1909年創業。うま味調味料「味の素」の発明から出発し、アミノ酸技術を基盤に食品・化成品・医薬へ多角化。戦後早くから海外進出を本格化し、冷凍食品やヘルスケアにも展開。世界有数のアミノ酸企業へと発展した。
1888
決断
家業でヨード製造を開始
家計危機への対応が産学連携の製薬事業に発展した経路依存
1909
決断
味の素の販売開始
大企業が見送った工業化を中小事業者が担った構造的背景
1912
合資会社鈴木商店の発足
1912合資会社鈴木商店の発足
1914
決断
川崎工場の新設
環境問題に対し「立地変更」で20年間の操業時間を確保した判断
1917
東洋紡績に澱粉糊の納入を開始
1917東洋紡績に澱粉糊の納入を開始
1920
決断
全国に特約店網を整備
量産と特約店網の結合が後発参入を阻む販路障壁を形成
1932
「味の素本舗株式会社鈴木商店」に商号変更
1932「味の素本舗株式会社鈴木商店」に商号変更
1935
食品事業で多角化
1935食品事業で多角化
1946
味の素株式会社に商号変更
1946味の素株式会社に商号変更
1949
東京証券取引所に株式上場
1949東京証券取引所に株式上場
1956
アミノ酸事業に参入
1956アミノ酸事業に参入
1956
決断
協和発酵とMSGの全量買取契約を締結
技術対立を「全量買取」で回避し市場安定を選んだ交渉設計
1960
決断
海外進出を本格化
輸出型から現地生産型への転換が海外事業の基盤を形成
1961
四日市工場を新設
1961四日市工場を新設
1963
決断
米コーンプロダクツ社と提携
外部ブランドと自社販路の結合で総合食品化を進めた提携設計
1967
化成品部を発足
1967化成品部を発足
1970
冷凍食品事業に参入
1970冷凍食品事業に参入
1973
米ゼネラルフーズと提携
1973米ゼネラルフーズと提携
1980
仏ジェルべ・ダノンと提携
1980仏ジェルべ・ダノンと提携
1981
医薬品事業に参入
1981医薬品事業に参入
1987
鹿島工場を新設
1987鹿島工場を新設
1989
欧州・オニケム社を買収
1989欧州・オニケム社を買収
1990
カルピス食品工業と提携
1990カルピス食品工業と提携
1996
味の素(中国)を設立
1996味の素(中国)を設立
1996
肝疾患用分岐鎖アミノ酸製剤を発売
1996肝疾患用分岐鎖アミノ酸製剤を発売
1997
総会屋への利益供与(商法違反)
1997総会屋への利益供与(商法違反)
1998
決断
味の素ファインテクノを設立
食品事業からの組織分離が半導体対応力を生んだ構造
1998
グループ企業の整理統合を開始
1998グループ企業の整理統合を開始
1999
味の素ファルマを発足
1999味の素ファルマを発足
2002
決断
海外で飼料用アミノ酸を増産
数量成長前提の投資が価格競争で利益率低下を招いた構造
2002
決断
海外で飼料用アミノ酸を増産
2003
決断
油脂事業をJ-オイルミルズに移管
「撤退に近い統合」が投下資本の再配分を可能にした事業整理
2003
欧州・オルサン社を買収
2003欧州・オルサン社を買収
2005
カンパニー制を再編
2005カンパニー制を再編
2007
ヤマキと業務資本提携を締結
2007ヤマキと業務資本提携を締結
2011
飼料用アミノ酸事業の再編(収益低下)
2011飼料用アミノ酸事業の再編(収益低下)
2014
米ウィンザー・クオリティHEを買収
2014米ウィンザー・クオリティHEを買収
2019
決断
減損を反省・ROICを導入
減損312億円が促した「額から率へ」の経営管理転換
減損損失
312
億円
2019
決断
希望退職者を募集
黒字下144名の希望退職が示したROIC経営の実行意志
希望退職者数
144
2023
決断
価格改定による増益
消費者反応より資本リターンを優先した価格改定の判断構造
2023
決断
中期ASV経営を策定
単年度型中計から2030年逆算型ロードマップへの移行設計
業績を見る
売上味の素:売上高
単体 | 連結(単位:億円)
15,305億円
売上高:2025/3
利益味の素:売上高_当期純利益率
単体 | 連結(単位:%)
4.5%
利益率:2025/3
業績を見る
区分売上高利益利益率
1950/3単体 売上高 / 当期純利益---
1951/3単体 売上高 / 当期純利益---
1952/3単体 売上高 / 当期純利益---
1953/3単体 売上高 / 当期純利益---
1954/3単体 売上高 / 当期純利益---
1955/3単体 売上高 / 当期純利益---
1956/3単体 売上高 / 当期純利益---
1957/3単体 売上高 / 当期純利益---
1958/3単体 売上高 / 当期純利益---
1959/3単体 売上高 / 当期純利益---
1960/3単体 売上高 / 当期純利益---
1961/3単体 売上高 / 当期純利益---
1962/3単体 売上高 / 当期純利益---
1963/3単体 売上高 / 当期純利益---
1964/3単体 売上高 / 当期純利益---
1965/3単体 売上高 / 当期純利益---
1966/3単体 売上高 / 当期純利益---
1967/3単体 売上高 / 当期純利益---
1968/3単体 売上高 / 当期純利益---
1969/3単体 売上高 / 当期純利益---
1970/3単体 売上高 / 当期純利益---
1971/3単体 売上高 / 当期純利益---
1972/3単体 売上高 / 当期純利益---
1973/3単体 売上高 / 当期純利益---
1974/3単体 売上高 / 当期純利益---
1975/3単体 売上高 / 当期純利益---
1976/3単体 売上高 / 当期純利益---
1977/3連結 売上高 / 当期純利益---
1978/3連結 売上高 / 当期純利益3,577億円82億円2.2%
1979/3連結 売上高 / 当期純利益3,657億円108億円2.9%
1980/3連結 売上高 / 当期純利益3,835億円121億円3.1%
1981/3連結 売上高 / 当期純利益4,200億円140億円3.3%
1982/3連結 売上高 / 当期純利益4,445億円101億円2.2%
1983/3連結 売上高 / 当期純利益4,701億円108億円2.2%
1984/3連結 売上高 / 当期純利益4,823億円130億円2.6%
1985/3連結 売上高 / 当期純利益5,107億円150億円2.9%
1986/3連結 売上高 / 当期純利益5,150億円150億円2.9%
1987/3連結 売上高 / 当期純利益4,812億円143億円2.9%
1988/3連結 売上高 / 当期純利益4,834億円165億円3.4%
1989/3連結 売上高 / 当期純利益5,099億円157億円3.0%
1990/3連結 売上高 / 当期純利益5,418億円140億円2.5%
1991/3連結 売上高 / 当期純利益5,939億円121億円2.0%
1992/3連結 売上高 / 当期純利益6,772億円106億円1.5%
1993/3連結 売上高 / 当期純利益6,873億円114億円1.6%
1994/3連結 売上高 / 当期純利益6,749億円104億円1.5%
1995/3連結 売上高 / 当期純利益7,257億円117億円1.6%
1996/3連結 売上高 / 当期純利益7,508億円104億円1.3%
1997/3連結 売上高 / 当期純利益7,884億円153億円1.9%
1998/3連結 売上高 / 当期純利益8,359億円179億円2.1%
1999/3連結 売上高 / 当期純利益8,145億円132億円1.6%
2000/3連結 売上高 / 当期純利益8,294億円176億円2.1%
2001/3連結 売上高 / 当期純利益9,085億円-115億円-1.3%
2002/3連結 売上高 / 当期純利益9,435億円314億円3.3%
2003/3連結 売上高 / 当期純利益9,877億円331億円3.3%
2004/3連結 売上高 / 当期純利益10,395億円362億円3.4%
2005/3連結 売上高 / 当期純利益10,730億円448億円4.1%
2006/3連結 売上高 / 当期純利益11,068億円349億円3.1%
2007/3連結 売上高 / 当期純利益11,585億円302億円2.6%
2008/3連結 売上高 / 当期純利益12,165億円282億円2.3%
2009/3連結 売上高 / 当期純利益11,903億円-102億円-0.9%
2010/3連結 売上高 / 当期純利益11,708億円166億円1.4%
2011/3連結 売上高 / 当期純利益12,076億円304億円2.5%
2012/3連結 売上高 / 当期純利益11,973億円417億円3.4%
2013/3連結 売上高 / 当期純利益9,849億円483億円4.9%
2014/3連結 売上高 / 当期純利益9,913億円427億円4.3%
2015/3連結 売上高 / 当期純利益10,066億円464億円4.6%
2016/3連結 売上高 / 当期利益11,494億円712億円6.1%
2017/3連結 売上高 / 当期利益10,911億円530億円4.8%
2018/3連結 売上高 / 当期利益11,147億円601億円5.3%
2019/3連結 売上高 / 当期利益11,274億円296億円2.6%
2020/3連結 売上高 / 当期利益11,000億円188億円1.7%
2021/3連結 売上高 / 当期利益10,714億円594億円5.5%
2022/3連結 売上高 / 当期利益11,493億円757億円6.5%
2023/3連結 売上高 / 当期利益13,591億円940億円6.9%
2024/3連結 売上高 / 当期利益14,392億円871億円6.0%
2025/3連結 売上高 / 当期利益15,305億円702億円4.5%
経営方針:2022年3月期2031年3月期
中期ASV経営 2030

