ハウス食品グループ本社 の歴史

創業

1913年

創業者

浦上靖介

創業地

大阪府大阪市

直近売上高(2026/3)

3,170億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1926年に大阪の薬種問屋がカレー粉の自社製造へ参入したのか
A 香辛料を扱う薬種問屋という出自が、製造業への投資を成り立たせたからである。1913年に浦上靖介氏が大阪で開いた薬種問屋は、漢方薬と並んで香辛料を商う業態であり、靖介氏はその商流のなかで、まだ家庭に縁の薄かったカレーの原料に目をつけた。問屋商売で蓄えた利益を製造設備へ振り替えられたため、1926年に個人経営のホーム食品を吸収し、カレー粉・胡椒の自社生産へ参入した。仕入れて売る側から、つくって売る側へと移った。
Q なぜ純カレー粉ではなく即席カレーの分野へ力を注いだのか
A 先発のエスビー食品が純カレー粉で築いた地盤を避け、別の需要へ回ったからである。浦上郁夫氏は、業界の首位に立てたのはエスビー食品の純カレーの地盤が強固だったために別の分野へいち早く方向を変えたからだと説明している。1963年9月に発売したバーモントカレーは1970年11月期に1品目で75億円を売り上げ、同期のインスタントカレーの市場占有率は47.7%に達した
Q なぜ2015年に301億円で壱番屋を買収しながら、2026年に買収拡大から株主・祖業への還元へ転じたのか
A 買収で広げた外食・海外・健康食品が、のれん償却に見合う収益を生まなかったからである。2015年12月に壱番屋株51%を約301億円で取得して外食へ本格参入したが、2021年3月期に壱番屋のれん91億円を減損処理し、米国キーストーン社についても2025年3月期に50億円、2026年3月期に75億円の減損損失を計上した。香辛・調味加工食品が2026年3月期に営業利益128億円とグループ営業利益182億円の大半を稼ぐ一方、2026年5月には第八次中期計画の目標とのギャップを認め、スパイス系バリューチェーンへ絞り直した

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1913年〜 薬種問屋がカレーの窯を持ち、即席カレーで首位に立つまで

ハウス食品グループ本社の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1926年 薬種問屋からカレー粉の自社製造への転換 原料を納める側にとどまるか、自ら作って売る側へ回るか——浦上靖介氏が1926年に選んだ道
  2. 1926年 カレー粉の製造を開始
  3. 1926年 工場を新設
  4. 1947年 浦上糧食工業所を設立
  5. 1949年 名称をハウスカレー浦上商店に商号変更
  6. 1963年 バーモントカレー発売
  7. 1970年 合弁会社サンハウス食品を設立しレトルト食品発売

薬種問屋からカレー粉の製造へ回り、戦争で断たれるまで

1913年11月、浦上靖介氏は大阪・松屋町筋に薬種化学原料店「浦上商店」を開いた[1]。当時の薬種問屋は漢方薬とともに香辛料を扱う商いで、店の商品には胡椒や唐辛子が並んだ[2]。浦上商店は白玉ソース・中央ソース・羽車ソースといった各ソースメーカーへカレーの原料を納め[3]、カレーそのものを作るのではなく、カレーを作る側へ材料を渡す位置にあった。完成品の市場には先発が並び、関西では「メタル・カレー」「蜂カレー」「月美人カレー」が売られ、関東でも「ノーブル商会」やエスビー・カレーの「東屋」が名を通していた[4]

1926年、浦上商店は個人経営のホーム食品を吸収合併し[5]、布施市(現在の東大阪市)に工場を設置して、カレー・胡椒・唐辛子などの香辛料の製造販売を始めた。参入時のブランドは「ホーム・カレー」だったが、寿屋(現サントリー)から自社のブランドに抵触するとの申し入れを受け、名称を「ハウス・カレー」へ改めた[7]。登録商標には家の図の中に「イン・エブリー・ハウス」と記したマークを用いており[8]、社名に残る「ハウス」はこの改称に由来する。1930年には合名会社組織へ移り、商号を浦上靖介商店に改めた[9][6]

1934年にはハヤシライスを発売し[10]、カレー粉一品の製造から家庭向けの即席食品へ品目を広げた。ただ先発との差はすぐには縮まらず、のちに2代社長となる浦上郁夫氏は、創業当時の会社がかなり悪戦苦闘していたようだと振り返っている[11]。販売は関西を中心に中国・四国・九州の各方面へ伸び[12]、老舗が強い東京市場ではなく西日本の家庭に根を張るところから積み上げた。第二次大戦の進展に伴ってカレーの原料が統制品となり、男子従業員が兵役に取られて人手も不足し、生産活動は中絶した[13]。1945年には空襲で事業所を焼失し、布施市の工場内へ移っている[14]

  • 日経ビジネス 1978年12月18日号「ハウス食品工業 新製品によるあくなき成長にも転機」
    • [10]1934年(昭和9年)ハヤシライスを発売
    • [14]1945年(昭和20年)空襲により事業所が焼失し布施市の工場内へ移転
    • [11]浦上郁夫氏の「創業当時はかなり悪戦苦闘していたようだ」との回想
    • [12]参入当初は先発との競争で苦戦し、関西を中心に中国・四国・九州へ地盤を拡大
    • [13]第二次大戦でカレー原料が統制品となり兵役による人手不足も重なって生産活動が中絶
  • 日経ビジネス 1978年12月18日号「ハウス食品工業 新製品によるあくなき成長にも転機」
    • [1]1913年11月 浦上靖介が大阪・松屋町筋に薬種化学原料店「浦上商店」を開業
    • [9]1930年(昭和5年)合名会社組織へ移行し商号を浦上靖介商店とする
    • [10]1934年(昭和9年)ハヤシライスを発売
    • [14]1945年(昭和20年)空襲により事業所が焼失し布施市の工場内へ移転
    • [2]薬種問屋の商品に胡椒・唐辛子などの香辛料
    • [3]各ソースメーカーへカレーの原料を納入
    • [4]1920年代の関西・関東にカレー粉の先発メーカーが並立
    • [5]1926年(大正15年)のホーム食品吸収とカレー粉製造の開始
    • [7]ブランド「ホーム・カレー」を寿屋(現サントリー)の申し入れで「ハウス・カレー」へ変更
    • [8]家の図に「イン・エブリー・ハウス」と記した登録商標
    • [11]浦上郁夫氏の「創業当時はかなり悪戦苦闘していたようだ」との回想
    • [12]参入当初は先発との競争で苦戦し、関西を中心に中国・四国・九州へ地盤を拡大
    • [13]第二次大戦でカレー原料が統制品となり兵役による人手不足も重なって生産活動が中絶
    • [6]1926年 ホーム食品を吸収合併し布施市(現東大阪市)に工場を設置、カレー・胡椒・唐辛子の製造販売を開始

法人化のうえで純カレーを避け、即席カレーへ寄せた選択

戦中戦後は原料の入手難から操業を停止しており[15]、株式会社への改組はそこからの再出発にあたった。1947年6月、資本金197,500円で株式会社浦上糧食工業所を設立し[16]、1949年1月には戦前から使っていたブランドを商号に取り入れて株式会社ハウスカレー浦上商店へ改めた[17]。1950年5月にはハウス食品株式会社を吸収合併している[18]。もっとも、1952年ごろに統制解除を受けて即席カレーの製造販売を再開したときには、エスビー食品がいち早く生産を始めており[19]、浦上郁夫氏は国内市場がエスビー・カレー一色に塗りつぶされた感があった[20]と述べている。

統制解除後の再開にあたり、会社は純カレー(カレーパウダー)の分野ではなく即席カレーの分野へ力を注いだ[21]。浦上郁夫氏は、業界の首位に立てたのはエスビー食品の純カレーの地盤が強固だったために別の分野へいち早く方向を変えた[22]からだと説明している。1958年の炒飯の素の発売を契機に各種インスタント食品の製造販売にも着手し[23]、1959年11月には東大阪工場にカレー製造工場を竣工した[24]。1960年に印度カレーを発売し[25]、同年11月には商号をハウス食品工業株式会社へ改めている[26]。この選択の結果、1971年時点の即席カレー部門の需要は年およそ230億円に達し、そのうち47〜48%を同社が占めた[27]

1963年9月に発売したバーモントカレーは[28]、1970年11月期に1品目で75億円を売り上げ[29]、主力製品となった。以後も1964年4月のプリンミクス[30]、1966年のシチュー、1967年のシャービック、1968年のジャワカレー、1969年のミルクセーキとグラタン[31]と、家庭向けの即席食品を毎年のように出した。1970年6月には合弁会社サンハウス食品を設立してレトルト食品のククレシチューを発売し[32]、翌1971年4月にはククレカレーを加えている[33]。同年3月には高級品としてブレンドスペシャルカレーを発売した[34]

