味の素の事業は、鈴木家が1888年に神奈川県葉山で始めたヨード製造にさかのぼる。鈴木ナカ氏が興したこの家業は、東京帝国大学の長井長義氏から技術の指導を受けて製薬へ広がった。1907年5月には合資会社鈴木製薬所を設立し、葉山でヨードとカリを、逗子で硝酸を、麻布でヨードとカリをそれぞれ製造していた。1908年7月、東京帝国大学の池田菊苗博士が昆布のうま味の成分を突き止め、調味料グルタミン酸ソーダの製造法で特許を取得した。同年9月、二代目の鈴木三郎助氏がその商品化を引き受け、特許の共有者となった。
1909年5月、うま味調味料"味の素"の一般販売が始まった。逗子工場での試験で製造に確信を得た鈴木家は、川崎の地を選んで新しい工場を建設した。1912年4月、鈴木三郎助氏個人の事業だった味の素の事業を合資会社鈴木製薬所が継承し、同社は合資会社鈴木商店へ商号を変更した。1914年9月には川崎工場が完成して操業に入り、家内工業の組織から近代的な設備での量産へ移った。製造は鈴木忠治氏が引き受け、その指導のもとで鈴木六郎氏が実務を担い、販売はのちに三郎助を襲名する鈴木三郎氏が担当し、鈴木家のなかで役割を分けて事業を運んだ。
販売の拡大とともに、原料をめぐる根拠のない噂が流れ、味の素は受難の時期を迎えた。第一次世界大戦後の恐慌で打撃を受け、1923年の関東大震災では本舗が焼失し工場も倒壊した。1917年6月には株式会社鈴木商店を設立して合資会社鈴木商店の営業一切を譲り受け、1925年12月には両社の営業を引き継ぐ株式会社鈴木商店を新設して、現在の味の素株式会社が発足した。震災後は十数年の宣伝が実を結び、販路は内地だけでなく台湾、朝鮮から満州、中国大陸、南方一帯にまで及んだ。1910年代後半から1920年代にかけては東京と大阪を中心に地域別の特約店制度を整え、特約店の下に副特約店と小売店を重ねる流通網を全国の主要都市へ敷いた。原料も小麦粉に加えて大豆が主要な位置を占め、1937年に生産量3,750トンと戦前の最盛期を迎えた。
1932年10月、味の素本舗株式会社鈴木商店へ商号を変更した。1935年3月には宝製油株式会社を設立して油脂事業に入り、1944年5月にこれを合併した。戦時色が濃くなるにつれて社名も変わり、1940年12月に鈴木食料工業株式会社、1943年5月に大日本化学工業株式会社となった。1943年には佐賀県諸富津にアセトン・ブタノール工場の建設に着手し、同県に佐賀工場を新設した。日華事変以降は原料の入手が年々難しくなり、太平洋戦争では平和産業としての味の素は生産を止め、工場の設備は戦時物資の生産に振り向けられた。
戦後はDDTの生産から立ち上がり、1946年2月に味の素株式会社へ商号を改め、同年5月には少量ながら味の素の製造を再開した。輸出一本で出発した事業は、1949年11月に東京と大阪の市内で終戦後初めて家庭向けの配給が認められ、国内販売への道が開いた。設備資金を賄うため増資を重ね、資本金は1948年11月の9,500万円から1954年5月には16億4,000万円へ増えた。1949年5月には株式を上場し、輸出と国内の販売量はともに戦前の最高時の二倍に達した。1954年7月から12月までの製品売上高は100億9,000万円に達し、その内訳は味の素51%、味液17%、大豆油11%、脱脂大豆9%、澱粉7%、肥料2%、その他3%だった。
1955年前後の味の素は、川崎、横浜、佐賀の三工場を持つ会社だった。主力の川崎工場は味の素を月産600トン作れる設備を備え、澱粉、味液、有機肥料のほか、塩酸を自給するための塩の電解部門と、渇水期に備えた自家発電設備を持っていた。横浜工場は大豆油と脱脂大豆を、佐賀工場はテックスとカラメルを生産した。澱粉は紡績会社の糊付け用と食糧用に、味液は醤油の原料に回り、大豆油は味の素の天ぷら油として売られた。うま味調味料の抽出法が副産物の量を決め、その副産物が澱粉・味液・油脂の各部門を養う構造だった。
