三井化学 の歴史

更新:

創業 1933年
母体 三井鉱山
創業地 福岡県大牟田市
創業 1933年4月、三井鉱山は大牟田でコークスを原料に硫安をつくる東洋高圧工業を資本
1933年4月、三井鉱山は大牟田でコークスを原料に硫安をつくる東洋高圧工業を資本金2,000万円で設立した。1941年4月には三井鉱山の化学部門と目黒研究所を分離して三井化学工業が発足し、石炭化学を担う。1955年7月、チーグラー法ポリエチレンの単独での企業化を断念した三井化学工業に代わり、三井系7社と興亜石油の出資で三井石油化学工業が設立され、1958年4月に岩国で国内初の総合石油化学工場を稼働させた。1968年10月に東洋高圧工業が三井化学工業を吸収合併して三井東圧化学となり、1997年10月に三井石油化学工業との合併で三井化学が発足した。石炭化学と石油化学の2系統の統合には64年を要している。
決断 汎用石化の設備は、他社と共同で持つことを原則としてきた。1967年11月、三井石
汎用石化の設備は、他社と共同で持つことを原則としてきた。1967年11月、三井石油化学工業はエチレン30万トン基準への単独での増設を避け、日本石油化学との折半出資で浮島石油化学を設立した。産構法の下では岩国大竹と千葉のエチレン設備計23万トンを廃棄し、1985年3月までに生産を浮島へ集約する。同じ1985年の10月には「超石油化学」ビジョンで多角化・高付加価値化・国際化を打ち出し、技術供与料は1987年以降、毎年50億円を超えた。1995年には宇部興産とポリプロピレン事業を折半で統合し、2005年には出光興産とプライムポリマーを設立している。相手は替わっても、汎用樹脂の能力を単独で決めない方針は2025年に住友化学を株主に迎える統合案まで続いた。
現況 売上で最大の事業が、3期続けて営業損失を計上している。2026年3月期の連結売上
売上で最大の事業が、3期続けて営業損失を計上している。2026年3月期の連結売上収益は1兆6,688億円、営業利益は738億円だった。ベーシック&グリーン・マテリアルズは売上5,999億円で4事業の最大だが、184億円の損失を計上し、2024年3月期から3期連続の赤字となった。利益はモビリティ(510億円)、ICT(369億円)、ライフ&ヘルスケア(342億円)の3事業が生む。このうちライフ&ヘルスケアは、韓国KOC社のメガネレンズ材料と、2013年6月にヘレウスから買収した歯科材料で組み立てた。赤字事業の処理は自社だけでは完結せず、千葉地区のクラッカー集約を出光興産と協議している。
競合 住友化学との全社統合が流れた後、三井化学は事業単位の提携へ切り替えた。2000年
住友化学との全社統合が流れた後、三井化学は事業単位の提携へ切り替えた。2000年11月に両社は全面統合の基本合意書を結んだものの、統合比率で見解の隔たりが埋まらず、2003年3月に全面統合を見送った。三菱ケミカルグループは2020年に田辺三菱製薬を4,918億円のTOBで完全子会社化し、その5年後に米ベインキャピタルへ譲渡した。住友化学は2023年11月に抜本的構造改革を掲げ、石化の縮小に着手した。医薬を持たない三井化学は、武田薬品工業とのポリウレタン統合、出光興産とのプライムポリマー、2015年7月の韓国SKCとの合弁と、事業ごとに相手を選んだ。SKCとの合弁は2022年7月に解消している。2025年9月には住友化学の国内ポリオレフィン事業をプライムポリマーへ統合する案を示し、22年前に成らなかった組み合わせを1事業に絞って再び提案した。
長期業績の推移 1962〜2026年
三井化学:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円)純利益率(%)
1998年3月期〜2026年3月期

第1章 1933年〜 東洋高圧工業と三井化学工業の設立、三井石油化学工業による石油化学への進出

1933年〜コークスで硫安をつくる東洋高圧と、染料・薬品を分けた三井化学工業

東洋高圧工業は1933年4月1日、三井鉱山が大牟田に建てる硫安工場の担い手として、資本金2,000万円で発足した。当時の硫安の国内消費は年約85万tに対し国内生産は65万tで、不足分は輸入に依存していた。三井鉱山は同年2月、原料をコークス炉ガスに代えてコークスとし、1,400万円を投じて年産12万tの設備をつくる方針を固めた。水素はデュポンの加圧触媒転化法に拠ることにし、30万ドルの導入費に対して硫安1t当たりの原価が約11円下がる見通しを立てた。会長の牧田環氏が後年振り返ったとおり、技術面だけなら会社を分ける理由はなかった。それでも三池窒素の増設ではなく別会社を選んだのは、新しい工業に4年間認められる所得税と営業税の免除が狙いで、103万円の差が出ると試算されていた。

  • 経済春秋社『企業の歴史(明治百年)』三井東圧化学(1968年)
    • [1]三井鉱山が三池染料工業所のコークスを原料とする硫安製造へ進むのを機に、1933年4月、資本金2,000万円で東洋高圧工業が設立された
  • 三井東圧化学株式会社『三井東圧化学社史』(1994年)
    • [2]1933年2月の東洋高圧の創立趣意書は、硫安の年間消費約85万tに対し国内生産は65万tで、約20万tが不足していると記した
    • [3]三井鉱山は1933年2月、三池窒素に隣接して硫安年産12万tの設備を所要資金1,400万円で建設することを決め、コークス炉ガスでは供給に限りがあるため原料をコークスへ転換した
    • [4]三井鉱山はデュポンの加圧触媒転化法の特許を30万ドルで購入し、コークス炉ガス法に比べ硫安1t当たり約11円の原価低下を見込んだ
    • [5]東洋高圧の会長には三井合名理事の牧田環が就き、牧田はのちに本来は別会社を設ける必要はなかったと回想した
    • [6]別会社とした最大の理由は新規工業に与えられた4年間の所得税・営業税の免除を受けるためで、三池窒素で増設した場合との差は3年分103万円と見込まれた

三井化学工業は1941年4月、三井鉱山の化学部門と目黒研究所を切り離し、資本金8,000万円で設立された。発端は1940年8月に置かれた三井総元方で、その企画部委員会が同年10月4日に新会社の設立を答申した。答申は、三池染料工業所も東洋高圧も三井鉱山の機構のもとでは伸びる余地が尽きたとみた。化学部門をまとめて独立させれば、三菱重工業や住友金属工業に並ぶ化学会社を組めるという読みだった。三井物産と三井鉱山が化学に投じた額は、この時点で合わせて1億3,707万円に積み上がっていた。資本金は当初1億円の計画だったが、大蔵・商工両省が有機合成と医薬品の新規事業を認めず、8,000万円に減らして発足した。会長には、三井同族のなかで化学工業に関心が深く、設立に大きく関わった三井高修氏が就任した。

  • 東洋経済新報社『会社銀行八十年史』三井化学工業(1955年)
    • [7]三井化学工業は1941年4月、三井鉱山の化学部門と目黒研究所が分離して資本金8,000万円で設立された
  • 三井東圧化学株式会社『三井東圧化学社史』(1994年)
    • [8]三井財閥は1940年8月26日に三井総元方を設け、その企画部委員会は同年10月4日、三井化学工業(仮称)の設立を三井総元方議長に答申した
    • [9]答申は、三池染料工業所と東洋高圧工業の事業が三井鉱山の機構下では飽和状態にあり、将来の発展を期しがたいとした
    • [10]答申は、化学部門を分離し同種の関係会社を統合すれば、三菱重工業・住友金属工業に劣らない規模の化学会社を組成できるとした
    • [11]三井財閥の化学事業への累積投資額は三井物産6,075万円、三井鉱山7,632万円、合計1億3,707万円に達していた
    • [12]大蔵・商工両省は有機合成事業と医薬品事業の2,250万円分を認めず、資本金を1億円から8,000万円へ減額するよう指示し、発起人会はこれを受け入れた
    • [13]三井化学の取締役会長には、三井同族のなかで化学工業にとくに関心を持ち設立に大きな役割を果たした三井高修が就任した

大牟田の工場は1945年8月7日の爆撃で水道と送電を断たれ、終戦直前のアンモニア生産は平時の1割に低下していた。食糧増産のため肥料の増産が国策となるなか、常務の石毛郁治氏が1947年2月8日、公職追放で空席となった社長に就任した。北海道の砂川工場では建設中の硫酸工場が賠償に指定され、行き場を失うアンモニアを肥料用の尿素に振り向けることにした。それまで薬品用に日産数tしか作られていなかった尿素を硫安並みの値で量産する計画で、1948年8月に製品が出た。1950年11月には大牟田工業所にも年産1万5,000tの尿素設備が完成し、北海道分を加えた尿素の能力は年産3万3,000tに達した。尿素はこの後、東洋高圧の主要な収益源となった。

  • 日本経済新聞社『私の履歴書』石毛郁治(東洋高圧工業社長)
    • [14]1945年8月7日の爆撃で大牟田の工場は水道と送電部を失って停止し、終戦直前のアンモニア生産は10%にまで落ちていた
    • [15]食糧増産の要請から肥料増産が国策となり、柴田社長の公職追放が決まった1947年2月8日、常務の石毛郁治が社長に就いた
    • [17]従来は日産1〜2tの合成管による薬品用尿素しかなかったが、硫安と同じ値段の尿素を造る計画に踏み切り、1948年8月に製品を得た
  • 『日本産業史』第2巻 化学「化学-肩で風切る肥料」(日本経済新聞社、1994年)
    • [16]東洋高圧の砂川工場(北海道)では未完成の硫酸工場が賠償指定となったため、アンモニアの用途として尿素技術を肥料用の大量生産に適用することにした
  • 三井東圧化学株式会社『三井東圧化学社史』(1994年)
    • [18]1950年11月6日、大牟田工業所に年産1万5,000tの尿素製造設備が完成し、北海道工業所と合わせた尿素生産能力は年産3万3,000tとなった
  • 経済春秋社『企業の歴史(明治百年)』三井東圧化学(1968年)
    • [19]東洋高圧は1948年に尿素肥料の工業化に成功し、尿素肥料はその後収益を支える大きな柱となった
参考文献[1]-[19]
  • 経済春秋社『企業の歴史(明治百年)』三井東圧化学(1968年)
    • [1]三井鉱山が三池染料工業所のコークスを原料とする硫安製造へ進むのを機に、1933年4月、資本金2,000万円で東洋高圧工業が設立された
    • [19]東洋高圧は1948年に尿素肥料の工業化に成功し、尿素肥料はその後収益を支える大きな柱となった
  • 三井東圧化学株式会社『三井東圧化学社史』(1994年)
    • [2]1933年2月の東洋高圧の創立趣意書は、硫安の年間消費約85万tに対し国内生産は65万tで、約20万tが不足していると記した
    • [3]三井鉱山は1933年2月、三池窒素に隣接して硫安年産12万tの設備を所要資金1,400万円で建設することを決め、コークス炉ガスでは供給に限りがあるため原料をコークスへ転換した
    • [4]三井鉱山はデュポンの加圧触媒転化法の特許を30万ドルで購入し、コークス炉ガス法に比べ硫安1t当たり約11円の原価低下を見込んだ
    • [5]東洋高圧の会長には三井合名理事の牧田環が就き、牧田はのちに本来は別会社を設ける必要はなかったと回想した
    • [6]別会社とした最大の理由は新規工業に与えられた4年間の所得税・営業税の免除を受けるためで、三池窒素で増設した場合との差は3年分103万円と見込まれた
    • [8]三井財閥は1940年8月26日に三井総元方を設け、その企画部委員会は同年10月4日、三井化学工業(仮称)の設立を三井総元方議長に答申した
    • [9]答申は、三池染料工業所と東洋高圧工業の事業が三井鉱山の機構下では飽和状態にあり、将来の発展を期しがたいとした
    • [10]答申は、化学部門を分離し同種の関係会社を統合すれば、三菱重工業・住友金属工業に劣らない規模の化学会社を組成できるとした
    • [11]三井財閥の化学事業への累積投資額は三井物産6,075万円、三井鉱山7,632万円、合計1億3,707万円に達していた
    • [12]大蔵・商工両省は有機合成事業と医薬品事業の2,250万円分を認めず、資本金を1億円から8,000万円へ減額するよう指示し、発起人会はこれを受け入れた
    • [13]三井化学の取締役会長には、三井同族のなかで化学工業にとくに関心を持ち設立に大きな役割を果たした三井高修が就任した
    • [18]1950年11月6日、大牟田工業所に年産1万5,000tの尿素製造設備が完成し、北海道工業所と合わせた尿素生産能力は年産3万3,000tとなった
  • 東洋経済新報社『会社銀行八十年史』三井化学工業(1955年)
    • [7]三井化学工業は1941年4月、三井鉱山の化学部門と目黒研究所が分離して資本金8,000万円で設立された
  • 日本経済新聞社『私の履歴書』石毛郁治(東洋高圧工業社長)
    • [14]1945年8月7日の爆撃で大牟田の工場は水道と送電部を失って停止し、終戦直前のアンモニア生産は10%にまで落ちていた
    • [15]食糧増産の要請から肥料増産が国策となり、柴田社長の公職追放が決まった1947年2月8日、常務の石毛郁治が社長に就いた
    • [17]従来は日産1〜2tの合成管による薬品用尿素しかなかったが、硫安と同じ値段の尿素を造る計画に踏み切り、1948年8月に製品を得た
  • 『日本産業史』第2巻 化学「化学-肩で風切る肥料」(日本経済新聞社、1994年)
    • [16]東洋高圧の砂川工場(北海道)では未完成の硫酸工場が賠償指定となったため、アンモニアの用途として尿素技術を肥料用の大量生産に適用することにした

1951年〜名古屋の有機合成と、出資8社の三井石油化学工業が岩国に建てたエチレン2万トン

三井化学工業は1951年4月、名古屋に8億6,000万円を投じた塩化ビニル工場を動かし、タール系の有機合成にアセチレン系を加えた。塩化ビニルは戦後、ゴムや皮革、繊維の代わりとして使い道が急に広がり、戦時中に合成ゴムで積んだアセチレン化学の経験も生かせた。1949年6月に三池染料工業所で月産1.5tの試験生産を始め、翌月には米国のAFEと技術情報の契約を結んだ。本格工場を大牟田に置かなかったのは、九州では余剰電力が乏しくカーバイドを確保しにくいうえ、輸送の条件も悪かったからだった。全国6か所を比べた末に大同製鋼星崎東工場の跡を選び、カーバイドは揖斐川電気から全量を受ける契約を結んだ。本格生産に入った1951年には、国内の塩化ビニルメーカーは18社に達していた。

  • 東洋経済新報社『会社銀行八十年史』三井化学工業(1955年)
    • [20]三井化学工業は1951年4月、合成樹脂工業に進出するため8億6,000万円を投じて名古屋市に塩化ビニール工場を建設し、タール系に加えアセチレン系有機合成工業へ進出する態勢を整えた
  • 三井東圧化学株式会社『三井東圧化学社史』(1994年)
    • [21]塩化ビニルはゴム・皮革・繊維・塗料・金属などの分野で使用量が急増しており、三井化学は戦時中の合成ゴム生産でアセチレン系有機合成の経験を蓄積していた
    • [22]三井化学は1949年6月に三池染料工業所で塩化ビニルの月産1.5t試験生産を始め、同年7月27日に米国AFEと技術情報導入の契約を結んだ
    • [23]三池染料工業所のある九州は余剰電力が少なくカーバイドの確保に難点があり、輸送条件にも問題があったため、新立地を検討した
    • [24]三井化学は候補6地区を比較して1949年9月21日に大同製鋼星崎東工場を新立地と決め、同年12月7日に揖斐川電気とカーバイド全量供給の契約を結んだ
    • [25]三井化学が名古屋工業所で塩化ビニルの本格生産を始めた1951年に、国内の塩化ビニルメーカーは18社に達していた

