| 期 | 区分 | 売上高 | 利益※ | 利益率 |
|---|---|---|---|---|
| 1999/9 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 4億円 | - | - |
| 2000/9 | 単体 売上高 / 当期純利益 | 32億円 | - | - |
| 2001/9 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 63億円 | -20億円 | -32.4% |
| 2002/9 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 108億円 | -2億円 | -2.7% |
| 2003/9 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 162億円 | -24億円 | -14.9% |
| 2004/9 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 267億円 | 40億円 | 15.0% |
| 2005/9 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 432億円 | 24億円 | 5.7% |
| 2006/9 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 601億円 | 43億円 | 7.1% |
| 2007/9 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 760億円 | 20億円 | 2.6% |
| 2008/9 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 870億円 | 10億円 | 1.1% |
| 2009/9 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 938億円 | 12億円 | 1.3% |
| 2010/9 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 966億円 | 54億円 | 5.6% |
| 2011/9 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,195億円 | 73億円 | 6.1% |
| 2012/9 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,411億円 | 85億円 | 6.0% |
| 2013/9 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 1,624億円 | 105億円 | 6.5% |
| 2014/9 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 2,052億円 | 95億円 | 4.6% |
| 2015/9 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 2,543億円 | 147億円 | 5.8% |
| 2016/9 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 3,106億円 | 136億円 | 4.3% |
| 2017/9 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 3,713億円 | 40億円 | 1.0% |
| 2018/9 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 4,195億円 | 48億円 | 1.1% |
| 2019/9 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 4,536億円 | 16億円 | 0.3% |
| 2020/9 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 4,785億円 | 66億円 | 1.3% |
| 2021/9 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 6,664億円 | 415億円 | 6.2% |
| 2022/9 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 7,105億円 | 242億円 | 3.4% |
| 2023/9 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 7,202億円 | 53億円 | 0.7% |
| 2024/9 | 連結 売上高 / 当期純利益 | 8,029億円 | 162億円 | 2.0% |