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|---|---|---|---|---|
| 1888〜1955年家業のヨード製造から味の素の発売と川崎工場の量産まで | 家業でヨード製造を開始 | ★ | ||
| 味の素の販売開始 | ★★ | |||
| 鈴木商店の発足 | ★ | |||
| 川崎工場の新設 | ★ | |||
| 東洋紡績に澱粉糊の納入を開始 | ★ | |||
| 全国に特約店網を整備 | ★ | |||
| 「味の素本舗鈴木商店」に商号変更 | ★ | |||
| 食品事業で多角化 | ★ | |||
| 味の素に商号変更 | ★ | |||
| 道面豊信 | 東京証券取引所に株式上場 | ★ | ||
| 1956〜1969年発酵法によるアミノ酸事業と協和発酵との全量買取契約、海外展開と四日市工場 | 道面豊信 | アミノ酸事業に参入 | ★ | |
| 道面豊信 | うま味調味料の単品依存から総合食品企業への転換 1956年、協和発酵工業が直接発酵法によるグルタミン酸ナトリウム(MSG)の製造を発表し、抽出法で守ってきた味の素の製法上の優位が揺らいだ。味の素は技術対立を訴訟に持ち込まず、協和発酵のMSGを全量買い取る契約で市場の混乱を避けつつ、うま味調味料の単品依存を脱し、総合食品企業への転換を選んだ。1963年のクノール食品発足を最初の具体化とし、以後およそ四半世紀をかけて固まった面的な戦略である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 道面豊信 | 海外事業を本格化 | ★★ | ||
| 道面豊信 | 四日市工場を新設 | ★ | ||
| 道面豊信 | コーンプロダクツ社と提携 | ★★ | ||
| 鈴木恭二 | 化成品部を発足 | ★ | ||
| 1970〜1988年冷凍食品への参入とゼネラルフーズ・ダノンとの提携、医薬品事業と鹿島工場 | 鈴木恭二 | 冷凍食品事業に参入 | ★ | |
| 渡辺文蔵 | ゼネラルフーズと提携 | ★ | ||
| 渡辺文蔵 | ジェルべ・ダノンと提携 | ★ | ||
| 歌田勝弘 | 医薬品事業に参入 | ★ | ||
| 歌田勝弘 | 鹿島工場を新設 | ★ | ||
| 1989〜2002年オニケム買収とカルピス提携、総会屋事件と味の素ファインテクノ設立 | 鳥羽董 | 欧州・オニケム社を買収 | ★ | |
| 鳥羽董 | カルピス食品工業と提携 | ★ | ||
| 稲森俊介 | 肝疾患用分岐鎖アミノ酸製剤を発売 | ★★ | ||
| 稲森俊介 | 総会屋への利益供与(商法違反) | ★ | ||
| 江頭邦雄 | 食品会社が世界シェア95%超を占めるに至ったパッケージ材事業の育成 1998年9月、味の素は半導体パッケージ基板用の絶縁材料ABF(味の素ビルドアップフィルム)を手がける専門子会社・味の素ファインテクノを設立し、食品事業の判断サイクルから切り離してこの新規事業に資源を集中させた。江頭邦雄社長の"技術立社"路線のもとで、うま味調味料の製造で培ったアミノ酸・樹脂の技術を電子材料へ転用した多角化であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 江頭邦雄 | グループ企業の整理統合を開始 | ★ | ||
| 江頭邦雄 | 海外で飼料用アミノ酸を増産 | ★ | ||
| 2003〜2018年油脂事業のJ-オイルミルズ移管とオルサン・ウィンザー買収、飼料用アミノ酸の再編 | 江頭邦雄 | 油脂事業をJ-オイルミルズに移管 | ★★ | |
| 江頭邦雄 | 欧州・オルサン社を買収 | ★ | ||
| 江頭邦雄 | カンパニー制を再編 | ★ | ||
