イビデンの歴史
沿革
1912年に大垣の有志が立川勇次郎氏を社長に迎えて設立した揖斐川電力が起源。
1970年にプリント配線板へ入り、1990年代半ばにプラスチック製パッケージ基板でインテルのMPUに食い込んだ。AIサーバー向けICパッケージ基板で自社推計7〜8割のシェアを持ち、売上の7割超を海外が占める。
1912年〜揖斐川電力の設立と大垣工場でのカーバイド製造
- 立川勇次郎氏が初代社長に就任[1]
- 揖斐川電力設立[4]
- 西横山発電所発電開始、出力3,000KW、電力供給業開始[4]
- 大垣工場を新設。カーバイドの製造を開始
- 揖斐川電化工業・東海電化工業・日本電気製鉄所を合併[1]
- 大垣電化工場でフェロシリコンの生産・販売を開始[1]
- 日本電気黒鉛を合併(カーボン製品の生産・販売開始)[1]
- 商号を揖斐川電気に変更[1]
- 東横山発電所発電開始、出力6,400KW[4]
- 養老鉄道を合併[1]
- 大垣カーボン工場を開設[1]
- 櫻内幸雄氏が社長に就任[1]
- 広瀬発電所が発電開始(出力5,200KW)[4]
- 田中徳次郎氏が社長に就任[1]
- スペリー型探照灯用カーボン製造で海軍の指定工場に[1]
- 日本合成化学工業大垣工場に電力とカーバイドを供給開始[1]
- 大垣電化工場で石灰窒素の生産を開始[1]
- 川上発電所が発電開始(出力2,950KW)[4]
- 久留島政治氏が社長に就任[1]
- 河間工場を開設[4]
- 西平発電所が竣工(認可出力11,200kW)[1]
- 商号を揖斐川電気工業に商号変更[4]
- 売上高
筆者所見
揖斐川電力が化学会社へ転じた起点は、新規事業の構想ではなく、売り先の無い電力の処理にあった。余剰電力の利用と成績の向上を目的とする兼営として、1917年にカーバイドの販売を始めた[2]。需要家を自社の電気炉に置く設計は、送電先の景気に左右される電力会社の収益を平準化する仕組みでもあった。副業収入は1938年上期に電力収入を上回り、1940年に商号を揖斐川電気工業へ改めた[3]。発電所を国へ差し出す前に、本業はすでに入れ替わっていたと言える。
- [2]イビデン70年史(1982)「1章 電気事業会社として誕生」
- [3]イビデン70年史(1982)「2章 恐慌と戦時下の事業活動」
1942年〜電力事業撤退とカーバイド・建材・特殊炭素製品への転換
- 電力事業から撤退。カーバイドに業態転換
- 宮寺氏が社長に就任[1]
- 青柳工場を開設[4]
- 本店を大垣市神田町に移転[1]
- 青柳工場で映画用・医療用など民需用カーボンの生産を開始[1]
- 揖斐電労働組合を結成[1]
- 大日本紡績から離れ自主独立[1]
- 西大垣と木戸の両工場を合併(大垣工場)[1]
- 青柳工場に日本初のカーボン焼成用電気式トンネル炉を開設[1]
- 東京・大阪・名古屋の各証券取引所に上場[4]
- 大垣工場で熔成燐肥の生産を開始[1]
- 大垣市神田町に本社新社屋が竣工[1]
- 青柳工場でメラミンの生産を開始[1]
- 映画用炭素電極棒製造工程の機械化で大河内記念生産賞を受賞[1]
- 建材に本格参入
- メラミン化粧板「イビボード」を発売[1]
- 大垣工場のカーバイド大型電気炉が稼動開始[1]
- 須崎氏が社長に就任[1]
- 建材事業部が発足[1]
- 特殊炭素製品の製造・販売開始[4]
- 衣浦工場を開設[4]
- 売上高
筆者所見
電力事業から撤退した揖斐川電気工業の戦後を支えたのは、炭素を成形・焼成する工程技術だった。1945年に青柳工場で民需用カーボンの生産を始め、1949年には日本初のカーボン焼成用電気式トンネル炉を開設した[1]。1958年の大河内記念生産賞は、炭素電極棒の製造工程の機械化への評価である[1]。自家発電を失った電気化学の会社は、工程の精度で稼ぐ製造業へ性格を変えた。1960年のイビボードと1969年の特殊炭素製品は、その技術を市場へ広げた枝にあたる。
- [1]イビデン 公式サイト「沿革」(2026年10月)
1970年〜プリント配線板への参入とプラスチックパッケージ基板の生産開始
- プリント配線板に参入[1]
- 電子回路製品の製造・販売開始[4]
- 電子回路事業部が発足[1]
