三菱化学と三菱ウェルファーマの共同株式移転・三菱ケミカルホールディングス設立

2005年成立

石化の市況変動に揺れる総合化学は、なぜ化学と医薬を持株会社で束ね、KAITEKI経営へと向かったのか?

経営統合 共同株式移転
帰結 成立
概要
2005年10月3日、三菱化学と三菱ウェルファーマが共同株式移転で三菱ケミカルホールディングス(証券コード4188)を設立し、東証・大証に上場した。化学と医薬という性格の異なる2事業を持株会社の下に束ねる、国内首位の総合化学グループが発足した。
背景
石化・機能材料を主軸とする三菱化学は市況変動に収益が左右されやすく、研究開発型の医薬(ライフサイエンス)を第二の柱に育てる必要があった。三菱化学は2003年末に医薬子会社の三菱ウェルファーマをTOBで連結子会社化し、両事業の統合へ向かった。
内容
共同株式移転で持株会社を新設し、三菱化学と三菱ウェルファーマを傘下に置いた。発足時の連結売上高は2兆1894億円。初代社長は冨澤龍一氏が務め、2007年4月に理学博士出身の小林喜光氏が社長に就任、快適・健康・環境を軸とするKAITEKI経営を長期指針に掲げた。
含意
持株会社の下に自律した事業会社を並べる設計は、機動的なグループ経営を可能にする一方でグループの統合度を低く保つ要因ともなった。田辺三菱製薬・三菱樹脂の取り込みを経て、2017年のワンカンパニー化(三菱ケミカル発足)へ連なる総合化学再編の出発点となった。
筆者の見解

総合化学の持株会社化という選択

三菱ケミカルホールディングスの設立は、市況に揺れる総合化学が、性格の異なる医薬を同じ資本の下に抱えることで収益の振れをやわらげようとした選択とみることができる。石化・機能材料と研究開発型の医薬では、投資回収の時間軸も収益の性格も異なる。両者を一つの事業会社に混ぜるのではなく、持株会社の下に自律した事業会社として並べる設計は、それぞれの事業運営を尊重しながらグループ全体の戦略と資本配分を一元化する狙いをもっていた。化学メーカーが医薬を第二の柱に据える構想を、持株会社という器で実現した事例といえる。

一方で、事業会社の自律性を保つ持株会社の設計は、グループの統合度を低く保つ要因ともなった。医薬・機能商品・産業ガスを順次取り込みながらも事業システムの一体化は先送りされ、2017年のワンカンパニー化を経てもなお業務基盤の統合は課題として残った。快適・健康・環境という化学の社会的意義をグループの旗印に据えるKAITEKI経営は、多角化した事業を束ねる理念を与える試みであった。性格の異なる事業をどの器と理念でまとめるのかという問いは、2005年の持株会社設立に端を発し、その後の三菱ケミカルグループの経営が長く向き合う課題であった。

Yutaka Sugiura

統合の背景

市況に揺れる総合化学と、育てきれない医薬事業

2000年代前半の三菱化学は、石油化学と機能材料を主軸とする国内首位の総合化学メーカーであった。1994年に三菱化成と三菱油化が合併して生まれた同社は、エチレンなどの基礎化学品から炭素繊維・光ディスクといった機能商品まで幅広い事業を抱えていた[1]。ただし基礎化学品は原油価格や市況の振れに収益を左右されやすく[2]、安定して成長する収益基盤を別に持つことが経営課題であった。研究開発型で利益率の高い医薬(ライフサイエンス)を第二の柱に育てることが、市況依存の体質をやわらげる方向として意識されていた。

三菱化学の医薬事業を担っていたのが三菱ウェルファーマであった。同社は2001年10月、ウェルファイド(吉富製薬とミドリ十字の系譜)と三菱東京製薬が合併して発足した医薬会社である[3]。当時の医薬品業界では、新薬の研究開発費が年間1000億円規模でなければメジャープレーヤーとして生き残れないという認識が広がっていた[4]。三菱ウェルファーマの小堀暉男社長も、売上高一兆円規模が生き残りに必須と考え、アライアンスに積極的であった[5]。研究開発の重い負担を単独で支えることは難しく、資本と規模の裏付けをどこに求めるかが、医薬事業の課題であった。