  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期(2025年3月期)【沿革】
    • [28]1963年9月 バーモントカレー発売
    • [30]1964年4月 プリンミクス発売
    • [32]1970年6月 合弁会社サンハウス食品を設立しレトルト食品を発売
    • [29]1970年11月期 バーモントカレー1品目で売上高75億円
    • [31]1966年シチュー・1967年シャービック・1968年ジャワカレー・1969年ミルクセーキとグラタンの発売
    • [33]1971年4月 ククレカレー発売
    • [34]1971年3月 ブレンドスペシャルカレー発売
    • [15]戦中戦後は原料の入手難から操業を停止し、1947年に株式会社組織へ改組して再出発
    • [17]1949年1月 株式会社ハウスカレー浦上商店へ改称
    • [18]1950年5月 ハウス食品株式会社を吸収合併
    • [23]1958年(昭和33年)炒飯の素の発売を契機に各種インスタント食品の製造販売へ着手
    • [25]1960年(昭和35年)印度カレー発売
    • [29]1970年11月期 バーモントカレー1品目で売上高75億円
    • [31]1966年シチュー・1967年シャービック・1968年ジャワカレー・1969年ミルクセーキとグラタンの発売
    • [33]1971年4月 ククレカレー発売
    • [34]1971年3月 ブレンドスペシャルカレー発売
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期(2025年3月期)【沿革】
    • [16]1947年6月 株式会社浦上糧食工業所を設立(資本金197,500円)
    • [24]1959年11月 東大阪工場にカレー製造工場竣工
    • [26]1960年11月 商号をハウス食品工業へ改称
    • [28]1963年9月 バーモントカレー発売
    • [30]1964年4月 プリンミクス発売
    • [32]1970年6月 合弁会社サンハウス食品を設立しレトルト食品を発売
    • [19]1952年ごろ 統制解除で即席カレーの製造販売を再開、先行したエスビー食品が市場を握る
    • [20]浦上郁夫氏の「エスビー・カレー一色に塗りつぶされた感があった」との発言
    • [21]純カレーではなく即席カレーへ注力
    • [22]浦上郁夫氏の説明 エスビー食品の純カレーの地盤が強固だったため別分野へ転換
    • [27]1971年時点の即席カレー市場は年約230億円で同社のシェアは47〜48%

特約店と登録店の販路、テレビ広告、そして株式上場

販路は特約店167社(口座数305)と、その先の登録店と呼ぶ二次代理店を経由して、全国のスーパーマーケットと末端小売店へ届く[35]形をとった。販売促進では、テレビを主体とした広告のほかに、卸と小売の店頭を回る置回り販売、デモンストレーターによる実演販売、リベート政策を組み合わせている[36]。デモンストレーターとして約200名の女子販売促進員を各支店・営業所に配属し[37]、店頭での料理講習にあてた。昭和30年代前半まではエスビー食品と株式会社オリエンタルの市場占有率が同社を上回っていたが、30年代後半以降にこれらの施策が効いて順位が入れ替わった[38]

    • [35]特約店167社(口座数305)と登録店(二次代理店)を経由し全国のスーパー・小売店へ販売
    • [36]テレビ広告・置回り販売・実演販売・リベート政策の併用
    • [37]約200名のデモンストレーター(女子販売促進員)を各支店・営業所へ配属
    • [38]昭和30年代前半まではエスビー食品・オリエンタルの占有率が上回り、30年代後半以降に逆転

1970年11月期の市場占有率は、インスタントカレーが47.7%、インスタントシチューが93.7%、インスタントプリンが71.4%に達した[39]。同期の売上高197億円と税引利益12億円は、10年前の1960年11月期のそれぞれ11.6倍と23.2倍にあたる[40]。エスビー食品との比較では、直近5年間の売上高の伸びが同社3.4倍に対しエスビー食品1.6倍、利益は同社5.6倍に対し2.7倍であった[41]。関東地方の売上高が全体の29.0%を占める[42]までになり、西日本に偏っていた販売の重みが東へ移った。

    • [39]1970年11月期の市場占有率 インスタントカレー47.7%・シチュー93.7%・プリン71.4%
    • [40]1970年11月期 売上高197億円・税引利益12億円は1960年11月期の11.6倍・23.2倍
    • [41]直近5年間の売上高の伸びはハウス3.4倍・エスビー1.6倍、利益はハウス5.6倍・エスビー2.7倍
    • [42]関東地方の売上高が全売上高の29.0%

1966年6月、浦上靖介氏の長男である浦上郁夫氏が28歳で2代目社長に就任し[43]、同月に奈良県大和郡山市の奈良工場が竣工した[44]。1970年3月には大阪府東大阪市に研究所、同年5月に栃木県佐野市の関東工場、同年8月に合弁会社ハウス配送、同年11月にイデアックセンター[45]と、生産と物流と研修の拠点を続けて設けている。1971年7月、東京証券取引所と大阪証券取引所の市場第2部へ株式を上場した[46]。公募は400万株、公開価格は480円で、上場時の大株主はハウス興産が34.6%[47]、浦上郁夫氏が22.6%を持っていた。

  • 日経ビジネス 1989年7月31日号「ハウス食品工業 ワンマン亡きあとの混迷 多品種少量生産の時代に新ビジョン欠く」
    • [43]1966年 浦上郁夫が28歳で2代目社長に就任
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期(2025年3月期)【沿革】
    • [44]1966年6月 奈良県大和郡山市に奈良工場竣工
    • [45]1970年3月 東大阪市に研究所、5月 関東工場、8月 ハウス配送設立、11月 イデアックセンター竣工
    • [46]1971年7月 東京・大阪証券取引所市場第2部へ上場
    • [47]公募400万株・公開価格480円、大株主はハウス興産34.6%・浦上郁夫22.6%
    • [35]特約店167社(口座数305)と登録店(二次代理店)を経由し全国のスーパー・小売店へ販売
    • [36]テレビ広告・置回り販売・実演販売・リベート政策の併用
    • [37]約200名のデモンストレーター(女子販売促進員)を各支店・営業所へ配属
    • [38]昭和30年代前半まではエスビー食品・オリエンタルの占有率が上回り、30年代後半以降に逆転
    • [39]1970年11月期の市場占有率 インスタントカレー47.7%・シチュー93.7%・プリン71.4%
    • [40]1970年11月期 売上高197億円・税引利益12億円は1960年11月期の11.6倍・23.2倍
    • [41]直近5年間の売上高の伸びはハウス3.4倍・エスビー1.6倍、利益はハウス5.6倍・エスビー2.7倍
    • [42]関東地方の売上高が全売上高の29.0%
    • [47]公募400万株・公開価格480円、大株主はハウス興産34.6%・浦上郁夫22.6%
  • 日経ビジネス 1989年7月31日号「ハウス食品工業 ワンマン亡きあとの混迷 多品種少量生産の時代に新ビジョン欠く」
    • [43]1966年 浦上郁夫が28歳で2代目社長に就任
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期(2025年3月期)【沿革】
    • [44]1966年6月 奈良県大和郡山市に奈良工場竣工
    • [45]1970年3月 東大阪市に研究所、5月 関東工場、8月 ハウス配送設立、11月 イデアックセンター竣工
    • [46]1971年7月 東京・大阪証券取引所市場第2部へ上場

1971年〜 品目を広げて伸びた会社と、首位を走れない事業の整理

ハウス食品グループ本社の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1971年 東京・大阪証券取引所市場第2部上場
  2. 1973年 即席麺発売
  3. 1977年 スナック食品発売
  4. 1982年 静岡工場竣工
  5. 1983年 カリフォルニア州にハウスフーズ&ヤマウチを合弁設立
  6. 1985年 子会社デリカシェフ設立
  7. 1991年 低シェア事業からの撤退方針とチルド食品事業の全面撤退 時流に乗った成長分野でも、首位を争えないなら畳むべきか——大塚邦彦社長が問い直した多品目化の代償

新製品を年30種類出して品目を広げた1970年代

上場時点の従業員は職員673名と工員680名の計1,353名で、工場は東大阪・郡山・関東の3か所、支店と営業所は全国8か所に置いていた[48]。主要原材料の精製牛脂・粉乳・小麦粉・砂糖・香辛料は輸入依存度が高く価格変動も激しいため、トーメンや東食といった商社、小林桂・極東食品・雪印商事といった専門商社と長期契約を結んで確保にあたった[49]。1972年5月の中間決算時点では、カレー52.7%、プリン67.4%、シチュー93.4%の占有率を保ち、半期の売上高は134億8,000万円に達している[50]。1973年4月には両取引所の市場第1部へ指定替えとなった[51]

1971年の上場から1978年までに世に出した新製品は70種類にのぼり、1977年11月期まで17年連続で経常増益を続けた[52]。参入先も広く、1973年3月に練りスパイス、同年6月に即席麺、1977年6月にスナック食品を出し、1976年4月に福岡県古賀市の福岡工場、1982年12月に静岡県袋井市の静岡工場を竣工している[53]。1978年5月時点の市場占有率はカレー62%、シチュー82%、プリン80%で、調理済みカレー46%、ポテトチップ25%、インスタントラーメン17%が続いた[54]。浦上郁夫社長は当時、関西出身の自社は東京に比べて市場が狭く、1商品に専門化していては食べていけないと語っている[55]

  • 日経ビジネス 1978年12月18日号「ハウス食品工業 新製品によるあくなき成長にも転機」
    • [52]1971年の上場から1978年までに新製品70種類、1977年11月期まで17年連続経常増益
    • [54]1978年5月時点でカレー62%・シチュー82%・プリン80%・調理済みカレー46%・ポテトチップ25%・インスタントラーメン17%
    • [55]浦上郁夫社長は1商品への専門化では成り立たないと説明
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期(2025年3月期)【沿革】
    • [53]1973年3月 練りスパイス発売、1973年6月 即席麺発売、1977年6月 スナック食品発売、1976年4月 福岡工場竣工、1982年12月 静岡工場竣工

