創業から114年。5回の決断

概要- Historical Summary -
1912年設立。揖斐川電力として水力発電とカーバイド製造から出発し、電力事業の国家統制を機にカーバイド専業に転換した。1970年代にプリント配線板に参入し、1994年のインテル攻略プロジェクトでパッケージ基板のトップサプライヤーに躍進。フィリピン・マレーシアでの海外量産体制を構築し、DPFでは自動車排ガス浄化市場にも参入した。電力会社から先端半導体部材・自動車部品メーカーへという異色の事業転換を遂げている。
洞察- Author's Insights -
概要- Historical Summary -
1912年設立。揖斐川電力として水力発電とカーバイド製造から出発し、電力事業の国家統制を機にカーバイド専業に転換した。1970年代にプリント配線板に参入し、1994年のインテル攻略プロジェクトでパッケージ基板のトップサプライヤーに躍進。フィリピン・マレーシアでの海外量産体制を構築し、DPFでは自動車排ガス浄化市場にも参入した。電力会社から先端半導体部材・自動車部品メーカーへという異色の事業転換を遂げている。
洞察- Author's Insights -
1912
揖斐川電力株式会社を設立
1912揖斐川電力株式会社を設立
1917
大垣工場を新設。カーバイドの製造を開始
1917大垣工場を新設。カーバイドの製造を開始
1921
商号を揖斐川電気株式会社に変更
1921商号を揖斐川電気株式会社に変更
1942
決断
電力事業から撤退。カーバイドに業態転換
売電から自家消費へ、電力の用途転換による垂直統合モデルの構築
1949
東京証券取引所に株式上場
1949東京証券取引所に株式上場
1960
建材に本格参入
1960建材に本格参入
1970
決断
プリント配線板に参入
建材のエッチング技術が半導体基板への転身を可能にした技術転用の構造
1976
緊急合理化対策を発表
1976緊急合理化対策を発表
1982
商号をイビデンに変更
1982商号をイビデンに変更
1987
決断
プラスチックパッケージ基板の生産開始
セラミック全盛期にプラスチックを選んだ素材戦略の先見と時間差
1994
決断
インテル攻略プロジェクトを発足。遠藤社長が直轄でPJを率先
全社の研究開発費を一事業に集中投入した「心中覚悟」の資源配分
1999
乗用車向けDPFの実用化
1999乗用車向けDPFの実用化
2001
フィリピンにパッケージ基板の製造拠点を設置
2001フィリピンにパッケージ基板の製造拠点を設置
2004
ハンガリーにてDPFの生産開始
2004ハンガリーにてDPFの生産開始
2008
決断
自己資金で618億円の設備投資。マレーシア新工場の建設開始
全額自己資金による618億円投資と借入非依存の財務規律
2009
最終赤字87億円に転落
2009最終赤字87億円に転落
2011
パッケージ基板をマレーシアで量産開始
2011パッケージ基板をマレーシアで量産開始
2017
デンソーと業務資本提携を締結
2017デンソーと業務資本提携を締結
2018
パッケージ基板への投資再開
2018パッケージ基板への投資再開
2022
インテル向け復調
2022インテル向け復調
2024
河間事業所新棟を稼働
2024河間事業所新棟を稼働
業績を見る
売上イビデン:売上高
単体 | 連結(単位:億円)
4,175億円
売上高:2023/3
利益イビデン:売上高_当期純利益率
単体 | 連結(単位:%)
18.2%
利益率:2023/3
業績を見る
区分売上高利益利益率
