスタマーマーケティングへ商号変更
    • [126]2002年3月 Goldwell GmbHを通じてKMSリサーチ社を買収
    • [129]2002年 事業の持株会社として花王(中国)投資有限公司を設立
  • 日経ビジネス 2003年7月21日号「強さの研究 花王22期連続増益の舞台裏」(日経BP)
    • [119]花王は1960年代半ばに製品別の利益管理を導入し1986年からトータル・コスト・リダクション活動を続けた
    • [120]1999年4月に花王は日本で初めてEVA(経済付加価値)を経営指標に導入した
    • [121]EVAは資本コストを賄えているかで事業を評価する尺度で二番手はソニーだった
    • [123]EVA下で1981年度以来22期連続の連結増益と12期連続の増配を記録
    • [125]後藤卓也社長はEVA導入で経営の緊張感を高め「健全なる危機意識と現状不満足の精神」を成長の原動力と語った
  • 日経ビジネス 1999年6月14日号「編集長インタビュー 後藤卓也氏[花王社長] 800億円の情報事業捨て本業回帰 新製品開発しトップを走り続ける」(日経BP)
    • [122]1999年4月にEVAを全面導入し投資判断をEVAの変動で見る運用へ切り替えた
  • 週刊東洋経済 2002年10月19日号「デフレに負けない最強経営 花王の極意」
    • [124]TCRで毎年100億円前後のコスト削減を実現し営業利益率はほぼ13〜14%を維持
    • [127]ジョン・フリーダ社の買収額は約190億円
    • [128]ジョン・フリーダ社の年間売上は約200億円、KMSリサーチ社は約50億円強
  • 週刊東洋経済 2006年4月8日号「カネボウ化粧品買収のソロバン勘定 “合理主義”花王の非合理な選択」
    • [130]2001年の米クレイロール買収合戦で花王は5500億円を提示しP&Gの6100億円に敗れた
    • [131]2005年に英モルトンブラウンを340億円で買収

4100億円のカネボウ買収と十年をかけた統合

2005年12月、花王はカネボウ化粧品の完全子会社化を発表し、2006年1月に取得を終えた[132]。企業価値でおよそ4100億円を投じ、国内化粧品で4位から2位へ、シェアはおよそ12%[133]へ上がった。洗剤や日用品で最大手の花王は化粧品では後発の4位にとどまり、資生堂やカネボウが握る百貨店と専門店の対面販売網に入れずにいた[134]。量販店に強い花王と専門店に強いカネボウで販路を補える関係にあり[135]、当初はカネボウの経営の独立と両ブランドの併存を保つ設計をとった[136]。買収の負担で、過去24期続いた連続経常増益は2006年3月期で途切れた[137]

  • 花王「花王の成長戦略とカネボウ化粧品とのシナジー」(2006年7月26日、社長執行役員 尾﨑元規)
    • [132]2005年12月に完全子会社化を発表し2006年1月に完了
    • [133]企業価値約4100億円で国内化粧品4位から2位・シェア約12%となった
    • [134]花王は化粧品で後発の国内4位にとどまっていた
    • [135]量販店に強い花王と専門店に強いカネボウで販路を補完できる関係にあった
  • 日本経済新聞(2010年)「花王、カネボウ買収の成果乏しく」
    • [136]買収時はカネボウの経営独立・両ブランド併存で当面は現状を維持する統合方針をとった
  • 週刊東洋経済 2006年4月8日号「カネボウ化粧品買収のソロバン勘定 “合理主義”花王の非合理な選択」
    • [137]買収コストで過去24期続いた連続経常増益が2006年3月期で途切れた

化粧品事業の営業利益は2006年3月期の51億円から2007年3月期に5億円へ落ちた[138]。2010年の時点でもカネボウ買収は狙い通りの成果が出ていない[139]と見られていた。2013年、カネボウの美白化粧品を使った消費者の皮膚がまだらに白くなる白斑の症状が報告され、自主回収に至った[140]。被害を申し出た人は2016年4月末までに1万9584人に及び[141]、商品回収と損害賠償の費用で純損失に転じた。花王は2014年に研究と生産の部門をカネボウから引き取って統合し、販売会社の統合は買収からちょうど10年後の2016年1月であった[142]。化粧品事業の営業損益は2013年12月期に173億円の赤字となり[143]、買収額の回収は当初の想定より後ろへずれた。

