1998年に藤田晋氏が新卒入社して勤務していた人材会社インテリジェンスを退職。同年3月18日東京都港区にてサイバーエージェントを株式会社として設立した。藤田晋氏は、インターネット業界において「営業ができる会社」が少ないことを着目し、技術力のある会社が提供する商品の営業を引き受ける「営業代行」のビジネスを開始した。
まずは、インタリジェンス時代に「採用のネット媒体の営業」で成果を出していたことを実績として掲げて、まずは決済代行であるWebmoneyの営業代行の契約を締結した。
起業当初はwebmoneyの営業代行が主体であったが、顧客周りをする中で「クリック保証型広告」を展開していたバリュークリックジャパンと出会い、同社の営業代行を引き受けた。当時のネット広告はPV数(PV保証型広告)や掲載期間(期間保証型広告)が一般的であり、クリックを保証する広告は珍しく営業先での評判も良かった。
加えて、1998年当時はインターネットが日本国内で急速に普及しつつあり、インターネットの広告市場も拡大することが予想されていた。
そこで、サイバーエージェントはバリュークリックのビジネスを模倣して、クリック保証型広告のシステムを開発することを決めた。サイバーエージェントは祖業の「営業代行」から「広告営業」に事業転換を行い、インターネット広告の営業を主力事業に据えた。
このため、バリュークリックジャパンからすれば、取引先であるサイバーエージェントが突如として「ビジネスを模倣」したことで、顧客から謀反されたことを意味した。以後、サイバーエージェントとバリュークリックは「クリック保証型広告」の市場において、競合関係になった。
米国企業「バリュークリック」のクリック保証型バーナー広告システムの販売代理店の話が舞い込み、1999年7月に請け負った。このシステムはバーナーをクリックした回数に応じて広告料を課金していくもので、マーケットでの反響が大きかった。そこで「このビジネスを自分たちのものにしてしまおう」ということになり、藤田がインテリジェンス時代に関係があったオン・ザ・エッジというシステム開発のベンチャー企業にシステムを構築してもらい、自社商品として「サイバークリック」を販売開始した。こうしてサイバーエージェントは営業代行から広告会社へ転換を図った。
システム開発については、サイバーエージェントで学生として働いていたH氏(東京工業大学・出身)が「開発できる」と言って引き受けたものの、実際に完成することはなかった。このため、サイバーエージェントは早々にクリック保証型広告の内製化を諦め、前途多難な船出となった。
そこで、1998年にサイバーエージェントはインターネット広告(クリック保証型広告)に参入することを決め、商品名「サイバークリック」の展開を決定した。
クリック保証広告を支えるシステムについては、複雑なエンジニアリングが要求されることが判明したため、受託会社に委託することを決めた。藤田晋氏はシステム開発のために、インテリジェンス時代に取引があった受託会社「オン・ザ・エッヂ(のちのライブドア)」の社長であった堀江貴文氏(通称ホリエモン)に出会い、クリック保証型広告のシステム構築を全て任せることに決めた。この当時、堀江貴文氏は無名の人物であったが、企業ホームページを制作する事業が軌道に乗っており、界隈では知られた存在だったという。
オン・ザ・エッヂはサイバーエージェントに対して見積もりを提示し、2つの案を提示した。1つは完成品の納入によって代金を請求する案、もう一つはクリック保証型広告の売上高からロイヤリティー10%を徴収する案であった。サイバーエージェントの藤田社長は、ロイヤリティーを支払う案で契約を締結した。
1998年9月1日にサイバーエージェントは、オン・ザ・エッヂに対してシステム開発と運用を委託する代わりに、クリック保証型広告の収益に応じてロイヤリティ(広告売上高の10%)を支払う契約を正式締結した。契約期間は1998年10月から2003年8月までの約5年とした。1999年度におけるオン・ザ・エッヂへの支払額は7800万円に及んだ。
サイバーエージェントはオン・ザ・エッヂに対して、クリック保証型広告のシステムに関して独占的な利用権を取得し、オン・ザ・エッヂが競合他社にシステムを供与することを防いだ。オン・ザ・エッヂとしても単発受注の開発よりは、サイバーエージェントと継続取引を行うことで資金繰りが安定するため、両社にとってメリットのある提携であったことが推察される。
当時はインターネットバブルの渦中にあったが、技術ドリブンでサービスを展開する企業は限られており、サイバーエージェントはクリック保証型広告をオン・ザ・エッヂと独占契約を締結することで業容を拡大する布陣を整えた。
| 契約名 | 契約開始日 | 契約終了日 |
| サイバークリック業務システムに関する契約 | 1998/9/1 | 2003/8/31 |
| クリックインカムに関する業務提携契約 | 1999/1/21 | 2004/1/20 |
広告システム稼働の数ヶ月前から、サイバーエージェントはクリック保証型広告の営業を本格化した。1998年9月のシステム稼働後は「クリック保証型広告」に注力する方針を鮮明にした。
サイバーエージェントがクリック保証型広告において、広告を出稿する顧客に対して設定した手数料は、2000回のクリックの保証に対して14〜18万円(1クリックあたりの定価70〜90円)であった。この根拠は、それまで主流だった郵便はがきを活用したダイレクトメールにおける反応率が10%であったため、2万通のDM送付に相当する費用が100万円(50円 * 2万通)であるのに対して、クリック保証型広告は18万円でも十分効果が得られると判断し、値付けを行った。
