結果

片倉工業の長期業績

1950年〜2023年
売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
399億円
売上高:2023/12
売上高_当期純利益率
○単体 | ○連結
7.5%
利益率:2023/12
CF

キャッシュフローの長期推移

連結優先
営業CF
単位:億円
投資CF
単位:億円
財務CF
単位:億円
PL

売上高の長期推移

売上高・売上収益ベース(連結優先)| 単位:億円
セグメント売上高
2024/3 | 連結
不動産
工場跡地でSC運営
104億円
医薬品
-
101億円
機械関連
消防車の製造販売
51億円
繊維
肌着生産
70億円
その他
-
14億円
PL

税引後利益の長期推移

税引後利益・当期純利益・当期利益ベース(連結優先)| 単位:億円
セグメント利益
2024/3 | 連結
不動産
コクーンシティが収益源
39億円
医薬品
構造改革を遂行中
-19億円
機械関連
-
-2億円
繊維
-
4億円
その他
-
1億円
調整額
-
-9億円
1920
3月

片倉製糸紡績株式会社を設立

初代片倉兼太郎氏により創業

明治6年に片倉兼太郎氏(当時24歳)は、諏訪川岸村(長野県)において「10人繰りの座繰製糸」の事業を開始。片倉組(現・片倉工業)を創業した。

前年(明治5年)に明治政府が群馬県に官営の富岡製糸所を新設し、洋式機械を導入して生産を合理化し、生糸を輸出産業として育成することを意図していた。このため、片倉兼太郎氏も生糸の産業化に、民間として携わることになった。

製糸所を全国に新設・生糸の量産を実現

片倉組は、近代的な製糸所を養蚕の産地に新設することで量産に着手。明治23年には松本市内に製糸所を新設し、生糸生産の近代化を志向した。なお、明治時代の信州地区では、桑の葉の生産に適した土地であっため養蚕が盛んとなり、これらの蚕を農家から集荷して生糸を生産する「製糸所」が発展する素地となった。

明治時代を通じて片倉組は「大宮・郡山・高畠・一宮・姫路・上井・鳥栖・大分」など、全国各地に製糸所を新設することで、製糸メーカーとして業容を拡大。大正時代には全国に製糸所29箇所を運営しており、大手製糸メーカーへと発展した。

販売面においては、輸出が中心であった。生糸は高級品であったため、国内消費量は少なく、主に米国などの海外に輸出された。これらの生糸は主に「婦人用靴下」の原料として利用された。

片倉製糸紡績株式会社の設立・世界のシルク王として認知

企業規模の拡大を受けて、組織を近代化するために1920年に株式会社として片倉製糸紡績(現・片倉工業)を設立した。会社発足時点で片倉製糸は製糸業界における有力企業であり、戦前の日本国内では「グンゼ」と「片倉製糸」の2社が大手製糸会社として認知された。

会社発足後の片倉製糸は、国内各地に点在していた中小規模の製糸メーカーを買収することで生産量を拡大した。集約過程で買収した1社が旧官営富岡製糸所(現在は世界遺産に指定)であった。

戦前の1932年時点における片倉製糸は、従業員数3.8万名、製糸所62箇所を要しており、大企業として発展した。このため、当時の片倉製糸は「片倉王国」と呼ばれ、創業家である片倉家は「製糸王」「世界のシルク王」と形容された。

1873年
初代片倉兼太郎が座繰製糸を開始(創業)
1920年
3月
片倉製糸紡績株式会社を設立
1932年
業容を拡大して「片倉王国」として認知
従業員数 3.8 万名
出所
参考文献
産業フロンティア物語 第12 (生糸 片倉工業), 1966年
1932年
大宮に絹化学工場を新設
1932年
大宮に絹化学工場を新設
1946年
11月
大宮製作所を発足
1954年
自動車部品の生産開始
1939年9月
旧官営富岡製糸場を合併
1872年
旧官営富岡製糸場が発足
1939年
9月
旧官営富岡製糸場(株式会社富岡製糸所)を合併
1987年
富岡製糸所の操業休止
1943年11月
商号を片倉工業株式会社に変更
1943年10月
東亜栄養化学を設立

