花王 の歴史

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創業 1887年
創業者 長瀬富郎
創業地 東京都中央区日本橋
創業・決断・現況・競合について
創業
1887年6月、24歳の長瀬富郎氏が東京日本橋区馬喰町に洋小間物商の長瀬商店を創業した。岐阜県中津川の酒造家の出身で、洋紙と輸入石鹸を扱う小売から商いを始めている。当時の国内市場は舶来の高級品と粗製の国産品に二分され、価格と品質のあいだに空白が残っていた。1890年10月、桐箱入りの国産高級石鹸"花王石鹸"を自社で製造した。一個一二銭は国産石鹸の3倍から4倍にあたる値づけで、発売と同時に大阪へ代理店を置き、最初から全国を商圏に据えた。1911年に長瀬富郎氏が病没したのち合資会社へ改組し、1925年5月に花王石鹸株式会社長瀬商会を設立している。
決断
川上の原料と川下の店頭を先に押さえ、そのあいだで製品を入れ替えてきた。1935年に製造部門を大日本油脂として分離し、1940年に原料側の日本有機を設立したうえで、1954年までの合併で三社を一つの法人へ戻した。この一貫生産を背に1951年に合成洗剤ワンダフルを発売し、1964年には問屋を外して全国約27万件の小売と再販契約を締結した。1978年3月期からは3年で1200億円の設備投資に踏み切り、ヤシ油の精製から製品までの経路を固めて、生理用品ロリエ、化粧品ソフィーナ、紙おむつメリーズを送り出した。反対に両端を持てない事業は残さず、1998年に800億円まで育てた情報事業から全面撤退した
現況
株式と知的財産権あわせて約4,291億円を投じて取得した化粧品は、20年たっても本業の利益率に達しない。2025年12月期の連結売上高は1兆6,886億円、営業利益は1,641億円だった。ハイジーンリビングケアが売上5,493億円・利益813億円で利益率14.8%、ヘルスビューティケアが4,329億円・391億円で9.0%、ケミカルが4,515億円・302億円で6.7%と並ぶなか、化粧品事業は2,616億円に対し104億円の4.0%にとどまる。1999年に日本の事業会社として初めてEVAを経営指標に採り入れ、2024年にはROICへ替えて2027年に11%以上を掲げたが、2024年からはオアシス・マネジメントの株主提案を受けている。国内が売上の56%を占め、残る44%の7,436億円はアジア・米州・欧州が生んでいる。
競合
競争の焦点は店頭ではなく、店頭までの経路にあった。1964年に問屋を外して全国約27万件の小売と再販契約を締結した直後の1971年、洗剤シェアの首位をライオン油脂へ明け渡している。それでも経路の組み替えを止めず、1972年から1973年に首位を取り戻した。洗剤シェアは1973年3月期の40.1%から1975年3月期に37.4%へ下がり、1978年3月期には42.4%へ戻る。同じ期間にP&Gが1.9%から11.6%へ伸びても首位を保てたのは、花王製品だけを扱う販社が値崩れを防いだからである。一方、化粧品では1923年に販売会社とチェインストア制を敷いた資生堂やカネボウが握る対面販売網に入れず、2006年にカネボウ化粧品ごと買収して国内2位へ上がった
長期業績の推移 1949〜2025年
花王:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1996年3月期2025年12月期

創業ストーリー 会社設立の経緯

仕入れの側から国産化粧石鹸の値づけを決めた創業

1887年6月、24歳の長瀬富郎氏が東京日本橋区馬喰町に洋小間物商の長瀬商店を開業した。岐阜県中津川の酒造家の出身で、開業の資金を用意できる立場にあった。当時の日本では石鹸の製造技術がまだ幼く品質も悪く、良質の化粧石鹸はすべて外国品に頼っていた。舶来の高級品と国内の中小業者がつくる粗製品に市場は二分され、価格と品質のあいだに広い空白が残っていた。長瀬富郎氏は洋紙と輸入石鹸を扱う小売のなかで、その空白を仕入れと販売の両側から掴んだ。製造ではなく流通の側から市場に入り、需要と品質評価を先に確かめてから製造へ進む順序をとった。

