1985年に河合宏光氏は、スーパーマーケットの催事場で雑貨(せんたくばさみ等)の移動販売を開始。当時は法人化しておらず、個人事業の形態をとった。
その後、販売事業を本格化させるため、株式会社として「山洋エージェンシー(現セリア)」を設立。初代社長に創業者として河合宏光氏が就任し、セリアの業容拡大の功労者となった。
創業時のセリアは雑貨を取り扱う移動小売・卸売であり常設店舗を所有しなかったが、1994年にスーパーマーケトの長崎屋岐阜店にセリアの常設店舗「100円ショップ長崎屋岐阜店」を開業。以後、拠点のある東海地方を中心に、常設店舗での展開を押し進めた。
1998年度の時点で、セリア(当時の社名は山洋エージェンシー)は、売上高ベースで100円ショップ業界4位となった。トップ企業はダイソーを展開する大創産業であり、1987年からいち早く全国展開することでシェアを確保していた。このため、セリアは100円ショップ業界(常設店舗)において後発参入となり、展開地域も限定的な状況となった。
2003年にセリアは株式の店頭登録を実施し、翌年の2004年にジャスダックへの上場を果たした。
なお、株式上場の狙いは事業承継にあった。2003年に創業者の親族である河合映治氏(当時36歳)がセリアに入社した際に、映治氏は創業者である叔父に対して「セリアの株式上場」を条件に入社を決めた経緯があった。
創業者からセリアへの入社を誘われたとき、会社の株式上場を条件に示しました。2005年から経営企画室長としてIR(投資家向け広報)活動に携わった経験から、投資家を意識した経営の重要性を実感しています。社長就任後も投資家との対話をかかさず、企業価値の向上に努めていきます。
セリアの創業者・河合宏光はPOSへの投資を決断し、セリアの全店舗に導入することを決めた。当時、セリアの商品点数は20,000であり、POSで全ての商品を管理することはコスト要因であったが、河合社長はPOSによって売れ筋商品を把握して商品開発に生かすことを優先し、POSへの投資を決断した。
商品管理のIT化を推し進めるために、直営店向けに発注支援システムの導入を決めた。なお、2006年時点のセリアのアイテム数は20,000に限定して無造作な商品数の増加を抑え、このうち500〜700アイテムを毎月入れ替えることで、消費者から飽きられないための新陳代謝の仕組みを構築している。
IT(情報技術)を活用した経営は今後も行なっていきます。私は学生時代に、コンピューターを使った理論経済や実証分析を勉強しました。前職の大垣共立銀行では審査部で、取引先への融資の審査業務を、当時はまだ珍しかったコンピューターを使って手掛けました。セリアでも入社後、POS(販売時点情報管理システム)や発注支援システムを導入しました。品数さえ増やせば販売が伸びるという従来の業界の常識を覆し、販売データを商品の仕入れ先にも公開しながら、最適な品揃えを提案し続けることが可能になりました。
年間数十億円のPOSへの投資負担がセリアの収益を押し下げる要因となり、2007年に30億円だった経常利益が、2009年には15億円へと半減。2007年時点のセリアの時価総額は185億円だったが、2009年には54億円に暴落する。
POSの導入によって2009年頃にセリアは減益基調となるが、2011年にはPOSを軸として発注や商品開発が軌道に乗ると、2011年3期に過去最高となる営業利益50億円を達成。以後、セリアは100円ショップ業界における高収益企業として注目されるようになった。
セリアの創業者・河合宏光が社長を退任し、河合英治が社長に就任。なお、河合宏光は会長職等にとどまることなくセリアの経営から退き、後任の河合英治に経営を一任する(河合英治の叔父が河合宏光にあたる)
叔父である創業者の河合宏光氏から経営のバトンを引き継ぎ、2代目社長になりました。セリアは100円ショップ業界で、大創産業に続く2位に成長しましたが、これまでは創業者が個人で引っ張ってきた会社という印象でした。創業者の退任と社長交代を経て、セリアはようやく、本当の意味で法人になったと考えます。社長として最も意識するのが、会社の持続です。そのためには企業として成長を続けないといけません。