1928年に「日本揮発油」として創業した日揮は、製油所の建設を断念したことで逆に石油産業の「知恵」を売るビジネスモデルを見出し、特許収入からエンジニアリングへと事業を転換した。戦後は国内製油所建設で成長し、1968年から海外大型プラントへ軸足を移した。
1972年のアルジェリアで50億円の赤字を出しながらも海外受注をやめず、1976年には同じアルジェリアで1,450億円を受注した。1985年の円高では4期連続赤字に陥るが、当時の業界では異例だった海外調達比率50%への転換で黒字化し、競合を引き離した。この「大型ランプサム契約で攻め、損失も引き受ける」構造は2024年まで変わらず、イクシスLNG損失575億円を経て、選別受注への転換が進んでいる。
歴史概略
第1期: 特許ビジネスからエンジニアリング企業へ(1928〜1967年)
製油所を持たない石油会社
1928年10月、実吉雅郎らが東京市麹町区に「日本揮発油株式会社」を設立した。海外から重油を輸入してガソリンに精製・輸出する計画だったが、大津製油所の建設は昭和恐慌で資金が集まらず断念に追い込まれた。しかしこの失敗が、日揮の原型となるビジネスモデルを生んだ。設立翌月に締結した米UOP社との技術提携で得た石油精製特許の使用権を、日本石油など国内石油会社に販売する「知恵を売る商売」に転換したのである。自ら製油所を持たずに石油産業の収益に参加するこのモデルが、創業期の財務を支えた。
1934年、UOP社の技術支援で海軍燃料廠(四日市)に固定床接触分解装置を建設したことが、プラント設計料ビジネスの起点となった。1940年に海軍と特別契約を締結し、日米開戦後は軍用燃料基地の設計を多数受注。1943年には設計料収入が特許使用権収入を逆転した。「特許を売る会社」から「プラントを設計する会社」への転換は、戦時需要という外部要因と、UOP提携で蓄えた技術が重なって起きた構造的な変化だった。
UOP再提携と国内製油所建設の波
1938年の日米関係悪化でUOP社との提携は解消された。技術の源泉を失った状態が14年間続いたが、1952年に石油精製・石油化学に関する契約を再締結した。この再提携は戦後の石油精製需要の爆発的な拡大と重なり、横浜工務部(1952年設置)を拠点に国内製油所建設を次々と受注する基盤となった。1956年には出光興産向け大型製油所プロジェクトを獲得し、国内エンジニアリング会社としてのポジションを確立した。
1958年に旭硝子との共同出資で触媒化成工業を設立し、触媒・機能材事業を開始した。この事業は後に、プラント受注が落ち込む局面でグループ全体の利益を下支えする役割を担うことになる。1962年に東証第2部上場(1969年に第1部指定)、1975年に愛知県半田市に衣浦研究所を設置して年間30億円超の研究開発費を投入。国内製油所建設の需要が一巡し始める中、1968年にはアルジェリア・ブルネイ・シンガポールで200億円台の海外案件を受注し、成長の軸足を海外に移し始めた。
「日揮」への改名 ── ガソリン会社からの脱却
1976年、社名を「日本揮発油」から「日揮」に変更した。この時点で同社はすでにアルジェリア大型ガスプラント「モジュールI・II」を受注総額1,450億円で獲得しており、社名にある「揮発油(ガソリン)」は実態と大きくかけ離れていた。改名は事業実態の追認であると同時に、海外の発注者に対して「総合エンジニアリング企業」としてのブランドを示す意図があった。専任のアルジェリア事業本部を新設し、数十名の海外プロジェクト経験者を投入した体制は、当時の日本企業としては異例の規模だった。
並行して放射性廃棄物処理にも参入し、1984年に茨城県大洗町に原子力技術開発センターを設置。篠田治男社長は「国内で日揮だけ、米国のベクテルもやったことがない分野」(日経ビジネス 1982/8/23)と語っている。石油精製以外の技術領域を持つことで、プロジェクト提案の幅を広げた。1977年3月期には海外売上比率が74%に達しており、名実ともに海外プラント企業への転換はこの時期に完了した。
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第2期: 海外大型受注と調達構造の転換(1968〜2000年)
赤字50億円でも海外をやめなかった理由
