更新日2026年23

東レの歴史

1926年設立。レーヨンメーカーとして出発し、ナイロン・ポリエステルの技術導入で合繊大手に成長。炭素繊維の量産化に世界で初めて成功し、航空機向け素材で圧倒的シェアを確保。先端材料メーカーへと進化を遂げた。
1926
決断
東洋レーヨンを設立
創業期に見られた研究開発重視の考え方と現在への影響
1931
レーヨンで国内シェア確保
1931 レーヨンで国内シェア確保
1938
瀬田工場を新設
1938 瀬田工場を新設
1941
国内2社を合併
1941 国内2社を合併
1949
東京証券取引所に株式上場
1949 東京証券取引所に株式上場
1951
決断
米デュポンとナイロンの技術提携契約を締結
経営トップの覚悟が支えたリスクテイク
技術使用料
10.8
億円
1957
英国ICI社ポリエステルに関する技術提携契約を締結
1957 英国ICI社ポリエステルに関する技術提携契約を締結
1961
PNC法でプロラクタムの生産開始
1961 PNC法でプロラクタムの生産開始
1962
基礎研究所を新設
1962 基礎研究所を新設
1970
決断
樹脂とフィルムに設備投資
エンプラというニッチ市場への進出
1970
商号を東レ株式会社に変更
1970 商号を東レ株式会社に変更
1971
決断
炭素繊維の生産開始
1975
石川工場を新設
1975 石川工場を新設
1975
決断
経営陣が脱繊維を否定
1985
インターフェロン-β製剤の製造承認を取得
1985 インターフェロン-β製剤の製造承認を取得
1985
繊維部門の人員配置転換
1985 繊維部門の人員配置転換
1987
前田勝之助氏が社長就任
1987 前田勝之助氏が社長就任
1990
決断
B777向け炭素繊維を納入
10年間受注総額
800
億円
1991
長期経営ビジョンAP-G2000を策定
1991 長期経営ビジョンAP-G2000を策定
1993
カラーフィルターの量産開始
1993 カラーフィルターの量産開始
1994
中国での現地生産開始
1994 中国での現地生産開始
1997
長期経営ビジョンNew AP-G2000を策定
1997 長期経営ビジョンNew AP-G2000を策定
2000
最終赤字に転落
2000 最終赤字に転落
2002
中期経営課題NT21を策定
2002 中期経営課題NT21を策定
2006
決断
B787向け炭素繊維を納入
40年の赤字を経て成立した炭素繊維の航空機事業
16年間受注総額
1
兆円
2010
2期連続の最終赤字に転落
2010 2期連続の最終赤字に転落
2014
Zoltek Companiesを買収
2014 Zoltek Companiesを買収
2018
決断
TCACを買収
取得原価
1171
億円
2020
米国で人員解雇
2020 米国で人員解雇
2023
中期経営課題PJ「AP-2025」を開始
2023 中期経営課題PJ「AP-2025」を開始
2024
政策保有株式の順次売却を公表
2024 政策保有株式の順次売却を公表
2024
決断
構造改革「Dプロ」の開始
ROICに基づく事業選別
業績を見る
東レ:売上高 売上
■単体 | ■連結 (単位:億円)
24,645億円
売上収益:2024/3
東レ:売上高_当期純利益率 利益
○単体 | ○連結 (単位:%)
0.8%
利益率:2024/3
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区分 売上高 利益※ 利益率
1950/3 単体 売上高 / 当期純利益 - - -
1951/3 単体 売上高 / 当期純利益 - - -
1952/3 単体 売上高 / 当期純利益 161億円 32億円 19.8%
1953/3 単体 売上高 / 当期純利益 149億円 11億円 7.4%
1954/3 単体 売上高 / 当期純利益 240億円 29億円 12.1%
1955/3 単体 売上高 / 当期純利益 297億円 26億円 8.8%
1956/3 単体 売上高 / 当期純利益 410億円 36億円 8.8%
1957/3 単体 売上高 / 当期純利益 538億円 54億円 10.0%
1958/3 単体 売上高 / 当期純利益 595億円 47億円 7.9%
1959/3 単体 売上高 / 当期純利益 590億円 35億円 5.9%
1960/3 単体 売上高 / 当期純利益 812億円 81億円 10.0%
1961/3 単体 売上高 / 当期純利益 954億円 100億円 10.4%
1962/3 単体 売上高 / 当期純利益 1,148億円 112億円 9.7%
1963/3 単体 売上高 / 当期純利益 1,297億円 123億円 9.4%
1964/3 単体 売上高 / 当期純利益 1,602億円 122億円 7.6%
1965/3 単体 売上高 / 当期純利益 1,739億円 65億円 3.7%
1966/3 単体 売上高 / 当期純利益 1,792億円 37億円 2.1%
1967/3 単体 売上高 / 当期純利益 2,080億円 75億円 3.6%
1968/3 単体 売上高 / 当期純利益 2,268億円 133億円 5.8%
1969/3 単体 売上高 / 当期純利益 2,405億円 149億円 6.1%
1970/3 単体 売上高 / 当期純利益 2,888億円 177億円 6.1%
1971/3 単体 売上高 / 当期純利益 3,070億円 144億円 4.6%
1972/3 単体 売上高 / 当期純利益 2,984億円 61億円 2.0%
1973/3 単体 売上高 / 当期純利益 3,000億円 77億円 2.5%
1974/3 単体 売上高 / 当期純利益 3,625億円 187億円 5.1%
1975/3 単体 売上高 / 当期純利益 3,509億円 83億円 2.3%
1976/3 単体 売上高 / 当期純利益 3,742億円 16億円 0.4%
1977/3 単体 売上高 / 当期純利益 4,189億円 41億円 0.9%
1978/3 単体 売上高 / 当期純利益 4,074億円 9億円 0.2%
1979/3 単体 売上高 / 当期純利益 4,038億円 84億円 2.0%
1980/3 単体 売上高 / 当期純利益 4,809億円 139億円 2.8%
1981/3 単体 売上高 / 当期純利益 5,307億円 123億円 2.3%
1982/3 単体 売上高 / 当期純利益 5,568億円 107億円 1.9%
1983/3 単体 売上高 / 当期純利益 5,654億円 140億円 2.4%
1984/3 単体 売上高 / 当期純利益 6,126億円 156億円 2.5%
1985/3 単体 売上高 / 当期純利益 6,269億円 150億円 2.3%
1986/3 単体 売上高 / 当期純利益 - - -
1987/3 単体 売上高 / 当期純利益 - - -
1988/3 単体 売上高 / 当期純利益 - - -
1989/3 単体 売上高 / 当期純利益 - - -
1990/3 単体 売上高 / 当期純利益 - - -
1991/3 単体 売上高 / 当期純利益 - - -
1992/3 単体 売上高 / 当期純利益 - - -
1993/3 単体 売上高 / 当期純利益 - - -
1994/3 単体 売上高 / 当期純利益 - - -
1995/3 単体 売上高 / 当期純利益 - - -
1996/3 単体 売上高 / 当期純利益 - - -
1997/3 単体 売上高 / 当期純利益 - - -
1998/3 単体 売上高 / 当期純利益 - - -
1999/3 単体 売上高 / 当期純利益 - - -
2000/3 連結 売上高 / 当期純利益 - - -
2001/3 連結 売上高 / 当期純利益 - - -
2002/3 連結 売上高 / 当期純利益 10,157億円 38億円 0.3%
2003/3 連結 売上高 / 当期純利益 10,329億円 57億円 0.5%
2004/3 連結 売上高 / 当期純利益 10,885億円 209億円 1.9%
2005/3 連結 売上高 / 当期純利益 12,986億円 343億円 2.6%
2006/3 連結 売上高 / 当期純利益 14,274億円 474億円 3.3%
2007/3 連結 売上高 / 当期純利益 15,464億円 585億円 3.7%
2008/3 連結 売上高 / 当期純利益 16,496億円 480億円 2.9%
2009/3 連結 売上高 / 当期純利益 14,715億円 -163億円 -1.2%
2010/3 連結 売上高 / 当期純利益 13,596億円 -141億円 -1.1%
2011/3 連結 売上高 / 当期純利益 15,396億円 579億円 3.7%
2012/3 連結 売上高 / 当期純利益 15,886億円 642億円 4.0%
2013/3 連結 売上高 / 当期純利益 15,922億円 484億円 3.0%
2014/3 連結 売上高 / 当期純利益 18,377億円 596億円 3.2%
2015/3 連結 売上高 / 当期純利益 20,107億円 710億円 3.5%
2016/3 連結 売上高 / 当期純利益 21,044億円 901億円 4.2%
2017/3 連結 売上高 / 当期純利益 20,264億円 994億円 4.9%
2018/3 連結 売上高 / 当期純利益 22,048億円 959億円 4.3%
2019/3 連結 売上高 / 当期純利益 23,888億円 793億円 3.3%
2020/3 連結 売上収益 / 当期利益 20,911億円 842億円 4.0%
2021/3 連結 売上収益 / 当期利益 18,836億円 457億円 2.4%
2022/3 連結 売上収益 / 当期利益 22,285億円 842億円 3.7%
2023/3 連結 売上収益 / 当期利益 24,893億円 728億円 2.9%
2024/3 連結 売上収益 / 当期利益 24,645億円 218億円 0.8%
経営方針: 2023年3月期 2026年3月期
東レ 中期経営課題 プロジェクト AP-2025(Dプロ含む)