1971/3単体 売上高 / 経常利益133億円2億円2.1%
1972/3単体 売上高 / 経常利益136億円3億円2.2%
1973/3単体 売上高 / 経常利益155億円2億円1.4%
1974/3単体 売上高 / 経常利益212億円7億円3.5%
1975/3単体 売上高 / 経常利益280億円7億円2.6%
1976/3単体 売上高 / 経常利益258億円0億円0.2%
1977/3単体 売上高 / 経常利益273億円8億円3.1%
1978/3単体 売上高 / 経常利益256億円4億円1.8%
1979/3単体 売上高 / 経常利益278億円6億円2.3%
1980/3単体 売上高 / 経常利益351億円16億円4.7%
1981/3単体 売上高 / 経常利益380億円19億円5.2%
1982/3単体 売上高 / 経常利益382億円20億円5.3%
1983/3単体 売上高 / 経常利益401億円26億円6.4%
1984/3単体 売上高 / 経常利益435億円29億円6.7%
1985/3単体 売上高 / 経常利益507億円33億円6.6%
1986/3単体 売上高 / 経常利益---
1987/3単体 売上高 / 経常利益---
1988/3単体 売上高 / 経常利益---
1989/3単体 売上高 / 経常利益---
1990/3連結 売上高 / 経常利益---
1991/3連結 売上高 / 経常利益---
1992/3連結 売上高 / 経常利益---
1993/3連結 売上高 / 経常利益---
1994/3連結 売上高 / 経常利益---
1995/3連結 売上高 / 経常利益---
1996/3連結 売上高 / 経常利益---
1997/3連結 売上高 / 経常利益881億円60億円6.8%
1998/3連結 売上高 / 経常利益1,051億円92億円8.7%
2003/3連結 売上高 / 経常利益2,101億円93億円4.4%
2004/3連結 売上高 / 経常利益2,205億円131億円5.9%
2005/3連結 売上高 / 経常利益2,475億円217億円8.7%
2006/3連結 売上高 / 経常利益3,190億円425億円13.3%
2007/3連結 売上高 / 経常利益3,966億円736億円18.5%
2008/3連結 売上高 / 経常利益4,135億円675億円16.3%
2009/3連結 売上高 / 経常利益3,093億円34億円1.0%
2010/3連結 売上高 / 経常利益2,742億円194億円7.0%
2011/3連結 売上高 / 経常利益3,049億円335億円10.9%
2012/3連結 売上高 / 経常利益3,008億円162億円5.3%
2013/3連結 売上高 / 経常利益2,859億円108億円3.7%
2014/3連結 売上高 / 経常利益3,102億円284億円9.1%
2015/3連結 売上高 / 経常利益3,180億円313億円9.8%
2016/3連結 売上高 / 経常利益3,141億円207億円6.5%
2017/3連結 売上高 / 経常利益2,664億円23億円0.8%
2018/3連結 売上高 / 経常利益3,004億円176億円5.8%
2019/3連結 売上高 / 経常利益2,911億円126億円4.3%
2020/3連結 売上高 / 経常利益2,959億円213億円7.1%
2021/3連結 売上高 / 経常利益3,234億円407億円12.5%
2022/3連結 売上高 / 経常利益4,011億円743億円18.5%
2023/3連結 売上高 / 経常利益4,175億円761億円18.2%