歴史的背景

味の素グループは1909年の創業以来、アミノ酸という単一の基盤技術を起点に事業を展開してきた。調味料「味の素」に代表される食品事業はその応用形態の一つであり、同社の競争力の源泉は一貫して発酵・化学を基盤とするアミノ酸製造技術にあった。高度経済成長期以降は、食品需要の拡大とともに事業規模を拡張し、飼料用アミノ酸、医薬・化成品など用途軸での多角化を進めることで、外部環境変化への耐性を高めてきた。一方で、事業拡張は個別最適の積み重ねとなり、技術の強みと資本効率の関係が必ずしも明確に整理された構造には至っていなかった。

2000年代以降、食品市場の成熟とグローバル競争の激化が進む中で、従来型の事業拡張モデルは成長の持続性という点で限界を露呈し始めた。こうした環境下で同社は、事業領域ではなく技術機能(呈味・栄養・生理)を軸に事業を再定義し、アミノサイエンス®を中核とする構造への転換を進めてきた。本計画は、過去の多角化によって形成された事業ポートフォリオを前提に、社会価値と経済価値を同時に測定・駆動する枠組みへとマネジメント様式を転換し、2030年の「ありたい姿」から逆算して経営を再構築する位置づけにある。

経営指針

本ビジョンは、味の素グループがアミノ酸という基盤技術を通じて培ってきた価値創出のあり方を、2030年に向けてどのように進化させていくかを示すものである。食品事業による安定的な収益基盤を維持しつつ、健康、栄養、環境といった領域での課題解決を中長期的な成長機会として捉え、事業ポートフォリオを段階的に転換していく方向性が示されている。事業規模の拡大そのものを目的とするのではなく、どの領域で、どのような価値を提供していくのかを整理しながら、技術を軸とした持続的な事業構造を構築していくことが経営の前提として置かれている。

このような経営の考え方を示すにあたり、味の素グループではASVという言葉が用いられている。その背景には、食品、ヘルスケア、環境対応など複数の事業領域にまたがる中で、価値の現れ方や時間軸が事業ごとに異なり、従来の事業区分や財務指標だけでは経営の方向性を一体として示しにくくなっていたという構造がある。ASVという表現は、個別の施策や評価軸を示すためというよりも、本ビジョンに示された経営の視座や判断の前提を共有するための言葉として用いられており、2030年に向けた事業の組み替えや資源配分を考える際の共通の文脈を与える役割を担っている。

Author's Questions

  • なぜ、味の素はアミノ酸技術を軸とした構造転換を志向するに至ったのか

    味の素は長年にわたり調味料・食品事業を中核として成長し、国内外で強固なブランドと事業基盤を築いてきた。一方で、食品市場の成熟や競争環境の変化が進む中、単純な数量拡大や製品ライン拡張による成長には限界が見え始めていた。こうした状況下で、同社は食品メーカーとしての枠組みを維持したままの成長ではなく、創業以来の基盤であるアミノ酸技術そのものに立ち返り、事業構造を再編する方向性を示している。なぜ食品事業の強化ではなく、技術軸での再定義という選択が必要と認識されたのか

  • 多角化によって形成された事業ポートフォリオは、成長の基盤となるのか、それとも再整理を迫る要因となるのか

    味の素は高度経済成長期以降、食品に加えて飼料用アミノ酸、医薬・化成品など用途軸で事業を拡張し、結果として複数の収益源を持つポートフォリオを形成してきた。この多角化は外部環境変化への耐性を高める一方で、事業ごとの価値創出の時間軸や評価軸を複雑化させた側面もある。現在示されているビジョンは、このポートフォリオを前提として再構築を試みるものとも読めるが、過去の多角化は成長の土台だったのか、それとも技術集中を阻む要因にもなっていたのか

  • なぜ、2030年に向けた経営の方向性を抽象的に示したのか

    味の素の事業は、食品のように短期で成果が顕在化しやすい領域と、ヘルスケアや環境対応のように中長期で価値が現れる領域が併存している。この構造の下では、単一の財務指標や既存の事業区分だけで経営の優先順位や資源配分の考え方を示すことが難しくなっていた可能性がある。ビジョンの中でASVという表現が用いられている背景には、こうした事業構造の変化がどの程度影響しているのか

Author's Insights

なぜ、独占技術を持ちつつ企業価値の最大化に時間を要したのか
洞察

味の素は、グルタミン酸ソーダで市場を事実上独占する企業として出発した。しかし1960年代に入ると、協和発酵との間で特許を巡る深刻な対立が生じ、単一技術への依存が経営リスクとして顕在化した。基盤技術が揺らぐ中で、味の素は事業集中による成長ではなく、事業領域を広げることで収益の安定化を図る選択を行った。総合化は成長戦略というより、技術リスクを分散するための防衛的判断であった。

この総合化は、アミノ酸技術を軸に食品、医薬、化成品、油脂などへと展開する形で進められた。技術的な連続性はあったものの、各事業の収益構造や資本効率は大きく異なっていた。しかし当時の経営判断では、個別事業の採算性よりも、全社としての安定性が優先された。その結果、収益性の低い事業も整理されることなく残り、事業ポートフォリオ全体の収益力は徐々に希薄化していった。

2000年代に入り、油脂事業の分離など一定の整理は進められたが、依然として「どの水準で事業を続け、どこで撤退するか」という数値基準は明確に示されなかった。事業継続の判断は定性的な将来性や技術的意義に依存し、投下資本に対する収益性は後景に退いていた。このため、社内に高い技術力と研究開発力を持ちながら、それが企業価値として評価されにくい状態が続いた。

転機となったのが2019年のROIC導入である。裏を返せば、日本を代表する食品メーカーでありつつも、長らく企業価値が正当に評価されない状態が続いていたことを示している。

2026-02-21 | by author
なぜ味の素にとって、2019年のROIC導入は革命的だったのか
洞察

味の素が長年抱えてきた課題は、事業の善悪ではなく、事業間の「優先順位」を定義できていなかった点にあった。食・栄養・健康といった領域は社会的正当性が高く、各事業はそれぞれに存続理由を持っていた。そのため、売上成長や研究意義が重視され、資本効率は結果指標として扱われやすかった。

2019年にROICを経営指標として本格導入したことは、この前提を覆す意思決定であった。ROICは利益の大小ではなく、投下資本に対してどれだけ価値を生んだかを問う指標である。これにより、「技術的に正しい」「社会的に意義がある」といった理由だけでは、資本を配分し続けることが正当化できなくなった。

この変化は、評価軸を変えただけではない。ROIC導入によって、事業は初めて共通の尺度で比較可能となり、低収益事業は「将来性」ではなく「資本効率」で説明責任を負う立場に置かれた。結果として、成長が見込めても資本回転が悪い事業や、利益は出ていても投下資本が過大な事業が、再検討の対象となった。

味の素にとってROIC導入が革命的だった理由は、撤退や集中を促す“外圧”を内部に組み込んだ点にある。善意や理念に依存しない資本配分ルールが明文化されたことで、変革は「必要に迫られて」ではなく、「常時行われる判断」へと変わった。2019年以降の事業ポートフォリオ改革は、単なる業績改善策ではなく、意思決定構造そのものの転換を意味している。

2026-02-21 | by author
免責事項
当サイト(名称:The社史)において、品質を向上させるために、Google LLCが提供するサービス「Google Analytics」を介してGoogle LLCに対して閲覧者が保持する情報(IPアドレス・閲覧URL・閲覧遷移元URL・閲覧日時・デバイス情報)を送信しています。また、当サイトは、開発者が公開情報を取り纏めて掲載したもので、個人的な見解を述べたものであり、正確性、完全性および適時性を保証しません。また当サイトの情報によって閲覧者に生じたいかなる損害も、本サイトの開発者は一切の責任を負いません。
1888

家業でヨード製造を開始

家計危機への対応が産学連携の製薬事業に発展した経路依存

鈴木家のヨード製造は家計再建という生存課題から出発しながら、東京帝国大学教授・長井長義の技術助言により製薬事業へと発展した。地方の家内工業に大学研究者が関与する当時としては異例の構造が、鈴木製薬所の技術水準を引き上げ、後に味の素事業の資金基盤を形成した。事業戦略ではなく家計の必要性が起点となった点に、創業期の経路依存としての特徴がある。

