1949年7月
企業再建整備法に基づき日本油脂株式会社を設立

日本油脂は戦時中に「スタンダード油脂(王子工場)」「ベルベット石鹸(尼崎工場)」「国産工業(川崎工場)」が統合して発足。軍需向けの油脂製品を製造したが、1945年の終戦によって顧客を喪失。終戦後の1949年に企業再建整備法に基づいて「油脂・塗料・火薬」の事業を継承して第二会社として日本油脂(従業員数約3000名)を新たに設立した。設立時点で、主力製品は国内トップシェアを確保しており、油脂32%(1位)、塗料10%(2位)、火薬31%(2位)。

1957年11月
連続無配転落。社長交代へ

売上高の60%を占める油脂事業(主に石鹸向け)が競争激化により採算が悪化。競合は広告宣伝を武器に最終製品を手掛けたのに対して、原料供給に徹した日本油脂は価格競争に巻き込まれた。業績不振により無配に転落。大橋退治社長が退任し、日本鉱業出身の阿部謙二氏が社長就任して経営再建を図る

決算
日油の業績
1957年11月期(単体)
売上高
56
億円
当期純利益
-0.65
億円
1961年11月
千鳥工場を新設。石油化学に本格進出

阿部社長は石油化学への進出を決定し、川崎市に千鳥工場を新設。川崎に拠点がある日石化学から石油原料を仕入れて、合成グリセリンの原料転換を目論んだ

決算
日油の業績
1961年11月期(単体)
売上高
85
億円
当期純利益
3.51
億円
1965年11月
業績不振により無配転落

油脂の輸入原料の高騰により採算が悪化

決算
日油の業績
1965年11月期(単体)
売上高
109
億円
当期純利益
0.31
億円
1973年6月
米Diamond Schamrock社から防錆事業を買収

亜鉛フレーム型防錆技術を買収によって取得。大手自動車メーカー向けに防錆剤を販売開始。2010年までに世界シェア66%を確保

1977年6月
大分工場を新設

昭和電工が新設した大分コンビナートに参画し、ポリブテン(電線皮膜材料)の製造を開始

決算
日油の業績
1977年11月期(単体)
売上高
721
億円
当期純利益
4.5
億円
1980年12月
川越工場を子会社として分離

日油技研工業株式会社

決算
日油の業績
1981年11月期(単体)
売上高
976
億円
当期純利益
8.3
億円
1983年2月
筑波研究所を新設
1992年
反射防止フィルムの研究開始
1995年11月
丸紅と合弁でインドネシア進出
1998年
反射防止フィルムの量産開始

愛知県武豊工場において製造開始。2007年までに4ラインを設置

2000年3月
溶接事業を譲渡

2000年以降、事業の選択と集中を実施。不採算事業である溶接事業の縮小を決定し、神明工場を閉鎖

2000年9月
塗料事業を譲渡

日本油脂BASFコーティングスに事業譲渡

2001年4月
電材事業開発部を新設(電子材料)
2001年4月
DDS事業開発部を新設(医薬品)
2003年3月
PDP向け反射防止フィルムが好調
2004年
王子工場を閉鎖(?)。大師工場に移転
2005年
DDS工場を稼働(川崎工場内)
2007年10月
日油株式会社に商号変更
2007年10月
機能フィルム事業部・DDS事業部(旧DDS事業開発部)を新設
2013年4月
ディスプレイ材料事業部を新設

機能フィルム事業部と電材事業開発部を統合して発足

決算
日油の業績
2014年3月期(連結)
売上高
1609
億円
当期純利益
97
億円
2017年3月
売上高_当期純利益率10%を突破
2022年3月
過去最高益を記録
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