エービーシー・マート(以下、ABCマート)の歴史は、1985年6月に三木正浩氏が「株式会社国際貿易商事」を設立したことに始まる。当時、三木正浩氏は29歳であり、勤務先の会社をやめて脱サラにより起業家に転身した。なお、起業に至った経緯は語られておらず不明である。
三木氏は欧米で販売されるカジュアルウェアの輸入販売業・卸売業に従事した。取扱品目は革ジャンなどであり、20代の若者(メンズ)をターゲットに据えた。折しも、1985年のプラザ合意による円高ドル安の進行で、それまで日本人にとって割高であった輸入品が、相対的に安価に購入できる時代が到来したことが追い風となった。
三木氏は創業時点で「卸売業」に注力し、小売業は手掛けなかった。創業から5年以上が経過した1993年の時点で、商品の販売先は丸井などであり、若者向けの輸入品ニーズが高い小売業に対して手広く販売していたものと思われる。
このため、会社設立時の商号は貿易を連想させる「国際貿易商事」を採用したと推定される。1987年には商号を「インターナショナル・トレーディング・コーポレーション」に変更(通称ITC)。海外の仕入れ先からわかりやすい社名に変更した。
ただし、創業期の経営は順風満帆ではなかった。創業から約1年が経過した1986年9月ごろには、アパレルの販売不振により輸入した革ジャンなど1800着の商品が在庫になるなど、事業展開に苦戦した。業績が成長軌道に乗るのは、ホーキンスの独占販売権取得以降(1986年〜)と推定される。
エービーシーマートの祖業は「国際貿易商事(以下、ITC)」における輸入卸売業であり、小売業は連結子会社として1990年に設立した「有限会社エービーシーマート」で展開した。このため、1990年代を通じて、本業の卸売業はITC、多角化事業の小売業はABCマートで展開する形をとった。
なお、1990年代を通じて卸売業がアメカジブームの一巡によって苦境に陥ると、三木正浩氏は成長が期待できる小売業「ABCマート」への特化を決定。2002年にITCがABCマートを吸収合併し、ITCの商号を「エービーシーマート」に変更することで、卸売業から小売業への業態展開を決断している。
このため、法人としてのエービーシーマートの創業は、ITCの設立年である1985年に相当するが、小売業展開としてのABCマートの創業は連結子会社を設立した1990年に相当する。この業態転換こそが、ABCマートの創業期の歴史が複雑に見える理由と言える。
※小売業への業態展開の経緯の詳細は後述した
1985年の設立以来、当社は「世界共通の品質を世界共通の価格で提供する」ことを目指してまいりました。単に海外の商品を輸入するのではなく、その商品にまつわるライフスタイルを合わせて提案することで、人々の生活をより豊かにすることを目的としてまいりました
国際貿易商事の創業と前後して、三木正浩氏(みき・まさひろ)は、カジュアルウェアの買付のためにイギリス(ロンドン)に訪問。この時に、現地の若者の間で現地企業「ホーキンス」が販売する革靴が流行していたことに着眼した。
ホーキンスは黒の革靴で、若者(メンズ)はジーンズと合わせることで、カジュアルに着こなしていた。これらのスタイルは、1980年代後半に「アメカジ」として日本で流行するが、当時の日本ではブームは起こっていなかった。このため、日本国内では「ホーキンス」は無名のブランドであった。
三木正浩氏は「ホーキンス」の将来性を見越して日本への輸入を決意。ホーキンスの革靴を現地の店舗で確認し、そのまま直接ホーキンス社に向かい、日本における販売権の獲得交渉に動いたという。この結果、三木氏の熱意が伝わり、ホーキンス社の製品取り扱いを開始。1986年にホーキンス社との間で「ホーキンス」の独占販売権に関する契約を締結した。
国際貿易商事(1987年にITCに商号変更)では、ホーキンスの取扱い開始とともに、複数の欧米の現地ブランドの輸入販売権の獲得に注力。「コスビー」「バンズ」といった当時は無名だった欧米ブランドの国内独占販売権を取得した。
ただし、ITCの売上拡大を支えたのは、革靴ブランド「ホーキンス」の販売であった。このため、ITCの起業時点では「カジュアルウェア全般」を取り扱っていたが、徐々に主力商品が「メンズ向けカジュアルシューズ(革靴=ホーキンス)」に傾斜する形となった。
