ビックカメラの創業者は新井隆二氏である。幼少期から写真に興味があり、1968年に高崎市内で現像所を開設した。創業から10年間は「街のカメラ店」を運営しており、量販店ではなかった。
なお、新井氏の実家は薬局を経営しており、実業に関する知識を豊富に持っていたと推察される。
詳細は内訳は不明だが、高崎の現像所の運営だけで、1978年に年商4億円を達成。事業として軌道に乗ったと推察される。
ビックカメラはカメラ関連商品の専門店としてスタートしました。写真を始めたきっかけは、5歳の時に亡くなった母の当時の写真を大きく引き伸ばそうと、写真屋に持って行きましたら、「ネガがなければ引き伸ばせない」と断られたことです。そのような体験から自分で写真を引き伸ばすことができないかと研究するようになったのです。
そして次第に写真に興味がわいて、昭和43年、高崎にDPセンターを設立し、昭和47年にはDPセンターの販売部門を独立させ、株式会社ビックカメラを設立しました。さらに昭和53年には社名をビックカメラと変更したのと同時に、東京池袋に進出し、首都圏での展開が始まりました。(略)
ビックカメラという社名はBIGではなくBICです。これは、ただ大きいだけではなく、深みのある大きな企業を目指したいという願いを込めて命名したものです。
都心部駅前で量販店を経営するモデルを首都圏で展開。池袋に続き、渋谷など都心部に進出し、売上を拡大
積極出店にあたって、賃料としての保証金などに投資した。銀行からの積極的な借入によって賄った結果、上場前の2004年8月期の連結決算で「自己資本比率6.2%」に低迷し、財務リスクを許容した出店投資を継続した。
創業者の新井隆二氏に代わって、生え抜き社員である宮嶋宏幸氏がビックカメラの社長に就任(2020年退任)。社長就任前の宮嶋氏は池袋東店や池袋本店の店長を歴任した。
有利子負債に偏ったBSを改善するため、株式上場による資本調達を決定。創業者の新井氏の保有比率が希薄化し、パブリックカンパニーに変化
都心部への出店余地がなくなり地方都市に展開
国内における出店余地が消滅し、同業家電量販店の買収を開始
ビックカメラの上場による公募増資に際して、同社が会計に関する虚偽記載を行なった疑いで、ビックカメラは監理銘柄に指定されて上場廃止の危機に陥る。一連の責任をとり、創業者・新井隆二はビックカメラの会長を退任した。