1897年、渡辺祐策ら宇部の地元有志が資本金4.5万円で沖ノ山炭鉱を設立。「炭を掘り尽くせば、また元の農漁村になってしまう」との危機感から、石炭が枯れる前に機械・セメント・化学を3年刻みで仕込み、1942年に宇部発祥4社の自己統合で宇部興産が発足した。戦後はカプロラクタム・アンモニアの量産化学品とセメントを軸とする総合素材企業へ拡大し、1957年から石炭部門7,000名を多角化事業に配転して炭鉱から撤退した。だが原料を輸入ナフサや海外資源に頼る構造は市況に翻弄され続け、2022年4月に社名をUBEへ改めると同時に祖業セメントをUBE三菱セメントへ承継して連結から外し、2025年にはカプロ・アンモニア国内生産停止を前倒しで決めた。こうして創業期の多角化の論理が、128年後に2度目の祖業転換として反復している。
歴史概略
1897年〜1956年石炭が枯れる前に仕込まれた機械・セメント・化学
資本金4.5万円の村人組合から始まった炭鉱
1897年6月、渡辺祐策ら宇部の地元有志が資本金4.5万円を出し合い、匿名組合「沖ノ山炭鉱」を設立した。出資者と従業員と地域住民がほぼ重なる共同経営の体裁で、瀬戸内海の海底炭田の採掘から事業が始まった。当時の宇部は山口県でも辺境の一寒村に過ぎず、産業基盤は皆無に等しい。明治末から戦前にかけて宇部周辺では沖ノ山・東見初・本山・山陽無煙・長澤・西沖ノ山の6炭鉱が稼働し、1949年時点で従業員約12,000名を石炭部門が抱える地域最大の炭鉱会社へ育った。宇部の企業は宇部人のためにあり、宇部人の利益に奉仕すべきだという大原則が、組合員=出資者=従業員という構造から自然に生まれた。
渡辺は炭鉱の好況期から将来の枯渇を口にしていた。中安閑一は後年、渡辺の口癖を「炭をナマで出すことはいけん。石炭を使って事業をおこさにゃあ。炭を掘り尽くせば、また元の農漁村になってしまう」(歴史をつくる人々 第11、1965)と伝えている。中安自身も後年、経営理念を問われて「限りある石炭から無限の事業を起こして子孫に伝える」(わたしの経営 1963)と整理しており、枯れる前に次を仕込む発想が企業理念そのものへと引き上げられた。石炭そのものを売るのではなく、石炭を原料・燃料として加工産業へ転じさせる発想は、のちの多角化の骨格を早くから規定し、宇部発祥の産業群を下支えする共通の基盤にもなった。
- 有価証券報告書
- 歴史をつくる人々 第11 1965年
- わたしの経営 1963
- 日経ビジネス 1984/5/7
3年刻みで仕込んだ機械・セメント・化学
渡辺の考えは具体的な会社設立として結実した。1914年1月に炭鉱機械を内製する宇部新川鉄工所、1923年9月にセメント製造、1933年4月にアンモニアを軸とする宇部窒素工業を、いずれも宇部の地元出資で立ち上げた。石炭の副産物や港湾立地を生かす形で、機械・セメント・化学の3領域を10〜20年刻みで仕込んでいく段取りだった。それぞれが独立した宇部発祥企業として並走する体制は、戦時統合の圧力に対する備えとしても機能し、9年後に宇部発祥4社の自己統合として合併する下地にもなった。外部資本を入れず、地元出資の法人群を束ねて一社にまとめる選択肢が、この時期に準備されていた。
1942年3月、政府が同業他社との企業合同を進める中で、宇部興産は沖ノ山炭鉱・宇部新川鉄工所・宇部セメント製造・宇部窒素工業の4社合併で発足した。外部資本との統合ではなく、宇部発祥4社の自己統合という形を選び、地域共同経営の原型を維持した。1949年5月に東京証券取引所に上場し、1950年4月期の売上高構成は石炭3.0億円・硫安2.5億円・セメント0.8億円となっていた。石炭が依然主力ではあったが、3本目・4本目の柱がすでに収益を生み始めていた。従業員の内訳は石炭部門約12,000名に対し肥料部門約4,000名・セメント部門約1,000名・機械部門約800名で、人員構成は炭鉱会社のままだった。
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- 歴史をつくる人々 第11 1965年
- わたしの経営 1963