また、ヤフーのような大規模サイトに1週間広告を掲載した場合の費用感は100万円以上であり、サイバーエージェントは資金力が十分ではないベンチャー企業(中小企業)をターゲットに「費用を抑えて効果のある広告」としてクリック保証型広告に注力した。ターゲット顧客は中小企業で、設立間もないベンチャー企業に狙いを定めた。
広告出稿の顧客開拓と同時に、サイバーエージェントは広告を掲載する「広告枠(広告主)」の開拓も同時並行で注力。2000年1月までに4,728件の媒体を広告枠として確保した。この結果、サイバーエージェントは「広告を出稿したい人」と「広告を誘致したい人」を、サイバークリックというシステムを介して仲介する広告代理店事業の体制を確立した。
| 商品名 | 発売年 | 掲載媒体数 | クリック単価 |
| サイバークリック | 1998年10月 | 4728件(web) | 70円〜90円 |
| クリックインカム | 1999年1月 | 2536件(メール) | 110円〜140円 |
サイバーエージェントの主力商品はクリック保証型の広告です。実際にバナーやテキストがクリックされた回数で課金するもので、1万クリック保証なら、1万回クリックされるまで、つまり1万人の人がその企業のサイトを訪れるまで広告を掲載します。(略)
これからは成果報酬型の広告に力を入れていこうと考えています。ただ、成果報酬型の広告は、広告代理店にとっては難しいビジネスモデルです。バナーをクリックして企業のサイトに飛んだからといって、その場で商品を購入するとは限りません。購入を決めても、インターネットでの買い物に不安があって、現実の店頭で買う人もいます。効果を確認しにくいのです。
それでも、広告の費用と効果が比例すると言うのは、広告主にとっては理想的な課金の仕組みです。インターネットで物を買うことへの抵抗も薄れてきますし、ぜひともビジネスとして確立させるつもりです。
2000年3月にサイバーエージェントは東証マザーズへの株式上場を実現。上場時の有償一般募集において624億円の株式評価額を基準に、207億円の資金調達を実現した。有利子負債はほぼ0円であり、ネットキャッシュとして約200億円を保有することで、強い財務体質を確立した。
上場前の資金調達の最終ラウンド(1999年9月)における評価額は1.5億円であり、評価額が半年で膨れ上がるなど、ネットバブルを象徴する値付けとなった。この結果、設立2年目のサイバーエージェントは、株式上場によって200億円以上を調達したことで注目を集めた。
サイバーエージェントの藤田晋氏は当時史上最年少の株式上場を果たし、ネットバブルの寵児として脚光を浴びた。
2000年3月の株式上場にあたって、サイバーエージェントの事業は赤字が続いていた。すなわち、株式の評価についてはPSRに基づいて行われてたと推定される。
なお、サイバーエージェントが黒字転換を果たすのは、2004年度以降であり、それまでは赤字が続いた。このため、ネットバブルの崩壊によってPSRが株式指標として機能しなくなると、サイバーエージェントは株式市場の評価額と、保有する現預金のギャップに悩まされる形となった。
| 日時 | 調達額 | 推定評価額 | 備考 |
| 1999/3/18 | 0.10億円 | 0.10億円 | 会社設立 |
| 1999/3/11 | 0.20億円 | 0.30億円 | 第三者割当増資 |
| 1999/6/29 | 0.20億円 | 0.32億円 | 第三者割当増資 |
| 1999/9/22 | 0.53億円 | 1.34億円 | 第三者割当増資 |
| 1999/9/30 | 0.17億円 | 1.51億円 | 第三者割当増資 |
| 2000/3/24 | 207億円 | 624億円 | 一般募集(上場) |
2000年3月の株式上場によって207億円を調達したことで、サイバーエージェントは本社を「渋谷マークシティ」に移転した。当時、マークシティは竣工したばかりの新設ビルであり、渋谷のネットベンチャーにおける華々しい上場を象徴するオフィス移転となった。家賃は、年間1.8億円であった。
しかし、サイバーエージェントは207億円の資金について、資金用途が明確ではないという問題が発生した。その後、2000年の年末にかけてネットバブルが崩壊すると、サイバーエージェントの時価総額は1/10以下の約100億円前後に低迷。現金207億円に対して時価総額100億円前後という値付けとなり、ファンドによる企業買収の可能性が浮上した。この結果、2001年に村上ファンドからの現金還元の要求を受けることとなった。
サイバーエージェントは207億円の確保によって、当面の間の財務的な安全性を確保した。これは同社の経営において積極投資を行うための原資となり、2000年代を通じてアメーバ事業(メディア事業)への投資といった新規事業における元手となった。
この意味で、ネットバブルの絶頂期に株式上場を果たしたことで、長期的に経営の安定性と積極性を手にする形となった。
2000年にサイバーエージェントは株式上場を果たすが、創業者である藤田晋氏の保有比率は有価証券報告書においては「22.6%(ただし大量保有報告書によれば34%であるため、実質保有比率は34.2%と推定)」であり、50%を下回る水準であることが明らかになった。すなわち、藤田晋氏は特別議決における否決権(33.4%以上)および普通議決を単独で可決(50%)できない立場であった。
この理由は、サイバーエージェントの会社設立時に、藤田晋氏が勤務していたインテリジェンスから出資を受けており、結果として法人の持ち分が多かったことによる。このため、藤田晋氏はサイバーエージェントの創業者である一方、株主としては議決権を過半数持たない状態であった。
サイバーエージェントの株式上場に伴い、2001年に大株主であったインテリジェンスは保有株式(15.9%)の売却を実施した。
売却先は、GMOと推定され、2002年度末時点でGMOがサイバーエージェントの株式21.40%を保有した。GMOとしてはメール配信事業を強化するために、サイバーエージェントとの業務関係の深化を目論んだ株式取得であった。
