直近の経営方針: 2022年3月期 2031年3月期
中期ASV経営 2030

歴史的背景

味の素は調味料を起点とする食品事業で成長する一方、医薬、電子材料、バイオなどアミノサイエンス領域へと事業を拡張してきた。多角化の進展により事業間の収益性や資本効率に差が生じたことから、2010年代後半以降は事業構造を整理し、資源配分の明確化を進めている。中期ASV経営2030は、こうした再編の流れを踏まえ、長期的な成長と収益性を両立させる経営枠組みとして策定された。

経営指針

本計画では、食品事業を安定的なキャッシュ創出基盤と位置付ける一方、アミノサイエンス分野を将来の成長ドライバーとして明確化している。低成長・低収益事業の見直しを進めつつ、調味料・冷凍食品で得られるキャッシュを、医薬、バイオ、電子材料などの高付加価値領域へ配分することで、投下資本を抑制しながら成長を実現する構造を採用している。社会価値と経済価値の同時創出を前提に、資本効率と事業成長の両立を長期的に図ることが計画の中核となっている。

洞察
なぜ、独占技術を持ちつつ企業価値の最大化に時間を要したのか

味の素は、グルタミン酸ソーダで市場を事実上独占する企業として出発した。しかし1960年代に入ると、協和発酵との間で特許を巡る深刻な対立が生じ、単一技術への依存が経営リスクとして顕在化した。基盤技術が揺らぐ中で、味の素は事業集中による成長ではなく、事業領域を広げることで収益の安定化を図る選択を行った。総合化は成長戦略というより、技術リスクを分散するための防衛的判断であった。

この総合化は、アミノ酸技術を軸に食品、医薬、化成品、油脂などへと展開する形で進められた。技術的な連続性はあったものの、各事業の収益構造や資本効率は大きく異なっていた。しかし当時の経営判断では、個別事業の採算性よりも、全社としての安定性が優先された。その結果、収益性の低い事業も整理されることなく残り、事業ポートフォリオ全体の収益力は徐々に希薄化していった。

2000年代に入り、油脂事業の分離など一定の整理は進められたが、依然として「どの水準で事業を続け、どこで撤退するか」という数値基準は明確に示されなかった。事業継続の判断は定性的な将来性や技術的意義に依存し、投下資本に対する収益性は後景に退いていた。このため、社内に高い技術力と研究開発力を持ちながら、それが企業価値として評価されにくい状態が続いた。

転機となったのが2019年のROIC導入である。裏を返せば、日本を代表する食品メーカーでありつつも、長らく企業価値が正当に評価されない状態が続いていたことを示している。

2026-01-10 | by @yusugiura, Software Engineer
洞察
なぜ味の素にとって、2019年のROIC導入は革命的だったのか

味の素が長年抱えてきた課題は、事業の善悪ではなく、事業間の「優先順位」を定義できていなかった点にあった。食・栄養・健康といった領域は社会的正当性が高く、各事業はそれぞれに存続理由を持っていた。そのため、売上成長や研究意義が重視され、資本効率は結果指標として扱われやすかった。

2019年にROICを経営指標として本格導入したことは、この前提を覆す意思決定であった。ROICは利益の大小ではなく、投下資本に対してどれだけ価値を生んだかを問う指標である。これにより、「技術的に正しい」「社会的に意義がある」といった理由だけでは、資本を配分し続けることが正当化できなくなった。

この変化は、評価軸を変えただけではない。ROIC導入によって、事業は初めて共通の尺度で比較可能となり、低収益事業は「将来性」ではなく「資本効率」で説明責任を負う立場に置かれた。結果として、成長が見込めても資本回転が悪い事業や、利益は出ていても投下資本が過大な事業が、再検討の対象となった。

味の素にとってROIC導入が革命的だった理由は、撤退や集中を促す“外圧”を内部に組み込んだ点にある。善意や理念に依存しない資本配分ルールが明文化されたことで、変革は「必要に迫られて」ではなく、「常時行われる判断」へと変わった。2019年以降の事業ポートフォリオ改革は、単なる業績改善策ではなく、意思決定構造そのものの転換を意味している。

2026-01-10 | by @yusugiura, Software Engineer
売上
味の素:売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
15,305億円
売上高:2025/3
利益
味の素:売上高_当期純利益率
○単体 | ○連結 (単位:%)
4.5%
利益率:2025/3
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1888

家業でヨード製造を開始

背景:葉山におけるヨード製造開始という家計再建の選択

味の素が発売されたのは1909年であるが、その事業的起点は1888年、神奈川県葉山町堀ノ内で始まったヨード製造にあった。鈴木三郎助(初代)は葉山で日用品店を営んでいたが、1875年にチフスで死去した。これにより妻の鈴木ナカは未亡人となり、三人の子を育てながら家計を支える立場に置かれた。