計画策定の背景

東レは戦後、レーヨンを起点にナイロン、ポリエステルへと事業を拡張し、1970年代以降は樹脂、フィルム、炭素繊維などへ多角化を進めてきた。高分子化学を中核とする技術基盤を活かし、長期視点で研究開発投資を継続できたことが競争力の源泉となり、特に炭素繊維では航空機用途を中心に世界的な地位を確立した。一方で、事業領域の拡大とともに、低成長・低収益事業を内包したポートフォリオが固定化し、売上規模に対して利益率が伸びにくい構造が顕在化していった。

2010年代後半以降、PBR1倍割れが常態化する中で、成長投資を継続するだけでは企業価値が十分に評価されない局面に入った。投下資本と利益の対応関係を事業別に精査すると、数量維持を優先してきた一部事業が資本効率を押し下げていることが明確となった。こうした問題意識を背景に、東レはROICを上位概念とする経営への転換を明示し、成長戦略と並行して低収益事業の再設計を進める枠組みとしてAP-2025および構造改革施策であるDプロを位置づけた。

経営の基本方針

AP-2025では、全事業を成長性・収益性・競争力の観点から再評価し、資本配分の優先順位を明確化することを基本方針とした。炭素繊維や先端材料など、高付加価値かつ中長期的な成長が見込める領域には研究開発や設備投資を重点配分し、技術優位性の強化と収益力の底上げを図る。一方で、既存設備を前提とした数量拡大型の事業については、規模維持を前提とせず、価格、固定費、稼働率を分解した上で収益改善余地を検証する姿勢を明確にした。

Dプロは、低収益事業を一括整理する施策ではなく、ROICの視点から事業ごとに成立条件を再設計するための装置として位置づけられている。縮小や撤退は目的ではなく、投下資本に見合う利益を生み出せるかを検証した結果として選択される手段である。成長投資と構造改革を同一の評価軸に置くことで、東レは事業ポートフォリオを固定化させず、持続的にキャッシュ創出力と資本効率を高める経営への転換を目指している。

Author's Questions

  • これまでの東レの成長戦略は、なぜ企業価値の改善として十分に積み上がらなかったのか。

    東レは炭素繊維をはじめとする先端材料で世界的な競争力を確立しつつ、樹脂、フィルム、繊維など幅広い事業を抱え、売上規模を拡大してきた。一方で、過去の中計では成長投資を優先する中で、低収益事業の見直しは段階的・部分的にとどまり、ROICやPBRといった企業価値指標の改善は後追いになってきた。今回のAP-2025では、こうした過去の意思決定と比較して、企業価値の観点で何を最も変えようとしているのだろうか。

  • 今回のAP-2025とDプロでは、本当に「やり切る」ために判断の前提が切り替わったと言えるのか。

    これまでの中計では、成長領域への投資を継続する一方で、既存事業については規模維持や市況回復を前提とした改善が選択されてきた。DプロではROICを基軸に事業の成立条件を再設計するとされているが、これは従来の『成長を優先しつつ改善する』という前提から、『成立しない事業は構造的に見直す』という前提への転換だと言い切れるのだろうか。