  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1887年6月 長瀬富郎氏が東京日本橋馬喰町で長瀬商店を開業
    • [5]創業時の取扱いは洋小間物・洋紙・輸入石鹸
  • 花王 社史
    • [2]長瀬富郎氏は美濃国中津川の酒造家の出身
    • [4]創業当時の国内石鹸市場は舶来の高級品と国内中小業者の粗製品に二極化し価格と品質に空白
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [3]良質の化粧石鹸は外国品に頼る段階で長瀬富郎氏はこれを残念に思い製造へ踏み込んだ

1890年10月、長瀬富郎氏は桐箱入りの国産高級石鹸"花王石鹸"を自社で製造して発売した。商標は外国の鉛筆に付けられた月星の意匠から着想し、月を美と清浄の象徴に重ねている。価格は一個一二銭で、当時の一般的な国産石鹸が三、四銭だったのに対し外国品なみの値づけだった。発売と同時に大阪へ代理店を置いて関西市場を開拓し、新聞広告も用いて最初から全国を商圏に据えた。東京の製造業者が東日本を、大阪の製造業者が西日本をそれぞれ市場としていた時代にあって、この販売方法は例をみないものだった。需要を先に読んでから製造へ参入する順序で、無名の小売商が石鹸の製造元へ変わった

  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1890年10月 桐箱入りの国産高級石鹸「花王石鹸」を発売
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [7]花王石鹸の商標は外国の鉛筆の月星の意匠から着想し月を美と清浄の象徴とした
    • [8]花王石鹸は一個一二銭 当時の一般国産石鹸は三、四銭
    • [9]発売と同時に大阪に代理店を置き新聞広告を用いて最初から全国を商圏に据えた
    • [10]東京のメーカーは東日本 大阪のメーカーは西日本を市場としていた時代の販売政策
  • 花王 社史
    • [11]流通業者から製造業者へ事業を広げた
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1887年6月 長瀬富郎氏が東京日本橋馬喰町で長瀬商店を開業
    • [5]創業時の取扱いは洋小間物・洋紙・輸入石鹸
    • [6]1890年10月 桐箱入りの国産高級石鹸「花王石鹸」を発売
  • 花王 社史
    • [2]長瀬富郎氏は美濃国中津川の酒造家の出身
    • [4]創業当時の国内石鹸市場は舶来の高級品と国内中小業者の粗製品に二極化し価格と品質に空白
    • [11]流通業者から製造業者へ事業を広げた
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [3]良質の化粧石鹸は外国品に頼る段階で長瀬富郎氏はこれを残念に思い製造へ踏み込んだ
    • [7]花王石鹸の商標は外国の鉛筆の月星の意匠から着想し月を美と清浄の象徴とした
    • [8]花王石鹸は一個一二銭 当時の一般国産石鹸は三、四銭
    • [9]発売と同時に大阪に代理店を置き新聞広告を用いて最初から全国を商圏に据えた
    • [10]東京のメーカーは東日本 大阪のメーカーは西日本を市場としていた時代の販売政策