AbemaTVは2016年の開局以降、番組制作とコンテンツ仕入に年間数百億円規模のコストが発生し、2022年時点で1111億円の債務超過に陥った。単体で見れば明らかに持続不可能な財務状態であり、通常であれば外部資金の調達か事業撤退を迫られる局面である。藤田晋がAbemaTV設立時に「10年間投資を継続する」と明言した背景には、短期で回収できる事業ではないという認識があった。しかしサイバーエージェントは、外部からの資金調達に頼らず、自己資金でAbemaTVへの投資を継続した。この判断は決意だけでは説明できない。
これを可能にしたのは、連結ベースでの事業ポートフォリオの設計である。広告事業が安定収益を生み、ゲーム事業がウマ娘のヒットによって爆発的な利益を計上した。2021年度には連結で営業利益1043億円という過去最高益を達成しており、AbemaTVの赤字を吸収してなお高収益を維持する構造が成立していた。サイバーエージェントは若手を子会社社長に抜擢し新規事業を量産する企業として語られがちだが、連結収益を実際に支えているのは広告・ゲーム・AbemaTVという本社主導で大型投資を決定した少数の事業である。子会社の乱立は組織の活力やモチベーション維持に寄与している可能性はあるが、ポートフォリオの実態としては、本社が賭けた大玉が収益構造を規定している。
この設計思想は単年度の判断ではなく、複数の意思決定の積み重ねとして読み取れる。2013年に営業利益32億円を稼ぐFX事業を210億円で売却し、スマホとゲームに集中したのは「稼ぐ事業」の入れ替えであった。広告事業の安定化、Cygamesの設立によるゲーム事業の立ち上げ、そしてAbemaTVへの長期投資。これらは個別に見れば別の判断だが、ポートフォリオ全体の文脈では「稼ぐ事業を時代に応じて入れ替えながら、張る事業への投資余力を確保し続ける」という一貫した構造が見える。新規事業を多産する企業イメージの裏側で、本質的な収益ドライバーの数は極めて限られている。
AbemaTVの事例が浮かび上がらせるのは、長期投資の可否は意志の強さではなく構造で決まるという点である。赤字に耐える覚悟だけでは資金は続かない。「張る事業」を支える「稼ぐ事業」を持ち、その稼ぐ事業自体も市場環境の変化に応じて組み替えていく。多くの企業が長期投資を掲げながら途中で断念するのは、意志が弱いからではなく、それを支える収益構造の設計が不十分だからかもしれない。このポートフォリオの動的な管理こそが、10年単位の大型投資を可能にした仕組みだったのではないか。
24歳での起業は、技術ではなく藤田氏を中心とする営業力を強みとする戦略的選択であった。黎明期のネット市場における営業機能の不足という構造的な隙間を捉え、外部商材の販売から顧客接点を拡大した点に特徴がある。創業期に築いた市場理解と営業力(顧客との関係構築)が、後の広告事業やメディア展開への布石となった。
1990年代後半、日本ではインターネットが急速に普及し始め、多くのベンチャー企業が誕生していた。しかし当時のネット企業は技術志向が強く、営業体制が十分に整っていない会社が多かった。優れたサービスを持ちながらも販売力不足で成長機会を逃す例が少なくなかった。
市場は拡大期にあった一方で、技術と顧客を結ぶ営業機能が不足していた。特に小規模なネット企業では営業人材の確保が難しく、販売を外部に委ねる需要が存在していた。この構造的な隙間が、新たな事業機会として浮かび上がっていた。
1998年3月、当時24歳の藤田晋は人材会社インテリジェンスを退職し、東京都港区にサイバーエージェントを設立した。若年ながら、自身の営業経験を武器に「営業代行」を主軸とするビジネスモデルで起業した。
新卒時代にネット媒体営業で成果を上げた実績を背景に、まずは決済代行サービスWebMoneyの営業代行契約を締結した。自社プロダクトを持たず、販売機能に特化することで初期投資を抑え、市場拡大の波に乗る戦略を選択した。
営業代行モデルは短期間で顧客基盤を拡大し、ネット業界内で一定の存在感を確立した。顧客接点を通じて広告市場の構造を把握し、次の事業機会を見出す土台が形成された。創業期の経験は後の転換に直結した。
その後のクリック保証型広告への参入は、営業で築いた市場理解と関係性があったからこそ実現した。24歳での創業は、サイバーエージェントが広告・メディア企業へ成長する原点となった。
サイバークリックの販売開始は、営業代行から広告会社への転換を意味した。技術を内製できなかった一方で、独占契約とロイヤリティ方式により市場参入を実現した点に特徴がある。模倣から始まったが、独自の代理モデルを確立したことが成長の基盤となった。
1998年当時、日本のインターネット広告はPV保証型や期間保証型が主流であり、広告主は掲載回数や期間を基準に費用を支払っていた。効果測定は限定的で、広告費と成果の関係は不透明だった。一方、米国ではクリック回数に応じて課金する成果連動型広告が広がり始めており、広告主にとって合理的な仕組みとして注目を集めていた。
創業間もないサイバーエージェントは、当初WebMoneyの営業代行を主業としていたが、営業活動の中でバリュークリックジャパンのクリック保証型広告に出会い、その販売を担うことになった。営業現場では中小企業からの反応が良く、費用対効果を明確に示せる広告モデルへの潜在需要を実感していた。インターネット普及が加速する局面で、市場拡大余地は大きいと判断した。
同社は、営業代行にとどまらず、自社商品としてクリック保証型広告を展開することを決断した。商品名を「サイバークリック」と定め、営業代行から広告会社へ事業軸を転換した。しかし、クリック数計測や不正防止を含むシステム開発は想定以上に難易度が高く、当初の内製化は失敗に終わった。