Author's Insights

112年の事業変遷が示す大垣の名門企業
計画された多角化ではなく、技術転用の反復が企業存続を支えた

イビデンの112年は、一見無関係に見える事業の連続的な転換の歴史である。1912年に大垣(岐阜県)の経済発展のために有力者が出資する形で水力発電を本業として創業し、自社発電のコスト優位を活かして1917年にカーバイド製造に進出した。1960年に建材(メラミン化粧板)に参入し、1970年にプリント配線板、1987年にプラスチック製パッケージ基板へと事業領域を広げた。電力会社から化学メーカー、そして半導体部品メーカーへと、企業の性格そのものが3度変わっている。

これらの事業転換を貫いているのは、一つの事業で蓄積した技術を隣接分野に転用するという連鎖構造である。水力発電のコスト優位がカーバイド製造を可能にし、カーバイドの化学加工技術がメラミン化粧板の製造につながった。メラミン化粧板で培ったエッチング技術がプリント配線板の製造を可能にし、プリント配線板の技術がプラスチック製パッケージ基板の開発へと発展した。各段階で前の事業の技術的蓄積が次の事業の参入障壁を引き下げている。

しかしこの連鎖は計画的に設計されたものではない。カーバイドへの転身は戦時中の電力統制という外圧が契機であり、プリント配線板への参入はカーバイド需要の減退という危機感が背景にあった。インテル向けパッケージ基板への集中も、カーバイド事業の消滅と経営危機という状況下での選択であった。各転換点において、次の事業を選択する際の基準は「既存技術で参入できる成長分野はどこか」という実務的な問いであった。

イビデンの事業変遷が示唆するのは、長期的な事業転換において重要なのは「将来を予見する力」ではなく、「既存技術を別の市場に転用する能力」であるという点である。水力発電とパッケージ基板の間に直接の技術的関連はないが、4段階の連鎖転用を経て到達している。計画された多角化ではなく、「生き残るための技術転用」の反復が112年の企業存続を支えたと考えられる。

2026-02-18 | by author
「電気炉の火が消えて、社員の心に火がついた」
危機を組織変革に転化する経営

1991年、イビデンの最後の電気炉の火が消えた。創業以来の主力事業であったカーバイドの生産が完全に終了し、目の前で事業が消滅する光景を全社員が目にした。同年に社長に就任した遠藤優は「何せ、目の前で電炉の火が消えていくわけですから。社員もみんな、その光景を見ている」と述懐し、「売り上げはなくなるし、会社はこれからどうなるのだろうと不安で仕方なかった」と語っている。

しかし遠藤社長はこの危機を組織変革の起爆剤に転化した。「電炉の火が消えて、社員の心に火がついた」という表現は、主力事業の喪失が逆説的に全社の意識を変えた構造を端的に示している。1994年にインテル攻略プロジェクトを発足させた際、遠藤社長は全社の研究開発予算をほぼ全額集中投入し、40代のエース社員50名を選抜して他業務との兼務を禁止した。「原則2年で量産化」という通常の3分の1の開発期間を設定しつつ、失敗時にも終身雇用を保証するという制度設計で、リスクテイクを促した。

このプロジェクトは1996年にインテルとの供給契約締結として結実し、イビデンは2期連続の過去最高益を達成した。遠藤社長の経営手法の特徴は、危機を受動的に処理するのではなく、危機感を組織のエネルギーに変換する仕組みを意図的に設計した点にある。エース人材の選抜、予算の極端な集中、短期限定の開発期間、雇用保証という4つの仕組みが、組織の全力投入を引き出す装置として機能した。

遠藤社長は「社員は経営者の姿勢をよく見ています」と述べている。経営者自身がプロジェクトを直轄し「心中する」覚悟を見せたことが組織の発奮を引き出した可能性がある。イビデンの事例は事業の消滅という危機が組織の集中力を極限まで高めうることを示す一方で、その成功が単一顧客への依存という新たなリスクを生んだ構造も持つ。危機は組織を変えるが、変わった先の組織がまた新たな脆弱性を内包するという循環は、企業経営における構造的課題として普遍性を持つ。

2026-02-18 | by author
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1912
揖斐川電力株式会社を設立
1917
大垣工場を新設。カーバイドの製造を開始
1921
商号を揖斐川電気株式会社に変更
1942

電力事業から撤退。カーバイドに業態転換

売電から自家消費へ、電力の用途転換による垂直統合モデルの構築

イビデンの電力事業からの撤退は、電力を外部に販売する事業から、自社のカーバイド製造に電力を振り向ける垂直統合の志向であった。水力発電のコスト優位は売電でも活かせたが、化学品製造の原価に組み込むことでより直接的な競争力に変換された。ただし、戦後の石油化学の普及によるカーバイド市場の縮小とともに優位性を失い、オイルショック後のイビデンの業績不振へと繋がった。

