1985年設立。韓国での靴生産と国内小売を組み合わせたSPAモデルで急成長。ABCマートの積極出店でSC中心に全国展開し、アジア進出も推進。国内1000店舗を突破した靴専門チェーンの最大手。
1985
決断
株式会社国際貿易商事を設立
独占販売権の蓄積がSPA型小売への業態転換を準備した創業期
1986
決断
ホーキンスの国内独占販売権を取得
日本で無名のブランドを現地交渉で独占した先取り型の仕入れ戦略
1990
決断
靴のグローバルSPAを志向・韓国での生産を開始
韓国での生産委託が「高利益率×低価格」を両立させたSPA設計
1990
決断
ABCマート1号店を開業・小売業に参入
アメ横・渋谷への同一地区複数出店が生んだ都心ドミナント戦略
1995
決断
ホーキンスのTVCMを放映・木村拓哉を起用
広告宣伝費40億円がブーム加速と需要枯渇を同時に招いた逆説
1999
決断
ABCマートの積極出店を開始・SCに照準
大店法改正をSCテナント出店に転化した全国チェーン化の起点
2000
株式を店頭公開
2000株式を店頭公開
2000
ABCマート銀座店を開業(土地取得あり)
2000ABCマート銀座店を開業(土地取得あり)
2001
地方展開の合弁会社を買収
2001地方展開の合弁会社を買収
2002
ITCの商号をエービーシーマートに変更。祖業の卸売業から撤退
2002ITCの商号をエービーシーマートに変更。祖業の卸売業から撤退
2002
ABC-MART KOREA, INC.を合弁設立
2002ABC-MART KOREA, INC.を合弁設立
2004
金城正宏氏が代表取締役社長に就任
2004金城正宏氏が代表取締役社長に就任
2007
野口実氏が代表取締役社長に就任
2007野口実氏が代表取締役社長に就任
2010
旗艦店業態「GRANDSTAGE」の出店開始
2010旗艦店業態「GRANDSTAGE」の出店開始
2011
台湾への小売出店を開始
2011台湾への小売出店を開始
2012
米LaCrosseをTOBにて買収
2012米LaCrosseをTOBにて買収
2013
転換社債型新株予約権付き社債を発行
2013転換社債型新株予約権付き社債を発行
2018
アジアで旗艦店を出店
2018アジアで旗艦店を出店
2019
国内1000店舗体制へ
2019国内1000店舗体制へ
2025
GS旗艦店を銀座に新規出店(予定)
2025GS旗艦店を銀座に新規出店(予定)
業績を見る
売上ABCマート:売上高
単体 | 連結(単位:億円)
3,441億円
売上高:2024/2
利益ABCマート:売上高_当期純利益率
単体 | 連結(単位:%)
11.6%
利益率:2024/2
業績を見る
区分売上高利益利益率
1986/3単体 売上高 / 当期純利益---
1987/3単体 売上高 / 当期純利益---
1988/3単体 売上高 / 申告所得25億円0億円0.0%
1989/3単体 売上高 / 申告所得31億円5億円16.1%
1990/3単体 売上高 / 申告所得34億円1億円2.9%
1991/3単体 売上高 / 申告所得47億円5億円10.6%
1992/3単体 売上高 / 申告所得75億円18億円24.0%
1993/3単体 売上高 / 当期純利益130億円34億円26.1%
1994/3単体 売上高 / 当期純利益---
1995/3単体 売上高 / 当期純利益---
1996/3単体 売上高 / 当期純利益---
1997/3単体 売上高 / 当期純利益268億円24億円8.9%
1998/3単体 売上高 / 当期純利益207億円17億円8.2%
1999/3連結 売上高 / 当期純利益246億円27億円10.9%
2000/3連結 売上高 / 当期純利益267億円--
2001/3連結 売上高 / 当期純利益283億円43億円15.1%
2002/2連結 売上高 / 当期純利益326億円57億円17.4%
2003/2連結 売上高 / 当期純利益389億円41億円10.5%
2004/2連結 売上高 / 当期純利益463億円38億円8.2%
2005/2連結 売上高 / 当期純利益541億円44億円8.1%
2006/2連結 売上高 / 当期純利益661億円106億円16.0%
2007/2連結 売上高 / 当期純利益776億円100億円12.8%
2008/2連結 売上高 / 当期純利益886億円105億円11.8%
2009/2連結 売上高 / 当期純利益973億円110億円11.3%
2010/2連結 売上高 / 当期純利益1,135億円144億円12.6%
2011/2連結 売上高 / 当期純利益1,273億円183億円14.3%
2012/2連結 売上高 / 当期純利益1,407億円156億円11.0%
2013/2連結 売上高 / 当期純利益1,594億円172億円10.7%
2014/2連結 売上高 / 当期純利益1,880億円199億円10.5%
2015/2連結 売上高 / 当期純利益2,135億円243億円11.3%
2016/2連結 売上高 / 当期純利益2,381億円261億円10.9%
2017/2連結 売上高 / 当期純利益2,389億円283億円11.8%
2018/2連結 売上高 / 当期純利益2,542億円297億円11.6%
2019/2連結 売上高 / 当期純利益2,667億円302億円11.3%
2020/2連結 売上高 / 当期純利益2,723億円297億円10.9%
2021/2連結 売上高 / 当期純利益2,202億円192億円8.7%
2022/2連結 売上高 / 当期純利益2,439億円173億円7.0%
2023/2連結 売上高 / 当期純利益2,900億円302億円10.4%
2024/2連結 売上高 / 当期純利益3,441億円400億円11.6%
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1985
6月

