住友化学 の歴史

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創業 1913年
母体 住友財閥
創業地 愛媛県新居浜市
創業 1913年9月、住友総本店は愛媛県新居浜に肥料製造所を設けた。別子銅山の製錬所が
1913年9月、住友総本店は愛媛県新居浜に肥料製造所を設けた。別子銅山の製錬所が出す亜硫酸ガスが周辺の農地を傷めており、回収したガスを硫酸に変えて過燐酸石灰をつくれば、煙害の処理と新事業が同時に立つ。梶浦鎌次郎氏が意見書を出した1908年から着手までに5年がかかり、1915年10月に初出荷、1925年6月に資本金300万円の株式会社住友肥料製造所として独立した。1928年10月に米ナイトロジェン・エンジニアリングとアンモニア合成の技術契約を締結し、1934年2月に商号を住友化学工業へ改める。輸入特許や輸入原料から始まった同業と違い、出発点の原料は自社銅山の副産物だった。
決断 採算の外にある論理で、海外の設備を引き受け続けた。二度の石油危機で電力多消費のア
採算の外にある論理で、海外の設備を引き受け続けた。二度の石油危機で電力多消費のアルミ製錬が成り立たなくなり、住友化学は1976年7月に同事業を分離し、1981年10月に撤退した。その一方で1982年2月には、日本・インドネシア経済協力事業として年産22.5万トンのアサハン・アルミニウムが操業を開始する。1983年1月に愛媛のエチレンを止めて千葉へ集約した翌1984年3月にも、日本・シンガポール経済協力事業の年産30万トンのコンビナートが稼働した。国内で減らし海外で建てる非対称は、2004年5月のサウジ・アラムコとの折半合弁によるラービグへの進出まで続く。2009年4月に動き出したこの製油・石化の一貫拠点が、20年後の赤字の主因になった。
現況 最大の損失を計上した事業が、現在は最大の利益源である。2024年3月期、住友化学
最大の損失を計上した事業が、現在は最大の利益源である。2024年3月期、住友化学は営業損失4,888億円・当期純損失3,118億円という創業以来最悪の決算を出し、うち住友ファーマだけで1,264億円の営業損失を計上した。2026年3月期は売上収益2兆3,285億円・営業利益1,517億円へ戻り、住友ファーマは売上4,519億円に対して1,084億円の利益を上げている。石油化学を含むエッセンシャル&グリーンマテリアルズも売上6,788億円で144億円の黒字に転じ、3期ぶりに損失から抜けた。ただし損益を1年で反転させたのは新しい収益源ではない。2024年から進めた抜本的構造改革と資産の圧縮が、黒字を作った。
競合 化学と医薬を並べた2社のうち、医薬を残したのは住友化学である。三菱ケミカルグルー
化学と医薬を並べた2社のうち、医薬を残したのは住友化学である。三菱ケミカルグループは2020年に田辺三菱製薬を4,918億円のTOBで完全子会社化し、2025年に米ベインキャピタルへ約5,100億円で譲渡した。三井化学は1985年に「超石油化学」を掲げて汎用石化からの脱却を宣言したが、医薬は持たなかった。住友化学は1984年10月に医薬品事業を合弁の住友製薬へ譲渡した後も持分を保ち、2005年の大日本住友製薬を経て、住友ファーマを現在も連結に残している。石油化学から降りる判断は同業より遅れ、2023年11月の抜本的構造改革まで持ち越した。遅れた石化と残した医薬が同じ2024年3月期に同時に沈んだことが、創業以来最悪の赤字を生んだ。
長期業績の推移 1949〜2026年
住友化学:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

