1926年に三井物産の子会社・東洋レーヨンとして滋賀県大津で設立され、レーヨン製造から出発した。1951年にデュポンからナイロン技術を導入し、資本金を上回る10.8億円の投資で合成繊維メーカーへ転換。1957年にはICIからポリエステル技術を導入し帝人との二社体制を確立した。1971年に炭素繊維「トレカ」の販売を開始し、約40年の赤字を許容しながらB767・B777・B787と航空機向け供給実績を積み上げてシェアを確立。Zoltek・TenCate買収で産業用途にも拡大し、先端材料メーカーとしての地位を固めている。
売上高・営業利益率
セグメント別売上高
売上高分解(原価・販管・営利)
歴史概略
第1期: レーヨンから合成繊維メーカーへ(1926〜1969)
東洋レーヨンの設立とレーヨン量産
1926年1月、三井物産の子会社として資本金1,000万円で東洋レーヨンが設立された。第一次世界大戦期に蓄積された三井物産の利益の投資先として化学繊維事業が選択された。工場用地には琵琶湖水系の水質が製造技術に適すると判断された滋賀県大津が選定された。国内20か所以上の水質調査を経て決定された立地であった。
1927年8月に滋賀工場で最初の糸が紡出され、翌1928年に紡糸機40台で本格量産が開始された。1931年にはレーヨンで国内シェアを確保し、1938年に瀬田工場を新設、1941年に国内2社を合併して生産基盤を拡大した。レーヨンは天然繊維の代替素材として安定した需要を持ち、東レの初期の収益基盤を形成した。
ナイロンとポリエステルの技術導入
1951年6月、東レは米デュポンとナイロンの技術提携契約を締結した。ロイヤルティ前払い金300万ドル(当時の為替レートで10.8億円)を支払ったが、資本金7.5億円を大きく上回る規模の投資であった。契約内容は特許実施権の取得にとどまり製造ノウハウの提供は含まれなかったため、生産立ち上げには多くの試行錯誤を要したが、自社で技術を確立する方針は長期的な技術蓄積につながった。
同年4月に名古屋工場でナイロン生産を開始し、レーヨンに次ぐ事業の柱が確立された。1957年には英国ICI社からポリエステル技術を導入し、帝人との共同でテトロンの商標で販売を開始した。ナイロンとポリエステルの二本柱により、東レはレーヨンメーカーから合成繊維メーカーへと事業構造を転換した。1962年には基礎研究所を新設し、研究開発を組織的に推進する体制が整備された。
第2期: 脱繊維の否定と炭素繊維の育成(1970〜2013)
「繊維に残る」宣言と多角化の起点
1970年代、繊維産業は円高とアジア新興国の台頭による構造的な収益悪化に直面した。鐘紡は化粧品、帝人は医薬品、東洋紡はフィルムと各社が非繊維分野への展開を進めるなか、東レの藤吉次英社長は1975年12月に「脱繊維」を明確に否定した。繊維は衣食住を支える必需素材であり、競争力の源泉は事業分野ではなく技術の深さにあるという認識が示された。
同時に、繊維の研究開発過程で生まれた技術を樹脂やフィルムに展開する方針が打ち出された。1970年には千葉にABS樹脂工場、東海にPPフィルム工場、岐阜にPEフィルム工場を新設し、多角化は繊維技術の延長線上に位置づけられた。1980年代にはフィルム分野で磁気テープ用途が急拡大し、国内市場のおよそ半分を占める水準に達した。
炭素繊維の40年と航空機用途の確立
1971年8月、東レは炭素繊維「トレカ」の販売を開始した。当初の用途は釣竿やゴルフシャフトなどスポーツ・レジャー分野に限られ、製造コストが高く事業としては赤字が続いた。東レは撤退を選ばず、赤字を抱えながら設備改良と品質安定への投資を継続した。1982年にB767の材料メーカーに指定され、航空機向け構造材としての供給が始まった。
1990年にはB777向け炭素繊維を納入し、採用部位の拡大は設計段階からの関与と品質管理の積み重ねが評価された結果であった。2006年にはB787で主要構造材として全面採用が発表され、機体重量に占める複合材比率は約50%に達した。ボーイングとの長期独占供給契約が締結され、約40年にわたる赤字を許容した技術投資が航空機用炭素繊維における圧倒的な地位として結実した。
経営危機と長期ビジョン
1985年には繊維部門の人員配置転換を実施し、同年にインターフェロン-β製剤の製造承認を取得して医薬品分野にも進出した。1987年に前田勝之助氏が社長に就任し、1991年に長期経営ビジョン「AP-G2000」を策定した。1993年にはカラーフィルターの量産を開始し、1994年に中国での現地生産を開始するなど事業領域の拡張が進められた。
一方、2000年3月期と2010年3月期に最終赤字を計上し、繊維事業の収益力だけでは全社の安定性を担保できない局面が露呈した。2002年に中期経営課題「NT21」を策定し、炭素繊維や環境素材など成長分野への投資を加速した。繊維に残るという方針は維持しつつも、利益の源泉は繊維から先端材料へと移行していった。
第3期: 先端材料メーカーへの進化(2014〜現在)
Zoltek・TenCate買収と産業用途への拡張
2014年2月、東レは米国Zoltek Companiesを913億円で買収した。風力発電翼向けラージトウ炭素繊維を主力とする同社の取得により、航空機偏重の用途構成を産業用途に拡張する狙いがあった。2018年7月にはオランダのTenCate Advanced Composites Holdingを約1,171億円で買収し、熱可塑性樹脂を用いた炭素繊維複合材料の製品群を取得した。
2件の買収により炭素繊維関連ののれんは合計約900億円規模に達した。航空機から風力発電、自動車、産業機器へと用途の裾野が広がった一方で、Zoltek社は風力発電向け需要が期待通りに拡大せず、産業用途の収益化は道半ばにある。炭素繊維事業全体として投下資本に見合う収益を安定的に生み出せるかが中長期の課題となっている。
構造改革「Dプロ」と収益体質の見直し
2020年代に入り、東レは売上規模に対して利益率が改善しない構造的な課題に直面した。事業別にROICを算定したところ、数量維持や設備稼働率を優先してきた一部事業が資本効率を押し下げている実態が可視化された。PBR1倍割れが常態化するなかで、低PBRの要因を成長性ではなく収益率に求める分析が取締役会で共有された。
2024年、東レは構造改革施策「Dプロ」を開始した。PPスパンボンド、欧米フィルム、ポリエステル短繊維、Zoltek社など投下資本が大きく収益改善の余地が限られた事業が対象となった。事業ごとにROICが成立する条件を検証し、条件を満たさない事業は縮小・撤退に進む制度が組み込まれた。2024年には政策保有株式の順次売却も公表され、規模維持を前提としてきた経営からの転換が進められている。
東洋レーヨンの設立は、三井物産が第一次大戦後の利益を化学繊維に投じた事業判断に端を発する。帝人が先行する市場に後発で参入しながら国内首位に至った要因は、技術の先進性よりも、量産体制の構築速度と三井物産の販路活用にあった。自社の技術者育成を優先し、工程を外部に依存しない体制を整えた点は、後の合成繊維や先端材料への展開を可能にした組織的な技術基盤の原型でもある。