背景:初代三郎助の死去と相場失敗が鈴木家をヨード製造に向かわせる

味の素の事業的起点は1909年の調味料販売ではなく、1888年に神奈川県葉山町堀ノ内で始まったヨード製造にあった。鈴木三郎助(初代)は葉山で日用品店を営んでいたが、1875年にチフスで死去し、妻の鈴木ナカが三人の子を育てながら家計を支える立場に置かれた。さらに二代目三郎助が相場取引に失敗したことで、家業の収入構造は一層不安定化していた。

当時、ヨードは医薬・消毒用途の原料として需要があり、海藻を原料とする製造は千葉・神奈川・静岡・三重の沿岸地域で漁民の副業として成立していた。葉山も同様の条件を備えており、鈴木ナカは自宅で実行可能な生産形態としてヨード製造を選択した。家計危機への対応が、後に味の素へとつながる事業の出発点となった。

決断:親子分業と産学連携により家内工業を製薬事業へ展開

ヨード製造は、鈴木ナカが製造を担い、二代目三郎助が仕入と販売を担当する分業体制で開始された。技術面では、大日本製薬の技師長であり東京帝国大学教授でもあった長井長義が助言を行った。地方の家内工業に大学研究者の知見が関与した点は当時としては異例であり、鈴木家は製造技術の水準を引き上げることが可能となった。

1892年には二代目三郎助がヨードの二次製品であるヨードカリやヨードホルムの製造に着手し、自宅の畑に約200坪の工場を新設して鈴木製薬所と命名した。同時期に弟の忠治が横浜商業学校卒業後に参画し、兄が販売、弟が製造を担う体制が確立された。1907年には合資会社鈴木製薬所が設立された。

結果:製薬事業の資金基盤が味の素事業の立ち上げを下支え

合資会社化によりヨード製薬事業は組織的な運営体制へ移行した。販売先は薬品問屋であり、原料の海藻は三浦半島や伊勢湾などから調達された。事業規模は限定的であったが、安定した収益を確保できる製造販売体制が形成されていた。

この製薬事業は、1909年以降の味の素事業立ち上げ期において資金面を補完する役割を果たした。グルタミン酸塩調味料の工業化には多額の設備投資を要したが、ヨード製薬事業が生む収益がその一部を支えた。家計再建を目的として始まった家内工業が、製薬事業を経て、後に調味料事業の基盤となる資金と経営経験を鈴木家に蓄積させる結果となった。

家計危機への対応が産学連携の製薬事業に発展した経路依存

鈴木家のヨード製造は家計再建という生存課題から出発しながら、東京帝国大学教授・長井長義の技術助言により製薬事業へと発展した。地方の家内工業に大学研究者が関与する当時としては異例の構造が、鈴木製薬所の技術水準を引き上げ、後に味の素事業の資金基盤を形成した。事業戦略ではなく家計の必要性が起点となった点に、創業期の経路依存としての特徴がある。

年表家業でヨード製造を開始に関する出来事
1875初代・鈴木三郎助が逝去
1888鈴木ナカ:神奈川県葉山でヨード製造を開始
19075月合資会社鈴木製薬所を設立
1920鈴木家のヨード事業を整理
1923葉山工場の閉鎖
1909
5月

味の素の販売開始

大企業が見送った工業化を中小事業者が担った構造的背景

池田菊苗の発明は当時の先端研究であったが、大企業は製造リスクと市場の不確実性を理由に事業化を見送った。結果として工業化を担ったのは葉山でヨード製薬を営む鈴木三郎助であり、既存事業とのリスク分離、段階的な市場検証、特許料の成果連動型契約といった事業設計で不確実性に対処した。先端技術の事業化が大企業ではなく中小事業者により実現された点に、味の素創業の構造的特徴がある。

背景:うま味成分の発見と工業化の担い手が不在という状況

1909年5月にうま味調味料「味の素」が販売を開始した。その技術的起点は1908年、東京帝国大学教授の池田菊苗による研究にあった。池田は昆布のだしに着目し、甘味・酸味・塩味・苦味とは異なる第五の味覚が存在すると仮定した上で、その主成分がグルタミン酸塩であることを突き止めた。同年、「グルタミン酸塩を主成分とする調味料製造法」として特許を出願した。

しかし池田自身は研究者であり、製造や販売を担う立場にはなかった。工業化の引き受け手を求めて当時の大企業や財界に打診したが、製造リスクと市場の不確実性を理由に引き受ける者は現れなかった。調味料としての需要が存在するかどうかは未知であり、製造法も確立されていなかったためである。

一方、葉山でヨード製薬事業を営んでいた二代目鈴木三郎助は、池田が昆布の研究を行っていることを知り、東京帝国大学の実験室を訪問していた。池田は財界への働きかけが難航していたことから、鈴木三郎助にグルタミン酸塩調味料の工業化を依頼するに至った。

決断:リスク分散と段階的市場確認を前提とした事業設計

鈴木三郎助は、グルタミン酸塩調味料の事業化には製造・販売の両面で大きな不確実性が伴うと判断した。製造面では大規模設備が必要であり、製造法自体が未確立であった。販売面でも、調味料としての市場需要は未知であり、全国的な販売網の構築は容易ではなかった。

そこで鈴木は、調味料事業を既存の鈴木製薬所とは切り離し、別事業として進めることでリスクを分散した。池田に対しては特許収益の一部を還元する契約を提案し、特許料収入の10%を支払う条件で合意した。販売面では料亭での試用を通じて評判を確かめるなど、段階的な市場確認を行った。

1908年には神奈川県逗子に工場を新設し、グルタミン酸塩調味料の製造を開始した。商品名は「味精」も検討されたが、市場での受容を考慮し「味の素」とされた。事業規模に対して多額の投下資本を要する判断であり、ヨード製薬事業の収益がその一部を支えた。

結果:販路喪失と環境問題に直面し事業継続の前提を再構築

1909年2月に出荷が開始され、日本醤油醸造株式会社への販売が行われた。しかし同社はサッカリン使用問題により1910年に破綻し、販売先の自力開拓が必要となった。調味料市場がまだ形成されていない段階で主要販売先を失ったことは、事業初期における大きな課題であった。

製造面では原料の小麦粉グルテンと塩酸を用いた加水分解法が採用されたが、製造過程で発生する塩酸ガスや廃液が周辺農家からの苦情を引き起こした。逗子工場は住宅地や農地に近接しており、生産量の増加に伴い環境問題が深刻化した。

これにより逗子工場での操業継続は困難となり、1914年に川崎工場を新設して生産拠点を移転した。味の素事業は創業初期から技術・販売・環境対応という三つの課題を同時に抱えながら展開された。事業化を引き受ける者がいなかった発明が中小規模の事業主体によって商業化された点に、味の素誕生の構造的特徴があった。

大企業が見送った工業化を中小事業者が担った構造的背景

池田菊苗の発明は当時の先端研究であったが、大企業は製造リスクと市場の不確実性を理由に事業化を見送った。結果として工業化を担ったのは葉山でヨード製薬を営む鈴木三郎助であり、既存事業とのリスク分離、段階的な市場検証、特許料の成果連動型契約といった事業設計で不確実性に対処した。先端技術の事業化が大企業ではなく中小事業者により実現された点に、味の素創業の構造的特徴がある。

年表味の素の販売開始に関する出来事
19095月味の素の販売開始
1922味の素原料の風説被害(蛇説)
1925味の素のグルタミン酸法による製造を開発
1912
4月

合資会社鈴木商店の発足

-

年表合資会社鈴木商店の発足に関する出来事
19075月合資会社鈴木製薬所を設立
19124月合資会社鈴木商店に商号変更・味の素事業を移管
19176月株式会社鈴木商店を発足
19192代目鈴木三郎助が株式投機で失敗
194012月鈴木食料工業に商号変更
194312月大日本化学工業に商号変更
1914
9月

川崎工場の新設

環境問題に対し「立地変更」で20年間の操業時間を確保した判断

川崎工場への移転は塩酸ガス問題の根本解決ではなく、工業地帯への立地変更による操業継続という対処策であった。技術的解決が見通せない段階で事業を止めるのではなく、立地条件によって操業を維持しながら製法改善を待つ時間を確保した判断である。結果として問題の根本解消には20年を要したが、その間の生産継続が味の素の市場浸透と販路拡大を可能にした。

背景:逗子工場の環境問題と用地制約が生産拠点の見直しを迫る

1910年代に入り「味の素」の販売量は拡大していたが、製造工程で発生する塩酸ガスや廃液が逗子工場周辺の農地や住民生活に影響を及ぼしていた。逗子工場は住宅地や農地が近接する地域に立地しており、生産量の増加に比例して苦情が表面化し、操業の継続そのものが経営上の論点となっていた。

加えて逗子工場は用地の制約から設備拡張が難しく、売上成長に対応した生産能力の引き上げには限界があった。製法の改良によって塩酸ガス問題を解消する見通しは当時立っておらず、環境問題と生産能力の双方が同時に顕在化した局面において、生産拠点そのものの見直しが不可避となっていた。