29歳のとき、商品の買い付けにロンドンに立ち寄った三木社長は『ホーキンス』を履いて颯爽と闊歩する若者の姿に魅せられた。
「当時、日本にはファッション性と実用性を兼ね備えた靴がなかった。これこそ日本の若者が必要としている靴だと直観しました。」
その年に国際貿易商事(現インターナショナル・トレーディング・コーポレーション=ITC)を設立していた三木社長は、翌年、ホーキンスの独占販売権を取得。靴の輸入商社として名をなしていく。
1990年から三木正浩氏はグローバルで生産体制(委託方式)を構築することにより、日本国内での販売価格を抑えるSPAを志向した。カジュアルウェアについてはイタリアでの生産委託、カジュアルシューズについては韓国での生産委託の体制を構築した。
このため、ITCはホーキンスなどの国内販売権に加えて、生産のライセンスを取得。自社で生産体制に責任を持つことで、SPAの構築を目論んだ。
当時、カジュアルシューズの領域において、グローバルにSPAを構築する企業は希有であり、ITCは最先発企業となった。ただし、衣料品については、ユニクロ(ファーストリテイリング)がSPA構築で先発しており、ABCマートは後発に相当した。
SPAの構築によって、ITCは「ホーキンス」について低価格で日本国内で販売する体制を整えた。当時、国内において、メンズ向けカジュアルシューズ(革靴)で品質・価格ともに満たす商品を供給できる日本企業は「ITC」の1強体制であり、結果としてITCは高成長・高収益を確保した。
1993年には「ホーキンス」の販売価格を30%値下げする意思決定を行っている。
業績面では、FY1991に売上高47億円・申告所得5億円、FY1992に売上高75億円・申告所得18億円を達成。卸売業界では異例の利益率であり、1993年頃からITCは「急成長かつ高収益企業な非上場会社」として注目を集めた。
「日本の靴屋さんは決定的に遅れています。やたら安いものばかり売ってみたり、逆に目が飛び出るほど高いブランドものばかりを店頭に並べてみたりと、画一的。消費者が本当に必要とするものが見えていないという印象ですね」
1990年にICTは連結子会社として「有限会社エービーシー・マート」を設立して小売業に参入した。卸売業が主軸だったITCが小売業に参入した理由は、卸売では小売店の販売力に依存せざるを得なかったことが背景となっている。
ただし、卸売業者が小売業に参入することは、卸売業の顧客である他の小売店に競合する行為であった。それでも小売に参入した理由は、ホーキンスなどの独占販売権を持つブランドにより、他の小売店に対して強い立場を維持できたためと推定される。
東京都心部を中心にABCマートの店舗展開を開始した。1990年2月に開設した店舗は「ABCマート本店(上野アメ横)」「ABC-MART1号店(上野アメ横)」「GALLOP上野店」「GALLOP渋谷店」の4店舗であった。このうち、ABCマート本店と1号店はともに上野(アメ横)に設置し、若者向けのニーズ確保を目論んだ。
1990年当時、アメ横は若者がショッピングする地域として知名度があり、ABCマートも若者(メンズ)をターゲットに据えた。このため、1990年代を通じて上野アメ横地区に集中出店を行い、1998年度の時点で「本店・1号店・上野店・御徒町店」の4店舗を展開した。
1990年代を通じてABCマートは、東京都心部のうち、若者がショッピングする地域を中心に出店をした。創業地である「アメ横」に続いて注力したのが「渋谷」であった。1991年ABCマートは渋谷進出のために本店比較で10倍の営業面積を持つ「渋谷店(373㎡)」を開業。続いて、1993年に「東急本店通り」と「センター街店」、1999年に「スペイン坂店」を開業するなど、渋谷地区(特に渋谷駅西側のセンター街・道玄坂方面)に集中出店した。これらの地域はパルコなどが存在しており、若者集客に優位な土地であった。
2001年の時点でABCマートは、渋谷において「渋谷店・スペイン坂店」の2店舗を展開。アメ横と同様に、1つの小売業態として同一地区に複数の店舗が競合する異例の出店政策を採用した。なお、スペイン坂店の開業により、1998年5月に東急本店通り、1999年2月にセンター街店を閉店している。
1990年代を通じて小売店の展開は限定的であり、2000年7月時点において直営店舗数は25店であった。このうち、1999年までは東京都心部(渋谷・新宿・池袋・上野など)に集中出店を行い、ドミナントによるABCマートの知名度向上を図ったと推定される。
