サッポロビール の歴史

創業

1949年

創業者

村橋久成・中川清兵衛

創業地

東京都

直近売上高(2025/12)

5,068億円

長期業績と転換点(1996/12〜2025/12)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1876年に始まった官営醸造所が、サッポロに「資産で稼ぐ」発想を残したのか
A 客に何を売るかより先に、国費で築いた工場と土地をどう活かすかを考える経営観が早期に定着したためである。1876年、殖産興業を急ぐ明治政府の北海道開拓使が札幌で官営事業として麦酒醸造所を開いた。村橋久成氏・中川清兵衛氏らが醸した麦酒は開拓地で売れ、官の事業として収益を立てた。商品で市場を取りにいくより、手元の固定資産を回して稼ぐこの発想は、後年の恵比寿工場跡地の長期保有にもつながった。
Q なぜ1949年にサッポロ・ヱビスを封印して「ニッポンビール」に賭けたのか
A 全国統一ブランドを築くという柴田清社長独自の理念のためである。戦後の集中排除で日本麦酒として再出発した1949年、柴田社長は戦前から強い「サッポロ」「ヱビス」を使わず新ブランドに賭けた。記憶と結びつかない名は指名買いを生まず、両ブランドの復活は1957年と1970年までずれ込み、その空白でキリンが家庭用販路を固めてシェア3位が定まった。本業で首位を取り戻せないと見たサッポロは、不動産収益で本業の劣勢を補う道へ向かった
Q なぜ2017年・2022年に米クラフトビール2社を買収したのに後始末に追われたのか
A 北米を海外成長の中心に据えたが、両社とも見込んだ収益を生まなかったためである。サッポロは2017年に米アンカー・ブルーイング、2022年8月に米Stone Brewingを約226億円で買収した。だがクラフトビール市場の長期的な減速で採算が悪化し、2023年7月にアンカー社の解散を決議、Stone社では2024年12月期にのれん減損約139億円を計上した。2011年のポッカ買収に続き、買った会社の整理に時間を割く連続となった

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1906年〜 三社合同による寡占の成立と、戦後分割で戦前ブランドを封印した八年

サッポロビールの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1906年 日本麦酒・札幌麦酒・大阪麦酒の3社合同により大日本麦酒を設立
  2. 1949年 日本麦酒を発足
  3. 1949年 東京証券取引所に株式上場
  4. 1949年 ニッポンビールの販売開始(柴田社長の大誤算)
  5. 1957年 国際飲料を設立
  6. 1957年 サッポロビールの商標を復活
  7. 1961年 大阪工場を新設

競争の激化が生んだ三社合同と、生産高の過半を占める体制

1906年3月、札幌麦酒・日本麦酒・大阪麦酒の三社が合同[1]し、資本金560万円[2]の大日本麦酒株式会社が発足した。初代社長には日本麦酒の馬越恭平氏[3]が就いた。合同に踏み切ったのは、麦酒会社どうしの競争が激しくなり[4]、中途半端な手段では立ちゆかないと判断されたためである。斡旋にあたったのは農商務大臣の清浦奎吾氏[5]で、馬越氏・渋沢栄一氏・大倉喜八郎氏のあいだを取り持った。合同三社の一つである札幌麦酒は、1876年9月に設立された開拓使麦酒醸造所に端を発する[6]

  • サッポロビール 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1906年3月 札幌麦酒・日本麦酒・大阪麦酒の三社合同で大日本麦酒が成立
    • [6]札幌麦酒の源流 1876年9月設立の開拓使麦酒醸造所
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968)
    • [2]成立時の資本金 560万円
    • [3]初代社長 日本麦酒出身の馬越恭平
    • [5]清浦奎吾(農商務大臣)が馬越恭平・渋沢栄一・大倉喜八郎の斡旋にあたった
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「日本麦酒」の項
    • [4]合同の理由 麦酒会社の競争が激甚を窮めたこと

合同の効果は生産量に表れ、明治39年のわが国麦酒生産高の総計15.9万石のうち過半を大日本麦酒が占めた[7]。同社は麦酒・清涼飲料・製壜の一貫作業[8]を自社内に抱え、以後も設備投資と同業の合併によって業界首位を保った。実質的な競合を麒麟麦酒一社に限る寡占構造が戦前期を通じて続き、終戦時のシェアは75%に達した[9]。多くの銘柄を地域別に持って売り分ける販売体制[10]も、この時期に固まった。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「日本麦酒」の項
    • [7]明治39年の麦酒生産高 総計15.9万石・その過半を大日本麦酒が占めた
    • [8]麦酒・清涼飲料・製壜の一貫作業
  • 証券アナリストジャーナル 1972年 第10巻第5号「サッポロビール」
    • [9]終戦時のシェア 75%
    • [10]多くの銘柄を地域別に持って販売する形態
  • サッポロビール 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1906年3月 札幌麦酒・日本麦酒・大阪麦酒の三社合同で大日本麦酒が成立
    • [6]札幌麦酒の源流 1876年9月設立の開拓使麦酒醸造所
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968)
    • [2]成立時の資本金 560万円
    • [3]初代社長 日本麦酒出身の馬越恭平
    • [5]清浦奎吾(農商務大臣)が馬越恭平・渋沢栄一・大倉喜八郎の斡旋にあたった
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「日本麦酒」の項
    • [4]合同の理由 麦酒会社の競争が激甚を窮めたこと
    • [7]明治39年の麦酒生産高 総計15.9万石・その過半を大日本麦酒が占めた
    • [8]麦酒・清涼飲料・製壜の一貫作業
  • 証券アナリストジャーナル 1972年 第10巻第5号「サッポロビール」
    • [9]終戦時のシェア 75%
    • [10]多くの銘柄を地域別に持って販売する形態

新商標ニッポンビールの投入と、八年におよぶ戦前銘柄の空白

1949年9月、大日本麦酒は過度経済力集中排除法および企業再建整備法[11]の適用を受け、朝日麦酒と日本麦酒の二社へ分割された。GHQが通告した分割対象300社は、全企業の影響力の75%を占める[12]とされた。日本麦酒は初代社長に柴田清氏を迎え[13]、資本金1億円で発足した[14]。旧会社から引き継いだのは、エビス・サッポロ両商標と、札幌・川口・目黒・名古屋・門司の五工場[15]

  • サッポロビール 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1949年9月 過度経済力集中排除法・企業再建整備法により朝日麦酒と日本麦酒へ分割
  • 読売新聞 1948年1月31日
    • [12]集中排除の分割対象300社は全企業の影響力の75%を占めるとGHQが通告
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968)
    • [13]日本麦酒の初代社長 柴田清
    • [14]発足時の資本金 1億円
    • [15]エビス・サッポロ両商標と札幌・川口・目黒・名古屋・門司の五工場を承継