- 日経ビジネス 1984/5/7
7,000名の配置転換で進めた石炭撤退
1951年1月に中央研究所を開設し、1955年12月には宇部カプロラクタム工場を新設してナイロン原料の量産に踏み込んだ。販売先は日本レイヨンで、合成繊維市場の立ち上がりに合わせた参入だった。エネルギー革命で国内炭鉱の採算が悪化するなか、宇部興産はカプロラクタム・アンモニアという量産化学品を、石炭事業の縮小と並行して立ち上げる段取りを選んだ。枯れていく祖業から出る利益を、次の主力となる化学量産品へ振り向ける計画が、中央研究所開設からわずか4年で量産工場として実体化した。研究所・プラント・販売先の3つを同時に手当てしたのは、合成繊維ブームに後れを取らないための速度優先の判断だった。
石炭撤退は社内の反対を抱えながら進んだ。水野一夫は「主力炭鉱だった宇部の沖ノ山炭鉱は鉱脈が薄くなり、採算が急速に悪化し始めた」「現場の坑夫と本社のスタッフとが一緒になり常磐炭田に進出しようと社内で運動し始めた」(日経ビジネス 1984/5/7)と振り返っている。経営陣は石炭の将来性を見限っていたが、現場の声に押されて常磐炭田への進出を決めた。出水多発で投資は失敗し、化学部門への投資を一時的に圧迫した。水野は「転換期には往々にして両者(注:企業と社員)の間にズレが生じる」(日経ビジネス 1984/5/7)とも語っている。1957年から石炭部門の約7,000名を多角化事業に配置転換し、撤退と同時に化学・セメント・機械への再配置を進めた点が、他の財閥系炭鉱会社との違いになった。1967年10月に宇部鉱業所を閉鎖し、1970年代までに石炭事業の従事者数はゼロとなった。
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- わたしの経営 1963
- 日経ビジネス 1984/5/7
1957年〜2001年セメントと化学量産で拡大した総合素材企業
千葉と宇部に置かれた化学量産の二極
1964年10月、千葉石油化学工場を新設し合成ゴム・エラストマー事業の拠点を確立した。同じ1964年6月にニューヨークとデュッセルドルフに駐在員事務所を開設し、輸出と原料調達の窓口を欧米に置いた。宇部の化学品は原料を石炭副産物やアンモニアに依存していたが、千葉の石油化学は輸入ナフサを原料とする別系統の事業であり、原料調達の地政学的リスクを2拠点で分散する構造を作った。千葉進出時点の中安閑一は「なんといっても、石油化学は、これからの化学工業の本命ですからネ。さしあたり、まず千葉の増強を図っていきます」(ダイヤモンド 1965/1/1)と語り、石炭由来からナフサ由来へ重心を移す意図を明言していた。1967年4月には堺工場、1965年7月には伊佐セメント工場を新設し、化学・セメント両事業の生産能力を西日本側でも積み増した。
1968年9月の高分子研究所開設、1969年6月の宇部アンモニア工業設立、1982年10月の145千KW石炭専焼自家発電所完成と、設備投資が続いた。自家発電所は宇部の電力コストを下げ、カプロラクタム・アンモニアの量産競争力を支えた。ただし千葉と宇部に化学量産の二極を抱える構造は、のちの市況変動で両拠点の損益を同時に押し下げる弱さも内包していた。1982年7月にはマッキンゼーに経営提言を依頼して中期計画策定に動くなど、量産事業の収益構造を外部の視点から見直す試みも始まっていた。研究所・拠点・電力と、量産を支える仕組みを一通り揃えた時点で、次の課題は収益の質に移りつつあった。
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- ダイヤモンド 1965/1/1
- 日経新聞 1986/11/27
セメント合弁とアジア生産で進めた同時改革
