味の素 の歴史

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創業 1909年
創業者 鈴木三郎助
創業地 神奈川県逗子市
創業・決断・現況・競合について
創業
1908年7月、東京帝国大学の池田菊苗博士が調味料グルタミン酸ソーダの製造法で特許を取得した。同年9月にその商品化を引き受けたのが、神奈川県葉山で家業のヨード製造を営む二代目鈴木三郎助氏である。大企業が見送った事業を家業の資金と技術で支え、1909年5月に"味の素"を発売した。1912年4月に鈴木商店を発足させ、1914年9月には川崎工場を建設して量産へ移している。1932年に"味の素本舗鈴木商店"、1946年2月に味の素へ商号を変更し、1949年5月に東京証券取引所へ上場した。ただし収益は長く単一の製法と単一の商品に依存していた。
決断
本業で育てた技術を、本業とは別の判断で伸ばしてきた。1956年に協和発酵工業が直接発酵法を発表して単品の製法優位が崩れると、味の素は訴訟ではなく同社のMSGを全量買い取る契約を同年11月に結び、うま味調味料の単品依存から総合食品企業へ転じた。1998年9月には専門子会社の味の素ファインテクノを設立し、食品の判断サイクルから切り離してABFを育てた。1999年に世界初のフィルム状の層間絶縁材料を発売し、のちに世界シェア95%超を占める。2019年5月には約312億円の減損を機にROICを軸に事業を選別する資本効率経営へ移り、規模を追う資本配分を改めた。
現況
売上の6割は調味料・食品だが、利益率が最も高いのはヘルスケア等である。2026年3月期の連結売上高1兆5,837億円・営業利益1,994億円のうち、調味料・食品が売上9,460億円・利益1,430億円、ヘルスケア等が売上3,476億円・利益662億円、冷凍食品が売上2,910億円・利益85億円である。利益率は順に15.1%、19.0%、2.9%で、売上の2割を占める冷凍食品は利益では4%にとどまる。半導体パッケージ用のABFはヘルスケア等に含まれ、単独の売上も利益も開示されていない。この非開示が、2026年に英パリサー・キャピタルが独立セグメント開示を求めるきっかけとなった。
競合
事業の切り離しを株主から迫られたのは、味の素が最初ではない。2026年3月、英パリサー・キャピタルはABFの価格を30%超引き上げ、冷凍食品を再編し、電子材料を独立セグメントとして開示するよう求めた。同じ構図は2020年のキリンホールディングスにもあり、英運用会社の医薬分離提案を退けて多角化路線を守った。味の素の答えはまだ出ていない。冷凍食品は2023年3月期に137億円の減損を計上し、2026年3月期の利益率も2.9%にとどまる。うま味調味料から出た技術が食品より高い利益率を生んだことが、そのまま株主との論点になった。
長期業績の推移 1949〜2026年
味の素:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

第1章 1888年〜 家業のヨード製造から味の素の発売と川崎工場の量産まで

1888年〜池田菊苗博士の特許を鈴木家が引き受けるまで

味の素の事業は、鈴木家が1888年に神奈川県葉山で始めたヨード製造にさかのぼる。鈴木ナカ氏が興したこの家業は、東京帝国大学の長井長義氏から技術の指導を受けて製薬へ広がった。1907年5月には合資会社鈴木製薬所を設立し、葉山でヨードとカリを、逗子で硝酸を、麻布でヨードとカリをそれぞれ製造していた。1908年7月、東京帝国大学の池田菊苗博士が昆布のうま味の成分を突き止め、調味料グルタミン酸ソーダの製造法で特許を取得した。同年9月、二代目の鈴木三郎助氏がその商品化を引き受け、特許の共有者となった

  • 味の素グループの百年史
    • [1]1888年 神奈川県葉山で家業のヨード製造を開始
    • [2]長井長義から技術指導を受け製薬事業へ発展
  • 味の素株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [3]1907年5月 合資会社鈴木製薬所を設立
    • [5]1908年7月 池田菊苗が調味料グルタミン酸ソーダの製造法特許を取得
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「味の素」の項
    • [4]葉山でヨード・カリ、逗子で硝酸、麻布でヨード・カリを製造
    • [6]鈴木三郎助(二代)が味の素の商品化を引き受け特許の共有者となる