拡大には費用が伴い、1977年11月期の広告宣伝費は89億7,500万円で売上高の10.5%を占めた[56]。売上高に対する販売費・一般管理費の比率は同期に36.4%となり、1975年11月期から2年間で5.7ポイント上がっている[57]。参入先はさらに広がり、1980年にはチルド(冷蔵)食品事業へ[58]、1983年にはミネラルウォーター「六甲のおいしい水」で飲料へも入り、家庭向けミネラルウォーターの市場を国内で開拓した[59]。1983年12月には米国カリフォルニア州に合弁会社ハウスフーズ&ヤマウチ社を設立し[60]、豆腐の現地生産にも入っている。

  • 日経ビジネス 1978年12月18日号「ハウス食品工業 新製品によるあくなき成長にも転機」
    • [56]1977年11月期の広告宣伝費89億7,500万円=売上高の10.5%
    • [57]販管費比率は1977年11月期に36.4%、2年間で5.7ポイント上昇
  • 日経ビジネス 1989年7月31日号「ハウス食品工業 ワンマン亡きあとの混迷 多品種少量生産の時代に新ビジョン欠く」
    • [58]1980年 チルド食品事業へ参入
  • 週刊東洋経済 2003年7月19日号「[特集]ミネラルウォーター大混戦 「水商売」は大混戦」
    • [59]1983年「六甲のおいしい水」発売で飲料へ進出、家庭向けミネラルウォーター市場を開拓
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期(2025年3月期)【沿革】
    • [60]1983年12月 合弁会社ハウスフーズ&ヤマウチ社を米国カリフォルニア州に設立
    • [48]1970年11月期末の従業員は職員673名・工員680名の計1,353名、工場3か所・支店営業所8か所
    • [49]主要原材料は輸入依存度が高く、商社・専門商社と長期契約で確保
    • [50]1972年5月中間決算時点でカレー52.7%・プリン67.4%・シチュー93.4%、半期売上高134億8,000万円
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期(2025年3月期)【沿革】
    • [51]1973年4月 市場第1部へ指定替え
    • [53]1973年3月 練りスパイス発売、1973年6月 即席麺発売、1977年6月 スナック食品発売、1976年4月 福岡工場竣工、1982年12月 静岡工場竣工
    • [60]1983年12月 合弁会社ハウスフーズ&ヤマウチ社を米国カリフォルニア州に設立
  • 日経ビジネス 1978年12月18日号「ハウス食品工業 新製品によるあくなき成長にも転機」
    • [52]1971年の上場から1978年までに新製品70種類、1977年11月期まで17年連続経常増益
    • [54]1978年5月時点でカレー62%・シチュー82%・プリン80%・調理済みカレー46%・ポテトチップ25%・インスタントラーメン17%
    • [55]浦上郁夫社長は1商品への専門化では成り立たないと説明
    • [56]1977年11月期の広告宣伝費89億7,500万円=売上高の10.5%
    • [57]販管費比率は1977年11月期に36.4%、2年間で5.7ポイント上昇
  • 日経ビジネス 1989年7月31日号「ハウス食品工業 ワンマン亡きあとの混迷 多品種少量生産の時代に新ビジョン欠く」
    • [58]1980年 チルド食品事業へ参入
  • 週刊東洋経済 2003年7月19日号「[特集]ミネラルウォーター大混戦 「水商売」は大混戦」
    • [59]1983年「六甲のおいしい水」発売で飲料へ進出、家庭向けミネラルウォーター市場を開拓

創業家2代目の急逝と、鈍った新製品の力

1983年度は静岡の大規模工場の建設と重なって上場後初の減収減益となり、1984年11月には警視庁指定114号事件の脅迫状が届いて業績がさらに悪化した[61]。1985年8月12日、日本航空123便の墜落で浦上郁夫社長が47歳で死去し、同年9月に副社長であった大塚邦彦氏が社長へ就いた[62]。大塚社長は当時の心境を、プロと一緒にゴルフコースを回っていたキャディーが突然プレーしろと言われたようなものであった[63]と語っている。大塚氏は1933年生まれで1955年の入社、1979年に代表取締役副社長に就いていた[64]

  • 日経ビジネス 1993年2月1日号「大塚邦彦 災厄乗り切った業績請負人 製品絞り込みで先手打つ」
    • [61]1983年度に上場後初の減収減益、1984年の脅迫事件で業績悪化
    • [62]1985年8月12日 日航123便の墜落で浦上郁夫社長が47歳で死去、同年9月に大塚邦彦が社長就任
    • [63]大塚社長の「キャディーが突然プレーしろと言われたようなもの」との発言
  • 日経ビジネス 1992年1月20日号「中途半端な事業からは撤退 トップブランドの数が勝負」
    • [64]大塚邦彦は1933年生まれ、1955年入社、1979年に代表取締役副社長

交代後の数年は新製品の力が落ち、1989年3月期の新製品寄与率は4.5%と、それ以前の7%強から下がった[65]。この3年間に投入した新製品は年間17種類ほどで、30種類を超えていた時期より少ない[66]。1989年3月期の売上高は約1,503億円、営業利益は前年比2.4%増の約110億円[67]で、部門別ではカレールー468億円が前年度比1.2%増と横ばい、スナック菓子107億円が8.0%減、ラーメン180億円が5.0%減となった[68]。売上高に占める広告宣伝費の比率は1984年の9.47%から1989年の10.2%へ上げ続けており[69]、大量宣伝による大量販売の手法は残っていた。

  • 日経ビジネス 1989年7月31日号「ハウス食品工業 ワンマン亡きあとの混迷 多品種少量生産の時代に新ビジョン欠く」
    • [65]1989年3月期の新製品寄与率4.5%、以前は7%強
    • [66]この3年間の新製品投入は年間17種類ほど、かつては30種類超
    • [67]1989年3月期 売上高約1,503億円・営業利益約110億円(前年比2.4%増)
    • [68]1989年3月期 部門別売上高 カレールー468億円(+1.2%)・スナック菓子107億円(-8.0%)・ラーメン180億円(-5.0%)
    • [69]売上高広告宣伝費比率は1984年9.47%から1989年10.2%へ上昇
  • 日経ビジネス 1993年2月1日号「大塚邦彦 災厄乗り切った業績請負人 製品絞り込みで先手打つ」
    • [61]1983年度に上場後初の減収減益、1984年の脅迫事件で業績悪化
    • [62]1985年8月12日 日航123便の墜落で浦上郁夫社長が47歳で死去、同年9月に大塚邦彦が社長就任
    • [63]大塚社長の「キャディーが突然プレーしろと言われたようなもの」との発言
  • 日経ビジネス 1992年1月20日号「中途半端な事業からは撤退 トップブランドの数が勝負」
    • [64]大塚邦彦は1933年生まれ、1955年入社、1979年に代表取締役副社長
  • 日経ビジネス 1989年7月31日号「ハウス食品工業 ワンマン亡きあとの混迷 多品種少量生産の時代に新ビジョン欠く」
    • [65]1989年3月期の新製品寄与率4.5%、以前は7%強
    • [66]この3年間の新製品投入は年間17種類ほど、かつては30種類超
    • [67]1989年3月期 売上高約1,503億円・営業利益約110億円(前年比2.4%増)
    • [68]1989年3月期 部門別売上高 カレールー468億円(+1.2%)・スナック菓子107億円(-8.0%)・ラーメン180億円(-5.0%)
    • [69]売上高広告宣伝費比率は1984年9.47%から1989年10.2%へ上昇

首位グループを走れない事業から抜ける基準

1988年、大塚社長は1969年に導入したプロダクトマネージャー制度に手を入れた[70]。従来は社長直属の部隊が製品の開発から販売まで一貫して責任を負い、発売も中止も決めていたが、目先の販売促進に力が偏って独自な商品が出なくなった[71]ためである。営業本部内にマーケティングマネージャーを新設して新製品の育成と販促を任せ、プロダクトマネージャーには一歩先の開発に専念させた[72]。選別も、味や包装や価格を消費者の側から検討する新製品開発委員会と、投資や採算を企業の側から検討する役員レベルの新製品検討会の二重構造へ改めている[73]

  • 日経ビジネス 1992年1月20日号「中途半端な事業からは撤退 トップブランドの数が勝負」
    • [70]1988年に新製品を出すルールと組織体制を改め、1969年導入のプロダクトマネージャー制度を見直し
    • [71]プロダクトマネージャーは社長直属で開発から販売まで一貫責任を負ったが、目先の販促に偏り独自商品が出なくなった
    • [72]営業本部内にマーケティングマネージャーを新設し新製品の育成・販促を分離
    • [73]新製品開発委員会と役員レベルの新製品検討会による二重の審査体制

1991年末、大塚社長はチルド食品事業からの撤退を決めた[74]。参入は1980年で、生に近い食品への需要を背景に市場は毎年2桁近い伸びを見せていたが、自前の配送網を持たなかったことが響き[75]、最後の2〜3年の売上高は20億円程度にとどまっていた。撤退の理由は、その分野で首位グループを走れる見込みがないのであれば時流に乗った事業でも意味がない[76]という判断にあった。提案に賛成する声は少なく、大塚社長は、新しいことを始める時は皆の意見を聞く必要があるが撤退する場合はトップが我を通させてもらう[77]と説いて回っている。新規事業は5年をひととおりの期限とし、1990年に二つ、1991年に一つの事業から[78]手を引いた。

