東武鉄道 の歴史

更新:

創業

1897年

創業者

根津嘉一郎(初代)

創業地

東京都

直近売上高(2026/3)

6,554億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1905年に参画した根津嘉一郎が、不振の東武鉄道を立て直せたのか
A 開業直後の東武鉄道が振るわなかったのは、伊勢崎線が利根川で分断され、群馬・栃木の集客圏まで線路が届かなかったためである。山梨出身の相場師・実業家である根津嘉一郎は1905年に株式を取得して経営へ参画すると、社内の冗費を削る一方、利根川に約40万円を投じて549メートルの大鉄橋を架けた。当時として異例の規模の橋に資金を集中し、路線を北関東へ延ばして集客圏を一気に広げた。この判断が東武鉄道の規模を決め、関東最大の私鉄路線網と、根津家による約120年の経営参画へつながった
Q なぜ1962年以降、東武鉄道は自社線を延ばさず他社線との相互乗入れを選んだのか
A 自社で都心まで線路を引けば莫大な用地費と建設費がかかるのに対し、既設の地下鉄へ乗り入れれば、追加の線路を抱えずに沿線を都心と直結させ、その利便で宅地需要を取り込めると見たためである。2代目根津嘉一郎社長は相互乗入れ前から「沿線が都心と直結しますから、非常に開発される。水田を埋めて住宅になってきますよ」と語っていた。1962年5月の日比谷線直通で伊勢崎線沿線の宅地化が進み、1987年の有楽町線直通までの約25年で、線路投資を抑えてネットワーク効果を取る方針が固まった
Q なぜ2023年に根津嘉澄社長は、自ら創業家以外への社長交代を選んだのか
A 一族だけでは必ずしも適任の後継者が現れるとは限らず、東証プライム上場企業として透明性の高い統治を保つには、創業家の世襲を続けるより内部の専門経営者へ託すほうが理にかなうと判断したためである。根津嘉澄社長は社長交代について「一家での世襲には限界がある。根津家出身の社長は私が最後」と述べた。1905年の初代根津嘉一郎の参画以来3世代・約120年続いた根津家の経営を自ら区切り、2023年6月に生え抜きの都筑豊氏へ承継した。指名・報酬委員会の設置や取締役と執行役員の分離も、その移行に合わせて進めた

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1897年〜 根津家と路線網の拡大 ── 明治末から戦後初期にかけての基盤形成

  1. 1897年 東武鉄道を設立
  2. 1899年 伊勢崎線北千住〜久喜間開通、営業開始
  3. 1905年 根津嘉一郎が経営に参画
  4. 1920年 東上鉄道を合併
  5. 1929年 不動産事業に参入
  6. 1944年 総武鉄道を合併
  7. 1960年 東武百貨店を設立

利根川を越えた鉄道王 ── 根津嘉一郎氏の参画と伊勢崎線の全通

1897年11月、東京から北関東を結ぶ鉄道を敷設する目的で東武鉄道が設立された。資本金265万円、初代社長は末延道成である。1899年8月に伊勢崎線の北千住〜久喜間が開通して営業を開始したが、用地買収の難航や沿線需要の伸び悩みで、以後の経営は振るわなかった。1905年、経営不振を打開するため山梨出身の相場師・実業家である根津嘉一郎氏が株式を取得して経営に参画した。根津氏は社内の冗費を削減する一方、利根川に約40万円を投じて549メートルの大鉄橋を架設し、路線を群馬・栃木方面へ延伸する積極策に転じた。当時としては異例の規模の鉄橋投資であり、この判断が東武鉄道の路線規模を決定づけ、後の関東最大の私鉄路線網への布石となった。根津氏は後に関東の鉄道・電力・金融など多様な事業で手腕をふるう。 [1][2][3][4]

  • 東武鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1897年11月 東武鉄道設立(資本金265万円)・初代社長 末延道成
    • [2]1899年8月 伊勢崎線 北千住〜久喜間が開通し営業開始
    • [3]1905年 根津嘉一郎が株式取得し経営参画(山梨出身の相場師・実業家)
    • [4]利根川鉄橋は549メートル・架設費約40万円