決断:工業地帯として開発途上の川崎への生産拠点移転を選択

鈴木商店は逗子工場の閉鎖と新工場の建設を同時に進める判断を行った。移転先の選定では、住居が少ない地域であることに加え、大量の工業用水を確保できる点や廃液処理に対応可能な地理条件が重視された。多摩川下流に位置する川崎は当時、工業地帯としての開発途上にあり、広い用地の確保が可能であった。

1914年9月、川崎工場の新設が決定された。設備新設に伴う多額の投下資本を受け入れるリスクテイクを含む判断であったが、増収局面にある「味の素」の供給を維持し生産を集約する狙いがあった。環境問題の根本的解決ではなく、立地変更による操業継続を優先した選択であった。

結果:生産集約は実現したが塩酸ガス問題の技術的解消には20年を要す

川崎工場の稼働により「味の素」の生産は同地へ集約され、生産量の拡大に対応できる体制が整った。供給面での制約は緩和され、その後の販売拡大を支える生産基盤が形成された。

一方、川崎工場においても塩酸ガスの問題は即座には解消されなかった。工業利用を想定した立地であったため操業は継続できたが、周辺からの苦情は発生し続けた。製法そのものの見直しが進み塩酸ガス問題が技術的に克服されるのは1935年の製法改善を待つことになる。川崎工場は、立地による対応と技術改良が時間差で重なった生産拠点であった。

環境問題に対し「立地変更」で20年間の操業時間を確保した判断

川崎工場への移転は塩酸ガス問題の根本解決ではなく、工業地帯への立地変更による操業継続という対処策であった。技術的解決が見通せない段階で事業を止めるのではなく、立地条件によって操業を維持しながら製法改善を待つ時間を確保した判断である。結果として問題の根本解消には20年を要したが、その間の生産継続が味の素の市場浸透と販路拡大を可能にした。

1917
2月

東洋紡績に澱粉糊の納入を開始

味の素の生産工程で発生する副産物(澱粉)について、紡績会社への販売を開始。産業用途向けのBtoB事業を本格化した。

1920

全国に特約店網を整備

量産と特約店網の結合が後発参入を阻む販路障壁を形成

味の素の特約店網は販売先廃業という危機対応から出発しながら、結果として後発企業の参入を阻む構造的障壁を形成した。地域ごとの有力商店を押さえ、価格と流通量を統制する重層的な仕組みは、川崎工場の量産体制と結びつくことで効果を発揮した。後発メーカーは生産能力を有していても販売網の構築に時間を要し、味の素が形成した国内シェアを短期間で切り崩すことはできなかった。

背景:販売先廃業と地域分散型市場が独自販路の構築を不可避に

1909年に一般販売が始まった「味の素」は、調味料としての需要がまだ確立されておらず、発売初期は日本醤油醸造株式会社を通じた販売に依存していた。しかし同社が1910年にサッカリン使用問題で破綻したことにより、独自に販路を構築する必要に迫られた。調味料という性質上、単発の卸売では継続的な販売量を確保しにくく、小売段階まで含めた流通設計が課題であった。

当時の国内市場では地域ごとに商習慣や有力商店が異なっており、全国一律の販売方式は現実的ではなかった。地域別に有力な商店と継続取引を結び、販売を委ねる体制の整備が求められていた。

決断:特約店制度の段階的構築により価格統制と販路障壁を形成

味の素は1910年代を通じて、東京・大阪を起点に地域別の特約店制度を整備した。特約店には一定地域での販売を委ね、価格や流通量の調整を行うことで無秩序な値下げや流通混乱を抑えた。さらに特約店の下に副特約店と小売店を組み合わせる重層的な販売網が形成された。

1920年代に入ると特約店網は全国主要都市へ広がり、販売は関西地域を中心に拡大した。「味の素」は特定の流通経路を通じて供給される商品として認識されるようになり、川崎工場による量産体制と結びつくことで後発企業が有力販路に参入する余地は限られた。販路構築そのものが事業障壁を形成する構造が成立した。

量産と特約店網の結合が後発参入を阻む販路障壁を形成

味の素の特約店網は販売先廃業という危機対応から出発しながら、結果として後発企業の参入を阻む構造的障壁を形成した。地域ごとの有力商店を押さえ、価格と流通量を統制する重層的な仕組みは、川崎工場の量産体制と結びつくことで効果を発揮した。後発メーカーは生産能力を有していても販売網の構築に時間を要し、味の素が形成した国内シェアを短期間で切り崩すことはできなかった。

1932
「味の素本舗株式会社鈴木商店」に商号変更
1935
食品事業で多角化
1946
味の素株式会社に商号変更
1949
東京証券取引所に株式上場
1956
アミノ酸事業に参入
1956
11月

協和発酵とMSGの全量買取契約を締結

技術対立を「全量買取」で回避し市場安定を選んだ交渉設計

協和発酵の直接発酵法に対し、味の素は技術訴訟や市場分断ではなく全量買取契約という協調的手段を選択した。山本為三郎の仲介を経て締結されたこの契約は、味の素が販売網を維持しつつ協和発酵に生産拡大の見通しを与える設計であった。競争を排他的に処理せずクロスライセンスに発展させた一連の交渉は、技術転換期における市場秩序の維持手法として構造的な特徴を持つ。

背景:直接発酵法の登場がMSG単品依存の競争優位を揺るがす

1956年9月、協和発酵工業は微生物を用いた直接発酵法によるMSG製造の開始を公表した。直接発酵法は糖質原料を基質としてグルタミン酸を生成する製法であり、酸分解法に比べて工程の簡略化と製造コストの低下が見込まれた。原料選択の自由度が高く副産物処理の制約も小さいため、中長期的にコスト構造を変える可能性を持っていた。

当時、味の素は川崎工場を中核とする量産体制と全国特約店網により国内MSG市場で高いシェアを維持していたが、製法面では酸分解法への依存が続いていた。直接発酵法で後発となることは価格競争力と国内シェアの双方に影響を及ぼす事態であり、1950年代半ばには経営課題として認識されていた。

決断:技術対立を回避し全量買取契約で市場安定を優先

味の素が選択したのは、直接発酵法を巡る競争を排他的な技術対立に持ち込まず、市場供給の安定を優先する対応であった。1956年11月、協和発酵工業との間で同社が製造するMSGを全量買い取る売買契約を締結した。この交渉には、朝日麦酒社長であり両社と関係を有していた山本為三郎が仲介役として関与した。

さらに1958年1月には特許に関する相互確認の覚書が交わされ、1959年11月にはクロスライセンス協定が成立した。味の素は自社の販売網を通じた供給を継続し、協和発酵は生産拡大の見通しを得た。競争を市場分断や訴訟に発展させず、技術の共存と市場安定を前提とする形で整理する判断であった。

結果:国内シェアを維持しつつMSG単品依存からの転換契機に

1960年2月の協和発酵による追加特許公告を経ても、両社はクロスライセンス協定に基づく協議を継続し、直接発酵法を巡る競争は訴訟には発展しなかった。味の素は供給量と品質を確保し、川崎工場の量産と全国特約店網による販売を維持した。

一方、この経験はMSG単品に依存した収益モデルの不確実性を顕在化させた。製法優位が崩れ得るという認識は、味の素が調味料・食品分野への投下資本を段階的に拡大する方向転換の契機となった。直接発酵法の登場は短期的には競争条件の変化であったが、中長期的には複数事業による安定成長を志向する経営判断を促す構造的な転機であった。

技術対立を「全量買取」で回避し市場安定を選んだ交渉設計

協和発酵の直接発酵法に対し、味の素は技術訴訟や市場分断ではなく全量買取契約という協調的手段を選択した。山本為三郎の仲介を経て締結されたこの契約は、味の素が販売網を維持しつつ協和発酵に生産拡大の見通しを与える設計であった。競争を排他的に処理せずクロスライセンスに発展させた一連の交渉は、技術転換期における市場秩序の維持手法として構造的な特徴を持つ。

証言味の素グループの百年史

高度成長期に、味の素社の事業規模は、道面豊・鈴木恭二両社長のもとで著しく拡大した。ただし、ここで見落とすことができない事実は、この時期の出発点において味の素社が、企業の存亡にも関わる大きなショックに遭遇したことである。そのショックは、1956年に協和発酵工業株式会社(以下、協和発酵社)が、直接発酵法によるグルタミン酸ナトリウム(MSG)の製造開始を発表したことによって引き起こされた。

直接発酵法の出現は、味の素社が、主力製品であるMSGに関して、それまで長年にわたって維持してきた競争優位を失うことを意味した。経営上の危機に直面した同社は、その後、直接発酵法と合成法によるMSG生産の開始、総合食品企業化へ向けた製品の多角化、海外工場の相次ぐ建設に象徴される国際化などを進め、積極的・攻勢的な対応によって危機を克服した。高度成長期における味の素社の業容拡大のプロセスは、この危機克服のプロセスと重なっていた

