日本油脂は戦時中に「スタンダード油脂(王子工場)」「ベルベット石鹸(尼崎工場)」「国産工業(川崎工場)」が統合して発足。軍需向けの油脂製品を製造したが、1945年の終戦によって顧客を喪失。終戦後の1949年に企業再建整備法に基づいて「油脂・塗料・火薬」の事業を継承して第二会社として日本油脂(従業員数約3000名)を新たに設立した。設立時点で、主力製品は国内トップシェアを確保しており、油脂32%(1位)、塗料10%(2位)、火薬31%(2位)。
売上高の60%を占める油脂事業(主に石鹸向け)が競争激化により採算が悪化。競合は広告宣伝を武器に最終製品を手掛けたのに対して、原料供給に徹した日本油脂は価格競争に巻き込まれた。業績不振により無配に転落。大橋退治社長が退任し、日本鉱業出身の阿部謙二氏が社長就任して経営再建を図る
阿部社長は石油化学への進出を決定し、川崎市に千鳥工場を新設。川崎に拠点がある日石化学から石油原料を仕入れて、合成グリセリンの原料転換を目論んだ