1910年に伊勢崎線が全通し、1912年に佐野鉄道、1913年に太田軽便鉄道を吸収して集客圏を広げた。1920年には東上鉄道を合併して東上線を取得し、伊勢崎線系統と東上線系統の2大路線体制を作った。1929年4月に日光線が全通し、電車で100キロメートルを超える長距離運転を私鉄として最初に開始した。日光は国際的な観光地で、この路線がのちのスペーシア、スペーシアXに連なる特急系統の出発点となり、レジャー事業の足場ともなった。同年には不動産事業を拡充し、鉄道と沿線の土地開発を一体で進める事業モデルに着手した。日光線全通と不動産事業の立ち上げが同年に重なり、後年のレジャーと不動産という二本柱の足場ができた。 [5][6][7][8]

  • 東武鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [5]1910年 伊勢崎線全通/1912年 佐野鉄道合併・1913年 太田軽便鉄道(軽便鉄道部)買収
    • [6]1920年 東上鉄道を合併し東上線を取得(伊勢崎線系統と東上線系統の2大路線体制)
    • [7]1929年(10月)日光線開通=日光への観光路線
    • [8]1929年4月 不動産事業に参入(事業目的に土地建物の売買・賃貸を追加)
  • 東武鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1897年11月 東武鉄道設立(資本金265万円)・初代社長 末延道成
    • [2]1899年8月 伊勢崎線 北千住〜久喜間が開通し営業開始
    • [3]1905年 根津嘉一郎が株式取得し経営参画(山梨出身の相場師・実業家)
    • [4]利根川鉄橋は549メートル・架設費約40万円
    • [5]1910年 伊勢崎線全通/1912年 佐野鉄道合併・1913年 太田軽便鉄道(軽便鉄道部)買収
    • [6]1920年 東上鉄道を合併し東上線を取得(伊勢崎線系統と東上線系統の2大路線体制)
    • [7]1929年(10月)日光線開通=日光への観光路線
    • [8]1929年4月 不動産事業に参入(事業目的に土地建物の売買・賃貸を追加)

戦時統合と2代目根津嘉一郎氏の同族経営

1931年5月に浅草雷門(現・浅草)〜業平橋(現・とうきょうスカイツリー)間が開通し、都心との接続が完成した。浅草は当時東京最大の繁華街であり、この接続で沿線の利便性が向上した。1930年代後半から戦時統合が進み、1937年に上州鉄道、1943年に下野電気鉄道・越生鉄道、1944年に総武鉄道(現在のアーバンパークラインの基盤となる野田線等を保有)を相次いで合併し、1947年には国鉄熊谷線に関する事業も引き継いでいる。この結果、東武鉄道はJRを除く関東最大の路線網を有する私鉄となった。営業キロ数は463.3キロメートルで、全国でも近畿日本鉄道に次ぐ規模である。戦時統合は以後の東武鉄道が担う地理的な広がりを形づくり、戦後のレジャー・不動産事業の下地にもなった。 [9][10][11][12]

  • 東武鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [9]1931年5月 浅草雷門(現・浅草)〜業平橋間が開通し都心と接続
    • [10]戦時統合:1937年上州鉄道・1943年下野電気鉄道/越生鉄道・1944年総武鉄道(野田線等)を合併
    • [11]JRを除く関東最大の路線網を有する私鉄
    • [12]営業キロ数463.3キロメートル

1941年に初代根津嘉一郎氏が逝去し、2代目根津嘉一郎氏が社長に就任した。2代目は1994年まで約53年間社長を務め、同族経営を維持した。1949年に東京証券取引所へ上場し、1929年に始めた不動産事業を本格化させた。流通・小売事業へは1958年に東武宇都宮百貨店、1960年に東武百貨店・東武会館(現・東武ストア)を設立して進出した。1962年には東武百貨店池袋店を池袋西口に開業し、東上線のターミナルに百貨店を併設する事業モデルに移った。鉄道を中核に百貨店・スーパー・不動産を並べるグループ構成が2代目体制の戦後復興期から高度成長期にかけて出来上がり、以後の東武グループの事業ポートフォリオの土台となった。 [13][14][15][16][17]