ところが柴田社長は、承継した戦前の商標を封印し、1949年12月に新商標ニッポンビールへ銘柄を一本化して販売を始めた[16]。多くの銘柄を地域別に持ってきた不自由さを解消する狙い[17]だったが、平和が戻ると消費者は戦前の銘柄を選ぶようになり、同社は不利な戦いを強いられた[18]。1955年の時点でも、新商標によるハンディキャップ[19]を自社で認めていた。分割を免れた麒麟麦酒がこの間にシェアを伸ばし、1954年には首位と二位が入れ替わった[20]。戦前の主力銘柄が市場から消えていた期間は、1957年2月のサッポロビール商標の復活まで八年におよんだ[21]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968)
    • [16]1949年12月 新商標ニッポンビールの販売開始
  • 証券アナリストジャーナル 1972年 第10巻第5号「サッポロビール」
    • [17]新商標採用の理由 銘柄を地域別に持つ不自由さの解消
    • [18]大衆は昔の銘柄を選ぶようになり、まことに不利な戦いを余儀なくされた
    • [21]1957年2月 サッポロビール商標の復活(ニッポンビール投入から約8年)
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「日本麦酒」の項
    • [19]1955年時点で新商標によるハンディキャップを自認
  • 日経ビジネス 1977年4月11日号「後手に回ったキリン打倒策 サッポロビール元社長、内多蔵人氏が語る敗戦記」
    • [20]1954年 キリンに順位を抜かれた(1949年発足時はシェア39%で首位)
  • サッポロビール 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1949年9月 過度経済力集中排除法・企業再建整備法により朝日麦酒と日本麦酒へ分割
  • 読売新聞 1948年1月31日
    • [12]集中排除の分割対象300社は全企業の影響力の75%を占めるとGHQが通告
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968)
    • [13]日本麦酒の初代社長 柴田清
    • [14]発足時の資本金 1億円
    • [15]エビス・サッポロ両商標と札幌・川口・目黒・名古屋・門司の五工場を承継
    • [16]1949年12月 新商標ニッポンビールの販売開始
  • 証券アナリストジャーナル 1972年 第10巻第5号「サッポロビール」
    • [17]新商標採用の理由 銘柄を地域別に持つ不自由さの解消
    • [18]大衆は昔の銘柄を選ぶようになり、まことに不利な戦いを余儀なくされた
    • [21]1957年2月 サッポロビール商標の復活(ニッポンビール投入から約8年)
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「日本麦酒」の項
    • [19]1955年時点で新商標によるハンディキャップを自認
  • 日経ビジネス 1977年4月11日号「後手に回ったキリン打倒策 サッポロビール元社長、内多蔵人氏が語る敗戦記」
    • [20]1954年 キリンに順位を抜かれた(1949年発足時はシェア39%で首位)

1964年〜 銘柄への回帰と、熱処理をやめた「生」への全面転換

サッポロビールの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1964年 「ニッポンビール」を捨て「サッポロ」へ——商標復活から社名変更に至るブランド一本化 分割で掲げた新商標を守るか、明治以来の銘柄へ帰るか——キリン独走下の日本麦酒はなぜ社名まで変えたのか
  2. 1968年 ビールの国内シェアで25%を割り込む
  3. 1971年 仙台工場を新設
  4. 1971年 ヱビスビールの商標を復活
  5. 1974年 丸勝葡萄酒を買収
  6. 1977年 「サッポロびん生」全国発売——生ビールへの全面転換でキリン独走に挑む 中身の差別化で勝てない万年3位は、どうやって首位の土俵を変えようとしたか
  7. 1977年 ビールの国内シェアで20%前後に低迷

社名を銘柄に寄せる一本化と、届かなかった差別化商品

復活したサッポロビール商標は大いに受け、商標変更にともなって同社は勢いを盛り返した[22]。銘柄が市場に受け入れられたのを確かめたうえで、1964年1月、日本麦酒は商号をサッポロビール株式会社へ変更[23]し、社名を主力銘柄に一致させた。1961年9月に柴田清社長が死去した後を継いだ松山茂助社長[24]のもとでの決定。もっとも、キリンの伸長は止まらず、1968年12月には国内シェアが25%を割り込んだ[25]

  • 証券アナリストジャーナル 1972年 第10巻第5号「サッポロビール」
    • [22]1957年2月の商標復活は大いに受け、商標変更に伴い勢いを盛り返した
  • サッポロビール 有価証券報告書【沿革】
    • [23]1964年1月 日本麦酒がサッポロビール株式会社へ商号変更
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968)
    • [24]1961年9月 柴田清社長の死去により副社長の松山茂助が社長へ昇任
  • サッポロビール 有価証券報告書
    • [25]1968年12月 国内ビールシェアが25%を割り込む

打開策の一つは朝日麦酒との合併で、交渉は1963年春・1965年暮・1966年春と三度進められ、いずれも流産した[26]。もう一つの製品差別化では、ファイブスター、ライト[27]、そして1970年12月のヱビスビール発売[28]と手を打ったが、いずれもキリンに打撃を与えるには至らなかった。ヱビスは副原料を使わない上位価格帯の商品として価格を10円高く設定し、まず東京で発売して高級ビールとしてのイメージづくりに成功[29]したものの、復活が業界の値上げ期に重なって浸透の機会を逃した[30]。1971年度のビールシェアは22%、近畿地方に限れば約0.8%[31]にとどまった。

  • 読売新聞 1966年7月24日
    • [26]サッポロ・朝日の合併交渉 1963年春・1965年暮・1966年春の三度、いずれも流産
  • 日経ビジネス 1981年9月21日号「ケーススタディ サッポロビール ビールは生——新しい神話に逆転の夢」
    • [27]ファイブスター(1967年)・ライト(1969年)・ヱビス復活はいずれもキリンに打撃を与えられず
  • 証券アナリストジャーナル 1972年 第10巻第5号「サッポロビール」
    • [28]1970年12月 エビスビールを発売
    • [29]ヱビスは副原料不使用・価格10円高、まず東京で発売し高級ビールのイメージづくりに成功
    • [31]1971年度のビールシェア 22%、近畿地方では約0.8%
  • 日経ビジネス 1977年4月11日号「後手に回ったキリン打倒策 サッポロビール元社長、内多蔵人氏が語る敗戦記」
    • [30]ヱビス復活が業界の値上げ期に重なり浸透のタイミングを失った
  • 証券アナリストジャーナル 1972年 第10巻第5号「サッポロビール」
    • [22]1957年2月の商標復活は大いに受け、商標変更に伴い勢いを盛り返した
    • [28]1970年12月 エビスビールを発売
    • [29]ヱビスは副原料不使用・価格10円高、まず東京で発売し高級ビールのイメージづくりに成功
    • [31]1971年度のビールシェア 22%、近畿地方では約0.8%
  • サッポロビール 有価証券報告書【沿革】
    • [23]1964年1月 日本麦酒がサッポロビール株式会社へ商号変更
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968)
    • [24]1961年9月 柴田清社長の死去により副社長の松山茂助が社長へ昇任
  • サッポロビール 有価証券報告書
    • [25]1968年12月 国内ビールシェアが25%を割り込む
  • 読売新聞 1966年7月24日
    • [26]サッポロ・朝日の合併交渉 1963年春・1965年暮・1966年春の三度、いずれも流産
  • 日経ビジネス 1981年9月21日号「ケーススタディ サッポロビール ビールは生——新しい神話に逆転の夢」
    • [27]ファイブスター(1967年)・ライト(1969年)・ヱビス復活はいずれもキリンに打撃を与えられず
  • 日経ビジネス 1977年4月11日号「後手に回ったキリン打倒策 サッポロビール元社長、内多蔵人氏が語る敗戦記」
    • [30]ヱビス復活が業界の値上げ期に重なり浸透のタイミングを失った

「サッポロびん生」全国発売とラガーへの見切り

味を変える正攻法で結果が出ないまま、シェアは1977年12月時点で20%前後に落ちていた[32]。元社長の内多蔵人氏は同年、キリンのシェアが8割から9割に達しかねない[33]事態を危ぶみ、独走を許した自社にも反省点が多いと語っている。製品戦略の転換は熱処理をやめる一点に絞られ、1977年4月、サッポロビールはびん詰め生ビール「サッポロびん生」を全国で発売[34]した。北海道・名古屋・大阪でのテスト販売で需要を確かめたうえでの全国投入であり、初年度の出荷は予定の2倍にあたる800万ケース[35]に達した。