  • もしAP-2025が想定通りに進まなかった場合、東レは本当にこれまでと違う選択を取れるのか。

    過去の意思決定では、低収益事業であっても事業ポートフォリオの一部として維持し、時間をかけて改善を図る判断が繰り返されてきた。今回のDプロでは、どの事業で、どの水準のROICや収益性を下回った場合に、縮小や再設計、撤退といった判断に進むのかが、これまでの中計と比べてどこまで具体化されているのだろうか。

Author's Insights

なぜ東レは、長期の技術投資を継続できたのか
洞察

東レの技術開発は、特定の事業成功を起点に始まったものではない。創業期から一貫して、短期収益よりも技術の蓄積を優先する姿勢が組織に組み込まれていた。レーヨン、ナイロン、ポリエステルといった合成繊維の展開においても、市況対応より研究開発の継続が優先され、事業の成否にかかわらず技術が蓄積され続けた。

この姿勢は、炭素繊維事業において最も明確に表れた。東レは1970年代から炭素繊維に本格投資を行ったが、当初の用途は限定的で、市場規模も不透明であった。事業化までには長期間の赤字と研究投資が必要であり、短期的な収益指標では合理性を説明しにくい領域であった。それでも東レは撤退を選ばず、材料設計・製造プロセス・用途開発を同時並行で積み上げた。

結果として、炭素繊維は航空機、スポーツ、産業用途へと用途を拡張し、東レの中核事業へと成長した。ただし重要なのは、東レが炭素繊維で成功した理由が「将来を正確に予見したから」ではない点である。技術開発を止めないという判断が、結果として市場の立ち上がりと一致したにすぎない。

東レの競争優位は、個別技術の先進性よりも、長期投資を許容する意思決定構造にあった。研究開発を事業成果で即時評価せず、時間軸を長く取る前提が経営と株主の間で共有されていたことで、他社が撤退する局面でも投資が継続された。この構造が、炭素繊維のような立ち上がりの遅い技術分野で差を生んだ。

東レの事例は、「技術に伝統がある」という表現が、精神論ではなく、資本配分と評価制度の積み重ねによって成立することを示している。技術開発を続ける企業は多いが、成果が出るまで続けられる企業は限られる。東レの強さは、技術そのものよりも、それを待ち続けられる構造にあった。

2026-02-03 | by author
なぜ今の東レは、非連続な成長を実現できないか?
洞察

東レは、なぜナイロンという高リスク技術を導入できたのか。その背景にあったのは、技術的な先見性というよりも、戦後直後の事業環境と財務構造であった。レーヨン事業で一定の収益基盤を確立していた東レは、短期的な採算悪化に耐えうる余力を持っていた。ナイロンは当時、用途も市場規模も不確実で、設備投資額も大きかったが、既存事業のキャッシュが緩衝材となり、失敗を即座に致命傷にしない条件が整っていた。技術選択の巧拙以上に、「失敗しても撤退できる財務的余地」が、リスクテイクを可能にした。

このナイロン投資は、結果として東レの成功体験となった。不確実性の高い技術に先行投資し、量産化まで持ち込むことで競争優位を構築した経験は、社内に「技術で勝つ」という自己認識を残した。長期視点で研究開発に投資し、市場が立ち上がるまで待つという姿勢は、東レの企業文化として定着した。一方で、この成功体験は、技術的リスクテイクが常に報われるという暗黙の前提も生んだ。ナイロンの成功は、結果論として正しかったが、その成立条件が何であったかは十分に言語化されないまま共有されていった。

近年の買収戦略は、この過去のリスクテイクとは性質を異にする。東レが近年実行してきたM&Aの多くは、新技術の獲得というよりも、既存技術の販路拡大や大口顧客の確保を目的としたものであった。しかし、販路を買う戦略は、時間を短縮する一方で、技術的な飛躍を生みにくい。結果として、投下資本に対する成長のリターンは限定的となり、ナイロン期のような非連続な競争優位は再現されていない。

現在の東レが直面しているのは、リスクを取らなくなったというより、リスクの質が変わった問題である。かつての東レは、失敗確率の高い技術に資本を投じて競合優位を発揮したが、現在は、リスクを抑制する代わりに、成長の天井が見えやすい連続的な選択を重ねている。

2026-02-03 | by author
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1926
1月

東洋レーヨンを設立

創業期に見られた研究開発重視の考え方と現在への影響 概要

東レが現在も研究開発に力を入れている背景には、創業期の事業の進め方がある。後から化学繊維に参入した同社は、設備を整えるだけでなく、技術を自社で理解し扱うことを重視していた。若手技術者の育成や海外技術の導入を通じて工程を身につけていった姿勢は、短期的な生産拡大よりも先を見据えた選択であり、こうした考え方が現在の研究開発重視にもつながっているのだろう。

三井物産による化学繊維事業参入。資本政策と技術導入の経緯

1926年1月、東洋レーヨン株式会社は資本金1,000万円で設立され、三井物産の子会社として化学繊維レーヨンの製造に乗り出した。当時すでに帝人が国内市場を先行していたため、同社は後発での参入であったが、第一次世界大戦後に三井物産が得た利益の使途として、化学繊維が選ばれていた点が特徴であった。

設立に先立つ1925年には三井物産内に特別室が設けられ、技術調査や設備計画が進められていた。単なる投資ではなく、事業を継続する前提での準備が行われており、その過程で東洋レーヨンは三井グループ内において化学繊維を担う会社として位置づけられていった。また、繊維産業で争議が生じた場合の影響を考慮し、社名に「三井」を用いない判断も同時に下されていた。

後発参入を前提とした立地と技術の選択

こうした前提のもと、1926年4月に滋賀工場の建設が始まり、生産拠点として滋賀県大津が選ばれた。レーヨン製造では水質が工程に影響するため、三井物産は国内20か所以上で調査を行い、その結果、琵琶湖水系の水質が導入技術である「二重送法」に適すると判断されたことが立地決定につながった。