この結果、2002年度末の時点で、藤田社長の持ち分に匹敵する株式をGMOが保有する形となった。当時のGMOの決算短信には「連結子会社および関係会社」の一覧においてサイバーエージェントが記載されており、サイバーエージェントは資本関係の上でGMOの関係会社となった。
| 名称 | 保有割合 | 備考 |
| 藤田晋 | 22.6%(推定実質34%) | CA創業者 |
| インテリジェンス | 15.90% | 会社設立時にCAへ出資 |
| USEN | 13.25% | 会社設立時にCAへ出資 |
| 宇野康秀 | 4.41% | USEN代表取締役 |
| 光通信 | - | 4.41% |
2000年にサイバーエージェントは株式上場を行い、約200億円の現金(有利子負債を控除したネットキャッシュ)を確保した。一方、株式上場直後にネットバブルが崩壊したことで時価総額が低迷。約100億円前後の時価総額に対して、現金の保有が200億円の状態が続き、結果として株主の視点では「会社を解散すると収益を確保できる」状態となった。
当時、サイバーエージェント(藤田晋氏)は公表された経営計画において、現金の用途についての説明はなく、現金の用途をめぐって「経営陣と株主」の間で問題が発生する布石となった。
2001年に投資事業有限責任組合M&Aコンサルティング(代表取締役・村上世彰)は、投資一任契約先であるMAC INTERNATIONAL, LTDを通じてサイバージェントの株式を9.20%取得した。取得途上の2001年7月時点で8.11%を保有し、取得の合計額は9.3億円であった。すなわち、サイバーエージェントの株価がネットバブル崩壊によって下落し、時価総額100億円前後のタイミングで取得する形となった。
当時のサイバーエージェントは株式上場によって現金207億円を調達した一方で、時価総額100億円前後に下落したため、時価総額に対して保有する現金が上回る状態であった。この状況に対して、M&Aコンサルティングは、サイバーエージェントの保有する現金の用途がないことを理由に、現金の株主還元を求めて藤田社長に対して面談した。
藤田晋社長は、村上ファンドからの現金還元の要求を退けた。これによって、経営陣と株主の対立構造が鮮明となった。
ただし、藤田晋氏の問題は、保有株式という点にあった。村上ファンドが約10%およびGMOが約20%の株式を保有する状況に対して、藤田晋氏の保有は22%であり、結果として村上ファンドが保有株式をGMOに売却すると、サイバーエージェントの筆頭株主はGMOになり、加えて30%超の株式保有によって「拒否権」を発動できる状況になることを意味した。すなわち、村上ファンドの狙いは、GMOへの株式売却を伺いつつ、現金の還元を要求するという、二段構えの戦法を取った。
この結果、株式保有の動向によっては、サイバーエージェントがGMOのグループ企業になる可能性もあった。すなわち、藤田晋氏の社長遷任においてGMOが1/3の保有株式を裏付けとして「拒否権」を発動することで、社長を解任する可能性が浮上した。
| 名称 | 保有割合 | 備考 |
| 藤田晋 | 22.70%(推定実質32%) | CA創業者 |
| GMO | 21.40 | インテリジェンスから取得? |
| USEN | 13.30% | 会社設立時にCAへ出資 |
| MAC(村上ファンド) | - | 8.70% |
| 宇野康秀 | 4.41% | USEN代表取締役 |
2001年の株価が安い時に、モノ言う株主として席巻した投資家の方に「今持っている現金で自社株を購入して、株主に戻せ」と言われました。上場当時の株主の方に「戻せ」って言われたのなら気持ちも分かりますが、時価総額100億円を割って、突然、株主になった人に言われても「何であなたに?」って思ってしまいます。その時、目の前のことだけで判断すれば、確かに言っていることは正しいかもしれないけれど、僕ら経営者は中長期の時間軸で考えているわけですから。
サイバーエージェントの藤田晋氏の立場を救ったのが、楽天の三木谷社長であった。楽天は、GMOからサイバーエージェントの株式を取得し、さらに藤田晋氏の経営を支持することによって、サイバーエージェントの経営上の独立を確保することを約束した。この結果、藤田晋氏は株主による社長解任の可能性を払拭する形となった。
この動きを具現化するために、2001年12月に楽天とサイバーエージェントは業務資本提携を締結した。公表内容は、表向きにはEC分野における業務提携だが、実質的には買収防衛の側面があった。
GMOによる楽天への株式売却によって、村上ファンドはサイバーエージェントを投資先から外すことを決定。株式売却を実行し、2002年までに保有株式を完全売却した。
また、GMOもサイバーエージェントの株式売却を実施。楽天とサイバーエージェントの業務提が発表された翌日に、株式8.6%を売却した。売却先は非公表だが、タイミング的には楽天である。なお、GMOは売却後も継続保有していたサイバーエージェントの株式9.0%についても、2003年9月末までに完全売却した。これにより、GMOとサイバーエージェントにおける資本関係は解消された。
2004年9月末までに、USENは保有するサイバーエージェントの株式を売却した。これにより、サイバーエージェントの会社設立時に出資した2法人(インテリジェンスおよびUSEN)は株主ではなくなった。
| 時点 | 藤田晋 | GMO | 楽天 | MAC(村上) | インテリジェンス | USEN |
| FY2000 | 22.66%(34%) | - | - | - | 15.90% | 13.25% |
| FY2001 | 22.70%(32%) | 21.40% | - | 8.70% | - | 13.30% |