  • 東武鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [13]1941年 初代根津嘉一郎逝去・2代目根津嘉一郎が社長就任
    • [14]2代目は1994年まで約53年間社長を務め同族経営を維持
    • [15]1949年 東京証券取引所へ上場
    • [16]1958年 東武宇都宮百貨店・1960年 東武百貨店/東武会館(現・東武ストア)設立
    • [17]1962年 東武百貨店池袋店を池袋西口に開業
  • 東武鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [9]1931年5月 浅草雷門(現・浅草)〜業平橋間が開通し都心と接続
    • [10]戦時統合:1937年上州鉄道・1943年下野電気鉄道/越生鉄道・1944年総武鉄道(野田線等)を合併
    • [11]JRを除く関東最大の路線網を有する私鉄
    • [12]営業キロ数463.3キロメートル
    • [13]1941年 初代根津嘉一郎逝去・2代目根津嘉一郎が社長就任
    • [14]2代目は1994年まで約53年間社長を務め同族経営を維持
    • [15]1949年 東京証券取引所へ上場
    • [16]1958年 東武宇都宮百貨店・1960年 東武百貨店/東武会館(現・東武ストア)設立
    • [17]1962年 東武百貨店池袋店を池袋西口に開業

1961年〜 都心直通と沿線開発 ── 相互乗入れ時代と複合事業化の進展

東武鉄道の業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1961年 東京証券取引所第一部に指定
  2. 1962年 日比谷線との相互乗入れ運転を開始
  3. 1962年 東武百貨店池袋店を開店
  4. 1983年 熊谷線廃線
  5. 1987年 有楽町線との相互乗入れ運転を開始
  6. 1990年 東武百貨店によるサックス買収計画の頓挫と池袋店増床900億円投資 海外の高級百貨店を得るはずだった資本は、なぜ池袋西口の増床900億円へ回ったか
  7. 1992年 東武百貨店池袋店の増改築完成

自社路線を延ばさず他社網に結ぶ ── 相互乗入れによる沿線価値の引き上げ

1962年5月、東武伊勢崎線と帝都高速度交通営団(現・東京メトロ)日比谷線の相互乗入れが始まった。北千住から銀座・六本木・恵比寿へ乗り換えなしで結ばれ、それまで水田が広がっていた伊勢崎線沿線の宅地開発が加速した。2代目根津嘉一郎社長は「沿線が都心と直結しますから、非常に開発される。水田を埋めて住宅になってきますよ」(東邦経済 1960/6)と相互乗入れ開始前から語っていた。伊勢崎線沿線の宅地化は1960年代から1970年代にかけて進み、定期券利用の会社員を軸とする通勤需要が鉄道・不動産の収益を押し上げた。前年の1961年10月には東証第一部に指定されている。 [18][19]

  • 東武鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1962年5月 伊勢崎線と帝都高速度交通営団(現・東京メトロ)日比谷線の相互乗入れ開始
    • [19]1961年10月 東証第一部に指定

1987年8月には東上線と有楽町線の相互乗入れが和光市経由で始まり、東上線沿線から有楽町・新富町方面への直通が開いた。1962年の日比谷線直通から1987年の有楽町線直通までの約25年で、自社路線を延ばすのではなく他社路線との結節点を作って沿線価値を高める方針が固まった。鉄道インフラへの追加投資を抑えつつ、相互乗入れで路線価値を引き上げ、沿線の宅地化で不動産・流通の需要を取り込む手法が東武鉄道の事業モデルの根幹となった。この方針はのちの半蔵門線・副都心線・東急線との直通運転へ続き、伊勢崎線・東上線が都心の異なる地下鉄網と直結したことで、首都圏ネットワークの中で東武鉄道が担う範囲が広がった。 [20]

