鐘紡(カネボウ)の歴史

創業年
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上場年
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従業員数
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平均年齢
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平均年収
-万円
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  • 歴史
  • 沿革
  • 業績
1887年

東京綿商社を創業

東京の隅田川沿いの鐘ヶ淵に紡績工場を新設して近代的な繊維事業に参入した。だが、工場の経営は軌道に乗らず、間も無く倒産の危機に陥ったが、出資者でもあった三井財閥が経営再建のために尽力した。このため、鐘紡は三井と縁の深い会社となった。
1894年

兵庫工場を新設

三井財閥は鐘紡を立て直すために、当時28歳の青年であった武藤山治を兵庫工場新設の責任者に抜擢した。兵庫工場は鐘紡の経営再建に大きく寄与し、以後、鐘紡は武藤山治のトップダウンにより経営された。以後、鐘紡は地方の繊維工場を買収することで業容を拡大する。
1946年

武藤絲治が鐘紡の社長に就任

終戦直後に武藤山治の息子であった武藤絲治が鐘紡の社長に就任。以後、戦後の鐘紡の経営を武藤絲治が担う。
1961年

グレータカネボウ計画を策定し、合成繊維に進出

鐘紡の主力事業であった綿は天然繊維であったため、東レのナイロン・ポリエステルといった合成繊維に代替された。そこで、鐘紡は綿以外に「多角化する」方針を定めたグレーター鐘紡計画を策定し、合成繊維および化粧品への本格進出を決めた。
1961年

化粧品事業をカネカより取得

鐘紡は化粧品事業を強化するために、関係会社の鐘淵化学(カネカ)から化粧品事業を取得した。この過程で、カネカから熾烈な抵抗があったと言われている。
1964年

午後3時の綿業論を否定

鐘紡の社長であった武藤絲治は「繊維産業は斜陽では無い」という論説を展開し、鐘紡は「労使協調」を重視する意味でも繊維の縮小を先送りした。
武藤絲治(鐘紡・元社長)の発言
1961年に「グレーター・カネボウ計画」をスタートさせることができ、これは大成功裏に1964年に完成した。このグレーター・カネボウ計画は、鐘紡を時代に適した形に体質改善するのが目的で、その中心はナイロンの企業化と食品、化粧品などの新規事業の拡充である。しかし、鐘紡が繊維と無関係のまったく新しい事業を始めたわけではない。化粧品、食品とも、戦前に手がけた事業につながり、とくに化粧品は復職と表裏一体となって美をつくり出す必要があり、鐘紡独自の力でやった。
1967/09/04ダイヤモンド「異色の多角経営を推進」
1964年

食品事業を強化するため、ハリスを買収

鐘紡はチューイングガムの国内トップシェアメーカーのハリス(小田原)を買収。食品事業に参入する。
1967年

グレータカネボウ計画の成功

合成繊維事業の好調な立ち上がりと、化粧品部門などの多角化事業の拡大によってカネボウは増収増益を達成。当時のメディアではグレーターカネボウ計画が「成功」(1967/09/04ダイヤモンド)と評価された。
1967年

ペンタゴン経営を提唱し、経営の多角化を推進

1960年代を通じて繊維各社が合成繊維に参入したことを受けて、各社の収益性が悪化。そこで、鐘紡は「繊維にとらわれない事業構成」を目標とした、経営の多角化「ペンタゴン経営」を提唱。繊維、住宅、食品、化粧品、医薬品の5事業構成とすることを目標とした。
1970年

伊藤淳二が鐘紡の社長に就任(45歳)

創業期から長らく続いてきた武藤家は鐘紡の経営の一線から退き、伊東淳二が45歳という若さで鐘紡の社長に就任した。この交代劇の裏には壮絶な社内政治があったと言われている。
1971年

商号を鐘淵紡績から鐘紡に変更

繊維事業の比率低下に合わせて、社名から紡績の2文字を除去した「鐘紡」に変更した
1975年

経常赤字に転落

繊維業界の不振を受けて鐘紡の業績も悪化。1975年には経常赤字に転落する。赤字補填のために、鐘紡は大阪の淀川工場跡地を集合住宅地として売却するなど、不動産売却益によって延命を図る。

淡路島・洲本工場を閉鎖

天然繊維事業の競争力低下に合わせて、淡路島の中心部に位置する洲本工場を閉鎖。淡路島の主力産業がまるごと1つ消失し、地元経済に致命的な打撃となった。
1993年

綿紡績国内3工場を閉鎖(長野・松坂・西大寺)

天然繊維事業の競争力低下に合わせて、カネボウは主力の面紡績の3工場を併載した。閉鎖対象は、長野工場(上田)、松坂工場(三重)、西大寺(岡山)の3箇所。いずれも各地域の大口雇用主であり、地元経済に致命的な打撃となった。
1996年

防府工場の閉鎖失敗

合成繊維事業の競争力低下に合わせて、山口県の防府工場の閉鎖を決定したが、熾烈な反対を受けて一時頓挫する。
2003年

伊東淳二がカネボウの名誉会長を退任

1970年から鐘紡の経営を担い「ペンタゴン経営」を推進してきた伊東淳二が会長職を退任した。伊藤淳二は化粧品事業(現カネボウ化粧品)の発展には寄与したが、繊維事業からの撤退判断が遅れ、鐘紡の企業価値を長期的に毀損した。
2005年

粉飾決算疑い

1999年ごろから鐘紡は企業存続を図るために社内で粉飾決算を行なったとされ、2005年に自体が明るみとなり、当時の社長が逮捕された。この結果、鐘紡は社会的信用を失い、多額の負債を抱えて倒産を免れない状態に陥る。
2005年

カネボウ解体。化粧品事業を花王に売却

債務超過を解消するために、鐘紡は唯一の主駅源であった化粧品事業を花王に4500億円で売却した。その後、カネボウは産業再生機構のもとで、各事業部ごとに解体された。
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