  • 花王 有価証券報告書(化粧品事業セグメント業績)
    • [138]化粧品事業の営業利益はFY2005(2006年3月期)の51億円からFY2006(2007年3月期)に5億円へ低下
    • [143]化粧品事業の営業損益はFY2013に173億円の赤字
  • 日本経済新聞(2010年)「花王、カネボウ買収の成果乏しく」
    • [139]2010年時点でもカネボウ買収は狙い通りの成果が出ていないと評された
  • 週刊東洋経済 2016年6月4日号「花王による買収後10年 “お荷物”カネボウの挑戦」
    • [140]2013年にカネボウの美白化粧品で白斑症状が報告され自主回収に至った
    • [141]白斑の被害者は2016年4月末時点で1万9584人
    • [142]2014年1月に研究・生産部門全体を花王へ統合し販売会社の統合は2016年1月

2017年12月期の売上高は1兆4894億円、営業利益は2047億円で、営業利益が2000億円を超えたのは創業以来はじめて[144]であった。それでも国内の化粧品事業の営業利益率は2.1%にとどまり、資生堂・コーセー・ポーラオルビスの8%から15%台に見劣りした[145]澤田道隆社長は、買収してからもっとブランド力を高めるべきだったと振り返った[146]。2018年1月には花王グループカスタマーマーケティングが花王カスタマーマーケティングとカネボウ化粧品販売を吸収合併し[147]、販売の窓口を一つにした。買収から12年をかけて研究・生産・販売の三つを花王側へ寄せ、カネボウ化粧品の社長には2代続けて花王出身者が就いた[148]

  • 週刊東洋経済 2018年3月10日号「花王、待ったなしの“化粧品”改革」
    • [144]2017年12月期は売上高1兆4894億円・営業利益2047億円で営業利益2000億円超は創業以来初
    • [145]花王の化粧品事業の営業利益率は2.1%で競合3社は8〜15%台
    • [146]澤田道隆社長は「買収してからもっとブランド力を高めるべきだった」と振り返った
    • [148]カネボウ化粧品の社長は2018年1月に夏坂真澄氏から村上由泰氏へ交代し2代連続で花王出身者が就任
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [147]2018年1月 花王グループカスタマーマーケティングが花王カスタマーマーケティングとカネボウ化粧品販売を吸収合併
  • 花王「花王の成長戦略とカネボウ化粧品とのシナジー」(2006年7月26日、社長執行役員 尾﨑元規)
    • [132]2005年12月に完全子会社化を発表し2006年1月に完了
    • [133]企業価値約4100億円で国内化粧品4位から2位・シェア約12%となった
    • [134]花王は化粧品で後発の国内4位にとどまっていた
    • [135]量販店に強い花王と専門店に強いカネボウで販路を補完できる関係にあった
  • 日本経済新聞(2010年)「花王、カネボウ買収の成果乏しく」
    • [136]買収時はカネボウの経営独立・両ブランド併存で当面は現状を維持する統合方針をとった
    • [139]2010年時点でもカネボウ買収は狙い通りの成果が出ていないと評された
  • 週刊東洋経済 2006年4月8日号「カネボウ化粧品買収のソロバン勘定 “合理主義”花王の非合理な選択」
    • [137]買収コストで過去24期続いた連続経常増益が2006年3月期で途切れた
  • 花王 有価証券報告書(化粧品事業セグメント業績)
    • [138]化粧品事業の営業利益はFY2005(2006年3月期)の51億円からFY2006(2007年3月期)に5億円へ低下
    • [143]化粧品事業の営業損益はFY2013に173億円の赤字
  • 週刊東洋経済 2016年6月4日号「花王による買収後10年 “お荷物”カネボウの挑戦」
    • [140]2013年にカネボウの美白化粧品で白斑症状が報告され自主回収に至った
    • [141]白斑の被害者は2016年4月末時点で1万9584人
    • [142]2014年1月に研究・生産部門全体を花王へ統合し販売会社の統合は2016年1月
  • 週刊東洋経済 2018年3月10日号「花王、待ったなしの“化粧品”改革」
    • [144]2017年12月期は売上高1兆4894億円・営業利益2047億円で営業利益2000億円超は創業以来初
    • [145]花王の化粧品事業の営業利益率は2.1%で競合3社は8〜15%台
    • [146]澤田道隆社長は「買収してからもっとブランド力を高めるべきだった」と振り返った
    • [148]カネボウ化粧品の社長は2018年1月に夏坂真澄氏から村上由泰氏へ交代し2代連続で花王出身者が就任
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [147]2018年1月 花王グループカスタマーマーケティングが花王カスタマーマーケティングとカネボウ化粧品販売を吸収合併

