2007年〜 百貨店2強の経営統合と縮小市場との真っ向からの格闘
- 2007年Jフロントリテイリングを設立
- 2007年東京証券取引所に上場
- 2007年松坂屋ホールディングスを吸収合併
- 2009年横浜松坂屋を吸収合併
- 2010年大丸松坂屋百貨店を設立してブランド統合
- 2011年スタイリングライフHDを持分法適用関連会社化
J.フロント リテイリングの業績推移:単体
出所:有価証券報告書等
松坂屋銀座店の採算悪化が引いた統合の引き金
大丸と松坂屋HDの経営統合交渉は、2006年12月に松坂屋HDの茶村俊一氏(社長)が大丸の奥田社長へ銀座店再開発の相談を持ち込んで始まった。松坂屋銀座店は競合に比べて店舗面積が小さく収益改善の手立てを欠き、名古屋栄エリアでもJR名古屋高島屋の台頭で地位の低下が進んでいた。2006年2月期の業績は、大丸が売上高8,225億円・営業利益306億円、松坂屋HDは売上高3,439億円・営業利益70億円と規模差が歴然で、統合を水面下で打診したのは松坂屋HD側だった。統合比率は大丸1株に対し持株会社1.4株、松坂屋HDは1対1という、大丸側に有利な条件で決着した。旗艦店の処遇が決まらぬままの経営統合は、百貨店業界の再編のなかでも特異な入り口だった。 [1][2][3]
- 日経ビジネス 2010年2月22日号
- [1]奥田務は2006年当時 大丸の社長だった
- 有価証券報告書
- [2]大丸の2006年2月期の売上高は8,225億円だった
- [3]松坂屋HDの2006年2月期の売上高は3,439億円だった
約2カ月の水面下交渉を経て、2007年3月に両社は経営統合を正式発表し、同年9月に持株会社Jフロントリテイリングが設立された。大丸の奥田務氏が代表取締役社長兼CEOに就き、百貨店業界で最大級の売上規模を持つグループが発足した。並行して阪神百貨店と阪急百貨店の統合が2006年に、三越と伊勢丹の統合が2008年に進んでおり、大丸・松坂屋の統合も業界再編の一部として資本市場の高い関心を集めた。発端となった松坂屋銀座店の用地は処遇が定まらないまま新グループに引き継がれ、後年の再開発事業に向けた長い道のりが始まった。交渉開始から発表まで2カ月という短さに、業界全体の構造的な危機感の強さが現れた。 [4][5][6]
- 有価証券報告書
- [4]2007年9月に持株会社Jフロントリテイリングが設立された
- [5]Jフロントリテイリング発足時に奥田務が代表取締役社長兼CEOに就いた
- [6]統合により百貨店業界で最大級の売上規模を持つグループが発足した
- 日経ビジネス 2010年2月22日号
- [1]奥田務は2006年当時 大丸の社長だった
- 有価証券報告書
- [2]大丸の2006年2月期の売上高は8,225億円だった
- [3]松坂屋HDの2006年2月期の売上高は3,439億円だった
- [4]2007年9月に持株会社Jフロントリテイリングが設立された
- [5]Jフロントリテイリング発足時に奥田務が代表取締役社長兼CEOに就いた
- [6]統合により百貨店業界で最大級の売上規模を持つグループが発足した
別会社のまま3年 ── 企業文化の壁と遅れた統合効果
Jフロントリテイリング発足直後、大丸と松坂屋の百貨店事業はあえて別会社のまま並行運営された。企業文化の違いに配慮し、まず店長クラス100名規模の相互異動を通じて両社の組織融合を図るという、段階を踏んだ統合手順が採られた。この間、商品調達・販促・人事制度は分離したまま推移し、統合の経済効果が外部から見えにくい状態が続いた。2009年2月期にはリーマンショックの影響で百貨店事業の営業利益が縮み、市場全体の縮小傾向と重なって規模の利益を引き出せない時期が長引き、統合効果を早期に対外的な形で示すのは難しかった。現場融合の優先が、統合効果の発現を結果として遅らせた。