一方、技術者については既存企業からの移動に頼らず、大学卒業直後の若手を採用し、外国人技師を招聘して技術を伝える方法が取られた。1925年には欧州への技術留学が行われ、国内では分析研究も進められており、時間をかけて技術を自社内で扱えるようにする方針が明確であった。そのため、短期の生産量よりも、工程を理解した人材を揃えることが優先されていた。

量産によるスケールメリットでシェア掌握

この体制のもと、1927年8月15日23時40分、滋賀工場の紡糸設備から最初の糸が紡出され、試作は成功した。続いて量産準備が進められ、1928年1月には紡糸機40台が稼働し、本格的な生産が始まった。生産されたレーヨンは主に三井物産向けに出荷されていった。

その後、需要の増加に合わせて設備の増設と操業の調整が行われ、1931年には国内レーヨン生産のおよそ2割を占めるまでに至った。後発での参入であったが、工程の安定と供給量の拡大を重ねることで、市場の中で一定の存在感を示すに至った。一本の糸から始まった取り組みは、数年をかけて継続的な生産へと移行し、1930年代までに国内トップ(シェアベースで1位)の量産体制を確立した。

東レ・技術者の回想 証言

今思い出すと、機械の前にいたものは、スターレー、アーダン、ボルトと私の4人。他の人々は第5号機や第6号機のブリーデングに一生懸命準備を急いでいた。まもなくボルト氏の手から繰り出された糸は、ボットムガイドからトップガイドへ、そこからさらにゴデットファンネルを通って、ボットの中に吸われていく。

出た!出た!待望の糸が。時まさに昭和2年8月15日午後11時40分。南紡糸室第1号機スピンドルナンバー第76号から、当社最初の1本の糸は出たのだ。コンディションは最上。16日の午前0時を期して、外人総出で第1号機に一斉に糸掛けされた。平田専務をはじめ、重立つ人々が現場にみえ、皆隠しきれぬ喜びを満面にたたえていた。


東洋レーヨンを設立に関する出来事 年表
1925
三井物産に特別室を設置
1926
東洋レーヨン株式会社を設立
三井物産の出資比率 50 %超
1927
滋賀工場第1工場を竣工
1927
滋賀工場で紡糸の試作成功
1928
滋賀工場で紡糸の量産開始
紡糸機 40
1929
滋賀工場の完工
1931
レーヨンで国内シェア確保
1938
2月

瀬田工場を新設

化学繊維レーヨンの紡織に参入するため、滋賀県内に瀬田工場を新設

1941
7月

国内2社を合併

戦時下における企業統合により、庄内川レーヨンおよび東洋絹織を買収

1949
東京証券取引所に株式上場
1951
6月

米デュポンとナイロンの技術提携契約を締結

経営トップの覚悟が支えたリスクテイク 概要

東レのナイロン参入は、資本金を上回る技術導入費用を伴う、大きな賭けであった。市場の将来性が見えない段階でこの判断を下した背景には、当時の田代茂樹会長の強い覚悟があった。特許のみを導入し、製造は自ら切り開く必要がある中でも前に進んだ決断は、数値では測れない経営判断であった。技術、設備、原料を同時に押さえた体制は量産を可能にし、合成繊維分野での競争優位につながっていった。短期的な経済合理性を捨てた意思決定があったからこそ、今日の東レの繁栄があると言えるだろう。

デュポンとの技術提携による合成繊維ナイロン参入の決断

1951年6月、東レは米国デュポンとナイロンに関する技術提携契約を締結し、合成繊維分野への本格参入を決断した。戦前の1927年にはデュポンによるナイロン開発を把握し、自社でも研究を進めていたが、戦時中の中断によって技術面での差は広がっていた。そのため、独自開発を続けるのではなく、特許実施権の導入という形で技術提携を選択した。

当時、ナイロンは国内でほとんど普及しておらず、衣料用途として成立するかは不透明であった。多くの繊維メーカーが将来性に懐疑的である中で、東レがナイロン導入を決めた判断は業界内でも異例と受け止められた。既存のレーヨン事業とは異なる素材に踏み込むことは、市場評価よりも技術の可能性を優先する意思表示でもあった。

資本金を超える技術導入費用を伴う高リスク投資

デュポンとの契約では、ナイロン製造に関する特許実施権の対価として、ロイヤルティ前払い金300万ドル、円換算で10.8億円の支払いが求められた。当時の東レの資本金は7.5億円であり、資本金を上回る規模の投資となった。技術導入が計画どおり進まなければ、財務面に大きな影響を及ぼす可能性があった。

それでも東レは契約を選択した。契約内容はノウハウの提供を含まないものであり、製造技術の確立は自社で進める必要があったが、特許を押さえることで将来の量産に道を開く判断が優先された。分割払いの提案を含め、交渉を重ねながら契約をまとめた経緯は、当時の経営陣がリスクを認識した上で踏み切った決断であったことを示している。

名古屋新工場と原料確保による量産体制の構築

ナイロン量産に向け、東レは1950年5月に旧三菱重工大江工場を取得し、名古屋に新工場を設けた。既存のレーヨン工場に併設するのではなく、新設工場によって生産体制を整えることで、合成繊維専用の設備と工程を早期に確立する狙いがあった。戦時中に航空機生産に使われていた設備を転用する判断も、立ち上げ速度を意識した選択であった。

また、ナイロン原料であるカプロラクタムの安定確保を目的に、1949年には東亜合成と提携した。東亜合成は名古屋に工場を新設し、東レ向けの供給体制を整えた。技術導入、設備投資、原料調達を同時に進めたことで、東レはナイロン事業を単なる試みではなく、量産を前提とした事業として立ち上げていった。

田代茂樹(東レ・代表取締役会長) 証言

東レの会長としての初仕事はナイロンの工業生産を実現すること、これに関連して米国デュポン社からライセンスを譲り受けることであった。東レはすでにナイロン日産5トンの工場建設を計画していた。用地は名古屋の三菱の旧飛行機組み立て工場を譲り受けることに話を決めた。デュポンの方は何度手紙を書いてもとんと返事がない。たまたまニューヨーク時代のボスだった手島知健さんが、ローアリークラブの用件で渡米されることを辛島さんからきき、手島さんに頼むことになった。