第1章 1913-1957 (気が向いたら執筆します!) 別子銅山の煙害対策から総合化学への拡大

第2章 1958-1996 (気が向いたら執筆します!) 石油化学とナショナルプロジェクトの時代

第3章 1997-2010 (気が向いたら執筆します!) 「内なる国際化」と三井との破談、ラービグへの賭け

第4章 2011-2026 (気が向いたら執筆します!) 高付加価値3軸の同時失速と創業以来最悪の赤字

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歴史年表 1913〜2025年

住友化学の沿革1913〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1913〜1957年別子銅山の煙害対策から総合化学への拡大新居浜に住友総本店肥料製造所を開設
過燐酸石灰の出荷を開始し営業開始
住友肥料製造所として独立新発足
ナイトロジェン・エンジニアリング社からアンモニア合成法特許を導入
商号を住友化学工業に商号変更
日本染料製造を合併
日新化学工業に商号変更
土井正治東京・大阪両証券取引所に株式上場
土井正治旧住友アルミニウム製錬から全設備を譲り受けアルミ一貫生産開始
土井正治住友化学工業に商号復帰
1958〜1996年石油化学とナショナルプロジェクトの時代土井正治愛媛工場でエチレン・誘導品の生産を開始★★
土井正治モンテカチーニ社からポリプロピレン技術を導入
長谷川周重中央研究所(高槻)を設置
長谷川周重住友千葉化学工業を設立
長谷川周重低毒性有機リン剤スミチオンを大分工場で大型生産開始
長谷川周重宝塚総合研究所を新設
長谷川周重住友アルミニウム製錬を設立
土方武土方武が代表取締役社長に就任
土方武三沢工場の操業開始
土方武インドネシア・アサハン・アルミニウム操業開始
土方武愛媛工場のエチレンプラント等を休止し千葉工場へ生産集中★★
土方武住友製薬を稲畑産業との間で設立★★
土方武シンガポール石油化学コンビナート操業開始★★
土方武森英雄が代表取締役社長に就任
シェブロン・ケミカル社とベーラントU.S.A.コーポレーションを設立
基礎化学・石油化学・精密化学・農業化学の4事業部門制に再編
1997〜2010年「内なる国際化」と三井との破談、ラービグへの賭け三井東圧化学とポリスチレン事業を統合し日本ポリスチレンを設立
アクリル酸・MMAプロジェクト操業開始
米倉弘昌米倉弘昌が代表取締役社長に就任
米倉弘昌三井化学とのポリオレフィン統合会社 三井住友ポリオレフィンが営業開始
米倉弘昌業界再編を狙った合意の解消と、単独路線への引き返し

2000年に発表された三井化学と住友化学の全面的事業統合。実現すれば三菱化学を抜き国内最大級の総合化学会社が生まれるはずだったが、2003年3月に統合比率で折り合えず白紙撤回された。

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★★★
米倉弘昌サウジ・アラムコとの折半出資による石油精製と石油化学の一体運営

2004年5月、住友化学の米倉弘昌社長は、世界最大の産油国サウジアラビアの国営石油会社サウジ・アラムコと折半出資で合弁を設け、紅海岸ラービグに石油精製・石油化学の一貫コンプレックスを建設する覚書に調印した。総投資額43億ドル(約4,700億円)規模の海外石化進出で、三井化学との統合が破談した直後の単独路線を象徴する判断であった。

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★★★
米倉弘昌商号を住友化学に変更、本店を移転
米倉弘昌住友製薬と大日本製薬が合併し大日本住友製薬発足★★
米倉弘昌初の連結純損失を計上★★
廣瀨博廣瀨博が代表取締役社長に就任
2011〜2026年高付加価値3軸の同時失速と創業以来最悪の赤字十倉雅和精密化学部門を廃止・再編、農業化学部門を健康・農業関連事業部門に商号変更
十倉雅和十倉雅和が代表取締役社長に就任
十倉雅和連結純損失を計上
十倉雅和基礎化学・石油化学部門を再編
岩田圭一岩田圭一が代表取締役社長に就任
岩田圭一大日本住友製薬が欧州ロイバント社と戦略的提携
岩田圭一短期集中業績改善策と聖域なき抜本的構造改革を発表★★
岩田圭一巨額の最終赤字を計上
岩田圭一創業以来最大の赤字を受け、減損と資産売却で1年でのV字回復を優先した再建

2024年3月期に親会社の所有者に帰属する当期損失3,118億円という創業以来最大の赤字を計上し、岩田圭一社長は2024年4月に抜本的構造改革の概要を策定・公表した。前年11月に始めた短期集中業績改善策で事業再構築・在庫削減・投資厳選・資産売却を進め、2023年度からの2年間で約7,000億円のキャッシュを創り出しながら、赤字の震源であるペトロ・ラービグ社と住友ファーマに正面から手を入れた。全社横断の構造改革クロスファンクショナルチームを置き、岩田圭一社長みずからがリーダーとして指揮を執った。

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★★★
水戸信彰水戸信彰が代表取締役社長に就任
出典・参考

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