- 矢橋氏が社長に就任[1]
- 断熱材セラミックファイバーの製造・販売開始[4]
- 緊急合理化対策を発表[1]
- 青柳工場で放電加工用電極黒鉛素材を販売開始[1]
- 技術開発本部を発足[1]
- 多賀氏が社長に就任[1]
- 商号をイビデンに変更[1]
- 商号をイビデンに商号変更[4]
- プラスチックパッケージ基板の生産開始[1]
- 米国に販売会社IBIDEN U.S.A.を設立[1]
- ファインセラミックス製品の製造・販売開始[4]
- 63年度中期経営計画を開始[1]
- 大垣北工場を開設[4]
- 遠藤氏が社長に就任[1]
- 米国にセラミック製品販売会社マイクロメックを設立[4]
- オランダに金融統括会社イビデンネザーランズを設立[4]
- 青柳工場で携帯電話用プリント配線板の生産を開始[1]
- オランダに電子関連製品の販売会社IBIDEN Europeを設立[1]
- 電子関連製品販売会社イビデンシンガポールを設立[4]
- 売上高
- 経常利益率
筆者所見
イビデンの電子事業は、一度の賭けというより、不況下で研究体制を先に整えた積み上げから生まれた。1970年にプリント配線板へ参入し、1976年の緊急合理化対策の翌年に技術開発本部を発足させた[1]。支出を抑える局面で開発の組織を新設した順序に、カーバイドに代わる収益源を自社技術で育てる意図が表れている。1987年に生産を始めたプラスチックパッケージ基板は、その体制から生まれた製品である[1]。7年後には、この製品が社運を左右する位置に立った。
- [1]イビデン 公式サイト「沿革」(2026年10月)
1994年〜インテル攻略プロジェクトの発足とDPFの実用化
- インテル攻略へ資源集中[5]
- 金融統括会社イビデンインターナショナルを設立[4]
- 乗用車向けDPFの実用化[1]
- 電子関連製品販売会社台湾揖斐電股分有限公司を設立[4]
- 電子関連製品製造会社イビデンフィリピンを設立[4]
- 中国に揖斐電電子(上海)有限公司を設立[4]
- 韓国に電子関連製品販売会社イビデンコリアを設立[4]
- パッケージ基板の製造拠点を設置[1]
- ハンガリーにてDPFの生産開始[1]
- ハンガリーにDPF製造会社イビデンハンガリーを設立[4]
- 大垣中央事業場(岐阜県大垣市)を開設[4]
- マレーシア新工場建設
- マレーシアにイビデンエレクトロニクスマレーシアを設立[4]
- 神戸事業場(岐阜県神戸町)を開設[4]
- 最終赤字87億円に転落
- パッケージ基板をマレーシアで量産開始
- 韓国にセラミック製品製造会社イビデングラファイトコリアを設立[4]
- シンガポールに金融統括会社イビデンアジアホールディングスを設立[4]
- DPF製造会社イビデンメキシコを設立[4]
- デンソーと資本業務提携を締結
- パッケージ基板への投資再開
- 特例子会社、イビデンオアシスを設立[4]
- 触媒担体保持・シール材製造会社揖斐電精密陶瓷(蘇州)有限公司を設立[4]
- 炭素製品の加工・販売会社エルジーグラファイトの株式を取得[4]
- イビデンヒューマンネットワークを設立[4]
- インテル向け復調
- 東京証券取引所プライム市場・名古屋証券取引所プレミア市場へ移行[4]
- 河間事業所新棟を稼働
- 政策保有株式の縮減で投資有価証券を売却[6]
- イビデンフィリピンなどの固定資産で減損損失を計上[6]
- 豊田自動織機株式の全数を公開買付けに応募[6]
- イビデンフィリピンなどで減損損失を計上[6]
筆者所見
1994年以降のイビデンは、特定顧客への一点集中と、その偏りを補う別系統の収益源を併せ持つ構成を採った。遠藤氏が社長直轄で率いたインテル攻略プロジェクトが資源を一つの顧客に向けたのと並行して、1999年に乗用車向けDPFを実用化し、2004年にハンガリーで生産を始めた[5][1]。顧客も需要の周期も異なる二つの事業は、一方の業績が悪化する局面で他方が下支えする。2008年のマレーシア新工場を全額自己資金で賄えたのも、その利益の厚みによる。
- [5]日経ビジネス「イビデン半導体パッケージで大躍進 社運かけ大胆に資源集中」(1997年12月1日)
- [1]イビデン 公式サイト「沿革」(2026年10月)