JTの歴史
1949年〜日本専売公社の設立とホープの発売
- 専売事業審議会が秋山孝之輔氏を初代総裁に推薦[4]
- 日本政府により日本専売公社を設立[5]
- 完全自由販売への復帰と同時にたばこを大幅値下げ[6]
- ピース値上げを契機に新生が流行[7]
- バールを発売[7]
- ピースを45円から40円へ値下げ[7]
- 業平工場に独ハウニ式フィルター紙巻機を設置し製造に着手[8]
- ホープ(10)を発売
- チャコールフィルター付きの「セブンスター」を発売[9]
- 「マイルドセブン」を発売[9]
- たばこ工場の集約再編を開始
- 「マイルドセブン」を海外で発売[9]
- 専売公社の民営化を検討開始
- 売上高
筆者所見
日本専売公社は、企業の体裁をとった財政の装置として生まれた。公社法はTVAに範をとりながら、財政収入の確保を第一とし、専売制度の継続を前提としていた[1]。葉たばこの買入価格は審議会が決め、輸入葉の翌年度分は予算の単年度主義に縛られて先に手当てできなかった[2][3]。原料と投資の判断を自ら下せない組織に、国際競争への備えは育たない。輸入たばこの関税が引き下げられた1980年代初め、公社という組織形態そのものが改革の対象になった。
- [1]日本専売公社『十年の歩み』(日本専売公社、1959年)「第2章 日本専売公社の発足 第2節 日本専売公社設立準備の状況」
- [2]日経ビジネス 1976年4月26日号「BAT vs 日本専売公社 私企業、完全独占を凌駕」
- [3]日経ビジネス 1976年5月24日号「日本専売公社。民営移管が経営自主性獲得の道」
1985年〜日本たばこ産業の発足と鳥居薬品の買収
- 専売公社の株式会社化[13]
- 新規事業の展開に向け事業開発本部を設置[13]
- 福岡・鳥栖両工場を閉鎖し北九州工場を新設[13]
- 輸入紙巻たばこの関税を無税化[9]
- 飲料で食品事業に参入[14]
- JTのブランドを採用
- 本社を東京都港区から品川区に移転[13]
- 医薬総合研究所を設置[13]
- 水野勝氏が社長に就任[15][16]
- 東京証券取引所に株式上場[13]
- 京都・広島・福岡・新潟・札幌の各証券取引所に上場[13]
- 本社を東京都品川区から港区に移転[13]
- 政府保有株式の第二次売出し(272,390株)[13]
- 塩専売事業が終了[13]
- ユニマットコーポレーションと清涼飲料事業で業務提携[13]
- 鳥居薬品を公開買付で過半数取得[13]
- 売上高
- 当期純利益率
筆者所見
JTの民営化は、経営の自由を得た時点で独占の防壁を失う出発だった。日米協議の結果、1987年4月に輸入たばこの関税が20%から無税になり、販売シェアは1994年3月期に82.1%まで縮小した[10][11][12]。株式会社化が与えた裁量は、まず縮む国内市場の防衛に費やされた。並行して始めた医薬・食品は、利益に寄与する段階に達していない。国内で積み上がる資金と振り向け先の乏しさが、次の海外買収の伏線になった。
- [10]財政金融ジャーナル 1987年「公債依存を着実に圧縮し健全な財政への体質づくりを――日本たばこ産業株式会社社長・長岡實氏」
- [11]証券アナリストジャーナル 1993年5月号「日本たばこ産業」(鈴木達郎副社長)
- [12]証券 1994年 46巻12号「新規上場会社紹介 日本たばこ産業株式会社」
1999年〜RJRナビスコ海外たばこ事業の買収と国内8工場の閉鎖
- RJRナビスコ事業の買収[13]
- 旭化成の食品事業を買収[13]
- 鳥居薬品との業務提携で医薬の研究開発機能をJTに集中[13]
- 一般医薬品事業から撤退[19]
- JT PLAN-Vの工場閉鎖と希望退職
- アグリ事業から撤退[20]
- 広島・府中・松山・那覇工場を閉鎖[13]
- 政府保有株式の第三次売出し(289,334株)[13]
- 国内8工場を閉鎖(上田・函館・高崎・高松・徳島・臼杵・鹿児島・都城)[13]
- マールボロ国内ライセンス契約終了[13]
- Gallaher社取締役会がJTの買収提案を承認[21]
筆者所見
RJRナビスコ事業の買収と国内工場の閉鎖は、同じ資源配分の表と裏にあたる。2005年度には海外たばこ事業の販売数量が国内を上回り、国内の製造工場は2002年3月の25から10工場体制へ集約された[17][18]。外で規模を買い、内で固定費を圧縮する二つの判断は、縮む国内市場から成長する世界市場へ収益の主力を移す一つの計画として読める。JT PLAN-Vが5,800名弱の希望退職を伴ったことは、移行の代価を国内の従業員と産地が負担した事実を示す。