出所2019 味の素グループの百年史
1960
4月

海外進出を本格化

輸出型から現地生産型への転換が海外事業の基盤を形成

味の素の海外進出は、輸出ではなく現地生産を軸とする形態を選択した点に特徴がある。為替・物流リスクを回避しつつ消費地に近接した製造体制を構築することで、各国市場への適応力を高めた。1960年代にタイとブラジルで確立された現地生産モデルは、その後のアジア・中南米展開の雛形となり、味の素が国内調味料メーカーから国際食品企業へと転換する起点を形成した。

背景:国内市場の成長鈍化と海外需要拡大が現地生産の検討を促す

1960年代に入ると、味の素は国内MSG市場で高いシェアを維持していたが、発酵法の普及により製造技術の差は縮小し、国内市場のみでの売上成長には限界が見え始めていた。一方、アジアや中南米では人口増加と食生活の変化を背景に調味料需要の拡大が見込まれ、新たな成長機会として認識されるようになった。

輸出だけでは為替や物流コストの影響を受けやすく、安定供給と収益確保には現地に生産拠点を持つ必要があった。消費地に近接した製造体制の構築が、海外事業を本格化するための前提条件として浮上していた。

決断:タイ・ブラジルを起点に現地生産型の海外展開を選択

味の素は1960年のタイ進出を皮切りに、海外での合弁事業や現地法人設立を進めた。1962年にはブラジルでの生産を開始し、現地原料を活用したMSG製造体制を構築した。これらの地域では人口規模と食文化を踏まえ、現地市場向け製品として展開された。

海外進出にあたっては発酵法による製造技術と、国内で培った量産・品質管理のノウハウが活用された。味の素は単なる輸出企業ではなく現地で生産し販売する食品メーカーとしての位置づけを明確にした。この1960年代の取り組みは事業領域を国内から国際市場へ広げる転換点となり、以後の海外事業拡大の基盤が形成された。

輸出型から現地生産型への転換が海外事業の基盤を形成

味の素の海外進出は、輸出ではなく現地生産を軸とする形態を選択した点に特徴がある。為替・物流リスクを回避しつつ消費地に近接した製造体制を構築することで、各国市場への適応力を高めた。1960年代にタイとブラジルで確立された現地生産モデルは、その後のアジア・中南米展開の雛形となり、味の素が国内調味料メーカーから国際食品企業へと転換する起点を形成した。

年表海外進出を本格化に関する出来事
19567月アメリカ味の素を設立(ニューヨーク)
19585月フィリピン味の素を設立
19604月タイ味の素を設立
19617月マレーシア味の素を設立
19682月ペルー味の素を設立
19697月インドネシア味の素を設立
1961
3月

四日市工場を新設

四日市工場は、味の素がグルタミン酸ソーダ(MSG)を中心とする発酵・化学系製品の量産を目的として新設した生産拠点であった。1960年代、発酵法への移行が進む中で、原料調達、エネルギー供給、副生成物処理を効率的に行える立地が求められていた。石油化学を核とする四日市コンビナートは、電力・蒸気・工業用水が安定しており、製造工程との親和性が高かった。味の素は同工場を通じて川崎工場への集中を緩和し、生産分散と物流効率の向上を図った。

1963
3月

米コーンプロダクツ社と提携

外部ブランドと自社販路の結合で総合食品化を進めた提携設計

コーンプロダクツ社との提携は、味の素がMSG単品依存から脱却するにあたり、自社単独の新規投資ではなく外部企業のブランドと製品開発力を活用する手法を選択した判断であった。味の素が持つ生産能力と全国販売網を提携先の製品群と結合させる分業構造は、後年のゼネラルフーズやダノンとの提携にも通じるアライアンス型事業拡張の原型を形成した。

背景:MSG単品依存のリスクと加工食品市場の成長が事業拡張を促す

1950年代後半、味の素はMSGで国内シェアを確保していたが、直接発酵法の普及により単一製品への依存が収益変動リスクを伴う状況となっていた。量産体制と全国販売網は維持されていたものの、MSG以外の収益源を確保する必要性が高まっていた。調味素材に加え最終消費者向けの加工食品へ領域を広げることで、売上成長の持続性を高める方向が検討された。

海外では加工食品市場が拡大しており、特にスープや調理用食品は付加価値の高い分野と認識されていた。ただし味の素にとって自社単独で新分野に集中投資するよりも、既に知見を持つ海外企業と提携する方が投下資本に対する効率を見込みやすかった。

決断:コーンプロダクツ社との提携によりクノール食品を発足

1963年、味の素は米国の食品原料大手であるCorn Products Companyと提携し、スープ食品を中心とする新会社としてクノール食品を発足させた。コーンプロダクツ社は加工食品分野での製品開発力と欧米で実績のあるブランドを有しており、味の素は日本市場での生産・販売機能を担った。

この分業により、味の素は既存の販路を活用しつつスープ製品を日本向けに展開した。MSG事業で培った原料調達や工場運営のノウハウは加工食品の量産にも転用された。調味素材メーカーから最終製品を扱う総合食品メーカーへと事業の幅を広げる判断であった。

結果:加工食品事業の確立がアライアンス型事業拡張の原型を形成

クノール食品の発足により、味の素はスープ製品を軸とした加工食品市場への参入を実現した。味の素の販売網を通じて全国に展開されたスープ製品は家庭用市場で一定の浸透を見せ、MSG単品依存の収益構成から複数カテゴリーの売上構成へと移行する基盤が形成された。

この提携は、味の素が外部のブランドと製品開発力を活用し、自社の生産・販売機能と組み合わせる手法を確立した点で意味を持った。後年のゼネラルフーズやダノンとの提携にも通じるアライアンス型事業拡張の原型であり、味の素が総合食品企業へと転換する過程の起点となった。

外部ブランドと自社販路の結合で総合食品化を進めた提携設計

コーンプロダクツ社との提携は、味の素がMSG単品依存から脱却するにあたり、自社単独の新規投資ではなく外部企業のブランドと製品開発力を活用する手法を選択した判断であった。味の素が持つ生産能力と全国販売網を提携先の製品群と結合させる分業構造は、後年のゼネラルフーズやダノンとの提携にも通じるアライアンス型事業拡張の原型を形成した。

1967
化成品部を発足
1970
冷凍食品事業に参入
1973
米ゼネラルフーズと提携
1980
仏ジェルべ・ダノンと提携
1981
医薬品事業に参入
1987
鹿島工場を新設
1989
欧州・オニケム社を買収
1990
カルピス食品工業と提携
1996
味の素(中国)を設立
1996
5月

肝疾患用分岐鎖アミノ酸製剤を発売

1996/3期(連結)売上高 7,508億円当期純利益 104億円

味の素ファルマを通じて発売を開始。2002年度の売上高は161億円となり、医薬品事業の中で最大の売り上げ規模へ

1996/3期(連結)売上高 7,508億円当期純利益 104億円
1997
総会屋への利益供与(商法違反)
1998
9月

味の素ファインテクノを設立

1998/3期(連結)売上高 8,359億円当期純利益 179億円
食品事業からの組織分離が半導体対応力を生んだ構造

味の素ファインテクノの設立は、電子材料事業を食品事業の判断サイクルから切り離し、半導体業界の技術更新速度に対応するための組織設計であった。ABFがインテルに連続採用された背景には、世代交代ごとの材料評価に即応できる意思決定体制があった。食品メーカーが高付加価値電子材料で持続的な競争優位を確立できた要因は、技術力そのものに加え、事業特性に適した組織分離の判断にあった。

背景:電子材料事業の特性が食品事業との一体運営に制約を生む

1990年代、味の素はMSGを中心とする食品事業を主軸としながら、アミノ酸や発酵技術を応用した化成品・電子材料の研究開発を継続していた。これらの分野は、顧客構成、製品更新の速度、研究開発投資の回収期間において食品事業と性格を異にしており、同一組織内での運営には判断速度や資源配分の面で制約が生じていた。

特に電子材料分野では、量産規模よりも材料の採用可否が事業の成否を左右する構造にあった。半導体パッケージ材料では基板メーカーが直接の取引先であるが、最終的な材料採用の判断はCPUメーカーが握っていた。最大手のインテルは世代交代のたびに材料仕様を更新し、供給業者の選別を行っていた。

この環境下で事業を継続するには、食品事業とは異なる意思決定の速度と投下資本の管理が求められていた。食品事業の収益サイクルに合わせた判断では、半導体業界の技術更新に対応しきれない状況が顕在化していた。

決断:食品事業から分離した専門会社を設立しABFに経営資源を集中

1998年、味の素は化成品関連事業を再編し、味の素ファインテクノ株式会社を設立した。食品事業から切り離された組織として、電子材料および機能化学品に特化した事業運営を担うことになった。研究開発テーマの選択や投下資本の配分を、食品事業の収益構造とは独立して判断できる体制が整えられた。