| FY2002 | 31.20% | 9.00% | 8.60% | - | - | 10.90% |
| FY2003 | 28.90% | 9.00% | 8.60% | - | - | 10.90% |
| FY2004 | 30.70% | - | 9.30% | - | - | - |
買い占めてないよ(笑)。あれは、藤田さんが資金調達したのに何に使うかはっきりしないから論理的に説明を求めただけ
サイバーエージェントは会社設立以来、中途採用した即戦力の人員を中心に事業を運営していた。ところが、ネットバブルが崩壊するとネット企業に対する風当たりが強くなり、離職率が増加するようになってしまう。
加えて、中途採用した人員における融和の問題が発生した。サイバーエージェントでは人員の拡大に合わせて、組織の管理を強めるために大企業出身の管理職(30代)を採用。ところが、従来からサイバーエージェントに勤める20代の社員と対立するようになり、組織の指揮系統が機能不全に陥ったという。
この状態を打開するために、藤田晋氏は自身のサイバーエージェントの持ち株の一部を従業員に対して贈与したものの、状況は一切改善しなかった。この結果、年間200名を採用しても、100名が辞めていく形となり、2002年の離職率は約30%に達した。
| 氏名 | 入社年 | 役職 | 出身企業 |
| 中山豪 | 1999/8 | 経営本部長(2003-) | 住友商事 |
| 西條晋一 | 2000/3 | 事業戦略室室長(2000-) | 伊藤忠商事 |
| 高村彰典 | 1999/1 | 広告代理事業担当 | 興和 |
| 曽山哲人 | 1999/4 | 人事本部長(2005-) | 伊勢丹 |
サイバーエージェントはGreat Place to Work® Institute Japanが行う「働きがいのある会社」の調査で、2012年に第4位となりました。
しかし、その道のりは平坦ではありませんでした。かつては離職率30%を越えていた会社が、2003年に社内制度の強化に乗り出し、働きがいのある会社といわれるまでなったのです。それ以前の社内制度にはいろんな矛盾があったと思います。
成果主義を徹底するあまり個人プレーが増え、雰囲気もギスギスしていました。大量の中途入社で生え抜き社員と中途社員の対立が生じたこともありました。新規事業はうまくいかないことも多いのですが、結果的に撤退となった場合のフォローができておらず、優秀な人材が退職してしまったというケースもありました。
今から考えると、あのころは社長の人事に対する考え方が現場にきちんと伝わっていなかったように思います。社長は人材の重要性についてよく話していたし、ブログでもたびたび触れていましたが、現場の人間、特に中途社員には「言ってることと、やっていることが違う」と受け止められてしまった。経営と現場の間に埋めがたい溝があったのだと思います。
2003年に藤田晋社長はサイバーエージェントでは「終身雇用制」を導入することを宣言し、社員が定着する仕組みづくりに着手し、福利厚生に対して相応の投資を開始した。
本社のある渋谷駅から2駅以内に居住した場合、家賃補助を支給する制度。社員が渋谷駅周辺に居住することで連帯感が深まることを意図しつつ、タクシー代のような経費の節減を目論んだ。
2年間勤続した社員に対して。5日間連続の休暇を付与する制度。
組織における社員の一体感を醸成するために、潤沢な予算を用いた「社員総会」を年2回実施。社員1000名を1箇所のホテルに集めて、貢献のあった社員を表彰するなど、組織における連帯感を強める施策を打ち出した。
これらの特別手当やイベントにかかるコストに関して、藤田社長は中途採用におけるエージェントへの支払い費用(100万円〜/人)と比べると安いと判断して実行したという。
IT業界は人材が豊富だと言いますが実際には、いい人材をとるのはとても大変です。中途採用市場が以前より流動化してきたとはいえ、それでも優秀な人を採るのは本当に難しい。だからこそ、社内で育ってほしい。新卒を確保したら教育するとともに、辞めさせないように最大の努力をするんです。
2000年のネットバブルの崩壊をきっかけに大量に社員が辞めたことです。当時の潮流だった成果主義や実力主義に私もなびいていました。これらの精度は会社の調子がいい時はよく機能しますが、いったん傾くととても脆い。大量に社員が辞めて社内の雰囲気も悪くなりました。これではやっていけないと思う、2003年から終身雇用制を導入し、社員を辞めさせない体制に移行したのです。
(注:本社周辺に限った家賃補助の効果は)絶大ですね。うちの社員は独身者が多いので3万円の家賃補助があれば、東京郊外にしか住めない人も渋谷近辺に住むことができます。通勤のストレスから解放させて、のびのび働いてもらおうというのが第一の狙いです。通勤が苦痛で会社を辞めたくなる人も多いですから。転職してしまえば当然。ウチの独自の家賃補助はなくなる。同じ給料の会社に転職しても、渋谷近辺には住めなくなるんです。それが転職の障壁になることを狙いました。これは見事に当たりましたね。
2005年にサイバーエージェントは人事本部を新設した。そして同年7月にサイバーエージェントは人事異動を発表し、人事本部人事本部長に曽山哲人氏を抜擢した。曽山氏は2004年10月からインターネット広告事業本部の「統括」として営業部隊を取りまとめていたが、1年経たずして人事本部のトップに就任した。
以後、サイバーエージェントの人事トップは曽山氏が歴任する形となり、人事評価制度の改善(面談実施の推奨)など、サイバーエージェントの組織づくりに関与した。
2006年までに離職率は約15%まで改善。定着率の向上により、従業員数はFY2005に1000名、FY2006に1400名を突破した。主力の広告事業は、営業人員に収益が比例して伸びるビジネスであり、業績も改善された