- [17]日本たばこ産業 アニュアルレポート2006「株主の皆様、お客様及び従業員の皆様へ」
- [18]日本たばこ産業 アニュアルレポート2005「株主の皆様、お客様及び従業員の皆様へ」
2007年〜Gallaher買収と加ト吉のTOB
- 英ギャラハーの買収
- 加ト吉をTOBにより買収[13]
- 加工食品事業・調味料事業を加ト吉グループに集約[9]
- 金沢工場を閉鎖[13]
- 葉たばこサプライヤーのTribac Leaf(英国)を買収[9]
- 加ト吉の社名をテーブルマークに変更[9]
- 盛岡・米子工場を閉鎖[13]
- 小田原工場を閉鎖[13]
- 米国プルーム社と提携[27]
- 防府工場を閉鎖[13]
- ベルギーのFine CutメーカーGryson NVを買収[9]
- 「マイルドセブン」を「メビウス」に刷新[13]
- 1600名を人員削減。不採算工場の閉鎖を継続
- 政府保有株式の第四次売出し(253,261,800株)[13]
- エルビテグラビルを含む「スタリビルド配合錠」を国内で販売開始[9]
- 電子たばこ会社Zandera社(英国)を買収[9]
筆者所見
東日本大震災は、JTの国内首位が製品の力以上に供給の連続性に立っていたことを露わにした。工場の被災で出荷を止めた2012年3月期に、シェアは前年度の64.1%から54.9%へ低下した[22]。MEVIUSへの改称を経て月次シェアが60%に回復したのは2013年2月である[23][24][25][26]。規模の大きさは、供給が途切れたときの損失も大きくする。Gallaherの買収で世界の規模を得たJTにとって、震災は生産拠点の相互補完を経営課題に加える契機になった。
- [22]日本たばこ産業 有報 第27期(2012年3月期)【事業の状況】
- [23]Japan Tobacco Inc. IR Key Q&A(2013年3月期 第3四半期決算)
- [24]日本たばこ産業 有報 第41期(2025年12月期)【沿革】
- [25]Japan Tobacco Inc. IR Key Q&A(2013年3月期決算・Business Plan 2013)
- [26]Japan Tobacco Inc. IR Key Q&A(2013年度 第1四半期決算)
2015年〜飲料撤退と医薬事業の塩野義製薬への譲渡
- ナチュラル・アメリカン・スピリット買収
- 郡山・浜松・岡山印刷工場を閉鎖[13]
- ジャパンビバレッジHD等の株式と「Roots」「桃の天然水」を譲渡[13]
- 米国の電子たばこ会社Logic社を買収[9]
- イランのたばこ会社Arian Tobacco Industriesを買収[9]
- 飲料事業から撤退(飲料事業部の廃止)
- 平塚工場を閉鎖[13]
- プルームで加熱式参入[30]
- JSC Donskoy Tabak(ロシア)を買収[9]
- Akij Group(バングラデシュ)のたばこ事業を買収[9]
- 「プルーム・テック・プラス」「プルーム・エス」を発売[9]
- 本社を移転[13]
- 「Ploom X」を発売[9]
- たばこ事業の本社機能をジュネーブに統合[13]
- 九州工場を閉鎖[13]
- Vector Group Ltd.を取得[13]
- 塩野義製薬と医薬事業の承継・鳥居薬品株式の譲渡で合意[13]
- 鳥居薬品株式を塩野義製薬に譲渡[9]
- 鳥居薬品を塩野義製薬へ譲渡[9]
- 寺畠正道氏が社長を退任[31]
- 筒井岳彦氏が社長就任
- JTIロシア事業の暫定管理
筆者所見
2015年以降のJTは、民営化後に広げた多角化を自ら整理し、経営資源をたばこへ集中させた。飲料事業から撤退し、2025年に医薬事業の塩野義製薬への承継を決めて、事業はたばこと加工食品の2セグメントになった[28][29]。医薬からの撤退は、たばこ会社が新薬を開発する制約を認めた判断である。プルームで後発となった加熱式への投資余力を確保するうえでも、多角化の整理は避けられなかった。筒井岳彦氏の社長就任は、その集中を海外たばこ事業の経験者に託した。
- [28]日本たばこ産業 ニュースリリース「飲料製品の製造販売事業からの撤退について」(2015年2月4日)
- [29]Japan Tobacco Inc. Integrated Report 2025「CEO message」(寺畠正道)