1913年に浦上靖介(うらかみ・せいすけ)氏は、大阪で薬や化学原料などを取り扱う問屋(以下、ハウス食品と表記)を開業した。問屋でのビジネスを通じて、当時は珍しかったカレーなどの食品・香辛料を取り扱っていた。
1926年に浦上靖介氏は稲田食品製造所を買収して、カレー粉・胡椒・七味などの香辛料の製造に参入した。当初のブランド名は「ホーム・カレー」であったが、サントリーから自社ブランドに抵触するとの指摘を受けてしまった。
1928年に「ハウス・カレー」にブランドを変更し、サントリーとのブランド混同問題を解消した。不思議なことに品質は従来と一緒だったのにも関わらず売れ始めたという。ただし、戦前の日本におけるカレー市場は少ない規模を、多数の会社で販売競争を繰り広げていた。特に、東京圏ではエスビー食品がカレーの老舗として支持されていた。
このため、戦前のハウス食品はカレーを取り扱いながらも、先発企業の後塵を拝していた。その後、第二次世界大戦の勃発によって東南アジアからカレーの材料となる香辛料が入手できなくなり、戦時中にハウス食品はカレーの製造から一時的に撤退した。
終戦直後の1947年に浦上靖介氏は、自社の商号を「ハウスカレー浦上商店」に変更し、カレーを本格展開する姿勢を鮮明にした。ただし、輸入規制が続いており、カレーの原材料は入手困難な状況が続いた。
1954年にハウス食品は東京営業所を新設して、販売網の形成に着手した。すでに大型問屋はエスビー食品が掌握していたため、ハウス食品は二次問屋を開拓する作戦を立てた。
また、二次問屋とハウス食品が手を組むことによって、小売店などの流通の末端における販売フォローを行いやすい体制を構築した。
1950年代を通じて国内のカレー市場でシェアを握ったのは、ハウス食品ではなく競合のエスビー食品であった。生産体制の面で、ハウス食品に比べてエスビー食品の立ち上がりが早く、結果としてシェアをエスビーが確保することになったという。
エスビー食品との競争における劣勢を挽回するために、ハウス食品は「固形ルウ」によるカレーの開発を急いだ。エスビー食品は本格派の純カレーを製造していたが、ハウス食品は家庭でも手軽に作れる固形ルウを採用し、1963年に「バーモンドカレー」を発売した。
さらに、ハウス食品は発売と同時に市場を一気に奪うために、テレビCMの展開を開始した。ハウス食品は大阪を拠点としており、西日本や北陸地方では問屋取引網が形成されていたが、関東方面は手薄だったため、テレビCMを通じて知名度を向上させて全国展開を目論む。
1971年までにハウス食品は固形ルウの「バーモンドカレー」や、インスタントカレーのヒットによって、国内トップのカレー企業に成長した。業容の拡大を受けて、1971年に東京証券取引所第2部に株式上場を果たした。
食生活の洋風化と簡便化の波に乗り、大いに顧客に受けて、その後順調に成長、発展を遂げる基盤を固めるに至った。現在、インスタント・カレー部門の需要は大体、年230億円前後で、そのうち47〜48%ぐらいのシェアを当社が持っている。このところ50%ぐらいのシェアを目標に努力しているが、まだ実現していない。しかしこのように業界のトップに立てるようになったのも、元はと言えばエスビー食品の純カレー業界での地盤が極めて強固だったために、当社がそれと異なったインスタントカレーの分野にいち早く方向転換したからであって、それがこの分野における現在のシェアを固める直接の大きな原因となった。
創業家の浦上社長が航空機の墜落事故で急逝したことを受けて、大塚氏がハウス食品の社長に就任した。以降、大塚氏はハウス食品の社長を歴任しており、1998年に取締役会長に就任し、2000年に同役職を退くまでハウス食品の経営に従事した。
1988年にハウス食品は組織改革を実施し、プロダクトマネージャーによる製品開発の体制を刷新した。従来は売上高を重視していたが、改革後は収益性を重視する方針に転換した。
以前はトップダウンで即断即決していましたが、88年に新製品を出すルールだけでなく組織体制も変えました。従来はプロダクトマネージャーという社長直属の部隊が、製品の開発から販売まで一貫して責任を負い、発売も中止も決定していました。ただ、どうしても目先の販売促進に力が偏って、新しい独自な商品が出て来なくなった。そこで、営業本部内に新たにマーケティングマネージャーというのを設けて、新製品の育成や販促を任せる一方。プロダクトマネージャーには一歩先をにらんだ開発に専念してもらうことにしたのです。
そして同時に新製品候補を選別する体制も二重構造に変えました。まず、新製品開発委員会というのが、味、包装、価格から始まって時流にあったものかどうかなど、あらゆる点からお客様に受け入れられるか、満足していただけるかを検討する。一方、役員レベルで新製品検討会を開いて、今度はビジネスとして投資、コスト、どういう形で採算をとっていくかなど企業サイドから検討をする。それまでは売れるかどうかだけを判断基準に、時には売り上げを伸ばすために他社の類似商品を発売したこともありましたが、厳しく両面から検討するように変えました。
1990年に大塚社長はシェアを確保できない製品について撤退することを表明し、従来の多角化路線からの決別を鮮明にした。また、製品数を削減する方針を打ち出し、売上高の増大ではなく収益性の改善に舵を切った。大塚社長は日本国内の人口が低迷することを悲観して、今後は競争が激化することを予想して、製品の絞り込みを決断した。
