1897年11月に北関東への鉄道敷設を目的に資本金265万円で設立された東武鉄道は、1899年8月に伊勢崎線の北千住〜久喜間で営業を開始したが経営は振るわず、1905年に山梨出身の相場師・実業家である根津嘉一郎が株式を取得して経営に参画した。根津は社内の冗費を削減する一方、利根川に約40万円を投じて549メートルの大鉄橋を架設し、路線を群馬・栃木方面へと延ばす積極策に転じた。この決断で東武鉄道は伊勢崎線を北関東まで延伸し、1929年に日光線を全通させ、戦時統合を経てJRを除く関東最大の私鉄路線網(総営業キロ463.3キロメートル)を築いていく。根津家は初代嘉一郎から2代目嘉一郎、根津嘉澄まで3世代・約120年にわたり経営を支配し、同族経営の私鉄として戦前から戦後まで独特の位置を占めてきた。
2012年5月の東京スカイツリー開業は総額約1,430億円の投資だったが、タワー部分だけで初年度の営業利益91億円を計上し、レジャー事業のセグメント利益は開業前の2011年3月期の赤字6.2億円から2013年3月期の105.9億円へと急回復するなど、鉄道以外の収益基盤を変えた。2019年3月期には営業収益6,175億円・経常利益629億円とコロナ前のピークを記録したが、2021年3月期にはコロナ禍で純損失249億円に転落する。そこから構造改革を進め、2024年3月期には営業収益6,359億円・経常利益720億円で過去最高を更新している。2023年6月には根津嘉澄が、根津家出身の社長は自分が最後にあたると語り、代わって都筑豊が社長に就任した。1905年の初代根津嘉一郎の参画以来約120年続いた創業家支配に自ら終止符を打った形で、同族経営から機関投資家目線の経営への転換が進んでいる。
歴史概略
1897年〜1960年根津家と路線網の拡大 ── 明治末から戦後初期にかけての基盤形成
利根川を越えた鉄道王 ── 根津嘉一郎の参画と伊勢崎線の全通
1897年11月、東京から北関東を結ぶ鉄道を敷設する目的で東武鉄道が設立された。資本金265万円、初代社長は末延道成である。1899年8月に伊勢崎線の北千住〜久喜間が開通して営業を開始したが、用地買収の難航や沿線需要の伸び悩みで、その後の経営は振るわなかった。1905年、経営不振を打開するため山梨出身の相場師・実業家である根津嘉一郎が株式を取得して経営に参画した。根津は社内の冗費を削減する一方、利根川に約40万円を投じて549メートルの大鉄橋を架設し、路線を群馬・栃木方面へ延伸する積極策に転じた。当時としては異例の規模の鉄橋投資であり、この判断が東武鉄道の路線規模を決定づけ、後の関東最大の私鉄路線網への布石となった。根津は後に関東の鉄道・電力・金融など多様な事業で手腕をふるう。
1910年に伊勢崎線が全通し、1912年に佐野鉄道、1913年に太田軽便鉄道を吸収して集客圏を拡大した。1920年には東上鉄道を合併して東上線を取得し、伊勢崎線系統と東上線系統の2大路線体制が確立した。さらに1929年4月に日光線が全通し、日本初の電車による100キロメートル超の長距離運転を実現している。日光は国際的な観光地であり、この路線が後のレジャー事業の原型となった。電車による長距離高速運転は、当時の私鉄としては画期的な試みで、後のスペーシア、スペーシアXに至る東武鉄道の特急系統の源流となる。1929年には不動産事業の拡充も進められ、鉄道と沿線の土地開発を一体で進めるビジネスモデルがこの時期に形成され始めた。日光線全通と不動産事業の立ち上げが同時期に重なった点は、後のレジャー・不動産の二本柱の源流にあたる。
戦時統合と2代目嘉一郎の同族経営
