JSR

の歴史

創業

1957年

創業者

※政府・民間の共同出資

創業地

東京都港区

直近売上高(2024/3)

4,046億円

長期業績と転換点(1970/3〜2024/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1979年に合成ゴムメーカーが半導体材料へ乗り出したのか
A 汎用の合成ゴムは原料市況や為替に業績が左右され、規模を拡げても安定した収益に結びつきにくい構造的な弱さを抱えていた。1978年から82年の第2次石油危機で1982年3月期の営業利益は前期比65%落ち込み、1985年のプラザ合意による円高はタイヤ向け合成ゴムの販売を直撃した。この限界を前に、合成ゴムで培った高分子の合成・精製技術を応用できるフォトレジストへ活路を求め、1979年4月に半導体材料へ参入した
Q なぜ1990年代に本業をリストラしてまで電子材料へ集中投資したのか
A 電子材料は高い研究開発費を継続して投じ、その分野で首位級にならなければ利益が出ない事業で、潤沢な資金のない同社は本業のリストラで投資原資を捻り出すしかなかった。売上高研究開発費比率は合成ゴムの3%に対し光・電子材料で20%に達し、1994年3月期からの3年間でスチレン・ブタジエンゴムの品目数を半分近くに絞り、毎年100億円超のキャッシュフローを電子材料へ振り向けた。多角化を陣頭指揮した朝倉竜夫氏は「利益をあげるにはその分野で1位か2位になるしかない」と語り、1997年12月に社名を日本合成ゴムからJSRへ改めた
Q なぜ2022〜2024年に祖業のエラストマー事業を手放しJIC傘下で非公開化したのか
A 価格競争に晒される合成ゴムを抱えたままでは半導体材料への集中を貫けず、同社はまず祖業を切り離した。2022年4月、創業以来の中核だったエラストマー事業をENEOSへ譲渡し、同月にプライム市場へ移行している。さらに、上場を続ける限り多様な株主の存在で長期の業界再編戦略を明瞭に進めにくく、経済安全保障上も重要な半導体材料で単一株主のもと中長期の大型投資を担うため非公開化を選んだ。2024年に産業革新投資機構傘下のJICC-02による公開買付けが成立し、同年6月に上場廃止となった

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1957年〜 合成ゴムの国産化を担う国策会社としての出発と民営化

  1. 1957年合成ゴム製造事業特別措置法に基づき、政府及び民間会社の出資により日本合成ゴム株式会社を設立。本社は東京都港区麻布飯倉片町。
  2. 1958年本社を東京都中央区京橋に移転。
  3. 1960年四日市工場が稼動を開始し、合成ゴムの生産を開始。
  4. 1961年合成ゴムラテックスの生産を開始。
  5. 1964年合成樹脂の生産を開始。
  6. 1968年千葉工場が稼動を開始。
  7. 1969年日本合成ゴムに関する臨時措置法を廃止する法律が成立・施行され、国策会社から純民間会社に。

JSRの業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書等

特別措置法が生んだ官民出資の合成ゴムメーカー

日本合成ゴム株式会社は、合成ゴムの国産化を目的とした合成ゴム製造事業特別措置法に基づき、1957年12月10日に政府および民間会社の出資によって設立された。当時のタイヤや工業用ゴム製品は天然ゴムの輸入に依存しており、外貨負担の軽減と資源の安定確保が国家的な課題とされていた。本社は東京都港区麻布飯倉片町に置かれ、翌1958年には東京都中央区京橋へ移転している。合成ゴムという当時の日本にとって未確立の素材産業を、官民の共同出資という枠組みで立ち上げた点に、この会社の出発点の特殊性がある。 [1][2]

  • JSR 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1957年12月に日本合成ゴム株式会社が設立された
    • [2]設立時の本社は東京都港区麻布飯倉片町に置かれた

設立から間もなく、会社は生産拠点の整備を急いだ。1960年4月に四日市工場が稼動を開始して合成ゴムの生産に入り、翌1961年には合成ゴムラテックスの生産を始めている。1964年10月には合成樹脂の生産にも踏み出し、ゴムから樹脂へと素材の幅を広げた。日合商事や日本ラテックス加工、日合ゴム加工といった関連会社を相次いで設立し、原料調達から加工・販売までを担うグループの原型を整えた。四日市を母体とする石油化学のコンビナートを軸に、合成ゴムメーカーとしての基盤がこの時期に固まった。 [3][4]