株式会社国際貿易商事を設立

独占販売権の蓄積がSPA型小売への業態転換を準備した創業期

三木正浩氏が29歳で設立した国際貿易商事は卸売業として出発し、ホーキンス・コスビー・バンズなど欧米ブランドの国内独占販売権を蓄積した。この「販売権を自社で握る卸売業者」という立場は、1990年に小売業ABCマートを子会社として設立した際、他の小売店と競合しながらも商品供給を独占できる優位性を与えた。卸売業時代に築いたブランド資産と韓国での生産体制が、のちのSPA型小売チェーンへの転換を構造的に可能にした原点である。

背景プラザ合意後の円高を背景にカジュアルウェア輸入に参入した三木正浩氏

1985年6月、三木正浩氏(当時29歳)は勤務先を退職し、「株式会社国際貿易商事」を設立して独立した。欧米で販売されるカジュアルウェアの輸入販売・卸売業に従事し、革ジャンなどのメンズ向け商品を取り扱った。20代の若者をターゲットに据え、販売先は丸井などの小売業者であった。

1985年のプラザ合意によって円高ドル安が進行したことで、それまで日本人にとって割高であった欧米の輸入品が相対的に安価に入手できる環境が到来した。この為替環境の変化は三木氏の輸入卸売業にとって構造的な追い風であった。1987年には商号を「インターナショナル・トレーディング・コーポレーション(ITC)」に変更し、海外の仕入れ先にとってわかりやすい社名とした。

ただし、創業期の経営は順風満帆ではなかった。創業から約1年が経過した1986年9月ごろには、アパレルの販売不振により革ジャンなど1800着の商品が在庫となるなど、事業展開に苦戦した。卸売業者として流行の変動リスクに晒される構造は、創業初期から顕在化していた。

決断卸売業に特化し、欧米ブランドの独占販売権を確保する成長戦略

三木氏は創業時点で「卸売業」に注力する方針をとり、自前の小売店舗は持たなかった。卸売業に特化することで、在庫リスクの分散と販売チャネルの拡大を図った形であった。起業直後の在庫問題を経て、三木氏は「安定した商品供給源の確保」が卸売業の生命線であることを認識したと推定される。

この認識のもと、三木氏は複数の欧米ブランドの国内独占販売権の取得に動いた。1986年にはロンドンで流行していた革靴ブランド「ホーキンス」の独占販売権を獲得。続いて「コスビー」「バンズ」といった当時は日本で無名だった欧米ブランドの販売権も確保した。独占販売権を握ることで、競合他社に商品を供給されない排他的な地位を構築した。

こうした独占販売権の蓄積は、のちにITCが自社で生産体制を構築し(SPA化)、さらに小売業に参入する際の商品力の基盤となった。卸売業者が自ら販売権を持つブランドを抱えるという構造は、商品の供給元を他社に依存しない垂直統合型の事業展開を可能にする土台であった。