当時、ヨードは医薬・消毒用途の原料として利用され、海藻を原料とする製造は沿岸地域で漁民の副業として広がっていた。千葉・神奈川・静岡・三重では小規模生産が成立しており、葉山も同様の条件を備えていた。鈴木家がこの分野に参入した背景には、二代目三郎助が相場取引に失敗し、家業の収入構造が不安定化した事情があった。鈴木ナカは、家庭内で実行可能な生産形態としてヨード製造を選択し、自宅での製造を開始した。

決断:親子分業による製造販売体制と製薬事業への展開

ヨード製造は、鈴木ナカが製造を担い、二代目三郎助が仕入と販売を担当する分業体制で運営された。販売先は薬品問屋であり、原料となる海藻は三浦半島や伊勢湾などから調達された。技術面では、大日本製薬の技師長であり東京帝国大学教授でもあった長井長義が助言を行った。長井は有機化学分野の研究者であり、鈴木家は葉山という地方で事業を営みつつ、当時の製造技術水準を取り入れることが可能となった。

1892年には、二代目三郎助がヨードの二次製品であるヨードカリやヨードホルムの製造に着手し、自宅の畑に約200坪の工場を新設して鈴木製薬所と命名した。同時期に弟の忠治が横浜商業学校卒業後に参画し、生産技術を担当した。兄が販売、弟が製造を担う体制が確立され、1907年には合資会社鈴木製薬所が設立された。この製薬事業は、後年の味の素事業立ち上げ期において資金面を補完する役割を果たした。

概要
家業を産学連携で盛り立てた特殊事例

明治期の日本では、大学で行われていた研究が民間の製造現場に取り入れられる例は限られていた。鈴木家のヨード製造では、東京帝国大学教授で有機化学研究者であった長井長義が、製造技術に関する助言を行った。地方で行われていた家内工業的な生産に、大学研究者の知見が関与した点は当時としては異例であり、ゆえに、家業が後に味の素として発展する布石になった。

1875年
初代・鈴木三郎助が逝去
1888年
鈴木ナカ:神奈川県葉山でヨード製造を開始
1907年
合資会社鈴木製薬所を設立
1920年
鈴木家のヨード事業を整理
1923年
葉山工場の閉鎖
1909
5月

味の素の販売開始

背景:うま味という仮説と工業化の担い手不在

1909年5月、うま味調味料「味の素」が販売を開始した。その技術的起点は1908年、東京大学教授であった池田菊苗による研究にあった。池田は昆布のだしに着目し、甘味・酸味・塩味・苦味とは異なる味覚の存在を仮定した上で、その成分がグルタミン酸塩であることを突き止めた。池田は同年、「グルタミン酸塩を主成分とする調味料製造法」として特許を出願した。

ただし、池田自身は研究者であり、製造や販売を担う立場にはなかった。工業化を図るため、当時の大企業や財界に働きかけたが、引き受け手は現れなかった。一方、葉山でヨード製造を行っていた二代目鈴木三郎助は、池田が昆布を研究していることを知り、東京大学の実験室を訪問していた。池田は財界への働きかけが難しいと判断し、鈴木三郎助に工業化を依頼するに至った。

決断:不確実性を前提とした事業設計

鈴木三郎助は、グルタミン酸塩調味料の事業化に際し、製造と販売の両面で困難を伴うと見込んだ。製造面では、大規模設備が必要であること、製造法が確立されていないことが不確実要素であった。販売面でも、調味料としての需要が存在するかは未知であり、全国的な販売網の構築は容易ではなかった。結果として、多額の資本投下が必要になると予測された。

そこで鈴木は、調味料事業を既存の鈴木製薬所とは切り離し、別事業として進めることでリスクを分散した。また池田に対しては、特許収益の一部を還元する契約を提案し、特許料収入の10%を支払う条件で合意した。販売面では、料亭での試用を通じて評判を確かめるなど、段階的な市場確認を行った。

結果:製造開始と初期の課題

1908年、神奈川県逗子市に逗子工場を新設し、グルタミン酸塩調味料の製造を開始した。商品名は当初「味精」も検討されたが、市場での受容を考慮し「味の素」とされた。1909年2月に出荷を開始し、日本醤油醸造株式会社への販売が行われたが、同社はサッカリン使用問題により1910年に破綻し、販売先の自力開拓が必要となった。

創業期の原料は小麦粉グルテンと塩酸であり、加水分解によって製造された。一方で、製造過程では塩酸ガスの発生や廃液処理が問題となり、近隣農家から苦情が生じた。これにより逗子工場での操業は困難となり、1914年に川崎工場を新設して移転した。味の素事業は、初期段階から技術・販売・環境対応を同時に抱えながら展開されていった。

概要
先端技術を担った中小事業者

池田菊苗の発明は、当時としては先端的な研究成果であったが、大企業は事業化に踏み切らなかった。製造リスクや市場の不確実性が障壁となっていたとみられる。こうした状況の中で、葉山で事業を営んでいた鈴木三郎助が工業化を担った点に特徴がある。先端技術が中小規模の事業主体によって事業化されたことが、味の素誕生の前提となった。