  • 東武鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1987年8月 東上線と有楽町線の相互乗入れ開始(和光市経由)
  • 東武鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1962年5月 伊勢崎線と帝都高速度交通営団(現・東京メトロ)日比谷線の相互乗入れ開始
    • [19]1961年10月 東証第一部に指定
    • [20]1987年8月 東上線と有楽町線の相互乗入れ開始(和光市経由)

鉄道ターミナルに流通を併設する ── 2代目53年が組んだグループの形

鉄道で都心と結んだ沿線に、消費を取り込む流通事業を重ねたのが2代目根津嘉一郎氏の時代だった。1958年に東武宇都宮百貨店、1960年に東武百貨店と東武会館(現・東武ストア)を設立して百貨店・チェーンストア事業へ進出し、1962年5月には日比谷線直通と同じ月に東武百貨店池袋店を池袋西口に開業した。東上線のターミナルである池袋に百貨店を併設し、駅の乗降客をそのまま売場の集客につなげた。鉄道で運んだ乗客を沿線の住宅と都心の売場の双方で収益化する、鉄道・流通・不動産を一体で運営する事業構成がこの時期に組み上がった。 [21]

  • 東武鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [21]1958年 東武宇都宮百貨店・1960年 東武百貨店/東武会館(現・東武ストア)設立、1962年5月 東武百貨店池袋店開業

1941年に初代の逝去を受けて社長に就いた2代目根津嘉一郎氏は、1994年1月に退任するまで約53年間社長を務め、同族経営を維持した。長期にわたる一人のトップのもとで、相互乗入れによる沿線開発と流通事業の併設という方針が一貫して進められた。投資の回収に長い時間がかかる鉄道・不動産・百貨店の事業を腰を据えて組み合わせられたのは、株主の交代に左右されにくい同族経営の特性によるところが大きい。半世紀を一人のトップが率いたことで、相互乗入れと流通併設という二つの方針が短期の業績に振り回されずに貫かれた。 [22]

  • 東武鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [22]2代目根津嘉一郎は1941年就任〜1994年1月退任まで約53年間社長
  • 東武鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [21]1958年 東武宇都宮百貨店・1960年 東武百貨店/東武会館(現・東武ストア)設立、1962年5月 東武百貨店池袋店開業
    • [22]2代目根津嘉一郎は1941年就任〜1994年1月退任まで約53年間社長

1995年〜 スカイツリーと百貨店 ── 投資の明暗

東武鉄道の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1999年 根津嘉澄氏が社長に就任
  2. 2001年 経営合理化を実施
  3. 2002年 東武バス設立
  4. 2003年 半蔵門線・東急田園都市線と相互乗入れ開始
  5. 2006年 JR山手線・宇都宮線と相互乗入れ開始
  6. 2008年 副都心線との相互乗入れ開始
  7. 2012年 東京スカイツリー建設への1,430億円投資 電波塔の誘致という商機を、東武鉄道は「設立以来最大の単独投資」としてどう引き受けたか

池袋店増床8.3万平方メートル ── バブル期の「最大最後の挑戦」

1990年、東武百貨店は米国の高級百貨店サックスの買収を計画したが、アラブ系企業インベストコープが15億ドルで落札し撤回に追い込まれた。この失敗はオーナー根津家と百貨店経営陣の方針対立を表面化させ、東武百貨店社長の交代につながった。国内では池袋駅西口の東武百貨店池袋店の増床を進め、1992年6月に売場面積82,963平方メートルの増改築が完成した。池袋駅東口で年間売上高4,114億円を誇る西武百貨店に対抗するための投資で、東武鉄道は百貨店増床と池袋西口再開発に合計約900億円を投じた。バブル期の「最大最後の挑戦」と呼ばれた投資だが、完成と前後してバブル崩壊が進み、投資回収は長期化した。 [23][24][25]

    • [23]1990年 東武百貨店がサックス買収を計画もインベストコープが15億ドルで落札し撤退
  • 東武鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [24]1992年6月 池袋店増改築完成・売場面積82,963平方メートル
    • [25]百貨店増床と池袋西口再開発に合計約900億円を投資