三井石油化学工業は1955年7月1日、三井系7社と興亜石油の出資により資本金2億5,000万円で発足した。起点は、三井化学工業社長の石田健氏が1954年末からの欧州行きで結んだチーグラー法ポリエチレンの独占特許契約で、特許料は120万ドルに上った。原料のエチレンを石油の分解で得るには装置だけで巨額の資金が要り、三井化学工業の単独事業ではリスクが大きいと判断された。通産省も岩国で先行していた三池合成の計画に対し、三井化学工業・東洋高圧との共同事業化を強く求めた。三井化学工業は1955年3月に単独での企業化をやめ、三井系各社の共同事業に切り替えた。発起人代表には石田健社長が立ち、新会社の社長を兼ねた。

  • 日本経済新聞社『私の三井昭和史』8章「化学部門での新分野挑戦」(1986年)
    • [26]三井化学・三井鉱山・三井金属・三池合成・東洋高圧・東洋レーヨン・三井銀行の三井系7社と興亜石油の計8社の出資(資本金2億5,000万円)で、1955年7月1日に三井石油化学工業が設立された
    • [27]三井化学社長の石田健は1954年11月に欧州へ渡り、西ドイツでチーグラー法ポリエチレンの独占的な特許契約を結び、特許料は120万ドル(4億3,200万円)だった
    • [28]石油からエチレンを採るには装置だけで巨額の資金がかかりリスクも大きいため、三井化学の単独事業より別会社で三井の総力をあげるほうがよいと判断された
  • 三井東圧化学株式会社『三井東圧化学社史』(1994年)
    • [29]通産省は三池合成を中心とする岩国の石油化学計画を前向きに評価しつつ、三井化学および東洋高圧との共同事業化の必要性を強く求めた
    • [30]三井化学は1955年3月、ポリエチレンを単独で企業化する方針を改め、三井系各社の共同事業として総合石油化学計画を進めることを決めた
  • 読売新聞(1955年4月12日)
    • [31]三井石油化学は石田健を代表として設立する方針で、旧岩国燃料廠に工場敷地を予定していた

三井石油化学工業は1958年4月、山口県岩国の旧陸軍燃料廠の跡地で、総合石油化学工場の操業に入った。国内初となるこの工場の用地は、1955年8月26日の閣議決定で31万9,000m2の払い下げが決まっていた。隣の興亜石油から分解原料油と熱分解ガスを受けられることが、岩国を選んだ前提だった。操業時のエチレン能力は年産2万tで、そこから誘導品までを一つの工場で一貫してつくる構成をとった。技術の大半は外から入れ、エチレン・プロピレンは米国ストーン・アンド・ウェブスター社、ポリエチレンはチーグラーの特許に拠った。工場は従業員600人足らずで年100億円を生産する見込みだったという。

  • 新日本経済 1958年5月号
    • [32]三井石油化学工業岩国工場は1958年4月21日にプラントの大部分を完成して操業に入り、石油化学の総合的大工場とされた
    • [37]岩国工場は従業員600人足らずで年間100億円の生産が上がるとされた
  • 三井東圧化学株式会社『三井東圧化学社史』(1994年)
    • [33]岩国旧陸軍燃料廠の払い下げは1955年8月26日の閣議決定に基づき31万9,000m2で決着し、1958年4月からわが国最初の総合石油化学工場が生産を始めた
    • [34]岩国計画は興亜石油から分解原料油および熱分解ガスを受け入れてエチレンを生産し、これを原料にポリエチレンを生産するものだった
  • 経済春秋社『企業の歴史(明治百年)』三井石油化学工業(1968年)
    • [35]岩国工場が1958年4月にスタートしたときのエチレン年産能力は2万tだった
  • 『証券』1962年「新規上場会社紹介 三井石油化学工業」
    • [36]三井石油化学は米国ストーン・アンド・ウェブスター社からエチレン・プロピレン等の製造技術、西独チーグラー博士からポリエチレン製造特許など20件以上の使用契約を結んでいた
参考文献[20]-[37]
  • 東洋経済新報社『会社銀行八十年史』三井化学工業(1955年)
    • [20]三井化学工業は1951年4月、合成樹脂工業に進出するため8億6,000万円を投じて名古屋市に塩化ビニール工場を建設し、タール系に加えアセチレン系有機合成工業へ進出する態勢を整えた
  • 三井東圧化学株式会社『三井東圧化学社史』(1994年)
    • [21]塩化ビニルはゴム・皮革・繊維・塗料・金属などの分野で使用量が急増しており、三井化学は戦時中の合成ゴム生産でアセチレン系有機合成の経験を蓄積していた
    • [22]三井化学は1949年6月に三池染料工業所で塩化ビニルの月産1.5t試験生産を始め、同年7月27日に米国AFEと技術情報導入の契約を結んだ
    • [23]三池染料工業所のある九州は余剰電力が少なくカーバイドの確保に難点があり、輸送条件にも問題があったため、新立地を検討した
    • [24]三井化学は候補6地区を比較して1949年9月21日に大同製鋼星崎東工場を新立地と決め、同年12月7日に揖斐川電気とカーバイド全量供給の契約を結んだ
    • [25]三井化学が名古屋工業所で塩化ビニルの本格生産を始めた1951年に、国内の塩化ビニルメーカーは18社に達していた
    • [29]通産省は三池合成を中心とする岩国の石油化学計画を前向きに評価しつつ、三井化学および東洋高圧との共同事業化の必要性を強く求めた
    • [30]三井化学は1955年3月、ポリエチレンを単独で企業化する方針を改め、三井系各社の共同事業として総合石油化学計画を進めることを決めた
    • [33]岩国旧陸軍燃料廠の払い下げは1955年8月26日の閣議決定に基づき31万9,000m2で決着し、1958年4月からわが国最初の総合石油化学工場が生産を始めた
    • [34]岩国計画は興亜石油から分解原料油および熱分解ガスを受け入れてエチレンを生産し、これを原料にポリエチレンを生産するものだった
  • 日本経済新聞社『私の三井昭和史』8章「化学部門での新分野挑戦」(1986年)
    • [26]三井化学・三井鉱山・三井金属・三池合成・東洋高圧・東洋レーヨン・三井銀行の三井系7社と興亜石油の計8社の出資(資本金2億5,000万円)で、1955年7月1日に三井石油化学工業が設立された
    • [27]三井化学社長の石田健は1954年11月に欧州へ渡り、西ドイツでチーグラー法ポリエチレンの独占的な特許契約を結び、特許料は120万ドル(4億3,200万円)だった
    • [28]石油からエチレンを採るには装置だけで巨額の資金がかかりリスクも大きいため、三井化学の単独事業より別会社で三井の総力をあげるほうがよいと判断された
  • 読売新聞(1955年4月12日)
    • [31]三井石油化学は石田健を代表として設立する方針で、旧岩国燃料廠に工場敷地を予定していた
  • 新日本経済 1958年5月号
    • [32]三井石油化学工業岩国工場は1958年4月21日にプラントの大部分を完成して操業に入り、石油化学の総合的大工場とされた
    • [37]岩国工場は従業員600人足らずで年間100億円の生産が上がるとされた
  • 経済春秋社『企業の歴史(明治百年)』三井石油化学工業(1968年)
    • [35]岩国工場が1958年4月にスタートしたときのエチレン年産能力は2万tだった
  • 『証券』1962年「新規上場会社紹介 三井石油化学工業」
    • [36]三井石油化学は米国ストーン・アンド・ウェブスター社からエチレン・プロピレン等の製造技術、西独チーグラー博士からポリエチレン製造特許など20件以上の使用契約を結んでいた

1959年〜大竹の第2号プラントと上場、千葉のエチレン12万トンと浮島石油化学

三井石油化学工業は1961年3月、岩国に隣接する広島県大竹市の旧海兵団用地で第二次計画の建設を始め、1962年に完成させた。二度の計画で投じた設備資金は417億円に達し、岩国・大竹の能力はエチレン系製品で年8万tとなった。1961年度の売上高は131.4億円で、三菱油化の102.6億円を上回り業界首位に立った。一方で1962年3月期末の長期借入金は166億9,222万円と、資本金40億円の4倍を超えた。同年10月5日に東京・大阪両証券取引所の第二部へ上場し、公募を含む増資で資本金を50億円とした。同じ年の経済誌は、岩国・大竹を参加企業が少なく四日市より小ぶりなコンビナートと評した。借入に依存した設備拡張を続けるため、株式市場からの資本調達に踏み切ったと推察される。

  • 『証券』1962年「新規上場会社紹介 三井石油化学工業」
    • [38]三井石油化学は1961年3月、岩国地区工場に隣接する広島県大竹市の旧海兵団用地約8万坪を中心に第二次事業計画の建設を始め、1962年3月に完成して操業を開始した
    • [39]第1次・第2次の事業計画で総額417億円の設備資金を投じ、岩国・大竹地区にエチレン系で年8万t、プロピレン系・芳香族系で各約6万tの製造能力を持つ総合石油化学センターを建設した
    • [40]三井石油化学の売上高は1959年度94.6億円、1961年度131.4億円で、三菱油化102.6億円、日本石油化学58.9億円を上回り業界第1位だった
    • [41]1962年3月期の貸借対照表で長期借入金は166億9,222万円、資本金は40億円だった
    • [42]三井石油化学は1962年10月5日に東京・大阪証券取引所第二部に上場し、同月の公募を含む増資で資本金を50億円とした
  • ダイヤモンド 1962年2月15日号
    • [43]三井グループの岩国・大竹地区コンビナートは参加企業が少なく規模も小さく、三菱の四日市コンビナートとは差があると評された

三井石油化学工業は1967年3月、千葉県市原市の千葉工場でエチレン年産12万tの設備を動かし始めた。製品需要の半分以上が関東にあり、需要地で作れば岩国大竹から運ぶより輸送を合理化できた。用地は三井物産の勧めで五井姉崎の埋立地に決め、1961年5月に東洋レーヨンなどと並んで千葉県と分譲契約を結んだ。12万tは当時の国内で最大の規模で、西の岩国大竹と東の千葉の2拠点から製品を出せるようになった。ところが同年6月、通産省はエチレン設備の基準を年産30万tへ引き上げた。この局面で舵を取った社長は、東洋レーヨン出身の岩永巌氏だった。三井石油化学工業は単独での増設を避け、1967年11月に日本石油化学と折半で浮島石油化学を設立した。

  • 経済春秋社『企業の歴史(明治百年)』三井石油化学工業(1968年)
    • [44]千葉工場は千葉県市原市に建設され、1967年3月に第一期計画が完成して操業を開始し、エチレン製造設備は年産12万tだった
    • [45]千葉工場は同社製品の半分以上の需要を持つ関東地区に位置し、輸送の合理化が図られた
  • 東洋経済新報社『日本会社史総覧』三井石油化学工業(1995年)
    • [46]三井石油化学は三井物産の推奨で千葉県五井姉崎の埋立地への進出を決め、1961年5月に東洋レーヨン・三井物産など三井グループ各社とともに千葉県と埋め立て分譲契約を結んだ
    • [47]千葉工場のエチレン年産12万tは当時日本最大のプラントで、これにより三井石油化学は東西に供給基地を持つ体制を整えた
    • [50]三井石油化学は単独での設備拡張を避け、1967年11月に日本石油化学との折半出資で浮島石油化学を設立した
  • 三井東圧化学株式会社『三井東圧化学社史』(1994年)
    • [48]通産省は1967年6月にエチレン30万t基準を決定した
  • 『日本企業要覧』1967年版 三井石油化学工業
    • [49]岩永巌は東洋レーヨンの常務取締役・代表取締役副社長を経て三井石油化学工業の取締役社長を務めていた

三井化学工業は1962年4月に三池合成を合併し、戦時中に分かれていた三井系の石炭化学を一つに戻した。東洋高圧も1963年3月の長期経営計画で、三井系化学の合同を前提に堺での総合石油化学に注力する方針を定めた。ところが1965年の不況で三井化学工業の業績が悪化し、1966年11月29日に東洋高圧会長の石毛郁治氏が三井化学工業の社長に就任した。1967年6月に通産省がエチレン30万t基準を定めると、泉北の計画には誘導品まで含む巨額の投資と企業規模が必要になった。同月20日、東洋高圧社長の野村末一氏らと石毛郁治社長らが会談して合併に基本合意し、7月に基本覚書を交わした。三井化学工業は石油化学を別会社に出したことで自らの成長を鈍らせたと、1968年刊の企業史は評した。

  • 日本経済新聞社『私の三井昭和史』8章「化学部門での新分野挑戦」(1986年)
    • [51]三井化学は1962年4月に三池合成と合併し、戦時中に軍の命令で別会社とされコールタール化学を手がけていた同社との一本化は自然の成り行きだった
  • 三井東圧化学株式会社『三井東圧化学社史』(1994年)
    • [52]東洋高圧が1963年3月に決めた長期経営計画は、三井系化学企業の合同を前提に総合化学企業への脱皮を目指し、堺で総合的な石油化学事業を展開することを基本とした
    • [53]三井化学は1965年の不況で業績が悪化し、その再建のため東洋高圧会長の石毛郁治が1966年11月29日に三井化学の社長に就任した
    • [54]1967年6月の通産省のエチレン30万t基準により、大阪石油化学の計画は練り直しとなり、誘導品を総合的に企業化する巨額の投資と企業規模の拡大が必要になった
    • [55]1967年6月20日、東洋高圧の野村末一社長・末吉俊雄副社長と三井化学の石毛郁治社長らが会談して合併に基本合意し、同年7月に基本覚書に調印した
  • 経済春秋社『企業の歴史(明治百年)』三井東圧化学(1968年)
    • [56]三井化学が三井石油化学工業の設立で石油化学の分野を独立分離させたことは、結果的に同社の成長にブレーキをかけたとされた
参考文献[38]-[56]
  • 『証券』1962年「新規上場会社紹介 三井石油化学工業」
    • [38]三井石油化学は1961年3月、岩国地区工場に隣接する広島県大竹市の旧海兵団用地約8万坪を中心に第二次事業計画の建設を始め、1962年3月に完成して操業を開始した
    • [39]第1次・第2次の事業計画で総額417億円の設備資金を投じ、岩国・大竹地区にエチレン系で年8万t、プロピレン系・芳香族系で各約6万tの製造能力を持つ総合石油化学センターを建設した
    • [40]三井石油化学の売上高は1959年度94.6億円、1961年度131.4億円で、三菱油化102.6億円、日本石油化学58.9億円を上回り業界第1位だった
    • [41]1962年3月期の貸借対照表で長期借入金は166億9,222万円、資本金は40億円だった
    • [42]三井石油化学は1962年10月5日に東京・大阪証券取引所第二部に上場し、同月の公募を含む増資で資本金を50億円とした
  • ダイヤモンド 1962年2月15日号
    • [43]三井グループの岩国・大竹地区コンビナートは参加企業が少なく規模も小さく、三菱の四日市コンビナートとは差があると評された
  • 経済春秋社『企業の歴史(明治百年)』三井石油化学工業(1968年)
    • [44]千葉工場は千葉県市原市に建設され、1967年3月に第一期計画が完成して操業を開始し、エチレン製造設備は年産12万tだった
    • [45]千葉工場は同社製品の半分以上の需要を持つ関東地区に位置し、輸送の合理化が図られた
  • 東洋経済新報社『日本会社史総覧』三井石油化学工業(1995年)
    • [46]三井石油化学は三井物産の推奨で千葉県五井姉崎の埋立地への進出を決め、1961年5月に東洋レーヨン・三井物産など三井グループ各社とともに千葉県と埋め立て分譲契約を結んだ
    • [47]千葉工場のエチレン年産12万tは当時日本最大のプラントで、これにより三井石油化学は東西に供給基地を持つ体制を整えた
    • [50]三井石油化学は単独での設備拡張を避け、1967年11月に日本石油化学との折半出資で浮島石油化学を設立した
  • 三井東圧化学株式会社『三井東圧化学社史』(1994年)
    • [48]通産省は1967年6月にエチレン30万t基準を決定した
    • [52]東洋高圧が1963年3月に決めた長期経営計画は、三井系化学企業の合同を前提に総合化学企業への脱皮を目指し、堺で総合的な石油化学事業を展開することを基本とした
    • [53]三井化学は1965年の不況で業績が悪化し、その再建のため東洋高圧会長の石毛郁治が1966年11月29日に三井化学の社長に就任した
    • [54]1967年6月の通産省のエチレン30万t基準により、大阪石油化学の計画は練り直しとなり、誘導品を総合的に企業化する巨額の投資と企業規模の拡大が必要になった
    • [55]1967年6月20日、東洋高圧の野村末一社長・末吉俊雄副社長と三井化学の石毛郁治社長らが会談して合併に基本合意し、同年7月に基本覚書に調印した
  • 『日本企業要覧』1967年版 三井石油化学工業
    • [49]岩永巌は東洋レーヨンの常務取締役・代表取締役副社長を経て三井石油化学工業の取締役社長を務めていた
  • 日本経済新聞社『私の三井昭和史』8章「化学部門での新分野挑戦」(1986年)
    • [51]三井化学は1962年4月に三池合成と合併し、戦時中に軍の命令で別会社とされコールタール化学を手がけていた同社との一本化は自然の成り行きだった
  • 経済春秋社『企業の歴史(明治百年)』三井東圧化学(1968年)
    • [56]三井化学が三井石油化学工業の設立で石油化学の分野を独立分離させたことは、結果的に同社の成長にブレーキをかけたとされた