1909年
味の素の販売開始
1922年
味の素原料の風説被害(蛇説)
1925年
味の素のグルタミン酸法による製造を開発
1912
4月

合資会社鈴木商店の発足

-

1907年
合資会社鈴木製薬所を設立
1912年
合資会社鈴木商店に商号変更・味の素事業を移管
1917年
株式会社鈴木商店を発足
1919年
2代目鈴木三郎助が株式投機で失敗
1940年
鈴木食料工業に商号変更
1943年
大日本化学工業に商号変更
1914
9月

川崎工場の新設

背景:逗子工場の操業限界と環境問題の顕在化

1910年代に入ると、「味の素」の販売量は拡大し、逗子工場の生産量も増加していた。一方で、製造工程に伴って発生する塩酸ガスや廃液が、周辺の農地や住民生活に影響を及ぼすようになっていた。逗子工場は住宅地や農地が近接する地域に立地しており、生産量の増加に比例して苦情が表面化した。これにより、操業の継続そのものが経営上の論点となった。

また、逗子工場は用地の制約から設備拡張が難しく、売上成長に対応した生産能力の引き上げには限界があった。製法の改良によって塩酸ガス問題を解消する見通しは当時立っておらず、短期的な対応としては生産拠点そのものを見直す必要があった。

決断:川崎への生産拠点移転という選択

鈴木商店は、逗子工場の閉鎖と新工場建設を同時に進める判断を行った。移転先の選定では、住居が少ない地域であることに加え、大量の工業用水を確保できる点や、廃液処理に対応可能な地理条件が重視された。その結果、多摩川下流に位置する川崎が候補地として選ばれた。川崎は当時、工業地帯としての開発途上にあり、広い用地の確保が可能であった。

1914年9月、川崎工場の新設が決定された。この判断には、設備新設に伴う多額の投下資本を受け入れるリスクテイクが含まれていた。一方で、生産拠点を集約することで、増収局面にある「味の素」の供給を維持する狙いもあった。

結果:生産集約と継続課題の併存

川崎工場の稼働開始により、「味の素」の生産は同地へ集約された。これにより、生産量の拡大に対応できる体制が整い、供給面での制約は緩和された。一方で、川崎工場においても塩酸ガスの問題が即座に解消されたわけではなく、周辺地域への影響は引き続き対応を要する課題として残った。

製法そのものの見直しが進み、塩酸ガス問題が本格的に解消されるのは1935年の製法改善を待つことになる。それでも、川崎工場の新設は、生産能力の制約と環境問題が同時に顕在化した局面において、事業継続を優先した判断であった。

概要
塩酸ガス問題の根本解決に20年

川崎工場への移転後も、塩酸ガスに関する問題は完全には解消されず、周辺からの苦情は継続して発生していた。ただし、工業利用を想定した立地であったことから、操業は続けられ、製造そのものを止める判断には至らなかった。その後、製法の見直しが進められ、塩酸ガス問題が技術的に克服されるのは1935年の製法改善以降である。川崎工場は、立地による対応と技術改良が時間差で重なった生産拠点であった。

1917
2月

東洋紡績に澱粉糊の納入を開始

味の素の生産工程で発生する副産物(澱粉)について、紡績会社への販売を開始。産業用途向けのBtoB事業を本格化した。

1920

全国に特約店網を整備

背景:全国販売を前提とした販路整備の必要性

1909年に一般販売が始まった「味の素」は、当初は薬品に近い新製品として受け止められ、需要の広がりは緩やかであった。発売初期は日本醤油醸造を通じた販売に依存していたが、同社の廃業により、独自に販路を構築する必要に迫られた。加えて、調味料という性質上、単発の卸売では継続的な販売量を確保しにくく、小売段階まで含めた流通の設計が課題となった。

当時の国内市場では、地域ごとに商習慣や有力商店が異なっており、全国一律の販売方式は現実的ではなかった。このため、地域別に有力な商店と継続取引を結び、販売を担わせる体制を整えることが求められた。

決断:特約店網の構築と販売統制

同社は1910年代を通じて、東京・大阪を起点に地域別の特約店制度を整備した。特約店には一定地域での販売を委ね、価格や流通量の調整を行うことで、無秩序な値下げや流通混乱を抑えた。さらに特約店の下に副特約店、小売店を組み合わせる形で、重層的な販売網が形成された。

1920年代に入ると、特約店網は全国主要都市へ広がり、販売は関西地域を中心に拡大した。この過程で、「味の素」は特定の流通経路を通じて供給される商品として認識されるようになり、販路構築そのものが事業障壁を構築する要素となった。

概要
量産と販路が固めた国内シェア

川崎工場による量産体制の確立は、全国市場に対して継続的な供給を可能にし、特約店網の整備と結びつくことで国内シェアの拡大を支えた。地域ごとに販売経路を押さえた結果、後発企業が有力な販路へ参入する余地は限られた。実際、戦後に参入したなどの後発メーカーは、生産能力を有していても販売網の構築に時間を要し、味の素が形成した国内シェアを短期間で切り崩すことはできなかった。

1932
「味の素本舗株式会社鈴木商店」に商号変更
1935
食品事業で多角化
1946
味の素株式会社に商号変更
1949
東京証券取引所に株式上場
1956
11月