結果ITC=卸売業、ABCマート=小売業の二社体制からの業態転換

ITCは卸売業としてホーキンスの販売を軸に業績を拡大し、FY1991に売上高47億円・申告所得5億円を達成。1990年代を通じて「急成長かつ高収益な非上場企業」として注目を集めた。一方、1990年にITCは連結子会社「有限会社エービーシー・マート」を設立し、小売業にも進出した。

1990年代の事業構造は、本業の卸売業をITC、多角化事業の小売業をABCマートで展開する二社体制であった。しかし卸売業がアメカジブームの一巡で成長が鈍化する一方、小売業のABCマートが成長軌道に入った。この結果、2002年にITCがABCマートを吸収合併し、商号を「エービーシー・マート」に変更して小売業に特化した。

法人としてのABCマートの創業年は1985年(ITC設立)に遡るが、小売業としてのABCマートの開始は1990年である。卸売業から小売業へ、ブランドの独占販売権を武器に業態転換した経緯が、ABCマートの創業史の核心をなしている。

独占販売権の蓄積がSPA型小売への業態転換を準備した創業期

三木正浩氏が29歳で設立した国際貿易商事は卸売業として出発し、ホーキンス・コスビー・バンズなど欧米ブランドの国内独占販売権を蓄積した。この「販売権を自社で握る卸売業者」という立場は、1990年に小売業ABCマートを子会社として設立した際、他の小売店と競合しながらも商品供給を独占できる優位性を与えた。卸売業時代に築いたブランド資産と韓国での生産体制が、のちのSPA型小売チェーンへの転換を構造的に可能にした原点である。

証言三木正浩氏(ABCマート創業者)

1985年の設立以来、当社は「世界共通の品質を世界共通の価格で提供する」ことを目指してまいりました。単に海外の商品を輸入するのではなく、その商品にまつわるライフスタイルを合わせて提案することで、人々の生活をより豊かにすることを目的としてまいりました

年表株式会社国際貿易商事を設立に関する出来事
19856月株式会社国際貿易商事を設立
19869月アパレルで過剰在庫(革ジャンなど1800着)
1987株式会社インターナショナル・トレーディング・コーポレーションに商号変更
1986

ホーキンスの国内独占販売権を取得

日本で無名のブランドを現地交渉で独占した先取り型の仕入れ戦略

ホーキンスはロンドンの若者に流行していたが日本では完全に無名であり、だからこそ独占販売権が未取得の状態にあった。三木氏は現地店舗で商品を見て直接メーカーに交渉するという即断即決の手法で、競合が存在しない段階で日本市場の独占権を確保した。この「海外で流行中だが日本未上陸のブランドを先取りする」仕入れモデルは、コスビーやバンズにも適用され、ITCの商品力の源泉となった。

背景ロンドンの若者に流行していた革靴ブランドへの着眼

カジュアルウェアの買付のためにロンドンへ渡航した三木正浩氏は、現地の若者がホーキンスの革靴をジーンズに合わせてカジュアルに履きこなしている姿に着眼した。当時のロンドンではホーキンスが流行ブランドとして定着していたが、日本国内では完全に無名であった。

1980年代後半に日本で「アメカジ」として流行するファッションスタイルは、この時点ではまだ到来していなかった。三木氏は「当時、日本にはファッション性と実用性を兼ね備えた靴がなかった」と語った通り、日本市場の空白を見抜いてホーキンスの日本国内での販売に将来性があると判断した。

決断現地店舗から直接ホーキンス社へ向かい独占販売権を交渉

三木氏はホーキンスの革靴を現地店舗で確認した後、そのままホーキンス社に直接出向いて日本における独占販売権の獲得交渉に臨んだ。日本では無名のブランドであったがゆえに、日本市場での販売権は未取得の状態であり、交渉の余地があった。三木氏の熱意が伝わり、1986年にホーキンスの独占販売権に関する契約を締結した。

独占販売権の獲得にあたり、三木氏は日本国内における生産ライセンスも取得した。これにより、単なる輸入販売にとどまらず、自社の管理下で生産・販売を一貫して手掛けるSPA(製造小売)の基盤を整えることが可能となった。

結果ホーキンスが主力商品となり事業構造が靴に傾斜

ホーキンスの取扱い開始とともに、ITCの売上構成はカジュアルウェアから革靴へと傾斜していった。ITCの売上拡大を支えたのはホーキンスの販売であり、起業時点では「カジュアルウェア全般」を取り扱っていた事業が、徐々に「メンズ向けカジュアルシューズ」に主力が移行した。