1994年9月、スペインProductos Quimicos del Mediterraneo S.A.の経営権を取得し、現UBE CORPORATION EUROPE S.A.U.として欧州拠点を確立した。1997年5月にはタイでThai CaprolactamとUBE Nylon (Thailand)を立ち上げ、アジアでカプロラクタム・ナイロンの一貫生産体制を築いた。為替・原料コストで国内拠点が劣位に立つ中、欧州とアジアに製造拠点を分散して輸出競争力を補完する構造である。同時期に宇部エチレンセンター構想は1994年に延期され、国内追加投資による拡大ではなく海外取得による補完という路線が選ばれた。国内の量産拠点を増やすのではなく、買収と現地生産で競争力を保つ選択が、この時期の宇部興産の海外戦略を特徴づけた。円高の進行と国内コストの悪化が、同社の投資先を日本の外へ押し出した形である。
1998年7月、三菱マテリアルとの合弁で宇部三菱セメントを設立した。国内セメント業界は需要縮小で再編が続き、他社合弁による販社統合で生産能力過剰を調整する動きが各社で起きていた。1999年10月には宇部興産機械を分社化し、機械事業を独立採算化した。1997年6月に創業100周年を迎えた直後の数年で、宇部興産はセメントの業界再編・機械の分社化・化学の海外展開という3つの構造改革を同時に進めた。総合素材企業の組織は、事業ごとに切り出し可能な単位へと組み替えられた。4社自己統合で発足した総合会社は、100年を経て、再び事業別の部品に分解されはじめた。地元4社の自己統合で生まれた会社は、海外買収と国内分社化の並行運営で、グループの輪郭をつくり直していた。
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- ダイヤモンド 1965/1/1
- 日経新聞 1986/11/27
2002年3月期の希望退職とリストラの起点
人員整理は2000年代より前から始まっていた。1986年11月、宇部興産は1987年3月末までに社員700人、1987年度中にさらに630人の計1,300人を削減する方針を発表した(日経新聞 1986/11/27)。化学大手で最初に踏み切った合理化であり、円高による輸出化学品の値下がりに対応する措置だった。2002年3月期の連結売上高は5,375億円で、同年8月には希望退職者402名を募集しており、2000年代初頭の宇部興産は化学・セメントの市況低迷と過剰人員の処理を抱えた。2003年10月には宇部日東化成を株式交換で完全子会社化し、電子・情報通信関連製品を取り込んだ。量産品の価格競争に巻き込まれる構造を、付加価値の高い特殊化成品で補おうとする動きである。1980年代後半の1,300人削減と2000年代初頭の人員整理・特殊化成品取り込みは、量産依存から脱却するための前後半の試みとしてつながっている。
このリストラを経て、2008年3月期には連結売上高7,042億円、営業利益559億円まで回復した。経常利益467億円、当期純利益240億円は、宇部興産の連結ベースで見ても屈指の好業績だった。ただし、この回復は中国・アジア向けカプロラクタム・ナイロンの需要拡大と原燃料市況の上昇に支えられたもので、市況が反転した翌FY08には営業利益は311億円へ、FY09には275億円へ落ち込んだ。総合素材企業の構造そのものは、市況依存から抜け出していなかった。総資産は2002年3月期8,202億円から2010年3月期6,547億円へ縮小し、有利子負債圧縮と資産整理を進める守りの運営が続き、好業績の翌年に緊縮へ戻る振れ幅の大きい決算が繰り返された。
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- ダイヤモンド 1965/1/1
- 日経新聞 1986/11/27
2002年〜2024年祖業セメントの切り離しと商号UBE化への転換
営業利益500億円台と300億円台を往復した10年
FY10からFY17にかけて、連結売上高は6,000〜7,300億円のレンジで横ばいに推移し、営業利益は243億円(FY13)から502億円(FY17)まで大きく振れた。FY12は中国向け化学品の市況悪化で営業利益299億円、FY15は再び414億円へ戻す具合で、化学・セメント・機械を抱える総合素材企業の利益が地域市況に左右される構造が定着していた。田村浩章(FY08-FY09)、竹下道夫(FY10-FY13)、山本謙(FY14-FY17)と社長は3代続いたが、ポートフォリオの基本構成は維持された。自己資本はFY15の2,418億円からFY17の3,153億円へ積み上がり、有利子負債はFY12の2,453億円からFY17の1,941億円へ縮小し、財務の修復が進んだ。売上の伸びではなく、振れ幅の大きい利益を財務指標の改善で吸収する運営が、この時期の宇部興産の基調だった。
