元トクヤマ(日本曹達工業)の専務であった岩瀬徳三郎氏がソーダ工業における独立企業を決め、1935年2月に東洋曹達工業株式会社(現・東ソー)を設立。会社設立の狙いは、化学繊維(レーヨン・スフ)に対して、基礎材料を生産して供給することにあった。このため、トクヤマと同様に、東ソーもソーダ工業(水酸化ナトリウム・炭酸ナトリウム)を扱う企業として設立に至った。
本社および工場については、瀬戸内間の山口県南陽に新設することを決定。1936年5月に工場(現在の南陽事業所)を稼働し、ソーダ灰(炭酸ナトリウム)についてアンモニア法による製造を開始した。
この結果、山口県の瀬戸内海において、トクヤマと東ソーの2社が、競合するソーダ工業メーカーとして工場を稼働する形となった。
1951年にセメント製造設備を新設し、南陽事業所におけるセメント生産を開始。苛性ソーダの製造時に発生する副産物(石膏など)を活用しつつ、セメント製造によって発生した余熱を南陽事業所全体で利用することで、ソーダ部門におけるコスト節減(年間約1億円)を意図した。
東ソーはメインバンクの日本興業銀行の要請を受けて、鐵興社の合併を決定。1975年4月に鐵興社の合併を完了し、全国7工場体制となった。
三井物産が主導した総事業費約6000億円の海外プロジェクト「IJPC(イラン・ジャパン石油化学)」が、イラン・イラク戦争の勃発によって中止が決定。IJPCに参画していた東ソーも損失を被ることが濃厚となった。1986年3月期における東ソーのIJPC関連のBS計上科目は「海外損失引当金174億円」「IJPC関連債権493億円」に及んだ。
東ソーにおけるビニル(苛性ソーダ・塩ビモノマー)と、日本ポリウレタン工業(MDI=ウレタン原料)について、一体的に製造する「ビニル・イネシアート・チェーン」の事業計画を策定。塩素を有効活用し、結果としてコスト競争力を確保することを意図した。
第2期における投資額は累計645億円であり、自家発電設備・電解ソーダ・VCM・PVC・一酸化炭素設備・アニリン・インフラ整備・MD関連に広く投資を実施した。このうち最大の投資となったのが、日本ポリウレタン工業におけるMD関連への投資であり、約300億円に及んだ。
2011年11月13日の15時15分ごろ、南陽事業所の「第2塩ビモノマー」の製造設備で爆発事故が発生し、1名が死亡した。
原因は、オキシ反応工程A系における緊急放出弁の故障が発生してプラント工程を全停止したが、槽内温度上昇によって発熱反応が進行し、この事象に気づけなかった点にあった。反応の進行によって、内部圧力が異常上昇し、弁の故障から12時間を経た時点で「破裂・爆発・火災」を引き起こした。