事業撤退としては、1980年に参入した冷凍食品(チルド食品)からの全面撤退を決めた。1980年代を通じて冷凍食品の市場は急拡大したものの、冷凍食品向けの物流倉庫を持つニチレイがシェアを確保したため、物流効率の悪いハウス食品は冷凍食品でシェアを握れていなかった。このため、ハウス食品は冷凍食品からの撤退を決めた。
2004年にハウス食品は健康食品「ウコンの力」を発売し、テレビCMによる大規模な広告宣伝を実施した。この結果、ロングセラーとなり、売上高100億円を超える事業に育った。
2005年にハウス食品はミネラルウォータ事業「六甲のおいしい水」に80億円の設備投資を実施した。ハウス食品はミネラルウォータの市場が拡大することを予想し、採水地である兵庫県神戸市にて六甲工場に新工場を新設。物流費用などを削減することで、コスト競争力を高めることを狙った。
2005年3月期のミネラルウォータ事業の売上高は122億円であり、新工場稼働後は増収を目指した。
2010年5月にハウス食品はミネラルウォーター事業(六甲のおいしい水)をアサヒ飲料に53億円で売却した。2009年時点のミネラルウォータ事業の売上高は121億円と工場建設直後と同じ水準までに低迷しており、収益性が低いことから六甲工場を含めて売却を決めた。
ハウス食品としては、飲料分野では「ウコンの力」などの付加価値の高い領域に集中投資する方針を鮮明にした。
「選択と集中」は、第1次中期計画からの懸案事項でしたが、その観点から水事業の売却を決断しました。第1次中期計画以降、種々の取組の中で、スナックやラーメン等、大きく収益を改善してきましたが、第3次中期計画のテーマは「将来の種蒔き」であり、事業の売却・撤退についてはこれ以上考えておりません。一方、新規事業については、3 年間のキャッシュ・フロー300億円を事業投資に振り向けていく方針に基づいて、可能性を検討・追求していますが、現時点で具体的にお話しできることはありません。
2015年にハウス食品は、カレーハウスcoCo壱番屋の株式51.02%を301億円で買収して外食チェーンに本格参入した。買収直前の2015年3月期の壱番屋は、売上高440億円・経常利益47億円の高収益企業であった。
壱番屋とハウス食品は長年取引関係にあり、壱番屋の創業者(宗次徳二氏)が事業継承のためにハウス食品に売却する道を選択した。ハウス食品としては、CoCo壱番屋の国内事業を継続しつつ、海外展開に投資することによって売り上げを拡大することを目論んだ。
財務的な観点におけるハウス食品の狙いとしては、キャッシュアウトによる自己資本比率の是正を目論んだと推察される。自己資本比率が76.9%と非常に高い割に、大型投資を必要としない食品メーカーであり、資産効率が悪いとして投資家から買収提案される可能性も考えられた。
このため、あえてキャッシュアウトを伴う巨額買収という選択肢を取った可能性もある。だからこそ、買収直後にアイデアレベルの戦略しか公表できなかったかのかもしれない。
Q. 壱番屋を連結子会社化することで具体的にどのような取組が今後実現できるのか。調達・生産に関するシナジーやコストダウンメリットを含めて教えていただきたい。
A. 今後、壱番屋と具体的な取組を議論していく段階であるので、あまり勝手なことを言うことは出来ないが、海外については、お互いの特性を活かした展開が可能だと考えている。調達面では、連結子会社化によって主力のカレー、スパイスの調達量が増えるとは考えておらず、それ以外の素材の可能性について議論していきたい。
A. 例えば、当社が新規事業の一つとして取り組む付加価値型の素材である「涙の出ないタマネギ」などは、壱番屋、および壱番屋のお客さまにとってメリットがあるということであれば、店舗で使用いただく可能性はあると思っている。生産面では、我々も品質・技術面で協力した壱番屋のレトルト生産設備が前期立ち上がっている。これらををもっと有効利用していくための議論を進めていく。また品質面のレベルアップを通じて、壱番屋のブランドを更に高めていきたいと考えている。
A. いずれもアイデアレベルの話であり、現時点で明確にご説明することは難しいが、今後検討し取り組んでいく。
2018年にハウス食品(浦上博史・社長)は、第6次中期経営計画を発表した。FY2019〜FY2020までの3カ年の計画で、最終年度のFY2020において売上高3100億円、営業利益220億円を掲げ、FY2017の実績である売上高2919億円・営業利益163億円を超える目標を据えた。
ハウス食品は中期経営計画において、特に海外事業の拡大に注力し、米国の豆腐事業、中国のカレー事業、タイの機能性飲料事業、各国における壱番屋(外食)に投資をすることで、海外売上比率20%・海外売上高営業利益率30%という高い目標を据えた。すでに、日本国内では食品の需要が飽和しており、海外で成長をする算段であった。
しかし、第6次中期経営計画の最終年度(FY2020)において、ハウス食品は売上高2837億円・営業利益194億円を計上し、計画は未達に終わった。海外売上比率は15.8%にとどまり、全社業績を牽引するに至らなかった。加えて、純利益ベースでは壱番屋の買収時に生じた無形資産について91億円、ヒマドリフーズの持分法による投資損失で14億円計上するなど、かえって業績が悪化した。