  • JSR 有価証券報告書【沿革】
    • [3]1960年4月に四日市工場が稼動し合成ゴムの生産を開始した
    • [4]1964年10月に合成樹脂の生産を開始した
  • JSR 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1957年12月に日本合成ゴム株式会社が設立された
    • [2]設立時の本社は東京都港区麻布飯倉片町に置かれた
    • [3]1960年4月に四日市工場が稼動し合成ゴムの生産を開始した
    • [4]1964年10月に合成樹脂の生産を開始した

国策会社から純民間会社へ移行した転機

国策会社としての性格は、設立から十年あまりで転機を迎えた。1969年4月、日本合成ゴムに関する臨時措置法を廃止する法律が第61国会で成立・施行され、会社は政府出資を離れた純民間会社となった。合成ゴムの国産化という当初の政策目的が一定の達成をみたことが、この移行の背景にあった。官の後ろ盾を外れた会社は、以後は一民間企業として、需要変動や価格競争、原料市況の波を自らの競争力で受け止めながら事業を伸ばす立場に立つことになる。設立から40年余りをかけて収益構造を大きく組み替えていく長い変容は、この民営化を出発点としている。 [5][6]

  • JSR 有価証券報告書【沿革】
    • [5]1969年4月に臨時措置法を廃止する法律が成立し純民間会社となった
  • 日経ビジネス(1997年7月7日号)
    • [6]合成ゴム製造の国策会社として出発した同社の収益構造は設立後40年で大きく変わった

純民間会社となったことは、単なる資本構成の変化にとどまらなかった。合成ゴムの国産化という国家的な使命のもとで守られてきた会社は、以後は需要変動や価格競争、原料市況の波をすべて自らの経営判断で受け止めなければならない立場に立った。四日市を中心とする石油化学の生産基盤と、合成ゴム・ラテックス・合成樹脂へと広げてきた製品群は、この時点で相応の厚みを備えていた。だが高度成長という追い風のもとで築かれたその事業構造が、次の時代の環境変化にどこまで耐えられるかは、まだ誰にも見えていなかった。

  • JSR 有価証券報告書【沿革】
    • [5]1969年4月に臨時措置法を廃止する法律が成立し純民間会社となった
  • 日経ビジネス(1997年7月7日号)
    • [6]合成ゴム製造の国策会社として出発した同社の収益構造は設立後40年で大きく変わった

1970年〜 上場後の石油危機と円高が突きつけたコモディティの限界

  1. 1970年株式を東京・大阪両証券取引所市場第二部に上場。
  2. 1971年鹿島工場が稼動を開始。
  3. 1971年株式を東京・大阪両証券取引所市場第一部に指定替上場。
  4. 1975年本社を東京都中央区築地に移転。
  5. 1979年フォトレジストの販売を開始し、半導体材料事業に参入。
  6. 1988年液晶ディスプレイ材料の販売を開始。

JSRの業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書等

二部上場から市場第一部への駆け上がり

民営化の翌年にあたる1970年10月、会社は株式を東京・大阪両証券取引所の市場第二部に上場した。翌1971年1月には鹿島工場が稼動を開始し、同年8月には市場第一部への指定替上場を果たしている。設立から十数年で二部上場、そのわずか一年足らずで一部へと駆け上がった歩みは、高度成長期の合成ゴム需要の強さと、それに応えた四日市・千葉・鹿島という生産拠点の拡張力を反映していた。この時期の会社は、自動車産業の拡大に支えられたタイヤ・工業用ゴム向けの合成ゴムを収益の柱とする、典型的な素材メーカーだった。 [7][8]

  • JSR 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1970年10月に東京・大阪両証券取引所市場第二部に上場した
    • [8]1971年8月に市場第一部へ指定替上場した

上場後の会社は、高度成長期の旺盛な需要を背に、合成ゴムを主力とする素材メーカーとして規模を拡げた。1968年に稼動した千葉工場、1971年の鹿島工場と生産拠点を相次いで立ち上げ、1975年12月には本社を東京都中央区築地へ移している。タイヤや工業用ゴム、合成樹脂といった製品は、自動車をはじめとする国内製造業の成長とともに需要を伸ばした。もっとも、こうした汎用素材は景気や原料市況、為替の変動に業績が左右されやすく、規模の拡大が必ずしも安定した収益に直結するわけではない。拡大の裏側には、コモディティ素材ならではの構造的な弱さも潜んでいた。 [9]

