サッポロビール の歴史

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創業 1949年
創業者 村橋久成・中川清兵衛
創業地 東京都
創業 1876年9月、明治政府の北海道開拓使が札幌に官営の麦酒醸造所を開設した。ドイツ
1876年9月、明治政府の北海道開拓使が札幌に官営の麦酒醸造所を開設した。ドイツで醸造の免許を得て帰国した中川清兵衛氏を主任技師に迎えた事業で、これが札幌麦酒の源流にあたる。1906年3月、麦酒会社どうしの競争が激しくなったのを受け、農商務大臣の清浦奎吾氏が斡旋して札幌麦酒・日本麦酒・大阪麦酒の三社が合同し、資本金560万円の大日本麦酒が発足した。初代社長には日本麦酒の馬越恭平氏が就任している。1949年、過度経済力集中排除法により日本麦酒と朝日麦酒へ分割された。日本麦酒は戦前から強かった"サッポロ""ヱビス"を使わず、全国統一の新銘柄"ニッポンビール"で再出発している。
決断 本業で劣位に置かれるたび、本業の外にある資産で埋めてきた。封印した銘柄は指名買い
本業で劣位に置かれるたび、本業の外にある資産で埋めてきた。封印した銘柄は指名買いを生まず、業界3位が定着したあとに戻される。1957年2月に"サッポロ"の商標を復活させ、市場に受け入れられたのを確かめて1964年1月に社名までサッポロビールへ改めた。1977年4月には"サッポロびん生"を全国発売し、熱処理をやめた生ビールへ全面的に切り替えた。それでも順位は動かず、1986年に移転した恵比寿工場の跡地は売らずに残す。1994年10月、約3,100億円を投じて恵比寿ガーデンプレイスを開業させ。この判断が、以後30年にわたり酒類の低収益を不動産賃貸で補う収益構造を成立させた。
現況 長く利益を支えてきた不動産は、もう連結の中にない。2025年12月期の連結売上収
長く利益を支えてきた不動産は、もう連結の中にない。2025年12月期の連結売上収益は5,068億円、営業利益244億円で、報告セグメントは酒類と食品飲料の2つだけである。酒類が売上4,002億円・セグメント利益303億円、食品飲料が1,066億円・19億円で、前期まで並んでいた不動産は外れた。2025年12月24日にサッポロ不動産開発の全株式を企業価値4,770億円で譲渡する契約を締結し、恵比寿ガーデンプレイスを含む物件は3年かけて段階的に移り、初回51%の移転は2026年6月1日にあたる。2021年12月期には不動産のセグメント利益292億円が酒類の21億円を大きく上回っていた。覆いを外した会社は、狭義のビールが酒類の81%を占める構成のまま、2030年に国内酒類の事業利益率を9%から10%以上へ引き上げる計画を置いている。
競合 順位を争う相手より先に、資本効率を問う相手が現れた。1949年の分割で発足した朝
順位を争う相手より先に、資本効率を問う相手が現れた。1949年の分割で発足した朝日麦酒が1987年3月に"スーパードライ"を発売し、生ビール市場の構図を作り替えると、サッポロは1988年12月に看板の黒ラベルを終売してまでサッポロドラフトへ全面的に切り替えている。それでも順位は戻らない。2007年3月、スティール・パートナーズが恵比寿の含み益と低い資本効率を突いて買収を提案し、会社は事前警告型の買収防衛策を株主総会に諮って退けた。16年後、2022年から保有割合を引き上げた3Dインベストメント・パートナーズが筆頭株主として同じ論点を示す。2025年3月の総会で3Dの取締役選任案は賛成29.38%で否決されたが、同じ年の12月に会社は不動産を手放した。否決した提案を経営が自ら実行したことが、恵比寿を抱えたまま資本効率を保つ道が残っていなかったことを示している。
長期業績の推移 1949〜2025年
サッポロビール:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1996年12月期2025年12月期

第1章 1906-1945 (気が向いたら執筆します!) 三社合同で生まれた大日本麦酒の寡占と、戦時統制下のビール

第2章 1946-1976 (気が向いたら執筆します!) 大日本麦酒の分割で生まれた日本麦酒の苦戦と、サッポロ・ヱビス商標の復活

第3章 1977-2002 (気が向いたら執筆します!) サッポロびん生の全国発売と大衆回帰路線、恵比寿ガーデンプレイスの開業

第4章 2003-2026 (気が向いたら執筆します!) 持株会社化とスティール・パートナーズの買収提案、ポッカ買収と株主提案

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歴史年表 1906〜2023年

サッポロビールの沿革1906〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1906〜1945年三社合同で生まれた大日本麦酒の寡占と、戦時統制下のビール日本麦酒・札幌麦酒・大阪麦酒の3社合同により大日本麦酒を設立★★
1946〜1976年大日本麦酒の分割で生まれた日本麦酒の苦戦と、サッポロ・ヱビス商標の復活柴田清日本麦酒を発足★★
柴田清東京証券取引所に株式上場
柴田清ニッポンビールの販売開始(柴田社長の大誤算)★★
柴田清国際飲料を設立
柴田清サッポロビールの商標を復活
松山茂助大阪工場を新設
松山茂助厚木工場を新設(清涼飲料専門工場)
松山茂助かつての商標「サッポロ」の復活から社名までを揃えるブランドの一本化

