富士紡HDの歴史

旧商号:富士紡績
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1896
3月

富士紡績株式会社を設立

富士山麓の水力発電を活用して紡績業に参入するため、地元の有志を中心とした出資者によって1896年3月に富士紡績株式会社を設立した。商号に「富士」という名称をつけた理由は、紡績工場を静岡県内に設置したことに由来する。

1898年に旧東海道線(現御殿場線)の駿河小山駅前に「小山工場」を新設し、紡績事業に参入した。創業工場である旧小山工場は、現在も「フジボウ愛媛小山工場」として研磨材の生産に従事しているが、旧小山工場の工場用地の大半は、2004年までに他社へ売却された。

1896年
3月
富士紡績株式会社を設立
1898年
9月
静岡県に小山工場を新設
1903
7月

合併により紡績工場を増設

1903年
7月
小名木川綿布を合併
1903年
8月
日本絹綿紡績を合併
1906年
9月
東京瓦斯紡績を合併
1910
2月

水力発電事業に参入

1910年
2月
電気事業兼営の許可取得
1914年
2月
相模水力電気を合併
1927年
5月
電力事業を売却
1915
1月

川崎工場を新設

1929
11月

鷲津工場を新設

1939
1月

化学事業に参入

1939年
1月
柳井化学工業を設立
1961年
7月
富士ケミクロスを設立
1949
5月

東京証券取引所に株式上場

1951
10月

小坂井工場を新設

1971
11月

企画部を新設・新規事業を推進

円高ドル安により繊維事業が構造不況へ

日米繊維摩擦の深刻化や、円高ドル安(1ドル360円の固定相場制から円の切り下げ)による国内人件費の高騰を受けて、海外輸出を軸とした繊維事業の先行きが不透明となった。

特に、1971年のニクソンショックによる円高ドル安により、より人件費の安いアジア(台湾・韓国・中国など)での繊維生産が発展し、日本国内の繊維メーカー各社は国内生産で苦境に陥ることが予想された。

富士紡績により新規事業の推進

富士紡としては繊維に代わる新規事業を推進するために、1971年11月に企画部を新設した。電子機器(プリント配線板の生産)・ボーリング場経営(中津工場を縮小した土地に新設)・FRP(漁船向け強化プラスチック)など、当時注目されていた成長分野に参入した。

考察
苦戦した富士紡の新事業展開
author's comment
東邦経済:新たな付加価値を求める富士紡, 1972/3
1972
4月

和歌山工場を新設

1976
4月

米B.V.D.とライセンス契約を締結

1976年
4月
米B.V.D.とライセンス契約を締結
1977
5月

繊維工場を子会社分離

1977年
5月
壬生川工場を分離・フジボウ愛媛を設立
1977年
5月
小坂井工場を分離・フジボウ小坂井を設立
1984年
12月
和歌山工場を分離・フジボウ和歌山を設立
1991
9月

タイに現地法人を設立

1998
3月

無配転落

繊維事業からの業態転換に遅れた結果、1970年代から1990年代にかけて業績が低迷。富士紡HDは慢性的な赤字体質に陥り、運転資金確保のために銀行からの借入金が増大し、結果として有利子負債比率が高まり財務体質が悪化した。

この結果、1998年3月期から富士紡HDは「10期連続の無配」に転落した。

1998

研磨材に新規参入

不織布の技術を応用して、液晶パネル・シリコンウエハー・CMPの製造工程で利用する消耗品「研磨材」に新規参入

考察
液晶パネル・半導体の需要増大を捉える
author's comment
1999
9月

国内繊維工場の休止

1999年
9月
八尾工場を操業休止
2000年
7月
鷲津工場を操業休止
2001
6月

韓国に現地法人を設立

2001
8月

中国に現地法人を設立

2004
3月

小山工場の遊休地を売却

富士紡績の創業工場である「小山工場(静岡県)」について、遊休地の売却を決定。子会社の「フジボウ愛媛小山工場」向けに一部の敷地を残しつつも、敷地面積の大半を売却した。

