評価

歴代社長の業績成果

5段階評価(A〜E)
長期的な定量評価に基づく
1946年〜 | 経営トップ(社長・CEOなど)
就任年度
業績不明
売上高
n/a
税引後利益
n/a
利益率
n/a
▶︎
2023年3月期
連結
売上高
13591
億円
当期利益
940
億円
利益率
6.9%
1888

神奈川県葉山でヨード製造を開始

鈴木ナカがヨード製造に着眼

味の素が発売されたのは1909年であるが、事業の発端は明治21年(1888年)に、鈴木三郎助(初代)の妻であった鈴木ナカが、自宅のある神奈川県・葉山町堀ノ内にて「ヨード製造」を始めたのが最初である。鈴木三郎助(初代)は、葉山を拠点として日用品店「滝屋」を営んでいたが、1875年にチフスによって35歳で逝去。このため、未亡人となった鈴木ナカは覚悟を決め、自身だけで3人の子供(2代目三郎助など)を育て上げた。

1888年に鈴木ナカは「医薬・消毒・殺菌剤」の原料として利用されるヨードに着眼。日本国内では、海藻からヨードを製造する事業が漁民の副業として明治時代を通じて「千葉・神奈川・静岡・三重」を中心に成長し始めており、神奈川県葉山の鈴木家もヨード製造に参入した。参入背景としては、鈴木ナカの子供である2代目三郎助が相場に手を出して失敗したため、家業を再建するために収入源を増やすことが狙いであった。

家業を危機に追いやった二代目三郎助は、その後改心して相場から手を引き、ヨードの製造販売を手伝うようになった。ヨードの製造は鈴木ナカが行い、仕入・販売を二代目三郎助が行う形で、親子で役割を分担した。販売先は薬品問屋であり、原料となる海藻の仕入れ先は「三浦半島・伊勢湾」などであった。

また、ヨード製造の技術にあたっては、大日本製薬の技師長であり。東京大学教授の長井長義氏が、鈴木家に好意を持って協力した。このため、鈴木家はヨード製造を葉山というローカルな地方で行いつつも、当時最先端の技術導入に成功した。

2代目鈴木三郎助がヨード原料の薬品製造に参入

1892年から鈴木家では、2代目三郎助(当時28歳)が、ヨードの二次製品である「ヨードカリ、ヨードホルム」などの薬品製造に参入し、製薬の事業化を試みた。自宅の畑(神奈川県葉山)に200坪の工場を新設し「鈴木製薬所」と命名した。

加えて、2代目三郎助の弟である忠治氏が同じ頃に横浜商業高校を卒業し、鈴木家の家業を手伝うようになった。忠治氏は在学中に、海外の文献を通じて薬品の製造法をを勉強しており、鈴木製薬所の工場を担当する形となった。これにより、兄の2代目三郎助が販売・弟の忠治が生産技術を担当した。

薬品の製造事業は順調に推移したことや、1905年に鈴木ナカが59歳で逝去したことを受けて、会社形態に改めることを決定。1907年に鈴木家の家業である「ヨード製造業・製薬事業」について、葉山工場の資産を継承する形で、合資会社鈴木製薬所を設立した。会社発足後も鈴木製薬所の事業は順調に推移し、その後、事業化した「味の素」における創業期の赤字を補填する役割を果たした。その後、葉山工場は第一次世界大戦後のヨードの価格暴落を受け、1923年に閉鎖された。

1875年
初代・鈴木三郎助が逝去
1888年
鈴木ナカ:神奈川県葉山でヨード製造を開始
1907年
5月
合資会社鈴木製薬所を設立
1920年
鈴木家のヨード事業を整理
1923年
葉山工場の閉鎖
1909
5月

うま味調味料「味の素」の販売開始

池田教授によるグルタミン酸塩による調味料の発明

1908年に東京大学の教授であった池田菊苗氏は「グルタミン酸塩を主成分とする調味料」を世界で初めて発明した。池田教授は「昆布のうまみ」に着眼して「甘い・酸っぱい・塩辛い・苦い」という4つの味以外に、「旨味」が存在する仮説を立て、この化合物をグルタミン酸塩であることを発見した。1908年に池田教授は特許『「グルタミン酸塩」ヲ主成分トセル調味料製造法』を出願(1923年に満了)した。池田教授は工業化を図るために、当時の大企業や財界に働きかけるが、引き受けては存在しなかった。