1968年頃から日揮は海外大型プロジェクトの積極受注に転じた。国内製油所建設が一巡し、成長余地が海外にしかなかったためである。しかし転換の初期に手痛い代償を払った。1972年頃、約250億円で受注したアルジェリア製油所建設が、洪水・現地賃金の高騰・ランプサム契約の制約が重なって約50億円の赤字を計上。減配・賞与カットに追い込まれた。篠田治男社長は「焼けた火箸を握ってもいいが、焼けた柱には抱き付くな」(日経ビジネス 1982/8/23)と語り、案件規模に対するリスクの見極めを経営哲学として打ち出した。
それでも日揮は海外受注をやめなかった。むしろ1976年には同じアルジェリアで大型ガスプラント「モジュールI・II」を1,450億円で受注し、1981年にクウェート製油所近代化工事(10億ドル規模)を特命受注、1982年にはオーストラリア天然ガス液化工場(約5,000億円規模)を米ケロッグ・豪レイモンドとのコンソーシアムで獲得した。50億円の赤字を出した国で、その4年後に1,450億円を受注する ── この判断の背景には、アルジェリアでの失敗を通じて現地の施工条件や契約リスクを学んだという経験の蓄積があった。
海外調達50% ── 円高を逆手に取った構造転換
1985年のプラザ合意後、ドル建て受注を主軸とする日揮は急激な円高に直撃され、1986年3月期から4期連続の営業赤字に転落した。原因は明確で、資材調達が国内に偏重しており、円高環境では海外プロジェクトの建設費が膨張する構造にあった。社内には「赤字受注も仕方ない」「赤字案件は赤字完工で当然」という空気が広がっていた(日経ビジネス 1993/7/19)。1988年6月に国際事業本部長出身の渡辺英二が社長に就任し、この「赤字肯定」体質の改革に着手した。
渡辺が打ち出したのは、海外調達比率を10〜20%から50%へ引き上げるという当時の業界では異例の方針だった。現地サプライヤーの破産や品質問題が相次ぐ中、法的対応・技術者派遣・調達先データベースの構築を並行して進めた。1989年度に海外調達額は340億円に拡大し、受注高は前年比2.8倍の6,010億円に達した。1991年に5期ぶりの営業黒字に転換。この構造転換が、1990年代以降の競合他社との収益格差を生むことになる。
「海外調達のうまさ」が開いた競合との差
海外調達体制の効果は数字に表れた。1993年3月期に売上高が初の4,000億円台(経常利益174億円)に到達。同時期に千代田化工建設・東洋エンジニアリングが経常利益を大幅に減少させる中での結果であり、業界関係者は「日揮の強さは海外調達のうまさにある。ノウハウは大手商社をしのぐ」(日経ビジネス 1993/7/19)と評した。1990年にオランダに欧州統括子会社を設立してドルチェ・エンジニアリングを買収、シンガポール法人・英ケロッグへの資本参加と、調達・施工の現地化をさらに進めた。
1996年6月に重久吉弘が社長に就任し、1997年に横浜みなとみらいへ本社機能を移転してプロジェクト遂行機能を集約した。しかし1998年、アジア通貨危機で受注が急減し2期連続最終赤字に転落した。海外調達によるコスト競争力は維持されたものの、受注先がアジア・中東に集中する構造が、地域経済の変動に対する業績の振れ幅を拡大させていた。海外調達で「作るコスト」は下げられても、「どこから受注するか」のリスク分散は別の課題として残った。
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第3期: 利益率12%から巨額赤字へ ── 大型契約のリスク構造(2001〜2019年)
10年で売上倍増、営業利益率12%の時代
2000年代は資源価格の上昇を追い風に、中東・東南アジアでLNG・石油精製プラント案件が増加した。2003年3月期の連結売上高3,780億円は、2014年3月期に6,758億円へ拡大。2012年3月期には営業利益670億円・営業利益率12.0%に達した。1990年代に構築した海外調達体制がプロジェクト原価を抑え、大型案件の増加と合わさって高い利益率を実現した。ただしこの好業績は資源価格の上昇局面に支えられたものであり、価格が反転すれば大型ランプサム契約のリスクが再び顕在化する構造は変わっていなかった。
触媒・機能材分野では、2004年に旭硝子との合弁だった触媒化成工業を100%子会社化し、経営権を掌握。2008年に日揮化学と合併させて「日揮触媒化成」を発足させた。機能材製造セグメントは半導体製造装置向け高機能材料などでFY18時点のセグメント利益74億円を確保し、総合エンジニアリング事業の受注が資源価格に左右される中で、グループ利益を安定させる二本目の柱となった。