1931年5月に浅草雷門(現・浅草)〜業平橋(現・とうきょうスカイツリー)間が開通し、都心との接続が実現した。浅草は当時東京最大の繁華街であり、この接続で沿線の利便性が大きく向上した。1930年代後半から戦時統合が進み、1937年に上州鉄道、1943年に下野電気鉄道・越生鉄道、1944年に総武鉄道(現在のアーバンパークラインの基盤となる野田線等を保有)を相次いで合併し、1947年には国鉄熊谷線に関する事業も引き継いでいる。この結果、東武鉄道はJRを除く関東最大の路線網を有する私鉄となった。営業キロ数は463.3キロメートルで、全国でも近畿日本鉄道に次ぐ規模である。戦時統合はその後の東武鉄道が担う地理的な広がりを形づくり、戦後のレジャー・不動産事業の下地にもなった。
1941年に初代根津嘉一郎が逝去し、2代目根津嘉一郎が社長に就任した。2代目は1994年まで約53年間にわたり社長を務め、同族経営を維持した。1949年に東京証券取引所に上場し、1929年に追加した不動産事業を本格化させるとともに、1958年に東武宇都宮百貨店、1960年に東武百貨店・東武会館(現・東武ストア)を設立して流通・小売事業に進出した。1962年には東武百貨店池袋店を池袋西口に開業し、東上線のターミナルに百貨店を据えるターミナル型ビジネスモデルを本格的に始動させている。鉄道を中核に百貨店・スーパー・不動産を展開するグループ体制の骨格がこの時期に形成され、以後の東武グループの事業ポートフォリオの基本構図となった。2代目嘉一郎の長期政権下で、戦後復興期から高度成長期にかけて脱皮が進んだ。
1961年〜1994年都心直通と沿線開発 ── 相互乗入れ時代と複合事業化の進展
都心直通と沿線開発の加速 ── 相互乗入れによる沿線価値の引き上げ
1962年5月、東武伊勢崎線と帝都高速度交通営団(現・東京メトロ)日比谷線の相互乗入れが始まった。北千住から都心部(銀座・六本木・恵比寿)への直通が可能になり、それまで水田が広がっていた伊勢崎線沿線の宅地開発が加速した。2代目根津嘉一郎は「沿線が都心と直結しますから、非常に開発される。水田を埋めて住宅になってきますよ」(東邦経済 1960/6)と語っている。同月には東武百貨店池袋店を池袋西口に開業し、東上線のターミナルに百貨店を据えるターミナル型ビジネスモデルを始動させた。伊勢崎線沿線の宅地化は1960年代から1970年代にかけて本格化し、定期券利用の会社員を中心とする通勤需要を取り込みながら、鉄道・不動産・流通の三位一体の成長を支えていった。
1987年には東上線と有楽町線の相互乗入れが和光市経由で始まり、東上線沿線から有楽町・新富町方面への直通が実現した。鉄道路線の価値を相互乗入れで引き上げ、沿線の宅地化で不動産・流通の需要を取り込むという構造は、東武鉄道の事業モデルの根幹であり、後の半蔵門線・副都心線・東急線との直通運転へと拡大していく。1962年の日比谷線直通から1987年の有楽町線直通までの約25年は、東武鉄道が自社路線の延伸ではなく他社路線との結節によって沿線価値を高める手法を確立した時期にあたり、鉄道インフラへの追加投資を抑えつつネットワーク効果を最大化する基本戦略が形成された。伊勢崎線・東上線が都心の異なる地下鉄網と直結することで、首都圏ネットワークの中で同社が担う役割は広がった。
1995年〜2019年スカイツリーと百貨店 ── 投資の明暗
池袋店増床8.3万平方メートル ── バブル期の「最大最後の挑戦」
1990年、東武百貨店は米国の高級百貨店サックスの買収を計画したが、アラブ系企業インベストコープが15億ドルで落札し撤回に追い込まれた。この失敗はオーナー根津家と百貨店経営陣の方針対立を表面化させ、東武百貨店社長の交代につながった。一方、国内では池袋駅西口の東武百貨店池袋店の大規模増床を進め、1992年6月に売場面積82,963平方メートルの増改築が完成した。池袋駅東口で年間売上高4,114億円を誇る西武百貨店に対抗するための投資であり、東武鉄道は百貨店増床と池袋西口再開発に合計約900億円を投じている。バブル期の「最大最後の挑戦」と呼ばれたこの投資は、流通業への戦略的なコミットメントを示すものだったが、完成とほぼ同時期にバブル崩壊が進行し、投資回収は長期化していく。
