1933年
鐘紡が日本企業で売上高1位へ

国内全ての業種の企業において、鐘紡が売上高トップを記録。日本を代表する会社に発展した

1946年
武藤絲治が鐘紡の社長に就任

終戦直後に武藤山治の息子であった武藤絲治が鐘紡の社長に就任。以後、戦後の鐘紡の経営を武藤絲治が担う。

1958年
紡績工場の一部休止を決定

綿製品の価格下落を受けて工場休止を決定。天然繊維の事業縮小をスタート

決算
鐘紡 | カネボウの業績
1959年4月期(単体)
売上高
383
億円
当期純利益
0.2
億円
1959

主力工場の閉鎖を本格化

閉鎖
4工場を閉鎖:博多・中津・中島・東京(1959年〜)
【従業員1000名規模の主力工場を閉鎖へ】 1958年前後の天然繊維の不況による市況悪化を受けて、鐘紡は主力工場の閉鎖を決定した。従来の...
閉鎖
5工場を閉鎖:山科・練馬・南千住・静岡・都島(1970年〜)
【工場閉鎖を継続】 1971年のニクソンショックにより円高ドル安が進行したことで、日本国内の繊維業は「東安アジア企業」との競争に巻き込ま...
閉鎖
4工場を閉鎖:京都・高砂・住道・四日市(1975年〜)
【鐘紡の無配転落で工場閉鎖を加速】 1975年に鐘紡は繊維事業の不振により無配に転落したことを受けて、工場閉鎖をより一層進める形となった...
閉鎖
2工場を閉鎖:淀川・洲本を閉鎖(1982年〜)
【かつての主力工場だった淀川工場を閉鎖】 1982年に鐘紡は淀川工場(大阪府都島区)を閉鎖した。淀川工場は鐘紡の主力工場の1つであり、戦...
閉鎖
4工場を閉鎖:長野・丸子・松阪・西大寺(1992年〜)
【地方工場の閉鎖】 1992年から1996年にかけて、国内の地方に残存する4工場を閉鎖した。対象は長野工場(長野市)、丸子工場(長野県上...
閉鎖
4工場を閉鎖:浜松・大垣・彦根・出雲(2003年〜)
【カネボウ解体による工場閉鎖】 鐘紡の粉飾決算が露呈したことを受けて、会社解散が決定。繊維工場のうち売却に値しないと判断された4工場の閉...
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1964年
午後3時の綿業論を否定

鐘紡の社長であった武藤絲治は「繊維産業は斜陽では無い」という論説を展開し、鐘紡は「労使協調」を重視する意味でも繊維の縮小を先送りした。

決算
鐘紡 | カネボウの業績
1965年4月期(単体)
売上高
1432
億円
当期純利益
29
億円
1971年
商号を鐘淵紡績から鐘紡に変更

繊維事業の比率低下に合わせて、社名から紡績の2文字を除去した「鐘紡」に変更した

決算
鐘紡 | カネボウの業績
1972年4月期(単体)
売上高
2482
億円
当期純利益
40
億円
1975年
経常赤字に転落

繊維業界の不振を受けて鐘紡の業績も悪化。1975年には経常赤字に転落する。赤字補填のために、鐘紡は大阪の淀川工場跡地を集合住宅地として売却するなど、不動産売却益によって延命を図る。

決算
鐘紡 | カネボウの業績
1976年4月期(単体)
売上高
4159
億円
当期純利益
-8.7
億円
1975年
京都工場の閉鎖

京都出町柳付近にあった京都工場を閉鎖。跡地は売却されて、東大路高野団地として再開発された

決算
鐘紡 | カネボウの業績
1976年4月期(単体)
売上高
4159
億円
当期純利益
-8.7
億円
1980年12月
淀川工場の閉鎖売却を決定

大阪市内に存在した淀川工場の生産機能を、滋賀県長浜工場に移転することを決定。跡地は三井不動産によって売却され、1982年に分譲マンション「ベル・パークシティ」として再開発された。大阪都心部の優良な土地の大規模再開発として注目を集めた、カネボウは土地の売却益によって繊維の赤字を補填した