  • サッポロビール 有価証券報告書
    • [32]1977年12月時点の国内シェア 20%前後
  • 日経ビジネス 1977年4月11日号「後手に回ったキリン打倒策 サッポロビール元社長、内多蔵人氏が語る敗戦記」
    • [33]内多蔵人(元社長)はキリンのシェアが8〜9割に達しかねないとし、独走を許した自社の反省点が多いと述べた
  • 日経ビジネス 1981年9月21日号「ケーススタディ サッポロビール ビールは生——新しい神話に逆転の夢」
    • [34]1977年4月 びん詰め生ビール「サッポロびん生」を全国発売
    • [35]北海道・名古屋・大阪でのテスト販売を経て全国発売、初年度は予定の2倍の800万ケース

翌年からは広告予算を生ビールへ集中させ、当時なお8割近くを占めていたラガーに、生比率23%の段階で見切りをつけた[36]。ラガーから生への切り換えは生産設備の裏づけを要し、ろ過装置や無菌設備の増強だけで毎年40億円から50億円の投資[37]を続けた。びん生のラベルには社内の反発を押し切って黒が採用され[38]、他社のさわやか路線との差別化と、季節を問わない通年商品化をねらった。この路線を常務営業部長の時代から実質的に主導した河合滉二氏が、1978年2月に社長へ就任した[39]。同氏は就任にあたり、びん生を武器に今度は十分闘えると述べた[40]

  • 日経ビジネス 1981年9月21日号「ケーススタディ サッポロビール ビールは生——新しい神話に逆転の夢」
    • [36]発売翌年に広告を生ビールへ集中、生比率23%の段階で8割近いラガーに見切り
    • [37]ろ過装置・無菌設備の増強だけで年40億〜50億円の投資
    • [38]びん生のラベルは社内の反発を押し切って黒を採用、さわやか路線との差別化と年間商品化をねらった
    • [39]河合滉二は常務営業部長時代から生路線を主導し1978年2月に社長就任
  • 日経ビジネス 1978年7月31日号「新社長登場 河合滉二氏(サッポロビール)」
    • [40]河合滉二は社長就任時「びん生を武器に今度は十分闘える」と述べた

生ビールという区分に限れば賭けは実を結び、1980年の生ビール市場でサッポロは39%を占めて首位に立ち、サントリー32%・朝日23%・キリン6%を上回った[41]。需要が低迷した同年、キリンが出荷量0.3%減・シェア0.7%減となる一方で、サッポロは出荷量3.1%増・シェア0.4%増を確保した[42]。東京でのシェアも4、5年で数ポイント上がって26%強[43]に達した。1981年12月期の売上高は3,304億円・経常利益90.1億円で、1977年12月期の2,084億円から4年で約6割の増収[44]となった。ただしビール全体で見ればキリン62.2%に対しサッポロは19.7%[45]であり、順位は動かなかった。

  • 日経ビジネス 1981年9月21日号「ケーススタディ サッポロビール ビールは生——新しい神話に逆転の夢」
    • [41]1980年の生ビール市場占有率 サッポロ39%で首位・サントリー32%・朝日23%・キリン6%
    • [42]1980年 キリンは出荷量0.3%減・シェア0.7%減、サッポロは出荷量3.1%増・シェア0.4%増
    • [43]東京でのシェアは4、5年で数ポイント上昇し26%強
    • [45]1980年のビール全体シェア キリン62.2%・サッポロ19.7%
  • サッポロビール 会社年鑑(1986年版・単体業績)
    • [44]1981年12月期 売上高3,304億円・経常利益90.1億円(1977年12月期は2,084億円)
  • サッポロビール 有価証券報告書
    • [32]1977年12月時点の国内シェア 20%前後
  • 日経ビジネス 1977年4月11日号「後手に回ったキリン打倒策 サッポロビール元社長、内多蔵人氏が語る敗戦記」
    • [33]内多蔵人(元社長)はキリンのシェアが8〜9割に達しかねないとし、独走を許した自社の反省点が多いと述べた
  • 日経ビジネス 1981年9月21日号「ケーススタディ サッポロビール ビールは生——新しい神話に逆転の夢」
    • [34]1977年4月 びん詰め生ビール「サッポロびん生」を全国発売
    • [35]北海道・名古屋・大阪でのテスト販売を経て全国発売、初年度は予定の2倍の800万ケース
    • [36]発売翌年に広告を生ビールへ集中、生比率23%の段階で8割近いラガーに見切り
    • [37]ろ過装置・無菌設備の増強だけで年40億〜50億円の投資
    • [38]びん生のラベルは社内の反発を押し切って黒を採用、さわやか路線との差別化と年間商品化をねらった
    • [39]河合滉二は常務営業部長時代から生路線を主導し1978年2月に社長就任
    • [41]1980年の生ビール市場占有率 サッポロ39%で首位・サントリー32%・朝日23%・キリン6%
    • [42]1980年 キリンは出荷量0.3%減・シェア0.7%減、サッポロは出荷量3.1%増・シェア0.4%増
    • [43]東京でのシェアは4、5年で数ポイント上昇し26%強
    • [45]1980年のビール全体シェア キリン62.2%・サッポロ19.7%
  • 日経ビジネス 1978年7月31日号「新社長登場 河合滉二氏(サッポロビール)」
    • [40]河合滉二は社長就任時「びん生を武器に今度は十分闘える」と述べた
  • サッポロビール 会社年鑑(1986年版・単体業績)
    • [44]1981年12月期 売上高3,304億円・経常利益90.1億円(1977年12月期は2,084億円)

1987年〜 ドライショックによる三位転落と、工場跡地を売らずに開発した恵比寿

サッポロビールの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1988年 アサヒ「スーパードライ」台頭への反攻と、黒ラベル終売・サッポロドラフトへの全面切替 「生」の主導権を奪われたサッポロは、なぜ長年の2位から3位へ転落したのか
  2. 1994年 恵比寿工場跡地を売らず自社で開発した恵比寿ガーデンプレイスの開業 都心の一等地を売らずに持つ——低収益のビール会社は、なぜ含み資産をみずから不動産事業へ変えたのか
  3. 2003年 持ち株会社に移行。サッポロHDに商号変更
  4. 2006年 焼酎事業を買収
  5. 2006年 SLEEMAN BREWERIES LTD.を買収

黒ラベル終売という追随と、半年での撤回

1987年、アサヒビールが「スーパードライ」を発売[46]して大きく売れ、各社が追随してドライ戦争と呼ばれる競争が起きた。製品戦略ひとつでシェアの序列が動く市場で、スーパードライはアサヒを一新させた[47]。サッポロは1988年末に大衆回帰を掲げ、1989年2月には主力の黒ラベルを終売してサッポロドラフトへ全面的に切り替えた[48]。愛飲者の抗議を受けて黒ラベルは半年後に復活した[49]が、1989年のシェアは18.6%へ下がり、キリン・アサヒに次ぐ3位に落ちた[50]

  • 日経ビジネス電子版(2020年12月28日)「サッポロビール社長、黒ラベルは『10年がかりでよみがえった』」
    • [46]1987年 アサヒ「スーパードライ」発売、各社追随でドライ戦争
  • 週刊東洋経済 1998年11月28日号「サッポロビール 低シェアの中、発泡酒に賭けるが…上位二社の争いにかすむ三番手」
    • [47]スーパードライはアサヒを一新させ、商品戦略が業界地図を変える市場であることを示した
    • [49]黒ラベルは愛飲者の抗議で半年後に復活、痛い経営ミスと評された
  • PRESIDENT Online(2023年7月18日)「『苦くないビール』という市場が爆誕した…『アサヒスーパードライ』が35年以上も最強ブランドであるワケ」
    • [48]1989年2月 主力の黒ラベルを終売しサッポロドラフトへ全面切替
    • [50]1989年のシェア 18.6%へ低下しキリン・アサヒに次ぐ3位