協和発酵とMSGの全量買取契約を締結

背景:直接発酵法の登場と競争条件の変化

1956年9月、協和発酵工業は、微生物を用いた直接発酵法によるMSG製造の開始を公表した。直接発酵法は、糖質原料を基質としてグルタミン酸を生成する製法であり、酸分解法に比べて工程の簡略化と製造コストの低下が見込まれた。当時、味の素は川崎工場を中核とする量産体制と全国特約店網を背景に、国内MSG市場で高いシェアを維持していたが、製法面では酸分解法への依存が続いていた。

発酵法は原料選択の自由度が高く、副産物処理の制約も相対的に小さい。このため、直接発酵法の工業化は、中長期的にコスト構造を変える可能性を持っていた。味の素にとって、発酵法で後発となることは、価格競争力や国内シェアに影響を及ぼす事態であり、1950年代半ばには経営課題として認識された。

決断:1956年から1959年にかけての提携と特許対応

味の素が選択したのは、直接発酵法を巡る競争を排他的な技術対立に持ち込まず、市場供給の安定を優先する対応であった。1956年11月、味の素は協和発酵工業との間で、同社が製造するMSGを全量買い取る売買契約を締結した。この交渉には、朝日麦酒社長(当時)であり、両社と関係を有していた山本為三郎が仲介役として関与した。

契約では、1957年以降の購入数量や価格条件が定められ、味の素は自社の販売網を通じた供給を継続し、協和発酵は生産拡大の見通しを得た。さらに1958年1月には特許に関する相互確認の覚書が交わされ、1959年11月にはクロスライセンス協定が成立した。

結果:1960年前後の競争収束と国内シェアの維持

1960年2月、協和発酵工業による追加特許の公告を受け、両社はクロスライセンス協定に基づく協議を継続した。結果として、直接発酵法を巡る競争は訴訟や市場分断には発展せず、技術の共存と市場安定を前提とする形で整理された。

味の素は、協和発酵との提携を通じて供給量と品質を確保し、川崎工場による量産と全国特約店網による販売を維持した。直接発酵法の登場は製法転換を促す要因となったが、1950年代までに形成された生産規模と販路により、国内MSG市場のシェアは保持された。

証言
味の素グループの百年史

高度成長期に、味の素社の事業規模は、道面豊・鈴木恭二両社長のもとで著しく拡大した。ただし、ここで見落とすことができない事実は、この時期の出発点において味の素社が、企業の存亡にも関わる大きなショックに遭遇したことである。そのショックは、1956年に協和発酵工業株式会社(以下、協和発酵社)が、直接発酵法によるグルタミン酸ナトリウム(MSG)の製造開始を発表したことによって引き起こされた。

直接発酵法の出現は、味の素社が、主力製品であるMSGに関して、それまで長年にわたって維持してきた競争優位を失うことを意味した。経営上の危機に直面した同社は、その後、直接発酵法と合成法によるMSG生産の開始、総合食品企業化へ向けた製品の多角化、海外工場の相次ぐ建設に象徴される国際化などを進め、積極的・攻勢的な対応によって危機を克服した。高度成長期における味の素社の業容拡大のプロセスは、この危機克服のプロセスと重なっていた

2019 味の素グループの百年史
概要
単一製品依存からの転換点

MSGを巡る協和発酵との競争は、味の素にとって製法優劣の問題にとどまらず、事業構成を見直す契機となった。直接発酵法の登場により、MSG単品に依存した収益モデルの不確実性が顕在化したためである。味の素は、川崎工場の量産力と全国特約店網によるシェアを維持しつつ、調味料・食品分野への投下資本を段階的に拡大した。この判断は、複数事業による安定成長を志向する方向転換を示していた。

1956
アミノ酸事業に参入
1960
4月

海外進出を本格化

背景:国内成熟と海外市場への視線

1960年代に入ると、味の素は国内MSG市場で高いシェアを維持していた。一方で、発酵法の普及により製造技術の差は縮小し、国内市場のみでは売上成長に限界が見え始めていた。こうした環境下で、人口増加と食生活の変化が進む海外市場は、新たな成長機会として意識されるようになった。

特にアジアや中南米では、調味料需要の拡大が見込まれ、現地生産による供給体制の構築が課題となっていた。輸出だけでは為替や物流の影響を受けやすく、現地に生産拠点を持つことが安定供給と収益確保の手段として検討された。

決断:現地生産を軸とした海外展開

味の素は1960年代を通じて、海外での合弁事業や現地法人設立を進めた。1960年のタイ進出を皮切りに、1962年にはブラジルでの生産を開始し、現地原料を活用したMSG製造体制を構築した。これらの地域では、人口規模と食文化を踏まえ、現地市場向け製品として展開された。

海外進出にあたっては、発酵法による製造技術と、国内で培った量産・品質管理のノウハウが活用された。味の素は、単なる輸出企業ではなく、現地で生産し販売する食品メーカーとしての位置づけを明確にした。この1960年代の取り組みは、事業領域を国内中心から国際市場へと広げる転換点となった。