決算
鐘紡 | カネボウの業績
1981年4月期(連結)
売上高
4980
億円
当期純利益
-57.3
億円
1986年
洲本工場(淡路島)の閉鎖

明治33年に稼働して淡路島の有力工場であったが、老朽化などによる競争力の低下により閉鎖を決定

決算
鐘紡 | カネボウの業績
1987年3月期(連結)
売上高
5565
億円
当期純利益
-66.7
億円
1993年
綿紡績国内3工場を閉鎖(長野・松阪・西大寺)

天然繊維事業の競争力低下に合わせて、カネボウは主力の面紡績の3工場を併載した。閉鎖対象は、長野工場(上田)、松阪工場(三重)、西大寺(岡山)の3箇所。いずれも各地域の大口雇用主であり、地元経済に致命的な打撃となった。

決算
鐘紡 | カネボウの業績
1994年3月期(連結)
売上高
5836
億円
当期純利益
-45
億円
1996年
防府工場の閉鎖失敗

合成繊維事業の競争力低下に合わせて、山口県の防府工場の閉鎖を決定したが、熾烈な反対を受けて一時頓挫する。

決算
鐘紡 | カネボウの業績
1997年3月期(連結)
売上高
6082
億円
当期純利益
-3.9
億円
2001年
人員削減ではなく基本給10%削減を実施

2001年に帆足氏がカネボウの新社長に就任。債務超過寸前の財務状況であったが、労働組合の意向を考慮して人員削減ではなく基本給のカット(3年間10%削減)を決定した。それでも、帆足社長に対して「怪文書」(出所:2001/9/3日経ビジネス)が社内で飛び交うなど、厳しい状況にあった。

証言
帆足隆(カネボウ・社長)

利益を重視することを訴えると同時に、労務費の削減にも着手しました。役員の削減や役員報酬のカットはもちろん、グループ企業も含め、労働組合員1万5000人の基本給を3年間、10%減らしたのです。実に厳しい決断でしたが、組合と粘り強く話し合ううちに、人員削減よりも全員で改革に挑もうと従業員は協力すると言ってくれました。

2001/9/3 日経ビジネス
決算
鐘紡 | カネボウの業績
2002年3月期(連結)
売上高
5288
億円
当期純利益
0.7
億円
2003
9月

粉飾決算が露呈。産業再生機構が支援

財務
粉飾決算で債務超過に転落。経営陣は逮捕へ
1999年ごろから鐘紡は企業存続を図るために社内で粉飾決算を行なったとされ、2005年に自体が明るみとなり、当時の社長が逮捕された。この...
再建
産業再生機構が支援へ
債務超過に陥ったカネボウに対して、2004年2月に債権者である三井住友銀行は「産業再生機構」を活用した企業解体を決定した。 産業再生機構...
売却
化粧品事業を花王に売却
債務超過を解消するために、鐘紡は唯一の収益源であった化粧品事業を花王に4500億円で売却した。その後、カネボウは産業再生機構のもとで、各...
売却
繊維工場を閉鎖。一部をセーレンに売却
カネボウの低収益の要因となっていた繊維事業について、不採算工場の閉鎖を決定。2003年に浜松・出雲・大垣の各工場の閉鎖を公表した。 また...
売却
食品・日用品・薬品事業をクラシエで運営
カネボウの事業のうち、化粧品および繊維を除く「その他事業」については、2007年に発足したクラシエホールディングスに継承された。会社発足...
詳細をよむ
2003年
9月
630億円の債務超過
2004年
10月
産業再生機構による支援決定
2005年
6月
東証1部を上場廃止
2005年
7月
繊維事業をセーレンに売却
2006年
2月
化粧品事業を花王に売却
売却額 4100 億円
2007年
7月
食品・薬品・日用品事業をクラシエに営業譲渡
2007年2月
会社解散を決議

2007年の株主総会でカネボウは解散を採択。カネボウは精算業務を行うために商号を「海岸ベルマネジメント株式会社」に変更。カネボウとしての歴史に終止符を打った

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