  • JSR 有価証券報告書【沿革】
    • [9]1975年12月に本社を東京都中央区築地へ移転した
  • JSR 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1970年10月に東京・大阪両証券取引所市場第二部に上場した
    • [8]1971年8月に市場第一部へ指定替上場した
    • [9]1975年12月に本社を東京都中央区築地へ移転した

二度の石油危機と円高が迫った脱コモディティ

素材メーカーとしての安定は、1970年代後半から揺らぎ始めた。1978年から82年にかけての第2次石油危機はゴム原料価格を押し上げ、1982年3月期の営業利益は前期に比べて大きく落ち込んだ。さらに1985年のプラザ合意による円高は、輸出依存だった自動車産業を直撃し、その打撃はタイヤ向け合成ゴムの販売不振として会社に跳ね返った。汎用の合成ゴムは価格競争に晒されやすく、需要も景気に連動して振れる。原料高と円高の二重苦のなかで、本業一辺倒からの脱却は避けて通れない経営課題として明確になった。 [10][11]

  • 日経ビジネス(1997年7月7日号)
    • [10]第2次石油危機でゴム原料価格が上がり1982年3月期の営業利益が前期比で大きく減少した
    • [11]1985年のプラザ合意による円高で自動車向け合成ゴム販売が落ち込み本業依存脱却が課題となった

転換の芽は、危機に先立って蒔かれていた。1979年4月、会社はフォトレジストの販売を開始し、半導体材料の分野に足を踏み入れている。フォトレジストは半導体のシリコンウエハー上に微細な回路を焼き付ける工程で使う感光性の薬品であり、合成ゴムで培った高分子の合成・精製の技術を応用できる領域だった。続く1988年3月には液晶ディスプレイ材料の販売も始め、電子・光関連の素材へと事業の裾野を広げた。石油危機と円高が突きつけた汎用素材の限界が、この電子材料への傾斜を静かに後押ししていた。 [12][13]

  • JSR 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1979年4月にフォトレジストの販売を開始し半導体材料分野に参入した
    • [13]1988年3月に液晶ディスプレイ材料の販売を開始した
  • 日経ビジネス(1997年7月7日号)
    • [10]第2次石油危機でゴム原料価格が上がり1982年3月期の営業利益が前期比で大きく減少した
    • [11]1985年のプラザ合意による円高で自動車向け合成ゴム販売が落ち込み本業依存脱却が課題となった
  • JSR 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1979年4月にフォトレジストの販売を開始し半導体材料分野に参入した
    • [13]1988年3月に液晶ディスプレイ材料の販売を開始した

1989年〜 電子材料への集中投資と海外進出、そしてJSRへの改称

  1. 1989年筑波研究所が完成。
  2. 1993年UCB-JSR ELECTRONICS の株式を追加取得し、後のJSR Micro N.V.・JSR Micro,Inc.となる2社を子会社化。
  3. 1996年テクノポリマー株式会社(現・テクノUMG)を設立し、ABS樹脂事業を営業譲渡。
  4. 1996年ジェイエスアールエレクトロニクス九州(現・JSRマイクロ九州)を設立。
  5. 1997年JSR Micro,Inc.のフォトレジスト工場が竣工。
  6. 1997年日本合成ゴム株式会社からJSR株式会社に社名を変更。
  7. 1998年ABS樹脂の製造設備等をテクノポリマー株式会社へ譲渡。

JSRの業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書等

「系列の壁」を海外進出のバネに変える

フォトレジスト事業は、発売当初から国内の系列取引の壁に阻まれた。ある旧財閥系の大手電機メーカーへの納入が決まりかけた際、同じ系列に属する化学会社の役員が割って入り、商談は流れたという。日本合成ゴムはこの経験を逆手にとり、活路を海外に求めた。1990年2月には欧州での現地生産のためベルギーの化学会社UCBの子会社株を取得し、同年7月には米国市場を開拓するためJSRマイクロエレクトロニクスを設立した。半導体市場の規模で欧州を上回る米国で事業を伸ばさない限り海外戦略は実らない、との判断からだった。 [14][15]

