新潟県長岡市の紙卸商・田村文四郎らが北越製紙を設立し、信濃川流域の水力と稲藁を活かした板紙製造から出発した。戦後復興期に洋紙生産で国内五位の地位を確保し、新潟地震・中越地震の被災を乗り越えながら設備投資を継続した。二〇〇六年の王子製紙による敵対的買収を三菱商事との連携で退けたが、その代償として系列化と経営体制の長期固定化を招き、大王製紙の株式取得やオアシスとの株主対立という新たな緊張を抱えている。
売上高・営業利益率
セグメント別売上高
売上高分解(原価・販管・営利)
歴史概略
第1期: 創業と製紙基盤の確立(1907〜1963)
紙商から製造業への転身
一九〇七年四月、長岡の紙卸商・田村文四郎と書籍商・覚張治平を中心とする百四十三名の出資者が北越製紙株式会社を設立した。稲作が盛んな新潟は原料の稲藁の調達が容易であり、新潟随一の紙商であった田村家の販路がそのまま創業基盤となった。翌年十月にドイツ製抄紙機で長岡工場の板紙製造を開始し、一九二〇年には北越板紙を買収して新潟工場を発足させ二拠点体制を構築した。
第一次世界大戦の好景気を受けて業容を拡大したが、大戦後の不況により一九二〇年に新設した市川工場は採算割れが続いた。好況期の拡張投資が不況期に重荷となる構図は、北越製紙が直面した最初の経営試練であった。田村家出身者が一九五〇年代まで社長を歴任する創業家支配の体制が形成された。
戦後復興と洋紙五位の確保
戦時中に空襲を免れた北越製紙は迅速に復興し、一九五一年には製紙業界でもトップレベルの収益を確保した。この利益を設備投資に充当し、長岡・新潟・市川の三拠点で抄紙機を新設して増産体制を整えた結果、一九五五年に洋紙生産高で国内シェア五位を確保した。地方企業ながら大手と互角に戦う存在として注目を集めた。
しかし一九五七年からの景気低迷で収益性が低下し、再建方策案を策定して希望退職を含む人員整理を実施した。一九五九年には鈴木一弘による株式買い占め事件が発生し、一九六三年には田村文吉会長の逝去で創業家経営に区切りがつき、北越製紙は新たな統治構造への転換期を迎えた。
第2期: 設備更新と震災復興(1964〜2005)
地震被災と設備投資の継続
一九六四年の新潟地震で新潟工場が被災し、復旧のために抄紙機を新設して復興を進めた。一九七一年には首都圏向けの新拠点として茨城県に勝田工場を新設し、米国市場のトレンドを踏まえて特殊白板の生産に注力した。一九七七年には子会社の北越パッケージを設立し、紙器分野への展開も開始した。
一九八六年に新潟工場への設備投資を再開し、二〇〇〇年には市川工場と勝田工場を統合して関東工場に改称するなど、生産体制の合理化を進めた。二〇〇四年の新潟県中越地震では長岡工場が再び被災したが、操業再開に漕ぎ着けた。二度の大震災を経験しながらも投資を継続した点が北越製紙の特徴である。
紀州製紙との統合と製品転換
二〇〇〇年に三菱製紙との包括提携を発表し業界内での連携強化を図ったが、北越製紙が本格的に業界再編に動くのは二〇〇九年の紀州製紙完全子会社化である。これにより事業基盤が拡大し、特殊紙分野の品揃えが充実した。二〇二〇年には新潟工場の抄紙機六号機を段ボール原紙抄紙機に改造し、国内需要の構造変化に対応する製品転換に着手した。
二〇一八年に商号を北越コーポレーション株式会社に変更し、製紙単業からの脱却を志向する姿勢を示した。二〇一五年にはカナダのアプラックフォレストプロダクツを買収して海外事業にも進出した。
第3期: 買収防衛と株主対立(2006〜現在)
王子製紙のTOBと三菱商事の系列化
二〇〇六年八月、業界首位の王子製紙が北越製紙に対して敵対的買収を宣言した。北越製紙は三菱商事に対する第三者割当増資で三百三億円を調達し、三菱商事が二四・一パーセントの筆頭株主となることでTOBを阻止した。独立は維持されたが、代償として三菱商事の系列企業としての立場を受け入れることとなった。二〇〇八年には三菱商事出身の岸本晢夫氏がCEOに就任し、提携関係は二〇一九年まで十三年間続いた。
買収防衛のために招き入れた資本が長期の経営構造を規定するという構図が生まれた。独立を守る名目で行われた増資が結果として自律的な経営判断を制約し、後ろ盾を失った瞬間に新たな株主との対立を招く遠因となった。
大王製紙株式取得とオアシスのキャンペーン
二〇一二年に北越製紙は大王製紙の株式二二・三パーセントを取得し、業界再編の第三極形成を構想した。しかし大王製紙の経営陣は統合に応じず、二〇一五年に三百億円の転換社債を発行して対抗した。北越製紙の提訴は二〇二〇年に敗訴に終わり、資本関係と経営関係の乖離が固定化した。
二〇二一年十月にはオアシスが「A Better Hokuetsu」キャンペーンを開始し、岸本社長の長期在任と収益性低迷を問題視した。二〇二四年六月の株主総会では岸本社長解任の議案に対する賛成比率が三八・一七パーセントに達した。大王製紙系の大王海運がオアシスに同調した事実は、再編を仕掛けた側が被買収先の株主から経営刷新を迫られるという立場の逆転を示している。
北越製紙の創業は、新潟随一の紙商であった田村家が販売側から製造側に事業領域を拡張した業態転換である。流通の知見を持つ商人が原料の地理的優位性を組み合わせて製造業に参入する構造は、販路確保のリスクを低減する一方で、創業家支配の長期化という統治上の課題を内包した。1950年代まで田村家が社長を歴任した事実は、創業時の資本構成が半世紀にわたり経営構造を規定し続けたことを示唆する。