アルジェリア人質事件 ── 海外展開のリスクの顕在化
2013年1月、アルジェリア・イナメナスの天然ガス処理施設でイスラム過激派武装勢力によるテロが発生し、日揮グループ従業員10名を含む多数が犠牲となった。日揮にとってアルジェリアは1970年代の大型受注以来、数十年にわたり関与してきた地域である。事件後、海外プロジェクトの安全評価プロセスを再構築し、海外案件の受注判断に治安リスク評価を正式に組み込んだ。財務への直接的な影響は限定的だったが、案件選別の基準そのものが変わった。
2014年以降の原油・ガス価格急落は、大型EPC案件の採算を直撃した。資源価格の下落局面では発注延期・設計変更が頻発し、ランプサム型契約では追加コストを受注者が負担する。2017年3月期(FY16)に売上高6,932億円に対して営業損益▲215億円、総合エンジニアリングセグメントは▲294億円の損失を計上した。営業利益率12%を記録してからわずか5年後の大幅赤字であり、大型ランプサム契約がもたらす利益とリスクの振れ幅の大きさを示した。
持株会社移行 ── 「攻め」と「守り」の分離
2017年3月期の赤字を受け、2019年10月に持株会社体制に移行し、商号を「日揮ホールディングス」に変更した。海外EPC事業を日揮グローバルに、国内EPC事業を日揮にそれぞれ承継し、経営機能と事業機能を分離した。海外・国内・機能材の3事業はリスク特性が大きく異なる。海外大型EPC案件の受注変動から国内事業・機能材事業を切り離し、事業会社ごとに損益とリスクを独立管理することで、グループ全体の意思決定を迅速化する狙いがあった。
持株会社移行と同年度(2020年3月期)の連結売上高は4,808億円、営業利益202億円。同時に長期経営ビジョンとしてSAF製造プラントなどサステナブル分野への参入を掲げ、従来のオイル&ガス依存からの事業領域拡大も打ち出した。しかし組織改革の効果が業績に現れる前に、2022年3月期のイクシスLNG案件で575億円の特別損失を計上し、持株会社体制で目指したリスク管理の実効性が早速試されることになった。
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直近の動向と展望
繰り返される大型契約の代償
2022年3月期、オーストラリアのイクシスLNGプロジェクトでINPEXとの増額費用をめぐる訴訟が決着し、575億円の特別損失を計上。当期純損失は▲356億円となった。続く2024年3月期にはサウジアラビアの原油・ガス分離設備プロジェクト等で工事損失引当金の追加計上が相次いだ。サウジアラビアではローカリゼーション施策により顧客指定ベンダーへの発注が集中し、機器の納期遅延が建設コストを押し上げた。売上高8,326億円に対して営業損益は▲190億円、2025年3月期も▲115億円の赤字が続いた。1972年のアルジェリアから半世紀、大型ランプサム契約に起因する損失は形を変えて繰り返されている。
2026年2月時点の決算説明会によれば、工事損失引当金を計上したプロジェクト群の売上高は連結の約20%を占め、粗利益率ゼロで計上している。これらを除いた粗利益率は9〜10%で、損失案件の完工が進めば連結利益率は回復に向かう構造にある。
選別受注への転換 ── 量から質へ
FY23の損失計上を受けて、日揮グローバルは受注の考え方そのものを変えた。人材リソースの可視化を行い、リソースを確実に配置できる案件だけに受注対象を絞った。複数のチェック項目とプロジェクト経験者を含む精査プロセスを導入し、「受注目標をクリアするためだけに受注判断はしていない」(2025年5月決算説明会)と明言している。サウジアラビアの機器納入遅延や米国の建設コスト高騰など地域別リスクも受注判断に反映し、建設パートナーが確保できない案件は見送る方針を取った。
中期経営計画「BSP2025」は営業利益600億円を目標としていたが、損失案件の長期化で未達の見通しである。新中期経営計画を策定中で、受注期待案件にはインドネシア陸上LNG、モザンビークFLNG、SAF製造プラントなどがある。FY25は損失案件の完工が進む端境期と位置づけられ、売上高は減少するが採算改善が見込まれている。「量で攻める」から「質で守る」への転換が、日揮の歴史の中で初めて経営方針として明示された局面である。
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