日本毛織の歴史

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1896
12月

日本毛織株式会社を設立

川西清兵衛氏が毛織物の国産化を決意

明治時代を通じて神戸は貿易港として発展。外国人居留地が形成され、神戸港は海外から様々な商品が輸入され、その一つの品目として「毛織物」の取引が活発に行われた。毛織物の原料は「羊毛」であり国内での原料自給が難しかったことや、国内で毛紡績・毛織物の生産工場に乏しかったため、海外から半製品の毛織物を輸入することが主流となっていた。

当時、家業として石炭石油問屋「座古清」を経営していた川西清兵衛氏(当時32歳)は、神戸港において取引される軍需向けの毛織物に着眼。輸入依存であった毛織物について国産化を決断した。日本国内では、生糸(絹糸・絹織物)や綿(紡績・綿織物)の生産工場は存在していたが、毛織物の本格的なメーカーは存在せず、日本毛織が毛織物業界の先駆的な存在となった。

なお、川西氏が経営する「座古清」はそれなりに収益を出しており、すでに軌道に乗っているビジネスを運営していることが、毛織物製造の参入時の出資者の募集における信用となった。

日本毛織の設立・貿易港の神戸に拠点

1896年に川西清兵衛氏を中心とした27名の出資により日本毛織が神戸市内にて設立された。創業時に過半数の株式を保有する株主はいなかったが、日本毛織は川西清兵衛氏の強い要望によって設立された経緯から、川西財閥の中核企業として経営された。

設立時の資本金は50万円であり、その用途は「機械13万円」「土地建物6万円」「予備資金25万円」と設定された。

工場新設の検討開始

日本毛織の会社設立に合わせて、毛織物生産のための工場新設を計画。神戸と同じ兵庫県内において工場用地の選定を開始した。候補地として、高砂・尼崎・大阪・加古川などの数カ所があがった。

日本毛織株式会社設立目論見書(資本金の用途計画)
科目 金額 備考
機械設備 137,820円 毛織物生産設備の輸入
土地建物 59,180円 加古川工場の新設
創立経費 3,000円 -
予備金 250,000円 -
日本毛織六十年史 : 1896-1956, 1957年
1899
5月

加古川工場を竣工

水質が適した加古川に工場進出を決定

1897年に日本毛織は兵庫県加古川市内に工場を新設する方針を決定。加古川に立地させた理由は、沿線の山陽本線を使用した鉄道輸送ができる点や、加古川の水質が毛織物の製造に適していたこと(硬度1.2〜2.0の軟水)が理由であった。土地については、加古川銀行を経由して地主と交渉し、総額750円で土地取得を実施した。

加古川工場の新設・毛織物の生産開始

1899年に日本毛織は加古川工場(第1工場)を竣工。稼働時から150名の社員を採用し、大量生産に備えた。

以後、日本毛織は加古川工場を主力工場として位置付けて、1899年から1923年までの24年間にかけて第1工場から第6工場を新設。創業直後は加古川工場のみ1拠点で設備投資を集中させた。

品質安定化に苦戦・4年連続で赤字

加古川第1工場の竣工直後は品質改善に苦戦。当初は「赤毛布」の製造からスタートしたが、欧米産と比べて完成品の手触りの感触が悪く、結果として品質が劣悪な状態であった。このため、日本毛織が計画していた輸出事業が軌道に乗らず、加古川工場の直後から販売に苦戦。日本毛織は工場稼働から4年連続の赤字に転落した。

稼働5年目に黒字転換

加古川工場の稼働から4年連続で赤字を計上していたが、1905年に勃発した日露戦争により業績が好転。主に軍向けの毛織物販売が軌道に乗り、1905年に日本毛織は黒字転換とともに「1割5分」の高配当を実現した。

1899年
5月
第1工場を新設
1901年
4月
第2工場を新設
1911年
4月
第3工場を新設
1915年
6月
第4工場を新設
1916年
6月
第5工場を新設
1923年
第6工場を新設
日本毛織六十年史 : 1896-1956, 1957年
1919
6月

国内生産拠点を拡充

日本毛糸紡績会社を合併(岐阜工場・姫路工場)

第一次世界大戦による後継機により、毛織物の輸出販売が拡大。日本毛織は旺盛な需要に対応するために日本毛糸紡績会社を合併。同社の姫路工場および岐阜工場を取得。

印南工場を新設

1919年6月に日本毛織は加古川市内に2つ目の拠点となる印南工場(いんなみ)を新設。第一世界大戦による毛織物の販売好調に対応。

名古屋工場を新設

愛知県名古屋市中区岩塚にて、名古屋工場を新設。毛糸とトップの製造に特化して生産性の向上を図った。なお、同工場は戦時中に航空機生産の転換のために、三菱重工に売却された。

