1958年に森村国夫氏(エバラ食品工業の創業者・当時39歳)は、荏原食品株式会社を横浜市にて設立した。森村国男氏は、兄弟が創業したキンケイ食品(フルーツソースやケチャップなどの調味料を製造)の大阪営業所の所長を経験しており、同じ業界での独立を試みた。
創業当時は、業務用ソース・業務用ケチャップの製造を行う中小企業であり、インスタントラーメン向けのスープ調味料も製造した。
ただし、ソースではブルドックソース、ケチャップではカゴメなどの大企業が存在しており、中小企業であったエバラ食品が生き残ることは困難を極めた。1968年度の時点のエバラ食品の売上高は1.5億円であり、横浜で食品工業を経営する中小企業に過ぎなかった。
1967年にエバラ食品工業(森村国夫氏・創業者)は「焼肉のたれ」を発売し、当時日本では普及していなかった肉向けの調味料に参入した。
エバラ食品としては、競争の激しい業務用のソース・ケチャップとった領域ではなく、まだ日本に普及していない「焼肉のたれ」に参入することによって、生き残ることを目論んだ。
なお、当時は日本国内でもスーパーと冷蔵庫が普及しつつあり、価格が安くなって手に入りやすい生肉を、家で焼いて食べる食習慣ができつつあった。
ただし、1962年に大手食品メーカーであるカゴメが焼肉のたれとして「カゴメバーベキューソース」を販売しており、エバラ食品は後発参入となった。
ラーメンスープに次いで「焼肉のたれ」が発売されたのは、高度経済成長期を迎えた1968(昭和43)年。人々の食生活が豊かになり、これまで魚中心だった食卓に、さまざまな肉料理が登場し始めた時代です。街中では焼肉店が次々と開店し、若者たちで賑わっていました。当社の 創業者である森村國夫が、そんな光景を見て「焼肉をなんとか家庭に持ち込めないものか」と思いついたことから、「焼肉のたれ」は誕生したのです。
焼肉のたれの開発にあたって、森村は東京・横浜を中心に数十件の焼肉店を試食して回ることから始めました。大衆に喜ばれる味 を求めて、高級店よりも庶民的で繁盛している店に足を運んだといいます。
1968年にエバラ食品は商号を「荏原食品」から「エバラ食品工業」に変更し、焼肉のたれのブランドである「エバラ」を社名と統一した。
また、家庭用向けに焼肉のたれを販売するために、営業網への投資を決定。拠点のあった関東地区から営業拠点を設置し、関東周辺から全国に営業拠点を増加させる方針を打ち出して、1980年代までに全国11ブロックに切り分けた。また、1ブロックに対して、1〜2社ほどの食品問屋と特約店契約することによって、特約店→二次問屋→小売店→消費者というルートで商品を供給した。
また、営業部隊はあえてスーパーでの販売拡大を重視せず、コアな消費者から支持を集めるために精肉店向けに販促活動を実施。精肉店における試食会を開催するなど、馴染みがなかった焼肉のたれを認知させるために時間を割いた。これらの営業は目立たないステルスなものを意図して「モグラ作戦」と命名され、大手企業に勘づかれないように努めたと推察される。
「最初は『肉がたくさん売れる』という触れ込みで精肉店チャネルを開拓していきました。台頭し始めていたスーパーからもすぐに引き合いが来ましたが、最初はCMも流さず、精肉店だけで売って、ファンづくりを優先したそうです」
「目立たないように精肉店で売り出した手法を、社内では『モグラ作戦』と呼んでいました。一方、販売エリアを限定して、徐々に広げていく戦法は通称『城攻め』。創業者の発明家魂と天才的マーケティングが『焼肉のたれ』を全国の食卓へ広げていったのです」
営業活動によって焼肉のたれの認知が徐々に高まったことを受けて、1970年にエバラ食品工業(森村国夫氏・創業者)は、テレビCMの放映によって「焼肉のたれ」の販売を拡大することを決断した。1970年度のエバラ食品工業は売上高4.5億円の中小企業であったが、テレビCMの放映という大型投資を決定した。投資額は未上場のため不明であるが、社運をかけた投資であったと推察される。
テレビCMの放映は、営業拠点でカバーできる関東圏からスタートして地域を限定しつつ、スポット広告によってリスクを抑えたものと推察される。テレビCMによって消費者からのニーズを高めることで、問屋から「焼肉のたれ」の注文を受けやすい構図にする狙いがあったと思われる。
1970年のエバラ食品工業は、売上高2.5億円、従業員数34名の中小企業であった。なお、メインバンクは横浜銀行妙蓮寺支店であり、同行からの融資によってテレビCMの広告費を調達したものと推察される。
焼肉のたれで先発していた競合会社のカゴメはケチャップへの投資を行なっていたこともあり、「焼肉のたれ」に特化して販売促進を行わなかった。このため、焼肉のたれにおいて広告宣伝で先発したエバラ食品が、市場における知名度を獲得した。
1973年度にエバラ食品は売上高23億円を達成して「焼肉のたれ=エバラ」という認知獲得に成功した。エバラ食品の急成長に驚愕した食品メーカー各社は、焼肉のたれの成長を期待して参入ないし投資を強化した。その数は100社に及んだという。1974年には桃屋が「焼肉のたれ」を発売して、エバラ食品と同じようにテレビCMの放映を開始して後発企業としてシェア2位(1979年時点)を確保するに至った。
この結果、1970年代前半には「第一次タレ戦争」と呼ばれる状況が産まれたが、関東で圧倒的な知名度を確保したエバラ食品が優位を確保し続けた。
1978年にエバラ食品工業は、焼肉のたれの新ブランド「黄金の味」を発売した。それまでの焼肉のたれは「しょうゆ」ベースの味であったが、黄金の味ではフルーツベースの味付けとし、従来の醤油ベースのたれと差別化した「高級なたれ」として発売した。これによって、手薄だった関西圏の攻略を意図した。