ホーキンスに加えて「コスビー」「バンズ」といった欧米ブランドの独占販売権も取得したが、いずれもホーキンスほどの販売規模には達しなかった。ホーキンスへの依存が高まったことは、ITCの収益を支える一方で、単一ブランドへの集中リスクを内包する構造でもあった。このリスクは、1990年代後半のアメカジブーム終焉時に顕在化することとなる。

日本で無名のブランドを現地交渉で独占した先取り型の仕入れ戦略

ホーキンスはロンドンの若者に流行していたが日本では完全に無名であり、だからこそ独占販売権が未取得の状態にあった。三木氏は現地店舗で商品を見て直接メーカーに交渉するという即断即決の手法で、競合が存在しない段階で日本市場の独占権を確保した。この「海外で流行中だが日本未上陸のブランドを先取りする」仕入れモデルは、コスビーやバンズにも適用され、ITCの商品力の源泉となった。

証言戦略経営者 15(7)(165)

29歳のとき、商品の買い付けにロンドンに立ち寄った三木社長は『ホーキンス』を履いて颯爽と闊歩する若者の姿に魅せられた。

「当時、日本にはファッション性と実用性を兼ね備えた靴がなかった。これこそ日本の若者が必要としている靴だと直観しました。」

その年に国際貿易商事(現インターナショナル・トレーディング・コーポレーション=ITC)を設立していた三木社長は、翌年、ホーキンスの独占販売権を取得。靴の輸入商社として名をなしていく。

年表ホーキンスの国内独占販売権を取得に関する出来事
1986ホーキンスの国内独占販売権を取得
1987COSBYの国内販売権を取得(独占)
1990
2月

靴のグローバルSPAを志向・韓国での生産を開始

1990/3期(単体)売上高 34億円申告所得 1億円
韓国での生産委託が「高利益率×低価格」を両立させたSPA設計

ITCはホーキンスの生産をイタリアや韓国に委託するSPAを構築し、30%の値下げを実施しながら利益率24%を維持した。カジュアルシューズでグローバルにSPAを構築した最先発企業として、品質と価格を同時に満たせる国内唯一のポジションを確立。独占販売権と生産ライセンスの両方を握ることで、ブランド力・生産力・価格競争力の三要素を自社で統合する体制を完成させた。

背景グローバル生産委託による低価格販売体制の構築

1990年から三木正浩氏はグローバルで生産体制(委託方式)を構築することにより、日本国内での販売価格を抑えるSPAを志向した。カジュアルウェアについてはイタリア、カジュアルシューズについては韓国での生産委託体制を構築した。ITCはホーキンスなどの国内販売権に加えて生産のライセンスを取得し、自社で生産体制に責任を持つことでSPA化を推進した。

当時、カジュアルシューズの領域でグローバルにSPAを構築する企業は希有であり、ITCは最先発企業となった。ただし衣料品ではユニクロ(ファーストリテイリング)がSPA構築で先発しており、業種全体としては後発であった。

決断SPAによる30%値下げと利益率24%の両立を実現

SPAの構築によってITCは「ホーキンス」を低価格で日本国内に供給する体制を整えた。メンズ向けカジュアルシューズにおいて品質と価格の両方を満たす商品を供給できる日本企業はITCの一強状態であり、高成長・高収益を同時に確保した。1993年にはホーキンスの販売価格を30%値下げする決断を行い、価格競争力をさらに強化した。

業績面ではFY1991に売上高47億円・申告所得5億円、FY1992に売上高75億円・申告所得18億円を達成した。卸売業界では異例の高利益率であり、1993年頃からITCは「急成長かつ高収益な非上場企業」として業界の注目を集めるに至った。

1990/3期(単体)売上高 34億円申告所得 1億円
韓国での生産委託が「高利益率×低価格」を両立させたSPA設計

ITCはホーキンスの生産をイタリアや韓国に委託するSPAを構築し、30%の値下げを実施しながら利益率24%を維持した。カジュアルシューズでグローバルにSPAを構築した最先発企業として、品質と価格を同時に満たせる国内唯一のポジションを確立。独占販売権と生産ライセンスの両方を握ることで、ブランド力・生産力・価格競争力の三要素を自社で統合する体制を完成させた。