日本毛織の従業員が1万名を突破

増産によって大正11年に従業員数が10,138名(工員を含む)となり合計1万名を突破。主力生産拠点としては、兵庫県内で4工場(加古川・印南・姫路・明石)、岐阜県内で1工場(岐阜)を稼働し、創業から約30年で日本毛織は日本を代表する大企業に発展した。

1918年
5月
日本毛糸紡績会社を合併
1919年
6月
印南工場を新設
1926年
3月
名古屋工場を竣工
1927
10月

人絹(レーヨン)の製造を開始

合成繊維に進出するために、名古屋工場内に「人絹工場」を新設。レーヨンの製造を開始

1941

戦時下で同業他社を合併

共立モスリンを合併

1941年に共立モスリンを買収。中山工場(千葉県市川)および館林工場(群馬県館林)を取得。

昭和毛糸紡績を合併

1942年に昭和毛糸紡績を買収。弥富工場(愛知県弥富)および一宮工場(愛知県一宮)を取得。

姫路工場・岐阜工場・館林工場を売却

戦時体制への移行を受けて、日本毛織の一部の工場については設備を売却のうえ、別会社の航空機生産に転用された。1942年に日本毛織は姫路工場を閉鎖して川西航空機に売却。翌1943年には岐阜工場・館林工場・名古屋工場を閉鎖し、それぞれ川西機械製作所・中島航空機・三菱重工に売却した。

1941年
共立モスリンを合併
1942年
6月
昭和毛糸紡績を合併
1942年
7月
姫路工場を売却
1943年
岐阜工場・館林工場・名古屋工場を売却
1947
11月

川西清兵衛氏が逝去

1947年7月に川西清兵衛氏は日本毛織の名誉職を退任。その直後の同年11月19日に逝去した。享年83歳

1949
5月

東京証券取引所に株式上場

1950

毛糸生産国内シェア1位

1950年ごろに梳毛紡績(毛糸生産)で国内シェア1位(27%)保持し、国内トップの毛織メーカーとなった。主力4工場(加古川・印南・中山・弥富)においては、1951年度の時点で1800名〜2900名が業務に従事した。

日本毛織:主要工場の従業員数
FY 加古川工場 印南工場 中山工場 弥富工場
FY1951 2926名 2740名 2117名 1839名
証言
経済展望

梳毛設備では、全国の27%、紡毛カードでは10%、織機設備では7%、整理設備では12%の比重を持っている。紡毛から製品まで一貫作業が可能であり、しかも均衡の取れている点を強みとする。文字通り、毛織業界の第一人者と言える。業績、収益、社歴も著しく良好であることは、言うまでもない。

1956

南米アルゼンチンに現地生産会社を設立

1956年
ニホンケオリ・アルゼンチナを設立
1981年
現地生産の中止・工場閉鎖
1958

岐阜工場を竣工

合成繊維メーカーの台頭

1950年代を通じて帝人と東レの2社がデュポン社から合成繊維の技術を導入。この結果、日本国内にも急速に合成背にが普及し、従来の繊維の主力であった生糸(絹織物)、毛糸(毛織物)、綿といった天然繊維の大半が合成繊維に代替される情勢となった。このため、1950年代を通じて繊維業界では、合成繊維メーカーによる天然繊維メーカーの下克上が頻発した。

岐阜工場の竣工。混紡糸の量産開始

合成繊維の台頭に対処するために、日本毛織は岐阜工場を新設して合成繊維と天然繊維の混紡糸の生産を開始した。主にスクールユニフォーム(学生服)に採用され、日本毛織がユニフォーム市場で優位に立つための布石となった。

利益率が長期低迷

合成繊維の普及により、毛織物専業の日本毛織の利益率が低下。混紡糸への参入も、合成繊維の普及を前に有効打にならず。ただし、学生服向けのシェアの確保により、ニッチな領域で日本毛織が収益を確保することにつながった。

1960

学校制服に注力

毛織物の販売を拡大するために、学生服(スクールユニフォーム)の強化を決定

1975

最終赤字に転落。工場縮小へ

円高ドル安の進行により日本毛織の繊維事業は競争力を失い、1974年11期に33億円、1975年11期に52億円の経常赤字に転落。このうち1974年11月期に14億円の最終赤字に転落した。

以後、日本毛織は人員削減と工場の統廃合を本格化させた。

1974年
11月
経常赤字に転落
経常損失 -33 億円
1975年
11月
経常赤字に転落
経常損失 -52 億円
1979
7月

人員削減の実施

1979年に日本毛織は700名の人員削減を実施。国内における毛糸・毛織物の生産縮小に対応

日経産業新聞:日本毛織、1年間で約700人の人員を削減、減量化完了。 ,1979/7/4
1982
3月

中山工場を閉鎖

1982年3月に中山工場(千葉県市川市)を閉鎖。ロードサイドに位置しており立地条件が良いため工場跡地は売却せず、商業施設として再開発を決定。1988年にニッケコルトンプラザとして開業した。