反攻は10年におよび、1997年には新・黒ラベルへの刷新と、保冷トラック900台による物流網の再構築[51]が進んだ。枝元賢造社長は、失敗すればサッポロに明日はない[52]と社内に訴えた。それでも同年7月のビール出荷は、アサヒが前年同月比7.2%増と伸ばす一方でキリンは14.7%減、サッポロは3.5%減[53]にとどまった。1月から7月の累計シェアは、アサヒのスーパードライ30.8%に対し、サッポロの黒ラベルは13.0%[54]。ビール事業は前年比6%減で着地[55]した。翌1998年には発泡酒を含めたシェアが過去最低の約16%となり、1月から10月の数量は前年比13%減、有利子負債は4,200億円に達した[56]。同社は発泡酒ブロイに起死回生を賭けた[57]

  • 日経ビジネス 1997年9月1日号「ビール“夏の陣”で完敗 『アサヒ包囲網』の迷走」
    • [51]1997年 新・黒ラベル刷新と保冷トラック900台の物流革命
    • [52]枝元賢造(社長)は「失敗すればサッポロに明日はない」と訴えた
    • [53]1997年7月のビール出荷 アサヒ前年同月比7.2%増・キリン14.7%減・サッポロ3.5%減
    • [54]1997年1〜7月累計シェア アサヒSD30.8%・サッポロ黒ラベル13.0%
    • [55]1997年のビール事業は前年比6%減
  • 週刊東洋経済 1998年11月28日号「サッポロビール 低シェアの中、発泡酒に賭けるが…上位二社の争いにかすむ三番手」
    • [56]1998年 発泡酒込みシェアが過去最低の約16%・1〜10月数量は前年比13%減・有利子負債4,200億円
    • [57]発泡酒ブロイに起死回生を賭けた
  • 日経ビジネス電子版(2020年12月28日)「サッポロビール社長、黒ラベルは『10年がかりでよみがえった』」
    • [46]1987年 アサヒ「スーパードライ」発売、各社追随でドライ戦争
  • 週刊東洋経済 1998年11月28日号「サッポロビール 低シェアの中、発泡酒に賭けるが…上位二社の争いにかすむ三番手」
    • [47]スーパードライはアサヒを一新させ、商品戦略が業界地図を変える市場であることを示した
    • [49]黒ラベルは愛飲者の抗議で半年後に復活、痛い経営ミスと評された
    • [56]1998年 発泡酒込みシェアが過去最低の約16%・1〜10月数量は前年比13%減・有利子負債4,200億円
    • [57]発泡酒ブロイに起死回生を賭けた
  • PRESIDENT Online(2023年7月18日)「『苦くないビール』という市場が爆誕した…『アサヒスーパードライ』が35年以上も最強ブランドであるワケ」
    • [48]1989年2月 主力の黒ラベルを終売しサッポロドラフトへ全面切替
    • [50]1989年のシェア 18.6%へ低下しキリン・アサヒに次ぐ3位
  • 日経ビジネス 1997年9月1日号「ビール“夏の陣”で完敗 『アサヒ包囲網』の迷走」
    • [51]1997年 新・黒ラベル刷新と保冷トラック900台の物流革命
    • [52]枝元賢造(社長)は「失敗すればサッポロに明日はない」と訴えた
    • [53]1997年7月のビール出荷 アサヒ前年同月比7.2%増・キリン14.7%減・サッポロ3.5%減
    • [54]1997年1〜7月累計シェア アサヒSD30.8%・サッポロ黒ラベル13.0%
    • [55]1997年のビール事業は前年比6%減

6,000億円で売れる土地を売らなかった選択

本業の採算はこの間に細り、売上高営業利益率は1986年12月期の3.45%から1991年12月期には1.20%へ半減[58]した。ビール市場は1987年以降も拡大していたが、4社が広告宣伝費と販売促進費を積み増す競争のなかで、収益力は落ち続けた[59]。不動産事業そのものは以前から手がけており、1972年の時点で東京・札幌に約10万坪の遊休地を抱え、仙台・大阪・横浜で建設に着手[60]していた。一方、首都圏の主力工場だった恵比寿工場は、都市化によって工場の存在が地域にそぐわなくなり、老朽化も進んで建て替えの敷地も足りなくなっていた[61]。同社は1988年6月に千葉工場を完成させて首都圏の生産拠点を移し、約8万3000平方メートルの跡地が残った[62]

  • 日経ビジネス 1992年3月23日号「サッポロビール 工場跡地は“金のなる木” 本業支え多角化のテコに」
    • [58]売上高営業利益率 1986年12月期3.45%→1991年12月期1.20%
    • [59]ビール市場は1987年以来伸びたが4社の競争で広告宣伝費・販売促進費がかさみ収益力が悪化
    • [61]恵比寿工場は都市化で地域にふさわしくなくなり、老朽化と敷地不足で建て替えができなかった
    • [62]1988年6月 千葉工場(千葉県船橋市)の完成で首都圏の供給拠点を移転、跡地は約8万3000平方メートル
  • 証券アナリストジャーナル 1972年 第10巻第5号「サッポロビール」
    • [60]1972年時点で東京・札幌に約10万坪の遊休地、仙台・大阪・横浜で不動産の建設に着手

跡地の使い道は1987年7月に発表された再開発計画[63]で決まった。計画は東京都が1983年に恵比寿地区の再開発を検討し始めたことをきっかけに具体化したもので、同社が自ら乗り出したわけではない[64]。跡地の簿価は190億円だったが、この地区は坪単価2000万円と評価されており、3万坪を売れば6000億円になる[65]含み資産であった。サッポロは売却も他社への委託も採らず、約3100億円を投じて自社で再開発する道を選んだ[66]。総事業費のうち950億円は住宅金融公庫から6.22%固定・25年で調達し、借入を1900億円に抑えて初年度の黒字化を優先[67]した。荒川和夫社長は本業をあくまでビールと位置づけたうえで、この事業を収益性の極めて悪いビール事業を補うためのもの[68]とし、売上高経常利益率5%の達成を掲げた。

  • 日経ビジネス 1992年3月23日号「サッポロビール 工場跡地は“金のなる木” 本業支え多角化のテコに」
    • [63]1987年7月 恵比寿工場跡地の再開発計画を発表
    • [64]再開発は東京都が1983年に恵比寿地区の再開発を検討し始めたのがきっかけで、同社が自ら乗り出したものではない
    • [65]跡地の簿価190億円・坪単価2000万円・3万坪の売却で6000億円
    • [66]約3100億円を投じ自社で再開発する道を選んだ
    • [67]住宅金融公庫から950億円を6.22%固定・25年で調達、借入を1900億円に抑制
    • [68]荒川和夫(社長)は恵比寿の事業を「収益性の極めて悪いビール事業を補うための事業」とし売上高経常利益率5%を掲げた

恵比寿ガーデンプレイスは1994年10月に開業した[69]。同年6月に分譲した住宅棟の恵比寿ガーデンテラス弐番館は平均倍率29.1倍で即日完売し、申込者の約6割を経営者・役員層が占めた[70]。オフィスの入居契約は同年9月時点で9割を超え[71]、同じ時期に開業した横浜ランドマークタワー・聖路加ガーデン・新宿パークタワーが7割程度[72]であったのを上回った。不動産事業はすでに1990年12月期の段階で営業利益54億円の6割を稼いでおり[73]、開業後は収益源としての比重がさらに増した。

