広田靖治氏が輸入車の中古車販売業を個人創業。給湯器の営業職を辞めた後、自動車販売会社への転職を最初は考えたが、高校中退という経歴もあって転職に失敗。そこで、生まれ育った愛知県尾張旭市で「オートステージヒロタ」を個人創業した。
個人事業から有限会社に転換。顧客獲得のために、競合が少なかった中古のボルボ車の取り扱いに注力した。当時はボルボ専門の中古車販売店は珍しく、全国からの集客に成功した。当時成長していたUSSからの仕入れによって車種を確保できた。この経験から、車種を絞り込んだ店舗展開を開始した。
元々20年前は展示車2台からスタートしました。「ランチェスターの法則」ではないが、ある程度の戦略性を持って、差別化や商品の専門性、営業においては成約率向上などをある程度絞り込み、KPIを分けることによって、他社との差別化を図った。当時、資金力が無い中、大手と同じやり方では勝てない。商品を絞り込む、現在の専門店展開にもつながっている。例えば同じ車種を10台持つことで、(その車種については)大手販売店より多くの在庫を持てる。
広田靖治氏は、売上10億円では満足するのではなく、100億円を目指すために多店舗展開を決断。2000年に名古屋市名東にてオートステージ1号店(500坪)を開業した。
転機となったのが税理士の言葉。「売上高10億が欲しいか、100億が欲しいか」という問いかけ。駆け出しの経営者だったが、当時は迷わず「100億が欲しい」と即答しました。法人税の申告なども厳密に行い、信用を積み重ねました。96年にオープンした喫茶店跡地の展示場から2000年にいよいよショールームをオープンすることが出来ました。名古屋市名東区にある現・オートステージ店舗ですが、500坪の敷地を手に入れましたが、培った信用により、銀行や不動産業者の大きな協力も得られました。当時特に感じたのは、「レバレッジ効果」(テコの原理)が大きいという点。
2000年代を通じて中古車流通の変化が一巡し、販売店では同質競争が発生した。このため、2005年ごろにオートステージは収益が伸び悩んだため、中古車に付随する「保険・車検・板金・塗装」などの周辺商品を重視するクロスセルに方針転換した。
クルマの価格を限界まで下げて、競争力をつけ、周辺で利益を確保するスタイルを今から12年前に確立しました。当初は社員からも「売れるわけがない」と不信感を持たれましたが、先行者として徹底していきました。専門店展開から「薄利多売」へと変化し、クロスセールスによって収益を確保するスタイルに転換していきました。ユーザーの不公平感を無くすことや価格競争力によって来客も増加、差別化が図れましたが、今やこれも業界のスタンダードになりつつあります。
リーマンショックにより需要の低迷と、中古販売店への出店攻勢により財務体質が悪化。ネクステージは債務超過の危機へ
2010年代を通じてECが小売業で拡大していたが、中古車販売に関しては実物を見るニーズが根強かった。そこで、広田社長は店舗の大型化が有効であると判断。2015年度からは設備投資額を前年度2倍に引き上げ、年間18億円の投資を実施した
小売業界はECビジネスに押されがちですが、自動車販売に限っては店舗の大型化でさらなる成長を目指せることがわかりました。クロスセルが根幹である当社は、お客さまと直接出会う機会の多さが収益に直結します。当社の方向性にも自信を持つことができました
FY2018には、大型店舗の多店舗展開のために設備当時の水準を一段階上げて年間56億円を投資。銀行から184億円の借入調達を行っており、自己資本比率は42.5%(FY2017)から28.2%(FY2018)に低下