セグメント別では、建設資材が2,000億円台の安定収益源、化学が市況で振れる主力、機械・金属成形が400〜900億円台の補助柱、医薬とエネルギー・環境がニッチ事業として並走した。FY15に化成品・樹脂と機能品・ファインを統合して「化学」セグメントへ束ねた組み替えは、量産化学品と機能品の共通基盤を強調する整理であり、後のスペシャリティ化への布石でもあった。FY10には医薬を独立セグメントとして開示し、機能品・ファインは2010年代を通じて利益寄与の振れが大きい領域として位置付けられた。セグメント構成の並びそのものが、祖業セメントへの依存から化学主体へ少しずつ重心を移していく過程を映している。
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セメント承継と商号変更を同時に決めた2022年
2018年6月に泉原雅人が代表取締役社長に就任した。2020年9月、三菱マテリアルとのセメント事業の経営統合方針を決定し、2022年4月にセメント関連事業をUBE三菱セメントに承継した。同社は持分法適用関連会社となり、宇部興産の連結売上高から建設資材セグメントの2,000億円超が消えた。FY21の連結売上高6,553億円はFY22で4,947億円へ縮小し、純損失▲70億円を計上した。祖業の一角を切り離す決断は、決算上の急減と赤字転落を伴って実行された。1998年の宇部三菱セメント設立から24年を経て、合弁による部分的な調整から完全な承継へと、セメント再編を一段先へ進めた判断である。石炭の次に柱となったセメントを、100年超の歴史のなかで初めて連結の外に置いた。
同じ2022年4月、社名を「宇部興産」から「UBE」に変更し、東証プライム市場へ移行した。1942年の合併以来80年使った商号を捨てる判断と、祖業セメントの連結除外が同時に実施された。中安が伝えた渡辺祐策の言葉「炭を掘り尽くせば、また元の農漁村になってしまう」(歴史をつくる人々 第11、1965)は、量産化学品と素材の市況に翻弄されてきた経験と重ねれば、80年を経て化学スペシャリティへの転換を促す論理として読み直せる。前後してエラストマー事業を2021年10月にUBEエラストマーへ分社化し、千葉拠点も独立採算に切り替えた。商号・事業構成・拠点の3つが、同じ1年余りのあいだにまとめて組み替えられた。
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構造改革と純損失▲48億円の2025年3月期
FY23は売上高4,682億円、営業利益225億円、当期純利益290億円と一旦黒字を回復した。しかしFY24では構造改革の決定に伴う減損損失を中心に特別損失369億円を計上し、純損失▲48億円となった。決算説明会の説明によれば、タイカプロラクタムの生産停止を従来の2027年3月から2026年3月へ前倒し、ナイロンポリマーは縮小、日本カプロラクタム・ナイロンポリマーは2027年3月停止、アンモニア国内生産は2028年3月停止が確定した。1955年と1968年に始めた量産化学品は、2020年代後半に順次停止する計画である。GHG排出量は2024年度実績で2013年度比32%減、構造改革完了後の2028年度には65%減見込みで、脱炭素目標と事業撤退が一本の線でつながった格好になっている。