背景

自社発電のコスト優位を活かしたカーバイド製造への事業転換

1917年にイビデン(当時・揖斐川電気)は大垣工場を新設し、カーバイドの製造を開始していた。カーバイドは石灰石とコークスを高温で反応させて製造する化学製品であり、肥料などの原料として需要があった。製造工程では大量の電力を消費するため、自社で水力発電所を保有するイビデンは、発電コストを内部化できるという構造的なコスト優位を持っていた。

この優位性を背景に、イビデンはカーバイド製造を本格化させた。水力発電による安価な電力を自家消費に回すことで、外部から電力を調達する競合に対して価格競争力を確保した。電力事業の顧客に電力を売るのではなく、自社の化学品製造に電力を使うという垂直統合型の事業モデルであった。

だが、戦時中の水力発電会社の統合再編により、政治的な理由により独立企業として水力発電事業の継続が困難となった。

決断

1942年に電力事業から撤退し、カーバイド製造を主力事業に据える

1942年にイビデンは創業以来の主力事業であった水力発電による売電事業から撤退した。発電設備は引き続き保有したものの、外部への売電を停止し、発電した電力はカーバイド製造に全量を振り向ける形となった。電力会社からメーカーへの転身であった。

以後、カーバイド製造はイビデンの主力事業として高度経済成長期まで機能した。しかし1973年のオイルショック以降、カーバイド需要は減退に転じ、業界内の過剰生産と相まってイビデンの収益基盤は揺らぐことになる。1991年には最後の電気炉の火が消え、カーバイド事業そのものからも撤退した。

売電から自家消費へ、電力の用途転換による垂直統合モデルの構築

イビデンの電力事業からの撤退は、電力を外部に販売する事業から、自社のカーバイド製造に電力を振り向ける垂直統合の志向であった。水力発電のコスト優位は売電でも活かせたが、化学品製造の原価に組み込むことでより直接的な競争力に変換された。ただし、戦後の石油化学の普及によるカーバイド市場の縮小とともに優位性を失い、オイルショック後のイビデンの業績不振へと繋がった。

1949
東京証券取引所に株式上場
1960
建材に本格参入
1970

プリント配線板に参入

建材のエッチング技術が半導体基板への転身を可能にした技術転用の構造

イビデンのプリント配線板参入は、メラミン化粧板で蓄積したエッチング加工技術の転用によって実現した。建材と半導体基板は最終製品として全く異なるが、化学薬品による腐食加工という製造工程では共通する。この技術の横展開が、電力・カーバイドの企業をエレクトロニクス部品メーカーへと変える転換点となり、のちのインテル向けパッケージ基板事業の技術的な起点となった。

背景

集積回路の普及を見据えたプリント配線板市場への参入決断

1970年にイビデンは、当時普及しつつあったプリント配線板への参入を決定し、研究開発を開始した。プリント配線板は半導体部品を搭載するための積層状の基板であり、銅箔や樹脂でコーティングされる精密部品であった。集積回路(IC)の普及に伴い、半導体部品の微細化が進むとともにプリント配線板の需要拡大が見込まれていた。

イビデンがこの分野に参入できた技術的な背景には、すでに事業化していた建材(メラミン化粧板)で培ったエッチング技術があった。プリント配線板もメラミン化粧板も、化学薬品による腐食加工(エッチング)を基盤技術とする点で共通しており、イビデンの既存技術を応用できる領域であった。

決断

建材で培ったエッチング技術を応用し、1972年にプリント配線板の実用化に着手

イビデンは建材事業で蓄積したエッチング加工技術をプリント配線板の製造に転用し、1972年に実用化に至った。カーバイド事業の先行きに不安を抱えるなかで、半導体関連という新たな成長領域への布石を打った形であった。