そこで、オン・ザ・エッヂ(のちのライブドア)に開発と運用を全面委託する契約を締結した。契約は売上高の10%をロイヤリティとして支払う方式で、1998年9月から5年間の独占契約とした。これにより競合への技術流出を防ぎつつ、成果報酬型広告市場への参入体制を整えた。
1998年10月のシステム稼働後、サイバークリックの販売を本格化した。2000回保証で14〜18万円という価格設定を行い、従来のDM費用との比較で費用対効果を訴求した。資金力の乏しいベンチャー企業や中小企業を主な顧客とし、従来型媒体とは異なる営業戦略を展開した。
媒体開拓も同時に進め、2000年1月までに4,728媒体を確保した。広告主と媒体をシステムで仲介する体制が確立され、同社は営業代行企業からインターネット広告会社へと本格転換を果たした。1998年7月の販売開始は、祖業からの脱却を象徴する転換点となった。
| 商品名 | 発売年 | 掲載媒体数 | クリック単価 |
| サイバークリック | 1998年10月 | 4728件(web) | 70円〜90円 |
| クリックインカム | 1999年1月 | 2536件(メール) | 110円〜140円 |
サイバーエージェントの主力商品はクリック保証型の広告です。実際にバナーやテキストがクリックされた回数で課金するもので、1万クリック保証なら、1万回クリックされるまで、つまり1万人の人がその企業のサイトを訪れるまで広告を掲載します。(略)
これからは成果報酬型の広告に力を入れていこうと考えています。ただ、成果報酬型の広告は、広告代理店にとっては難しいビジネスモデルです。バナーをクリックして企業のサイトに飛んだからといって、その場で商品を購入するとは限りません。購入を決めても、インターネットでの買い物に不安があって、現実の店頭で買う人もいます。効果を確認しにくいのです。
それでも、広告の費用と効果が比例すると言うのは、広告主にとっては理想的な課金の仕組みです。インターネットで物を買うことへの抵抗も薄れてきますし、ぜひともビジネスとして確立させるつもりです。
2000年3月の上場は、ネットバブルの熱狂を背景に巨額資金を確保した象徴的事例である。短期的には評価崩壊と資本政策問題を招いたが、長期的には成長投資の原資を確保した点に意義がある。
1999年から2000年にかけて、日本の株式市場はインターネット関連銘柄への期待が急速に高まり、マザーズ市場は成長企業の資金調達の舞台となっていた。サイバーエージェントも広告取扱高を拡大させていたが、事業はなお赤字であり、将来成長を前提とした評価がなされていた。当時の株式評価は利益ではなく売上高倍率(PSR)を基準に行われる傾向が強く、成長期待そのものが価格に織り込まれていた。
上場直前の1999年9月時点での評価額は1.5億円程度であったが、わずか半年で評価額は急膨張した。ネット産業への過熱的な期待が、設立2年目の企業に巨額資金を供給する環境を形成していた。藤田晋は、成長速度を最大化するには市場から直接資金を調達する必要があると判断し、早期上場を選択した。
2000年3月、東証マザーズに株式上場を実現し、評価額624億円を基準に207億円を調達した。有利子負債はほぼゼロであり、上場直後には約200億円のネットキャッシュを保有する強固な財務体質を確立した。当時史上最年少上場として注目を集め、同社はネットバブルの象徴的存在となった。
しかし、事業は依然赤字であり、評価は将来期待に依存していた。資金用途も明確ではなく、本社を渋谷マークシティへ移転するなど、拡張前提の経営に踏み出した。成長を前提に資本を調達するという判断は、バブル環境下でのみ成立し得た大胆な選択であった。
2000年後半にネットバブルが崩壊すると、同社の時価総額は100億円前後まで急落し、保有現金207億円を下回る状態となった。市場評価と実体価値の乖離が生じ、2001年には村上ファンドから現金還元要求を受けるなど、資本政策の見直しを迫られる局面を迎えた。
一方で、200億円超の資金は長期的な安全網となり、アメーバ事業などへの積極投資を可能にした。短期的には資金用途問題と株価低迷という副作用を伴ったが、長期的には成長資金を確保したことで、同社は新規事業へ継続投資できる体制を維持した。
| 日時 | 調達額 | 推定評価額 | 備考 |
| 1999/3/18 | 0.10億円 | 0.10億円 | 会社設立 |
| 1999/3/11 | 0.20億円 | 0.30億円 | 第三者割当増資 |
| 1999/6/29 | 0.20億円 | 0.32億円 | 第三者割当増資 |
| 1999/9/22 | 0.53億円 | 1.34億円 | 第三者割当増資 |
| 1999/9/30 | 0.17億円 | 1.51億円 | 第三者割当増資 |
| 2000/3/24 | 207億円 | 624億円 | 一般募集(上場) |
村上ファンドの株式取得は、資本余剰と創業者の議決権不足という構造問題を顕在化させた。楽天提携によって独立は維持されたが、上場企業における資本政策の重要性を浮き彫りにした出来事であった。
2000年3月の上場により、サイバーエージェントは207億円を調達し、約200億円のネットキャッシュを保有していた。しかし、ネットバブル崩壊によって時価総額は100億円前後まで下落し、保有現金が企業価値を上回る状態が続いた。株主から見れば、現金の用途が示されない限り、資本効率は著しく低い状況にあった。