2010年3月、大丸と松坂屋の百貨店事業は「株式会社大丸松坂屋百貨店」として1社に集約され、統合発表から3年を経て実質的な事業統合が完了した。商品調達・人事制度・店舗運営の一体化が固定費削減の余地を広げた半面、2010年の段階で国内百貨店市場の縮小はすでに加速局面に入り、内部効率化の積み上げだけでは補えない構造的な問題がグループ経営の前面に出てきた。統合完了の時期と市場環境の悪化がほぼ同時に重なり、グループは縮小する既存市場のなかで収益源の多角化を含む新たな成長戦略を模索する必要に迫られた。後年、奥田氏は大丸社長就任後の9年連続増益を後に幼稚園レベルの改革と振り返り、人件費と宣伝費を温存した高コスト構造への切り込み不足を自ら認めている。 [7][8]
- 有価証券報告書
- [7]2010年3月に大丸と松坂屋の百貨店事業を「株式会社大丸松坂屋百貨店」として1社に集約した
- 日経ビジネス 2010年2月22日号
- [8]奥田務は大丸社長就任後に9年連続増益を達成した
- 有価証券報告書
- [7]2010年3月に大丸と松坂屋の百貨店事業を「株式会社大丸松坂屋百貨店」として1社に集約した
- 日経ビジネス 2010年2月22日号
- [8]奥田務は大丸社長就任後に9年連続増益を達成した
パルコ取り込みへの転換 ── 縮小市場で選ばれた新しい軸
大丸松坂屋百貨店の発足後も、国内百貨店市場の構造的な縮小は止まらなかった。少子高齢化と消費者行動のオンラインシフトが重なり、グループ連結売上高はJGAAP基準で2012年2月期に9,414億円まで落ち込んだ。2013年4月には食品スーパーのピーコックストアを譲渡し、2014年8月には中国現地法人を清算、今治大丸の清算準備も動き始めるなど、収益性の低い事業や不採算拠点の絞り込みが相次いで実行された。事業ポートフォリオの整理が、2010年代前半のグループ経営を貫く柱となった。既存事業の選別と縮小を通じて、グループは経営資源を成長分野へ集中させる下地を整えた。百貨店売上の減少に手当てするだけでなく、その外側に新たな収益源を探すという経営方針が、ここで具体的な形をとった。 [9][10][11][12]
- 有価証券報告書
- [9]グループ連結売上高はJGAAP基準で2012年2月期に9,414億円まで落ち込んだ
- [10]2013年4月に食品スーパーのピーコックストアを譲渡した
- [11]2014年8月に中国現地法人を清算した
- [12]今治大丸を清算した
不採算事業の整理と並行して、Jフロントリテイリングが百貨店以外の新しい収益源として目をつけたのが、若年層向けの都市型商業施設を展開するパルコだった。2012年3月にパルコ株を追加取得して持分法適用関連会社とし、出資比率を65%まで引き上げた。定期賃貸借(定借)方式によるショッピングセンター運営のノウハウをグループ内部に取り込む動きが本格化した。FY12(2013年2月期)のセグメント別業績ではパルコ事業が売上1,377億円・利益59億円を記録し、縮小が続く百貨店事業に対する収益補完の役割を担い始めた。百貨店一本の依存構造から脱却する多角化戦略が、具体的な数字として姿を現した。 [13][14]
- 有価証券報告書
- [13]2012年3月にパルコ株を追加取得して持分法適用関連会社とした
- [14]パルコ事業はFY12(2013年2月期)に売上1,377億円を記録した
- 有価証券報告書
- [9]グループ連結売上高はJGAAP基準で2012年2月期に9,414億円まで落ち込んだ
- [10]2013年4月に食品スーパーのピーコックストアを譲渡した
- [11]2014年8月に中国現地法人を清算した
- [12]今治大丸を清算した
- [13]2012年3月にパルコ株を追加取得して持分法適用関連会社とした
- [14]パルコ事業はFY12(2013年2月期)に売上1,377億円を記録した