この参入が、後のイビデンの事業構造を決定づけた。プリント配線板で培った基板製造技術は、1980年代後半のプラスチック製パッケージ基板の開発へと発展し、最終的にインテル向けパッケージ基板という主力事業の原型となった。カーバイドと建材の企業がエレクトロニクス部品メーカーへと変貌する起点であった。

建材のエッチング技術が半導体基板への転身を可能にした技術転用の構造

イビデンのプリント配線板参入は、メラミン化粧板で蓄積したエッチング加工技術の転用によって実現した。建材と半導体基板は最終製品として全く異なるが、化学薬品による腐食加工という製造工程では共通する。この技術の横展開が、電力・カーバイドの企業をエレクトロニクス部品メーカーへと変える転換点となり、のちのインテル向けパッケージ基板事業の技術的な起点となった。

1976
緊急合理化対策を発表
1982
商号をイビデンに変更
1987

プラスチックパッケージ基板の生産開始

セラミック全盛期にプラスチックを選んだ素材戦略の先見と時間差

パッケージ基板市場がセラミック製で確立されていた1987年に、イビデンはあえてプラスチック製に素材を絞って参入した。絶縁性の優位性という技術的判断は正しかったが、積層加工の困難から価格競争力を欠き、1990年代前半まではPC向け市場に入り込めなかった。先見性のある素材選定と、市場が追いつくまでの時間差をどう耐えるかという、技術先行型参入に固有のリスクを示す事例であった。

背景

セラミック全盛の市場にプラスチック素材で挑んだ後発参入の賭け

1980年代を通じてマイクロプロセッサ(MPU)やICの普及が加速し、これらの半導体部品を覆うパッケージ基板の市場が急成長していた。当時のパッケージ基板はセラミック製が主流であり、京セラや日本特殊窯業といった先発企業が独壇場を築いていた。イビデンはセラミックの技術蓄積を持たなかったが、1987年にパッケージ基板への参入を決め、素材をプラスチックに絞るという選択をした。

プラスチック製パッケージ基板の採用実績はほぼ皆無であり、イビデンにとっては冒険であった。しかし、プラスチックは絶縁性に優れるという電気特性上の利点があり、半導体の高性能化に伴って将来的にはセラミックを代替しうると判断した。

決断

米国に販売会社を設立し、シリコンバレーへの直接営業体制を構築

イビデンはプラスチック製パッケージ基板を国内だけでなく、シリコンバレーを中心とする米国市場で販売することを意図し、米国に現地法人の販売会社を設立した。半導体産業の中心地に営業拠点を置くことで、インテルをはじめとする米国の半導体メーカーとの接触機会を確保する狙いがあった。

ただし、1990年代前半のプラスチックパッケージは、5枚の板を積層化するプレス加工の技術的な困難から価格の引き下げが難しく、一部の高額な汎用コンピュータ向けに採用されるにとどまった。PC向けの主戦場ではセラミック製が依然として優勢であり、インテルのCPUへの採用には至らなかった。この状況が変わるのは、1990年代半ばにインテルがプラスチック製への切り替えを決断してからのことである。

セラミック全盛期にプラスチックを選んだ素材戦略の先見と時間差

パッケージ基板市場がセラミック製で確立されていた1987年に、イビデンはあえてプラスチック製に素材を絞って参入した。絶縁性の優位性という技術的判断は正しかったが、積層加工の困難から価格競争力を欠き、1990年代前半まではPC向け市場に入り込めなかった。先見性のある素材選定と、市場が追いつくまでの時間差をどう耐えるかという、技術先行型参入に固有のリスクを示す事例であった。

年表プラスチックパッケージ基板の生産開始に関する出来事
1989大垣北工場を新設
1994

インテル攻略プロジェクトを発足。遠藤社長が直轄でPJを率先

全社の研究開発費を一事業に集中投入した「心中覚悟」の資源配分

イビデンのインテル攻略プロジェクトは、研究開発予算のほぼ全額を単一プロジェクトに集中させるという極端な資源配分の決断であった。通常5〜6年の開発を2年に圧縮する目標設定、他部署との兼務禁止、解散時の雇用保証というルール設計は、組織の全エネルギーを一点に収束させるための仕組みであった。この賭けが成立したのは、インテルのセラミックからプラスチックへの素材転換という外部環境の変化と時期が一致したためでもある。