証言三木正浩氏(ABCマート創業者)

「日本の靴屋さんは決定的に遅れています。やたら安いものばかり売ってみたり、逆に目が飛び出るほど高いブランドものばかりを店頭に並べてみたりと、画一的。消費者が本当に必要とするものが見えていないという印象ですね」

1990
2月

ABCマート1号店を開業・小売業に参入

1990/3期(単体)売上高 34億円申告所得 1億円
アメ横・渋谷への同一地区複数出店が生んだ都心ドミナント戦略

ABCマート1号店は上野アメ横に開業し、アメ横4店舗で18億円・渋谷3店舗で14億円と、同一地区に複数店舗を出す異例のドミナント戦略を採用した。2000年時点で直営25店にとどまる慎重な出店ペースにもかかわらず営業利益率7.2%を確保できた背景には、独占販売権を持つブランドによる商品力と、都心部の若者集客地区への集中出店がある。このモデルが1999年以降のSC積極出店の基盤となった。

背景卸売業者が自ら小売に参入する必然性と矛盾

1990年にITCは連結子会社「有限会社エービーシー・マート」を設立し、小売業に参入した。卸売業が主軸だったITCが小売業に踏み出した背景には、卸売では小売店の販売力に依存せざるを得ないという構造的制約があった。自ら小売を手掛ければ、販売現場でのブランド訴求や顧客接点を自社で管理できる。

ただし、卸売業者が小売に参入することは、卸売の顧客である他の小売店と直接競合する行為であった。通常であれば顧客との関係が悪化するリスクを伴うが、ITCはホーキンスなどの独占販売権を持っていたため、他の小売店はITCから仕入れざるを得ない立場にあった。この独占販売権が、卸売業者でありながら小売に参入できる例外的な条件を構成していた。

小売業への参入にあたり、ITCとABCマートは別法人として運営する体制をとった。ITCが引き続き卸売業を担い、子会社のABCマートが小売業を展開する二社体制により、既存の卸売事業への影響を最小限に抑える設計であった。

決断上野アメ横・渋谷へのドミナント出店による若者向け小売の確立

1990年2月にABCマートは「本店(上野アメ横)」「1号店(上野アメ横)」「GALLOP上野店」「GALLOP渋谷店」の4店舗を同時開業した。上野アメ横は若者のショッピング地区として知名度があり、ABCマートもメンズの若者をターゲットに据えた。1998年度の時点でアメ横地区4店舗で合計18億円の売上を確保した。

アメ横に続いて注力したのが渋谷であった。1991年に本店比較で10倍の営業面積を持つ渋谷店(373㎡)を開業し、1993年に東急本店通り・センター街店、1999年にスペイン坂店を開業するなど、渋谷地区に集中出店した。渋谷地区3店舗で合計14億円の売上を確保し、同一地区に複数のABCマートが競合する異例の出店政策を採用した。

全国展開については慎重な姿勢をとり、2000年7月時点の直営店舗数は25店にとどまった。1999年までは東京都心部(渋谷・新宿・池袋・上野)への集中出店を基本路線とし、ドミナントによる知名度向上を優先した。年間数店舗の出店ペースで売上を着実に拡大した。

結果営業利益率7.2%の高収益小売として事業基盤を確立

1996年度のABCマートの売上高は43億円・営業利益3.1億円(営業利益率7.2%)を確保し、小売業としては高収益な状態を実現した。ドミナント展開による知名度向上と、商品の高回転による在庫最小化が収益性を支えていた。

1998年度にはABCマートの売上高は80億円に達した。アメ横4店舗(18億円)と渋谷3店舗(14億円)で全体の40%を占める集中度の高い構成であった。都心部の路面店で若者向けシューズの販売実績を積み上げたことが、次のフェーズであるショッピングセンターへの積極出店の土台となった。

ABCマートの小売業としての成功は、ITCの卸売業からの業態転換を後押しする要因ともなった。卸売業の成長が鈍化する中で小売業が成長軌道に乗ったことで、2002年の事業統合と小売業特化の意思決定が構造的に導かれることとなった。