2022年12月にエーピーアイコーポレーションを取得して医薬受託事業を強化し、2024年12月には欧州でマテリアルリサイクル樹脂製造会社を取得してコンポジット事業に新たな足場を作った。量産品からの撤退と、医薬・機能品・コンポジット領域のM&A強化が、同時並行で走った。カプロラクタム・アンモニアの停止で空いた生産拠点と人員を、スペシャリティと循環型材料にどう振り向けるかが、次期中計の実行段階で焦点となる。2010年代の特殊化成品取り込みから15年を経て、同社は量産依存の構造を本格的に組み替えている。撤退と取得を同じ3年のなかで走らせる運営が、ここ数年の特徴になっている。
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直近の動向と展望
LANXESSウレタン取得と6セグメント化
2025年4月1日付でドイツLANXESSのウレタンシステムズ事業を取得し、URETHANE SYSTEMS USA LLCなど7社を新規連結した。連結子会社数はFY25-3Q時点で34社から45社へ増え、UBEのグローバル事業構造はわずか1四半期で再編された。同年4月に2nd Stage中期経営計画(2025-2030)を始動し、設備投資860億円、DOE2.5%以上、連結総還元性向30%以上(3ヵ年平均)を掲げた。FY25-3Q累計では売上高3,322億円・営業利益145億円(前年比+52.0%)、純利益は211億円(前年同期は▲191億円)と黒字転換した。量産化学品を停止するのと同じ時期に、ウレタンという新しい柱を取得でまとめて取り込み、中期経営計画の出発点に据え直した。停止と買収がほぼ同時期に重なり、事業の入れ替えを1年以内に終わらせる運営となった。
セグメントは2026年3月期から、機能品・樹脂化成品・機械・その他の4区分から、機能品・高機能ウレタン・医薬・樹脂化成品・機械・その他の6区分に変更された。高機能ウレタンと医薬を独立させ、スペシャリティ事業の損益が外から見える形に組み替えた。一方で高機能ウレタンはPMI費用先行で営業赤字、医薬も受託品減少で赤字となっており、新規取得事業の収益貢献本格化は次年度以降に持ち越されている。のれん残高は2,418百万円から41,015百万円へ膨らみ、ウレタンシステムズ取得が貸借対照表上にも数字として現れた。セグメント開示の刷新と財務負担の増加が、同じ四半期決算の中で並行している。
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- 決算説明会 FY25-1Q
- 決算説明会 FY25-3Q
- 化学工業日報 2025/1/10
西田祐樹体制と「投資の刈り取り」
2025年2月、泉原雅人から西田祐樹への社長交代が発表された。泉原は化学工業日報の取材に「2025年はこれまで実施した大型投資・M&Aを計画通り着実に立ち上げ、投資の成果を示す1年にしたい」(化学工業日報 2025/1/10)と語り、同じ取材で「アンモニアチェーンの国内製造停止時期を計画より2年早め、2027年度末に前倒しする」(化学工業日報 2025/1/10)とも述べている。大型投資の実行を引き継ぎ、刈り取りの責任を西田体制に渡した。LANXESSウレタンの取得と、アンモニア停止の前倒しが、新体制の出発点で同時に走り出した。旧来の量産事業を閉じながら、新しい柱を立ち上げる二重の運営が、2025年の同社の日常となっている。
ROE向上と株主資本コスト低減の論理が前面に出ている。FY25-3Q決算説明資料は株主資本コスト8%・市場推計12%程度と認識し、市況変動の影響を受けにくいスペシャリティ事業比率の引き上げで両者のギャップを埋める方針を示した。2028年度のGHG排出量65%減(2013年度比)も、アンモニアとカプロラクタムの停止と連動する数字である。炭を掘り尽くせばまた元の農漁村になってしまうと渡辺祐策が語った1897年から128年を経て、宇部発祥の素材企業は2回目の祖業転換の途上にある。資本コスト・脱炭素・ポートフォリオ入れ替えの3つを同じ枠組みで説明する姿勢は、創業期の「枯れる前に動く」論理を現代の経営言語に置き直したものと読める。
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- 決算説明会 FY25-1Q
- 決算説明会 FY25-3Q
- 化学工業日報 2025/1/10