第2章 1968年〜 三井東圧化学の発足とエチレン設備の縮小・浮島への集約

1968年〜東洋高圧と三井化学工業の合併で生まれた三井東圧化学と、泉北コンビナート

三井東圧化学は、1968年10月1日に東洋高圧工業が三井化学工業を吸収合併し、商号を改めて発足した。旧三井化学の株式1株に新会社の株式1株を割り当て、社長には東洋高圧の野村末一氏が就任した。合併前の主な収益源は東洋高圧が化学肥料、三井化学が石炭系の化学品で、どちらもナフサ分解の設備を自前で持っていなかった。1967年6月にエチレン設備の新設基準が年産30万トンへ引き上げられ、両社の首脳はその直後の6月20日に早期合併で合意した。別々に投資するより、同じ三井系として一体で石油化学に参入するほうが効率的だという判断だった。発足時の売上高は、化学会社のなかで三菱化成、住友化学に次ぐ3位に並んだ。

  • 三井東圧化学株式会社『三井東圧化学社史』(1994年)
    • [57]1968年4月24日調印の合併契約で、東洋高圧工業が存続して三井化学工業が解散し、1968年10月1日に三井東圧化学株式会社へ商号を変えた
    • [58]合併比率は三井化学株1株に東洋高圧の新株1株で、新会社は野村末一社長、末吉俊雄・平山威両副社長の体制で発足した
    • [60]通産省は1967年にエチレン新設の認可基準を年産30万トンへ引き上げ、同年6月20日に東洋高圧・三井化学の5首脳が早期合併で基本合意した
    • [62]合併後の売上高は化学会社のなかで三菱化成、住友化学に次ぐ第3位となった
  • 日経ビジネス 1974年8月5日号
    • [59]合併前の東洋高圧の主力製品は肥料、三井化学の主力は石炭系の化学製品で、両社とも石油化学への進出を迫られていた
    • [61]両社の合併は、別々に石油化学へ投資するより三井系として共同で乗り出すほうが効率的という判断によるものだった

合併で得た規模は、大阪・泉北に築く石油化学コンビナートへ振り向けられた。中核の大阪石油化学は関西石油化学グループとの共同出資で、年産30万トンのエチレン計画は1968年4月8日に通産省の認可を得た。認可に先立ち、三井化学・東洋高圧・三井石油化学工業など三井系5社は、両社の早期合併と三井石化との連携強化を通産省に約束していた。三井石化も1968年11月に泉北酸化エチレンへ70%を出資し、計画に加わった。泉北の各社は1970年4月に営業運転へ入り、5月14日に合同完工式を挙行した。一方で三井東圧はグループ内の競合を避けるためポリエチレンへ進出できず、余るエチレンを外へ売り、足りないプロピレンを他社から融通された。

  • 三井東圧化学株式会社『三井東圧化学社史』(1994年)
    • [63]合併の最大の課題は大阪石油化学を中心とする泉北のエチレン30万トン計画の実現で、旧両社がともに果たせなかった総合石油化学への進出を意味した
    • [64]大阪石油化学は三井・関西石油化学両グループの共同出資会社で、エチレン30万トン計画は1968年4月8日に通産省の認可を受けた
    • [65]1967年10月、三井化学・東洋高圧・三井石油化学・三井物産・三井銀行の5社長は、両社の早期合併と三井石油化学との連携強化を通産省へ回答した
    • [67]泉北石油化学コンビナートの各社は1970年2月に火入れ、4月に営業運転を始め、5月14日に合同完工式を行った
  • 東洋経済新報社『日本会社史総覧』三井石油化学工業の項(1995年)
    • [66]三井石油化学工業は三井東圧の泉北計画に協力し、1968年11月に泉北酸化エチレンへ70%を出資した
  • 日経ビジネス 1974年8月5日号
    • [68]三井東圧は三井石油化学との競合を避けるためポリエチレンに進出しない制約を負い、エチレンを外販し、プロピレンは他センターから融通を受けていた

泉北の操業開始から間もなく、三井東圧化学は1971年9月期に欠損を出して無配に転じた。石油化学と大型肥料設備への投資で借入金が膨らみ、1970年9月期から1972年9月期までは純金利負担が営業利益を上回った。第1次石油危機の前後に肥料と化学品の品不足で収益が戻り、1974年度上期に年1割の配当を再開した。ただ、この回復を支えた尿素輸出は、1976年に入ると数量・価格とも低下した。1976年度に再び無配となり、1977年1月に急逝した末吉俊雄社長の後を副社長の松葉谷誠一氏が継いで減量経営を進めた。同じ1977年1月には千葉工業所のアンモニア・尿素設備の1系列を止め、肥料から生産の縮小に着手した。

  • 日経ビジネス 1974年8月5日号
    • [69]三井東圧化学は1970年9月期以降に業績が悪化し、1971年9月期は欠損で無配に転じた
    • [70]石油化学と肥料の大型投資に伴う借入金で、1970年9月期から1972年9月期まで純金利負担が営業利益を上回った
  • 三井東圧化学株式会社『三井東圧化学社史』(1994年)
    • [71]第1次石油危機下の化学品と化学肥料の好況で収益が好転し、1974年度上期に年1割配当で復配した
    • [72]1974年の尿素輸出価格は1970〜1971年水準の2〜3倍に上がったが、1976年に入ると尿素輸出は量・価格とも大幅に落ち込んだ
    • [73]1976年度決算で無配に転落し、1977年1月24日の末吉社長の急逝を受けて1月28日に副社長の松葉谷誠一が社長に就き、減量経営で収支改善を進めた
    • [74]尿素輸出の激減を受け、1977年1月に千葉工業所のアンモニア・尿素設備の1系列を停止した
参考文献[57]-[74]
  • 三井東圧化学株式会社『三井東圧化学社史』(1994年)
    • [57]1968年4月24日調印の合併契約で、東洋高圧工業が存続して三井化学工業が解散し、1968年10月1日に三井東圧化学株式会社へ商号を変えた
    • [58]合併比率は三井化学株1株に東洋高圧の新株1株で、新会社は野村末一社長、末吉俊雄・平山威両副社長の体制で発足した
    • [60]通産省は1967年にエチレン新設の認可基準を年産30万トンへ引き上げ、同年6月20日に東洋高圧・三井化学の5首脳が早期合併で基本合意した
    • [62]合併後の売上高は化学会社のなかで三菱化成、住友化学に次ぐ第3位となった
    • [63]合併の最大の課題は大阪石油化学を中心とする泉北のエチレン30万トン計画の実現で、旧両社がともに果たせなかった総合石油化学への進出を意味した
    • [64]大阪石油化学は三井・関西石油化学両グループの共同出資会社で、エチレン30万トン計画は1968年4月8日に通産省の認可を受けた
    • [65]1967年10月、三井化学・東洋高圧・三井石油化学・三井物産・三井銀行の5社長は、両社の早期合併と三井石油化学との連携強化を通産省へ回答した
    • [67]泉北石油化学コンビナートの各社は1970年2月に火入れ、4月に営業運転を始め、5月14日に合同完工式を行った
    • [71]第1次石油危機下の化学品と化学肥料の好況で収益が好転し、1974年度上期に年1割配当で復配した
    • [72]1974年の尿素輸出価格は1970〜1971年水準の2〜3倍に上がったが、1976年に入ると尿素輸出は量・価格とも大幅に落ち込んだ
    • [73]1976年度決算で無配に転落し、1977年1月24日の末吉社長の急逝を受けて1月28日に副社長の松葉谷誠一が社長に就き、減量経営で収支改善を進めた
    • [74]尿素輸出の激減を受け、1977年1月に千葉工業所のアンモニア・尿素設備の1系列を停止した
  • 日経ビジネス 1974年8月5日号
    • [59]合併前の東洋高圧の主力製品は肥料、三井化学の主力は石炭系の化学製品で、両社とも石油化学への進出を迫られていた
    • [61]両社の合併は、別々に石油化学へ投資するより三井系として共同で乗り出すほうが効率的という判断によるものだった
    • [68]三井東圧は三井石油化学との競合を避けるためポリエチレンに進出しない制約を負い、エチレンを外販し、プロピレンは他センターから融通を受けていた
    • [69]三井東圧化学は1970年9月期以降に業績が悪化し、1971年9月期は欠損で無配に転じた
    • [70]石油化学と肥料の大型投資に伴う借入金で、1970年9月期から1972年9月期まで純金利負担が営業利益を上回った
  • 東洋経済新報社『日本会社史総覧』三井石油化学工業の項(1995年)
    • [66]三井石油化学工業は三井東圧の泉北計画に協力し、1968年11月に泉北酸化エチレンへ70%を出資した

1976年〜独自製法のポリプロピレンと、エチレン23万トンを廃棄した浮島への集約

原料高が続くなかで、三井石油化学工業は自社開発の製造技術を競争優位の源に据えた。ポリプロピレンでは他社が米ハイモントの完成技術を導入したのに対し、自社の高密度ポリエチレン技術を土台に独自の製法を固めた。1975年にハイモントと互いの技術を使える提携を結び、翌1976年には生産効率を従来の20倍に高めた製法を確立した。同じ1976年の12月にはポリマー応用研究所を新設し、樹脂の用途開発を研究部門に加えた。一方、1975年度の本業は国内需給の崩れで減産を強いられ、43億7884万円の損失を計上した。ナフサは1970年の1キロリットル約6000円から、1979年末には約5万4000円へ上がった。淡輪就直社長は1980年の年頭、技術力を80年代の競争の焦点に掲げた。

  • 日経ビジネス 1993年7月12日号
    • [75]三井石化は完成技術を導入せず自社開発の技術にこだわり、その技術を武器に海外の大手と提携して供与を広げる方針をとった
    • [76]国内各社が米ハイモントからポリプロピレンの完成技術を導入したのに対し、三井石化は自社の高密度ポリエチレン技術を利用して独自技術の確立に専念した
    • [77]1975年に三井石化の独自技術がハイモントに評価されて相互利用の技術提携を結び、1976年に生産効率を従来の20倍に高めたポリプロピレンの製法を確立した
  • 東洋経済新報社『日本会社史総覧』三井石油化学工業の項(1995年)
    • [78]三井石油化学工業は1976年12月にポリマー応用研究所を開設した
  • 『日本企業要覧』1976年版 三井石油化学工業
    • [79]1975年度は国内の需給不均衡で大幅な減産を余儀なくされ、原料値上がりを製品価格に転嫁できず43億7884万円の損失を計上した
  • 日本経済新聞社『80年代わが社の戦略』三井石油化学工業(1980年)
    • [80]ナフサ価格は1970年の1キロリットル約6000円から1979年末に約5万4000円へ、約9倍に上がった
    • [81]淡輪就直社長は1980年の年頭所感で、80年代の企業間競争は技術力とその運用で決まるとし、特徴ある技術の創造を最重要課題に掲げた

第2次石油危機のあと、汎用樹脂の過剰設備は業界単位で整理されることになった。1983年5月施行の特定産業構造改善臨時措置法(産構法)は、エチレンやポリオレフィンを特定産業に指定した。施行に先立ち、審議会の小委員会はエチレンで36%の設備処理が要ると見積もっていた。1983年7月1日、三井石油化学工業は三井東圧化学、日本石油化学、三井ポリケミカルと均等に出資し、共同販売会社の三井日石ポリマーを設けた。三井東圧のポリプロピレンは需要が伸びていたため、処理の対象にならなかった。1981年6月に社長となった笠間祐一郎氏のもとで塩化ビニルなど3樹脂を大阪工業所へ寄せ、広島・大竹のコンビナートは閉じて売却した。

  • 三井東圧化学株式会社『三井東圧化学社史』(1994年)
    • [82]第2次石油危機で構造不況業種の状況は一段と深刻になり、石油化学などで法律に基づく構造改善が始まった
    • [83]産構法は1983年5月24日に公布・施行され、エチレン・ポリオレフィン・塩化ビニルなどが特定産業に指定された
    • [84]1982年12月の石油化学産業体制小委員会の具申は、エチレンの過剰設備処理量を36%とした
    • [86]三井日石ポリマーは1983年7月1日に4社の均等出資、資本金9億円で設立された。三井東圧のポリプロピレンは工業用の需要が伸びており設備処理を要さなかった
    • [87]1981年6月に社長に就いた笠間祐一郎のもとで、塩化ビニル・ポリプロピレン・ポリスチレンの3大合成樹脂を大阪工業所へ集約した
  • 東洋経済新報社『日本会社史総覧』三井石油化学工業の項(1995年)
    • [85]三井石油化学工業は1983年7月、三井東圧化学・日本石油化学・三井・デュポンポリケミカルとともに三井日石ポリマーを設立した
  • 日経ビジネス 1988年4月25日号
    • [88]三井東圧は3大汎用樹脂の生産集約の過程で、国内初のポリプロピレン操業を担った広島県の大竹コンビナートを閉鎖・売却した