  • サッポロビール 有価証券報告書【沿革】
    • [69]1994年10月 恵比寿ガーデンプレイス開業
  • 日経産業新聞 1994年6月7日
    • [70]分譲住宅棟「恵比寿ガーデンテラス弐番館」平均倍率29.1倍で即日完売・申込者の約6割が経営者役員層
  • 日本経済新聞 1994年9月9日
    • [71]1994年9月時点でオフィス入居契約9割超、同時期開業の他物件は7割程度
    • [72]同時期開業の横浜ランドマークタワー・聖路加ガーデン・新宿パークタワーは開業時7割程度
  • 日経ビジネス 1992年3月23日号「サッポロビール 工場跡地は“金のなる木” 本業支え多角化のテコに」
    • [73]1990年12月期 営業利益54億円の6割を不動産事業が稼いだ
  • 日経ビジネス 1992年3月23日号「サッポロビール 工場跡地は“金のなる木” 本業支え多角化のテコに」
    • [58]売上高営業利益率 1986年12月期3.45%→1991年12月期1.20%
    • [59]ビール市場は1987年以来伸びたが4社の競争で広告宣伝費・販売促進費がかさみ収益力が悪化
    • [61]恵比寿工場は都市化で地域にふさわしくなくなり、老朽化と敷地不足で建て替えができなかった
    • [62]1988年6月 千葉工場(千葉県船橋市)の完成で首都圏の供給拠点を移転、跡地は約8万3000平方メートル
    • [63]1987年7月 恵比寿工場跡地の再開発計画を発表
    • [64]再開発は東京都が1983年に恵比寿地区の再開発を検討し始めたのがきっかけで、同社が自ら乗り出したものではない
    • [65]跡地の簿価190億円・坪単価2000万円・3万坪の売却で6000億円
    • [66]約3100億円を投じ自社で再開発する道を選んだ
    • [67]住宅金融公庫から950億円を6.22%固定・25年で調達、借入を1900億円に抑制
    • [68]荒川和夫(社長)は恵比寿の事業を「収益性の極めて悪いビール事業を補うための事業」とし売上高経常利益率5%を掲げた
    • [73]1990年12月期 営業利益54億円の6割を不動産事業が稼いだ
  • 証券アナリストジャーナル 1972年 第10巻第5号「サッポロビール」
    • [60]1972年時点で東京・札幌に約10万坪の遊休地、仙台・大阪・横浜で不動産の建設に着手
  • サッポロビール 有価証券報告書【沿革】
    • [69]1994年10月 恵比寿ガーデンプレイス開業
  • 日経産業新聞 1994年6月7日
    • [70]分譲住宅棟「恵比寿ガーデンテラス弐番館」平均倍率29.1倍で即日完売・申込者の約6割が経営者役員層
  • 日本経済新聞 1994年9月9日
    • [71]1994年9月時点でオフィス入居契約9割超、同時期開業の他物件は7割程度
    • [72]同時期開業の横浜ランドマークタワー・聖路加ガーデン・新宿パークタワーは開業時7割程度

持株会社移行と、本業を上回る不動産の利益

2003年7月、サッポロビールは持株会社へ移行[74]し、商号をサッポロホールディングスへ改めた。同じ2003年12月期の連結セグメントでは、不動産の営業利益135.1億円が酒類の45.4億円を大きく上回った[75]。売上高営業利益率で見ると差はさらに開き、不動産40.4%に対して酒類は1.3%[76]であった。売上規模は酒類3,419億円・不動産334億円[77]と10倍の開きがあり、小さな売上で大きな利益を生む資産と、大きな売上で利益の出ない本業とが並ぶ事業ポートフォリオが、ここで数字に表れた。

  • サッポロビール 有価証券報告書【沿革】
    • [74]2003年7月 持株会社へ移行しサッポロホールディングスへ商号変更
  • サッポロホールディングス 有価証券報告書(連結セグメント情報)
    • [75]2003年12月期 セグメント営業利益 不動産135.1億円・酒類45.4億円
    • [76]2003年12月期 売上高営業利益率 不動産40.4%・酒類1.3%
    • [77]2003年12月期 セグメント売上高 酒類3,419億円・不動産334億円

もっとも2003年12月期の逆転は一時のもので、翌2004年12月期には酒類188.8億円・不動産59.7億円[78]と序列が戻った。両者が再び近づくのは2005年12月期の酒類65.5億円・不動産59.3億円、2006年12月期の酒類41.8億円・不動産64.1億円[79]で、以後は不動産が酒類に並ぶか上回る年が続いた。この間サッポロは酒類事業の品目を広げる投資も進め、2006年4月に焼酎事業を買収[80]し、同年10月にはカナダのSLEEMAN BREWERIES LTD.を子会社とした[81]

  • サッポロホールディングス 有価証券報告書(連結セグメント情報)
    • [78]2004年12月期 セグメント営業利益 酒類188.8億円・不動産59.7億円
    • [79]2005年12月期 酒類65.5億円・不動産59.3億円/2006年12月期 酒類41.8億円・不動産64.1億円
  • サッポロビール 有価証券報告書
    • [80]2006年4月 焼酎事業を買収
    • [81]2006年10月 SLEEMAN BREWERIES LTD.を買収
  • サッポロビール 有価証券報告書【沿革】
    • [74]2003年7月 持株会社へ移行しサッポロホールディングスへ商号変更
  • サッポロホールディングス 有価証券報告書(連結セグメント情報)
    • [75]2003年12月期 セグメント営業利益 不動産135.1億円・酒類45.4億円
    • [76]2003年12月期 売上高営業利益率 不動産40.4%・酒類1.3%
    • [77]2003年12月期 セグメント売上高 酒類3,419億円・不動産334億円
    • [78]2004年12月期 セグメント営業利益 酒類188.8億円・不動産59.7億円
    • [79]2005年12月期 酒類65.5億円・不動産59.3億円/2006年12月期 酒類41.8億円・不動産64.1億円
  • サッポロビール 有価証券報告書
    • [80]2006年4月 焼酎事業を買収
    • [81]2006年10月 SLEEMAN BREWERIES LTD.を買収

2007年〜 資本効率への二度の問いと、恵比寿を手放すまでの十九年

サッポロビールの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2007年 スティール・パートナーズの買収提案に対する事前警告型買収防衛策と株主意思の確認 不動産の含み益を突かれたビール会社は、敵対的買収者にどう向き合ったのか——株主総会に委ねた防衛の帰結
  2. 2007年 モルガン・スタンレーと戦略的業務・資本提携を締結
  3. 2010年 子会社の株式を取得
  4. 2010年 スティールパートナーズがサッポロHDの全株式を売却
  5. 2011年 ポッカコーポレーションを買収
  6. 2012年 恵比寿ガーデンプレイスを再取得
  7. 2023年 3Dの株主提案とサッポロの不動産切り出し・ビール本業集中 否決した株主提案を、なぜ経営はみずから実行したのか——恵比寿の不動産を抱えるビール会社の資本効率をめぐる攻防

スティール・パートナーズが突いた資産と収益の乖離

2007年、米系投資ファンドのスティール・パートナーズ[82]がサッポロホールディングスへ買収を提案した。2004年から300円台で株を買い進めて約17%を保有していた同ファンドは、1株825円・総額1,500億円超の友好的TOBで持分を66.6%まで高める案[83]を示した。狙われたのは資産と収益の乖離で、2007年12月期のセグメントでは売上が酒類3,436億円に対し不動産241億円[84]と約15倍の開きがある一方、営業利益は酒類78.5億円・不動産70.7億円[85]とほぼ並んでいた。サッポロは村上隆男社長のもとで事前警告型の買収防衛策を株主総会に諮り[86]、2007年3月29日、スティールのTOB応諾と防衛策の廃止をいずれも約3分の2の反対で否決した[87]

  • 週刊東洋経済 2007年4月14日号「ニュース最前線01 食品長期戦に突入か サッポロビール争奪戦の行方」
    • [82]2007年 スティール・パートナーズがサッポロHDへ買収を提案
    • [83]1株825円・総額1,500億円超のTOBで持分を約17%から66.6%へ高める提案
    • [86]村上隆男(社長)のもとで事前警告型の買収防衛策を株主総会に諮った
    • [87]2007年3月29日の株主総会でTOB応諾と防衛策廃止をいずれも約3分の2の反対で否決
  • サッポロホールディングス 有価証券報告書(連結セグメント情報)
    • [84]2007年12月期 セグメント売上 酒類3,436億円・不動産241億円
    • [85]2007年12月期 セグメント営業利益 酒類78.5億円・不動産70.7億円