7月中旬、手島さんからデュポンの返事を伺った。「ノウハウはださぬ。特許譲渡しは考えよう。計画書を出してくれ・・・」ということであった。そこで関係者を集め計画書を作成して送った。11月12日の夕、九州からの帰途、芦屋の寮でデュポンのオファーを入手した。ロイヤリティーの前払いとして300万ドルを要求している。1ドル360円のレートで、10.8億円となる。資本金7.5億円をかなり上回る金額で、ウーンと思わずため息が出た。ビールを飲んでぐっすり眠った翌朝、手紙を再読していると、分割払いの考えが浮かんできた。これでいうと社長の袖山君にも話して、在米の岩永常務(現三井石油化学会長)に詳細を書き送り、デュポン社に伝えさせた。


1957
英国ICI社ポリエステルに関する技術提携契約を締結
1961
4月

PNC法でプロラクタムの生産開始

1961/3期(単体) 売上高 954億円 当期純利益 100億円

ナイロン原料であるカプロラクタムの内製を開始

1962
基礎研究所を新設
1970
1月

樹脂とフィルムに設備投資

1970/3期(単体) 売上高 2,888億円 当期純利益 177億円
エンプラというニッチ市場への進出 概要

1970年前後に進められたエンジニアリングプラスチック分野への展開は、繊維事業の代替ではなく補完として位置づけられていた。家電や自動車分野で軽量化・小型化が進む中、ABS樹脂など金属代替材料の需要は拡大したが、同分野では複数の繊維メーカーや化学メーカーが参入しており、市場全体で高いシェアを確保することは容易ではなかった。一方で、用途ごとに個別設計対応が必要な特性から、設計段階で採用されれば一定期間の取引継続が見込める構造を持っていた。

繊維依存からの脱却が課題となった1970年前後の事業環境

1960年代後半から1970年前後にかけて、日本の繊維産業は収益構造の変化に直面していた。円高方向への為替変動に加え、韓国・台湾などアジア諸国の生産能力拡大によって価格競争は激化し、衣料用途を中心とした繊維事業では数量成長と利益率の双方で制約が意識されるようになっていた。業界全体として、繊維以外の分野に新たな売上機会を求める動きが広がっていた。

こうした環境下で、東レにおいても事業領域の拡張が検討されていた。樹脂やフィルムは、合成繊維で蓄積してきた高分子合成、成形、量産技術と技術的な共通性を持つ分野であり、用途や最終製品は異なるものの、既存技術を応用できる領域として位置づけられていた。

多角化領域の一つとして進められた樹脂・フィルム分野への設備投資

1970年1月、東レは多角化の一環として樹脂・フィルム分野の設備投資を進め、生産拠点の新設を行った。ABS樹脂の量産を目的とした千葉工場、PPフィルムの東海工場、PEフィルムの岐阜工場はいずれも新設工場であり、用途別に専用ラインを構築する形が取られている。これにより、衣料用途とは異なる需要に対して、量産対応が可能な供給体制が整備された。

当時の樹脂・フィルム市場は、包装材、工業用途、電機・電子用途などを中心に成長市場として拡大が見込まれていた。これらの用途はいずれも数量ベースでの増加が想定されており、生産能力の先行確保が重要であった。設備投資は、短期的な採算性よりも、将来的な需要増加に対応する量産能力の確保を目的として進められていた。

プラスチック・フィルム市場の拡大がもたらした売上構造の変化

1980年代に入ると、樹脂・フィルム分野は数量拡大を伴って成長した。フィルム分野では、PET、OPP、PEが包装用途で使用量を増やしたほか、家庭用および業務用のビデオテープ用途向けフィルムの需要が拡大した。磁気テープ用途では、1980年代後半に国内市場の約半分を占める水準に達したとされており、フィルム事業全体の生産量を押し上げる要因となった。

プラスチック分野では、ABS樹脂を中心に家電製品や自動車部品向けの採用が進み、製品の小型化・軽量化の流れとともに使用量が増加した。1980年代後半には、フィルム事業単体で年商1,000億円規模に達し、樹脂・フィルムを中心とするプラスチック分野は、1990年前後には東レ全体売上の約23%を占めるまでに拡大した。樹脂市場の成長を捉えたことで、繊維単一であった売上構成は変化していった。

樹脂とフィルムに設備投資に関する出来事 年表
1970
千葉工場を新設
1971
東海工場を新設
1971
岐阜工場を新設
1970
1月

商号を東レ株式会社に変更

1970/3期(単体) 売上高 2,888億円 当期純利益 177億円

非繊維事業を拡大するために、商号を東洋レーヨンから東レに変更

1971
8月

炭素繊維の生産開始

1971/3期(単体) 売上高 3,070億円 当期純利益 144億円

炭素繊維が実験材料から事業候補へと移行した1970年前後の背景

1960年代後半、炭素繊維は研究用途や試作段階にとどまり、量産や事業化の見通しは不透明であった。軽量かつ高強度という特性は知られていたものの、コストの高さや用途の限定性から、産業材料としての評価は定まっていなかった。1970年前後の用途は、スポーツ用品や一部工業用途が中心であり、航空機用途は将来の可能性として語られる段階にあった。

東レはこの段階で、炭素繊維を単なる先端材料ではなく、高分子技術の延長線上にある事業候補として捉えていた。アクリル繊維で培った原糸技術や熱処理技術は炭素繊維と連続しており、既存技術の積み上げによって到達できる分野と見なされていた。繊維から派生した素材として、時間をかけて育てる余地があると考えられていた。

トレカ発売と赤字を許容した事業継続という決断

1971年8月、東レは炭素繊維「トレカ」の販売を開始した。発売当初の主な用途はスポーツ・レジャー分野であり、量は限定的で、採算性も低かった。製造コストは高く、市場規模も小さい中で、炭素繊維事業は赤字が続く状況にあったが、東レは撤退を選ばず、設備改良と品質安定に投資を続けた。

この判断は短期的な収益性を重視するものではなかった。炭素繊維は用途開拓に時間を要し、特に航空機用途では長期の認証や評価が必要であったため、早期の利益回収は見込めなかった。それでも東レは、材料としての完成度を高めることを優先し、赤字を抱えながらも事業を継続した。技術を止めないこと自体が、将来への投資と位置づけられていた。