エチレンの設備処理で、三井石油化学工業は生産を浮島石油化学へ一本化した。浮島石油化学は、1967年に日本石油化学と折半出資で設けた会社だった。両社は1983年10月、浮島へエチレン生産を集める事業提携計画をつくり、通産大臣の承認を得た。1984年から1985年にかけ、岩国大竹工場で8万7000トン、千葉工場で14万3000トンのエチレン設備を廃棄した。集約で生じた処理枠のうち2万3000トンは、1系列しか持たない大阪石油化学に回した。1985年3月末に計画を終え、千葉は基礎化学品、岩国大竹は特殊化学品の拠点に改められた。炉を1か所に寄せれば、残す設備の稼働率を保ったまま処理量を満たせると判断したのだろう。

  • 東洋経済新報社『日本会社史総覧』三井石油化学工業の項(1995年)
    • [89]三井石油化学工業はエチレンプラントをすべて浮島石油化学に集約した
    • [90]三井石油化学工業は1967年11月、日本石油化学との折半出資で浮島石油化学を設立した
    • [92]1984年から1985年にかけ、浮島石油化学の合理化と併せて岩国大竹工場のエチレン8万7000トン、千葉工場の14万3000トンを廃棄し、岩国大竹の9万2000トン設備を休止した
    • [94]構造改善計画は1985年3月末に終わり、千葉工場は基礎化学品、岩国大竹工場は特殊化学品の中核拠点に再構築された
  • 三井東圧化学株式会社『三井東圧化学社史』(1994年)
    • [91]三井石油化学と日本石油化学は1983年10月、浮島石油化学へエチレン生産を集中する事業提携計画を作成し通産大臣の承認を得た
    • [93]1系列設備の大阪石油化学は他社からの処理枠融通を必要とし、三井石油化学から2万3000トン、日本石油化学から2万2000トンの枠融通を受けた
参考文献[75]-[94]
  • 日経ビジネス 1993年7月12日号
    • [75]三井石化は完成技術を導入せず自社開発の技術にこだわり、その技術を武器に海外の大手と提携して供与を広げる方針をとった
    • [76]国内各社が米ハイモントからポリプロピレンの完成技術を導入したのに対し、三井石化は自社の高密度ポリエチレン技術を利用して独自技術の確立に専念した
    • [77]1975年に三井石化の独自技術がハイモントに評価されて相互利用の技術提携を結び、1976年に生産効率を従来の20倍に高めたポリプロピレンの製法を確立した
  • 東洋経済新報社『日本会社史総覧』三井石油化学工業の項(1995年)
    • [78]三井石油化学工業は1976年12月にポリマー応用研究所を開設した
    • [85]三井石油化学工業は1983年7月、三井東圧化学・日本石油化学・三井・デュポンポリケミカルとともに三井日石ポリマーを設立した
    • [89]三井石油化学工業はエチレンプラントをすべて浮島石油化学に集約した
    • [90]三井石油化学工業は1967年11月、日本石油化学との折半出資で浮島石油化学を設立した
    • [92]1984年から1985年にかけ、浮島石油化学の合理化と併せて岩国大竹工場のエチレン8万7000トン、千葉工場の14万3000トンを廃棄し、岩国大竹の9万2000トン設備を休止した
    • [94]構造改善計画は1985年3月末に終わり、千葉工場は基礎化学品、岩国大竹工場は特殊化学品の中核拠点に再構築された
  • 『日本企業要覧』1976年版 三井石油化学工業
    • [79]1975年度は国内の需給不均衡で大幅な減産を余儀なくされ、原料値上がりを製品価格に転嫁できず43億7884万円の損失を計上した
  • 日本経済新聞社『80年代わが社の戦略』三井石油化学工業(1980年)
    • [80]ナフサ価格は1970年の1キロリットル約6000円から1979年末に約5万4000円へ、約9倍に上がった
    • [81]淡輪就直社長は1980年の年頭所感で、80年代の企業間競争は技術力とその運用で決まるとし、特徴ある技術の創造を最重要課題に掲げた
  • 三井東圧化学株式会社『三井東圧化学社史』(1994年)
    • [82]第2次石油危機で構造不況業種の状況は一段と深刻になり、石油化学などで法律に基づく構造改善が始まった
    • [83]産構法は1983年5月24日に公布・施行され、エチレン・ポリオレフィン・塩化ビニルなどが特定産業に指定された
    • [84]1982年12月の石油化学産業体制小委員会の具申は、エチレンの過剰設備処理量を36%とした
    • [86]三井日石ポリマーは1983年7月1日に4社の均等出資、資本金9億円で設立された。三井東圧のポリプロピレンは工業用の需要が伸びており設備処理を要さなかった
    • [87]1981年6月に社長に就いた笠間祐一郎のもとで、塩化ビニル・ポリプロピレン・ポリスチレンの3大合成樹脂を大阪工業所へ集約した
    • [91]三井石油化学と日本石油化学は1983年10月、浮島石油化学へエチレン生産を集中する事業提携計画を作成し通産大臣の承認を得た
    • [93]1系列設備の大阪石油化学は他社からの処理枠融通を必要とし、三井石油化学から2万3000トン、日本石油化学から2万2000トンの枠融通を受けた
  • 日経ビジネス 1988年4月25日号
    • [88]三井東圧は3大汎用樹脂の生産集約の過程で、国内初のポリプロピレン操業を担った広島県の大竹コンビナートを閉鎖・売却した

1985年〜「超石油化学」を掲げた三井石化、電子材料に賭けた三井東圧と、宇部興産とのグランドポリマー

エチレンを浮島へ寄せた同じ1985年の10月、三井石油化学工業は「超石油化学」を目指す経営ビジョンを打ち出した。ビジョンの重点は事業の多角化、高付加価値化、国際化で、1987年10月には袖ケ浦研究開発センターを開設した。1987年には米エクソンケミカルと組み、メタロセン触媒でポリエチレンをつくる技術の共同開発に着手した。1992年に商業化のめどが立ち、1995年4月からは宇部興産へ技術を供与して休止中の同社設備で量産に入る段取りを整えた。研究開発には売上高の約7%を投じ、技術供与で得る技術料は1987年以降、毎年50億円を超えた。汎用品の販売量が減少した1993年3月期には、営業利益129億円の半分近くを技術料で稼いだ。

  • 東洋経済新報社『日本会社史総覧』三井石油化学工業の項(1995年)
    • [95]三井石油化学工業は1985年10月、「超石油化学」を目指す経営ビジョンを打ち出した
    • [96]ビジョンの前提となる施策は事業の多角化、高付加価値化、国際化で、1987年10月に袖ケ浦研究開発センターを開設した
  • 日経ビジネス 1995年1月9日号
    • [97]三井石化は1987年に米エクソンケミカルとメタロセン触媒を使うポリエチレンの共同開発に着手し、1992年に商業化のめどを立てた
    • [98]三井石化は1995年4月から宇部興産にメタロセン触媒の技術を供与し、同社の休止中の量産プラントで年産5万トンの新触媒ポリエチレンを生産する予定だった
  • 日経ビジネス 1993年7月12日号
    • [99]三井石化は売上高の約7%を研究開発に投じ、1987年以降は毎年技術料だけで50億円以上の収入を上げた
    • [100]1993年3月期の営業利益は129億円で、販売量減と市況変動の減益要因を技術料収入56億円が補い、営業利益の半分近くを技術料で稼いだ

同じころ三井東圧化学は、汎用品の合理化を終えて新規事業に資金を回し始めた。1985年度に累積損失を一掃し、1986年度の復配で長い再建に区切りをつけた。1981年に社長となった笠間祐一郎氏は、合併時に約1万2000人いた人員を5500人前後まで減らした。会長に退く際には、技術系の沢村治夫氏を後任の社長に選んだ。1987年度は研究開発に170億円を投じ、その7割強を機能製品とバイオに充てた。電子材料など3分野の新規製品は、1982年3月期の32億円から1988年3月期に450億円へ伸び、売上高の12%強に達した。1991年には世界的な総合化学企業を目指す21世紀ビジョンを定めた。

  • 日経ビジネス 1988年4月25日号
    • [101]三井東圧は3大汎用樹脂の大阪集約を終え、黒字基調の定着を機に守りから攻めの経営へ転じ、新規製品の拡充を課題とした
    • [104]笠間会長は、汎用石油化学への依存を下げる方向を鮮明にするため、技術系出身の沢村治夫を後任社長に抜擢した
    • [105]1987年度の研究開発費は170億円(売上高比4.8%)で、その7割強を機能製品とバイオ分野に充てた
    • [106]電子材料・機能性新素材・バイオケミカルの新規製品の売上高は1982年3月期の32億円から1988年3月期に450億円へ伸び、売上高の12%強を占めた
  • 三井東圧化学株式会社『三井東圧化学社史』(1994年)
    • [102]三井東圧は1985年度に累積損失を一掃し、1986年度に復配して再建・基盤整備を一応終えた
    • [107]1991年に世界的な総合化学企業を目指す「21世紀ビジョン」を作成した
  • 日経ビジネス 1989年7月3日号
    • [103]笠間祐一郎会長は再建の過程で、合併当時1万2000人いた人員を5500人ほどまで減らした

汎用樹脂の単独運営は1990年代に入って一段と難しくなり、三井石油化学工業は1995年10月に宇部興産とポリプロピレン事業を統合した。折半出資でグランドポリマーを設け、物流費と開発費を削減して国際競争力を高める狙いだった。ポリプロピレンなどにかかる保護関税は2005年までに軽減される予定で、海外品の流入が見込まれていた。三井東圧化学との合併は1992年ごろに検討されたものの、存続会社をどちらにするかで折り合わず凍結された。1993年6月に社長となった幸田重教氏は、凍結中の合併を変革の最大の課題に据えた。1995年3月期の連結売上高は三井石化が3613億円、三井東圧が4955億円で、合わせても8500億円程度にとどまった。

  • 東洋経済新報社『日本会社史総覧』三井石油化学工業の項(1995年)
    • [108]三井石油化学工業と宇部興産は1995年、折半出資でグランドポリマーを設立してポリプロピレン事業を一体化し、新会社は同年10月1日に発足した
    • [109]グランドポリマーによる事業統合の狙いは物流や開発のコストを削り、国際競争力をつけることにあった
  • 日経ビジネス 1996年5月20日号
    • [110]ポリプロピレンなど化学品中間材の保護関税は2005年までに軽減され、安い海外品の流入に拍車がかかると見込まれていた
    • [111]三井石化と三井東圧化学の合併は1992年ごろに検討されたが、存続会社をどちらにするかなどでもめて合意に至らず凍結となった
    • [113]1995年3月期の連結売上高は三井石化3613億円、三井東圧4955億円で、両社が合併しても8500億円程度にとどまるとされた
  • 日経ビジネス 1994年1月3日号
    • [112]幸田重教は1993年6月に三井石化の社長に就き、凍結している三井東圧化学との合併を変革に向けた最大の仕事とみていた
参考文献[95]-[113]
  • 東洋経済新報社『日本会社史総覧』三井石油化学工業の項(1995年)
    • [95]三井石油化学工業は1985年10月、「超石油化学」を目指す経営ビジョンを打ち出した
    • [96]ビジョンの前提となる施策は事業の多角化、高付加価値化、国際化で、1987年10月に袖ケ浦研究開発センターを開設した
    • [108]三井石油化学工業と宇部興産は1995年、折半出資でグランドポリマーを設立してポリプロピレン事業を一体化し、新会社は同年10月1日に発足した
    • [109]グランドポリマーによる事業統合の狙いは物流や開発のコストを削り、国際競争力をつけることにあった
  • 日経ビジネス 1995年1月9日号
    • [97]三井石化は1987年に米エクソンケミカルとメタロセン触媒を使うポリエチレンの共同開発に着手し、1992年に商業化のめどを立てた
    • [98]三井石化は1995年4月から宇部興産にメタロセン触媒の技術を供与し、同社の休止中の量産プラントで年産5万トンの新触媒ポリエチレンを生産する予定だった
  • 日経ビジネス 1993年7月12日号
    • [99]三井石化は売上高の約7%を研究開発に投じ、1987年以降は毎年技術料だけで50億円以上の収入を上げた
    • [100]1993年3月期の営業利益は129億円で、販売量減と市況変動の減益要因を技術料収入56億円が補い、営業利益の半分近くを技術料で稼いだ
  • 日経ビジネス 1988年4月25日号
    • [101]三井東圧は3大汎用樹脂の大阪集約を終え、黒字基調の定着を機に守りから攻めの経営へ転じ、新規製品の拡充を課題とした
    • [104]笠間会長は、汎用石油化学への依存を下げる方向を鮮明にするため、技術系出身の沢村治夫を後任社長に抜擢した
    • [105]1987年度の研究開発費は170億円(売上高比4.8%)で、その7割強を機能製品とバイオ分野に充てた
    • [106]電子材料・機能性新素材・バイオケミカルの新規製品の売上高は1982年3月期の32億円から1988年3月期に450億円へ伸び、売上高の12%強を占めた
  • 三井東圧化学株式会社『三井東圧化学社史』(1994年)
    • [102]三井東圧は1985年度に累積損失を一掃し、1986年度に復配して再建・基盤整備を一応終えた
    • [107]1991年に世界的な総合化学企業を目指す「21世紀ビジョン」を作成した
  • 日経ビジネス 1989年7月3日号
    • [103]笠間祐一郎会長は再建の過程で、合併当時1万2000人いた人員を5500人ほどまで減らした
  • 日経ビジネス 1996年5月20日号
    • [110]ポリプロピレンなど化学品中間材の保護関税は2005年までに軽減され、安い海外品の流入に拍車がかかると見込まれていた
    • [111]三井石化と三井東圧化学の合併は1992年ごろに検討されたが、存続会社をどちらにするかなどでもめて合意に至らず凍結となった
    • [113]1995年3月期の連結売上高は三井石化3613億円、三井東圧4955億円で、両社が合併しても8500億円程度にとどまるとされた
  • 日経ビジネス 1994年1月3日号
    • [112]幸田重教は1993年6月に三井石化の社長に就き、凍結している三井東圧化学との合併を変革に向けた最大の仕事とみていた

第3章 1997年〜 三井化学への合併と武田・出光との事業統合による誘導品の再編

1997年〜三井石化と三井東圧の対等合併と、住友化学との経営統合の発表

1997年10月、三井石油化学工業は三井東圧化学と合併し、商号を三井化学に改めた。規模を求めた合併だったが、1999年3月期の連結売上高は8559億円で、1兆円を超える三菱化学や旭化成工業に届かなかった。会社は発足後の3年間を合併効果の実現に充てた期間と位置づけ、1998年度の経常利益を439億円と示した。2000年度には、売上高9500億円・経常利益500億円まで伸ばす見通しを立てた。描いたのは、石油化学・基礎化学と機能性材料を2本の柱とし、製品と技術の相乗効果を追う総合化学の形だった。二つの三井系が統合したのは工場や販路にとどまらず、単独では過当競争から抜け出せない汎用品の塊だったとみられる。

  • 三井化学 有価証券報告書 第28期(2025年3月期)「沿革」
    • [114]1997年10月 三井東圧化学と合併し、商号を三井化学に変更した
  • 日経ビジネス 1999年8月16日号
    • [115]三井化学の1999年3月期の連結売上高は8559億円で、連結売上高1兆円超の三菱化学・旭化成工業に規模で見劣りした。規模のメリットを求めて合併した
  • 三井化学「2001年度中期経営計画」(2001年3月)
    • [116]1997年の三井化学誕生後、1998〜2000年は合併効果の実現に全力を挙げた期間とされ、1998年度は売上高8559億円・経常利益439億円
    • [117]成長ストーリーの図で、2000年度は売上高9500億円・経常利益500億円とした
    • [118]目指す総合化学として、石油化学・基礎化学と機能性材料の2本の柱で製品・市場・技術のシナジーを追求するとした