ROICへの入れ替えと物言う株主からの提案

2018年、花王は米国のオリベヘアケアとウォッシングシステムズを買収し[149]、2023年11月にはオーストラリアの日焼け止めブランドを持つボンダイサンズを取得した[150]。日本で開発した製品を輸出する形から、現地で確立したブランドを買収で取り込む方法へ海外の組み立て方を改めた[151]澤田道隆社長は環境や社会への対応をコストではなく事業領域を広げる投資と捉え直し[152]、2030年に売上高2.5兆円・営業利益率17%・ROE20%という目標を掲げた[153]。2010年代の後半になると、EVAは海外展開や研究開発のように回収まで時間のかかる長期の投資を測りにくくなっていた[154]。花王は中期経営計画「K27」でEVAからROICへ指標を替え、2024年12月期に9.2%だったROICを2027年に11%以上へ引き上げる目標を置いた[155]

  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [149]2018年1月にオリベヘアケア社を、8月にウォッシングシステムズ社を買収
    • [150]2023年11月 ボンダイサンズ社を買収
    • [151]日本発の製品を輸出する海外展開から現地で確立したブランドを買収で取り込む方法へ転じた
  • 日経ESG(2020年4月6日)「花王・澤田社長『ESG視点でよきモノづくり』」
    • [152]澤田道隆社長はESGをコストではなく事業領域を広げるための投資と捉え直した
    • [153]澤田社長は2030年に売上高2.5兆円・営業利益率17%・ROE20%の目標を示した
  • 日経ビジネス 2003年7月21日号「強さの研究 花王22期連続増益の舞台裏」(日経BP)
    • [154]EVAは海外展開や研究開発など回収に時間のかかる長期投資の評価に合わなくなった
  • 花王 決算説明資料(2024年12月期)・中期経営計画「K27」
    • [155]K27でEVAからROICへ指標を替え2024年12月期のROIC9.2%を2027年に11%以上へ引き上げる目標

2023年12月期の営業利益は前期比45.5%減の600億円、純利益は49%減の438億円まで落ち込んだ[156]。化粧品事業は54億円の営業赤字に転じ、中国事業は処理水の放出をめぐる問題で失速[157]した。紙おむつの現地生産のため2011年4月に設けた花王(合肥)有限公司[158]は、2024年12月に清算した[159]。2024年4月、香港の投資ファンドであるオアシス・マネジメントが花王株のおよそ3%の取得を公表し、不振製品の整理と株主還元の強化を求めた[160]。同社は花王の株価が2021年以降におよそ23%下がり、同業各社に見劣りすると指摘した[161]。オアシスは2024年12月に持株を5%超へ引き上げて社外取締役の候補を指名し、2025年1月には6.6%で第4位株主となった[162]。同じ1月に、社外取締役5人の選任、報酬の増額、株式報酬の導入など4件を株主提案した[163]

  • WWDJAPAN(2024年2月8日)「花王2023年12月期は減収減益 中国市場が失速」
    • [156]2023年12月期は営業利益が前期比45.5%減の600億円、純利益が49%減の438億円
    • [157]化粧品事業は営業損益54億円の赤字に転落し中国は処理水放出問題で失速
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [158]2011年4月 花王(合肥)有限公司を設立
    • [159]2024年12月 花王(合肥)有限公司を清算
  • CNBC(2024年4月20日)「Oasis launches a campaign at Kao Corp, but this battle is likely to be a difficult one」
    • [160]2024年4月にオアシスが花王株の約3%取得を公表し不振製品の整理と株主還元強化を要求
    • [161]花王株は2021年以降に約23%下落し同業に見劣りすると指摘された
  • オアシス・マネジメント(2024年12月10日・プレスリリース)「Oasis to Nominate Industry-Leading Independent Director Candidates for Upcoming Kao AGM; Increases Stake to Over 5%」
    • [162]2024年12月に持株を5%超へ引き上げ社外取締役候補を指名し2025年1月に6.6%で第4位株主
  • 日本経済新聞(2025年1月)「花王、オアシスから株主提案受領 社外取締役選任を要求」
    • [163]2025年1月にオアシスが社外取締役5人の選任・報酬増額・株式報酬など4件を株主提案