  • 日経ビジネス(1997年7月7日号)
    • [14]フォトレジスト事業は日本の系列取引の壁に阻まれ、それが海外進出のバネになった
  • JSR 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1993年にUCB系の2社を子会社化し、後のJSR Micro N.V.・JSR Micro,Inc.となった

海外での実績づくりの手法も際立っていた。米国進出にあたり担当者がまず行ったのは、半導体メーカーに対しフォトレジストの性能を証明するための実験への協力を申し出ることだった。顧客が使う生産ラインと同じクリーンルームを設け、半導体の性能を検査して結果を報告して回ったという。研究開発部門がフォトレジスト関連の基礎研究を海外の学会で発表していたことも、専門家の間での知名度につながった。こうした地道な顧客密着を通じて、1997年3月期にはフォトレジストの世界シェアで約2割を握り、首位の東京応化工業を追う世界2位の座に立った。 [16]

  • 日経ビジネス(1997年7月7日号)
    • [16]1997年3月期にフォトレジストの世界シェア約2割で世界2位となり首位の東京応化工業を追った
  • 日経ビジネス(1997年7月7日号)
    • [14]フォトレジスト事業は日本の系列取引の壁に阻まれ、それが海外進出のバネになった
    • [16]1997年3月期にフォトレジストの世界シェア約2割で世界2位となり首位の東京応化工業を追った
  • JSR 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1993年にUCB系の2社を子会社化し、後のJSR Micro N.V.・JSR Micro,Inc.となった

本業リストラで捻出した電子材料の投資原資

電子材料への傾斜は、潤沢な資金があってのことではなかった。80年代の終わりごろから会社は年間の研究開発費を100億円台に増やし、その半分以上を電子材料分野に充てた。売上高に対する研究開発費の比率は、合成ゴム事業では3%程度だったのに対し、光・電子材料部門では20%に達したという。その原資は本業のリストラで捻り出された。1994年3月期からの3年間で、合成ゴム部門は中核商品のスチレン・ブタジエンゴムの品目数を4割ほどあった水準から半分近くに絞り込み、物流費も圧縮して、毎年100億円を超えるキャッシュフローを電子材料への投資に振り向けた。 [17][18]

  • 日経ビジネス(1997年7月7日号)
    • [17]光・電子材料部門の売上高研究開発費比率は20%に達し、合成ゴム事業の3%を大きく上回った
    • [18]1994年3月期からの3年間のリストラでスチレン・ブタジエンゴムの品目数を半分近くに絞り物流費を圧縮した

この多角化を陣頭で指揮したのが、社長・会長を通算10年務めた朝倉竜夫氏だった。朝倉氏は「多角化の成功のポイントは海外に出たことだった」と振り返り、「利益をあげるにはその分野で1位か2位になるしかない」と語っている。フォトレジスト・液晶材料・光ファイバー保護樹脂の多角化3部門は1990年代に入って単年度黒字に転じ、電子材料への転換に手応えが見えてきた。こうした変化を象徴するように、会社は1997年12月、社名を日本合成ゴム株式会社からJSR株式会社へと改めた。合成ゴムの社名を外し、電子材料メーカーとしての新たな企業像を打ち出す節目だった。 [19][20]

  • 日経ビジネス(1997年7月7日号)
    • [19]朝倉竜夫氏は社長・会長を通算10年務め多角化を陣頭指揮し「利益をあげるにはその分野で1位か2位になるしかない」と語った
  • JSR 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1997年12月に日本合成ゴム株式会社からJSR株式会社へ社名を変更した
  • 日経ビジネス(1997年7月7日号)
    • [17]光・電子材料部門の売上高研究開発費比率は20%に達し、合成ゴム事業の3%を大きく上回った
    • [18]1994年3月期からの3年間のリストラでスチレン・ブタジエンゴムの品目数を半分近くに絞り物流費を圧縮した
    • [19]朝倉竜夫氏は社長・会長を通算10年務め多角化を陣頭指揮し「利益をあげるにはその分野で1位か2位になるしかない」と語った
  • JSR 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1997年12月に日本合成ゴム株式会社からJSR株式会社へ社名を変更した