サイバーエージェントは黒字確保のために、保有していた投資有価証券(ベンチャー投資先企業)の売却を開始。2004年度にトラフィックゲート、GOCOO、クレッシェンドの3社、2005年度にクレッシェンド、ジェット証券の2社の株式を売却し、合計48億円の売却益を計上した。
2004年時点のサイバーエージェントにおける主力事業は、インターネット広告事業であった。このビジネスは広告枠(広告主)を確保した上で、広告出稿を促すビジネスであり、広告枠と広告出稿者を確保するための営業人員によって売上が決定される側面があった。
一方、藤田社長は人員数によらないレバレッジが効くビジネスを立ち上げることを考えていた。その一つがメディア事業であり、サイバーエージェント自身が「広告枠(ブログ)」を確保することを意味した。
2004年にサイバーエージェントは「アメーバブログ」のサービス提供を開始し、メディア事業に本格参入した。
芸能人への営業によって自社広告の媒体としてアクセス数を確保したが、人気ブログ(特に当時絶頂期だった神児遊助氏・杉浦太陽氏・東原亜希氏のブログ)にアクセスが集中して、夜間にサーバーがダウン。訪問者が多い時間帯に「サーバーへのアクセスが大変混み合っています」と表示せざる得なくなり、サービスの品質に課題があった。つまり、アクセス数が増えても広告収入が増えないという構造的な問題を抱えており、損益分岐点を越えられない厳しい状態にあった。
ネットビジネスと呼ばれるものがITバブルのころに注目されたのは、収穫逓増モデルで、非常に利益率が高く、コストを低く運営できるというところがあったからです。
一方で広告代理事業は、市場自体は伸びていますが、労働集約型になりやすく、投資家が思っていたような成果を上げられるような商売ではなかった。そこでメディアをやらなければいけないと考え、「cyberclick!」や「melma!」をはじめ、さまざまな事業を立ち上げてきました。が、どれも小振りで、楽天やヤフーのように象徴的なメディアを抱えていないことにずっとコンプレックスを持っていました。
だからブログが出てきた時に、新たにメディアを作れる可能性を感じ、アメーバというブランドでやりきろうと考えました。アメーバブログを会社の成長戦略の中心に据えたので、なんとしても成功させなければいけませんでした。
アメーバ事業本部長であった渡辺健太郎氏をアメーバ事業から降板させ、藤田社長自らがアメーバ事業を統括する社長直轄の体制に組織変更した。2007年9月からは小池政秀氏が「アメーバ事業本部ゼネラルマネージャー」に就任し、藤田社長と小池氏が事業への結果責任を背負った。
なお、アメーバ事業をはずされた渡辺健太郎氏は2007年からサイバーエージェントの100%子会社「マイクロアド」の社長としてアドテク領域の経営に従事し、広告事業を軌道に乗せている(同社は2021年に株式上場・サイバーエージェントとの親子上場)。
アメーバ事業の再建のため、藤田晋社長はトップダウンで事業改革を行うことを宣言した。藤田社長は「2009年までに黒字化を目指す」方針を掲げて、未達の場合はサイバーエージェントの社長を退く覚悟(実際に退任を考えていたわけではない)でアメーバブログの事業にコミットしたという。藤田社長はアメーバ事業の会議にほぼ全て出席し、自身のリソースの大半をアメーバ事業に投下した。
また、赤字事業への積極投資のため、アメーバ事業の拠点をサイバーエージェント本社とは物理的に別とし、渋谷駅周辺の別のビルを事業拠点とした。
KPIとしてはアメーバ事業(アメーバブログと付随サービス)における月間ページビューが設定された。PV数に応じて広告枠を販売するビジネスであり、ページビューが広告出稿数となることから、PVを最重要指標として設定した。
アメーバブログの事業開始から事業再建に至るまで、先行投資にかかった費用は約60億円であったという。FY2005末時点におけるサイバーエージェントのネットキャッシュは、約110億円(現預金約111億円 - 有利子負債約1億円)であった。
したがって、黒字化に失敗すれば60億円の現金が流出することを意味していたが、上場時に調達した現預金を原資としており、財務リスクの許容範囲内での投資であった。
2006年5月10日に藤田晋社長は自身のブログ「渋谷で働く社長のアメブロ」にて、それまで外注に頼っていた開発体制と決別するため、エンジニアの自社採用の開始を宣言した。アメーバのトラフィックを捌くためにエンジニア採用による技術の内製化を急ぎ「6月末までに即戦力の技術者を20名採用します。(意地でも)」とブログに書き綴った。内製化の狙いは、技術改修の対応スピードを早めることにあった。
ただし、転職市場において、インターネットを扱えるエンジニアの頭数は2006年時点から不足しており、採用の難航が予想された。よって、藤田社長は技術者の採用施策として、下記を実行した。
1.オフィスフロアの改装
2.オフィス家具の刷新(作業スペース増大)
3.最終面接に藤田社長が出向き事業説明
4.給与待遇の改善
エンジニアの採用施策によって、2006年に佐藤真人氏(現・サイバーエージェント執行役員)がサイバーエージェントに入社した。佐藤氏は、転職媒体はリーベルを経由してコンタクトを図り、サイバーエージェントのブログに面白みを感じて転職を決意したという。
佐藤氏は「自分がトラブルの発生源ではないけど、トラブルを解決したら(巡り巡って)自分のプラスになる」(2018/5/3ねつせた!)と考え、入社直後から障害の1次対応をすることで社内からの信頼を獲得。入社1年後に技術部門の責任者(部長)に就任した。
その後、佐藤氏は3年かがかりでアメーバブログの負荷分散のアーキテクチャを作り上げ、アメーバ事業における技術面のキーパーソンとなった。