1949年の大日本麦酒分割で新商標"ニッポンビール"を掲げて発足した日本麦酒が、1957年2月に継承商標"サッポロ"を復活させ、1964年1月には社名もサッポロビール株式会社へ変更してブランドを一本化した経営判断。商品・社名・発祥地の名を重ねる戦略への転換であった。

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★★★
野々山広三郎ビールの国内シェアで25%を割り込む
内多蔵人仙台工場を新設
内多蔵人ヱビスビールの商標を復活
門脇吉一丸勝葡萄酒を買収
1977〜2002年サッポロびん生の全国発売と大衆回帰路線、恵比寿ガーデンプレイスの開業門脇吉一「サッポロびん生」を旗艦に据え、瓶の主力を生へ移す全面転換

シェア低落が続いていたサッポロビールが、1977年4月に熱処理をしないびん詰め生ビール"サッポロびん生"を全国発売し、広告・設備投資・販売力を"生"に集中してキリンビール独走の市場構造に挑んだ経営判断。営業の先頭で路線を引っぱった河合滉二氏が1978年2月に社長へ就任した。

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★★★
門脇吉一ビールの国内シェアで20%前後に低迷
河合滉二静岡工場を新設
河合滉二SAPPORO U.S.A., INC. を設立
荒川和夫主力の黒ラベルを終売し、サッポロドラフトへ全面的に切り替える賭け

1987年に発売されたアサヒ"スーパードライ"の大ヒットでビール市場が一変するなか、業界2位のサッポロビールが看板の黒ラベルを一度終売してまで潮流に追随し、結果として1989年にアサヒへ2位を明け渡して3位へ転落した一連の経営判断。1988年末の"大衆回帰"路線から1990年代の反攻まで、面的に続いた。

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★★★
荒川和夫工場跡地を売却せず自ら開発する道を選んだ、不動産事業への踏み出し

1994年10月、サッポロビールは移転した恵比寿工場の跡地(約8万3000平方メートル)を売却せず、みずから約3100億円を投じて再開発した複合街区"恵比寿ガーデンプレイス"を開業した。都心一等地の含み資産を一度きりの売却益に換えるのではなく、保有・賃貸して薄利のビール本業を支える安定収益源へ変える経営判断であり、以後のサッポロを不動産を抱えるビール会社という性格へ導いた。

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★★★
2003〜2026年持株会社化とスティール・パートナーズの買収提案、ポッカ買収と株主提案岩間辰志持ち株会社に移行。サッポロHDに商号変更★★
村上隆男焼酎事業を買収
村上隆男SLEEMAN BREWERIES LTD.を買収
村上隆男買付提案への大規模買付ルールの適用と、株主総会の承認による対応方針の発効

2007年2月15日、筆頭株主のスティール・パートナーズ・ジャパン・ストラテジック・ファンドから「貴社株式の友好的取得について」と題する買付提案が届いた。同ファンドは2005年12月末に15.96%、2006年12月末に17.52%を握る第1位の株主で、恵比寿ガーデンプレイスに象徴される不動産の含み益と低い資本効率を突いていた。 村上隆男社長のもとで会社が採ったのは、提案そのものを拒むことではなく、前年に取締役会決議で導入していた大規模買付ルールを適用し、必要情報の提供を求めて評価期間を置くことだった。3月29日の第83回定時株主総会では、株主の承認を条件とする新しい対応方針が可決され、旧方針は同総会の終結をもって廃止された。

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★★★
村上隆男モルガン・スタンレーと戦略的業務・資本提携を締結
村上隆男子会社の株式を取得
村上隆男スティールパートナーズがサッポロHDの全株式を売却
上條努ポッカコーポレーションを買収★★
上條努恵比寿ガーデンプレイスを再取得
上條努恵比寿ファーストスクエアを竣工
尾賀真城最終赤字に転落。ポッカ設備で110億円の減損
尾賀真城不動産売却により売却益232億円を計上
尾賀真城STONE BREWING CO.,LLCを買収
尾賀真城外部からの要求を受けた事業再編と、ビール本業への経営資源の集中

2022年からサッポロHD株を買い増したシンガポールの投資ファンド3Dインベストメント・パートナーズが、不動産に偏った利益構造と低い資本効率を突き、恵比寿ガーデンプレイスなどの不動産事業の分離とビール本業への集中を求めた。サッポロは尾賀真城社長のもとで戦略検討委員会を設置し、2024年2月に不動産への外部資本導入とROE10%以上を掲げた。2025年12月、不動産子会社をPAG・KKR陣営へ企業価値4,770億円で譲渡する契約を締結した。

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★★★
出典・参考

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