1999年6月、合併準備を率いた副社長の中西宏幸氏が社長に就任した。中西宏幸氏は三井石化の予算管理で設備維持費を140億円から70億円へ半減させた人物で、合併後は整理の旗を振った。就任直後、中西宏幸社長は方針をこう語った『今後は機能性樹脂などの中核となる事業に焦点を絞り、今年中に不採算事業の再編など後ろ向きの仕事にめどをつける。そして、来年からは前向きの改革へアクセルを踏み込む』。研究拠点は1998年4月の10地区1456人から、2001年3月には7地区1350人に減った。工場は8から5へ絞り、電解の停止や三井製薬の日本シェーリングへの譲渡など、不採算事業の手放しも重ねた。攻めに転じる前に、固定費と不採算品の削減を先に済ませる順序を選んだのだろう。

  • 日経ビジネス 1999年8月16日号
    • [119]中西宏幸は1997年10月の合併後に副社長経営企画本部長となり、1999年6月に社長に就任した。合併前は準備作業の牽引役だった
    • [120]中西は三井石化の予算管理課で設備維持の経費を140億円から70億円に半減させ、合併後はリストラの旗振り役を務めた
  • 三井化学「2001年度中期経営計画」(2001年3月)
    • [121]研究開発拠点を1998年4月の10地区・1456人から2001年3月に7地区・1350人へ統合した
    • [122]生産拠点を8工場から5工場体制へ集約し、名古屋・大阪の電解停止、三井製薬の日本シェーリングへの譲渡、石膏ボード・無水フタル酸などの譲渡を進めた

2000年11月17日、三井化学は住友化学工業と事業統合の基本合意書を結んだ。グローバルな競争が激しくなるなか、全面統合が企業価値を高める最善の選択だと両社は判断した。まず2001年10月に汎用樹脂を統合し、2003年10月までに全面統合する段取りだった。両社のキャッシュフローを足すと世界の化学で5位に入る計算だったが、首位のBASFとの差はなお大きかった。ポリプロピレンの能力も、BASFとシェルの合弁の年640万トン前後に対し、両社計で165万トンにとどまった。三井化学は2001年3月の中期経営計画で、2003年度に売上高1兆1500億円を置き、その先に住友化学との統合を据えた。

  • 三井化学株式会社 プレスリリース「事業統合の見送りについて」(2003年3月31日)
    • [123]三井化学と住友化学工業は2000年11月17日に「事業統合に関する基本合意書」を締結した
    • [124]両社はグローバルな企業間競争の激化のなか、将来の事業の発展と企業価値向上のために全面統合が最善の選択と判断した
  • 日経ビジネス 2001年1月1日号
    • [125]両社は2001年10月にポリエチレンとポリプロピレンの事業を統合し、2003年10月までに全面的な経営統合をする計画だった
    • [126]両社のキャッシュフローを単純合計すると化学で世界5位となるが、首位BASFとの差は大きい
    • [127]BASFとシェルの合弁はポリプロピレンで年640万トン前後の能力を持ち、住友・三井化学は計165万トンにとどまる
  • 三井化学「2001年度中期経営計画」(2001年3月)
    • [128]01年度中期経営計画(2001年3月15日)は2003年度に売上高1兆1500億円・経常利益920億円を掲げ、その先に住友化学との全面的事業統合を置いた
参考文献[114]-[128]
  • 三井化学 有価証券報告書 第28期(2025年3月期)「沿革」
    • [114]1997年10月 三井東圧化学と合併し、商号を三井化学に変更した
  • 日経ビジネス 1999年8月16日号
    • [115]三井化学の1999年3月期の連結売上高は8559億円で、連結売上高1兆円超の三菱化学・旭化成工業に規模で見劣りした。規模のメリットを求めて合併した
    • [119]中西宏幸は1997年10月の合併後に副社長経営企画本部長となり、1999年6月に社長に就任した。合併前は準備作業の牽引役だった
    • [120]中西は三井石化の予算管理課で設備維持の経費を140億円から70億円に半減させ、合併後はリストラの旗振り役を務めた
  • 三井化学「2001年度中期経営計画」(2001年3月)
    • [116]1997年の三井化学誕生後、1998〜2000年は合併効果の実現に全力を挙げた期間とされ、1998年度は売上高8559億円・経常利益439億円
    • [117]成長ストーリーの図で、2000年度は売上高9500億円・経常利益500億円とした
    • [118]目指す総合化学として、石油化学・基礎化学と機能性材料の2本の柱で製品・市場・技術のシナジーを追求するとした
    • [121]研究開発拠点を1998年4月の10地区・1456人から2001年3月に7地区・1350人へ統合した
    • [122]生産拠点を8工場から5工場体制へ集約し、名古屋・大阪の電解停止、三井製薬の日本シェーリングへの譲渡、石膏ボード・無水フタル酸などの譲渡を進めた
    • [128]01年度中期経営計画(2001年3月15日)は2003年度に売上高1兆1500億円・経常利益920億円を掲げ、その先に住友化学との全面的事業統合を置いた
    • [123]三井化学と住友化学工業は2000年11月17日に「事業統合に関する基本合意書」を締結した
    • [124]両社はグローバルな企業間競争の激化のなか、将来の事業の発展と企業価値向上のために全面統合が最善の選択と判断した
  • 日経ビジネス 2001年1月1日号
    • [125]両社は2001年10月にポリエチレンとポリプロピレンの事業を統合し、2003年10月までに全面的な経営統合をする計画だった
    • [126]両社のキャッシュフローを単純合計すると化学で世界5位となるが、首位BASFとの差は大きい
    • [127]BASFとシェルの合弁はポリプロピレンで年640万トン前後の能力を持ち、住友・三井化学は計165万トンにとどまる

2001年〜武田のウレタンを入れた三井武田ケミカルと、出光と組んだプライムポリマー

住友化学との統合を待つ間の2001年4月、三井化学は武田薬品工業とポリウレタン材料事業を統合し、三井武田ケミカルを設立した。2001年度の中期経営計画は機能性材料分野に1200億円の投資を充て、その筆頭に同社の設立を置いた。同じ計画には、大牟田工場でのTDIの増強と、韓国の錦湖三井でのMDIの増強も並んだ。住友化学のプロピレンオキサイドを三井のポリオール原料へつなぐ一貫生産も、統合の相乗効果に数えられた。増強は統合の行方と切り離して進み、2003年8月には同社の鹿島工場で新しいTDI設備が商業運転に入った。統合が成っても流れても、ウレタン原料で国内の主導的な位置を確保できる布陣だったと推察される。

  • 三井化学 有価証券報告書 第28期(2025年3月期)「沿革」
    • [129]2001年4月 三井化学と武田薬品工業のポリウレタン材料事業を統合し、三井武田ケミカルを設立(2006年4月に三井化学ポリウレタンへ商号変更)
  • 三井化学「2001年度中期経営計画」(2001年3月)
    • [130]01中計は機能性材料分野の投資額を1200億円とし、コア事業強化の項目に三井武田ケミカル設立(01年4月)とTDI・MDIの設備能力拡大を挙げた
    • [131]ウレタン原料の強化としてTDI(大牟田工場増強)とMDI(錦湖三井増強)を挙げた
    • [132]住友化学との統合シナジーとして、ウレタン原料での一貫シナジー(住友のPO→三井のPPG)を挙げた
  • 三井化学 Annual Report 2004(2004年3月期)
    • [133]三井化学と武田薬品工業の合弁である三井武田ケミカルは、2003年8月1日に鹿島工場の新TDIプラントで商業運転を始めた

2003年3月31日、三井化学と住友化学は、同年10月に予定した全面統合を見送ると発表した。分科会を設けて準備を重ね、財務顧問も交えて協議したが、最も重要な統合比率で見解の隔たりが埋まらなかった。先行統合も遅れ、中期経営計画が2001年10月としたポリオレフィンの統合は、2002年4月の合弁設立にずれ込んだ。見送りを受け、三井化学は自社の立場を次のように示した『事業統合の見送りにともない、ある程度の戦略見直しは必要となりますが、基本戦略に変更はありません。』。住友化学とは個別事業の連携を探りつつ、互いの制約を受けず独立に運営すると定めた。同年は2001年からの3カ年計画の最終年で、会社はその成果を2004年度の計画へつなぐとした。統合を前提に組んだ戦略の骨組みを、単独のまま使い続ける選択だったといえよう。

  • 三井化学株式会社 プレスリリース「事業統合の見送りについて」(2003年3月31日)
    • [134]三井化学と住友化学は2003年10月に予定した全面的事業統合を見送ることで合意し、2003年3月31日に発表した
    • [135]事業統合検討委員会のもと事業分科会・制度分科会を設け、ファイナンシャル・アドバイザーの知見も得て協議したが、最も重要な統合条件である統合比率で両社の見解の隔たりが埋まらなかった
    • [137]両社は三井住友ポリオレフィンを2002年4月に設立しており、統合見送り後も同社への支援を求めた
    • [138]両社は今後も個別事業での戦略的連携・協力の方向性を探るが、相互に制約や拘束を受けずそれぞれ独立に事業運営を行う
    • [139]三井化学にとって2003年は2001年から始まった3カ年中期経営計画の仕上げの年で、2004年度中期経営計画に繋ぎ込む予定だった
  • 三井化学「2001年度中期経営計画」(2001年3月)
    • [136]01中計はポリオレフィン事業(ポリエチレン・ポリプロピレン)を2001年10月に先行統合する予定とした

単独に戻った三井化学は2004年2月3日、汎用樹脂の相手に出光グループを選び、包括提携の検討で意向書を交わした。同年5月17日には、出光興産・出光石油化学とポリオレフィン事業の統合で基本合意した。提携は石油化学のコストを構造から下げる策の一つで、分解原料の多様化やプロピレンセンター化と組になっていた。2005年4月、両社のポリオレフィン事業を統合したプライムポリマーが発足した。資本金は200億円、出資は三井65・出光35で、年産能力はポリプロピレン136万トン・ポリエチレン71.4万トンを見込んだ。同時期の4カ年計画は汎用品から機能品への移行を掲げ、2008年3月期に経常利益1000億円、うち機能材料で5割以上を狙った。

  • 三井化学 Annual Report 2004(2004年3月期)
    • [140]2004年2月3日に出光グループと包括提携の検討に関する意向書を締結した
    • [141]2004年5月17日の取締役会で、出光興産・出光石油化学とのポリオレフィン事業統合の基本合意を決め、同日締結した
    • [142]出光との提携は石油化学事業の構造的なコスト削減の一環で、分解原料の多様化・プロピレンセンター化・差別化を進めるとした
    • [144]新会社は資本金200億円(三井65:出光35)、2005年度合算売上高2200億円、年産能力PP136万トン・PE71.4万トンの計画
  • 三井化学 有価証券報告書 第28期(2025年3月期)「沿革」
    • [143]2005年4月 三井化学と出光興産のポリオレフィン事業を統合し、プライムポリマーを設立
  • 三井化学 ANNUAL REPORT 2005(2005年3月期)
    • [145]2004年策定の4カ年中期経営計画(2005年3月期〜2008年3月期)は「Shift from Commodities to Specialties」を掲げ、2008年3月期に経常利益1000億円、その50%以上を機能材料で稼ぐ目標を置いた
参考文献[129]-[145]
  • 三井化学 有価証券報告書 第28期(2025年3月期)「沿革」
    • [129]2001年4月 三井化学と武田薬品工業のポリウレタン材料事業を統合し、三井武田ケミカルを設立(2006年4月に三井化学ポリウレタンへ商号変更)
    • [143]2005年4月 三井化学と出光興産のポリオレフィン事業を統合し、プライムポリマーを設立
  • 三井化学「2001年度中期経営計画」(2001年3月)
    • [130]01中計は機能性材料分野の投資額を1200億円とし、コア事業強化の項目に三井武田ケミカル設立(01年4月)とTDI・MDIの設備能力拡大を挙げた
    • [131]ウレタン原料の強化としてTDI(大牟田工場増強)とMDI(錦湖三井増強)を挙げた
    • [132]住友化学との統合シナジーとして、ウレタン原料での一貫シナジー(住友のPO→三井のPPG)を挙げた
    • [136]01中計はポリオレフィン事業(ポリエチレン・ポリプロピレン)を2001年10月に先行統合する予定とした
  • 三井化学 Annual Report 2004(2004年3月期)
    • [133]三井化学と武田薬品工業の合弁である三井武田ケミカルは、2003年8月1日に鹿島工場の新TDIプラントで商業運転を始めた
    • [140]2004年2月3日に出光グループと包括提携の検討に関する意向書を締結した
    • [141]2004年5月17日の取締役会で、出光興産・出光石油化学とのポリオレフィン事業統合の基本合意を決め、同日締結した
    • [142]出光との提携は石油化学事業の構造的なコスト削減の一環で、分解原料の多様化・プロピレンセンター化・差別化を進めるとした
    • [144]新会社は資本金200億円(三井65:出光35)、2005年度合算売上高2200億円、年産能力PP136万トン・PE71.4万トンの計画
    • [134]三井化学と住友化学は2003年10月に予定した全面的事業統合を見送ることで合意し、2003年3月31日に発表した
    • [135]事業統合検討委員会のもと事業分科会・制度分科会を設け、ファイナンシャル・アドバイザーの知見も得て協議したが、最も重要な統合条件である統合比率で両社の見解の隔たりが埋まらなかった
    • [137]両社は三井住友ポリオレフィンを2002年4月に設立しており、統合見送り後も同社への支援を求めた
    • [138]両社は今後も個別事業での戦略的連携・協力の方向性を探るが、相互に制約や拘束を受けずそれぞれ独立に事業運営を行う
    • [139]三井化学にとって2003年は2001年から始まった3カ年中期経営計画の仕上げの年で、2004年度中期経営計画に繋ぎ込む予定だった
  • 三井化学 ANNUAL REPORT 2005(2005年3月期)
    • [145]2004年策定の4カ年中期経営計画(2005年3月期〜2008年3月期)は「Shift from Commodities to Specialties」を掲げ、2008年3月期に経常利益1000億円、その50%以上を機能材料で稼ぐ目標を置いた

2005年〜藤吉建二社長の2008年度中期経営計画と、三共アグロを入れた三井化学アグロ

2008年、藤吉建二社長は2011年度を最終年とする4カ年の中期経営計画を出した。前の計画は4年間の累計営業利益3200億円に対し、実績が3081億円で終わった。機能性材料が営業利益の5割を超えた一方、起点となる2007年度の営業利益は772億円にとどまった。新計画の目標は、次のとおり置かれた『08中計では、2011年度に営業利益1,300億円、ROA7.5%を目指します。』。その先の2015年近傍には、営業利益1500億円以上・ROA10%以上を長期目標に掲げた。資源は機能性ポリマーズへ集中して投じ、農業化学品やビジョンケア、触媒をM&Aで第3の柱へ育てる構想だった。2009年4月には、三井武田ケミカルから改称した三井化学ポリウレタンを本体に吸収した。

  • 三井化学 アニュアルレポート2008(2008年3月期)
    • [146]発足10周年の2007年に策定したグランドデザインのもと、2008年度を初年度とする4カ年の中期経営計画(08中計)を策定した
    • [147]04中計(2004〜2007年度)の4カ年累計営業利益は計画3200億円に対し実績3081億円で、概ね達成とした
    • [148]04中計期間に営業利益に占める機能性材料分野の割合は目標の5割を超えた。2007年度の連結営業利益は772億円、ROAは5.2%
    • [149]グランドデザインの長期経営目標(2015年近傍)は営業利益1500億円以上・ROA10%以上
    • [150]08中計は機能性ポリマーズへの経営資源の集中投入と、農業化学品・ビジョンケア・触媒事業のM&Aを中心とした規模拡大による第3の柱の獲得を掲げた
  • 三井化学 有価証券報告書 第28期(2025年3月期)「沿革」
    • [151]2009年4月 三井化学ポリウレタン(2006年4月に三井武田ケミカルから商号変更)を吸収合併