工程を一つずつ自社へ取り込んだ三十余年

花王石鹸の発売後、長瀬商店は製造の工程を一つずつ社内へ取り込んだ。1902年には蒸気鹼化方式を採り入れ、1911年には石鹸の廃液からグリセリンを回収する工程を加えた。1920年には自動型打ちのベルトシステムを導入して量産の速度を上げ、1924年には搾油と硬化の設備を備えて原料の自給に手をつけた。1928年には魚油と硬化油から純良な石鹸をつくり、ヤシ油から製菓原料の食用油脂も製造した。これらは油脂石鹸史の上で先達にあたる工程で、長瀬商店は石鹸の製造元にとどまらず日本の油脂工業を先導する立場に移った。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [12]明治35年 蒸気鹼化方式の採用
    • [13]明治44年 石鹸廃液からのグリセリン回収
    • [14]大正9年 自動型打ベルトシステムの採用
    • [15]大正13年 搾油・硬化など原料自給体制の整備
    • [16]昭和3年 魚油・硬化油からの純良石鹸製造とヤシ油からの製菓原料用食用油脂製造
    • [17]油脂石鹸史上の先達をつとめ日本油脂工業のパイオニアとして貢献

1911年、長瀬富郎氏が病没し、創業から24年で長瀬商店は創業者を失った。同じ年に長瀬商店は合資会社へ改組し、個人の商いを組織の事業へ移した。1922年11月には隅田川沿いの吾嬬町に石鹸の量産専用工場を新設し、のちの東京工場とした。手作業に近い作業場での生産から、量産設備を備えた工場での生産へ製造の形が変わった。1925年5月には花王石鹸株式会社長瀬商会を設立し、個人商店から株式会社の組織へ移した。創業から38年を経て、原料工程と量産工場と法人格をそろえ、以後の設備投資を会社として決められる立場に立った。

  • 花王 社史
    • [18]長瀬富郎氏は1911年に病没し創業から24年で創業者を失った
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「花王石鹼」の項
    • [19]明治44年 長瀬商店は合資会社へ改組
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1922年11月 吾嬬町工場(現東京工場)完成
    • [21]1925年5月 花王石鹸株式会社長瀬商会設立
    • [22]1922年の量産工場と1925年の法人化で原料・量産・法人格がそろった
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [12]明治35年 蒸気鹼化方式の採用
    • [13]明治44年 石鹸廃液からのグリセリン回収
    • [14]大正9年 自動型打ベルトシステムの採用
    • [15]大正13年 搾油・硬化など原料自給体制の整備
    • [16]昭和3年 魚油・硬化油からの純良石鹸製造とヤシ油からの製菓原料用食用油脂製造
    • [17]油脂石鹸史上の先達をつとめ日本油脂工業のパイオニアとして貢献
  • 花王 社史
    • [18]長瀬富郎氏は1911年に病没し創業から24年で創業者を失った
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「花王石鹼」の項
    • [19]明治44年 長瀬商店は合資会社へ改組
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1922年11月 吾嬬町工場(現東京工場)完成
    • [21]1925年5月 花王石鹸株式会社長瀬商会設立
    • [22]1922年の量産工場と1925年の法人化で原料・量産・法人格がそろった

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歴史年表 1887〜2025年

花王の沿革1887〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1887〜1925年日本橋の小売商から国産化粧石鹸の製造元へ舶来雑貨の店売りから桐箱入り「花王石鹸」を作る製造業への転身

1887年6月、岐阜県中津川の酒造家に生まれた24歳の長瀬富郎氏が、東京日本橋区馬喰町に洋小間物・洋紙・輸入石鹸を扱う長瀬商店を出店した。舶来の高級品と粗製の国産品に二極化した石鹸市場を仕入れと販売から見通し、1890年10月に桐箱入りの国産高級石鹸"花王石鹸"を自社で製造して発売、流通業者から製造業者へと事業を広げた。

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★★★
花王石鹸を発売★★
吾嬬町工場を新設
花王石鹸を設立
1926〜1963年原料部門の分離と三社合併、そして合成洗剤への転換日本有機を設立
伊藤英三東京証券取引所に株式上場
伊藤英三合成洗剤を発売★★
福島正雄花王石鹸が花王油脂を吸収合併
福島正雄合成洗剤工場に投資
福島正雄川崎工場を新設
1964〜1998年販社と一貫生産で築いた優位、そして情報事業からの撤退福島正雄販社制度の構築——問屋を外し、全国約27万件の小売と直接結ぶ流通改革