  • 日経ビジネス 1993年2月1日号「大塚邦彦 災厄乗り切った業績請負人 製品絞り込みで先手打つ」
    • [74]1991年末 チルド食品事業からの撤退を決定
    • [75]チルド食品事業は1980年参入、自前の配送網を持たず最後の2〜3年の売上高は20億円程度
    • [77]大塚社長「撤退する場合はトップが我を通させてもらう」
  • 日経ビジネス 1992年1月20日号「中途半端な事業からは撤退 トップブランドの数が勝負」
    • [76]撤退の判断基準は その分野でトップグループを走れる見込みがあるか
    • [78]新規事業は5年を目処とし、1990年に二つ、1991年に一つの事業から撤退

方針は商品の単位にも及び、業務用を除いておよそ750アイテムあった商品のうち1989年度に55、1990年度に76を廃止した[79]。新製品を出す社内ルールも、リスクがあっても他社より先に出すこと、独自性のあるものに絞ること、価格は安くなくとも品質の面で高級化を図ることの三つに絞り[80]、当てはまらない商品は出さないと決めている。絞り込みはすぐには受け入れられず、業界では「ハウスは最近おかしい」とささやかれ、取引先からも批判を受けて停滞は4〜5年続いた[81]。それでも返品率は7%近くから0.47%まで下がり[82]、「六甲のおいしい水」は1991年に売上高90億円と家庭用で5割近い首位のシェアへ育った[83]

  • 日経ビジネス 1992年1月20日号「中途半端な事業からは撤退 トップブランドの数が勝負」
    • [79]商品数は業務用を除き約750アイテム、1989年度に55・1990年度に76を廃止
    • [80]新製品の社内ルールを「先発」「独自性」「品質の高級化」の三条件に限定
    • [83]「六甲のおいしい水」は1991年に売上高90億円・家庭用で5割近いシェア
  • 日経ビジネス 1993年2月1日号「大塚邦彦 災厄乗り切った業績請負人 製品絞り込みで先手打つ」
    • [81]絞り込みは社内外の批判を招き、定着まで4〜5年を要した
    • [82]返品率は7%近くから0.47%へ低下
  • 日経ビジネス 1992年1月20日号「中途半端な事業からは撤退 トップブランドの数が勝負」
    • [70]1988年に新製品を出すルールと組織体制を改め、1969年導入のプロダクトマネージャー制度を見直し
    • [71]プロダクトマネージャーは社長直属で開発から販売まで一貫責任を負ったが、目先の販促に偏り独自商品が出なくなった
    • [72]営業本部内にマーケティングマネージャーを新設し新製品の育成・販促を分離
    • [73]新製品開発委員会と役員レベルの新製品検討会による二重の審査体制
    • [76]撤退の判断基準は その分野でトップグループを走れる見込みがあるか
    • [78]新規事業は5年を目処とし、1990年に二つ、1991年に一つの事業から撤退
    • [79]商品数は業務用を除き約750アイテム、1989年度に55・1990年度に76を廃止
    • [80]新製品の社内ルールを「先発」「独自性」「品質の高級化」の三条件に限定
    • [83]「六甲のおいしい水」は1991年に売上高90億円・家庭用で5割近いシェア
  • 日経ビジネス 1993年2月1日号「大塚邦彦 災厄乗り切った業績請負人 製品絞り込みで先手打つ」
    • [74]1991年末 チルド食品事業からの撤退を決定
    • [75]チルド食品事業は1980年参入、自前の配送網を持たず最後の2〜3年の売上高は20億円程度
    • [77]大塚社長「撤退する場合はトップが我を通させてもらう」
    • [81]絞り込みは社内外の批判を招き、定着まで4〜5年を要した
    • [82]返品率は7%近くから0.47%へ低下

1991年〜 2本社体制へ移り、健康食品と海外を育てるまで

ハウス食品グループ本社の業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1991年 低シェア事業からの撤退方針とチルド食品事業の全面撤退 時流に乗った成長分野でも、首位を争えないなら畳むべきか——大塚邦彦社長が問い直した多品目化の代償
  2. 1993年 ソマテックセンター(研究所)竣工
  3. 2004年 ウコンの力発売
  4. 2006年 ハウスウェルネスフーズを子会社化
  5. 2013年 ヴォークス・トレーディングの株式を取得し東南アジア子会社等を子会社化
  6. 2013年 持株会社体制に移行し社名をハウス食品グループ本社に商号変更
  7. 2015年 壱番屋へのTOBによる子会社化と、外食事業の取り込み ルウを作って売る会社が、なぜカレーを出す店を買ったのか——家庭内調理の縮小に向き合った2015年の判断

2本社体制への移行と、研究拠点の千葉移転

1993年10月には社名をハウス食品工業株式会社からハウス食品株式会社へ改め、東京本部を東京本社に改称して大阪本社との2本社体制へ移した[84]。これに先立つ1988年3月には決算期を11月30日から3月31日へ変更している[85]。1989年4月に子会社エスパック(現ハウスあいファクトリー)を設立し、1993年3月には千葉県四街道市にソマテックセンターを竣工して[86]研究の拠点を移した。この移転は1986年に打ち出したものの、研究員の反発を招いて中核の研究員が相次いで辞め、当初1989年としていた時期は91年まで延びている[87]。河野隆副社長は、経営戦略上、移転を外に明かせないのは仕方がなかったと述べている[88]。1993年8月には子会社サンサプライを設立した[89]

  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期(2025年3月期)【沿革】
    • [84]1993年10月 社名をハウス食品工業からハウス食品へ改称、東京・大阪の2本社体制へ
    • [85]1988年3月 決算期を11月30日から3月31日へ変更
    • [86]1989年4月 子会社エスパック(現ハウスあいファクトリー)設立、1993年3月 千葉県四街道市にソマテックセンター竣工
    • [89]1993年8月 子会社サンサプライを設立
  • 日経ビジネス 1989年7月31日号「ハウス食品工業 ワンマン亡きあとの混迷 多品種少量生産の時代に新ビジョン欠く」
    • [87]研究所移転構想は1986年に打ち出され、研究員の反発と退職を招き1989年から91年へ延期
    • [88]河野隆副社長は経営戦略上、研究所移転を外に明かせないのは仕方がなかったと説明

大塚社長の就任時である1985年に約1,400億円であった売上高は、1993年3月期の推定で約1,900億円に達した[90]。1992年1月の時点で大塚社長は、売上高を1,640億円から1994年に2,000億円へ引き上げたいと述べつつ、規模よりもカテゴリー別に首位を走る商品がいくつあるかが大事になってきたと語っている[91]。1997年7月には子会社ハイネット、同年8月には東京都千代田区の東京本社ビル[92]が加わった。同年4月には米国の子会社カレーハウスアメリカ社をハウスフーズアメリカ社へ吸収合併し、1989年4月に始めた米国の外食事業から8年で退いている[93]

  • 日経ビジネス 1993年2月1日号「大塚邦彦 災厄乗り切った業績請負人 製品絞り込みで先手打つ」
    • [90]1985年の社長就任時に約1,400億円だった売上高は1993年3月期推定で約1,900億円
  • 日経ビジネス 1992年1月20日号「中途半端な事業からは撤退 トップブランドの数が勝負」
    • [91]売上規模よりカテゴリー別に首位を走る商品の数を重視する方針
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期(2025年3月期)【沿革】
    • [92]1997年7月 子会社ハイネット設立、1997年8月 東京本社ビル竣工
    • [93]1997年4月 カレーハウスアメリカ社をハウスフーズアメリカ社へ吸収合併(1989年4月設立)
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期(2025年3月期)【沿革】
    • [84]1993年10月 社名をハウス食品工業からハウス食品へ改称、東京・大阪の2本社体制へ
    • [85]1988年3月 決算期を11月30日から3月31日へ変更
    • [86]1989年4月 子会社エスパック(現ハウスあいファクトリー)設立、1993年3月 千葉県四街道市にソマテックセンター竣工
    • [89]1993年8月 子会社サンサプライを設立
    • [92]1997年7月 子会社ハイネット設立、1997年8月 東京本社ビル竣工
    • [93]1997年4月 カレーハウスアメリカ社をハウスフーズアメリカ社へ吸収合併(1989年4月設立)
  • 日経ビジネス 1989年7月31日号「ハウス食品工業 ワンマン亡きあとの混迷 多品種少量生産の時代に新ビジョン欠く」
    • [87]研究所移転構想は1986年に打ち出され、研究員の反発と退職を招き1989年から91年へ延期
    • [88]河野隆副社長は経営戦略上、研究所移転を外に明かせないのは仕方がなかったと説明
  • 日経ビジネス 1993年2月1日号「大塚邦彦 災厄乗り切った業績請負人 製品絞り込みで先手打つ」
    • [90]1985年の社長就任時に約1,400億円だった売上高は1993年3月期推定で約1,900億円
  • 日経ビジネス 1992年1月20日号「中途半端な事業からは撤退 トップブランドの数が勝負」
    • [91]売上規模よりカテゴリー別に首位を走る商品の数を重視する方針