2008年秋の世界同時不況で、主要顧客である自動車と電子情報材料の需要が急減した。2009年3月期は営業損失455億円、当期純損失952億円となった。2002年3月期から7期続いた連結純利益の黒字は、ここで途切れた。2009年1月から報酬や経費の削減、投資案件の見直しを始め、3月までに50億円を削減した。2009年、藤吉建二社長は会長に回り、田中稔一氏が社長に就任した。田中稔一社長は緊急対策の目標をこう定めた『まずは2009年度下期の黒字回復、次に、2010年度の黒字化定着を必達目標とする緊急対策を策定しました。』。2009年度に300億円のコストダウンを見込み、投融資も2年間で1320億円圧縮する計画だった。2010年3月期も純損失280億円を出したが、上期の営業損失190億円から、下期は営業利益95億円へ黒字化した。

  • 三井化学 アニュアルレポート2009(2009年3月期)
    • [152]2008年度は世界同時不況で主要取引先の自動車・電子情報材料分野の需要が大幅に減り、販売数量と設備稼働率が大きく低下した
    • [153]2009年3月期の連結業績は売上高1兆4876億円、営業損失455億円、経常損失508億円、当期純損失952億円
    • [155]2009年1月から緊急対策を実行し、役員・管理職の報酬減額で25億円、経費・固定費削減で15億円、変動費削減で10億円、1〜3月で計50億円を削減した
    • [156]2009年3月期のアニュアルレポートで、田中稔一が代表取締役社長、藤吉建二が代表取締役会長として署名し、田中は経済危機の最中に社長に就任したとされた
    • [157]2009年度は300億円のコストダウンを確実に実行し、投融資を中期経営計画比で2008年度300億円・2009年度1020億円、2年間で1320億円削減する
  • 三井化学 有価証券報告書 第5期(2002年3月期)〜第12期(2009年3月期)
    • [154]連結当期純利益は2002年3月期76億円から2008年3月期まで7期連続で黒字、2009年3月期は952億円の純損失
  • 三井化学 アニュアルレポート2010(2010年3月期)
    • [158]2010年3月期は上期に190億円の営業損失、下期に95億円の営業利益を計上し、通期では営業損失95億円・当期純損失280億円

田中稔一社長は不況下でも稼ぎを保った事業を次の収益源に選び、年報にその根拠を次のように記した『先端化学品事業における、農業化学品、ビジョンケアなどは、このような厳しい環境下においても安定的な収益を確保しており』。2009年4月、三共アグロと自社の農業化学品事業を統合し、原体と製剤を一体で担う三井化学アグロを発足させた。農薬では、2015年に売上高1000億円を達成する目標を置いた。有報の沿革は、両社の農業化学品事業の統合による同社の設立を2010年10月と記している。2011年3月期には営業利益405億円まで戻し、次の3カ年計画で戦略的M&A1000億円を含む3500億円の投融資を掲げた。市況に振られる汎用品の損益を、農薬と機能材料で支える方針が次の計画の前提になったと考えられる。

  • 三井化学 アニュアルレポート2009(2009年3月期)
    • [159]2009年4月、原体事業と製剤事業の一体化を目的に農業化学品事業と三共アグロを統合し、三井化学アグロとして発足させた。農業化学品で2015年に売上高1000億円を目指す
    • [160]農業化学品事業では2015年に売上高1000億円を目指す
  • 三井化学 有価証券報告書 第28期(2025年3月期)「沿革」
    • [161]2010年10月 三井化学及び三共アグロの農業化学品事業を統合し、三井化学アグロを設立
  • 三井化学 アニュアルレポート2011(2011年3月期)
    • [162]2010年度(2011年3月期)は営業利益405億円を達成し、11中計期間に戦略的M&A1000億円を含む3500億円の投融資を計画した
参考文献[146]-[162]
  • 三井化学 アニュアルレポート2008(2008年3月期)
    • [146]発足10周年の2007年に策定したグランドデザインのもと、2008年度を初年度とする4カ年の中期経営計画(08中計)を策定した
    • [147]04中計(2004〜2007年度)の4カ年累計営業利益は計画3200億円に対し実績3081億円で、概ね達成とした
    • [148]04中計期間に営業利益に占める機能性材料分野の割合は目標の5割を超えた。2007年度の連結営業利益は772億円、ROAは5.2%
    • [149]グランドデザインの長期経営目標(2015年近傍)は営業利益1500億円以上・ROA10%以上
    • [150]08中計は機能性ポリマーズへの経営資源の集中投入と、農業化学品・ビジョンケア・触媒事業のM&Aを中心とした規模拡大による第3の柱の獲得を掲げた
  • 三井化学 有価証券報告書 第28期(2025年3月期)「沿革」
    • [151]2009年4月 三井化学ポリウレタン(2006年4月に三井武田ケミカルから商号変更)を吸収合併
    • [161]2010年10月 三井化学及び三共アグロの農業化学品事業を統合し、三井化学アグロを設立
  • 三井化学 アニュアルレポート2009(2009年3月期)
    • [152]2008年度は世界同時不況で主要取引先の自動車・電子情報材料分野の需要が大幅に減り、販売数量と設備稼働率が大きく低下した
    • [153]2009年3月期の連結業績は売上高1兆4876億円、営業損失455億円、経常損失508億円、当期純損失952億円
    • [155]2009年1月から緊急対策を実行し、役員・管理職の報酬減額で25億円、経費・固定費削減で15億円、変動費削減で10億円、1〜3月で計50億円を削減した
    • [156]2009年3月期のアニュアルレポートで、田中稔一が代表取締役社長、藤吉建二が代表取締役会長として署名し、田中は経済危機の最中に社長に就任したとされた
    • [157]2009年度は300億円のコストダウンを確実に実行し、投融資を中期経営計画比で2008年度300億円・2009年度1020億円、2年間で1320億円削減する
    • [159]2009年4月、原体事業と製剤事業の一体化を目的に農業化学品事業と三共アグロを統合し、三井化学アグロとして発足させた。農業化学品で2015年に売上高1000億円を目指す
    • [160]農業化学品事業では2015年に売上高1000億円を目指す
  • 三井化学 有価証券報告書 第5期(2002年3月期)〜第12期(2009年3月期)
    • [154]連結当期純利益は2002年3月期76億円から2008年3月期まで7期連続で黒字、2009年3月期は952億円の純損失
  • 三井化学 アニュアルレポート2010(2010年3月期)
    • [158]2010年3月期は上期に190億円の営業損失、下期に95億円の営業利益を計上し、通期では営業損失95億円・当期純損失280億円
  • 三井化学 アニュアルレポート2011(2011年3月期)
    • [162]2010年度(2011年3月期)は営業利益405億円を達成し、11中計期間に戦略的M&A1000億円を含む3500億円の投融資を計画した

第4章 2012年〜 連結純損失から歯科材料・農業化学品への事業入れ替え

2012年〜フェノール・PTAの特別損失と、ヘレウスクルツァーの歯科材料

2012年3月期の三井化学は、営業利益216億円、当期純損失10億円で決算を終えた。2011年度の営業利益は上期の287億円から下期に▲71億円へ悪化し、PTAとフェノールの利幅縮小が基礎化学品セグメントを赤字にした。欧州金融危機でアジアの需要が急減したところへ、タイの洪水と歴史的な円高が重なった。最終損益を悪化させたのはリーマン・ショック以来赤字が続くポリウレタン材料事業で、第3四半期に減損処理を行った。連結の純損失は2009年3月期の952億円に続くもので、2013年3月期に81億円、2014年3月期に251億円と3期続いた。同じ年度にタイとブラジルの農薬会社へ資本参加していたが、市況製品の損失を埋める規模には遠かったとみられる。

  • 三井化学 有価証券報告書(2012年3月期)
    • [163]2012年3月期の連結営業利益は216億円、当期純損失は10億円
  • 三井化学「アニュアルレポート2012(2012年3月期)」
    • [164]2011年度の営業利益は上期287億円・下期▲71億円。欧州金融危機によるアジア需要の低迷、タイ洪水、円高で、PTA・フェノールのマージンが悪化し基礎化学品セグメントが悪化した
    • [165]2011年度の営業利益は上期287億円・下期▲71億円。欧州金融危機によるアジア需要の低迷、タイ洪水、円高で、PTA・フェノールのマージンが悪化し基礎化学品セグメントが悪化した
    • [166]リーマン・ショック以降の需要後退でポリウレタン材料事業が赤字に陥り、2011年度第3四半期に減損処理を行った
    • [168]2011年、農薬事業でタイとブラジルの農薬製造販売会社と資本提携した
  • 三井化学 有価証券報告書(2009年3月期・2013年3月期・2014年3月期)
    • [167]連結当期純損失は2009年3月期952億円、2013年3月期81億円、2014年3月期251億円

赤字に転じた三井化学は、2012年度から経営資源を3つの重点強化分野に集め、その筆頭に健康・高齢化や食糧確保に応える高機能製品群を置いた。この分野はM&Aや提携で早く事業を広げる方針とし、同年度に韓国KOC社を買収してメガネレンズ材料を強めた。さらにメガネレンズ材料と不織布に続くヘルスケア材料の第3の柱として、歯科材料事業の大型買収を決めた。この時期の中期経営計画はポートフォリオ変革を掲げ、その中身は景気の波を受けにくい事業の比重を上げることだった。その動きとして、2013年6月にドイツのHeraeus HoldingからHeraeus Kulzerを含む歯科材料事業を買収し、同月には米国DENTCA社の株式も手に入れて、歯科の事業の土台を広げた。

  • 三井化学「アニュアルレポート2013(2013年3月期)」
    • [169]2012年度より、景気変動を受けにくい事業ポートフォリオへの変革を加速するため、経営資源を3つの重点強化分野に集中し、その第一は健康・高齢化や食糧確保に対応する高機能製品群(M&Aや提携による早期事業拡大)
    • [170]12年度に韓国KOC社を買収し、メガネレンズ・不織布に並ぶヘルスケア材料分野の第3の柱として歯科材料事業の大型買収を決断した
    • [171]12年度に韓国KOC社を買収し、メガネレンズ・不織布に並ぶヘルスケア材料分野の第3の柱として歯科材料事業の大型買収を決断した
    • [172]2012年度より、景気変動を受けにくい事業ポートフォリオへの変革を加速するため、経営資源を3つの重点強化分野に集中し、その第一は健康・高齢化や食糧確保に対応する高機能製品群(M&Aや提携による早期事業拡大)
    • [174]歯科材料事業の拡大のため、米国DENTCA社の株式を取得した(2013年6月)
  • 三井化学 有価証券報告書(2025年3月期)「沿革」
    • [173]2013年6月、ドイツHeraeus Holding GmbHよりHeraeus Kulzer GmbHを含む歯科材料事業を買収した

2013年3月期は岩国大竹工場の事故と基礎化学品の市況低迷が響き、営業利益は43億円に縮んだ。事業再構築の特別損失も加わり、純損失は81億円に膨らんだ。同期の年報で当時の社長は『痛みを伴う改革をやり遂げる決断が出来るかどうか、これがマネジメントの責任だと思っている。』と記し、低収益の大型事業に手を入れる方針を示した。2014年2月に発表した大型市況製品の再構築では、インドネシアのPTA事業をBPへ売ることを決めた。千葉のフェノール25万トンと市原のBPAを止め、鹿島工場のTDIも閉じる計画だった。再構築の費用は約600億円に及び、2014年3月期の純損失は251億円となった。同年5月の14中期経営計画説明会で、新社長の淡輪敏氏は再構築の完遂と財務体質の早期改善を計画の使命に掲げた。

  • 三井化学「アニュアルレポート2013(2013年3月期)」
    • [175]2012年度は岩国大竹工場の事故と基礎化学品の世界的な市況低迷で営業利益43億円、事業再構築の特別損失計上により当期純損失81億円
    • [176]2012年度は岩国大竹工場の事故と基礎化学品の世界的な市況低迷で営業利益43億円、事業再構築の特別損失計上により当期純損失81億円
    • [177]社長は低収益事業の構造改革について、痛みを伴う改革をやり遂げる決断がマネジメントの責任だと述べた
  • 三井化学「三井化学レポート2016(2016年3月期)」
    • [178]2014年2月に大型市況製品の再構築を発表した(社外との対談での言及)
  • 三井化学「14中期経営計画説明会資料」(2014年5月21日)
    • [179]大型市況製品の再構築として、インドネシアPTA事業のBPへの売却(14年2月末)、千葉フェノール停止(25万t)、市原BPA停止、鹿島工場TDI閉鎖(16年12月末目途)を進める
    • [180]大型市況製品の再構築として、インドネシアPTA事業のBPへの売却(14年2月末)、千葉フェノール停止(25万t)、市原BPA停止、鹿島工場TDI閉鎖(16年12月末目途)を進める
    • [181]事業再構築費用は約600億円、2013年度の当期純損失は251億円
    • [182]2014年5月21日、社長淡輪敏が14中期経営計画を説明し、事業再構築の確実な実行と財務体質の早期改善を使命とした
参考文献[163]-[182]
  • 三井化学 有価証券報告書(2012年3月期)
    • [163]2012年3月期の連結営業利益は216億円、当期純損失は10億円
  • 三井化学「アニュアルレポート2012(2012年3月期)」
    • [164]2011年度の営業利益は上期287億円・下期▲71億円。欧州金融危機によるアジア需要の低迷、タイ洪水、円高で、PTA・フェノールのマージンが悪化し基礎化学品セグメントが悪化した
    • [165]2011年度の営業利益は上期287億円・下期▲71億円。欧州金融危機によるアジア需要の低迷、タイ洪水、円高で、PTA・フェノールのマージンが悪化し基礎化学品セグメントが悪化した
    • [166]リーマン・ショック以降の需要後退でポリウレタン材料事業が赤字に陥り、2011年度第3四半期に減損処理を行った
    • [168]2011年、農薬事業でタイとブラジルの農薬製造販売会社と資本提携した
  • 三井化学 有価証券報告書(2009年3月期・2013年3月期・2014年3月期)
    • [167]連結当期純損失は2009年3月期952億円、2013年3月期81億円、2014年3月期251億円
  • 三井化学「アニュアルレポート2013(2013年3月期)」
    • [169]2012年度より、景気変動を受けにくい事業ポートフォリオへの変革を加速するため、経営資源を3つの重点強化分野に集中し、その第一は健康・高齢化や食糧確保に対応する高機能製品群(M&Aや提携による早期事業拡大)
    • [170]12年度に韓国KOC社を買収し、メガネレンズ・不織布に並ぶヘルスケア材料分野の第3の柱として歯科材料事業の大型買収を決断した
    • [171]12年度に韓国KOC社を買収し、メガネレンズ・不織布に並ぶヘルスケア材料分野の第3の柱として歯科材料事業の大型買収を決断した
    • [172]2012年度より、景気変動を受けにくい事業ポートフォリオへの変革を加速するため、経営資源を3つの重点強化分野に集中し、その第一は健康・高齢化や食糧確保に対応する高機能製品群(M&Aや提携による早期事業拡大)
    • [174]歯科材料事業の拡大のため、米国DENTCA社の株式を取得した(2013年6月)
    • [175]2012年度は岩国大竹工場の事故と基礎化学品の世界的な市況低迷で営業利益43億円、事業再構築の特別損失計上により当期純損失81億円
    • [176]2012年度は岩国大竹工場の事故と基礎化学品の世界的な市況低迷で営業利益43億円、事業再構築の特別損失計上により当期純損失81億円
    • [177]社長は低収益事業の構造改革について、痛みを伴う改革をやり遂げる決断がマネジメントの責任だと述べた
  • 三井化学 有価証券報告書(2025年3月期)「沿革」
    • [173]2013年6月、ドイツHeraeus Holding GmbHよりHeraeus Kulzer GmbHを含む歯科材料事業を買収した
  • 三井化学「三井化学レポート2016(2016年3月期)」
    • [178]2014年2月に大型市況製品の再構築を発表した(社外との対談での言及)
  • 三井化学「14中期経営計画説明会資料」(2014年5月21日)
    • [179]大型市況製品の再構築として、インドネシアPTA事業のBPへの売却(14年2月末)、千葉フェノール停止(25万t)、市原BPA停止、鹿島工場TDI閉鎖(16年12月末目途)を進める
    • [180]大型市況製品の再構築として、インドネシアPTA事業のBPへの売却(14年2月末)、千葉フェノール停止(25万t)、市原BPA停止、鹿島工場TDI閉鎖(16年12月末目途)を進める
    • [181]事業再構築費用は約600億円、2013年度の当期純損失は251億円
    • [182]2014年5月21日、社長淡輪敏が14中期経営計画を説明し、事業再構築の確実な実行と財務体質の早期改善を使命とした