1990/3期(単体)売上高 34億円申告所得 1億円
アメ横・渋谷への同一地区複数出店が生んだ都心ドミナント戦略

ABCマート1号店は上野アメ横に開業し、アメ横4店舗で18億円・渋谷3店舗で14億円と、同一地区に複数店舗を出す異例のドミナント戦略を採用した。2000年時点で直営25店にとどまる慎重な出店ペースにもかかわらず営業利益率7.2%を確保できた背景には、独占販売権を持つブランドによる商品力と、都心部の若者集客地区への集中出店がある。このモデルが1999年以降のSC積極出店の基盤となった。

年表ABCマート1号店を開業・小売業に参入に関する出来事
19902月ABCマート2店舗を開業(アメ横)
1991ABCマート渋谷店を開業(大規模店)
営業面積373
19973月株式会社エービーシー・マートに改組
1995
11月

ホーキンスのTVCMを放映・木村拓哉を起用

広告宣伝費40億円がブーム加速と需要枯渇を同時に招いた逆説

申告所得37億円の高収益を背景に木村拓哉を起用したTVCMに40億円を投下し、FY1996に売上高268億円を達成した。しかしテレビの大量露出はホーキンスの需要を短期間で消化し尽くし、ブーム一巡後の売上低迷を招いた。欧州への展開も失敗し清算に至ったこの経験は、単一ブランド依存の卸売業モデルの限界を顕在化させ、三木氏が小売業ABCマートへの業態転換を決断する伏線となった。

背景年間利益37億円を背景としたテレビCMへの大型投資

ITCは1995年までにSPAの構築により年間利益(申告所得ベース)を37億円確保できるようになった。高収益体制が確立したことを受けて、1995年からホーキンスの認知拡大のために広告宣伝への積極投資を開始した。

当時のITCにとって、ホーキンスは日本国内における売上の柱であったが、知名度はまだ限定的であった。テレビCMによる全国的な認知拡大が実現すれば、卸売先の小売店での販売促進に加え、自社の小売業態ABCマートの集客力向上にも寄与すると見込まれた。

決断木村拓哉を起用し広告宣伝費40億円を投下

1995年11月にSMAPの木村拓哉氏を起用してホーキンスのテレビCMの放映を開始した。大物タレントの起用により年間の広告宣伝費は40億円に達した。CM放映によるホーキンスの認知拡大の効果は大きく、FY1996のITCの売上高は268億円に達した。

しかし、テレビCMによる大量露出はホーキンスの需要を短期間で取り尽くす結果を招いた。CM放映終了後にブームが一巡し、1996年度以降のITCは利益率25%前後を維持したものの売上高は低迷基調に転じた。1998年にホーキンスの海外展開を目論んで欧州にG.T.HAWKINGS社を設置したが業績は軌道に乗らず、2001年に清算して特別損失3.6億円を計上した。

広告宣伝費40億円がブーム加速と需要枯渇を同時に招いた逆説

申告所得37億円の高収益を背景に木村拓哉を起用したTVCMに40億円を投下し、FY1996に売上高268億円を達成した。しかしテレビの大量露出はホーキンスの需要を短期間で消化し尽くし、ブーム一巡後の売上低迷を招いた。欧州への展開も失敗し清算に至ったこの経験は、単一ブランド依存の卸売業モデルの限界を顕在化させ、三木氏が小売業ABCマートへの業態転換を決断する伏線となった。

1999
7月

ABCマートの積極出店を開始・SCに照準

1999/3期(連結)売上高 246億円当期純利益 27億円
大店法改正をSCテナント出店に転化した全国チェーン化の起点

大店法改正によるSC市場の拡大を、テナント出店による全国展開に転化したのが1999年の方針転換であった。25店舗の都心路面店から出発し、ららぽーと・南町田GMなど全国SCへの積極出店で店舗数を急増させた。路面店時代に培ったSPAの商品力と売場起点の商品企画、正社員中心の店舗運営が、SCテナントとしての差別化要因となり、のちの国内1000店舗体制の礎を築いた。

背景大店法改正によるSC市場の拡大とABCマートの転機

1999年7月にABCマートはショッピングセンター向けに積極出店する方針を決定し、従来比較で出店ペースを引き上げて年間10店舗の新規出店を打ち出した。これにより、ABCマートは都心部のドミナント展開から全国展開へと舵を切る形となった。

当時は大店法の改正により日本国内で大規模小売店の出店が実質的に自由化されたタイミングであり、イオンモールなど大型SCの台頭が見込まれていた。SCにテナントとして出店することで、ABCマートは自社で集客施設を建設する投資を省きつつ、全国の消費者にアクセスできる環境が整いつつあった。