1956年
アメリカ味の素を設立(ニューヨーク)
1958年
フィリピン味の素を設立
1960年
タイ味の素を設立
1961年
マレーシア味の素を設立
1968年
ペルー味の素を設立
1969年
インドネシア味の素を設立
1961
3月

四日市工場を新設

四日市工場は、味の素がグルタミン酸ソーダ(MSG)を中心とする発酵・化学系製品の量産を目的として新設した生産拠点であった。1960年代、発酵法への移行が進む中で、原料調達、エネルギー供給、副生成物処理を効率的に行える立地が求められていた。石油化学を核とする四日市コンビナートは、電力・蒸気・工業用水が安定しており、製造工程との親和性が高かった。味の素は同工場を通じて川崎工場への集中を緩和し、生産分散と物流効率の向上を図った。

1963
3月

米コーンプロダクツ社と提携

背景:MSG中核から食品領域拡張の必要性

1950年代後半、味の素はMSGで国内シェアを確保していた一方、製法革新と競争環境の変化に直面していた。直接発酵法の普及により、単一製品への依存は収益変動リスクを伴う状況となっていた。こうした中、味の素は既存の量産体制と全国販売網を維持しつつ、加工食品分野への展開を検討した。調味素材に加え、最終消費者向け食品へ領域を広げることで、売上成長の持続性を高める狙いがあった。

また、海外では加工食品市場が拡大しており、スープや調理用食品は高い付加価値を持つ分野と認識されていた。味の素にとって、自社単独で新分野に集中投資するより、知見を持つ海外企業と提携する方が、投下資本に対する効率を見込みやすかった。

決断:米国企業との提携と合弁設立

1963年、味の素は米国の食品原料大手であるCorn Products Companyと提携し、スープ食品を中心とする新会社としてクノール食品を発足させた。コーンプロダクツ社は加工食品分野での製品開発力と海外ブランドを有しており、味の素は日本市場での生産・販売機能を担った。この分業は、事業ポートフォリオ拡張を目的としたリスクテイクとして位置づけられた。

クノール食品では、欧米で実績のあったスープ製品を日本向けに展開し、味の素は既存の販路を活用した。MSG事業で培った原料調達や工場運営のノウハウは、加工食品の量産にも転用された。これにより、味の素は調味素材メーカーから、最終製品を扱う総合食品メーカーへと事業の幅を広げていった。

1967
化成品部を発足
1970
冷凍食品事業に参入
1973
米ゼネラルフーズと提携
1980
仏ジェルべ・ダノンと提携
1981
医薬品事業に参入
1987
鹿島工場を新設
1989
欧州・オニケム社を買収
1990
カルピス食品工業と提携
1996
味の素(中国)を設立
1996
5月

肝疾患用分岐鎖アミノ酸製剤を発売

味の素ファルマを通じて発売を開始。2002年度の売上高は161億円となり、医薬品事業の中で最大の売り上げ規模へ

1997
総会屋への利益供与(商法違反)
1998
9月

味の素ファインテクノを設立

背景:アミノ酸応用技術の高度化と事業切り分けの必要

1990年代、味の素はMSGを中心とする食品事業を主軸としながら、アミノ酸や発酵技術を応用した化成品・電子材料の研究開発を継続していた。これらの分野は、顧客構成、製品更新の速度、研究開発投資の回収期間において食品事業と性格を異にしており、同一組織内での運営には制約が生じていた。特に電子材料では、量産よりも採用可否が事業の成否を左右し、技術対応の迅速さが問われていた。

半導体パッケージ材料の分野では、基板メーカーが直接の取引先である一方、最終的な材料採用の判断はCPUメーカーが握っていた。最大手であるインテルは、世代交代のたびに材料仕様を更新し、供給業者の選別を行っていた。この環境下で事業を継続するには、食品事業とは異なる判断軸と投下資本の管理が求められていた。

決断:味の素ファインテクノ設立と電子材料への集中投資

こうした背景のもと、味の素は1998年に化成品関連事業を再編し、味の素ファインテクノ株式会社を設立した。同社は、食品事業から切り離された組織として、電子材料および機能化学品に特化した事業運営を担うことになった。これにより、研究開発テーマの選択や投下資本の配分を、食品事業の収益構造とは独立して判断できる体制が整えられた。

電子材料分野では、半導体パッケージ基板用層間絶縁材料「Ajinomoto Build-up Film(ABF)」に経営資源を集中させた。ABFは、基板メーカーへの供給を通じて、インテルなどのCPUメーカーによる評価と採用を受ける必要があった。このため、味の素ファインテクノは、製品性能だけでなく、世代更新に合わせた技術対応と安定供給を重視した事業運営を選択した。

結果:インテル採用の継続と電子材料事業の確立

ABFは1999年以降、インテルの高機能CPU向けパッケージ基板に継続して採用された。CPUの世代交代ごとに材料が見直される環境において、連続採用が続いたことは、技術対応力と品質管理が評価された結果であった。これにより、味の素ファインテクノは高機能CPU向け分野で高いシェアを維持し、競合が参入しにくい事業障壁を形成した。