1982年
3月
中山工場を閉鎖
1988年
11月
ニッケコルトンプラザを開業(中山工場跡地)
1998

青島日毛織物有限公司を設立

中国(青島)における毛織物の現地生産を開始

2001
5月

毛織物事業を再現・工場統廃合へ

2001年
5月
子会社3社で工場統廃合
2003年
2月
子会社長崎ウールで毛糸の生産終了
2006
12月

繊維商社のナカヒロを子会社化

FY2007における同社の売上高166億円(当期純利益2.6億円)が日本毛織の連結決算に計上され、買収による増収へ。この結果、FY2007に日本毛織の売上高は1000億円を突破

2008

社名通称に「ニッケ」を採用

非繊維事業の拡大を受けて、商号の通称を日本毛織から「ニッケ」に変更。ただし商号変更は実施せず

2009

中長期ビジョン「NN120」を策定

リーマンショックによる業績不振

中長期ビジョンを策定。繊維・非繊維の両方に注力

6期連続増収増益

証言
富田一弥(日本毛織・代表取締役社長)

創立120周年(2016年度)の節目に向けた羅針盤として、2009年度よりスタートした「ニッケグループ中長期ビジョン(NN120ビジョン)」では、ニッケグループの目指す方向性とあるべき企業像を明確化いたしました。「繊維」「非繊維」の意識をなくし、全ての事業を「本業」と位置付けて成長発展を目指してまいりました。この結果、NN120ビジョン策定時点では1,000億円を超えていた連結売上高は一旦800億円台に落ち込んだものの、「前の年より少しでも成長を」との地道な積み重ねから6期連続で増収増益を達成し、再び1,000億円を回復いたしました。

2009
5月

弥富工場を閉鎖

1997年
弥富工場を子会社弥富ウールに移管
2009年
5月
弥富ウールの工場閉鎖(旧弥富工場)
2012

4事業部制を採用

6事業部制の遂行と撤退

2008年に日本毛織は組織改革を実施。6事業部制を採用して「衣料繊維」「資材」「エンジニアリング」「不動産」「コミュニティサービス」「流通サービス」の各事業部を設置した。

4事業部の集約

事業集中のために、2012年に日本毛織は事業部の見直しを実施。従来の6事業部から4事業部へと削減して「衣料繊維」「産業機材」「人とみらい開発」「生活流通」へ集約した。

2012

南海毛糸紡績の株式取得

経営難に陥っていた南海毛糸紡績(2003年上場廃止)について、日本毛織は買収を決定。南海毛糸紡績は東南アジアにおける紡績工場の経営に知見があり、日本毛織によるマレーシアへの進出のために買収を決定した。

2012
5月

太陽光発電設備へ投資計画

日本毛織が保有するゴルフ場跡地を活用し、兵庫県内にて大規模な太陽光発電所の建設を決定。約30億円の投資を計画

日経企業活動情報:ニッケは兵庫県に大規模太陽光発電所を建設し事業を強化 ,2012/5/26
2016

ニッケパークタウンをリニューアル

設備投資の面では、人みらい事業(ショッピングセンター運営など)に対する積極投資を実施。老朽化したニッケパークタウンの大規模リニューアルなどを実施

証言
岡本CFO

人とみらい開発事業は、単なる不動産賃貸ではなく、開発した不動産で自らテナントとしても事業を行い資産効率を高められるのが当社の強みです。市川市のニッケコルトンプラザ南側隣接地や一宮市、加古川市など、所有不動産の再開発プロジェクトはまだまだありますが、さらなる成長には、外部不動産を賃借あるいは購入して、同様の収益力を上げることが課題です。

2018

メディカルに参入

ライフサイヘンスへの進出を決定し、子会社ニッケメディカルを設立。医療資材の取扱いを開始

2022
11月

ニッケコルトンプラザをリニューアル

2022
11月

SC運営で収益確保

売上高および営業利益の両面で、人みらい事業(ショッピングセンター運営)が日本毛織の中心事業となった。土地賃貸コストがないため、高収益を確保。祖業の繊維事業は高収益だが売上高では劣る状況にあり、繊維事業からショッピングセンター事業への転換を成し遂げた。

2025 (c) Yutaka Sugiura
売上
日本毛織:売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
1,134億円
売上高:2023/11
利益
日本毛織:売上高_当期純利益率
○単体 | ○連結 (単位:%)
6.7%
利益率:2023/11
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