電子材料分野では半導体パッケージ基板用層間絶縁材料「Ajinomoto Build-up Film(ABF)」に経営資源を集中させた。ABFは基板メーカーへの供給を通じてインテルなどのCPUメーカーによる評価と採用を受ける必要があった。このため製品性能だけでなく、世代更新に合わせた技術対応と安定供給を重視した事業運営が選択された。

分社化の判断は、食品中心の事業ポートフォリオから技術特性の異なる高付加価値事業を切り出して育成する試みであった。電子材料事業を食品事業の延長としてではなく、独立した判断基準で運営することが半導体業界のスピードに対応するための前提条件であった。

結果:インテル連続採用により高シェアと高利益率を持続する事業構造を確立

ABFは1999年以降、インテルの高機能CPU向けパッケージ基板に継続して採用された。CPUの世代交代ごとに材料が見直される環境において連続採用が続いたことは、技術対応力と品質管理が評価された結果であった。これにより味の素ファインテクノは高機能CPU向け分野で高いシェアを維持し、競合が参入しにくい事業障壁を形成した。

高シェアの持続は、売上成長よりも利益率を重視する事業運営を可能にした。2024年3月期には売上高営業利益率45.9%、営業利益269億円を記録しており、食品事業とは異なる収益特性を持つ事業としてグループ全体の利益構成に寄与する存在となった。

1998年の分社化は、食品メーカーとしての味の素が技術の異なる事業領域で専門会社を育成する転換点であった。食品事業の判断基準から切り離すことで半導体業界の要求に応え、継続的な研究開発投資と高い収益性の両立を実現する構造が形成された。

1998/3期(連結)売上高 8,359億円当期純利益 179億円
食品事業からの組織分離が半導体対応力を生んだ構造

味の素ファインテクノの設立は、電子材料事業を食品事業の判断サイクルから切り離し、半導体業界の技術更新速度に対応するための組織設計であった。ABFがインテルに連続採用された背景には、世代交代ごとの材料評価に即応できる意思決定体制があった。食品メーカーが高付加価値電子材料で持続的な競争優位を確立できた要因は、技術力そのものに加え、事業特性に適した組織分離の判断にあった。

年表味の素ファインテクノを設立に関する出来事
1999インテルがABF(Ajinomoto Build-up Film)を採用
2000TAB用レジストインク工場を新設
2001テクノセンター1号館を新設
2007テクノセンター2号館を新設
2013CPUパッケージ基板向け層間絶縁フィルムでシェア1位
高性能向け・世界シェア100%
2022テクノセンター3号館を新設
20243月高収益を持続(売上高営業利益率45.9%)
営業利益269億円
1998
10月

グループ企業の整理統合を開始

1998/3期(連結)売上高 8,359億円当期純利益 179億円

-

1998/3期(連結)売上高 8,359億円当期純利益 179億円
年表グループ企業の整理統合を開始に関する出来事
199810月味の素ファインテクノを設立
19994月味の素製油を設立
19994月味の素コミュニケーションズを設立
19997月味の素エンジニアリングを設立
20004月味の素物流を設立
200010月味の素パッケージングを設立
1999
12月

味の素ファルマを発足

1999/3期(連結)売上高 8,145億円当期純利益 132億円

ヘキストより輸血栄養医薬品事業を買収。

1999/3期(連結)売上高 8,145億円当期純利益 132億円
2002
6月

海外で飼料用アミノ酸を増産

2002/3期(連結)売上高 9,435億円当期純利益 314億円
数量成長前提の投資が価格競争で利益率低下を招いた構造

飼料用アミノ酸への積極投資は需要拡大局面では合理的であったが、CJ第一製糖の供給拡大により価格競争が顕在化すると利益率が急速に悪化した。素材型事業における数量成長と収益性の関係は市場の参入構造に依存する不確実性を内包していた。この経験は味の素にとって、売上成長だけでなく投下資本に対する収益性を問う経営指標の必要性を認識させる契機となった。

背景:アジア・中南米の畜肉需要拡大が飼料用アミノ酸の成長機会を提示

2000年代初頭、味の素のアミノ酸事業を取り巻く環境は食品用途中心から飼料用途へと需要の重心が移りつつあった。アジアや中南米で畜肉消費が拡大し、飼料効率を高めるための必須アミノ酸需要が伸長していた。とりわけリジンは市場規模が大きく数量成長が見込まれる分野として注目されていた。

一方で過去のビタミン事業では、欧州メーカーが先行して市場を形成した後にアジア勢の参入で供給能力が急拡大し、価格下落が進行した経緯があった。数量拡大を前提とする素材型事業は、市場参入構造の変化次第で収益が大きく変動するリスクを伴うことも認識されていた。

決断:グローバル生産ネットワークの構築と高収率新菌の工業化を推進

こうした環境認識のもと、味の素は2000年代を通じて飼料用アミノ酸への積極投資を進めた。リジンを中心に北米、南米、欧州、アジアで生産設備の新設や能力増強を行い、消費地近接型のグローバル供給ネットワークを拡充した。同時に高収率新菌の開発と工業化を進め、単位あたりの製造コスト低減を図った。

この投資判断は、需要拡大が続く局面では稼働率の上昇により投下資本の回収が進み、売上成長と利益創出の両立が可能になるとの見通しに基づいていた。2000年代前半には飼料用アミノ酸事業は営業利益面で一定の寄与を示し、基幹事業としての位置づけを強めていた。

結果:競争激化による収益変動が資本効率重視の経営転換を促す契機に

しかし2010年代に入ると市場環境は変化した。韓国のCJ第一製糖が供給能力を拡大し、リジン市場では価格を軸とした競争が顕在化した。供給余力の増加により相場は下落し、数量成長を前提とした事業モデルは収益変動の影響を受けやすくなった。

2014年3月期には飼料用アミノ酸事業が利益面で大きく振れ、四半期ベースで赤字となる局面も生じた。2000年代の積極投資で構築された生産能力は価格競争が激化する局面では利益率低下として表れた。この経験は成長市場であっても供給拡大が収益性に与える影響を再認識させ、その後の事業ポートフォリオ見直しや資本効率を重視した経営判断につながっていった。

2002/3期(連結)売上高 9,435億円当期純利益 314億円
数量成長前提の投資が価格競争で利益率低下を招いた構造

飼料用アミノ酸への積極投資は需要拡大局面では合理的であったが、CJ第一製糖の供給拡大により価格競争が顕在化すると利益率が急速に悪化した。素材型事業における数量成長と収益性の関係は市場の参入構造に依存する不確実性を内包していた。この経験は味の素にとって、売上成長だけでなく投下資本に対する収益性を問う経営指標の必要性を認識させる契機となった。

2002
6月

海外で飼料用アミノ酸を増産

2002/3期(連結)売上高 9,435億円当期純利益 314億円

背景:飼料用アミノ酸市場の拡大と成長機会の認識

2000年代初頭、味の素のアミノ酸事業を取り巻く環境は、食品用途中心から飼料用途へと需要の重心が移りつつあった。アジアや中南米で畜肉消費が拡大し、飼料効率を高めるための必須アミノ酸需要が伸長していた。とりわけリジンは市場規模が大きく、数量成長が見込まれる分野として注目されていた。

同社は1990年代までに発酵技術を軸とした素材型事業を展開しており、アミノ酸分野においても長期的な需要拡大を取り込める余地があると判断していた。一方で、過去のビタミン事業では、欧州メーカーが先行して市場を形成した後、アジア勢の参入によって供給能力が急拡大し、価格下落が進行した経緯があった。その結果、数量拡大を前提とする素材型事業は、市場参入構造の変化次第で収益が大きく変動するリスクを伴うことも認識されていた。

決断:2000年代における数量成長を前提とした積極投資

こうした環境認識のもと、味の素は2000年代を通じて飼料用アミノ酸への積極投資を進めた。リジンを中心に、北米、南米、欧州、アジアで生産設備の新設や能力増強を行い、消費地近接型のグローバル供給ネットワークを拡充した。同時に、高収率新菌の開発と工業化を進め、単位当たりコストの低減を図った。

この投資判断は、需要拡大が続く局面では、稼働率の上昇によって投下資本の回収が進み、売上成長と利益創出の両立が可能になるとの見通しに基づいていた。2000年代前半には、飼料用アミノ酸事業は営業利益面でも一定の寄与を示し、基幹事業としての位置付けを強めていった。

結果:競争激化による収益変動と戦略再考の契機

しかし2010年代に入ると、市場環境は変化した。韓国食品大手CJ第一製糖が供給能力を拡大し、リジン市場では価格を軸とした競争が顕在化した。供給余力の増加により相場は下落し、数量成長を前提とした事業モデルは収益変動の影響を受けやすくなった。

