井上貞治郎が国産初の段ボールを製造し「段ボール」の名称を生んだ創業者である。五社合併による聯合紙器の設立を経て日本の段ボール産業の基礎を築き、淀川工場の建設と地方工場展開で一貫生産体制を確立した。大坪清社長のもとでセッツの合併や朋和産業の子会社化、トライウォール買収など業界再編と多角化を推進し、段ボール業界を百年以上にわたり牽引している。
歴史概略
第1期: 段ボールの誕生と産業基盤の形成(1909〜1962)
無一文からの創業と段ボールの命名
一九一〇年四月、大陸放浪から帰国した井上貞治郎は上野公園で起業を決意した。偶然目にしたドイツ製電球梱包材に商機を見出し、ボール紙にシワをつけた梱包材を「段ボール」と命名して国産化に踏み切った。同年八月に三盛社を設立して製造を開始したが、創業直後から赤字が続き共同設立者は次々と離脱した。最後に残った井上は島田洋紙店からの借入でドイツ製の製造機械を輸入し量産体制を構築した。
段ボール事業が軌道に乗る契機は第一次世界大戦の好景気であった。東京電気がウラジオストック経由で電球輸出を本格化し、梱包材として段ボールを大量に必要とした。この受注により段ボールは輸出産業を支える必需品としての地位を確立し、井上の事業は安定的な成長軌道に乗った。
五社合併と一貫生産体制の構築
一九二〇年五月に井上は五社合併により聯合紙器株式会社を設立し、段ボール業界の統合を主導した。一九二三年には競合の日本製紙を吸収合併して千船工場を取得し、一九三〇年には大阪に淀川工場を新設して原紙から段ボール製品までの一貫生産体制を確立した。一九三六年には東京電気との資本提携を結び、一九三七年に東京工場、一九四八年に名古屋工場を新設して全国展開を進めた。
一九四九年に大阪証券取引所に上場し、公開企業としての歩みを始めた。一九六一年に利根川製紙工場を新設し、一九六二年からは古紙回収で全国をカバーするために地方工場の新設を積極化した。段ボール原紙から加工品まで自社で完結する垂直統合モデルがレンゴーの競争力の源泉となった。
第2期: 創業者の逝去と経営近代化(1963〜1999)
労働争議の鎮静化と組織改革
一九六三年十一月に創業者の井上貞治郎が逝去し、カリスマ経営者の不在は労働争議の激化をもたらした。一九六八年に山野社長は「三カ年計画」を策定し、職工・工員制度の廃止や完全月給制の導入など組織改革を実施して経営の正常化を図った。一九七二年には商号を「レンゴー株式会社」に変更し、戦前からの社名を刷新した。
一九七五年にはオイルショックの影響で段ボール原紙に供給過剰が発生し、レンゴーは不況カルテルに参加した上で不況対策第八項目を発表した。半期赤字にも転落したが、同年に新京都工場を新設するなど投資を継続した。一九八五年に千葉工場、一九九三年に三田工場を新設し、生産拠点の近代化を進めた。
セッツ合併と軟包装への進出
一九九〇年にマレーシア合弁事業への資本参加で海外進出を本格化し、同年に軟包装営業部を新設して事業領域の拡大に着手した。一九九八年には朋和産業を子会社化して軟包装事業に本格参入し、一九九九年にはセッツ(旧摂津板紙)を合併した。セッツの合併は住友商事との関係を深める契機となり、二〇〇〇年には住友商事出身の大坪清氏が社長に就任した。
大坪社長は住友商事の調整力を背景に業界再編を推進する路線を敷いた。福井化学工業の合併や新潟段ボール・旭川レンゴーの合併など、国内子会社の統合を進めて規模の拡大を図った。段ボールを中核としつつ軟包装にも展開する総合パッケージング企業への転換が進められた。
第3期: 業界再編とグローバル展開(2000〜現在)
日本製紙との提携と独立路線への回帰
二〇〇六年十一月、レンゴーは日本製紙・住友商事と三社で戦略提携を締結した。王子製紙による北越製紙へのTOBが引き起こした業界再編の圧力が背景にあり、株式持ち合いによる防衛的連携と経営統合の模索が同時に進められた。しかし二〇〇八年のリーマンショックで両社とも業績対応に追われ、二〇〇九年に提携を解消した。レンゴーは単独路線を選択し、独自の成長戦略へ舵を切った。
二〇一〇年には子会社ハマダ印刷機械の解散で二十九億円の損失を計上したが、川崎工場跡地の売却益六十五億円で相殺し、工場跡地の有効活用による財務マネジメントの巧みさを示した。二〇一一年には段ボール原紙を十パーセント値上げし、リーマンショック後の景気回復局面で収益の改善を進めた。
独禁法違反とトライウォール買収
二〇一二年六月、公正取引委員会はレンゴーを含む段ボール業界各社に対して独占禁止法違反の疑いで立ち入り検査を実施した。段ボール製品および原紙の価格について不当な調整が認定され、レンゴーは課徴金五十九億円の支払いを命じられた。差別化が困難なコモディティ産業における協調行動の構造的リスクが顕在化した事例であった。
二〇一六年にはトライウォールを買収し、重包装分野でのグローバル展開を実現した。段ボール・軟包装に加えて重包装という第三の柱を獲得したことで、レンゴーは総合パッケージング企業としての事業基盤を拡充した。百年以上にわたり段ボール業界を牽引してきたレンゴーは、包装材全般に事業領域を広げつつ国際展開を進めている。
井上貞治郎氏の起業は、綿密な市場分析に基づくものではなく、10代から20代にかけて職を転々とし、大陸放浪で蓄財にも家族にも恵まれなかった人物が「自分で稼ぐしかない」という切迫感から生まれた。事業の選択も「パン屋か紙屋か」という二択から始まり、偶然目にしたドイツ製の梱包材に商機を見出すという経緯であった。だが、この偶発性の連鎖こそが、井上貞治郎氏を日本初の段ボール製造者へと導いた。失うものがない状態が大胆な意思決定を可能にし、逆境への耐性が創業初期の赤字を乗り越える原動力となった点は、創業者の資質を考えるうえで示唆に富む。