2025年2月14日、花王の取締役会は4件の提案すべてに反対し、中期経営計画「K27」の遂行で企業価値を高めると表明した[164]。3月21日の定時株主総会で提案はすべて否決され、取締役候補への賛成は最高27.34%・最低11.25%、報酬の増額が28.96%、株式報酬が29.19%と、いずれも3割に届かなかった[165]。出席した株主は前年比6割増の478人で、総会は3時間[166]に及んだ。2024年12月期の営業利益は前期比27.8%増の1466億円、営業利益率は9.0%[167]へ戻った。それでもオアシスは持株を12%超へ高め、2026年3月にパーム油や紙・パルプの調達をめぐる独立調査を求めて臨時株主総会を要求した[168]。2026年4月30日の臨時株主総会でこの提案も賛成およそ3割で否決され[169]、資本市場からの圧力は続いている。

  • 花王「株主提案に対する当社取締役会意見と企業価値向上に向けた取り組み」(2025年2月14日・適時開示)
    • [164]2025年2月14日に花王取締役会がオアシスの4提案すべてに反対しK27の遂行で企業価値を高めると表明
  • 日本経済新聞(2025年3月24日)「花王の21日の株主総会、オアシス提案への賛成は3割未満」
    • [165]2025年3月21日の総会で4提案をすべて否決し賛成は候補最高27.34%・最低11.25%・報酬増額28.96%・株式報酬29.19%
  • 日本経済新聞(2025年3月21日)「花王巡る攻防、まずは経営陣に軍配 オアシス提案を否決」
    • [166]出席株主は前年比6割増の478人で総会は3時間に及んだ
  • 週刊粧業オンライン(2025年2月)「花王、2024年12月期は増収大幅増益」
    • [167]2024年12月期は営業利益が前期比27.8%増の1466億円・営業利益率9.0%
  • オアシス・マネジメント(2026年3月4日・プレスリリース)「Oasis Requests an Extraordinary General Meeting to Protect Kao」
    • [168]2026年3月にオアシスが持株12%超でパーム油・紙パルプの調達をめぐる独立調査を求め臨時株主総会を要求
  • 日本経済新聞(2026年5月1日)「花王の臨時株主総会、オアシスへの賛成3割 供給網調査の提案」
    • [169]2026年4月30日の臨時株主総会で供給網の独立調査提案は賛成約3割で否決
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [149]2018年1月にオリベヘアケア社を、8月にウォッシングシステムズ社を買収
    • [150]2023年11月 ボンダイサンズ社を買収
    • [151]日本発の製品を輸出する海外展開から現地で確立したブランドを買収で取り込む方法へ転じた
    • [158]2011年4月 花王(合肥)有限公司を設立
    • [159]2024年12月 花王(合肥)有限公司を清算
  • 日経ESG(2020年4月6日)「花王・澤田社長『ESG視点でよきモノづくり』」
    • [152]澤田道隆社長はESGをコストではなく事業領域を広げるための投資と捉え直した
    • [153]澤田社長は2030年に売上高2.5兆円・営業利益率17%・ROE20%の目標を示した
  • 日経ビジネス 2003年7月21日号「強さの研究 花王22期連続増益の舞台裏」(日経BP)
    • [154]EVAは海外展開や研究開発など回収に時間のかかる長期投資の評価に合わなくなった
  • 花王 決算説明資料(2024年12月期)・中期経営計画「K27」
    • [155]K27でEVAからROICへ指標を替え2024年12月期のROIC9.2%を2027年に11%以上へ引き上げる目標
  • WWDJAPAN(2024年2月8日)「花王2023年12月期は減収減益 中国市場が失速」
    • [156]2023年12月期は営業利益が前期比45.5%減の600億円、純利益が49%減の438億円
    • [157]化粧品事業は営業損益54億円の赤字に転落し中国は処理水放出問題で失速
  • CNBC(2024年4月20日)「Oasis launches a campaign at Kao Corp, but this battle is likely to be a difficult one」
    • [160]2024年4月にオアシスが花王株の約3%取得を公表し不振製品の整理と株主還元強化を要求
    • [161]花王株は2021年以降に約23%下落し同業に見劣りすると指摘された
  • オアシス・マネジメント(2024年12月10日・プレスリリース)「Oasis to Nominate Industry-Leading Independent Director Candidates for Upcoming Kao AGM; Increases Stake to Over 5%」
    • [162]2024年12月に持株を5%超へ引き上げ社外取締役候補を指名し2025年1月に6.6%で第4位株主
  • 日本経済新聞(2025年1月)「花王、オアシスから株主提案受領 社外取締役選任を要求」
    • [163]2025年1月にオアシスが社外取締役5人の選任・報酬増額・株式報酬など4件を株主提案
  • 花王「株主提案に対する当社取締役会意見と企業価値向上に向けた取り組み」(2025年2月14日・適時開示)
    • [164]2025年2月14日に花王取締役会がオアシスの4提案すべてに反対しK27の遂行で企業価値を高めると表明
  • 日本経済新聞(2025年3月24日)「花王の21日の株主総会、オアシス提案への賛成は3割未満」
    • [165]2025年3月21日の総会で4提案をすべて否決し賛成は候補最高27.34%・最低11.25%・報酬増額28.96%・株式報酬29.19%
  • 日本経済新聞(2025年3月21日)「花王巡る攻防、まずは経営陣に軍配 オアシス提案を否決」
    • [166]出席株主は前年比6割増の478人で総会は3時間に及んだ
  • 週刊粧業オンライン(2025年2月)「花王、2024年12月期は増収大幅増益」
    • [167]2024年12月期は営業利益が前期比27.8%増の1466億円・営業利益率9.0%
  • オアシス・マネジメント(2026年3月4日・プレスリリース)「Oasis Requests an Extraordinary General Meeting to Protect Kao」
    • [168]2026年3月にオアシスが持株12%超でパーム油・紙パルプの調達をめぐる独立調査を求め臨時株主総会を要求
  • 日本経済新聞(2026年5月1日)「花王の臨時株主総会、オアシスへの賛成3割 供給網調査の提案」
    • [169]2026年4月30日の臨時株主総会で供給網の独立調査提案は賛成約3割で否決