2014年3月期には、飼料用アミノ酸事業が利益面で大きく振れ、四半期ベースで赤字となる局面も生じた。2000年代の積極投資によって構築された生産能力は、価格競争が激化する局面では利益率低下として表れた。この経験は、成長市場であっても供給拡大が収益性に与える影響を再認識させ、その後の事業ポートフォリオ見直しや資本効率を重視した経営判断につながっていった。

2002/3期(連結)売上高 9,435億円当期純利益 314億円
年表海外で飼料用アミノ酸を増産に関する出来事
2002米国で工場の新増設(スレオニン・リジン)
2002欧州で工場の新増設(スレオニン・リジン)
2003タイでリジンの生産開始
2003ブラジルでリジンの生産開始
2003
4月

油脂事業をJ-オイルミルズに移管

2003/3期(連結)売上高 9,877億円当期純利益 331億円
「撤退に近い統合」が投下資本の再配分を可能にした事業整理

J-オイルミルズへの油脂事業移管は、味の素にとって事業売却ではなく水平統合を通じた段階的撤退であった。競合企業との統合により国内シェアを集約しつつ自社の投下資本を油脂事業から引き揚げる設計は、収益性の低い事業を整理する一方で業界全体の構造改善にも寄与した。後年のROIC経営導入に先立つ事業ポートフォリオ見直しの初期形態として位置づけられる。

背景:国内油脂市場の供給過剰と原料リスクが事業継続の合理性を問う

1990年代後半、国内の油脂需要は家庭用を中心に伸び悩み、業務用が下支えする形で横ばいに近い状況が続いていた。一方で供給側はメーカー数が多く設備能力も高水準にあったため、需給は緩みやすく収益性は構造的に圧迫されていた。原料の多くを海外に依存する油脂事業は為替や国際市況の変動に左右されやすく、安定的な利益確保が難しい事業環境に置かれていた。

味の素は油脂事業を単独で維持することによる投下資本効率の低下と、将来的な成長余地の限定性を認識するようになった。市場シェアの分散、設備過剰、原料リスクという複数の課題が重なり、事業ポートフォリオ全体の中で油脂事業の位置づけを見直す局面に入っていた。

決断:段階的な分社化と水平統合によりJ-オイルミルズを発足

味の素は油脂事業の分社化と業界再編を段階的に進める判断を下した。1999年に油脂生産部門を統合して味の素製油を設立し、2001年には油脂事業機能を同社に集約した。その後2002年にホーネンコーポレーションとの経営統合を行い、2003年には吉原製油が加わってJ-オイルミルズが発足した。

競合関係にあった企業同士を水平統合することで、重複設備の整理、原料調達の効率化、販売網の統合が進められた。味の素にとっては油脂事業を切り離すことで事業撤退に近い意思決定を行いつつ、J-オイルミルズの株主として関与を継続する形をとった。

結果:事業切り離しが投下資本の再配分とポートフォリオ見直しの先例に

J-オイルミルズの発足により国内油脂市場のシェアは集約され、価格競争に陥りやすい構造からの転換が図られた。統合によるスケールメリットは原料調達と物流面で効果を発揮し、業界全体の収益構造改善に寄与した。

味の素にとってこの判断は、収益性の低い事業から投下資本を引き揚げ、成長余地のある分野へ再配分するための転機となった。油脂事業の分離は後年のROIC経営導入に先立つ事業ポートフォリオ見直しの初期事例であり、事業を「持ち続けるか手放すか」という判断を実行した点に意味があった。

2003/3期(連結)売上高 9,877億円当期純利益 331億円
「撤退に近い統合」が投下資本の再配分を可能にした事業整理

J-オイルミルズへの油脂事業移管は、味の素にとって事業売却ではなく水平統合を通じた段階的撤退であった。競合企業との統合により国内シェアを集約しつつ自社の投下資本を油脂事業から引き揚げる設計は、収益性の低い事業を整理する一方で業界全体の構造改善にも寄与した。後年のROIC経営導入に先立つ事業ポートフォリオ見直しの初期形態として位置づけられる。

証言江頭邦雄(味の素・社長)

(注:ホーネンコーポレーションの)嶋(雅二)会長と「もう一緒にやらなきゃ日本の油産業はダメだね。一緒にやらない?」「やろう」と握手してね。

出所2004/6/28 日経ビジネス
2003
欧州・オルサン社を買収
2005
4月

カンパニー制を再編

2005/3期(連結)売上高 10,730億円当期純利益 448億円

2002年に社内カンパニー制を導入。2005年には社内カンパニー(3社)を再編し、提携事業4社(カルピス味の素ダノン・カルピス・味の素ゼネラルフーズ・J-オイルミルズ)、分社2社(味の素冷凍食品・味の素ベーカリー)、カンパニー3社(食品カンパニー・アミノ酸カンパニー・医療カンパニー)による組織体制を開始した。

2005/3期(連結)売上高 10,730億円当期純利益 448億円
2007
ヤマキと業務資本提携を締結
2011
飼料用アミノ酸事業の再編(収益低下)
2014
米ウィンザー・クオリティHEを買収
2019
4月

減損を反省・ROICを導入

2019/3期(連結)売上高 11,274億円当期利益 296億円
減損312億円が促した「額から率へ」の経営管理転換

2019年の大規模減損は、売上成長を優先した資本配分が投下資本の回収検証を欠いたまま進行した結果として生じた。味の素がROICを導入した背景には、事業の存続判断を売上規模や研究意義ではなく資本効率で行う基準の欠如があった。ROICの事業別算定は共通尺度による比較を可能にし、動物栄養事業の売却、希望退職、価格改定といった一連の構造改革の起点を形成した。

背景:海外食品事業への投資が増収下で大規模減損を生む結果に

2019年3月期、味の素は海外食品事業を中心に大規模な減損損失を計上した。売上高は1兆1,274億円と増収を確保した一方、事業利益は926億円、営業利益は531億円、親会社株主帰属の当期利益は296億円といずれも前期を下回った。増収にもかかわらず利益段階で大幅な減少が生じた。

減損の主因は北米・中南米を中心とした海外食品事業にあった。味の素ノースアメリカおよび味の素イスパニョールにおけるのれん減損、プロマシドール・ホールディングス社に関する投資および商標権の減損が計上された。減損額は税引前で約347億円、親会社帰属ベースで約312億円に達した。

この結果は個別案件の問題というより、資本配分の管理手法そのものに対する問題提起となった。売上成長や事業規模の拡大を優先する中で、投下資本の回収効率が十分に検証されないまま海外事業への投資が積み上がっていた。

決断:ROICを中核指標とする経営管理へ転換し資本配分の基準を明確化

この反省を踏まえ、味の素は2019年にROICを中核とする経営管理へと舵を切った。ROICを事業別に算定し資本コストとの比較を行うことで、投資の継続、集中投資、事業売却といった判断を数値基準で行う体制を整備した。従来は売上成長や研究意義によって資本配分が正当化されやすかったが、投下資本に対する収益性が判断の前提に置かれるようになった。

実際、同年には動物栄養事業の売却を決断しており、減損後の修正ではなく事前に投資回収を見極める管理への転換が意図されていた。のれんや無形資産を含む投下資本の水準が事業評価に組み込まれ、資本効率の低い事業については撤退や縮小を含めた選択肢が検討されるようになった。

ROIC導入の意義は評価指標の追加にとどまらなかった。事業が初めて共通の尺度で比較可能となり、低収益事業は「将来性」ではなく「資本効率」で説明責任を負う立場に置かれた。成長が見込めても資本回転が悪い事業や、利益は出ていても投下資本が過大な事業が再検討の対象となった。

結果:経営管理の視点を「額」から「率」へ転換し構造改革の起点を形成

ROIC経営の導入以降、味の素では資本配分に対する検証が強化された。投資家との対話においても成長と資本効率の両立が説明されるようになり、情報開示の質が変化した。2019年の大規模減損は短期的には利益を押し下げたが、経営管理の視点を「額」から「率」へと転換させる契機となった。

この転換は2019年の希望退職実施、2023年の価格改定、事業ポートフォリオの再編へと連続的につながっていった。いずれも利益の絶対額ではなく投下資本に対する収益性を基準とした判断であり、ROIC導入がこれらの意思決定を下支えする枠組みとして機能した。

味の素にとってROIC導入が構造的に重要であった理由は、撤退や集中を促す基準を経営の内部に組み込んだ点にある。善意や理念に依存しない資本配分ルールが明文化されたことで、事業見直しは危機時の対応ではなく常時行われる判断へと変わった。

2019/3期(連結)売上高 11,274億円当期利益 296億円
減損312億円が促した「額から率へ」の経営管理転換

2019年の大規模減損は、売上成長を優先した資本配分が投下資本の回収検証を欠いたまま進行した結果として生じた。味の素がROICを導入した背景には、事業の存続判断を売上規模や研究意義ではなく資本効率で行う基準の欠如があった。ROICの事業別算定は共通尺度による比較を可能にし、動物栄養事業の売却、希望退職、価格改定といった一連の構造改革の起点を形成した。