用途拡大と航空機分野への展開がもたらした売上成長

1980年前後の資料によれば、炭素繊維の用途構成は、スポーツ・レジャー用途が数量ベースで過半を占める一方、工業用途や航空機用途が徐々に比率を高めていた。特に航空機分野は数量では限定的であったものの、付加価値が高く、将来の成長分野として位置づけられていた。用途の広がりとともに、炭素繊維は実験材料から産業材料へと移行していった。

この流れは、その後の航空機向け需要拡大につながり、現在の東レによるボーイング向け炭素繊維供給へと連なっている。1970年代に赤字を許容しながら事業を継続したことで、量産技術と品質管理の蓄積が進み、信頼性が求められる航空機用途に対応できる体制が整った。トレカの発売は、短期の成果ではなく、数十年後の売上拡大を見据えた起点であったと言える。

1975
1月

石川工場を新設

1975/3期(単体) 売上高 3,509億円 当期純利益 83億円

ポリエステル繊維の生産拠点として新設

1975
12月

経営陣が脱繊維を否定

1975/3期(単体) 売上高 3,509億円 当期純利益 83億円

繊維産業の競争環境悪化と脱繊維が選択肢となった1970年代

1970年代、国内の繊維産業は構造的な逆風に直面していた。円高ドル安の進行により輸出採算は悪化し、加えて韓国、台湾、中国といったアジア諸国の繊維メーカーが台頭したことで、日本の繊維メーカーは価格競争力を急速に失っていった。量産を前提とした従来型の繊維事業は、収益面で限界が意識されるようになっていた。

こうした環境下で、国内の大手繊維メーカーは事業構造の転換を進めた。鐘紡は化粧品など非繊維分野に進出する「ペンタゴン経営」を掲げ、日清紡はブレーキパッドなど工業用途への投資を拡大した。繊維から距離を取る判断は、当時の経営合理性から見れば自然な選択であり、脱繊維は業界全体の潮流となっていた。

脱繊維を否定し繊維に残る選択が生んだ技術の深化

一方で、東レは当時の社長のもと、脱繊維という選択を明確に否定した。繊維は依然として生活に不可欠な素材であり、競争力の源泉は分野そのものではなく、技術の深さにあるという考え方が示されていた。短期的な収益悪化を理由に繊維から離れるのではなく、技術を磨き続ける姿勢が経営方針として打ち出された。

この判断により、東レは繊維分野に研究開発資源を集中させる道を選んだ。その延長線上で、汎用繊維ではなく高付加価値素材への取り組みが進み、炭素繊維などの先端材料に注力する流れが形づくられていった。1970年代に示された「繊維に残る」という姿勢は、結果として事業領域を狭めるものではなく、次の成長分野へと技術をつなぐ選択であった。

藤吉次英(東レ・代表取締役社長) 証言

いや、僕はそう思ってないね。脱繊維なんていう根性のやつは、繊維をやめた方がいいんであって、やっぱり繊維は衣食住といわれるように必需品です。ただ、いまのような状態のままでいけば、ジリ貧というか、マージンの薄い仕事になって、百姓がコメを作っているのと同じようなことになってしまう。しかし、考えてみれば人類の歴史が始まって以来、繊維産業はある。合成繊維ができたのはたかだか30年前でしょう。合成繊維で繊維がおしまいかというと、誰も保証できない。何ができるかわからない。また、そうすべきである。可能性はあるわけだから。やっぱり、そういう意味の可能性の追求をやっていくのが、いうならば僕らに社会的に期待されているもんじゃないかなという感じがしてるんです。(略)

まあ、多角化については私は一つの考え方がある。われわれの場合、繊維のベースになるのは石油化学、高分子化学から糸にする川下の分野まで、ずっとあるわけでしょ。それだけの幅の広いテリトリーをカバーして研究している場合、これは繊維にも役立つが、それ以外にも役立つ部分があるという新しい技術を開発することがいくらでもある。その場合、ウチは繊維しかやっておらんから、繊維に役立つ以外の技術はポイと捨ててしまうというのが、従来の行き方だね。しかし、それは繊維以外のこういうところに持っていけば非常に役立つ。要するにそれだけのポテンシャルを見出したわけだから、それを生かしていくのは非常にけっこうではないか。そういう意味の多角化は大いにやってよろしい。


1975/12 日経ビジネス
1985
インターフェロン-β製剤の製造承認を取得
1985
繊維部門の人員配置転換
1987
前田勝之助氏が社長就任
1990
4月

B777向け炭素繊維を納入

航空機への複合材採用が進んだ1980年代初頭の環境変化

1980年代初頭、航空機産業では燃費性能の改善を目的とした機体軽量化が設計上の主要課題となっていた。アルミ合金を中心とした従来材料に対し、比強度の高い炭素繊維強化プラスチックが構造材として検討され始め、材料メーカーには安定供給と品質管理の両立が求められるようになっていた。炭素繊維は研究用途や限定的な産業用途での実績はあったが、商業旅客機での本格採用はまだ途上にあった。

こうした状況下で、米ボーイングは1981年に新型双発機B767を公開し、胴体構造の一部に複合材を採用する方針を示した。材料選定では、性能だけでなく供給能力や工程管理も評価対象となり、複数社を並行して指定する形が取られた。航空機用途は数量規模が限定される一方、設計段階からの関与が必要であり、材料メーカーにとっては長期的な関係構築が前提となる分野であった。

B767向け供給開始と航空機用途への継続的な関与

1982年4月、ボーイングはB767の炭素繊維材料メーカーとして、東レ、東邦レーヨン、米ユニオンカーバイトの3社を指定した。これにより、東レは航空機向け部材として炭素繊維の供給を開始した。採用部位は胴体構造の一部に限られていたが、航空機用途特有の品質基準や検査体制への対応が求められ、量産とは異なる管理手法が導入された。

供給開始後も、炭素繊維の適用範囲は段階的に検討が続けられた。1985年には社内での人員配置転換が行われ、炭素繊維事業への対応力が調整された。数量は限定的であったが、設計変更への対応や製造条件のすり合わせを通じて、航空機メーカーとの実務的なやり取りが積み重ねられていった。この期間は、炭素繊維が試験材料から実機用途へ移行する過程に位置づけられる。