健康食品という第三の柱と、水事業の手放し

2003年9月に発売した黒豆ココアは1年で50億円を売り上げ、初めて参入したココア市場で森永製菓に次ぐ2位[94]を得た。開発した健康食品部は、商品のカテゴリーからではなく消費者の不安と素材から入る手順を採っており、「ウコンの力」も同じ部から生まれている[95]。2004年5月にウコンの力を発売し、同年8月に株式会社ギャバンと業務提携、同年10月には朝岡スパイス株式会社の株式を取得[96]して子会社化した。2006年4月には武田薬品工業との合弁でハウスウェルネスフーズ株式会社の株式を取得して子会社とし[97]、2007年9月の合弁期間満了後に武田薬品工業の保有分を取得して完全子会社としている[98]

  • 週刊東洋経済 2005年1月15日号「[マーケティングの達人に会いたい]第62回ハウス食品:黒豆ココア 健康を切り口に新規参入でシェア2位」
    • [94]2003年9月発売の黒豆ココアは1年で50億円、ココア市場でシェア2位
    • [95]健康食品部は素材と消費者ニーズから入る開発手順を採り「ウコンの力」も同部から誕生
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期(2025年3月期)【沿革】
    • [96]2004年5月 ウコンの力発売、2004年8月 ギャバンと業務提携、2004年10月 朝岡スパイスを子会社化
    • [97]2006年4月 ハウスウェルネスフーズの株式を取得し子会社化
    • [98]2007年9月の合弁期間満了後に武田薬品工業保有株式を取得し完全子会社化

「六甲のおいしい水」は1983年の発売で家庭向け市場を開いたが、1990年に「南アルプスの天然水」で参入したサントリーに1997年に抜かれ、2003年時点では3位に下がっていた[99]。採水地が神戸市灘区の市街地にあるため奈良県大和郡山市の工場までタンクローリーで運んで充填する必要があり[100]、コストがかさむ構造も抱えていた。2005年3月期には80億円を投じた六甲の新工場が年産18百万ケースで稼働し、同期に減損会計を早期導入して固定資産減損損失5,392百万円を計上し、乳製品事業から撤退している[101]。2010年5月、ハウス食品はミネラルウォーター事業をアサヒ飲料へ譲渡した[102]

  • 週刊東洋経済 2003年7月19日号「[特集]ミネラルウォーター大混戦 「水商売」は大混戦」
    • [99]1983年「六甲のおいしい水」発売、1990年参入のサントリーに1997年首位を奪われ2003年時点で3位
    • [100]採水地は神戸市灘区の市街地にあり奈良県大和郡山市の工場まで運んで充填するためコスト増
    • [101]2005年3月期 六甲の新工場へ80億円投資・年産18百万ケース、減損会計早期導入で固定資産減損損失5,392百万円、乳製品事業から撤退
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期(2025年3月期)【沿革】
    • [102]2010年5月 ミネラルウォーター事業を譲渡

譲渡について会社は2010年5月の決算説明会で、選択と集中は第1次中期計画からの懸案であり、その観点から水事業の売却を決断した[103]と説明した。第3次中期計画のテーマは将来の種蒔きであり、事業の売却・撤退はこれ以上考えていない[104]とも述べている。浦上博史氏は2016年、市場の成熟が進んでそれぞれの分野に首位企業が生まれたため2003年ごろから事業の選択と集中に着手したと振り返り、即席麺「うまかっちゃん」を全国販売から地域限定へ切り替え、「六甲のおいしい水」をアサヒ飲料へ譲ったことを例に挙げた[105]。ニーズがあれば何でもやるという八方美人ではやっていけない[106]、というのが同氏の説明であった。

    • [103]会社は水事業売却を「選択と集中」の観点からの決断と説明
    • [104]第3次中期計画のテーマは「将来の種蒔き」で事業の売却・撤退はこれ以上考えていないとの説明
  • 週刊東洋経済 2016年7月23日号「インタビュー ハウス食品グループ本社社長 浦上博史 ハウス×ココイチで東南アジアを攻める」
    • [105]浦上博史社長は2003年ごろから選択と集中に着手したと述べ、うまかっちゃんの地域限定化と六甲のおいしい水の譲渡を例示
    • [106]浦上博史社長「ニーズがあれば何でもやるという八方美人ではやっていけない」
  • 週刊東洋経済 2005年1月15日号「[マーケティングの達人に会いたい]第62回ハウス食品:黒豆ココア 健康を切り口に新規参入でシェア2位」
    • [94]2003年9月発売の黒豆ココアは1年で50億円、ココア市場でシェア2位
    • [95]健康食品部は素材と消費者ニーズから入る開発手順を採り「ウコンの力」も同部から誕生
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期(2025年3月期)【沿革】
    • [96]2004年5月 ウコンの力発売、2004年8月 ギャバンと業務提携、2004年10月 朝岡スパイスを子会社化
    • [97]2006年4月 ハウスウェルネスフーズの株式を取得し子会社化
    • [102]2010年5月 ミネラルウォーター事業を譲渡
    • [98]2007年9月の合弁期間満了後に武田薬品工業保有株式を取得し完全子会社化
  • 週刊東洋経済 2003年7月19日号「[特集]ミネラルウォーター大混戦 「水商売」は大混戦」
    • [99]1983年「六甲のおいしい水」発売、1990年参入のサントリーに1997年首位を奪われ2003年時点で3位
    • [100]採水地は神戸市灘区の市街地にあり奈良県大和郡山市の工場まで運んで充填するためコスト増
    • [101]2005年3月期 六甲の新工場へ80億円投資・年産18百万ケース、減損会計早期導入で固定資産減損損失5,392百万円、乳製品事業から撤退
    • [103]会社は水事業売却を「選択と集中」の観点からの決断と説明
    • [104]第3次中期計画のテーマは「将来の種蒔き」で事業の売却・撤退はこれ以上考えていないとの説明
  • 週刊東洋経済 2016年7月23日号「インタビュー ハウス食品グループ本社社長 浦上博史 ハウス×ココイチで東南アジアを攻める」
    • [105]浦上博史社長は2003年ごろから選択と集中に着手したと述べ、うまかっちゃんの地域限定化と六甲のおいしい水の譲渡を例示
    • [106]浦上博史社長「ニーズがあれば何でもやるという八方美人ではやっていけない」

中国でのカレーの普及と、米国の豆腐事業

中国では1997年、日本式のカレーが好まれるかどうかを試すため上海にカレーレストラン「Curry House」を出した[107]。当時の中国にはカレーを調味料として使う習慣はあったが、白米にカレーをかけて食べるカレーライスは存在しなかった[108]。2000年11月には子会社台湾カレーハウスレストラン社(現台湾壱番屋社)を設けている[109]。手応えを得て2001年10月に味の素との合弁で上海ハウス味の素食品社を設立し[110]、2002年に家庭向けレトルトカレー「味都都」を発売して[111]カレーライスがどのような料理なのかを知ってもらう段階を置いた。2004年1月には子会社上海ハウス食品社を設立し[112]、2005年2月から上海でカレールウの生産を始めている[113]

  • 週刊東洋経済 2016年7月23日号「深層リポート ハウス(好侍) カレー「人民食」化計画!」
    • [107]1997年 上海にカレーレストラン「Curry House」を出店
    • [108]当時の中国にカレーを調味料に使う習慣はあったがカレーライスは存在しなかった
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期(2025年3月期)【沿革】
    • [109]2000年11月 子会社台湾カレーハウスレストラン社(現台湾壱番屋社)を設立
    • [110]2001年10月 合弁会社上海ハウス味の素食品社を設立
    • [112]2004年1月 子会社上海ハウス食品社を設立
  • 週刊東洋経済 2005年4月16日号「[ニュース最前線]ハウス食品の上海工場がスタート 中国にカレーを売り込め 年産130万個体制で市場開拓」
    • [111]2002年 上海ハウス味の素食品社がレトルトカレー「味都都」を発売
  • 週刊東洋経済 2007年2月3日号「[特集]中国新次元 クレハ、ハウス食品など日系10社が犠牲に 用済み外資を追い出す上海開発区の理不尽」
    • [113]2005年2月 上海の子会社が操業を開始

小瀬昉社長は2005年3月下旬の開所式で、上海で作るカレーは中国の人たちにおいしいと言ってもらえる味にした[114]と述べている。上海の工場はハウス6割・味の素3割・三菱商事1割の出資で、初年度の生産は130万個、売上目標は10億円と置いた[115]。中国版のバーモントカレーは色を黄色にし、中華料理に使う八角を加え、1箱を10元としている[116]。普及の手立ては、学校給食への導入、親子料理教室、日系企業の社員食堂への納入、家政婦にあたる阿姨への調理指導と幅広く、最も力を入れた街頭や店頭での試食は2016年に年間延べ3万回を計画した[117]。2006年11月には上海市嘉定区が嘉定工業園区南区の入居企業に立ち退きを求め、操業2年足らずの拠点が移転を迫られ[118]ている。

  • 週刊東洋経済 2005年4月16日号「[ニュース最前線]ハウス食品の上海工場がスタート 中国にカレーを売り込め 年産130万個体制で市場開拓」
    • [114]小瀬昉社長は開所式で中国風味の現地発商品であることを強調
    • [115]上海ハウス食品社はハウス6割・味の素3割・三菱商事1割の出資、初年度生産130万個・売上目標10億円
  • 週刊東洋経済 2016年7月23日号「深層リポート ハウス(好侍) カレー「人民食」化計画!」
    • [116]中国版バーモントカレーは黄色にし八角を加え1箱10元
    • [117]学校給食・親子料理教室・社員食堂・阿姨への調理指導・街頭試食(2016年に年間延べ3万回計画)
  • 週刊東洋経済 2007年2月3日号「[特集]中国新次元 クレハ、ハウス食品など日系10社が犠牲に 用済み外資を追い出す上海開発区の理不尽」
    • [118]2006年11月 上海市嘉定区が嘉定工業園区南区の入居企業へ立ち退きを要求、操業2年足らずの拠点が移転の危機