日経産業新聞:富士紡、小山工場の遊休地売却。, 2004/3/39
2005
9月

商号を富士紡HDに変更

2007
1月

中期経営計画「変身06-10」を策定

中野光雄氏が社長就任・経営再建に着手

2006年5月に中野光雄氏が富士紡HDの代表取締役社長に就任。当時の富士紡は祖業かつ主力事業であった繊維事業が苦境に陥ったことにより収益性が低下。非繊維(不織布事業における研磨材事業・化学工業品事業)が生み出す利益が繊維事業の赤字に補填され、結果として成長事業に投資できない状況が続いていた。

加えて、2000年代を通じて富士紡HDは慢性的に財務体質が悪化。自己資本比率は2003年3月末時点での9.3%であり、資産売却により2006年3月末時点で19.8%まで改善したが、依然として過小資本の状態にあった。

このため、中野社長就任時の富士紡HDとしては、繊維事業の赤字止血、非繊維事業への成長投資、財務体質の改善の3つの課題の解決が急務であった。

5ヵ年の中期経営計画「変身06-10」を策定

2007年に富士紡HDは5ヵ年の中期経営計画「変身06-10」を策定。経営目標として「事業ポートフォリオの再構築」を掲げ、主力事業であった繊維事業の売上縮小と、成長事業である不織布(液晶パネル向け研磨材)の売上拡大の計画を公表した。最終年度のFY2010において、富士紡HDの売上高の50%超を非繊維事業で占めることも目標に設定した。

富士紡としてはB.V.Dなどの収益性の高い繊維事業は継続しつつも、売上面では「繊維メーカー」から「非繊維メーカー(研磨材・化学工業品)」に転換する意思決定を表明し、このことから中期経営計画の表題として「変身06-10」というタイトルを採用した。

考察
中野光雄社長による「退路を断つ」業態転換
author's comment
2006年
中野光雄氏が社長就任(2022年まで社長歴任)
2006年
中期経営計画「変身06-10」を策定
2007
1月

研磨材の増産投資を決定

液晶パネルガラス向けの研磨材の増産を決定。フジボウ愛媛に8億円の設備投資を実施し、壬生川工場(愛媛県西条市)を拡張

日経企業活動情報:富士紡ホールディングスは子会社の工場を拡張し事業を強化, 2017/1/5
2008
4月

10年ぶりに復配

2012
7月

東洋紡からアングル・ミユキを買収

アパレル事業展開のため、東洋紡から「アングル・ミユキ」を取得。従来の百貨店販路ではなく、ECによる販売チャネルに移行し、収益を確保

2013
1月

東洋紡から医薬中間体事業等を買収

2014
3月

フジボウ電子を解散

1970年
6月
電子器事業を新設
1970年
6月
電子器事業を分離・富士紡電子を設立
2014年
3月
フジボウ電子を解散
2017
3月

台湾に研磨材の生産現地法人を設立

2019
12月

中国の現地法人を解散(繊維)

2020
1月

藤岡モールドを買収

2020
4月

フジボウ愛媛が大分工場を新設

研磨材の増産に対応するため、フジボウ愛媛は大分工場を新設

2022
6月

井上雅偉氏が社長就任

2006年から2022年にかけて社長を歴任した中野光雄氏が富士紡HDの社長を退任。2022年6月に井上雅偉氏が新社長に就任した。

2024
3月

減収減益

収益源である研磨材事業について、半導体の需要が低迷した結果、シリコンウエハーの研磨需要も低迷。研磨材の売り上げが伸び悩み。2024年3月期に富士紡HDは減収減益の決算に至った。

証言
井上雅偉氏(富士紡HD・社長)

主力事業の研磨材は半導体の需要低迷が響いて苦戦しています。研磨材はシリコンウエハー用途や半導体デバイス用途を中心とする超精密加工用途が主力です。一昨年の秋から半導体の需要が急激に落ち込みました。このため、半導体に使われるシリコンウエハーの需要も落ち込みました。液晶テレビの液晶ガラス用途も低調です。

2025 (c) Yutaka Sugiura, Author
売上
富士紡HD:売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
361億円
売上高:2024/3
利益
富士紡HD:売上高_当期純利益率
○単体 | ○連結 (単位:%)
5.8%
利益率:2024/3
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