1909年5月、うま味調味料"味の素"の一般販売が始まった。逗子工場での試験で製造に確信を得た鈴木家は、川崎の地を選んで新しい工場を建設した。1912年4月、鈴木三郎助氏個人の事業だった味の素の事業を合資会社鈴木製薬所が継承し、同社は合資会社鈴木商店へ商号を変更した。1914年9月には川崎工場が完成して操業に入り、家内工業の組織から近代的な設備での量産へ移った。製造は鈴木忠治氏が引き受け、その指導のもとで鈴木六郎氏が実務を担い、販売はのちに三郎助を襲名する鈴木三郎氏が担当し、鈴木家のなかで役割を分けて事業を運んだ。

  • 味の素株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1909年5月 うま味調味料「味の素」一般販売開始
    • [9]1912年4月 味の素の事業を合資会社鈴木製薬所が継承し合資会社鈴木商店へ商号変更
    • [10]1914年9月 川崎工場完成・操業開始
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「味の素」の項
    • [8]逗子工場の試験で製造に確信を得て川崎工場を設立
    • [11]製造は鈴木忠治、実務は鈴木六郎、販売は鈴木三郎(のちに三郎助を襲名)が担当

販売の拡大とともに、原料をめぐる根拠のない噂が流れ、味の素は受難の時期を迎えた。第一次世界大戦後の恐慌で打撃を受け、1923年の関東大震災では本舗が焼失し工場も倒壊した。1917年6月には株式会社鈴木商店を設立して合資会社鈴木商店の営業一切を譲り受け、1925年12月には両社の営業を引き継ぐ株式会社鈴木商店を新設して、現在の味の素株式会社が発足した。震災後は十数年の宣伝が実を結び、販路は内地だけでなく台湾、朝鮮から満州、中国大陸、南方一帯にまで及んだ。1910年代後半から1920年代にかけては東京と大阪を中心に地域別の特約店制度を整え、特約店の下に副特約店と小売店を重ねる流通網を全国の主要都市へ敷いた。原料も小麦粉に加えて大豆が主要な位置を占め、1937年に生産量3,750トンと戦前の最盛期を迎えた

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「味の素」の項
    • [12]原料をめぐる風説が流布し販売が困難になった
    • [13]1923年 関東大震災で本舗焼失・工場倒壊
    • [16]販路が台湾・朝鮮・満州・中国大陸・南方一帯へ拡大
    • [18]原料は小麦粉に加え大豆も主要原料に
  • 味の素株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [14]1917年6月 株式会社鈴木商店を設立し合資会社鈴木商店の営業一切を譲渡
    • [15]1925年12月 株式会社鈴木商店を新設(現味の素株式会社設立)
  • 味の素グループの百年史
    • [17]1910年代後半から1920年代にかけ全国の主要都市へ特約店網を整備
  • 証券アナリストジャーナル 1969年7巻3号(平塚潔)
    • [19]1937年 味の素の生産量3,750トン(戦前の最盛期)
  • 味の素グループの百年史
    • [1]1888年 神奈川県葉山で家業のヨード製造を開始
    • [2]長井長義から技術指導を受け製薬事業へ発展
    • [17]1910年代後半から1920年代にかけ全国の主要都市へ特約店網を整備
  • 味の素株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [3]1907年5月 合資会社鈴木製薬所を設立
    • [5]1908年7月 池田菊苗が調味料グルタミン酸ソーダの製造法特許を取得
    • [7]1909年5月 うま味調味料「味の素」一般販売開始
    • [9]1912年4月 味の素の事業を合資会社鈴木製薬所が継承し合資会社鈴木商店へ商号変更
    • [10]1914年9月 川崎工場完成・操業開始
    • [14]1917年6月 株式会社鈴木商店を設立し合資会社鈴木商店の営業一切を譲渡
    • [15]1925年12月 株式会社鈴木商店を新設(現味の素株式会社設立)
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「味の素」の項
    • [4]葉山でヨード・カリ、逗子で硝酸、麻布でヨード・カリを製造
    • [6]鈴木三郎助(二代)が味の素の商品化を引き受け特許の共有者となる
    • [8]逗子工場の試験で製造に確信を得て川崎工場を設立
    • [11]製造は鈴木忠治、実務は鈴木六郎、販売は鈴木三郎(のちに三郎助を襲名)が担当
    • [12]原料をめぐる風説が流布し販売が困難になった
    • [13]1923年 関東大震災で本舗焼失・工場倒壊
    • [16]販路が台湾・朝鮮・満州・中国大陸・南方一帯へ拡大
    • [18]原料は小麦粉に加え大豆も主要原料に
  • 証券アナリストジャーナル 1969年7巻3号(平塚潔)
    • [19]1937年 味の素の生産量3,750トン(戦前の最盛期)