2001年〜 半導体材料の世界的リーダーへ、ライフサイエンス参入とJICによる非公開化

  1. 2002年JSR Micro N.V.の新工場が竣工。
  2. 2004年JSR Micro Korea のフラットパネル・ディスプレイ用材料工場が竣工。
  3. 2006年JSR Micro Taiwan のフラットパネル・ディスプレイ用材料工場が竣工。
  4. 2009年テクノポリマー株式会社を完全子会社化。
  5. 2015年産業革新機構・シミックHDと共同でKBI Biopharma を連結子会社化し、ライフサイエンス事業を強化。
  6. 2018年Crown Bioscience International の株式を取得し連結子会社化。
  7. 2021年EUV向けメタルレジストのInpria Corporation の株式を取得し完全子会社化。

JSRの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

半導体材料の中核化とライフサイエンスへの多角化

2000年代以降のJSRは、半導体材料を収益の中核に据える会社へと姿を変えた。フォトレジストや液晶・有機ELの表示材料を軸に、韓国・台湾など東アジアの生産拠点を整え、微細化が進む半導体産業の要請に応え続けた。2021年10月には、次世代のEUVリソグラフィ向けメタルレジストを手がける米Inpria Corporationを完全子会社化し、最先端の露光材料での地歩を固めている。連結売上高は2019年3月期に約4954億円と一つの頂に達し、素材メーカーとしての規模と、半導体材料に集中した収益構造の両立が進んだ。 [21]

  • JSR 有価証券報告書【沿革】
    • [21]2021年10月にEUV向けメタルレジストのInpria Corporationを完全子会社化した

半導体材料と並ぶ第二の柱として、JSRはライフサイエンス事業を育てた。2015年3月にはバイオ医薬品の開発製造受託を手がけるKBI Biopharmaを、2018年5月には創薬支援のCrown Bioscience Internationalを相次いで傘下に収め、2021年には診断薬の医学生物学研究所を完全子会社化している。2019年1月にはJSR Life Sciencesを設立し、北米を軸にライフサイエンスの事業体制を整えた。合成ゴムで培った高分子・精密合成の技術を、半導体材料とライフサイエンスという二つの成長分野に振り向ける多角化が、この時期の会社の基本戦略だった。 [22][23]

  • JSR 有価証券報告書【沿革】
    • [22]2015年3月にKBI Biopharmaを連結子会社化しライフサイエンス事業を強化した
    • [23]2019年1月にJSR Life Sciencesを設立した
  • JSR 有価証券報告書【沿革】
    • [21]2021年10月にEUV向けメタルレジストのInpria Corporationを完全子会社化した
    • [22]2015年3月にKBI Biopharmaを連結子会社化しライフサイエンス事業を強化した
    • [23]2019年1月にJSR Life Sciencesを設立した

エラストマー事業の譲渡とJICによる上場廃止

半導体材料とライフサイエンスへの集中は、創業以来の中核だった合成ゴム事業との訣別を伴った。2022年4月、JSRはエラストマー事業をENEOS株式会社に譲渡し、国策会社としての出発点だった合成ゴムから事実上撤退した。同じ月には東京証券取引所の市場区分見直しにより、第一部からプライム市場へ移行している。この前後の時期、2021年3月期には大幅な最終赤字を計上するなど業績は振れたが、コモディティ事業を切り離して半導体材料などの高付加価値分野へ主力を移すという、長年の転換の総仕上げがここで行われた。 [24]

  • JSR 有価証券報告書【沿革】
    • [24]2022年4月にエラストマー事業をENEOS株式会社に譲渡した

最後の転機は、資本の枠組みそのものの変更だった。2024年、政府系ファンドである産業革新投資機構の傘下のJICC-02株式会社による公開買付けが成立し、JICC-02がJSRの親会社・主要株主となった。半導体材料という経済安全保障上も重要な分野で、短期的な株主還元の圧力から離れて中長期の大型投資を進めるための非公開化だった。これを受けてJSRは2024年6月、東京証券取引所プライム市場で上場廃止となった。合成ゴムの国策会社として1957年に生まれた会社は、半導体材料の世界的リーダーへと姿を変えたうえで、再び国の関与のもとで次の成長を追う新たな体制へ移った。 [25][26]