全国展開については、札幌・名古屋・仙台などの遠方の地区を除けば、関東圏の主要地区(水戸・宇都宮・川越・宇都宮)に展開。渋谷を中心とした、関東圏におけるドミナント展開を基本路線とした。
1990年から1999年までは、年間数店舗の出店ペースにより、小売業態の売上を拡大した。地域別では東京地区における売上が最大であり、ABCマートの売上高80億円(1998年度)に対して、上野アメ横地区4店舗で合計18億円、渋谷地区3店舗で合計14億円をそれぞれ確保した。
開示されている最も古いデータに相当する1996年度においては、ABCマートの売上高は43億円・営業利益3.1億円(営業利益率7.2%)を確保。このため、小売業としては高収益な状態で事業展開を志向した。
これは、ドミナント展開による知名度向上(広告宣伝の効率化)、商品の高回転による在庫最小化といった効果と推定され、東京都心部への集中出店の効果と思われる。
ITCにおいて、SPAの構築によって1995年までに年間利益(申告所得ベース)を37億円確保できるようになったことを受けて、1995年から広告宣伝への積極投資を開始した。
1995年11月にSMAPの木村拓哉氏を起用して「ホーキンス」のテレビCMの放映を開始。大物タレントの起用によって、年間の広告宣伝費は40億円に達したという。TV CMによるホーキンスの認知を拡大により、FY1996のICTの売上高は268億円に達した。
この結果、ホーキンスは知名度を向上させたが、一方で「ホーキンス」の需要を取り尽くし、ブームが一巡したことで、TV CM放映終了後にITCの業績が伸び悩む事態に直面した。1996年度以降、ITCは高収益(利益率25%前後)を維持したものの、売上高は低迷基調となった。
このため、1990年代後半を通じて卸売業を主体とするITCは、流行の終焉によって「高収益を確保するが成長性に難」という難しい状況に陥った。
苦境を打開するため、1998年にG.T.HAWKINGS社を欧州地区に設置し、ホーキングの海外展開を志向したが、業績は軌道に乗らなかった。このため、同社は2001年に清算し、特別損失3.6億円を計上。ITCはホーキングの海外展開から撤退した。
1999年7月にABCマートはショッピングセンター向けに積極出店する方針を決定。従来比較で出店ペースを引き上げ、年間10店舗の新規出店を行う方針を打ち出した。これにより、ABCマートは都心部のドミナント展開から、全国展開へと舵を切る形となった。
当時は大店法の改正により日本国内で大規模な小売店の出店が実質的に自由化されたタイミングであり、イオンモールなどの台頭が予想された。このため、ABCマートとしてはショッピングセンター向けに注力する姿勢を打ち出した。
ABCマートは、ショッピングセンター向けの本格店舗として、2000年4月に「船橋ららぽーと店」「南町田GM店」を開業。2000年12月までに「藤沢オーパ店」「リバーサイドモール岐阜店」「カナード洛北店」など、全国のSCで出店を本格化した。
2000年の時点でABCマートでは、商品開発にあたって店舗での知見を重視。社員が店舗で働くことによって、靴のトレンドを把握し、商品企画に結びつけることを重視した。このため、ABCマートでは店舗社員を重視する組織体制をとり、それに付随する形で商品企画などを実施した。
企画立案された商品は、SPAを通じて委託製造先で生産され、ABCマートが仕入れたと推定される。このため、ITC時代に培ったSPAの強みが、ABCマートにも継承されたと思われる。
2000年代前半のABCマートにおける販管費において、比重が大きい科目は「広告宣伝費」と「人件費」であった。このうち、広告宣伝費は売上対比で約10%を投資することにより、ABCマートの認知度向上の施策を実施した。
人件費については、店舗スタッフを正社員として雇用するためのものであった。これは顧客サービスの品質を強化するため、アルバイトスタッフ中心ではなく、正社員を中心とした販売体制を構築するためであった。このため、人件費に相応の投資を行った。
ただし、2006年2月末時点におけるABCマートの平均給与は318万円(従業員数1076名)・平均年齢は26歳11ヶ月であり、上場企業における正社員の給与水準としては低い状況であった。