医薬品事業の母体となる子会社として東亜栄養化学(現トーアエイヨー)を設立

1949年5月
東京証券取引所に株式上場
1954年
2期連続の赤字転落

1950年代前半に合成繊維(ナイロン)が普及し、高価な天然繊維である生糸の需要が減少。従来の生糸の主な用途は婦人用靴下であったが、安価なナイロンに代替された。日本国内では東レがナイロンの量産を本格化しており、急成長を遂げていた。

一方。需要を喪失したことで、片倉工業は販売不振に陥った。1954年度および1955年度にかけて、片倉工業は2期連続の赤字(無配)に転落し、名門企業の凋落として注目された。

証言
証券調査(7)

当社は製糸業界のトップメーカーで製糸業が輸出産業の花形だった時代には「カタクラ・シルク」の名声を内外にとどろかせた。しかし戦後、生糸は合繊に浸食され特に婦人靴下がナイロンに押されて斜陽化したことから、往年の面影も薄れ、生糸部門の大幅合理化と、一連の多角化政策を推し進めざるを得なかった。

すなわち、1954年無敗に転落以後、生糸工場の集約化・合理化を進める反面、生糸部門の不安定さをカバーするため新規事業にも積極的に進出した。

決算
片倉工業の業績
1954年12月期(単体)
売上高
121
億円
当期純利益
-2.8
億円
1958年
国内工場の段階的休止

片倉工業は生糸の販売不振を受けて、生産の合理化を実施。全国に点在する不採算工場の閉鎖・集約を本格化した。これらの集約撤退は、1990年代に熊谷工場を閉鎖して生糸生産から撤退するまで、約40年間にわたって段階的に実施された。

1958年
国内4工場を休止(小城・福岡・宇佐・関)
1960年
国内2工場を休止(高田・両羽)
1965年
松本工場(製糸)の休止
決算
片倉工業の業績
1958年12月期(単体)
売上高
88
億円
当期純利益
-0.7
億円
出所
参考文献
産業フロンティア物語 第12 (生糸 片倉工業), 1966年
1960年7月
メリヤス肌着の製造開始

生糸の販売不信を克服するため、肌着への参入を決定。まずは、婦人用靴下の製造に参入するため、1954年に子会社として片倉ハドソン靴下を設立。1960年にはメリヤス肌着事業を展開し、婦人服の領域に本格投資した。

1954年
5月
片倉ハドソン靴下を設立
1960年
7月
メリヤス肌着事業を開始(韮崎工場)
1970年
白石工場を製糸から肌着に転換
2002年
7月
韮崎工場・白石工場を休止
1968年
1月
片倉ハドソンを吸収合併
決算
片倉工業の業績
1960年12月期(単体)
売上高
88
億円
当期純利益
2.4
億円
1969年12月
無配転落

生糸部門における合理化の遅れと、新規事業として推進した合繊繊維(ビニロン)の事業化失敗により業績が悪化。1969年12月に無配に転落した。

決算
片倉工業の業績
1969年12月期(単体)
売上高
284
億円
当期純利益
-2.5
億円
1972年
香港系の投資家が株を買い占め

片倉工業は本業の繊維業が不振でありつつも、埼玉県の大宮など一等地に工場を保有していた。このため、保有資産(工場用地を中心に33万坪を保有)に対して株価が割安と判断した投資家が片倉工業の株式の買い占めを実施。香港系の投資家が片倉工業の株式を10%前後保有したことで、話題を呼んだ。