それまでのABCマートは東京都心部の路面店を中心に25店舗を展開し、上野アメ横・渋谷といった若者集客地区でのドミナント戦略で知名度を築いてきた。SC出店への方針転換は、ターゲット層をメンズの若者から幅広い消費者層へと拡大する変化を伴うものであった。

決断ららぽーと・南町田GMなどSCへの本格出店と売場起点の商品企画

SC向けの本格店舗として、2000年4月に船橋ららぽーと店・南町田GM店を開業。2000年12月までに藤沢オーパ店・リバーサイドモール岐阜店・カナード洛北店など、全国のSCで出店を本格化した。路面店からSCテナントへという出店形態の転換は、ABCマートの成長スピードを大きく加速させる契機となった。

商品開発においては店舗での知見を重視し、社員が売場に立って靴のトレンドを肌で感じ、企画に結びつける体制を構築した。三木氏は「売場でお客さんの声を聞きながら肌で感じるしかない」と述べ、データだけでは捉えられない「次の売れ筋」を現場の感覚で発掘する方針を徹底した。企画された商品はSPAを通じて委託製造先で生産され、ITC時代に培った垂直統合の仕組みが引き継がれた。

販管費の構成では広告宣伝費(売上対比約10%)と人件費に重点を置いた。人件費が大きい理由は、店舗スタッフをアルバイトではなく正社員として雇用する方針をとったためであった。ただし2006年2月末時点の平均給与は318万円・平均年齢26歳11ヶ月であり、正社員中心とはいえ給与水準は低い状態にあった。

結果SC市場の拡大とともにABCマートの全国チェーン化が加速

SC向け出店の本格化により、ABCマートの店舗数は1999年の25店舗から急速に拡大し、2000年代を通じて年間数十店舗ペースでの出店が続いた。過半数以上の店舗がSC向けとなり、SCの新設ラッシュとともにABCマートの出店が加速する構図が生まれた。

SCテナントとしての出店は、路面店と比較して初期投資が抑えられ、SCの集客力を活用できるモデルであった。ABCマートはSPAによる商品力とドミナント展開で培った知名度を武器に、SCのテナントとして安定した集客を実現した。

広告宣伝への積極投資と正社員中心の店舗運営は、ABCマートの顧客サービスの品質を一定水準に保つ要因となったが、平均給与318万円という水準は、小売業における人材確保の持続性に課題を残す構造でもあった。

1999/3期(連結)売上高 246億円当期純利益 27億円
大店法改正をSCテナント出店に転化した全国チェーン化の起点

大店法改正によるSC市場の拡大を、テナント出店による全国展開に転化したのが1999年の方針転換であった。25店舗の都心路面店から出発し、ららぽーと・南町田GMなど全国SCへの積極出店で店舗数を急増させた。路面店時代に培ったSPAの商品力と売場起点の商品企画、正社員中心の店舗運営が、SCテナントとしての差別化要因となり、のちの国内1000店舗体制の礎を築いた。

証言三木正浩氏(ABCマート創業者)

いまはヒット商品のサイクルが極めて早い。数字としての販売データは、現在の売れ筋は示してくれますが、次の売れ筋は示してくれません。プレヒット商品を見つけるには、売場でお客さんの声を聞きながら、肌で感じるしかない。そのために社員全員で売り場に出て、常に情報を吸い上げているわけです。

実際、これをやるようになって、企画会議などで様々なアイデアが出るようになり、意思統一も早くなりました。結果としてトレンドの一歩先を行くスピードが出せているのだと思います。

2000
株式を店頭公開
2000
ABCマート銀座店を開業(土地取得あり)
2001
地方展開の合弁会社を買収
2002
ITCの商号をエービーシーマートに変更。祖業の卸売業から撤退
2002
ABC-MART KOREA, INC.を合弁設立
2004
金城正宏氏が代表取締役社長に就任
2007
野口実氏が代表取締役社長に就任
2010
旗艦店業態「GRANDSTAGE」の出店開始
2011
台湾への小売出店を開始
2012
米LaCrosseをTOBにて買収
2013
転換社債型新株予約権付き社債を発行
2018
アジアで旗艦店を出店
2019
国内1000店舗体制へ
2025
GS旗艦店を銀座に新規出店(予定)