花王の沿革1887〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
花王創業——日本橋の洋小間物商から桐箱入り「花王石鹸」へ舶来の高級品と粗製の国産品が二極化する石鹸市場の空白に、中津川の酒造家出身・24歳の長瀬富郎氏はどう挑んだか 詳細を読む★★★
花王石鹸を発売★★
吾嬬町工場を新設
花王石鹸を設立
日本有機を設立
東京証券取引所に株式上場
合成洗剤を発売★★
花王石鹸が花王油脂を吸収合併
合成洗剤工場に投資
川崎工場を新設
販社制度の構築——問屋を外し、全国約27万件の小売と直接結ぶ流通改革数年のシェア首位喪失を代償に、副社長・丸田芳郎氏はなぜ問屋を介さない自前の流通網を選んだのか 詳細を読む★★★
設備投資と工場自動化の積極化——欧米市場をにらんだ攻めの投資国内で稼いだ余力を、なぜ花王石鹸・丸田芳郎社長は3年で1200億円超の投融資へ振り向けたのか 詳細を読む★★★
化粧品事業に参入★★
紙おむつ「メリーズ」を発売★★
フロッピーディスク事業からの全面撤退——「本業回帰」の宣言売上約800億円に育った情報事業を、なぜ後藤卓也社長は一度の決算で畳み、退路を人事で断ったのか 詳細を読む★★★
商号を花王に変更
トータルコストリダクションを推進
子会社を設立
尾﨑元規フロッピーディスク事業からの全面撤退——「本業回帰」の宣言売上約800億円に育った情報事業を、なぜ後藤卓也社長は一度の決算で畳み、退路を人事で断ったのか 詳細を読む★★★
尾﨑元規経営指標をEVAへ、そしてROICへ——20年かけて取り換えた事業評価の物差し資本効率をどの尺度で測るか——花王はなぜ日本初のEVAを導入し、20年余りを経て自ら組み替えたのか 詳細を読む★★★
尾﨑元規経営指標をEVAへ、そしてROICへ——20年かけて取り換えた事業評価の物差し資本効率をどの尺度で測るか——花王はなぜ日本初のEVAを導入し、20年余りを経て自ら組み替えたのか 詳細を読む★★★
尾﨑元規取締役会の改革
尾﨑元規John Frieda社を買収★★
尾﨑元規カネボウ化粧品の買収——約4100億円で化粧品後発から国内2位へ効率と再現性で事業を組み替えてきた花王は、感性の化粧品をどう統合しようとしたか 詳細を読む★★★
澤田道隆オムツの生産開始
澤田道隆Oribe Hair Careを買収
澤田道隆Washing Systemsを買収
澤田道隆早期退職者への支払金増額
長谷部佳宏Bondi Sands Australiaを買収
長谷部佳宏オアシスの株主提案と花王のK27堅持提案を退けてなお圧力はなぜ続くのか——収益力を落とした日用品最大手に資本市場が迫る規律をめぐる攻防 詳細を読む★★★
出典・参考
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
  • 花王 社史
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「花王石鹼」の項
  • 日経ビジネス 1974年9月16日号「花王石鹸。『販社』確立して洗剤首位の座固める」(日経マグロウヒル社)
  • 日経ビジネス 1982年3月8日号「一貫生産、技術開発力で世界市場へ 化粧品など多角化も急ピッチ」(日経マグロウヒル社)
  • 日経ビジネス 1979年8月13日号「編集長インタビュー 合弁成功の鍵は相互理解と研究の主導権——丸田芳郎氏(花王石鹸社長)」(日経マグロウヒル社)