さらに創業者藤田晋の持株比率は実質34%前後と推定されるものの、単独で安定的に議決権を支配できる水準ではなかった。インテリジェンスやUSENなど外部株主の持分が大きく、上場後はGMOが21%超を取得するなど、経営権は必ずしも盤石ではなかった。資本構造の不安定さが、外部からの介入余地を生んでいた。
2001年、村上世彰率いる投資事業有限責任組合M&Aコンサルティングは、MAC INTERNATIONALを通じて約9%超の株式を取得した。取得総額は約9億円規模で、時価総額が低迷する局面での買い増しであった。同ファンドは、保有現金が時価総額を上回る状況を問題視し、株主還元を求めて藤田社長に面談を申し入れた。
藤田晋は現金還元要求を拒否し、資金は将来投資に充てる方針を堅持した。しかし、村上ファンドが株式をGMOに売却すれば、GMOが30%超を保有し拒否権を持つ可能性が生じるなど、経営権を巡る緊張が高まった。資本政策が経営存続に直結する局面に入った。
この局面で、楽天の三木谷浩史が介入し、GMOから株式を取得することで藤田の経営を支持する姿勢を示した。2001年12月、楽天とサイバーエージェントは業務資本提携を締結し、表向きはEC分野での協業とされたが、実質的には買収防衛策の性格を持っていた。
その後、村上ファンドは株式を売却し、GMOも段階的に持分を処分した。結果として資本関係は整理され、経営の独立性は維持された。2001年の攻防は、上場後の資本余剰と支配権問題が経営戦略に直結することを示した重要な転換点であった。
| 時点 | 藤田晋 | GMO | 楽天 | 村上ファンド(MAC) | インテリジェンス | USEN |
| FY2000 | 22.66%(34%) | - | - | - | 15.90% | 13.25% |
| FY2001 | 22.70%(32%) | 21.40% | - | 8.70% | - | 13.30% |
| FY2002 | 31.20% | 9.00% | 8.60% | - | - | 10.90% |
| FY2003 | 28.90% | 9.00% | 8.60% | - | - | 10.90% |
| FY2004 | 30.70% | - | 9.30% | - | - | - |
2001年の株価が安い時に、モノ言う株主として席巻した投資家の方に「今持っている現金で自社株を購入して、株主に戻せ」と言われました。上場当時の株主の方に「戻せ」って言われたのなら気持ちも分かりますが、時価総額100億円を割って、突然、株主になった人に言われても「何であなたに?」って思ってしまいます。その時、目の前のことだけで判断すれば、確かに言っていることは正しいかもしれないけれど、僕ら経営者は中長期の時間軸で考えているわけですから。
2003年の組織改革は、採用拡大から定着重視への方針転換であった。終身雇用宣言と人事本部新設により離職率は改善し、広告事業の持続的成長を支える基盤が整えられた。
ネットバブル崩壊後、サイバーエージェントは急拡大期に採用した中途即戦力人材の定着に課題を抱えるようになった。2002年には離職率が約30%に達し、年間200名を採用しても約100名が退職する状況となった。成長を前提とした採用拡大が、組織の安定性を損なう構造に転じていた。
加えて、大企業出身の30代管理職と、創業期から在籍する20代社員との間で摩擦が生じ、指揮命令系統が機能不全に陥った。藤田晋は持株の一部を従業員に贈与するなどの対策を試みたが、根本的な解決には至らなかった。組織文化の再設計が不可欠な局面に入っていた。
2003年、藤田晋は「終身雇用制」の導入を宣言し、社員が長期的に働ける環境整備へと舵を切った。家賃補助制度(2駅ルール)や、2年勤続で5日間の連続休暇を付与する「休んでファイブ」など、福利厚生への投資を開始した。採用コストと比較すれば合理的との判断であった。
さらに、社員総会を年2回開催し、表彰や共有を通じて一体感を醸成した。2005年には人事本部を新設し、曽山哲人を本部長に抜擢。評価制度や面談体制の整備を進め、人材定着を経営課題の中心に据えた。制度と文化の両面から組織改革を進めた。
改革の結果、2006年までに離職率は約15%まで改善した。人材の定着が進んだことで営業体制が安定し、広告事業の拡大が加速した。従業員数は2005年度に1000名、2006年度に1400名を突破し、組織規模は持続的に拡大した。
この改革は単なる福利厚生拡充ではなく、ベンチャー的流動性から長期雇用型組織への転換を意味した。人材定着によって営業力と事業継続性が向上し、同社は拡大局面を支える組織基盤を確立した。2003年の組織改革は経営安定化の転換点となった。
| 氏名 | 入社年 | 役職 | 出身企業 |
| 中山豪 | 1999/8 | 経営本部長(2003-) | 住友商事 |
| 西條晋一 | 2000/3 | 事業戦略室室長(2000-) | 伊藤忠商事 |
| 高村彰典 | 1999/1 | 広告代理事業担当 | 興和 |
| 曽山哲人 | 1999/4 | 人事本部長(2005-) | 伊勢丹 |
サイバーエージェントはGreat Place to Work® Institute Japanが行う「働きがいのある会社」の調査で、2012年に第4位となりました。
しかし、その道のりは平坦ではありませんでした。かつては離職率30%を越えていた会社が、2003年に社内制度の強化に乗り出し、働きがいのある会社といわれるまでなったのです。それ以前の社内制度にはいろんな矛盾があったと思います。