1932年〜戦時の商号変更と戦後の再建、そして株式上場

1932年10月、味の素本舗株式会社鈴木商店へ商号を変更した。1935年3月には宝製油株式会社を設立して油脂事業に入り、1944年5月にこれを合併した。戦時色が濃くなるにつれて社名も変わり、1940年12月に鈴木食料工業株式会社、1943年5月に大日本化学工業株式会社となった。1943年には佐賀県諸富津にアセトン・ブタノール工場の建設に着手し、同県に佐賀工場を新設した。日華事変以降は原料の入手が年々難しくなり、太平洋戦争では平和産業としての味の素は生産を止め、工場の設備は戦時物資の生産に振り向けられた

  • 味の素株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1932年10月 味の素本舗株式会社鈴木商店へ商号変更
    • [21]1935年3月 宝製油株式会社を設立し油脂事業に着手
    • [22]1944年5月 宝製油株式会社を合併
    • [23]1940年12月 鈴木食料工業株式会社へ商号変更
    • [24]1943年5月 大日本化学工業株式会社へ商号変更
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「味の素」の項
    • [25]佐賀県諸富津にアセトン・ブタノール工場の建設に着手
    • [26]太平洋戦争で味の素の生産を中止し工場設備を戦時物資の生産へ集中

戦後はDDTの生産から立ち上がり、1946年2月に味の素株式会社へ商号を改め、同年5月には少量ながら味の素の製造を再開した。輸出一本で出発した事業は、1949年11月に東京と大阪の市内で終戦後初めて家庭向けの配給が認められ、国内販売への道が開いた。設備資金を賄うため増資を重ね、資本金は1948年11月の9,500万円から1954年5月には16億4,000万円へ増えた。1949年5月には株式を上場し、輸出と国内の販売量はともに戦前の最高時の二倍に達した。1954年7月から12月までの製品売上高は100億9,000万円に達し、その内訳は味の素51%、味液17%、大豆油11%、脱脂大豆9%、澱粉7%、肥料2%、その他3%だった。

  • 味の素株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [27]1946年2月 味の素株式会社へ商号変更
    • [31]1949年5月 株式上場
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「味の素」の項
    • [28]戦後はDDTの生産で再起し1946年5月に味の素の製造を再開
    • [29]1949年11月 東京・大阪市内で家庭向け配給が認可され国内販売が再開
    • [30]資本金 1948年11月9,500万円から1954年5月16億4,000万円へ増資
    • [32]輸出・国内販売量とも戦前最高時の二倍に到達
    • [33]1954年7〜12月期の製品売上高100億9,000万円
    • [34]製品構成比 味の素51%・味液17%・大豆油11%・脱脂大豆9%・澱粉7%・肥料2%・その他3%

1955年前後の味の素は、川崎、横浜、佐賀の三工場を持つ会社だった。主力の川崎工場は味の素を月産600トン作れる設備を備え、澱粉、味液、有機肥料のほか、塩酸を自給するための塩の電解部門と、渇水期に備えた自家発電設備を持っていた。横浜工場は大豆油と脱脂大豆を、佐賀工場はテックスとカラメルを生産した。澱粉は紡績会社の糊付け用と食糧用に、味液は醤油の原料に回り、大豆油は味の素の天ぷら油として売られた。うま味調味料の抽出法が副産物の量を決め、その副産物が澱粉・味液・油脂の各部門を養う構造だった