| 伊藤雅俊 | 飼料用アミノ酸事業の再編(収益低下) | ★ | ||
| 伊藤雅俊 | ウィンザー・クオリティHEを買収 | ★ | ||
| 2019〜2026年減損の反省からROIC導入と希望退職、中期ASV経営とパリサーの価値向上プラン | 西井孝明 | ROICを軸にした資本効率経営への転換と事業ポートフォリオの選択と集中 2019年5月、味の素が西井孝明社長のもとで、投下資本利益率(ROIC)を中核の経営指標に据え、規模の追求から資本効率の重視へ経営の方針を切り替えた判断。2019年3月期は味の素フーズ・ノースアメリカ社とイスタンブール味の素食品社ののれん、プロマシドール・ホールディングス社への投資と商標権に減損を計上し、営業利益を346億円、親会社の所有者に帰属する当期利益を312億円押し下げた。 これを機に六つの重点事業へ資源を集中し、非重点事業は2022年度までに資産転用・撤退・売却を進める枠組みへ移した。 詳細を読む | ★★★ | |
| 西井孝明 | 希望退職者を募集 | ★★ | ||
| 藤江太郎 | 3代続けて同じ現地法人の社長を選び、選定の権限を社外取締役だけの指名委員会へ移した 2022年4月1日に藤江太郎氏が、2025年2月3日に中村茂雄氏が代表執行役社長最高経営責任者に就任した。いずれも2021年6月の指名委員会等設置会社への移行で設けた法定の指名委員会が、代表執行役社長の選定案を決議したうえでの交代である。 藤江太郎氏の在任は2年10か月で、期の途中での交代となった。3人の社長はいずれもブラジル味の素社の社長を務めた経験を持つ。西井孝明氏は2013年8月、藤江太郎氏は2015年6月、中村茂雄氏は2022年4月にその職に就任している。 詳細を読む | |||
| 藤江太郎 | 従来型の中期経営計画の廃止と、経営の枠組みそのものの入れ替え 2023年2月、味の素が藤江太郎社長のもとで、3年分の数値を積み上げる従来型の中期経営計画の策定を廃止し、2030年の"ありたい姿"から挑戦的な「ASV指標」をバックキャストして掲げる「中期ASV経営」へ転換した経営判断。 同時に志(パーパス)を「アミノ酸のはたらきで食と健康の課題解決」から「アミノサイエンス®で人・社会・地球のWell-beingに貢献する」へ進化させ、2030年までのロードマップを示した。単年度ごとの業績予想は従来どおり公表を続ける枠組みとした。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 藤江太郎 | 相次ぐ価格改定の実施と、値付けの考え方そのものの組み替え 2022年から2023年にかけて、味の素が原燃料・物流費の高騰に対し、日本と海外主要国で家庭用製品の出荷価格を相次いで改定した判断。2022年4月に就任した藤江太郎社長のもと、容量を減らして価格を据え置く従来の対応から、提供価値を高めながら単価を上げる側へ方針を変えた。 日本国内は2023年1月のうま味調味料を皮切りに、冷凍食品、マヨネーズ、コーヒー類、スープへと品目を拡大した。2023年3月期の単価は日本国内で104%、海外で108%(現地通貨ベース)となり、売上高1兆3,591億円・事業利益1,353億円・当期利益940億円はいずれもIFRS導入後の最高を更新した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 中村茂雄 | 株主が突きつけた「価値向上プラン」と、事業価値の顕在化を迫る圧力 2026年3月31日、英アクティビストファンドのパリサー・キャピタルが味の素株の取得を明らかにし、"価値向上プラン"を公表した。本稿の時点で決着していない。 詳細を読む | ★★★ |
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事実根拠:出所(味の素)