しかしバブル崩壊後の消費低迷で、日本最大の売場面積という規模は集客力に直結しなかった。2000年代に入ると百貨店業態そのものの衰退が進み、流通事業の営業利益は低迷が続いた。2001年10月には社員1,500名の子会社転籍と150名の希望退職による経営合理化を実施している。池袋店の投資は長期間にわたって重荷となったが、百貨店は鉄道ターミナルの集客装置としてグループ内に維持された。池袋駅西口再開発は2020年代に入ってからも継続的な検討課題として残り、後述の池袋駅西口再開発事業につながっていく。1990年代前半のバブル期の戦略が、30年の時を経てなお東武鉄道の投資計画に影響を与えている。百貨店業態の構造的な低迷にもかかわらず、東武百貨店は鉄道ターミナルの集客装置として東上線の顔を担い続けている。
総額1,430億円 ── スカイツリーはなぜ押上に建ったのか
2003年、東京の地上デジタル放送用に600メートル級の電波塔建設が計画された。候補地は東京・埼玉の10か所に絞られ、最終的に東武鉄道が保有する押上駅周辺の貨物駅跡地が選定された。東武鉄道の保有地で土地確保が容易なこと、地元墨田区が誘致に積極的だったこと、浅草に隣接し観光収入が見込めることが選定の理由だった。2003年には半蔵門線・東急田園都市線との相互乗入れが始まり、押上駅の交通結節機能も向上していた。東京タワーの老朽化と電波到達範囲の不足を解消する新しいランドマークとして、スカイツリーの位置づけは単なる放送用鉄塔を超えた都市開発プロジェクトとなり、東武鉄道にとっては1897年の設立以来最大の単独投資案件となった。
東武鉄道はスカイツリータウン全体に総額約1,430億円を投資し、投資回収期間を25年に設定した。2012年5月に開業すると、タワー部分だけで初年度の営業利益91億円を計上し、レジャー事業のセグメント利益はスカイツリー開業前の2011年3月期の赤字6.2億円から、2013年3月期には105.9億円へ急回復した。鉄道利用者の増加や周辺のホテル・商業施設への波及効果も含めると、スカイツリーは東武鉄道の事業構造を変えた投資だった。1992年の池袋店増床が百貨店業態の低迷で重荷となった一方、2012年のスカイツリー開業は投資が想定以上の利益回復をもたらしており、バブル期と低金利期の投資対比という観点からも象徴的な2案件となっている。投資回収期間25年の設定は私鉄の単独投資としては異例の長さであり、超長期の投資判断を許容する同族経営の特性が表れている。
相互乗入れの拡大 ── 5社14路線をつなぐネットワーク
2008年6月に東京メトロ副都心線との相互乗入れが和光市経由で開始され、東上線から新宿三丁目・渋谷方面へのアクセスが向上した。2013年3月には東急東横線・みなとみらい線との直通運転が始まり、東上線から横浜方面への直通ルートが開通した。伊勢崎線系統でも2003年の半蔵門線直通に続き、都心を横断して東急田園都市線・中央林間まで直通する広域ネットワークが形成された。東武鉄道は自社路線の延伸ではなく、他社路線との相互乗入れで沿線価値を高める手法を採り、鉄道インフラへの追加投資を抑えながらネットワーク効果を得た。この広域ネットワーク戦略は、2023年3月の東上線〜新横浜線〜相鉄線直通運転の開始まで連続しており、5社14路線をまたぐ首都圏の鉄道ネットワークの中核を東武鉄道が担う構図となった。