成果主義を徹底するあまり個人プレーが増え、雰囲気もギスギスしていました。大量の中途入社で生え抜き社員と中途社員の対立が生じたこともありました。新規事業はうまくいかないことも多いのですが、結果的に撤退となった場合のフォローができておらず、優秀な人材が退職してしまったというケースもありました。
今から考えると、あのころは社長の人事に対する考え方が現場にきちんと伝わっていなかったように思います。社長は人材の重要性についてよく話していたし、ブログでもたびたび触れていましたが、現場の人間、特に中途社員には「言ってることと、やっていることが違う」と受け止められてしまった。経営と現場の間に埋めがたい溝があったのだと思います。
IT業界は人材が豊富だと言いますが実際には、いい人材をとるのはとても大変です。中途採用市場が以前より流動化してきたとはいえ、それでも優秀な人を採るのは本当に難しい。だからこそ、社内で育ってほしい。新卒を確保したら教育するとともに、辞めさせないように最大の努力をするんです。
2000年のネットバブルの崩壊をきっかけに大量に社員が辞めたことです。当時の潮流だった成果主義や実力主義に私もなびいていました。これらの精度は会社の調子がいい時はよく機能しますが、いったん傾くととても脆い。大量に社員が辞めて社内の雰囲気も悪くなりました。これではやっていけないと思う、2003年から終身雇用制を導入し、社員を辞めさせない体制に移行したのです。
(注:本社周辺に限った家賃補助の効果は)絶大ですね。うちの社員は独身者が多いので3万円の家賃補助があれば、東京郊外にしか住めない人も渋谷近辺に住むことができます。通勤のストレスから解放させて、のびのび働いてもらおうというのが第一の狙いです。通勤が苦痛で会社を辞めたくなる人も多いですから。転職してしまえば当然。ウチの独自の家賃補助はなくなる。同じ給料の会社に転職しても、渋谷近辺には住めなくなるんです。それが転職の障壁になることを狙いました。これは見事に当たりましたね。
サイバーエージェントは黒字確保のために、保有していた投資有価証券(ベンチャー投資先企業)の売却を開始。2004年度にトラフィックゲート、GOCOO、クレッシェンドの3社、2005年度にクレッシェンド、ジェット証券の2社の株式を売却し、合計48億円の売却益を計上した。
アメーバ事業本部の新設は、広告依存からメディア保有企業への転換を賭けた経営判断であった。60億円規模の先行投資はリスクを伴ったが、上場資金を活用し長期成長基盤を構築する戦略的選択であった。
2004年時点のサイバーエージェントの主力はインターネット広告事業であり、売上は営業人員数に比例する構造を持っていた。広告枠と広告主を確保する労働集約型モデルであり、規模拡大には人材増強が不可欠だった。藤田晋は、人員数に依存しないレバレッジの効く事業の必要性を認識し、自社で広告枠を保有するメディア事業への参入を決断した。
2004年に開始したアメーバブログは芸能人ブログの活用によりアクセスを急拡大させたが、人気記事への集中により夜間にサーバーダウンが頻発。PVが増えても広告収益が比例しない構造問題を抱え、損益分岐点を越えられない状態が続いた。スケーラビリティの欠如が経営課題として浮上した。
2005年7月、アメーバ事業本部を新設し、藤田晋が直轄で統括する体制へと再編した。従来の責任者を異動させ、トップ自らが結果責任を負う姿勢を明確にした。2009年までの黒字化を掲げ、未達なら退任する覚悟を示すことで、事業再建への本気度を組織内外に示した。
KPIは月間ページビューと定め、広告販売に直結する指標を最重要目標に設定した。約60億円規模の先行投資を計画し、拠点を本社と切り離すことで独立採算の意識を徹底した。上場時に確保した資金を原資に、財務許容範囲内で大規模投資を実行する判断であった。
社長直轄体制の下で組織は再編され、インフラ増強とコンテンツ拡充が進んだ。PVは段階的に拡大し、広告在庫の増加が収益構造の改善につながった。短期的には赤字が続いたものの、メディア事業の存在感は着実に高まった。
結果としてアメーバは広告依存型企業からメディア保有企業への転換を象徴する柱へと成長した。約60億円の先行投資はリスクを伴ったが、上場で確保した資金が挑戦を可能にした。2005年の本部新設は、同社が本格的にプラットフォーム企業へ踏み出した転換点となった。
ネットビジネスと呼ばれるものがITバブルのころに注目されたのは、収穫逓増モデルで、非常に利益率が高く、コストを低く運営できるというところがあったからです。
一方で広告代理事業は、市場自体は伸びていますが、労働集約型になりやすく、投資家が思っていたような成果を上げられるような商売ではなかった。そこでメディアをやらなければいけないと考え、「cyberclick!」や「melma!」をはじめ、さまざまな事業を立ち上げてきました。が、どれも小振りで、楽天やヤフーのように象徴的なメディアを抱えていないことにずっとコンプレックスを持っていました。
だからブログが出てきた時に、新たにメディアを作れる可能性を感じ、アメーバというブランドでやりきろうと考えました。アメーバブログを会社の成長戦略の中心に据えたので、なんとしても成功させなければいけませんでした。
2006年のエンジニア採用開始は、外注依存から内製主導への転換であった。基盤再構築により黒字化を実現し、技術重視の文化が全社へ波及した。