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2000年にITCは株式の店頭公開を実施。2002年11月には東京証券取引所第1部に株式を上場した。
2001年3月末時点の大株主は、三木正浩氏37.96%・三木氏の親族24.97%・有限会社イーエムプランニング12.99%であり、三木家が過半数の株式を保持する資本政策を遂行した。これは、ITCが高収益企業であり、増資を伴う資金調達の必要性が乏しかったことに由来する。
ABCマートでは、株式公開の時点で三木家の株式放出は最小限となり、同社の時価総額の増大とともに三木正浩氏の資産(時価ベース)が拡大する要因となった。
2007年に三木正浩氏は社長を退任して経営職から退いたが、2024年3月末時点でも三木家はABCマートについて合計68%の株式を保有している。このため、株式の流動性に関して、創業家持分が多いことによる課題を抱えている。
2010年10月にABCマートは銀座店を出店。営業面積は631㎡であり、自由が丘店に次ぐ2番目の店舗面積を確保した。なお、銀座出店にあたって土地の取得を実施しており、2000年3月期にABCマートは銀座店の土地取得で19億円を投資した。
ABCマートでは、東京都心部の路面店への出店については、土地取得を伴うことも多かった。
ABCマートでは全国展開(地方展開)において、地方展開では現地企業との合弁による展開を志向したが、2001年から集約を実施。合弁会社の株式を取得し、ABCマートに吸収合併する形をとった。
1999年以降、ABCマートでは小売店舗の積極出店により売上成長を記録する一方、祖業の卸売業(ITC)についてはブームの終戦により成長がストップした状態続いた。そこで、卸売業の売上高営業利益率は25%前後と好調であったものの、2002年に事業撤退を決定した。
2002年を通じて、ITCとABCマートは事業再編を実施。まずは連結子会社ABCマートについて、親会社であるITCに吸収合併を実施。続いて、吸収合併後のITCの商号を「エービーシー・マート」に変更することで、小売業のABCマートに特化する方針を鮮明に打ち出した。
ABCマートは海外における小売事業を強化するために、2002年に韓国において合弁会社ABC-MART, KOREA INC.を設立した。ABCマートの出資比率は51%であり、現地企業とのパートナーシップを組んだ。
韓国における店舗展開については、日本国内と同様に、若者が集まる繁華街やショッピングセンターを中心に出店。SPAによってコストダウンした商品を販売することで、靴の小売業として現地のニーズを開拓した。この結果、ABCマートの海外展開においては、進出した2000年代から一貫して韓国市場が最も売上を確保する地域となり、台湾が韓国に次ぐ出店地域となっている。
これは、ABCマートで取り扱うシューズは、若者がファッションに対してお金をかけられること(お洒落)が前提となるため、経済発展が一巡した地域に市場が形成されるためと推定される。
2024年までにABCマートは「韓国・台湾・アメリカ・ベトナム」の4地域に進出しているが、進出時期が早く、かつアジアのなかで経済水準が高い韓国における出店数(300店舗を突破)が最大となっている。このため、ABCマートの海外展開において、韓国は最重要拠点となった。
日本の小売業として、韓国進出によって現地である程度の規模を確保する企業として、ABCマートは稀有な存在となった。
2004年に金城正宏氏がABCマートの代表取締役に就任。創業者である三木氏は引き続き代表取締役(会長)として経営に従事した。金城氏は国内での積極出店を進めつつ、市場が拡大する韓国に着目。2004年から韓国におけるABCマートの出店を開始するなど、グローバル展開(韓国)への布石をうった。
2007年に野口実氏(当時41歳)がABCマートの代表取締役社長に就任。野口氏は1991年に入社した叩き上げに相当する人物であり、2024年の現時点でもABCマートの社長を歴任している。これを受けて、前社長である金城正弘氏は専務に降格となった。