一方、2代目鈴木三郎助は、特許が出願される直前(1908年)に池田教授が昆布を研究中であることを知り、ヨード製造との関連を探るために東京大学の実験室を訪問していた。そして、池田教授は財界への働きかけが難しいと悟り、葉山でヨード製造をしていた鈴木三郎助に工業化を依頼した。

味の素参入に至る算段

鈴木三郎助としては「製造・販売」の2つの面において、グルタミン酸塩調味料の事業化に困難を伴うことを予測した。製造面では大規模な工場が必要なことや、製造法が確立されていないことが不確実要素であった。また、販売面では、そもそも調味料としてニーズが存在するかが不明であり、あったとしても全国的な販売網を構築するのは容易ではなかった。このため、新事業展開には巨額資本の投下が必要であることが予想された。

そこで、鈴木三郎助は調味料事業については、鈴木製薬所とは別の事業として遂行することでリスクを分散。また、池田教授に対して特許収益の共有を提案し、特許料が入った場合は10%を受け取る契約を締結した。マーケティングの面では、料亭で調味料の評判を確かめるなど、実地見聞を行なった。

これらのプロセスを経て、鈴木三郎助はグルタミン塩酸の調味料(のちの「味の素」)の事業化を決定した。鈴木家としては新事業に注力するため、二代目三郎助が事業統括、忠治が製造、二代目三郎助の長男(三郎)が販売を担当する分業体制を敷き、製薬事業は娘婿に管理させる体制をとった。財務面では、参入時の赤字は、鈴木家が鈴木製薬所から得る収益で工面する形で目処をつけた。

逗子工場で「味の素」の製造を開始

1908年に逗子工場(神奈川県逗子市逗子2丁目)を新設し、グルタミン塩酸調味料の製造を開始。商品名は当初、池田教授が示した「味精」が候補に上がったが、市場に受け入れられ易くするために「味の素」を採用した。1909年2月に製品出荷を開始し、当時ベンチャー企業であった日本醤油醸造株式会社への販売を開始。ただし、同社の醤油にサッカリンの使用が判明して1910年に破綻したため、味の素の販売先を自力開拓する必要性に迫られた。

創業期における原料は「小麦粉グルテンと塩酸(現在はグルタミン酸ナトリウム・主にさとうきび由来)」であり、加水分解などを通じて製造した。だが、製造工程では「塩酸ガス」が発生する点が公害問題をもたらし、加えて、廃液を川や海に投棄していた。このため、近隣の農家がから苦情が発生するなど、逗子工場における「味の素」の生産は難しい情勢となった。このため、1914年に川崎工場を新設し、逗子工場を移転した。

1912年4月
合資会社鈴木商店の発足

-

1907年
5月
合資会社鈴木製薬所を設立
1912年
4月
合資会社鈴木商店に商号変更・味の素事業を移管
1917年
6月
株式会社鈴木商店を発足
1919年
2代目鈴木三郎助が株式投機で失敗
1932年
10月
「味の素本舗株式会社鈴木商店」に商号変更
1940年
12月
鈴木食料工業に商号変更
1943年
12月
大日本化学工業に商号変更
1914年9月
川崎工場の新設

塩酸ガスや廃液による近隣農家からの苦情により、逗子工場の閉鎖を決定。住居が少なく多摩川の下流に位置する川崎に工場を新設(塩酸ガス問題は1935年の製法改善によって克服)