1964年、花王石鹸は全国約27万件の小売店と再販契約を締結し、問屋を介した流通から、花王製品を専売する販売会社"花王販社"を軸とする自前の流通経路へ切り替える改革に着手した。副社長の丸田芳郎氏が陣頭指揮し、問屋の反発で一時は洗剤シェア首位を失う代償を払いながら、店頭までの経路を自社の側から握る体制を構築した経営判断である。

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★★★
丸田芳郎設備投資と工場自動化の積極化——欧米市場をにらんだ攻めの投資

1979年、花王石鹸の丸田芳郎社長は、今年度に500億円、今後3年間で1200億〜1300億円という投融資を明言し、設備投資と工場自動化を積極化する方針を打ち出した。九州工場をほぼ無人化して24時間・365日の自動運転にするなど、国内で稼いだ余力を生産合理化と研究開発、そして欧米市場への進出の布石に振り向けた経営判断である。

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★★★
丸田芳郎化粧品事業に参入★★
丸田芳郎紙おむつ「メリーズ」を発売★★
丸田芳郎多角化路線に区切りをつけ、主力事業へ絞り込む事業構成の見直し

1998年、花王の後藤卓也社長は、売上高で約800億円に達したフロッピーディスク事業からの全面撤退を決めた。得意とするパーソナルケアとハウスホールドの家庭用品をコア事業と定めて集中する一方、撤退の経営責任として一部の役員を降格させ賞与をカットし、退く判断を人事の面でも固定した経営判断である。

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★★★
丸田芳郎商号を花王に変更
丸田芳郎トータルコストリダクションを推進
常盤文克子会社を設立
1999〜2026年EVAの物差しとカネボウ買収、そして株主提案後藤卓也花王販売を設立★★★
後藤卓也20年かけて取り換えた事業評価の物差しと資本効率の重視

1999年4月、後藤卓也社長のもとで花王は日本の事業会社として初めてEVA(経済付加価値)を経営指標に導入し、資本コストを差し引いた利益で事業を測る物差しへ判断基準を統一した。それから20年余りを経て、当事者の花王自身がEVAをROICへ組み替えた。売上規模ではなく資本効率で事業を選ぶ経営への転換を、指標の設計という面から進めた判断である。

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★★★
後藤卓也取締役会の改革
後藤卓也John Frieda社を買収★★
尾﨑元規約4,291億円を投じての、後発から国内2位への一気の浮上

2006年1月、花王が化粧品大手のカネボウ化粧品の株式86%を産業再生機構から取得し、翌2月に100%として完全子会社化した経営判断。尾﨑元規社長のもとで、産業再生機構下で再建中だったカネボウの化粧品事業をまるごと取得し、国内化粧品で4位から2位へ、シェア約12%へと順位を上げ、日用品・化学品・化粧品の三事業構成を組んだ。花王が評価した企業価値は約4100億円で、花王最大のM&Aである。

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★★★
尾﨑元規オムツの生産開始
澤田道隆Oribe Hair Careを買収
澤田道隆Washing Systemsを買収
澤田道隆早期退職者への支払金増額
長谷部佳宏Bondi Sands Australiaを買収
長谷部佳宏物言う株主の要求を退け、中期経営計画K27を堅持する選択

2024年、香港の物言う株主オアシス・マネジメントが花王株を取得し、不振ブランドの整理・資本効率の改善・社外取締役の選任を求めた。花王取締役会は2025年の株主提案すべてに反対し、3月21日の定時株主総会で否決した。ただしオアシスは持株を積み増し、2026年には供給網をめぐる独立調査を求めて臨時株主総会を要求するなど、圧力は続く。

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★★★
出典・参考 4件
出典・参考
  • 花王 有価証券報告書【沿革】
  • 花王 社史
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「花王石鹼」の項
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)

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