決算
片倉工業の業績
1972年12月期(単体)
売上高
289
億円
当期純利益
2
億円
出所
参考文献
月刊経済 27(8)(348), 1980/8
1973年3月
取手ショッピングプラザを新設
1973年
3月
取手ショッピングプラザを新設
2007年
取手ショッピングプラザを休止
1981年3月
松本カタクラモールを新設
1983年4月
大宮カタクラパーク(コクーンシティ)を新設
1988年3月
蚕糸事業から段階的撤退・国内工場を閉鎖
1992年
蚕糸事業を熊谷工場に集約(他の国内拠点を閉鎖)
1992年
熊谷工場で生糸生産を中止
1994年
熊谷工場を休止・蚕糸事業から撤退
2000年
11月
熊谷片倉フィラチャーを新設
1991年1月
複数の国内工場跡地にSCを新設
1991年
1月
加須カタクラパークを新設
1994年
5月
松江片倉フィラチャーを新設
1995年
9月
いわき片倉フィラチャーを新設
1996年
11月
熊本ショッピングセンターを新設
1999年
10月
宮ノ城片倉フィラチャーを新設
2000年
11月
熊谷片倉フィラチャーを新設
2004年
10月
白石片倉ショッピングセンターを新設
2006年
9月
沼津カタクラパークを新設
2002年7月
韮崎工場・白石工場を休止

肌着事業の国内生産を縮小するため、韮崎工場および白石工場を休止

決算
片倉工業の業績
2002年12月期(連結)
売上高
538
億円
当期純利益
12
億円
従業員数
1566
営業CF
36
億円
投資CF
-16
億円
財務CF
-3
億円
2004年9月
カタクラ新都心モールを新設(現コクーンシティ)

大宮の工場跡地(社有地12.6万m2)をショッピングセンターとして再開発を実施。2004年に「カタクラ新都心モール(現コクーンシティ)」として開業した。コクーンの名称の由来は「繭」であり、生糸に関連する命名を行っている。

立地がJRさいたま新都心駅(2000年開業・高崎線・宇都宮線・京浜東北線が停車)に近く、集客力を持つ商業施設として注目を浴された。以後、コクーンシティは片倉工業における不動産事業(賃貸収入)に貢献する事業となった。

2004年
9月
コクーン1を新設(カタクラ新都心ショッピングモール)
2015年
4月
コクーン2を新設(コクーンシティにブランド変更)
2015年
7月
コクーン3を新設
決算
片倉工業の業績
2004年12月期(連結)
売上高
490
億円
当期純利益
9
億円
従業員数
1470
営業CF
68
億円
投資CF
-61
億円
財務CF
28
億円
2005年9月
旧富岡工場を群馬県富岡市に寄付(現・世界遺産)
2013年3月
東京スクエアガーデンを竣工(旧本社跡地)
2011年
10月
旧片倉工業の本社ビルの再開発を決定(東京銀座)
2011年
10月
本社を東京都中央区明石町に移転
2013年
3月
東京スクエアガーデンを竣工(片倉工業の本社ビル跡地)
2014年9月
新規事業の展開(ほぼ撤退済)
2014年
9月
デイサービス事業を開始(2018年撤退)
2014年
10月
化粧品事業を開始(2018年撤退)
2015年
9月
植物工場の操業開始(2020年撤退)
2015年
11月
介護福祉機器事業を開始(2019年撤退)
2020年1月
希望退職者の募集

介護事業などの不採算事業の整理を決定。2020年1月に希望退職者100名を募集

決算
片倉工業の業績
2020年12月期(連結)
売上高
396
億円
当期純利益
28
億円
従業員数
1069
営業CF
65
億円
投資CF
21
億円
財務CF
-41
億円
2021年10月
福島ショッピングセンターを新設
2023年12月
医薬品事業で構造改革

東京研究所(埼玉県)の閉鎖を決定するとともに、工場の新棟建設計画を中止。医薬品事業の子会社トーアエイヨーでは希望退職者の募集を決定し、2023年に61名が応募した。

決算
片倉工業の業績
2023年12月期(連結)
売上高
399
億円
当期純利益
30
億円
従業員数
1040
営業CF
35
億円
投資CF
6
億円
財務CF
-40
億円
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