エンジニアリングの具体的な課題として、アクセス数の増大による高負荷対応に技術的な問題があった。2006年時点でアメーバブログは、1日1500万PVの大量アクセスがあるサービスで、ピーク時の1秒間にSQLのクエリが6000回発行される高負荷なサービスであった。アメーバブログは芸能人をブログを取り扱っていたため、人気芸能人が記事を更新した際(特に夜20時〜22時)にアクセスが集中する課題があり、サーバーダウンによって機会損失を被っていた。
したがって、エンジニアが解決すべき技術課題は、バックエンド(主にDB)に存在した。Oracleの商用DBを利用していたことや、テーブルに適切なインデックスが貼られていなかったり、更新系と参照系のDBサーバーが同一(Read/Repricaが切り分けられていない)であるなど、負荷分散を考慮していないアーキテクチャに致命的な問題が存在していた。加えて、既に運用中のサービスであり、運用中にDBを改善する必要があり、ALTER実行やDB移行を簡単に遂行できない宿命と対峙する必要があった。
実際の移行計画は、2006年に入社した佐藤真人氏を中心として、徐々に実行された。利用するDBでは商用のOracleから、MySQLに乗り換えることでコストを削減。負荷分散の面では、静的アセットを別のサーバーで管理。クエリ速度改善のために、INDEXを適切に貼り直すなど、地道な改善を遂行していった。ただし、アメーバブログへの流入は増え続けており、増大するアクセスを見越した対応が常に必要な状況であった。
この結果、プロジェクトの開始から約3年が経過した2009年ごろに、アメーバーブログのサービスの安定稼働が可能になった。
アメーバブログは芸能人のようなアクセス数が多い執筆者に対応できるサービスとして新しい訴求ポイントが生まれたことで執筆するユーザー数を拡大。アクセス数が増えたことによって広告収入が伸び、2010年9月期にブログ事業の黒字化を達成した。
2009年以降は広告収入のみならず、課金収入による導線を新規開発することで、アメーバ事業そのものが増収増益の基調を持続。サイバーエージェントにおける高収益事業に育った。
また、別の側面の成果として、サイバーエージェントがエンジニアリングの内製化をより一層重視することにつながった。エンジニアの活躍によって業績が改善したという成果が他の事業部に対して、技術を重視する説得材料になったと思われる。
アメーバ事業の再建に携わった責任者は、その後のサイバーエージェントで執行役員または取締役に抜擢された。
・小池政秀氏(Ameba事業本部ゼネラルマネージャー→2012年サイバーエージェント取締役)
・佐藤真人氏(CADC推進本部・最高技術責任者→2011年サイバーエージェント執行役員)
2010年にサイバーエージェントは「技術のサイバーエージェント」を社内外に宣言し、エンジニアリングを重視する方針を鮮明にした。
負けない体制は既にできています。「Ameba」で暗中模索しながら築き上げてきた「新サービスを次々と生み出す仕組み」が社内にできているからです。新しい市場に参入するとき、「得意なところを買えばいい」と安易な買収計画を立てる企業がありますが、そういうところは大抵、失敗します。当社には「小さく生んで大きく育てる」と言う方針のもと、内製でサービスを作り出す体制がしっかりできています。開発スピードの遅い外注では勝負になりません。自社で企画から開発、運営まで一気通貫で行うための仕組みづくりも万全です。その都度の工程で、優れたルールがしっかりできています。
2011年にサイバーエージェントはゲーム事業の子会社としてCygamesを設立した。子会社を設立した理由は、ゲーム開発者の渡邊耕一氏がサイバーエージェントからの出資を受けて、ゲーム会社を立ち上げたためであった。このため、Cygamesの社長は渡邊耕一氏が歴任している。
同時に、2012年からはDeNAの出資が加わり、サイバーエージェントが約60%の株式を保有する子会社として運営された。実質的な支配権はサイバーエージェントが握っており、日高氏(サイバーエージェント副社長)がCygamesの取締役をつとめる体制をとった。
2011年9月にCygamesは初のゲームタイトル「神撃のバハムート」の提供を開始し、スマホ向けゲーム事業を本格化した。当時のスマホゲーム業界では、作り込まれたゲームはまだ珍しく、「神撃のバハムート」はクオリティの高いゲームとして注目を浴びた。
同タイトルは海外でもリリースされ、2012年には米国におけるアプリDLランキング(Google Play, AppleStore)において1位を獲得。このヒットにより、Cygamesの業績は軌道に乗った。
私が担当しているSAP事業の部門は、当社に限らずネットビジネス全体を見渡しても、昨今最も注目され成長を続けているドメインです。(略)2011年5月に当社の連結子会社として設立した(株)Cygamesは、国内で「進撃のバハムート」という大ヒットタイトルを開発し、この1年で海外展開にも成功しています。英語タイトルを「Rage Of Bahamut」とし、米国GooglePlay、米国Apple Storeの全アプリ売上ランキングで1位を獲得。(略)全世界で500万人以上の会員のみなさまに楽しんでいただいています。「Rage Of Bahamut」の快挙により、日本発のスマートフォンゲームが、そのまま海外でも通用することが立証できました。
2011年にサイバーエージェントはアドテク(広告運用の技術内製化)に新規参入し、スマホにおける運用型広告への投資を開始した。
2011年にスマホ向けアドネットワーク「AMoAd」のサービス提供を開始したのを皮切りに自社製品を相次ぎ開発。2013年まで「CAリワード」「Force Operation X」「CAMP」などのツールを取り揃え、顧客への提供を開始している。