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「味の素」の項
    • [35]川崎・横浜・佐賀の三工場を保有
    • [36]川崎工場は味の素を月産600トン生産する設備・塩の電解部門・自家発電設備を保有
    • [37]横浜工場は大豆油・脱脂大豆、佐賀工場はテックス・カラメルを生産
    • [38]澱粉は紡績会社の糊付用と食糧用、味液は醤油原料、大豆油は天ぷら油として販売
  • 証券アナリストジャーナル 1969年7巻3号(平塚潔)
    • [39]抽出法では副産物の市場動向に生産が縛られ、副産物部門が原料供給部門を兼ねた
  • 味の素株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1932年10月 味の素本舗株式会社鈴木商店へ商号変更
    • [21]1935年3月 宝製油株式会社を設立し油脂事業に着手
    • [22]1944年5月 宝製油株式会社を合併
    • [23]1940年12月 鈴木食料工業株式会社へ商号変更
    • [24]1943年5月 大日本化学工業株式会社へ商号変更
    • [27]1946年2月 味の素株式会社へ商号変更
    • [31]1949年5月 株式上場
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「味の素」の項
    • [25]佐賀県諸富津にアセトン・ブタノール工場の建設に着手
    • [26]太平洋戦争で味の素の生産を中止し工場設備を戦時物資の生産へ集中
    • [28]戦後はDDTの生産で再起し1946年5月に味の素の製造を再開
    • [29]1949年11月 東京・大阪市内で家庭向け配給が認可され国内販売が再開
    • [30]資本金 1948年11月9,500万円から1954年5月16億4,000万円へ増資
    • [32]輸出・国内販売量とも戦前最高時の二倍に到達
    • [33]1954年7〜12月期の製品売上高100億9,000万円
    • [34]製品構成比 味の素51%・味液17%・大豆油11%・脱脂大豆9%・澱粉7%・肥料2%・その他3%
    • [35]川崎・横浜・佐賀の三工場を保有
    • [36]川崎工場は味の素を月産600トン生産する設備・塩の電解部門・自家発電設備を保有
    • [37]横浜工場は大豆油・脱脂大豆、佐賀工場はテックス・カラメルを生産
    • [38]澱粉は紡績会社の糊付用と食糧用、味液は醤油原料、大豆油は天ぷら油として販売
  • 証券アナリストジャーナル 1969年7巻3号(平塚潔)
    • [39]抽出法では副産物の市場動向に生産が縛られ、副産物部門が原料供給部門を兼ねた

第2章 1956-1969 発酵法によるアミノ酸事業と協和発酵との全量買取契約、海外展開と四日市工場

この章はまだ書いていません。気が向いたときに書き足しますね!

第3章 1970-1988 冷凍食品への参入とゼネラルフーズ・ダノンとの提携、医薬品事業と鹿島工場

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第4章 1989-2002 オニケム買収とカルピス提携、総会屋事件と味の素ファインテクノ設立

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第5章 2003-2018 油脂事業のJ-オイルミルズ移管とオルサン・ウィンザー買収、飼料用アミノ酸の再編

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第6章 2019-2026 減損の反省からROIC導入と希望退職、中期ASV経営とパリサーの価値向上プラン

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歴史年表 1888〜2026年

味の素の沿革1888〜2026年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1888〜1955年家業のヨード製造から味の素の発売と川崎工場の量産まで家業でヨード製造を開始
味の素の販売開始★★
鈴木商店の発足
川崎工場の新設
東洋紡績に澱粉糊の納入を開始
全国に特約店網を整備
「味の素本舗鈴木商店」に商号変更
食品事業で多角化
味の素に商号変更
道面豊信東京証券取引所に株式上場
1956〜1969年発酵法によるアミノ酸事業と協和発酵との全量買取契約、海外展開と四日市工場道面豊信アミノ酸事業に参入
道面豊信うま味調味料の単品依存から総合食品企業への転換

1956年、協和発酵工業が直接発酵法によるグルタミン酸ナトリウム(MSG)の製造を発表し、抽出法で守ってきた味の素の製法上の優位が揺らいだ。味の素は技術対立を訴訟に持ち込まず、協和発酵のMSGを全量買い取る契約で市場の混乱を避けつつ、うま味調味料の単品依存を脱し、総合食品企業への転換を選んだ。1963年のクノール食品発足を最初の具体化とし、以後およそ四半世紀をかけて固まった面的な戦略である。

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★★★
道面豊信海外事業を本格化★★
道面豊信四日市工場を新設
道面豊信コーンプロダクツ社と提携★★
鈴木恭二化成品部を発足
1970〜1988年冷凍食品への参入とゼネラルフーズ・ダノンとの提携、医薬品事業と鹿島工場鈴木恭二冷凍食品事業に参入
渡辺文蔵ゼネラルフーズと提携
渡辺文蔵ジェルべ・ダノンと提携
歌田勝弘医薬品事業に参入
歌田勝弘鹿島工場を新設
1989〜2002年オニケム買収とカルピス提携、総会屋事件と味の素ファインテクノ設立鳥羽董欧州・オニケム社を買収
鳥羽董カルピス食品工業と提携
稲森俊介肝疾患用分岐鎖アミノ酸製剤を発売★★
稲森俊介総会屋への利益供与(商法違反)
江頭邦雄食品会社が世界シェア95%超を占めるに至ったパッケージ材事業の育成