その結果、同社は売上成長よりも利益率を重視する事業運営を可能にした。1998年の設立は、味の素グループにとって、食品中心の事業ポートフォリオから、高付加価値電子材料を担う専門会社を育成する転換点となり、その後の継続的な研究開発投資と収益確保につながった。

1999年
インテルがABF(Ajinomoto Build-up Film)を採用
2000年
TAB用レジストインク工場を新設
2001年
テクノセンター1号館を新設
2007年
テクノセンター2号館を新設
2013年
CPUパッケージ基板向け層間絶縁フィルムでシェア1位
高性能向け・世界シェア 100 %
2022年
テクノセンター3号館を新設
2024年
高収益を持続(売上高営業利益率45.9%)
営業利益 269 億円
1998
10月

グループ企業の整理統合を開始

-

1998年
味の素ファインテクノを設立
1999年
味の素製油を設立
1999年
味の素コミュニケーションズを設立
1999年
味の素エンジニアリングを設立
2000年
味の素物流を設立
2000年
味の素パッケージングを設立
1999
12月

味の素ファルマを発足

ヘキストより輸血栄養医薬品事業を買収。

2002
6月

海外で飼料用アミノ酸を増産

背景:飼料用アミノ酸市場の拡大と成長機会の認識

2000年代初頭、味の素のアミノ酸事業を取り巻く環境は、食品用途中心から飼料用途へと需要の重心が移りつつあった。アジアや中南米で畜肉消費が拡大し、飼料効率を高めるための必須アミノ酸需要が伸長していた。とりわけリジンは市場規模が大きく、数量成長が見込まれる分野として注目されていた。

同社は1990年代までに発酵技術を軸とした素材型事業を展開しており、アミノ酸分野においても長期的な需要拡大を取り込める余地があると判断していた。一方で、過去のビタミン事業では、欧州メーカーが先行して市場を形成した後、アジア勢の参入によって供給能力が急拡大し、価格下落が進行した経緯があった。その結果、数量拡大を前提とする素材型事業は、市場参入構造の変化次第で収益が大きく変動するリスクを伴うことも認識されていた。

決断:2000年代における数量成長を前提とした積極投資

こうした環境認識のもと、味の素は2000年代を通じて飼料用アミノ酸への積極投資を進めた。リジンを中心に、北米、南米、欧州、アジアで生産設備の新設や能力増強を行い、消費地近接型のグローバル供給ネットワークを拡充した。同時に、高収率新菌の開発と工業化を進め、単位当たりコストの低減を図った。

この投資判断は、需要拡大が続く局面では、稼働率の上昇によって投下資本の回収が進み、売上成長と利益創出の両立が可能になるとの見通しに基づいていた。2000年代前半には、飼料用アミノ酸事業は営業利益面でも一定の寄与を示し、基幹事業としての位置付けを強めていった。

結果:競争激化による収益変動と戦略再考の契機

しかし2010年代に入ると、市場環境は変化した。韓国食品大手CJ第一製糖が供給能力を拡大し、リジン市場では価格を軸とした競争が顕在化した。供給余力の増加により相場は下落し、数量成長を前提とした事業モデルは収益変動の影響を受けやすくなった。

2014年3月期には、飼料用アミノ酸事業が利益面で大きく振れ、四半期ベースで赤字となる局面も生じた。2000年代の積極投資によって構築された生産能力は、価格競争が激化する局面では利益率低下として表れた。この経験は、成長市場であっても供給拡大が収益性に与える影響を再認識させ、その後の事業ポートフォリオ見直しや資本効率を重視した経営判断につながっていった。

2002年
米国で工場の新増設(スレオニン・リジン)
2002年
欧州で工場の新増設(スレオニン・リジン)
2003年
タイでリジンの生産開始
2003年
ブラジルでリジンの生産開始
2002
海外で飼料用アミノ酸を増産
2003
欧州・オルサン社を買収
2003
4月

油脂事業をJ-オイルミルズに移管

背景:国内油脂市場の成熟と再編圧力

1990年代後半、国内の油脂需要は家庭用を中心に伸び悩み、業務用が下支えする形で横ばいに近い状況が続いていた。一方で供給側を見ると、油脂メーカー数は多く、設備能力も高水準にあったため、需給は緩みやすく、収益性は圧迫されていた。さらに、原料の多くを海外に依存する油脂事業は、為替や国際市況の変動に左右されやすく、安定的な利益確保が難しい事業環境に置かれていた。

こうした中、味の素は、油脂事業を単独で維持することによる投下資本効率の低下や、将来的な成長余地の限定性を認識するようになった。市場シェアの分散、設備過剰、原料リスクという複数の課題が重なり、事業ポートフォリオ全体の見直しが避けられない局面に入っていた。