防衛はそこで終わらず、2007年10月にモルガン・スタンレーと戦略的業務・資本提携を結び[88]、恵比寿ガーデンプレイスの持分15%を500億円で売却する一方、モルガン・スタンレーがサッポロ株の5%を市場で取得した[89]。スティールは2008年3月にTOB価格を875円へ引き上げる修正提案を示した[90]がこれも退けられ、2010年12月に全株を売却して撤退した[91]。サッポロは2012年3月、提携で預けていた恵比寿ガーデンプレイスの持分15%を405億円で買い戻し[92]、同物件を再び全面保有に戻した。

  • Bloomberg(2007年10月31日)「サッポロがストップ高、不動産でモルガンSと提携-スティール刺激も」
    • [88]2007年10月 モルガン・スタンレーと戦略的業務・資本提携を締結
  • サッポロビール 有価証券報告書【沿革】
    • [89]恵比寿ガーデンプレイスの持分15%を500億円で売却、モルガン・スタンレーはサッポロ株5%を取得
    • [92]2012年3月 恵比寿ガーデンプレイス持分15%を405億円で買い戻し
  • Bloomberg(2008年3月10日)「米スティール:サッポロTOB価格875円に引き上げ-修正提案交渉」
    • [90]2008年3月 スティールがTOB価格を875円へ引き上げる修正提案
  • 東洋経済オンライン(2010年12月)「スティールがサッポロから完全撤退、本社も移転し戦線を大幅縮小」
    • [91]2010年12月 スティールがサッポロHD株を全株売却し撤退
  • 週刊東洋経済 2007年4月14日号「ニュース最前線01 食品長期戦に突入か サッポロビール争奪戦の行方」
    • [82]2007年 スティール・パートナーズがサッポロHDへ買収を提案
    • [83]1株825円・総額1,500億円超のTOBで持分を約17%から66.6%へ高める提案
    • [86]村上隆男(社長)のもとで事前警告型の買収防衛策を株主総会に諮った
    • [87]2007年3月29日の株主総会でTOB応諾と防衛策廃止をいずれも約3分の2の反対で否決
  • サッポロホールディングス 有価証券報告書(連結セグメント情報)
    • [84]2007年12月期 セグメント売上 酒類3,436億円・不動産241億円
    • [85]2007年12月期 セグメント営業利益 酒類78.5億円・不動産70.7億円
  • Bloomberg(2007年10月31日)「サッポロがストップ高、不動産でモルガンSと提携-スティール刺激も」
    • [88]2007年10月 モルガン・スタンレーと戦略的業務・資本提携を締結
  • サッポロビール 有価証券報告書【沿革】
    • [89]恵比寿ガーデンプレイスの持分15%を500億円で売却、モルガン・スタンレーはサッポロ株5%を取得
    • [92]2012年3月 恵比寿ガーデンプレイス持分15%を405億円で買い戻し
  • Bloomberg(2008年3月10日)「米スティール:サッポロTOB価格875円に引き上げ-修正提案交渉」
    • [90]2008年3月 スティールがTOB価格を875円へ引き上げる修正提案
  • 東洋経済オンライン(2010年12月)「スティールがサッポロから完全撤退、本社も移転し戦線を大幅縮小」
    • [91]2010年12月 スティールがサッポロHD株を全株売却し撤退

第三の柱を求めた食品飲料事業と、その採算

資本効率への問いが残ったまま、サッポロは2011年3月にポッカコーポレーションを買収し[93]、食品・飲料を酒類・不動産に続く第三の柱へ育てる構想に着手した。のれん残高は2010年12月期の141億円から2011年12月期には401億円[94]へ増えた。同年に社長へ就いた上條努[95]は、ビール類課税出荷量のシェアが大手4社中4位という立場[96]を出発点に置いた。買収後10年で食品・飲料事業に投じた資金は累計934億円[97]にのぼった。もっとも採算は計画どおりに運ばず、2020年12月期には自動販売機関連を中心に110億円の減損損失を計上して最終赤字に転落し[98]、のれん残高も2016年12月期には274億円へ減った。

  • サッポロビール 有価証券報告書【沿革】
    • [93]2011年3月 ポッカコーポレーションを買収
    • [97]買収後10年で食品・飲料事業へ累計934億円を投下
  • サッポロホールディングス 有価証券報告書(連結セグメント情報)
    • [94]のれん残高 2010年12月期141億円→2011年12月期401億円→2016年12月期274億円
  • サッポロホールディングス 有価証券報告書(役員の状況)
    • [95]上條努 2011年に社長就任
  • J-Net21(2012年3月)
    • [96]ビール類課税出荷量のシェアは大手4社中4位
  • サッポロホールディングス 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [98]2020年12月期 自販機関連を中心に110億円の減損損失を計上し最終赤字

三本柱を掲げるあいだに利益の偏りはむしろ際立ち、2018年12月期のセグメント営業利益は酒類38.5億円に対し不動産120.4億円と3倍以上の開き[99]がついた。2019年12月期も酒類78.7億円・不動産127.1億円[100]と逆転が続いた。2020年12月期には酒類が48.6億円の営業損失、食品飲料も169.2億円の損失を出すなかで、不動産だけが119.9億円の黒字[101]を保った。2021年12月期の不動産営業利益は292.5億円[102]に達し、同年の不動産売却益232億円[103]がこれを押し上げた。

  • サッポロホールディングス 有価証券報告書(連結セグメント情報)
    • [99]2018年12月期 セグメント営業利益 酒類38.5億円・不動産120.4億円
    • [100]2019年12月期 セグメント営業利益 酒類78.7億円・不動産127.1億円
    • [101]2020年12月期 酒類48.6億円の営業損失・食品飲料169.2億円の損失・不動産119.9億円の黒字
    • [102]2021年12月期 不動産セグメント営業利益292.5億円
  • サッポロビール 有価証券報告書
    • [103]2021年 不動産売却により売却益232億円を計上

海外でも似た経路をたどり、2022年8月には米STONE BREWINGの株式100%を約226億円で取得[104]したが、クラフトビール市場の減速で採算は悪化した。同じく傘下にあった米アンカー・ブルーイングは2023年7月11日に解散が決議され、約60億円の損失が見込まれた[105]。STONE BREWINGについても2024年12月期に約139億円ののれん減損を計上[106]した。

  • サッポロビール 有価証券報告書
    • [104]2022年8月 米STONE BREWINGの株式100%を約226億円で取得
  • Bloomberg(2023年7月12日)
    • [105]2023年7月11日 米アンカー・ブルーイングの解散を決議、損失約60億円を見込む
  • 日本経済新聞(2025年1月30日)
    • [106]STONE BREWINGののれん減損 約139億円を2024年12月期に計上
  • サッポロビール 有価証券報告書【沿革】
    • [93]2011年3月 ポッカコーポレーションを買収
    • [97]買収後10年で食品・飲料事業へ累計934億円を投下
  • サッポロホールディングス 有価証券報告書(連結セグメント情報)
    • [94]のれん残高 2010年12月期141億円→2011年12月期401億円→2016年12月期274億円
    • [99]2018年12月期 セグメント営業利益 酒類38.5億円・不動産120.4億円
    • [100]2019年12月期 セグメント営業利益 酒類78.7億円・不動産127.1億円
    • [101]2020年12月期 酒類48.6億円の営業損失・食品飲料169.2億円の損失・不動産119.9億円の黒字
    • [102]2021年12月期 不動産セグメント営業利益292.5億円
  • サッポロホールディングス 有価証券報告書(役員の状況)
    • [95]上條努 2011年に社長就任
  • J-Net21(2012年3月)
    • [96]ビール類課税出荷量のシェアは大手4社中4位
  • サッポロホールディングス 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [98]2020年12月期 自販機関連を中心に110億円の減損損失を計上し最終赤字
  • サッポロビール 有価証券報告書
    • [103]2021年 不動産売却により売却益232億円を計上
    • [104]2022年8月 米STONE BREWINGの株式100%を約226億円で取得
  • Bloomberg(2023年7月12日)
    • [105]2023年7月11日 米アンカー・ブルーイングの解散を決議、損失約60億円を見込む
  • 日本経済新聞(2025年1月30日)
    • [106]STONE BREWINGののれん減損 約139億円を2024年12月期に計上