アメーバブログは芸能人ブログの急拡大によりアクセスを伸ばしたが、夜間の集中アクセスによってサーバーダウンが頻発した。1日1500万PV、ピーク時毎秒6000クエリという高負荷に対し、外注中心の開発体制では迅速な改善が困難であった。PVが増えても広告収益が比例せず、技術的制約が成長の上限を規定していた。
加えて、Oracle中心の構成やRead/Write未分離、適切でないインデックス設計など、負荷分散を想定しないアーキテクチャが構造的問題となっていた。運用中サービスのDB改修は難易度が高く、技術を内製化しなければ根本解決できない状況に直面していた。
2006年5月、藤田晋は自らのブログでエンジニア自社採用の開始を宣言し、「6月末までに20名採用する」と明言した。外注依存から脱却し、改修スピードを高めるための内製化方針であった。オフィス改装、待遇改善、最終面接への社長同席など、採用強化策を実行した。
同年、佐藤真人が入社し、障害一次対応を通じて信頼を獲得。3年かけて負荷分散アーキテクチャを再構築した。OracleからMySQLへ移行し、静的資産の分離やインデックス最適化を実行。増大するアクセスに耐えうる基盤構築へと舵を切った。
基盤改善は段階的に進み、2009年頃に安定稼働を実現した。アクセス集中時のダウンは大幅に減少し、PV拡大が収益へ転換可能な構造が整った。技術的制約が緩和されたことで、広告在庫の拡大と収益改善が同時に進行した。
2010年9月期にアメーバ事業は黒字化を達成。広告収入に加え課金モデルも確立し、高収益事業へ成長した。さらに、技術内製化の成功体験は全社へ波及し、エンジニアリング重視の文化が定着した。2006年の採用開始は、同社が技術企業へ転換する起点となった。
2011年のスマホシフト宣言は、広告依存からプロダクト主導への構造転換であった。ゲームとアドテクへの投資が高収益化につながり、第二成長期を切り開いた。
2010年前後、インターネット利用は急速にスマートフォンへ移行し始めていた。サイバーエージェントは広告とブログを中心に成長してきたが、PC前提の事業構造では中長期的な競争優位を維持できない可能性が高まっていた。藤田晋は「技術のサイバーエージェント」を掲げ、エンジニアリング主導への転換を明確化した。
同時に、広告単体依存からの脱却も課題であった。人員拡大に比例する広告モデルではなく、プロダクト主導でスケールする事業が求められていた。スマートフォンの普及はゲームやアプリ市場の拡大を意味し、新たな収益源確立の機会と認識された。
2011年5月、スマホシフトを宣言し、全社規模での組織改編を実行した。ゲーム事業子会社としてCygamesを設立し、スマホ向けゲーム開発を本格化。2011年9月に提供開始した「神撃のバハムート」は国内外でヒットし、Google PlayおよびApp Storeで上位を獲得した。
加えて、広告分野でもアドテクへの内製投資を開始。スマホ向けアドネットワーク「AMoAd」を皮切りに複数の運用ツールを開発し、2013年にはアドテク本部を新設した。プロダクト開発と広告技術を両輪とする体制へ移行し、スマホ中心の事業ポートフォリオへ再構築した。
スマホシフトの成果は業績に直結した。Cygamesはヒットタイトルを継続的に創出し、ゲーム事業は同社の収益柱へ成長した。広告分野でも運用型広告の拡大により収益構造が強化された。事業ポートフォリオはPC依存からスマホ主導へ転換した。
その結果、2015年度に純利益147億円と過去最高益を達成。スマホ集中戦略は単なる流行追随ではなく、技術主導企業への構造転換を意味した。2011年の宣言と組織改編は、サイバーエージェントが第二成長期へ移行する起点となった。
| 製品名 | 機能 | 備考 |
| AMoAd | アドネットワーク | 2011年提供開始 |
| CAリワード | リワード広告 | |
| Force Operation X | ソリューション | |
| CAMP | 広告効果測定 |
負けない体制は既にできています。「Ameba」で暗中模索しながら築き上げてきた「新サービスを次々と生み出す仕組み」が社内にできているからです。新しい市場に参入するとき、「得意なところを買えばいい」と安易な買収計画を立てる企業がありますが、そういうところは大抵、失敗します。当社には「小さく生んで大きく育てる」と言う方針のもと、内製でサービスを作り出す体制がしっかりできています。開発スピードの遅い外注では勝負になりません。自社で企画から開発、運営まで一気通貫で行うための仕組みづくりも万全です。その都度の工程で、優れたルールがしっかりできています。
私が担当しているSAP事業の部門は、当社に限らずネットビジネス全体を見渡しても、昨今最も注目され成長を続けているドメインです。(略)2011年5月に当社の連結子会社として設立した(株)Cygamesは、国内で「進撃のバハムート」という大ヒットタイトルを開発し、この1年で海外展開にも成功しています。英語タイトルを「Rage Of Bahamut」とし、米国GooglePlay、米国Apple Storeの全アプリ売上ランキングで1位を獲得。(略)全世界で500万人以上の会員のみなさまに楽しんでいただいています。「Rage Of Bahamut」の快挙により、日本発のスマートフォンゲームが、そのまま海外でも通用することが立証できました。