1917年2月
東洋紡績に澱粉糊の納入を開始

味の素の生産工程で発生する副産物(澱粉)について、紡績会社への販売を開始。産業用途向けのBtoB事業を本格化

1922年
味の素原料の風説被害(蛇説)
1925年
味の素のグルタミン酸法による製造を開発
1935年3月
食品事業で多角化
1935年
3月
宝製油を設立・油脂事業に参入
1935年
3月
宝製油を設立・油脂事業に参入
1946年2月
味の素株式会社に商号変更
1949年5月
東京証券取引所に株式上場
1956年1月
アミノ酸事業に参入
1960年4月
海外進出を本格化
1956年
7月
アメリカ味の素を設立(ニューヨーク)
1958年
5月
フィリピン味の素を設立
1960年
4月
タイ味の素を設立
1961年
7月
マレーシア味の素を設立
1968年
2月
ペルー味の素を設立
1969年
7月
インドネシア味の素を設立
1961年3月
四日市工場を新設
1963年3月
米コーンプロダクツ社と提携・クノール食品を発足
1967年10月
化成品部を発足・化成品に参入
1970年11月
ほんだしを発売
1970年12月
冷凍食品事業に参入
1973年8月
米ゼネラルフーズと提携・味の素AGFを発足(コーヒー飲料)
1980年
仏ジェルべ・ダノンと提携(乳製品)
1981年9月
医薬品事業に参入
1987年10月
鹿島工場を新設
1989年9月
欧州・オニケム社を買収
1990年9月
カルピス食品工業と提携(総販売元)
1996年12月
味の素(中国)を設立
1996年5月
肝疾患用分岐鎖アミノ酸製剤を発売

味の素ファルマを通じて発売を開始。2002年度の売上高は161億円となり、医薬品事業の中で最大の売り上げ規模へ

決算
味の素の業績
1997年3月期(連結)
売上高
7884
億円
当期純利益
153
億円
1998年9月
味の素ファインテクノを設立

-

1999年
インテルがABF(Ajinomoto Build-up Film)を採用
2000年
TAB用レジストインク工場を新設
2001年
テクノセンター1号館を新設
2007年
テクノセンター2号館を新設
2013年
CPUパッケージ基板向け層間絶縁フィルムでシェア1位
高性能向け・世界シェア 100 %
2022年
テクノセンター3号館を新設
2024年
3月
高収益を持続(売上高営業利益率45.9%)
営業利益 269 億円
決算
味の素の業績
1999年3月期(連結)
売上高
8145
億円
当期純利益
132
億円
1998年10月
グループ企業の整理統合を開始

-

1998年
10月
味の素ファインテクノを設立
1999年
4月
味の素製油を設立
1999年
4月
味の素コミュニケーションズを設立
1999年
7月
味の素エンジニアリングを設立
2000年
4月
味の素物流を設立
2000年
10月
味の素パッケージングを設立
決算
味の素の業績
1999年3月期(連結)
売上高
8145
億円
当期純利益
132
億円
1999年12月
ヘキストより輸血栄養医薬品事業を買収・味の素ファルマを発足
2002年6月
海外で飼料用アミノ酸を増産
2002年
米国で工場の新増設(スレオニン・リジン)
2002年
欧州で工場の新増設(スレオニン・リジン)
2003年
タイでリジンの生産開始
2003年
ブラジルでリジンの生産開始
2003年7月
欧州・オルサン社を買収
2003年4月
油脂事業から縮小(J-オイルミルズを発足)

低収益な油脂事業について、味の素製油・吉原製油・ホーネンコーポレーションの3社が経営統合を決定。2003年4月にJ-オイルミルズを発足し、味の素は製油事業から実質的に撤退した。

決算
味の素の業績
2004年3月期(連結)
売上高
10395
億円
当期純利益
362
億円
営業CF
647
億円
投資CF
-355
億円
財務CF
-140
億円
従業員数
24861
2005年4月
カンパニー制を再編

2002年に社内カンパニー制を導入。2005年には社内カンパニー(3社)を再編し、提携事業4社(カルピス味の素ダノン・カルピス・味の素ゼネラルフーズ・J-オイルミルズ)、分社2社(味の素冷凍食品・味の素ベーカリー)、カンパニー3社(食品カンパニー・アミノ酸カンパニー・医療カンパニー)による組織体制を開始した。

決算
味の素の業績
2006年3月期(連結)
売上高
11068
億円
当期純利益
349
億円
営業CF
551
億円
投資CF
-837
億円
財務CF
66
億円
従業員数
26049
2007年2月
ヤマキと業務資本提携を締結
2011年11月
飼料用アミノ酸事業の再編(収益低下)
2014年11月
米ウィンザー・クオリティHEを買収
2019年4月
食品事業の組織再編を実施
2020年4月
中期経営計画を策定(〜2025年)
2023年2月
中期経営計画の策定中止