十六年後に同じ問いを突きつけた3Dと、4,770億円の譲渡

2023年10月、サッポロホールディングスは不動産事業の在り方を含む事業戦略の見直しに向けて、社内取締役5人と社外有識者2人からなるグループ戦略検討委員会を設けた[107]。これを歓迎する声明を出したのが、2022年から株を買い増していたシンガポールの投資ファンド3Dインベストメント・パートナーズ[108]であった。同ファンドは2023年11月に保有割合を6.17%から7.25%へ引き上げた[109]と変更報告書で示し、のちに筆頭株主となった。サッポロは2024年2月14日、中長期でROE10%以上を目標に掲げ[110]、恵比寿ガーデンプレイスを含むすべての不動産を対象に外部資本の導入と保有形態の多様化を検討すると発表した。

  • 日本経済新聞(2023年10月11日)「サッポロHD、事業戦略見直しへ検討委 不動産など」
    • [107]2023年10月 グループ戦略検討委員会を設置(社内取締役5人・社外有識者2人)
    • [108]3Dインベストメント・パートナーズは2022年からサッポロHD株を買い増した
  • 株探(2023年11月8日)「サッポロHDについて、3Dインベストメント・パートナーズ・プライベート・リミティッドは保有割合が増加したと報告 [変更報告書No.2]」
    • [109]2023年11月 3Dの保有割合が6.17%から7.25%へ増加
  • 日本経済新聞(2024年2月14日)「サッポロ、ROE10%以上目標 不動産に外部資本導入発表」
    • [110]2024年2月14日 中長期でROE10%以上を目標に掲げ、全不動産を対象に外部資本導入・保有形態の多様化を検討すると発表

3Dは2024年7月の書簡で、サッポロ不動産開発を税制適格スピンオフで分離上場し、恵比寿ガーデンプレイスや新宿のライオンなどを分離会社に残して他の物件を売却すれば、時価総額を約2800億円、率にして約64%押し上げられる[111]と試算した。サッポロはこれに対し、物件を限定せずに活用案を公募する道を採り、2024年9月から外部資本の受け入れを募った[112]。2025年1月の入札では、三井不動産など国内勢がKKRなど外資の示す価格に届かず、価格で競り負けた[113]。2025年3月28日の定時株主総会では、3Dが求めたポール・ブロフ氏の取締役選任案が賛成29.38%で否決され[114]、会社提案が可決された。

  • 日本経済新聞(2024年7月9日)「3D、サッポロ株主に書簡 『不動産子会社分離上場を』」
    • [111]2024年7月 3Dが分離上場案を書簡で提示、時価総額を約2800億円(約64%)押し上げられると試算
  • 日本経済新聞(2024年9月)「サッポロHD、恵比寿ガーデンプレイスなど不動産の活用案募集 外部資本受け入れ」
    • [112]サッポロは物件を限定せず活用案を公募し2024年9月から外部資本の受け入れを募集
  • 日本経済新聞(2025年1月)「恵比寿ガーデンプレイスなどサッポロの不動産入札、国内勢は価格で外資に完敗」
    • [113]2025年1月の入札で三井不動産など国内勢がKKR等の外資の価格に及ばず競り負けた
  • 日本経済新聞(2025年3月)「サッポロHDの株主総会、3D提案は賛成比率が3割未満」
    • [114]2025年3月28日の定時株主総会でポール・ブロフの取締役選任案は賛成29.38%で否決

実行は新しい経営陣のもとで進み、2024年12月18日にサッポロは8年ぶりの社長交代を発表[115]した。2025年3月に就任した時松浩氏はビールへの集中を掲げ、事業会社の社長を兼ねている[116]。そして2025年12月24日、同社は完全子会社サッポロ不動産開発の全株式を、PAGとKKRが運用するファンドの出資するSPARK合同会社へ、企業価値ベース4,770億円で譲渡する契約を結んだ[117]。株式の取得は3年にわたる段階的なもので、初回の51%取得は2026年6月1日[118]。1994年の開業から30年あまり本業の薄利を支えてきた恵比寿の資産は、譲渡代金を酒類事業の成長投資へ振り向けるために手放される[119]

  • 日本経済新聞(2024年12月18日)「サッポロHD社長に時松浩氏、ビール集中へ事業会社と兼務」
    • [115]2024年12月18日に8年ぶりの社長交代を発表、2025年3月に時松浩が社長就任し事業会社社長を兼務
    • [116]時松浩は2025年3月就任、ビール集中へ事業会社社長を兼務
  • 日本経済新聞(2025年12月24日)「サッポロHD、不動産事業をKKR陣営に売却 恵比寿ガーデンプレイスなど4770億円」
    • [117]2025年12月24日 サッポロ不動産開発の全株式を企業価値ベース4,770億円でSPARK合同会社へ譲渡する契約
  • サッポロ不動産開発(2025年12月24日)「PAG、KKR及びサッポロホールディングス、サッポロ不動産開発の株式譲渡に関する契約締結を発表」
    • [118]株式取得は3年間で段階的に実施し初回は2026年6月1日に51%を取得
    • [119]譲渡で得た資金は酒類事業を中心とした成長へ投下する方針
  • 日本経済新聞(2023年10月11日)「サッポロHD、事業戦略見直しへ検討委 不動産など」
    • [107]2023年10月 グループ戦略検討委員会を設置(社内取締役5人・社外有識者2人)
    • [108]3Dインベストメント・パートナーズは2022年からサッポロHD株を買い増した
  • 株探(2023年11月8日)「サッポロHDについて、3Dインベストメント・パートナーズ・プライベート・リミティッドは保有割合が増加したと報告 [変更報告書No.2]」
    • [109]2023年11月 3Dの保有割合が6.17%から7.25%へ増加
  • 日本経済新聞(2024年2月14日)「サッポロ、ROE10%以上目標 不動産に外部資本導入発表」
    • [110]2024年2月14日 中長期でROE10%以上を目標に掲げ、全不動産を対象に外部資本導入・保有形態の多様化を検討すると発表
  • 日本経済新聞(2024年7月9日)「3D、サッポロ株主に書簡 『不動産子会社分離上場を』」
    • [111]2024年7月 3Dが分離上場案を書簡で提示、時価総額を約2800億円(約64%)押し上げられると試算
  • 日本経済新聞(2024年9月)「サッポロHD、恵比寿ガーデンプレイスなど不動産の活用案募集 外部資本受け入れ」
    • [112]サッポロは物件を限定せず活用案を公募し2024年9月から外部資本の受け入れを募集
  • 日本経済新聞(2025年1月)「恵比寿ガーデンプレイスなどサッポロの不動産入札、国内勢は価格で外資に完敗」
    • [113]2025年1月の入札で三井不動産など国内勢がKKR等の外資の価格に及ばず競り負けた
  • 日本経済新聞(2025年3月)「サッポロHDの株主総会、3D提案は賛成比率が3割未満」
    • [114]2025年3月28日の定時株主総会でポール・ブロフの取締役選任案は賛成29.38%で否決
  • 日本経済新聞(2024年12月18日)「サッポロHD社長に時松浩氏、ビール集中へ事業会社と兼務」
    • [115]2024年12月18日に8年ぶりの社長交代を発表、2025年3月に時松浩が社長就任し事業会社社長を兼務
    • [116]時松浩は2025年3月就任、ビール集中へ事業会社社長を兼務
  • 日本経済新聞(2025年12月24日)「サッポロHD、不動産事業をKKR陣営に売却 恵比寿ガーデンプレイスなど4770億円」
    • [117]2025年12月24日 サッポロ不動産開発の全株式を企業価値ベース4,770億円でSPARK合同会社へ譲渡する契約
  • サッポロ不動産開発(2025年12月24日)「PAG、KKR及びサッポロホールディングス、サッポロ不動産開発の株式譲渡に関する契約締結を発表」
    • [118]株式取得は3年間で段階的に実施し初回は2026年6月1日に51%を取得
    • [119]譲渡で得た資金は酒類事業を中心とした成長へ投下する方針