上海での家庭普及率は3割を超え、中国のカレー事業は2012年度に黒字化し、シェアは9割を超えた[119]。2016年5月には浙江ハウス食品社を設立し[120]、上海・大連に次ぐ第3の製造拠点へ約50億円を投じている[121]。2010年6月には合弁会社上海ハウス味の素食品社の清算に伴って中国レトルト事業を上海ハウス食品社へ統合し、2011年4月にハウス食品(上海)商貿社、2012年1月にハウスフーズベトナム社、同年10月にエルブリトーメキシカンフードプロダクツ社を設けている[122]。米国では、浦上郁夫氏がロサンゼルスの視察中に日系米国人の営む豆腐メーカーと出会ったことが発端となり、1983年に合弁で豆腐の製造販売を始めた[123]。硬さを6種類そろえて欧米系には硬い商品、韓国系には軟らかい商品を当てている[124]。2015年度の豆腐事業の売上高は96億円で、米国の豆腐市場でシェア3割を超え首位[125]に立っていた。

  • 週刊東洋経済 2016年7月23日号「深層リポート ハウス(好侍) カレー「人民食」化計画!」
    • [119]上海の家庭普及率3割超、中国カレー事業は2012年度に黒字化、シェア9割超
    • [121]浙江の第3拠点へ約50億円を投資
    • [123]米国進出は浦上郁夫社長のロサンゼルス視察が発端、1983年に合弁で豆腐の製造販売を開始
    • [124]硬さ6種類で消費者層を分け、欧米系には硬い商品・韓国系には軟らかい商品を用意
    • [125]2015年度の豆腐事業売上高96億円、米国豆腐市場でシェア3割超の首位
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期(2025年3月期)【沿革】
    • [120]2016年5月 子会社浙江ハウス食品社を設立
    • [122]2010年6月 上海ハウス味の素食品社の清算に伴い中国レトルト事業を上海ハウス食品社へ統合、2011年4月 ハウス食品(上海)商貿社設立、2012年1月 ハウスフーズベトナム社設立、2012年10月 エルブリトーメキシカンフードプロダクツ社設立
  • 週刊東洋経済 2016年7月23日号「深層リポート ハウス(好侍) カレー「人民食」化計画!」
    • [107]1997年 上海にカレーレストラン「Curry House」を出店
    • [108]当時の中国にカレーを調味料に使う習慣はあったがカレーライスは存在しなかった
    • [116]中国版バーモントカレーは黄色にし八角を加え1箱10元
    • [117]学校給食・親子料理教室・社員食堂・阿姨への調理指導・街頭試食(2016年に年間延べ3万回計画)
    • [119]上海の家庭普及率3割超、中国カレー事業は2012年度に黒字化、シェア9割超
    • [121]浙江の第3拠点へ約50億円を投資
    • [123]米国進出は浦上郁夫社長のロサンゼルス視察が発端、1983年に合弁で豆腐の製造販売を開始
    • [124]硬さ6種類で消費者層を分け、欧米系には硬い商品・韓国系には軟らかい商品を用意
    • [125]2015年度の豆腐事業売上高96億円、米国豆腐市場でシェア3割超の首位
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期(2025年3月期)【沿革】
    • [109]2000年11月 子会社台湾カレーハウスレストラン社(現台湾壱番屋社)を設立
    • [110]2001年10月 合弁会社上海ハウス味の素食品社を設立
    • [112]2004年1月 子会社上海ハウス食品社を設立
    • [120]2016年5月 子会社浙江ハウス食品社を設立
    • [122]2010年6月 上海ハウス味の素食品社の清算に伴い中国レトルト事業を上海ハウス食品社へ統合、2011年4月 ハウス食品(上海)商貿社設立、2012年1月 ハウスフーズベトナム社設立、2012年10月 エルブリトーメキシカンフードプロダクツ社設立
  • 週刊東洋経済 2005年4月16日号「[ニュース最前線]ハウス食品の上海工場がスタート 中国にカレーを売り込め 年産130万個体制で市場開拓」
    • [111]2002年 上海ハウス味の素食品社がレトルトカレー「味都都」を発売
    • [114]小瀬昉社長は開所式で中国風味の現地発商品であることを強調
    • [115]上海ハウス食品社はハウス6割・味の素3割・三菱商事1割の出資、初年度生産130万個・売上目標10億円
  • 週刊東洋経済 2007年2月3日号「[特集]中国新次元 クレハ、ハウス食品など日系10社が犠牲に 用済み外資を追い出す上海開発区の理不尽」
    • [113]2005年2月 上海の子会社が操業を開始
    • [118]2006年11月 上海市嘉定区が嘉定工業園区南区の入居企業へ立ち退きを要求、操業2年足らずの拠点が移転の危機

2015年〜 持株会社体制と買収、そしてスパイス系への絞り直し

ハウス食品グループ本社の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2015年 壱番屋へのTOBによる子会社化と、外食事業の取り込み ルウを作って売る会社が、なぜカレーを出す店を買ったのか——家庭内調理の縮小に向き合った2015年の判断
  2. 2016年 ギャバンを子会社化
  3. 2020年 大黒商事を子会社化
  4. 2022年 キーストーンナチュラルHD社を子会社化
  5. 2022年 PT Sasa Intiと合弁会社ササハウスフーズインドネシア社を設立し子会社化
  6. 2024年 子会社ハウス食品グループ東北工場設立

持株会社体制への移行と、川下への関心

2009年、創業者の孫にあたる浦上博史氏が社長に就任した[126]。1965年生まれで、1991年に住友銀行へ入り、1997年にハウス食品へ移って経営企画室長[127]などを経ている。就任の翌2010年に水事業を譲渡し、2013年5月には農産物の輸出入を手がけるヴォークス・トレーディングの株式を取得して[128]原料の調達機能を強めた。2011年12月には東大阪工場を閉鎖してスパイス製造を奈良工場へ統合している[129]。2013年4月に設立したハウス食品分割準備株式会社を受け皿として同年10月に持株会社体制へ移り、社名をハウス食品グループ本社株式会社と改め[130]、香辛・調味加工食品事業をハウス食品株式会社へ、健康食品事業をハウスウェルネスフーズ株式会社へそれぞれ承継している[131]

  • 週刊東洋経済 2016年7月23日号「深層リポート ハウス(好侍) カレー「人民食」化計画!」
    • [126]2009年 創業者の孫の浦上博史が社長就任
    • [128]2010年に水事業を譲渡、2013年5月にヴォークス・トレーディングを買収し調達機能を強化
  • 週刊東洋経済 2016年7月23日号「インタビュー ハウス食品グループ本社社長 浦上博史 ハウス×ココイチで東南アジアを攻める」
    • [127]浦上博史は1965年生まれ、1991年住友銀行入行、1997年ハウス食品入社、経営企画室長などを経て社長
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期(2025年3月期)【沿革】
    • [129]2011年12月 東大阪工場を閉鎖しスパイス製造を奈良工場へ統合
    • [130]2013年4月 ハウス食品分割準備株式会社を設立、2013年10月 持株会社体制へ移行し社名を変更
    • [131]持株会社化に伴い香辛・調味加工食品事業をハウス食品へ、健康食品事業をハウスウェルネスフーズへ承継

持株会社化の狙いは、各事業の運営をそれぞれの事業会社に任せ、本社が買収の戦略に専念できる形をつくることにあった[132]。2010年代前半の国内では、レトルトカレーの生産量が増える一方で固形ルウが落ち、カレーが家庭の外へ移りつつあった[133]。ハウス食品グループ本社の売上高は2012年頃から上向いたものの営業減益が続き、最大の要因は売上高の約5割を占める国内カレー事業の不振にあった[134]浦上博史社長は、東日本大震災で流通が混乱してコンビニが先に品ぞろえを回復したことをきっかけに内食から食の外部化が進んだとし、家庭内調理を前提とする製品を多く扱う同社には逆風だと述べている[135]

  • 週刊東洋経済 2016年7月23日号「深層リポート ハウス(好侍) カレー「人民食」化計画!」
    • [132]持株会社移行の狙いは各事業の運営を事業会社に任せ本社がM&A戦略に専念すること
    • [134]国内カレー事業(売上高の約5割)の不振で営業減益が継続
  • 週刊東洋経済 2016年1月22日号「巻頭特集 孤高のココイチここにあり!」
    • [133]2010年代半ば レトルトカレーの生産量が増え固形ルウは減少、カレーが外へ移った
  • 週刊東洋経済 2016年7月23日号「インタビュー ハウス食品グループ本社社長 浦上博史 ハウス×ココイチで東南アジアを攻める」
    • [135]浦上社長は東日本大震災を機に食の外部化が進み家庭内調理前提の製品に逆風となったと説明