2019
11月

希望退職者を募集

2019/3期(連結)売上高 11,274億円当期利益 296億円
黒字下144名の希望退職が示したROIC経営の実行意志

経営危機ではなく黒字下で希望退職を実施した判断は、ROICを軸とする経営管理が単なる指標導入ではなく固定費構造の見直しまで含む実行段階にあったことを示していた。管理職層に限定した対象設定は投下資本に対する人件費比率の引き下げを狙った設計であり、約65億円の一時費用を許容してでも資本効率を優先する姿勢が表明された。利益が出ている段階での構造改革着手に特徴がある。

背景:ROIC経営への転換局面で固定費構造の見直しが課題に浮上

2019年11月、味の素は50歳以上の管理職を対象とした「特別転進支援施策」を発表した。募集人数は約100名、退職金への特別加算に加え再就職支援を含む内容であった。当時の味の素は経営危機にあったわけではなく、2020年3月期の売上高は1兆円規模で事業利益も高水準を維持していた。黒字下での希望退職実施は市場に驚きをもって受け止められた。

しかしこの施策は単なる人員削減ではなく、2019年に導入されたROICを軸とする経営管理への転換と並行して実施されていた。投下資本と収益の関係を事業単位で可視化する取り組みが進む中で、人件費を含む固定費構造もその見直し対象に含まれていた。

決断:管理職層の固定費比率を引き下げ資本効率改善の基盤を整備

対象が「50歳以上の管理職」に限定された点は、人員の総量削減よりも組織構成とコスト配分の調整を主眼とした判断であった。管理職層は固定費比率が高くROICを押し下げやすい要素となる。黒字である段階で人員構成を見直すことは、将来の収益性と資本効率を優先した選択であった。

募集期間を経て144名が応募し、味の素は2020年3月期に約65億円の費用を計上した。短期的な損益悪化を許容してでも固定費構造を見直し、ROIC改善につなげる姿勢が明確に示された施策であった。

結果:ROIC経営下における固定費管理の先行事例として位置づけ

希望退職の実施により管理職層の人件費は縮減され、固定費構造の見直しが進んだ。約65億円の費用は一時的に利益を圧迫したが業績予想には織り込み済みとされ、中長期的な資本効率改善のための先行投資として位置づけられた。

この施策は後年の価格改定や資産圧縮と同様に、利益の絶対額ではなく投下資本に対する収益性を基準とした経営判断の初期段階に位置づけられる。黒字下で人員構成を見直すという判断は、ROIC経営が損益管理だけでなくコスト構造の再設計まで含む枠組みであることを示す事例となった。

2019/3期(連結)売上高 11,274億円当期利益 296億円
黒字下144名の希望退職が示したROIC経営の実行意志

経営危機ではなく黒字下で希望退職を実施した判断は、ROICを軸とする経営管理が単なる指標導入ではなく固定費構造の見直しまで含む実行段階にあったことを示していた。管理職層に限定した対象設定は投下資本に対する人件費比率の引き下げを狙った設計であり、約65億円の一時費用を許容してでも資本効率を優先する姿勢が表明された。利益が出ている段階での構造改革着手に特徴がある。

2023
4月

価格改定による増益

2023/3期(連結)売上高 13,591億円当期利益 940億円
消費者反応より資本リターンを優先した価格改定の判断構造

味の素の価格改定は原材料高騰への受動的対応ではなくROIC経営下での資本効率維持を目的とした能動的判断であった。消費者向け企業にとって値上げは販売数量減少のリスクを伴うが、利益率低下によるROIC悪化をより大きな経営課題と認識した点に判断の優先順位があった。株主から預かった資本の運用責任と消費者価格のバランスにおいて資本効率を選択した構造に特徴がある。

背景:原材料・物流費の同時上昇がROIC維持の制約要因に浮上

2019年以降、味の素は投下資本利益率(ROIC)を中核指標とする経営へと移行し、事業別に資本コストとの比較を行う管理体制を整備していた。固定資産や在庫の水準がROICに直接影響するため、事業の継続可否を含めた見直しが常態化しており、利益率と売上成長の両立が資本効率維持の条件として整理されていた。

2022年後半から2023年にかけて、原材料価格、エネルギー費、物流費が同時に上昇した。とうもろこしや油脂などの主要原料に加え包材費や輸送費も増加し、事業全体のコスト構造に影響が及んでいた。従来の効率化や調達条件の調整では吸収が難しく、利益率の低下がROICを押し下げる要因となっていた。

決断:ROIC維持を前提に複数回の価格改定を実施

味の素は企業努力の範囲を超えるコスト上昇であると表明し、2023年に家庭用・業務用の双方で複数回の価格改定を実施した。家庭用ではうま味調味料や加工食品、業務用では調味料や加工食材を対象に製品群ごとに改定幅が設定された。価格改定は短期的な損益改善手段にとどまらず、投下資本に対するリターンを回復させる手段として位置づけられていた。

消費者向け企業にとって価格引き上げは販売数量減少のリスクを伴うが、ROIC経営下では利益率の低下による資本効率悪化がより大きな経営課題として認識されていた。

結果:価格転嫁がコスト増を上回り増収増益とROIC改善を同時に達成

2023年度、味の素は価格改定の効果を売上高に反映させ、家庭用・業務用の双方で単価が上昇したことで増収を達成した。利益面では価格転嫁がコスト増を上回り、営業利益は前年を上回った。結果として投下資本に対する利益水準が改善しROICの回復につながった。

2023年の価格改定は原材料高騰への対応にとどまらず、ROIC経営を前提とした資本効率の改善策として機能した事例と整理できる。消費者反応よりも資本リターンの維持を優先した判断は、希望退職や事業売却と同様にROICを基準とする意思決定の一環であった。

2023/3期(連結)売上高 13,591億円当期利益 940億円
消費者反応より資本リターンを優先した価格改定の判断構造

味の素の価格改定は原材料高騰への受動的対応ではなくROIC経営下での資本効率維持を目的とした能動的判断であった。消費者向け企業にとって値上げは販売数量減少のリスクを伴うが、利益率低下によるROIC悪化をより大きな経営課題と認識した点に判断の優先順位があった。株主から預かった資本の運用責任と消費者価格のバランスにおいて資本効率を選択した構造に特徴がある。

2023
2月

中期ASV経営を策定

2023/3期(連結)売上高 13,591億円当期利益 940億円
単年度型中計から2030年逆算型ロードマップへの移行設計

中期ASV経営の策定は、事業特性の異なる複数領域を抱える味の素が単年度積み上げ型の中期計画では資源配分の合理性を示しきれなくなったことへの対応であった。ROIC約17%・ROE約20%という数値目標を2030年から逆算する形式は、短期業績ではなく長期の企業価値最大化を基準とした資本配分方針の明示であり、ROIC経営の延長線上にある枠組みの進化と位置づけられる。

背景:事業間の成長率とROIC格差が単年度型中計の限界を露呈

味の素は2020年代初頭にかけて事業利益の回復とアセットライトを進めたが、事業ごとの成長率とROICには依然として差が残っていた。食品系事業はキャッシュ創出を担う一方で売上成長は限定的であり、アミノサイエンス系事業では成長機会が見込まれる反面、投下資本の増加が資本効率管理の論点となっていた。

こうした状況下で単年度積み上げ型の中期計画では、長期の企業価値最大化と資源配分の合理性を示しにくくなっていた。事業特性の異なる複数領域を抱える中で、短期の業績数値ではなく長期視点の資本配分方針を明示する枠組みが求められていた。

決断:2030年逆算型のロードマップで成長領域への資源集中を設計

2023年に策定された2030ロードマップでは、成長領域をヘルスケア、フード&ウェルネス、ICT、グリーンの4分野に整理し、将来の成長を担う事業に資源を集中させる方針が示された。効率性の低い事業は機能分離や撤退も視野に入れ、投下資本の再配分を進める判断が明確化された。

財務面では2030年にROIC約17%、ROE約20%、EPS約3倍(FY2022比)を目標に掲げ、設備投資とM&Aを成長投資の中核に据えた。キャッシュフロー改善と資本コスト低減を併走させ、成長投資と株主還元の両立を図る設計とした。単年度の業績改善ではなく、2030年のありたい姿から逆算して経営を再構築する位置づけにある。

2023/3期(連結)売上高 13,591億円当期利益 940億円
単年度型中計から2030年逆算型ロードマップへの移行設計

中期ASV経営の策定は、事業特性の異なる複数領域を抱える味の素が単年度積み上げ型の中期計画では資源配分の合理性を示しきれなくなったことへの対応であった。ROIC約17%・ROE約20%という数値目標を2030年から逆算する形式は、短期業績ではなく長期の企業価値最大化を基準とした資本配分方針の明示であり、ROIC経営の延長線上にある枠組みの進化と位置づけられる。