2013年10月にはアドテク本部を新設するとともに、アドテクスタジオを新設して、エンジニアによる技術力の強化を後押しするなど、広告分野における内製化に舵を切った。なお、2013年のアドテク本部の設置により、内藤貴仁氏がアドテク本部の責任者に就任した。
| 製品名 | 機能 | 備考 |
| AMoAd | アドネットワーク | 2011年提供開始 |
| CAリワード | リワード広告 | |
| Force Operation X | ソリューション | |
| CAMP | 広告効果測定 |
2011年からスマホへのシフトを本格化させた結果、スマホ向けサービスを中心とした業容の拡大に成功した。高収益なゲーム事業においてヒットタイトルが続々と生まれたことも追い風となり、2015年度の決算でサイバーエージェントは過去最高収益となる純利益147億円を達成した。
2003年にサイバーエージェントはFX事業(為替取引)に参入するために、子会社としてシーエーキャピタル(商号をサイバーエージェントFXに変更)を設立した。事業責任者にはサイバーエージェントの西條晋一氏が就任し、金融事業を推進した。
当時のサイバーエージェントはエンジニアが存在しなかったため、FX取引のシステムはOEM(外為どっとコム)を選択した。この結果システムの開発投資を省き、FX事業に参入することができた。
なお、サイバーエージェントFXは順調に口座数を確保し、2011年度の時点でFX事業において売上高80億円・営業利益32億円の高収益を確保していた。
目を付けたのが、FXの領域です。当時、個人向けのFXの市場は未知数で、インターネット証券などの大手もまだ参入していませんでした。だけど、FXは為替ディーラーの経験が生きるし、チャンスがある。「いかにしてシステムを作ろうか」と考えていたとき、ライブドアの取締役から、ライブドアではシステムを自社開発せずに、外為どっとコムからシステムをOEM提供してもらって参入すると聞きました。
システム構築の手間が省けたら、リスクなく事業をスタートできる。当初、外貨どっとコムは、ライブドア以外へのシステム提供を考えていませんでしたが、僕は諦めずに熱心に担当役員と交渉を続け、サイバーエージェントにも提供してくれることが決まりました。
2011年にサイバーエージェントは全社方針としてスマートフォンへのシフトを掲げたが、FX事業に関しては対象外として位置付けられた(推定)。このため、サイバーエージェントは業績が好調だったFX事業の売却を決定した。
2013年1月にサイバーエージェントは、子会社サイバーエージェントFXの株式売却を決定した。売却先はヤフージャパンであり、同社が210億円で株式の取得を決定。サイバーエージェントは売却益として103億円を計上した。
サイバーエージェントFXの代表取締役社長であった西條晋一氏は、同事業の売却をもってサイバーエージェントから退職した。その後、2013年に西條氏は投資家である伊佐山元氏と出会った縁で、ベンチャーキャピタルのWiLに転職した。同時に、複数の会社の取締役を歴任したのち、2018年に自身で会社(Xtech)を設立して起業家に転身した。
サイバーエージェントを退職後は、いくつかの企業の社外取締役や共同創業者を務め、気が付いたら44歳になっていました。
さすがにもう起業しようと考えていた2018年のお正月、何気なくカレンダーを見ていたら、なぜか目に飛び込んできたのが「1月11日」の日付。何をするかは決めていませんでしたが、「よし、この日に新会社を登記しよう」と、4日間で準備して新会社設立に至りました。
収益性の低いサービスの中止を決定。Ameba事業の担当従業員数を1600名から800名へと半減。収益改善を目論む
2015年4月にサーバーエージェント(藤田晋社長)は、テレビ朝日(早河洋CEO)との合弁会社AbemaTVを設立して「動画メディア」に本格参入した。会社設立時点の出資比率はサイバーエージェント60%に対して、テレビ朝日40%であり、サイバーエージェントは子会社として位置付けて主導権を握った。設立時の資本金は3億円であった。
合弁会社の設立にあたっては、藤田晋氏は主導してテレビ朝日に話を持ちかけた。サイバーエージェントが単独ではなくテレビ朝日と合弁会社を設立した理由は、サイバーエージェントのネットにおける技術力がテレビ朝日にはない点や、一方でテレビ朝日の企画コンテンツ力がサイバーエージェントに欠落しており、お互いが強みと弱みを補完する狙いがあった。
藤田晋氏は先立つこと2013年にテレビ朝日の「番組審議委員(堀田力・委員長)」を務めており、同社の経営陣(早河社長など)と議論を交わすなど面識があった。従って、2013年時点から動画事業への参入タイミングを伺っていた可能性が高い。
そして、2015年になって動画への本格参入を決めた理由は、ネットフリックスの日本進出によってネット動画が定着する兆しがあったことや、スマートフォンが普及したことで動画ニーズが高まることを予想したためであった。
合弁会社のAbemaTVはメディア事業への積極投資によって2019年度に債務超過に転落。2022年に至るまで債務超過(FY2022は1111億円の債務超過)の状態が続いている。
| 決算 | 売上高 | 売上原価 | 営業利益 | 債務超過額 |
| FY2018 | 60 | 195 | -189 | 0 |
| FY2019 | n/a | n/a | n/a | 665 |
| FY2020 | 153 | 262 | -169 | 836 |
| FY2021 | 258 | 316 | -137 | 992 |
| FY2022 | 365 | 381 | 113 | 1111 |
インターネットやスマートフォンへの対応が急務な中で、テレビ局側の立場に立つと、企業文化の中でそういったものがうまくできそうにない。また、企業買収についても最適な会社が見当たらない。そこで我々が作りましょうかと提案した