  • JSR 有価証券報告書【沿革】
    • [25]2024年にJICC-02株式会社による公開買付けが成立しJICC-02が親会社・主要株主となった
    • [26]2024年6月に東京証券取引所プライム市場で上場廃止となった
  • JSR 有価証券報告書【沿革】
    • [24]2022年4月にエラストマー事業をENEOS株式会社に譲渡した
    • [25]2024年にJICC-02株式会社による公開買付けが成立しJICC-02が親会社・主要株主となった
    • [26]2024年6月に東京証券取引所プライム市場で上場廃止となった

JSRの沿革1957〜2024年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
合成ゴム製造事業特別措置法に基づき、政府及び民間会社の出資により日本合成ゴム株式会社を設立。本社は東京都港区麻布飯倉片町。★★★
本社を東京都中央区京橋に移転。
四日市工場が稼動を開始し、合成ゴムの生産を開始。★★
合成ゴムラテックスの生産を開始。★★
日合商事株式会社(現・ENEOSマテリアルトレーディング)を設立。
日本ラテックス加工株式会社(現・株式会社イーテック)を設立。
日合ゴム加工株式会社(現・株式会社エラストミックス)を設立。
合成樹脂の生産を開始。★★
千葉工場が稼動を開始。★★
日本合成ゴムに関する臨時措置法を廃止する法律が成立・施行され、国策会社から純民間会社に。★★
株式を東京・大阪両証券取引所市場第二部に上場。
鹿島工場が稼動を開始。★★
株式を東京・大阪両証券取引所市場第一部に指定替上場。
本社を東京都中央区築地に移転。
フォトレジストの販売を開始し、半導体材料事業に参入。★★
液晶ディスプレイ材料の販売を開始。★★
筑波研究所が完成。★★
UCB-JSR ELECTRONICS の株式を追加取得し、後のJSR Micro N.V.・JSR Micro,Inc.となる2社を子会社化。★★★
ジェイエスアールエレクトロニクス九州(現・JSRマイクロ九州)を設立。
テクノポリマー株式会社(現・テクノUMG)を設立し、ABS樹脂事業を営業譲渡。★★
JSR Micro,Inc.のフォトレジスト工場が竣工。★★
日本合成ゴム株式会社からJSR株式会社に社名を変更。★★
ABS樹脂の製造設備等をテクノポリマー株式会社へ譲渡。★★
JSR Micro N.V.の新工場が竣工。★★
本社を東京都中央区築地に移転。
JSR Micro Korea のフラットパネル・ディスプレイ用材料工場が竣工。★★
吉田淑則JSR Micro Taiwan のフラットパネル・ディスプレイ用材料工場が竣工。★★
小柴満信テクノポリマー株式会社を完全子会社化。★★
小柴満信本社を東京都港区東新橋に移転。
小柴満信Bangkok Synthetics と共同でJSR BST Elastomer を設立。★★
小柴満信MOL(ハンガリー)と共同でJSR MOL Synthetic Rubber を設立。★★
小柴満信産業革新機構・シミックHDと共同でKBI Biopharma を連結子会社化し、ライフサイエンス事業を強化。★★★
川橋信夫テクノポリマーとユーエムジー・エービーエスの統合によりテクノUMG株式会社を設立。★★
川橋信夫Crown Bioscience International の株式を取得し連結子会社化。★★★
川橋信夫JSR North America Holdings、JSR Life Sciences を設立。★★
川橋信夫株式会社医学生物学研究所(MBL)の株式を追加取得し完全子会社化。★★
川橋信夫新規事業創出に向けた研究所 JSR Bioscience and informatics R&D center(JSR BiRD)を開所。★★
川橋信夫EUV向けメタルレジストのInpria Corporation の株式を取得し完全子会社化。★★★
エリックジョンソン創業以来の中核であったエラストマー事業をENEOS株式会社に譲渡。東証の市場区分見直しで第一部からプライム市場へ移行。★★
JICC-02株式会社(産業革新投資機構傘下)による公開買付けが成立し、JICC-02が親会社・主要株主に。★★
東京証券取引所プライム市場において上場廃止。★★
出典・参考
  • JSR 有価証券報告書【沿革】
  • 日経ビジネス(1997年7月7日号)

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