背景

カーバイド撤退後の生き残りを賭けた半導体事業への一点集中

1991年にイビデンは創業以来の主力事業であったカーバイドの生産を終了し、最後の電気炉の火が消えた。売上の柱を失ったイビデンは経営危機と隣り合わせの状態にあり、社長に就任した遠藤優は半導体関連事業に活路を求めた。インテルはCPUの世代交代に合わせて部品サプライヤーを2〜3年ごとに切り替える企業であり、新規参入者にもチャンスがあった。

1994年にイビデンはインテルの次世代CPU向けにプラスチック製パッケージ基板を供給することを目標に据えた。インテルがセラミック製からプラスチック製への切り替えを検討し始めた時期であり、この技術転換の波に乗ることがイビデンの生存戦略そのものであった。

決断

遠藤社長の直轄プロジェクトを発足し、全社の研究開発資源を集中投入

遠藤社長はインテル攻略を自らの直轄プロジェクトとして発足させ、藤川社長室長と伊藤次長に人事を一任して50名のチームを編成した。メンバーには40代のエース社員を配置し、他部署との業務の掛け持ちを一切禁止した。さらに社内の研究開発予算を研究開発本部から剥奪し、ほぼ全額をパッケージ基板の開発に一点集中させた。

遠藤社長はプロジェクトチームに対し「原則2年で量産化に持ち込む」ことを至上命題とし、1日でも遅延した場合はプロジェクトを解散すると通達した。通常5〜6年を要する開発を2年に圧縮するという目標設定であった。ただし解散の場合でも終身雇用は保証するとし、失敗時の個人的リスクを除去することで開発への全力投入を可能にした。

結果

1996年にインテルとの供給契約を締結し、経営危機からの脱却に道筋

1995年にインテルはCPU向けパッケージ基板をセラミック製からプラスチック製に切り替える方針を正式に発表した。イビデンのプラスチック製パッケージ基板はこの方針転換に合致し、1996年にインテルから数百万個規模の大量受注を獲得した。1998年には大垣工場にパッケージ基板の製造新棟を新設し、量産体制を整えた。

インテルとの取引開始により、イビデンはFY1996およびFY1997に2期連続で過去最高収益を達成した。カーバイド撤退後の経営危機からの脱却が実現し、パッケージ基板がイビデンの新たな収益の柱として確立された。遠藤社長が「プロジェクトと心中する」覚悟で臨んだ一点集中の賭けは、インテルの素材転換という外部環境の変化と噛み合うことで結実した。

全社の研究開発費を一事業に集中投入した「心中覚悟」の資源配分

イビデンのインテル攻略プロジェクトは、研究開発予算のほぼ全額を単一プロジェクトに集中させるという極端な資源配分の決断であった。通常5〜6年の開発を2年に圧縮する目標設定、他部署との兼務禁止、解散時の雇用保証というルール設計は、組織の全エネルギーを一点に収束させるための仕組みであった。この賭けが成立したのは、インテルのセラミックからプラスチックへの素材転換という外部環境の変化と時期が一致したためでもある。

証言遠藤優(1991年〜1999年・イビデン社長)

病気になると、頑張ろうとする力が体内から湧いてくるように、人は追い詰められると色々知恵が出てきます。それまで培ってきた電気関係の技術に生き残りをかけて、半導体のパッケージを生産し、それが米インテルの目に留まって、96年に供給契約を結びました。(略)おかげで、何とか電子工業で飯が食えるようになった次第です。