同時にテレビCMの全国放送によって売上を拡大することを目論んだところ、発売直後からヒットを記録。初年度に26億円という驚異的な売上高を達成した。
なお、1978年代の時点で、焼肉のたれには大手食品メーカーを含めて100社以上が参入していたが、広告宣伝で先発したエバラ食品が引き続き優位に立った。上位メーカーは、エバラ食品工業(シェア50%)、桃屋(シェア20%)、大昌食品(シェア14%)、カゴメ(シェア8%)などであり、熾烈な販売競争を極めたため、1979年には「第二次タレ戦争」として注目を集めた。
参入メーカーは地方のメーカーも入れると100社を超える数となっている。主要なメーカーだけでも、パイオニアでトップメーカーであるエバラ食品工業をはじめ、桃屋、日本ハム、大昌食品、カゴメ(中略)など30社に上っている。
現在のメーカー別シェアを見ると、エバラ食品工業が85億円前後と50%強のシェアを有しており、先発メーカーの強みを発揮している。続いて後発メーカーであるが、瓶詰め製品で圧倒的なシェアを持っている桃屋が20%、大昌食品が14%、カゴメ8%となっており、上位4社で90%以上のシェアを有している。(略)参入した抽象ローカルメーカーが多いものの、今後は大手食品メーカーの参入が相次ぎ、市場から駆逐されるものが、かなりの数にのぼると見られる。
黄金の味のヒットを受けて、エバラ食品工業は生産体制を充実させるために群馬工場を新設した。
これに対して、焼肉のたれの下位企業は、エバラ食品の投資攻勢に対抗できず、焼肉のたれからの撤退を決めた。かつてシェア2位の座にあった桃屋も、1980年代までに焼肉のたれからの撤退を決めたと言われている。
黄金の味のヒットによって、エバラ食品工業は業容を拡大した。1981年度にエバラ食品工業は、売上高171億円を突破し、1968年から約100倍の急成長を達成した。
焼肉のたれにおいて、全国で60%のシェアを確保し、本社のある関東・甲信越地区ではシェア80%を確保した。1980年代の時点において、「焼肉のたれ」といえばエバラというブランド認知を確立した。
1981年にエバラ食品工業は「焼肉のたれ」に次ぐ主力商品を育てるために「すき焼きのたれ」を発売した。
発売直後から東日本では受け入れられものの、西日本では醤油ベースの味が求められたため販売に苦戦したという。1987年に関西風にアレンジした「すき焼きのたれマイルド」を発売して、西日本での販売を拡大した。
2000年代を通じて、エバラ食品は売上高の低迷に直面した。主力の焼肉のたれでは、国内の人口が減少トレンドに転じたことで需要増加が難しくなった。また多角化などの展開も、競合の大手食品メーカーとの競争が待ち受けており、収益の確保が難しかった。
加えて、1996年にキッコーマンが焼肉のたれに参入し、2000年代を通じてシェアを拡大するなど、主力の焼肉のたれでも競争が激しくなった。
この結果、2000年代を通じてエバラ食品の売上高と利益率は低迷した。
エバラ食品工業を育て上げた森村国夫氏が逝去した。
2012年4月に宮崎遵氏がエバラ食品工業の代表取締役社長に就任。同時に中期経営計画を発表して、収益性を重視する経営方針を掲げた。具体的な方針として、新製品の開発や、顧客接点の増加による購入頻度の向上によって、収益性を改善することを目論んだ。
2017年にエバラ食品工業(宮崎社長)は、ロングセラーであった「黄金の味」のリニューアルを決断した。フルーツ系の焼肉のたれは、キッコーマンなどの競合との価格競争が激しくコモディティー化が進行していた。このため、エバラ食品はリニューアルによって収益の改善を目論んだ。
リニューアル直後の黄金の味は、旧製品の在庫消化が進まなかったこともあり、市場浸透が遅れて売上高を伸ばせなかった。一方、利益面では、新製品であることを訴求することで、スーパーなどの小売店からの値引き要求を退けて「適正な利潤の確保」を実現した。
この結果として、2017年度にエバラ食品工業は、販売管理費のうち「拡販費」に関して大幅な削減を実現した。FY2016の拡販費74億円に対して、FY2017年の拡販費は64億円であり、7億円を削減することで売上高営業利益率を1%改善した。
もちろん、業績は『黄金の味』と拡販費率のみによって作られるわけではありませんが、『黄金の味』リニューアルの効果は、ご覧のとおりグループ利益面で良い影響を出し始めていると感じております。
残る課題は、新しい価値と新しい価格の市場浸透に時間がかかり、トップラインが上がってこない。販売数量が戻りきっていないというところにあります。調べてみますと、スーパー様における、いわゆる価格訴求の日替わり特売のチラシが、リニューアル後は相当数減少しております。市場価格が是正されているなかで、一般のお客様、スーパーの皆様におきましても、刷新をした新価格に対する様子見の状況がまだ続いているのであろうかと思っております。
ただ、第3四半期から、価格訴求だけではなく、コト訴求を軸とした新価値訴求に切り替えても十分に販売成果がでるとの成功事例が増加してまいりました。その収益改善の成功事例が、問屋様・スーパー様で水平展開されつつあります。その一端ではあるものの、その効果が、第4四半期に顕在化し、業績に良い影響を与えております。中長期の収益改善の本丸は「黄金の味刷新」といままで申し上げておりましたがこの表にもある肉まわり調味料の売り上げの実績回復は、営業利益の回復に直結していくと感じております。