2015年〜韓国SKCとのポリウレタン統合と、営業利益1,021億円を出した長期経営計画

再構築を終えても、ポリウレタン材料は需要の停滞と中東・アジアの能力増強による供給過剰で、海外の市況が崩れたままだった。三井化学は2015年7月、韓国SKCとポリウレタン材料事業を統合した。受け皿として持分法適用の合弁会社Mitsui Chemicals & SKC Polyurethanes(MCNS)を設けた。国内では鹿島工場のTDI設備を止め、生産能力も削減した。業界再編について問われた淡輪敏社長は『キーワードは規模のメリットがあるのかないのかだと思います。』と答え、統合の効果は事業ごとに見極めるべきだとした。しかし事業を移した後も、MCNS向けの製造受託は市況の低迷で収益を落とした。この合弁は、7年後の2022年7月に解消した。

  • 三井化学「三井化学レポート2016(2016年3月期)」
    • [183]2015年度のポリウレタン材料は、需要の停滞と中東・アジアの生産能力増強による供給過剰で海外市況が低迷し収益が悪化した
    • [185]韓国SKC社との合弁会社・三井化学SKCポリウレタン(MCNS)を2015年7月に設立。国内生産能力削減のため鹿島工場TDI設備を停止
    • [186]韓国SKC社との合弁会社・三井化学SKCポリウレタン(MCNS)を2015年7月に設立。国内生産能力削減のため鹿島工場TDI設備を停止
    • [187]淡輪社長は国内再編について、規模のメリットの有無が鍵で、事業ごとの視点が大事だと述べた
    • [188]ポリウレタン材料は2015年7月設立の三井化学SKCポリウレタンに事業を移管したが、同社向け製造受託事業が海外市況低迷で収益悪化した
  • 三井化学 有価証券報告書(2025年3月期)「沿革」
    • [184]2015年7月、SKC Co., Ltd.とポリウレタン材料事業を統合しMitsui Chemicals & SKC Polyurethanes Inc.(持分法適用会社)を設立。2022年7月に合弁を解消した
    • [189]2015年7月、SKC Co., Ltd.とポリウレタン材料事業を統合しMitsui Chemicals & SKC Polyurethanes Inc.(持分法適用会社)を設立。2022年7月に合弁を解消した

2016年、三井化学は2025年度までを見通す長期経営計画VISION 2025を策定した。計画が注力したのは、14中計で定めたモビリティ、ヘルスケア、フード&パッケージングの3つのターゲット事業領域だった。基盤素材は、産業と社会を支える事業領域として別に位置づけた。14中計は作り手の発想から市場の発想への転換を掲げ、最終消費者にとっての使用価値から製品とサービスを組み立てる方針をとっていた。VISION 2025は2016年度から10年間で成長投資1兆円を見込み、うち4,000億円を戦略投資に充てた。研究開発費も倍の700億円へ増やす計画だった。市況製品の値動きに業績を預ける体質から離れることが、この計画の狙いだったと思われる。

  • 三井化学 経営概況説明会資料(2020年6月2日)
    • [190]長期経営計画VISION2025は2016年に策定された
  • 三井化学「三井化学レポート2016(2016年3月期)」
    • [191]14中計はプロダクトアウトからマーケットイン型への転換をポイントとし、モビリティ・ヘルスケア・フード&パッケージングの3領域を成長を牽引するターゲット事業領域、基盤素材を産業や社会を支える事業領域とした
    • [192]14中計はプロダクトアウトからマーケットイン型への転換をポイントとし、モビリティ・ヘルスケア・フード&パッケージングの3領域を成長を牽引するターゲット事業領域、基盤素材を産業や社会を支える事業領域とした
    • [193]14中計はプロダクトアウトからマーケットイン型への転換をポイントとし、モビリティ・ヘルスケア・フード&パッケージングの3領域を成長を牽引するターゲット事業領域、基盤素材を産業や社会を支える事業領域とした
  • 三井化学 経営概況説明会資料(2019年5月31日)
    • [194]VISION2025の基本戦略として、FY16→25の成長投資1兆円(うち戦略投資4,000億円)、研究開発費2倍(FY25に700億円)を掲げた
    • [195]VISION2025の基本戦略として、FY16→25の成長投資1兆円(うち戦略投資4,000億円)、研究開発費2倍(FY25に700億円)を掲げた

営業利益は2016年3月期に709億円まで戻った。淡輪敏社長はこのとき『2020年近傍での1000億円のターゲットも前倒しで達成できる確信を深めているところです。』と語った。実際に2017年3月期の営業利益は1,021億円となり、14中計が2020年近傍に置いた1,000億円を4年早く上回った。2019年の説明会では、基盤素材も再構築の結果、営業利益300億円近傍で安定する体質になったと説明した。他方で歯科材料は2018年3月期に、Kulzerののれん等の無形固定資産143億円を減損し、純利益を95億円押し下げた。東欧・ロシアでの社名変更の承認遅れとドイツでのアナログ製品の減販に、小型デジタル製品の立ち上げ遅れが重なったためだった。

  • 三井化学「三井化学レポート2016(2016年3月期)」
    • [196]淡輪社長は、2015年度の営業利益が当初計画を上回る709億円となり、2020年近傍1000億円のターゲットの前倒し達成に確信を深めていると述べた
    • [197]淡輪社長は、2015年度の営業利益が当初計画を上回る709億円となり、2020年近傍1000億円のターゲットの前倒し達成に確信を深めていると述べた
  • 三井化学 有価証券報告書(2017年3月期)
    • [198]2017年3月期の連結営業利益は1,021億円(102,149百万円)
  • 三井化学「14中期経営計画説明会資料」(2014年5月21日)
    • [199]14中計の中長期目標として、2020年近傍に営業利益1,000億円を掲げた
  • 三井化学 経営概況説明会資料(2019年5月31日)
    • [200]基盤素材は着実な再構築の実行でボラティリティを改善し、営業利益300億円近傍での安定した収益基盤になった
  • 三井化学 経営概況説明会資料(2018年5月30日)
    • [201]Kulzerの減損としてのれん等の無形固定資産143億円を計上し当期純利益への影響は▲95億円。要因は東欧・ロシアでの社名変更承認遅れ、ドイツでのアナログ製品減販、小型デジタル製品の立上げ遅れ
    • [202]Kulzerの減損としてのれん等の無形固定資産143億円を計上し当期純利益への影響は▲95億円。要因は東欧・ロシアでの社名変更承認遅れ、ドイツでのアナログ製品減販、小型デジタル製品の立上げ遅れ
参考文献[183]-[202]
  • 三井化学「三井化学レポート2016(2016年3月期)」
    • [183]2015年度のポリウレタン材料は、需要の停滞と中東・アジアの生産能力増強による供給過剰で海外市況が低迷し収益が悪化した
    • [185]韓国SKC社との合弁会社・三井化学SKCポリウレタン(MCNS)を2015年7月に設立。国内生産能力削減のため鹿島工場TDI設備を停止
    • [186]韓国SKC社との合弁会社・三井化学SKCポリウレタン(MCNS)を2015年7月に設立。国内生産能力削減のため鹿島工場TDI設備を停止
    • [187]淡輪社長は国内再編について、規模のメリットの有無が鍵で、事業ごとの視点が大事だと述べた
    • [188]ポリウレタン材料は2015年7月設立の三井化学SKCポリウレタンに事業を移管したが、同社向け製造受託事業が海外市況低迷で収益悪化した
    • [191]14中計はプロダクトアウトからマーケットイン型への転換をポイントとし、モビリティ・ヘルスケア・フード&パッケージングの3領域を成長を牽引するターゲット事業領域、基盤素材を産業や社会を支える事業領域とした
    • [192]14中計はプロダクトアウトからマーケットイン型への転換をポイントとし、モビリティ・ヘルスケア・フード&パッケージングの3領域を成長を牽引するターゲット事業領域、基盤素材を産業や社会を支える事業領域とした
    • [193]14中計はプロダクトアウトからマーケットイン型への転換をポイントとし、モビリティ・ヘルスケア・フード&パッケージングの3領域を成長を牽引するターゲット事業領域、基盤素材を産業や社会を支える事業領域とした
    • [196]淡輪社長は、2015年度の営業利益が当初計画を上回る709億円となり、2020年近傍1000億円のターゲットの前倒し達成に確信を深めていると述べた
    • [197]淡輪社長は、2015年度の営業利益が当初計画を上回る709億円となり、2020年近傍1000億円のターゲットの前倒し達成に確信を深めていると述べた
  • 三井化学 有価証券報告書(2025年3月期)「沿革」
    • [184]2015年7月、SKC Co., Ltd.とポリウレタン材料事業を統合しMitsui Chemicals & SKC Polyurethanes Inc.(持分法適用会社)を設立。2022年7月に合弁を解消した
    • [189]2015年7月、SKC Co., Ltd.とポリウレタン材料事業を統合しMitsui Chemicals & SKC Polyurethanes Inc.(持分法適用会社)を設立。2022年7月に合弁を解消した
  • 三井化学 経営概況説明会資料(2020年6月2日)
    • [190]長期経営計画VISION2025は2016年に策定された
  • 三井化学 経営概況説明会資料(2019年5月31日)
    • [194]VISION2025の基本戦略として、FY16→25の成長投資1兆円(うち戦略投資4,000億円)、研究開発費2倍(FY25に700億円)を掲げた
    • [195]VISION2025の基本戦略として、FY16→25の成長投資1兆円(うち戦略投資4,000億円)、研究開発費2倍(FY25に700億円)を掲げた
    • [200]基盤素材は着実な再構築の実行でボラティリティを改善し、営業利益300億円近傍での安定した収益基盤になった
  • 三井化学 有価証券報告書(2017年3月期)
    • [198]2017年3月期の連結営業利益は1,021億円(102,149百万円)
  • 三井化学「14中期経営計画説明会資料」(2014年5月21日)
    • [199]14中計の中長期目標として、2020年近傍に営業利益1,000億円を掲げた
  • 三井化学 経営概況説明会資料(2018年5月30日)
    • [201]Kulzerの減損としてのれん等の無形固定資産143億円を計上し当期純利益への影響は▲95億円。要因は東欧・ロシアでの社名変更承認遅れ、ドイツでのアナログ製品減販、小型デジタル製品の立上げ遅れ
    • [202]Kulzerの減損としてのれん等の無形固定資産143億円を計上し当期純利益への影響は▲95億円。要因は東欧・ロシアでの社名変更承認遅れ、ドイツでのアナログ製品減販、小型デジタル製品の立上げ遅れ

2020年〜橋本修社長のアーク・本州化学の子会社化と、ポリオレフィン統合を掲げたVISION 2030

VISION 2025が折り返し点を迎えた2020年6月、橋本修社長はポートフォリオ変革の速度を一段と上げる方針を示し、その最初の一手に、自動車向けに設計・試作・金型を手がける開発支援会社アークの完全子会社化を据えた。アークは2018年1月の公開買付けですでに三井化学の連結子会社となっており、2020年5月に株式交換契約を結んだうえで8月に完全子会社とされた。自動車産業の急変で顧客の要求が変わり続けるなか、素材の知識とアークの開発支援の知見を一体で動かす必要があるという判断だった。同じ説明会では、タフマーの能力増強や半導体向けEUVペリクルの新設備と並べて、アークの取得を成長投資の一覧に載せた。材料・設計・金型・試作をまとめて提供する、ソリューション強化の中核という位置づけだった。

  • 三井化学 経営概況説明会資料(2020年6月2日)
    • [203]2020年6月2日、社長橋本修は、2020年度がVISION2025の折り返し地点でありポートフォリオ変革を一層加速させると述べた
    • [208]タフマー能力増強・EUVペリクル新設備などの成長投資と並べ、ARRK社の株式取得・完全子会社化を、材料・設計・金型・試作のトータルソリューションを提供するソリューション強化策として示した
    • [209]タフマー能力増強・EUVペリクル新設備などの成長投資と並べ、ARRK社の株式取得・完全子会社化を、材料・設計・金型・試作のトータルソリューションを提供するソリューション強化策として示した
  • 三井化学「当社による株式会社アークの完全子会社化に関する株式交換契約締結について」(2020年5月14日)
    • [204]アークは商品企画・設計・試作・金型等を担う開発支援企業で、2018年1月24日に公開買付けで連結子会社化。自動車産業の急速な環境変化で両社のより強固な連携が不可欠として、2020年5月14日に株式交換契約を締結した
    • [205]アークは商品企画・設計・試作・金型等を担う開発支援企業で、2018年1月24日に公開買付けで連結子会社化。自動車産業の急速な環境変化で両社のより強固な連携が不可欠として、2020年5月14日に株式交換契約を締結した
    • [207]アークは商品企画・設計・試作・金型等を担う開発支援企業で、2018年1月24日に公開買付けで連結子会社化。自動車産業の急速な環境変化で両社のより強固な連携が不可欠として、2020年5月14日に株式交換契約を締結した
  • 三井化学 有価証券報告書(2025年3月期)「沿革」
    • [206]2020年8月、株式交換によりアークを完全子会社化した

2021年5月、三井化学は三井物産と共同で本州化学工業への公開買付けを始め、同社を非公開化したうえで9月に連結子会社とした。本州化学はクレゾール誘導品や特殊ビスフェノールで需要の伸びが見込まれ、機動的な設備増強と開発力の強化が課題とされていた。同じ年、三井化学は長期経営計画VISION 2030を新たに策定した。策定の背景は『VISION 2025 策定時から大きく変容した外部環境と、成長戦略の限界が見えつつある内部環境を踏まえ』と説明した。計画はライフ&ヘルスケア、モビリティ、ICTを成長領域とし、M&Aを含む資源を投じる方針を示した。一方で基盤素材はベーシック&グリーン・マテリアルズに組み直し、低収益事業の再構築を別の軸で進めた。

