明治時代までの国内たばこ業界は民間企業によって成り立っていた。特にマーケティングに長けた「村井兄弟社」と「岩谷商会」の2社による大手民間企業が市場を席巻していた。だが、日本政府は日露戦争の財源として「たばこ」に着眼し、1905年に煙草専売法を制定して「煙草専売局」を設置。これを受けて、民間企業の時代は終焉して、日本政府の財源として管理される形となった。
1945年に第二次世界大戦が終結すると、国営状態となっていた「たばこ工場」でストライキが頻発。GHQはストライキを鎮静化して政府による支配を強める方針を決定し、1949年に日本専売公社を設立。これにより「たばこ・塩・樟脳」の製造販売を独占する事業体となった。
たばこの原材料である「葉タバコ」は日本各地で栽培されており、農家は専売公社に対して葉たばこを「全量納入」する形となった。需給状況にかかわらず、買取価格は一律で決定されたため、農家としては収入最大化のために政治家を通じて、買取価格を交渉する形をとった。この結果、専売公社は、原料調達にあたって、自民党の「たばこ族議員」からの政治圧力に直面した。
したがって、専売後者の実態としては農家から葉タバコを高額で買取して、たばこの販売によって税収を確保する事業であり「農家と国税」の収入源として機能した。最も重要なステイクスホルダーは顧客ではなく、「自民党(たばこ族議員)」「大蔵省」「国税」の三者であり、政治からの意向を受ける事業体であった。
日本専売公社は公社制度のもと、多くの制約に直面しました。例えば、公社の事業予算や投資計画は、単年度毎に国会の議決を要することから、長期的視野に立った事業運営を困難なものにさせました。また、経常的に大幅な生産過多の状態であった国内産葉たばこを、外国産葉たばこより相当高い価格ですべて買い取らなければなりませんでした。さらに、日本専売公社は他の事業への新規参入も制限されていました。
専売公社では国内の葉たばこ産地に隣接する形で、数十箇所の工場が存在していた。ただし、小規模かつ老朽化が進行しており、たばこ生産における効率が低下していた。そこで、1970年代後半から国内工場の再編を実施。1986年までに国内4工場を新設する一方、8工場を閉鎖し、生産性の改善を図った。
ただし、地方における雇用確保の拠点であることや、政治色が強いこともあって国内工場の閉鎖は難航し、再編が大方完了したのは2010年代であった。このため、JTとしては1970年から約50年以上の年月をかけて国内工場の統廃合を進める形となり、経営上のボトルネックとなった。
1980年代前半まで、海外のたばこ企業は「資本自由化の対象外」とされて日本に進出できない状況が続き、貿易摩擦の問題に発展。そこで、1982年に日本政府は「臨時行政調査会」を通じて専売公社の民営化を提言。自動車や半導体の日米貿易摩擦が深刻化する中で、規制緩和による懐柔の一手として「外国産たばこの進出容認」と「専売公社の民営化」が具現化した。
1985年に専売公社を解散して、株式会社として「日本たばこ産業株式会社(JT)」を設立。ただし発足当初は日本政府(大蔵大臣)が株式を保有し、2013年までの4回にわたって大規模な株式売却により、国営から民間による支配に移行した。
JTでは民営化とともに新規事業の展開を検討。外資企業の参入によって競争激化が予想される「たばこ」に限らない事業展開を志向するために、1985年に「事業開発本部」を設置した。社内検討を経て、医薬品と食品への参入を推し進め、1990年代を通じてこれらを多角事業として展開するに至った。
日本政府(大蔵大臣)による株式保有を希薄化させるために、株式上場及び政府保有株式の売却を実施
清涼飲料に参入するために、ユニマットコーポレーションと提携へ
1990年代を通じて海外のタバコ業界では業界再編が進行。1999年1月にBATとロマンズが合併したことで、業界は「フィリップモリス」と「BAT」による2強体制となり、その他の有力メーカーの動向が焦点となった。このうち、食品事業とたばこ事業を展開するコングロマリット「RJRナビスコ」は、たばこ事業の一部売却(米国以外のたばこ事業の売却)を表明した。RJRナビスコは競争激化によりタバコ事業の収益性が悪化しており、ポートフォリオの入れ替えを決定した。
1999年5月にJTはRJRナビスコの米国以外のたばこ事業の買収を決定。買収価格は72億ドル(9114億円)であり、JTとしては巨額買収となった。JTは1992年にManchesterを10億円で買収し、PMIの経験を蓄積しつつ小規模に海外展開をしていたが、業界大手であるRJRナビスコのたばこ事業の買収によって一気に規模拡大を目論んだ。買収後の2000年度の時点で、JTは世界シェア3位を確保した。
JTの狙いは、縮小する国内たばこ市場からの脱却にあった。日本国内では寡占状態であったものの、人口減少による需要減少が迫っており、市場の伸びが期待できない状態であった。そこで、たばこ事業で業容を拡大するためにグローバル展開を志向。このうち、人口の増大が見込める新興国を中心に展開する方針を決め、RJRナビスコのたばこ事業の買収に踏み切った。
1998年の時点で日本企業が「78億ドル(約7800億円)」を投じて海外企業を買収する事例は少なく、グローバルな巨額買収として注目を集めた。このため、一部のメディアなどでは「巨額買収で先行きが怪しい」といった論調を展開した。
外野からの批判の一方で、JTは巨額買収を通じて、グローバル展開を加速させるとともに、海外業績がキャッシュフローが業績貢献する構造を確立。RJRナビスコのたばこ事業の買収は功を奏し、2000年代以降も買収を通じたグローバル展開を加速させることにつながった。
世界的に見れば、成年人口は増え続けています。先進国の需要は頭打ちですが、これから所得水準が上がる途上国では逆に需要が伸びます。だから国際的に見れば、たばこ事業は成長の余地が大きい。たばこ事業を中核としていく限り、国際化は避けて通れません
縮小する国内たばこ需要に対応するため、生産性の低い国内工場の閉鎖を継続
縮小する国内たばこ需要に対応するため、生産性の低い国内工場の閉鎖を継続
日本市場は利益の4割超を稼ぐ最も重要なマーケットだが、年3%ずつ縮小するという経営リスクが見える。工場閉鎖は経営者として最も苦しい決断で誰もやりたくないが、何の手も打たなければ不作為の罪で経営者失格だ」「やってはいけないのは会社が赤字になり、キャッシュがない時にリストラをすることだ。希望退職を募るにしても、社員の第二の人生へのサポートが手薄になる。社員に誠意を持って対応できる最高益の今こそ、リストラをやるべきだ
JTの飲料事業は、2015年時点で売上高500億円規模であり業界10位と低迷した。飲料業界では過当競争が進行しており、2013年時点でJTの飲料事業で営業赤字13億円を計上するなど、採算が取れない状況に陥っていた。このため、1988年に参入した飲料事業は約30年で行き詰まった。
2015年にJTは飲料事業からの撤退を決定。JTの飲料事業は「桃の天然水」といった強いブランドを保持していたこともあり、同業である「サントリー食品インターナショナル」に対して、約1500億円で事業売却を決定した。
飲料業界全体が成熟し、事業規模が優劣を決する構造にある。規模の追求のために積極的な販促活動や新商品導入が必要となり、体力勝負の様相を呈している。今後、飲料の製造販売事業がJTグループの中長期的な成長に貢献していくことは困難と判断し、撤退を決定した