壱番屋との取引は1974年、宗次徳二氏が名古屋市内で開いた喫茶店にカレーを加える際、近隣のスーパーでルウを買い集めて食べ比べ、ハウス食品製を選んだ[136]ところから始まる。1998年にハウス食品が壱番屋の株式を取得し、2002年には創業家から一部を譲り受けて第2位株主[137]となった。2015年7月、壱番屋の浜島俊哉社長がハウス食品を訪ね、創業者に株式売却の意向があると伝えた[138]。宗次氏は2002年に53歳で経営を退いており、売却について、ためらいや執着はなく精いっぱいやり尽くした達成感があり、何よりもいい後継者がいると語っている[139]

  • 週刊東洋経済 2016年1月22日号「巻頭特集 孤高のココイチここにあり!」
    • [136]1974年 宗次徳二が喫茶店にカレーを加える際にハウス製ルウを選び取引が始まった
    • [137]1998年 ハウス食品が壱番屋株式を取得、2002年 創業家から一部譲受で第2位株主
    • [138]2015年7月 浜島俊哉社長がハウス食品を訪ね創業者の株式売却意向を伝えた
    • [139]宗次徳二は2002年に53歳で経営を退き、売却に執着はないと述べた
  • 週刊東洋経済 2016年7月23日号「深層リポート ハウス(好侍) カレー「人民食」化計画!」
    • [126]2009年 創業者の孫の浦上博史が社長就任
    • [128]2010年に水事業を譲渡、2013年5月にヴォークス・トレーディングを買収し調達機能を強化
    • [132]持株会社移行の狙いは各事業の運営を事業会社に任せ本社がM&A戦略に専念すること
    • [134]国内カレー事業(売上高の約5割)の不振で営業減益が継続
  • 週刊東洋経済 2016年7月23日号「インタビュー ハウス食品グループ本社社長 浦上博史 ハウス×ココイチで東南アジアを攻める」
    • [127]浦上博史は1965年生まれ、1991年住友銀行入行、1997年ハウス食品入社、経営企画室長などを経て社長
    • [135]浦上社長は東日本大震災を機に食の外部化が進み家庭内調理前提の製品に逆風となったと説明
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期(2025年3月期)【沿革】
    • [129]2011年12月 東大阪工場を閉鎖しスパイス製造を奈良工場へ統合
    • [130]2013年4月 ハウス食品分割準備株式会社を設立、2013年10月 持株会社体制へ移行し社名を変更
    • [131]持株会社化に伴い香辛・調味加工食品事業をハウス食品へ、健康食品事業をハウスウェルネスフーズへ承継
  • 週刊東洋経済 2016年1月22日号「巻頭特集 孤高のココイチここにあり!」
    • [133]2010年代半ば レトルトカレーの生産量が増え固形ルウは減少、カレーが外へ移った
    • [136]1974年 宗次徳二が喫茶店にカレーを加える際にハウス製ルウを選び取引が始まった
    • [137]1998年 ハウス食品が壱番屋株式を取得、2002年 創業家から一部譲受で第2位株主
    • [138]2015年7月 浜島俊哉社長がハウス食品を訪ね創業者の株式売却意向を伝えた
    • [139]宗次徳二は2002年に53歳で経営を退き、売却に執着はないと述べた

TOBによる外食の取り込みと、のれんの負担

2015年10月30日、ハウス食品グループ本社は壱番屋株式へのTOBを決議した[140]。買付価格は1株6,000円、買付予定株数502万1,100株、買付予定金額は最大301億2,660万円で、期間は11月2日から12月1日まで、所有割合を19.55%から51.00%へ引き上げつつ壱番屋の上場は維持する[141]設計であった。買収時点の壱番屋は2015年12月末で国内1,228店・海外152店の計1,380店を持ち、2015年5月期は売上高440億円・純利益27億円といずれも最高益で、客単価は895円であった[142]。宗次夫妻はこのTOBに応じ、所有していた23.17%すべてを約200億円で譲渡している[143]

  • M&A Online(2015年10月30日)「ハウス食品グループ本社<2810>、壱番屋<7630>をTOBで子会社化」
    • [140]2015年10月30日 壱番屋株式へのTOBを決議
    • [141]買付価格1株6,000円、買付予定株数502万1,100株、最大301億2,660万円、期間11月2日〜12月1日、所有割合19.55%→51.00%
  • 週刊東洋経済 2016年1月22日号「巻頭特集 孤高のココイチここにあり!」
    • [142]2015年12月末で国内1,228店・海外152店の計1,380店、2015年5月期 売上高440億円・純利益27億円、客単価895円
  • 週刊東洋経済 2020年9月12日号「[特集 事業承継M&A]ファンケル/CoCo壱番屋 オーナー経営者の決断」
    • [143]宗次夫妻は所有する23.17%すべてを約200億円で譲渡

TOBは2015年12月1日に成立し、壱番屋は連結子会社となった[144]。買い付け前から保有していた株式の評価益などにより、2016年3月期の連結純利益の見通しは従来予想の80億円から224億円へ引き上げられ[145]、実績は226億円と前期の3倍を超えた。同期の連結売上高は2,419億円、営業利益は108億円で、壱番屋の売上が通期で乗った2017年3月期には売上高が2,838億円、営業利益が123億円へ伸びている[147]。一方で2016年度の計画は売上高2,890億円と前年比19.5%増を見込みながら営業利益は102億円と5.3%の減益で、壱番屋の子会社化に伴うのれん償却費の増加が理由に挙げられた[148][146]

  • 日本経済新聞(2015年12月2日)「ハウス食品、16年3月期の純利益3.2倍に 壱番屋のTOB成立」
    • [144]2015年12月1日 TOB成立、壱番屋を連結子会社化
    • [145]2016年3月期の連結純利益予想は80億円から224億円へ引き上げ
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書(2016年3月期・連結)
    • [146]2016年3月期 連結純利益226億円(前期の3倍超)・売上高2,419億円・営業利益108億円
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書(2017年3月期・連結)
    • [147]2017年3月期 連結売上高2,838億円・営業利益123億円
  • 週刊東洋経済 2016年7月23日号「深層リポート ハウス(好侍) カレー「人民食」化計画!」
    • [148]2016年度計画は売上高2,890億円(前年比19.5%増)・営業利益102億円(5.3%減)、のれん償却費の増加が減益要因

買収は単発では終わらず、2016年6月に業務用スパイス大手のギャバンの株式を味の素から譲り受けて子会社化し[149]、マレーシア・ペナンのスパイス加工工場による原料調達と、ホテル・レストラン向けの販路を得た[150]。2017年3月にイチバンヤUK社、同年8月にマロニー株式会社、2020年9月にイチバンヤインターナショナルUSA社、同年12月に株式会社大黒商事[151]が加わっている。2013年9月と11月に設立したハウスレストラン管理(北京)社と同(広州)社は、広州が2018年12月、北京が2019年11月に清算を終えた[152]浦上博史社長は海外について、ルウの製造販売はハウス食品、レストランの運営は壱番屋と役割を分け、中国だけでなく東南アジア各国へ日本式のカレーを広げる[153]と述べていた。

  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期(2025年3月期)【沿革】
    • [149]2016年6月 ギャバンの株式を取得し子会社化
    • [151]2017年3月 イチバンヤUK社設立、2017年8月 マロニー子会社化、2020年9月 イチバンヤインターナショナルUSA社設立、2020年12月 大黒商事子会社化
    • [152]2013年9月 ハウスレストラン管理(北京)社設立、2013年11月 同(広州)社設立、2018年12月 広州清算完了、2019年11月 北京清算完了
  • 週刊東洋経済 2016年7月23日号「インタビュー ハウス食品グループ本社社長 浦上博史 ハウス×ココイチで東南アジアを攻める」
    • [150]ギャバン子会社化はペナンのスパイス加工工場による原料調達と業務用販路の獲得が狙い
    • [153]浦上社長は海外でルウはハウス・レストランは壱番屋と役割分担し東南アジアへ広げる構想を説明
  • M&A Online(2015年10月30日)「ハウス食品グループ本社<2810>、壱番屋<7630>をTOBで子会社化」
    • [140]2015年10月30日 壱番屋株式へのTOBを決議
    • [141]買付価格1株6,000円、買付予定株数502万1,100株、最大301億2,660万円、期間11月2日〜12月1日、所有割合19.55%→51.00%
  • 週刊東洋経済 2016年1月22日号「巻頭特集 孤高のココイチここにあり!」
    • [142]2015年12月末で国内1,228店・海外152店の計1,380店、2015年5月期 売上高440億円・純利益27億円、客単価895円
  • 週刊東洋経済 2020年9月12日号「[特集 事業承継M&A]ファンケル/CoCo壱番屋 オーナー経営者の決断」
    • [143]宗次夫妻は所有する23.17%すべてを約200億円で譲渡
  • 日本経済新聞(2015年12月2日)「ハウス食品、16年3月期の純利益3.2倍に 壱番屋のTOB成立」
    • [144]2015年12月1日 TOB成立、壱番屋を連結子会社化
    • [145]2016年3月期の連結純利益予想は80億円から224億円へ引き上げ
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書(2016年3月期・連結)
    • [146]2016年3月期 連結純利益226億円(前期の3倍超)・売上高2,419億円・営業利益108億円
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書(2017年3月期・連結)
    • [147]2017年3月期 連結売上高2,838億円・営業利益123億円
  • 週刊東洋経済 2016年7月23日号「深層リポート ハウス(好侍) カレー「人民食」化計画!」
    • [148]2016年度計画は売上高2,890億円(前年比19.5%増)・営業利益102億円(5.3%減)、のれん償却費の増加が減益要因
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期(2025年3月期)【沿革】
    • [149]2016年6月 ギャバンの株式を取得し子会社化
    • [151]2017年3月 イチバンヤUK社設立、2017年8月 マロニー子会社化、2020年9月 イチバンヤインターナショナルUSA社設立、2020年12月 大黒商事子会社化
    • [152]2013年9月 ハウスレストラン管理(北京)社設立、2013年11月 同(広州)社設立、2018年12月 広州清算完了、2019年11月 北京清算完了
  • 週刊東洋経済 2016年7月23日号「インタビュー ハウス食品グループ本社社長 浦上博史 ハウス×ココイチで東南アジアを攻める」
    • [150]ギャバン子会社化はペナンのスパイス加工工場による原料調達と業務用販路の獲得が狙い
    • [153]浦上社長は海外でルウはハウス・レストランは壱番屋と役割分担し東南アジアへ広げる構想を説明