決断:統合によるJ-オイルミルズ発足

この環境を踏まえ、味の素は油脂事業の分社化とアライアンスを進める判断を下した。1999年に油脂生産部門を統合して味の素製油を設立し、2001年には油脂事業機能を同社に集約した。その後、2002年にホーネンコーポレーションとの経営統合を行い、さらに2003年には吉原製油が加わり、J-オイルミルズが発足した。

競合関係にあった企業同士を水平統合することで、重複設備の整理、原料調達の効率化、販売網の統合が進められた。これにより、国内油脂市場におけるシェアを集約し、価格競争に陥りやすい状況からの転換が図られた。味の素にとっては、油脂事業を切り離すことで事業撤退に近い意思決定を行いつつ、投下資本とリスクの配分を調整する転機となった。

証言
江頭邦雄(味の素・社長)

(注:ホーネンコーポレーションの)嶋(雅二)会長と「もう一緒にやらなきゃ日本の油産業はダメだね。一緒にやらない?」「やろう」と握手してね。

2004/6/28 日経ビジネス
2005
4月

カンパニー制を再編

2002年に社内カンパニー制を導入。2005年には社内カンパニー(3社)を再編し、提携事業4社(カルピス味の素ダノン・カルピス・味の素ゼネラルフーズ・J-オイルミルズ)、分社2社(味の素冷凍食品・味の素ベーカリー)、カンパニー3社(食品カンパニー・アミノ酸カンパニー・医療カンパニー)による組織体制を開始した。

2007
ヤマキと業務資本提携を締結
2011
飼料用アミノ酸事業の再編(収益低下)
2014
米ウィンザー・クオリティHEを買収
2019
4月

減損を反省・ROICを導入

背景:海外食品事業に集中した減損損失と資本効率の悪化

2019年3月期、味の素(西井孝明・当時社長)は海外食品事業を中心に大規模な減損損失を計上した。当連結会計年度の売上高は1兆1,274億円と増収を確保した一方で、事業利益は926億円、営業利益は531億円、親会社株主に帰属する当期利益は296億円と、いずれも前期を下回った。損益計算書上では増収にもかかわらず、利益段階で大幅な減少が生じた。

減損の主因は、北米・中南米を中心とした海外食品事業にあった。具体的には、味の素ノースアメリカおよび味の素イスパニョールにおけるのれん減損、ならびにプロマシドール・ホールディングス社に関する投資および商標権の減損が計上された。これらの減損額は、税引前で約347億円、親会社帰属ベースで約312億円に達し、過去の海外投資が想定した収益回収に至っていない実態が明確になった。

決断:減損を契機としたROICを軸とする経営管理への転換

これらの減損は、個別案件の失敗というより、資本配分の管理手法そのものに対する問題提起となった。売上成長や事業規模の拡大を優先する中で、投下資本の回収効率が十分に検証されないまま、海外事業への投資が積み上がっていた。結果として、資産規模が拡大し、事業環境の変化に対して減損という形で調整を余儀なくされた。

この反省を踏まえ、味の素は2019年にROICを中核とする経営管理へと舵を切った。ROICを事業別に算定し、資本コストとの比較を行うことで、投資の継続、集中投資、事業売却といった判断を数値で行う体制を整備した。実際、同年には動物栄養事業の売却を決断しており、減損後の修正ではなく、事前に投資回収を見極める管理への転換が意図されていた。

結果:資本配分の見直しと減損再発防止への経営規律

ROIC経営の導入以降、味の素では資本配分に対する検証が強化された。のれんや無形資産を含む投下資本の水準が事業評価に組み込まれ、資本効率の低い事業については、撤退や縮小を含めた選択肢が検討されるようになった。2019年の減損は、資産の整理と同時に、将来の投資判断に対する基準を明確にする役割を果たした。

また、ROICを軸とした情報開示が進み、投資家との対話においても、成長と資本効率の両立が説明されるようになった。2019年の大規模減損は短期的には利益を押し下げたが、結果として経営管理の視点を「額」から「率」へと転換させる契機となった。この経験が、その後の人員構成見直しや価格改定、事業ポートフォリオ再編へと連続的につながっていった。

概要
PL中心思考からの脱却が壁

ROIC浸透の過程では、損益計算書を起点とする思考様式が障害となった。利益が出ている事業でも、投下資本が過大であれば評価は下がる。この考え方は、短期の業績改善に慣れた組織ほど受け入れに時間を要したと思われる。ROICを用いた事業評価は、成果の出方が遅れるため、判断軸の切り替えには継続的な説明と運用実績が一つの壁となった。

2019
11月

希望退職者を募集

背景:ROIC経営への転換局面で実施された人員構成の見直し

2019年11月、味の素は50歳以上の管理職を対象とした「特別転進支援施策」を発表した。募集人数は約100人とされ、退職金への特別加算に加え、再就職支援を行う内容だった。同社は当時、経営危機に直面していたわけではなく、2020年3月期の売上高は1兆円規模、事業利益も高水準を維持していた。黒字下での希望退職実施は、市場に一定の驚きをもって受け止められた。

一方で、この施策は単なる人員削減ではなく、資本効率を軸とした経営管理への転換と並行して実施されていた。味の素は2019年からROICを重視する経営へと移行しており、投下資本と収益の関係を事業単位で可視化する取り組みを進めていた。人件費を含む固定費構造も、その見直し対象に含まれていた。