約1年間の準備期間(アプリ開発など)を経て、2016年2月にサイバーエージェントはAbemaTVのベータ版を発表。そして、2ヶ月後の2016年4月にサイバーエージェントはAbemaTV(ABEMA)を開局し、ながら視聴(常時放映型)を前提としたインターネットの無料動画配信サービスに参入した。
開局時のチャンネル数(開局前発表数)は約18チャンネルであり「AbemaNews」や「麻雀」「アニメ」といったラインナップを準備した。すなわち、これら18のチャンネルで1日を通じて動画を無料で放映する形となり、国内の動画サービスとしては大規模なものであった。
開局と同時に18チャンネルを立ち上げて動画を放映するにあたって、サイバーエージェントはコンテンツの仕入れ(原価)に対して莫大な投資を実施した。Newsのように自社(厳密にはテレビ朝日との共同)制作で放映するものや、アニメのように他社コンテンツを放映する動画(OEM方式)が存在した。
このため、番組の制作費用や過去動画の仕入れにかかる費用が増大し、メディア事業の原価負担が高くなった。AbemaTVにおける費用構造は、販管費よりも原価(仕入れコスト)が重い構造になっており、コンテンツの仕入れに支えられた無料動画視聴サービスとなった。
したがって、AbemaTVの長期的な課題として、原価構造を改善するために「原価率の良いコンテンツの開発」が重要課題になったと推定される。すなわち、サイバーエージェントが自社では番組制作を行うコンテンツを拡充することが重要であり、そのために番組制作のノウハウを長期的に蓄積することが収益改善の鍵を握った。
ただし、サイバーエージェントは自社コンテンツの制作のノウハウを持たないことから、テレビ朝日と共同出資で「ニュース専門チャンネルの運営会社」を設立する形をとった。サイバーエージェントとしては、ニュースの制作ノウハウを社内に蓄積することによって、将来的にニュース以外の自社コンテンツを拡充する狙いがあったと推定される。
2015年にサイバーエージェントは子会社CyberBullを設立し、広告における動画商品の販売を開始した。また、2016年7月からはAbemaTVにおける広告枠が販売されるようになり、メディア事業は広告収入を確保するようになった。日本国内では初となる同時視聴型の無料ネット動画メディアであったため、同年11月にはアプリのダウンロード数が累計1100万回を越えるなどユーザーを確保した。
ただし、コンテンツの仕入原価の負担は重く、AbemaTVは年間数百億円の赤字を計上する形をとった。
藤田社長はAbemaTVの事業化にあたって「1000万人/日」が視聴するメディアになることを目標に据え、約10年間にわたって投資を継続することを表明した。サイバーエージェントとしては、自社のAbemaTVをテレビ局に匹敵するメディアに育てるとともに、コンテンツから派生する事業を展開することで収益の柱にすることを目論んだ。
このため、メディア事業では早期の黒字化を目指すのではなく、「年間数百億円」の赤字を許容する方針をとった。
| 名称 | 区分(推定) |
| Abema News | テレビ朝日と共同制作(51%出資の制作子会社で制作) |
| バラエティ CHANNEL | 仕入 |
| ドラマ・CHANNEL | 仕入 |
| WORLD SPORTS | 仕入 |
| Abema PRODUCE | 仕入・制作? |
| 釣り | 仕入 |
| アニメ24 | 仕入 |
| 麻雀 | 仕入 |
| ヨコノリ | 仕入 |
| なつかしアニメ | 仕入 |
| 深夜アニメ | 仕入 |
| Documentary | 仕入 |
| Abema RADIO | 制作? |
| ペット | 仕入 |
| CLUB CHANNEL | 仕入 |
| REALITY SHOW | 仕入 |
| Abema SPECIAL | 仕入? |
| Ameba FRESH | 仕入? |
大きな赤字を出していることは重々認識していますが、メディア事業は先に面白いコンテンツを作らなければ成功しないし、マネタイズできないことは歴史が証明しています。だから、現状はあくまで先行投資と位置付け、とにかくいいコンテンツを継続して作り続けることが大事だと考えています。(中略)我々はAbemaTVを10年がかりで会社の柱に育てていく考えです。広告やゲームといった既存事業との相乗効果はもちろん、AbemaTVを起点にした新事業も出てくるでしょう。AbemaTVを会社の中心に据えて、中長期で会社が潤おうような展開をしていくつもりです。
AbemaTVに対して年間数百億円の投資を実施する上で、サイバーエージェントは投資資金を自己資金で賄った。サイバーエージェントは「インターネット広告事業」と「ゲーム事業」の2つが収益の柱となっており、特に高収益のゲーム事業が生み出した利益が、AbemaTVの投資の金銭的な裏付けとなった。
2019年12月の株主総会において、藤田社長の選任賛成比率が57.56%となり社長解任の危機に陥った。機関投資家がサイバーエージェントの社外取締役比率の低さを問題視し、議決権行使助言会社のISSが議案に反対したことが要因
連結決算において売上高6664億円・営業利益1043億円を達成。ゲーム事業のウマ娘のヒットにより大幅増益。
一方、単体決算において、債務超過に陥っている子会社AbemaTVに対する貸付金に関して900億円の引当金を計上。このため単体ベースでサイバーエージェントは690億円の最終赤字に転落
ウマ娘のヒットを受けて、ワールドカップの放映権を取得。AbemaTVにおける投資のため、サイバーエージェントの負担金額は不明
藤田社長の候補候補について、社内から抜擢する方針を表明。取締役会を中心にサクセッションプランを始動した
2023年7月にFY2023(9月期)の下方修正を発表。ウマ娘のヒットの反動により75%の経常利益の減益を予想