それにしても修羅場の連続でしたね。私が入社した頃は電力会社の雰囲気で、のんびりした社風でした。田舎(岐阜県大垣市)とはいえ名門企業と言われ、倒産することなどあり得ないと思っていました。それが経営破綻と隣り合わせのあゆみになったわけですから、社長時代は、いつも刃の上に乗っているような緊張感がありました。でも。そのくらいの緊張感がなければ、経営に携わるべきではないのでしょう。社員は経営者の姿勢をよく見ています。

出所2003/8/4日経ビジネス「有訓無訓」
年表インテル攻略プロジェクトを発足。遠藤社長が直轄でPJを率先に関する出来事
1991遠藤優氏が代表取締役社長に就任
1994インテル攻略プロジェクトを発足。遠藤社長が直轄でPJを率先
1996インテルとの取引を開始
1998大垣工場新棟でパッケージ基板の生産開始
1999
乗用車向けDPFの実用化
2001
フィリピンにパッケージ基板の製造拠点を設置
2004
ハンガリーにてDPFの生産開始
2008

自己資金で618億円の設備投資。マレーシア新工場の建設開始

2008/3期(連結)売上高 4,135億円経常利益 675億円
全額自己資金による618億円投資と借入非依存の財務規律

イビデンは618億円の設備投資を全額自己資金で実行し、銀行借入や資本市場からの調達を見送った。半導体関連事業は需要変動が激しく、好況期の利益を次の投資に充当するサイクルを自己資金で完結させることで、不況期に借入返済の負担を負わない構造を志向したと考えられる。翌2009年のリーマンショックで赤字に転落した際にも財務危機に至らなかった点は、この判断の妥当性を裏付けている。

背景

パッケージ基板の好調を背景に618億円の大規模設備投資を決断

2008年にイビデンはパッケージ基板、プリント配線板、自動車向けDPFのそれぞれの需要が拡大すると判断し、大規模な設備投資を実施した。FY2008における設備投資額は累計618億円に及び、主な内訳はパッケージ基板向け282億円、プリント配線板向け129億円、自動車向けDPFに35億円であった。

最大の投資項目はマレーシアにおける海外生産拠点の立ち上げであった。2008年にイビデンはマレーシアに現地子会社を設立し、2011年の工場稼働を目指してパッケージ基板およびプリント配線板の製造拠点を建設した。インテル向けの供給能力を拡大するための前方投資であった。

決断

618億円の全額を自己資金で調達し、外部借入に依存しない投資を実行

618億円に及ぶ巨額投資に対して、イビデンは投資額の全額を自己資金でまかなった。銀行借入や資本市場からの調達は見送られた。2000年代を通じてパッケージ基板事業が好調であったことから、蓄積した利益を再投資に回す形となった。

自己資金による投資は財務的な規律を示す一方で、外部資本を活用しないことで投資規模やスピードに制約がかかりうる面もある。しかしイビデンにとっては、借入金に依存しない財務体質を維持することが、半導体需要の変動に対する耐性を確保する上で重要な判断であった。翌2009年にはリーマンショックにより87億円の最終赤字を計上するが、借入依存度が低かったことで財務的な危機には至らなかった。

2008/3期(連結)売上高 4,135億円経常利益 675億円
全額自己資金による618億円投資と借入非依存の財務規律

イビデンは618億円の設備投資を全額自己資金で実行し、銀行借入や資本市場からの調達を見送った。半導体関連事業は需要変動が激しく、好況期の利益を次の投資に充当するサイクルを自己資金で完結させることで、不況期に借入返済の負担を負わない構造を志向したと考えられる。翌2009年のリーマンショックで赤字に転落した際にも財務危機に至らなかった点は、この判断の妥当性を裏付けている。

2009
最終赤字87億円に転落
2011
パッケージ基板をマレーシアで量産開始
2017
デンソーと業務資本提携を締結
2018
パッケージ基板への投資再開
2022
インテル向け復調
2024
河間事業所新棟を稼働