決断:黒字下での希望退職が示した資本効率優先の経営姿勢

希望退職の対象が「50歳以上の管理職」に限定された点は、人員の総量削減よりも、組織構成とコスト配分の調整を主眼とした判断だったと整理できる。管理職層は固定費比率が高く、事業のROICを押し下げやすい要素となる。黒字である段階で人員構成を見直すことは、将来の収益性と資本効率を優先した選択だった。

実際、募集期間を経て144人が応募し、同社は2020年3月期に約65億円の費用を計上した。この費用は一時的に利益を圧迫したが、業績予想には織り込み済みとされた。短期的な損益悪化を許容してでも、固定費構造を見直し、ROIC改善につなげる姿勢が明確に示された施策だった。希望退職は、後年の価格改定や資産圧縮と同様、資本効率を基準とする経営判断の初期段階に位置づけられる。

2023
4月

価格改定による増益

背景:ROIC経営の定着と資本効率を軸とした収益管理への転換

2019年以降、味の素は投下資本利益率(ROIC)を中核指標とする経営へと舵を切っていた。2020年3月期には製造設備の減損や人員整理費用が重なり、純利益が大きく減少し、時価総額も一時的に低下した。損益計算書上の利益を優先し、投下資本の増加を抑制できていなかった点が、事後的に課題として認識されていた。

この反省を踏まえ、同社は事業別にROICを算出し、資本コストとの比較を通じて投資回収の可視化を進めていた。固定資産や在庫が膨張すればROICは低下するため、事業の継続可否を含めた見直しが常態化していた。こうした管理会計の運用が進む中で、利益率と売上成長の両立が、資本効率を維持・改善する条件として整理されていた。

決断:コスト上昇局面における価格改定という収益改善手段の選択

2022年後半から2023年にかけて、原材料価格、エネルギー費、物流費が同時に上昇した。とうもろこしや油脂などの主要原料に加え、包材費や輸送費も増加し、事業全体のコスト構造に影響が及んでいた。従来の効率化や調達条件の調整では吸収が難しく、利益率の低下がROICを押し下げる要因となっていた。

こうした状況下で、味の素は企業努力の範囲を超えるコスト上昇であると表明し、2023年に複数回の価格改定を実施した。家庭用ではうま味調味料や加工食品、業務用では調味料や加工食材を対象とし、製品群ごとに改定幅を設定していた。価格改定は短期的な損益改善だけでなく、投下資本に対するリターンを回復させる手段として位置づけられていた。

結果:価格改定による増収増益とROIC改善への寄与

2023年度、味の素は価格改定の効果を売上高に反映させ、増収を達成していた。コスト上昇は継続していたものの、出荷価格の引き上げが売上成長を支え、事業別の収益管理において一定の改善が見られていた。家庭用・業務用の双方で単価が上昇したことで、売上規模は拡大していた。

利益面では、価格転嫁がコスト増を上回り、営業利益は前年を上回った。結果として、投下資本に対する利益水準が改善し、ROICの回復につながっていた。2023年の価格改定は、原材料高騰への対応にとどまらず、ROIC経営を前提とした資本効率の改善策として機能した事例と整理できる。

概要
価格改定に現れた株主視点の優先

味の素の価格改定は、短期的な消費者反応よりも、資本リターンの維持を重視した判断として読むことができる。原材料高騰を吸収し続ければ、利益率が低下し、ROICは悪化する。株主から預かった資本を運用する立場から、価格転嫁を選択した点に経営の軸足があった。消費者向け企業であっても、株主視点を切り離せない現実に対処したと言える。

2023
2月

中期ASV経営を策定

背景:資本効率のばらつきと成長投資再設計の必要性

味の素は2020年代初頭にかけて事業利益の回復とアセットライトを進めたが、事業ごとの成長率とROICの差が残った。食品系事業はキャッシュ創出を担う一方で売上成長は限定され、アミノサイエンス系事業では成長機会が見込まれる反面、投下資本の増加が資本効率管理の論点となっていた。

こうした状況下で、単年度積み上げ型の中期計画では、長期の企業価値最大化と資源配分の合理性を示しにくくなっていた。このため同社は2023年、ROICを中核に据えた長期視点の経営運営へ移行し、事業ポートフォリオの見直しを迫られていた。

決断:ROIC軸での集中投資と成長領域への資源配分

2030ロードマップでは、成長領域をヘルスケア、フード&ウェルネス、ICT、グリーンの4分野に整理し、将来の成長を担う事業に資源を集める方針を示した。効率性の低い事業は機能分離や撤退も視野に入れ、投下資本の再配分を進める判断が示された。

財務面では2030年にROIC約17%、ROE約20%、EPS約3倍(FY2022比)を目標に掲げ、設備投資とM&Aを成長投資の中核に据えた。キャッシュ・フロー改善と資本コスト低減を併走させ、成長投資と株主還元の両立を図る設計とした。

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