相互乗入れの拡大は定期外収入の増加にも寄与した。2019年3月期の営業収益は6,175億円、経常利益629億円に達し、コロナ前の業績のピークとなった。運輸事業は売上2,136億円・営業利益411億円、レジャー事業は売上762億円・営業利益60億円、不動産事業は売上451億円・営業利益140億円と、鉄道を軸にレジャー・不動産が利益を支える構造が出来上がっていた。流通事業の低迷を相互乗入れによる鉄道収入とレジャー収入の拡大で補う構図であり、1990年代のバブル期投資の重みを2010年代のスカイツリー・相互乗入れが相殺していく流れがこの時期に完成している。鉄道・レジャー・不動産の3つがそれぞれ100億円単位の利益を生む複線的な収益構造が、コロナ禍直前の姿として安定していた。
直近の動向と展望
コロナ禍の赤字249億円と回復
2021年3月期、コロナ禍で鉄道・レジャー・流通の3事業が同時に打撃を受け、営業収益は前年比24%減の4,963億円、経常損益は98億円の赤字、純損失249億円を計上した。運輸事業が52億円の赤字、レジャー事業が184億円の赤字となり、不動産事業(営業利益137億円)だけが黒字を維持した。ホテル業ではコロナ禍の間に損益分岐点売上高を15%引き下げる構造改革を進め、2022年度に黒字化した。百貨店事業も2023年度に黒字を回復し、2024年3月期には営業収益6,359億円、経常利益720億円と過去最高を記録した。コロナ禍の赤字から過去最高益までの3年間で、鉄道・レジャー・流通・不動産の4事業のバランスが再び整えられ、スカイツリー開業時に確立した構造が高付加価値サービスの投入で更新された格好となった。
スペーシアXの導入効果は2024年度で利用単価上振れ約5億円、鉄道全体への波及効果約18億円の増収となった。2023年3月には東上線から新横浜線経由で相鉄線への直通運転が始まり、広域ネットワークがさらに拡大している。また、鉄道の電気代がコロナ前の約100億円から2割以上上昇しており、運賃改定の早期実施が課題として浮上している。スペーシアXのような高付加価値特急車両の投入と、既存の通勤輸送に対する運賃改定という2つの運輸収益の柱を同時に扱う経営判断が、次期中期計画の論点として浮上している。日光・鬼怒川方面への観光需要の回復とあわせて、レジャー収入のさらなる底上げが期待される局面にあり、2023年3月の東上線〜新横浜線〜相鉄線直通による横浜方面への旅客流動の伸びも、定期外収入のトレンドを押し上げる要素となっている。
池袋西口再開発と営業利益1,000億円の長期目標
2030年代半ばに営業利益1,000億円以上を目指す長期経営ビジョンを掲げている。最大の投資案件は池袋駅西口再開発事業で、事業費1,000〜2,000億円、事業期間15〜20年を想定している。ただし工事費高騰と人手不足の影響で解体着手工事は当初計画から3年程度遅延しており、2030年代前半の着工を目指す。年間投資規模は1,300億円程度に達する年度も見込まれる。1992年の東武百貨店池袋店増床以来の、池袋西口の大規模再開発となる見通しで、流通事業の重荷だった百貨店の跡地を含む西口全体を複合商業・オフィス・住宅に再編する構想であり、2030年代の東武グループの収益構造を左右する最大級のプロジェクトにあたる。生体認証サービスSAKULaLaは2030年代前後での単年度黒字化を目標に、JCBとの提携で加盟店を拡大する。
2023年6月、根津嘉澄に代わり都筑豊が社長に就任した。根津嘉澄は「一家での世襲には限界がある。根津家出身の社長は私が最後」(経済界ウェブ 2023/12/11)と語り、1905年の初代根津嘉一郎の参画以来約120年続いた創業家支配に自ら終止符を打った。PBR1倍割れの解消やDOEを意識した株主還元方針の導入、資本市場を意識した経営への転換が進んでおり、根津家という長期安定株主の下で築かれた同族経営型の資本政策から、機関投資家の目線を前提とする経営への移行が、都筑体制の最大のテーマとなっている。生体認証サービスSAKULaLaやM&Aによる新規事業の育成も同時並行で進められており、鉄道・不動産・流通・レジャーの4事業に加えて第5の収益柱をどう育てるかも、次の経営課題である。