サッポロビールの沿革1906〜2023年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
日本麦酒・札幌麦酒・大阪麦酒の3社合同により大日本麦酒を設立★★
日本麦酒を発足★★
東京証券取引所に株式上場
ニッポンビールの販売開始(柴田社長の大誤算)★★
国際飲料を設立
サッポロビールの商標を復活
大阪工場を新設
厚木工場を新設(清涼飲料専門工場)
「ニッポンビール」を捨て「サッポロ」へ——商標復活から社名変更に至るブランド一本化分割で掲げた新商標を守るか、明治以来の銘柄へ帰るか——キリン独走下の日本麦酒はなぜ社名まで変えたのか 詳細を読む★★★
ビールの国内シェアで25%を割り込む
仙台工場を新設
ヱビスビールの商標を復活
丸勝葡萄酒を買収
河合滉二「サッポロびん生」全国発売——生ビールへの全面転換でキリン独走に挑む中身の差別化で勝てない万年3位は、どうやって首位の土俵を変えようとしたか 詳細を読む★★★
河合滉二ビールの国内シェアで20%前後に低迷
河合滉二静岡工場を新設
河合滉二SAPPORO U.S.A., INC. を設立
荒川和夫アサヒ「スーパードライ」台頭への反攻と、黒ラベル終売・サッポロドラフトへの全面切替「生」の主導権を奪われたサッポロは、なぜ長年の2位から3位へ転落したのか 詳細を読む★★★
荒川和夫恵比寿工場跡地を売らず自社で開発した恵比寿ガーデンプレイスの開業都心の一等地を売らずに持つ——低収益のビール会社は、なぜ含み資産をみずから不動産事業へ変えたのか 詳細を読む★★★
岩間辰志持ち株会社に移行。サッポロHDに商号変更★★
村上隆男焼酎事業を買収
村上隆男SLEEMAN BREWERIES LTD.を買収
村上隆男スティール・パートナーズの買収提案に対する事前警告型買収防衛策と株主意思の確認不動産の含み益を突かれたビール会社は、敵対的買収者にどう向き合ったのか——株主総会に委ねた防衛の帰結 詳細を読む★★★
村上隆男モルガン・スタンレーと戦略的業務・資本提携を締結
上條努子会社の株式を取得
上條努スティールパートナーズがサッポロHDの全株式を売却
上條努ポッカコーポレーションを買収★★
上條努恵比寿ガーデンプレイスを再取得
上條努恵比寿ファーストスクエアを竣工
尾賀真城最終赤字に転落。ポッカ設備で110億円の減損
尾賀真城不動産売却により売却益232億円を計上
尾賀真城STONE BREWING CO.,LLCを買収
尾賀真城3Dの株主提案とサッポロの不動産切り出し・ビール本業集中否決した株主提案を、なぜ経営はみずから実行したのか——恵比寿の不動産を抱えるビール会社の資本効率をめぐる攻防 詳細を読む★★★
出典・参考
  • サッポロビール 有価証券報告書【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968)
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「日本麦酒」の項
  • 証券アナリストジャーナル 1972年 第10巻第5号「サッポロビール」
  • 読売新聞 1948年1月31日
  • 日経ビジネス 1977年4月11日号「後手に回ったキリン打倒策 サッポロビール元社長、内多蔵人氏が語る敗戦記」
  • サッポロビール 有価証券報告書
  • 読売新聞 1966年7月24日
  • 日経ビジネス 1981年9月21日号「ケーススタディ サッポロビール ビールは生——新しい神話に逆転の夢」
  • 日経ビジネス 1978年7月31日号「新社長登場 河合滉二氏(サッポロビール)」
  • サッポロビール 会社年鑑(1986年版・単体業績)
  • 日経ビジネス電子版(2020年12月28日)「サッポロビール社長、黒ラベルは『10年がかりでよみがえった』」
  • 週刊東洋経済 1998年11月28日号「サッポロビール 低シェアの中、発泡酒に賭けるが…上位二社の争いにかすむ三番手」
  • PRESIDENT Online(2023年7月18日)「『苦くないビール』という市場が爆誕した…『アサヒスーパードライ』が35年以上も最強ブランドであるワケ」
  • 日経ビジネス 1997年9月1日号「ビール“夏の陣”で完敗 『アサヒ包囲網』の迷走」
  • 日経ビジネス 1992年3月23日号「サッポロビール 工場跡地は“金のなる木” 本業支え多角化のテコに」
  • 日経産業新聞 1994年6月7日
  • 日本経済新聞 1994年9月9日
  • サッポロホールディングス 有価証券報告書(連結セグメント情報)
  • 週刊東洋経済 2007年4月14日号「ニュース最前線01 食品長期戦に突入か サッポロビール争奪戦の行方」
  • Bloomberg(2007年10月31日)「サッポロがストップ高、不動産でモルガンSと提携-スティール刺激も」
  • Bloomberg(2008年3月10日)「米スティール:サッポロTOB価格875円に引き上げ-修正提案交渉」
  • 東洋経済オンライン(2010年12月)「スティールがサッポロから完全撤退、本社も移転し戦線を大幅縮小」
  • サッポロホールディングス 有価証券報告書(役員の状況)
  • J-Net21(2012年3月)
  • サッポロホールディングス 有価証券報告書(連結財務諸表)
  • Bloomberg(2023年7月12日)
  • 日本経済新聞(2025年1月30日)
  • 日本経済新聞(2023年10月11日)「サッポロHD、事業戦略見直しへ検討委 不動産など」
  • 株探(2023年11月8日)「サッポロHDについて、3Dインベストメント・パートナーズ・プライベート・リミティッドは保有割合が増加したと報告 [変更報告書No.2]」
  • 日本経済新聞(2024年2月14日)「サッポロ、ROE10%以上目標 不動産に外部資本導入発表」
  • 日本経済新聞(2024年7月9日)「3D、サッポロ株主に書簡 『不動産子会社分離上場を』」
  • 日本経済新聞(2024年9月)「サッポロHD、恵比寿ガーデンプレイスなど不動産の活用案募集 外部資本受け入れ」
  • 日本経済新聞(2025年1月)「恵比寿ガーデンプレイスなどサッポロの不動産入札、国内勢は価格で外資に完敗」
  • 日本経済新聞(2025年3月)「サッポロHDの株主総会、3D提案は賛成比率が3割未満」
  • 日本経済新聞(2024年12月18日)「サッポロHD社長に時松浩氏、ビール集中へ事業会社と兼務」
  • 日本経済新聞(2025年12月24日)「サッポロHD、不動産事業をKKR陣営に売却 恵比寿ガーデンプレイスなど4770億円」
  • サッポロ不動産開発(2025年12月24日)「PAG、KKR及びサッポロホールディングス、サッポロ不動産開発の株式譲渡に関する契約締結を発表」

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