高収益であったFX事業を売却した判断は、短期利益よりも長期戦略を優先する選択であった。資金をスマホ領域へ再配分し、事業ポートフォリオを明確化した。
2003年、サイバーエージェントはFX事業へ参入するため子会社シーエーキャピタルを設立し、後にサイバーエージェントFXへ商号変更した。取引システムは外為どっとコムのOEMを採用し、自社開発を行わずに市場参入を実現した。技術投資を抑えつつ金融領域へ展開する戦略であった。
事業は順調に口座数を拡大し、2011年度には売上高80億円、営業利益32億円を計上する高収益事業へ成長した。広告・メディア以外で安定的な利益を生む事業として存在感を持ち、同社の収益多角化を象徴する部門となっていた。
しかし2011年以降、全社はスマートフォン中心への転換を掲げ、ゲームとアドテクへの投資を強化した。FX事業は高収益であったものの、スマホ戦略との直接的なシナジーは限定的であった。経営資源を成長領域へ集中する観点から、事業ポートフォリオの再整理が検討された。
2013年1月、サイバーエージェントはサイバーエージェントFX株式の売却を決定。売却先はヤフージャパンで、譲渡価格は210億円。売却益103億円を計上した。高収益事業を手放す決断は、短期利益よりも長期戦略を優先する選択であった。
売却により多額の現金を確保し、スマホゲームや広告技術への投資原資を拡充した。事業構成はより明確にスマホ中心へと整理され、経営方針の一貫性が強まった。金融という非中核領域から撤退し、成長分野へ資源を集中する体制が整った。
一方で、同事業を率いた西條晋一は退任し、その後ベンチャー投資領域へ転身した。高収益事業の売却は組織面でも転換を伴った。2013年の株式売却は、選択と集中を徹底する経営姿勢を示す象徴的な意思決定となった。
目を付けたのが、FXの領域です。当時、個人向けのFXの市場は未知数で、インターネット証券などの大手もまだ参入していませんでした。だけど、FXは為替ディーラーの経験が生きるし、チャンスがある。「いかにしてシステムを作ろうか」と考えていたとき、ライブドアの取締役から、ライブドアではシステムを自社開発せずに、外為どっとコムからシステムをOEM提供してもらって参入すると聞きました。
システム構築の手間が省けたら、リスクなく事業をスタートできる。当初、外貨どっとコムは、ライブドア以外へのシステム提供を考えていませんでしたが、僕は諦めずに熱心に担当役員と交渉を続け、サイバーエージェントにも提供してくれることが決まりました。
サイバーエージェントを退職後は、いくつかの企業の社外取締役や共同創業者を務め、気が付いたら44歳になっていました。
さすがにもう起業しようと考えていた2018年のお正月、何気なくカレンダーを見ていたら、なぜか目に飛び込んできたのが「1月11日」の日付。何をするかは決めていませんでしたが、「よし、この日に新会社を登記しよう」と、4日間で準備して新会社設立に至りました。
収益性の低いサービスの中止を決定。Ameba事業の担当従業員数を1600名から800名へと半減。収益改善を目論む
AbemaTV設立は、短期収益を犠牲にして動画市場の確立を狙う長期投資であった。ゲーム収益を原資に巨額赤字を許容し、次世代メディア企業への転換を目指した。
2015年前後、スマートフォン普及と通信環境の高速化により動画視聴が日常化しつつあった。加えてNetflixの日本進出により、ネット動画市場の拡大は不可逆と認識された。サイバーエージェントは広告とゲームで収益基盤を築いていたが、次の大規模市場として動画領域への参入を検討していた。
一方で同社は番組制作のノウハウを持たず、単独参入には限界があった。藤田晋はテレビ朝日と協議を重ね、ネットの技術力と放送局の制作力を組み合わせる構想を描いた。両社の強みを補完する合弁形態が、動画市場参入の前提条件となった。
2015年4月、テレビ朝日と合弁でAbemaTVを設立し、出資比率はサイバーエージェント60%、テレビ朝日40%とした。主導権を握りつつ、放送コンテンツ制作力を取り込む体制を構築した。2016年4月には無料常時放送型の動画配信サービスとして開局した。
開局時は約18チャンネルを編成し、ニュースやアニメなど多様なジャンルを展開した。番組制作やコンテンツ仕入に多額の原価が発生する構造であり、年間数百億円規模の赤字を前提とする長期投資を決断。藤田晋は10年間投資を継続する方針を明言した。
AbemaTVは累計ダウンロード数を伸ばし、広告販売も開始されたが、原価負担は重く債務超過に転落した。2022年時点で1111億円の債務超過に至るなど、財務面では大きな負担を伴った。短期収益よりも市場確立を優先する経営判断であった。
しかし、ゲーム事業の高収益が投資原資を支え、同社は自己資金で継続投資を実行した。AbemaTVはネット動画における独自ポジションを築き、テレビ局に匹敵するメディア構想の基盤を形成した。2015年の合弁設立は、同社が次世代メディア企業を目指す長期戦略の起点となった。
| 決算 | 売上高 | 売上原価 | 営業利益 | 債務超過額 |
| FY2018 | 60 | 195 | -189 | 0 |
| FY2019 | n/a | n/a | n/a | 665 |
| FY2020 | 153 | 262 | -169 | 836 |
| FY2021 | 258 | 316 | -137 | 992 |
| FY2022 | 365 | 381 | 113 | 1111 |