1998年9月、味の素は半導体パッケージ基板用の絶縁材料ABF(味の素ビルドアップフィルム)を手がける専門子会社・味の素ファインテクノを設立し、食品事業の判断サイクルから切り離してこの新規事業に資源を集中させた。江頭邦雄社長の"技術立社"路線のもとで、うま味調味料の製造で培ったアミノ酸・樹脂の技術を電子材料へ転用した多角化であった。

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★★★
江頭邦雄グループ企業の整理統合を開始
江頭邦雄海外で飼料用アミノ酸を増産
2003〜2018年油脂事業のJ-オイルミルズ移管とオルサン・ウィンザー買収、飼料用アミノ酸の再編江頭邦雄油脂事業をJ-オイルミルズに移管★★
江頭邦雄欧州・オルサン社を買収
江頭邦雄カンパニー制を再編
伊藤雅俊飼料用アミノ酸事業の再編(収益低下)
伊藤雅俊ウィンザー・クオリティHEを買収
2019〜2026年減損の反省からROIC導入と希望退職、中期ASV経営とパリサーの価値向上プラン西井孝明ROICを軸にした資本効率経営への転換と事業ポートフォリオの選択と集中

2019年5月、味の素が西井孝明社長のもとで、投下資本利益率(ROIC)を中核の経営指標に据え、規模の追求から資本効率の重視へ経営の方針を切り替えた判断。2019年3月期は味の素フーズ・ノースアメリカ社とイスタンブール味の素食品社ののれん、プロマシドール・ホールディングス社への投資と商標権に減損を計上し、営業利益を346億円、親会社の所有者に帰属する当期利益を312億円押し下げた。 これを機に六つの重点事業へ資源を集中し、非重点事業は2022年度までに資産転用・撤退・売却を進める枠組みへ移した。

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★★★
西井孝明希望退職者を募集★★
藤江太郎3代続けて同じ現地法人の社長を選び、選定の権限を社外取締役だけの指名委員会へ移した

2022年4月1日に藤江太郎氏が、2025年2月3日に中村茂雄氏が代表執行役社長最高経営責任者に就任した。いずれも2021年6月の指名委員会等設置会社への移行で設けた法定の指名委員会が、代表執行役社長の選定案を決議したうえでの交代である。 藤江太郎氏の在任は2年10か月で、期の途中での交代となった。3人の社長はいずれもブラジル味の素社の社長を務めた経験を持つ。西井孝明氏は2013年8月、藤江太郎氏は2015年6月、中村茂雄氏は2022年4月にその職に就任している。

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藤江太郎従来型の中期経営計画の廃止と、経営の枠組みそのものの入れ替え

2023年2月、味の素が藤江太郎社長のもとで、3年分の数値を積み上げる従来型の中期経営計画の策定を廃止し、2030年の"ありたい姿"から挑戦的な「ASV指標」をバックキャストして掲げる「中期ASV経営」へ転換した経営判断。 同時に志(パーパス)を「アミノ酸のはたらきで食と健康の課題解決」から「アミノサイエンス®で人・社会・地球のWell-beingに貢献する」へ進化させ、2030年までのロードマップを示した。単年度ごとの業績予想は従来どおり公表を続ける枠組みとした。

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★★★
藤江太郎相次ぐ価格改定の実施と、値付けの考え方そのものの組み替え

2022年から2023年にかけて、味の素が原燃料・物流費の高騰に対し、日本と海外主要国で家庭用製品の出荷価格を相次いで改定した判断。2022年4月に就任した藤江太郎社長のもと、容量を減らして価格を据え置く従来の対応から、提供価値を高めながら単価を上げる側へ方針を変えた。 日本国内は2023年1月のうま味調味料を皮切りに、冷凍食品、マヨネーズ、コーヒー類、スープへと品目を拡大した。2023年3月期の単価は日本国内で104%、海外で108%(現地通貨ベース)となり、売上高1兆3,591億円・事業利益1,353億円・当期利益940億円はいずれもIFRS導入後の最高を更新した。

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★★★
中村茂雄株主が突きつけた「価値向上プラン」と、事業価値の顕在化を迫る圧力

2026年3月31日、英アクティビストファンドのパリサー・キャピタルが味の素株の取得を明らかにし、"価値向上プラン"を公表した。本稿の時点で決着していない。

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★★★
出典・参考 4件
出典・参考
  • 味の素株式会社 有価証券報告書【沿革】
  • 味の素グループの百年史
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「味の素」の項
  • 証券アナリストジャーナル 1969年7巻3号(平塚潔)

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