  • 三井化学「本州化学工業株式会社株券に対する公開買付けの開始に関するお知らせ」(2021年5月14日)
    • [210]三井化学と三井物産(公開買付者ら)は、本州化学のクレゾール誘導品・ビフェノール・特殊ビスフェノール等の需要拡大に合わせた設備投資と、製品開発力・生産技術力の強化を課題として共同公開買付けを行う
    • [212]三井化学と三井物産(公開買付者ら)は、本州化学のクレゾール誘導品・ビフェノール・特殊ビスフェノール等の需要拡大に合わせた設備投資と、製品開発力・生産技術力の強化を課題として共同公開買付けを行う
  • 三井化学 有価証券報告書(2025年3月期)「沿革」
    • [211]2021年9月、本州化学工業を三井物産と共同公開買付けにより非公開化した上で連結子会社化した
  • 三井化学「三井化学レポート2021(2021年3月期)」
    • [213]VISION 2025策定時から変容した外部環境と、成長戦略の限界が見えつつある内部環境を踏まえ、2030年に向けた長期経営計画VISION 2030を新たに策定した
    • [214]VISION 2025策定時から変容した外部環境と、成長戦略の限界が見えつつある内部環境を踏まえ、2030年に向けた長期経営計画VISION 2030を新たに策定した
  • 三井化学「ポリオレフィン事業統合を中心としたB&GM事業戦略説明会」資料(2025年9月10日)
    • [215]VISION 2030では、L&HC・モビリティ・ICTの成長領域にM&Aを含む積極的な資源投下を行い、B&GMは収益性・資本効率に課題のある事業の再構築を進める
    • [216]VISION 2030では、L&HC・モビリティ・ICTの成長領域にM&Aを含む積極的な資源投下を行い、B&GMは収益性・資本効率に課題のある事業の再構築を進める

残る課題は、国内に抱えた石化設備の過剰だった。2025年9月の説明会で三井化学は、人口減と生活習慣の変化で国内のポリオレフィン必要能力が半減するとみて、再編は不可避とした。同時に、出光興産との合弁会社プライムポリマーに住友化学の国内PP・LLDPE事業を統合し、住友化学を株主に迎える案を出した。11月の説明会で橋本修社長は、千葉地区のクラッカーを2027年度に自社設備へ集約する協議が出光興産と進んでいると述べた。そのうえで『国内の石油化学企業は最終的には数社に収斂して行くものと見ており、その早期の実現に向け再編に取り組んでいきます。』と語った。汎用品を他社と統合して縮小し、成長領域に資源を回す構図は、2014年の再構築の延長にあるとみてよいだろう。

  • 三井化学「ポリオレフィン事業統合を中心としたB&GM事業戦略説明会」資料(2025年9月10日)
    • [217]人口減・生活習慣の変化による内需減退で国内の必要生産能力が半減する見込みで事業再編は不可避とし、プライムポリマーに住友化学の国内PP・LLDPE事業を統合し住友化学が資本参加する
    • [218]人口減・生活習慣の変化による内需減退で国内の必要生産能力が半減する見込みで事業再編は不可避とし、プライムポリマーに住友化学の国内PP・LLDPE事業を統合し住友化学が資本参加する
    • [219]人口減・生活習慣の変化による内需減退で国内の必要生産能力が半減する見込みで事業再編は不可避とし、プライムポリマーに住友化学の国内PP・LLDPE事業を統合し住友化学が資本参加する
  • 三井化学「2025年11月 経営概況説明会 質疑応答要旨」(2025年11月26日)
    • [220]橋本社長は、千葉地区では2027年度の当社設備への集約に向けた出光興産との協議が進み、住友化学の国内PO事業がプライムポリマーに加わると述べ、国内石化企業は数社に収斂するとの見方を示した
    • [221]橋本社長は、千葉地区では2027年度の当社設備への集約に向けた出光興産との協議が進み、住友化学の国内PO事業がプライムポリマーに加わると述べ、国内石化企業は数社に収斂するとの見方を示した
参考文献[203]-[221]
  • 三井化学 経営概況説明会資料(2020年6月2日)
    • [203]2020年6月2日、社長橋本修は、2020年度がVISION2025の折り返し地点でありポートフォリオ変革を一層加速させると述べた
    • [208]タフマー能力増強・EUVペリクル新設備などの成長投資と並べ、ARRK社の株式取得・完全子会社化を、材料・設計・金型・試作のトータルソリューションを提供するソリューション強化策として示した
    • [209]タフマー能力増強・EUVペリクル新設備などの成長投資と並べ、ARRK社の株式取得・完全子会社化を、材料・設計・金型・試作のトータルソリューションを提供するソリューション強化策として示した
  • 三井化学「当社による株式会社アークの完全子会社化に関する株式交換契約締結について」(2020年5月14日)
    • [204]アークは商品企画・設計・試作・金型等を担う開発支援企業で、2018年1月24日に公開買付けで連結子会社化。自動車産業の急速な環境変化で両社のより強固な連携が不可欠として、2020年5月14日に株式交換契約を締結した
    • [205]アークは商品企画・設計・試作・金型等を担う開発支援企業で、2018年1月24日に公開買付けで連結子会社化。自動車産業の急速な環境変化で両社のより強固な連携が不可欠として、2020年5月14日に株式交換契約を締結した
    • [207]アークは商品企画・設計・試作・金型等を担う開発支援企業で、2018年1月24日に公開買付けで連結子会社化。自動車産業の急速な環境変化で両社のより強固な連携が不可欠として、2020年5月14日に株式交換契約を締結した
  • 三井化学 有価証券報告書(2025年3月期)「沿革」
    • [206]2020年8月、株式交換によりアークを完全子会社化した
    • [211]2021年9月、本州化学工業を三井物産と共同公開買付けにより非公開化した上で連結子会社化した
  • 三井化学「本州化学工業株式会社株券に対する公開買付けの開始に関するお知らせ」(2021年5月14日)
    • [210]三井化学と三井物産(公開買付者ら)は、本州化学のクレゾール誘導品・ビフェノール・特殊ビスフェノール等の需要拡大に合わせた設備投資と、製品開発力・生産技術力の強化を課題として共同公開買付けを行う
    • [212]三井化学と三井物産(公開買付者ら)は、本州化学のクレゾール誘導品・ビフェノール・特殊ビスフェノール等の需要拡大に合わせた設備投資と、製品開発力・生産技術力の強化を課題として共同公開買付けを行う
  • 三井化学「三井化学レポート2021(2021年3月期)」
    • [213]VISION 2025策定時から変容した外部環境と、成長戦略の限界が見えつつある内部環境を踏まえ、2030年に向けた長期経営計画VISION 2030を新たに策定した
    • [214]VISION 2025策定時から変容した外部環境と、成長戦略の限界が見えつつある内部環境を踏まえ、2030年に向けた長期経営計画VISION 2030を新たに策定した
  • 三井化学「ポリオレフィン事業統合を中心としたB&GM事業戦略説明会」資料(2025年9月10日)
    • [215]VISION 2030では、L&HC・モビリティ・ICTの成長領域にM&Aを含む積極的な資源投下を行い、B&GMは収益性・資本効率に課題のある事業の再構築を進める
    • [216]VISION 2030では、L&HC・モビリティ・ICTの成長領域にM&Aを含む積極的な資源投下を行い、B&GMは収益性・資本効率に課題のある事業の再構築を進める
    • [217]人口減・生活習慣の変化による内需減退で国内の必要生産能力が半減する見込みで事業再編は不可避とし、プライムポリマーに住友化学の国内PP・LLDPE事業を統合し住友化学が資本参加する
    • [218]人口減・生活習慣の変化による内需減退で国内の必要生産能力が半減する見込みで事業再編は不可避とし、プライムポリマーに住友化学の国内PP・LLDPE事業を統合し住友化学が資本参加する
    • [219]人口減・生活習慣の変化による内需減退で国内の必要生産能力が半減する見込みで事業再編は不可避とし、プライムポリマーに住友化学の国内PP・LLDPE事業を統合し住友化学が資本参加する
  • 三井化学「2025年11月 経営概況説明会 質疑応答要旨」(2025年11月26日)
    • [220]橋本社長は、千葉地区では2027年度の当社設備への集約に向けた出光興産との協議が進み、住友化学の国内PO事業がプライムポリマーに加わると述べ、国内石化企業は数社に収斂するとの見方を示した
    • [221]橋本社長は、千葉地区では2027年度の当社設備への集約に向けた出光興産との協議が進み、住友化学の国内PO事業がプライムポリマーに加わると述べ、国内石化企業は数社に収斂するとの見方を示した

API for AI Agents — 認証不要、URLをGETするだけで機械可読なJSONをトークン消費を抑えつつ取得できます。

歴史年表 1933〜2026年

三井化学の沿革1933〜2026年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1933〜1967年東洋高圧工業と三井化学工業の設立、三井石油化学工業による石油化学への進出東洋高圧工業設立★
三井化学工業設立★
三井化学工業が名古屋工場操業開始★
三井石油化学工業を設立★★
岩国工場操業開始★
安居喜造岩国大竹工場へ拡張★
安居喜造東京証券取引所・大阪証券取引所2部に上場★
岩永巌千葉工場操業開始★
岩永巌浮島石油化学を設立★
1968〜1996年三井東圧化学の発足とエチレン設備の縮小・浮島への集約岩永巌東洋高圧工業が三井化学工業を吸収合併し三井東圧化学に商号変更★★
鳥居保治東京セロファン紙に資本参加★
鳥居保治独自触媒技術によるポリオレフィン技術を確立★
中野精紀構造改革によりエチレン設備を大幅縮小★★
中野精紀エチレン生産を浮島石油化学に集約完了★
竹林省吾エチレン生産の一極化と、汎用品からの脱却を掲げたビジョンの提示

1985年、三井石油化学工業が産構法に基づく過剰設備処理でエチレン生産を浮島石油化学へ全量集約し、同年10月に"超石油化学"を掲げる経営ビジョンを打ち出した経営判断。汎用の量産型石油化学から、特殊化学品と機能性素材へ事業構造を転換する転機となった。

詳細を読む
★★★
竹林省吾新技術研究開発センター設置★
竹林省吾Mitsui Toatsu Chemicals (Asia) Pte.Ltd.設立★
竹林省吾Mitsui Petrochemical Industries Europe GmbH設立★
幸田重教宇部興産との折半出資でグランドポリマーを設立★
1997〜2011年三井化学への合併と武田・出光との事業統合による誘導品の再編佐藤彰夫三井東圧化学と合併し三井化学に商号変更★★
佐藤彰夫三井化学(上海)有限公司設立★
中西宏幸武田薬品工業のポリウレタン材料事業を統合し三井武田ケミカル設立★
中西宏幸業界再編を狙った合意の解消と、単独路線への引き返し

2000年に発表された三井化学と住友化学の全面的事業統合。実現すれば三菱化学を抜き国内最大級の総合化学会社が生まれるはずだったが、2003年3月に統合比率で折り合えず白紙撤回された。

詳細を読む
中西宏幸Advanced Composites Inc.発足★
中西宏幸大阪証券取引所1部上場廃止(東京証券取引所1部上場は継続)★
中西宏幸出光興産とのJVプライムポリマーを設立★★
藤吉建二三井化学ポリウレタンを吸収合併★
田中稔一三共アグロの農業化学品事業を統合し三井化学アグロ設立★
2012〜2026年連結純損失から歯科材料・農業化学品への事業入れ替え田中稔一初の連結純損失計上★★
淡輪敏収益力大幅回復★
淡輪敏Heraeus Kulzerの歯科材料事業を買収★★
橋本修橋本修氏が代表取締役社長に就任★
橋本修SKC Co. Ltd.とポリウレタン材料事業を統合★★
橋本修アーク・本州化学工業を子会社化★
橋本修SKCとのポリウレタンJVを解消★
市村聡市村聡氏が代表取締役社長に就任予定★
出典・参考 51件
出典・参考
  • 三井化学 有価証券報告書 第5期(2002年3月期)〜第12期(2009年3月期)
  • 三井化学株式会社 プレスリリース「事業統合の見送りについて」(2003年3月31日)
  • 三井化学 アニュアルレポート2008(2008年3月期)
  • 三井化学 アニュアルレポート2009(2009年3月期)
  • 三井化学 有価証券報告書(2009年3月期・2013年3月期・2014年3月期)
  • 三井化学 アニュアルレポート2010(2010年3月期)
  • 三井化学 アニュアルレポート2011(2011年3月期)
  • 三井化学 有価証券報告書(2012年3月期)
  • 三井化学「アニュアルレポート2012(2012年3月期)」
  • 三井化学「アニュアルレポート2013(2013年3月期)」
  • 三井化学 有価証券報告書(2017年3月期)
  • 三井化学 有価証券報告書 第28期(2025年3月期)「沿革」
  • 三井化学 有価証券報告書(2025年3月期)「沿革」
  • 三井東圧化学株式会社『三井東圧化学社史』(1994年)
  • 東洋経済新報社『会社銀行八十年史』三井化学工業(1955年)
  • 経済春秋社『企業の歴史(明治百年)』三井東圧化学(1968年)
  • 経済春秋社『企業の歴史(明治百年)』三井石油化学工業(1968年)
  • 『日本産業史』第2巻 化学「化学-肩で風切る肥料」(日本経済新聞社、1994年)
  • 東洋経済新報社『日本会社史総覧』三井石油化学工業(1995年)
  • 東洋経済新報社『日本会社史総覧』三井石油化学工業の項(1995年)
  • 新日本経済 1958年5月号
  • ダイヤモンド 1962年2月15日号
  • 日経ビジネス 1974年8月5日号
  • 日経ビジネス 1988年4月25日号
  • 日経ビジネス 1989年7月3日号
  • 日経ビジネス 1993年7月12日号
  • 日経ビジネス 1994年1月3日号
  • 日経ビジネス 1995年1月9日号
  • 日経ビジネス 1996年5月20日号
  • 日経ビジネス 1999年8月16日号
  • 日経ビジネス 2001年1月1日号
  • 読売新聞(1955年4月12日)
  • 日本経済新聞社『80年代わが社の戦略』三井石油化学工業(1980年)
  • 日本経済新聞社『私の三井昭和史』8章「化学部門での新分野挑戦」(1986年)
  • 日本経済新聞社『私の履歴書』石毛郁治(東洋高圧工業社長)
  • 『証券』1962年「新規上場会社紹介 三井石油化学工業」
  • 『日本企業要覧』1967年版 三井石油化学工業
  • 『日本企業要覧』1976年版 三井石油化学工業
  • 三井化学「2001年度中期経営計画」(2001年3月)
  • 三井化学 Annual Report 2004(2004年3月期)
  • 三井化学 ANNUAL REPORT 2005(2005年3月期)
  • 三井化学「14中期経営計画説明会資料」(2014年5月21日)
  • 三井化学「三井化学レポート2016(2016年3月期)」
  • 三井化学 経営概況説明会資料(2018年5月30日)
  • 三井化学 経営概況説明会資料(2019年5月31日)
  • 三井化学 経営概況説明会資料(2020年6月2日)
  • 三井化学「当社による株式会社アークの完全子会社化に関する株式交換契約締結について」(2020年5月14日)
  • 三井化学「本州化学工業株式会社株券に対する公開買付けの開始に関するお知らせ」(2021年5月14日)
  • 三井化学「三井化学レポート2021(2021年3月期)」
  • 三井化学「ポリオレフィン事業統合を中心としたB&GM事業戦略説明会」資料(2025年9月10日)
  • 三井化学「2025年11月 経営概況説明会 質疑応答要旨」(2025年11月26日)

免責事項およびポリシー