| 名称 | 区分(推定) |
| Abema News | テレビ朝日と共同制作(51%出資の制作子会社で制作) |
| バラエティ CHANNEL | 仕入 |
| ドラマ・CHANNEL | 仕入 |
| WORLD SPORTS | 仕入 |
| Abema PRODUCE | 仕入・制作? |
| 釣り | 仕入 |
| アニメ24 | 仕入 |
| 麻雀 | 仕入 |
| ヨコノリ | 仕入 |
| なつかしアニメ | 仕入 |
| 深夜アニメ | 仕入 |
| Documentary | 仕入 |
| Abema RADIO | 制作? |
| ペット | 仕入 |
| CLUB CHANNEL | 仕入 |
| REALITY SHOW | 仕入 |
| Abema SPECIAL | 仕入? |
| Ameba FRESH | 仕入? |
インターネットやスマートフォンへの対応が急務な中で、テレビ局側の立場に立つと、企業文化の中でそういったものがうまくできそうにない。また、企業買収についても最適な会社が見当たらない。そこで我々が作りましょうかと提案した
大きな赤字を出していることは重々認識していますが、メディア事業は先に面白いコンテンツを作らなければ成功しないし、マネタイズできないことは歴史が証明しています。だから、現状はあくまで先行投資と位置付け、とにかくいいコンテンツを継続して作り続けることが大事だと考えています。(中略)我々はAbemaTVを10年がかりで会社の柱に育てていく考えです。広告やゲームといった既存事業との相乗効果はもちろん、AbemaTVを起点にした新事業も出てくるでしょう。AbemaTVを会社の中心に据えて、中長期で会社が潤おうような展開をしていくつもりです。
2019年12月の株主総会において、藤田社長の選任賛成比率が57.56%となり社長解任の危機に陥った。機関投資家がサイバーエージェントの社外取締役比率の低さを問題視し、議決権行使助言会社のISSが議案に反対したことが要因
連結決算において売上高6664億円・営業利益1043億円を達成。ゲーム事業のウマ娘のヒットにより大幅増益。
一方、単体決算において、債務超過に陥っている子会社AbemaTVに対する貸付金に関して900億円の引当金を計上。このため単体ベースでサイバーエージェントは690億円の最終赤字に転落
ウマ娘のヒットを受けて、ワールドカップの放映権を取得。AbemaTVにおける投資のため、サイバーエージェントの負担金額は不明
藤田社長の候補候補について、社内から抜擢する方針を表明。取締役会を中心にサクセッションプランを始動した
2023年7月にFY2023(9月期)の下方修正を発表。ウマ娘のヒットの反動により75%の経常利益の減益を予想
2000年3月、サイバーエージェントは赤字のまま東証マザーズに上場し、207億円を調達した。評価額624億円は将来成長への期待に依存しており、事業実態との乖離は明らかだった。当時の株式評価は利益ではなく売上高倍率を基準に行われ、成長期待そのものが価格に織り込まれる環境にあった。直後にネットバブルが崩壊し、時価総額は100億円前後まで急落。保有現金が企業価値を上回るという異常な状態が生まれ、村上ファンドから現金還元を要求されるなど、「調達しすぎた資本」は一時的に経営リスクそのものとなった。同時期にバブルの恩恵を受けた企業は多数あったが、その資金をどう使ったかで、その後の軌跡はまったく異なるものになった。
象徴的な対比が、サイバークリックの開発を委託した相手でもあるオン・ザ・エッヂ(のちのライブドア)である。堀江貴文氏率いるライブドアも同時期に上場し、高い株価を梃子にした株式交換による企業買収を成長戦略の軸に据えた。株価を高く維持すること自体が買収通貨としての価値を持つモデルであり、資金を事業に投じるのではなく、株式そのものを経営資源として活用する設計だった。一方の藤田晋は、調達した現金を温存し、事業投資の原資として長期にわたって使い続ける道を選んだ。バブルで得た資本を「株価の維持」に使うか「事業への投下」に使うか。この分岐が、両社のその後を決定的に分けた。
サイバーエージェントの207億円は、その後20年にわたる大型投資の原資として機能し続けた。2005年からのアメーバ事業には約60億円を先行投資し、藤田自ら事業を直轄して5年かけて黒字化にこぎつけた。2015年に設立したAbemaTVには累計で数千億円規模の資金を投じ、1111億円の債務超過を抱えながらも外部資金に頼らず自己資金で投資を継続した。村上ファンドの還元要求を拒否し、GMOの持株拡大に対しては楽天との提携で経営権を守り、「いつか大きく張る」ための余力を短期的な株主還元圧力に屈せず維持し続けた。この防衛と温存の判断がなければ、後の大型投資は実現していない。
バブルで調達した資金を浪費した企業は少なくない。過剰な現金を持て余し、無目的な多角化やM&Aに走って失敗した例は同時期に多数存在する。ライブドアは株価連動型の成長モデルが2006年の事件で崩壊し、企業そのものが消滅した。サイバーエージェントの場合、調達額の大きさ自体は時代の産物だったが、それを20年かけて段階的に事業投資へ転換し続けたことは経営判断の結果である。同じバブルの恩恵を受けながら、資本の使い方ひとつで企業の寿命が変わる。資本調達の巧拙は調達時点ではなく、その後の使い方で決まるという原則を、この対比は示唆している。