2007年〜 百貨店2強の経営統合と縮小市場との真っ向からの格闘
J.フロント リテイリングの業績推移:連結
- 2007年 大丸と松坂屋ホールディングスの経営統合と共同持株会社J.フロント リテイリングの設立 縮む百貨店で規模を最優先するか——奥田務会長は「奥田改革」10年目になぜ松坂屋との統合を選んだか
- 2007年 東京証券取引所に上場
- 2007年 松坂屋HDを吸収合併
- 2010年 大丸松坂屋百貨店を設立してブランド統合
- 2010年 茶村俊一が代表取締役社長に就任(奥田務は代表取締役会長兼最高経営責任者へ)
- 2012年 パルコを子会社化
- 2013年 山本良一が代表取締役社長に就任
Jフロントリテイリングの発足 ── 統合が始まった地点
大丸と松坂屋HDは2007年3月に経営統合を正式発表し、同年9月、共同株式移転により共同持株会社Jフロントリテイリングを設立した。大丸の奥田務氏が代表取締役社長兼CEOに就任し、両社の合算で国内最大級の売上規模を持つ百貨店グループが発足した。事業会社の大丸と松坂屋はそれぞれ存続したまま持株会社の傘下に並び、発足当初は別会社として運営され、まず企業文化の融合が図られた。 [1][2][3][4]
- 有価証券報告書
- [1]2007年9月に共同株式移転で持株会社Jフロントリテイリングが設立された
- [2]Jフロントリテイリング発足時に奥田務が代表取締役社長兼CEOに就いた
- [3]統合により百貨店業界で最大級の売上規模を持つグループが発足した
- [4]発足当初は大丸・松坂屋を別会社として運営し、企業文化の融合を図った
発足の前後には、阪神百貨店と阪急百貨店の統合が2006年に、三越と伊勢丹の統合が2008年に進んでおり、大丸・松坂屋の統合も業界再編の一部として資本市場の高い関心を集めた。統合前から処遇の定まらなかった松坂屋銀座店の用地は、そのまま新グループに引き継がれ、後年の再開発事業に向けた長い道のりが始まった。縮む市場のなかで規模だけを先に確保した新会社は、発足の日から統合効果をどう出すかを問われる立場に置かれた。
- 有価証券報告書
- [1]2007年9月に共同株式移転で持株会社Jフロントリテイリングが設立された
- [2]Jフロントリテイリング発足時に奥田務が代表取締役社長兼CEOに就いた
- [3]統合により百貨店業界で最大級の売上規模を持つグループが発足した
- [4]発足当初は大丸・松坂屋を別会社として運営し、企業文化の融合を図った
別会社のまま3年 ── 企業文化の壁と遅れた統合効果
Jフロントリテイリング発足直後、大丸と松坂屋の百貨店事業はあえて別会社のまま並行運営された。企業文化の違いに配慮し、まず店長クラス100名規模の相互異動を通じて両社の組織融合を図るという、段階を踏んだ統合手順が採られた。この間、商品調達・販促・人事制度は分離したまま推移し、統合の経済効果が外部から見えにくい状態が続いた。2009年2月期にはリーマンショックの影響で百貨店事業の営業利益が縮み、市場全体の縮小傾向と重なって規模の利益を引き出せない時期が長引き、統合効果を早期に対外的な形で示すのは難しかった。現場融合の優先が、統合効果の発現を結果として遅らせた。
2010年3月、大丸と松坂屋の百貨店事業は「株式会社大丸松坂屋百貨店」として1社に集約され、統合発表から3年を経て実質的な事業統合が完了した。商品調達・人事制度・店舗運営の一体化が固定費削減の余地を広げた半面、2010年の段階で国内百貨店市場の縮小はすでに加速局面に入り、内部効率化の積み上げだけでは補えない構造的な問題がグループ経営の前面に出てきた。統合完了の時期と市場環境の悪化がほぼ同時に重なり、グループは縮小する既存市場のなかで収益源の多角化を含む新たな成長戦略を模索する必要に迫られた。後年、奥田氏は大丸社長就任後の9年連続増益を後に幼稚園レベルの改革と振り返り、人件費と宣伝費を温存した高コスト構造への切り込み不足を自ら認めている。 [5][6]
- 有価証券報告書
- [5]2010年3月に大丸と松坂屋の百貨店事業を「株式会社大丸松坂屋百貨店」として1社に集約した
- 日経ビジネス 2010年2月22日号
- [6]奥田務は大丸社長就任後に9年連続増益を達成した
- 有価証券報告書
- [5]2010年3月に大丸と松坂屋の百貨店事業を「株式会社大丸松坂屋百貨店」として1社に集約した
- 日経ビジネス 2010年2月22日号
- [6]奥田務は大丸社長就任後に9年連続増益を達成した
パルコ取り込みへの転換 ── 縮小市場で選ばれた新しい軸
大丸松坂屋百貨店の発足後も、国内百貨店市場の構造的な縮小は止まらなかった。少子高齢化と消費者行動のオンラインシフトが重なり、グループ連結売上高はJGAAP基準で2012年2月期に9,414億円まで落ち込んだ。2013年4月には食品スーパーのピーコックストアを譲渡し、同年8月には今治大丸を清算、2014年8月には中国現地法人を清算するなど、収益性の低い事業や不採算拠点の絞り込みが相次いで実行された。事業ポートフォリオの整理が、2010年代前半のグループ経営を貫く柱となった。既存事業の選別と縮小を通じて、グループは経営資源を成長分野へ集中させる下地を整えた。百貨店売上の減少に手当てするだけでなく、その外側に新たな収益源を探すという経営方針が、ここで具体的な形をとった。 [7][8][9][10]
- 有価証券報告書
- [7]グループ連結売上高はJGAAP基準で2012年2月期に9,414億円まで落ち込んだ
- [8]2013年4月に食品スーパーのピーコックストアを譲渡した
- [9]今治大丸を清算した
- [10]2014年8月に中国現地法人を清算した
不採算事業の整理と並行して、Jフロントリテイリングが百貨店以外の新しい収益源として目をつけたのが、若年層向けの都市型商業施設を展開するパルコだった。2012年3月にパルコ株を取得して持分法適用関連会社とし、同年8月に追加取得して連結子会社化、出資比率を65%まで引き上げた。定期賃貸借(定借)方式によるショッピングセンター運営のノウハウをグループ内部に取り込む動きが本格化した。FY12(2013年2月期)のセグメント別業績ではパルコ事業が売上1,377億円・利益59億円を記録し、縮小が続く百貨店事業に対する収益補完の役割を担い始めた。百貨店一本の依存構造から脱却する多角化戦略が、具体的な数字として姿を現した。 [11][12][13]
- 有価証券報告書
- [11]2012年3月にパルコ株を取得して持分法適用関連会社とした
- [12]2012年8月にパルコ株を追加取得して連結子会社化し、出資比率を65%まで引き上げた
- [13]パルコ事業はFY12(2013年2月期)に売上1,377億円を記録した
- 有価証券報告書
- [7]グループ連結売上高はJGAAP基準で2012年2月期に9,414億円まで落ち込んだ
- [8]2013年4月に食品スーパーのピーコックストアを譲渡した
- [9]今治大丸を清算した
- [10]2014年8月に中国現地法人を清算した
- [11]2012年3月にパルコ株を取得して持分法適用関連会社とした
- [12]2012年8月にパルコ株を追加取得して連結子会社化し、出資比率を65%まで引き上げた
- [13]パルコ事業はFY12(2013年2月期)に売上1,377億円を記録した