B777受注を通じて進んだ旅客機向け炭素繊維事業の定着

1990年4月、東レはボーイングの次期大型機B777向け炭素繊維部材を受注した。B777では尾翼を含む主要構造部材に複合材が採用され、B767と比べて炭素繊維の使用量が増加した。採用部位の拡大は、材料特性に加え、過去機種での供給実績や工程対応の積み重ねが評価された結果であった。これにより、炭素繊維は旅客機向け材料として実質的な量産用途に入った。

炭素繊維は製造工程が複雑で、品質のばらつきが許容されにくいことから、供給可能な企業は限られていた。特に旅客機用途では、設計や認証を加味した関与が前提となり、これらのノウハウが必要になることから、新規参入の難易度は高かった。一方で、主要顧客がボーイングに集中する構造でもあり、需要動向は次世代の新型機種の開発計画に左右された。1990年時点に示された10年約800億円の受注計画は、炭素繊維事業が旅客機向けとして成立する一方、ボーイングという特定取引先への依存というリスク構造を抱えた。

B777向け炭素繊維を納入に関する出来事 年表
1982
B767向けに炭素繊維を供給
1990
B777向けに炭素繊維を供給(一次構造材の規格認定を取得)
受注予定額 10年間 800 億円
1992
米国現地法人TCAを設立
1994
米国でボーイング向け炭素繊維の現地生産を開始
1991
長期経営ビジョンAP-G2000を策定
1993
10月

カラーフィルターの量産開始

液晶(TFT)向けのカラーフィルターの量産を瀬田工場で開始。1999年までにLM-1からLM-4までの4ラインを稼働して拡大する液晶需要に対応したが、2002年ごろから価格競争により収益性が悪化。

1994

中国での現地生産開始

通称「南通プロジェクト」を開始。江蘇省で100万平方メートルの土地を取得して、繊維の現地生産を意図した。

1997
長期経営ビジョンNew AP-G2000を策定
2000
3月

最終赤字に転落

退職給付債務および販売用不動産の再評価により、FY1999に特別損失1373億円を計上。巨額投資(2000億円を投下)した海外事業の不振、磁気テープの需要減少(ポリエステルフィルム事業の苦戦)もあって営業利益が伸び悩み、2000年3月期に東レは最終赤字657億円に転落した。

2002
中期経営課題NT21を策定
2006

B787向け炭素繊維を納入

2006/3期(連結) 売上高 14,274億円 当期純利益 474億円
40年の赤字を経て成立した炭素繊維の航空機事業 概要

炭素繊維事業は1960年代の研究開始以降、40年近く赤字が続いた。航空機用途は安全性や認証の要求が高く、市場が立ち上がるまでに長い時間を要し、通常の経済合理性に基づけば撤退が選択されやすい分野であった。その中で東レでは、歴代社長が短期採算を優先せず、赤字を許容しながら研究開発と供給体制を維持してきた。B767、B777を経てB787で全面採用に至ったことで、炭素繊維は商業航空機の構造材として事業化され、高付加価値分野での収益機会が生まれた。一方、航空機産業はボーイングとエアバスに集約された寡占市場であり、需要は特定機種や顧客の開発計画に強く左右されるという難しさも併せ持つ。

40年の赤字を経て形成されたボーイングとの継続的な取引関係

炭素繊維は1960年代から研究開発が進められてきたが、市場規模は長く限定的であり、事業としては赤字が続いていた。高い強度と軽量性を持つ一方、製造工程が複雑で品質管理が難しく、航空機用途で求められる安全基準を満たすには長期間の検証が必要であった。このため、多くの化学メーカーが事業化の途中で撤退し、開発を継続した企業は限られていった。

こうした中で、東レは航空機分野への適用を段階的に進めた。1982年のB767、1990年のB777では、構造材の一部に炭素繊維が採用され、実機での使用実績が積み重ねられていった。使用部位や数量は限定されていたが、設計対応、品質管理、供給体制に関する実務経験は機種をまたいで引き継がれ、ボーイングとの取引は継続していた。

ボーイング787向け全面採用を前提とした供給体制の構築

2006年4月、東レの炭素繊維が新型旅客機ボーイング787の主要構造材として全面採用されることが発表された。787では胴体や主翼など広範な部位に複合材料が用いられ、従来機と比べて燃費を約20%改善するとされた。材料選定は機体性能に直結する要素であり、供給企業には長期的な安定供給と工程管理が求められた。

ボーイングは787向け材料調達において、複数社による競争調達ではなく、特定企業との長期契約を選択した。東レは炭素繊維および中間材料を16年間にわたり供給する契約を結び、受注総額は約1兆円規模とされた。炭素繊維は製造工程が長く、トレーサビリティや品質再現性が重視されるため、航空機用途に対応できる企業は多くなかった。

量産旅客機向け供給を通じて明らかになった事業の性格

787向け全面採用により、炭素繊維は商業旅客機の主要構造材として継続的に使用されることとなった。機体1機当たりの使用量は従来機を大きく上回り、機体の生産レートに応じた供給が前提となった。これにより、炭素繊維事業は研究開発や限定用途を中心とした運営から、量産機向けの供給を織り込んだ形へと変わった。

一方で、需要は特定機種の生産計画に連動しており、供給量は機体開発や生産スケジュールの影響を受けた。炭素繊維は製造可能な企業が限られており、航空機用途では新規参入の難易度が高い一方、主要顧客との取引条件や調達方針が事業に与える影響も小さくなかった。B767、B777、787と続いた採用の積み重ねは、炭素繊維事業が商業旅客機向け材料として扱われるようになった経緯を物語っている。

2010
2期連続の最終赤字に転落
2014
2月

Zoltek Companiesを買収

2014/3期(連結) 売上高 18,377億円 当期純利益 596億円

風力発電翼向け炭素繊維材料

2014年に米Zoltek Companiesを買収。風力発電翼用途の炭素繊維複合材料を展開する企業であり、炭素繊維の販売先の拡大を意図した買収であった。

買収による株式の取得価額は1009億円であり、Zoltekが保有する現預金を控除した「取得のための支出」は913億円となった。また、買収による「のれん」として232億円を計上した。東レとしては、1000億円弱の大規模な買収を決断した。

のれん減損へ

東レの意図に反して、2020年代を通じて風力発電所向けの需要が低迷。2024年3月期東レはZoltek社関連の「のれん」について全額減損(約139億円の減損)を決定した。