  • 經濟論叢 第157巻4号
  • 日経ビジネス 1978年7月3日号「花王石鹸。販社の徹底利用で強い価格維持力」(日経マグロウヒル社)
  • 週刊東洋経済 2002年10月19日号「デフレに負けない最強経営 花王の極意」
  • 日経ビジネス 1992年5月18日号「花王 海外OEM戦略に転機 価格下げFD国内認知へ」(日経BP)
  • 日経ビジネス 1999年6月14日号「編集長インタビュー 後藤卓也氏[花王社長] 800億円の情報事業捨て本業回帰 新製品開発しトップを走り続ける」(日経BP)
  • 日経ビジネス 1993年6月7日号「メーカー支配に限界 花王が卸育成へ転換」(日経BP)
  • 日経ビジネス 2003年7月21日号「強さの研究 花王22期連続増益の舞台裏」(日経BP)
  • 週刊東洋経済 2006年4月8日号「カネボウ化粧品買収のソロバン勘定 “合理主義”花王の非合理な選択」
  • 花王「花王の成長戦略とカネボウ化粧品とのシナジー」(2006年7月26日、社長執行役員 尾﨑元規)
  • 日本経済新聞(2010年)「花王、カネボウ買収の成果乏しく」
  • 花王 有価証券報告書(化粧品事業セグメント業績)
  • 週刊東洋経済 2016年6月4日号「花王による買収後10年 “お荷物”カネボウの挑戦」
  • 週刊東洋経済 2018年3月10日号「花王、待ったなしの“化粧品”改革」
  • 日経ESG(2020年4月6日)「花王・澤田社長『ESG視点でよきモノづくり』」
  • 花王 決算説明資料(2024年12月期)・中期経営計画「K27」
  • WWDJAPAN(2024年2月8日)「花王2023年12月期は減収減益 中国市場が失速」
  • CNBC(2024年4月20日)「Oasis launches a campaign at Kao Corp, but this battle is likely to be a difficult one」
  • オアシス・マネジメント(2024年12月10日・プレスリリース)「Oasis to Nominate Industry-Leading Independent Director Candidates for Upcoming Kao AGM; Increases Stake to Over 5%」
  • 日本経済新聞(2025年1月)「花王、オアシスから株主提案受領 社外取締役選任を要求」
  • 花王「株主提案に対する当社取締役会意見と企業価値向上に向けた取り組み」(2025年2月14日・適時開示)
  • 日本経済新聞(2025年3月24日)「花王の21日の株主総会、オアシス提案への賛成は3割未満」
  • 日本経済新聞(2025年3月21日)「花王巡る攻防、まずは経営陣に軍配 オアシス提案を否決」
  • 週刊粧業オンライン(2025年2月)「花王、2024年12月期は増収大幅増益」
  • オアシス・マネジメント(2026年3月4日・プレスリリース)「Oasis Requests an Extraordinary General Meeting to Protect Kao」
  • 日本経済新聞(2026年5月1日)「花王の臨時株主総会、オアシスへの賛成3割 供給網調査の提案」

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