中期計画の未達と、スパイス系への絞り込み

2021年3月期の連結売上高は2,500億円、営業利益は194億円で[154]、同期にはコロナ禍を受けて壱番屋の子会社化時に生じたのれん91億円を減損処理した[155]。外食事業のセグメントでは同期に96億円の減損損失[156]を計上している。海外売上比率は2015年度末で10.8%にとどまり、2020年に20%という目標には距離[157]があった。2022年9月には米国の植物性食品メーカー、キーストーンナチュラルホールディングス社の株式を取得して子会社とした[158]が、2025年3月期には海外食品事業で50億円[159]、2026年3月期には75億円の減損損失を計上している[160]

  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書(2021年3月期・連結セグメント情報)
    • [154]2021年3月期 連結売上高2,501億円・営業利益194億円
    • [156]2021年3月期 外食事業セグメントの減損損失9,604百万円
    • [155]2021年3月期 壱番屋子会社化時ののれん91億円を減損処理
  • 週刊東洋経済 2016年7月23日号「深層リポート ハウス(好侍) カレー「人民食」化計画!」
    • [157]海外売上比率は2015年度末で10.8%、2020年に20%の目標
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期(2025年3月期)【沿革】
    • [158]2022年9月 キーストーンナチュラルホールディングス社の株式を取得し子会社化
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書(2025年3月期・連結セグメント情報)
    • [159]2025年3月期 海外食品事業の減損損失5,042百万円
    • [160]2026年3月期 海外食品事業の減損損失7,530百万円

2024年3月期から始めた第八次中期経営計画は、スパイス系・機能性素材系・大豆系・東南アジア新領域の4系列のバリューチェーンを掲げている[161]。2025年1月からは米国事業を事業別のマネジメント体制へ再編し、TOFU事業の競争力強化と植物性食品事業の収益改善[162]に取り組んだ。2026年3月期のセグメント別では、香辛・調味加工食品事業が売上1,268億円・営業利益128億円と、グループの営業利益182億円の大半を稼いだ[163]。外食事業は売上654億円・営業利益34億円、海外食品事業は売上629億円・営業利益34億円、健康食品事業は売上163億円・営業利益15億円[164]で、買収によって増やした事業からの利益貢献は限られた。1985年8月に設立したチルド惣菜の子会社デリカシェフ[165]については、2026年5月に事業の譲渡を発表し、譲渡益26億円と政策保有株式の売却益47億円を計上する見込みを示した[166]

2026年5月の決算説明会で会社は、第八次中期計画が2年を過ぎて当初計画とのギャップが大きくなったことが危機感を強くしている最大の背景であるとし、営業利益は当初目標270億円に対し最終年度である2027年3月期の予想が185億円になる[167]と説明した。3つのバリューチェーンはいずれも目標未達で、大豆系は2028年3月期の黒字化を撤退の基準[168]に置いている。資本コストを約6%と見積もりながらまだ到達できていないため、利益改善に加えて自己資本も含めて改善する方針を採り、2027年3月期に自己株式取得260億円とDOE3.0%以上[169]を掲げた。組織については、機能と事業が分離して本社コストの上昇が続き、グループ本社の下で事業会社が並列となって個社最適の弊害が出ている[170]ことを解消したいと述べている。

    • [167]第八次中計が2年を過ぎ当初計画とのギャップが拡大、営業利益は当初目標270億円に対し2027年3月期予想185億円
    • [168]3つのバリューチェーンはいずれも目標未達、大豆系の撤退基準は2028年3月期の黒字化
    • [169]資本コスト約6%に未到達、2027年3月期に自己株式取得260億円・DOE3.0%以上
    • [170]機能と事業の分離による本社コスト上昇と、グループ本社の下で事業会社が並列となる個社最適の弊害
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書(2021年3月期・連結セグメント情報)
    • [154]2021年3月期 連結売上高2,501億円・営業利益194億円
    • [156]2021年3月期 外食事業セグメントの減損損失9,604百万円
    • [155]2021年3月期 壱番屋子会社化時ののれん91億円を減損処理
  • 週刊東洋経済 2016年7月23日号「深層リポート ハウス(好侍) カレー「人民食」化計画!」
    • [157]海外売上比率は2015年度末で10.8%、2020年に20%の目標
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期(2025年3月期)【沿革】
    • [158]2022年9月 キーストーンナチュラルホールディングス社の株式を取得し子会社化
    • [165]1985年8月 子会社デリカシェフを設立
  • ハウス食品グループ本社 有価証券報告書(2025年3月期・連結セグメント情報)
    • [159]2025年3月期 海外食品事業の減損損失5,042百万円
    • [160]2026年3月期 海外食品事業の減損損失7,530百万円
    • [163]2026年3月期 香辛・調味加工食品事業 売上126,812百万円・営業利益12,838百万円、連結営業利益18,246百万円
    • [164]2026年3月期 外食事業 売上65,393百万円・営業利益3,388百万円、海外食品事業 売上62,860百万円・営業利益3,361百万円、健康食品事業 売上16,323百万円・営業利益1,527百万円
    • [161]第八次中期経営計画(2024年3月期〜)は4系列バリューチェーン(スパイス系・機能性素材系・大豆系・東南アジア新領域)を掲げる
    • [162]2025年1月から米国事業を事業別マネジメント体制へ再編、TOFU事業の競争力強化とPBF事業の収益改善
    • [166]デリカシェフ事業の譲渡益26億円、政策保有株式の売却益47億円
    • [167]第八次中計が2年を過ぎ当初計画とのギャップが拡大、営業利益は当初目標270億円に対し2027年3月期予想185億円
    • [168]3つのバリューチェーンはいずれも目標未達、大豆系の撤退基準は2028年3月期の黒字化
    • [169]資本コスト約6%に未到達、2027年3月期に自己株式取得260億円・DOE3.0%以上
    • [170]機能と事業の分離による本社コスト上昇と、グループ本社の下で事業会社が並列となる個社最適の弊害

ハウス食品グループ本社の沿革1926〜2024年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
薬種問屋からカレー粉の自社製造への転換原料を納める側にとどまるか、自ら作って売る側へ回るか——浦上靖介氏が1926年に選んだ道 詳細を読む★★★
工場を新設
カレー粉の製造を開始★★
浦上糧食工業所を設立
名称をハウスカレー浦上商店に商号変更
東大阪工場にカレー製造工場竣工
名称をハウス食品工業に商号変更
バーモントカレー発売★★
プリンミクス発売
奈良工場竣工
関東工場竣工
合弁会社サンハウス食品を設立しレトルト食品発売★★
東京・大阪証券取引所市場第2部上場
即席麺発売
スナック食品発売
静岡工場竣工
カリフォルニア州にハウスフーズ&ヤマウチを合弁設立★★
子会社デリカシェフ設立
決算期を11月30日から3月31日に変更
子会社カレーハウスアメリカ社を米カリフォルニア州に設立
低シェア事業からの撤退方針とチルド食品事業の全面撤退時流に乗った成長分野でも、首位を争えないなら畳むべきか——大塚邦彦社長が問い直した多品目化の代償 詳細を読む★★★
ソマテックセンター(研究所)竣工
ハウス食品に商号変更、東京・大阪2本社体制に変更
子会社カレーハウスアメリカ社をハウスフーズアメリカ社に吸収合併
東京本社ビル竣工
小瀬昉合弁会社上海ハウス味の素食品社設立
小瀬昉ウコンの力発売★★
小瀬昉ギャバンと業務提携
小瀬昉朝岡スパイスを子会社化
小瀬昉ハウスウェルネスフーズを子会社化★★
浦上博史ミネラルウォーター事業を譲渡
浦上博史ヴォークス・トレーディングの株式を取得し東南アジア子会社等を子会社化★★
浦上博史持株会社体制に移行し社名をハウス食品グループ本社に商号変更★★
浦上博史壱番屋へのTOBによる子会社化と、外食事業の取り込みルウを作って売る会社が、なぜカレーを出す店を買ったのか——家庭内調理の縮小に向き合った2015年の判断 詳細を読む★★★
浦上博史ギャバンを子会社化
浦上博史大黒商事を子会社化
浦上博史キーストーンナチュラルHD社を子会社化
浦上博史PT Sasa Intiと合弁会社ササハウスフーズインドネシア社を設立し子会社化
浦上博史子会社ハウス食品グループ東北工場設立
出典・参考

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