また、2007年の野口氏の社長就任と同時に、創業者である三木正浩氏はABCマートの役職から「一身上の都合」で退き、同社のオーナー(筆頭株主)として関わる形となり、所有と経営の分離が進行した。このため、ABCマートの歴史において、2007年は創業家による経営から脱却する転換点となった。
野口実氏は、国内においてはショッピングセンターへの積極出店を継続しつつも、大型店舗の業態GRAND STAGEを開発して売上拡大を目論んだ。また、海外地域のうち「韓国・台湾」に注力し、海外への店舗出店を積極化するなど、国内に囚われない経営方針を遂行した。
なお、経営にあたっては、大きな施策(買収や巨額投資)は実施せず、ABCマートの業態の着実な展開を志向した。
うちのような職種でいいますと、一発屋みたいに大きいことをどーんとやろうと考えるよりも、こつこつと小さな改善をたくさんやっている人のほうが伸びます。実際、大きな策を打ってもそれが響かないのが、いまのように景気が悪いときですから。近道を探していると時間ばかりがたってしまうので、目の前の小さな改善をこつこつとやる。その改善できた数が問われてくると思うんです
ABCマートは大規模な旗艦店業態として「GRANDSTAGE(GS)」の展開を開始。国内の都心部において品揃えを重視した店舗を新設し、細分化する顧客ニーズへの対応を目論んだ。
GSの業績は好調に推移したといい(数値は非開示)、2024年時点で国内のSG業態は88店舗を展開(最大200店舗の展開を予定)した。
グランドステージは、圧倒的な面積と品揃え、ハイグレードな内装でスニーカーのカルチャーが感じられるような店を目指しています。各メーカーさんがお客さまに伝えたい世界観、ブランドとしての特色やカルチャーをきちんと表現出来る売り場にすることをテーマとしています。その為、メーカーさんごとのインショップ形式になっています。メーカーさんと協力体制が整っているので各メーカーさんのトップモデルを含めた豊富なラインナップが特徴で、スニーカー好きな方もご満足いただけると思います。
韓国に続き台湾地区における小売店の出店を開始した。なお、ABCマートは中国本土への出店は見送っている。
2012年8月にABCマートは、米国のブーツメーカー「LaCrosse社(1932年創業)」をTOBにより買収。同社は「ダナー」「ラクロス」といったブランドを展開するメーカーであった。ABCマートは同社の株式100%を取得して完全子会社化した。ABCマートの海外買収としては、ホーキンスの取得(1995年)に次ぐ買収となった。
買収価格(取得原価)は110億円であり、ABCマートとしては大規模な買収となった。買収に伴い、ABCマートは「のれん」として51億円を計上した。
2013年1月にABDマートは転換社債「2018年満期ユーロ円建転換社債型新株予約権付社債」の発行を決定。欧州の投資家を中心に330億円を調達した。幹事引受会社として、バークレー(Barclays Bank PLC)を選定した。
転換条件は、2016年以降のABCマートの株価が、転換価格を30%上回った場合に設定された。
資金用途はFY2013〜FY2015における3カ年で、1年あたり100億円をABCマートの出店資金(設備投資)として活用する計画を策定。日本国内および海外(韓国・台湾)において、大型店舗の新設投資のための資金とした。
2016年の時点でABCマートの株価が転換条件を満たしたことを受けて、転換社債における新株予約権の権利行使が発生。2016年2月期において、ABCマートの資本金および資本準備金が約330億円増加した.
この結果、株主に占める外国法人の比率が前年度比で約5%上昇し、外国法人の比率が25.17%(前年度末=FY2014には同19.78%)に達した。
アジアにおける店舗展開について、大型機関店を通じた出店を開始。2018年に韓国、2019年に台湾で、それぞれGS Gen2の出店を実施した。2022年にはベトナム進出を決定し、同国にGS Gen2を出店している。
ABCマートにおける国内への出店について、1999年に表明したショップピングセンターへの積極出店から一貫して店舗数を増大。2019年には国内でABCマートの店舗数が1000店舗を突破した。2019年度の時点で、過半数以上の店舗がSC向けであった。
これは、国内におけるショッピングセンターの新設が相次ぎ、結果としてSCの市場拡大とともに、ABCマートの出店数が増大したことによる。