バブル崩壊後の消費低迷で、日本最大の売場面積という規模は集客力に直結しなかった。2000年代に入ると百貨店業態そのものが衰退し、流通事業の営業利益は長く低迷した。2001年10月には東武百貨店で社員1,500名の子会社転籍と150名の希望退職で経営合理化に踏み切った。池袋店の投資は長期間にわたって採算上の負担となったが、百貨店は鉄道ターミナルの集客装置としてグループ内に残した。池袋駅西口再開発は2020年代に入っても継続的な検討課題として残り、後述の池袋駅西口再開発事業に持ち越された。1990年代前半のバブル期に踏み切った判断が、30年を経てもなお東武鉄道の投資計画に影響を残している。 [26]

  • 東武鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [26]2001年10月 社員1,500名の子会社転籍・150名の希望退職で経営合理化
    • [23]1990年 東武百貨店がサックス買収を計画もインベストコープが15億ドルで落札し撤退
  • 東武鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [24]1992年6月 池袋店増改築完成・売場面積82,963平方メートル
    • [25]百貨店増床と池袋西口再開発に合計約900億円を投資
    • [26]2001年10月 社員1,500名の子会社転籍・150名の希望退職で経営合理化

総額1,430億円 ── スカイツリーはなぜ押上に建ったのか

2003年、東京の地上デジタル放送用に600メートル級の電波塔建設が計画された。候補地は東京・埼玉の10か所に絞られ、最終的に東武鉄道が保有する押上駅周辺の貨物駅跡地が選定された。東武鉄道の保有地で土地確保が容易なこと、地元墨田区が誘致に積極的だったこと、浅草に隣接し観光収入が見込めることが選定の理由だった。同年には半蔵門線・東急田園都市線との相互乗入れも始まり、押上駅の交通結節機能も向上した。東京タワーの老朽化と電波到達範囲の不足を補う新しいランドマークとして、スカイツリーの位置づけは放送用鉄塔を超えた都市開発プロジェクトに広がり、東武鉄道にとっては1897年の設立以来最大の単独投資案件となった。 [27][28]

  • 東武鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [27]2003年 半蔵門線・東急田園都市線との相互乗入れ開始(押上経由)
    • [28]スカイツリーは東武鉄道保有の押上駅周辺の貨物駅跡地に建設

東武鉄道はスカイツリータウン全体に総額約1,430億円を投資し、投資回収期間を25年に設定した。2012年5月に開業すると、タワー部分だけで初年度の営業利益91億円を計上した。レジャー事業のセグメント利益はスカイツリー開業前の2012年3月期の赤字6.2億円から、2013年3月期には105.9億円へ回復した。鉄道利用者の増加や周辺のホテル・商業施設への波及効果も含めると、スカイツリーは東武鉄道の事業構造そのものを動かした投資だった。1992年の池袋店増床がバブル期の採算上の負担だったのに対し、2012年のスカイツリー開業は同等規模の投資で想定を上回る利益回復をもたらした。投資回収期間25年の設定は私鉄の単独投資としては異例の長さで、超長期の投資判断を許容する同族経営の特性が表れた数字でもある。 [29]

  • 東武鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [29]スカイツリータウン総投資額 約1,430億円・投資回収期間25年
  • 東武鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [27]2003年 半蔵門線・東急田園都市線との相互乗入れ開始(押上経由)
    • [28]スカイツリーは東武鉄道保有の押上駅周辺の貨物駅跡地に建設
    • [29]スカイツリータウン総投資額 約1,430億円・投資回収期間25年