統合の発端

三菱ウェルファーマの子会社化——「将来のアライアンスに向けた備え」

両事業を結ぶ最初の動きが、三菱化学による三菱ウェルファーマの子会社化であった。筆頭株主であった三菱化学は2003年末、株式公開買い付け(TOB)により三菱ウェルファーマを連結子会社とした[6]。当時三菱化学社長を務めていた冨澤龍一氏は、この子会社化について「将来のアライアンスに向けた備えだ」と説明している[7]。三菱化学の幹部も、同社が主導権を取れる形でアライアンス先を探していると語っていた[8]。医薬を含むヘルスケア分野で競争力を保つための布石であり、化学と医薬を同一の資本の下に置く構想がここで固まっていった。

子会社化から2年足らずで、三菱化学と三菱ウェルファーマは共同株式移転による経営統合へ進んだ。両社は持株会社を新設し、その傘下に化学と医薬の事業会社をそのまま並べる設計を選んだ[9]。事業運営は各社の自律に委ねつつ、資本と長期戦略を持株会社に一元化する構えである。後に小林喜光社長は、もともと持株会社を作ったのは医薬部門のアライアンスを進めるためであったと振り返っている[10]。石化の市況変動に耐える収益基盤を築き、化学と医薬を両輪とするグループ経営へ移る意図が、この持株会社構想に込められていた。

統合の経過

三菱ケミカルホールディングスの発足——器と中身の設計

2005年10月3日、三菱化学と三菱ウェルファーマは共同株式移転により三菱ケミカルホールディングスを設立し、東京証券取引所・大阪証券取引所に上場した[11]。発足時の連結売上高は2兆1894億円で、国内首位の総合化学グループが生まれた[12]。持株会社の下に性格の異なる化学と医薬を並べる構造は、当時の日本の総合化学では珍しい選択であった。シクリカル性の強い基礎化学品と研究開発型の医薬を同じ資本の下に束ねつつ、事業運営は分けたまま残す設計が、発足当初から組織の器とリスク分散の考え方を決めていた。初代社長は冨澤龍一氏が務めた[13]

小林喜光の社長就任とKAITEKI経営の原型

2007年4月、理学博士出身の小林喜光氏が2代目社長に就任した[14]。DVDを世界首位に育てた三菱化学メディア社長などを経ての登板であり、文系出身の前社長が「私は収益基盤づくりは得意だが、成長路線を描くのは苦手だ」と述べて後継に指名したとされる[15]。小林社長は就任早々「会社の2025年の姿を議論せよ」と指示し、同年5月末の事業説明会で企業活動を快適・健康・環境の三つに収斂させる方針を示した[16]。この快適(Comfort)・健康(Health)・環境という考え方が、後にKAITEKI経営として長期の経営指針にまとめられていく。

統合の帰結

3ドメイン体制の構築とワンカンパニー化への道

持株会社の発足後、グループは事業の取り込みを重ねた。2007年10月、三菱ウェルファーマは田辺製薬と合併して田辺三菱製薬となり、医薬事業は国内大手規模に拡大した[17]。同月、三菱化学が保有していた三菱樹脂株を株式交換で取り込み、三菱樹脂を完全子会社化している[18]。基礎化学品を担う三菱化学、機能商品を束ねる三菱樹脂、医薬の田辺三菱製薬という3つの事業ドメインを持株会社がまとめる体制が整った。化学と医薬の両輪という発足時の構想は、樹脂と医薬の相次ぐ取り込みによって具体的な事業の形を得た。

その後もグループは拡大を続けた。2010年に炭素繊維・MMAに強い三菱レイヨンを、2014年には産業ガス国内最大手の大陽日酸を取り込み、化学・医薬・産業ガスを収益の柱とする構造へと広がった[19]。そして2017年4月、三菱化学・三菱樹脂・三菱レイヨンの3社が合併して事業会社「三菱ケミカル」が発足し、持株会社の発足から12年を経た中核事業会社のワンカンパニー化が実現する[20]。2005年の持株会社設立は、こうした一連の再編を束ねる器を先に用意した出発点であった。

出典・参考
  • 三菱ケミカルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
  • 日経ビジネス 2004年1月26日号「『1000億円新薬』の開発再開 三菱化学、ウェルファーマ提携戦略の呼び水に」
  • 週刊東洋経済 2007年7月7日号「TOP INTERVIEW 小林喜光 三菱ケミカルホールディングス社長 オレたちの存在意義は何か。その確認作業が必要な時です」
  • 週刊東洋経済 2002年11月9日号「トップの履歴書 三菱ウェルファーマ社長 小堀暉男 極限を生き抜く精神力で医薬品業界に挑む」
  • 三菱ケミカルグループ 有価証券報告書(発足時連結業績)