Zoltek Companiesを買収に関する出来事 年表
2014
Zoltek Companiesを買収
取得のための支出 913 億円
2024
Zoltek関連で減損計上
のれん減損 139 億円
2018
7月

TCACを買収

2018/3期(連結) 売上高 22,048億円 当期純利益 959億円

航空機用途に偏らない炭素繊維需要の広がりを背景とした市場環境

2010年代に入ると、炭素繊維は航空機分野に加え、産業用途やモビリティ分野でも採用が進んでいた。軽量化や耐久性が求められる用途が増え、熱可塑性樹脂を含む複合材料への関心が高まっていた。一方で、炭素繊維単体の供給だけでは用途拡大に十分対応できず、樹脂設計や中間材料まで含めた対応が求められる状況にあった。

特に欧米市場では、航空宇宙、防衛、産業機器向けにおいて、設計段階から材料仕様をすり合わせる動きが一般化していた。材料メーカーには、繊維供給にとどまらず、プリプレグや成形材料まで含めた提供能力が求められていた。こうした要求に対応できる企業は限られており、用途別に異なる材料設計を担える供給体制が競争条件となっていた。

TenCate Advanced Composites買収という事業判断

2018年、東レはオランダに本社を置くTenCate Advanced Composites Holding B.V.の買収を決定した。取得原価は約1171億円で、657億円ののれんを計上した。同社は熱可塑性樹脂および高耐熱硬化性樹脂を用いた炭素繊維複合材料を展開し、航空宇宙分野に加え、産業用途でも納入実績を持っていた。

この買収により、東レは炭素繊維に加えて、中間材料や成形材料を含む製品群を取り込むことになった。用途ごとに異なる設計要求への対応や、顧客の開発工程に近い段階での材料供給が可能となり、炭素繊維関連事業の対応範囲は拡大した。Zoltekに続く1000億円規模の投資は、炭素繊維を原料供給にとどめない事業として位置づける動きであった。

用途分散が進んだ炭素繊維事業の展開結果

買収後、東レはTCACが持つ製品群を通じて、航空機用途に加え、産業機器、エネルギー、モビリティ分野への供給を進めた。炭素繊維は製造工程が複雑で、品質管理や認証対応が必要となるため、供給可能な企業は限られている。特に設計段階から材料が組み込まれる用途では、取引関係が継続しやすい構造となっていた。

一方で、航空機分野では特定顧客への依存度が高く、需要は機種開発や生産計画に影響を受けやすかった。TCACの製品群を通じて産業用途への供給が加わったことで、炭素繊維関連売上は航空機用途に集中しない構成となった。買収後の事業展開は、炭素繊維を複数の用途分野に供給する形で進んだ。

2020
6月

米国で人員解雇

2020/3期(連結) 売上収益 20,911億円 当期利益 842億円

ボーイング向けの炭素繊維部材の販売低迷を受けて、東レの米国子会社において25%の人員削減を決定。

2023
4月

中期経営課題PJ「AP-2025」を開始

2023/3期(連結) 売上収益 24,893億円 当期利益 728億円

2023年に東レは3カ年の中期経営課題プロジェクト「AP-2025」を策定。成長領域として「繊維・機能化成品」を選定し、自動車市場(人工皮革・エアバッグ)・電子材料向けへの部材供給に注力する方針を打ち出した。なお、炭素繊維複合材料については、低迷していた航空機向け需要の取り込みを課題に掲げた。

2024
政策保有株式の順次売却を公表
2024

構造改革「Dプロ」の開始

2024/3期(連結) 売上収益 24,645億円 当期利益 218億円
ROICに基づく事業選別 概要

Dプロは、低収益事業を切り離すための施策ではなく、投下資本と利益の対応関係を事業単位で再設計する装置として導入された。ROICを基準に据えたことで、成長投資と構造改革が同じ評価軸に置かれ、撤退か集中投資かを数量や価格の分解から判断する順序が定まった。このプロセスは、規模維持を優先してきた過去の意思決定を数値で相対化し、事業ポートフォリオを動的に調整する役割を果たした。

背景:ROIC経営と低収益事業の顕在化

東レは2020年代に入り、売上規模に対して利益率が伸びない状態が続いていた。ROICとPBRの推移を見ても、投下資本に対する収益が株式価値に反映されにくい状況が確認されていた。取締役会では、低PBRの要因を成長性ではなく収益率に求め、事業別に投下資本と利益の対応関係を洗い直す方針が共有された。こうしてROICを上位概念とする経営が明示され、事業ポートフォリオ全体の再点検が始まった。

その過程で浮かび上がったのが、低成長かつ低収益、あるいは投下資本が大きいにもかかわらずROIが改善しない事業群であった。繊維、フィルム、樹脂などの一部事業では、市場シェアは維持していたものの、価格転嫁の限界や固定費負担により利益率が低下していた。従来は設備維持や数量確保を優先してきたが、この選択が資本効率を押し下げていることが、数値として可視化された。ここで東レは、全社横断で低収益事業を扱う枠としてDプロを位置づけた。

決断:Dプロによる個別事業の再設計

Dプロは、低成長・低収益事業を一括で扱うのではなく、事業ごとに投下資本、固定費、数量、価格の関係を分解し、選択と集中を進める取り組みとして設計された。対象は、PPスパンボンド、欧米フィルム、ポリエステル短繊維、ZOLTEK社など、投資額が大きく、かつ収益改善の余地が限定されていた事業である。各案件では、撤退か存続かを先に決めるのではなく、生産規模の適正化、品種集約、拠点統廃合といった手段を通じて、ROIが成立するかを検証する順序が採られた。

例えば欧米フィルムでは、汎用品ラインの停止と付加価値品への転換を進め、ZOLTEKでは稼働率に応じた生産体制へ切り替えた。これらの判断は、成長投資ではなく、既存投下資本から得られる利益を最大化することを目的としていた点に特徴がある。Dプロは、事業撤退を前提とした整理ではなく、収益が出る条件を満たさない場合にのみ縮小・撤退へ進む検証プロセスとして運用された。この結果、Dプロは東レの事業ポートフォリオにおける調整機能として組み込まれていった。

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