相互乗入れの拡大 ── 5社14路線をつなぐネットワーク

2008年6月に東京メトロ副都心線との相互乗入れが和光市経由で始まり、東上線から新宿三丁目・渋谷方面へのアクセスが向上した。2013年3月には東急東横線・みなとみらい線との直通運転が始まり、東上線から横浜方面への直通ルートが開通した。伊勢崎線系統でも2003年の半蔵門線直通に続き、都心を横断して東急田園都市線・中央林間まで直通する広域ネットワークができた。東武鉄道は自社路線を延ばさず他社路線との相互乗入れで沿線価値を高める手法を採り、鉄道インフラへの追加投資を抑えてネットワーク効果を取りに行った。この広域ネットワーク戦略は2023年3月の東上線〜新横浜線〜相鉄線直通運転の開始まで連続し、5社14路線をまたぐ首都圏の鉄道ネットワークの中核を東武鉄道が担う体制が整った。 [30][31][32]

  • 東武鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [30]2008年6月 副都心線との相互乗入れ開始(和光市経由)
    • [31]2013年3月 東急東横線・みなとみらい線との直通運転開始
    • [32]2023年3月 東上線〜新横浜線〜相鉄線直通運転開始(5社14路線)

相互乗入れの拡大は定期外収入の増加にも寄与した。2019年3月期の営業収益は6,175億円、経常利益629億円に達し、コロナ前の業績の到達点となった。運輸事業は売上2,136億円・営業利益411億円、レジャー事業は売上762億円・営業利益60億円、不動産事業は売上451億円・営業利益140億円で、鉄道を軸にレジャー・不動産が利益を支える形ができた。流通事業の低迷を相互乗入れによる鉄道収入とレジャー収入で補い、1990年代のバブル期投資の重みを2010年代のスカイツリー・相互乗入れの収益が相殺した。鉄道・レジャー・不動産の3つがそれぞれ100億円単位の利益を生む3本柱の構造が、コロナ禍直前の東武鉄道の姿だった。

  • 東武鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [30]2008年6月 副都心線との相互乗入れ開始(和光市経由)
    • [31]2013年3月 東急東横線・みなとみらい線との直通運転開始
    • [32]2023年3月 東上線〜新横浜線〜相鉄線直通運転開始(5社14路線)

東武鉄道の沿革1897〜2023年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
東武鉄道を設立
伊勢崎線北千住〜久喜間開通、営業開始
根津嘉一郎が経営に参画★★
東上鉄道を合併★★
不動産事業に参入★★
日光線開通
浅草〜業平橋間開通
根津嘉一郎2代目根津嘉一郎氏が社長に就任
根津嘉一郎総武鉄道を合併★★
根津嘉一郎東京証券取引所に上場
根津嘉一郎東武宇都宮百貨店を設立
根津嘉一郎東武百貨店を設立★★
根津嘉一郎東武会館を設立
根津嘉一郎東京証券取引所第一部に指定
根津嘉一郎日比谷線との相互乗入れ運転を開始
根津嘉一郎東武百貨店池袋店を開店
根津嘉一郎熊谷線廃線
根津嘉一郎有楽町線との相互乗入れ運転を開始
根津嘉一郎東武百貨店によるサックス買収計画の頓挫と池袋店増床900億円投資海外の高級百貨店を得るはずだった資本は、なぜ池袋西口の増床900億円へ回ったか 詳細を読む★★★
根津嘉一郎東武百貨店池袋店の増改築完成
内田隆滋2代目根津嘉一郎氏が社長を退任
根津嘉澄根津嘉澄氏が社長に就任
根津嘉澄経営合理化を実施★★
根津嘉澄東武バス設立
根津嘉澄半蔵門線・東急田園都市線と相互乗入れ開始
根津嘉澄JR山手線・宇都宮線と相互乗入れ開始
根津嘉澄副都心線との相互乗入れ開始
根津嘉澄東京スカイツリー建設への1,430億円投資電波塔の誘致という商機を、東武鉄道は「設立以来最大の単独投資」としてどう引き受けたか 詳細を読む★★★
根津嘉澄東急東横線・みなとみらい線と相互乗入れ開始
根津嘉澄東武ストアを完全子会社化
根津嘉澄コロナ禍で最終赤字に転落★★
根津嘉澄東京証券取引所プライム市場へ移行
都筑豊東上線から相鉄線への直通運転を開始
都筑豊都筑豊氏が社長に就任(創業家以外から初)★★
出典・参考

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